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PROGRAM/放送作品
悲しみよこんにちは
ジーン・セバーグの瑞々しい魅力がまぶしい…天才少女作家サガンの処女小説を鮮烈なタッチで映像化
フランソワーズ・サガンが18歳で書き上げた処女小説を映像化。現在をモノクロ、回想をカラーと使い分ける場面転換が秀逸。中性的な魅力が光るセバーグのヘアスタイルが“セシル・カット”と称されブームに。
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COLUMN/コラム2023.09.29
マブリーの魅力が炸裂する韓流クライム・アクション・シリーズ!『犯罪都市』『犯罪都市 THE ROUNDUP』
遅咲きのスーパースター、マ・ドンソクとは? 今や韓国を代表する国際的スターへと成長した俳優マ・ドンソク(ハリウッドではドン・リー名義)。ボクシング仕込みの人並外れたマッチョな体格と、親しみやすくて愛らしい個性のギャップから、韓国ではマブリー(マ・ドンソク×ラブリー)という相性も定着。「気は優しくて力持ち」なヒーローを演じたら右に出る者はなく、アクション映画だけでなくコメディや人間ドラマもいけるところが強みだ。諸外国では「韓国のドウェイン・ジョンソン」と呼ばれているそうだが、しかしどこか昭和の映画スター、勝新太郎を彷彿とさせるような泥臭い魅力もある。その辺りが日本でも絶大な人気を誇る理由かもしれない。 生まれも育ちも韓国のソウルで、15歳の時に見た映画『ロッキー』に触発されてプロ・ボクサーを目指すものの、しかし父親の事業が傾いて家庭が困窮したことから、18歳でモンタナ州に住む親戚を頼って渡米。アメリカの大学で体育学を学びつつ、レストランの皿洗いからビルの清掃員、雑貨屋のレジ係から粉ミルクのセールスマン、さらにはナイトクラブの用心棒にフィットネスジムのトレーナーなど、数えきれないほどの職を転々とした苦労人だ。 総合格闘家のマーク・コールマンやケヴィン・ランデルマンのパーソナル・トレーナーを経て、’02年にオーディションを受けて合格したSF歴史大作『天軍』(’05)で本格的に俳優へ転向。あいにく同作の完成が遅れたため、出演2作目に当たる『風の伝説』(’04)がデビュー作となったものの、いずれにせよ「アクション俳優になる」という少年時代の夢を叶えるためとはいえ、30歳を過ぎてからのキャリア・チェンジは大きな決断だったはずだ。さらに、規格外の体型ゆえに適した役がなかなかなく、俳優として軌道に乗るまで時間もかかってしまった。 ・『犯罪都市』('17) 大きなブレイクを果たしたのは、世界的な大ヒットを記録したゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(’16)。見た目は厳ついけど心優しくて正義感が強い男性で、身重の妻を守るためゾンビの犠牲になるという役どころはまさに「儲け役」で、これを機に韓国のみならず世界から注目を集めることになる。以降、アメリカでのリメイクも決まった韓流ノワール『悪人伝』(’18)などの主演作が続々と作られ、マーベル映画『エターナルズ』(’21)では念願のハリウッド進出も果たしたマ・ドンソク。そんな彼の代表作にしてライフワークとも呼べるのが、韓国の年間興収ランキングで3位をマークした『犯罪都市』(’17)に始まるバイオレンス・アクション映画「犯罪都市」シリーズである。 実は苦労人同士の友情から生まれた企画だった! まずは記念すべき1作目から振り返ってみよう。 舞台は’04年のソウル。クムチョン警察の凶悪犯罪対策部署「強力班」に所属するマ・ソクト副班長(マ・ドンソク)は、相手が屈強な男でもパンチ一撃で失神させるほどの怪力の持ち主だ。彼が管轄とするのはカリボンドン地区のチャイナタウン。ここは’90年代に中国から大勢の同胞が移住した街で、今では乱立する朝鮮族の暴力団が縄張りを巡って争っている。基本的に、警察とヤクザは持ちつ持たれつの間柄。血気盛んな暴力団員たちが一線を超えぬよう睨みをきかせつつ、パワーバランスの均衡とチャイナタウンの平和を守るのが強力班の主な役割だ。ところが、そんな折に朝鮮族系暴力団・毒蛇組の組長がバラバラ死体で発見され、地域最大の韓国系暴力団の縄張りまで荒らされてしまう。 犯人は中国のハルビンを根城にする朝鮮族系チャイニーズ・マフィア、黒竜組のボス、チャン・チェン(ユン・ゲサン)。幹部2人と借金の取り立てに密入国したチャンは、毒蛇組の組長を殺害して組織を乗っ取り、チャイナタウンで乱暴狼藉の限りを尽くしていく。その狂犬のごとき残忍さと無鉄砲な横暴さには、さすがのマ副班長も手を焼いてしまうのだった。警察上層部から一刻も早い解決を迫られる強力班。そこでマ副班長はチャイナタウンの住民たちに協力を仰ぎ、チャンに乗っ取られた毒蛇組の一斉検挙に乗り出そうとするのだが…? ・『犯罪都市』('17) いやあ、これはまんま’70年代東映の実録ヤクザ路線ですな!その辣腕で暴力団組織と真っ向から対峙しつつ、一方で賄賂や接待も平然と受けている不良刑事役のマ・ドンソクは、さながら『県警対組織暴力』(’75)の菅原文太である。必要とあれば、暴行尋問に不法侵入などの違法捜査なんぞ朝飯前。清廉潔白なヒーローとは口が裂けても言えないが、しかしその反面、部下思いで女性や子供にも優しく、杓子定規なルールよりも人情を重んじる懐の深い刑事だ。しかも、ハンパなく強いのだよね!どれだけ凶暴かつ凶悪なヤクザだろうとも、マ副班長の超重量級パンチや背負い投げを食らったらひとたまりもない。『イコライザー』シリーズのデンゼル・ワシントン同様、絶対に負けない男だ。マ・ドンソクが最も得意とする「気は優しくて力持ち」を極めたような、最高に愛すべきスーパー・ダーティ・ヒーロー。このキャラクターを主人公に据えた時点で、本作の成功は約束されたも同然だったと言えよう。 2004年のクムチョン警察による朝鮮族系組織の一掃作戦を基にしたフィクション、と冒頭テロップで解説されている通り、実際に起きた事件からヒントを得た作品。ただし、劇中の黒竜組のモデルになったチャイニーズ・マフィア、黒死病組の検挙は’07年のことだったという。恐らく、現実には映画よりも長いスパンがかかったのだろう。チャイニーズ・マフィアの連中がカラオケボックスで従業員の片腕を切り落としたのも、チャイナタウンの住民が警察の捜査に協力したのも実話。そういう意味でも、本作は韓国版・実録ヤクザ映画と呼ぶに相応しいだろう。 監督と脚本を手掛けたのはマ・ドンソクと同い年で、お互いに無名時代からの親友だったカン・ユンソン。’98年に留学先のアメリカで撮った短編映画が釜山国際映画祭などで高く評価されたカン監督は、韓国の投資会社から出資の申し出を受けてメキシコを舞台にした長編映画を企画するものの、あろうことか投資会社の会長が逮捕されたために断念。その後、再び持ち上がった長編映画のプロジェクトも投資会社の倒産でお蔵入りし、奥さんと衣料品店を経営しながら映画製作のチャンスを待ち続けたところ、準備に3年をかけた本作『犯罪都市』で念願の長編デビューを果たしたという苦労人だ。まさに3度目の正直というヤツですな。そもそも、本作の企画自体がマ・ドンソクの提案だったそうなので、恐らく長年の親友の監督デビューを手助けしたいという気持ちもあったのだろう。清濁併せ呑んだマ副班長ら強力班チーム面々の、少々荒っぽくも人間味があって憎めない魅力は、世の酸いも甘いも噛み分けたカン監督だからこそ、説得力を持って描くことが出来たのかもしれない。 ちなみに、実際のカリボンドンのチャイナタウンは賑やかな商店街で、さすがに映画のロケ撮影を行うのは難しかったため、ちょうど再開発中だったシンギルドン地区の空き地に本物ソックリのチャイナタウンを丸ごと再現したのだそうだ。さすがは韓国映画、やることが大胆である。 ・『犯罪都市 THE ROUNDUP』('22) 2作目はユーモアもバイオレンスも格段にスケールアップ! 先述したように、韓国ではその年の年間興収ランキングで3位という大ヒットを記録した『犯罪都市』。実は、マ・ドンソクによると当初からシリーズ化の構想はあったらしく、自身が韓国で設立した製作会社ビッグ・パンチ・ピクチャーズも制作に加わり、マ副班長と強力班メンバーのその後を描いた続編『犯罪都市 THE ROUNDUP』(’22)が完成する。 前作から4年後の2008年。かつてカリボンドンの宝石強盗事件に関わった下っ端のチンピラ、ジョンフンが、なぜか逃亡先であるベトナムのホーチミンで自首したとの報告が入り、クムチョン警察強力班のマ・ソクト副班長(マ・ドンソク)は、上司のチョン・イルマン班長(チェ・グィファ)の付き添いとして、凶悪犯罪者の引き渡しのために現地へ赴くことになる。「いやあ、海外出張なんて久しぶりだね!」「休暇を兼ねて思い切り羽を伸ばそうぜ!」とルンルン気分の2人。しかし、実際にジョンフンを目の前にしたマ副班長は、優秀なベテラン刑事としての鋭い勘が働く。こいつ、何か隠してやがるな。白を切り続けるジョフンにイラっとした彼は、チョン班長の積極的な黙認のもとで得意の暴行尋問を決行。その結果、ジョンフンがベトナムで韓国人の誘拐殺人事件に関わっていたことが判明する。 韓国では年間300人を超える犯罪者が海外へ逃亡し、その多くは東南アジアに潜伏。同胞の韓国人を狙った犯罪を引き起こしているという。ジョンフンもそんな逃亡犯のひとり。今回、ベトナムに潜伏していた彼は、同じような韓国人逃亡犯カン・ヘサン(ソン・ソック)と組んで、ベトナムで派手に金を使っていた韓国の青年実業家チェ・ヨンギを誘拐したのだが、しかし残忍極まりないサイコパスのカンは逃げようとした人質を呆気なく殺害。その後先を考えない凶暴さに恐れをなしたジョンフンは、韓国領事館に自首することで自分の身を守ろうとしたのだ。そうと知ったマ副班長とチョン班長は、韓国警察に捜査権のないベトナムで勝手に独自の捜査を開始。すると、チェ・ヨンギを含む4名の遺体が発見される。カンは他にも人を殺していたのだ。 その頃、カンはチェ・ヨンギが既に死んでいることを隠し、その父親である大企業経営者チェ・チャンベクに身代金を要求。しかし裏社会に通じたチェ社長は脅しに屈する相手ではなく、それどころか反対にカンを抹殺するべくプロの殺し屋組織をベトナムへ送り込んでいた。潜伏先のアパートを見つけ出し、カンとその相棒に襲い掛かる殺し屋一味。ところが、狂犬のようなカンたちは見境なく暴れまくり、たった2人で大勢の敵を皆殺しにしてしまう。そこへ乗り込んできたマ副班長とチョン班長だが、あと一歩のところでカンを取り逃がしてしまった。彼が韓国へ密入国したとの情報を得た2人は、すぐさま帰国して捜査網を張り巡らせるのだったが…? 『犯罪都市 THE ROUNDUP』('22) 国際規模にスケールアップしたシリーズ第2弾。前作と同様、今度もストーリーの元ネタとなった実際の事件がある。それが’08~’12年にかけてフィリピンで起きた韓国人の連続誘拐殺人事件。フィリピンへ逃げた韓国人の殺人犯たちが誘拐グループを組織し、同胞である韓国人の旅行者を誘拐しては身代金を要求していたという。事件として表面化した犯行は19件だが、実際はそれを遥かに上回る未発覚の余罪があるとのこと。一部の被害者は身代金の支払い後に解放されたが、しかし殺されてしまった被害者も多かったそうで、その正確な数はいまだに掴めていないらしい。 演出は前作のカン・ユンソン監督から、その助監督だったイ・サンヨンへとバトンタッチ。要するに、2作続けて新人監督が演出を担当している。シニカルなブラック・ユーモアとハードなバイオレンスを絶妙なバランスで交えつつ、いかにもアジア的で湿度の高い義理人情の世界を描いていた前作に対し、本作はよりハリウッド的とも言えるドライなアプローチが印象的だ。中でも、ルール無視の暴れん坊刑事・マ副班長と、なにかと愚痴をこぼしながらも意外と積極的に協力する上司・チョン班長の、『リーサル・ウェポン』さながらの名コンビっぷりは最高だ。何を考えているのか全く分からない狂犬カン・ヘサンの、未知の怪物的な得体の知れなさも強烈である。 なお、ストーリー前半でベトナムを舞台にしている本作だが、実は撮影に入る前の段階でコロナ感染が拡大してしまい、当初予定されていたベトナム・ロケを一旦延期。海外スタッフを集めた現地の撮影部隊を別途編成し、イ・サンヨン監督ら韓国のメイン部隊がリモートで指示を送り、その通りに撮影されたベトナムの風景映像に役者をCGで合成して仕上げたという。つまり、従来の意味における現地ロケは行っていないのである。いやあ、これは全く気付きませんでしたな! かくして、韓国歴代興行収入ランキング3位という前作以上の大ヒットを記録し、コロナ禍の影響で停滞していた韓国映画界が再び活性化する起爆剤になったとも言われる『犯罪都市 THE ROUNDUP』。本国では既に青木崇高や國村隼も出演している3作目『犯罪都市3』(‘23・邦題未定)も公開済み。来年には4作目の公開も控えている。最終的にはシリーズ8本、スピンオフ2本の合計10本が作られる予定で、韓国版『ワイルド・スピード』的なフランチャイズ化を目指しているのだそうだ。■ 『犯罪都市』© 2017 KIWI MEDIA GROUP & VANTAGE E&M. ALL RIGHTS RESERVED『犯罪都市 THE ROUNDUP』© 2022 ABO Entertainment Co., Ltd. & BIGPUNCH PICTURES & HONG FILM & B.A.ENTERTAINMENT CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
戦場にかける橋
巨匠デヴィッド・リーンが、第二次世界大戦下のビルマを舞台に、戦争の愚かさと人間の尊厳を描いた傑作
巨匠デヴィッド・リーンが、第二次世界大戦を背景に、戦争の愚かさと人間の尊厳を描き、作品賞を含むアカデミー賞7部門を受賞した傑作。武士道に生きる日本軍人を早川雪洲が熱演。
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COLUMN/コラム2023.09.27
4Kレストアが引き出す、天才リック・ベイカーの造形マジック —『キングコング』—
◆美麗によみがえった1976年リメイク版 おそらく今回のキングコング特集放送において、これが最大の目玉と言えるのではないだろうか。この1976年公開『キングコング』4Kレストア版、日本での放送はザ・シネマが初となる。35mmオリジナルネガから4KスキャンしたDCP素材を、現権利を管理するスタジオカナルが修復し、パラマウント・ピクチャーズがカラーグレーディングをほどこし、イタリアに拠点を置くフィルム修復ラボL'Immagine Ritrovataがレストアをおこなった、2022年製作の放送マスターだ。これまでのHDバージョンに比べ、シャープネスと明るさが段違いに強化されたものになっている。 2023年の現在、巨大モンスター映画の古典『キング・コング』(1933)のリメイクといえば、多くの人がピーター・ジャクソン監督の手がけた2005年の同名タイトル作を真っ先に思い浮かべるのではないだろうか。オリジナル版の設定をそのまま受け継ぎ、ストップモーション・アニメーションというマジカルな手法で撮られたコングをCGIでリクリエイトした同作は、ジャクソン監督が偉大なるファンタジー文学「指輪物語」を『ロード・オブ・ザ・リング』三部作(2001〜2003)に発展させたような、愛情深いアプローチこそが支持の根幹にある。 そのため、最初のリメイクである本作の存在は、郷愁やレトロスペクティブというテコを用いて強引にこじ開けないと、あまり思い出してもらえない存在になってしまった。加えて、この映画を構成する要素に同時代性が密接に絡み、それを詳述しないことには、もはや存在価値が掴みづらい。人喰いザメの猛威を描いた『ジョーズ』(1975)を起点とするパニック映画の興隆が製作動機となったことや、大物プロデューサーのハッタリに満ちた興行感覚。また当時のエネルギー危機を反映した脚本の現代的アダプトなど、それらは映画本体の画質を向上させただけではわかりかねるだろう。むしろ高精細になったことで、アニマトロニクスで創造されたコングの作り物感があらわになり、興醒めするかもしれない。 しかし愛憎半ばに揶揄しながらも、この映画の最大のセールスポイントは、油圧可動によるコングの12メートルに及ぶラージスケールの巨大モデルで、これは現代においても記録的な映画撮影用のモンスターのモックアップとしてレコードを持つ。全高12メートル、重量6.5トン 3,100フィートの油圧ホースと4,500フィートの電気配線を含むアルミニウムのスケルトンによって構成されたそれは、歩行のみならず腰を捻り回すことができ、6人の操演者によって制御された油圧バルブによって腕を動かすことができた。その表皮は有名なかつらメーカーであり、コングのヘアデザイナーであるマイケル・ディノが担当し、アルゼンチンから輸入された2トンの馬の尾でコングの体毛を作成。作業に数ヶ月をかけ、100人のアシスタントが馬の毛を4種類の網に織り込み、それをラテックスのパネルに取り付け、モデルの金属フレームに接着している。 そんなメカニカルコングのデザインは、特殊効果アーティストのグレン・ロビンソンとイタリアの特殊メイクアーティスト、カルロ・ランバルディによって考案された。製作者であるイタリア人プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスは、もともと特殊効果担当として旧知の仲だったイタリアン・ホラー映画の巨匠、マリオ・バーヴァにコンタクトをとった。しかしバーヴァはイタリアを離れてプロジェクトに参加することを固辞し、代わりにバーヴァがランバルディを推薦したのだ。 またランバルディは、MGMの建設部門でロビンソンの指揮下、ヒロインを演じたジェシカ・ラングに絡むコングの機械アームも手がけている。それはケーブル操作によって、ラングを持ち上げるパフォーマンスを可能にしたのである。ところが安全装置がコングの指に取り付けられているため、手がきつく閉じすぎるのを防ぐ機能が、4Kクラスの解像度だと隠すことなく視認できてしまう。ラージスケールのモックアップといい、どちらも撮影現場で思うように可動せず、またロングショットではいかにも作り物然とした外観が懸念されたのか、劇中ではわずか15秒間程度しかフレームに写り込んでいない。 ・撮影現場での巨大な実物大キングコング ◆巨大アニマトロニクスとエイプスーツの実像に迫る しかし何より、このリメイク版『キングコング』のプロジェクトには致命的な欠点があった。当初、オリジナル版との差別化を明白にするために、コングのデザインがゴリラからかけ離れ、原始人のようなヒューマノイド型になっていたのだ。 これに異を唱えたのが、特殊メイクの第一人者リック・ベイカーだ。ベイカーはこのリメイク版の話を明友ジョン・ランディスから仄聞し、このありえないデザイン変更を嘆いた。そして「コングのモックアップは実用性に乏しい」と、この映画が失敗作になる確信を抱いていたのである。だが長年にわたってエイプスーツを作ってきた自分なら、愛するコングを無惨な運命から救えるのではと、プロジェクトへの参加を受諾。そしてデザインの根本的な軌道修正のために、ラウレンティスや監督のジョン・ギラーミンらを自宅に招き、自作のゴリラスーツ着込んで「コングはこうあるべきだ」というプレゼンを仕掛けたのだ。 ベイカーのパフォーマンスをいたく気に入ったラウレンティスは、プリプロダクションで彼をランバルディと競合させ、コングのコンセプトスーツを製作させた。そのさいランバルディはコング役のアルバート・ポップウェルに適合するように、かたやベイカーは自分自身を念頭に置いてコングをデザインしている。そして二人が半仕上げのスーツを提示したところで、ラウレンティスは後者のものを選んだのだ。ベイカーは『キングコング』がピントの外れた原人映画になることを防いだだけでなく、タイトルキャラクターをメインで創造する主導権を得たのである。 ◆1976年版はモデルアニメのアンチテーゼだったのか? 『キングコング』における、これらのプラティカルな取り組みは、高度な特殊効果に目なれた当時の観客に目配りすると同時に、ストップモーション・アニメーションに対するアンチテーゼでもあったとも言われている。しかし実際は予算と制作期間の都合から必然的にきたもので、ラウレンティスは企画当初、アニマトロニクスとストップモーションの併用を漠然と考えていたようだ。事実、モデルアニメーションの大家であるレイ・ハリーハウゼンに打診をしたものの、ストップモーションアニメにかけられる期間が足るものではなかったため、ハリーハウゼンはオファーを蹴っている。 こうした弱点を補強する形で、実物大のモックアップを作成し、またオリジナル版のエンパイア・ステート・ビルに代わって、当時新しく建設された世界貿易センタービルをクライマックスの舞台にすることで、この毀誉褒貶のリメイク版は現代ナイズを正当化させたのである。■ 『キングコング【4Kレストア版】』© 1976 STUDIOCANAL
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PROGRAM/放送作品
ミズーリ大平原
実在した西部の男たちの生き様を描いた、チャールトン・ヘストン主演の西部劇
『十戒』『ベン・ハー』などに出演し、ハリウッド黄金期の大スターとなるチャールトン・ヘストン主演作。郵便配達会社が馬を乗り継いで西部まで速達を運ぶ交通路を開拓した実話に基づく西部劇。
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COLUMN/コラム2023.09.22
『Mr.Boo!ミスター・ブー』香港映画の歴史を変えた、「天王」マイケル・ホイ
『Mr.Boo!』というタイトルの映画シリーズは、日本にしか存在しない。これはマイケル、リッキー、サミュエルのホイ3兄弟、或いはその内の長兄であるマイケル・ホイが主演した、複数の香港製コメディ映画の、日本での総称なのである。 アメリカの人気コメディアン、ジェリー・ルイス主演作の日本でのタイトルには、必ず「底抜け」という枕詞が付けられ、スティーヴン・セガール主演のアクション映画のほとんどが、『沈黙の…』という邦題でリリースされた。『Mr.Boo!』も、それらと同じようなことと言えるだろう。 そんな『Mr.Boo!』シリーズの日本公開第1弾として、79年に封切られたのが本作、その名も『Mr.Boo!ミスター・ブー』(1976)。マイケル・ホイが監督し、ホイ3兄弟が出演している。 香港映画と言えば、ブルース・リーの『燃えよドラゴン』(73)が大ブームを起こして以来、日本では誰もが、カンフー映画を思い浮かべるようになっていた。本作は、日本に於けるそんな香港映画のイメージを、決定的に変えることとなった1本である。 ※※※※※ ウォン(演:マイケル・ホイ)は、香港の街を舞台に活動する、私立探偵。 と言っても、彼の元に持ち込まれるのは、浮気の調査や万引き検挙のための見張りなど、ケチな仕事ばかり。助手のチョンボ(演:リッキー・ホイ)と、秘書の女性ジャッキーと3人で、細々と事務所を営んでいた。 そんな探偵事務所に、勤務先の工場をクビになった、お調子者の若者キット(演:サミュエル・ホイ)が現れ、雇ってくれという。最初は相手にしなかったウォンだが、キットのカンフーの腕前を見て、新たな助手に加える。 キットとチョンボをこき使い、給料もろくに払わないウォン。3人は様々な依頼に応える中で、次々と騒動に巻き込まれていく。 ある映画館に、爆弾を仕掛けるという内容の、脅迫が届いた。館主の依頼で、警備に入ったウォンたち。実はこの爆弾騒ぎは、兇悪な強盗団の仕掛けで、彼らは映画館へと押し入り、観客全員の財布や貴重品などを身ぐるみ剥ぎ取る計画を立てていた。 そんな強盗団とガチで対峙することになった、ヘッポコ探偵たちの運命は⁉︎ ※※※※※ 先に、香港映画≒カンフー映画のイメージを変えたと記したが、実は本作は、当のカンフー映画の添え物として輸入された作品。配給会社の東宝東和が、早世したブルース・リーの「最後の作品」であった、『死亡遊戯』(78)を買い付けた際に、おまけに付いてきた1本だったのである。 そんな経緯から、お蔵入りしてもおかしくなかったのだが、『死亡遊戯』公開直前に放送された、TV特番がきっかけで日の目を見ることになった。番組内で、本作で展開される、マイケル・ホイ扮する探偵と、スリに間違えられた男が、厨房で対決するシーンが紹介されたのである。 マイケルが、ぶら下がっていた腸詰を、ヌンチャクのように振り回して、男を追い詰める。すると男は、やはりぶら下がっていたサメの顎骨を使って逆襲する。この「ドラゴンvsジョーズ」のギャグが、日本のお茶の間で評判となったことから、公開に至ったというわけだ。 東京では有楽町に在った、丸の内東宝を軸とする劇場チェーンで、79年2月にロードショーされることが決定。とはいえ、そんなに期待されての興行ではなかった。 このチェーンでは、78年の暮れに公開された、アニメの『ルパン三世』劇場版第1作がヒットし、ロングランとなった。そのため、新春第2弾として1月中旬より公開予定だった『ブルース・リー 電光石火』(76)の公開が、2月までズレ込んだ。 この『電光石火』という作品は、アメリカ時代のブルース・リーが出演したTVシリーズ、「グリーン・ホーネット」(66~67)を再編集したもので、本作『Mr.Boo!』と同じ東宝東和の配給だった。そのために『Mr.Boo!』は急遽、『電光石火』と2本立てでの公開となってしまったのである。 その程度の扱いだった本作だが、蓋を開けてみれば、予想外の大ヒットを記録!サミュエル・ホイが広東語で歌う主題歌も、ラジオ番組などで頻繁に掛けられた。 東宝東和は早速、本作の後に製作された『Mr.Boo!インベーダー作戦』(78)を、シリーズ第2弾とすることを決めた。そして1作目の公開から僅か3ヶ月後、その年の5月には、大々的に公開したのである。 その際には、ホイ3兄弟を日本へと招聘。兄弟は、イベントや人気TV番組に次々と出演するなど、プロモーションを賑々しく展開した。 日本ではこんな流れで、『Mr.Boo!』シリーズが成立し、ホイ3兄弟も、すっかり人気者となった。ではホームグラウンドである香港では、彼らはどんな存在だったのか?そしてその作品群は、どんな評価を受けたのか? 俗に“ホイ3兄弟”というが、実は6人兄弟だった。ホントの長男は、幼い頃に亡くなっており、長男格のマイケルは、実際には次男。次男扱いのリッキーは、ホントは四男。末っ子扱いのサミュエルは五男で、彼の下には、妹が居る。 マイケルとリッキーの間の三男スタンレーは、助監督など主に裏方を務めて、“ホイ3兄弟”をサポート。…と言っても、俳優としてもちょいちょい顔を出しており、本作では、ラブホテルの支配人を演じている。 3兄弟の“長男”、1942年生まれのマイケル・ホイは、中国の広東省生まれ。7歳の時に、家族で香港へと移住した。 エリートが進む高校、大学を経て、普通に就職。教職を務めていた時に、6歳下=48年生まれの“末っ子”サミュエルの誘いで、芸能界入りを決めた。 サミュエルは大学在学中から学生バンドとして活動し、TV番組の司会など務めていたのだ。因みにサミュエルは、ミュージシャンとしても大成功を収め、後に“歌神”と呼ばれるほどの存在となる。 マイケルがTV司会者としてデビューしたのは、26歳の時。トークショー、ヴァラエティで活躍し、サミュエルとコンビを組んだ「ホイ・ブラザーズ・ショー」で更に人気を高めた後、映画界に進出となった。 何本かに出演した後、やがて自作・自演のコメディを手掛けるようになる。映画製作会社ホイ・プロダクションを設立。監督・脚本・主演を務めた第1作が、日本では『Mr.Boo!』 シリーズ第3弾として、79年12月に公開された、『Mr.Boo!ギャンブル大将』(74)だった。 実は“ホイ3兄弟”の“次男”リッキー・ホイは、『ギャンブル大将』の時点では、まだマイケルたちと合流していなかった。日本公開版には出演シーンがあるが、これは“シリーズ第3弾”としてリリースされることが決まってから、追加撮影されたものである。 リッキーは、46年生まれ。俳優になる前は、フランス領事館内に在るAFPの新聞記者を務め、ケネディ大統領暗殺などの記事を書いていたという。 仕事がキツかったので辞めて、大手映画会社の俳優養成所に進み、スタントマンへと転じた。ところがこちらの仕事もキツく、契約が切れてから、マイケルの元へと身を寄せた。 リッキーもサミュエルと同様、歌い手として「一流」と評価される、アーティストでもあった。 さて、先に本作『Mr.Boo!ミスター・ブー』が、日本に於ける香港映画のイメージを、決定的に変えた作品であることを記した。香港の映画史に於いてマイケル・ホイの存在は、更に大きなものと言える。 香港映画は、60年代から70年代はじめまでは、“北京語映画”の天下であった。そこで隆盛を極めたジャンルは、豪華絢爛たる宮廷もの、武侠活劇、甘いメロドラマ等々。 ところがこれらの作品が飽きられ始めたタイミングで、TVタレントが一挙に映画へと進出する。彼らは普段使いの“広東語”をセリフとした、香港の現実を反映した作品を製作する。その動きをリードした1人が、マイケル・ホイだったわけである。 チャーリー・チャップリンとハロルド・ロイド、そして初期のウッディ・アレンのファンだったという、マイケル・ホイ。アレンがニューヨークを舞台にしたように、マイケルは、香港をテリトリーに、香港人を主役にした映画作りを行った。『ジョーズ』や『007』、『ピンク・パンサー』等々のパロディを織り交ぜるなど、随所に外国映画の手法と動向を採り入れながら、香港の現実を色濃く反映させた作品を、作り出したわけである。こうしたマイケル・ホイのような映画作家が主流となることで、伝統的な中国映画の技法を継承していた“北京語映画”は、香港から姿を消すこととなったのである。 現代香港映画は、コメディと共に勃興し、70年代後半以降、いわゆる“香港ニューウェイヴ”に繋がっていく。その流れを作ったマイケル・ホイは、香港映画界に於いては、「天王」と呼ばれる存在となった。 さてここでまた、日本の話に戻す。 79年2月の『Mr.Boo!』大当たりによって、香港映画のコメディに飛びつく配給会社が、続々と現れた。前年=78年に香港で大ヒットとなった『ドランクモンキー 酔拳』(78)に、東映の洋画部が注目し、買い付けに至ったのも、そうした流れと言われる。 ご存じの方が多いとは思うが、この『酔拳』こそが、かのジャッキー・チェンの主演作としての、日本初お目見えだった。後に世界的大スターとなるジャッキーの、日本での人気に火を点けるきっかけとなったのも、実は『Mr.Boo!』だったのだ! 偉大なる「天王」マイケル・ホイは、少年時代に広東省から香港に渡ってきた。それはホイ一家が、「中国共産党から逃れるため」だったという。 そんなマイケルだが、香港が中国に返還される4年前=93年のインタビューでは、「返還」に対して、前向きな姿勢を示している。「…私は自分を中国人だと思っています。香港は私にとっては単なる小さな島で、たまたま父が私を島に連れて来て、40年もそこに住んでるというだけです」「お茶を一杯飲むために中国へ行って、また夜には香港に戻ってみたいな生活ができるし、しています」「…97年以降は、こんどは中国全体のために、中国に対して自分はどう思っていて、どういう方向性に向かうべきなのかということを自分なりに表現したものをつくりたいですね」 ところが返還から10年余経った、2008年のコメントを見ると、だいぶ雲行きが怪しくなってくる。「今の香港映画界は中国大陸の市場を考えなければならない。だから中国政府に脚本を見せなければならないんだけど制約が多くてね。簡単には進まない」 それから更に15年経ち、ご存じの情勢である。かつて香港ならではの“広東語映画”の隆盛を招き、“北京語映画”を葬る原動力となったマイケル・ホイ。“重鎮”として映画出演を続ける彼であるが、今の香港の姿、そして香港映画の在り方に対しては、何を思うのであろうか?■ 『Mr.BOO!ミスター・ブー』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
死刑台のエレベーター
完全犯罪の綻びを斬新な映像で紡ぎ出す!ヌーヴェルヴァーグの先駆者ルイ・マルの長編監督第1作
ヌーヴェルヴァーグ世代に影響を与えたルイ・マル監督の長編第1作。大都会パリの光と影を写し取った映像に、フィルムを見ながらトランペットを即興演奏したマイルス・デイヴィスのドライなモダンジャズが流れる。
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COLUMN/コラム2023.09.12
宇宙を舞台に、映画史に新たなジャンルを興した!フィリップ・カウフマン監督生涯の傑作『ライトスタッフ』
“ライトスタッフ”を日本語に訳すと、「正しい資質」「適性」。元々は、アメリカの著名なジャーナリストで作家のトム・ウルフによる造語である。 トム・ウルフは、1960年代後半から勢いを持った、”ニュー・ジャーナリズム”の旗手的な存在。書き手が敢えて客観性を捨て、取材対象に積極的に関わることで、対象をより濃密に、まるで小説のように描くというその手法によって、数多のノンフィクションをものしている。 その内の1冊が、「正しい資質」を持った宇宙飛行士たちが、アメリカの国家プロジェクト「マーキュリー計画」に挑む姿を描いた、「ザ・ライト・スタッフ」だった。そしてこれが本作、『ライトスタッフ』(1983)の原作となった 原作が1979年に出版されると、その映画化権の争奪戦が起こる。勝ち取ったのは、『ロッキー』シリーズ(76〜 )で知られる、ロバート・チャートフとアーウィン・ウィンクラーのプロデューサー・コンビだった。 彼らは、『明日に向って撃て!』(69)『大統領の陰謀』(76)で2度アカデミー賞を受賞している、ウィリアム・ゴールドマンに脚本を依頼。製作会社は、79年に設立された新興のラッド・カンパニーに決まり、1,700万ドルの予算が組まれた。 監督候補として名が挙がったのは、『がんばれ!ベアーズ』(76)のマイケル・リッチーや『ロッキー』(76)のジョン・G・アヴィルドセン。2人との交渉が不調に終わった後、フィリップ・カウフマンにお鉢が回ってきた。 カウフマンは、1936年イリノイ州シカゴ生まれ。シカゴ大学に学んだ後、紆余曲折あって、妻子を連れてヨーロッパへと渡った。そしてアメリカン・スクールの教師を務めている頃、フランスで興った映画運動“ヌーヴェルヴァーグ”と出会い、映画作りに目覚めた。 本作の前には、エイリアンの地球侵略もの『SF/ボディ・スナッチャー』(78)や、60年代を舞台とした青春映画『ワンダラーズ』(79)の監督として、或いは『レイダース/失われた聖櫃(アーク)』(81)の原案を担当したことで知られていた。綿密な時代考証に基づいたジャーナリスティックな視点と娯楽性を両立できる作り手として、評価され始めた頃だった。 カウフマンは、監督を引き受けるに当たって、脚本も自分に任せることを、条件とした。ゴールドマンが書いたものが、まったく気に入らなかったからだ。 時は80年代前半。ソ連を「悪の帝国」と名指しした、ロナルド・レーガン大統領の下、「強いアメリカ」の復活が標榜されていた。ゴールドマンの脚本は国策に沿ったのか、カウフマンにとって、「あまりにもナショナリズムが全面に出ていて辟易する…」内容だったという。 更にゴールドマン脚本では、カウフマンが原作に見出した重要な要素が、すっかり落とされていたのである。 ***** 1947年、カリフォルニア州モハーヴェ砂漠に在るエドワーズ空軍基地のテスト・パイロット、チャック・イェーガーが、新記録を作った。X-1ロケットに乗って、人類史上初めて、「音速の壁」を破ったのである。これ以降次々と、記録が更新されていく。 第2次大戦後の米ソ冷戦。両陣営の緊張が高まる中で、57年にソ連がスプートニク・ロケットの打ち上げに成功。アメリカは、宇宙開発で後れをとった。そこでアイゼンハワー大統領とジョンソン上院議員が中心となって、「マーキュリー計画」が始動した。 宇宙飛行士にふさわしい人材として、白羽の矢が立てられたのは、空軍などのテスト・パイロットたち。ジョンソンらが、「彼らは手に負えない」と、その我の強さを危惧する中での決定だった。 しかし現役最高のパイロットだったイェーガーは、宇宙飛行士を「実験室のモルモット」と揶揄。また彼は大学卒ではなかったため、その候補から外される。 508人の応募者を集め、過酷な身体検査と適性試験が繰り返される。そうして絞られた59人から、最終的にアラン・シェパード、ガス・グリソム、ジョン・グレン、ドナルド・スレイトン、スコット・カーペンター、ウォルター・シラー、ゴードン・クーパーの7人が選ばれた。 彼らは厳しい訓練を経て、次々と宇宙に飛び立ち、国民的英雄に祭り上げられていく。 一方で、孤高の闘いを続けてきたイェーガーは、最後の挑戦に臨もうとしていた…。 ****** ゴールドマン脚本は、「マーキュリー計画」に挑む宇宙飛行士たちに話を絞って、イェーガーのエピソードは、丸々削除していた。それに対しカウフマンは、物語の冒頭とクライマックスに、イエーガーのエピソードを配置したのである。 その上で、宇宙飛行士7人すべてに詳しく触れると、いかに3時間超えの長尺でも、とても描き切れない。そこで、シェパード、グリソム、グレン、クーパーの4人のエピソードをクローズアップして描くことにした。彼らは国家や政治家の思惑に時には反発しながら、“個”としての誇りを守ろうとする。「…現在の宇宙計画はすべて地球の必要性に奉仕することに重点をおいていて、人々が外宇宙を求める心理には重きをおいていない」と指摘するカウフマン。彼にとっては、逆にそうした心理こそが、興味の的だった。 カウフマンは、孤高の存在であるイェーガーと、チームでプロジェクトに対峙していく宇宙飛行士たちを対比しながら、いずれとも、「現代のカウボーイ」として描いた。そして、アメリカの精神風土である、インディペンデント・スピリットへの強い賛同を示したのである。 カウフマンははじめ、「未来が始まったとき、ライトスタッフが存在した」と考えていた。しかしその後、「いかに未来が始まったのか、それはライトスタッフを持った男たちがいたからだ」という結論に到達したという。「…時代を描くだけではなく、その時代に生きた人間たちを描こうと試みた…」カウフマンは、宇宙飛行士だけでなく、その妻たちの不安や恐怖、功名心なども、丁寧に描出している。 製作に際して、カウフマンはスタッフに指示し、揃えられる限りの資料を揃えさせた。記録映画フィルムの買い物リストを渡され、国中を歩き回ることとなったのは、編集担当のグレン・ファーら。彼らは、NASAや空軍、ベル航空機保管庫などで膨大なフィルムに目を通し、30年間人目に触れていなかった、ソ連のフィルムの発見に至った。こうして収集された映像類の一部は、編集や映像加工のテクを駆使して、本編で効果的に使用されている。 集められた大量のビデオテープは、“宇宙飛行士"たちの役作りにも、大きく寄与した。スコット・グレンは、自分が演じるアラン・シェパードの「外側をつかまえるために」それらを利用したという。しかしシェパードの内面に関しては、「ぼくが自分自身を演じる方がいい」という判断に至った。 グレンの判断の裏付けになったのは、カウフマンの姿勢。彼は俳優たちに、自分が演じる実在の飛行士に会えという指示を行わなかったのである。 自らの考えでただ1人、演じるゴードン・クーパーを訪ねたのは、デニス・クエイド。そんな彼曰く、本作の撮影は「ぼくの人生最高の恋愛」だったという。クーパーの妻を演じたパメラ・リードも“夫”と同様に、「わたしの人生で最も幸せな時間だった」とコメントしている。 カウフマンの演出は、“宇宙飛行士"たちが信頼を寄せるに足るものだった。ジョン・グレンを演じたエド・ハリスは、「何ごとにおいても決して妥協しなかった。あの人は8人目の宇宙飛行士だ」と、カウフマンを称賛。ガス・グリソム役のフレッド・ウォードはシンプルに、「彼はすばらしい人だ」と、賛辞を寄せている。 本作の評価を高めた要因に、孤高のパイロット、チャック・イェーガーの存在があることを、否定する者はいまい。彼を演じたサム・シェパードは、まさに生涯のベストアクトを見せた。 1943年生まれのシェパードは、劇作家として、20代はじめからオフ・ブロードウェイを中心に、華々しく活躍。その後演出も、手掛けるようになる。 映画に初めて出演したのは、テレンス・マリック監督の『天国の日々』(78)。この作品で彼は、若くして死病に侵された、農場主の役を印象的に演じて、主演のリチャード・ギアを完全に喰った。 映画出演5作目に当たる、本作の日本公開は、アメリカの翌年=84年の9月。その年の春には、彼が原作・脚本を手掛けたヴィム・ヴェンダース監督作『パリ、テキサス』(84)が、「カンヌ国際映画祭」で最高賞のパルム・ドールを獲ったことも、話題となっていた。 本作でのシェパードの演技について「ニューズ・ウィーク」誌は、「…あたかもゲーリー・クーパーを想わせる…」「サム・シェパードはこの映画で二枚目としての地位を永遠のものにした…」と絶賛。「…この反体制的な芸術家が、伝説の空軍のエースと合い通じるものを持っていると見抜いた」監督のカウフマンに対しても、「慧眼である」と高く評価している。 因みに本作では、当時59歳だったチャック・イェガーを、テクニカル・コンサルタントとして招き入れた。パイロットたち行きつけの店のバーテンダー役として出演もしているイェーガーと、演じるシェパードの初対面は、ある中華料理店だったという。 カウフマンによると2人は、「最初は用心深く見つめ合うという感じ」だった。しかし店を出る時にお互いの小型トラックを見て話し始めると、突然2人の間にあった垣根がとれたかのようになり、その後はまるで、“親子”のような関係を築いたという。 サンフランシスコ在住のカウフマンは、ハリウッドを嫌って、本作の大半を自分の地元で撮影した。波止場の倉庫をスタジオに改造した上、「互いに刺激を与え合える人々と組む必要がある…」と、地元の熱心な才能を数多く起用している。 CG時代到来の前、宇宙船や戦闘機などの特撮に関しては、コンピューター制御による“モーション・コントロール・カメラ”が全盛を極めていた。カウフマンは、『スター・ウォーズ』シリーズ(77~ )や『ファイヤーフォックス』(82)などで成果を上げていた、この最新技術への依存を、敢えて避けるように指示を行った。 そこでVFX担当のゲイリー・グティエレツは、特殊効果の原則に立ち返ることにした。ある時は、サンフランシスコの丘に登って、ワイヤーで吊り下げた模型飛行機と雲を作る機械を駆使して、飛行シーンを撮影。またある時は、大きな弓を作って、超音速ジェット戦闘機の模型を矢のように飛ばして、カメラで追った。このように、当時としても「アナログ」な手法にこだわったことが、いかに効果的であったかは、各々が本作を観て、確認していただきたい。 本作で描かれた「マーキュリー計画」が幕を閉じるのは、63年5月。奇しくもその年の11月、ケネディ大統領暗殺事件が起こる。後継の大統領となったのは、宇宙開発の仕掛人の1人だったジョンソンだったが、彼の政権下、アメリカはベトナム戦争の泥沼に陥っていく。 その前夜のアメリカの栄光と矛盾を描き出した本作は、アカデミー賞に於いては、作品賞やサム・シェパードの助演男優賞など、9部門でノミネート。主要部門の受賞は逃すも、編集賞、作曲賞、録音賞、音響効果賞の4部門のウィナーとなっている。 しかし興行的には、不発。当初の予算1,700万ドルを遥かにオーバーしての製作費2,700万ドルは、まったく回収できない成績に終わってしまった。 だが本作なしでは、後の『アポロ13』(95)や『ドリーム』(16)などの作品の存在は考えにくい。「実話をベースにした宇宙映画」という、それまではなかったジャンルの先駆けとなった本作は、紛れもなくエポック・メーキングを果したのである。 製作から40年経った今でも、語り継がれる作品を作り上げたフィリップ・カウフマンも、まさに“ライトスタッフ”の持ち主だったと言えよう。■ 『ライトスタッフ』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
騎兵隊
騎兵隊決死の敵中突破!監督ジョン・フォード×主演ジョン・ウェイン、これぞ西部劇の王道中の王道
偉大なる西部劇監督ジョン・フォードと、偉大なる西部劇スターのジョン・ウェイン。アメリカ映画において西部劇というジャンルそのものを築いてきたこの黄金コンビが放った、まさしく代表作のうちの1本。
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COLUMN/コラム2023.09.04
SF映画ブームの真っ只中に登場した異色作は、古き良き宇宙冒険活劇の魅力が満載!『フラッシュ・ゴードン』
原作コミックは『スター・ウォーズ』のルーツでもあった! ジョージ・ルーカス監督による『スター・ウォーズ』(’77)の大ヒットをきっかけに、文字通り世界中で巻き起こったSF映画ブーム。同作の大きな功績といえば、飛躍的に進化した特撮技術や洗練された美術デザインによって、それまで子供騙しと揶揄されることの多かったSF映画に超現実的な説得力をもたらし、なにかとB級扱いされがちだった同ジャンルの地位をAクラスへ押し上げたことだと思うが、もうひとつ忘れてならないのは、長いことハリウッドで途絶えていた「スペース・オペラ」の伝統を見事に復活させたことであろう。 スペース・オペラ(=宇宙冒険活劇)とは、宇宙空間を舞台にした騎士道物語的なヒロイック・ファンタジーのこと。SF(空想科学)のサブジャンルではあるものの、しかし比率としては「科学」よりも「空想」の占める割合が圧倒的に大きく、どちらかというと神話や英雄伝説の類に近いと言えよう。かつてのハリウッドでは、「フラッシュ・ゴードン」や「バック・ロジャース」などコミック原作のスペース・オペラが、子供向けの連続活劇映画として大変な人気を博していたのだが、しかし第二次世界大戦後に米ソの宇宙開発競争が本格化し、一般市民でも科学技術に強い関心を持つようになると、どこまでも非現実的なスペース・オペラは急速に衰退してしまう。そんな古式ゆかしいSFジャンルを、有人宇宙飛行が夢物語ではなくなった時代に相応しくアップデートしたのが『スター・ウォーズ』だったわけだが、それに端を発するSF映画ブームもそろそろひと段落かと思われた矢先の’80年、あえて古き良き時代の荒唐無稽をそのまま現代に再現した王道的スペース・オペラ映画が登場する。それが、本作『フラッシュ・ゴードン』(’80)だ。 原作は’34年1月7日に全米で連載が始まったアレックス・レイモンドの新聞漫画「フラッシュ・ゴードン」。イェール大学を卒業した有名スポーツ選手(連載開始当初はポロ選手だった)フラッシュ・ゴードンと恋人デイル・アーデンが、天才科学者ザーコフ博士の開発した宇宙ロケットで地球から飛び出し、惑星モンゴの冷酷非情な独裁者ミン皇帝などのヴィランを相手に戦いを繰り広げる…というお話だ。当時のアメリカでは、同じく新聞の連載漫画だった「25世紀のバック・ロジャース」やパルプ小説「キャプテン・フューチャー」などのスペース・オペラが盛り上がっており、その人気にあやかるべくハリウッドの映画会社ユニバーサルが、いわゆる連続活劇映画として「フラッシュ・ゴードン」の映画化を企画する。その第1弾『超人対火星人』(’36)は、ユニバーサルにとって年間第2位の売り上げを誇る大ヒットを記録。フラッシュ・ゴードン役を演じた俳優バスター・クラッブは一躍トップスターとなり、『フラッシュ・ゴードンの火星旅行』(’38)に『宇宙征服』(‘40)と続編映画も作られた。 ちなみに連続活劇映画(=シリアル)とは、全12~15話で完結する連続ドラマ形式のアクション映画のこと。各エピソードは20分前後なので、だいたい1作品の総尺は4~5時間。新しいエピソードは週替わりで上映され、いずれもクリフハンガー形式で次回への期待を煽る。いわばテレビ・シリーズのご先祖様みたいなものだ。映画界でスペース・オペラが途絶えた’50年代以降、『スペース・パトロール』(‘50~’55)や『進め!宇宙パトロール』(’54)、『宇宙戦士コディ』(’55)など、スペース・オペラは子供向けの特撮テレビ・シリーズとして生き延びたのだが、それなりにスケールの大きな冒険活劇を描くにあたって、やはり連続ドラマ形式はフォーマットとして向いていたのかもしれない。 いずれにせよ、ハリウッドで最初のスペース・オペラ映画とされるのが連続活劇版「フラッシュ・ゴードン」シリーズ。その大成功のおかげで、「25世紀のバック・ロジャース」も同じく連続活劇として映画化された。実はジョージ・ルーカスも、もともとは「フラッシュ・ゴードン」の映画化を希望していたものの、先に映画化権が押さえられていたため断念し、代わりにオリジナルの『スター・ウォーズ』を作ったと言われている。その映画化権を先に取得していたのが、ほかでもないイタリアの誇る大物映画製作者ディノ・デ・ラウレンティスだったのである。 実は製作者ディノ・デ・ラウレンティスの趣味が全開だった!? 巨匠フェデリコ・フェリーニの『道』(’54)や『カビリアの夜』(’56)を筆頭に、ソフィア・ローレン主演の『河の女』(’55)にオードリー・ヘプバーン主演の『戦争と平和』(’56)、アル・パチーノ主演の『セルピコ』(’73)にチャールズ・ブロンソン主演の『狼よさらば』(’74)などなど、文字通り世界を股にかけて数々の名作・話題作を世に送り出してきた映画界の巨人ディノ・デ・ラウレンディス。実は彼、フランスの大人向けバンド・デシネを映画化した『バーバレラ』(’68)やイタリアのフメッティ・ネリを映画化した『黄金の眼』(’68)、「英雄コナン」を原作とする『コナン・ザ・グレート』(’82)を手掛けていることからも推察できるように、古き良き時代のコミックやパルプ小説の大ファンだったらしい。「フラッシュ・ゴードン」についても、イタリア語版の原作コミックを全巻コレクションするほどのマニアだったそうだ。 当初、彼はフェリーニに演出を任せようとしたが実現せず、代わりとしてニコラス・ローグに白羽の矢を立てるもののソリが合わず、セルジオ・レオーネに依頼したところ脚本にダメ出しをされて断られ、最終的に『狙撃者』(’71)以来目ぼしいヒットに恵まれなかったマイク・ホッジス監督が選ばれる。恐らく、プロデューサー的に使い勝手が良かったのだろう。脚本を手掛けたロレンツォ・センプル・ジュニアによると、ストーリーからビジュアルまで全てがデ・ラウレンティスの一存で決められていたのだとか。言うなれば、マイク・ホッジスは現場監督に過ぎず、実質的にはディノ・デ・ラウレンティスの映画だったのである。 そのロレンツォ・センプル・ジュニアの手掛けた脚本が実に荒唐無稽でナンセンス!当時は『キング・コング』(’76)や『ハリケーン』(’79)で立て続けにデ・ラウレンティスと組んでいたセンプル・ジュニアだが、もともとはテレビ版『バットマン』(‘66~’68)で名を成した人である。キッチュでコミカルでバカバカしくて、だからこそ理屈抜きに楽しいテレビ版『バットマン』。実はそれこそ、デ・ラウレンティスが本作に求めたものだったという。 暇を持て余した惑星モンゴの邪悪なミン皇帝は、たまたま見つけた平和な惑星・地球を滅亡させることにする。一気に滅ぼしてはつまらないからと、次々に自然災害を起こしていくミン皇帝(マックス・フォン・シドー)。一体どうやるのかというと、「地震」とか「ハリケーン」とか「竜巻」とか「火山噴火」とか英語で書かれたボタンを押していくだけなのだからズッコケる(笑)。あれですね、この時点で真面目に見ちゃいけない映画なのがマル分かりですな。で、地球が天変地異に見舞われる中、たまたま同じ飛行機に乗り合わせたのが、アメフトのスター選手フラッシュ・ゴードン(サム・ジョーンズ)と旅行会社の社員デイル・アーデン(メロディ・アンダーソン)。やむなく飛行機を不時着させたところ、そこは偶然にも宇宙科学者ザーコフ博士(トポル)の研究所だったという都合の良さ!以前より異星人からの攻撃を予見していたザーコフ博士は、自ら開発した宇宙ロケットにフラッシュとデイルを無理やり乗せ、和平交渉のため惑星モンゴへと旅立つ。 とはいえ、当然ながらミン皇帝は話の通じる相手ではなく、3人はあえなく捕虜の身となってしまうことに。こうなったらミン皇帝を倒す以外に地球を救う方法はない!ということで、フラッシュたちはミン皇帝の圧政に苦しむ森の国アーボリアのバリン公(ティモシー・ダルトン)や鳥人集団ホークマンの王ヴァルタン公(ブライアン・ブレスド)、父親であるミン皇帝に反抗するオーラ姫(オルネラ・ムーティ)らを味方につけ、大規模な反乱計画を企てるのだった…! というわけで、往年の子供向け宇宙冒険活劇そのままのレトロフューチャーな世界観といい、『スター・ウォーズ』以前の時代と大して変わらないローテクな特撮技術といい、劇場公開から40年以上を経た今でこそ新鮮な面白さがあるものの、当時は賛否両論だったというのも頷ける話ではある。確かにこれは好き嫌いが真っ二つに分かれるはずだ。悪趣味スレスレのキャンプな美的センスとキャッチーで痛快なロック・ミュージックの組み合わせは、さながらスペース・オペラ版『ロッキー・ホラー・ショー』。まさにミッドナイト・シネマのノリである。その音楽を手掛けたのが、イギリスを代表する人気ロックバンド、クイーン。これがまた底抜けにカッコ良いのですよ。今でも根強い本作のカルト人気は、このクイーンによるサントラに負うところも大きいはずだ。 さらに、デ・ラウレンティスはフェリーニの『サテリコン』(’69)や『アマルコルド』(’73)、『カサノバ』(’76)などで有名な美術監督ダニロ・ドナーティの大ファンで、本作ではセットから衣装に至るまで全てのビジュアル・デザインを彼に一任。エロティックでフェティッシュなニュアンスをたっぷりと含んだ、ドナーティの豪華絢爛で大胆不敵で退廃的なデザインは極めてヨーロッパ的である。当時、イギリスやイタリアでは興行的に大成功したものの、アメリカでは全くの不評だったというのも分からないではない。そういえば、よくよく見ているとビジュアル的に『バーバレラ』を彷彿とさせるような点も少なくありませんな。なるほど、そういう意味でもデ・ラウレンティスの趣味に合致していたのだろう。 いずれにせよ、人によって合う合わないがハッキリと分かれる作品ではあるものの、しかし古き良き「宇宙冒険活劇」を愛する映画ファンであればハマること間違いなし!あのエドガー・ライト監督やタイカ・ワイティティ監督もファンであることを公言し、セス・マクファーレン監督も『テッド』(’12)でオマージュを捧げている。本作の製作舞台裏と主演俳優サム・ジョーンズのキャリアにスポットを当てた「Life After Flash」(’19)というドキュメンタリー映画まで作られた。今回、ザ・シネマではデジタル修復された超高画質の4Kレストア版を放送。改めて、そのレトロだけど新鮮で、悪趣味だけどポップで、荒唐無稽だけど愉快で楽しい『フラッシュ・ゴードン』の魅力を再確認して欲しい。■ 『フラッシュ・ゴードン』© 1980 STUDIOCANAL