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PROGRAM/放送作品
シンドバッド7回目の航海
特撮の父、ハリーハウゼンが描くシンドバッドの冒険。初のカラー作品にして、シンドバッド3部作第1弾
本作以前は怪獣モノやSF映画を手がけてきたハリーハウゼンが放ったファンタジー映画。ストップモーション・アニメで動く幻想の生物たちは、最近のCGに無い“味”があり、その魅力は今も色褪せていない。
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COLUMN/コラム2025.02.05
ド迫力のパニック描写と感動の人間ドラマで一気に見せる韓流ディザスター映画の傑作!『奈落のマイホーム』
メインテーマは韓国でも日本でも深刻なシンクホール問題 韓国で近年社会問題となっているのがシンクホール。シンクホールとは地下水による土壌の浸食などが原因で地中に空洞が発生し、最終的に地上の表面が崩壊して出来てしまう陥没穴のこと。日本でも先ごろ(’25年1月28日)埼玉県八潮市で起きた交差点道路陥没事故が記憶に新しいだろう。以前にも’16年の福岡県博多市で起きた博多駅前道路陥没事故が大きなニュースとなったが、国土交通省の調べによると近年は日本全国で年間1万件前後もの道路陥没事故が起きているそうで、意外にも日本は知られざるシンクホール大国だったりする。 一方の韓国では、もともと朝鮮半島の大部分が花崗岩・片麻岩で構成されていることもあって、相対的にシンクホール発生の心配は少ないと考えられていたが、しかしこの十数年ほどで大都市圏を中心にシンクホール発生が頻発するようになったという。韓国国土交通部の統計によると、近ごろでは毎年100個以上のシンクホールが韓国各地で発生しているそうで、’19~’23年までの5年間の合計は957カ所に及ぶらしい。 ソウルや釜山、光州など韓国の大都市圏で発生するシンクホールの主な要因としては、地下水の流れの変化や上下水管の損傷による漏水、軟弱な地盤などが挙げられるそうだが、中でも最も多い(半数以上の57.4%)のが上下水管の損傷だという。その最大の原因は、やはりパイプの老朽化とのこと。また、人口の密集する大都市圏では、おのずと鉄道や商店街などの大規模施設を地下に増築することとなるが、その際に地下水の流れが変わって空洞が生じてしまうケースも少なくない。いずれにせよ、韓国で近年急増しているシンクホールは、大都市圏における無分別な地下空間開発が招いた「人災」だと言われている。そして、このタイムリーな社会問題をメインテーマとして取り上げ、ハリウッド映画も顔負けの手に汗握るディザスター映画へと昇華したのが、韓国で’21年度の年間興行収入ランキング2位の大ヒットを記録した『奈落のマイホーム』(’21)である。 夢にまで見た念願のマイホームが奈落の底へ…!? 舞台は大都会ソウル。中堅企業で中間管理職を務める平凡なサラリーマン、ドンウォン(キム・ソンギュン)は、地方からソウルへ移って苦節11年目にして、ようやく念願のマイホームをローンで手に入れる。ソウル市内 の下町に出来たささやかな新築マンションだ。優しくておっとりとした妻ヨンイ(クォン・ソヒョン)、誰にでも礼儀正しく挨拶する可愛い盛りの息子スチャン(キム・ゴヌ)を連れて引っ越しを終え、憧れのマイホームでキラキラの新生活を始めてウキウキのドンウォン。ぶっきらぼうで失礼な態度がイラつく何でも屋マンス(チャ・スンウォン)を除けば、隣人たちも朗らかで親切な人ばかりである。ただ気になるのは、マンションの安全性について。入居前には全く気付かなかったものの、いざ実際に生活してみると床が斜めだったり、共有部分の壁に亀裂が入っていたりするのだ。もしかすると欠陥住宅ではないのか?一抹の不安がよぎったドンウォンは、住民たちと相談して今後の対策を考え始めていた。 そんな矢先、週末に会社の部下たちを自宅へ招いて、引っ越し祝いのパーティを開くことになったドンウォン。日頃の不満が爆発したキム代理(イ・グァンス)とインターンのウンジュ(キム・ヘジュン)が酔いつぶれて泊っていく。その翌朝、爆睡しているドンウォンたちをそのままにして買い物に出かける妻ヨンイと息子スチャン。しかし荷物が大量で重たいことから、スチャンがショッピングカートを取りにひとりでマンションへ戻る。一方その頃、マンションでは深夜からの断水に困った住人たちの多くが朝から外出し、残ったマンスが断水の原因を調べようとしていた。その瞬間、大きな揺れと轟音が近隣一帯に響き渡り、大都会ソウルの住宅街に巨大シンクホールが発生。ドンウォンの住むマンションを丸ごと吞み込んでしまう。 すぐさま当局の救援隊が駆けつけて対策本部が設置され、テレビのニュース番組でも大々的に報じられた巨大シンクホール事故。しかし陥没は地下500メートルにまで達しており、携帯電話の電波はもとよりドローンのGPS信号すら届かないため、対策本部でも生存者の確認と救出をいかにして進めるのか頭を悩ませる。 一方、地底の奥深くまで一気に落下して大破したマンション。なんとか怪我をせずに済んだドンウォンとキム代理、ウンジュの3人は、こちらも屋上にて奇跡的に助かったマンスとその反抗期の息子スンテ(ナム・ダルム)と合流する。マンスから妻子が外出する姿を見かけたと聞いて安堵するドンウォン。必ず助けが来る。それまでなんとか持ちこたえねばと一致団結する5人だったが、しかしマンションの落下はさらに進んで次々と危機が襲い来る。そうした中、地上から届いた衛星電話で息子スチャンがマンション内にいることを知ったドンウォンは、危険を顧みず自ら救出へ向かうことに。しかも、他にもマンションに取り残された住人たちがいることも分かる。なんとかして、一人でも多くの命を救わねば。強い使命感に駆られるドンウォンだったが、折からの悪天候でシンクホールに大量の雨水が流れ込んでしまう…! 大都会ソウルの住宅事情やご近所事情から垣間見える現代韓国の世相 さながら人情コメディ×ディザスター・パニック×アドベンチャー・アクション。大胆不敵にジャンルをクロスオーバーしながら、これでもかと見どころを詰め込んだエンターテインメント性の高さは、さすが韓国映画!と言いたくなるところであろう。しかも、冒頭で言及したシンクホール問題だけでなく、大都会ソウルの住宅事情やご近所付き合いなど、我々日本人にとっても決して他人事ではない、現代韓国を取り巻く様々な社会問題への風刺も盛り込まれている。脚本が実に上手い。 ご存知の通り、人口が密集する大都会ソウルでは超高層マンションが次々と建設され、それに伴って不動産価格もうなぎ上りに高騰。劇中では主人公ドンウォンと部下たちが、遠くにそびえ立つ超高層マンションを眺めて溜息をつく場面があるが、そうした高級物件に手が届くのはごく一部の限られた富裕層や外国人のみ。日本の東京と似たような状況だ。ドンウォンのように平均的なサラリーマンにしてみれば、下町の小ぶりなマンションを買うだけで精いっぱいだ。それでも、実際にローンを組めるまでに11年もかかってしまった。キム代理が意中の同僚女性に告白できないでいるのも、恋敵の自宅マンションが家族から相続した持ち家なのに対し、自分は賃貸のワンルームマンション住まいだから。もはや、ソウルで理想の我が家を買うなんて夢のまた夢。そんなしがない庶民がようやく手に入れた念願のマイホームが、あろうことか無計画な地下空間開発によって発生した巨大シンクホールに吞み込まれてしまう。なんたる皮肉!なんたる悲哀!これこそが本作の核心と言えよう。 さらに、東京と同じく希薄になりがちな大都会ソウルのご近所付き合い。昔は濃密だったソウルの地域共同体も、昨今では50%以上の市民が隣人に挨拶することすらなくなったという。そもそも競争社会に揉まれる庶民は毎日の生活に精いっぱいで、なかなか周囲に気を配るだけの余裕がない。本作に出てくるマンションの住人や会社員も同様。みんな表面上は慇懃無礼で愛想よく振る舞ってはいるものの、しかし実際にはお互いに深入りせず距離を保っている。一緒に働いている同僚同士だって、実のところあまりお互いのことは知らない。一見したところ不愛想で図々しいマンスなどは、むしろ正直で裏表がない人間とも言えるだろう。そんな中で突然発生した未曽有の巨大シンクホール事故。取り残された人々は必然的に協力し合い、手を取り合って決死のサバイバルに挑む。 また、救出作戦の一環で隣接するマンションの一部を破壊する必要が生じるのだが、住民説明会に参加した居住者たちは、苦労して手に入れた我が家を守ることばかりに気を取られ、シンクホールに呑み込まれた人々の窮状にまで想像が及ばず、それゆえ救出作戦に真っ向から反対してしまう。だが、そこで一人の老人が声をあげる。隣のマンションが地中へ落下する瞬間に立ち会い、呑み込まれていく隣人の恐怖と絶望の表情を見てしまった老人。確かにこの家を買うのに20年もかかった。しかし、ここで反対したら天罰を受けるかもしれない。困っている誰かに手を差し伸べること、隣人の痛みや苦しみに想像を働かせること。スリルとサスペンスとスペクタクルを盛り上げながら、現代人が忘れがちな他者への共感や連帯の大切さを描いていく後半のサバイバル劇がまた感動的だ。観客の心を嫌がおうにも揺り動かすヒューマニズム。このエモーショナルな作劇の上手さも韓国映画ならではだろう。 監督と脚本を手掛けたのは、海洋モンスター映画『第7鉱区』(’11)や韓国版『タワーリング・インフェルノ』と呼ぶべき『ザ・タワー 超高層ビル大火災』(’12)を大ヒットさせたキム・ジフン。地下500メートルものシンクホールが韓国で発生することは現実的にあり得ない話だが、しかし’07年に南米グアテマラで深さ100メートルのシンクホールが発生したと知ったキム監督は、もしも同じくらいかそれ以上の規模のシンクホールが韓国で発生したらどうなるか?を想像してストーリーを考えたという。 やはり最大の見どころは最先端のCGを駆使した、迫力満点の大規模なディザスター・シーンだが、実は舞台となるソウル市内の住宅街はCGでもロケでもなく、撮影スタジオの敷地内に建設された実物大の巨大セット。つまり、住宅街の一角を丸ごとオープンセットとして一から建ててしまったのである。シンクホールにマンションが落下していくシーンはさすがにCGだが、しかし実際に俳優たちが演技をするマンション内部もまた実物大のセット。「CG技術がどれだけ優れていても、俳優や監督にとって最も重要なのは空間です」というキム監督は、役者が芝居に集中するためにはリアルな空間を作ることが大切だと考え、20種類以上もの実物大セットを組み合わせながら地下500メートルに転落したマンションを撮影スタジオに再現したのである。 ‘19年の夏から秋にかけて撮影された本作。当初は’20年のチュソク(お盆)の大型連休に合わせて公開されるはずだったが、しかし折からのコロナ禍で延期となってしまう。改めて’21年8月6日にスイスの第74回ロカルノ映画祭で初お披露目された本作は、同年8月11日より韓国で封切り。公開6日目で早くも観客動員数100万人を突破し、年間興収ランキングでも『モガディシュ 脱出までの14日間』(’21)に次ぐ堂々の第2位を記録したというわけだ。■ 『奈落のマイホーム』© 2021 SHOWBOX AND THE TOWER PICTURES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
ワーロック(1959)
ヘンリー・フォンダら西部劇の三大スターが豪華競演!ガンマンの生き様と悲哀を描く異色ウエスタン
『ケイン号の叛乱』の社会派監督エドワード・ドミトリクが善悪不確かな三つ巴の人間模様を紡ぐ。ヘンリー・フォンダやリチャード・ウィドマークら西部劇スターのイメージを逆手に取ったキャスティングの妙も光る。
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COLUMN/コラム2025.02.03
ジョーダン・ピール監督のスピルバーグ愛も垣間見える異色の不条理SFホラー『NOPE/ノープ』
コメディアンからホラー映画監督へ転身を遂げたジョーダン・ピール デビュー作に当たるホラー映画『ゲット・アウト』(’17)でいきなりアカデミー賞の作品賞を含む4部門にノミネートされ、黒人として史上初の脚本賞を獲得したジョーダン・ピール監督。もともとスタンダップ・コメディアンとしてキャリアをスタートした彼は、全米で人気の長寿コメディ番組『マッドTV!』(‘95~’09)に’03年よりレギュラー出演して知名度を上げ、さらに同番組の共演者キーガン=マイケル・キーと組んだ冠番組『Key & Peele』(‘12~’15・日本未放送)ではエミー賞やピーボディ賞を受賞。役者としてドラマ『ファーゴ』(’14~)シーズン1や映画『キアヌ』(’16)などにも出演し、売れっ子のコメディ俳優として活躍するようになる。 その一方、幼少期から筋金入りの映画マニアだったピール監督は、後に映画制作のパートナーとなる幼馴染みイアン・クーパーと一緒に、B級ホラーからハリウッド・クラシックまで片っ端から映画を見まくる10代を過ごしたという。スティーブン・スピルバーグやジョン・カーペンター、アルフレッド・ヒッチコックにスタンリー・キューブリックなどから多大な影響を受け、予てより映画制作に強い関心を持っていた彼は、『ドニー・ダーコ』(’01)や『サウスランド・テイルズ』(’07)などで知られる映画製作者ショーン・マッキトリックをキーガン=マイケル・キーに紹介される。ニューオーリンズのカフェでマッキトリックと初めて会うことになったピール監督。その際に温めていた映画のあらすじを話して聞かせたところ、なんとその場で企画にゴーサインが出てビックリしたという。それが処女作『ゲット・アウト』だった。 多様性を重んじるリベラルなインテリ層ですら無自覚に持ち合わせる、アメリカ社会の黒人に対する根強い偏見を皮肉った風刺ホラー『ゲット・アウト』。製作費450万ドルの低予算映画ながら、世界興収2億5400万ドルを突破した同作の大ヒットによって、ピール監督は新たな才能としてハリウッド中が注目する存在となる。この思いがけない大成功を機に、彼は既にヴィジュアル・アーティストとして活動していた幼馴染みイアン・クーパーを誘って自身の製作会社モンキーパー・プロダクションズを設立。続く2作目『アス』(’19)では、アメリカの格差社会で存在が透明化されてしまった「持たざる人々」を不気味なドッペルゲンガーに投影し、世界一の経済大国アメリカの豊かさが恵まれない人々の搾取と犠牲の上に成り立っているという現実を不条理なホラー映画へと昇華する。 このように、ホラーという娯楽性の高いジャンルの映画をメジャー・スタジオのシステムを用いて撮りつつ、その中に差別や格差など現代アメリカの社会問題に対する批判や疑問を、独自の視点で巧みに織り込んでいくメッセージ性の高さがジョーダン・ピール作品の大きな特徴と言えよう。そんなピール監督の、今のところ最新作に当たる第3弾が、新たにSFホラーのジャンルを開拓したシュールな怪作『NOPE/ノープ』(’02)である。 未確認飛行物体の正体は未知の生物だった…!? 主人公はカリフォルニアの片田舎の広大な牧場で育った青年オーティス・ヘイウッド・ジュニア=通称OJ(ダニエル・カルーヤ)とその妹エメラルド(キキ・パーマー)。ヘイウッド家は代々に渡って、ハリウッドの映画やテレビなどの撮影に使われる馬を飼育している。牧場の顔として経営と営業をこなすのは父親オーティス・シニア(キース・デイヴィッド)。内向的で口数の少ないOJはもっぱら馬たちの世話と調教に専念し、そもそも家業に全く関心のないエメラルドは有名になりたい一心で役者やダンサーやユーチューバーなど様々な仕事に手を出していた。そんなある日、牧場の遥か上空に人間の悲鳴らしき音が響き渡り、次の瞬間に次々と落下物が空から降り注ぐ。呆気にとられるOJ、地面に倒れる父親。落下物のコインが頭に直撃した父親は、病院での治療もむなしく亡くなってしまう。 大黒柱の父親を失ったヘイウッド家。ひとまず子供たちで家業を引き継ぐものの、しかし人付き合いが苦手で不愛想なOJと口ばかり達者なエメラルドでは上手くいかず、たちまち経営難に陥ってしまう。牧場を維持するために仕方なく、近隣で人気を集める西部劇風テーマパークに10頭の馬を売却することにしたOJとエメラルド。テーマパークのアジア系経営者ジュープ(スティーブン・ユァン)は、’90年代の大ヒット西部劇映画『子供保安官』に出演して大ブレイクした元子役スター。その勢いに乗ってテレビのシットコム番組『ゴーディ 家に帰る』に主演するのだが、ペットのゴーディを演じるチンパンジーが撮影中に大暴れし、出演者数名が大怪我を負うという事件が発生。幸いにもジュープは無傷だったが、しかし番組はそのままキャンセルされ、残念ながらジュープのキャリアもそこで断たれてしまった。だが、かつての名声を未だに忘れられないジュープは、『子供保安官』の世界を再現したテーマパークを開業し、自らショータイムの司会進行役を務めることで再び世間の注目を浴びようとしていたのである。 その晩、牧場の名馬ゴーストが興奮したように柵を飛び越えて逃げ出し、追いかけようとしたOJは雲の間を猛スピードで移動する円盤型の物体を目撃する。ゴーストの鳴き声と共に光を放って消え去る未確認飛行物体。その瞬間、家の電気や携帯の電波もダウンする。宇宙から来たUFOが馬をさらっていったに違いない。そう考えたOJとエメラルドは、牧場を再建するための妙案を思いつく。UFOの映像を撮影して高値で売り飛ばそうというのだ。とはいえ、兄妹2人ともメカにも撮影技術にも疎い。そこで彼らは家電量販店の店員エンジェル(ブランドン・ペレア)に頼んで監視カメラを設置して貰ったところ、決して動かない雲が映っていることに気付く。UFOはそこにずっと隠れているのだ。さらにCM撮影で知り合ったカメラマンのアントレス・ホルスト(マイケル・ウィンコット)に撮影協力を依頼した兄妹だが、しかしUFOに半信半疑のホルストには断られてしまった。 一方その頃、同じくUFOの存在に気付いていたジュープは、テーマパークでUFOを呼び寄せるイベントを開催する。ところが、会場に現れたUFOはそこにいたジュープもスタッフも観客も丸ごと全員を吸い込んで貪り食ってしまう。誰もいなくなったテーマパークに足を踏み入れ茫然とするOJ。そこで彼は、以前からの疑問を確信に変える。UFOはそれ自体が生き物なのだ。それも地球上の人間や動物を捕食する肉食系の。縄張り意識と警戒心が強いUFOは、野生動物と同じように目が合うと襲いかかって来る。子供の頃に飼っていた馬に因んで、UFOを「ジージャン」と名付けたOJとエメラルドは、テーマパークの事件をテレビのニュースで知って駆けつけたホルスト、今やすっかり友達となったエンジェルの協力を得て特ダネ映像の撮影に挑むのだが…? 現代社会に蔓延る「見世物」と「搾取」、悪しき構造を支える現代人の承認欲求 UFOとのファーストコンタクトを描く西部劇風『未知との遭遇』だと思って見ていたら、最終的に大空から襲い来る獰猛な未知の肉食生物と死闘を繰り広げるSF版『ジョーズ』になっちゃった…!という1粒で2度おいしい映画。なるほど、スピルバーグ・ファンを自認するジョーダン・ピール監督らしい作品ですな。アメリカの果てしない荒野で得体の知れない怪物に襲われるというシチュエーションは『激突!』(’71)をも彷彿とさせるだろう。 いつもは円盤型の甲殻類生物みたいな形をしているジージャンが、状況によってクラゲや蘭の花のように形状を変えていくというアイディアは面白いし、普段から人間よりも動物と接することの多いOJがいち早くUFOの正体に気付き、その行動原理や特性を直感で理解していくという過程もよく考えられている。製作に当たっては、クラゲの専門家であるカリフォルニア工科大学のジョン・ダビリ博士や、分類学および機能形態学を専門とするUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)研究員ケルシ・ラトリッジがコンサルタントとして参加。生命体として科学的な矛盾がないかを徹底的に検証し、解剖学や行動学を基にしながらジージャンの形体や動きを描写したという。 そんな本作でピール監督が描かんとしたのは「搾取(Exploitation)」と「見世物(Spectacle)」についての考察である。冒頭で旧約聖書「ナホム書」の古代都市ニネベの滅亡を預言する第3章を引用したのもそれが理由であろう。ニネベが神の逆鱗に触れた理由のひとつが「見世物」による「搾取」だったからだ。このテーマを最も象徴するのが、一見したところストーリーの本筋とは関係なさそうな、シットコム『ゴーディ 家に帰る』の撮影現場で起きたチンパンジーの大暴走。動物を「見世物」としてテレビドラマに出演させて「搾取」しようとしたところ、うっかり野性本能を刺激してしまって思いがけないしっぺ返しを食らう。それはテーマパークのショータイムでジージャンを呼び出して金を稼ごうとしたジュープ、はたまたジージャンを撮影した「バズり動画」で一獲千金を目論んだエメラルドたちも同様。動物を支配しコントロールしようとすること自体が人類の傲慢である。そういえば、ピール監督が敬愛するスピルバーグの『ジュラシック・パーク』(’93)も似たような話でしたな。 そうした中で、子役時代のジュープをチンパンジーが襲わなかったのは、当時の彼もまたハリウッドの大人たちから「見世物」にされ「搾取」される存在だったから。要するに同じ犠牲者、同じ境遇の仲間だと思われたのだ。ただし、ジュープはチンパンジーではなく人間である。人間にとって「見世物」として「搾取」されて得られる名声は、時として麻薬のようなものとなり得る。注目を浴びる快感を覚えてしまった者は、往々にしてそれを求め続けてしまうのだ。その甘い蜜の味が忘れられないジュープは、事件によって心に深いトラウマを負ったにもかかわらず、再びスターの座に返り咲く夢を追い求め続け、それが最悪の結果を招いてしまう。 名声中毒に陥っているのはエメラルドも同様だ。彼女もまた「自分ではない素敵な誰かになりたい」「世間の注目を集めるセレブになりたい」という一心から、役者だ歌手だダンサーだユーチューバーだと様々な職にチャレンジするが、しかし何をやっても上手くいかず空回りしている。誰もがSNSを介して有名になれる可能性がある今の時代。むしろ人々は自ら進んで「見世物」となって「搾取」されようとする。肥大化した承認欲求はまさに現代病だ。 だいたい資本主義が発達した現代社会では、あらゆる場面で「見世物」と「搾取」の関係が成り立っている。それは映画というメディアも同様。そういえば、リュミエール兄弟の撮った『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895)は、駅に到着する列車の迫力ある風景映像が観客の度肝を抜いて大変な話題になったと伝えられているが、そもそも映画はその最初期から「見世物」であり「搾取」の道具だったと言えよう。本作でピール監督はその本質を明らかに自覚し、そこについて回るリスクや危険性に警鐘を鳴らしつつ、それでもなお映画という文化に対して大いなる愛情と敬意を捧げる。 ちなみに、オープニングのタイトル・シークエンスで映し出される馬に乗った黒人騎手の映像は、世界最初の映画とも言われる写真家エドワード・マイブリッジの連続写真「動く馬」。スタンフォード大学の創立者リーランド・スタンフォードが、馬の歩法を分析するためマイブリッジに撮影を依頼したと言われている。劇中では黒人騎手がヘイウッド家の先祖ということになっているが、しかし実際のところ黒人騎手の素性は今もなお分かっていない。■ 『NOPE/ノープ』© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
帰らざる河
壮大なロッキー山脈に咲く、一輪の花マリリン・モンロー──大自然と戦う者たちのヒューマン西部劇
『ナイアガラ』で不動のセックスシンボルと絶賛されたマリリン・モンローが西部劇でも魅力を発揮。ワイドに収めたロッキー山脈の雄大な映像はもちろん、劇中でモンローが披露する「帰らざる河」など音楽も印象的。
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COLUMN/コラム2025.01.31
ミシェル・ゴンドリー&チャーリー・カウフマン 超くせ者コンビが放つ、愛の記憶にまつわる物語『エターナル・サンシャイン』
フランス・ベルサイユ生まれの、ミシェル・ゴンドリー。美術学校の仲間と結成したロックバンドのPVを自ら手掛けたのを、アイスランドが生んだ歌姫ビョークに見初められたのが、世に出るきっかけとなった。 ビョークとのコラボに続き、ローリング・ストーンズ、ベック、ケミカル・ブラザース、カイリー・ミノーグ、レディオヘッド等々の有名アーティストのPVを次々と手掛けた。やがてCMディレクターとしても、名を馳せるようになる。 1998年、30代中盤となったゴンドリーは、当時付き合っていた女性に対し、ほとほと嫌気がさしていた。そしてボヤいた。「もし彼女の記憶を消せたらなぁ~」 本作『エターナル・サンシャイン』(2004)は、ゴンドリーのそんな愚痴が元となって,スタートした企画だった。 このアイディアを脚本にしてくれる書き手を探すと、面白がってくれる者は多かったが、皆が皆“SFサスペンス”にしようと持ち掛けてくる。思考回路が「ずっと12才のまま」と自称するゴンドリーは、そのようなありきたりのアイディアには、ノレなかった。 そんな折りに出会ったのが、チャーリー・カウフマン。実在の俳優ジョン・マルコヴィッチの頭の中に入れる不思議な穴を巡って展開する奇想天外な物語、スパイク・ジョーンズ監督の『マルコヴィッチの穴』(99)でブレイクした脚本家である。 カウフマンの提案は、「男女の関係についての話にしたい」というもの。ゴンドリーは、「それだ!」と思った。そして、2人の共同作業が始まった。 本作で長編映画監督としてのキャリアをスタートするつもりだったゴンドリーだが、それは一旦お預けになる。先に撮ってデビュー作となったのは、『ヒューマンネイチュア』(2001)。カウフマンが、本作から一旦逃亡した際に、手打ちとして差し出した脚本だったという。 紆余曲折がありながらも、ゴンドリーとカウフマンの協同は続いた。2人は、人間の脳や記憶について研究を重ねた。 記憶はどんどん変質し、しかも時間通りに整然と連続したものではなくなっていく。ある記憶の断片が、全然関係ない時の記憶とつながったり、混ざったりする。記憶は事実の記録などではなく、事実に対するその人の解釈の記録と言える。 恋愛がうまくいかなくなった時や失敗に終わった時、こんな辛いことは忘れてしまいたいと、多くの者が思う。しかし後になってから思い返すと、その恋の記憶は、「大切な宝物」になっている。 そうしたことを、どうやって映像化するか? 因みに本作の原題は、『Eternal Sunshine of the Spotless Mind』。「一点の汚れもなき心の永遠の陽光」という意味である。本編にも登場する、18世紀のイギリス詩人アレクサンダー・ポーブの恋愛書簡詩「エロイーズからアベラールへ」からの引用ということだが、カウフマン曰く、「…一発で覚えにくいから面白い…」と思って、このタイトルにしたという。 こうして作られた脚本は、キャスティングが始まる前から、オフィシャルではない草稿が出回ってしまい、多くの業界関係者が目にすることとなった。そんな中の1人に、ジム・キャリーが居た。 当時のキャリーは、主演作は大ヒットが確約されているような存在で、1本の出演料が20億円にも上るようなスーパースター。そんな彼から、本作のプロデューサーに電話が掛かってきた。低予算の本作に、ただ同然のギャラでも「出たい」ということだった。 ミシェル・ゴンドリーはこの知らせに、興奮してから、すぐ心配になった。本作の主人公であるジョエルは、恋人に「退屈」と言われてしまうほど、地味な性格。『マスク』(94)や『ジム・キャリーはMr.ダマー』(94)、『グリンチ』(2000)等々、スクリーン上でエキセントリックに躍るキャリーとは、どう考えても正反対のキャラクターだったのだ。 ゴンドリーらは、キャリーの主演作『ブルース・オールマイティ』(03)の撮影現場を訪ねた。いつものように、オーバーな演技をしていたキャリーだったが、本番の合間に素に戻ると。ごく普通の男だった。カウフマンは、「…彼の中にもジョエル的なものがあった」と感じたという…。 ***** 恋人たちの日“バレンタインデー”直前、ジョエル(演:ジム・キャリー)は、喧嘩別れしてしまったクレメンタイン(演:ケイト・ウィンスレット)と仲直りしようと思い、彼女の勤務先の書店に出向く。しかし彼女は、ジョエルをまるで会ったことなどない者のように対応し、現れた若い男とイチャつく。 ショックを受けた彼に、友人が手紙を見せる。その文面は、「クレメンタインはジョエルの記憶をすべて消し去りました。今後、彼女の過去について絶対触れないようにお願いします」というもの。 ジョエルは、クレメンタインが記憶消去の施術を受けたラクーナ社を訪ねてみる。そして彼も、ハワード・ミュージワック博士(演:トム・ウィルキンソン)が開発した、記憶消去の手術を受けることを決める。 ジョエルが自宅で一晩寝ている間に、訪れたラクーナ社のスタッフたち(マーク・ラファロ、イライジャ・ウッド、キルスティン・ダンスト)が、現在から過去へと記憶を消していく。 しかし逆回転で、クレメンタインとの交際期間を振り返っていく内に、ジョエルは忘れたくない、楽しかった時間の存在に気付き、眠りながらも手術を止めたいと、夢の中で必死に逃げ回る。 抵抗虚しく、結局手術は無事に終了。目覚めたバレンタインデーの朝、ジョエルはクレメンタインの記憶を、すべて失っていたのだが…。 ***** ほとんどの映画は、主人公の男女が愛し合っていることを確認したら、そこで終わってしまう。しかし実際は、「長く付き合えば、相手の嫌な面も色々見えてくる」。ジム・キャリーが本作の脚本に惹かれたのは、まさにそこだった。本作は他の映画が見せない、「そこから先を」描いているというわけだ。 本作の脚本を書く際に、カウフマンは時間軸に沿ったジョエルの記憶の地図を作って、居場所を確認しながら書いていった。この記憶の地図は、ゴンドリーがジム・キャリーに、いま演じているのは、ジョエルの記憶のどの部分なのかを説明する際にも、役立った。 相手役のクレメンタインは、ケイト・ウィンスレット。イギリス生まれで古風な顔立ちの彼女は、『タイタニック』(97)のヒロインをはじめ、“コルセット・クイーン”的な、古風な英国女性を多く演じてきた。 ところが本作では、エキセントリックさを持ったニューヨーク娘。いつもはジム・キャリーがやっているような役とも言える。 ウィンスレットがゴンドリーに、どの作品を観て、自分にオファーしたのかを問うた。ゴンドリーは、「うーん、わからないけど、君はラブリーでクレイジーだから、君に出来ると感じたんだよね」と答えたという。 因みにクレメンタインは、気分によって髪の色を変えてしまうという設定。撮影は、時制的に順撮りというわけにはいかなかったので、ウィンスレットは、午前は赤い髪、午後は青い髪といった風に、カツラを変えて演じることとなった。 脇を固めたのは、ベテランのトム・ウィルキンソンに、若手のイライジャ・ウッド、キルスティン・ダンスト、マーク・ラファロといった面々。プロデューサーのスティーヴ・ゴリンによると、「金のためにこの仕事を引き受けた者はいなかった…」という。 いよいよ撮影本番が近づいてくると、ミシェル・ゴンドリーが感じるプレッシャーやストレスは、ただならぬものになっていた。「この映画に集まってくれたキャスト、スタッフの興味が、僕という人間よりもチャーリー・カウフマンの脚本の方に向けられていたのは痛いほどわかっていた…」からだ。実際にケイト・ウィンスレットも、「チャーリー・カウフマンが書いた脚本だ、なんて言われたら、誰だって読む前に出演を決めるんじゃないかしら」などとコメントしている。 ゴンドリーが「ちょっとした屈辱」を覚えながらも、2003年1月に、本作はクランク・イン。4月までの3ヶ月間、主にニューヨーク市で撮影が行われた。いざカメラが回り始めると、ゴンドリーへの皆のリクアションは、早々に変化が見られるようになった。 キャリーやウィンスレットが、友人や家族などに電話して、すごいシーンを撮ってるから見に来いよと誘っている姿を目の当たりにして、ゴンドリーはホッと胸を撫で下ろした。ラファロやダンスト、イライジャ・ウッドも、「キャンプに集う悪ガキ」のように、大はしゃぎで撮影に臨んでいたという。 ゴンドリーの演出法は、独特だった。他の監督たちのように、「スタート」でカメラを回し、「カット」で止めるというわけではない。本番もリハーサルもなく、ずっとカメラを回し続けるのである。 トム・ウィルキンソンはカメラの動きがまったく掴めないことに当初戸惑いながらも、この演出法が気に入った。彼の経験上、最上の演技は、「…リハーサルの間に起こることが多い」からである。ゴンドリー式ならば、これまでは往々にしてあった、「何で今カメラが回っていなかったんだ」と、悔やむことが避けられる。 ジム・キャリーは撮影が始まると、どんどんアドリブを加えて面白くしようとする、いつもの癖が出てしまい、ゴンドリーを困らせた。そうした演技をやめさせるために、芝居をしている時には撮影をせず、逆に変な演出をして、キャリーが「それは違うだろう」と素に戻った時にカメラを回した。キャリーはそれを嫌がったが、撮ったフィルムを見せて、ゴンドリーが「この自然さがほしい…」と伝えると、納得したという。 ゴンドリーがキャリーに求めたのは、ジョエルを演じることではなく、素のジム・キャリー自身になることだった。キャリーは、過去の恋愛の失敗を告白させられ、それらがセリフに取り入れられた。 キャリーはその時点で2回の離婚を経験し、直近ではレニー・ゼルウィガーとの破局を経験している。そんな彼にとって本作の撮影は、「カサブタをはがすようなもの…」となった。 ゴンドリーはこうした形で、「いつものジム・キャリー」が出てこないような演出を行った。逆にウィンスレットに対しては、「もっとガンガンやっていいよ」と、煽ったという。 ゴンドリー演出のもう一つの特徴は、極力VFXを避けて、手作りにこだわること。ジョエルが幼児期の記憶に退行していく中で、子どものジム・キャリーと大人の大きさのケイト・ウィンスレットが話すシーンがある。ここでは合成は一切使わず、遠くに行くほど物を大きくしたセットを作って、遠近感を狂わせるというローテクを駆使している。 ジョエルがラクーナ社で、診察室に座ったもうひとりの自分を見るシーン。これはカメラがパンしている間に、ジム・キャリーが全速力でカメラの後ろを回って、その間に衣装を変えて椅子に座るという手法で、撮影した。 ジョエルが、キッチンのシンクでママに身体を洗ってもらった記憶に逃げ込むシーンでも、CGや合成は一切使っていない。大きなシンクを作り、巨大なジョエルのママの腕の作り物を入れて、カメラを回した。 臨機応変なのも、ゴンドリー流。撮影中、街に偶然サーカスのパレードがやって来た時は、その場で主演の2人を連れて、撮りに行くことを決めた。 そのパレードを2人で見ている間に、クレメンタインが姿を消して、ジョエルが探し回るくだりがある。これはゴンドリーがその場でこっそり、ウィンスレットに耳打ち。キャリーが見てない隙に、姿を消させた。我々は本作で、ジム・キャリーがガチでウィンスレットを探してる様を、目の当たりにするのである。 撮影は時期的に、極寒のニューヨークで行われ、夜間シーンも多かった。スタッフ、キャストは大変な思いをしたが、ゴンドリーにとっては、ただただラッキーだった。 元々の脚本には、雪が沢山出てくるのだが、その作り物をするとお金がかかり過ぎる上、不自然に見えるので、泣く泣くカットしていた。ところが撮影を始めると、ずっと雪が続いた。ゴンドリーはそれを、最大限に活用。チャールズ川でのシーンなど、キャストが話す度に白い息が出るのが、映画をリアルにする手助けとなった。 このようにして撮影された本作は、2004年3月にアメリカで公開。2,000万㌦の製作費に対して、7,000万㌦以上の興行収入を上げるクリーンヒットとなった。またアカデミー賞では、カウフマンやゴンドリーらに、脚本賞の栄誉をもたらした。 ジム・キャリーにとってこの作品は、「かつて僕が愛した人たちへのラブレター」となった。 これからご覧になる方々へ、“ラストシーン”に関して、本作の作り手たちの言葉を以て〆としたい。 チャーリー・カウフマン曰く、「この映画がハッピーエンドなのかどうか、それを決めるのは観客だ。映画館を出た後、話し合って欲しいんだ」 一方ミシェル・ゴンドリーは、「…男と女の別れや出会いを決定付けるのは、運命よりも、取るに足りないほんの小さな些細な出来事だったりする。なんでもない瞬間の数々が、男と女の未来に影響を与えていく…」それが見せたかったのだという…。■ 『エターナル・サンシャイン』TM & © 2004 Focus Features. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
昼下りの情事
名匠ビリー・ワイルダーがオードリー・ヘプバーンの可憐な魅力を引き出す!傑作ロマンティックコメディ
ビリー・ワイルダー監督が『麗しのサブリナ』に続いてオードリー・ヘプバーンと再タッグ。当時56歳のクーパーと27歳のオードリーの恋模様をチャーミングに紡ぐ。フランスの名優モーリス・シュヴァリエも出演。
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COLUMN/コラム2025.01.14
天才スピルバーグが、念願の“恐竜映画”で起こした映画史の“革命”!『ジュラシック・パーク』
幼い頃からの“恐竜”ファンで、最初に覚えた長い言葉は、“ティラノサウルス”や“トリケラトプス”等々、様々な恐竜の名前だった。長じては、ずっと“恐竜映画”を撮ることが夢だったという、スティーヴン・スピルバーグ。 しかし“映画の天才”の名を恣にした彼でも、そのプロジェクトには、なかなか踏み切れなかった。大きな理由は、2つ。 ひとつは、恐竜が実際に居た時代を題材にする気はなく、かと言って現代を舞台にすると、太古の昔に絶滅した恐竜が存在する理由が見つからない。もうひとつは、技術的な問題。スクリーンを闊歩する姿が“本物”に見えないような、“恐竜映画”を作りたくはなかったのだ。 機を得るのも、また“天才”の為せるワザなのだろうか?それらの課題をクリアーして“恐竜映画”を撮る、絶好の機会が巡ってきた。 1990年5月。その年の秋に出版される予定の長編小説のゲラが、ハリウッドの各映画会社に送りつけられた。その小説は、ベストセラー作家マイケル・クライトンの筆による「ジュラシック・パーク」。映画化権を150万㌦からのオークションに掛けるという告知だった。 1㌦でも多くの金額を入札した者が、映画化権を得るという、単純な取引ではなかった。落札を望む映画会社は、配給収入からの歩合、商品化権の扱い等に加えて、監督には誰を据えるかといった、映画の製作体制まで、提示しなければならなかったのである。 このオークションには、コロンビア、フォックス、ワーナー、ユニヴァーサルの4社が参加。コロンビアがリチャード・ドナー、フォックスがジョー・ダンテ、ワーナーがティム・バートンを監督候補に立てる中で、オークションを勝ち抜いたのは、ユニヴァーサルだった。 150万㌦に50万㌦を上乗せした200万㌦を提示したのは、他社も同様だった。決め手となったのは、監督にスピルバーグを掲げたことだったと言われる。 スピルバーグも、ノリノリだった。小説「ジュラシック・パーク」には、彼が長く待ち望んだ、現代に恐竜を甦らせる“説得力”があったからだ。またその頃になると、技術面をクリアーする目算も、立ってきた。 その年の夏に、映画化のプロジェクトは、スタート。スピルバーグは、『ウエストワールド』(73)『大列車強盗』(79)等で監督・脚本を手掛けた経験もあるクライトンに、シナリオの草稿を依頼。8カ月掛かって書き上げられたクライトンの原稿のブラッシュアップは、スピルバーグの弟子ロバート・ゼメキス監督の『永遠に美しく…』(92)の脚本などで注目された、デヴィッド・コープに任された。 ***** アメリカの砂漠で、恐竜の化石の発掘調査を行う、古生物学者のグラント博士(演:サム・ニール)と、彼の恋人で古植物学者のエリー・サトラー博士(演:ローラ・ダーン)。 2人の元を、発掘のスポンサーである財団の創設者ジョン・ハモンド(演:リチャード・アッテンボロー)が、訪れる。彼の依頼は、コスタリカ沖に買った島の視察。資金援助の増額を約束され、グラントとエリーは、ハモンドに同行することを決める。 島には彼ら以外に、数学者のイアン・マルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)、財団の顧問弁護士ジェナーロ、ハモンドの孫アレックスとティムも招かれていた。到着した一行は、そこで信じられないものを、目撃する。それは、生きている恐竜たちだった。 ハモンドが「ジュラシック・パーク」と名付けたこの島の施設は、ジュラ紀から白亜紀を再現した、驚異の世界だった。恐竜たちは、その血を吸った状態で琥珀に閉じ込められた古代の蚊の体内から取り出されたDNAを利用し、最新のバイオテクノロジーを駆使して、甦らされたものだった。 自信満々のハモンドを、マルコムは「人類の驕り」と批判。グラントたちも、不安を感じる。 折しも島に嵐が近づく中、人為的なトラブルによって、恐竜たちの行動を制御していた高圧電流などの保守システムが、作動しなくなる。ちょうど「パーク」内のツアー中だった、グラントやマルコム、子どもらは、ティラノサウルスなど、凶暴な恐竜が牙を剥く真っ只中に、取り残されてしまう…。 ***** 90年9月。スクリーン上に恐竜たちを息づかせるためのメンバー集めが始まった。 スピルバーグはこの時点では、CG=コンピューター・グラフィックをメインの技術に使う気は、毛頭なかった。最先端の技術が投入された『アビス』(89)や『ターミネーター2』(91)などを見ても、リアルな生物をスクリーンに再現するところまでは、まだ到達していなかったからだ。 彼が採用を決めた技術の2本柱は、“ロボティクス”と“ゴーモーション”。 当初スピルバーグは、前者の技術を以て、体長6㍍のティラノサウルスの実物大のロボットを制作し、自足歩行させることを考えた。しかし莫大な金銭が掛かることが判明して、断念。 スタン・ウィンストン率いるチームは、恐竜の表情や上体、体の一部が稼働するロボットを作ることになった。 チームはリサーチに1年を掛け、詳細なスケッチ画と完成見取り図を準備。これを元に細かな工程を経て、耐久性と繊細さを兼ね揃えたラテックスを用いた皮膚を持つ、ティラノサウルスが制作された。豊かな色調で着色して、外見は完成。これを液圧テクノロジーと飛行シュミレーターを基にした“恐竜シュミレーター”の上に乗せ、コンピューターのコントロール・ボードを通じて、自由自在に作動できるようにしたのである。 “ロボティクス”技術を以ては、他にヴェラキラプトル、ブラキオザウルスに、ガリスミス、ディロフォサウルス、病気で横たわるトリケラトプスに、卵から孵るラプトルの赤ん坊などが、制作された。 スピルバーグが、もう1本の柱として考えた“ゴーモーション”は、ミニチュアのパペットを使ってコマ撮りを行う技術。その第一人者である、フィル・ティペットが担当することとなった。『ジュラシック・パーク』には、スピルバーグの盟友ジョージ・ルーカスが率いる特撮工房「ILM=インダストリアル・ライト&マジック」も参加。しかし腕利きのCG技術者デニス・ミューレンのチームも、本作に於いては、恐竜が遠くで動いている「パーク」の風景を作る等の、地味な役割を担うのに止まる予定だった。 ところが1年後、CG制作に於いて画期的なソフトが開発されて、事態は大きく変わる。ミューレンのチームが作った、ティラノサウルスが太陽の光の中を歩く姿を見て、スピルバーグは仰天!“ゴーモーション”の使用は急遽取りやめとなり、恐竜たちはCGで制作されることになったのだ。 これは“映画史”に於ける、大いなる“事件”だった。VFXに於いて長年主流を占めていた、“オプティカル=フィルムの光学合成”が“エレクトロニクス”に、“アナログ”が“デジタル”に、劇的に置き換えられる瞬間が訪れたのだ。 “ゴーモーション”の匠フィル・ティペットも、“失業”を覚悟せざるを得なかった。しかしCGで作った恐竜の動きは、正確ながらも、まだロボットのような感じが残っていた。 そこでティペットは、“恐竜スーパーヴァイザー”として、本作の特撮スタッフに残留となった。具体的には、恐竜の動きを“ゴーモーション”さながらに、1コマずつコンピュータに入力するシステムを開発。恐竜全体の監修と同時に、CGスタッフたちにその動きを教えるという、大きな役割を果した。 こうした“恐竜”の制作が佳境に入っていく中、スピルバーグを訪ねてきた男が居た。レイ・ハリー・ハウゼン、“ゴーモーション”に先駆ける技術“ストップ・モーション”を駆使して、スクリーン上の恐竜やモンスターに命を吹き込んだ天才。フィル・ティペットも“師”と仰ぐ、偉大な存在だった。 スピルバーグにとってもハウゼンは、憧れの人。彼が“恐竜映画”を撮りたいと考えたのも、『シンドバッド』シリーズ(58~77)や『アルゴ探検隊の大冒険』(63)、『恐竜百万年』(66)などの作品で、ハウゼンの特撮に触れたことが、大きなきっかけだった。 スピルバーグは、CGで作った恐竜の試作映像をハウゼンに見せた。ハウゼンは驚嘆し、そして言った。「なんと。君の未来があるじゃないか。これが映画の未来なんだな」 実際に『ジュラシック・パーク』に登場するCGショットは7分足らず。しかしミューレン以下50人のスタッフが、1,500万㌦に相当する機材を駆使しても、18カ月を要した。 俳優が演じる実写パートは、本作の準備が始まってから2年以上が経った、92年8月24日にクランク・イン。ハワイのカウアイ島を、コスタリカの孤島に見立て、3週間のロケ撮影が行われた。 ロケの最終盤でハリケーンに直撃されるというトラブルはあったものの、その後アメリカ本土でのロケや、ユニヴァーサルやワーナーのスタジオを使っての撮影など順調に進み、予定した4カ月よりも、12日間も早く撮影を終えた。 撮影中に、“天才の強運”を感じさせる“新発見”もあった。ユタでヴェロキラプトルの新たな化石が発掘されたのだ。 それまでラプトルは、人間よりは小さなサイズと考えられていた。しかしスピルバーグは、『ジュラシック・パーク』に1.8㍍のラプトルの登場を構想していた。 そんなタイミングで見つかった化石は、まるでスピルバーグの願いが届いたかのような代物。それまでの通説の倍の大きさで、僅かながらだが、人間よりも大きかったのだ。 スピルバーグは自信を持って、スクリーンに望んだサイズのラプトルを躍らせることが可能になった。 ポスト・プロダクションに入って、実写部分だけで、まだ特殊撮影が合成されていない状態のラフな編集の段階で、スピルバーグは一旦、『ジュラシック・パーク』から離脱せざるを得なくなった。ユダヤ系アメリカ人のスピルバーグにとっては、『ジュラシック・パーク』とは違った意味で、撮らなければならなかった作品、ナチドイツのホロコーストから1,100人のユダヤ人を救った実在の人物を描く、『シンドラーのリスト』の撮影のため、ポーランドへ向かわねばならなくなったからである。 しかしスピルバーグのチェックを経ずに、『ジュラシック・パーク』は完成しない。特殊効果とCGが加工された段階で、映像は通信衛星を使って、ポーランドへと送信。スピルバーグは、日中は『シンドラーのリスト』を撮影し、夜は『ジュラシック・パーク』の編集を行うという“荒業”で、両作を完成させたのである。『ジュラシック・パーク』は、当初5,600万㌦だった予算が、6,500万㌦にまで膨らんだ。しかし93年6月に公開されると、大ヒットを記録。全世界での興行収入は9億1,200万ドルを超え、当時の最高記録を更新した。 私は今でも鮮明に覚えている。その夏、今はなき新宿プラザ劇場の大スクリーンに出現した、“本物”の恐竜の動きと咆哮に、心底吃驚させられたことを。そして“天才”スピルバーグが起こした“革命”を目の当たりにした、幸せを嚙み締めたのである。「第66回アカデミー賞」で本作は、音響編集賞、録音賞、そして視覚効果賞の3部門を受賞。視覚効果賞は、スタン・ウィンストン、デニス・ミューレンらと共に、フィル・ティペットにも贈られた。 同じ回のアカデミー賞で、作品賞をはじめ7部門を受賞したのは、『シンドラーのリスト』。長年アカデミー賞と縁がなかったスピルバーグの手に、初めて監督賞のオスカー像が渡された。 まったくベクトルが違う、『ジュラシック・パーク』『シンドラーのリスト』の両作を同じ年に公開し、合わせて10個のアカデミー賞を獲得。紛れもない、“世界一の大監督”の偉業であった。■ 『ジュラシック・パーク』© 1993 UNIVERSAL CITY STUDIOS, INC. AND AMBLIN ENTERTAINMENT, INC. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
恐怖の報酬(1953)【4Kレストア版】
大量のニトログリセリンを車で運ぶ危険な道中に手に汗握る!カンヌ映画祭グランプリ受賞の傑作サスペンス
仕事にあぶれた移民たちが少しの揺れでも爆発するニトログリセリンを運ぶ危険な任務を、ただならぬ緊張感で描き出す。カンヌ国際映画祭グランプリと男優賞(シャルル・ヴァネル)、ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。
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COLUMN/コラム2025.01.10
『クイック&デッド』西部劇とシャロン・ストーンの組合せで、生まれ出たものとは!?
「彼女には何度も感謝した。実際に何か贈り物を送ったかどうかは覚えてないけど、とにかく、いくら感謝しても仕切れない」 一昨年=2023年の11月、アメリカの芸能番組に出演したレオナルド・ディカプリオが、語った言葉である。ディカプリオが深い感謝を捧げた“彼女”とは、シャロン・ストーン。 1958年生まれ、60代も半ばとなったストーンに、ディカプリオはどんな恩義があるのか?話は30年ほど前に遡る…。 1990年代前半のハリウッドには、時ならぬ“西部劇”のブームが起こっていた。 口火を切ったのは、『ダンス・ウィズ・ウルブス』(90)。製作・監督・主演を務めたケヴィン・コスナーには、アカデミー賞の作品賞と監督賞がもたらされた。 その2年後には、クリント・イーストウッドの“最後の西部劇”『許されざる者』(92)が登場。コスナーと同様、イーストウッドも、作品賞と監督賞のオスカーを掌中に収めた。 いずれも大ヒットを記録した、この2本に触発され、続々とウエスタンが製作・公開された。『ラスト・オブ・モヒカン』(92)『ジェロニモ』(93)『黒豹のバラード』(93)『トゥームストーン』(93)『マーヴェリック』(94)『バッド・ガールズ』(94)『ワイアット・アープ』(94)…。『クイック&デッド』(95)も、そんな流れの中で企画され、リリースされた1本である。その製作陣は、ブームに乗るに当たってもう一つ、“旬”の要素を付け加えた。 それは主演に、シャロン・ストーンを迎えることだった! 1980年にデビューしたストーンの20代は、B級アクションの添え物的な役柄ばかり。キャリア的には、燻っていた。しかし90年代を迎え、30代前半となった彼女に、ブレイクの時が訪れる。 アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSF超大作『トータル・リコール』(90)に出演後、同作のポール・ヴァーホーヴェン監督に再び起用されたサイコサスペンス、『氷の微笑』(92)である。この作品で彼女が演じたのは、ヒロインにして猟奇殺人の容疑者キャサリン・トラメル。 世間の耳目を攫ったのは、キャサリンが警察の取り調べを受けるシーン。タイトスカートでノーパンという装いで椅子に座る彼女が、足を組み替える際に、「ヘアが映る」「股間が見える」と、センセーションを巻き起こしたのである。『氷の微笑』は、こうしたシーンに代表される、扇情的な性描写が大きな話題となって、メガヒットを記録。以降のストーンは主演作が相次ぎ、客が呼べる存在となっていった。『クイック&デッド』の製作陣は、そんな彼女に主演をオファーするに当たって、 “共同プロデューサー”という地位も与えた。 ***** 19世紀後半の西部の街。カウボーイハットにロングコートの女ガンマン、エレン(演;シャロン・ストーン)が馬に乗って現れる。 彼女の目的は、 “早撃ちトーナメント”に出場すること。主宰するのはこの街の支配者で、悪名高きへロッド(演;ジーン・ハックマン)だった。一癖も二癖もあるガンマンたちが集結する中、へロッドは自らもトーナメントに出場することを、宣言。彼の狙いは、自分の命を狙う者たちを、この機会に一掃することだった。 かつてはへロッドの仲間だったが、改心して牧師になったコート(演;ラッセル・クロウ)も、教会を焼き打ちされ、トーナメントに無理矢理参加させられることになる。 酔いに任せ、やはりトーナメントに出る若者キッド(演;レオナルド・ディカプリオ)とベッドを共にしたエレン。彼がへロッドの息子だと聞いて、愕然とする。 エレンの真の目的は、“復讐”。そのターゲットは、彼女の幼き日に、眼前で父を惨殺した、へロッドだった。 トーナメントが、遂にスタートする。次々と行われるガンファイトを順当に勝ち進んでいくのは、エレン、コート、キッド、そしてへロッドの4人。 最後まで生き残るのは!?果してエレンは、積年の恨みを晴らすことができるのか!? ***** 『クイック&デッド』は直訳すれば、「早撃ちと死体」。即ち「早撃ちだけが生き残る」といった意味合いである。 そのタイトルロールとも言うべき、女ガンマンを演じることとなったストーンは、撮影前、早撃ちの世界チャンピオンから銃のコーチを、マン・ツー・マンで受けた。泥にまみれた衣装に身を包んだ彼女が、どんなガン裁きを見せるかは、実際にその目で確かめて欲しい。 先に記した通り、本作のストーンは、主演であると同時に、共同プロデューサー。こうしたケースでは、プロデューサーとは「名ばかり」の、お飾りであるケースが少なくない。 しかし、ストーンは違っていた。まずは、本作のキャスティング。共演者選びには、彼女の意向が強く反映されている。 キッド役は、数人の若手俳優がオーディションを受けた。その中でストーンが選んだのが、レオナルド・ディカプリオだった。『ギルバート・グレイブ』(93)で、二十歳を前にしてアカデミー賞助演男優賞の候補になったディカプリオは、“若き天才”と謳われた。しかし本作のキャスティング作業が行われたのは、そうした評価がされる前。映画会社は彼のことを、「無名の存在」と切って捨てようとした。 ストーンはディカプリオの起用にこだわった。そして遂には自腹を切って、彼へのギャラを払うことに決めた。冒頭で紹介した、ディカプリオが「いくら感謝しても仕切れない」という発言は、この時の経緯に対してである。 コート役に、ラッセル・クロウを当てたのも、ストーンだった。当時のクロウは、オーストラリアを代表する演技派スターではあったが、アメリカではまったく知られていなかった。 ストーンはそんな彼のスケジュールを鑑みて、オーストラリアから移動して来られる時間を稼ぐために、映画の撮影を2週間ほど遅らせるように、映画会社と折衝した。後にはオスカー俳優となる、クロウのハリウッドデビューは、こうして実現したのである。 共演者だけではない。実は監督のサム・ライミも、ストーンの指名だった。当時のライミは、『死霊のはらわた』シリーズなど、B級ならぬZ級ホラーの作り手というイメージがまだまだ強く、映画会社の拒否反応が強かった。 しかし『死霊の…』シリーズ第3弾にして、彼の前作である『キャプテン・スーパーマーケット』(93)の大ファンだったストーンが、必死に交渉。ライミを監督に据えることにも、成功した。 ライミと言えば、残酷描写と時には悪ふざけにも映るユーモアをあわせ持った演出が、特徴。変幻自在で、トリッキーなカメラワークを駆使することでも知られる。 そんな彼は本作に関して、「ジョン・フォードよりもセルジオ・レオーネに負うところが多い」と発言。つまり、ハリウッド流の正統派ウエスタンよりも、60年代半ばから70年代初頭に掛けて、イタリアをベースに数百本が製作された、“マカロニ・ウエスタン”のタッチを目指したことを、明らかにしている。 歴史観やストーリーの整合性などは無視あるいは軽視し、主人公が必ずしも正義の味方などではなく、悪党であることも少なくない…。とにかく娯楽優先で、残虐描写なども厭わない。そんな“マカロニ・ウエスタン”を、西部劇の本国アメリカで再現しようとしたわけだ。 舞台となる西部の街に存在するのは、“マカロニ・ウエスタン”に必携な、酒場、賭博場、売春宿に鉄砲店、そして棺桶屋。本来なければおかしい、学校、銀行、金物屋などは、ストーリーと無関係のため、敢えてセットを組まなかった。 衣裳は、わざわざローマのスタジオから取り寄せられた。それらは“マカロニ・ウエスタン”全盛期に、スクリーンを彩ったアイテム。 アラン・シルヴェストリの音楽は、ギターにトランペットを重ね、もろに“マカロニ”風味に仕上げられた。 そうした環境を整えた中でのライミ演出は、銃を抜く寸前に、ガンマンたちの極端なまでのアップを何度も入れたり、銃弾が頭部や身体に当たると、“風穴”をぶち開けたりといった、“マカロニ”風味を、正しく自分のものにしている。クライマックスのガンファイトで、ダイナマイトが街の至る所で炸裂するに至っては、拍手喝采である。 映画マニアで知られるサム・ライミのことだから、さぞかし“マカロニ・ウエスタン”の大ファンで、そうした嗜好をスクリーンに反映させたのだろう。…と思いきや、実はそうではなかった。 1993年に“マカロニ・ウエスタン研究家”のセルジオ石黒氏が、ある取材のためにアメリカのユニヴァーサル撮影所に行ったところ、偶然ライミ監督に会ったという。 彼が西部劇、つまり本作を準備中と聞いたセルジオ氏が、「もちろんマカロニ・ウエスタンは好きなんですよね?」と問うたところ、「あまり詳しくはないんだ。クリント・イーストウッドが出てるセルジオ・レオーネの映画は観たけど」との返答。ライミはレオーネ監督作でも、『ウエスタン』(68)などは未見だった。 そこでセルジオ氏は帰国後、面白い“マカロニ・ウエスタン”のビデオを適宜見つくろって、ライミ監督宛に送付。至極感謝されたという。 このエピソードは、ライミ監督が元々は「ホラーは苦手」だったという逸話を思い出させる。仲間から「世に出るなら、低予算のホラーだ」と説き伏せられたことから、苦手を克服して、様々なホラー作品を研究。遂には“エポック・メーキング”と言える、『死霊のはらわた』(81)を生み出したのは、あまりにも有名である。 本作『クイック&デッド』を撮るに当たっても恐らく、その時と同様の研究を行ったのであろう。その上で、93年後半から94年はじめに掛けて、アリゾナ州のオールド・ツーソン・スタジオで行われた、本作の撮影に臨んだのだ。 本作は残念ながら、ストーンのキャラクターが、“マカロニ”にしては、善良且つ生真面目すぎるという、欠点がある。ストーンは『氷の微笑』での当たり役“悪女”キャラから、少しでも離れようとしたのかも知れない。しかし、かつてクリント・イーストウッドがレオーネの“ドル箱3部作”で演じた“名無しの男”のように、もっと正体不明の冷淡なキャラにした方が、よりストーンの個性にマッチした上、“マカロニ”っぽくなったのは、間違いない。 そんなことも災いしてか?『クイック&デッド』は、製作費3,500万㌦に対して、アメリカ本国では、1,800万㌦の興行収入に止まった。つまり製作費を、ペイできなかったのである。 ただそんな数字以上に、本作はディカプリオにラッセル・クロウ、そしてサム・ライミという、この後にハリウッドをリードしていく“才能”を、シャロン・ストーンが推したという事実が、素晴らしく光る作品である。 特にライミの場合、本作=西部劇を監督したことがきっかけで、クライム・サスペンスの『シンプル・プラン』(98)、スポーツ映画の『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』(99)、スリラーの『ギフト』(2000)と、様々なジャンルの作品を手掛けるようになった。そして、ただのホラー監督ではない、クライアントのオファーに応えられる職人監督と、高く評価されるようになっていく。 このことが後には、ライミ長年の念願だった、巨額の製作費を投じたアメコミ映画、トビー・マグワイア版の『スパイダーマン』シリーズ(2002~07)の実現へと、繋がっていくのである。 そんなことを考えながら、シャロン・ストーンに見出された、これからステップアップしていく、若き映画人たちの跳梁を愛でるのも、製作・公開からちょうど30年経った、本作の楽しみ方の一つと言えるかも知れない。■ 『クイック&デッド』© 1995 TriStar / JSB Productions, Inc. All Rights Reserved.