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高度1万メートルの密室で娘が行方不明に!母親の孤軍奮闘を描くジョディ・フォスター主演の緊迫サスペンス
『RED/レッド』のロベルト・シュヴェンケ監督が手がけたサスペンス。飛行機という密室で行方不明になり、存在すら消された娘を探す母親の孤軍奮闘を、ジョディ・フォスターの迫真の演技でミステリアスに魅せる。
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COLUMN/コラム2024.08.02
パレスチナ問題も見え隠れする’80年代の大型ミリタリー・アクション!『デルタ・フォース』
大作主義へ移行した’80年代半ばのキャノン・フィルムズ ‘80年代のハリウッドを席巻した独立系映画会社キャノン・フィルムズ。チャック・ノリスやチャールズ・ブロンソン主演のアクション映画を筆頭に、ホラーからミュージカル、コメディからエロスまで幅広いジャンルのB級娯楽映画を大量生産し、特に若年層の映画ファンから熱狂的に支持された会社だ。最盛期の製作本数はなんと年間30~40本にも上り、ハリウッドの各メジャー・スタジオを遥かに凌ぐほどの興行収入を記録。世界中の劇場チェーンやビデオメーカーも買収し、さながらハリウッド黄金期の如きスタジオ・システムを作り上げたのである。 その一方で、ジャン=リュック・ゴダールやフランコ・ゼフィレッリ、ロバート・アルトマンにジョン・カサヴェテスなど、国内外の巨匠・名匠たちのアート映画も積極的にプロデュースするなど、キャノンの作品ラインナップは極めてユニークかつバラエティ豊かだった。中でも、アメリカへ移住してから何年も仕事のなかったロシアの名匠アンドレイ・コンチャロフスキーに、ハリウッド・デビューのチャンスを与えた功績は高く評価されるべきだろう。もちろん、カサヴェテスの『ラブ・ストリームス』(’84)やバーベット・シュローダーの『バーフライ』(’87)など、大手スタジオであれば間違いなく却下されたであろう地味なアート映画に金を出したのも偉い。しかも、これらの作品をB級娯楽映画と抱き合わせで、つまりチャック・ノリスやチャールズ・ブロンソンの映画が欲しければ、カサヴェテスやアルトマンの映画も一緒に買わないと売りませんよ~という戦略で、一般受けしづらいアート映画を世界中に売り捌いたというのだから見上げたものである。 こうして力を付けて行ったキャノンは、’80年代半ばから徐々に大作主義へと移行。トビー・フーパー監督のSFホラー『スペース・バンパイア』(’85)にロマン・ポランスキー監督の海賊映画『ポランスキーのパイレーツ』(’86)、シルヴェスター・スタローン主演の刑事アクション『コブラ』(’86)などなど、予算に超シビアなキャノンらしからぬ潤沢な製作費を投じた大作映画を立て続けに製作していく。そんなキャノン・フィルムズ版ブロックバスター映画を象徴するヒット作のひとつが、オールスター・キャストの大型ミリタリー・アクション『デルタ・フォース』(’86)だ。 物語の始まりは1980年。中東イラクのテヘランへ派遣された米陸軍の対テロ特殊部隊デルタ・フォースは、真夜中の人質救出作戦に失敗して撤退することに。逃げ遅れた仲間を命がけで救ったスコット・マッコイ大尉(チャック・ノリス)は、明らかに無茶な作戦を強行させた軍上層部や政治家に嫌気がさし、上司のアレクサンダー大佐(リー・マーヴィン)に辞意を伝える。 それから5年後。アテネの空港を出発したニューヨーク行きの旅客機、アメリカン・トラベル・ウェイ(ATW)202便が2人組のアラブ人テロリストにハイジャックされる。イスラム過激派のリーダーである主犯格のアブドゥル(ロバート・フォースター)は、コクピットのキャンベル機長(ボー・スヴェンソン)にベイルートへ航路を変更するよう指示し、さらにフライト・パーサーのイングリッド(ハンナ・シグラ)に命じて乗客全員のパスポートを没収。その目的は乗客の中からユダヤ人を隔離してベイルートのアジトへ連行し、アメリカ政府を脅迫するための人質にすることだった。まるでナチスによるホロコーストの再現。ドイツ人であるイングリッドは猛反発するが、テロリストたちに従うしか選択肢はなかった。 一方、キャンベル機長がとっさの機転で発信したハイジャック信号をアテネの管制塔がキャッチし、アメリカ大使館を通じてホワイトハウスへ連絡が行く。報告を受けたペンタゴンのウェドブリッジ将軍(ロバート・ヴォーン)はデルタ・フォースを招集するようアレクサンダー大佐に指示。ニュースで事態を知ったマッコイも駆けつけ、少佐に昇進してデルタ・フォースへの復帰を果たす。ATW202便がベイルートを経由してアルジェリアへ向かったことから、デルタ・フォースもすぐさま現地へ急行。女性の乗員乗客全員が解放されたタイミングを見計らって、機内に残った2人のテロリストを急襲する手はずだったが、しかしイングリッドからユダヤ人男性たちがベイルートで降りたことを聞いて中止。作戦変更を迫られたマッコイらは、イスラエル軍の協力を得てテロ組織のアジトを突き止め、人質となったユダヤ人たちを救出せんとする…。 実在の事件を題材にして当時のアメリカ社会の世相を反映 監督はキャノン・フィルムズを含むグループ企業「キャノン・グループ」の総裁でもあったメナハム・ゴーラン。もともと母国イスラエルで’60年代から活躍していたゴーランは、地元の映画賞はもとより米国のアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞の外国語映画賞も席巻して「イスラエルのクロサワ」と呼ばれた大物映画監督であり、日本でも大ヒットした性春コメディ『グローイング・アップ』(’78)シリーズなどを製作したイスラエル屈指の映画プロデューサーでもあった。そんな彼が従弟ヨーラム・グローバスと一緒にハリウッドでの成功を夢見て渡米し、倒産寸前の弱小映画会社キャノン・フィルムズを破格値で買収したのが’79年のこと。当初はなかなかヒットに恵まれなかったゴーラン&グローバスだが、しかしチャールズ・ブロンソンが主演した『狼よさらば』(’74)の続編『ロサンゼルス』(’82)が予算800万ドルに対して世界興収4000万ドルを記録。その後も、たったの3週間で撮りあげた『ブレイクダンス』(’84)が予算120万ドルで興行収入3800万ドル、チャック・ノリス主演の『地獄のヒーロー』(’84)が予算150万ドルで興行収入2600万ドルと大成功を収める。ブロンソンとノリスはキャノンの看板スターとなったわけだが、実はもともと本作はこの2人の夢の初共演として用意された企画だったという。 企画の発案者は当時キャノンの専属脚本家だったジェームズ・ブラナー。軍隊出身のブラナーは引退後に映画界を目指し、初めて書いた脚本を知人の紹介でチャック・ノリスに持ち込んだところ、それが『香港コネクション』(’81)として映画化されスマッシュヒットとなる。これで脚本のオファーが次々舞い込むと考えたブラナーだったが、しかし現実はそう甘くなく、それっきり映画の仕事は途絶えてしまった。その後、彼は『香港コネクション』のスタントマンに紹介された女性と結婚。この奥さんがノリスと親しかったらしく、彼女を介して久しぶりに依頼された仕事が『地獄のヒーロー』の脚本だった。 で、この『地獄のヒーロー』にテクニカル・アドバイザーとして参加していた元陸軍大尉ジム・モナハンが、実はデルタ・フォース創設時の訓練教官のひとりだったという。現在でも陸軍は公式に存在を認めていないデルタ・フォース。当時は一部の軍関係者しか存在を知らなかった。『地獄のヒーロー』の撮影現場でモナハンからデルタ・フォースに関する情報や逸話を聞いたブラナーは、これは映画の題材にもってこいだと考えて社長のメナハム・ゴーランに提案。当初は全く関心を示さなかったゴーランだが、しかし『地獄のコマンド』(’85)の撮影完了後に次回作としてゴーサインを出す。もちろん、最大の売りはチャック・ノリスとチャールズ・ブロンソンの初共演だ。すると、ちょうどその頃に中東で旅客機のハイジャック事件が発生。機を見るに敏なゴーランは、この事件を映画のストーリーに組み込むよう指示。そこでブルナーは、テレビや新聞のニュース報道をリアルタイムで追いかけながら脚本を書き進めた。 そう、本作にはモデルとなった実在の事件があるのだ。それが、’85年6月14日に起きた旅客機トランス・ワールド・アメリカ(TWA)847便のハイジャックテロ事件。アテネ発サンディエゴ行きのTWA847便がパレスチナ人のイスラム過激派テロリスト2名にハイジャックされたのである。犯人たちはイスラエルに囚われたシーア派活動家766名の解放などを要求。映画ではハッキリと言及されているわけではないが、アブドゥルと一緒にハイジャックを決行したムスタファはパレスチナ人と思われる。ユダヤ人だけが他の乗客と隔離されたり、たまたま乗り合わせた米海軍のダイバーが射殺されて滑走路へ投げ捨てられたり、中継地点(劇中ではベイルートだが実際の事件ではアルジェ)で武装した仲間のテロリストたちが乗り込んできたり、機長がコクピットでテロリストに銃を突き付けられながら記者会見に応じたりと、映画では実際の出来事をニュース映像やニュース写真を参考にしながら忠実に再現している。 ただし、終盤のデルタ・フォースによるテロ組織への総攻撃は完全なるフィクション。これは脚本の執筆中に実際の事件が解決しなかったからということもあるが、そもそも本作はデルタ・フォースの活躍を描くことが企画のベースであるし、なによりもこういうアクション・エンターテインメントには正義が悪を滅ぼしてメデタシメデタシのクライマックスが相応しい。それに、たとえ事件を最後まで見届けたうえで脚本に取り入れたとしても、恐らく映画としては全く面白味のないものになっていただろう。なにしろ、実際はギリシャやイスラエルなど各国の交渉によって乗客は段階的に解放され、テロリストの要求通りに766名のシーア派活動家たちも釈放され、犯人たちは罪に問われることなく事件の幕は下りたのだから。 いずれにせよ、当時のレーガン政権下におけるアメリカ社会の世相を考えても、本作の勧善懲悪なフィナーレは妥当と言えよう。「アメリカを再び偉大な国に!(Make America Great Again)」を合言葉に第40代米国大統領に当選したロナルド・レーガン大統領。前任者であるカーター大統領の平和外交を弱腰と非難した当時の米国民は、軍事予算を増やしてアメリカの軍備を強化し、中東でも南米でもアメリカに盾突く勢力は力でねじ伏せ、諸外国の事情など意に介さないという、レーガン大統領による自国中心主義の強気な外交を支持していた。本作はもちろんのこと、『ランボー/怒りの脱出』(’85)も『地獄のヒーロー』もそんな時代の産物と言えよう。 ちなみに、そのカーター大統領の支持率が急落する原因となり、後にレーガン政権が誕生するきっかけになったとされるのが、本作のオープニングの元ネタになった「イーグルクロー作戦」。’80年4月24日にイランで決行されたデルタ・フォースによる人質救出作戦だ。前年にイランのテヘランでアメリカ大使館人質事件が発生。軍事的手段を行使しないことを批判されたカーター大統領は、デルタ・フォースを含む米軍を総動員して「イーグルクロー作戦」と命名した人質救出作戦を行うのだが、これが見事に失敗してしまう。なので、いわばデルタ・フォースが過去の汚名を挽回する本作のクライマックスは、ある種の歴史修正主義的な側面があると言えよう。つまり、現実の世界でアメリカが受けた恥辱を、映画の中で晴らしたのである。なるほど、劇場公開時のアメリカで、「ナショナル・リベンジ・ファンタジー」と揶揄されたわけだ。 テロリストの描写に秘められたゴーラン監督のパレスチナへの想い こうして、実際に起きたハイジャックテロ事件をストーリーに取り入れることとなった本作。当初は『地獄のヒーロー』と『地獄のコマンド』でもチャック・ノリスと組んだジョセフ・ジトーが監督する予定だったが、ここへきて社長のメナハム・ゴーランが俄然やる気を出してしまう。というのも、かつてアカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた『サンダーボルト救出作戦』(’77)という、’76年に起きたエンテベ空港ハイジャック事件を題材にした類似映画を撮ったことのあるゴーランは、この手の実録ミリタリー・アクションが大好きだったのである。中盤までの荒唐無稽を排したシリアスなドキュメンタリータッチの演出はさすがの腕前。改めて見直して意外に思うのは、パレスチナ人のテロリストを極めて同情的に描いていることであろう。自身がパレスチナで生まれ育ったゴーラン監督は、アラブ人を冷酷非情な悪魔として描くことに強い抵抗があったらしい。’14年に85歳で亡くなったゴーランだが、もし彼が今も生きていたとしたら、現在のパレスチナで起きているイスラエル軍によるジェノサイドをどう考えるだろうか。当時とは違った見方の出来る映画でもある。それだけに、終盤へ差し掛かって突然、愛国ヒロイズムと米軍プロパガンダを全面に押し出したマンガ的な荒唐無稽アクションに方向転換してしまったのは残念だが、しかし当時の世相や観客受けを考えれば妥当な決断だったとも言えよう。 先述した通り、当初はチャック・ノリスとチャールズ・ブロンソンの初共演となるはずで、2人の写真を使った広告まで業界誌に出していたが、しかしブロンソンはスケジュールの都合がつかずに降板。代わりにアカデミー賞主演男優賞に輝くタフガイ俳優リー・マーヴィンが、代表作『特攻大作戦』(’67)を彷彿とさせるアレクサンダー大佐を演じている。脇を固める名優たちも、ジョージ・ケネディにシェリー・ウィンタース、ロバート・ヴォーンにロバート・フォースターなど、’70年代に流行ったオールスター・キャストのディザスター映画に出ていた顔触れ。そのほか、シナトラ一派のジョーイ・ビショップに’50年代の清純派アイドル女優スーザン・ストラスバーグ、『サイコ』(’60)や『ティファニーで朝食を』(’61)のマーティン・バルサムなど、全体的に古き良きハリウッド映画へのノスタルジーを感じるようなキャスティングだ。同時代のスターと呼べるのは、当時ドイツを代表するトップ女優だった客室乗務員イングリッド役のハンナ・シグラと、青春映画スターとして頭角を現していた若き尼僧メアリー役のキム・デラニーくらいか。なお、マッコイの右腕的な黒人隊員ボビー役のスティーヴ・ジェームズは、『アメリカン忍者』(’85)シリーズや『地獄の遊戯』(’86)でも主人公の相棒を演じたキャノン御用達の黒人スターだった。 日本での劇場公開版は118分、全米公開のオリジナル全長版は約130分の本作だが、実は最初に出来上がったバージョンは4時間近くもあったらしい。実際の事件で一躍英雄となった客室乗務員ウーリ・デリックソンをモデルにしたイングリッドのエピソードなど、乗員乗客を深掘りした人間ドラマが詳細に描かれていたようだが、さすがに長すぎるためバッサリとカットされてしまった。最終的にかかった製作費は900万ドルと意外に控えめだが、しかしアメリカ国内だけで1800万ドル近い興行収入を記録。おのずとシリーズ化されて『デルタフォース2』(’90)に『デルタフォース3』(’91)も作られる。キャノンの大作主義もますます加速。しかし、翌年のスタローン主演作『オーバー・ザ・トップ』(’87)とアメコミ・ヒーロー映画『スーパーマンⅣ/最強の敵』(’87)がコケてしまい、栄華を極めたキャノン・フィルムズの黄金時代はほどなくして終焉を迎えるのだった。■ 『デルタ・フォース』© 1986 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)TAXi(4)
改造タクシー車プジョー406がモナコを駆け抜ける!最強の凶悪犯を追う人気カーアクション第4弾
プジョー406がシリーズ最高時速の312.8kmまでバージョンアップ。モナコを爆走する超絶カーアクションで手に汗握らせる一方、お騒がせ署長ジベールの暴走がエスカレートしユーモアでも楽しませる。
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COLUMN/コラム2024.08.02
若き天才デイミアン・チャゼルが、『ラ・ラ・ランド』で成し遂げたこと
1985年生まれの、デイミアン・チャゼル。ハイスクール時代はミュージシャンを目指してジャズを学ぶが、ハーバード大学に進む頃には、幼き日の夢だった映画監督への想いが甦る。チャゼルは貪るように古今東西の映画を観まくったというが、そんな中でも、“ミュージカル映画”に夢中になった。 本作『ラ・ラ・ランド』(2016)のアイディアが浮かんだのは、ハーバード在学中。チャゼルは学友で、その後共に歩むことになる、作曲家ジャスティン・ハーウィッツと、ストーリーを練り始めた。 そのハーウィッツと共に、ハーバードの卒業製作として作り上げたのは、16mmフィルムで撮影した、全編モノクロのミュージカル『Guy and Madeline on a Park Bench』(2009)。ジャズに執心する主人公Guyのキャラクターは、チャゼルのその後の作品にも、引き継がれていく。 この卒業製作が評判となり、小規模ながら劇場公開に至った。ちょうどその頃、2010年にチャゼルは、『ラ・ラ・ランド』の脚本初稿を書き上げる。 プロデューサーを雇っての売込みに、『ラ・ラ・ランド』に興味を持つ製作会社が現れた。しかし、主人公が愛する音楽をジャズでなくてロックに変更することや、オープニングの曲の差し替え等を求められたため、プロジェクトは頓挫する。 チャゼルは、方針を転換。商業映画デビュー作としては、『ラ・ラ・ランド』よりは低予算でイケる、『セッション』(14)に、取り組むことにした。 ハイスクール時代の自身の経験も多く盛り込んだという『セッション』は、名門音楽学校に入学した若きドラマーと伝説の鬼教師の攻防を、息も突かせぬド迫力で描いた作品。 330万ドルの製作費に対し、世界中で5,000万ドルの興行収入を上げ、またその年度のアカデミー賞で、5部門にノミネートされた。結果として、作品賞及びチャゼルがノミネートされた脚色賞は逃したものの、鬼教師を演じたJ・K・シモンズに助演男優賞、更に編集賞、録音賞の計3部門での受賞となった。『セッション』をリリースした際、まだ30歳になる前だったチャゼルは、「若き天才」との呼称を恣にする。ここに、『ラ・ラ・ランド』映画化の機は熟した。製作会社のライオンズゲートに提案すると、製作費3,000万㌦を掛けて、チャゼルが思い描いた通りの内容で撮れることになったのだ。 当初主役のカップルには、エマ・ワトソンと、『セッション』の主演だったマイルズ・テイラーの名が挙がった。しかしワトソンは、ディズニーの実写版『美女と野獣』(17)ヒロインのオファーを選ぶ。そしてテイラーとの交渉も不調に終わったため、新たなキャスティングが進められることとなった。決まったのは、同じエマでも、エマ・ストーン、そしてライアン・ゴズリングである。 ***** クリスマスが近くても暑い、冬のロサンゼルス。 女優になる夢を叶えるためこの街に来たミア(演:エマ・ストーン)は、映画スタジオ内のコーヒーショップに勤めながら、様々なオーディションを受ける日々。 ある日、ピアノの音色に誘われて足を踏み入れたレストランで、その奏者に感動を伝えようとする。しかし当のピアニスト、セブことセバスチャン(演:ライアン・ゴズリング)は、店長の指示に従わず、勝手な曲を演奏したため、その場でクビに。セブは近寄ってきたミアを無視し、店外へと消えた…。 春が訪れ、ミアとセブは再会。偶然の出会いが続き、2人は言葉を交わすようになる。「時代遅れ」と揶揄されるようなジャズをこよなく愛するセブの夢は、いつか好きな曲を好きなだけ演奏する、自分の店を持つこと。お互いの夢を熱く語り合う内に、2人は惹かれ合い、やがて結ばれる。 夏が来る頃には、ミアとセブは同棲。互いの夢を支え合い、幸せの絶頂にいた。 生活のための術が必要と考えたセブは、かつての音楽仲間が組んだバンドに、キーボード奏者として参加。その楽曲は、セブが愛するフリージャズとはかけ離れており、ライヴに出向いたミアは、戸惑いを覚える。 しかしバンドは大人気となり、セブはツアーやレコーディングで多忙に。2人は、会えない時間が多くなる…。 秋。ツアーを抜け出して、ミアにサプライズを仕掛けたセブ。しかしミアのちょっとした一言から、大喧嘩となってしまう。 そんな折り、ミアがセブの勧めで書き上げたひとり芝居が、幕を開ける。しかし客席はガラ空き。公演後には酷評が耳に届く。打ちのめされたミアは、仕事のため公演に間に合わなかったセブに、「何もかも終わり」と告げ、故郷に帰ってしまう。 数日後、ひとり残されたセブの元に、ミアを探す配役事務所から電話が入るが…。 ***** ミア役のエマ・ストーンは、ブロードウェイでミュージカル「キャバレー」に出演。評判になったのを受けてのキャスティングだった。 チャゼルは、セブ役にライアン・ゴズリングを得たことを、本作の「製作の長いプロセスのキーになった」ポイントとして、挙げている。 ストーンとゴズリングの共演は、『ラブ・アゲイン』(11)『L.A. ギャング ストーリー』(13)に続いて、本作で3度目。そのすべてでカップルを演じている2人の相性が、フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース、ハンフリー・ボガート&ローレン・バコール、マーナ・ロイ&ウィリアム・パウエルといった、ハリウッドの伝説のカップルのように、「しっくり合っている」と、チャゼルには感じられたのだ。 撮影前の準備期間、ゴズリングはジャズ・ピアノを、3ヶ月練習。その成果として、本作では全編、本人による演奏が見られる。手元のクローズアップでも、代役は使っていない。 セブが加入するバンドのリーダーを演じた、ミュージシャンのジョン・レジェンドは、ゴズリングのあまりの習得の早さに驚愕。嫉妬すら覚えたという。 ピアノと同時に、ゴズリングはエマ・ストーンと、ダンスの練習にも励んだ。ストーン曰く、2人は売れないアーティストの役なので、圧倒的な歌唱力やダンスといったものは、「求められなかった」という。2人の関係がある意味では未熟に見えることを、チャゼルが望んだが故である。 さて本作のタイトル『ラ・ラ・ランド』は、チャゼルによると、ロサンゼルスを「からかうような感じで呼ぶとき」に使うという。それに加えて、空想にふけるという意味もあり、夢を見るのはすてきなことだというメッセージも籠めたのである。 そんな『ラ・ラ・ランド』は、40日間掛けて、グリフィス天文台から歴史あるジャズクラブまで、ロサンゼルスの各所でロケ撮影が行われた。 チャゼルが愛する、1930年代から50年代に掛けての、アステア&ロジャースやジーン・ケリーが主演したミュージカルは、スタジオにセットを組み、先に歌声を録音した楽曲を流しながら、ダンスシーンを撮った。しかし本作は、ロケ地で演者が歌って踊り、生歌を同時に録音する方式で、撮影が行われた。 しかもすっかりデジタル撮影が主流になっていたこの時代に、フィルムを使用。並大抵の準備では、済まなかった。 オープニングのつかみとなる、ハイウェイの大渋滞を縫っての群舞シーン。警察の協力で、高速道路を封鎖して、ロケが行われた。 驚異のワンカット撮影を、限られた時間で行わなければならないため、スタジオの駐車場に、作り物の分離帯や車を沢山置いて、丁寧にリハーサル。いざ本番は、気温が43度という猛暑の中で行われた。 一発OKとはいかないため、撮影が終わる度にダンサーたちはアシスタントに抱えられて、スタート地点に戻る。そして汗を拭き取り予備の衣装に着替えてから、リテイクに臨んだという。 因みに本作の振り付けを担当したのは、TVのミュージカルドラマ「glee/グリー」で評判をとった、マンディ・ムーア。高速道路のシーンでは、撮影中に写り込んでしまうことを避けるため、車の下に隠れて指示を出したという。 ハリウッドの丘の上で、ストーンとゴズリングが踊るシーンも、現地ロケ。日没直後のマジックアワーを狙ったため、撮影のチャンスは、2日間で30分ほど。そんな中で2人は、長回しのダンスシーンを、繰り返し撮影した。 先に記した、ハリウッド黄金期のミュージカル以上に、チャゼルが影響を受けたのは、実はフレンチ・ミュージカル。ジャック・ドゥミー監督、ミシェル・ルグランが音楽を担当した『シェルブールの雨傘』(1964)こそが最大級の意味で、「僕を成長させてくれた映画」と、語っている。そして当然のように本作でも、オマージュが捧げられている。 その一方でチャゼルが腐心したのは、ノスタルジックや演劇的になり過ぎないようにすること。曰く、「ミュージカルには他のジャンルにない楽しさ、高揚感があるけれど、同時に現実的で正直なストーリーが必要だ。ファンタジーとリアルがね」 ファンタジーとリアル/夢と現実が一体となった、新しいミュージカル映画のスタイルを作り出すための一助となったのが、マーティン・スコセッシ監督のボクシング映画『レイジング・ブル』(80)。この作品では、カメラをボクシングのリング内に持ち込んで、常にボクサーの動きに焦点を合わせる形で、撮影が行われている。スコセッシは、リング上では観客がボクサーの眼を持ち、殴られているのは自分だという意識を持たせるために、この手法を考案した。 これを「表現主義的なカメラワーク」と言うチャゼルは、スコセッシがリングの中にカメラを置いたように、自分はダンスの中にカメラを置きたかったと語っている。 スコセッシ作品からの影響という意味では、『ニューヨーク・ニューヨーク』(77)も忘れてはいけない。この作品でカップルを演じたのは、ライザ・ミネリとロバート・デ・ニーロ。ミネリは無名の俳優からハリウッドの大スターに、デ・ニーロは売れないサックス奏者からジャズ・クラブのオーナーへと成功の道を歩みながら、別れ別れとなっていく。『ラ・ラ・ランド』のミアとセブの軌跡は、『ニューヨーク・ニューヨーク』の2人の歩みと、ほぼほぼカブる。 さて本作『ラ・ラ・ランド』の別れた2人は、ラスト近くになって、5年振りに再会。そこで実際にはそうならなかった、2人が添い遂げる人生が、イメージの中で展開する。 チャゼルが「ただの夢じゃない」と語るこのシーン。たとえ今は別々の人生を送っていても、あの時2人で愛し合った、素晴らしき時間があったからこそ、今の自分たちがある。「あり得た人生」を想うのは、単なる後悔ではなく、希望ともなる…。 『ラ・ラ・ランド』はクランクアップから、編集に1年掛けて完成。まずは2016年秋の「ヴェネチア映画祭」オープニング作品として、大きな話題をさらった。 その後本国アメリカで大ヒットを記録すると同時に、各映画賞で受賞ラッシュとなる。その本命と言うべき、2017年2月に開催されたアカデミー賞では、史上最多タイの14ノミネート。監督賞、主演女優賞など6部門で受賞を果したが、それ以上に前代未聞のアクシデントに巻き込まれたことが、大ニュースとなった。 この年の“作品賞”のプレゼンター、ウォーレン・ベイティが受賞作品の封筒を開け、『ラ・ラ・ランド』と発表を行った。しかし受賞スピーチが始まった直後に、これがスタッフのミスによる封筒取り違えと判明。改めて『ムーンライト』(16)に“作品賞”が与えられるという、大珍事が起きてしまったのだ。 “作品賞”という大魚を逃しながらも、それ以上にインパクトの残る形で、記録や記憶に残った、『ラ・ラ・ランド』。それもまたデイミアン・チャゼル、当時の「若き天才」ぶりに贈られた、勲章のようにも思える。■ 『ラ・ラ・ランド』© 2017 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate.
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PROGRAM/放送作品
I am Sam アイ・アム・サム
父娘の強い絆は誰にも引き裂けない…ビートルズの名曲カバーに乗せて感動的に綴るヒューマンドラマ
知的年齢が7歳のため娘と引き離された父親という難役をショーン・ペンが熱演。さらに娘役ダコタ・ファニングの健気な演技で涙を誘う。有名アーティストによるビートルズ・ナンバーのカバーが物語を情感的に彩る。
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COLUMN/コラム2024.07.31
シュワちゃん人気を不動のものにした’80年代バトル・アクションの快作!『コマンドー』
映画は当たっても2流スター扱いだった当時のシュワルツェネッガー ‘80年代のハリウッドを代表するアクション映画スター、アーノルド・シュワルツェネッガーの人気を決定づけた大ヒット作である。ご存知の通り、世界的なボディビルダーから俳優へと転向したオーストリア出身のシュワルツェネッガー。役者デビューは’70年にまで遡るのだが、しかしその人並外れたマッチョ体型と外国訛りの強い発音、さらには長くて覚えにくい名前がハンデとなってしまい、なかなか良い仕事に恵まれなかった。 大きな転機となったのは有名なファンタジー小説「英雄コナン」シリーズを映画化したヒーロー映画『コナン・ザ・グレート』(’82)。魔法や怪物が存在する太古の昔を舞台にした冒険活劇で、超人的な肉体を持つ英雄コナンはシュワルツェネッガーにしか演じられないハマリ役となる。なにしろ、それまで映画関係者から「気味が悪い」とまで言われたマッチョ体型がここでは存分に活かせるし、そもそも舞台設定が有史以前の世界なので英語のセリフに訛りがあっても不自然ではない。映画自体も世界的な大ヒットを記録し、シュワルツェネッガーは一躍注目の的に。続編『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』(’84)や姉妹編的な『レッドソニア』(’85)にも出演した。 その英雄コナン以上の当たり役となったのが、ジェームズ・キャメロン監督の出世作でもあるSFアクション映画『ターミネーター』(’84)で演じた、未来から現代へと送り込まれた無表情・無感情の殺人サイボーグ「ターミネーター」だ。同作は低予算のB級アクション映画ながらブロックバスター級のメガヒットとなり、これまでに5本の続編映画やテレビのスピンオフ・シリーズなどが誕生、シュワルツェネッガーのキャリアにおいて最大の代表作となったわけだが、しかしそれでもなお、当時のハリウッドにおける彼はまだまだぽっと出のB級映画スター、規格外の体型で原始人やロボットを演じるキワモノ俳優というイメージが強く、次から次へと現れては短命で消えていくアクション映画俳優のひとりと見做されていた。 実際、本作のヒロイン役を20名以上の有名女優にオファーしたものの、その全員からことごとく共演を断られてしまったという。要は2流扱いされていたのである。そんなシュワルツェネッガーが初めて等身大の人間臭いヒーローを演じ、大物シルヴェスター・スタローンの向こうを張るアクション映画スターとしての地位を不動のものにしたヒット作が、いかにも’80年代らしい勧善懲悪のバトル・アクション『コマンドー』(’85)である。 心優しき父親にして最強の殺人マシン、ジョン・メイトリックス! 主人公はアメリカ陸軍特殊作戦コマンドーの指揮官だったジョン・メイトリックス(アーノルド・シュワルツェネッガー)。今は陸軍を引退して大自然に囲まれた山荘で暮らし、愛娘ジェニー(アリッサ・ミラノ)と平凡だが満ち足りた幸福な毎日を送っているメイトリックスだが、そんな彼のもとへ陸軍時代の元上司・カービー将軍(ジェームズ・オルソン)が急遽やって来る。実は、メイトリックスの部隊に所属していた元隊員たちが、何者かによって次々と暗殺されているという。敵はメイトリックスの命も狙っているに違いない。そう警告しに来たカービー将軍は、護衛の兵士を置いて去っていくのだが、その直後に謎の武装集団が山荘を襲撃する。万が一のために備えていた武器で応戦するメイトリックス。しかし護衛の兵士たちは殺され、娘ジェニーも人質として連れ去られてしまう。決死の覚悟で敵を追跡するメイトリックスだが、結局は彼自身も捕らわれの身となってしまった。 敵のアジトへと連れて行かれたメイトリックス。そこで待ち受けていた黒幕は、かつて彼の部隊によって失脚させられた南米バルベルデ共和国の独裁者アリアス(ダン・ヘダヤ)だった。しかも、その一味の中には元部下ベネット(ヴァーノン・ウェルズ)も含まれている。メイトリックスに個人的な恨みを抱いているベネットは、アリアスに10万ドルの報酬で雇われ、己の死を偽装して一味の計画に加担していたのだ。その計画とは、バルベルデで英雄視されているメイトリックスを現地へ送り込み、彼を信頼する現職大統領を暗殺させてアリアスが再び権力へ返り咲くというもの。そのための人質として、娘のジェニーを誘拐したのだ。 協力を拒めば娘の命はない。仕方なく任務を引き受けたメイトリックスだが、しかし同行する監視役を殺してバルベルデ行きの飛行機から秘密裏に脱出する。というのも、任務が成功しても失敗しても敵はジェニーを殺すだろう。ならば相手が油断している隙に隠れ家を突き止め、監禁されているジェニーを救い出すべきだと考えたのである。ただし、飛行機がバルベルデへ到着すれば、こちらの動きもバレてしまう。残された猶予は11時間。それまでにジェニーを救出せねばならない。空港へ戻ったメイトリックスは、手がかりを知る敵の仲間サリー(デヴィッド・パトリック・ケリー)を尾行。たまたま居合わせた航空会社の客室乗務員シンディ(レイ・ドーン・チョン)を無理やり巻き込み、スパイも顔負けの秘密工作と諜報活動を駆使して、アリアス一味の隠れ家へ迫らんとするのだが…? ハードなアクションと軽妙洒脱なユーモアの組み合わせは、さながら古き良きジェームズ・ボンド映画の如し。実際、マーク・L・レスター監督はボンド映画を多分に意識したという。真面目な顔をしてジョークをかますのはシュワルツェネッガーの十八番だが、その原点はまさに本作。後に『ツインズ』(’88)や『キンダーガートン・コップ』(’90)を大成功させたことからも分かるように、コメディのセンスと才能に恵まれているのは、ライバルのシルヴェスター・スタローンにはないシュワルツェネッガーの長所と言えよう。なおかつ、本作では元特殊部隊の屈強な殺人マシンでありながら、心優しい普通の父親の顔も持ち合わせた正義の味方という頼もしいヒーロー像を体現。やがて日本でも「シュワちゃん」と親しみを込めて呼ばれることになる、「気は優しくて力持ち」的なイメージは本作で初めて確立したのではないかと思う。 もともと本作の脚本は、当時まだ無名の新人だったジョセフ・ローブとマシュー・ワイズマンが、ロックバンド「KISS」のジーン・シモンズのために書いたもの。しかし、シモンズ本人から却下されたためにお蔵入りしていたらしい。それを20世紀フォックスの書庫から発掘したのが、『48時間』(’82)シリーズや『リーサル・ウェポン』(’87)シリーズ、『プレデター』(’87)シリーズに『ダイ・ハード』(’88)シリーズなどでお馴染みの大物プロデューサー、ジョエル・シルヴァー。当初からシュワルツェネッガーの主演を念頭に脚本を探していたシルヴァーは、SFでもファンタジーでもない純然たるアクションが良いと考えてチョイスしたそうだが、しかしオリジナル脚本では主人公が元イスラエル兵だったりとシュワルツェネッガーが演じるには無理のある設定が多かったため、『48時間』や『ダイ・ハード』でもシルヴァーと組んだ売れっ子脚本家スティーブン・E・デ・スーザがリライトを任された。 監督に抜擢されたのは、ジョエル・シルヴァーがヒュー・ヘフナーのプレイボーイ・マンションのパーティへ招かれた際、たまたま知り合って親しくなったマーク・L・レスター。『スタントマン殺人事件』(’77)や『処刑教室』(’82)など良質なB級アクションで知られるレスター監督だが、しかし当時は自身初のメジャー大作『炎の少女チャーリー』(’84)が大コケしたばかり。それでもシルヴァーが彼を起用したというのは、恐らくよほどウマが合ったのかもしれない。そのレスター監督とデ・スーザを伴ってシュワルツェネッガーのもとを訪れ。出演交渉を行ったというシルヴァー。まだ脚本の最終版が仕上がっていなかったため、デ・スーザが口頭で内容を説明したのだそうだが、それを聞いたシュワルツェネッガーは「裸で走り回る石器人でもなければサイボーグでもない、普通の人間をようやく演じられる」と喜んだらしい。 とはいえ、切り倒した大木をひょいと肩に乗せて運んだり、公衆電話ボックスを中に人が入ったまま放り投げたり、サリー役デヴィッド・パトリック・ケリーの足を片手で掴んで逆さ吊りにしたり、なんだかんだと常人にはあり得ない怪力ぶりを発揮する主人公メイトリックス。演じるシュワルツェネッガーも現実にはそこまでの超人ではないため、劇中に出てくる大木も公衆電話ボックスも、実は本物より軽い撮影用のニセモノを使用している。もちろん、ボックスに入っている人間もダミー。また、デヴィッド・パトリック・ケリーを片手で逆さ吊りにするシーンでは、カメラに写らないようにしてクレーン車でケリーを吊り上げている。 実はメイトリックスに対するベネットの倒錯したラブストーリーだった!? ヒロインのシンディ役には、伝説的な音楽デュオにしてお笑いコンビ「チーチ&チョン」のトミー・チョンを父親に持つ黒人女優(厳密には父親が中国系とアイルランド系などのミックス、母親がアフリカ系と先住民チェロキー族のミックス)レイ・ドーン・チョン。彼女もまた父親譲りでコメディの才能に長けている人で、シュワルツェネッガーとの相性も抜群だ。また、メイトリックスの娘ジェニーを演じるアリッサ・ミラノは、当時テレビのシットコム『Who’s the Boss?』(‘84~’92)で大人気だったティーン女優。同番組が未放送だった日本では、本作をきっかけに美少女アイドルとして人気が沸騰し、日本市場向けに歌手デビューしたり、日本のテレビCMにも出演したりと大活躍だった。映画雑誌「スクリーン」や「ロードショー」のグラビアページや付録ポスターにもたびたび登場。50代以上の映画ファンには懐かしいスターと言えよう。 一方、メイトリックスの元部下で最大の宿敵ベネットには、『マッドマックス2』(’81)のモヒカン刈り暴走族ウェズの怪演で注目されたオーストラリア人俳優ヴァーノン・ウェルズ。もともとは別の役者がキャスティングされていたが、しかし撮影現場で演技を見たレスター監督はベネット役に向いていないと判断して初日でクビに。『マッドマックス2』で印象に残っていたウェルズを急きょ起用することになったという。また、南米の独裁者アリアス将軍役も当初は名優ラウル・ジュリアを想定していたが、しかし配給を担当する20世紀フォックスの重役から友人のダン・ヘダヤを使うよう指定されたという。体は小さいが態度はデカい小悪党サリーには、『ウォリアーズ』(’79)や『48時間』などウォルター・ヒル作品でお馴染みのデヴィッド・パトリック・ケリー。彼も本作を機に売れっ子の性格俳優となった。なお、メイトリックスとシンディが乗る水上セスナ機に無線で警告を発する、沿岸警備隊防空部の通信オペレーター役として、無名時代のビル・パクストンが顔を出しているのも要注目だ。 ちなみに、劇中ではいまひとつ曖昧にされているベネットがメイトリックスを恨む理由だが、レスター監督曰く撮影現場でキャストやスタッフに共有していた裏設定があるという。それによると、ある任務でベネットは自分が置き去りにされたと勘違いし、メイトリックスのことを「自分を見殺しにした男」として一方的に恨んでしまった…ということらしい。ただし、ファンの間ではベネットの服装がゲイっぽいことから、実はメイトリックスに片想いしているんじゃないかとの説も根強かったりする。反抗的な態度を取るのもメイトリックスの気を引きたいから。まさしく「可愛さ余って憎さ百倍」。俺のものにならないなら、いっそのこと殺してしまいたい!というわけだ。それを大前提にベネットの一挙一動を追っていくと、クライマックスの一騎打ちもやけに生々しく感じられるだろう。 映画をポップアートだと考えるというレスター監督は、プロデューサーであるジョエル・シルヴァーと相談のうえで、あえて本作のアクションも芝居も徹底して大袈裟に演出したという。そう言われると確かに、『処刑教室』にしろ『クラス・オブ・1999』(’90)にしろ『リトルトーキョー殺人課』(’91)にしろ、レスター監督のアクション映画はマンガ的な誇張が多いと言えよう。そのトゥーマッチ感こそが本作の面白さであり、興行的に成功した理由でもあったはずだ。中盤のハイライトであるショッピング・モールでの大立ち回りにおける、縦横無尽に駆け回るシュワルツェネッガーの大暴走ぶりなどはその好例。ちなみにロケ地となったショッピング・モールは、’80年代の西海岸で最大の若者トレンドの発信地と呼ばれ、『初体験/リッジモントハイ』(’82)や『ヴァレー・ガール』(’83)、『ナイト・オブ・ザ・コメット』(’84)に『キルボット』(’86)などなど、数多くのティーン向け娯楽映画の撮影に使われた「シャーマン・オークス・ガレリア」である。 およそ900万ドルという意外に控えめな予算に対し、世界興収5750万ドルという爆発的なヒットを記録した『コマンドー』。イタリア産アクション『ストライク・コマンドー』(’87)やフレッド・オーレン・レイ監督の『コマンド・スクワッド』(’87)などのパクり映画が世界中で量産されたほか、日本でも『必殺コマンド』(’85)や『コマンドー者』(’88)など勝手に邦題でコマンドー(ないしコマンド)を名乗ったB級C級アクション映画がビデオレンタル店にズラリと並ぶこととなった。なお、今回ザ・シネマで放送されるのは劇場公開版よりも2分ほど長いディレクターズ・カット版。メイトリックスがシングルファーザーになった経緯などの背景を説明するセリフや、アクション・シーンにおける過激な残酷描写カットが増やされており、より見応えのある映画に仕上がっている。■ 『コマンドー【ディレクターズカット版】』© 1985 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
ハンニバル(2001)
[R-15]華麗なる殺人鬼ハンニバル・レクター博士が、FBI特別捜査官クラリスと再会!戦慄の第2弾
アカデミー賞受賞の前作『羊たちの沈黙』から10年を経て公開され、衝撃のラストが全世界を震撼させたリドリー・スコット監督による続編。クラリス役はジョディ・フォスターに替わってジュリアン・ムーアが演じる。
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COLUMN/コラム2024.07.22
韓国ホラーのルネッサンスを再考する ― 監督が語った恐怖へのこだわりと『ボイス』―
◆韓国学校ホラーの奇々たる分枝 韓国映画におけるホラージャンルのルネッサンスは、1998年公開の日本映画『リング』を端緒とするジャパン・ホラーの興隆が起爆剤になったものと傍証されている。しかし実のところ、韓国ホラーは独自の歩みを経て興隆の轍をたどっている。特に同年に公開された『囁く廊下-女校怪談-』の誕生は、興行的な成功を得て同作をシリーズ化させただけでなく、韓国映画内でジャンルとして衰退していたホラーを活性化。さらには分枝ともいえるホラー映画群の根幹となり、本稿で触れるアン・ビョンギのような、ジャンルに特化した監督の台頭をうながすきっかけとなったのだ。 では何故、前掲のような印象をもたらしたのだろう? それは本作『ボイス』(2002)が起因のひとつとして挙げられる。まずはストーリーを概説しよう。援助交際のルポを手がけたことから、脅迫電話に悩まされていたジャーナリストのジウォン(ハ・ジウォン)。そんな状況を見かねた親友ホジョン(キム・ユミ)の勧めで彼女は携帯番号を変えるが、誰も知らないはずのその番号に、謎の着信が寄せられる。しかも、その着信による通話を偶然に聴いてしまったホジュンの娘ヨンジュ(ウン・ソウ)が、まるで何かに取り憑かれたように豹変してしまうのだ。 このプロットからも明らかなように、携帯電話を媒介とし、人間を襲う怨霊を描いている点で、本作はビデオという近代ツールが伝染的な呪死をもたらす『リング』にインスパイアされたものと見なされていたからだ。恥ずかしいことに、筆者(尾崎)も『ボイス』が『リング』をネタ元にしていると決めてかかり、本作の日本公開プロモーションでアン・ビョンギと会ったさい、それをしつこく問いただした。そのような遠慮会釈のないクエスチョンに対して監督は、 「恐怖という概念を文学や映画、そしてコミックといった媒体で幅広く大衆化させたのは、東洋のなかでも日本だけなのではないかと一目置いている」 と我が国の恐怖文化に対して慎重な態度でリスペクトを示しながら、 「だから僕は『ボイス』を手がけるさい、日本の『リング』や他のホラーと違うモノを作ろうと努力しました。にも関わらず『リング』があまりにも秀逸であるため、観た人たちが似た作品のように印象を持たれても仕方がないのかな? と思っています」 と、『リング』の価値を認めつつ、『ボイス』がその傍流ではないことを強く主張している。もちろん、まったくの無縁だと抗弁するには共有材料か揃いすぎているが、むしろ強い影響力という点では、女子高生や学校というコミュニティをストーリーの根幹に置いた時点で『囁く廊下-女校怪談-』の系譜に連なる割合のほうが高い。そこを公開時に指摘できなかったのは、韓国映画史に理解の足りていなかった自分の怠慢として悔いが残る。しかも本作の携帯への言及は、同ツールを呪殺の媒介とした『着信アリ』(2003)というシリーズの成立をうながし、優れた恐怖描写で世界を震撼させながら、ジャパンホラーの文脈になかった日本の異才・三池崇史のジャンル的アリバイ作りに貢献したという捉え方もできるだろう。なので『ボイス』は韓国ホラールネッサンスのマスターピースとして、その存在価値を改めて見直す時期にきている。ちなみにアン・ビョンギは『着信アリ』を手がけた三池が1999年に発表した『オーディション』のリメイクを打診されたが、あの恐ろしさに自分が迫ることはできないとオファーを断っている。 だがなかなかどうして、アン・ビョンギの恐怖演出も、ホラーの先任監督として磨きのかかったものだ。ショットには常に消失点が置かれ、不安定な感情を煽りながらも構図は常に整い、ショッカー描写も一定の間合いと秩序を保ち、ふいな出会い頭や小細工で人を驚かしはしない、そこにはいっさいの妥協がなく、それはこの『ボイス』を観れば一目瞭然だ。 ◆サブジャンルを深化させる新世代の台頭 そんなビョンギのようにジャンルを固定した監督の台頭は、韓国映画ルネッサンス期の前説が無くては語れない。1996年、韓国の文民統制化にともない、同国の映画制度は大きく変化した。憲法裁判所が検閲行為を違憲とし、脚本と完成作品の提出を義務とした検閲システムが廃止となった。これによって映画製作に自由が設けられ、物語が制限されることなく描けるようになったのである。 それと並走するかのように、韓国民主化を旗印とする金大中は、国益のために映画産業を政府がバックアップすることを選挙公約として掲げた。そして98年に大統領当選が決まると、それまで国の機関だった「映画振興公社」を民間に委ね、映画の改革を始めるのである。こうした改革が大きな原動力となり、韓国映画は飛躍的な進化を遂げていく。 こうした変動に応じて韓国映画に流入したのは、ビデオの普及やシネマテーク運動が生んだ、シネフィル世代の監督である。『パラサイト 半地下の家族』(2019)のポン・ジュノや『別れる決心』(2022)のパク・チャヌク、さらには『モガディシュ 脱出までの14日間』(2021)のリュ・スンワンなど、いずれも特定のジャンルを深く追求し、優れた芸術性を持つ作品を生む新世代の作り手だ。 アン・ビョンギも、そうしたシネフィル世代の監督の一人に該当する。ソウル芸術大学映画科を出た彼は、所属していた同校の映画同好会で日本映画のビデオを浴びるように観たという。しかし日本映画との固いリンクとは逆に、ホラー映画への傾倒は欧米の『エクソシスト』(1973)が強く誘導したと語っている。 「無意識のうちに影響が出てくる、偉大な映画」 と同作を称賛し、なるほど、『ボイス』で霊に憑依されたヨンジュの凶暴化は、『エクソシスト』のリーガン(リンダ・ブレア)のそれと一致する。 ちなみに監督へのインタビューにおいて、好みのホラー映画を幾つか挙げて欲しいと頼んだところ、『エクソシスト』を筆頭に以下のようなラインナップとなった。 ①『エクソシスト』(1973 アメリカ) ②『オーメン』(1976 アメリカ) ③『サスペリア』(1977 イタリア) ④『シャイニング』(1980 アメリカ) ⑤『オーディション』(1999 日本) ①と⑤に関する心酔と影響に関しては前述したが、ほかいずれもホラー映画のマスターピースにして、それぞれが『ボイス』の恐怖演出に漆黒の影を落としている。②からは悪魔の子ダミアンに通ずる児童モンスターキャラクターの要素が散見されるし、また③の、美女が犠牲者となるジャーロ映画と監督ダリオ・アルジェントの嗜好を『ボイス』は共有している。そして④の高度なアート性と優れたイメージの数々は、ホラーも“芸術”になることを信じて取り組むビョンギの希求心を鼓舞させるものだったに違いない。 ◆ホラー映画に固執するのは、自身のプライド それにしても、なぜここまでビョンギはホラーというジャンルに固執してきたのだろう。そんな疑問に、彼は照れながらこう答えてくれた。 「自分がホラーを撮る理由は、個人的なプライドにあると思います。韓国映画界では商業的成功を重視し、人気スターに頼る傾向にありますが、ホラー映画は総合的に監督の演出力や、スタッフ全体の能力が優れていないと、撮ることが容易でないと実感しています。なによりホラーは、監督と観客との間で知恵比べができる手段であり、作り手にも刺激的なジャンルなんです」 『ボイス』が初公開されてから、現在までに22年の歳月が流れた。劇中で効果的に恐怖を演出した携帯電話は、より多機能性を有したスマートフォンへと進化し、本作をさらに古典の領域へと押し進めた。しかしそこにある恐怖哲学は、韓国ホラーの経典として普遍的な価値を放っているのではないだろうか。『ボイス』は今観てもなお、鑑賞者に高度な知恵比べを要求し、そして力強い刺激を与えてくれる。■ 『ボイス』© TOILET PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
レッド・ドラゴン(2002)
[PG-12]『羊たちの沈黙』怪物レクター博士の狂気のルーツがここに!戦慄のサイコ・サスペンス
『羊たちの沈黙』『ハンニバル』のヒットを受けて、トマス・ハリスのハンニバル・レクター3部作小説の第1章を映画化。シリーズを通じてレクター博士に扮するアンソニー・ホプキンスが、静かな狂気をにじみ出す。
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COLUMN/コラム2024.07.18
巨匠リドリー・スコットが描く、よくできた昼ドラのような、俗悪で愉快で悲劇的な物語『ハウス・オブ・グッチ』
知らぬ者は居ないであろう、イタリア発のファッションブランド、「グッチ」。 1921年にグッチオ・グッチが、フィレンツェに開いた靴屋が、その始まり。世界進出はその息子の代で、三男のアルド・グッチが父親の反対を押し切って成功させたもの。「グッチ」の有名なアイコンデザイン「GG柄」も、商才溢れるアルドが考案した。 アルドの後も、「グッチ」のTOPは、グッチ家の者が務め、その王国は引き継がれていく筈だった。しかし21世紀の今、「グッチ」の経営陣には、グッチ家の者はいない…。 2000年に出版されたサラ・ゲイ・フォーデンの著書「ハウス・オブ・グッチ」は、原題のサブタイトルが、「A Sensational Story of Murder, Madness, Glamour, and Greed(殺人、狂気、魅力、そして強欲のセンセーショナルな物語)」。この書籍でグッチ家の30年間を描いた彼女は、「グッチの話はいろいろな意味で、私のつくり話よりもずっととんでもない話だと思った」としている。 その「とんでもない話」に魅了され、ほぼ20年間、映画化を模索し続けたのが、プロデューサーのジャンニーナ・スコット。監督や出演者の候補には、様々な名前が浮かんでは消えた。結局メガフォンを握ることになったのは、ジャンニーナの夫で現代の巨匠、リドリー・スコットだった。 リドリーは、グッチ家はまるで「ファッション界のイタリア王室」のようで、その興亡には、「ボルジア家やメディチ家」を想起させられたという。即ちこの題材は、「面白くならないわけがない!」と。 2019年11月、リドリーの監督就任と時を同じくして、主演も決まった。”歌姫”にして、『アリー/スター誕生』(2018)で演技者としても一流なことを証明したばかりの、レディー・ガガである。 翌夏=2021年8月、アカデミー賞受賞者やノミネート経験者がズラリと並ぶ、豪華キャストが発表された。そして本作『ハウス・オブ・グッチ』は、2021年2月から5月まで主にイタリアで撮影を敢行。その年の11月に、公開に至った。 ***** 1970年、父がオーナーの運送会社で働くパトリツィア(演:レディ・ガガ)は、弁護士を目指すマウリツィオ(演:アダム・ドライバー)と知り合い、交際を始める。彼は有名ブランド「グッチ」の、創業者一族だった。 マウリツィオは父ロドルフォ(演:ジェレミー・アイアンズ)から結婚を認められず、パトリツィアの実家へと転がり込む。2人はゴールインし、やがて娘が生まれる。 ロドルフォがこの世を去ると、彼の兄で「グッチ」の屋台骨を支えるアルド(演:アル・パチーノ)は、甥のマウリツィオを「グッチ」へと呼び寄せる。 アルドは、息子パオロ(演:ジャレッド・レト)の無能さに、悩んでいた。その一方で、高齢にも拘わらず、TOPを後進に譲る素振りを見せない。パトリツィアは夫が軽視されていることや、自分を「グッチ」の一員と認めないことに、不満を溜めていく。 パトリツィアは一計を案じ、パオロを味方とし、アルドの脱税を告発させる。アルドは獄中の人となり、またパオロも追放して、マウリツィオは、「グッチ」のTOPとなる。 しかし妻の振舞いに、徐々に嫌気がさしてきたマウリツィオは、家を出て、別の女性と暮らすようになる。パトリツィアは、もはや夫の愛情を取り戻すことはできなかった。 怪しげな女占い師のピーナ(演:サルマ・ハエック)に傾倒したパトリツィアは、彼女の力を借りて、夫を殺害する計画を立てる。一方で経営の才覚がなかったマウリツィオは、親の代からの腹心の部下の裏切りに遭って、社長の座を追われる。 1995年、マウリツィオは自宅の前で銃撃されて、命を落とす。悲劇の未亡人を装うパトリツィアだったが…。 ***** 脚本家の1人に起用されたのは、イタリア育ちのロベルト・ベンティヴェーニャ。母がデザイナーだったこともあって、彼には馴染みのある世界だったという。 リドリー・スコットはベンティヴェーニャとの打ち合わせに際し、登場人物たちをシェイクスピアのキャラクターに例えた。マウリツィオは、悩める王子ハムレット。パトリツィアは、奸計を巡らすマクベス夫人。そしてパオロは、道化だと。 実際に起こった事件をベースにした本作だが、『プロメテウス』(2012)以降、リドリー・スコット作品のカメラを任されている撮影監督のダリウス・ウォルスキーは、この作品はドキュメントドラマというよりも、「よくできた昼ドラのような、俗悪で愉快で悲劇的な惨事」だと語っている。 こうした世界観の中で、俳優陣は躍った。“カメレオン俳優”の名を恣にするアダム・ドライバーは、世間知らずの青年マウリツィオが、パトリツィアとの庶民的な生活に喜びを見出しながらも、名門ブランドTOPの地位を得て、己を見失っていく姿を的確に演じた。 ジャレッド・レトは、「グッチ」TOPのアルドの頭痛の種である、ボンクラ息子パオロ・グッチを演じるに当たって、自らのアイディアで、白髪交じりのハゲ頭で小太り体型に、特殊メイクで変身。毎日6時間のメイク時間は、集中してキャラクターについて瞑想するには、「最高の時間」だったという。 アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズの両ベテランも、それぞれの持ち味を生かしながら、見事に実在の人物を演じてみせた。 しかし本作で特筆すべきは、何とも言ってもパトリツィアを演じた、レディー・ガガであろう。 役作りのために、イタリア語なまりの英語を半年もの間訓練。パトリツィアについての文献を読み漁り、映像を見まくったというが、その際には、パトリツィアが実在の人物で、インタビューではよく嘘をつくことがあったため、ジャーナリストのような視点が必要だったという。ガガは正体を隠して、イタリアの街頭に立って、彼女のイメージの聞き込みまで行った。 役作りに於いては、3種類の動物をイメージした。30年近くに及ぶ物語の中で、20代前半の若き日々は、飼い猫。中盤は、遊び心を持って狩りをするキツネ。そして終盤は、獲物を引きつけてから飛び掛かる、ヒョウを観察して、パトリツィア像を作り上げた。 因みに稀代の悪女のイメージが強いパトリツィアだが、ガガはそうした既成のイメージからも距離を置いた。曰く「彼女がマウリツィオ・グッチと結婚したとき、彼は自分の一族全員に見放されたので、お金のために結婚したわけではなかった」。そして彼を殺害した時には、二人はすでに離婚しており、「金銭的なことが懸かっていたわけでは全くなかった」。即ち凶行に至ったのは、「彼女の心が傷ついたから、そして愛のために違いない」という解釈で、パトリツィアを演じているのである。 本作でパトリツィアは、「グッチ」の経営に参画したいと考え、自分にはその能力があると思っていたのに、“部外者”扱いされ、男性社会の中で疎外され続けた女性として描かれる。この辺りは、『エイリアン』(1979)のリプリーにはじまり、『テルマ&ルイーズ』(91)や近作『ゲティ家の身代金』(2017)『最後の決闘裁判』(21)等々、“男性優位社会”の現実に抗する女性像を描き続けてきた、リドリー・スコットの面目躍如でもある。 撮影に際し、ガガのためには、ウィッグが15種類用意された。それはパトリツィアの各時代の実際の髪のレプリカで、髪を染める化学薬品も、それぞれの時代のものを使用したという。 ファッション業界の物語の中で、ガガはシーン毎に衣装を変えた。劇中で披露したその数は、全部で54ルック。衣裳担当のジェンティ・イエーツによると、シーン毎に4~5着の候補を持ち寄ると、ガガからその組合せの提案が返され、コーディネートを「完璧に」仕上げていった。 こうして内面及び外見で、パトリツィアになり切ったレディー・ガガ。劇中に登場する「Father, Son, and House Of Gucci (父と子とグッチ家の御名において)」というセリフは、脚本にはなく、ガガが現場で放ったアドリブだったという。 2021年11月、本作が公開されると、アルド・グッチの子孫らは、本作では、グッチ家の人々が、「悪党で無知で無神経な者たち」として描かれ、事実が捻じ曲げられていると、異議を唱えた。パトリツィアが、「男性的でマッチョな企業文化」を乗り越えようとした「被害者」として描かれていることが「不愉快だ」とも、述べている。 それに対してリドリー・スコットは、「グッチ家の一人が殺され、もう一人が脱税で刑務所に入ったことを忘れてはならない」と、こうした異議を一蹴している。 因みにパトリツィアは、本作についてどんなリアクションを示しているのか?彼女は1998年、裁判で有罪判決を受け、29年の懲役を宣告されたが、2016年には出所。現在はミラノに住み、ペットのオウムを肩に乗せて街を歩いている姿が、よく目撃されているという。 70代となった彼女は、レディー・ガガが自分の役を演じることに対して、「…腹立たしいと思っている」と不快感を示している。ガガが自分に会いにも来なかったことが、いたく不愉快だったようだ。ついでにパトリツィアは、自分をモデルにした映画からは、1銭たりとも収益がもたらされないことも、明らかにした。 これに対してガガは、パトリツィアに会わなかったのは、「この女性はこの殺人を美化されたがっていて、犯罪者として記憶されたがっているとすぐに分かったから」だと語っている。演じるに当たって、そうした危険を察知。敢えて本人との面会を避けたわけである。「よくできた昼ドラのような、俗悪で愉快で悲劇的な惨事」を描いた『ハウス・オブ・グッチ』。スキャンダラスなヒロインのモデルと、演じた“歌姫”を巡る、インサイド・ストーリーである。■ 『ハウス・オブ・グッチ』© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.