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PROGRAM/放送作品
ウォンテッド
[R-15]弾丸を自在に操る殺し屋たちの銃撃戦がスゴイ!革新的ビジュアルで描く新次元ガン・アクション 放送日:17
『ナイト・ウォッチ』のティムール・ベクマンベトフ監督が同名グラフィック・ノベルを映像化。弾丸をカーブさせるなど超人的アクションの数々が、アンジェリーナ・ジョリーの妙演と相まってスタイリッシュに映える。
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COLUMN/コラム2019.03.27
さながらアントニオーニかゴダールか、ハリウッドスターの監督作という色眼鏡を外して見て欲しい佳作
舞台は’70年代初頭の南フランス、地中海に面した入江の高級ホテル。シボレーのコンバーチブルに乗ったアメリカ人の中年夫婦が到着する。夫ローランド(ブラッド・ピット)は創作に行き詰まったアル中の流行作家、妻ヴァネッサ(アンジェリーナ・ジョリー)は情緒不安定で不愛想な元ダンサー。会話の節々に愛情の片鱗が垣間見える2人だが、しかし夫婦仲は冷え切っているも同然だ。不器用ながらも関係の修復を試みるローランド。一方のヴァネッサは、彼が自分の体に指一本触れることも許さない。 かくして、夫は午前中からバーに入り浸って酒をあおり、妻はホテルの部屋に閉じこもってバルコニーから入江を眺めて過ごす。だが、そんなある日、隣の部屋にハネムーンの若い新婚夫婦フランソワ(メルヴィル・プポー)とリア(メラニー・ロラン)がチェックインしたことから、ローランドとヴァネッサの関係に奇妙な変化が生じる…。 当時、交際9年目で正式に結婚したばかりだったハリウッド最強のパワーカップル、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが、2人の出会いとなった大ヒット作『Mr. & Mrs.スミス』(’05)以来2度目の共演ということで話題を呼んだ『白い帽子の女』(’15)。しかも、妻アンジーが監督と脚本を手掛け、夫婦揃ってプロデュースにも名を連ねるという夢のブランジェリーナ・プロジェクトだ。当然、配給会社ユニバーサルは興行的な成功を期待したはずだが、しかし結果はまさかの大赤字。批評家からもこき下ろされてしまった。さらに追い打ちをかけるかの如く、本作の公開から約1年後にブラピとアンジーは離婚。ある意味、呪われた一本となってしまったのである。 オープニングとエンディングでカーラジオから流れてくる、ショパンをモチーフにしたジェーン・バーキンの名曲「ジェーンB.~わたしという女」の気だるい歌声とメロディが、ミケランジェロ・アントニオーニさながらの退廃的なアンニュイ・ムードを漂わせる本作。それはまるで、’60~’70年代初頭のヨーロッパ映画のような趣きだ。ビジュアルのイメージはジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』(’63)、作家とその妻のすれ違いを描くストーリーはアントニオーニの『夜』(’61)を彷彿とさせる。 さらに、ある理由で精神を病んでしまった妻が次第に壊れていく様子は、アメリカン・インディーズ映画の父ジョン・カサヴェネテスの『こわれゆく女』(’74)をも連想させるだろう。実際、カサヴェテスを崇拝するブラピとアンジーは、夫婦二人三脚で映画を作り続けたカサヴェテスとジーナ・ローランズを、自分たち夫婦関係のロールモデルとしていた。いずれにせよ、これは完全にアートシアター向きの小ぢんまりとした芸術映画。なるほど、ブランジェリーナ夫婦を目当てに映画館へ足を運んだミーハーな観客が、なんじゃこりゃ!?と戸惑ってそっぽを向いてしまったとしても全く不思議ではない。初めから需要と供給が噛み合っていないのだ。 そもそも映画監督としてのアンジェリーナ・ジョリーは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を題材にした長編処女作『最愛の大地』(’11)から、一貫して「非ハリウッド」の姿勢を貫いてきたと言えよう。太平洋戦争で日本軍捕虜となった米兵の実話を描いた『不屈の男 アンブロークン』(’14)は、そのストーリーこそ米国大衆好みの戦争英雄譚だったが、しかしあえてハリウッド映画的なヒロイズムを排除することによって、熱心な人権活動家という側面を持つアンジーらしい人道主義的な視点を備えた反戦映画として仕上がった。 クメール・ルージュ時代のカンボジアの混沌と恐怖を、家族とともに集団農場送りとなった少女の視点から見つめた最新作『最初に父が殺された』(’17)に至っては、もちろんカンボジアとの合作だからという理由もあるが、全編に渡ってカンボジア人キャストがカンボジア語で演じるという徹底ぶり。日常の延長線上にあるジェノサイドの不条理を丹念に描くリアリズムにも説得力がある。この一般受けをものともしないアンジーの映画作りへの取り組みは、ハリウッド屈指の高額ギャラを稼ぐ大女優なればこその余裕かもしれないが、それでもなおその我が道を行く作家性には強く関心を寄せずにはいられない。 振り返って、この『白い帽子の女』で描かれるのは、人間誰しもが人生で一度は向き合うことになるであろう「喪失感」だ。’07年に最愛の母親を卵巣腫瘍で亡くしたアンジーは、どうしようもなく深い喪失感から抜け出ることの出来ない時期が続いたという。彼女の母親は元女優ミシェリーヌ・ベルトラン。夫ジョン・ヴォイトの浮気が原因で離婚したミシェリーヌは、女優としての夢を諦めて息子ジェームズと娘アンジーの子育てに人生を捧げた。10代の頃にイジメが原因で鬱状態に陥り、自傷行為やドラッグに溺れた経験を持つアンジーは、そんなどん底の時期を支えてくれた母親に対して、人一倍の強い愛情と絆を感じていたのである。苦労の連続だった母親がなぜ56歳という若さで逝かねばならなかったのか。そのやり場のない悲しみと憤りが、ある出来事が原因で深い喪失感を抱えた主人公ローランドとヴァネッサの夫婦関係に、さらに言えば妻ヴァネッサの不安定な心理状態に投影されていると言えるだろう。 そんな2人がホテルの隣室に宿泊する若い新婚夫婦と親しくなるわけだが、ここからストーリーは思いがけない方向へと展開していく。幸せの絶頂にある若夫婦の寝室を、ローランドとヴァネッサは壁の穴からこっそりと覗き見するのだ。かつては私たちもあんな風に愛し合っていた。いけないことだと重々承知しつつ、壁穴の向こうの光景から目を逸らすことの出来ないヴァネッサ。その行為を当初は咎めたローランドだが、しかしやがて共犯関係へと転じる。あらゆることに無関心・無気力だった妻が、久しぶりに見せる強い好奇心。そこに、彼は夫婦関係改善の手がかりを感じ取ったのだ。 実際、この「共通の趣味」をきっかけにローランドとヴァネッサは、お互いにかつての愛情を取り戻していくかのように見える。しかし、ことはそれほど単純ではなかった。やがてヴァネッサの若夫婦に寄せる関心は度を越えた執着へと変わり、やがて彼女の心に潜む深い喪失感が詳らかになっていく。明るい兆しのように思えたヴァネッサの変化は、実のところギリギリで持ちこたえていた彼女の精神がバランスを失った瞬間、つまり崩壊の序曲のようなものだったのだ。 監督アンジェリーナ・ジョリーの視線は、まるで作り手である彼女自身が主人公たちと一緒になって手探りで答えを見つけ出そうとするかの如く、壊れかけた夫婦の苦悩と葛藤、そして再生までの道程をどこまでも丹念に見つめていく。これは、彼女のほかの作品でも同様だ。『最愛の大地』にしろ、『不屈の男 アンブロークン』にしろ、『最初に父が殺された』にしろ、戦争や内乱といったドラマチックなシチュエーションよりも、その渦中に置かれた人々の心理や感情の変化と成長を細やかにくみ取ろうとする。それゆえに、どうしても彼女の作品は長尺になってしまうのだが、しかし同時にそれが醍醐味でもあるのだ。 一方で、ほかの作品では空撮によるロングショットを多用することで、被写体と一定の距離感を保とうとするアンジーだが、ここではいつもと違って全体的に寄りの画が多く、本作が彼女にとって極めてパーソナルなテーマを扱った映画であることがよく分かる。よくよく考えれば、恋愛映画というジャンル自体が映像作家アンジェリーナ・ジョリーにとっては異質。そういう意味でも、とても興味深い作品だと思う。 もちろん、古いヨーロッパ映画の雰囲気をどこまでもリアルに再現した映像の美しさも素晴らしい。母ミシェリーヌがこの時代のヨーロッパ映画が大好きで、アンジー自身も少なからぬ影響を受けたらしい。撮影監督はミヒャエル・ハネケとのコラボレーションンで有名なクリスティアン・ベルガー。照明の代わりに自然光を反射鏡で使った独特の風合いが、時代の空気を見事なくらいに蘇らせている。タイプライターやルイヴィトンの旅行鞄など、ヴィンテージな小道具の使い方も洒落ている。 オープニングとエンディングを飾るジェーン・バーキンを筆頭に、フランス・ギャルやシャンタル・ゴヤのようなイエイエアイドルから、シャルル・トレネやシャルル・アズナヴールのような王道シャンソンまで、全編に散りばめられた懐メロ・フレンチポップスの数々もレトロな情緒を演出する。まるで、あの時代に本当に迷い込んでしまったような感覚が心地いい。『ベティ・ブルー』(’86)や『カミーユ・クローデル』(’88)の作曲家ガブリエル・ヤレドによる音楽スコアも甘美でノスタルジックだ。ちなみに、劇中で使用される楽曲の大半は’60年代のものだが、しかしイエイエを卒業したシェイラの’74年のヒット曲「Tu Es Le Soleil」や、やはり元イエイエアイドルのジャクリーヌ・タイエブが’79年にリリースした「Petite Fille Amour」が含まれているので、選曲の時代考証はわりとざっくりしているようだ。 とりあえず、ハリウッドのメガスター、アンジェリーナ・ジョリーの監督作という色眼鏡を外して見て頂きたい佳作。当時アメリカの批評で、「所詮は意識高い系セレブの自己満足映画」という論調が多かったのもそのせいだろう。結局、我々は人生の光も影もありのままに受け入れるしかない、痛みも悲しみも人生の一部として付き合っていくしかない。そんな風に感じさせる穏やかで静かな幕引きがとても好きだ。■ 参考資料:「『白い帽子の女』メイキング」(‘15年制作・ビデオ作品)/『偉大なるミューズ:ジーナ・ローランズ』(‘15年制作・ビデオ作品)/「Angelina Jolie on 'By the Sea', Her Wedding and the Sony Hack」(‘15年インタビュー記事・Harper’s Bazaar掲載)/「By the Sea DGA Q&A with Angelina Jolie Pitt and Marc Levin」(‘15年全米監督協会制作・ビデオ作品)
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PROGRAM/放送作品
ツーリスト
アンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップが奇跡の競演!水の都ヴェニスを舞台に描く大人のミステリー
2005年のフランス映画『アントニー・ジマー』をアンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップの豪華競演でリメイク。水の都ヴェニスを舞台に息詰まるミステリーを織りなし、ゴージャスな旅情も醸し出す。
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COLUMN/コラム2018.05.23
『ツーリスト』6/23(土)字幕、24(日)吹き替え
アンジー×ジョニデの大型共演が話題を呼んだ本作。アンジーが企画を主導しドイツ人監督に白羽の矢を立て、その監督が、アンジーと吊り合う相方にはブラピを除けばもうハリウッドにはジョニデしか存在しないと切望してジョニデに打診したのだ。しかし、ジョニデの『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』撮入時期との兼ね合いで、脚本を起稿してからジョニデの撮影を終えるまで5ヶ月間、編集して映画を完成させるまででもトータル11ヶ月間しか制作期間がなかったという。ものすごい早撮りで作られた映画だ。 以下、あらすじ。 パリでスコットランドヤードの監視対象となっているエリーズ(アンジェリーナ・ジョリー)。超大物犯罪者の情婦だからだ。大物を警察も追っているしマフィアも追っている。大物は整形して今どんな顔なのか誰も知らないので、エリーズを張っていればそのうち接触してくると警察は踏んでいる。その通りの展開になり、「ヴェネチアに向かえ、俺と背格好が似た男に接近して警察の目をくらませ」との秘密指示を受けたエリーズは、ヴェネチア行きの特急の中で米国人ツーリストの平凡な男フランク(ジョニー・デップ)に接近。2人してヴェネチアに向かうのだが、その後を警察とマフィアも追ってくる。 アンジーとジョニデの初共演を華麗に彩るのが、普段はティム・バートン組のコスチューム・デザイナー(ジョニデが連れてきた?)コリーン・アトウッドによる衣装だ。ゴージャス!特にアンジーは大物犯罪者の情婦役にもかかわらず、なぜかハリウッド黄金期の大女優か、あるいは往年のヘップバーンもかくやというハイファッションに身を包んでいる。芝居も極端なハイソ女の演技で、仕草も過剰に優雅。ディスっているのではない。これは確信犯でわざとやっているのだ。 一方のジョニデは数学教師の冴えない男ということで、ファッションは、冒頭はカジュアルなジャケットスタイル。ジョニデの超カッコいいジャケットカジュアルスタイルといえば、知的色気がダダ漏れの稀覯本専門古書店オーナー役を演じた『ナインスゲート』を思い出すが、本作もあの衣装の雰囲気と似ている。そちらではラッキーストライクを口角でくわえタバコしていて、それも大変カッコよかったが、本作では先端がLEDで赤く光る電子タバコで禁煙しており、ちょっと滑稽。 ジョニデがスッピンで出ているというのも珍しい。ジョニデが男子がアイライナーを引くブームを始め「ガイライナー」という言葉まで生んだ。最近も日本のビールのCMでアイメイクばりばりでギターを弾いていたが、しかし!本作でも結局いつの間にか、なし崩し的にほんのりアイラインを下まぶただけ引きはじめるのである!それがいつの瞬間かを見極めていただきたい。本作ではアンジーの方もアイメイクは尋常じゃない濃さだが、実はそれは、地味な中年男性数学教師の旅人がなぜかアイメイクし始める不自然さから目をそらすための陽動作戦ではないのか?なお、同じくなし崩し的に、滑稽電子タバコから本物のタバコに戻す瞬間にも注目である。もちろんこれも確信犯でやっている。 なぜ確信犯と分かるかというと、本作が確信犯的にコメディ映画として作られているからだが、それについては後述する。 キャストは他も豪華で、開始早々、ルーファス・シーウェル(ヴェネチア舞台の歴史映画『娼婦ベロニカ』にも出ていた)とポール・ベタニーという『ROCK YOU!』コンビが出てきて、さらにティモシー・ダルトンまで出てきて(この映画の観光映画っぽさは007を彷彿させる。ヴェネツィアは007でも何度か舞台になっているし)、並々ならぬオールスター映画感がみなぎる。これら主演スター級の脇役が、はたしてどういう活躍を見せるのか?(あるいは見せないのか?)にもご注目いただきたい。 しかし、この映画の主役は何と言っても、やはりヴェネツィアの街だろう。スター映画であると同時にヴェネツィアを舞台にした観光映画でもあるのだ。わざわざこんな↓宣材写真まで撮ってきているほど。こういう単なる風景写真が宣材として用意されていることは極めて異例。 本作は、ソフィー・マルソーとイヴァン・アタル共演のフランス映画『アントニー・ジマー』(2005)のわずか数年後のリメイクだ。それを、豪華絢爛に盛って盛って盛りまくり、オリジナルとはだいぶ趣きを異にする映画に仕上げている。スタッフが、とにかくゴージャス方向に作った、とインタビューで語っている。わざとなのだ。 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督に至っては「この映画を作るからには、美の極みを目指すしかない!」とまで豪語している。「美の極み」というのもまた凄い言葉だ。監督は、初の長編監督作であるドイツ映画の大傑作『善き人のためのソナタ』で、33歳にしてアカデミー外国語映画賞を受賞した天才。貴族の名家の出身でもある。ヴィスコンティもそうだが、本物の貴族が描くと映画でリアルな貴族趣味と高級感を再現できているような気がするのは庶民の引け目だろうか? オリジナル『アントニー・ジマー』も南仏ニースが舞台の観光映画ではあったが、本作よりは地に足のついたリアルな情景。一方の本作は、絵になる観光絵葉書的なヴェネツィアの風景だけをつないだリッチさが1シーンたりとも途切れることがない。『アントニー・ジマー』ではありふれた地下駐車場で悪漢の乗用車に追われていたチェイスシーンも、本作になるとヴェネツィアの水路でのモーターボートを使ったチェイスに置き換えられていたり。それにソフィー・マルソーも良い女だったが、本作のアンジーほどハイソ感は漂わせていなかったし、衣装も常識的レベルのゴージャスさだった。本作は、わざと意図的に浮世離れさせている。なにせ美の極みなので! オリジナルの方は真剣なサスペンスだったのだが、本作の方は、どこまでが本気でどこからが狙いかわからないコミカルさも魅力だ。本作の制作スタンスはコミカル&ゴージャス。どちらもわざと、確信犯でやっているのだと重ねて強調しておきたい。監督は、とにかく軽い映画にしたいとも心がけ、時に“ミスディレクション”して(『善き人のためのソナタ』ばりに)真面目モードで撮ってしまった時もあるが、そういう場合にはわざわざ撮り直しまでした、とも語っている。 しかし、そもそもが上質で重い人間ドラマ『善き人のためのソナタ』で評判を得た監督で、名家の出なのである。本作にまつわるインタビューでは真面目な人柄が隠そうにもにじみ出ていて、口数も少なく、朴訥な印象の人だ。そんな、いいとこのおぼっちゃまの高学歴の超優等生が、面白い奴と証明しようと無理しておチャラけている、という、若干の無理も感じられ、それが滑稽さにつながり、アメリカン・コメディの爆笑とはまた違うたぐいの、えも言われぬ独特のぬるたい味わいが生まれている。 ということで、本作は見事、ゴールデングローブ賞のコメディ部門に、作品賞、主演男優賞、主演女優賞でノミネートされ、授賞式当日も司会者に大きく取り上げられて大変な話題となった。軽い気持ちで、街の美しさ、スターの華やかさに見とれるという見方が正解で、大真面目なサスペンス・スリラーを期待してはいけない。公開時にはボタンのかけ違いで「サスペンス・スリラーだと思って見に来たのに!」といった声も聞かれたが、最初から、コミカル&ゴージャスの2点が見どころなんだと思って、まったり見ていただきたい。 最後に。スコットランドヤードの警部役ポール・ベタニーは、劇中ではあまりジョニデとの絡みはないものの、プロモーションでは漫才コンビのような好相性を見せ、後に『トランセンデンス』と『チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密』でも再共演を果たす。特にジョニデがプロデュースしベタニーに自らお声がけしたという『チャーリー・モルデカイ』の方は、この2人の軽妙な掛け合いがメインディッシュとなっているほど。むしろジョニデ×アンジーよりもジョニデ×ベタニーのBLカップリングのケミストリーを生み出したことの方が、本作『ツーリスト』の功績ではなかっただろうか。今後も、このコンビでどんどん映画を作っていってもらいたい。■ © 2010 GK Films, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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PROGRAM/放送作品
(吹)ウォンテッド
[R-15]弾丸を自在に操る殺し屋たちの銃撃戦がスゴイ!革新的ビジュアルで描く新次元ガン・アクション
『ナイト・ウォッチ』のティムール・ベクマンベトフ監督が同名グラフィック・ノベルを映像化。弾丸をカーブさせるなど超人的アクションの数々が、アンジェリーナ・ジョリーの妙演と相まってスタイリッシュに映える。
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COLUMN/コラム2016.04.10
逢う魔が時、黒い怪鳥が群れ飛ぶ木立の下にたちこめていた、禍々しき空気…90年目の『チェンジリング』事件現場探訪
ロサンゼルス在住のシングルマザー、クリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)の息子ウォルター(当時9歳)が忽然と姿を消した。5カ月後に警察はウォルター少年を保護したと発表、母子は感動の再会を果たす……はずだったが、引き合わされたのは息子とはまったくの別人。クリスティンが抗議をすると、警察は「あなたの方がおかしい」と彼女を精神病院に入れてしまう――。 まるでシュールなサイコホラーだが、これが実話なのだから恐ろしい。脚本家のJ・マイケル・ストラジンスキーはロサンゼルス市役所の職員から大量の古い書類を破棄すると聞き、その中からクリスティン・コリンズが息子の失踪について訴えている調書を拾い出した。 ストラジンスキーはさらにリサーチを重ね、登場人物がすべて実名のオリジナル脚本を書き上げる。現実の事件があまりにも複雑かつ奇妙なので、史実と異なる脚色は最小限に留めると決めた。後に「95%は資料に基づいて書いた」と語っている。イーストウッドはストラジンスキーの初稿を気に入り、なんら変更を加えることなく撮影を開始したという。 完成した『チェンジリング』は、愛する息子と自身の尊厳を取り戻すために闘うクリスティンの物語となった。社会的に無力な女性が警察権力を相手に勇気を奮い起こす姿はイーストウッドが過去に演じてきたヒーローたちを想起させる。ただしクリスティンの原動力はイーストウッド流の反骨ではなく“母性愛”だ。 クリスティンと警察の攻防とは別に、ウォルター少年の失踪事件には真犯人が存在する。ロサンゼルスから80km離れた町、ワインヴィルで養鶏場を営んでいたゴードン・ノースコットという男が少年を次々と誘拐し、虐待したあげく殺害していたのだ。ウォルターもまたノースコットが手をかけた犠牲者の一人だったと見なされている。 私事で恐縮だが、2014年の1月、筆者はロサンゼルスで『チェンジリング』のロケ地を訪ねて回っていた。ここから先はその際に体験した『チェンジリング』詣での“忌まわしい顛末”を書かせてほしい。 『チェンジリング』のロケ地を探すリサーチをしているうちに、ふと気になったのがアンジェリーナ・ジョリーのセリフにあったクリスティンの住所。これだけ事実をベースしているのだから、この住所も本物ではないのか? 劇中の住所は「210 North Avenue 23, Los Angeles, California」。ロサンゼルスのダウンタウンから3キロほど北東の一角だ。 行ってみると住所の場所はマンションになり、前には大きな高速道路が通っていた。事件から約90年、そりゃあ様変わりもするだろう。少し歩くと現在は使われていない路面電車のレール跡を発見。古い路線図で確認すると確かにダウンタウンとこの界隈を繋ぐ路線がある。映画と同様、クリスティンはこの路面電車で毎朝職場に通っていたのだろうか。 ロサンゼルスタイムズの調査によると、事件当時のクリスティンの住所は「219 North Avenue 23, Los Angeles, California」。「210」も「219」も今では同じマンションなので、劇中の住所はほぼ正確だったことになる。やはりクリスティン・コリンズはこの界隈で息子のウォルターと暮らしていた。ただし事件以降はひとつ所に落ち着くことなく転居を繰り返し、苦労の多い人生を送ったようである。 その晩、ネットで調べものをしていてゾッとするような情報にぶち当たった。事件当時に犯人であるノースコットが住んでいた家が今もそのまま残っているというのだ。 自分は映画好きであって犯罪マニアではない。殺人現場などむしろ避けて通りたい派だ。しかし映画ライターを名乗り、アメリカにまで来ておいて、この転がり込んできた情報をスルーするのか? むしろ『チェンジリング』所縁の場所を巡った今だからこそ感じるものがあるんじゃないのか? 翌朝もまだ迷っていたが、午前の用事に時間を取られ、午後の予定が白紙になってしまった。ロサンゼルスからノースコットの農場があったワインヴィルまでは車で約1時間。代わり映えのしないハイウェイを東へ進み、15号線とぶつかったところで南に折れる。途中で見かけたパモーナという地名は、確か『ダイ・ハード』でボニー・ベデリアが演じたジョン・マクレーン刑事の妻が子供たちと住んでいた町だ。 自分は霊感とは程遠い人間で、第六感的になにかを察知したことはない。しかし目的地が近付いてくると吐き気を催し始めた。きっと自己暗示だと思いつつも全身が「行きたくない」と叫んでいる。なんでこんなところまで来てしまったのか? 後悔し始めた時にはワインヴィルに一番近い高速の出口に着いていた。ノースコットの家はもう目と鼻の先である。 実は現在はワインヴィルという町は存在しない。ノースコットの事件があまりにもマスコミで騒がれたために住民が地名を変えたからだ。ただ「ワインヴィル・アベニュー」という通りがあり、ノースコットの家もこの道路に面している。 車から場所を確かめ、200mほど離れたところにレンタカーを停めた。農場がどれくらいの広さだったかはわからないが、周囲はほぼ住宅地になっている。歩行者の姿はまったく見かけない。カメラをつかんで件の家まで歩いてみる。一軒手前の家で凶悪な番犬に吠えられ、逃げ帰りたくなるほど驚いた。 件の家は壁が黄色く塗られた平屋の一軒家だ。メンテナンスのおかげか築90年の古家には見えないが、屋根の形や窓の配置は確かに当時の報道写真のままである。 敷地の奥に停められているトラックの辺りにウォルター少年が殺害された鶏舎があったはず。骨の一部が埋められていた場所は奥まっていて窺うことができないが、今は別の棟が建っているらしい。 やたらと禍々しく感じるのは先入観から来る錯覚だと自分に言い聞かせる。フェンスの金網になぜか細い木切れが縦に何本も挿さっていて、その意味不明さがさらに不安を煽り立てる。 家には事件のことはまったく知らずに入居した夫婦が住んでいると聞く。誰か出てきたらどうしようか。日本からの野次馬が歓迎されるとは思えない。盗撮のような気分で写真を2、3枚撮り、足早に車に向かった。 振り返ると、まだ造成されていない空き地が広がっていた。空き地の向こうに見える木立はちょうど殺された少年たちの骨が埋められていた辺りだ。 一応写真を撮っておこうと空き地に足を踏み入れてぎょっとした。土壌がやけに柔らかく、軽く足がめり込む。当時もこんな土壌だったのなら、ノースコットと共犯を強いられた甥のサンフォード・クラークはいとも簡単に穴を掘ることができただろうと、嫌な想像が膨らんでいく。 すでに夕暮れに差し掛かり、マジックアワーの現実離れした色彩が違和感に拍車をかける。その時に気がついた。例の木立の上空にだけ、黒い鳥の群れがくるくると旋廻している! いや、こんなのはただの偶然のはず。でも広い視界のどこを見ても、呪わしい木立の上にしか鳥は飛んでいないのだ。もう充分だ。一刻も早くここから離れよう。 実はイーストウッドも撮影前にこの地を訪れたという。犯人の家がそのまま残っていることを不気味に思い、その家を訪ねることなく立ち去ったという。あのイーストウッドがビビったのだから自分ごときが怯えるのも仕方がない。興味があって心臓が強い人のみ、住民に迷惑をかけない範囲で行ってみることをお勧めします。■ © 2008 UNIVERSAL STUDIOS
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PROGRAM/放送作品
Mr.&Mrs. スミス
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが暗殺者夫婦を演じた、痛快アクション・コメディ
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー。ハリウッドを代表するスターが、暗殺者夫婦を演じたアクション・コメディ。監督は『ボーン・アイデンティティー』のダグ・リーマンが務めている。
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PROGRAM/放送作品
(吹)Mr.&Mrs. スミス
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが暗殺者夫婦を演じた、痛快アクション・コメディ
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー。ハリウッドを代表するスターが、暗殺者夫婦を演じたアクション・コメディ。監督は『ボーン・アイデンティティー』のダグ・リーマンが務めている。
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PROGRAM/放送作品
ソルト
敵か味方か? アンジェリーナ・ジョリーが謎のCIAエージェントに扮するサスペンス・アクション
アンジェリーナ・ジョリーが『ボーン・コレクター』の監督と11年ぶりにタッグ。トム・クルーズが演じるはずだった二重スパイ疑惑のCIA分析官をそのまま演じ、様々な挌闘術を駆使したハードアクションを魅せる。
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PROGRAM/放送作品
(吹)ソルト
敵か味方か? アンジェリーナ・ジョリーが謎のCIAエージェントに扮するサスペンス・アクション
アンジェリーナ・ジョリーが『ボーン・コレクター』の監督と11年ぶりにタッグ。トム・クルーズが演じるはずだった二重スパイ疑惑のCIA分析官をそのまま演じ、様々な挌闘術を駆使したハードアクションを魅せる。