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PROGRAM/放送作品
くちづけ
次第に暴走するエキセントリック彼女に翻弄される生真面目彼氏。胸しめつけられる60’sヤンデレ純愛物語
名匠パクラが、後の“ヤンデレ”を先取りしたような切ない恋愛映画で監督デビュー。ライザ・ミネリが、ハイテンションでちょっと病んだファニーフェイスの女子大生を大好演。アカデミー主演女優賞ノミネートも納得。
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COLUMN/コラム2015.11.30
男たちのシネマ愛①愛すべき、未DVD・ブルーレイ化作品(6)
飯森:「くちづけ」は個人的に一番の押しですね。 なかざわ:ちょうど’60年代終わりから’70年代初頭にかけての、当時ならではの繊細なタッチがいいですよね。設定やストーリーこそ違うけれど、「愛すれど心さびしく」(注33)にも似た瑞々しい青春ドラマの趣があります。それ以前のアメリカの青春ドラマって、それこそトロイ・ドナヒュー(注34)とスザンヌ・プレシェット(注35)の恋愛ロマンスとか、フランキー・アヴァロン(注36)とアネット・ファニチェッロ(注37)のビーチものとか、いわゆる中産階級のティーンたちの明るく楽しい映画が多かったじゃないですか。 飯森:ビーチサウンドに乗ってね、オープンカーで海へ出かけて遊ぶみたいな。 なかざわ:それに対する反動もあってなのか、もちろん時代の空気もあるとは思いますが、このころになると個人の内面というか、特にマジョリティーと相容れない若者の心情を描く青春映画が多く作られるようになって。 飯森:僕は、これはニューシネマだと口が滑りそうになったんですけど、よく考えるとニューシネマじゃないんですよね。ニューシネマってのは、スクエアな人達に対して反発する主人公がいないといけないんです。四角四面にサラリーマンやっている奴らに反発するんだっていう、“Don’t Trust Over Thirty(30歳以上を信用するな)”というマインドがないとならない。で、そんな連中が最後には圧力によって押さえ込まれ、挫折して死んでいくさまを描かなくちゃならないんだけど、これは主人公の男の子が思いっきりエスタブリッシュメント側の人間なんですよ。俺は普通に大学へいって、普通に就職して人並みに生きていくんだという。それが、たまたま付き合うことになった女というのが、とても変な女だった。だんだん付き合っていくうちに、やばいかも…?となる。そこで愛が冷めればいいんだけど、愛情を抱いたままで、いわば“事故物件”だったことに気づいちゃうんですね。こういう、手を引くことの苦痛感を描く映画ってジャンルとしてあるんですよ。「ベティ・ブルー」(注38)とかね。男向け恋愛映画だと思うんだけど、これが切ないんです。 なかざわ:でも、ライザ・ミネリ(注39)演じるヒロイン、プーキーの視点からすると、彼女って要するにいじめられっ子だと思うんですよ。具体的に言及はされていないけど、恐らく周囲から浮いていて変人だと思われている。だから、彼女は逆に周りの普通の人たちをバカだと決めつけているわけです。自分以外は全員バカなんだと。 飯森:なるほど、それってフラタニティ(大学の社交クラブ)のシーンですよね。みんなでワイワイ学生らしく深酒して楽しんでいるところに、プーキーが入っていくとヤバいケミストリーが起きてしまって、彼女の変人ぶりが一気にスパークしてしまう。その解釈だと合点がいきますね。 ==============この先ネタバレが含まれます。============== なかざわ:自分はプーキーの視点でこの作品を見ていたんですよ。だから、周囲と相容れられずに誰も理解してくれない孤独だったり、同じ感覚を共有できる相手がいないといった気持ちを抱えていた女の子が、たまたま目に入った、主人公の見るからに地味で大人しそうな男子を、「もしかしたら自分と同類かも!」と思って一方的に恋をする話だと思うんです。で、彼女にグイグイと迫られた主人公も悪い気がしなくて、なんとなく付き合い始めちゃうんだけど、やっぱり手に負えなかった…という。おそらく、ラストシーンの表情から察するに、彼女も内面では“この人じゃなかったな”と悟っていたように思います。 飯森:これは、こうやって議論したくなる映画ですね。単純なストーリーではあるんだけど、誰の視点に立つかによって大きく解釈が変わる。あと、僕がこの映画でもう1つ引っかかっているのが、最初に出てくるオジサンなんです。原語のセリフではBig Manとしか言及されていないと思うんですけど。最初のバス停留所のシーンで、身なりのいい普通のおじさんがプーキーのスーツケースを持ってあげていて、2人でバスを待っている。そこへ大学生の主人公の男の子がやってきて、彼女は一方的に厚かましくお知り合いになっちゃう。で、その次の次に会った時には早くも付き合うことになるわけですが、あのオジサンは誰なの…?と。字幕ではお父さんと訳しているんだけど、セリフでFatherとは言っていないんじゃないかな、断言はできませんが。 なかざわ:結局、そのあとあの男性は出てこないし。彼女の話の中にお父さんは出てくるけれど、それによるとほとんど会ってないはずなんですよね。 飯森:最初の紳士は、彼女のお父さんではないんじゃないかと思うんです。で、この映画の最後って、別れることになった2人が、冒頭のシーンと同じようにバス停留所でバスを待っているわけです。何かしゃべることもなく、主人公の男の子が彼女のスーツケースを持ってあげて。で、プーキーだけがバスで去っていって話は終わるわけだけれど、もしかすると最初のオジサンってパパじゃなくて、っていうかパパっていっても別の“パパ”では…?と想像すると、今度はホラーになっちゃう(笑)。 なかざわ:サイコサスペンスですね。 飯森:つまり、次から次へと男の人生を引っ掻き回して、無茶苦茶にして、もう勘弁してくれって言われると、次の“宿り木”を探して全米をバスで旅してまわる恋愛依存体質の恐ろしい女なんじゃないかという解釈もできるかもしれない。普通に見ても男の恋愛映画として泣けるけど、ホラー作品と考えると、改めてもう一度見たくなる。もし本当に一言もそのオジサンをFatherって呼んでなかったら、その見立ては多分正しいぞ、今すぐ巻き戻して確認しなくっちゃ!みたいな。そんな楽しみもできますよね。 注33:1968年製作。ろうあ者の男性と孤独な少女の心の触れ合いを描く。アラン・アーキン主演。注34:1936年生まれ。俳優。代表作は「避暑地の出来事」(’59)や「恋愛専科」(’62)など。2001年死去。注35:1937年生まれ。女優。代表作は「恋愛専科」(’62)や「鳥」(’63)など。2008年死去。注36:1940年生まれ。俳優・歌手。代表作は「ビキニ・マシン」(’65)や「ビキニガール・ハント」(’65)など。歌手としても2曲の全米No.1ヒットを持つ。注37:1942年生まれ。女優。代表作は「ビキニ・マシン」(’65)や「ビキニガール・ハント」(’65)など。2013年死去。注38:1986年製作。自由奔放な美女ベティの狂気にも似た愛情に翻弄される男を描く。ベアトリス・ダル主演。注39:1946年生まれ。大女優ジュディ・ガーランドの娘。代表作は「キャバレー」(’72)、「ミスター・アーサー」(’81)など。 次ページ >> 丸太で敵をぶん殴る70年代的ヒーロー(飯森) 「スパニッシュ・アフェア」COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 「ザ・キープ」TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 「世界殺人公社」TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 「黄金の眼」COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 「くちづけ」TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 「ウォーキング・トール」© 2015 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2015.11.07
【DVD/BD未発売】淡い詩情を漂わせ、恋愛の残酷な本質にそっと触れた珠玉の小品~『くちづけ』~
なぜか日本では未だソフト化されていない1969年のアメリカ映画『くちづけ』は、アラン・J・パクラ監督のデビュー作である。ハリウッド・メジャーの一角、パラマウントでプロデューサーを務めたのちに監督へと転身したパクラは、ジェーン・フォンダ主演のサスペンス劇『コールガール』(71)で成功を収め、ウォーターゲート事件を題材にしてアカデミー賞4部門を制した『大統領の陰謀』(76)で名匠の仲間入りを果たした。そのほかにも『パララックス・ビュー』(74)、『ソフィーの選択』(82)、『推定無罪』(90)など、陰影あるミステリー映画や人間ドラマで職人的な手腕を発揮した。 そのパクラ監督が『コールガール』の2年前に発表した本作は、何やらエロティックな連想を誘う邦題がついているが、扇情的な官能描写とは無縁のみずみずしい青春ロマンスだ。主人公はアメリカ東部の大学に入学するため、バスに乗ろうとしているジェリー。いかにも内気な優等生といった風情で、昆虫オタクでもある彼の視界に突然、プーキー・アダムスという女の子が飛び込んでくる。 プーキーはジェリーとは別の大学の新入生なのだが、彼女は見かけも性格も普通の女子大生とは違っていた。文学少女風のショートヘアにべっ甲の丸縁メガネをかけ、困惑するジェリーにお構いなく「人間は70年間生きたとしても、いい時間は1分だけなのよ」などと甲高い声で一方的に奇妙なことをしゃべりまくる。バスを降りていったん別れた後も、ジェリーが入居した男子学生寮に押しかけてきて、一緒に遊ぼうと持ちかけてくる。かくして、すっかりプーキーのペースに巻き込まれたジェリーは、成り行き任せで彼女とのデートを重ねていくのだが……というお話だ。 本作が作られた1969年はアメリカン・ニューシネマの真っただ中だが、ここには『いちご白書』(70)のような若者たちの悲痛な叫びはない。翌1970年に大ヒットした『ある愛の詩』のように、身分の違いや難病といったドラマティックな要素が盛り込まれているわけでもない。ジェリーとプーキーが草原、牧場、教会などをぶらぶらとデートし、他愛のない会話を交わすシーンが大半を占めている。 しかし大学街の秋景色をバックに紡がれるこのラブ・ストーリーは得も言われぬ淡い詩情に満ちあふれており、フレッド・カーリン作曲、ザ・サンドパイパーズ演奏による主題歌「土曜の朝には」のセンチメンタルなメロディも耳にこびりついて離れない。このフォークソングはアカデミー歌曲賞候補に名を連ねたが、この年オスカー像をかっさらったのは『明日に向って撃て!』におけるバート・バカラックの「雨にぬれても」だった。 とはいえ、本作の魅力はノスタルジックな詩情だけではない。やがて中盤にさしかかるにつれ、映画のあちこちに不穏な“影”が見え隠れし始める。デートで墓場に立ち寄ったりする主人公たちに強風が吹きつけたり、プーキーがウソかマコトかわからない身の上話を告白したりと、それまで恋に夢中であることの喜びを謳い上げていた映画に、そこはかとなく嫌な予兆がまぎれ込んでくるのだ。エキセントリックな言動を連発していたプーキーが、実はただならぬ“孤独恐怖症”とでもいうべき病的な一面を抱えていることが明らかになってきて、ふたりの関係はメランコリックなトーンに覆われていく。 終盤、忽然と姿を眩ましたプーキーのことが心配になったジェリーが、ようやく彼女の居場所を突き止めてある部屋の“扉”を開けるシーンは、観る者に最悪のバッドエンディングさえ予感させ、ほとんどスリラー映画のように恐ろしい。 プーキーを演じたライザ・ミネリはご存じ代表作『キャバレー』(72)でアカデミー主演女優賞に輝いた大スターだが、それに先立って本作でもオスカー候補になっている。まるでストーカーのように押しかけてくるファニーフェイスのプーキーが、ジェリーとの恋を通してぐんぐんキュートに変貌していく様を生き生きと体現。後半には一転、ヒロインの内なる孤独の狂気をも滲ませたその演技は、今観てもすばらしい。ライザ・ミネリがまだ日本で“リザ・ミネリ”と呼ばれていた頃の映画初主演作である。 言うまでもなくラブ・ストーリーは今も昔も映画における最も“ありふれた”ジャンルだが、本作は何も特別なことを描いていないのに、一度観たら忘れられないラブ・ストーリーに仕上がっている。愛すべきキャラクターと魅惑的な詩情を打ち出し、誰もが経験したことのある恋愛の残酷な本質にそっと触れたこの映画は、今なお切ない刹那的なきらめきを保ち、ザ・シネマでの放映時に新たなファンを獲得するに違いない。■ TM, ® & © 2015 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.