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PROGRAM/放送作品
ザ・ハント
[R15+]富裕層による人間狩りが幕を開ける!現代アメリカ社会を風刺するバイオレンスアクション
ホラー映画界の重要人物ジェイソン・ブラムが製作を務め、人間狩りというショッキングな題材を、リベラルと保守派の対立など米国の社会問題を絡めて描く。オスカー女優ヒラリー・スワンクが人間狩りの首謀者を怪演。
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COLUMN/コラム2023.10.31
アメリカ社会の分断を痛烈に風刺した衝撃の問題作!『ザ・ハント』
※注:以下のレビューには一部ネタバレが含まれます。 人間狩りの獲物はトランプ支持者!? トランプ政権以降のアメリカで進行するイデオロギーの極端な二極化。右派と左派がお互いへの敵意や憎悪をどんどんとエスカレートさせ、社会の分断と対立はかつてないほど深刻なものとなってきた。それを率先して煽ったのが、本来なら両者の溝を埋めねばならぬ立場のトランプ元大統領だったというのは、まるで趣味の悪いジョークみたいな話であろう。そんな混沌とした現代アメリカの世相を、ブラックなユーモアとハードなコンバット・アクション、さらには血みどろ満載のバイオレンスを交えながら、痛烈な皮肉を込めて風刺した社会派スプラッター・コメディが本作『ザ・ハント』(’20)である。 物語の始まりは、とあるリッチなビジネス・エリート集団のグループ・チャット。メンバー同士の他愛ない会話は、「領地(マナー)で哀れな連中を殺すのが楽しみ!」という不穏な話題で締めくくられる。その後、豪華なプライベート・ジェットで「領地(マナー)」へと向かうエリート男女。すると、意識のもうろうとした男性が貨物室から迷い出てくる。驚いてパニックに陥る乗客たち。男性を落ち着かせようとした医者テッドは、「予定より早く起きてしまった君が悪い」と言って男性をボールペンで刺し殺そうとし、プライベート・ジェットのオーナーである女性アシーナ(ヒラリー・スワンク)が男性の息の根を止める。「このレッドネックめ!」と忌々しそうに吐き捨てながら、遺体を貨物室へ戻すテッド。すると、そこには眠らされたまま運ばれる人々の姿があった。 場所は移って広い森の中。猿ぐつわをかませられた十数名の男女が目を覚ます。ここはいったいどこなのか?なぜ猿ぐつわをしているのだろうか?自分の置かれた状況が理解できず戸惑う人々。よく見ると草原のど真ん中に大きな木箱が置かれている。中を開けてみると、出てきたのは一匹の子豚と大量の武器。直感で事態を悟り始めた男女は、それらの武器をみんなで分ける。するとその瞬間、どこからともなく浴びせられる銃弾、血しぶきをあげながら次々と倒れていく人々。これで彼らは確信する。これは「マナーゲートだ!」と。 マナーゲートとは、ネット上でまことしやかに噂される陰謀論のこと。アメリカの富と権力を牛耳るリベラル・エリートたちが、領地(マナー)と呼ばれる私有地に集まっては、娯楽目的で善良な保守派の一般庶民を狩る。要するに「人間狩り」だ。やはりマナーゲートは実在したのだ!辛うじて森からの脱出に成功した一部の人々は、近くにある古びたガソリン・スタンドへと逃げ込む。親切そうな初老の店主夫婦によると、ここはアーカンソー州だという。店の電話で警察へ通報した彼らは、そこで助けが来るのを待つことにする。ところが、このガソリン・スタンド自体が人間狩りの罠だった。 あえなく店主夫妻(その正体は狩る側のエリート)に殺されてしまう男女。すると、そこへ一人でやって来た女性クリスタル(ベティ・ギルピン)。鋭い観察力と判断力でこれが罠だと見抜いた彼女は、一瞬の隙をついて店主夫妻を殺害し、やがて驚異的な戦闘能力とサバイバル能力を駆使して反撃へ転じていく。果たして、この謎めいた女戦士クリスタルの正体とは何者なのか?狩りの獲物となった男女が選ばれた理由とは?そもそも、なぜエリートたちは残虐な人間狩りを行うのか…? リッチでリベラルな意識高い系のエリート集団が、まるでトランプ支持者みたいなレッドネックの右翼レイシストたちを誘拐し、人間狩りの獲物として血祭りにあげていく。当初、本作の予告編が公開されると保守系メディアから「我々を一方的に悪者と決めつけて殺しまくる酷い映画だ!」と非難され、トランプ大統領も作品名こそ出さなかったものの「ハリウッドのリベラルどもこそレイシストだ!」と怒りのツイートを投稿。ところが、蓋を開けてみるとエリート集団の方も、傲慢で選民意識が強くて一般庶民を見下した偽善者として描かれており、一部のリベラル系メディアからは「アンチ・リベラルの右翼的な映画」とも批判されている。言わば左右の双方から不興を買ってしまったわけだが、しかし実のところどちらの批判も的外れだったと言えよう。 本作にはトランプ支持者を一方的に貶める意図もなければ、もちろんリベラル・エリートの偽善を揶揄するような意図もない。むしろ、彼らの思想なり信念なりを劇中では殆ど掘り下げておらず、その是非を問うたりすることもなければ、どちらかに肩入れしたりすることもないのである。脚本家のニック・キューズとデイモン・リンデロフがフォーカスしたのは、左右の双方が相手グループに対して抱いている「思い込み」。この被害妄想的な間違った「思い込み」が、アメリカの分断と対立を招いているのではないか。それこそが本作の核心的なメッセージなのだと言えよう。そう考えると、上記の左右メディア双方からの批判は極めて象徴的かつ皮肉である。 陰謀論を甘く見てはいけない! そもそも、本作のストーリー自体が「思い込み」の上に成り立っている。きっかけとなったのは「マナーゲート」なる陰謀論。「エリートが庶民を狩る」なんて極めてバカげた荒唐無稽であり、実のところそんなものは存在しなかったのだが、しかしその噂を本当だと思い込んだ陰謀論者たちが特定の人々をやり玉にあげ、そのせいで仕事を奪われたエリートたちが復讐のために陰謀論者をまとめて拉致し、本当に人間狩りを始めてしまったというわけだ。まさしく「思い込み」が招いた因果応報の物語。しかも、主人公クリスタルが獲物に選ばれたのも、実は「人違い」という名の思い込みだったというのだから念が入っている。なんとも滑稽としか言いようのいない話だが、しかしこの手の思い込みや陰謀論を笑ってバカにできないのは、Qアノンと呼ばれるトランプ支持の陰謀論者たちが勝手に暴走し、本作が公開された翌年の’21年に合衆国議会議事堂の襲撃という前代未聞の事件を起こしたことからも明らかであろう。 ただ、これを大真面目な政治スリラーや、ストレートな猟奇ホラーとして描こうとすると、社会風刺という本作の根本的な意図がボヤケてしまいかねない。そういう意味で、コミカル路線を採ったのは大正解だったと言えよう。血生臭いスプラッター・シーンも、ノリは殆んどスラップスティック・コメディ。その荒唐無稽でナンセンスな阿鼻叫喚の地獄絵図が、笑うに笑えない現代アメリカの滑稽なカオスぶりを浮かび上がらせるのだ。脚本の出来の良さも然ることながら、クレイグ・ゾベル監督の毒っ気ある演出もセンスが良い。 さらに、本作は観客が抱くであろう「思い込み」までも巧みに利用し、ストーリーに新鮮なスリルと意外性を与えることに成功している。例えば、冒頭に登場する獲物の若い美男美女。演じるのはテレビを中心に活躍するジャスティン・ハートリーにエマ・ロバーツという人気スターだ。当然、この2人が主人公なのだろうなと思い込んでいたら、ものの一瞬で呆気なく殺されてしまう。その後も、ならばこいつがヒーローか?と思われるキャラが早々に消され、ようやく本編開始から25分を過ぎた辺りから、それ以前に一瞬だけ登場したけどすっかり忘れていた地味キャラ、クリスタルが本作の主人公であることが分かってくる。すると今度は、それまでの展開を踏まえて「やはり彼女もそのうち殺されるのでは…?」と疑ってしまうのだから、なるほど人間心理って面白いものですな。映画の観客というのはどうしても先の展開を読もうとするものだが、当然ながらそこには過去の映画体験に基づく「思い込み」が紛れ込む。本作はその習性を逆手に取って、観客の予想を次々と裏切っていくのだ。 その主人公クリスタルを演じているのは、女子プロレスの世界を描いたNetflixオリジナル・シリーズ『GLOW:ゴージャス・レディ・オブ・レスリング』(‘17~’19)で大ブレイクした女優ベティ・ギルピン。アクション・シーンの俊敏な動きとハードな格闘技は、3年に渡って女子プロレスラー役を演じ続けたおかげなのかもしれない。しかしそれ以上に素晴らしいのは、劇中では殆ど言及されないクリスタルの人生背景を、その表情や佇まいやふとした瞬間の動作だけで雄弁に物語るような役作りである。タフで寡黙でストイック。質素な身なりや険しい顔つきからも、相当な苦労を重ねてきたことが伺える。それでいて、鋭い眼差しには高い知性と思慮深さが宿り、きりっと引き締まった口元が揺るぎない意志の強さを物語る。恐らく、恵まれない環境のせいで才能を発揮できず、辛酸を舐めてきたのだろう。夢や理想を抱くような余裕もなければ、陰謀論にのめり込んでいるような暇もない。そんな一切の大義名分を持ち合わせていないヒロインが、純然たる生存本能に突き動かされて戦い抜くというのがまた痛快なのだ。 本作が劇場公開されてから早3年。合衆国大統領はドナルド・トランプからジョー・バイデンへと交代し、いわゆるQアノンの勢いも一時期ほどではなくなったが、しかしアメリカ社会の分断は依然として解消されず、むしろコロナ禍の混乱を経て左右間の溝はなお一層のこと深くなったように思える。それはアメリカだけの問題ではなく、日本を含む世界中が同じような危機的状況に置かれていると言えよう。もはや映画以上に先の読めない時代。より良い世界を目指して生き抜くためには、分断よりも融和、対立よりも対話が肝心。ゆめゆめ「思い込み」などに惑わされてはいけない。■ 『ザ・ハント』© 2019 Universal City Studios LLLP & Perfect Universe Investment Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ブラック・ダリア
[R-15]ロサンゼルス最悪の迷宮事件をデ・パルマが映画化!欲望にまみれた黒い謎を暴くサスペンス!
作家エルロイがロスの闇を描く『L.A.コンフィデンシャル』を含むシリーズのうち、原作発表順では第1作となる同名小説を、鬼才デ・パルマが映像化。実際に起きた未解決猟奇事件に着想を得たL.A.ノワール。
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COLUMN/コラム2014.06.21
ハリウッド暗黒史に語り継がれるふたつの怪事件 ― その虚飾にまみれた倒錯と悲哀の世界
ブラック・ダリア事件は、20世紀のアメリカ犯罪史上最もセンセーショナルな未解決事件のひとつである。1947年1月15日の午前10時半、ロサンゼルスの空き地を通りかかった主婦が発見した女性の死体は、胴体がふたつに切断されていた。さらに血と内臓を抜かれたうえに性器が切除され、口が左右の耳元まで裂かれたその死体はさながらグロテスクなアートのようで、ネクロフィリアらの性的倒錯者による犯行が疑われた。被害者の名はエリザベス・ショート。ハリウッド女優としての成功を夢見て、マサチューセッツ州から上京してきた22歳の美しい白人女性だった。ロス市警は前例のない大がかりな捜査態勢を敷き、何人もの容疑者が捜査線上に浮かんだが、事件は迷宮入りしてしまう。 マスコミが熾烈な取材合戦を繰り広げ、被害者エリザベスを悪夢のようなメロドラマのヒロインに見立てて報じたこの事件は、ブラック・ダリアというネーミングもキャッチーだった。事件の前年に公開されたレイモンド・チャンドラー脚本のスリラー映画『青い戦慄』の原題が『The Blue Dahlia』であり、生前のエリザベスが黒い服を好んだことからブラック・ダリアと命名されたのだ。殺人の手口といい、被害者のプロフィールといい、そのあまりにも異様な残虐性と悲劇性を知れば知るほど、否応なく闇の中の真相への好奇心をかき立てられてしまう。そんな特別な魔力を秘めた怪事件である。 ブライアン・デ・パルマ監督が手がけた2006年作品『ブラック・ダリア』は、ジェームズ・エルロイの“暗黒のL.A.4部作”の一作目となった同名犯罪小説の映画化だ。エルロイとブラック・ダリア事件の間には数奇な因縁がある。エルロイは事件発生の翌年にあたる1948年にロサンゼルスに生まれたが、10歳の時に母親を何者かに惨殺されてしまう。しかもその事件は迷宮入りし、やがてどす黒い犯罪の世界に引きつけられたエルロイは、非業の死を遂げた自らの母親の残像をエリザベス・ショートにだぶらせていく。こうしてブラック・ダリア事件は“アメリカ文学の狂犬”と呼ばれる異端的作家の原点となった。そんなエルロイの個人的なトラウマや執着が反映された小説に基づく『ブラック・ダリア』は、事件の全貌を徹頭徹尾リアルに再現することを試みたノンフィクション的志向の作品ではなく、あくまで“事実を背景にしたフィクション”なのである。 かくして完成した『ブラック・ダリア』は、デ・パルマ監督のもとにヴィルモス・ジグモンド(撮影)、ダンテ・フェレッティ(美術)、マーク・アイシャム(音楽)らの一流スタッフと、ジョシュ・ハートネット、アーロン・エッカート、スカーレット・ヨハンソン、ヒラリー・スワンクらの豪華キャストが集った堂々たるハリウッド大作だというのに、興行的にも批評的にも失敗作と見なされた。その要因はいくつか考えられるが、筆者が思うにまず脚色のミスが挙げられる。エルロイの長大な原作小説から多くの要素を削ってプロットをスリム化したにもかかわらず、出来上がった映画は極めてストーリーが錯綜してのみ込みづらい。エルロイ流の濃密な心理描写&暴力描写が際立つ小説では、複数のエピソードがいつしか絡み合い、ひとつの真実へと到達する構成が圧倒的なカタルシスを生んだが、たかだが2時間の映画でそれを成し遂げるのは容易ではない。そもそもデ・パルマという監督は職人的なストーリーテラーではなく、根っからのヴィジュアリストである。大勢の登場人物の入り組んだ相関関係を描くには不向きなタイプで、ドラマの焦点がぼけてしまった感は否めない。 それ以上に大問題なのはマデリンというファムファタールを演じるヒラリー・スワンクが、どこからどう見てもミスキャストとしか思えないことだ。マデリンが惨殺されたエリザベス・ショートに“瓜ふたつの美女”という設定は、この物語において絶対に押さえておかねばならない重大ポイントだというのに、“男前”のスワンクはお世辞にも主人公の警官バッキー・ブライカート(ジョシュ・ハートネット)をひと目で魅了するほどの美貌の持ち主とは言いがたい。おまけにエリザベス役のミア・カーシュナーとは似ても似つかぬ貌立ちであり、二重の意味で不可解な配役となった。エリザベスの可憐さや愛に飢えた哀しみを表現したカーシュナーの好演が光るぶん、なぜカーシュナーにひとり2役でエリザベスとマデリンを演じさせなかったのかと惜しまれる。そうすれば“死んだはずの美女へのオブセッション”を主題にしたヒッチコックの『めまい』の信奉者であるデ・パルマの創作意欲も、大いに刺激されたであろうに。こうも観る者に困惑を強いるスワンクの役どころ、逆にぜひとも注目していただきたい。 とはいえフィルムノワールには“混乱”が付きものであり、それがいびつな魅惑にも転化しうるジャンルだけに、上記のネガティブなポイントも踏まえたうえで本作を楽しみたい。とりわけ“ミスター・ファイアー”の異名で鳴らす熱血警官リー・ブランチャード(アーロン・エッカート)と“ミスター・アイス”ことブライカートの出会いから、エリザベスの死体が発見されるまでのハイテンポな導入部がすばらしい。この警官コンビが犯罪者のアジトを張り込む姿を映し出すカメラが緩やかにビルの屋上を越え、エリザベスの死体発見者の主婦を捉えていくダイナミックなクレーンショット! その後もブランチャードが2人の殺し屋に襲撃されるシークエンスなど、デ・パルマ印の“影”や“階段”に彩られ、長回しとスローモーションを駆使したスリリングな場面が少なくない。『ファントム・オブ・パラダイス』の怪優ウィリアム・フィンレイと、『ハリー・ポッター』シリーズのレギュラー女優フィオナ・ショウが終盤に見せつける狂気の形相も圧巻のひと言。そしてデ・パルマといえば『キャリー』『殺しのドレス』から近作『パッション』に至るまで“衝撃のラスト”が十八番だが、本作のラストには“アメリカ犯罪史上最も有名な死体”たるエリザベスの切断死体を活用している。そのサプライズ演出にギョッとさせられるか、ニヤリとするか、ぜひお見逃しなく。 ブラック・ダリア事件から12年後の1959年6月16日、TVシリーズ「スーパーマン」の主演俳優としてお茶の間のヒーローとなったジョージ・リーヴスが自宅で突然の死を遂げた。拳銃による自殺説が有力とされているこの事件を題材にした『ハリウッドランド』は、架空のキャラクターである私立探偵ルイス・シモの調査を通して、リーヴスが死に至るまでの軌跡を忠実に再現したという触れ込みの実録ドラマだ。ハードボイルド・ミステリーの形をとっているが、知られざる“衝撃の真実”が見どころではない。カメラワークや色調共にクラシック・スタイルの端正な映像で語られるのは、スーパーマンのイメージが強すぎて映画界では大成せず、人知れず苦悩を深めていった男の悲劇。当時のハリウッドはテレビの普及などによってスタジオ・システムが揺らぎつつあったが、まだTVドラマは二流役者の仕事と見なされていた。 何より驚かされるのは、リーヴス役のベン・アフレックにまったくスター俳優らしいオーラのようなものが感じられないことだ。リーヴスはスタジオ重役の妻(ダイアン・レイン)との不倫に耽ったり、それなりに華やかな俳優人生を送ったようだが、アフレックの瞳や表情には生彩がなく、動きもやけに鈍い。白黒テレビの時代ゆえに、青と赤ならぬくすんだ灰色のタイツ&マントに身を包んで「スーパーマン」の撮影をこなすシーンなどは、目も当てられないほど痛々しい。本作が製作された2006年はアフレックのキャリアが停滞していた時期で、それがオーラの欠如となって表れたのか、それとも確固たる役作りによるものだったのか、今となっては不明である。いずれにせよアフレックの悲哀漂う演技は、破滅へと向かうリーヴスのキャラクターに見事にはまり、ヴェネチア国際映画祭男優賞受賞、ゴールデン・グローブ助演男優賞ノミネートという栄誉をたぐり寄せた。そしてこの翌年、アフレックはミステリーノワールの秀作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』で監督デビューを果たし、のちに『アルゴ』でアカデミー作品賞を受賞。飛躍的な復活を遂げたのだった。 また本作は、エイドリアン・ブロディ演じる探偵シモのキャラクターの負け犬っぷりも強烈だ。妻子と別れ、どん詰まりの日々を送るシモは、金目当てで請け負ったリーヴスの死の調査に深入りするうちに、この孤独なスーパーマン俳優にシンパシーを抱くようになる。すなわちこれは一見対照的な世界に身を置きながらも、本質的に同じ悩みを持つ男たちの魂が共鳴する物語なのだ。この映画には『ブラック・ダリア』のような過激なヌードやバイオレンスもなく、本格的なスリラーや謎解きを期待する人は肩すかしを食らうだろう。しかしある程度の人生経験を積み、ふと“もうひとつの人生”を夢想したりする40代以上の視聴者の心には、ちょっぴり切なく響くドラマに仕上がっているのではあるまいか。 1940~1950年代の混沌としたムードや風俗を今に甦らせた『ブラック・ダリア』『ハリウッドランド』には、現代劇では醸し出せない優雅さと禍々しさがせめぎ合っている。夢という名の虚飾と欲望にまみれた奇々怪々なふたつの事件。それらを生み落としたハリウッドの得体の知れない闇には、まだまだ映画化の題材がいくつも転がっていそうである。■ ©2006 EQUITY PICTURES MEDIENFONDS GmbH & Co.KG? And NU IMAGE ENTERTAINMENT GMBH
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PROGRAM/放送作品
ザ・コア
人類の危機を救うため、地球の核(コア)へと挑む6人の姿を描いたSFパニック・サスペンス
『ダークナイト』でトゥーフェイスを演じたアーロン・エッカートと、『ミリオンダラー・ベイビー』のヒラリー・スワンクが出演するSFパニック・サスペンス。監督は『エントラップメント』のジョン・アミエル。
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COLUMN/コラム2014.04.29
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年5月】飯森 盛良
1947年にLAで起こった猟奇殺人事件を描いている本作で、スカーレット・ヨハンソンもヒラリー・スワンクも喰ってしまうほど素晴らしかったのが、ミア・カーシュナー!公開時は心を鷲づかみにされ、いまだにされっぱなしのままです。 体を真っ二つに切断され、口を耳まで切り裂かれた状態で発見された女性の全裸惨殺死体。刑事たちは捜査を進めるうち、在りし日の彼女を撮影したフィルムを入手します。そこに写っていたのは、映画業界での夢にしがみつくためルックスと裸を武器にするしかなかった、愚かで美しい一人の女性の姿。与えられない愛情を懇望し、あるいは不本意で惨めな人生に絶望し、あきらめたような泣き笑いの半笑顔をカメラに向ける生前の彼女。そんな、男心を激しく揺さぶり、男たちの人生を狂わす、死せる薄幸の美女ブラック・ダリアを、ミア・カーシュナーは、はかなく、切なく好演しています。 個人的に、死んだ女にマジ惚れするのはローラ・パーマー以来のこと!男性諸兄はこの薄幸オーラに“持ってかれちゃう”かもしれませんよ。御覚悟あれ。 ©2006 EQUITY PICTURES MEDIENFONDS GmbH & Co.KG? And NU IMAGE ENTERTAINMENT GMBH
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PROGRAM/放送作品
フリーダム・ライターズ
ある新米教師と1冊のノートが生んだ奇跡の物語…ヒラリー・スワンク主演で描く感動の実話ドラマ
ロサンゼルス暴動で荒廃した高校を舞台に、実在の教師と生徒たちが記録したベストセラーを映画化。アカデミー賞に2度輝いた演技派女優ヒラリー・スワンクが製作総指揮も兼任し、芯の強いヒロインを静かに好演する。
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PROGRAM/放送作品
ミリオンダラー・ベイビー
[PG-12]老トレーナーと女性ボクサーが紡ぐ絆と“生命の尊厳”に涙…アカデミー賞受賞の感動作
親子ほど年の離れた男女がボクシングを通じて育む絆と過酷な試練を、名優たちの繊細な演技で織りなす。アカデミー作品賞・監督賞・主演女優賞(ヒラリー・スワンク)・助演男優賞(モーガン・フリーマン)を受賞。
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PROGRAM/放送作品
マリー・アントワネットの首飾り
一人の女の野心がフランス王朝を崩壊へと導いた!一大スキャンダルを新解釈で描く歴史ドラマ
革命前夜の18世紀フランスで起き、王室への世論を悪化させた“首飾り事件”。歴史の闇に包まれたその顛末を独自の解釈で描き出す。奪われた家名を取り戻すため策略を練るヒロインをヒラリー・スワンクが熱演。
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PROGRAM/放送作品
ベスト・キッド4
女子高生が新たな弟子に!若きヒラリー・スワンクが初主演作で輝く青春スポ魂シリーズ第4弾
のちのオスカー女優ヒラリー・スワンクの映画初主演作であり、彼女が扮する女子高生が空手の達人ミヤギの新たな弟子となるシリーズ異色作。禅寺でマスターした飛び蹴りなど、スワンクの華麗なアクションも必見。