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PROGRAM/放送作品
カットスロート・アイランド
CG無用!アナログ上等!制作費をかけすぎ会社は倒産。空前絶後、究極のアナログ“パイレーツ”映画
CG普及前の海賊映画は、実物大の船を作り、南洋で長期ロケを行うため、とかく費用のかさむジャンルだった。本作はカネを湯水のごとく使い製作会社を倒産させた、史上最大にして最後のアナログ海賊映画だ!
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COLUMN/コラム2015.09.09
【DVD/BD未発売】日本での劇場公開もソフトのリリースもなし。アメリカから届いたマイナー映画の力作をこのチャンスに是非!〜『ファミリー・ウィークエンド』〜
そもそも、ハリウッドのメジャーカンパニーはシリーズ映画のプリクエルかリブートしか作ってないのだ!と言ったら叱られるだろうか? それはさて置き、そんな知名度優先のハリウッドでも、年に数本、スター不在のシリーズ映画ではないオリジナル作品が細々と製作され、それなりの評価を得ている。『ファミリー・ウィークエンド』はまさにそんな1作だ。配給元としてクレジットされているBedford Falls Companyの過去作を調べてみら、ジェイク・ギレンホールとアン・ハサウェイがバイアグラの営業マンと若年性アルツハイマーを患う女性との恋を描いた『ラブ&ドラッグ』(10)にヒットした。なるほど、さもありなん。『ファミリー~』も頑張り屋の女子高生が両親を拘束するという危ない設定から、観客を一気に想定外の領域へと誘う異色コメディに仕上がっている。こんなチャレンジングな企画にGOサインを出せるのはインデペンデント系ならでは。全米公開から2年以上が経過した現時点で、日本での劇場公開もソフトのリリースもされてないので、映画好きにとってはお得感満載だ。 舞台は雪深いアメリカ、ミシガン。ある冬の朝、郊外に建つ瀟洒な豪邸で目覚めた主人公のエミリーが、家族の目に付きそうな場所に高校の縄跳びコンテストまで時間が迫っていることを記したメモを貼り付けている。なぜなら、今の家族は全員バラバラで、自分がコンテストで優勝しようがしまいが知ったこっちゃないことをエミリーは知っているから。案の定、見事優勝を勝ち取り、州大会へとコマを進めたエミリーを祝福する家族の姿は会場にはなかった。そこで、エミリーは一計を案じる。こうなったら、パパとママを睡眠薬で眠らせてから拘束し、もう一度夫婦とは、親とは、家族とはどうあるべきかを自らレクチャーしようと!?勿論、一歩間違えば、否、確実に罪に問われることを承知の上で。 果たして、エミリーの"両親拘束計画"は再び家族をひとつに束ねることになるだろうか?という、大方の道筋はインデペンデント系とは言えハリウッド映画の王道を外さないのだが、製作、監督、脚本各々の担当者がTVドラマに精通しているせいか、とにかくキャラクターの描き方が巧い。まず、今や立派なスポーツとしてギネスにも登録されているスピード縄跳び(1分間に何回飛べるかを競う)に熱中しているエミリーは、映画の冒頭から一点を見つめて小刻みに縄を飛び越える姿に象徴されるように、とにかく一所懸命で一途。家族を再生させるためなら命すら捨てそうな勢いでストーリーも牽引して、終始スピード感に溢れたメインキャラだ。そんなエミリーに負けず劣らず、問題の家族も曲者揃い。パパのダンカンはここ数年絵らしい絵を描いてない落ち目の画家で放任&自由主義者、ママのサマンサはそんな夫に脇目もくれず家にも堂々と仕事を持ち込むワーカホリックな広告ウーマン、兄のジェイソンは映像アーティストの自称、ゲイ、妹のルシンダは常に『タクシー・ドライバー』(76)でジョディ・フォスターが演じた少女娼婦を模している映画かぶれ、弟のミッキーは動物オタク、と言った具合に。 しかし、キャラクターは風変わりなまま放置されると意味をなさない。まるで拡散したまま元に戻るようには思えになった彼らが、歌好きのお祖母ちゃん、GGの提案で片手に縫いぐるみを持ってリビングに集まり、拘束されたままの両親を囲んで、縫いぐるみを介してそれぞれの胸の内を吐露し合った時、丸い輪を形成し始める。実はみんな、バラバラな家族の中で何とか自分の居場所を見つけ、藻掻いていたことが露わになる。そう、エミリーの無謀な計画は無駄ではなかったのだ。 そんな家族再生ドラマとしての側面に加えて、本作にはもう一つ重要なテーマがある。ギネス級とは言えマイナーなスピード縄跳びにはまっているエミリーも、未だフラワーチルドレンなパパも、仕事に飢えているママも、ゲイを装った映像作家の兄も映画や動物にぞっこんの弟妹たちも、全員イカれているけれど、夢中になれるものがあるステキな面々。そこには、たとえ世間一般の倫理を逸脱していようとも、常識
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PROGRAM/放送作品
リアル・ブロンド
愛すべき変わり者たちがショウビジネスの世界で理想と現実にもがく、大人のための群像ラブコメディ
マンハッタンのショウビジネス界の人間模様をビターなユーモアで描くラブ・コメディ。ジム・ジャームッシュ監督作でカメラマンを務めたトム・ディチロ監督が、クセのある男や女を豊かな観察力で等身大に映し出す。
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COLUMN/コラム2014.10.18
【3ヶ月連続キューブリック特集 最終回】キューブリック映画の偽造空間〜『フルメタル・ジャケット』『アイズ ワイド シャット』
今や映画は、劇中の舞台が世界各国のどこであろうと、再現に不可能はない。俳優をグリーン(ないしはブルー)スクリーンの前で演技をさせ、CGによって作られた仮想背景と合成する[デジタル・バックロット]によって、映画は地理的な制約を取り去ったのだ。 ただ、あくまで作り手が現場の持つ風景や空気にこだわるか、あるいは演じる俳優の感情を高める場合、実地におもむいて撮影をする。それが容易でなければ、舞台となる土地とよく似た場所を探しだし、パリならパリ、香港なら香港のように見せかけて撮る。デジタルの時代にあっても、映画作りの基本はやはりそこにあるといえるだろう。 スタンリー・キューブリック監督の映画の場合、舞台を実地に求めることはなく、ほとんどが後者だ。1962年の『ロリータ』以降、アメリカからイギリスに移り住んだキューブリックは、自作を全て同国にて撮影している。アメリカが舞台の『博士の異常な愛情』(64)も『シャイニング』(80)も、主要なドラマシーンはイギリスにて撮影が行われているのだ。 既存からではない、世界の創造。これぞ完璧主義の監督らしい果敢なチャレンジといえるだろう。だが完璧を標榜するのならば、コロラドが舞台ならコロラドで撮影するのが理にかなっている。たとえば東京をロンドンで再現したところで、東京で撮影する現場のリアリティや説得力にはかなわないのだ。 そのせいか、キューブリックの映画に登場する風景やランドスケープは、その場所を徹底的に造り上げながらも決してその場所ではない、どこか不思議な人工感を覚える。自然光を基調とするリアルなライティングや、徹底した美術設定がより違和感を際立たせているのだ。そしてこの「ナチュラルに構築された人為性」もまた、氏の超然とした作風の一助となっているのである。 『フルメタル・ジャケット』(87)も先の例に漏れず、劇中に登場するベトナムは、そのほとんどがイギリスでの撮影によるものだ。特に後半、海兵隊員たちが正体不明のスナイパーから狙撃を受け、兵士が一人、また一人と息の根を止められていくシークエンスは、ロンドン郊外のコークス精錬工場の跡地がベトナムの都市・フエ(ユエ)として演出されている。ベトナム映画によく登場する密林地帯ではなく、市街地が舞台ということもあって、そこにひときわ異質さを覚えた人は多いだろう。 『ディア・ハンター』(78)や『地獄の黙示録』(79)など、これまでベトナム戦争を描いてきた作品は、タイやフィリピンなど東南アジアでロケが敢行されてきた。ことに『フルメタル〜』の公開された頃は、米アカデミー作品賞を受賞した『プラトーン』(86)を皮切りに『ハンバーガー・ヒル』や『ハノイ・ヒルトン』(87)『カジュアリティーズ』(89)など、多くのベトナム戦争映画が量産されている。これら作品はよりベトナム戦争のアクチュアルな描写に食い込んでいこうと、苛烈を極めたジャングルでの戦いに焦点を定め、リアルな画作りを標榜している。そのことが『フルメタル〜』の、市街での戦闘シーンをより独自的なものに感じさせたのだ。 こうしたキューブリックの偽造空間は、批評のやり玉にあげられることもある。「あの映画を二回くらい観れば、パリス島のシーンに灯火管制下の英国の道路標識みたいなものがあるのに気づくようになる」とは、軍史家リー・ブリミコウム=ウッドの弁だ(デイヴィッド・ヒューズ著「キューブリック全書」フィルムアート社刊より)。しかしウッドはそう指摘しながらも、本作が兵器考証や歴史考証の精巧さでもって、この映画が多くの観客をあざむいていることを認めているのである。 ともあれ、こうした『フルメタル〜』の持つ異質な外観が、ベトナム戦争映画という固有のジャンルに留まらず、ひいては争いという行為の真核へと迫る「戦争映画」としての性質を高めているのもうなづける。手の込んだキューブリックの偽造空間術は、イビツながらも相応の効果を生んでいるといえるだろう。 ■ロンドンにニューヨーク市街を築いた『アイズ ワイド シャット』 『フルメタル・ジャケット』の次に製作された『アイズ ワイド シャット』(99)は、こうしたキューブリックの偽造空間主義に、いよいよ終止符が打たれるのでは? と思われた作品だ。 原作は1920年代のウィーンを舞台とする官能サスペンスだが、それを現代のニューヨークに変更した時点で、本作は現地ロケの可能性を臭わせていた。もともとニューヨーカーだったキューブリックだけに、場所に対する土地勘もある。なにより多忙な世界的スターであるトム・クルーズを、ロンドンに長期拘束するはずがないというのが、映画ジャーナリスト共通の見解だったのである。 しかし秘密主義だったキューブリック作品の常で『アイズ ワイド シャット』の全貌は公開まで伏せられた。そして公開された本作を観客は目の当たりにし、舞台のニューヨークは明らかに「ニューヨークでありながらもニューヨークではない」キューブリックの偽造空間演出の継続によって作られたことを知るのである。そしてアジアをロンドンに再現した『フルメタル〜』を凌ぐ「ニューヨークをロンドンで再現する」という、ねじれ曲がった撮影アプローチに誰もが驚愕したのだ。 さらに公開後『アイズ ワイド シャット』のそれは、もはや常規を逸した規模のものだったことが明らかになる。 アメリカ映画撮影協会の機関誌「アメリカン・シネマトグラファー」1999年10月号で、ロンドン郊外にあるパインウッドスタジオの敷地内に建設された、ニューヨーク市街の巨大セットのスチールが掲載された。さらには2008年11月には、500ページ・重量5キロに及ぶ豪華本「スタンリー・キューブリック アーカイブズ」の中で、トム・クルーズがスクリーンの前に立ち、そのスクリーンにニューヨークの実景を映写して撮影する[スクリーン・プロセス]のメイキングスチールが掲載されている。どれもニューヨークでロケ撮影をすれば容易なショットを、まるで『2001年宇宙の旅』(68)もかくやのような特撮ステージと視覚効果によって得ていたことが明らかになったのだ。 その大掛かりな撮影のために、同作にかかった製作費は6500万ドル。トム・クルーズの高額の出演料を考慮しても、あるいはギネスブックに認定されるほどの長期撮影期間を差し引いても、キューブリック映画史上最高額となるこの数字が、偽造空間に執着することの異常さを物語っている。 ■キューブリック、偽造空間主義の真意 それにしてもキューブリックは、なぜそこまでしてイギリスでの撮影に固執するのだろう? 大の飛行機嫌いで遠距離の移動を嫌うとも、あるいはアクティブな性格でないために、日帰りできる範囲を撮影現場にするといった、数限りない伝説が氏を勝手に語り、イギリスを出ないキューブリック映画を一方的に裏付けている。 『アイズ ワイド シャット』は公開を待たずにキューブリックが亡くなったため、その偽造空間の真意を知ることはままならない。しかし『フルメタル・ジャケット』に関しては、本人のホットな証言が身近に残されている。月刊誌「イメージフォーラム」(ダゲレオ出版刊)1988年6月号の特集「戦争映画の最前線」における、キューブリックのインタビューだ。 同記事は『フルメタル』日本公開のパブリシティに連動したものだが、聞き手は日本人(河原畑寧氏)によるもので、それだけでも相当なレアケースといえる。 この文章中、キューブリックは「現地ロケをするつもりはなかったのか?」という問いに対し、 「東南アジアへ行くことも考えたが、英国で格好の場所が見つかった。石炭からガスを抽出する工場の廃墟だ。建物は三十年代のドイツの建築家の設計で、とても広くて、記録写真で見るユエやダナンの風景ともよく似ていた。(中略)しかも、爆発しようが火をつけようがかまわないという。そんなことが出来る場所が、世界中探しても他にあるかね? (中略)たとえベトナムの現地に出かけたところで、建物を破壊したり燃やしたりは出来ない」 と、自身のイギリス拘束をむげに正当化するものではなく、極めて合理的な回答をしている。さらには劇中に登場するベトナム人は、英国にあるベトナム人居住区に人材を求めたことなど、無理してイギリスを出る理由がなかったことも付け加えている。詳細を追求してみれば、真実は意外にあっさりしたものだ。 同時にキューブリックはこのインタビュー中「日本に来ませんか?」という問いかけに対し、 「行きたいと思っている。ここから(ロンドン)だとロサンゼルスと同じくらいの時間で行けるはずだね」 と、ささいな会話のやりとりながら、飛行機アレルギーや出不精といった伝説を自らやんわりと否定している。 ハリウッドに干渉されないための映画作りを求め、イギリスに移り住んだキューブリック。そこで気心の知れたスタッフや、ウェルメイドな製作体制を得たことが、氏にとって創作の最大の武器になったのだ。 キューブリックの偽装空間は、こうした作家主義の表象に他ならない。そして、その作家主義を商業映画のフィールドで行使できるところに、この人物の偉大さがうかがえるのである。 生前、キューブリックが日本にくることはかなわなかった。しかし氏の遺した作品が、時間や場所を越境し、今もこうして議論が費やされ、さまざまな角度から検証されている。 三回にわたる集中連載、まだまだ語り足りないところがあるが、次に機会を残して幕を閉じたい。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
フルメタル・ジャケット
[R15+]ベトナム戦争映画の決定版!鬼才スタンリー・キューブリック監督が戦争の無意味さを冷笑する
ベトナム戦争映画ブームに沸いた'80年代に、スタンリー・キューブリック監督が戦争の無意味さを描写。海兵隊訓練キャンプで隊員の人間性が崩壊していく前半と、壮絶な戦場描写が続く後半の2部構成が圧巻。
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COLUMN/コラム2013.06.30
2013年7月のシネマ・ソムリエ
■7月6日『リアル・ブロンド』 売れない役者ジョーとヘアメイクアーティスト、メアリーは同棲中のカップル。倦怠期に陥った彼らのトラブル続きの日々を、シニカルなユーモア満載で綴るコメディだ。 主演のM・モディン、C・キーナーが、何をやっても空回りしてしまう男女を絶妙なコミカル演技で体現。ダメ人間たちの切実な奮闘ぶりが笑いと共感を呼び起こす。 監督はジム・ジャームッシュらと親交が深く、米国インディーズ界で活動するT・ディチロ。昼メロ撮影現場などの芸能界の内幕を見せる、軽妙なギャグ・センスに注目。 ■7月13日『歌う大捜査線』 かつて薬物問題で保護観察処分を受けたR・ダウニーJr.が、その復帰作として主演した異色コメディ。英国製のTVドラマ「The Singing Detective」の映画化である。主人公は謎の皮膚病に冒された小説家ダン・ダーク。そんな彼が病院でセラピーを受ける現実と、“歌う探偵”として活躍する妄想の中の出来事がシュールに錯綜していく。ノワールとミュージカルの要素をはらむ映像世界は遊び心たっぷり。不気味な特殊メイクを施したダウニーJr.と、意外な役柄に扮したM・ギブソンの共演も見ものだ。 ■7月20日『エビータ』 アンドリュー・ロイド=ウェバーの大ヒット・ミュージカルの映画化。アルゼンチン国民の絶大な支持を得た実在のファーストレディ、エバ・ペロンの生き様を描く。数々の音楽映画の秀作を手がけてきた名匠A・パーカーが、その実力を遺憾なく発揮。セリフを排除し、楽曲のメロディとリズムを前面に押し出した映像世界は圧巻である。大物女優たちを押しのけて大役を射止めたマドンナが、A・バンデラスとともに見事な歌唱力を披露。とりわけマドンナが歌う「アルゼンチンよ泣かないで」は感動的だ。 ■7月27日『幻の女』 『光年のかなた』『白い町で』などで世界的に注目されたスイスの映画作家アラン・タネール。1980年代末のミニシアター隆盛期に日本公開された味わい深い小品である。創作意欲を失った映画監督が若い助手を雇い、新作の女優探しを始める。スイスからイタリアの港町へ。そのあてどもない旅は、映画と人生をめぐる“製作日誌”のよう。主人公の情熱を呼び覚ます“幻の女”役は『息子の部屋』などのイタリア人女優ラウラ・モランテ。その端正な貌立ちと、謎めいた美しさは一度見たら忘れられない。 『リアル・ブロンド』© 1997 Lakeshore Entertainment Corp. All Rights Reserved 『歌う大捜査線』TM & Copyright © 2013 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures. All Rights Reserved 『エビータ』COPYRIGHT © 2013 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED. 『幻の女(1987)』1987 Filmograph/MK2 Productions
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PROGRAM/放送作品
ファミリー・ウィークエンド
家族の絆を取り戻すため娘が両親を監禁?思いがけない一大騒動に笑ってホロリとするファミリー・コメディ
家庭を顧みない両親を“教育”しようとする娘の奮闘に笑ってホロリとするファミリー・コメディ。『ホワイトハウス・ダウン』のジョーイ・キングがヒロインの妹に扮し、強烈な映画オタクっぷりでニヤリとさせる。
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PROGRAM/放送作品
メンフィス・ベル(1990)
戦時中、大空で戦ったごくごく普通のアメリカ人青年たちの人間模様を描く、感動の戦争青春群像劇
戦時中、米陸海軍部隊の中でも特に多大な損害を払ったのが、ドイツを空襲した陸軍航空軍だった。そんな危険な任務を与えられた青年たちの友情や人間模様を、群像劇として鮮やかに描き出した青春映画が本作である。
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PROGRAM/放送作品
バックトレース
シルヴェスター・スタローンが記憶喪失の強盗犯を追う!迷宮入り事件の行方を描くクライム・アクション
迷宮入りになった銀行強盗事件を追う刑事をシルヴェスター・スタローン、記憶を失った強盗犯を個性派俳優マシュー・モディーンがそれぞれ熱演。年齢を感じさせないスタローンのガンアクションがさすがの貫禄。
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PROGRAM/放送作品
愛されちゃって、マフィア
マフィアの未亡人が危険な恋騒動に巻き込まれる!ジョナサン・デミ監督が軽妙に織りなすラブコメディ
ジョナサン・デミ監督がオスカー受賞作『羊たちの沈黙』の前作として手がけたオフビートコメディ。魔性の女を得意とするミシェル・ファイファーが、マフィアやFBI捜査官に愛される女性の騒動をキュートに魅せる。