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PROGRAM/放送作品
マップ・トゥ・ザ・スターズ
[R15+]ハリウッドセレブたちの闇があらわに──デヴィッド・クローネンバーグ監督が描く群像ドラマ
ハリウッドでリムジン運転手だった脚本家の実体験を基に、デヴィッド・クローネンバーグ監督がセレブたちの暗部をシニカルに綴る。ジュリアン・ムーアが破天荒な演技で印象を残し、カンヌ国際映画祭女優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2018.05.24
『クリムゾン・ピーク』⑤ 6/30(土)字幕、 7/1(日)吹き替え
イーディス・ウォートンとブロンテ姉妹 イーディス・ウォートンは『エイジ・オブ・イノセンス』(1921年)で知られるが、実は短編怪奇小説の名手でもあり、「祈りの公爵夫人」(1900年)や「小間使いを呼ぶベル」(1902年)などの初期短編は典型的なゴシックロマンスである。そして、本作の作家志望のヒロイン、イーディス・カッシングと、その実在の小説家イーディス・ウォートンは、ほとんど同世代の同じ米国女性のはずだ。イーディス・ウォートンは1899年に小説家デビューし上記の初期短編を物した。一方、本作『クリムゾン・ピーク』は1901年という時代設定で、我らがヒロインのイーディス・カッシングは冒頭、怪奇小説の原稿を出版社に持ち込んでボツにされ、後に映画を通して描かれていくその年の冬の恐怖体験を『クリムゾン・ピーク』という長編小説に仕立てて上梓する、という設定なのだから(劇中劇と解釈する余地も大いにあるが…)、両者は完全に被っているのである。 ヒロインのイーディス・カッシングは、デビュー作を「女なんだから恋愛小説を書くべきだ」との理由で男性編集者にボツにされた後、タイプライターで原稿を打ち直す。手書きだと女の筆跡というだけで偏見にさらされ、まともに作品を評価してもらえないと感じたからだ。実在のイーディス・ウォートンもフェミニズムの先駆的な作家だと位置付けられているのだが、実際問題その時点からさかのぼること約1世紀前の作家ではあるものの、例のジェーン・オースティンもメアリー・シェリーも、前者はby a ladyとして匿名で、後者は女であることさえ伏せて、作品を発表していたのである。さらにはかのブロンテ姉妹ですら、1901年のほぼ半世紀前という時代になってもまだ、男性名のペンネームで男として執筆した。姉の『ジェーン・エア』(1847年)も妹の『嵐が丘』(同年)もそうだ。 そして、『ジェーン・エア』も『嵐が丘』も、実はゴシックロマンスをベースにしたノベルなのである。ジェーン・オースティンがゴシックロマンスをパロディとしてイジり倒して純文学に到達したのに対し、ブロンテ姉妹は決してパロディにはしなかった。姉はジェーン・オースティンの作風を「彼女が描いた紳士淑女たちと一緒に、あのエレガントな屋敷に引きこもって暮らしたい、なんて私には全然思えない」、「激情というものを彼女はからっきし理解してない」と、何度も酷評している。姉妹は、ゴシックロマンスのフォーマットである「貴族のお屋敷に閉じ込められた純真無垢なお嬢様が、夜ごとの心霊現象、秘密の地下室と屋根裏部屋、怪人めいた当主、恐ろしい狂人、忌まわしい婚礼、一族の呪われた秘密、おぞましい近親相姦といった、建物に染み付いた深い闇に怯える」という“お約束”を踏襲しつつも、同時に“人間を深く描き”、通俗的読み物としての怪奇小説には着地させずに、不滅の文学的価値をも獲得したのである。 ところで、ミア・ワシコウスカは、2011年にイギリス・アメリカ合作の文芸映画『ジェーン・エア』にて、ジェーン・エア役も演じたことがある。不遇な孤児ジェーン・エアが成長し家庭教師として住み込むことになったお屋敷には狷介な貴族の当主(怪人めいた主人)がいて、やがてそんな彼に見そめられ結婚しかけるが(忌まわしい婚礼)、次第に心霊(っぽい)現象、秘密の屋根裏部屋、恐ろしい狂人、一族の呪われた秘密(同時にもう一つの忌まわしい婚礼でもある)が明かされていき、その一方でジェーン・エアは従兄からのしつこい求愛も受けるのだ。(続く) <次ページ『クリムゾン・ピーク』(完)~ミア・ワシコウスカとジェシカ・チャステイン、そしてトム・ヒドルストンのこと~> © 2015 Legendary Pictures and Gothic Manor US, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存
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PROGRAM/放送作品
マンイーター アンレイテッド・バージョン
人喰いワニがうごめく地帯で孤立無援に…実力派スター競演で描くオーストラリア発パニックホラー
オーストラリアの新鋭グレッグ・マクリーン監督が、恐竜のような人喰いワニの猛威を巧みな演出で描き出す。ブレイク前のミア・ワシコウスカらオーストラリア出身俳優の豪華競演も注目。7分長いアンレイテッド版。
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COLUMN/コラム2018.05.24
『クリムゾン・ピーク』⑥(完) 6/30(土)字幕、 7/1(日)吹き替え
ミア・ワシコウスカとジェシカ・チャステイン、そしてトム・ヒドルストンのこと ミア・ワシコウスカは映画『イノセント・ガーデン』(2013年)にも娘役で主演している。母親役はニコール・キッドマン。一族の呪われた秘密、恐ろしい狂人、おぞましい近親相姦(の一歩手前)が盛り込まれたスリラーだ。この母娘を描く上で、パク・チャヌク監督は「おとぎ話の女王と王女として、ゴシック調の城に閉じ込められているイメージを抱いていた」と明言している。そしてニコール・キッドマンは『アザーズ』(2001年)というアレハンドロ・アメナーバル監督のゴシック風心霊ホラーにも主演していて、そちらで描かれるのはお屋敷に閉じ込められたニコール・キッドマンと、夜ごとの心霊現象、一族の呪われた(アッと驚く)秘密なのだ。 ここではニコール・キッドマンのことはいい。ミア・ワシコウスカである。『ジェーン・エア』に、『イノセント・ガーデン』に、そして『クリムゾン・ピーク』に主演した彼女こそが、当代においてはゴシック/ゴスを体現する女優なのだ。ひと昔前ならヘレナ・ボナム=カーターかウィノナ・ライダーが担っていたポジションである。ミアの、青白いとさえ言える肌の白さ。破顔一笑とは決していかない抑えた感情表現。ハの字眉はいつも困ったように眉根が寄せられている。薄幸そうで儚なげなそのM的ルックスは、まさにゴスのために用意された道具立てとしか思えない。よって当然、デル・トロと並ぶゴス偏愛監督の双璧ティム・バートンもまた、彼女のことを起用せずにはいられない。『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)である(そういえばティム・バートンもまた、フランケンシュタインに魅入られたゴス教祖だ。『シザーハンズ』や『フランケンウィニー』を見れば明らかな通り)。 しかし、演技者たるもの、同じような役ばかり何度も演じていたのではチャレンジにならない、という考え方もあっていい。それを公言する、あまつさえこの『クリムゾン・ピーク』のプロモーション活動中に誰憚ることなく言い放つ、という、関係者が凍りつくようなマウンティングに出たのが、誰あろうジェシカ・チャステインである。恐い女である。つまり、最高だ! 実は当初、ヒロインのイーディス・カッシング役は彼女がオファーされていたのだ。「でも、イーディスと似たようなキャラクターは以前演じたことがあると感じたの。そして、一度も演じたことがないキャラクターを見つけた。演じる上で最大のチャレンジとなる役。そう、ルシールよ」と、公式書籍『ギレルモ・デル・トロ クリムゾン・ピーク アート・オブ・ダークネス』(DU BOOKS出版刊)の中で、彼女はこの、“誰かさん”への当てこすりとも取れる豪語をしている(ゲスの勘ぐりだろうか?)。この発言、ジェシカのクールでS的な美貌とも相まって、一部の男性ファンにはある意味で堪らないものがあるだろう。最高だ!が、さらに、彼女が演じることになったルシール役のイメージとも見事に重なるのである。すなわちサディストの「怪人めいた(女)主人」という、つまりはゴシックロマンスにおいて一番美味しい役どころだ。結果的に本人もいたく満足し、役に入れ込んだ旨の発言を同書の中でしている。 ミアのM的な魅力と、ジェシカのS的な魅力。この2つを本作でデル・トロ監督は具体的に、蝶と蛾の対比的イメージに託している。2人(が演じたキャラクター)は、美しい蝶と、それを捕食する肉食の蛾だ、と監督は語っている(“肉食の蛾”なるものを寡聞にして知らないが)。そして蝶と蛾のモチーフは時に歴然と、時に隠れキャラのようにして、本作の映像の中に頻繁に描きこまれているのである。 なお、ジェシカ・チャステインが「イーディスと似たような役を以前演じたことがある」と言っているのは、おそらくは、日本未公開・未ソフト化の彼女の映画デビュー作『JOLENE』(2008年)のことをさしているのではないかと睨んでいるのだが、はたしてどうか?我が国では見る手段が現状ない幻の映画なので、以下、再々の脱線にはなるが、オチまで含め『JOLENE』について余談ながら詳しく書き残しておこう。 不幸な生い立ちの孤児ジョリーン。愛に飢えていて、メガネのヒョロヒョロへなちょこダサ男君と16歳女子高生の身空で学生結婚。ダサ男君の叔父夫婦の家に居候するが、ダンディーちょいワル叔父と2人きりの時に関係を迫られ、愛され願望の強い彼女は喜んでそれに応じてしまい、以降、叔母と旦那の目を盗んで暇さえあれば義理の叔父とヤリまくる。しかし、事の最中に叔母に踏み込まれて修羅場に。旦那のダサ男君は衝動的に自殺。叔父は相手が16歳ということで和姦であっても未成年者強姦罪で逮捕され実刑となり、一家離散に。これを皮切りにその後も、他者依存体質の彼女が、援交ヒッチハイクをしながら“アメリカ流れ者”となってどこかの土地に流れ着き、誰かとくっついてはさんざん翻弄され関係破綻し、また次の愛を求めて全米をさまよう、というパターンが繰り返されていく。精神科少年院(『17歳のカルテ』的な)のレズ看守長、ロマンチストで優しくて妻ジョリーン以外の女にも全部そう接するチャラ男のタトゥー屋ヤク売人、抗争まっただ中のベガスの組長、バイブルベルトの原理主義トゥルーリッチマンなど。彼女はわらしべ長者的に、前の相手との短い結婚生活で学んだ経験をもとに毎回少しずつ成長し、最後にはグラフィック・ノベル画家として自活を実現。25歳の自立した大人の一女性としてLAの目抜き通りをスクリーンの奥へと去っていき、そこで映画の幕は閉じる。 ジョリーンは、男どもに依存し庇護されないと1人では何もできない無力な少女だったが、やがて自ら考え状況を切り拓く思考力と勇気を獲得していく。彼女には唯一、絵を描く才能だけはあり、最初はただの手すさびだったものが、最後には筆一本で食っていくところまでいって、この、少女の成長と自立の物語は終わる。『クリムゾン・ピーク』ヒロインのイーディス・カッシングと確かに被るのだ。イーディスもまた、成金の父や英国貴族の夫などに庇護される、自分では何一つできない世慣れぬ若妻のアマチュア小説家であり、しかし次第に、事態を自己解決できるたくましさを身につけ、やがては自立した女として、おそらくはペンで身を立てていくことになるのだろう。 ジェシカ・チャステインは、16歳の女子高生から25歳社会人までのジョリーンを演じきるのだが、これがスクリーンデビューとは思えぬその演技の幅に驚かされる(実年齢は当時30歳)。特に冒頭からしばらく続く16歳時のエピソードでは、アラサー女優が高1を演じるという年齢的な無理、しかも決して童顔ではない彼女がそれを演じるという苦しさをいささかも感じさせない(無論25歳の方は25歳にちゃんと見える)。この16歳パート、おそらく、芸名「マリリン・モンロー」になる前の十代の頃のモンロー、つまりノーマ・ジーンを参考に役作りしたのではと睨んでいるのだが、この見立て、はたして当たっているだろうか?赤い巻き毛に赤いリボン、真っ赤な口紅。頭が弱く、性にだらしがない。俗に言う“サセ子”のイメージだ。ノーマ・ジーン=後のモンローもまた、不幸な生い立ちの孤児であり、そのため愛に飢え、生涯に3度結婚。相手は無名の整備工(16歳で!)から国民的大リーグ選手、高名な劇作家まで。さらには司法長官や合衆国大統領とも不倫関係だったことは周知の通りである。ジョリーンはモンローとも大いに重なるのだ。30歳のジェシカ・チャステインはピンナップやエロ写真の中の幼いノーマ・ジーンそっくりに外見を仕立てることでこの役を作っていったのではないだろうか。 また、16歳女子高生おさな妻と義理の叔父が同じ屋根の下で繰り広げる愛欲の日々、というのは完全にロリータ映画の展開だが、そのタブー感を強調するためにか、映画『JOLENE』ではかのバルテュスの絵画が何度か引用される。これは絵の才能だけは持って生まれたヒロインの人物造形ともリンクしてくる。まず、タイトルバックで「本作の主人公はこの絵に描かれている少女です」とでも宣言せんばかりに全画面にバーン!と映し出される絵画からして、バルテュスの作品なのだ。具体的には「横たわるオダリスク(Odalisque allongée)」という一幅。19世紀に流行った伝統的かつ官能的な画題を、バルテュス流の筆致で、気だるく背徳的に描いた画家晩年の佳作だ。その絵姿はジョリーンに瓜二つ。さらに、ジョリーン自身が自らを描いた自画像までもが、どこかバルテュス風なのである。十代前半の少女たちがモデルを務めたバルテュスの絵画。本人たちに判断力は備わっていないが、画家の求めに応じエロチックなポーズをとらされ、倒錯的な絵に描かれた。そのことと、愛が欲しいあまり、言われるがまま男の要求に応じ続けた十代のジョリーンの姿も、どこか重ならないだろうか? …余談が長くなりすぎた。いい加減『クリムゾン・ピーク』に戻らねばならない。最後にもう一人、トム・ヒドルストンにも言及しないわけにはいかないのだから。 ヒドルストンは、名目上は屋敷の当主でありながら、実質的な主である恐るべき姉にコントロールされ、それでも善の心をまだ完全には失いきっておらず、人間性を取り戻そう、呪われた一族から脱け出そうとあらがう貴族(正確には世界史の教科書に出てくる「郷紳」、ジェントリ階級)トーマス・シャープ準男爵役を演じる。トム・ヒドルストン自身もジェントリの血を引き、イートン校→ケンブリッジ大へと進んだ本物のジェントルマンで、この学歴は奇しくもゴシックロマンスの元祖である18世紀の貴族作家ウォルポールと同じだ。別の映画でロキを演じる時にも見せてくれる彼のあの貴公子っぷりは、実はほとんど素なのではないだろうか。プロモーション時のインタビューではゴシックロマンスに関する見識も言葉の端々に覗かせている。インテリであることが隠しきれないほどに教養あふれる演技者なのである。 本作は登場人物が多くはなく、中心となるのは以上の3人だが、3人を演じる俳優三者が三様に本来的に備えている資質を最大限に引き出し、魅力的で実在感あるキャラクターを創造しえたことは、本作の大きな成功点だ。すべからく映画とはそうあるべきだが、多くの凡作では実現できていない。最悪ミスキャストという駄作も多い。そして、彼らがまとう惚れ惚れする衣装、ゴシック館をセットで丸々一軒建ててしまう大がかりな美術、それらを通貫する徹底的に設計された色彩美は、これぞまさしく映画だ。その上、過去の偉大なる文学的遺産ともリンケージする豊かな間テクスト性については、ここまで縷々書き連ねてきたとおりである。本来であればさらにここで、文学だけでなく19世紀の画壇、ロマン主義絵画や「挿絵の黄金時代」の画家たちによるイラストレーションと本作との視覚的リンクについても言及せねば片手落ちになるのだが、さすがに紙幅も尽きてきた。そろそろまとめに入らねばならない。 デル・トロ監督の、溢れる奇想のイマジネーションと、汲めども尽きぬ文学・芸術分野の教養、その2つが緻密な計算に基づき込められ、150年も前に流行し、やがて廃れた文芸ジャンルを美しくも恐ろしく現代の映画として蘇らせた本作。かくも豊かな映画、これぞ映画、これこそが映画、文字通りの「ザ・シネマ」を撮れてしまうクリエイターは、当然、アカデミー監督賞にこの上もなく相応しいし、彼のクリエイトした映画芸術がアカデミー作品賞を獲るのもまた、早晩必至だったのだ。 2018年の今年、「プラチナ・シネマ」最終回を飾るのに相応しい映画、もとい、身に余るほどの傑作、それが『クリムゾン・ピーク』である。■ © 2015 Legendary Pictures and Gothic Manor US, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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COLUMN/コラム2014.09.01
2014年9月のシネマ・ソムリエ
■9月7日『ジェーン・エア』過去に何度も映像化、舞台化されてきたシャーロット・ブロンテの名作小説が原作。意思の強い孤児ジェーンと、ある秘密を抱えた貴族ロチェスターの愛の行方を綴る。監督は『闇の列車、光の旅』の日系米国人C・J・フクナガ。英国的な陰鬱さに満ちた田園や荒野でロケを行い、屋敷内の場面にもゴシックムードを漂わせた演出は見事。幸薄いヒロイン役がはまるM・ワシコウスカの可憐な魅力に目が釘付け! M・ファスベンダー、J・デンチという盤石の配役が実現し、一級の文芸ロマンに仕上がった。 ■9月21日『メタルヘッド』 事故で最愛の母親を亡くし、郊外の住宅街で希望なき日々を送る少年TJ。そんな彼の家に正体不明の長髪男ヘッシャーが住みつき、傍若無人の行動を繰り返していく。S・サッサー監督の型破りな長編デビュー作。人気俳優J・ゴードン=レビットが悪魔や堕天使を連想させるヘッシャーに扮し、共演のN・ポートマンが製作を兼任した。謎の怪人ヘッシャーの“荒療治”が、喪失の痛みを負った少年とその家族を再生させていく物語が、実にユニークで刺激的。観る者の心を震わす寓話的なドラマである。 『ジェーン・エア』© RUBY FILMS (JANE EYRE) LTD./THE BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2011. 『メタルヘッド』© 2010 Hesher Productions, LLC.