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僕が観た、撮影現場のソフィア・コッポラ

 「僕がソフィアに出会ったのは1994年にSONIC YOUTHのキム・ゴードンが、X−LARGEの女の子版のX-GIRLの洋服をリリースした時。どうしても買い付けたくて(注:当時買い付けたのは日本ではBEAMSだけ!)、NYでゲリラ的に開催された、そのショーを観たとき、ソフィアがモデルか何かでそこに出入りしていたんですよ。それをきっかけに、milkfed.の共同経営者であり、ソフィアの幼なじみのステファニーを介して付き合いが始まりました。同時にまさにそこからが、ガーリームーブメントでありBABYGENERATIONの時代がはじまりました。
そんな彼女が、後に映画監督となり、二作目は東京を舞台に撮影をすると、広告代理店役として声がかかりました。周りもソフィアや僕の知り合いだらけ。本当に友達だけで撮った感じがしましたね。
  
 撮影は4日間。新宿パークハイアットに3日間。あとは都内のスタジオで1日。ホテルだったので、撮影は深夜から早朝までと時間が決まっていてなかなかハードでした。
 彼女は元々そんなにおしゃべりなタイプではないし、現場は実に淡々としていました。助監督がシチュエーションを僕らに説明して、あとはそのまま。そう、(ソフィアからの)演技指導がなかったんですよ。驚きましたね。しかも出ている僕たちはほとんど私服。スタイリストもあまり入らなかった。ソフィア自身も、彼女の持ち前のプレーンでシンプルなスタイルでメガフォンをとっていたのを覚えています。だから、撮り終わって、試写で観るまで、あんな風にまとまって、あんな大作になるとは思いもしなかった。コレクションや海外出張に行く度に本当にたくさんの人に『MAGO は役者になったのか?』と声をかけられましたね(笑)。
ジョン・ヒューズに始まる『THE BREAKFAST CLUB』然り、アメリカの青春映画の構図って永遠に変わらない。けれど胸に刺さる。そんな構図を彼女は常に追いかけているのかもしれないですね。(談) 」

南馬越一義(みなみまごえ かずよし)

株式会社ビームス ビームス創造研究所
シニアクリエイティブディレクター
1962 年生まれ。1989 年より「レイ ビームス」レーベルのバイヤーとして数々の功績を挙げ、2004 年、ウィメンズ全体のクリエイティブディレクターに就任。世界中を飛び回り、旬のデザイナーやブランドを次々と発掘。ビームス創造研究所の立ち上げに伴い2010年3月より新規事業の開発に着手。「ビーミング ライフストア」「カロリナグレイサー」等ブランドのプロデュースも手がける。各国コレクション会場からTwitterで発信するコメントが国内メディアに掲載されることも多く、様々なバラエティ番組やコンテストでコメンテーターや審査員も担当。映画好きでも知られ、毎週末、映画館から送信されるオンタイムのSNS映画レビューにファンも多い。愛称MAGO。

「ロスト・イン・トランスレーション」

 仕事で東京に滞在しているハリウッド俳優ボブ・ハリスは、同じホテルに宿泊する若いアメリカ人女性、シャーロットと知り合う。彼女は夫の出張について日本へやってきたものの、長すぎるひとりの時間を持て余して憂鬱になっていた。異なる文化、理解のできない言葉に囲まれて孤独を感じていた二人は自然と距離を縮め、やがてボブが帰国するまでのわずかな間、友情とも恋愛ともつかない親密なひとときを過ごす。
 デビュー作『ヴァージン・スーサイズ』(99)で圧倒的な才能を見せつけ、たちまち世界で注目される若手監督の一人となったソフィア・コッポラの自伝的物語。制約の多い日本で全編東京ロケが採用された外国作品は非常に貴重だ。
 来日時のコッポラは新宿のパークハイアットを定宿としており、本作の舞台もそのホテル以外ありえないとしていた。同じくボブ役もビル・マーレイ以外は考えられなかったが、エージェントを持たない彼を捕まえるのに骨を折り、ストーカーのように追い続けたほか、親友ウェス・アンダーソンの協力も仰いだという。

text:aggiiiiiii

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