韓国映画史を紐解くと、必ずタイトルが挙がる作品のひとつに、キム・ギヨン監督(1919~98)の『下女』(1960)がある。
 主人公は、紡績工場の女性工員向けに設けられた夜間学校で、音楽を教えている中年男。平穏な日常を送っていた彼だが、行員の1人から恋文を送られたことが発端となって、徐々に日々が粟立っていく。
 男の家庭は、妻と子ども2人との4人家族。住居を増築するのに、音楽教師の給料だけでは足らず、妻が内職をしている。
 しかし妻が過労で倒れたため、家事を任せる“下女”として、若い娘を雇い入れる。ある時彼女に誘惑された男は、気の迷いから関係を持ってしまう。
 そこから男と、その家族の“地獄”が始まる…。
 都市部の保守的な中産階級の一家が、“下女”によって、破滅へと追い込まれていく。“階級”や“格差”が、1人の女の魔性によってひっくり返されていく様を、ギヨンは、アバンギャルドにして精緻な画面設計で描き出した。
 この作品をはじめ、60~70年代はヒットメーカーとして鳴らしたギヨンだったが、80年代中盤以降はなかなか新作が撮れず、完成してもお蔵入りになったりした。ところが90年代半ばからパリ、香港、東京といった国外で『下女』が上映され、絶賛されたことがきっかけで再評価が進み、97年には本国でも、「釜山映画祭」でレトロスペクティヴが組まれるに至った。
 翌98年ギヨンは、回顧展が行われる「ベルリン映画祭」へと旅立つ前夜に、自宅の火災で不幸な最期を遂げる。しかし死後も、国内外でその声価は高まっていく。
 2008年にはマーティン・スコセッシが主宰する財団と韓国映画資料院が組んで、『下女』のデジタル修復版を完成。「カンヌ映画祭」でお披露目するに至った。

 ポン・ジュノやパク・チャヌクといった、現代韓国映画のリーダーたちに与えた影響も大きい。特に近年、ポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』(19)が、「カンヌ」のパルムドールに続いて、米「アカデミー賞」の作品賞や監督賞などを受賞するという、国際的な快挙を成し遂げた際には、改めて『下女』にスポットが当たった。
『下女』と『パラサイト』両作を観ればわかるが、豊かな家庭を下層の者が侵食するという物語の構図や、展開の中で“階段落ち”が効果的に用いられているところなど、明らかな共通点が見出せる。事実『パラサイト』製作に当たっては、キム・ギヨンから最も大きなインスピレーションを受けたことを、ポン・ジュノ本人が明かしている。
 また「アカデミー賞」で言えば、昨年『ミナリ』(20)でユン・ヨジョンが韓国人俳優として初めて栄冠(助演女優賞)に輝いた時のスピーチも、印象深い。ヨジョンはこの晴れの舞台で、自らの映画デビュー作の監督だったギヨンを「天才的な監督」と賞賛し、感謝の意を表したのである。
 死して尚、「韓国映画史上の怪物」と称えられるキム・ギヨン。その代表作『下女』は、ギヨン自らが『火女』(71)『火女'82』(82)とタイトルを変えながら、2度に渡ってリメイクしている。

 他者によるリメイクは、オリジナル公開からちょうど半世紀経った2010年に、初めて製作された。それが本作、『ハウスメイド』である。
『ハウスメイド』のプロデューサーであるジェイソン・チェは、元記者。レトロスペクティヴが開催された97年の「釜山」で、ギヨンと出会った。
 翌98年には、「ベルリン」を皮切りにスタートするギヨンの回顧展のヨーロッパツアーを、チェは共に回る予定だった。しかし先に記した通り、ギヨンはその直前に、不慮の死を遂げてしまう。
 その後映画界入りしたチェは、『下女』の50周年記念プロジェクトを、立ち上げ。オリジナル版のリバイバル上映と、リメイクである本作の製作に取り組むこととなった。
 本作監督に起用されたのは、『浮気な家族』(03)『ユゴ 大統領有故』(05)などで高い評価を得ていた、イム・サンス。「脚本と演出は自由にさせてくれる」という条件で、このプロジェクトを引き受けた。韓国映画史に残る『下女』を、「超えてみたい」という抱負を持って本作に取り組んだというサンスだが、それを口にしたため、韓国では「生意気だ」と非難を受けたという。
 それではサンス版『下女』である『ハウスメイド』は、ギヨンの『下女』をどのように踏まえ、そしていかに「自由に」アレンジを行ったのだろうか?そしてオリジナルの出来に、どこまで迫ることができたのか?


 旧作から引き継いだ点として、まず挙げられるのは、「韓国社会の階級問題を正面から描く」ということ。ただ、朝鮮戦争休戦から7年しか経ってない1960年と、『ハウスメイド』が製作された2010年とでは、社会の事情が全く違っている。
 オリジナルは、中産階級の家庭で“下女”が働くストーリー。それに対して半世紀を経た、リメイク版の製作時には、“下女”即ち住み込みのメイドを雇えるのは、「韓国全体の1%くらいの富裕層の人たちだけ」になっていた。新自由主義経済によって、中産階級が崩壊していたのである。
 監督は、こうした富裕層こそ、現代の韓国社会の重要なカギを握っていると考え、そこを描くことを重視。そのため主人公も、一家の主の男性ではなく、“下女=メイド”の側とした。社会的に下層にいる彼女が富裕層の生態をウォッチする内に、その傲慢さに傷つけられていく物語にしたのである。

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 上流階級の豪邸で、ウニはメイドとして働くことになった。
 一家の主は、礼儀正しく穏やかな物腰のフン。その妻ヘラは、現在双子を妊娠中で、大きなお腹を抱えていた。2人の間の6歳の娘ナミは、すぐにウニに懐く。
 この家に長年仕える先輩メイドのビョンシクの指導の下、懸命に働くウニ。しかし、一家のお伴で付き添った別荘で、主のフンと男女の仲になってしまったことから、歯車が軋み始める。
 邸宅に帰ってからも関係を持つも、翌朝フンから呆気なく手切れ金を渡されて、ウニは深く傷つく。しかしそのまま、働き続けるしかない。
 数週間後、ウニが妊娠していることを、本人も気付かない内に、ビョンシクが感づく。その話はやがてヘラまで届き、ウニは憎しみの対象となった。
 邸宅を離れ、ひとりで子どもを産もうと考えたウニ。しかし一家はそれを許さず、やがて彼女の身に悲劇がもたらされる。
 ウニは「復讐」を宣言する。徒手空拳の彼女が取ったのは、あまりにも苛烈で悲しい手段だった…。

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 ウニを演じたのは、当時30代後半のチョン・ドヨン。デビュー以来着実にキャリアを積み、2007年にはイ・チャンドン監督の『シークレット・サンシャイン』での演技が高く評価されて、「カンヌ」で女優賞に輝いた。本作主演の頃には、名実ともに韓国のNo.1女優と言えた。
 ウニの主人夫婦を演じたのは、イ・ジョンジェとソウ。オリジナル『下女』の夫婦が、小市民的な体面を守ろうとしたことも手伝い、破滅への道へと進んでいくのと違って、こちらのカップルは、傲岸不遜な上流階級を体現。“下女”を踏みにじることに、何ら痛痒を感じない。
 ウニの様子を主人たちに注進するかと思えば、遂には彼女に同情するようになる先輩メイドのビョンシク役は、後のオスカー女優ユン・ヨジョン。先にギヨン監督の作品でスクリーンデビューを飾ったと記したが、その作品とは、実は『火女』。ギヨン自らが『下女』をリメイクした2本の内の1本の主演女優だったのである。
 イム・サンス作品の常連でもあったヨジョンが、新たなる“下女”の先輩役を演じているのは、意味深且つ巧みなキャスティングと言える。そして彼女は、見事にその期待に応えて、画面を引き締める。

 プロデューサーのジェイソン・チョは、『ハウスメイド』製作に至る道程で、『下女』のリメイクを、「自分たちにやり遂げる力と資質があるか」思い悩んだという。しかしサンス監督の下、韓国映画界きっての実力派キャスティングが決まっていって、「よし、闘ってやろうじゃないか!」と決意が固まった。
 そうして出来上がった『ハウスメイド』は、監督の願い通り、オリジナルの『下女』を超えられたのか?それは観る方々の判断に任せたいが、2010年の韓国社会の問題を抉る作品になっていたことだけは、間違いない。
 イム・サンスは本作の後、『蜜の味~テイスト オブ マネー』(02)を監督した。やはり上流階級の腐敗を描いたこちらの作品は、『ハウスメイド』の“精神的続編”と言える。
『ハウスメイド』でウニが取った「復讐」とは、自分に懐いていたナミの心に消し難いトラウマを残すことだった。そして『蜜の味』には、大人になったナミが登場し、幼き日に目撃したその「復讐」について語る。
『ハウスメイド』と合わせて、オリジナルの『下女』、そして『蜜の味』もご覧いただきたい。韓国社会の変化や韓国映画の歴史など、色々味わい深く感じられると思う。■

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