ジョン・ウーは、1946年中国・広州生まれ。幼き日に家族で香港へと移り住んだ。少年時代から親しんだ映画の世界へと飛び込み、『カラテ愚連隊』で監督デビューを飾ったのは、73年のことだった。
その後様々なジャンルの作品を手掛けたが、所属する映画会社とのトラブルから、一時台湾に“島流し”状態に。そんな紆余曲折もあったが、86年に香港に戻ると、『男たちの挽歌』を監督。この作品が記録破りの大ヒットとなり、社会現象を起こした。
それまでコメディやカンフー映画が中心だった香港映画界に、ウーは、“英雄片”日本で言うところの“香港ノワール”というジャンルを確立。そして90年代初頭まで、このムーブメントをリードする存在として、ほぼ1年に1本ペースで作品を発表した。
「スローモーションを駆使した二丁拳銃でのガンファイト」「メキシカン・スタンドオフ~同時に拳銃を向け合う2人の男」「画面に舞い飛ぶ白い鳩」等々。“ジョン・ウー印”と言うべき、斬新でスタイリッシュなアクション演出の評判は、狭い香港内に止まらなかった。
折しも97年の中国本土への返還を、目前に控えた頃。香港の映画人の多くは、海外マーケットを睨み、そこに活路を見出そうという志向が強くなっていた。
ウーに最初に声を掛けたハリウッドの映画人は、オリヴァー・ストーン。それは91年のことだったが、香港で撮る次回作が決まっていたので、話はまとまらなかった。
ウーのハリウッド・デビューは、93年。ジャン=クロード・ヴァンダム主演の『ハード・ターゲット』。続いて96年に、主演にジョン・トラヴォルタ、クリスチャン・スレイターを迎えた、『ブロークン・アロー』が公開されて、1億5,000万㌦の興収を上げる、大ヒットとなった。
それらに続いて、ハリウッド入り後の劇場用映画第3作となったのが、本作『フェイス/オフ』(97)である。
元々の脚本は91年に、当時大学生だった、マイク・ワーブとマイケル・コリアリーのコンビが執筆したもの。200年後の世界が舞台というSFで、激しく敵対する2人の男の顔が入れ替わって、更に戦いがエスカレートしていくという内容だった。
早々に権利は売れて、当時人気絶頂の2大筋肉スター、アーノルド・シュワルツェネッガーとシルベスター・スタローンの共演作として映画化を進める動きとなった。しかしその企画は流れ、その後も再三映画化の試みはあったものの、なかなか実現に至らなかった。
やがてこの脚本は、ウーのところに持ち込まれる。善と悪を象徴する、2人の男の顔が入れ替わるという設定には心惹かれたウーだったが、SF仕立てであることに気が乗らず、一旦は断っている。
他での話もまとまらず、再びウーの元に、この企画は戻ってくる。そこでウーは、現代のアメリカ社会を舞台にした物語に、脚本をリライトしてもらうことを条件に、本作『フェイス/オフ』の監督を、引き受けることを決めたのである。
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FBI捜査官のショーン・アーチャーは、遊園地でテロリストのキャスター・トロイに狙撃される。銃弾はアーチャーの身体を貫通し、彼が抱いていた、幼い息子の命を奪った。
それから6年。アーチャーはキャスターを追い続け、彼が弟のポラックスと空港から逃亡を図るという情報を摑んだ。死闘の末、アーチャーはキャスターを取り押さえる。
その際に植物状態になったキャスターが、ロサンゼルスに細菌爆弾を仕掛けていたことが判明。場所を知るのはポラックスだけだが、その在処を吐こうとはしなかった。
そこで、奇想天外な作戦が発動した。昏睡するキャスターの顔を、最新技術で剥ぎ取り、アーチャーに移植。キャスターになりすましたアーチャーが刑務所に入り、先に収監されているポラックスから情報を聞き出すというものだった。ごく数人を除いて、FBIの仲間や家族にも極秘での決行だった。
アーチャーは、爆弾を仕掛けた場所を聞き出すのに成功し、任務は完了…と思いきや、驚くべき人物が面会に現れる。それは、アーチャーの顔をしたキャスターだった。
植物状態から目覚めた彼は、配下を呼び寄せ、医者らを脅して手術をさせた上、アーチャーの任務を知る者を、すべて抹殺したのである。呆然とするアーチャーを獄に残し、キャスターはポラックスを釈放させ、自ら仕掛けた爆弾を解除。英雄となった。
自分の顔や地位、家族までも奪われてしまった…。アーチャーはキャスターへの復讐のため、刑務所内に騒乱を起こし、脱獄する。
それぞれが最も憎悪する男の顔を纏った2人。その対決の行方は!?
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ハリウッド入り後、『フェイス/オフ』に取り掛かる前の2作、ウーは香港時代とは勝手が違う、映画会社主導による製作体制に、散々苦しめられた。
『ハード・ターゲット』では、公開前のモニター試写の結果として、暴力描写や“ウー印”のスローモーションやクロスカッティングなどの多くが、カットされてしまう。更には、主演のジャン=クロード・ヴァンダムの意向が強く働き、完成版は、彼のアクション中心に編集されてしまったのだ。
ハリウッド的な作劇に於いてヒーローは、「泣いてもいけないし、もちろん死んでもいけなかった」。それまでのウー作品の登場人物とは、ほど遠いと言える。
悪に対する扱いも、「情け容赦は無用」の香港映画とは大違い。ハリウッドでは、「善と悪が鉢合わせしたとき、ヒーローの弾丸は、敵がナイフか棍棒を拾い上げるまで。当たることはない…」と、ウーは吐き捨てるように述懐している。
撮影現場で、俳優からセリフを変更したいという注文が出ても、監督には修正する自由が与えられていないのも、ありえない話だった。ウーは香港時代、俳優の要望によるものと脚本通りの2ヴァージョン撮ってみることが多かった。演じる本人の意見に従った方が良い結果が出ることを、経験として学んでいたのである。
思い通りに仕切れなかった、『ハード・ターゲット』そして『ブロークン・アロー』を経て、ウーは、ハリウッドで撮りたいものを撮ろうと思ったら、政治力が必要なことを思い知った。そしてそうした“力”を、『ブロークン・アロー』のヒットによって、遂に手にすることが出来たのである!
ウーがハリウッドで、撮影現場での自由裁量権やファイナルカットの権利を得て初めて臨んだのが、本作『フェイス/オフ』だった。先に挙げた、俳優からのセリフ変更の要望などにも即応できるよう、脚本家も現場に帯同。提案があると、すぐに書き換えに応じてもらえる態勢を取ったという。
“善”と“悪”、激しく敵対する、『フェイス/オフ』の2人の主役。キャスティングされたのは、ジョン・トラヴォルタとニコラス・ケイジ。
FBI捜査官ショーン・アーチャー役のトラヴォルタは、ウーの前作『ブロークン・アロー』に続いての主演となった。トラヴォルタは20代前半に、『サタデーナイト・フィーバー』(77)『グリース』(78)という、当時のメガヒット作に連続主演。時代の寵児となりながらも、その後長く低迷した過去がある。
彼が復活を遂げたのは、クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』(94)。それをきっかけに、40代で第2の全盛期に突入していた。そんなトラヴォルタにジョン・ウーを引き合わせたのも、タランティーノだった。
タランティーノにとってジョン・ウーは、「ものすごいヒーロー」であり、ウーが手掛けた“香港ノワール”に関しては、「セルジオ・レオーネ以来最高のもの」と称賛を惜しまなかった。タランティーノの長編初監督作『レザボア・ドッグス』(92)で、ギャングたちが揃いの黒スーツで現れるのは、ウーの『男たちの挽歌』の影響と言われる。
そんなタランティーノが、ウーとトラヴォルタ双方に、それぞれの凄さを吹聴。更に試写室でフィルムを見せるなどして、2人の間を取り持ったのである。
ウーは自作2本で主演を務めたトラヴォルタのことを、「謙虚で控えめだが自信に満ちている」と称賛。彼こそ「本物の男だ」と言い切っている。
テロリストのキャスター・トロイに、ニコラス・ケイジが選ばれたのは、トラヴォルタの希望もあってのこと。当時のケイジは、30代前半。『リービング・ラスベガス』(95)でアカデミー主演男優賞を受賞後、『ザ・ロック』(96)『コン・エアー』(97)とアクション大作への主演が続き、ノリにノッていた。
ケイジは元々、ウー作品の大ファン。香港時代の作品もしっかりチェックしていた。冒頭でアーチャーを狙撃するトロイに口ひげがあるのは、ウー監督“香港ノアール”の1本、『狼 男たちの挽歌・最終章』(89)のチョウ・ユンファを意識してのことだったという。
アーチャーの妻イヴ役には、金髪でノーブルなイメージのあるジョアン・アレン。FBI捜査官の夫を支えながらも、顔が入れ替わったキャスターとも、その正体を知らずに、“夫婦”として関係してしまうという役どころである。
映画会社は、もっと若くてキレイな女優をキャスティングしようとした。しかしウーは、オリヴァー・ストーン監督の『ニクソン』(96)で大統領の妻を演じたアレンを観て、彼女に決めた。イヴ役には、抑制された演技が必要だと思っていたからである。
ウーはクランク・イン前に、トラヴォルタ、ケイジと、入念にコミュニケーション。“善”の象徴であるショーン・アーチャー、“悪”の権化であるキャスター・トロイ、それぞれのキャラを表現するために、シンボリックなポーズや振舞いを決めた。
例を挙げれば、ケイジ特有のブラつくような歩き方や口調を緩めてはっきりと発音する話し方を、キャスターの特徴に採用。トラヴォルタは顔が入れ替わった後の演技のために、これらをマスターしなければならなかった。
冒頭トラヴォルタ演じるアーチャーは、愛する人の顔を優しく撫でる仕草を見せる。これが伏線となって、物語の後半イヴは、我が子の命を奪った憎きキャスターの顔を持つ男が、実は自分の夫であることに気付くのである。
トラヴォルタとケイジが別々に登場するシーンは、撮影した日の内に編集。翌日には相手の演技をチェックできるようにした。アーチャーの息子が殺されるシーンを見たケイジは、すぐにトラヴォルタに電話を入れて、こう言ったという。
「ジョン、挑戦は受けたぜ。君のシーンを見て泣けたよ。感謝している。この映画の演技のレベルを君が決めてくれたんだから」
手術を受けてキャスターの顔になったアーチャーは、鏡に写った己の顔を激情の余り叩き割ってしまう。このシーンでケイジは、ウーが思わず涙を流すほど、迫真の演技を見せた。
ジョアン・アレンは、トラヴォルタとケイジが、互いの身体の位置や身振り、声のリズムからパターンまで、完コピし合うのを、間近で目撃。そのクオリティの高さに、舌を巻いたという。
ウーの作品世界にぴったりハマった、トラヴォルタとケイジ。こうしたキャストの力も借りて、仰々しいまでのアクション演出に、家族愛や仁義の世界を塗して放つ、香港時代のウーが完全に帰ってきた。
・『フェイス/オフ』撮影中のジョン・ウー監督(左)とニコラス・ケイジ。
2時間18分の上映時間の中で、度々壮絶なアクションが繰り広げられる本作だが、そんな中でも印象深いのが、キャスターの顔をしたアーチャーが、脱獄後に潜伏先で、アーチャーの顔のキャスターと対決するシーン。マフィアとFBIを交えた大銃撃戦が展開されるのだが、アーチャーはその場に居合わせた幼い子どもを恐怖から守るために、ヘッドフォンを掛けさせて、名曲「虹の彼方に」を聞かせる。このメロディが、ウー印のスローモーション撮影でのガンファイトを、美しく彩るのである。
この「虹の彼方」は、オリビア・ニュートン=ジョンが歌うヴァージョンだったのだが、映画会社は、楽曲使用料の支払いを拒否。しかしウーは、自腹を切ってまで、断固としてこの曲の使用にこだわった。後に会社側も、そのこだわりの意味を認めて、ウーに楽曲使用料を支払ったという。製作費8,000万㌦であった本作が、2億5,000万㌦近い興収を上げる大ヒットとなったことを考えれば、当たり前と言えるが…。
ウーは93年から2003年まで、ハリウッドで長編劇映画6本をものした。
「この10年間のハリウッドのアクション映画をみれば、ウーの影響がいかに大きいかわかる」
これは本作の後にウーを、大ヒットシリーズの第2弾『M:I-2 ミッション:インポッシブル2』(2000)の監督に招いた、トム・クルーズの言である。
ハリウッド製6本の内、ボックスオフィスのTOPを飾ったのは、『ブロークン・アロー』『フェイス/オフ』『M:I-2』の3本。中でも評価と人気が高いのが、本作『フェイス/オフ』である。
ニコラス・ケイジの近作に、自身のキャリアをパロディにしたコメディアクション作品『マッシブ・タレント』(22)があるが、その中で『フェイス/オフ』をネタにした場面も登場する。ケイジも本作が、大のお気に入りというわけだ。
5年ほど前からは、『ゴジラvsコング』(2021)などのアダム・ウィンガード監督によって、続編の企画が進められている。巷間伝わってくる話によると、アーチャーとキャスター、宿敵同士の2人だけの物語ではなく、それぞれの成長した子どもたちを交えた、4人の物語になるという。
昨年=2023年に起きた、「WGA=全米脚本家組合」のストライキの影響もあって、現在は製作に遅れが出ている状態だというが、果して!?ジョン・ウーが監督するわけではないことも含めて、本作のファンとしては、観たいような観たくないような…。■
『フェイス/オフ』© 1997 Touchstone Pictures. All rights reserved.