「彼女には何度も感謝した。実際に何か贈り物を送ったかどうかは覚えてないけど、とにかく、いくら感謝しても仕切れない」
 一昨年=2023年の11月、アメリカの芸能番組に出演したレオナルド・ディカプリオが、語った言葉である。ディカプリオが深い感謝を捧げた“彼女”とは、シャロン・ストーン。
 1958年生まれ、60代も半ばとなったストーンに、ディカプリオはどんな恩義があるのか?話は30年ほど前に遡る…。

 1990年代前半のハリウッドには、時ならぬ“西部劇”のブームが起こっていた。
 口火を切ったのは、『ダンス・ウィズ・ウルブス』(90)。製作・監督・主演を務めたケヴィン・コスナーには、アカデミー賞の作品賞と監督賞がもたらされた。
 その2年後には、クリント・イーストウッドの“最後の西部劇”『許されざる者』(92)が登場。コスナーと同様、イーストウッドも、作品賞と監督賞のオスカーを掌中に収めた。
 いずれも大ヒットを記録した、この2本に触発され、続々とウエスタンが製作・公開された。『ラスト・オブ・モヒカン』(92)『ジェロニモ』(93)『黒豹のバラード』(93)『トゥームストーン』(93)『マーヴェリック』(94)『バッド・ガールズ』(94)『ワイアット・アープ』(94)…。
『クイック&デッド』(95)も、そんな流れの中で企画され、リリースされた1本である。その製作陣は、ブームに乗るに当たってもう一つ、“旬”の要素を付け加えた。
 それは主演に、シャロン・ストーンを迎えることだった! 1980年にデビューしたストーンの20代は、B級アクションの添え物的な役柄ばかり。キャリア的には、燻っていた。しかし90年代を迎え、30代前半となった彼女に、ブレイクの時が訪れる。
 アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSF超大作『トータル・リコール』(90)に出演後、同作のポール・ヴァーホーヴェン監督に再び起用されたサイコサスペンス、『氷の微笑』(92)である。この作品で彼女が演じたのは、ヒロインにして猟奇殺人の容疑者キャサリン・トラメル。
 世間の耳目を攫ったのは、キャサリンが警察の取り調べを受けるシーン。タイトスカートでノーパンという装いで椅子に座る彼女が、足を組み替える際に、「ヘアが映る」「股間が見える」と、センセーションを巻き起こしたのである。
『氷の微笑』は、こうしたシーンに代表される、扇情的な性描写が大きな話題となって、メガヒットを記録。以降のストーンは主演作が相次ぎ、客が呼べる存在となっていった。
『クイック&デッド』の製作陣は、そんな彼女に主演をオファーするに当たって、 “共同プロデューサー”という地位も与えた。

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 19世紀後半の西部の街。カウボーイハットにロングコートの女ガンマン、エレン(演;シャロン・ストーン)が馬に乗って現れる。
 彼女の目的は、 “早撃ちトーナメント”に出場すること。主宰するのはこの街の支配者で、悪名高きへロッド(演;ジーン・ハックマン)だった。一癖も二癖もあるガンマンたちが集結する中、へロッドは自らもトーナメントに出場することを、宣言。彼の狙いは、自分の命を狙う者たちを、この機会に一掃することだった。
 かつてはへロッドの仲間だったが、改心して牧師になったコート(演;ラッセル・クロウ)も、教会を焼き打ちされ、トーナメントに無理矢理参加させられることになる。
 酔いに任せ、やはりトーナメントに出る若者キッド(演;レオナルド・ディカプリオ)とベッドを共にしたエレン。彼がへロッドの息子だと聞いて、愕然とする。
 エレンの真の目的は、“復讐”。そのターゲットは、彼女の幼き日に、眼前で父を惨殺した、へロッドだった。
 トーナメントが、遂にスタートする。次々と行われるガンファイトを順当に勝ち進んでいくのは、エレン、コート、キッド、そしてへロッドの4人。
 最後まで生き残るのは!?果してエレンは、積年の恨みを晴らすことができるのか!?

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『クイック&デッド』は直訳すれば、「早撃ちと死体」。即ち「早撃ちだけが生き残る」といった意味合いである。
 そのタイトルロールとも言うべき、女ガンマンを演じることとなったストーンは、撮影前、早撃ちの世界チャンピオンから銃のコーチを、マン・ツー・マンで受けた。泥にまみれた衣装に身を包んだ彼女が、どんなガン裁きを見せるかは、実際にその目で確かめて欲しい。
 先に記した通り、本作のストーンは、主演であると同時に、共同プロデューサー。こうしたケースでは、プロデューサーとは「名ばかり」の、お飾りであるケースが少なくない。
 しかし、ストーンは違っていた。まずは、本作のキャスティング。共演者選びには、彼女の意向が強く反映されている。
 キッド役は、数人の若手俳優がオーディションを受けた。その中でストーンが選んだのが、レオナルド・ディカプリオだった。
『ギルバート・グレイブ』(93)で、二十歳を前にしてアカデミー賞助演男優賞の候補になったディカプリオは、“若き天才”と謳われた。しかし本作のキャスティング作業が行われたのは、そうした評価がされる前。映画会社は彼のことを、「無名の存在」と切って捨てようとした。
 ストーンはディカプリオの起用にこだわった。そして遂には自腹を切って、彼へのギャラを払うことに決めた。冒頭で紹介した、ディカプリオが「いくら感謝しても仕切れない」という発言は、この時の経緯に対してである。
 コート役に、ラッセル・クロウを当てたのも、ストーンだった。当時のクロウは、オーストラリアを代表する演技派スターではあったが、アメリカではまったく知られていなかった。
 ストーンはそんな彼のスケジュールを鑑みて、オーストラリアから移動して来られる時間を稼ぐために、映画の撮影を2週間ほど遅らせるように、映画会社と折衝した。後にはオスカー俳優となる、クロウのハリウッドデビューは、こうして実現したのである。

 共演者だけではない。実は監督のサム・ライミも、ストーンの指名だった。当時のライミは、『死霊のはらわた』シリーズなど、B級ならぬZ級ホラーの作り手というイメージがまだまだ強く、映画会社の拒否反応が強かった。
 しかし『死霊の…』シリーズ第3弾にして、彼の前作である『キャプテン・スーパーマーケット』(93)の大ファンだったストーンが、必死に交渉。ライミを監督に据えることにも、成功した。
 ライミと言えば、残酷描写と時には悪ふざけにも映るユーモアをあわせ持った演出が、特徴。変幻自在で、トリッキーなカメラワークを駆使することでも知られる。
 そんな彼は本作に関して、「ジョン・フォードよりもセルジオ・レオーネに負うところが多い」と発言。つまり、ハリウッド流の正統派ウエスタンよりも、60年代半ばから70年代初頭に掛けて、イタリアをベースに数百本が製作された、“マカロニ・ウエスタン”のタッチを目指したことを、明らかにしている。
 歴史観やストーリーの整合性などは無視あるいは軽視し、主人公が必ずしも正義の味方などではなく、悪党であることも少なくない…。とにかく娯楽優先で、残虐描写なども厭わない。そんな“マカロニ・ウエスタン”を、西部劇の本国アメリカで再現しようとしたわけだ。
 舞台となる西部の街に存在するのは、“マカロニ・ウエスタン”に必携な、酒場、賭博場、売春宿に鉄砲店、そして棺桶屋。本来なければおかしい、学校、銀行、金物屋などは、ストーリーと無関係のため、敢えてセットを組まなかった。
 衣裳は、わざわざローマのスタジオから取り寄せられた。それらは“マカロニ・ウエスタン”全盛期に、スクリーンを彩ったアイテム。
 アラン・シルヴェストリの音楽は、ギターにトランペットを重ね、もろに“マカロニ”風味に仕上げられた。
 そうした環境を整えた中でのライミ演出は、銃を抜く寸前に、ガンマンたちの極端なまでのアップを何度も入れたり、銃弾が頭部や身体に当たると、“風穴”をぶち開けたりといった、“マカロニ”風味を、正しく自分のものにしている。クライマックスのガンファイトで、ダイナマイトが街の至る所で炸裂するに至っては、拍手喝采である。

 映画マニアで知られるサム・ライミのことだから、さぞかし“マカロニ・ウエスタン”の大ファンで、そうした嗜好をスクリーンに反映させたのだろう。…と思いきや、実はそうではなかった。
 1993年に“マカロニ・ウエスタン研究家”のセルジオ石黒氏が、ある取材のためにアメリカのユニヴァーサル撮影所に行ったところ、偶然ライミ監督に会ったという。
 彼が西部劇、つまり本作を準備中と聞いたセルジオ氏が、「もちろんマカロニ・ウエスタンは好きなんですよね?」と問うたところ、「あまり詳しくはないんだ。クリント・イーストウッドが出てるセルジオ・レオーネの映画は観たけど」との返答。ライミはレオーネ監督作でも、『ウエスタン』(68)などは未見だった。
 そこでセルジオ氏は帰国後、面白い“マカロニ・ウエスタン”のビデオを適宜見つくろって、ライミ監督宛に送付。至極感謝されたという。
 このエピソードは、ライミ監督が元々は「ホラーは苦手」だったという逸話を思い出させる。仲間から「世に出るなら、低予算のホラーだ」と説き伏せられたことから、苦手を克服して、様々なホラー作品を研究。遂には“エポック・メーキング”と言える、『死霊のはらわた』(81)を生み出したのは、あまりにも有名である。
 本作『クイック&デッド』を撮るに当たっても恐らく、その時と同様の研究を行ったのであろう。その上で、93年後半から94年はじめに掛けて、アリゾナ州のオールド・ツーソン・スタジオで行われた、本作の撮影に臨んだのだ。

 本作は残念ながら、ストーンのキャラクターが、“マカロニ”にしては、善良且つ生真面目すぎるという、欠点がある。ストーンは『氷の微笑』での当たり役“悪女”キャラから、少しでも離れようとしたのかも知れない。しかし、かつてクリント・イーストウッドがレオーネの“ドル箱3部作”で演じた“名無しの男”のように、もっと正体不明の冷淡なキャラにした方が、よりストーンの個性にマッチした上、“マカロニ”っぽくなったのは、間違いない。
 そんなことも災いしてか?『クイック&デッド』は、製作費3,500万㌦に対して、アメリカ本国では、1,800万㌦の興行収入に止まった。つまり製作費を、ペイできなかったのである。
 ただそんな数字以上に、本作はディカプリオにラッセル・クロウ、そしてサム・ライミという、この後にハリウッドをリードしていく“才能”を、シャロン・ストーンが推したという事実が、素晴らしく光る作品である。
 特にライミの場合、本作=西部劇を監督したことがきっかけで、クライム・サスペンスの『シンプル・プラン』(98)、スポーツ映画の『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』(99)、スリラーの『ギフト』(2000)と、様々なジャンルの作品を手掛けるようになった。そして、ただのホラー監督ではない、クライアントのオファーに応えられる職人監督と、高く評価されるようになっていく。
 このことが後には、ライミ長年の念願だった、巨額の製作費を投じたアメコミ映画、トビー・マグワイア版の『スパイダーマン』シリーズ(2002~07)の実現へと、繋がっていくのである。
 そんなことを考えながら、シャロン・ストーンに見出された、これからステップアップしていく、若き映画人たちの跳梁を愛でるのも、製作・公開からちょうど30年経った、本作の楽しみ方の一つと言えるかも知れない。■

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