今年8月、女優のシャロン・ストーンが、「ザ・ビューティー・オブ・リビング・トゥワイス」なるタイトルの、自らの回想録を執筆し、来年3月に出版することを発表した。

 そのニュースを伝える、日本での記事の見出しは、~「氷の微笑」シャロン・ストーン回想録執筆し出版へ~。本文中での彼女の紹介も、~米映画「氷の微笑」(92年)などで知られる元祖セクシー女優シャロン・ストーン(62)~というものであった。

 本文では、マーティン・スコセッシ監督の『カジノ』(95)で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたことなども記されてはいた。しかしシャロン・ストーンと言えば、やっぱり『氷の微笑』。彼女の女優としてのキャリアが、本作1本で語られがちなのは、否めない事実であろう。

 逆に言えば彼女は、この1本で30年近く経った今でも、語られる存在になっているわけである。それほど、公開当時のインパクトは凄かった。

 本作幕開けの舞台は、サンフランシスコに在る豪邸の一室。豪奢な真鍮のベッドの上で、激しくもつれ合う男女の姿があった。女の髪はブロンドだが、その顔の詳細は映し出されない。

 女は男の上にまたがり、ベッドサイドから白いシルクのスカーフを取り出す。そして男の両腕を、ベッドの支柱へと結び付ける。

 SMチックな趣向に益々高まった2人が、そのままオーガニズムに達するかと思った瞬間、女はシーツの下から、今度はアイスピックを取り出して、いきなり男の喉元へと振り下ろす。快楽の絶頂から、苦痛と恐怖のどん底に突き落とされた男に、女はあたり一面を血の海にしながら、何度も何度も、鋭利な刃を突き立てるのであった…。

 この猟奇殺人の捜査に乗り出したのは、サンフランシスコ市警殺人課の刑事ニック・カラン(演:マイケル・ダグラス)。捜査線には、被害者のセフレで、ミステリー作家のキャサリン・トラメル(演:シャロン・ストーン)が、浮かび上がる。何と彼女は、事件の数カ月前、今回の殺人の手口がそっくりそのまま描かれた、ミステリー小説を発表していたのである。

 事件の謎を追う中で、新たな殺人が起こる。更にはキャサリンの過去にも、様々な疑惑が生じていく。キャサリンを犯人と睨んだニックは、真相に迫っていく中で、やがて彼女の危険な魅力に吸い込まれ、溺れていくのであった…。

 オープニングの、ショッキングなSEX殺人。そしてキャサリン・トラメル=シャロン・ストーンが、警察の取り調べを受ける際に、椅子に座って足を組みかえるシーンが、世間の耳目を攫った。そのシーンのシャロンが、タイトスカートでノーパンという装い故に、「ヘアが映る」「股間が見える」というのが、センセーショナルな話題となったのである。

 本邦の場合、本作公開の前年=1991年から、宮沢りえの「サンタフェ」をはじめ、いわゆる“ヘアヌード写真集”のブームが巻き起こっていた。そのブームに、うまくリンクした部分もあったと思う。

 至極、下世話な話ではある。だが本作の公開は当時紛れもなく、ちょっとした“事件”だったのだ。

 そして『氷の微笑』は、全米での興行成績が1億2,000万ドルに迫り、全世界では3億5,000万ドルを稼ぎ出した。日本でも配給収入で19億円、興行収入に直せば40億円前後を売り上げた。

 斯様に世界的な大ヒットとなった本作は、プリプロダクション=製作準備の段階から、何かと話題となっていた。まずは、脚本である。

 手掛けたのは、『フラッシュダンス』(83)『白と黒のナイフ』(85)などのヒット作がある、ジョー・エスターハス。彼が書き上げた本作の脚本の獲得に、8人ものプロデューサーが名乗りを上げて、争奪戦が起こった。

 値段はどんどん吊り上がり、買い手は一人また一人と脱落していく。そんな中で、最終的に300万ドルという、当時としては「史上最高」となる脚本料が付いて、落札となった。

 本作脚本を詳細に検討した場合、ディティールの粗さなど、果して「史上最高」の価値があったのかどうかは、大いに議論となるところである。しかしその脚本料故に、ハリウッドでの本作への注目度が、端から並大抵のものでなかったことは、事実である。

「史上最高」の300万ドルを支払ったのは、独立系の映画製作会社「カロルコ・ピクチャーズ」であった。「カロルコ」は、マリオ・カサールとアンドリュー・G・ヴァイナによって76年に設立され、82年に、シルベスター・スタローン主演の『ランボー』第1作から製作活動を本格化。90年には『トータル・リコール』、91年には『ターミネーター2』と、絶頂期のアーノルド・シュワルツェネッガーを主演させた、メガヒット作を立て続けに放っていた。

 本作の製作が本格化して、まずは殺人課の刑事ニック役に、マイケル・ダグラスが決まった。大スターであるカーク・ダグラスの長男であるマイケルは、アカデミー賞で作品賞を含む5部門に輝いた、『カッコーの巣の上で』(75)のプロデューサーとして注目された後、俳優としても、『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(84)『危険な情事』(87)『ブラック・レイン』(89)などのヒット作に主演。オリバー・ストーン監督の『ウォール街』(87)では、父は生涯手にすることが叶わなかった、“アカデミー賞主演男優賞”を獲得している。

 このように80年代、名実ともハリウッドのTOPスターの1人となったマイケル。年齢的には40代後半という円熟期を迎えて、90年代最初の主演作に選んだのが、本作であった。

 続いては監督が、ポール・ヴァーホーヴェンに決まる。オランダで数々の問題作を発表後、80年代後半にアメリカ映画界へと渡ったヴァーホーヴェンは、『ロボコップ』(87)『トータル・リコール』(90)と、監督作が連続ヒットを記録。本作を手掛けた辺りが、ハリウッドに於ける絶頂期だった。

「カロルコ」!マイケル・ダグラス!ヴァーホーヴェン!90年代はじめのハリウッドに於いては、まさにブイブイ言わせている面々が集まって、いよいよ物語の“肝”となる、キャサリン・トラメル役を決める段となった。

 ヴァーホーヴェンの意中の女性ははじめから、監督前作の『トータル・リコール』に出演していた、シャロン・ストーンだったという。『トータル…』でのシャロンは、シュワルツェネッガー演じる主人公の妻にして、実は敵の回し者という役どころ。アクションシーンでは、2カ月間の空手の特訓の成果を見せ、強い印象を残していた。

 ところが「カロルコ」側からは、「もっと大スターを使いたい」との注文がついた。当時のシャロンは、デビュー以来10年以上もブレイクしないまま、三十路を迎えた、“B級ブロンド女優”に過ぎなかったのである。

 また、シャロンが89年に主演したスペイン映画『血と砂』を観たマイケル・ダグラスも、「カロルコ」の主張に与した。「あんなひどい映画に出ている女優と共演すると自分の人気に傷がつく」というのが、その理由だった。

 そのためヴァーホーヴェンは、100人もの女優と面接するハメになった。イザベル・アジャーニ、ジュリア・ロバーツ、キム・ベイシンガー、ミシェル・ファイファー、ニコール・キッドマン、ジーナ・デイヴィス等々、錚々たる顔触れが並んだが、裸のシーンが多く、悪女のイメージが強いキャサリン・トラメルを演じるのに、前向きになる者は少なかった。

 そこでヴァーホーヴェンは、4カ月掛けてプロデューサーたちを説得。遂にはシャロンの起用に成功した。

 この役がダメだったら、女優をやめようと考えていたというシャロンにとって本作は、まさに「最後の挑戦だった」。ヒッチコックの『裏窓』(54)のグレース・ケリーをイメージして役作りを行った彼女は、ヴァーホーヴェンやダグラスと撮影中に頻繁にディスカッション。時には衝突しながらも、撮影に1週間を要した、激しいセックスシーンなどで、迫真の演技を見せたのである。

 さて先にも記したが、本作で特に話題になったのが、ノーパン&タイトスカートでの足の組み換えシーン。このシーンも、シャロンのアイディアによるものと、劇場用プログラムには記されている。ところが公開キャンペーンで来日した際の、ヴァーホーヴェンのインタビューでは、自分が大学生だった23歳の時の実体験に基づいて、生み出されたシーンだとしている。

 友人の奥さんが、いつも座っている時に下着をつけていないので、「見えるというのが分かっているんですか?」と質問した。すると彼女は、「もちろん。目的があって、履いてないんだもん」と答えたのだという。ヴァーホーヴェンはそれをずっと覚えていたので、本作に使ったという説明である。

 しかしこれも、リップサービスの可能性がある。シャロン説とヴァーホーヴェン説の、どちらが正しいのか?その謎は、公開から22年経った、2014年に解き明かされた。当時報じられた、シャロンの言をそのまま引用する。

「撮影した時、それはノーパンであることを暗示するシーンになるはずだったの。でも監督が『君の下着の白い色が見えてしまう。脱いでもらわなきゃいけない』と言うから、『見えるのはイヤです』と答えたの。すると監督は『いや、見えることはないから』と言うの。だから私は下着を脱いで彼に渡したわ。『じゃあ、モニターを見よう』と彼が言うから見たの。当時は、いまのようになんでもハイビジョンではなかったから、モニターを見た時には本当になにも見えなかったのよ。だから映画館で大勢の人に囲まれてあのシーンを見た時にはショックを受けたわ。上映が終わると監督の頬にビンタをお見舞いして、『私が1人の時にまず見せるべきだったんじゃないの』と言ってやったわ」

 この監督の騙し討ちこそが、映画の世界的ヒットの原動力になったというわけだ。

 さて冒頭に記した通りシャロン・ストーンは、本作1本で、長く語り継がれる存在になった。逆に、他に何の作品に出ていたのかは、ほとんど記憶に残らない女優人生でもある。

 渡米後の監督作が、本作で3本続けてメガヒットとなった、ポール・ヴァーホーヴェンは、その後に手掛けた『ショーガール』(95)が大コケ。続く『スターシップ・トゥルーパーズ』(97)『インビジブル』(00)も期待した成績を上げられず、21世紀には母国オランダに帰って、活動を続けている。

 そして「カロルコ・ピクチャーズ」。90年代初頭には毎年のようにメガヒット作を出しながらも、本作脚本に300万ドルの値付けを行ったことに代表されるような、放漫経営が祟って、95年には倒産の憂き目に遭っている。

 さすれば本作は、1992年のハリウッドに咲いた仇花、一瞬の夢のような作品だったとも言える。

 そして14年後、「カロルコ」崩壊後もプロデューサーを続けたマリオ・カサールらが、再びシャロン・ストーン=キャサリン・トラメルを引っ張り出して製作したのが、『氷の微笑2』(2006)である。しかし、そこにはマイケル・ダグラスの姿はなく、ヴァーホーヴェンも、メガフォンを取ることはなかった。

『2』製作に当たっては、前作時には30万ドルと言われたシャロンのギャラは、1,400万ドルまで膨張。1作目にマイケルが手にしたギャラとほぼ同額になっていた。

 しかしその出来栄えも世間の注目度も、「兵どもが夢の跡」という他はなく、ただただ「世の無常」を感じさせられる作品であった。■


『氷の微笑』(C) 1992 STUDIOCANAL