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コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2015.01.17
追悼ロビン・ウィリアムズ 〜日本未公開作『ハドソン河のモスコー』が教えるlibertyの意味〜
昨年8月11日、突如舞い込んだロビン・ウィリアムズの訃報にショックを受けた人は多いことだろう。得意の物真似や話芸を駆使し、あれだけ『いまを生きる』(89)や『パッチ・アダムス』(98)で生きることの素晴らしさを説いてきた彼が、自ら人生の幕を閉じてしまうなんて……。長年うつ病に苦しみ、初期のパーキンソン病も患っていたと伝えられてから『レナードの朝』(90)や『奇蹟の輝き』(98)を観直すと、なんともいえない気持ちになってしまう。 63歳という早すぎる死に、俳優仲間やスタッフをはじめ世界中の人々が哀悼の意を表した。バラク・オバマ大統領は「ロビン・ウィリアムズはパイロット、医者、妖精、ベビーシッター、大統領、教授、ピーターパン、あらゆる存在でした。最初は宇宙人として登場し、私たちを大いに笑わせ、泣かせました。彼はその途方もない才能を、最も必要としている人たちのために惜しみなく捧げてくれたのです」とロビンがこれまで演じてきた役柄を引用して弔辞を述べた。「最初は宇宙人として」のくだりはロビンが無名時代の1978年、米ABCの人気コメディドラマ『ハッピーデイズ』(74〜84放送)のシーズン5で演じた異星人モークのこと。体制や常識に反発するなど周囲と異なる価値観を持つ役柄を数多く演じてきたロビンは、キャリアのスタート時点から“alien”(=異星人、在留外国人)だったのだ。 1951年7月21日、シカゴの裕福な家庭に生まれ育ったロビンは、奨学金でニューヨークにある名門ジュリアード音楽院で3年間演技を学ぶ。スタンダップ・コメディアンとして活動中、『ハッピーデイズ』のプロデューサーであるゲイリー・マーシャルにコメディの才能を見い出され、同ドラマのスピンオフシリーズ『モーク&ミンディ』(78〜82放送)に主演。このシットコムをきっかけに映画界へ進出。『グッドモーニング、ベトナム』(87)で見せたテンション高いマシンガン・トークでゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞すると、名実共にトップスターに。『いまを生きる』(89)や『フィッシャー・キング』(91)でのシリアスな演技も高く評価され、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(97)ではアカデミー最優秀助演男優賞を受賞している。 こうした流れを踏まえた上で、彼のファンならぜひとも観ておきたいのが、今回「シネマ解放区」でHD放送される日本未公開の名作『ハドソン河のモスコー』(84)。得意のモノマネを駆使して、亡命したロシア人になりきった姿はまさしく芸達者のひと言だ。 製作された当時は79年のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻以降、東西冷戦の緊張が再び高まっていたころ。ロナルド・レーガン米大統領はソ連を「悪の帝国」と呼び、国防予算を大幅に増額して戦略防衛構想(通称スターウォーズ計画)の推進を発表。84年のロサンゼルスオリンピックはソ連以下、東ドイツ、ポーランドなど東側諸国が参加をボイコットしている。 32歳の若きロビンが演じるのは、ソ連のサーカス楽団員ウラジミール・イワノフ。共産主義下では革靴を買うにも寒空のなか長蛇の列に並ばなければならず、ありつけたところで希望するサイズは無し。トイレット・ペーパーを持ち帰れば、それだけで家族は大喜び。街中では反政府的な行動や言動がないか監視の目が四六時中飛び交う。それが当たり前なのだ。 そんな中、イワノフの所属するサーカスにニューヨーク親善公演の話が舞い込む。出発前、お目付役の役人は「諸君は革命国家の代表だ。決してアメリカの退廃に惑わされないように」と釘を刺すが、イワノフには気がかりなことがあった。親友でピエロ役のアナトリから「アメリカに亡命しようと思ってる」と打ち明けられていたのだ。失敗すれば収容所送りは免れない。何度も諭そうとするイワノフ。 一行が到着したニューヨークは、まさに夢の国だった。バスの窓から見えるのは派手なビルボード、ブレイクダンスを踊る少年、モヒカンの黒人パンクス。そこはまさに「自由」の国だった。無事公演を終えて帰路の空港に向かう途中、デパートで30分のみ買い物を許される一行。チャンスはここしかない。試着室で密談中のアナトリとイワノフをゲイと間違えた黒人警備員にいぶかしがられながらも刻々と迫る出発時間。決行のときが来た! だが、アナトリはあまりの事の重大さに臆してしまう。 すべてが終わり、あとは祖国の恋人へみやげを買って帰るだけのイワノフだったが、くすぶっていた何かがハジけるように「亡命したい!」という思いに駆られた彼は、その場から逃走。追っ手から逃げる途中、空港に向かうバスの中のアナトリと目が合った瞬間イワノフは取り返しのつかないことをしてしまったことに気づくが、初めて「自由」を手にした歓びは後悔を遥かに上回るものだった。 騒動の一部始終を見ていた黒人警備員のライオネルは宿無しのイワノフを自分の家に住まわせ、移民専門の弁護士ラミレスは亡命手続きの相談に乗ってくれ、化粧品売り場の女性店員ルチアとはいい仲に。 彼らは皆それぞれの事情を抱えてニューヨークへやって来た仲間なのだ。かくしてイワノフは生来の陽気な性格も手伝い、少しずつアメリカに慣れていく。だが、いいことはいつまでも続かない。やがて彼は「自由」の本当の意味を嫌という程味わされることになる。 自由には責任が伴うものだ。ニューヨークの象徴である自由の女神像は英語で「Statue of Liberty」。「liberty」も「freedom」も共に自由を意味する言葉だが、libertyが示すのは世界史の教科書を紐解くまでもなく「自らの力で闘って手に入れた自由」である。イワノフが思い描いていた自由は、ただ束縛から解放された状態の「freedom」だったのだ。 傷心のイワノフがアパートに帰ると銃を持った少年二人に襲われ、カネも身分証明も奪われてしまう。 「これが俺が命を賭けてまで求めた自由なのか?」 独立記念日の夜、レストランにいた客たちがアメリカ合衆国独立宣言を口にする場面は本作の白眉だ。ここでイワノフが笑顔を取り戻すまでの一連の会話は、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』(99)で登場人物たちが「ワイズ・アップ」を歌い繋ぐシーンのような愛と赦しに満ちている。 「以下は自明の理である。すべての人は生まれながらにして平等であり、生命、自由、幸福の追求を含む侵されざる権利を神より与えられている」 映画ではここまでだが、実際の独立宣言は「これを確保するため政府という機関は作られており、もしも政府がその目的を破壊するものとなった場合、新しい政府を設けることは人民の権利である」と続く。まるで能動的な意思なき者はこの国を去れとでも言わんばかりに。 本作は、ジャズを生んだ黒人たちへのリスペクトを表しているところもいい。現在我々が耳にしているポピュラー音楽のほとんどは、奴隷の身分から解放されてなお迫害を受けてきたアメリカの黒人ミュージシャンが生み出したものなのだから。サキソフォン奏者であるイワノフはソ連にいた頃、両親たちと住む家のテレビに映った黒人たちの姿を見て「彼らは最高のミュージシャンだ」と賛美。そのままコールマン・ホーキンスやデューク・エリントンの名前を挙げ、スウィングジャズの名曲「A列車で行こう」のフレーズを口ずさむ。ご存知の通り、「A列車」とはブルックリンからマンハッタンを結ぶニューヨーク市地下鉄A線のことである。 最後に昨年6月、84歳で亡くなったポール・マザースキー監督についても触れておきたい。彼もまたユニークな経歴の持ち主で、スタンリー・キューブリック監督の処女作『恐怖と欲望』(53)などに俳優として出演する傍ら構成作家として活動。69年、脚本も手掛けた『ボブ&キャロル&テッド&アリス』で監督デビューを果たすと、『ハリーとトント』(74)、『結婚しない女』(78)、『敵、ある愛の物語』(89)がアカデミー賞脚本賞・脚色賞にノミネート。作品賞にもノミネートされた『結婚しない女』は、本作でも主人公がデートで観に行く映画として登場している(これ絶対デートに不向きな映画というギャグでしょ!)。生まれも育ちもブルックリンという地の利を活かし、至る所で目をひく看板、ブレイクダンスを踊る子ども、黒人のモヒカンパンクスといったニューヨークの街並み。冒頭からバスの中、日光が差し込みロビンの顔が照らし出されるショットの美しさたるや! 加えて祖父母がロシアからの移民という彼にとって、本作は自伝的作品である『グリニッチ・ビレッジの青春』(76)と並ぶ重要な作品だったのではないだろうか。 多民族ながら決してひとつに混ざり合うことのない“人種のサラダボウル”ことニューヨークを絶妙な距離感で描いた本作は、ペーソスほんのり、ラストはすっきり(そこにオイシイ役どころで登場するKGBのエージェントは、実際に亡命者であるロシア人俳優サベリー・カラマロフが演じている)。チャカ・カーンの歌うシルキーなエンディングテーマ「フリーダム」も心地よく、深夜に観れば、翌日の活力となること間違いなしの一本だ。■ Copyright © 1984 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2015.01.07
幼気でちょっぴりエッチな少年の日誌は人生の厳しさと温かさが混在している!?〜『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』
北欧スウェーデンは美女の宝庫として知られ、古くから様々なタイプの美人女優をハリウッドに輸出して来た。グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、アニタ・エクバーグ、そして、ちょっと意外なアン=マーグレット。映画監督では何と言ってもイングマル・ベルイマンだろう。"神と沈黙"をテーマに掲げた数々の名作を遺し、2007年に惜しまれつつ他界した20世紀を代表する名匠である。そして、ベルイマンと同じくスウェーデン出身で、今も現役バリバリでカメラを回している頼もしい後輩がラッセ・ハルストレムだ。 ベルイマンとハルストレムは作風もライフスタイルも対照的だ。ベルイマンが母国スウェーデンを一歩も出ずにレジェンドとなったのに対し、ハルストレムはニューヨークに住まいを構え、ハリウッドでジョニー・デップ主演の『ギルバート・グレイプ』(93)や『サイダーハウス・ルール』(99)と言ったオスカー級の話題作を発表して来た。デビュー当時は正確に発音するのが難しかった"ハルストレム"という名前も、冷徹なベルイマン作品には皆無だった人間への温かい眼差しも、今や映画ファンの間ですっかり定着している。そんな彼が世界に羽ばたく土台を築いた若き日の代表作、それが『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』だ。 舞台は1950年代後半のスウェーデンの田舎町。主人公の少年、イングマルがいつも思いを馳せるのは、人工衛星にむりやり乗せられ、5ヶ月も食事を与えられず宇宙の彼方で餓死したライカ犬のこと。それに比べたら、病床の母を持ち、旅がちな父親不在の家で暮らし、悪戯な兄に虐められ、コップの牛乳も上手に飲めないドジで間抜けな自分なんてましな方。というのが、イングマルの相対的且つ客観的人生論なのだ。イングマルのライカ犬に負けず劣らずの不運は続く。夏休み、彼は心配な母親を家に残し、グンネル伯父さんの家に預けられることになり、大好きな愛犬シッカンとも引き離されてしまう。しかし、こうして文字に置き換えると冷え冷えとする少年の現実が、ハルストレム的感性のフィルターを通すとどうだろう!?不幸は常時ユーモアにかき消され、厳しくとも生きる価値のある人生への愛おしさに心が震えてくる。 例えば、ユーモアはこんな場面で効果満点だ。母親が喧嘩を止めないイングマルと兄のエリクを打っている傍らで、シッカンが床に零れた牛乳をべろ飲みしている。グンネル伯父さん宅の階下で寝たきり生活を送るお祖父さんの願いで、イングマルが女性下着カタログの説明文を読んで興奮させてあげる。伯父さんが勤めるガラス工場の巨乳美女が彫刻家にヌードモデルを頼まれた時、同行したイングマルが美女の秘部を見たくて天窓に張り付き、重みで落下する、等々。その際、傷だらけのイングマルに巨乳姉さんは『堅信礼は受けられないわね』と呆れ顔で呟くのだが、キリスト教では子供にとって最も重要なこの信仰儀礼すら、ユーモアのツールに使ってしまうハルストレムのスウェーデン人らしからぬセンスは笑える。その一方で、おませなエリクが子供たちを地下室に集めて聞きかじりの性教育を施したり、イングマルが仲のいい女子に誘われて線路下の狭いトンネルで抱き合ったりするシーン等も含めて、笑いのソースが性に偏っているのは、この分野の先進国、スウェーデンならでは。すでに死語になった"フリーセックス"という価値観が持つ尖ったイメージをユーモアで再生した点も、ハルストレムの秘やかな功績なのではないだろうか。 イングマルが田舎で出会った、本当は男の子になりたいガキ大将の少女、サガに頼まれて、膨らんできた胸にさらしを巻いてあげるシーンも微妙に刺激的だ。この後、イングマルには最も恐れていた不幸が襲いかかるけれど、そのようにままならない日々を送るのは彼の家族も、サガも、そして、周囲の大人たちも同じ。厳しい現実はすべての人々に均しく試練を強いるけれど、そこには突拍子もない出来事と笑いがセットになっているところが『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の魅力であり、その後のハルストレム作品にも脈々と継承されて行く。 それは、アイオワの田舎町で家族の世話に青春を捧げた青年の旅立ちを祝う『ギルバート・グレイプ』(93)にも、孤児院で生まれた少年が外の世界に触れて成長していく『サイダーハウス・ルール』(99)にも、フランスの片田舎に住む村人の閉鎖性をチョコレートの甘さが溶かしていく『ショコラ』(00)にも、そして、フランス料理とインド料理が互いの偏見を乗り越えて1つになる最新作『マダム・ローリーと魔法のスパイス』(14)にも、しっかり受け継がれている。ハルストレムが凄いのは設定は異なってもライフワークとも言えるテーマをぶれることなく、しかも、商業ベースに乗せているところ。商業ベースとは言うまでもなく、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、トビー・マグワイア、ジュリエット・ビノシュ等、人気スターを常に主役に迎え、その中の多くをオスカー候補に送り込んでいることを意味する。 プライベートでは1994年に結婚した女優のレナ・オリンと未だ仲睦まじく、ニューヨークとストックホルムの間を行き来する充実した日々を送っているハルストレム。オリンはかつてベルイマン作品に脇役で出演したこともある、同じスウェーデン出身の実力派女優だ。夫妻が『ショコラ』や『カサノバ』(05)等でコラボしているところは、ベルイマンと彼のミューズと言われた女優、リブ・ウルマンの関係に似ていなくもないけれど、ベルイマンとウルマンが公然と愛人関係をキープしたのに対して、ハルストレムとオリンは正式に結婚し、'95年に生まれた愛娘のトーラ・ハルストレムは女優として活躍している。やっぱり、私生活でもベルイマンとハルストレムは作風が違うのだ。 もし、改めて、または、初めて『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』で心が温まり、ラッセ・ハルストレムに興味を持ったなら、監督としてブレイクスルー以前の作品に触れてみてはいかがだろう?『マイライフ〜』の原型と言われている劇場映画デビュー作『恋する男と彼の彼女』(75)も、その続編『僕は子持ち』(79)も、『マイライフ〜』の直前に監督した『幸せな僕たち』(83)も、全部ちゃんとDVD化されているのだから。 ところで、イングマル役を演じて天才子役と謳われたアントン・グランセウリスは、その後、どうなったか?前年に出演したTVドラマで発見され、イングマル役に大抜擢された彼だったが、映画俳優になる気は毛頭なかったらしく、天才子役の転落ルートは横目で回避し、今はスウェーデンのTV局、TV4のリアリティショーのプロデューサーとして活躍中とか。監督と同じく、これまたけっこうなことではないでしょうか!?■ ©1985 AB Svensk Filmindustri
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COLUMN/コラム2015.01.05
【未DVD化】ハル・アシュビー、人生をやり尽くした巨匠の最後の挽歌〜DVD未発売『800万の死にざま』
その原作を名手オリヴァー・ストーンらが脚色(『ゴッドファーザー』や『チャイナ・タウン』の脚本をフィニッシュしたロバート・タウンも、クレジットなしで脚本に参加している)、『夜の大捜査線』(1967年)『チャンス』(1979年)の名匠ハル・アシュビーが監督した劇場用映画の「最期の作品」となった。つまり、遺作になったわけだ。 ハル・アシュビーの遺作として記憶するのは、ローレンス・ブロックというクライムストーリーの名手が紡いだ物語にしては若干破綻のあるストーリーかもしれない。ロサンゼルスを舞台にしたハードボイルドな映画でいえば、『チャイナタウン』や『ロング・グッドバイ』ほど緊密な映像が続くわけではない。しかし、最後のミニケイブルカーの銃撃戦のシーンだけは、とても強く記憶に残っている。 アルコール中毒で警察を辞めた元刑事の主人公がジェフ・ブリッジスで、黄金の魂を持った高級娼婦役がロザンナ・アークエット、そして本作のヴィラン(悪役)となる麻薬の売人役がアンディ・ガルシア。ガルシアは、スプラッターホラーさながらで、末期の顔が笑わせる。 時は1980年代半ばであり、この3人のビジュアルはピークといえる。 J・ブリッジスは『カリブの熱い夜』(1984年)の後で、『タッカー』(1988年)の前。R・アークエットは『アフター・アワーズ』(1985年)の後で、『グラン・ブルー』(1988年)の前。A・ガルシアは『アンタッチャブル』(1987年)の前なのだ。 その後、ブリッジスはアル中もので『クレイジー・ハート』(2009年)などにも出ているが、枯れた男のアル中話より、男真っ盛りという感じの当時のたたずまいがいい。主人公スカダーと女性たちのやりとりにじんわりと来るものがあって、彼は誰よりも傷つきやすくて、アル中でグチャグチャになっていきながらも酒を断って禁酒する感じが、強いだけのハードボイルド・ヒーローと違って、とても親近感がある。彼は据え膳食わぬは男の恥ではないが、目の前に裸の女がいても、彼はけっして手を出さないのだ。それにブリッジスは何よりも、『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』(1989年)や、『ファッシャー・キング』(1991年)や、『ビッグ・リボウスキ』(1998年)といった僕の「偏愛する映画」(どうしても嫌いになれない映画)に3本も主演しているのだ。 それに、ガルシアもブレイク寸前で、サイコキラースレスレのぶち切れキャラを演じている。これが、痛快だ。オリヴァー・ストーン脚本作品『スカーフェイス』(1983年)の後であり、あのトニー・モンタナの延長線上のような演技で、『ゴッドファーザー PARTIII』(1990年)のアル・パチーノの後継者は決まったようなもんである(笑)。 アークエットも化粧っけもなく、素顔に近い。元ダンサーで、娼婦をやっている自分の身の上話を主人公スカダーにとつとつと話す場面が、叙情的ですばらしい。彼女はかなりのファニーフェイスで、悪くいえば漫画のようなコケティッシュなアヒル顔をしている。このときの彼女の表情はあるときは素の少女であり、またあるときは無垢な女性そのもので、思わず感情移入してしまうのだ。さすが、ロックバンドTOTOのヴォーカル、スティーヴ・ボーカロに「ロザーナ」を歌わせるだけはある(ボーカロとアークエットの消滅した恋愛関係を歌ったものだと思われていたが、その後にただ単にコーラスに合う名前だと判明した)。ともかく、彼女の魅力を存分に味わえるわけだ。ちょっと胸が大きいのも、すばらしい。こんなにも胸に沁みる映画なのに、彼女がステキなのに、いまのところセルビデオでしか観る機会がないというのが、本当に残念で仕方がない。 1970年代のハル・アシュビーといえば、『真夜中の青春』(1971年)『ハロルドとモード』(1971年)『さらば冬のかもめ』(1973年)『シャンプー』(1975年)『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(1976年)『帰郷』(1978年)『チャンス』(1979年)といった、とてもシニカルな傑作ばかりを連発した。 ヘリコプターの羽音で始まるジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽も、全体に緊迫感(サスペンス)を植え付けて、最後のミニケイブルカーの場面まで、一気呵成に見せてすばらしかった。だが、「あれ、この急展開って何?」という脚本上の些細な綻びはあるけれど、その音楽のおかげで僕には、最後にはズシリと来た。いわば、感動がである。 そして何よりも、主役3人のキャラクターが立っていて、彼ら3人がビジュアル的にピークにあったことから、彼らのアンサンブルが絶妙であり、何ともいえぬエモーションをかきたててくれたのだ。ちょっとぬるいアクション映画に感じる部分は少々残念だが、ハル・アシュビーの遺作と呼ぶにふさわしい、記憶に残るいい作品に仕上がっている。何しろ観終わって30年近く経つのに、最後のミニケイブルカーでの銃撃戦はフィルムのひとかけらひとかけらを憶えており、けっして忘れていないのだ。これはすごいことだ。まさに人生をやり尽くした巨匠の、最後の挽歌といえるかもしれない。■ © 1986 PSO Presentations. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2014.12.26
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年1月】おふとん
古代ギリシャの神々&人間のバトルが描かれた本作。稀代のビジュアリスト、ターセム・シン監督が描く古代ギリシャはギンギラで、バチバチでゴリゴリ!『ザ・セル』『落下の王国』に続き、オスカーデザイナー石岡瑛子とタッグを組んだ3作目の本作。ターセム監督の壮大な世界観を、たおやかで力強い衣装によって、美しく残酷で崇高な表現へと押し上げています。畏怖の念と、大スペクタクルが絡み全身を包み、五感フル刺激されまくり!ラスト3秒、刮目せよ! ©2010 War of Gods,LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2014.12.26
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年1月】にしこ
「素晴らしい映画」とは?プロットが良い、映像美が素晴らしい、音楽が泣ける、等々あるかと思いますが、やはり劇映画の場合、「役者の演技が素晴らしい」というのは非常に観客をその世界に引き込む重要なファクターかと思います。いつだってお芝居を観ている事を忘れる様な神的演技を繰り出す役者さんもおりますが、それ以上に「いいもん観たなぁ」と思うのは、役者さんのその時代、その瞬間しかできないよね!という演技をスクリーン越しに感じる時だったりいたします。まさに、この「マイ・ガール」はそんな演技が全編にちりばめられた、素敵な作品です。1972年。赤ちゃんの時にお母さんをなくし、お父さんとおばあちゃんの3人暮らしのベーダ。学校の先生にお熱の11歳。周りの女の子とは気が合わず、親友のトーマスと男の子の様に遊ぶ方が楽しい。ある日、お父さんの営む葬儀店に、死に化粧の担当としてやってきたシェリーがお父さんといい感じになっているのも気に食わない。大人はみんな恋をして何をするんだろう?キスってどんな感じがするんだろう?例えあくびが出る様な作品だったとしても、自分に刺さるシーンやセリフ、エピソードや小物だったりが登場する作品は、自分にとってかけがえのない映画になったりします。思春期の女の子の「わかるわかる」が詰まったエピソードの数々に、自分を重ねあわせて観ていた記憶があります。ベーダのつけている気分によって色が変わる「ムードリング」。欲しかったなぁ… Copyright © 1991 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2014.12.18
実は凄い子!ホンモノの格闘家テイラー・ロートナーの『ミッシングID』
多くの場合、映画の中では演技のプロである俳優がアクションをすることになるのだが、撮影前にどれほどトレーニングを積んだとしても、彼らのアクションが素晴らしい出来になるとは限らない。むしろ「スタントマンに任せておけば良いのに……」と思わせるような“半端に頑張っちゃった映画”が非常に多いのだ。 だからこそ筆者は常に思う。「演技力のあるホンモノの格闘家のアクション映画が観たい!」 最初にその筆者の願望を現実のものとしたのは、言うまでもなくブルース・リーだ。中国武術の詠春拳に始まり、空手、ボクシング、柔道、シラット、カリと様々な武術を融合させ、現在のMMA(Mixed Martial Arts:総合格闘技)の礎を気付いたブルース・リーは、『燃えよドラゴン』で映画における格闘技アクションのオリジナルにして完成形を提示した。その後のカンフー映画の大ムーブメントでは多くの武術家が映画に進出し、スクリーンでその技を見せ付けてくれたのだった。 またブルース・リーの親友で世界プロ空手選手権ミドル級王者のチャック・ノリスは、ハリウッド映画に本物の空手アクションを取り入れるとともに、タカ派アクション全盛の波に乗ってヒット作を連発させることに成功。80年代末期にはスティーヴン・セガールが、合気道というまったく新たな(それでいて伝統的な)格闘スタイルをアクション映画に持ち込み、全世界のアクション映画ファンの度肝を抜いている。 そしてアメリカで総合格闘技イベントUFCが産声を上げると、打撃系格闘技でない新たな護身格闘技としてブラジリアン柔術が知られるようになり、UFCが世界的な人気を博すようになると、ランディ・クートゥア、チャック・リデル、クイントン“ランペイジ”ジャクソンといった、現役格闘家が映画に出演するようになったのは2000年代に入ってからとなる。同時期にアジアでは古式ムエタイのエッセンスをふんだんに取り入れたタイ映画『マッハ!!!!!!!!』や、インドネシアの伝統武術シラットの達人たちが出演する『ザ・レイド』が世界的な評価を受けるようになっている。 こうしたアクション映画の成功事例に共通するのは、単に本物の格闘技をその道の達人たちとともにそのまま映画の世界に持ち込んだわけではなく、既存の映画のアクションの方程式の中に本物のエッセンスをふんだんにまぶすことで、映画のアクションに対するリアリティを格段にアップさせた点である。そして俳優として人気を博しながらも、前述のアクション映画でのリアリティを大いに感じさせるアクションの出来る俳優、その中でもイチオシとなるのが、テイラー・ロートナーなのである。 ロートナーと言えばアメリカで社会現象になるほどの大ヒットを記録したヴァンパイア・ラブロマンス『トワイライト』で人狼青年ジェイコブを演じたことで、ティーンの人気を獲得したイケメン。今では映画一本の出演料が2000万ドルを超えるAランク俳優として活躍していることは、周知の通りである。しかしこのロートナーは、単なる二枚目俳優ではないのだ。 1992年2月、ミッドウェスト航空のパイロットである父とソフトウェア開発会社に勤める母の下に生まれたロートナーは、6歳から空手を習い始め、7歳の時にはアメリカ国内の空手トーナメントに出場。そこで空手やテコンドーの師範であるマイケル・チャットと出会い、チャットの道場であるエクストリーム・マーシャルアーツへの入門を許可される。そこでメキメキと頭角を現したロートナーは、8歳にして黒帯を取得。いくつかのジュニア世界選手権で優勝し、キックボクシングで有名なISKA(国際競技空手協会)の国際大会でも優勝して、2003年には空手の世界ランキング1位になっている。ロートナーは名実ともに世界最強の少年空手家であったのだ。 そしてロートナーの師であるチャットは、『パワーレンジャー』シリーズや『オースティン・パワーズ』などの映画/テレビでスタントマンを務めていたため、その世界にロートナーを紹介。様々な民族がミックスされたエキゾチックなルックスを持ち、世界ラインキング1位の空手家という完璧を絵に描いたロートナーは、オーディションに次々と合格。『トワイライト』のジェイコブ役で全米最高のマネーメイキングスターの仲間入りをしたのだった。そんなロートナーの初主演作が、本稿で取り上げる『ミッシングID』なのである。 ケンカっぱやいのが玉に傷な男子高校生ネイサン・ハーバー。ネイサンに徹底した格闘スキルを叩き込み、その習得状況は非常に厳しくチェックが入るという点において一風変わってはいるが、理解のある両親のもとで幸せに暮らしていた。ただ時折見る女性が殺される生々しい夢に悩まされており、カウンセラーのベネット医師の下に通っていた。ある日幼馴染のカレンとともに学校の課題のために児童誘拐の調査を始めたネイサンは、誘拐被害児童の情報提供を呼びかけるサイトで驚くべきものを見付けてしまう。それは、自分自身の幼少期の写真であった。単なるそら似とも思えたが、その写真に写っている児童が身に着けているものは、ネイサンの子供のときの洋服と染みの位置まで完全に一致。ネイサンはサイトの運営にコンタクトを取り、さらに両親にそのことを問いただしてみた。しかしその時、自宅を訪れた黒いスーツ姿の二人組に両親は射殺されてしまう。間一髪脱出に成功したネイサンは、カレンとともに自身の出生の秘密を探るための旅に出発するのだったが…。 ストーリー的には、ティーン版『ボーン・アイデンティティ』とも言うべき内容の作品であるが、何より本作のアクションシーンには、最新のMMAテクニックがふんだんに盛り込まれているのが特徴的であろう。中盤の列車内でのアクションシーンでは三角締めなどの柔術技も披露。長い手足を持つロートナーの柔術テクニックはなかなかのものである。もちろん本業(?)である空手の経験を存分に活かしたサイドキックやパンチは、一朝一夕に身に着けたようなものではないだけに迫力満点だ。 ちなみに本作のスタントコーディネイターはブラッド・マーティン。『エクスペンダブルズ』シリーズや、ジェイソン・ステイサムの『バトルフロント』でもMMAのエッセンスを大量に投入したアクションをコーディネイトしたやり手アクション監督であり、『ミッシングID』でもその辣腕は奮っている。 サスペンスとして充分に魅力的な本作であるが、そこにロートナーのキレッキレのアクションに加え、ジャッキー・チェンばりのスタントシーンも堪能できる『ミッシングID』。是非ともこの機会ご覧になって頂きたい。そして新たなアクションスター、テイラー・ロートナー誕生の瞬間を確認してほしい。■ © 2011 Lions Gate Films Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2014.12.10
宇宙探査に挑む人類を脅かす“人智を超えた恐怖”を描いた2作品〜『イベント・ホライゾン』と『パンドラム』
こうした問いかけはジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(1902)以来、SF映画における最もポピュラーなテーマであり、多くのクリエイターの創作意欲を刺激し、映画ファンの夢とロマンをかき立ててきた。そんな宇宙探査映画の歴史に新たなエポックを刻み込んだのが、クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』(14)である。地球終焉のカウントダウンのさなかに交わされた父と娘の“約束”の物語が、無限の宇宙空間へと飛翔し、時空と次元を超えて想像を絶するうねりを見せていくこの超大作は、まさに視覚的にも感情的にも圧倒されずにいられない究極のスペース・アドベンチャーであった。 しかしながら『インターステラー』がそうであったように、宇宙探査ミッションには想定外のトラブルが付きもので、時には人智を超えた“恐怖”との遭遇も覚悟せねばならない。むろん、その代表格はリドリー・スコット監督作品『エイリアン』(79)だが、これ以降に作られた数多くのSFホラーの中でとびきり異彩を放っているのが『イベント・ホライゾン』(97)である。『インターステラー』でも扱われた“ワームホール(時空の抜け道)”を意外な形でストーリーに組み込んだこの映画、あの『バイオハザード』シリーズ(02~)でおなじみのヒットメーカー、ポール・W・S・アンダーソン監督のハリウッド第2作にして、彼のキャリアの最高傑作とも言っても差し支えないであろう本格的な恐怖映画なのだ。 物語は西暦2047年、7年前に忽然と消息を絶った深宇宙探査船イベント・ホライゾン号からの信号がキャッチされ、その設計者であるウェアー博士を乗せた救助船クラーク&ルイス号が調査に赴くところから始まる。イベント・ホライゾン号には生存者はひとりもいなかったが、なぜか船のあちこちから生命反応が検知される。そして内部に足を踏み入れたクルーは何者かの気配に脅え、奇怪な幻覚や幻聴に悩まされるようになる…。 本作はクラーク&ルイス号の一行がイベント・ホライゾン号に到達するまでの導入部からして、じわじわと恐怖感を煽っていく。ウェアー博士が同行するクルーに聴かせるのは、イベント・ホライゾン号との最後の交信を録音したテープ。そこにはこの世のものとは思えないおぞましい呻き声や悲鳴が記録されており、ラテン語の声も含まれている。それはまるでオカルト・ホラーにしばしば盛り込まれる“悪魔の肉声”のようであり、宇宙空間を漂流するイベント・ホライゾン号は不気味な幽霊船そのものだ。そう、まさしくこの映画はロバート・ワイズ監督の名作『たたり』(63)をお手本にし、宇宙船を幽霊屋敷に見立てたSF“ゴシック”ホラーなのである。 『エイリアン』に加え、『シャイニング』(80)のサイキックな要素も取り込んだフィリップ・アイズナーのオリジナル脚本は、さらなる驚愕のアイデアを炸裂させる。ここで序盤におけるウェアー博士のもったいぶったワームホールの解説が伏線として生きてくる。イベント・ホライゾン号がワームホールを抜けて行き着いた別次元とは何なのか。ネタバレを避けるため詳細は避けるが、そこにこそ本作最大の“人智を超えた恐怖”がある。ホラー映画好きならば誰もが知る某有名作品のエッセンスを大胆に借用し、なおかつそれをワームホールと結びつけたアクロバティックな発想には脱帽せざるをえない。ルイス&クラーク号のクルーの行く手に待ち受ける真実は、宇宙のロマンとは真逆の極限地獄なのだから! ウェアー博士役のサム・ニールと船長役のローレンス・フィッシュバーンを軸とした俳優陣の緊迫感みなぎるアンサンブル、ノートルダム大聖堂にヒントを得たというイベント・ホライゾン号の斬新な造形、長い回廊や医務室といった船内セットの優れたプロダクション・デザインも重厚な恐怖感を生み、一瞬たりとも気が抜けない。製作時から17年が経ったというのにまったくチープに見えないのは、CGに頼るのを最低限にとどめ、生々しい質感のアナログな特殊効果を多用した成果だろう。ちなみに筆者は、かつて東銀座の歌舞伎座前にあった配給会社UIPの試写室で本作を初めて鑑賞したとき、登場人物が扉を開け閉めしたりする物音だけで心臓が縮み上がった思い出がある。 もう1本、併せて紹介する『パンドラム』(09)は、ポール・W・S・アンダーソンが製作に回り、クリスティアン・アルヴァルト監督を始めとするドイツ人スタッフとコラボレートしたSFスリラーだ。西暦2174年、人口の爆発的増加によって水と食糧が枯渇した地球から惑星タニスという新天地へ旅立った宇宙船エリジウム号が舞台となる。 まず面白いのは冒頭、長期間にわたる冷凍睡眠から目覚めた主人公の宇宙飛行士2人が記憶を喪失してしまっていること。自分たちがどこへ何のために向かっているのかさえ思い出せない彼らは、上官のペイトン(デニス・クエイド)が睡眠室に残って指示を出し、部下のバウアー(ベン・フォスター)が船内を探検していく。観客である私たちも特権的な情報を与えられず、2人の主人公と同じく暗中模索状態で不気味に静まりかえった広大な船内をおそるおそるさまようことになる。 ペイトンとバウアーが真っ先に成し遂げるべきミッションは船の動力である原子炉を再起動することだが、バウアーの行く手には正体不明の凶暴な人食い怪人がうようよと出現。さらには生存者の男女2人との出会いや人食い集団とのサバイバル・バトル、バウアーの失われた記憶やエリジウム号に隠されたミステリーといったエピソードが、異様なテンションを持続させながら矢継ぎ早に繰り出され、まったく飽きさせない。『エイリアン』や『プレデター』シリーズや『ディセント』(05)などを容易に想起させる既視感は否めないが、後半に『猿の惑星』(68)ばりの壮大なひねりを加えたストーリー展開も大いに楽しめる。全編、汗とオイルにまみれてノンストップの苦闘を演じきった俳優陣の熱演も凄い。よくも悪くもアンダーソン的なB級テイストに、スタッフ&キャストのただならぬ頑張りが血肉を与えた快作と言えよう。 さすがに破格のバジェットを投じ、並々ならぬクオリティを誇る『インターステラー』と比較するのは酷だが、きっとこの2作品も多くの視聴者に“見始めたら、止められない”スリルを提供することだろう。もはや宇宙探査というアドベンチャーが地球滅亡という切迫した設定とともに描かれるようになった21世紀において、このジャンルはいつまで“SF”であり続けるのだろうか? 上『イベント・ホライゾン』TM & Copyright © 2014 Paramount Pictures. All rights reserved./下『パンドラム』© 2014 Sony Pictures Television Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2014.12.04
【未DVD化】思い出の2大アイドル競演映画は、舞台裏もおもしろネタ満載!?〜DVD未発売『リトル・ダーリング』
ストーリーを改めて精査する前に、2人がロケで合流するまでのプロセスと撮影中のきな臭いエピソードを、やはり紹介しないわけにはいかない。 まず、テイタムはこの映画に出演する前の1973年、父親のライアン・オニールと共演した『ペーパー・ムーン』で史上最年少の10歳でアカデミー助演女優賞を受賞後、『がんばれ!ベアーズ』(76)の豪腕ピッチャー役で名実共にトップアイドルの座をゲット。そして、同じ役を彼女と奪い合ったのが、何と奇遇にもクリスティ・マクニコルだった。『リトル・ダーリング』が公開された当時、ファンの間でまことしやかに囁かれた噂話がある。それは、当初、劇中で不良少女ぶりを炸裂させるエンジェル役をオファーされたテイタムが、ミスキャストを承知でお嬢様のフェリス役をチョイスしたという"わがまま伝説"。クリスティが映画女優としては一歩先を行くテイタムの希望を渋々受け容れたことは想定でき、その後、しばらくこの噂話は事実として語り継がれることになる。 ところが、事実はその反対だったという説もある。映画サイトのIMDbによると、映画が公開された1980年3月発売の芸能誌"ピープル"が、フェリス役を最初にオファーされたのはクリスティの方で、彼女がそれを断り、あえてエンジェル役を選択したことを伝えているのだ。理由として挙げられているのは、当時、クリスティは高視聴率ドラマ『ファミリー 愛の肖像』(76〜80)にレギュラー出演して高い認知度を誇っていたからというもの。オスカー女優か?TVのアイドルか?それは現役最高峰の演技派女優、メリル・ストリープと、TVのトークショーで天文学的なギャラを稼いだオプラ・ウィンフリーの比較論にまで繋がる、アメリカ・ショービズ界の永遠のテーマかも知れない。 とりあえず『リトル・ダーリング』が無事にクランクインしてからも、テイタムとクリスティの間には色々あったようだ。エンジェルは物語の最初から最後までタバコを吹かし続けるのだが、それまでタバコを吸ったことがなかったクリスティ(当時17歳)にタバコの味を教えたのはテイタム(当時16歳。何しろ彼女は9歳で出演した『ペーパー・ムーン』ですでにチェーンスモーカー役を演じているのだ。アカデミー協会、倫理的にどうなの!?) で、以来、クリスティは私生活でもタバコを手放せない体になってしまったとか。 しかし、撮影中、派手に問題を起こしたのはクリスティの方で、ロケの合間には退屈しのぎに車を飛ばしてカーブを曲がりきれず、ロケ地、ジョージア州マディソン郡の草むらにドーナツ状の跡をつけて警察沙汰にもなっている。その際、クリスティの実母が『ドラッグをやってなかっただけまし』と言い放ったことや、テイタムとクリスティが宣伝用にツーショット写真を撮る際、位置取りで揉めたという話も記録に残っている。どれもこれもゴシップ好きには堪えられない美味しい話ばかりだ。 映画自体も単純にアイドル映画としてカテゴライズすることは憚られる、けっこう意味を持った作品に仕上がっている。物語の舞台は各地から女子たちが集まってくるひと夏のサマーキャンプ。キャンプ場に向かう車中に、母子家庭で育った下町生まれのエンジェルと、対照的に山の手育ちのお嬢様、フェリスがいる。2人は共に15歳。偶然バスで隣り合わせになった時からソリが合わず、何かとぶつかり合う2人がどちらも処女であることがバレると、すでに14歳でセックスを知ったと豪語するおませな少女、シンダーが突如悪巧みを思い付く。エンジェルとフェリス、どちらが先に処女を捨てるか?全員で賭けをしようというのだ。その辺には特に興味津々の少女たちが思わず手を挙げたのは言うまでもない。そこから、ライバル2人の"ロスト・ヴァージン作戦"がスタートする。 1980年代当時も今も、男子の童貞喪失ものは枚挙に暇がない。1950年代のフロリダでセックスのことしか頭にない男子高校生の行状を描く『ポーキーズ』(81)やタイトルもずばり『初体験/リッジモント・ハイ』(82)、また、プロムを童貞喪失のタイムリミットに設定した男子の焦りを綴る『アメリカン・バイ』(99)、そして、物悲しくも可笑しい『40歳の童貞男』(05)まで、まるで、映画史に"童貞喪失映画"というジャンルが確立されているかのようだ。実は確立されていたりして。逆に、女子のヴァージン喪失映画は極めて稀だ。そこに、『リトル・ダーリング』は果敢にも挑戦している。 エンジェルが湖の反対側でキャンプを張るイケメン男子のランディ(これが映画デビューして2作目のマット・ディロン)に狙いを定め、その目的を隠すことなくアプローチする一方で、フェリスはお嬢様転じて肉食系と化し、キャンプ場の体育コーチ、キャラハンに体当たりをかます。その間、女子グループはエンジェルが運転するスクールバスでキャンプ場を抜け出し、公衆男子トイレに潜入して自動販売機からコンドームを大量に入手。勿論、目的はエンジェルとフェリスの"その時"のためだ。また、彼女たちは湖の向こう側で全裸になって泳ぐ男子の体を望遠鏡で視姦したりもする。それらの行動は童貞喪失映画ではお馴染みの光景。その逆バージョンを、このようにあっけらかんと、まして、1980年にやってしまっていることの意味は、フェミニズム的観点から鑑みても特筆すべきではないだろうか。 そして、エンジェルとフェリスは処女を捨てられたのか、どうか。物語の着地点は、大人になることを急いではいけない。また、同時に、セックスには必然性、つまり愛が伴わなくてはいけない。その2点に尽きる。これは、かつて乱発された童貞喪失映画がスルーしてきた、ヒロイン映画独特の普遍的で大人びた結論と言わざるを得ない。 最後に、『リトル・ダーリング』がDVD未リリース作品としても貴重であることを付け加えておこう。と言うのも、オリジナルの映画にはお馴染みのヒットソングが何曲かフィーチャーされているのだが、ハリウッドでは珍しく版権の処理過程に問題があったらしく、作品がビデオカセットとレーザーディスク化された際、それらの曲は削除され、各々の場面にマッチする他の適当な音楽に差し替えられたという。カットされたのは、スーパートランプの"スクール"、ジョン・レノンの"オー・マイ・ラブ"、そして、エンドロールにかかるベラミー・ブラザーズの"レッツ・ユア・ラブ・フロウ"の3曲。つまり、今回ザ・シネマ解放区ではオリジナルの名曲入り『リトル・ダーリング』が幸運にも鑑賞できるというわけだ!!■
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COLUMN/コラム2014.12.01
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年12月】キャロル
南アフリカ共和国の人種融和を図るネルソン・マンデラ大統領が、黒人・白人混成のラグビー代表チームに祖国団結を託した実話を名匠クリント・イーストウッドが映像化。本人からマンデラ役を熱望されたというモーガン・フリーマンの醸し出す絶対的な安心感とマット・デイモンの絶妙な清涼感が、重厚なテーマの本作にすがすがしい空気を送り込んでいる。また、監督イーストウッドのなせる技なのだろうが、押しつけがましい感動演出がなく静かに物語が進行していくので、観終わった後の重苦しさは全くない。なかなか触手が伸びにくいジャンルだが、実際に見てみると案外重くないので、未見の方はこれを機会に一度ご覧頂きたい一品。 © Warner Bros. Entertainment Inc. and Spyglass
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COLUMN/コラム2014.12.01
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年12月】にしこ
「ロマンチック・コメディの女王」と言えば、古くはメグ・ライアン、現役続行中のキャメロン・ディアス、実力派リース・ウィザースプーン、はたまたエマ・ストーン?と名前が挙がってくるのでしょうが、真にこの名にふさわしいのはこの人しかいません。ノーラ・エフロン。2012年に急逝されたこの偉大なロマンチック・コメディ界の巨星の最高傑作と言い切りたい!それが『恋人たちの予感』です。彼女はこの作品の脚本家でありますが(監督は『スタンド・バイ・ミー』のロブ・ライナー。ノーラが監督し、大ヒットした『めぐり逢えたら』に、トム・ハンクスの親友役としても出演しています)、この作品は会話劇と言っても過言ではないほど、登場人物がしゃべるしゃべるしゃべる。ずばりと男女の考え方の違いをウィットに富んだ表現でしゃべるしゃべる。ハリーとサリーはシカゴ大学を卒業し、就職の為にNYへと向かう車の相乗り相手として知り合います。サリーは理想主義の優等生タイプ。ハリーは世の中を斜に構えて見ているペシミスト。自分は恋人の友人であるにも関わらず口説いてくるハリーにサリーは嫌悪感を抱きつつ、合うはずもない2人、NYに到着し「もう二度とお会いすることもないでしょう」的お別れをします。車の中での会話も男女の考え方をユニークでありながら、端的に主役二人に語らせます。「男女の友情なんて存在しない。男は女に魅力を感じた時点でヤリたいと思ってる」「そんな事はない、私には男友達が沢山いる」という2人の会話が後半部分の伏線となっていきます。それから5年後、2人はばったり空港で再会。サリーがハリーの友人の恋人だった為気づいたものの、それがなければ気づかなかった程、相手に関心のない2人。挨拶のみでさようなら。さらに6年後、ハリーの離婚直後にNYの本屋で再会。ちょうどサリーも恋人と別れたばかり。最初の出会いから11年経って初めて、お互いに心を開き合い、2人は親友になります。「魅力的だけど寝たいと思わない初めての女性だ」。ハリーはサリーに言います。数々の名シーンはあれど、1つあげるのであれば、伝説の名シーン。「自分の過去の彼女は皆、自分とのセックスに満足していた!」と言い張るハリーにサリーが「女は誰でも人生に1度はオーガズムに達するフリをした事がある」と主張。「そんなばかな事あるか!」と取り合わないハリーに、お客が大勢いるカフェの中で、あられもないオーガズムの演技を披露する。というアレです。サリーが大熱演を終えた後、1人の中年の女性にカメラが。オーダーを取りに来た店員に「彼女(サリー)と同じものをちょうだい」というシーンがあります。その中年の女性を演じているのは監督、ロブ・ライナーの実のお母様!!お互いの違うところを理解した上で受け入れ、嬉しいことはもちろん、悲しいことも何でも共有したいと思う間柄になった2人。そんな2人の素晴らしい親友ライフは、2人がなんとなく流れでセックスしてしまった事件によってぎくしゃくしたものに…「男女の友情は成立するのか?」映画+「男女の頭の中のギャップ」映画でもある本作。テーマは男女の性差、ですが、性別関係なく、確実に楽しめます!そして必ずやハッピーな気持ちになれる事請け合い!!いつ見ても楽しめますが、ぜひクリスマスに観ていただきたい1本。 WHEN HARRY MET SALLY © 1989 CASTLE ROCK ENTERTAINMENT. All Rights Reserved