ザ・シネマ 尾崎一男
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COLUMN/コラム2025.09.05
デヴィッド・フィンチャーが再創造した“北欧ノワール” ー『ドラゴン・タトゥーの女』
◆物語と社会批評性を継受する 2011年に公開されたアメリカ映画『ドラゴン・タトゥーの女』は、スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンによるベストセラー小説「ミレニアム」シリーズを、『セブン』(1995)『ソーシャル・ネットワーク』(2010)のデヴィッド・フィンチャーが新たに映画化した作品(以下「フィンチャー版」と記す)だ。既に同じ原作の映画『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(2009/以下「スウェーデン版」)が存在する中での再映画化はさまざまなリスクを伴っていたが、フィンチャーは原作の骨格を忠実に守りつつも、独自の美学を通じて「再創造」と呼ぶべき成果を上げたのだ。 ストーリーは雑誌「ミレニアム」の発行責任者ミカエル・ブルムクヴィスト(ダニエル・クレイグ)が、大財閥ヴァンゲル家にまつわる失踪事件を調査するという出だしから始まる。40年前に行方不明となった姪のハリエットをめぐり、閉ざされた一族の屋敷に滞在することになった彼は、調査の過程でヴァンゲル家の暗い歴史や、連続殺人の影へと迫っていく。 そんな捜索の過程で協力者として現れるのが、背中にドラゴンのタトゥーを背負った天才ハッカー、リスベット・サランデル(ルーニー・マーラ)だ。彼女は社会から逸脱した存在でありながらも、鋭い知能と強靭な意志を武器に、ミカエルとの奇妙な信頼関係を築いていく。 優秀なジャーナリストでもあったラーソンの小説は、単なる推理ミステリーにとどまらず、スウェーデン社会に巣食う女性差別や企業不正、そして右翼過激派の問題を暴き出す社会批評の書でもあった。フィンチャー版もその精神を受け継ぎ、雪深い北欧の風景は閉塞感を象徴し、物語に冷徹なサスペンスを加える。特に孤立した島の屋敷という舞台は、閉ざされた共同体に潜む暴力性を可視化させ、観客に社会的なテーマを強く突きつける。そしてジャーナリズムの使命や女性への暴力といった問題は、リスベットの存在を通してより鋭く提示される。彼女は被害者であると同時に、加害者に報復する主体であり、男性中心社会に対するアンチテーゼそのものなのだ。 ◆キャラクター造形とビジュアル表現 フィンチャー版のリスベットは、ルーニー・マーラの徹底した役作りにより、オーディエンスに強烈なまでに印象付けられていく。特殊メイクに頼らず実際にピアスを装着し、肉体そのものを役に変貌させることで、彼女はリスベットの痛みや孤独、そして怒りを生々しく表現したのだ。そしてパンクな装いは単なるファッションにとどまらず、社会への抵抗の象徴として力強く機能している。彼女は正義の化身ではなく、矛盾と傷を抱えた人間として描かれることで普遍化し、観る者の共感を呼ぶのだ。 またリスベットは、ミカエルとの関係性も重要な要素として併せ持っている。倫理的で冷静なジャーナリストであるミカエルと、社会からはみ出した破天荒なハッカーであるリスベット。両者の対比は物語に緊張感を与え、協働の過程で生まれる信頼が、サスペンスを越境した人間ドラマを築き上げていく。フィンチャー版ではこの関係性が繊細に描かれ、観客に深い余韻を残す。そして最後にかかる「イズ・ユア・ラヴ・ストロング・イナフ?」(リドリー・スコット監督による『レジェンド/光と闇の伝説』(1986)米公開版のエンディングとして有名)のカバーは、彼女のミカエルへの思いを代弁する。 あなたの愛は、海の岩のように強いの?わたしは求めすぎなのでしょうかー。 映像面では、フィンチャーが得意とする冷徹な画作りが、このようなミステリアスで哀しい物語を支える。暗色を基調とした画面設計、緻密な構図、そして色彩の徹底的な管理によって、観客は常に居心地の悪さを覚える。それは同時に、真相を追う緊張感へと没入させるギミックでもある。オープニングで用いられた、トレント・レズナーとアティカス・ロスによる「移民の歌」のカバーをバックに、タールで全てが覆われていくタイトルシークエンス(担当は後に『デッドプール』(2016)で監督デビューするティム・ミラーとBlur Studio)は、その不穏な世界観をダイレクトに提示する。 なにより特記すべきは、映像が単なる美的表現ではなく、物語の精神とリンクしている点だ。例えばリスベットのクローズアップは悲しみを誇張するのではなく、冷たい解像感によって別の感情へと訴えていく。また雪景と屋内の色温度の対比は、歴史とトラウマの二項対立を象徴するものだ。フィンチャーはビジュアルそのものを論理の延長として用い、観客を心理的に操作しているのである。 ◆撮影技術とフィンチャーの哲学 そんなフィンチャー版を視覚的に成立させたのは、撮影監督であるジェフ・クローネンウェスのはたらきによるといって過言ではない。使用カメラはRED One MXとRED Epic。Epicの5K収録をベースとし、4K仕上げにすることで、後のポストプロダクションでのリフレーミングやスタビライズに耐えうる設計がなされていた。これはフィンチャーの「24fpsレベルでのPhotoshop」という持論を体現するワークフローである。つまり撮りきりではなく、多数のテイクを重ねたうえでショットを厳選し、後に微細な合成をおこない、俳優の目線や言葉を統合して一つの最適解としてのショットを作り上げていく。そんな映画制作そのものが、作中の調査プロセスと同型をなしているといえる。 またレンズは歪みが少なく高解像を得られるZeiss Master Primeを用い、冷淡な観察者の視線を実現している。加えて照明は低照度で設計され、肌はキーより一段落として血色を抑える。また雪景の反射光や、室内のタングステン光を意図的に対置させることで、北欧の自然と人間社会の軋みを視覚的にあらわした。特にヴァンゲル家の屋敷では、窓外の雪の白と室内の黄が衝突し、それが歴史に縛られる一族の暗さを暗喩している。 シーンごとの光の設計も緻密で、リスベットの部屋はモニター光や蛍光灯をそのまま活かし、鈍い冷気を画面に定着させている。マルティン・ヴァンゲル(ステラン・スカルスガルド)の地下室では、色温度を中庸に保つことで、血の赤や金属の反射を過剰に演出せず、むしろ抑制された冷淡さで恐怖を増幅させている。これは観客に「感情的な恐怖」ではなく「制度的な暴力の冷酷さ」を伝える表現であり、フィンチャーらしい残酷さの描き方といえるだろう。 こうした技術的な設計は、北欧ノワールの文脈を踏まえながらも、フィンチャーならではの哲学を付与している。寒色の自然光と制度的な暴力というテーマはそのままに、ジェンダーの力学を先鋭化し、視覚的な言語でリスベットの位置づけを表象する。わずかに外された構図、中心からのずれは、彼女が社会の枠に収まらない存在であることを示す視覚的な符号だ。 『ドラゴン・タトゥーの女』は、こうしてノワールミステリーの枠組みを借りながら、フィンチャーが撮影からポストプロダクションに至るまでを精密に再構築し、物語のテーマと制作プロセスが同型をなす点で独自性を放つ。リスベットがシステムの隙間から真実を構成するように、フィンチャーもまた撮影後のショットを再配列し、冷徹でありながらも強烈なリアリティを獲得する。そこに我々は、映画の内容とと視覚的美学の結節点を覚えるのだ。 本作は興行的な大ヒットには至らなかったものの、批評面では高く評価された。米アカデミー賞では編集賞を受賞し、撮影賞や主演女優賞にもノミネート。特にマーラの演技は絶賛され、リスベット像を新たな次元へと引き上げた。以後の続編(2018年公開の『蜘蛛の巣を払う女』)で別の女優が演じることになっても、その存在感は依然として鮮烈である。■ 『ドラゴン・タトゥーの女』© 2011 Columbia Pictures Industries, Inc. and Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.10.17
快楽ではない、バイオレンスの“苦痛”―『ワイルドバンチ』
◾️監督サム・ペキンパー、最高傑作誕生の舞台裏 1960年代末、アメリカ映画は旧来の西部劇神話からの脱却を迫られていた。ベトナム戦争や公民権運動を経て、人々は単純な善悪を超える、現実的な暴力と道義の崩壊をスクリーンに求め始めていたのだ。映画監督サム・ペキンパーはその時代精神に感応し、『ワイルドバンチ』(1969)を「アメリカ神話の葬送曲」として構想した。それは暴力の本質と、その倫理的痛みを可視化する試みだったのだ。 作品の撮影はメキシコ・コアウィラ州とドゥランゴ州でおこなわれ、81日間に及ぶ過酷なロケとなった。撮影監督ルシアン・バラードのもと、ペキンパーは複数台のカメラを異なるフレームレートで同時に使用し、スローモーションとマルチアングル編集を組み合わせる革新的な手法を採用。編集担当であるルー・ロンバルドは現場から同行し、ペキンパーと一体となって構成を創り上げた。撮影素材は膨大で、初期編集版はランニングタイムが3時間45分に達したという。そこから半年をかけて1/3を削り、編集し終えたときにはインターミッションを含めて150分に収められ、ショットの構成数は3.642カットになった(これはそれまで撮られたカラー映画としては最多記録)。こうした削除と再構成を経て、『ワイルドバンチ』は沈黙と爆発、緊張と緩和を反復する独自のリズムが形成されたのだ。 とりわけ編集の特徴は、人物の記憶や心情を示すフラッシュバックをストレートカットで挿入した点にある。当時のワーナー上層部は時制の混乱を理由に反対したが、ペキンパーは譲らず、結果としてこの技法は後の映画編集に大きな影響を与えた。また音響にも徹底したこだわりを見せ、銃ごとに異なる発砲音を作り分け、権威ある映画テレビ技術者協会の音響効果賞を受賞している。音楽もジェリー・フィールディングが半年以上を費やして作曲し、重層的な暴力の叙事詩を完成させた。 しかし完成までの道のりは平坦なものではなかった。1969年5月の一般向けプレビューでは、観客の多くが暴力描写に衝撃を受け、賛否両論が噴出した。ペキンパーの意図は暴力を快楽ではなく痛みとして描くことにあったが、スタジオ側は「残酷すぎる」と判断し、先のフラッシュバックの件も含めて上映時間の短縮を求めた。制作責任者ケネス・ハイマンの擁護も空しく、経営交代で新任のテッド・アシュリーが着任すると、監督不在のままフィル・フェルドマンが約10分を削除。主にカットされたのは以下である。 【1】ワイルドバンチのリーダー、パイク・ビショップ(ウィリアム・ホールデン)の旧友ディーク・ソーントン(ロバート・ライアン)が、いかにして捕えられたかを描くフラッシュバック。 【2】パイクの恋人オーロラがどのように殺され、パイク自身が負傷するに至った経緯を示すフラッシュバック。 【3】パイクの部下クレージー・リー(ボー・ホプキンス)がフレディ・サイクス(エドモンド・オブライエン)の孫であり、パイクが冒頭の強盗で意図的に彼を見捨てたことを示す砂漠のシーン。 【4】マパッチ将軍(エミリオ・フェルナンデス)が電報を待つ間に、パンチョ・ヴィラの軍勢から襲撃を受けるシーン。 【5】アグアベルデでのパンチョ・ヴィラ襲撃後の余波を描くシークエンス。 【6】約1分間にわたる、エンジェルの村での祭りの場面。 いずれも“暴力の中の倫理”を語る重要な挿話であり、この改変は全米規模で実施され、上映地域によって異なる長さのプリントが混在するという混乱を招いた。ペキンパーはこれを「暴力に人間味を与える部分を切り捨てた裏切り」と激しく非難している。興行的には健闘したものの、監督の意図は損なわれ、作品は血と硝煙のバイオレンスとして受け取られた。彼が本来描こうとしたのは、暴力を見つめる者たちの沈黙をとおし、時代の終焉を哀惜するものだったのである。 興味深いのは、この時点で削除された映像の多くが、ヨーロッパ配給用ネガとして保管されていたことだ。そこには列車強盗後にパイクが仲間を思い出すフラッシュバックや、村の子どもたちがバンチを真似る場面などが含まれていた。これらは後年の復元版で再び息を吹き返すことになるが、その萌芽はすでに撮影段階からペキンパーの構想に組み込まれていた。彼にとって『ワイルドバンチ』とは暴力を美化する映画ではなく、“崩壊する道義と失われゆく友情”を見つめるための作品だったのである。 ◾️バージョン変遷 ―上映・編集違いの実際 こうして『ワイルドバンチ』は公開以来、半世紀を経ても複数のバージョンが併存する稀有な作品となってしまった。その背景には先に挙げたように制作現場での編集方針の対立と検閲、商業的制約が複雑に絡み合っている。ペキンパーは脚本段階から「無法者たちの最期」と「裏切りと贖罪の物語」という二重構造を意図しており、編集は単なるテンポ調整ではなく、記憶と倫理を挿入する構築作業だった。 1969年3月に完成した試写版(約145分)は理想形に近かったが、アメリカ公開版では「テンポが遅い」「上映回数が減る」との理由で約135分に短縮された。削除されたのは、ペキンパーが「沈黙こそ最も雄弁」と称した場面群であり、結果として観客には壮絶な銃撃シーンの印象だけが強まった。 その削除作業は異例で、スタジオが各地の映写所に編集者を派遣し、現場で物理的にフィルムを切るという強引な方法が執られた。このため地域ごとに内容が異なるプリントが存在する事態となり、アメリカから“監督版”は失われた。長尺版はヨーロッパ市場にのみ残り、1970年代には名画座や大学上映を通じて“幻の完全版”として語り継がれた。 ●『ワイルドバンチ』は、1980年代のアメリカにおけるVHSやレーザーディスクなどのパッケージメディアでは、145分版の素材がマスターとして使用されていた。いっぽう日本では135分のアメリカ劇場公開バージョンが商品化されている。写真はその国内版レーザーディスク(筆者所有のもの)。当時、日本のファンの間では「カット版か」と敬遠されがちだったが、現在となっては削除シーンを比較・検証するうえで貴重な資料的価値をもつ。 時代を経て1980年代末、AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)とワーナー・ブラザースが過去作品の修復プロジェクトを開始し、その過程でオリジナルネガの一部とヨーロッパ版マスターが再発見された。編集者ルー・ロンバルドとフィルム保存専門家が中心となり、ペキンパーのノートや脚本を参照しながら再構成を実施。1995年に145分の「ディレクターズカット版」が正式に復元・再公開されたのだ。ここで戻されたのは先に挙げたシーンに加え、冒頭の村人たちが放つ無言の視線、列車強奪後のフラッシュバック、決戦前の沈黙の間、そしてエピローグの子どもが銃を拾う場面である。これらはどれも“暴力を見つめるまなざし”を補完する重要な要素であり、ペキンパーが意図した倫理的リズムを回復させたのだ。 復元したものは一時NC-17指定を受けたが、問題視されたのは暴力描写そのものではなく、“子どもの視点から暴力を映す倫理性”だった。最終的にR指定へ戻されたが、同じ映像でも時代の感覚や文脈によって評価が変わることを示す象徴的な出来事となった。 以後、このディレクターズカット版が標準となり、135分の短縮版は歴史的資料に位置づけられた。2006年のDVD「Two-Disc Special Edition」ではさらに音声と色調が修復され、ペキンパー本来の編集意図がより強化された。編集者ロンバルドは「ペキンパーは一瞬の沈黙に真実を置いた」と語り、復元の本質が単なる長尺化ではなく、映画の呼吸の回復にあることを示したのだ。 ◾️ディレクターズカット版の意義と受容 『ワイルドバンチ ディレクターズカット版』の成立は映画史における、作家の権利回復を象徴する事件だった。ペキンパーが生前に完全な形での再上映を実現できなかったことを考えると、これは彼の死後に成し遂げられた和解でもある。このレストアによってオーディエンスは、初めて彼が意図した「暴力を見つめる沈黙」と「崩壊する友情の哀切」に、正面から向き合うことができるようになったのだ。 このディレクターズカット版の意義は、二つの側面から論じられる。第一に、映画そのものの構造的回復だ。削除されていたフラッシュバックや沈黙のカットが戻ることで、物語は単なるガンマンの最期から、裏切りと赦しの連鎖を描く悲劇へと変容する。特にパイクとデイクの過去を示す短い回想は、暴力に至る彼らの疲弊を浮き彫りにし、決戦の瞬間を暴力の快楽から、道義的な選択へと転化させている。この編集の復権によって、映画全体がペキンパー本来のリズムと思想を取り戻したのだ。 そして第二には、映画史的な意義だ。1990年代のレストアは、マーティン・スコセッシやロバート・ハリス、フランシス・フォード・コッポラらによるフィルム保存運動の流れの中で実現した。ペキンパーの名誉回復は、監督のヴィジョンを尊重するという新たな産業倫理をうながした。ワーナーはこの作品以降、スタジオによる再編集を避け、ディレクターズ・カットを尊重する方向へと転換する。つまり『ワイルドバンチ』は、ハリウッドにおける“作家主義の制度化”を後押しした記念碑でもあるのだ。■ 『ワイルドバンチ【ディレクターズカット版】』© 1969 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.11.14
嵐の海を進む豪華客船に仕掛けられた“恐怖”——『ジャガーノート』の航跡
◆豪華客船を爆破の危機から救え! 1974年、イギリス映画『ジャガーノート』は、荒れ狂う北大西洋を舞台にしたサスペンス大作として製作・公開された。舞台となるのは総トン数約2万5千トンの豪華客船ブリタニック号。本船が大西洋横断の最中、何者かによって7つの爆弾を仕掛けられ、“ジャガーノート”を名乗る犯人が身代金として50万ポンドを要求する。荒天のため乗客の避難も不可能ななか、約1200人の乗客を救うべく爆薬処理班が派遣され、このシンプルかつ極限的な設定が、2時間近くにわたって観る者の緊張を持続させていく。 監督は、『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964年)や『ナック』(1965年)で知られる俊英リチャード・レスター。彼はこの作品で、前半に軽快なテンポを与えつつ、後半に向けて緻密なサスペンスへと収束させていく。冒頭、軍の爆薬処理班が悪天候の中、輸送機からパラシュートで降下し、激しく揺れる船に乗り移るまでの一連の場面は、まさしくスペクタクルの粋を感じさせる。だが物語が進むにつれてカメラは次第に静まりを見せ、船室にこもる静寂とともに緊張を描き出していく。わずか小指の先ほどの回路を前に、爆弾処理班の手元が震える。恐怖とは爆音ではなく沈黙の中にこそ潜むものだと、レスターは見事に示してみせたのだ。 主演のリチャード・ハリスが演じるフォーリング中佐は、爆弾処理のプロフェッショナルとして航行中の豪華客船に降下し、乗客の命を預かる立場に立たされる。彼の飄々とした佇まいながらも冷静な判断が、観客の恐怖と緊張をいっそう際立たせている。対してオマー・シャリフが演じる船長アレックス・ブルヌエルは、航海の責任に苛まれながらも、激動の海上で毅然と行動する男だ。二人の関係の緊張が映画の中心に静かな熱を生み出している。さらに デヴィッド・ヘミングス、 シャーリー・ナイト、イアン・ホルム、アンソニー・ホプキンスら名優が脇を固め、群像劇としての厚みを加えている。 撮影は実際の豪華客船を用い、北海や北大西洋の実際の海上で行われた。荒れた天候を利用してカメラを回し、スタジオでは再現できない海の重量感がスクリーンにあらわれている。音楽を担当したケン・ソーンのスコアも見事で、管弦の旋律が波と風の轟音に交錯し、緊迫感をさらに高めている。 『ジャガーノート』は、パニック映画の系譜に属しながらも、派手な群衆劇とは一線を画している。爆発の恐怖を描きながら、決して観客を必要以上にあおらない。映画は人間の理性と狂気のせめぎ合いを冷徹に観察し、恐怖を構造として見せていく。救命艇も出せぬ嵐の中、孤独な技術者が見えない敵と闘う。この孤独の構図こそが、本作を70年代サスペンスの中でも異彩を放っているのだ。 荒れ狂う波間を漂う〈ブリタニック〉は、単なる舞台装置ではなく、人間の理性と偶然、秩序と混沌の象徴そのものである。 ◆リチャード・レスター 才気と放浪の映像作家 そう、こうして『ジャガーノート』を語るうえで、監督リチャード・レスターを抜きにすることはできない。彼は生粋のイギリス映画人に見えるが、その出発点はアメリカ・フィラデルフィアにある。ペンシルベニア大学で心理学を学んだのち、テレビ業界に進み、20代にしてイギリスのテレビ界でディレクターとして頭角を現す。風刺とテンポ感に満ちた演出で注目を集めた彼は、やがて映画界へと進出し、『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』で世界的な名声を確立する。CM演出なども手がけ、テンポの速い編集と軽妙なユーモアを武器に新しい映像感覚を確立していく。そして続く『ヘルプ! 4人はアイドル』(1965年)ではポップカルチャーの映像化に挑み、音楽映画というジャンルを根底から変えてみせた。 しかしレスターの野心は「ビートルズ映画の監督」という枠には収まらない。『ナック』ではカンヌ国際映画祭グランプリを受賞し、社会風刺と実験的映像を華麗に融合させた。その後、『ローマで起こった奇妙な出来事』(1966)や『ことづけられた情事(ペチュリア)』(1968)など、コメディからシリアスまで自在に行き来しながら、イギリス映画界に新風を吹き込んでいく。彼の作品には、常に登場人物を突き放して観察する冷静な視線と、どこか人間を愉快に眺めるようなバランス感覚が絶妙に機能し、それが後年の『三銃士』(1973年)や『四銃士』(1974年)の痛快さへと結実していく。 レスターにとって映画は、ジャンルやスタイルに縛られない実験の場だった。彼はしばしば「自分には固有のスタイルなどない。素材に導かれて動くだけだ」と語っている。その柔軟な姿勢こそが、まさに『ジャガーノート』への発火点となった。もともと他の監督による企画であり、前任の降板を受けて引き継ぐ形で参加したレスターは、自らの制約や演出スタイルを持ち込むことを避けた。だがそれでも結果的に、彼の作品群に通底する人間の滑稽さと理性への信頼が、思いがけず鮮明に浮かび上がることとなる。 ◆混沌の中の秩序──制作の舞台裏 『ジャガーノート』の誕生は、偶然の連鎖の産物だった。『三銃士』の撮影を終えたばかりのリチャード・レスターがスペインで休息を取っていた頃、プロデューサーのデニス・オデルから一本の電話が入る。新作サスペンスの監督ブライアン・フォーブスが降板し、代役を探しているというのだ。撮影開始までわずか4週間。多くの監督が尻込みする中で、レスターは即座に引き受けた。報酬は安く、準備期間もほとんどなかったが、彼にとって重要だったのは「作品そのものを愉しめるかどうか」という直感だけだった。 脚本はリチャード・アラン・シモンズによるものだったが、レスターは「全体を書き直すべきだ」と主張し、アラン・プラターとともに短期間で改稿を重ねた。結果、犯人像の曖昧さが残る代わりに、群像劇としての人間的リアリティが際立った。恐怖の根源は爆弾ではなく、人間の判断の誤差や偶然にあるという、レスターらしい視点である。完成版の脚本に不満を漏らしたシモンズは、“リチャード・デコッカー”の名でクレジットされた。 撮影は北海で行われ、使用されたのはのちに〈マキシム・ゴーリキー〉と改名されるドイツ客船〈ハンブルク号〉。嵐に見舞われながらの撮影は過酷を極め、多くの機材が損傷したという。レスターは即興の連続の中でも冷静さを失わず、リチャード・ハリスのカツラ問題を小道具の帽子で解決するなど臨機応変の才を発揮。撮影は予定より短期間で完了し、彼はすぐに『四銃士』の現場へ戻っていった。 公開後、『ジャガーノート』は興行的には中程度の成績にとどまったが、批評家たちはその緊張感とウィットを高く評価した。米『TIME』誌はレスターの演出を「冷静かつ風刺的」と評し、『Newsweek』も「同時期のパニック映画よりも爆弾処理の描写が現実的だ」と称賛。ポーリン・ケールは「冷たい人間描写」としながらも、その技巧を認めている。アメリカでは控えめな成績だったが、ヨーロッパでは一定の成功を収め、BBC放映時には1900万人が視聴した。 この作品でレスターは、ハリウッド的な誇張を避け、人間の知性と偶然のはざまにある静かなパニックを描いた。豪華客船ブリタニックが進むその姿は、社会という巨大な機構の象徴のようでもある。制御不能な力に翻弄されながらも、誰かが理性の火を絶やさずにいる──それがレスター流の英雄譚だったのだ。■ 『ジャガーノート』© 1974 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2025.12.12
『アビス』再考 — 技術と『アバター』に接続するキャメロン的哲学を探る
◆デジタル表現の起点と、その功績 1989年に公開された『アビス』は、映画技術史における革命として評価を得ている。『ジュラシック・パーク』(1993)や『トイ・ストーリー』(1995)がデジタル技術の飛躍点として語り継がれているいっぽう、そのベースをつくったのは『アビス』と断じて相違ない。なかでも液体形状を自在に変えることのできる“ウォーター・テンタクル”のショットは、当時としては信じがたいほど高度なCG表現であり、ILMが実写とデジタルをいかに融合させるかという課題に本格的に挑んだ瞬間でもあった。この表現は後の『ターミネーター2』(1991)のT-1000へと進化し、やがてハリウッドのビジュアル文化を根底から変えていく。 しかし技術革新はCGだけにとどまらない。作品制作のために建造された巨大水槽は、俳優たちを事実上、水中生活させるほど徹底しており、監督ジェームズ・キャメロンの掲げた「現場におけるリアルの追求」が極限の形で現れている。俳優たちはヘルメット越しに呼吸しながら、視界が制限され、光が散乱し、暗闇が支配する水中での演技を強いられた。その結果として生まれた映像は、セット撮影では得られない重層的なテクスチャを備えている。深海の圧迫感や浮遊粒子の微細な揺らぎは、VFXだけではとうてい補うことのできない、身体性のあるプラクティカルな臨場感をもたらしたのだ。 さらに特筆すべきは、キャメロンが技術のための技術ではなく、物語に奉仕する技術という姿勢を徹底させている点だ。高圧環境に酸素残量の減少、狭い潜水艇や暗闇、そして未知との遭遇といったシチュエーションは、いずれも緊張そのものが観客の感覚に直結する仕掛けとして設計されている。科学技術の描写も精密だが、キャラクターたちが置かれた極限状況を観客が“体験”できるように設計されているのだ。 こうして見ると『アビス』は2020年代の今日でも驚くほど古びていない。キャメロンが2022年に発表した『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』における最新の水中でのモーションキャプチャー技術は、『アビス』が築いた“水の映画作り”という礎石の延長線上にある。キャメロンにとって水はテーマ以上に、創作上不可欠な試練の舞台であり、物事の限界を拡大していくための実験場でもある。 そして何よりも本作は、映画技術がアナログからデジタルへと移行する過渡期に立ち会い、その流れを方向づけた作品である。キャメロンが後に生み出す『タイタニック』(1997)や『アバター』(2009)の圧倒的リアリティと普遍的なラブロマンスは、まさに本作によって開けた深海の扉から始まったのだ。 ◆深海が映し出す人間ドラマとテーマ 前述したように『アビス』は技術革新の映画として語られるが、その本質はあくまで人間ドラマにある。深海という閉鎖空間は、キャラクターの内面を物理的に圧縮し、矛盾・葛藤・恐怖をむき出しにする装置として機能している。こうした極限状況のドラマ運用はキャメロンの十八番だが、本作はその最初期にしてひときわ完成度が高い。一見すると軍事スリラーやSFとして構築されているが、物語の軸には「人間は恐怖の中でどう変容し、どう繋がり直すのか」という普遍的なテーマが置かれている。 特にバド(エド・ハリス)とリンジー(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)の関係性は、本作が他のSF作品と差別化される最大の要素だ。離婚間近で互いの信頼が揺らぐ中、二人は深海という極限環境で再び向き合わされる。相手に酸素を託す、冷水の中で心肺機能が停止した体を必死に蘇生する。これらの場面はサスペンス以上に、感情の再接続として機能している。深海の暗闇に反射するヘルメットライトが二人の表情を照らし出すたびに、互いへの感情がわずかに動き出す。その丁寧な積み上げは『タイタニック』や『アバター』に通じる、身体的な愛の描写の原型だ。 いっぽうで、物語の外側には冷戦末期の国際情勢が影を落としている。潜水艇内にある核弾頭をめぐる緊張、軍人たちの誤認と暴走、見えない敵への疑心は、いずれも1980年代後半の社会不安そのものだ。未知の知性体(NTI)へ向けられる恐怖と敵意は、人類が他者を理解する前に攻撃してしまう心理を象徴している。キャメロンはこの構図を単なる政治寓話とせず、未知を恐れることで自ら破滅へ向かうという人類の宿痾として描いている。これは後の『アバター』で全面化するテーマでもある。 深海という舞台そのものも非常に象徴的だ。光の届かない領域は潜在意識の暗部のように、キャラクターたちの恐れと欲望を増幅させる。圧力や孤立、静寂や時間感覚の喪失。こうした深海特有の要素がドラマを多層化し、観客に心理の深層を可視化させる。バドが深海へ単身降りていくクライマックスは、まさに自分自身の深淵と向き合う儀式的な瞬間だ。 『アビス』が今見ても強い共感性と緊張を持つのは、海洋SFという以上に、人間の物語として設計されているからだろう。深海の暗闇に浮かび上がる人間の感情のきらめき。それこそが本作の永続的な魅力なのだ。 ◆『アバター』経由後のキャメロン的哲学の核心 シリーズ最新作『アバター:ファイアー・アンド・アッシュ』の公開となった現在、『アビス』を観直すことには特別な意味がある。それはキャメロンの作家的関心がどのように発達し、どのように連続し、どこへ到達しつつあるのかを、最も鮮明に示してくれる基点が本作だからだ。深海の知性体と人類の邂逅という構図は、異種族同士の交流を描く『アバター』世界の原型であり、環境的存在と人類との調停というキャメロンの思想は、すでに本作で明確な形となってあらわれている。 まず注目するべきは、キャメロンの一貫した「環境との対話」というテーマだ。『アビス』に登場する未知の知性体(NTI)は、人類を敵視する存在ではなく、自然の代弁者として描かれる。彼らが作中で示す驚異的な力は、破壊ではなく警告であり、地上の核兵器に象徴される人類の自己破壊性を、鏡のように映し出す役割を担っている。これは『アバター』シリーズにおけるエイワの概念、つまり自然と生命の調和を象徴する統合的な意識の前身とも言える。 またキャメロン作品には常に「下降」のモチーフがある。『ターミネーター』の未来戦争の残骸、『エイリアン2』の巣窟、『タイタニック』の沈没船、そして『アバター』における精神的な深層への潜行など、どれも主人公が不可知な試練へと降りていくシチュエーションだ。『アビス』でバドが深海へ単身降りていくシーンは、キャメロンのこの美学が初めて正面から描かれた瞬間といえる。降下は死の象徴であると同時に再生の出発点であり、主人公が“自分を越える”ための通過儀礼でもある。バドは物理的な死を覚悟しながらも、他者への信頼と愛ゆえに深海へ進む。この構図は、キャメロンが後の作品でも繰り返す“自己犠牲による進化”という主題の中心に位置する。 物語構造にもキャメロン的特徴は色濃い。対立から協力へ、恐怖から理解へ、そして孤立から再接続へ。この流れは『ターミネーター2』から『タイタニック』、そして『アバター』と続くキャメロンの語りの根幹である。『アビス』はその最初の実験場でありながら、すでに驚くほど成熟した形でこの物語構造を達成している。特に、クライマックスで示される「人類への警告と赦し」という構図は、キャメロン作品の中でも最もストレートな希望表現であり、これが作品独自の余韻を生んでいる。 そして何より本作を再評価することは、キャメロンが描こうとする「人類の未来像」を理解するうえで不可欠だ。監督が不断に追い求めるのは、人間中心主義を越えた存在のあり方であり、その視座は深海の底からパンドラの世界へと連続している。水や光、未知との対話、環境との調停etc。これらはすべてキャメロン作品を貫くキーワードであり、そのすべてが『アビス』に集約されている。 こうして振り返ると『アビス』は、キャメロン映画世界の最初の震源地であり、後の巨大スケールの作品群を理解するうえで必読なテキストと言える。『アバター』を起点とするキャメロンの表現世界を解読するための鍵は、実は本作の、深海の底に沈んでいるのだ。■ 『アビス』(C) 1989 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.