PROGRAM

放送作品情報

シェルタリング・スカイ

THE SHELTERING SKY 1990年 イギリス / 138分 ドラマ ラブロマンス

広大な砂漠をさまよう夫婦の愛の行方は?オスカー監督ベルナルド・ベルトルッチの映像美に魅せられる
放送日時
2020年03月18日(水) 06:00 - 08:30
2020年03月27日(金) 16:00 - 18:30
2020年05月10日(日) 07:30 - 10:00
解説

『ラストエンペラー』でアカデミー賞9部門を制覇したベルトルッチ監督がサハラ砂漠を舞台に、愛情の冷めた夫婦の関係を描く。砂漠や北アフリカの街をエキゾチックかつ壮大に撮らえた映像美はベルトルッチならでは。

ストーリー

1947年北アフリカ。互いへの愛も夢も失ってしまった作曲家ポートと劇作家キットの夫婦は、何かを発見するためニューヨークからこの地にやって来た。夫ポートの友人で上流社会に属するタナーを道連れにした旅が始まるが、夫婦間の想いはすれ違うばかり。やがてキットは、以前から彼女に好意を寄せていたタナーと接近していく。次の目的地で夫婦は別行動を取り、キットとタナーがついに一夜を共にし、ポートが熱病に冒される…。

出演

デブラ・ウィンガー
ジョン・マルコヴィッチ
ジル・ベネット
キャンベル・スコット
ほか

字幕/吹替
字幕
掲載制限
なし
カラー/白黒
カラー
画面サイズ
ワイド画面
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日 2020/2/17

    シルクのような砂

    終盤 老人の呟くこの台詞に非常に惹かれたので 記したい 人は自分の死を予知できず 人生を尽きぬ泉だと思う だがすべて物事は数回起こるか 起こらないか 自分の人生を左右したと思えるほど 大切な子供の頃の思い出も あと何回心に浮かべるか 4〜5回 思い出すのがせいぜいだ あと何回満月をながめるのか せいぜい20回 だが人は 無限の機会があると思う 正に自分は死とは無縁だと謎の自信がある 私の横っ面を引っ叩かれた気分だった 坂本龍一の静謐な調べにのせて 最果ての砂漠を彷徨うデブラ・ウィンガー 失った夫の面影を振り払うようにただ歩き続ける彼女の姿がひたすら痛々しく いたたまれなかった

  • 鑑賞日 2020/1/13

    撮影は見事。映画的魅力は有るけど感情移入を拒んでる感じ。女性は強いなと。愛の不毛はアントニオーニ先生の方が好みです。確かベルトリッチはパゾリーニ監督の弟子でしたか。原作読んでませんが結局、不毛の愛と西洋文明の脆弱性を言いたかったのか。映画化としては中途半端な印象です。大作監督になる前のエッジの効いた作品の方がいいな。

  • 鑑賞日

    物語は通俗だがアフリカの町や自然、サハラ砂漠が美しい

     原題"The Sheltering Sky"で、保護している空の意。ポール・ボウルズの同名小説が原作。  劇中、"The sky is so strange. It's almost solid. As if it were protecting us from what's behind. Look."(空はとても不思議だ。固体のようだ。背後にあるものから我々を保護しているかのようだ。見てごらん)"What's behind?"(何があるの?)"It's nothing. Just night."(何もない。夜だけだ)の台詞がある。  時は1947年。アメリカから大西洋を渡りモロッコのタンジェに着いた結婚して10年、倦怠期の中年夫婦が、薄れた愛と目的を取り戻すためにアフリカを横断する物語。  モロッコからコンゴに向けてサハラ砂漠を横断、しかし途中で夫(ジョン・マルコヴィッチ)はあえなくチフスで病死。アラブ人の隊商に加わっていた妻(デブラ・ウィンガー)は、タンジェに連れ戻される。  妻は当初、旅に同道していた友人(キャンベル・スコット)と浮気。それを知った夫は妻を隔離するが、友人は妻を探し続ける。隊商に加わっていた妻を発見し連れ戻すのもこの友人だが、タンジェの町で妻は姿を消し、旅の経験が彼女の人生観を変えたことを示唆して終わる。  人生は旅のようなもので、同じ出会いや経験は二度とは得られないといった人生の儚さ、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす」の『奥の細道』を連想する。  もっとも物語そのものは、夫婦の倦怠の巻き戻しと浮気という通俗を出ず、ダラダラした展開が続くので冗長感は否めない。それを救っているのがアフリカの町や村、自然の描写で、とりわけサハラ砂漠に入ってからの風景が美しい。  ロードムービーによるアフリカの町や村、人々の生活が伝わってくるのが見所だが、ラブストーリーに興味が持てないとドラマの方は若干うざいかもしれない。(キネ旬5位)

  • 鑑賞日

    気だるさと坂本龍一の音楽がマッチしてる。

    この気だるさが支配する空気は90年代の空気感だ。 エンヤなど気だるい音楽というか漂うような音楽が流行した空気感に取りつかれている。 坂本龍一の音楽がラストエンペラーや戦場のメリークリスマスよりもより芸術的になって、一般受けはしないがすばらしい。 音楽を味わう映画だ。映像が音楽に従属しているように見える。 ポウルボウルズの哲学的難解な映画だ。

  • 鑑賞日

    リリカルな風景描写

    すべてを失った女のニヒリスティックな心情をセンチメンタルに紡ぎ出した物語よりは、名手V・ストラーロによる陰影に富んだリリカルな風景描写や、坂本龍一の哀調を帯びたメロウな楽曲が心に残る。あと、配役もイマイチ自分好みでなくのこの点数。

  • 鑑賞日

    Berttolucci 2018/11/26

    ベルトリッチが亡くなった 77歳だそうな 30代でラストタンゴ・イン・パリ 40代でラストエンペラー 若い頃から才能あふれるヒトだったのですね 高校生だったのでラストタンゴを見損ねて、ずっと観たかったベルトリッチを 就職してすぐの頃、「暗殺のオペラ」(300人劇場)で勇んでいきました。 ボルヘスの異界をストラーロのカメラで見せられて以来、 「1900年」(有楽座)での異様な長さに快感を覚え、 、「ルナ」では、いやはやなマザコン少年と題名通りの月の光に翻弄され、 結婚し配偶者と、ラストエンペラー(梅田松竹)では、幼い溥儀が駆けてくるところを、ウチの子みたいだと二人で語り シェリタリングスカイ、リトルブッタ まで、追いかけて  ブッタでがっくりきて 90年代前半で縁が切れちゃったって その後はさっぱり... いちばんは、神奈川のどこかで会ったシェリタリングスカイ, 坂本龍一の音楽 ストラーノの撮る砂漠  その中で、漂流していくデボラ・ウインガーとマルコビッチ夫婦、そしてダンナを亡くし残された女のうつろな目 砂漠に沈む夕日を観ながら、息絶えるのって 気持ちよさそうだなあ と本気で思った映画でした。

  • 鑑賞日

    期待値は超えられない

    どうしても「ラストエンペラー」の威光に引きずられてしまうせいか、否が応でも期待してしまうんだけど、そこはやはり全く別の作品ということで、見事に裏切られてしまう。 題材も違うし当然と言えば当然なんだけど、「ラストエンペラー」が良かっただけにその反動の振り幅はより大きくなって、期待値を大きく下回る結果に。 ただ、単体で観たらそれほど悪いとも言えないけど、やっぱり順番で観てしまうぶんハンデを背負ってしまうのかなと。

  • 鑑賞日 2018/7/21

    自分の人生の時間について考えさせられた

    ベルナルド・ベルトルッチ監督作品。『ラスト・エンペラー』に続く、オリエンタル三部作の1本であり、相変わらずヴィットリオ・ストラーロのキャメラが美しい風景を切り取っていく。 自分の人生の時間は無限にある気がしていたが、この映画を観た後には「自分の人生の時間は有限なのだから、今過ごしている一瞬一瞬を懸命に生きなければ…」という気持ちになる。 物語も素晴らしく、ニューヨークの街中がモノクロ映像で描かれた直後、ある夫婦と友人が何処かに船の長旅でやってくるところから始まる。 夫婦と友人男性はサハラにやって来た。アフリカである。 夫のポート(ジョン・マルコヴィッチ)とその妻キット(デブラ・ウィンガー)の二人は単なる観光客としてではなく旅人(TOURIST)としてやって来た。どうも、夢さえ失った彼らが文明と切り離された自然で自分達を取り戻す旅としたかった様子。 旅の道連れとなったポートの友人タナー(キャンベル・スコット)は彼らほど長くアフリカに滞在するつもりはなかったが、好意を持っていた友人の妻キットと肉体関係を持つ。 (あのデブラ・ウィンガーが体当たりのセックス場面を演じていたのはチョット驚き。) この辺りで、この夫婦は結婚10年であり、愛を見失っている雰囲気が分かる。 なるほど、だから3人でホテルに泊まる時も夫婦なのに別室だったのか…と思う。 アフリカを転々とする彼らだが、たくさんのハエが飛んでいる場面などは凄い。 やがて、夫ポートが疫病にかかったあたりから物語は急展開を見せていき…… といった物語が、サハラ砂漠やそこを並んで進むラクダとともに描かれ、とりわけ綺麗だったのは「太陽の光」。さすがヴィットリオ・ストラーロ撮影監督。 また、坂本龍一の音楽も良かった。 見応えのある、なかなかの佳作であった。

  • 鑑賞日 2018/7/6

    後半の展開に納得できない

    三角関係で始まったが、夫が病気になり、妻が献身的に看病して、夫婦関係が修復して、次はどうなるか楽しみな展開だった。 だが、結局夫は死んでしまう。そこまでは許せるとして、夫の死後、妻のとった行動は理解できない。最後は三角関係の当事者タナーと結ばれるのか否か、よくわからないエンディング。しかも、旅の始まりと同じレストランで座っている老人に声をかけられる。Are you lost?(迷ったのかね?)。老人の哲学的な独白で終わるが、意味不明だ。 撮影がヴィットリオ・ストラーロで、アフリカ、特にサハラ砂漠を非常に綺麗に撮っており、劇場で観なかったことを残念に思うくらいだ。また、坂本龍一の音楽も素晴らしかっただけに、非常に残念なストーリー展開だった。

  • 鑑賞日 2017/12/9

    空虚感を北アフリカへの放浪によって埋める

     何とも言えぬ虚しさ、心の空白。それを、旅によって埋めようとする。そして、圧倒的に美しい、北アフリカの砂漠、平原。アフリカ地方の独特な音楽でもそれを満たそうとする。  しかし、ジョン・マルコヴィッチのポートは、チフスで死んでしまう。主人公であるデブラ・ウィンガーのキットの悲しみも虚しさも埋まることなくラストを迎える。  「暗殺の森」でも「ラストエンペラー」でもテーマであった“空虚感”をべルナルド・ベルトルッチが圧倒的な美しい映像を背景に語っていく。話は弱いが、映像は素晴らしい。  

  • 鑑賞日 2015/8/6

    分かり合えない、ということについて

    一番印象的なシーンは、全てを囲うような大空の中セックスをするシーン。一番親密な営みをしているにもかかわらず、互いの互いに対する認識はすれ違う。それを包摂したまま物語は進む。 難解な映画にあって、そこだけ印象に残っている。

  • 鑑賞日 2016/12/19

    神がかった映画

    ベルトルッチが亡くなって数ヶ月。 ふと思い立って、2019年2月7日にレビューを書くことにした。 初めて、ベルトルッチを観たのは、キネノートをつける前の21歳頃。 リバイバル上映された『暗殺の森』である。 面白さは言うまでもなく、すぐさま僕は10作以上の作品を見漁った。 本作『シェルタリング・スカイ』は思い出深い。 問題は、物語後半からラストにかけての展開である。 一体何を観せられているのか? 映画には、脚本があり、俳優が演じ、それを捉えるカメラやマイクがある。 そして、それにOKもしくはNGを出す監督がいる。 それを疑った。これを集団の人間が作り出したとは到底思えなかった。 こんな感覚は初めてであった。 まさに、神がかっている。 僕にとって、これは作家性を感じる映画を超え、作家性を感じられない映画なのだ。 以降、そんな映画を模索するようになった。 一つ例を挙げると、ブレッソンの『ラルジャン』も僕にとっての神がかり。 ちなみにキューブリックの『2001年宇宙の旅』は神がかりではない。 もちろん、決して悪い意味じゃない。ただ、カテゴリーが違う傑作である。 つまり、『シェルタリング・スカイ』は僕の感性・知識の許容範囲を超えた映画。 この感覚が共有できる人と飲みに行きたい。 僕はこの映画をきっかけに、ただの映画好きから映画に溺れていった。

  • 鑑賞日 2016/4/8

    う~ん、どうもね。

    今は無き沖縄・オリオンシネマ2で観た。 北アフリカの砂漠の美しさ、厳しさをヴィットリオ・ストラーロのカメラで捉えて、絵面は見ごたえたっぷり。 夫が死んでしまった後のデブラ・ウィンガーの独壇場となり、彼女の可愛らしさも良い。 だけど、西洋人が異郷の地を訪れて、習慣・文化の違いに圧倒され西洋文明の敗北という話は良くある話だし、あまりピンとこないものでもある。 ラストの原作者自身のナレーションも口説いし、どうも今一つと思った。 ベルナルド・ベルドリッチ監督作品にしては封切り当時は評判が悪く、淀川長治氏が擁護する評論を読んで、この映画のテーマをなるほどと納得する。 けれども再見したけれどやっぱり良い映画だと思えないんだよね。

  • 鑑賞日 2016/4/28

    ベルトルッチと階段Ⅱ

     この監督の映画では、階段を降りる者には過酷な運命が待っている。  この自らの仮説を検証。  この作品では、階段ではなかったが、やはり梯子を降りて現地人の集落で女を買ったジョン・マルコヴィッチは酷い目に逢う。悲劇はこの買春の一件に終わらず、砂漠の真っただ中でチフスにより死んでしまう。    はっきりと言及されてはいないが、舞台はモロッコ。彼らが到着して、最後にまた出ていく港はどこであろう。カサブランカかタンジェであろうか。

  • 鑑賞日 2015/3/12

    北アフリカの蝿の王マルコヴィッチ。

    開幕早々、観光客と旅人の違いを語るダイアローグが、 極めて魅力的で、作品のテーマにつながる入り口となる。 純文学の映像化は、翻訳よりさらなる飛躍が必要だが、 受けて立つベルトルッチの力量は十二分。 倦怠期の夫婦と美形の青年の不思議な三人組の、戦後間もない北アフリカの旅が始まる。 登場人物3人をドン詰まりの人間として設定し、セックスだけを生の営みとして象徴化する。 マルコヴィッチのモノローグは挑戦的であるが、孤立していて、何も解決する力もない。 やがで腸チフスに、すべてを奪われる。 残されたデブラ・ウィンガーは砂漠を彷徨う旅人になる。 前半は旅の浮遊感、後半は迷宮でのさすらい。 鬱陶しい蝿の乱舞と美しい砂漠の風景、この両極が物語の光と影としてフィルムに残される。 民族音楽を取り入れた坂本龍一のスコアは、常に官能的でベルトルッチの映像と共に歩む。

  • 鑑賞日

    砂漠というと『アラビアのロレンス』を例に挙げるまでも無く広大な、無限な、といったアイテムが挙げられるが、この作品の砂漠の広大さは信じられないくらいだった。視覚的な広大さではなく、感覚的というか。倦怠期の夫婦が第2時大戦後の北アフリカを旅行するお話で、ちょっとロベルト・ロッセリーニの『イタリア旅行』を紡彿とさせられるが、私の苦手なジャンルの作品である。にもかかわらずこの作品に惚れたのは、なんというか主人公達が現実の世界からの逃避(というよりも世界に対する拒絶)を試みる過程が、どこか突然蒸発するサラリーマンのような心境に思えて、砂漠の奥へ奥へと進むに連れて次第に目まいを感じてしまったのだ。この作品は言ってみれば鬼の居ない隠れん坊であり、夫に病死されたヒロインはたったひとりで砂漠の奥へと進んで行く。ただ一人物陰に隠れて息を潜めてしっとしている、そんな開鎖性も感じられ、『ラスト・エンペラー』だの『1900年』だの大河小説のような正真正銘の大作のあとで、一見大作風の、しかし実はこの上無く個人的な私映画であった。

  • 鑑賞日 2015/2/11

    米国的ボヘミアン

    結論からいって退屈な作品だった。名手Vストラーロの流麗なカメラが砂漠のその空の美しくも孤高な表情の変化を画面に表現すればするほどカップルの2人に共鳴できない自分がいた。むしろ俗っぽい存在である主人公の友人であるタナ―の方がマシに覚える。作者のボウルズも出演していてナレーションをしているが、1947年の当時戦勝国であったアメリカ出身の作家が自分を投影した主人公と奔放な妻(というより無節操な)がアメリカ的文明への虚無感嫌悪感から離脱して自らと夫婦関係を再生しようとするが、そもそもその発想がアメリカ的文明の裏返しなので共鳴などできるわけがない。キャメラ音楽が美しいいだけにベルドリッチ作品であることの期待に対する失望感が大きい。

  • 鑑賞日 2015/2/10

    砂漠の旅程が美しい。

    砂丘、月、駱駝の隊列や駱駝の影。機会があったらスクリーンでみたい。

  • 鑑賞日 2001/3/5

    う~ん。

     この作品もかなり昔に鑑賞した作品です。  かなり時間が長い作品だったような気がします。デブラ・ウィンガーとジョン・マルコヴィッチという結構渋い俳優を主人公に置いた作品だからか、ちょっと退屈でしたね。ジョン。アマルコヴィッチは大好きな俳優ですが、もう少し一癖も二くせもある役が良いかなぁ。

  • 鑑賞日

    互いの存在に目覚める夫婦愛!?

    大人です。本当に大人の映画でした。夫婦というものの間合いが本作には込められてます。妻あっての夫だし、夫あっての妻なんだなとしみじみ感じましたから。 夫婦生活が長くなればなるほど、そういう意識て薄れていくものです。ましてや本作は結婚生活10年目の倦怠期を迎えた夫婦が主人公ですから、刺激的なハプニングを当て嵌めていくのに絶好かもしれません。でもそんな刺激も無意味であり、相手を失う孤独感で夫婦お互いの存在感に目覚めるのがあまりにも現実的でクォリティが高い作品だと思いましたね。 但し!!リッチな人間だからこその妬ましいばかりの旅情は、庶民派の私は賛同しかねる部分ではありましたが(笑)

  • 鑑賞日 2014/5/26

    赤茶けた砂漠の乾き

     10年も付き添ってきた夫婦の危機を修復しようと訪れた北アフリカという未開の土地で迎えてしまう悲劇。訪れた先々の住人たちがまるで意思疎通の難しい宇宙人であるかのように描かれている様子を見るにつけ全編に流れる西欧人特有のエキゾチズムを意識しないわけにいかない。文明から遠く離れた世界への憧れ。赤茶色を基調とした画面とどこまでも広がる砂漠の光景がいやが上にもエキゾチズムを醸し出す。そういう場所にきてはじめて二人の関係が修復できると男は考えたのか。  しかしポート(マルコヴィッチ)とキット(デブラ・ウィンガー)の二人の関係には愛欲への溺れと倦怠とが同居していてその関係はちょっとしたきっかけでも崩れ落ちてしまいそうだ。それを助長するかのように同行のビジネスマン(キャンベル・スコット)が二人に割って入る。苛立ちを隠せないポートは彼女を広大な砂漠に連れ出し重なろうとしても心はどこかうつろ。次第に息苦しくなってくるがポートが病に倒れてはじめて二人の関係に情熱が蘇る。愛を取り戻したかに見えた時にはすでにポートの命はないという皮肉。茫然自失となるキットは砂漠の奥へ奥へと彷徨う。ポートの死から以降は会話も途絶え、ただ原住民たちの好奇な視線に晒されるだけのキットにはもはや過去の自分に戻るつては残されていない。  原作者のコメントにあるように空が明るいなどと思っていたら実はそれは真実を見ていないことと同じ、空の実態は暗闇でしかないというような意味合いをこの映画のタイトルが指しているのか、それがそのまま二人の関係にもあてはまっているのかもしれない。覆いがなくなれば暗闇しか残らない、二人の倦怠した関係でさえも実はつらい真実を覆い隠す天蓋だったのではないか。

  • 鑑賞日 2013/8/11

    投げ出してしまえば楽になるのかな

    愛し合うことって、素晴らしけど恐い。 愛し合ってるけど行き詰まってる夫婦がいて、さいはての地でその片方が死病におかされる。病院も薬も見つからない。不安や恐怖と戦いながら看病しても、願いはかなわず。妻はひとり、隊商に混ぜてもらって旅を続ける。 Sheltering sky、「空が守ってくれる」という台詞もあったけど、空は彼を守らずその地で命果てさせたのでした。それでよかったのか、悔いはないのかマルコビッチ。 ストーリー展開のない映像がとても多いんだけど、ちっとも退屈しないのは、映像+音楽でミュージックビデオみたいになってるからかな?音楽は…素晴らしいんだけど、印象が強すぎる気もします。 雄大なサハラ砂漠を見下ろす崖の上で抱き合う二人の姿に共感すると、もうそれより先には何もない、という気がして来る。 こんな風に、まだ若くてきれいなうちに大きなものを失ってしまったら、その後の人生をどうするか。 アジアのどこかに行って、日本に帰れなくなっていついてしまった人たちの生活、とか。 想像するとちょっと怖いけど、頭のどこかに(うらやましい)という気持ちもある。 そういう切なく、恐ろしく、うらやましく、かつどこか懐かしいような感覚を描いた人間のドラマでした。

  • 鑑賞日 1991/4/24

    ベルトルッチ

    1991年4月24日に鑑賞。大阪・梅田東映パラスにて。前売1200円。 ベルトルッチでは下位の出来である。

  • 鑑賞日

    ベルナルド・ベルトルッチの作品は時に哲学的に見えることがあるが、本作も不毛さに悩みまどう人間を描いていて、多少難解。アフリカを旅する倦怠期の夫婦と妻に想いを寄せる夫の友人の男との3人の旅。広漠な砂漠を旅しながら、3人の男女がそれぞれの思いの中で迷いながら、いつしか自分を見失っていく。デブラ・ウィンガーの後半の狂気はちょっと恐い。

  • 鑑賞日

    この三角関係。引き寄せ合う男女の心。砂漠、ワイングラス、このどれもが一級品の芸術ですね。素晴らしい!

    男と女、という意味では完全に女性的であり、ホモセクシュアルな臭いがプンプンする映画であった。この女性的であること。倦怠期の二人。この二人を包む空気感などが大変胸を締め付ける。そしてその空気感が砂漠の地へといざなう。砂漠で二人の交わす言葉と連れの男。セックスという現象を解析するかのようなこの二人の風景を映像で見事に表現できていると思う。 この芸術をどのように受け入れれば良いのか。 我々は常に砂漠に存在するのだ。枯れた砂漠に。そしてそこで交わす男女のグラス。この光。この美しさを堪能させてくれることに感謝したい。 表現が秀逸だ。話の筋だけ追えば、さほどのことはない。倦怠期を脱しようとする夫婦の話だ。しかしそこに置かれる芸術品には眼を奪われる。 そして夫の死から話しは完全に反転する。狂気、そして自分との葛藤。この苦しみは男ではわからないのかもしれない。