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放送作品情報

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

BIRDMAN OR (THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE) 2014年アメリカ / 120分 / ドラマ

[PG12]2014年度アカデミー作品賞受賞。再起にかける落ち目俳優の奮闘を、驚異の長回し撮影で描く
放送日時
2018年08月01日(水) 08:15 - 10:30
2018年08月04日(土) 06:00 - 08:15
解説

かつてバットマン風アメコミヒーロー映画で人気を博し今は落ち目の俳優を、マイケル・キートンが自虐的に演じ、その再起を目指す悪戦苦闘をブラックに描く。撮影監督ルベツキによる驚異の長回し撮影も刮目に値する。

ストーリー

ヒーロー映画の主人公“バードマン”を演じて人気スターになったものの、その後の俳優人生に伸び悩み、私生活もどん底に陥ったリーガン。なんとか本格派俳優としての実力を証明しようと自らの演出・台本・主演でブロードウェイ舞台を上演しようとするのだが、映画を軽んじるブロードウェイの伝統やわがまま放題の共演者、超辛口の評論家らに振り回され、精神的に追い詰められて“バードマン”の幻影が見えるようになってしまう。

出演 ※(声優)は吹き替え作品が対象です

マイケル・キートン (牛山茂)
エドワード・ノートン (宮本充)
エマ・ストーン (武田華)
ほか

字幕/吹替
字幕 吹替
掲載制限
PG12
カラー/白黒
カラー
画面サイズ
ワイド
HD
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オススメキーワード

  • 鑑賞日

    理解できない

    この映画の良さがわからない。そもそも、良い映画なのか?アカデミー作品賞を受賞したので、一般的には良い映画なんでしょうね。ということは、私の理解力不足かな。

  • 鑑賞日 2018/7/6

    怪人

    現実と超現実を全てフィクションに包んだ画面に、制約の音楽と役者のエゴが映える。 自己愛と自己否定の嵐の中、オペラ座の怪人が見つめる。 夢か現か、真実か挑戦かなど、どうでも良い。 愛について語ろう。

  • 鑑賞日 2015/5/27

    たった16カットしかない

    こんな映画初めて見た。なにこの不思議な時間表現。超長回しでモブあり妄想FXありで撮影大変だっただろーと思ったら、リハ込みで2ヶ月!1カットにつなげる編集はわずか2週間。アロノフスキーもびっくりな「レスラー」に「ブラック・スワン」混ぜたようなシリアスすぎるコメディ。

  • 鑑賞日

    ニヤリ

    何だこの大袈裟で長たらしい邦題は!と思ったら原題のとおりでした。内容は、タイトルに負けず劣らず人を食ったよう。ニヤリ。 俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、かつて「バードマン」というスーパーヒーローを演じ一世を風靡したものの、シリーズ終了して20年経った今ではすっかり落ち目となってしまった。 彼はレイモンド・カーヴァーの小説『愛について語るときに我々の語ること』を自ら脚色・演出・主演を手がけ舞台化、ブロードウェイで上演し、再び喝采を浴びようとする。 しかし起用した実力派俳優のマイク・シャイナー(エドワード・ノートン)ばかりが注目される上に、娘サム(エマ・ストーン)との溝も深まる一方。 リーガンは精神的に追い込まれていく…。 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督といえば「バベル」を思い出す人が多いと思うが、私の中では「21グラム」が出色。封切られる映画がことごとく話題となっている監督が本作でまさかのコメディに進出。 しかもお家芸であった、複数の時間軸を過去・未来を含めて錯綜させる手法から決別。全編ワンカットのようなカメラワークに驚かされる。 それで…面白いのかというと、面白くはない。作り手側もそんなことは百も承知で、観客を挑発するような、実験的描写が連続していく。 観ている最中は「ニヤリ」となるのだけれど、レビューを書く段階になって、さて困った。 どう書いていいのやら…何を書いてもこの映画から冷笑されそうな気がしてくる。 それこそこの映画の術中にはまっているということなのだろう。 強いて言えば、かつての栄光なき後の人生の悲哀にブラックユーモアをまぶして、ということになるだろうけれど。 悲哀に無自覚な方が意外と幸せかもよ、と笑われるのは、不幸なのか否か。 うわぁ、全然まとまんないわ。ニヤリ。

  • 鑑賞日 2018/5/27

     かつて人気を誇っていた映画俳優が、晩年になって演劇舞台の世界で頑張ろうとする映画。なかなか映画の世界のようには思うようにいかず、批評家から手痛い仕打ちも受ける。シーンは長回しのワンカットで作られているかのように演出されている、そして全編にわたって不思議な雰囲気が漂う。映画の世界だけでなく、実際に主人公は超能力を持っているようなのだが、その意味は最後までよくわからなかった。軽いタイトルだが、ずいぶんと重い映画だった。

  • 鑑賞日 2017/12/23

    公開から3年経つと新鮮味は無い。

    長大なワンカット撮影に見える撮影のも、今では多くの手法の一つでしか無くなった。 それよりも、この映画の意図することは何なのかが気になるところ。私の浅知恵では確信しようも無いが… マイケル・キートン本人の役者人生を下敷きに、現在のハリウッドショービジネスとブロードウェイのリアルな裏側をパロディ風に諷刺しシニカルに笑い飛ばしたコメディと言ったところではなかろうか? 故に、ハリウッドの業界人、とくに浮き沈みに翻弄されているスター達にとっては最高の自虐ネタとして大いにウケたのだろう…と勝手に納得している。 ちょうど昨日『スパイダーマン/ホームカミング』のブルーレイが届いた。空飛ぶヴィラン(悪役)としてマイケル・キートンは見事アメコミヒーロー映画に復活し大暴れしている。3年前って丁度その役をオファーされた頃じゃないかな…笑

  • 鑑賞日 2017/11/5

    エマ・ストーン

    前半に的を得た非難で父親を罵る娘。 それを聞いていた父親の表情を写す前に「言い過ぎたかな?」と言うような表情をする娘。 そして気になりすぎるラストの娘の表情。 このエマ・ストーンのふたつの表情が一番印象的だった。 主題は親子関係の話なのだろうかと思ってしまった。

  • 鑑賞日 2015/4/12

    この映画といえば1カット撮影がどうとかラストの解釈がどうとかそんな話ばかりだけど、ぜんぶおもしろい!

    なんだよもう最高じゃないですか。コメディタッチな会話と擬似1カットのおかげでたいくつしないで楽しく観れたよ。こんな長くて妙なサブタイトルをつけた意味がわかったときの感動といったらもう。監督は「みんなの好きに解釈すれば良いよ」と言ってるもののカーヴァーの詩や隕石やライラックやクラゲなどたくさんヒントを用意してるしラストシーンは明確な答えをもって作られたものだとは思う。とはいえ、たとえ無理くりハッピーエンドに解釈したとしても良い映画であることに変わりないよね

  • 鑑賞日

    世界に引き込む仕掛け

    入り込めた人は楽しいと思う

  • 鑑賞日 2017/7/29

    無知だけどもたらされた予期せぬ面白さ

    私は無知だけどもたらされた予期せぬ面白さ。 2度鑑賞しちゃいました。 まず 1マイケル・キートンとバットマンを見たことがない。 2劇中劇であるカーヴァーの作品? もちろん知らない。 3ハリウッド事情もわからない。。。 事前情報や、レビューなんかを見ると、特に1番、肝かなと思うかもしれませんが全く問題なかったです。 要は落ち目でいい年の元ハリウッドスターが再起を賭けて舞台作品に挑戦するも色々あって結果どうなったのか という物語です。 初見は、リーガン(マイケルキートン扮するこの物語の主人公)に悲哀を感じて、感情移入しまくって観たので エドワード・ノートンみたいな「舞台人」果ては「芸術」とか言って、狂ってることこそ俺だみたいなー!とはいえ結局チャラくてしかも○○○な奴ー!にムカつきつつ、、、 リーガンの心にだけ響くバードマンの声と(私までも)葛藤しつつ、、 ラストシークエンス、リーガンが舞台上で銃で自殺(ぐらい意気込んで引き金引いて鼻をぶっ飛ばしちゃった。。)以降はレーガンの娘、サムが晴れがましく空を仰ぐラストまで尚、涙しながら観たのですがそんな人は稀だと、2回目の鑑賞で思いました。 2回目の鑑賞ではなんだか笑っちゃったよ。 情けないおじさんに敬意で以って可笑しみを感じました。それはどういう点なのか。 ・娘のサムも、プロデューサーも、妊娠させたかもしれない共演者も、元嫁も、ノートンも?、 誰も敵ではないんですね。ただ、身勝手で引っ掻き回したり、彼に呆れ果ててたりしているかもしれないけど。 自分で自分を追い込んで、過去の自分を敵に回している。これ、客観的に見ちゃうと共感よりももはや慈しみの気持ちさえ湧きます。 ・それでも過去の自分に未練があるところがとっても可愛い。 バードマンの力を借りて世間を上から見下ろすべく、NYを飛び回るシーンは過去に栄光を持たない私とて爽快でした。 絶妙に高度が低くて笑える。 自分を追い込む幻は時に自分を奮い立たせる魔法でもある。 ということで、ラストシークエンス、リーガンが舞台上で銃で自殺?未遂(ぐらい意気込んで引き金引いて鼻をぶっ飛ばしちゃった。。) ところからは「飛べー!」って、、つげ義春の無能の人の1コマにも似た興奮感がありました。 カメラワークも編集もとっても凝ってました。時間軸の混乱や、同時進行の別物語がないとしても アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督にはそこを期待しているんです。 カメラがぐるっと180度回転すると別のシーンになってるのは舞台でいうところのどんでん。 扉が閉まって黒落ちは暗転、同ポジで日替わりは舞台でいうところの幕、、 という感じで、あたかもワンシーン・ワンカットのようにも見えるけどそれはキャストの段取りを追うのにステディカムを駆使したということで、むしろ、舞台を観ているという印象の方が正確。 主人公が再起をかけるのが舞台作品だというところにかかっているのかと思います。

  • 鑑賞日 2017/6/14

    プレビューのショーの時がめっちゃハラハラしたし、面白かった。それ以外は、前半はグダついてたしブロードウェイの無慈悲さも“適当な描写してたらいい”と履き違えてるのではないかと思ったし、終わり方も「ええ〜」って感じ。しかしプレビューシーンを面白く見るためには前半もしっかり見ておかないといけないしなぁ。何より、こういうシュールを求めた、マイノリティ受けの作品に、高い評価を与えて賞賛してる世の中が「こういうシュールの良さもわかるんです私」感出してて納得いかない。

  • 鑑賞日 2017/6/2

    あるいは(必然から生じた明確なる奇跡)

    いわゆるバックステージものといえば、様々な事件や事象が発生して、舞台裏が大混乱となる中で、いかに表舞台を成功させるかという点がみどころであるが、これほど舞台裏が混沌(混乱ではない)としているのも珍しい。何故混沌としているかというと、主演俳優の精神が混沌としているからだ(笑)。 主演俳優の神経障害(!?)が、初日舞台を危うくする物語は、ション・カサヴェテス監督の『オープニング・ナイト』と通じるものがあるが、本作では主演俳優の精神どころか、共演俳優の性格異常(言い過ぎ)も相まって、プレビュー公演は満足のいくものとは言えなかった。不安が募る中で、明日からの本公演は成功するのだろうか? だいたい、この主演俳優はなぜここまで精神的に追い詰められているのか? 彼はかつて「バードマン」というヒーローを演じて一世を風靡した映画俳優だ。しかしシリーズ終了とともに世間から忘れ去られ、ヒーローとして認知されていても、俳優のキャリアは低い。そんな中、彼はレイモンド・カーヴァーの『愛について語る時に我々の語ること』の舞台化を演出・脚本・主演して起死回生を図ろうとしているのだ。 カーヴァーの短編小説『愛について語る時に我々の語ること』は、タイトルどおり2組の夫婦が愛について語る(だけ)の物語だ。特に「暴力を伴う愛は真の愛かどうか」がテーマとなっている。小説を読む限りは、4人がキッチンでジンを飲みながら語るだけのもので、大変静かな語り口である(語っている内容は暴力をテーマにしているけれども)。結局結論も出ずに終わるのだが、この物語を脚色して舞台化するのは至難の業だ(このことから主人公がいかに舞台演出について無知かどうかが分かる)。ブロードウェイで力を持っている批評家(彼女の批評1つでロングランか打ち切りかが決定する)などは、舞台を見る前から駄作と切り捨てている。何故か?それは演劇界における俳優のキャリアについての不文律があるからだ。 演劇界における俳優のキャリア   テレビ俳優 < 映画俳優 < 舞台俳優 (イメージ) 演劇界における俳優の人気   テレビ俳優 > 映画俳優 > 舞台俳優 (イメージ) 舞台至上主義の批評家にとっては、映画俳優(ましてやヒーロー映画)が、ブロードウェイの舞台にいきなり乗り込んできても、畑違いもいいところなのである。 本作を見るには、主人公リーガンをどう捉えるかでずいぶん違ってくる(かもしれない)。分裂症ぎみの中年男として見るか、スーパーヒーローバードマンの分身として見るか。私は最初から分裂症ぎみの中年男として見てしまった。そう考えると主人公の混沌ぶりが納得できるからだ。彼の耳には常に“バードマン”の声が聞こえる。バードマンは、俳優として起死回生を図ろうとするリーガンに悪魔のささやきのごとく、過去の栄光に連れ帰ろうとする。前述のように、この舞台は企画の時点で無理があり、さらに共演者のトラブルや何やらがあり、舞台裏は大混乱となっている。さらにプライベートでも、ヤク中だった娘との仲はうまくいかず、相手役とはすべてにおいてウマがあわず、今の恋人の妊娠疑惑など、次々とリーガンを精神的に追い込んでいく。 それでもリーガンはボロボロになりながらも舞台に立つ。そして彼は『無知がもたらす予期せぬ奇跡』を起こすのだ。初日の成功は単なる(無知がもたらす)ビギナーズラックだったのか、それとも超能力を持つ本物のヒーローだから起こせた(予期せぬ)奇跡だったのか? 混乱し絶望したリーガンは、小道具の拳銃を本物にすり替えて舞台に立つ。混乱と絶望から本当に自殺しようとしたのかどうかは、はっきりとは分からない(いや、たぶん本当に死のうとしたのだ、舞台上で死ぬなんて役者として本望じゃないか)。だが、こめかみを撃ちぬくはずの弾はリーガンの鼻をふっとばしただけだった。図らずも、原作小説で話題となる男がピストル自殺を失敗するのと同じく・・・。 リーガンがカーヴァーに固執するのは、若いころに出演した舞台を、カーヴァーが褒めてくれたためだった。その時からリーガンはプロの俳優を目指したのだ。彼がなりたかったのは“バードマン”なんかじゃない。欲しかったのはハリウッドセレブの生活なんかじゃない。 舞台上で鼻をふっとばしたリーガンの演技(?)は「スーパーリアリズム」と評され、タイムズの一面に載る。これで本当に彼は“舞台俳優”としての栄光を手に入れたのか・・・? 病院のベッドで目覚めた彼は、ギブスで顔半分を覆われていた。図らずも、原作小説で話題となる老人が顔をギブスで覆われるのと同じく・・・。さらにそのギブスはバードマンの仮面とそっくりだ。彼は知っている、世間の評判とは違い、この舞台は失敗だったことを・・・。やはり彼は“バードマン”でしかない。いや、彼こそが“バードマン”なのだ。そう、彼は分裂症ぎみの中年男ではない、超能力を持ったスーパーヒーロー“バードマン”なのだ。そうして彼は飛ぶ、バードマンとして空高く・・・。 それは「無知がもたらす予期せぬ奇跡」ではなく、「必然から生じた明確なる奇跡」だったのだ。

  • 鑑賞日 2015/4/13

    なんやかんやで、観る価値あり!

    周りの人全員に、勧められる作品ではないですが...(苦笑) わたしは、好き! ストーリー的には、なんだか良く解らない部分もありますが、それはそれで置いとけるカッコ良さがある。 別にラストだって、うーん、バードマンってことで、鳥になったのね、ハッピーエンドね! って思えばいいかな。 娘、笑ってるし! それよりも、劇中歌としてのドラムの使い方や、カメラワークや、マイケル・キートンの俳優魂やエドワード・ノートンの弾けっぷりや、 なんやかんやで、観る価値あり!

  • 鑑賞日 2015/4/11

    演出は斬新でも

    娯楽としての映画ではなく、どちらかというと芸術としての映画。いかにもアカデミー会員が好みそうな作品だけに、あまり一般ウケはしない気が。 確かに全編1カットで(撮ったかのように)見せる演出は斬新だし面白いけど、内容は深いようであまり深くないという。ショービジネスの内幕を描いたというよりも、単なる内輪ネタを描いてるだけのような。

  • 鑑賞日

    真実か挑戦

    「バードマン」というヒーローモノの映画で一躍有名になった男が再起をかけて劇を作り上げる。 哀しくも主演のマイケルキートンは「バッドマン」で有名になった俳優である。 そんな彼が、若き才能を持つ俳優、幻聴、愛の枯渇した人間関係、インターネット、マスコミとそれに支配された大衆、リアルと虚構 その渦に巻き込まれて苛まれていく主人公の、混沌とした世界観や孤独感、焦燥感が映像を通してまざまざと伝わってくる。 ワンカット風の長回し撮影は、まるで演劇を見ているかのような臨場感、そして不安定なドラムスのBGMが、焦りとも怒りともつかない情緒を醸し出す。 無知がもたらす奇跡とは、いったい何なのか、ラストシーンが意味する奇跡の終末とは。 見る人を選ぶ作品ではあるが、見ないと分からない作品でもある。試して見る価値はありそうです。 わたしは、この映画に作られた物の虚無感を強く感じ、それを映画という作品を介して感じていることにとても違和感があって笑えた。 マリファナや酒に溺れる人々、著名な批評家ならどんな批評にも動かされる大衆、インターネットの力、偽物の銃。 多くの人間はリアルではないものや、自分の想像力に救われているとつくづく思うのでした。 ドタバタのケンカシーンとラストのバードマンを象った包帯の巻き方には笑ったなぁ。

  • 鑑賞日

    セッションと連チャンで見た記憶

    ”セッション”があまりにもキョーレツで、この映画は本当に面白かったが、若さによる熱さとインパクト、尺の短い作品で、日本では公開日が近すぎてあちらに話題を持っていかれてしまった感がある。勿体ない! ”インセプション”も、なかなかだった”シャッターアイランド”の後にレオの主役で似たような錯綜した世界観があり、スコセッシ監督映画だったのに!(笑)話題にもならず消えていき。本来なら一年後の公開日なはずなのに、インセプションたら‥というような困った感があったり。その手の重なりがあった作品。 とにかくワンカットに見せたカメラワークと編集、ノートンの見えそうで見えない演技と話題にことかかなかったし。笑いあり涙あり、不思議ありで。 監督の熱さが技術側に向くとトンデモないエネルギーを持ってしまう。”レヴェナント”では役者に向いたりして‥ヒィ〜。 ジェットコースターに乗ったような4DXみたいな気分でした。映画館で見たい作品の一つ。楽しかったな。

  • 鑑賞日

    路上のジャズドラムスのシーンが一番グッときたが何か違う映画に引っ張られただけのような気もした。

  • 鑑賞日 2017/2/28

    愛されてるよ〜〜!気がついて〜〜!って感じ。エドワードノートンが好き

  • 鑑賞日 2017/2/9

    ワンカットがなげー。そのせいか妙に緊張感を感じた。

  • 鑑賞日 2017/2/4

    かっこいいなちくしょー

    カメラワークや3回クリ化されるプレビューシーケンスなどカッコイイと思われた施行を全部やってみたのだろう。うらやましいぞ監督。で、ラストカットがその極み。娘の笑み。かっこよすぎる。

  • 鑑賞日 2015/9/2

    カメラワークが今まで観た映画になくて、すごい!ワンカットで撮りきったのかと思うほど! こんなはずじゃない、ここで終わるはずない、でも評価されないことが怖い、みたいな葛藤が全編に続き、見ていてしんどかったけど、最後にそれが晴れて本当によかった。

  • 鑑賞日 2016/12/31

    役者の演技がリアルですごくよかった。 ストーリーもわかりやすく、主人公の感情がよく描かれていた。 見る側の想像を煽るラストや、タイトルに繋がる流れもまた憎い。 ただ個人的にドラムがかっこよくてそこに注目してしまったのが残念。

  • 鑑賞日 2016/12/18

    新感覚

    今まで見たことのないタイプの作品であることは間違いない。狭い劇場内でのバストから上だけのショットで構成され、カットのつなぎ目がないように編集されており、それが映画と演劇が融合したような感覚に襲われる。伝統的なブロードウエイとハリウッドの大作コミック映画が対比され、両方に出演することになる主役が精神を分裂させてるような疲労感が充満している。

  • 鑑賞日

    退屈だったけど、ラストが印象に残る映画。娘の表情でラスト。客に想像させたら、それが1番いいラストだと思う。演劇やってる人が見たらよりおもしろいのかも。なんにせよカメラの長回し感でやってるのはすごかったし、ナイスアイデア

  • 鑑賞日 2016/11/25

    なんなんだろう。よくわからなかった

  • 鑑賞日 2016/11/24

    なんか批評家が好きそうな映画という印象をすごく受けた。アカデミー賞を取りまくりそうな感じ。深い意味があるようで浅いような、よく分からない感じ。でもアカデミー賞を取ったってことはやっぱり深い意味があって自分が未熟だから理解できないのかもしれないな。という感じ。 ストーリーだけ見ると陰湿で、特に面白みがない。主人公の二度自殺はおっ、と驚いたが、結局全体を通して何が言いたかったか、しばらく考えてもよく分からない。なんで主人公は死を選んだのかを考えても答えは出せないだろう。ラストも色々な解釈ができて、観客にお任せで答えはなさそう。ちょっと気にくわない。 しかし、退屈はしなかったし、鑑賞後に考えさせられたし、感じるものはあった。ダラダラした展開に見えるが、演劇中にボッキする奴がいたり、パンツ一丁で街を歩くはめになったり、面白いところもあった。それに相まって、主人公の妄想が映像化されていたり、超長回しが使われていたり、奇怪なドラムミュージックが流れていたり、演出によって映像そのものを楽しめたと思う。 本作のように、好評価されているが、一見、は?ってなるような映画は本当に多い。ちょっと含みをもたせるだけで観客や批評家が色々考えてくれるのでズルイ気もする。しかしやはり何か光るものはあると思った。それは感じた。万人受けはしないだろうが、ハマる人はハマりそう。

  • 鑑賞日

    ワンカットの緊張感がすごいのもわかる。 でもよく入り込めなかった。

  • 鑑賞日

    セリフが

    ストーリー上のイベントより、人物の魅力を掘り下げるタイプの映画なので、会話が命。 この映画では基本的に罵り合いと浮ついたセリフの繰り返しです。それがつまらなかったらよくある説教映画なのですが、これは面白い。脚本をしっかりと作った証拠ですね。

  • 鑑賞日 2015/9/20

    大衆向けではない

    家でレンタル鑑賞。劇場で観たら印象が違ったかもしれないが、自分としてはもう一つ入り込めなかった。色々な意味で面白い映画には違いないが、結局のところショービズをテーマにした作品であり、その特殊な世界に思い入れがないものはどうしても距離感を感じてしまう。娯楽映画を見下すようなエリート意識を問題視しているようで、実はこの作品自身がそのようなエリートたちを喜ばすように作られている感じがして、どうも後味が悪い。「大衆向け」ではないのだ。一般レビューの評価があまり高くないのも、その辺が原因では?

  • 鑑賞日 2016/10/9

    メジャーシーンへの痛烈なディス映画でもある

    全編ワンカットという作品はいくつかありますが、やはり緊張感は嫌が上でも高まります。ワンカットの時間が長ければ長いほどライブ感が強まりますから。それは舞台を観るのと非常に近いものになります。 なので大抵は時間経過がリアルタイムですが、この作品はワンカットでありながら時間や舞台が大きく動いたりします。そういった意味ではワンカットというよりシームレスということなのかもしれませんが、この編集と構成、カメラワークは物凄い練りこまれており見事としか言いようがありません。 しかしワンカット構成という挑戦的な作りもさることながら、現在のヒット映画や映画業界、有名人のディスり方があからさまで、かなりシニカルというか痛烈です。 作家性の強い監督らしいと言えばらしいですが、内部告発と言ってもいいくらいですね。しかもそれが的を得ているし、一般大衆の観客をも切って捨てています。これが自分にも思い当たって仕方なく、なんだか観ながら小さくなってしまいました。 タイトルは何だか小難しい印象を与えますが、観ればちゃんと(無知がもたらす予期せぬ奇跡)の意味も分かります。 「無知」だからこそ出来ること、パワーといったものがあって、知ってしまったら失ってしまうものってありますよね。 リーガンも「愚か」で「無知」だったからこそ、偶然や成り行きがあったものの「奇跡」を見せます。ただ、その栄光の代償はあまりに大きく、彼自身を押しつぶすものであったのかもしれません。 ただ正直、個人的にはリーガンが自ら命を断つ選択をする必要があったのかはイマイチ理解できませんでした。

  • 鑑賞日

    ・音楽がかっこいい ・カメラワークが良い ・俳優、批評、ハリウッドなどに対する風刺や「愛」に対する描写の変化、伏線などいろいろな要素が絡まって複雑だったため、思ったより楽しめなかった。

  • 鑑賞日 2015/4/23

    不思議な映画

    どこまでが現実なのか、どこから主人公の妄想なのか、わからなかったが面白かった。音楽がドラムの生演奏だけなのだが、これも良かった。

  • 鑑賞日 2015/9/11

    2014年 「アモーレス・ぺロス」「バベル」のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品 イニャリトゥのハードなブラックコメディ。「8 1/2」と「ALL THAT JAZZ」をシャッフルしたかの様な映画。安っぽく知性の無いアメリカ社会の世相と、現代ハリウッドへの大いなる皮肉。人の神性を表した飛行シーンと『ニヤリ』とさせるラストが素晴らしい。メキシコの新星はフェリーニを越えるかな?

  • 鑑賞日 2016/8/27

    古典的な設定の新解釈

    一昔前にヒーロー物の映画で一世を風靡し、今は落ちぶれてしまった俳優がブロードウェイの舞台に挑戦し再起を図るという、よくある設定の映画だ。 舞台の世界での苦しみや家族との問題を背景にしながら、復活のためにもがく主人公の姿がリアリティーのある表現で描かれている。主人公が使う超能力や空を飛んだりする描写が、かつて演じたヒーローによる幻覚であるというのが面白い。場面転換の表現が巧みで、長回しのワンカットのように見せた映像も素晴らしい。 銃で自殺する方法を知らなかったが故に死を免れたということが「無知がもたらす予期せぬ奇跡」なのだろうか。難解で解釈に迷う部分もある映画だが、21世紀版「サンセット大通り」とも言える佳作。

  • 鑑賞日 2016/8/23

    レイモンド・カーヴァーを読みたくなる

    ファンタジーがかった舞台裏物。 超能力を持つバードマン。映画ヒットから長い年月。 人が動いたり歩いたりするのと共にリレー形式で主体が変わり場面が移っていく。 するすると経時変化。 基本となっているのは煩雑な演出で描く群像劇。 メインとなる舞台は劇場。 演劇の原案はレイモンド・カーヴァー。 観客任せの演出が中心。

  • 鑑賞日 2016/8/22

    騙されてしまいました

    三谷幸喜さんもびっくり、ものすごいワンカット映画とドキドキして見ていたが、なんちゃってワンカットのトリック撮影だったんですね。騙されてしまいました。日のつなぎはカメラを置いて放置することで対応、パンツ姿で外を歩くという管理しきれないシーンがあったり、最後は特撮まで入れて挑戦的な長回しと思ったのですが。 さらに音楽部分はドラムソロで、これも画面に出てきて実際に叩いているので、一発撮りに音楽も入っているのかと思ってしまいました。単純ですね。 バックステージもので、事故による役者の変更などどんどん追いつめられていくマイケル・キートンの存在感が素晴らしいのだけど、長回しでやってるのでメリハリがつかない。長回しに挑戦しているというのでなければ作品の質としてはマイナスだったのでは。映画人に偏見をもっている批評家とか鼻を実際に撃ったらスーパーリアリズムと話題になったりとか舞台を非常識なまでにかき回す役者などよく見るとたわいない話です。その積み重ねとマイケル・キートンの熱演で舞台人の今の有り様とか批評性などが出てきてる。

  • 鑑賞日 2016/8/17

    こういう映画は嫌いだ。ワンシーン、ワンカットに見える不思議な編集・・・これは面白い。こうした映画は小難しい映画論を並べるほうが似合うのかもしれないが、嫌いなので何も出てこない。自虐的な雰囲気が嫌いだ。役者と政治家は胡散臭くて嫌いだ。嫌いだから面倒だからと口を閉ざすと、君は卑怯だ・・・とか言って噛みついてきそうで嫌いだ。自分だけが苦しみ孤立してもなお高みを極めようとする矛盾が嫌いだ。SNSの描き方は興味深い。主人公の妄想と現実が渾然としているうちなる世界の描き方も嫌いだ。お金目的のアトラクション・ムービーも厭きてくるが、一見わかり易そうで、最後はなんのこっちゃ?という映画はもっと嫌いだ。

  • 鑑賞日 2016/8/12

    ワンシーンワンカットへのこだわり

    何だか不思議な映画である。 とにかく驚いたのは、カメラが登場人物の後を追い、他の登場人物の所に移動しという具合に、ワンシーンワンカットのような撮り方をしているところ。もちろん、ところどころ分からないようにカットを割っているのだが、それにしても大部分をワンシーンワンカットで撮っていることは間違いない。それにしても、イリャニトウは何故この映画にそのような制約を与えたのだろうか。ブロードウェイの芝居という舞台を意識させる為か、それとも観客に違和感を感じさせて、この物語が寓話であることを意識させる為か。 いずれにせよ、そのとてつもないやり方を完遂したことに敬意を表する。でも、それ以外はあまり面白いとは感じなかった。あまりにもその手法にばかり目がいき、中身がとっ散らかったような印象が残る。

  • 鑑賞日 2016/8/3

    強烈なブラックコメディなのか

    オープニングはかっこいいし、その後のぶっ格好な背中は目を背けたくなるほど憐れなのに目が離せないし。撮影手法と音楽が相まって、リーガンと同じ迷路にはまった2時間でした。 だけど主人公ひたすら「愛してー注目してー評価してー」なので、60過ぎのおじさん?おじいさん?が何やってんだか。自己愛を凌駕できるような魅力をリーガンに感じることができず、 プレッシャーに負ける気の小さいおじさんにしか見えませんでした。 後半はブラックコメディだと思えば納得だけど、死ぬってずるい。ラストは死後の希望通りの世界で、バードマンを解き放ったか融合したか。最後まで自分のことだけで完結したリーガンは幸せだ。

  • 鑑賞日 2016/8/9

    いろんな意味で奇跡を起こした男の話

    理由がどうであれ奇跡という名の偶然を起こしちゃえばこっちのもんてな感じの結末?? もっと、深そうだけど・・・ 一番、注目していた長回し。 確かに、斬新でのめり込んで見ていたがイマイチ意図が分からなかった。 アカデミー賞も、これを作品賞に獲らせたってのはなかなか凄いね。 ラストカットのエマストーンの表情がとても素晴らしく。 あの表情のおかげで高評価にしちゃいました!

  • 鑑賞日 2016/7/11

    導入部(最初の30分)はなかなか映像に没頭できなかった。実は最初、エアラインの中でこの映画の鑑賞を試みたことがあるのだが、最初の30分でギブアップ。 再度、ブルーレイでの鑑賞となった。 ただ、中盤からの展開は素晴らしく、まるで1カットで展開するストーリーに没頭してしまった。 よくぞ、マイケル・キートンが”バットマン”ならぬ”バードマン”の過去にすがりついたキャラクタに調整したものだと思う。そのためリアルなストーリーとなって、また夢物語が成立する。

  • 鑑賞日 2016/7/5

    後半の自分との戦いのところはおもしろい。

  • 鑑賞日 2016/6/26

    カメラワーク

    とにかくカメラワークがすごい、よく出来ているというのが正直な感想。ストーリーは考えると深闇に引きずり込まれるので止め。

  • 鑑賞日 2016/6/19

    率直に言ってわかりづらい! レベナントを先に見ていたので、あの映像美を堪能できたのは確かで、長回し中心のカット割りには、主人公の抱える誰にもわかってもらえない苦悩と、周りの評価(自分が考える)の低さと、自己評価の高さの中で思い悩む世界から抜け出せない状態をよく表していたと思いますが、いかんせんストーリーが難解でした。 いや、ストーリー自体は簡単なんですが、周りのキャラクターの介入がすごくて、それで複雑になっている、ということかな。 娯楽映画としての期待感で見るのはぜったいにおすすめしません。

  • 鑑賞日 2016/6/17

    自虐と批判と

    やっと観られた!本作でイニャリトゥがアカデミー賞監督になったというのは何とも皮肉。長回しカメラワークよりも、アメリカのショービズ界へ挑戦状っぽい様々な台詞がとても良かった。 本人のパロディーかとも思わされるマイケル・キートンの葛藤、ぶざまな自分を徐々に認める姿にジワジワきます。その娘のエマ・ストーンはスパイダーマンシリーズのヒロインを演じていました。 わかりやすいヒーローもので稼げはしても満たされない。代役を探す序盤でマーベルコミック系の映画に出ている俳優の名前がズラズラ出てきて、いいの?いいの?状態に。 ニューヨークの演劇界がハリウッドをどう思っているか、ニューヨーク・タイムズの劇評家(リンジー・ダンカン)によってこれ以上ないほどこき下ろされる場面もコワイ。 不穏な緊張感が思いがけない展開を見せる終盤のなんとも言えないカタルシスも見事でした。

  • 鑑賞日 2016/6/6

    評論家の評価は高かった作品

    前提知識無しで観賞。 元売れっ子映画スターの葛藤を描いた作品。 評論家を批判するシーンはなかなか印象的。 主演のマイケル・キートン、助演のエドワート・ノートンの演技は良かった。 ただ、それ以上の感想はなく、数々の映画賞にノミネートされた作品ということは、言われなければわからなかった。 正直、評論家の絶賛する作品で、自分も「素晴らしい!」と思ったことはあまりない。 これがただの「映画好き」と「評論家」の差なんだろうな。

  • 鑑賞日 2016/3/13

    意味不明…

    マイケルキートンと言えば昔のバットマンシリーズを演じた俳優である。もしかして忘れられてしまった自分の実話から来てるのかな?

  • 鑑賞日 2015/4/11

    落ち目の俳優が一世一代の大舞台で復活を誓う物語ー。

    文字通り舞台が舞台な為、本番・ゲネプロ・稽古・楽屋裏・裏方等をワンカット風に捉える事で、正に人生のある切り取った瞬間の表と裏、光と影を見せつけられる作品。また楽屋のシーンでは鏡も象徴的に使われていて、人の心情の表裏、本音と建前も表現しているようにも感じた。 ドラムという打楽器も同時期公開の『セッション』同様、単体ではメロディもなく、テンポの早さや強弱等演奏者のエモーショナルが全面に出る生楽器なので人間の鼓動や情緒を分かりやすく描写しているようにも思えた。 ラストは架空の「バードマン」という過去の虚像で塗り固められた自分自身を、あらゆる人生のしがらみや挫折から解放され鳥として再び世に飛び立つ事に成功した主人公のハッピーエンドと解釈。娘の見送る笑顔がその証拠。 「人生、山あり谷あり」 日本語の慣用句にピッタリ当てはまるような作品。

  • 鑑賞日 2015/5/13

    鳥人

    娘の妄想ってのは 違う気がする

  • 鑑賞日 2016/4/10

    斬新。

    舞台と楽屋を行ったり来たりするカメラ。劇中劇と登場人物の自問自答が絡み、境目が分からなくなる構成もおもしろい。音楽はほぼドラムのみでセッションを思わせるけど、セッションよりこっちのほうが個人的にはずっと好き。

  • 鑑賞日 2016/5/13

    作り込みに圧倒される

    映像は美しく演技も凄い。音楽も効果的。 ただ、見た後の空気が重い。金曜の夜に見なければ+5だったかも。

  • 鑑賞日 2016/5/2

    君の目玉をくり抜いて、その目で通りを眺めてみたい。

    全編、ずーっと息継ぎなしで素潜りしてるみたいな息苦しさ。から、飛翔するラストシーン。あのエマストーンの表情のためだけに何度も見たい映画。

  • 鑑賞日 2016/5/1

    カメラワークとキャスティング

    カメラワークが凄く細かい。 ロングショットからのラストの病室へ。 あえて病室でカットを切ってる辺りがラストシーンを より意味有りげに感じさせる。 キャスティングも最高でした。 自分のマインドに変化があった時、また見たい作品ですね。

  • 鑑賞日 2016/4/2

    名監督と名カメラマンの紡ぐ名シーン

    病室の窓から見下ろす エマ・ストーンの顔がこの映画の全てだね 伝説となった全編長回しのカメラワークを堪能できたし あのドラムが知的な印象で音楽も◎大人の映画だなぁ ファンタジーの味付けも良かった

  • 鑑賞日 2016/3/24

    撮影と演技がスゴイ

    ずっーとワンカットで撮影しているように見える。 とにかくシーンが次々と切れ目なく繋がっていく様は、ブライアン・デ・パルマ監督のスネークアイズの冒頭ワンカットシーン思い出した。 マイケル・キートンの演技も圧巻。 アカデミー受賞作品で、ずっと見たかったけど、タイトルが見ようとする意欲を遠ざけていた…

  • 鑑賞日 2016/3/13

    バードマンという人格

    バードマンは過去の栄光だけど、彼の中ではもう自分自身がバードマンなのではないかと思った。かつてバードマンを演じた役者が復活しようとしているというより、バードマンというもうひとつの人格の支配との戦いのように見えた。

  • 鑑賞日 2015/9/19

    自らの存在を示そうとする男と その家族の話 アカデミー賞受賞やが さて、そんなええ映画やったか。

  • 鑑賞日 2016/2/27

    「◯◯の誰々だ」と言われないために

    日本もまた特撮ヒーロー濫造の風潮があり、リーガンと似た境遇の俳優が多くいるのではないだろうか。俳優にとって代表作を持つことはありがたいことなのだろうが、イメージが固定されてしまう危険性があり、ともすればその代表作のみの一発屋で終わってしまう可能性もある。例えば『仮面ライダーアギト』の賀集利樹や『ウルトラマンガイア』の吉岡毅志が俳優生命の再起を賭けて坂口安吾や太宰治のような近代文学作品を自ら脚本/演出/主演して舞台化する、なんて言い出すとやはりそこに痛々しさを感じてしまう……。 全編ワンカット風の映像は斬新で、ほとんど常に画面の中央に誰かしら登場人物が据えられている状態になっている。移動に伴って場面転換をするのは、演劇を主題とした映画において、より演劇的な演出といえる。現実と虚構が錯綜する様も見事だ。

  • 鑑賞日 2016/2/27

    人生の再起

     いろいろあって、マーケル・キートンの通称“バードマン”がこの先やっていけるのか、拳銃のあの場面は死ぬんじゃないか、最後は彼はどうなった?と。また、エドワード・ノートンのマイクが舞台をぶち壊すんじゃないかと。ハラハラしっぱなしだった。  冷静に観れない程、気持ちを動かされた。終わってみると、だからそれで、どうなの?という気持ちもあるが。  私自身も中年を過ぎ、にっちもさっちもいかない所が身につまされた。でも、そんなことを考えると、これなら彼がアカデミー男優賞を取れたら良かったのに、と思う。  でも、取れなかったけれども、マイケル・キートンのこの役は凄かった、彼自身とだぶっている。  それとは逆に、監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥはこの作品でアカデミー賞を取っている。2/29(月)発表の今年度のアカデミー賞にデカプリオの「レヴェナント」で再び監督賞を取れるのか、どうなのか?

  • 鑑賞日 2016/2/9

    バットマン「バードマン」になる

    「バードマン」を見た。 この写真が全てを物語っています。 昔、「バードマン」というコミックスのヒーロー映画に主演し有名になった主人公が、その呪縛から逃れようと演劇に挑戦するが、次々にトラブルに見舞われていく悲喜劇である。 カメラワークが素晴らしい。全編を1カットで撮っているかのごとく、切れ目無く数珠つなぎに展開していくのが、問題だらけの現実と妄想の垣根が無くなった主人公の混乱具合そのままといった感じで独特の雰囲気にしています。主役のマイケル・キートンは以前映画で「バットマン」やっていただけに、余計に増幅して見えますが、この映画の成功はなによりも彼の演技力に負うとこが大きいです。 映画のタイトル、正式には次の通り。「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」 このタイトル通り、最後には主人公は本当にバードマンになってしまいます。なんという皮肉!

  • 鑑賞日 2016/2/11

    回しっぱなし風

    すごいなーでも疲れるなー 精神論みたいな映画も疲れるなー

  • 鑑賞日 2015/4/18

    全編ワンシーン・ワンカット

    と凝ってまして、緊張感漲っております。マイケル・キートンも熱演。悪くはないんだが、しかし、ちょっと疲れる。 どうも、主人公に共感できないのが辛いところ。も少し軽く、喜劇タッチでやってくれれば、愉しめたろうなあ。

  • 鑑賞日 2015/4/21

    A ・イニャリトゥの挑戦状

     全編ワンカットという映画はヒッチコックの「ロープ」やソクーロフの「エルミタージュ幻想」などが有名だが、「21グラム」や「バベル」のA ・イニャリトゥ、まるで見るものに挑戦状を叩きつけるような本作もまた、全編にわたってワンカット(に見える?)の見事な映像マジックに圧倒される怪作だ。そのカメラは屋内を縦横に動き回り、ドアをすり抜けブロードウエイの街中を走り、ついには空に舞い上がり窓を抜け室内に戻る。迷走するカメラが迷走する主人公そのものとなり、観る者もまた映画の迷路に嵌まってゆく。ここに今まで味わったことのないような映画の快感が極まる。見事!というほかない。

  • 鑑賞日 2016/2/9

    マイケル・キートンの自虐的な開き直りの演技が凄い。

     「あいつもヒーローを演っているのか!」なんてセリフもある。そういうアンタもバ-ドマンならぬバットマンを演っていたでしょ。篇中、会話のネタで出てきたジョージ・クルーニーもバットマン演っていたなんて、今からは信じられない。  でもみんな、ハルク、キングコング、スパイダーマンなんかより、こんな映画に出たいんだと思うよ。CGオチャラケ映画はもうたくさんだなぁ。(この映画の使い方はいいです。)  空を飛ぶシーンの前のCG場面がいい。皮肉が効いてる。  そして、この映画、ラストカットひとつで、だいぶ評価が上がった気がする。ちょっと、気取ってるけど悪くない・・。

  • 鑑賞日 2016/1/9

    フィクションを生きる

    以前、バードマンを演じていたリーガンがカーヴァーの短編を舞台化し、再復活を遂げる物語。空を飛ぶシーンが合成見え見えで笑えた。リーガンはこの舞台で成功してやろうと思い、フィクションの中にどんどん入れ込んでいって、傍から見ると滑稽に見えるような状況でもリーガンは現実に戻ることはなく、フィクションの世界を生きていて、俺はそこが気に入った。娘の最後の笑顔も良かった。あんな顔を見たら、鳥肌立っちゃうわ。

  • 鑑賞日 2015/6/12

    2015年度見た中で一番好き

    本当に何も予備知識なく見たのですが、皆さん真顔なのに、かなり笑える内容で、最初に見た時は本当にびっくりしました! エドワード・ノートンがこんなに面白い人だったとは! ニューヨークもブロードウェイもまったく行ったことも観たこともないけれど、ステージの役者さんたちと、その期間の彼らの暮らしぶりと行動範囲などが狭いのに、かなり臨場感があるし、音楽(BGM)がそれとなくライブで(!)演奏されていたりと、いろんな部分で斬新で面白かったりします! 英語学習者としてもこれは本当に楽しめました。舞台の作品のセリフの言い回しなども、英語を学習中の方にもたのしめると思います。 これから何回でも見ると思います。

  • 鑑賞日 2015/12/31

    演出にねじ伏せられた感有

    実際にかつてヒーローを演じた経緯の主役のマイケルキートン。 自分は役者なんだと証明するために小難しい舞台をブロードウェイにかけるが・・・ 演技派といわれるエドワード・ノートンがいかにもな配役。 こずるく立ち回りいやらしいくて大変良い。 NYタイムズ批評家の人もいそうな感じプンプン。 監督の今のショービズ界への批判満載の映画。 評判の作られ方の今昔、 舞台のプレビューはすぐに忘れられるものとされ ネットに上がった映像を本人は見っともないといい 世間的には再生回数が評価だったり。 舞台内容ではなくセンセーショナルな事件が注目される。 ストーリー的には中盤まではちょっと退屈かなと思ったのだが 終盤に向かって苦悩感が増すにつれて盛り上がってきた。 つまんないなと思いかけては惹きつけられたりの繰り返し。 演出の力技にねじ伏せられた感があります。 ふわふわ感に好き嫌いはあるとしても「バードマン視点」とも 思わせる見事というしかない全編ノーカットで撮られた 様な映像でとらえている。見たこと無いですね・ ドラムソロだけのBGMもとても効果的だったと思います。 実にユニークな映画でした。

  • 鑑賞日 2015/12/26

    悲痛でコミカルで

    マイケル・キートンとエドワード・ノートンのまさにこの二人の面白さにつきますね。映像とは違う劇場という生の演技を要求される舞台がこの映画の舞台ですが、二人のはっちゃけっぷりが楽しい!苦悩とコミカルが見事に融合した作品ですね。

  • 鑑賞日 2015/12/6

    統合失調?

    かつてのヒーロー、バードマンとして一世風靡した俳優のもう一度表舞台に立つことを頑張るんだけど、ものすごいプレッシャーからか?幻覚?だと思うんですが、自分はバードマンで超能力とか使えたりするんですが、現実は売れない役者で過去の栄光がいろいろ邪魔になって、結局はプレッシャーに勝てずに・・・

  • 鑑賞日 2015/12/23

    舞台が劇場とその周辺に限られ、ハンドカメラで撮影したアングルにBGMがドンドコ・ドラムという変化球作品。マーベルなどのヒーローもの全盛のハリウッドを皮肉ったと思われ、演じるのは元バットマンのキートンや元ハルクのノートン。舞台演劇の好きな人ならもう少し楽しめたかもしれない。

  • 鑑賞日 2015/11/23

    「物珍しさのある映画」ではあったが、感動は無い

    全編とおしての「流麗なカメラワーク」がたいしたものだと思ったら、これが売りだったのか…。 (この映画チラシもらってあるが、それも読まずに映画を観たので、事前知識まったく無し。) 「なぜ、こんな目に合うんだ」と汚い楽屋みたいなところに居るオヤジ。ドラムの音がするので、売れないミュージシャンかと思ったら、昔「バードマン」なる映画が売れた役者であった。 気性も荒く、ケガをさせた他の俳優に対して「あいつは、オムツをはいた修道女に萌える」なるセリフには笑えた。 このオヤジは、リーガンという名で、謎の声が聞こえるが、途中から背後に「バードマン」が現れる。 そして、この映画ポスターだったか宣伝写真にもあったように、バードマンらしく宙を舞いはじめる。 ……という形で、物語はどんどん進んでいき、確かに「物珍しさのある映画」ではあった。 しかし、感動は無い。 何故、こうした「技術的には優れていても、心に響かない映画」が、アカデミー作品賞をとったのか、不思議である。 (個人的には、『ゴーン・ガール』の方が、数段面白かった。)

  • 鑑賞日 2015/11/18

    何故この映画がアカデミー賞?

    アカデミー作品賞なのでそれなりに期待して観たが、特段の感動がある訳でもなく、何故この映画がアカデミー賞作品賞?というのが、一番の感想。変化球の監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥらしい映画だが、王道からは外れていると思う。小林信彦氏がよく「アカデミー賞なんんて大したことない」的なことをよく言っているが、この映画を観るととても納得がいく。マイケル・キートンの実人生と映画の主人公が重なっているように見える所だけが、面白かった。ザック・ガリフィアナキスのマジな助演が良かった。【愛と成功のセオリー あるいは(天才を支える予期せぬ奇跡):併映「博士と彼女のセオリー」】

  • 鑑賞日 2015/11/8

    中年の危機。

    通好みな作品なんだろうなぁ、とは思いますがニワカのワタクシでも充分楽しめました!長回しを上手に繋いでワンカットに見せ続ける撮影手法や、ドラムのインプロヴァイズを元にした超クールな劇伴、「花」や「マスク」「日焼け」等々、それぞれのエピソードを読み解いていくことで見えてくる意味、、。映画としての完成度には感心させられます。元バットマンのマイケル・キートンと元ハルクのエドワード・ノートンをキャスティングするなんていうのも洒落が効いていますよね、笑。長回しが一旦カットされてからの病室のシーンですが、そこからはやはり、全てが妄想なのではないか、とワタクシは解釈しました。頭を撃ち損じているようには思えませんでしたし、鼻を付け替えたとしても、手術の跡なんて全然見当たりませんでしたし。ただあのシーンで自分が求めていた花を娘から貰ったことからもわかるように、やっと理想を手に入れたんだと思います。そして、ラストのカットをワタクシのお気に入り、エマ・ストーンで〆るなんて、もう大満足です、笑。15/11/08鑑賞。

  • 鑑賞日 2015/10/13

    俳優って難儀な商売ですね。。

    アメリカの映画・演劇界って、本当に厳しい。俳優やってたら、普通の神経ではやってられないんだろうなぁとハリウッドの関係者全てを尊敬しちゃいます。長回しで臨場感もあり、とにかく役者がみんな上手いので、映画観てる感覚ではなく、リアルにのぞき見してる気持ちになった。M・キートンをカッコイイと思ったことは無かったけど、今作ではダメなところも汚いところもステキでした。今年のベストかも。面白かった!イニャリトゥ監督作品は難解かと思っていたけど、来年公開のレオとの作品も楽しみになってきた。

  • 鑑賞日

    微妙

    アカデミー作品賞ということで鑑賞したが、期待が大きすぎたのか微妙な後味でした。内容的にも娯楽的要素は少ない印象。

  • 鑑賞日 2015/10/9

    随所に仕掛けられた巧妙なネタw

    随所に仕掛けられた巧妙なネタで楽しまさせてくれる。 観ていて飽きが来ない。大切なことだ。 少し理解に苦しみ意味不明な場面も存在はするが 展開でカバー。 良い作品だと思う。 (b^ー゚)!!(゚∇^d)~~ ベリーベリーグッド

  • 鑑賞日 2015/10/9

    終始鳴り響くドラム

    観てる側にも緊張感をもたらす長回し。過去と現在の差に悶える葛藤。狂ったような渾身の演技の後の暗転。そして病室のラスト。委ねられた解釈の末の震え。素晴らしい。

  • 鑑賞日 2015/10/3

    娯楽大作を期待すると、肩すかしに遭う

    フェイク/リアル、ハリウッド/ブロードウェイ(≒映画/演劇)、仕事/家庭、芸術/批評、科学的/非科学的、本妻/愛人、成功/転落、若さ/老い、ネット/リアル パッと思い付くだけでも、これだけの対立軸を用意して(たぶん、まだあるんだと思う)、それを積み重ねていく。 芝居はもちろんフェイクだけれど、リーガンたちが生きているのはリアルの世界だ(もちろん、これは「映画」だからフェイクなのだけれど)。 それらは実は表裏一体だったりして、「バードマン」は多くの人たちにとって「フェイク」であり、単なるヒーロー映画なんだけれど、リーガンにとっては「リアル」でもある。 ショービズやアメコミの映画化ばかりの現状を批判しつつも、果たしてそれが「悪いこと」かどうかは分からない。 ツイッターやフェイスブックなど、SNSで拡散すれば注目は集めるけれど、その多くの人たちは、その対象を「消費」するだけで、その人を知り、理解し、接点を持つわけではない。 とかなんとか、切り口が色々あって、どう考えれば良いか、とても難しいし、その分面白い映画とも言える。 究極の対立は「生/死」なんだろうと思うけれど。

  • 鑑賞日 2015/9/30

    ブロードウェイと銃弾

     過去の栄光を夢見つつも今や誰からも見向きもされなくなった往年の映画スターの焦りと嫉妬の悪あがきストーリーで、まったく皮肉なようだけどこれは主役のマイケル・キートンのためにあて書きされたような脚本なのだなとつくづく思ってしまう。一度なりとも頂点を極めたことがあるのならそれで人生充分OKじゃないかと私のような凡人は思ってしまいがちだけど、スターというものはそういうものではないらしい。一度でも成功の味をしめてしまうと常にトップで居続けたいものらしい。リーガン(マイケル・キートン)がアイアンマンら最近のアクションヒーローたちを貶すシーンは彼だからこその説得力があるし、喜劇らしいおかしみと哀しみが醸成されてくるのだ。彼の鬱屈した心象を表すように突然姿を表すバードマンはよくマンガなどでみかける心に巣食う天使と悪魔の絵柄同様、彼の内心に潜む過去の栄光の亡霊だ。だから主人公が過去から吹っ切れたラスト、その亡霊はトイレで寂しそうにいじけるしかない。  共演者の代役として闖入してくるマイク(エドワード・ノートン)が舞台を仕切り始めるあたりはW・アレンの「ブロードウェイと銃弾」を思い出させた。そういえば同じバックステージもので、銃がキーワードとして使われているあたりなど似通った点が散見される。シニカルな笑いや多弁なセリフなども含めてアレンからの影響があるのではなかろうか。とくにバーで出会う辛辣批評家タビサ(リンゼイ・ダンカン)がみせる反ハリウッド的毒舌などにその雰囲気が出ている。  極力カット割りを少なくして流れるようなカメラの長回しによってひと時たりと物語を停滞させることなく観客を集中させ、屋上に出たかと思えば空へと舞い上がり主人公の高揚感を絵として演出して見せるなどなどといった諸々の表現の引き出しの多さにも魅了された。さらに使用楽曲のセンスの良さにも感心する。特にマーラーの使い方が良かった。

  • 鑑賞日 2015/10/1

    実験精神溢れた映画

    哲学的な言葉を散りばめて、時空間を自在に行き来する、現実と幻想が入り混じり、どれが現実なのか、幻想なのか、判然としない。 しかしそうした疑問を軽く躱し、物語はどんどんと進んでいく。 その内容に戸惑いながらも、置いてきぼりを食わないようについていくのに懸命である。 途中息切れしそうになるものの、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督独特の映画マジックに乗せられて、いつしか目が離せなくなったしまった。 実験精神溢れた映画である。 主演は久々に見るマイケル・キートン。 バットマンで名を馳せたものの、その後長く低迷が続く彼が、現実の彼自身と重なるような役柄を演じているのが、いかにも皮肉である。 演じるリーガン・トムソンは、当たり役バードマンで一世を風靡した俳優である。 しかしその人気は今はなく、落ち目からの起死回生を図ろうと、ブロードウエーの舞台で主演を務めるものの、いかにも前途多難、その涙ぐましい悪戦苦闘ぶりが描かれていく。 マイケル・キートンの老醜を曝け出した鬼気迫る演技が見応えある。 さらに彼に絡むエドワード・ノートンが、それに負けず劣らずの切れっぷり。 ふたりの演技合戦と、舞台での演技合戦が重なって、奇妙な面白さに笑える。 まるでワンカットで撮られたような撮影方法(まさにこの映画が一幕ものの舞台であるかのような)、全編に流れるドラムスの音、しかもそのドラマーの姿が時々挿入されていくという撮影スタイルは、いかにもイニャリトゥ監督らしい実験精神に満ち溢れている。 彼の映画はこれまで「21グラム」、「バベル」、「BIUTIFUL ビューティフル」と観てきたが、作品ごとに違った手法を駆使して、斬新な映像を見せてくれる。 理屈で観るというよりは、感覚で観る映画、まるで前衛ジャズを聴くかのようなとでも謂おうか。 一筋縄では行かない監督である。 果たしてリーガン・トムソンは起死回生を図ることができるのか? それは映画を観てのお楽しみだ。

  • 鑑賞日 2015/9/27

    バードマンがもたらした葛藤と再生

    現実と幻想がごちゃまぜになり、劇の中とプライベートがごっちゃになり、ドラムが鳴り響き、何かが始まる。何かが終わるのか? 翼を広げ、Flyaway! てか、アカデミー賞で4部門も受賞するほどの 作品? って思ったのは、わたしだけなのだろうか?

  • 鑑賞日 2015/9/27

    ワンカット

    「カット!」という監督の声が聞こえる。あのラスト。娘のサムは空に向かって微笑む。そして同じ時期に上映された『セッション』から奏でられたようなドラムロール。まあ、これは偶然だろうが、そうした偶然すらも抱え込んでしまうような広がりを感じる映画だった。 もともとイニャリトウの作りは、全く別々の話が最後に合流する展開を主としているが、今回は同じカットの中に様々なシーンを盛り込むという逆説的な作りになっている。それはすなわち、映画が本来作られる過程を逆から見ていることである。つまり、映画あるいは映画製作を真っ向から否定するものであり、主人公が最後の方で空を飛ぶシーンなど、語り尽くされた映画のリメイクを皮肉っているものと思われる。これはハリウッドがコンテンツ不足であることを示している。これは確かに深刻だ。 ハリウッドはこの映画を笑ってみている場合ではないだろう。

  • 鑑賞日 2015/5/6

    役者という仮面

    かつてのヒーロー映画のスターが再起をかけてブロードウェイの舞台に挑む姿を描いた物語。 主人公リーガンがかつて演じていた「バードマン」とはどんなヒーローだったのだろうか。姿は私たちに見せてくれる。そして街行く人々のリアクションで彼がかつて人気ものであったこともわかる。映画の中では詳しく説明されないが、やはり、リーガン役のマイケル・キートンがかつて演じていたバットマンを連想させる。リーガンの心に語りかける「バードマン」のいでたちもそれに近い。  このキャラクターが鳥をモチーフにしたものかどうかはわからないが、鳥が俯瞰するようなカメラワークが随所に見られる。時には鳥の目線で、時には鳥が飛ぶ空を見上げるような目線で私たちはスクリーンを観ることになる。ニューヨークの街並みから劇場の舞台裏までワンカットでの描写はまさに鳥のように縦横無尽、どうやって撮影したのか実に見事な技術である。  こうした自由奔放なカメラワークと同じく劇の展開もまた予想困難な動きを見せる。いったい誰が誰なのか。というのは変な言い方かもしれないが、劇中劇の登場人物を演じる役者の入れ替わりは集中して観なければとても混乱してしまう。なぜそのような見せ方をしたのだろうか。仮面をかぶったヒーローは誰でも演じることができるとでも言うかのように劇の役柄は誰にでもできることができると言いたかったのか。  リーガンが目指した舞台での成功は結局どうなったのだろうか。流れとしては最後は失敗に終わるような雰囲気となっているが、それはどうでも良いのかもしれない。ひとつのチャレンジがそこにあったことが重要であるかのように。映画も舞台も人間が役という仮面をつけて演じる。この映画は映画の中の舞台、劇中劇というスタイルで2枚の仮面を役者につけさせているところが面白い。  最後に、ゴールディ・ホーンのようなびっくり目玉のエマ・ストーンの空を見上げる表情が印象に残った。

  • 鑑賞日 2015/4/14

    信じられない!

    ワンカットで撮影されたことが信じられない。本当なんだろうか?それだけですごいことなんだけど、ストーリーも身につまされる…リアリティありすぎ。キャストの緊張感が半端ないのが画面からビンビン伝わって最後まで目が離せなかった。エマ・ストーンがよかった。

  • 鑑賞日 2015/9/20

    たしかに、スーパーヒーローを演じるって、どういう経験なんだろう? SNSでの存在感が現実をますます浸食していくような中で、崇められ消費されるスーパーヒーローとは、何なのだろう。流れては繋がる魅力的な映像に心を奪われつつ、今まで考えたことのなかった問いに誘われるような、不思議な映画だ。 かつてスーパーヒーロー「バードマン」を演じて大スターとなった男が、俳優としての再起をかけて、レイモンド・カーヴァーの小説『愛について語るときに…』の舞台化に挑む。すっかり「バットマンの人」になってしまったマイケル・キートンが、実に繊細な演技を見せてくれます。 あれほどの名声をえながら、まるでマスクで顔を隠したヒーローのように、現実の家族や友人たちの間でますます実体を失っていくような自分。自ら捨て去ったにも関わらず、つきまとって忘れられない、スーパーヒーロー=スーパースターとしての全能感。 家族に見放されかけ、厄介な共演者や意地悪い批評家には単なる素人と見下されるなか、トラブル続きのプレビューを成功させようとして、自分自身を引き裂かれつつ必死にもがくこの中年男の現実は、幻想の中のスーパーヒーローが力をふるうほどに、惨めなものになっていく。彼がパンツ一丁で劇場に戻るシーンなんか、痛々しいほど滑稽なのに、でも、この映画の視線は、泣きたくなるほど優しいのです。徹頭徹尾、主人公の主観に寄り添っているようなこの映画の中で、エドワード・ノートン演じる癖のある俳優と、エマ・ストーン演じる娘とが屋上で会話を交わすシーンは、この世界の脆さとそれでも続く関係を示すように、美しい。まさにカーヴァーの小説のように。 ラストシーン、病院のベッドの中で生き返る彼の姿は、バードマンのマスクと、彼が劇中で語っていた老人の姿を二重写しにしています。私に見える世界は、ちっぽけな穴からのぞく切りとられた姿なのかもしれない。その認識に達したとしても、そこにあなたの姿が見えないことには耐えられない。 まさに主人公のマスクの穴から見える世界のような映像と脚本の力で、いろいろな方へ思考をうながされる。スーパーヒーローとカーヴァーという意外なとりあわせから、思いもかけぬ世界を見せてくれる驚くべき映画でした。

  • 鑑賞日 2015/9/12

    終盤の拳銃での自殺の演技が分らない!

    第87回アカデミー賞の作品賞・監督賞他を受賞しているので、大変期待していたが、ちょっと肩透かし。なぜなら、同時期に封切した『セッション』と同一路線作品で第87回アカデミー賞を競り勝ったにも関わらず、鑑賞後の感動の差に歴然としている。 唯、この作品は誰でも指摘している様に、カメラワークが素晴らし過ぎる。超々長回しで、鑑賞中いつの間にか引きずり込まれていた。キャストにとっては、ここまでの長回しだと厳しいだろうが、正に映画人としての真の力量をアピールするには絶好の作品でしょうね。 ところで、ラストシーンの劇場でリーガンが頭蓋骨に拳銃で撃ち込むシーンが、理解に苦しむ。本物の拳銃を使用しているんでしょ?なのに、鼻がもげて入院している。凡人の私には、場面の結び付きに苦慮しました。今でも、分ってません!

  • 鑑賞日 2015/9/3

    キネマ旬報シアターだけで3度目の鑑賞。 (柏の映画王対策?)

  • 鑑賞日 2015/8/31

    キネマ旬報シアターだけで二度目の鑑賞。 前回コメントを書き忘れたので、少しだけ。 劇中劇としてレイモンド・カーヴァー原作の「愛について語るときに我々が語ること」が使われている。久し振りに原作を読み直してみることにした。村上春樹訳の「愛について語るときに我々が語ること」ではなく、同じ村上春樹訳の「ビギナーズ」。私も今回初めて知ったのだが、「短編集『愛について語るときに我々が語ること』にはアグレッシブな担当編集者による大胆な改変、削除が施されていた」と。映画ではどちらの版をベースにしたのか不明だが、第一幕(二つの夫婦がテーブルに座り、本当の愛とは何なのかを語る)と思われるものは「愛について語るときに我々が語ること」を使用している。最終幕(ベッドで浮気していると思われる男女に向かって、女の夫(?)がいきなり登場して拳銃自殺する)は「愛について語るときに我々が語ること」以外の作品であることだけは判明。機会があれば、どの短編をベースにしているのか調べてみたいなぁ。

  • 鑑賞日 2015/9/3

    ハリウッドの開き直り

    ほぼ全編に流れるドラムが素晴らしい!量産されるヒーロー映画へのブラックユーモアだろうが、身内の言い訳に聞こえてしまうのは残念。

  • 鑑賞日 2015/5/4

    楽しい!

     アカデミー賞作品賞受賞で  予告がカッコいいので楽しみにしてました。  アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作は  21グラムだけ見てます。 (アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、  アルフォンソ・キュアロン、ギレルモ・デル・トロの  三人は共同で映画製作会社を作る程の仲らしい!)  今作は重い映画を撮るイメージの  アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥらしからぬ、  コメディ映画!  主役の三人のマイケル・キートン、  エドワード・ノートン、エマ・ストーンの三人は  いずれもヒーロー映画に縁(因縁のある)三人。 (マイケル・キートンは初代バッドマンを演じ、  エドワード・ノートンはパンフレットによると  インクレディブル・ハルクで配給会社から追放され、  エマ・ストーンはアメイジング・スパイダーマンに出演し、  さらに再リブートが決まる。)  マイケル・キートンは自分自身にこの役を重ねたのか?  と思いきやそうではないとの事!  エドワード・ノートンの私生活はクズの実力派俳優役  超最高でした!  俺の代役は(ライアン・)ゴズリングか?  に代表される映画俳優ネタのシニカルな笑いも最高!  またバードマンとなり空を飛びブロードウェイに着いたと  思ったら…。とか結構笑えました!  主に部屋からの移動時に使われるドラム音最高! (オープニングのドラム音と文字の演出も最高!)  全編ワンカット(に見える)映像も最高!  撮影監督はトゥモローワールド、ゼロ・グラビティの  長回しでその名を馳せたエマニュエル・ルベツキ。  この映像が相当凄い!  長回しの撮影は即興的に撮らずに全てのシーンを綿密に  計算して撮影したらしく、  どれほどの苦労があったかと思うと頭が下がる。  映画スター、ヒーロー映画の役者(笑)  と周囲から嘲笑されたため、  自らを役者として周囲に認めてもらうために  ブロードウェイの舞台に立った男が、  映画スターの何が悪いんだ!俺は映画スターなんだ!  と自分の存在を肯定するシーンがアツい!  ラスト、エマ・ストーンが空を見上げるのは、  彼が再びバードマンとして、  つまり自分を映画スターとして認め、  嫌いだった自分の存在を肯定した!  そんな父を娘も肯定した!  というラストなのかなーと思いました。  自分は楽しかったのですが、  アカデミー賞作品賞受賞だから観に来た  普段そこまでは映画を見ない方はそんなに面白いと思わず、  これがアカデミー賞作品賞??と思いそうだなと思った。  シネコンで観たのですが、  やはりそこまで映画を見ないと思われる方が多かったので、  劇場のウケとしてはイマイチな空気と、  よく分からなかった…。  という雰囲気に包まれていた。 (やはり伏見ミリオン座で観た方が良い雰囲気で観れたと思う)  それは一般的な日本の笑いの文化に  皮肉を笑う!という文化があまり無いのも一因なのかなと…。  勘違いされがちですが、  アカデミー賞作品賞=1番良かった映画!  ではないので…。  批評家、SNSの映画への盛り込み方で、  シェフ三ツ星フードトラック始めましたを思い出した。  SNSによって誰もが情報(感想、批評)を  発信、共有出来るようになって、  SNS批評に対する問題意識が強まっているのかな? コピー  もういちど輝くために、  もういちど愛されるために、  すべてを手放し、羽ばたこう。

  • 鑑賞日 2015/9/1

    バードマンという人気ヒーロー映画に出て以降、主演作に恵まれ無かったマイケル・キートン演じる主人公がブロードウェイの舞台で一発当て自身の再評価を目指すため悪戦苦闘するという話で、ダーレン・アロノフスキーのレスラーやブラックスワンの様にメタ構造的な映画になっている。 特に主人公をマイケル・キートンを演じているというのがポイントで、この人はティム・バートンのビートル・ジュースで脚光を浴びて、その後バットマンで一躍スターになるのだけど、その後はパッとせず最近だと俳優よりも声優としての方の活躍が目立つ。しかも劇中で主人公が演じたバードマンの最終作が1992年となっているが、マイケル・キートンが演じたバットマンの最終作も1992年なので、どうしても劇中の主人公とマイケル・キートンが重なって見える。さらにバードマンの造形がバットマンのそれと似ているので、余計にバットマンに囚われたマイケル・キートンという構図が強調された作りになっている。 さらにメタ的な作りになっているのが、劇中で度々言及されるヒーロ映画つまりビッグバジェット映画に言及されていて、ロバート・ダウニーJrをブリキ野郎と言及したり、事故で役者が怪我をして代役を探すことに、そこで候補に上げる役者が軒並みマーベル映画の撮影中で無理と言った展開が用意されている、そこでハルクを演じたエドワード・ノートンが起用されるのは皮肉な話ではあるが・・・。 終盤で主人公はアベンジャーズのNY決戦的な現象を起こしてから、観客に向かって「お前ら本当はこういうのが見たいんだろ!!」と問いかけたり、ブロードウェイの住人たちからは元ハリウッドスターの主人公は役者では無いと見下されたりと(これは日本で言うと東京中心に活躍していた役者が、いきなり太秦に乗り込んで時代劇作るようなものかもしれない)、主人公の話と同時にエンタメ業界の置かれている現状を描いているのも面白い。 例えば批評家のタビサは主人公に「あなたがハリウッドへ返り咲くために演劇なんか始めたせいで、上演するべき舞台がひとつ無くなってしまった」と批判する。これはブロードウェイ固有の問題に聞こえるが、映画も同じ問題を抱えていて、シネコンの優先順位は映画の出来ではなくて資本で決まっているし、時には興行収入ですらない。そう言ったエンタメ業界の置かれている現状をシニカルに描いている。 映像的にはトゥモロー・ワールド以降、アルフォンソ・キュアロンと共にエマニュエル・ルベツキが熟成したワンカットライクな撮影編集技法は本作では完成の域に達しており、普通に見ただけではまず繋いでいる箇所が分からない作りになっている。あとオープニングのドラムに合わせて出てくるタイポグラフィがカッコイイ。 演技も主演のマイケル・キートンは、彼じゃないとこの役は演じられないだろうし、問題児だが演技は天才という役を演じたエドワード・ノートンはカメレオンぷりを発揮していてよい。主人公の娘を演じたエマ・ストーンもファザー・コンプレックスから問題行動を起こす娘を好演していて良い。 映画としては映像的にもストーリー的にも非常に良いのだが、前述のメタ構造がアメリカのエンタメ業界の話なので(実は日本も似たような状況ではある)そこが分からないと、終始奇妙な話に思えてしまうので、そこが勿体無い。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    奇々怪々で虚構と現実の狭間を漂う作品

    冒頭から主人公は『うん???』と思うようなシーンがあり 彼は何者なのか、普通の人なのかと思わせる。 そこから始まる不思議な物語。 すべてを手にして、失った男の再起をかけた舞台への日々のようで まるでその再起すらしなくてもよさそうな空気感があり しかも精神的に荒れ過ぎていて、どちらを求めたいのかがハラハラドキドキ。 なんだか破滅したがってるような… ただ見ていて主人公以上にその存在が気になったのが批評家のタビサの存在。 舞台を見もしないで、自分の好き嫌いだけで批評を書こうとしていた姿勢があったことに絶句。 『あぁ、こんな人に懸命に取り組み事を批評されてその後の人生すら左右されてしまうこともあるんだなと』 ここでのレビュー一つとっても実は『塵も積もれば山となる』の塵の一つになりえるんだなと。 見ないでレビューするなんてダメだなと。 その事だけは改めて感じたかな。 作品世界の虚構と現実の狭間は、そのラストシーンに至るまでどこにあったのかがわかり切らないという情けない理解力の私を実感しました。 見る人を選びそうなアカデミー賞作品賞受賞作品だったと思います。

  • 鑑賞日 2015/4/14

    なんとも困った神経衰弱的コメディ

    うーむ、どういえばいいのかしらん。 パワフルな映画なんだけれど、いわゆる普通のドラマではないよなぁ。 過去、ヒーロー映画に主演した落ち目のズンドコの人気俳優が、再起をかけて舞台に挑戦。 それも、村上春樹も敬愛するレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』を自らの脚本・演出・主演で行うというのだ。 (レイモンド・カーヴァーの小説も何編かは読んだことはあるが、この作品はどうだったかしらん) 日本タイトルの(副題)から想像するに、 ・再起する ・それも何か予期しないことがキッカケとなって なんてハナシだろうか、と期待するところ。 いやいや、そんなことはない。 とにかく、再起をかけた男の焦燥感は、とてつもなく大きい。 のべつ幕なしに、過去演じたヒーローの幻聴が聞こえてくるのだから。 映画は、その焦燥感を、ズンズンと響くドラムで表現するとともに、全編ワンカットと見紛うばかりの映像で眩暈させてくる。 おぉ、凄い、こんな映画観たことない!と驚いて魅入ってしまう。 が・・・ どうも中盤あたりから、集中力が途切れてきました。 なんなんだろう、これ。 どうしてかしらんと思うに、全編ワンカットと見紛う衒った映像表現が冗漫に感じられたのです。 シーン替わりをする際に、度々登場する劇場裏の曲がりくねった廊下。 そこを行く主人公(や他の登場人物)の後ろ姿。 この曲がりくねった廊下を行き交うことで、迷路のような心を表現したのだろうが、何度も何度もみせられると、いい加減疲れてしまう。 あぁ、もっとテンポよく進んでくれ。 舞台と舞台裏をカットバックでみせてくれ、なんて思いました。 とはいえ、そうすると、クライマックスの舞台シーンまで一気にみせる(幻影に悩まされながらも、実際のシーンだ)という意図が崩れてしまうからだろう。 で、クライマックスのあとのシーン。 ええ、これ、何? と、面喰うこと間違いなし。 これって・・・主人公はホントウは●●でいる、ってことだよね。 日本タイトルの(副題)、どうも意図的に、「奇跡」なんて語句を用いて訳しているようだ。 原題の「THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE」。 映画の内容に沿って訳すと「愚昧さによってもたらされた想像もしなかった効果」とでもなるのだろう。。 あまりの愚昧さによって主人公が舞台で●●でしまったことで、結果として、再起以上の効果を上げた、ということ。 つまり、かなり「神経衰弱的なコメディ」なわけだ。 そう思ってみると、脚本では随所に笑いを誘うようなくすぐりがある。 エドワード・ノートンとナオミ・ワッツの絡みも笑えるし。 そもそもノートンが登場するまで彼の役をやっていた俳優の突然の事故なんて、どう考えてもコメディ。 でも、イニャリトゥの演出は、笑うことを許さない。 それだけパワフル。 いやはや、なんとも困った作品だ。

  • 鑑賞日 2015/4/15

    なんか違う…

    長回しがすごい、ノートンの下半身がすごいと多くの高評価を聞きながら、最近最も期待していた作品を観に行く。心情を表すドラムロールに刺激され、流れるようなカメラワークに引き込まれ、好みのストーリー展開に心を奪われた。 ……なのに満足できない。好きで面白いのになんか違う。

  • 鑑賞日 2015/5/17

    ウヒウヒ映画なのか?

    劇中劇で使われる「愛について語るときに我々の語ること」、読んでみたわけですが、この映画では、舞台上よりも現実世界の中で、小説のエピソード、それも直接描写ではない間接的なエピソードを、巧みに盛り込んでいるのです。非常に高度な脚本です。 それで気付いたんですが、小説は4人の会話劇で、噂話にだけ登場する第5の人物がいるんです。その5人目の人物こそ、この映画のマイケル・キートンであるように思えてくるのです(実際舞台のラストシーンはそうなんだと思う)。 最初私は、この映画『鬼火』なんじゃないかと思ったのです。いや、望月六郎じゃなくて、ルイ・マルの。手法はヒッチコック『ロープ』なんだけどさ。 だけど、ふと気付いたのです。イニャリトゥはいつも「喪失と再生の物語」を描いているのではないか?ということに。 そう考えると、この映画も、今までのイニャリトゥ作品も、グッと分かりやすくなってくる。いやまあ、基本、この人の映画は難しいんだけどさ。そして何だかよく分からないカーヴァーの小説も、この映画を観ると何か掴めるような気がしてくるのです。まあ、気がするだけだけど。 ところでこれ、米アカデミーにとってはウヒウヒ映画だったのかなぁ?俺はハリウッド的ヒーローを馬鹿にしたウヒウヒ映画に思えたんだけど。なんだ、やっぱりウヒウヒ映画なんだ。

  • 鑑賞日 2015/6/3

    落ちぶれた映画スターが、再起をかけて舞台に挑む物語。 映画界を、社会を批判…これは批評というべきか、シーンのそこそこで語る。 特に批評家vs主人公のシーンは見もの。 アカデミー賞の賞レースの中で、玄人好みと言われていたのはこんなとこにもあるんでしょうねーと思いました。

  • 鑑賞日 2015/4/16

    くっそおもろいな! イニャリトゥの「バベル』は2000年以降の最高作のひとつだと思っているけど、これもすごい。過去の栄光から逃れられないアル中落ちぶれオヤジの錯乱と死と再生の物語。 途中まで、エドワード・ノートンすごいなーと思ってたけど、あの服挟まるシーンから先はマイケル・キートン一世一代の演技に圧倒された。 あの全編ワンカット風の作品としては、去年の日韓合作映画『ある優しき殺人者の記録』ってものすごい変わり種の傑作もあるのでこちらもぜひ。 マイケル・キートン一あれで主演男優賞取れなかったのか

  • 鑑賞日 2015/5/28

    独特の浮遊感を愉しむ体感映画

    過去のイメージを捨てたい男の話。イニャリトゥにとって、これはまた批評家受けする話題の多い作品となった。 全てがなるほどとは思えないが、自分的にヒットした部分としては、まずアントニオ・サンチェスのドラムソロが被る空間移動とソフィスティケートされたクレジット。 それとやはりワンショットのキャメラワーク。独特の浮遊感を感じる。下手な3D映画よりも臨場感が半端ない。結果、当然カット数は、極端に少なくなるわけで、撮影時のスリリングな様子に思いを馳せて実験精神を愉しむのもいいかもしれない。 ただ、キャメラがあまり作品の舞台となる劇場から出ないので閉塞感がある。閉所恐怖症の人には苦しいかも。

  • 鑑賞日 2015/5/27

    映像と音楽は特別

    さすがにアカデミー賞作品であった。過去の栄光を忘れられず、何とかブロードウエイでもう一花咲かせたい主人公の内面が形として表現される。ここにかぶる音楽がドラムを中心に使って主人公の気持ちの変化を表現している。また、映像はカットなしで撮ったように感じる編集がなされており、これも違和感がない。マイケルキートンのバットマンとバードマンが重なり合ってる部分が感じられた。ストーリは分かりにくい部分があったが、役者のピークが終わった男の人生の再生をと見れば理解できる。

  • 鑑賞日 2015/5/13

    臭いが伝わってくる感じ。 たまに、今どこの世界にいるのかわからないと 思うことがあった。

  • 鑑賞日 2015/4/22

    いいなあ、エマ・ストーン

     冒頭からマイケル・キートンが、座禅してるような格好で宙に浮いてるんだよね。あー、こいつは手強わそうだなあ、と思って座席に深く座りなおし、ほとんど挑戦的に見始めたけれど、切れ目のないワンカット撮影のような画面が延々と続いていくうちに、手ごわい相手と対決するという覚悟は、いつのまにか魅力的画面に吸い取られてしまった。これこそ映画だなあ。映画ならではの表現をこれでもかと駆使してくる。こいいう映画はただ楽しめばいいのだと思ったら、リラックスして独特の世界観に浸ることができた。空を気持ちよさそうに飛んでいる場面でも、何の疑問も感じることなく楽しんでいた。でも、ラスト近く、連続する画面が切れちゃったよね。あれはどういう意図なのだろう。あそこまでしたというのに、どうせなら最後まで貫いてほしかったなあ。窓から身を乗り出して、空を飛ぶバードマンを見上げる娘の姿の美しいラストショットまでね。  マイケル・キートンとエドワード・ノートンの変な凄い奴ぶりは多くの人が語っているだろうから、ここではエマ・ストーンを褒めちゃおう。いいなあ、エマ・ストーン。女優だよねえ。あの大きな瞳に吸い込まれちゃいそうだ。ちょっと前に見たウディ・アレンの「マジック・イン・ムーンライト」の小悪魔のような可愛らしさとはうって変わって、こんどは内に激しい感情も秘めた娘を演じて、アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされたほどの演技派ぶりも見せつけてくれた。これからも要チェックの女優には違いないです。

  • 鑑賞日 2015/5/14

    むむむ…★

    難しかったー🙈 「バベル」も「21グラム」も難しかったけど、どっちも当時観たいと思った監督の最新作。 今回もやっぱし観たいと思わせられて、観てしまった★ 終わった時はホントに訳分からなかったけど、帰り道、それからベッドの上でのんびり思い返しながら考えてみたら、そんなに複雑なことでもなさそうな気がしてきた。 表現者としてのプレッシャーや、ライバルへのプレッシャーに圧迫されておかしくなっていくあの感じはブラックスワンによく似ていたけど、 ワンカットのように見せる撮り方は今までになくておもしろかったなあ✨ そして生意気だけど演技が抜群に上手い役を演じたエドワード・ノートンの演技も、ばっちりハマっててよかった😊 舞台映画らしく、場面転換でそのままシーンが切り替わって続いていく見せ方も飽きなくておもしろかったし、ドラムの音楽の入れ方もよかった🌟 あれ❓ 考えれば考えるほど、やっぱしこの映画おもしろかったなあ✨ 時間をおいてもう一度観たい❗️ 映画全体の重苦しい展開から、最後は主人公が死ぬような暗い結末かと思ってたけど、あれはハッピーエンドだったんだなあ🍀 ケガした後の包帯姿がバードマンそっくりだったけど、それを自ら取り去って最後はつきまとっていたバードマンの幻影にトイレでさよならを告げる。 そのあとは再生。 家族とも繋がって、鳥になって自由に羽を広げて羽ばたく😊 不安定な状況の中で主人公が栄光、転落、復活、再生と生き返っていく感じがよかった✨ 個人的には、 途中主人公が街中を飛び回るシーンで、 わあー。なんだこの映画ー…😦 って思ってたら、実は空を飛んでる気分で普通にタクシーで劇場に来てたり、 頭の中で流れてる音楽を突然、音楽やめ!って指示するシーンが好きでした★

  • 鑑賞日 2015/5/14

    世代交代の恐怖

    まず、この映画。 前評判通りの切れ目のない映像は、今までここまでの長編では経験した事がなく、斬新で面白かった!でも、目を休める暇がなく、中盤になると乾燥してきてシパシパしたのはちょっと辛かったです…笑 物語の内容は、現実なのか夢なのか。ふたつの世界を行ったり来たりするので、ついていくのが大変で非常に難解でした。賛否両論、分かれる理由がよく分かりました。 しかし、自分に置き換えたら、何となく分かる気がします。若い時は知識が無くても勢いだけでやってこれる部分があります。でも、歳を重ねてくると、その勢いも衰えてきて、新たな若手の台頭に自分が不要になる恐怖に怯える時がやってきます。そんな時は、もがき、苦しみ、何とかしたいけどうまくいかない。この映画は、誰もが経験するその恐怖を、ひとりの俳優を通してうまく表現していると思います。 自分の存在価値を保ち続けるには、過去に固執せずに新たなものを受け入れ、日々挑戦していく事が必要と諭してくれる映画でした。

  • 鑑賞日 2015/5/13

    うーん…ブラック・スワンと似た匂いがする…? サスペンスかなあ。あのあと人が来たけど、外国人で、私にはよくわからないタイミングでゲラゲラ笑ってた。やはり翻訳しきれないニュアンスとかあるんだろうなあ。 カメラの回し方が独特で、ずーっとワンショットで長回ししてるような切れ目のなさ。そこで現実と非現実が切れ目なく続いていくから、主人公と同じくどんどん不安になっていくのでした。奇行なのか、彼の言う超能力なのか…。 なにか酒のまずくなる映画だったのじゃ…。

  • 鑑賞日 2015/5/1

    まずキャストで笑わせる「バードマン」

     代表作「バベル」に見られるように、やや難解な不条理劇が真骨頂のメキシコ出身のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督が、ブラックネタの不条理劇をまたまた提示した。   かつて「バードマン」というヒーロー映画で一世を風靡し、今や落ち目となった俳優が再起を図るため、自分が演劇の道に入るきっかけとなった文学作品をブロードウェイで舞台化しようと試みる。彼の人生を賭けた舞台の幕は次から次に起こる事件で予想もつかない展開となる…。  「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」はまずキャストで笑わせる。  だって「バードマン」を演じるのが、かつてダークヒーロー映画「バットマン」で主役を演じ、最近あまりパッとしないマイケル・キートンだからだ。これは、まるで彼の実生活そのものの映画みたい。しかも、絶対に本命とされていたアカデミー主演賞をあれだけの熱演にもかかわらず、取れなかったことも、まるで映画を地でいくようで可哀そうだが笑ってしまった。  巷では、一見全編ワンカットかのように撮影されている映像が凄い評価になっているが、これはアレハンドロ監督の計算づくの手法で、本作は何と言ってもマイケル・キートンに尽きる映画だ。  

  • 鑑賞日 2015/5/9

    イニャリトゥはインターナショナル園子温?

    そのこころは……俳優たちがすごいテンションで演じてたからです。そういう意味では「セッション」もそうかも。いずれも無茶だけど、おもしろかったー。

  • 鑑賞日

    これは!? 究極のブラックコメディ?!にして 究極の裏メルヘン?!にして 我々年代ならではの哀愁も?! 「超能力」がありながら?「超能力」があるからこそ?、とか 大拍手する観客の中でひとりだけ即帰ったヒトがいたね、とか ディテールをディープに語り合いたくなる一作、、、

  • 鑑賞日 2015/4/12

    イニャリトゥの演出法は好き嫌いが分かれるが、傑作なのは確か。

    今年2015年のアカデミー賞最優秀作品賞受賞作。監督は「アモーレス・ぺロス」のアレハンドロ・イニャリトゥ。かつて「バードマン」というヒーローもので一躍世間に注目されたが、今は少し落ち目にある俳優が、自身が主演プロデュースをする舞台で復活を賭ける物語。主演は、本作でアカデミー賞主演男優賞候補になったマイケル・キートン。映画好きの人なら、キートンでヒーローものというと、”バードマン”よりもティム・バートン版「バットマン」でしょう、、と思うのですが、今のキートンの境遇を考えると、本作の主人公リーガンほど落ち目ではないものの、昨今に映画を観始めた人なら、すでに過去の人の部類に入っている感があるので、彼自身の物語も上手く映画の味として投影されているところも多分にあるのかなと思います。 イニャリトゥ監督は日本でのデビューとなった「アモーレス・ぺロス」でも、「21グラム」でも、「バベル」でも、カメラのフレームいっぱいに登場人物たちを映し出すというのが特徴。手持ちカメラのフレーム感も巧みに利用し、スピード感ある物語に、登場するキャラクターの納まらない心を見事に表現しています。僕はこういうやり方を”近視眼的”と呼んでいますが、他の監督でいうと「レスラー」のダーレン・アロノフスキーも近視眼的な作品を撮る人だなと感じています。この表現、ダイナミックで非常にいいのですが、同時に物語がどこか落ち着かなく、作品を一歩引いたり、高い目線から見ることをすごく拒むように感じて窮屈に感じるのも然りなのです。アロノフスキーは静と動のバランスをちゃんととるのですが、イニャリトゥはずっと動のまま(場面的には、静の部分も確かにあるんだけど)。おまけに、今回はリーガンが演じる劇場周辺のすごく狭いエリアで起こる物語なので、作品の拡がりというところを感じることができなくなっています。 それを覆すのが、ラストでの”バードマン”の降臨。この表現はすごく驚いたし、アカデミー賞の要素も、ほぼこの一点に尽きるといっても過言ではないかもしれません。狭い空間で起こっていた話が、このラストで大きく拡がり、更に現実と虚栄の境をも超越していく。ここでは何が嘘で、何が真実であるのかというのも、何が生で、何が死であるのかという境界さえも突き破っていくのです。しかし、これがリーガンも、その家族にとっても本当の幸せだったのか、、、これは観た人がどう感じていくかに(突き詰めると)なるんでしょうね。 キートンの演技も素晴らしいのですが、僕はそれ以上にお久しぶりにスクリーンであったエドワード・ノートンのカメレオンぶりが見事に感じました。序盤の、この二人の俳優が舞台が熱く交わす舞台論は、そのまま彼らの仕事の流儀にかぶってくるように思えてなりません。

  • 鑑賞日 2015/4/12

    情弱

    メキシコ人監督アレハンドロ・G・イニャリトゥの最新作にして、自身に初のオスカーを獲得したブラックコメディ作品。過去に固執するあまり、時代に取り残された男リーガンをマイケル・キートンが演じる。 タイトルにある「無知がもたらす予期せぬ奇跡」とは、リーガンが主演と演出を務めた舞台の本公演を見た批評家の言葉である。この言葉の意味をリーガンの境遇から考えると、時代に合わせて賢く生きること、広い意味で「要領よく生きること」が必ずしも正しいわけではない、という風にとれる。彼の行動は裏目に出てばかりで、娘や元妻との関係性、共演俳優との衝突、そもそも過去にバードマンを演じたことが足かせになり、再起をかけて挑んだ舞台も失敗しかける。そして、極めつけの様にブロードウェイの大通りをブリーフ一丁で歩く羽目になる。では、どのようなプロセスを経て、最終的に彼にどのような変化があったのかを探るにあたり、実はそこでエマニュエル・ルベツキのカメラにヒントが隠されているのだと思う。 もちろん全編をワンカット風に見せているのが最大の特徴であるが、もう一つ非常に印象的なのが、キャラクターに異様に接近しているという点である。ルベツキのカメラはキュアロンにしろ、マリックにしろ、私が観た限りでは他の作品でも似たような撮り方をしているものの、本作においてはこの手法自体が、作り手のメッセージとかみ合っていると思う。被写体に接近しているということは、つまり余白が少なくなっているということであり、ここでいう余白とは小説でいうところの行間と言える。すなわち、視覚的には観客がほとんど物語に入り込む余地がないまま進み、ラストで主人公の姿を見せずに終わることによって、一気に想像力を刺激するという効果を生んでいるのである。 余白を読むことは、作り手の真意を探ることに違いないが、個人的にそれ以前に前提として自己との対話が必要なのだと思っている。なぜなら映画内にすべての答えが描かれているわけではなく、何か答えを見つけ出すには、作品と自らの過去の経験をすり合わせていくしかないからである。そこで得た答えが、自らの糧になるのではないだろうか。これは非常に回りくどい生き方であるし、それこそ他人に自分がどのような人間か教えてもらった方がずっと手っ取り早い。しかし、他人に教えてもらった答えを鵜呑みにしているだけでは、決して自身を変えることはできないだろう。 そして、ブロックバスター映画に対する皮肉が込められているのも本作の特徴である。ブロックバスター映画それ自体が悪いというわけではなく、そこに観客が入り込む余地があるのか、そしてその余地があったとしてそれを読み取ろうとする観客がどれほどいるのかが問題なのだと思う。さらに、そのような現状を作り出したハリウッドと言う映画界における絶対的な権力に対する、メキシコ人監督らしい批判も感じられた。

  • 鑑賞日 2015/5/6

    あなたには愛される価値があるわ

    もちろん一世風靡したスーパーヒーローの境地は想像するしかないのだけれど、誰しも人から認められたいし、愛されたい。なのに自分の存在なんか無意味だと思ってしまった瞬間があるのではないか。 そんなネガティブな思考にとりつかれてしまった、哀愁漂うオジサンは、意外にもチャーミングだ。このオジサンが手がける舞台の台詞が、そのまんまオジサンの気持ちとシンクロしている。二重、三重に切ない。たくさん笑って、ちょっぴり泣いた。 こんなオジサンを演じたマイケル・キートンもエライが、自身も売れるまでに時間がかかったというナオミ・ワッツが下積みの長い舞台女優をなりふり構わず演じているのもエライ。 そして、もともと大きな瞳を太いアイラインで縁取りして、ものすごくビッグアイズなエマ・ストーンのやさぐれた感じが、超クール。ラストショットのあの表情! パンツ一丁のオジサンが走る絵づらは(ジョージ・クルーニーならまだしも(笑))、決して美しくはないけれど、ロングテイクのカメラワークは臨場感たっぷり。ドラムのサウンドと共に気分を盛り上げる。 覚えきれなかったけれど、 マイケル・ファスベンダーに、 ジェレミー・レナ、 ライアン・ゴスリングに、 ロバート・ダウニー・Jr.、 マーティン・スコセッシに、 ジョージ・クルーニー。 名前を使われた映画人は嬉しかっただろうな。(気の毒なメグ・ライアンを除いて。。。) 中高年向け、かなりシブいコメディであり、ファンタジー作品、かな?

  • 鑑賞日 2015/5/6

    虚構で生きる

    主人公はかつてレイモンド・カーヴァーに演劇をほめられたことを誇りに思い、役者を志す。スーパーヒーロー映画で一躍時の人となるが、ゴシップにまみれながら完全に落ち目になってしまう。再起をかけ自分で演出・脚本・主演を手掛けた演劇を発表するが、演劇の世界の人からは忌み嫌われる。演劇の世界どころか、実の娘からも嫌われる。 かつてスーパーヒーローを演じた自分を主人公は嫌っていて、自分じゃなく「バードマン」を観る世間を嫌がり、自分を観てほしいと思って演劇で再起をかけたんだと思う。劇中低俗とか有名人なだけで役者じゃないとか散々なことを言われるけど、実際主人公もそれは痛感していたんじゃないのかと思う。娘からもめっちゃけなされるし。 この映画は、そんな主人公に対して「それでいいんだ」と言っている。お前は無敵のヒーローなんだ、それでいいんじゃないかと語り掛ける。お前は虚構の世界ではヒーローなんだ、現実なんかクソでもお前はスーパーヒーローなんだと。いいこと言ってると思う。俺も虚構の中で生きたい。 劇中、演劇の世界がいかに狭いものかというのが端的に示される。超有名舞台俳優の勃起動画はYoutubeで5万再生しかされないし、一人の批評家の評価でロングランが打ち切りか決まる。そして映画の世界の有名人のような人たちを批判して狭い芸術の世界で生きている。そういう人たちをこの映画は肯定しているように思う。舞台でも映画の中での超有名人でも、虚構で生きるということを肯定した作品なんだと思う。 そう考えると、このワンカット長回し風の撮影はかなり意味があるように思う。観ていて明らかに変な雰囲気になるものね。この映画そのものが「現実」と「虚構」の間にいるかのように錯覚させられる。正直これだけでもすごいのだけれども、単なる技術に終わらず、「虚構の中で生きる」というテーマを扱う上で非常に重要な撮影だったようにも思う。 ラスト、主人公は自分を撃って、演劇界から激賞される。鼻を撃ち黒ずんだ鼻と目元はまるでバードマンのよう。今まで取りついていたバードマンの亡霊を取り払って見せ、彼そのものがバードマンになったのだ。彼はバードマンにささやかれるまでもなく、自らスーパーヒーローとして飛び立つ。虚構を受け入れ、虚構と一体化し、新しい自分と新しい世界に生きる。なかなか高度な話だと思う。 映画が好き、演劇が好き、本が好き。なんでもいいけど、フィクションが好きな人はこれはハマると思う。まあ、業界人ウケと言われたらそれまでだけれども。

  • 鑑賞日 2015/5/6

    二日酔いに響く映画

    二日酔いでして。 眠いから最初のとこ、寝ちゃったんだけど。 舞台が私がNYで、泊まったホテルだったと気付いてから目が覚めた。 アカデミー作品賞受賞作って事ですが。 何しろ上映館が少なくて。 GW中に2度めのTOHO新宿来場。 目の覚めるドラム音が彩るのは自己中な人々と鬱なおっさんの鬱な物語。 と悪い子ちゃんのエマストーン。 細い身体にロックTが激かわゆす。 最後はね。もう私にはわかんないけどね。 うん。

  • 鑑賞日 2015/5/5

    人間は誰もがどこかで特別な存在になれる(?)普遍的欲望を胚胎したファンタジー。

    かつてスーパーヒーロー「バードマン」を演じて一世を風靡した、マイケル・キートン演じる主人公の映画スター、リーガンが『あの人は今』でしか取り上げられない存在になってから、一発逆転を狙ってブロードウェイの演劇を自ら主演・演出・プロデュースする。レイモンド・カーヴァーを原作にした劇のタイトルは「愛について私たちが語るときに私たちが語ること」といういかにも回りくどいもの。取材に押し寄せる記者たちも「バルトの指摘によれば…」「そのバルトって誰よ?バードマンの何作目に出てくるキャラ?」「ええっバードマンの4作目作るんッスか!?見たいなァ」等と、スノッブから単なるアメコミファンまでごたまぜ状況。それにしても面倒なスノッブがロラン・バルトを引用したがるのはアメリカも日本も同じようだ。うんざり顔のリーガンが舞台裏に戻ると、キャスティングは最悪の混沌に陥っており、落下した照明器具が脳天にぶつかって降板した大根役者の代打でブロードウェイの花形役者エドワード・ノートンがやってくるのだが、芸術と変態の境目をふらついているみたいなこの人物により、舞台は引っ掻き回されまくる。ドラッグ中毒のリハビリで付き人業をやっているリーガンの娘はちょっと目を離すとハッパ吸ってるし、ハッパの吸い殻片手に説教すれば目を剥いて(エマ・ストーンなんで眼力がハンパない)こんなクソ芝居やって演劇ファンの老人にちょっと見られたところで、SNSのタイムラインにちっとも乗らないんなら父さんなんかこの世に存在しないのと同じよ!(←言いすぎw)と噛みついてくるのだった。 しょんぼりせざるを得ない父親にして元映画スター。こんな目茶目茶なことになるはずではなかった、俺は時代遅れのスーパーヒーローのイメージを脱して、かつて役者になるきっかけを与えてくれたカーヴァーの舞台化で新しい自分を売り出すはずだったのでは…と自問するリーガンの耳に、バットマンいやバードマンの低く野太い声が響く「それは本当のお前なのか?」… 多種多様な要素が目まぐるしく同時進行で動く劇場の舞台裏の空気感が長回しを駆使して表現されていて、そこにドラムのみによる劇伴音楽が重なることで映画のリズムが小気味よく刻まれ、一寸も間延びせずノッて見ることができる。そう、あの気絶しそうに退屈だった「バベル」と同じ監督とは思えないほど…(←余計な追記)。主人公の内面の葛藤と周囲の濃すぎるキャラクターとの衝突によるドラマを前面に描きながら、背景にアメコミヒーロー依存のハリウッド映画界の現状と、そんな映画界をはるかに見下すブロードウェイ演劇界の意地とのカチ合いぶり、まったく文脈の違うところで暴走するネット上のシェアカルチャーという文化三つ巴状況を描写していて盛りだくさん。それにしてもブロードウェイに芝居を見に行ったこともなければ行こうと思ったこともない自分にも、こういう対立があるのか~等と分かった気にさせるのは巧みというべき。 見どころの多い映画ではあるが、エマ・ストーンの口からふとこぼれ出る「父は埋め合わせで私の事を『お前は特別な存在だ』と言ってきた」というセリフはこの映画の核心的なところだろう。人間だれしもどこかで自分のことを特別な存在だと信じたがっているし、特別だと思わせてくれる人を求めている。鬼ババ演劇記者に「あんたは役者じゃない、ただの『有名人』よ!」と断言されるリーガンは、その後本人の全く望まない形で、娘が認めるネット社会で「特別な存在」になってしまうのだが、それでも彼は「俺は無だ」という思いから逃れられない。一世を風靡したバードマン役者ではだめで、ネット炎上の張本人でもだめで、一体どうなったら自分で自分を認められる「特別な存在」であり得るのだろうか…? この映画がクライマックスで用意するシーンは正直回答としてあまり納得のいくものではなかったが、万人が胸の中に持っているテーマを重層的なドラマの中にうまく織り込み、テンポよく仕上げられた良作と思った。 劇伴について、アントニオ・サンチェスのドラムの他にちょいちょいクラシック音楽が使われている。カーヴァー劇の最中にマーラーの交響曲第9番のアダージョが使われるのは、何ともいかにも感が出すぎていてこれ自体ギャグなのかなと思うのだが、気になったのはアクション映画内世界と現実世界が交錯する劇中唯一のスペクタクルシーンで、ジョン・アダムズのオペラ「クリングホーファの死」のパレスティナ難民のコーラスが使われていたこと。ドラマチックな曲だからこういう当て方はできるなとかねてより思ってた曲なのだが、確かこのオペラ、パレスティナ・ゲリラの描写が反ユダヤ的だと親イスラエル団体が主張する一種の炎上案件(2014年秋のメトロポリタン歌劇場公演にはジュリアーニ元NY市長を筆頭とする一群の抗議デモが詰めかけた)だったはず。あえての使用なのか、それとも単にいい曲だから使っただけなのかなあ等々思った。

  • 鑑賞日 2015/5/4

    マジックリアリズム

    って言葉がありました。そういう、現実を緻密に描きながらふっと人が空を飛ぶ、みたいな世界がすごく好きで、そういう自由が許されるのがフィクションの最高の楽しさだと思っているので、こういう映画には弱い!人間が中心にあって、「ヒーロー俳優だった男が終わりに向かって加速していく映画」なのですが、加速を続けて最後に終わる、のではなくて、加速しつづけても永遠に終わりには到達しない(なにかの数式みたい)感じの終わり方。苦い現実から逃避するのではなく、苦さだけを想像力でふわっと包むような。 マイケル・キートン素晴らしい。この主役以外の人生があると思えない。エドワード・ノートンはやっぱり濃いけど、意外にヒューマンな役。エマ・ストーンはちょっとワルくて可愛い。で、似てるけどまさか!と思ったハングオーバーのザック・ガリフィアナキス が、主人公の弁護士役!誠実だけど欲もある役をすごくよく演じていてびっくり。 飛行機の中で見たんだけど、行きで見終われなくて帰りに頭から見直したりしたので、機内にしてはじっくり見られてよかった。勝手なイメージなのかもしれないけど、中南米の監督って人間の裏も表も知って受け入れる懐の広さを感じさせるな、と思っています。このテーマのこの映画を、ここまでじっくり描きつつ、ちゃんと「面白く」できるのってすごい!

  • 鑑賞日 2015/5/4

    もやもや

    面白い映画だったのだけど、イマイチすっきりしない。どこからが幻想で、どこまでが現実なのかがよくわからないから。でも、この感じを監督は狙ったのではないかと思う。つまり、思うつぼ。

  • 鑑賞日 2015/4/20

    解き放たれた「奇跡」の飛行

     タイトルバックのドラムのリズムが感覚をわしづかみした。いきなり、楽屋のリーガンは体が浮遊している。時間を超越したつなぎ目のない映像。アレハンドロ・イリニヤトゥの挑発に頭がくらくらした。  架空のヒーロー「バードマン」から離れられないリーガンを、かつて実際に「バットマン」でスターになったマイケル・キートンが自虐的に演じる。共演が「インクレディブル・ハルク」のエドワード・ノートンという配役にも毒が漂っている。  演劇にも芸術にも愛にも「無知」なリーガンは何をやっても裏目の連続。「愛について語るときにわれわれの語ること」。劇中劇までが逆説的で皮肉に満ちている。  気分転換に一服吸おうと楽屋の外に出たら、ドアにバスローブがはさまったまま閉め出される。パンツ一枚で人込みをかき分けて劇場に戻るリーガンは、羞恥心とこだわりから解き放たれた果てに、決別したはずの「バードマン」の声に目覚めた。  「お前は大スターだ。退屈な人生を変えろ。驚かせ、笑わせ、チビらせろ。やつらが好きなのは血とアクション! しゃべりるだけの重苦しい芝居じゃない」  すると、リーガンの指先ひとつで店が吹っ飛び、辺りは火の海と化す。超能力を備えた無敵のヒーロー。しかし、リーガンは迷う。いつまでも「バードマン」に支配されたままでいいのか。  再起をかけた舞台の初日。自殺の場面でリーガンは本物の短銃を発砲して自分の鼻を吹っ飛ばしてしまう。リーガンは内なる「バードマン」に向けて発砲したのだと思う。  本物の血を流すリーガンを絶賛の拍手が包んだ。何という不条理。何という皮肉。  「無知がもたらす予期せぬ奇跡」  新聞の見出しがリーガンを新たな高みへ導く。トイレにしゃがんでいた「バードマン」に別れを告げ、リーガンは病室の窓から飛んだ。娘サム(エマ・ストーン)の瞳に映ったのは、呪縛から解放された父が体現した本当の奇跡だった。

  • 鑑賞日 2015/4/22

    イニャリトゥを裏切るイニャリトゥらしさ

    今年のアカデミー賞作品賞受賞作。 『21グラム』や『バベル』といった時間軸を解体し、複雑にコラージュしたイニャリトゥのスタイルとは、まったく真逆の『バードマン』。 リハーサルから開演まで、まっすぐに進むストーリーは、それだけでは飽き足らず、なんとワンカット(正確にはワンカット風)で描かれるのだから、イニャリトゥらしい皮肉が散りばめられているものの(カーヴァーの小説を劇中劇にする辺りも、ニヤリ)、それでもどこか明るさを忘れていないのが、これまでとは違うところだ。 これは、まぎれもなく、ひとつの賛歌である。 それにしても、マイケル・キートンにオスカーをあげたかったなぁと、つくづく思うよ。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    「8 1/2」の俳優版?

    昔アメコミヒーロー映画で一世風靡したが今は落ち目な60代の俳優(マイケル・キートン)が、ジェームス・カーヴァー作品の自らの脚本、演出、主演による舞台化でブロードウェイで返り咲こうと粉骨砕身し苦悩する姿を驚異的な映像演出で描く。控え室で空中浮遊している冒頭から幻想と現実、過去と現在がカットの切れ目なく続いて見えるように演出されているのが、たとえカメラが離れることがあっても常に主人公の心象を見せられているような気にさせる。天才的な共演舞台俳優(エドワード・ノートンが怪演)の奇行や自分のドジによりプレビューで散々な目に遭い、本公演に向けて追い詰められていく姿や映画界と演劇界との根強い反発の描き方も実に面白い。広いとはいえない実在の劇場ロケでこれを作っているのだからスタッフ、役者の技術と努力を考えると気が遠くなる。

  • 鑑賞日 2015/5/3

    ふわっとな。

    ドラム音、狭い楽屋の行ったり来たり、バードマンとの苦悩、それぞれの役者の個性、やりとりなどの効果は興味深いものでしたが、あの、屋上からのふわっと場面だけだったかなぁ、ぐっときたのは。好みの問題だと思われます。

  • 鑑賞日 2015/4/10

    色々リテラシーが必要と思われる

    アメリカ人の今のマイケル・キートン感とか、映画と舞台の認識の違いとか知っていたら、もっと楽しめたと思われる。ただ、ワンシーンワンカットに見えるショットは見事。

  • 鑑賞日 2015/4/13

    うーん

    演出は面白いが、ストーリーが意味不明でした。 奇をてらった感が強い・・・。 自分には合いませんでした。見る人を選びそう。 同時期のイミテーションゲームの方がよかったかな。

  • 鑑賞日 2015/5/1

    まさにアメリカって感じの映画

    出始めがわりとスロー。これ本当に面白くなるんだよね、ね、と疑いながらのスタート。随所でアメリカンジョークというか、小ネタがあったんだけど、あちらの芸能に疎いので中途半端にしか笑えず。バードマンとあるからアメコミ系に行くのかなとも思ったけどそんなことはなく、過去の栄光を忘れることができないまま幻聴や幻覚、そして現実の狭間に揺れる元バードマンの男を軸に動く物語。 前評判通りカメラワークが素晴らしい。どこでカット入れてるのか全くわからない、綺麗にワンカット風。 マーティンスコセッシ監督が来てるよ〜らへんから面白くなった。一気に。 だけどカメラワーク以外は何も真新しさはなく、ストーリー展開も予想内。

  • 鑑賞日 2015/4/15

    真面目も突き詰めれば面白い

    滑稽だぁ、真面目にやればやるほどに。なんでか分からんが、字幕が黄色いよ。黄色は、何を意味するのか…。タイトルの()内は、必要不可欠。「映画スター」は、有名人であって役者じゃない⁉︎舞台で演じることが役者 なのか⁉︎

  • 鑑賞日 2015/4/24

  • 鑑賞日 2015/4/29

    全力1シーン1カット映画

    計算ずくのカメラワークに即興的なジャズをBGMを合わせるという限界アクロバティックな手法が凄すぎ。 どうやって撮影(デジタル処理)しているのか理解できないようなカメラワークと演出の連続に唸りっぱなしなのだが、手法だけにあぐらをかいているわけではなくストーリーも面白い。

  • 鑑賞日 2015/4/29

    まるで奇跡のような映画

     気持ちのいい映画だった!映画を観ていてたまに感じるモヤモヤを吹き飛ばしてくれた感じ。鑑賞前は、BGMは洒落たオケか弦楽かと思っていたけど、ドラムなのね。物語の内容の割に小気味良さを感じたのはこの音楽のおかげかも。EDの演出もよかった。  配役の妙や計算されたカメラワークに音楽、全てがとてもうまく調和していて、まるで奇跡のような、いや、奇跡の映画だと思う。スタッフやキャストたちの情熱も実を結んでいると思うので、こちらとしても観ていて嬉しかった。

  • 鑑賞日 2015/4/25

    迷える人のための応援歌

    『バードマン』は主人公のリーガンが楽屋で座りながら空中浮遊している最初の所から、いいなあと思う。何がいいかというと、彼のまわりをただよう光輝く小さなホコリ。いきなり、ホコリとともに浮いている人間とは、なんとも言えず深遠なテーマを表している。  リーガンには超能力があるという。他人に向けられたり、リーガン自身に向けられたり、何も関係のない所に向けられたり、その超能力のせいで、彼は疲れはてている。  高校時代にレーモンド・カーヴァーからもらったという、彼の(学生)芝居が素晴らしかった、と書かれた紙のナプキンが彼の宝だ。けれども、彼の当たり役はバードマン。そして凋落。その打開のために企画、脚本、監督とがんばって仕上げた劇をめぐってのドタバタ物語。  どうにも気にいらない俳優を追い出し、代役に立ったマイクはやりたい放題。あげくリーガン、マイクの取っ組み合いのけんか。  しかし、マイクとリーガンの娘のサム(エマ・ストーン)の屋上でかわす会話のすばらしいこと!サムの大きな目をくりぬいて、若い目で通りを見てみたいというマイクの詩的な台詞に涙が出る。だからといって、リーガンの孤軍奮闘が終わるわけではない。娘、父それぞれにマイクとつきあうので、三人の関係性に何か効果があるわけではない。  サムが父を励ますつもりか、薬物のリハビリ施設で学んだという、トイレットペーパーにひたすら棒というか線を書き、人間一人の欲求なんて小さなことと語る。つまり、薬物の問題なども、元をたどれば人の向上心にあるのだろう。  そして、サムがリーガンに見せるスマホの動画は、父が雑踏の中にいるものだが、これが何回と限りなく再生されている。リーガンには初めての世界をサムはこともなげに提示して見せる。  もう一つの大事なテーマは、表現とそれを批評するということ。表現と批評という一見対立構造にある二つのことが、実はかけがえのないものであるということ。どんどん剥き出しになっていくリーガンの魂の旅とともに、監督と向き合えた作品だった。

  • 鑑賞日 2015/4/28

    オサレだね

    そんなにたいした映画じゃないんだろうけど、長まわしとドラムのBGMがとってもオサレ 1発酔って映画館という環境 ここは酔わなきゃ、もったいない 父と子、というテーマはイニャリトゥさんの永遠のテーマなんだろうなー

  • 鑑賞日 2015/4/24

    どれをとっても予期せぬ映画

    非常に良かった。 かつてバードマンを演じたリーガンは必死の思いで監督主演の舞台に役者生命を、全身全霊を賭ける。 ライバルの役者に話題をさらわれ、娘もさらわれ。プレビュー公演では何一つうまくいかず。しかし不運が重なりつつも次第にネット上で話題を集めたり、心のバードマンの声に勇気付けられ初日に自殺未遂まで行い大喝采を浴びる。 最後はバードマンのような鼻を手に入れ、娘を取り戻し、空を舞う(娘が空を仰ぐ笑顔が素敵!) ストーリーも、ショットの繋ぎ(始めからワンシーンかのように繋ぎ合わせたような編集技法)、リーガンの心の焦り、心に宿るバードマンとのやり取り、どれをとっても予期せずとても良かった!最高。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    病んでるけど、がんばってる

    かつてヒーロー映画「バードマン」で一世を風靡した俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、舞台を手がけ、再起をかけていた。「21g」、「バベル」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督。 マイケル・キートンをはじめ、エドワード・ノートン、ナオミ・ワッツ、エマ・ストーンと役者が揃っていて、それぞれ素晴らしい☆彡マイケル・キートンの病んでいる様子は爽快、痛快ですらあった。現実と幻想の狭間というより病んでいるとしか思えなかったけれど、そのシュールでどぎつい展開は気持ちがいいくらいでした。複雑でもあるけれど。 アレハンドロ監督作品は、やっぱり好きです(*´ω`*)

  • 鑑賞日 2015/4/22

    とにかく疲れた

    まるで主人公の妄想に振り回されるような映画。終始流れるドラムの BGMが疲れている人にはかなりしんどい,「セッション」のシアターに間違って入場したかと思ったくらい。まるで演劇のようなつくりで、斜陽になった有名人が見れば深く共感するであろうが、凡人にはそこまでの感情移入もできず、また主人公のおじさんがちっとも素敵と思えなかったことで観賞後も満足感はなかった。

  • 鑑賞日 2015/4/12

    シームレスな映像世界

    それは夢か幻か妄想か、過去の栄光と冴えない現実の頚木から自らを解き放ち、自由なる大空へと飛び立った主人公の、その後を想像させる余情豊かな終幕が心に残る。 全編をワンシーンワンカットで撮った作品と言えばA・ヒッチコックの「ロープ」だし、主人公の意識の流れをボーダーレスに追った物語なら「81/2」や「去年マリエンバート」があるし、劇中のワンシーンワンカットが記憶に残るものは溝口健二やT・アンゲロプロスの諸作品など枚挙に暇がないし、CGを駆使したアクティブなカメラワークと長回しが融合した映画であれば「瞳の奥の秘密」や「ゼロ・グラビティ」を思い出すし、とそんな個人的な映画の記憶を激しく刺激するシームレスな映像世界の高い完成度に魅せられる。 そして、物語をジャジーに盛り上げるA・サンチェスのクールな音楽を背景に、昼夜を問わず喧騒に包まれたブロードウェィのバイタリティ溢れる都市風景や、華やかなステージ上とは裏腹な演劇界の澱んだバックステージを掬い取りながら、役者にプロデユーサーに演出家といった人々が織り成す悲喜こもごもを、吐き出される膨大な台詞とともに、時にスペクタクルに、時にファンタジックに、時にコミカルに、時にアイロニカルに紡ぎ出したA・イニャリトゥの懐深い語り口に惹かれる異色にして出色の人間ドラマだった。 あと、まさに全編出ずっぱりともいえるM・キートンの役にはまった熱演をはじめ、その脇を固めるE・ノートン、N・ワッツといった演技巧者な俳優陣の好演怪演も見応え十分だった。

  • 鑑賞日 2015/4/26

    まず,長回しに関しては,観ていて疲れたという程度で,あんまりピンとこなかった。なんでだろう。 思うに,もしありとあらゆる映画が長回しをやってたら観客も飽きてくるわけで,僕の中でそろそろそういう飽和点を迎えつつあるということかもしれない。ただ長回ししてるだけじゃ「で何」って思ってしまう。 14分間突っ立ってる「郊遊<ピクニック>」とか,「エルミタージュ幻想」に比べると本作の長回しは見劣りするんでないでしょうか。 次に,長回し以外の点に目を向けると,これまた個人的にパッとしなかった。落ちぶれた役者がもう一度輝くという単純さがそこまで…。 「バベル」が全然ピンとこなかったんだけど,やっぱりイニャリトゥ相性良くないな。 でも,ドラムは良かった。ドラムは。

  • 鑑賞日 2015/4/26

    飛行機の中で観た時にはどうもピンと来なかったので、改めて劇場でじっくりと観直してみたのだけれど・・・。やはり残念ながらこの映画の良さを感じ取ることは出来なかった。主演のM・キートンを始め役者の演技がどうの、こうのということはないし、一度は栄光の座に居た人間がそこからすべり落ちた後の苦悩と焦り、そしてかすかに残っている意地とプライドが錯綜して、鬱状態の中で夢と現実が混同していってしまう様を冷たく突き放すでもないが、シニカルな笑いを交えて描いていく演出には全編ワンカットシーンのような撮影手法と合わせ独特のものがあることは認めるのだが。ラストの解釈も人それぞれいろいろあるのだろうが、これが今年度のアカデミー作品賞というのは残念ながら個人的には理解しがたかった。非才の無知さには奇跡は訪れなかったようだ。

  • 鑑賞日 2015/4/25

    ゲームのルール、あるいは偶然がもたらす中年男の飛翔

    切れ目なく続くというのは観る者読む者にとってなかなか厄介なもので出来ることなら関わりたくないと思うのが普通だろうがそもそも時間に人生に切れ目などあるのかと思い至ればたまにはそんな酔狂につきあってみるのも面白いかもしれないタラタラと続く終わりなき日常に乗っかって迂闊にも句読点を打ち忘れ気づいてみれば老境に足を踏み入れようとするかつてのヒーローは幼児的万能感を引きずりつつブロードウェイで一発逆転の奇跡を起こそうと踏ん張るもそううまくいくはずがないことくらい薄々分かっているいやよくよく分かってる分かってはいるがこのまま人生を降りるわけにはいかないし癪だし情けないしかつてもういいやと自ら命を断とうとしたときも悲劇はあっという間に喜劇に転じて誤魔化すのに苦労したっけ妻との関係がこじれ娘までおかしくなってクスリに手を出すし事故で抜けた俳優の代役は自信過剰のチャラけた男で何かと足を引っ張り客の観ている前で酒を飲むやら娘にちょっかいを出すやら日焼けマシンに入るやらおまけに批評家は映画界への敵意むき出しで中年男の再起をかけたチャレンジを励ますどころか俺がささやかな拠りどころとしていたものにすら冷ややかなまなざしを向ける始末いい歳をしてお前は何やってるんだやめろやめちまえと耳元でささやく鳥男は過去の栄光にいつまでもしがみつく俺のだらしなさをいやらしくもねちねちと突いてくるせめて出番前にタバコの一服くらいと思うのも無理ないではないかそうだろ何が悪い無様な姿を人前にさらさねばならぬほどのことを俺がしたか何をしたというのか何をしなかったというのか娘よ俺はお前に何をしてやれなかったのかしてやらなかったのか真実を口にすべきだったのかもしれないが俺には自信がなかったうまくやる自信が欠けていたこんな男の真実の瞬間になど誰が興味を持つものか語る勇気がないのなら無茶をやって客を楽しませるのがゲームのルール誰が決めたかは知らぬが果たして奇跡は起こるのか。

  • 鑑賞日 2015/4/24

    バードマン4のレビュー、確か、書いたような気がするが…。

    驚異の撮影技術で圧倒される。カットのつなぎ目が分からない。一回の長回しで物語が進む。 異なる画面をつなぐカット・バックの手法は映画技法の基本。 これで意味を読み取る観客の頭を、バードマンが大胆に破壊する。 かといって実験作のような未消化な部分はない。 演劇界の裏側をじっくり描き、濃密な人間ドラマがぶつかりあうように展開。 キートンとノートンのエキセントリックな演技は極限に達する。ここまでやるか、と瞠目するしかない。 モンタージュ理論では、全権を持つ監督が神の立場でフィルム編集を行う。 主観的な視点で動き回る本作は、既存の映画スタイルへの強烈なアンチテーゼとなる。 幻想との垣根は存在しなくなる。バードマンの世界とリンクされ、日常の世界が解体される。 演劇から映画というステージへ、さらにネット社会へ波及する物語は多層化し、現代の混沌が表現される。 ただ主人公の深刻な悩みは拡散してしまう。超能力の描写も必要以上の繰り返し。 A・サンチェズのドラム・ソロの音楽は絶賛もの。本作の意図を考えれば、彼の音楽以外には考えられない。 そこまで思わせる。このケースこそ映画と音楽のコラボレーションというのだろう。

  • 鑑賞日 2015/4/10

    予期せぬザック。

    満を持しての作品賞の公開。しかし元バットマンがバードマンに? なんて冗談も大概にしろよと思うキャスティングがバッチリ嵌った。 いや~面白かったの何の!好き嫌いが大いに分かれそうな作品だが、 個人的には大ウケ&バカウケ。途中で何回ケラケラと笑ったことか。 今や落ち目俳優リーガンの起死回生を懸けた舞台プレビューを追う ほんの1~2日間を描いただけの話なのだが、観てる方は疲労困憊。 全編ワンカットで撮ったかのようなカメラワークにも酔いしれるが、 背後に流れる即興演奏のドラム、癖ある芸達者達のキワモノ感、 リーガン同様で嫌になる痛烈場面ばかりなのに瞼は開きっぱなし。 さぁどうする?次はどうする?パンツ一枚になって街頭を歩く(爆) リーガンの名場面はそういうことだったのか!?とSNSの反響を 体感しながら(これシェフ!と同じ感覚ね)バードマンが囁く超自我に 彼がどんどん目覚めていく飛翔場面はハリウッド製の爽快なロマン。 映画界を皮肉り演劇界を批判し役者のエゴも剥き出しにしているが、 どのギョーカイにも存在する「裏側」を丁寧に描いていて分かり易い。 舞台で本番に挑もうとする俳優や、アンコールを笑顔で罵る俳優達、 実名入りでバンバン貶すところなんか(大丈夫か?)楽しすぎて爆笑。 リーガンと批評家タビサの一騎打ちなんて鮮やかすぎて隙がない!? どんな罵詈雑言にも耐えうる屈強感が全くない彼のノーテンキな顔が そりゃ芸術家を名乗る舞台専門家には何をこの馬鹿映画俳優が?てな もんなんだろうなーといちいち納得するも、芸術家になれない奴が 批評家になる。なんて言葉にも大納得。場面は流れ、苦言は刺さる。 あちこちで巧い強弱をつけた展開は、バードマン自我に目覚めた彼を 一気に舞台で飛躍させるが…そういうことか~。ここでタイトルの (無知が~)の意味が分かるけど、確かに予期できないわねぇあれは。 (あと予期してなかったのがザックの名演。あの馬鹿ヒゲ男が超普通!)

  • 鑑賞日 2015/4/10

    馴染めない

    作品賞を取ったのだからと思いながらも、あまり馴染めませんでした。現実と虚構の間の世界と、ものすごく長いカットが印象的でした。

  • 鑑賞日 2015/4/23

    斬新な手法

    シーンをカットで繋がず長回しで撮り続けた映像だけで 繋げる映画ってのは、自分が見た中では初めてで 俳優の演技の仕方も今までの映画と違う感じがして面白かった。 人気という自分の力ではどうしようもないモノの中で 苦しむ主人公は芸能人にとっては皆身につまされるのではないだろうか?

  • 鑑賞日 2015/4/22

    悩めるヒーロー

    観賞前にはなるべく情報を得ないようにしているのですが、うっかりワンカットのような撮影をしているという記事を読んでしまいました。 時間を計って、かなり緻密に撮影したようです。 わかっていながらも、場所だけでなく時間までも変わっていくその場面展開には驚かされました。 ドアを開けるとどんな場面が待っているのかどこでもドアのようで、その画面の行き先は無限ループの騙し絵のようでした。 また、本作も形は違えど、悩めるヒーローではないのか。 妄想なのか、現実なのか。 劇中の「自分以外になりたい」という言葉が、リアルに聞こえます。 そして、リーガンは生まれ変わったのか。 ラストのサムの上を向いた笑みが印象的でした。

  • 鑑賞日 2015/4/19

    バットマンではなくてバードマンでなくてはならない

    今年のアカデミー賞受賞作で、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが(今はアレハンドロ・G・イニャリトゥみたいですね)このような作品で本当にオスカーを手にしてしまうなんて面白いですね。昔「バードマン」シリーズで人気スターになった役者が、再起を懸けてブロードウェイの舞台に出演・演出しようとするお話しで、彼の中で未だに過去の栄光を引きずっているような感じもあるなかで、リハーサルはトラブル続き、アシスタントの娘は依存性、共演女優からは妊娠を告げられて、交代させた演技派俳優はワガママし放題で舞台を壊しかねないし、最終的には別れた奥さんに同情される、という渦中の中で、初日前のプレビュー公演はてんやわんや、という展開を、現実と幻覚と妄想が渾然一体となったような感覚で描いていて面白いですね。この作品の解釈としてはいくつかあって、全編落ちぶれたスターの一夜の悪夢とか、「8 1/2」「オール・ザット・ジャズ」「スターダスト・メモリー」みたいな一人の男の心象風景をこのような形で描いたとかあると思いますが、後者として観ると、映画監督が自身の心境を描いたのではなく、かなり歪んだ形でイニャリトゥの心境が吐露されている、と観ることも可能のような気もしますね。マイケル・キートンだからバットマンではなくて、バードマンなのは、権利問題の他に飛翔するイメージが欲しかったからでしょうね。

  • 鑑賞日 2015/4/24

    嫌いではない。バードマンとして映画が大ヒットし、時の人であったがその後ぱっとしない俳優リーマンが、再起をかけて舞台俳優に挑む。かつて高校生だった自分に「いい舞台だった」と一言をくれ、それを頼りに俳優になった、憧れのレイモンド-カーヴァーの作品で。 とにかくリーガンがキレやすく,感情の浮き沈みが激しい。俳優ってこうなの?と思わせてしまう危うさだ。 稽古中の事故でキャスト変更となり、急遽代役となったマイクは、めちゃくちゃだが本物の演技派で、リーガンも回りも引っ張られ,芝居のレベルはあがっていく。本番前のプレヴューでマイクが酒を水に替えられたことに怒り、暴れるが、むしろそれも話題を呼び、そのことにまた傷つくリーガン。ふとしたことから、本番中に楽屋裏でオートロックのドアに閉め出され,パンツ一丁で通りを歩いて外の入口から飛び込み、客席後方からセリフをいいながら登場するシーンは笑えた。これもまたネットで動画を流され注目を浴びる結果となる。バーで会った批評家の女性に「あなたは俳優じゃない。ただ有名なだけ」と酷評され、煮詰まったリーガンは、芝居の最後、妻の不倫の現場で拳銃自殺するシーンで、実弾を使い、本物の血を浴びる。批評ではべた褒めされ、「成功」したリーガンは、入院した病室から、バードマンのように飛び立ったのだった… ドラッグの依存症だった娘のサムは親子げんかで、今のパパなんて誰も見てない,と本音をぶつける。 マイクはサムと屋上で過ごすうち親しくなる。 どうオチをつけるんだろう、と思っていたが、こうまでしないと一度出来上がった評価は変えられないんだろうか。厳しいなー、と思う。映画でも舞台でも一躍有名になったらその後が大変なんだな、と想像させられた。 リーガンの物を動かせる力や、回りを飛び回り本音を突き付けてくるバードマンなど、おもしろく見られた。「俳優」でなくても、何かで名を成したような人ならみんな通る道なのかもしれない。

  • 鑑賞日 2015/4/10

    彼らにはお手のもの

    現実世界と架空世界の混乱を勇ましくも歩き渡る落ち目の俳優の理想録、かつそこに実際のキャリアが方々に散りばめられてあるオーラを実感させることで舞台の魅力を写実化した。

  • 鑑賞日 2015/4/18

    愛について語るときに我々が語ること

    主人公リーガンは、演じるマイケル・キートン自身を彷彿とさせるような役回り。再起を賭けて、舞台で脚色・演出・主演に挑戦する。ブロードウェイで上演する作品は、レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』。 思うように物事が進まないリーガンの苦悩や焦りが、一繋がりのカメラワークの中で、ドキュメンタリーのようにリアルに浮かび上がってくる。しかし、その上で非現実的なシーンも展開され、観客もリアルとファンタジーの狭間で、リーガンの不安や苛立ちを体験することになる。 子供みたいな白いパンツ一丁で、タイムズ・スクエアに放り出されるシーンの痛々しさも秀逸。恥を晒し、観衆の嘲笑に耐えざるを得ない状況に追い込まれるのも、自分の撒いた種だ。その映像がSNS上に流され、大注目を浴びてしまう展開が皮肉。実力ではなく、単なる興味の的になってしまうのは、本人が一番敬遠したい事態ではないか。 リーガンに囁きかける声は、自分自身に潜んでいるバードマンとしての心の声だ。それは彼自身の葛藤そのもの。全編に亘って鳴り響く即興のようなドラムの音が、リーガンの心の乱れを表現していて、観る者の心までかき乱す。リーガンが特殊能力を披露したり、街中がバードマンの映画の舞台に転じてしまう、映像マジックも楽しめた作品。 娘のサム(エマ・ストーン)はかなりリーガンに反抗的ではあるが、落ちぶれた父親を見離せない肉親としての愛情と、憎しみの狭間で揺れ動いているように感じられる。やがてサムが見たことは画面には映し出されないが、これもまた予期せぬ奇跡を想像させて秀逸。父親への信頼を回復させたエマ・ストーンの、輝くような表情が眩しい。愛について語るときにイニャリトゥ監督が語ったのは、父と娘の愛情の復活の物語だった。

  • 鑑賞日 2015/4/20

    驚異的な長回し。もちろんCGを使ってるけど、カットを切らずにノンストップで見せる手法は不思議な感覚を見るものに感じさせる。妙な疾走感というか、主人公に問題が次々とのし掛かり混乱を極めていく様が緊張感を持って伝わる。 しかし、今作の最高のアイデアはこの超長回しではなく、劇中で鳴り響くドラムソロのほうだろう。主人公の感情が高ぶる時、混沌が高まる時、それらにシンクロしてドラムが鳴り響く。このジャズドラム物語にグローヴを生む。素晴らしいアイディアだ。僕らは主人公と共にこのグルーヴに乗せられ、混乱の渦に叩き落される。

  • 鑑賞日 2015/4/18

    果たしてこれがベスト?

     前日に開館したばかりのシネコンTOHOシネマズ新宿でオスカー作品賞受賞作を観ましたが、そう言えば40数年前、ほぼ同じ場所で開館したばかりの小屋・新宿プラザ劇場の初日に、セルジョ・レオーネの「ウエスタン」を観たことを思い出しました。確かディメンション150とか言う上映方式で、やや湾曲したスクリーンに映るチャールズ・ブロンソンとヘンリー・フォンダの超クロースアップを見詰めた記憶が蘇ります。  去年(2014年)にミラノ座が閉館となって以来、映画観客の足が消え去った新宿歌舞伎町に、ゴジラ頭部のレプリカが飾られた新たなシネコンが誕生し、多くの人々がゴジラにスマホのキャメラを向け、開館したばかりのシネコンのロビーは芋を洗うような状態になるのは、まあ慶賀の至りではありますが、この混雑状態がいつまで持続するのか、もう暫く推移を見守らなければならないでしょう。  それはさておき、イニャリトゥのワンカット撮影は、所詮“ディジタルならそんなに難しくないんでしょ”などと軽視する面は否めず、「クローバーフィールド」を最初に観た時の“発明品”としての驚きはなかったし、ソクーロフの「エルミタージュ幻想」のようなワンカットの緊張感も感じませんでしたが、映画自体は決して悪くなく、想像力の羽ばたきという人間の営為の素晴らしさを謳い上げる主題は、普遍性を持っていました。  しかしながら、決して悪くはないものの、主人公マイケル・キートンの中に渦巻く表現衝動と自信喪失を、フェリーニ「8 1/2」的な祝祭性の中で描こうとする映画が、キートンという人間に迫ることよりも、ワンカットという技術的側面のほうに力点が置かれているように思えてしまう、小手先映画に過ぎないことも事実で、イニャリトゥ監督作としても「アモーレス・ぺロス」や「21g」を観た時に受けた感銘には及ばないと思える映画であり、果たしてこれが2014年に米国で上映された映画のベストなのだろうかと訝りたくなりました。

  • 鑑賞日 2015/4/19

    観客側にもエネルギーが必要な作品

    アカデミー4冠も納得の密度。 もう、あのタイトルクレジットの凝りっぷりからヤラれました。 各所で言われている通りその長回しのカット構成には本当にびっくり。 1カットが長いどころか、全篇通して途切れるように感じる場面がないというのが凄い。 どこかで繋いでいるはずなのだけど、それがほとんど感じられない。 ただ、逆にそれが映画としては不自然にも感じられてしまって、 個人的にはそれが気になりすぎて序盤話が頭に入って来なかったほど。 また、カットに切れ目がないということはその分観る側にも集中力が必要とされるワケで、 その観る側の体調その他にも評価が左右される作品な気がする。 物語的には落ちぶれた元ハリウッドスターの最後の挑戦的なノリで、没頭感十分。 但しそこには真幻入り交じった描写が挟まれたり時系列が破壊されてみたりと、 観ている側を若干混乱させる作り。 もちろん狙ってのことだとは思いますが、ここも好みの分かれる部分かと。 観る価値アリだとは思いますが、繰り返し観たいかと言われると…。

  • 鑑賞日 2015/4/12

    鳥になりたかった男

    人は昔鳥だったのかもしれない、という中島みゆきの歌詞を思い出しました。くえ、くえ。

  • 鑑賞日 2015/4/20

    笑ったりぎょっとしたり忙しい

    あんなレッテルまみれなんすか?NYタイムズの批評家って、、 エドワードノートンがまたいつやらかすのか、もしくは殴り合いするのかとわくわくしてたけど後半はほぼいいとこなしでおわってしまった。。 よくできた映画ではあるけどちと狙いすぎという印象。でも、おもしろかった。

  • 鑑賞日 2015/4/16

    2015-04現在ベスト

    ●今年のアカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞受賞作。この各賞の受賞にいちいち納得できる。 主演男優のマイケル・キートン、助演男優のエドワード・ノートンと助演女優のエマ・ストーンのノミネートも十分納得どころか、どうして受賞できなかったのか不思議。さらに、助演女優のナオミ・ワッツがノミネートもされなかったのはもっと不思議。 ●映画制作関係者が選ぶアカデミー賞だからこそ、この作品が作品賞をはじめ主要な賞を独占できたのだろう。 物語の面白さだけでも十分作品賞は納得するが、それを見せる秀抜なアイデア、脚本の素晴らしさ、信じがたい撮影の技術。 最初から最後まで、端役に至るまでの演技も、シーン展開(移動というべきか)も、音響効果も、音楽も、何よりソレを掬い取って行くカメラの動きも何もかもが信じられないほど完璧に、緻密に、構成されていてもう唖然とし、ワクワクし、興奮せざるを得ない。 ●「ゼロ・グラビティ」もCG合成と撮影技術の見事さ(撮影監督は本作と同じエマニュエル・ルベツキ。「ゼロ・グラビティ」でもアカデミー賞受賞。)に圧倒されたが、本作はそのような映像のスペクタクルとは無縁なので、ぼんやりして観る人にとっては何が素晴らしいのかとうとう最後まで気が付かない可能性もあるが、注意して観れば理解できるはずだ。その撮影が並大抵の技ではないということを。 編集の技ではなく、撮影時点で、まるで舞台劇のように極度の集中力で事が運ばれたのだ。もう、びっくりするよ。 つまり、前振りが長かったけど、この作品はほぼ全篇(終盤の少しの時間だけを除いて)、ワンカットで撮られている…ように見せるというのがすごい。 実際は、途中に何度もカットしているのだろうけど、そうはいっても超長回しのカットであったことには間違いない。 長回しすりゃいいってものでもないけど、常にカメラが主要な人物に向けられ、人物が入れ替わる際もなんらの繋ぎ目も暗転もなく自然に入れ替わってゆく。 こういう長回しを観ていると、もう、目が離せなくなる。120分を瞬きする間も与えず一気呵成だ。 ---------- ●昔はハリウッドでスーパーマンものの映画(「バードマン」)の主役で売れっ子だったリーガン(「バットマン」シリーズで主役だったマイケル・キートンが演ずるから真に迫る。)は、今や往年の人気はなく、妻に去られ、問題児でリハビリ中の娘サム(エマ・ストーン)はリーガンの仕事を手伝って入るものの彼女との深い溝を埋められないでいる。 財産もなくし、借金をして、ブロードウェイの舞台で一か八か人生の再生を賭けている。 ●しかし、その劇評で興行を一晩で休業に追い込む程の辣腕批評家は、舞台を観る前から酷評をリーガンに申し渡す。元ハリウッドスターが実力もなくしてブロードウェイに軽々に出しゃばってくること事態が許せないからだ。 舞台の役者にも演技に関しては天才的だが常識はずれの問題児(エドワード・ノートン)がいてリーガンは彼に振り回される。 ハリウッドとブロードウェイの2つの世界の華々しさの陰の厳しい現実を背景にリーガンは身も心もボロボロになり、ようやくにして初日を迎える。 ●ラストはよく分からないけど、サムが空を見上げて微笑んでいたからそれでもう十分だ。映画技法的にもこんなすごい作品は観たことがなかったが、情けないリーガン、自己中の初老男、ブリーフ一丁でブロードウェイを歩き回るハメになるかわいそうなお父さん。この哀愁に満ちた人間がとても愛おしいよ。 ●2015年に観た映画の中で最高傑作は「イミテーション・ゲーム」だったけど、「バードマン」に更新! ★★★★★

  • 鑑賞日 2015/4/19

    熱演なんだけど。

    睡眠不足気味で見て、あまりよく理解できなかった。 もう一度出直してきます。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    アカデミー4部門受賞もさもありなん。画期的かつ見事な出来映えの映画。役者を追いかける長回し撮影のせいでまるで舞台に上がって一緒に体験しているかのよう。ただ映画界や演劇界の皮肉的描写に拘るあまり今一つ感情移入できない歯痒さも。 何とも微妙な作品。

  • 鑑賞日 2015/4/19

    映画的興奮に満ちた快作

    かつてスーパー・ヒーロー大作で一世を風靡した俳優が、再起を賭けブロードウェイの舞台に挑戦する話。興行上の不安、冷ややかなプレス、娘との葛藤、傲岸不遜な共演者、辛辣な批評家の存在など、彼を悩ます障害は数知れない。人気俳優としての矜持と舞台俳優への劣等感の狭間で、彼は迷い戸惑いやがて内なる自分と対話する破目になる。単なるバック・ステージ物で終わらせないのが監督イニャリトゥの凄さ。全編のほとんどをワン・カットで描く切れ目のない映像(ただし時間は不連続)は緊張感に富み、やがて現実と妄想さえもシームレスとなり、観客を主人公の脳内へ誘う。まさに映画的興奮に満ちた快作。バードマンはあらゆる意味において飛翔する。

  • 鑑賞日 2015/4/15

    現実との境目が難しい

     バードマンという特撮ヒーロー物で一世を風靡した俳優リーガンは、再起をかけて主演と演出を兼ねたブロードウェイでの舞台のプレビューを間近に控えていた。相手役が気に入らなかったがリハーサル中の事故で降板、代役に有名な舞台俳優マイクを迎えることができたが彼の才能や脚本や演出への口出しがリーガンを追いこんでいく。バードマンの影が付きまとい、再びヒーローになれと囁くが結局は舞台に戻っていく。  リーガンの妄想ともいうべき超能力のシーンと現実との境目が全然わからず、理解には相当の努力が必要になりました。物語は過去の栄光を背負う俳優が、違う分野で自分の存在を示そうとする試みであり、家族関係の再生を進めることでもありました。ブロードウェイ(演劇界)がハリウッド(映画)をどう見ているのかの辛辣な批評家の発言があったりも面白かったし、まるでワンシーンのようにすすめる手持ち撮影も面白かった。それぞれ狂気を抱える登場人物の絡み合いが舞台を作り上げ映画を作り上げていました。最後はまさか超能力じゃないでしょうね。

  • 鑑賞日

    バードマンであった男の『愛について語るときに我々の語ること』

     原題は""Birdman or The Unexpected Virtue of Ignorance""。Virtueは邦題では奇跡と訳されているが、美徳、その効力のこと。  主人公はかつてスーパーヒーロー映画『バードマン』で主役を演じた人気俳優だが、今は忘れられた存在。名声を取り戻そうと、レイモンド・カーヴァー『愛について語るときに我々の語ること』をブロードウェーで上演するが、舞台は素人。人気俳優に台詞を弄られた上に批評家にコケにされて自信を失うが、見事初日を成功させるというのがストーリー。  もっとも描かれていくのは、バードマンの妄想に取り憑かれた主人公の虚実一体となった主観映像で、とりわけラスト近くは現実か幻想か主人公の生死を含めて判然としない。  本作の主題は「愛について」で、劇中劇同様、監督イニャリトゥによる映画の主人公を通した、『愛について語るときに我々の語ること』になっている。  主人公は、愛を理解できない、あるいは愛を知ることのできなかった男で、家庭生活で失敗した末に妻に逃げられ、父親不在の娘は薬物中毒を経験する。主人公がバードマンの妄想に取り憑かれるのも、かつての栄光の喪失と家族との相克によるもので、彼は舞台『愛について語るときに我々の語ること』の制作を通して、自分の家族に対する愛について知ることになる。  彼はかつて浮気現場を見られた時に入水自殺をしようとしたことを妻に語り、愛に無自覚だったことに後悔して涙し、再び命を絶とうとする。そうやって自らの愛を語ることで、彼は愛について理解し、愛について知り、自縄自縛してきたバードマンのペルソナを銃で破壊し、精神を解放する。そうして自由な空に飛び立った父に対し、娘はラストで初めて笑みを漏らす。  愛にはいろいろな形があって、これがバードマンであった男の愛の形であったとイニャリトゥは語る。  ただストーリーがわかりにくい上に、作中に散りばめられた記号によってさまざまな解釈を生むため、それを楽しめる映画ファン以外にはもやもやしたものが残る。  映像的に最大の見どころとなっているのは、主人公の想念や夢として描かれる一部のカットを除いて、主人公や登場人物の主観映像として全編ワンショットに見えるように撮られていること。  プレーヤーがゲームの主人公の役割を演じるロール・プレイング・ゲームと同じ手法で、観客がプレーヤーとなって物語を進行しているように意識づけられる。手持ちカメラによる精神的浮遊感や主観視点の連続性が効果的に演出されていて、ワンショットのようにシーンを繋ぐCGもよくできている。  残念なのはこのテクニカルな映像に気を奪われて、ストーリーに没入できないこと。  アカデミー作品賞のほかに監督賞、脚本賞、撮影賞受賞している。

  • 鑑賞日

    そんなに凄いのか

    バードマンはそんなに凄いのか、人はだれしも栄光と挫折を持っている、バードマンはそんなに凄いのか

  • 鑑賞日 2015/4/19

    チュウトハンパダ・イニャリトゥ

    長回しならもっとカメラを引いて楽しませて欲しい。寄りたいならカットを割って的確に進めて欲しい。 長回しをやってます、だって人生なんて長い長い1カットのようなものだから・・・。つまらない長回しを喜ぶのは映画ヲタクだけ。 せっかくのピンピンノートンをはじめ笑える要素が満載なのに、笑えない運びになってるよー。 ラストも某ロックバンドのPVそのまんま(^◇^;) メッセージには、キョウ、、、カン(共感) 『オール・ザット・ジャズ』からの引用?が多すぎる!

  • 鑑賞日 2015/4/18

    映像の完成度が高く、ドラムのみの音楽も緊迫感があってよい。 が、冒頭からの謎の超能力描写からもうついていけない。 主人公の心情が、セリフ以外からさっぱり伝わらない。

  • 鑑賞日

    幻覚や幻聴まで生じるほどの重い蓄膿症を患った汚ッサンが、いっそのこと鼻をもぎ取ってみたらスッキリした。たとえるならば、そんな話。「で?」と言いたくなる話を、豪華な配役、雰囲気ある映像という〝ハッタリ〟でくるんで繰り出すイニャリトゥ監督だが、本作はその真骨頂。だが、そのハッタリが彼の魅力だから仕方ない。E・ノートンとM・キートンの拮抗はもはや怪獣映画だし、タイムズスクエアの雑踏でのカメラぐるぐるの酩酊感も凄まじい。でも、観終わると「で?」である。

  • 鑑賞日

    セットではなく現実の劇場内部でこれをやったことに驚嘆。題材が演劇であることとおそらく関係しているのだろう(舞台にも人生にもカット割りはないのだから)。T・マリック作品のとき以上にルベツキのキャメラはくるくるし、パンのあいだに時空間は飛躍する(アンゲロプロスが大胆に行なっていた演劇的抽象)。なのに観終わったとき映画的興奮は思い出せず、文字どおり振り回されただけのように思えて虚しくなるのはこちらの問題か。A・サンチェスのドラム・スコアが超クール。

  • 鑑賞日

    自分はなんのために生きているのか、生きる価値があるのか  と思いつつ日々を生きている人びとすべてに向けたブラックユーモアの秀作。つまり、暗闇で映画を見続けることを人生の一部にしている人への問いかけでもある。かつてのスーパーヒーロー映画のスターがブロードウェイの舞台で再出発を図るその劇場の端から向いのマジェスティック劇場を娘と見ながら話す場面が印象的。すぐそこから空に飛ぶか死ぬか出来そうではないか。幻想と現実の境界なんてあるのかしら。撮影がすごい。

  • 鑑賞日 2015/4/16

    刺激的な映像

    アメコミヒーローを演じて有名になった俳優の、落ちぶれた晩年、イメージ払拭と再ブレークを目指す姿を、なんとも刺激的な映像で見せてくれます。リアルに映し出される妄想、浮遊するように動いて視点も変わるカメラ、たまに現実視できるBGMのドラマーなどなど、意味不明なものも含めて、次は何が出てくる?!とグイグイ引き込まれましたねぇ。内容としてはタイトルのまんまって気もします。実名がバンバン出てくるゴシップネタも、もっと知ってれば笑えるんでしょうけど・・・。それでも想像力を刺激してくれるラストは好きです。

  • 鑑賞日 2015/4/15

    開かれた作品。

    1978年の「スーパーマン」、1989年の「バットマン」の頃には、少数派だったアメコミ大作映画も2000年の「X-メン」以降から徐々に増え始め、「ダークナイト」「アベンジャーズ」で花開き、いまやアメリカ大作映画の主流である。 架空のヒーロー映画『バードマン』の主演俳優が舞台作品を創作する過程で起こる出来事を描いた本作は、アメコミ映画好きには、出演者の裏事情を考えるほどにニヤリとさせ(主人公が『バードマン』を降りた時期とマイケル・キートンが「バットマン」を降りた時期もしっかり一致している)、アメコミ映画嫌いにも、凝ったカメラの動き(ヒッチコックもあの世で嫉妬していそうだ!)から現在のショウビズ界へのシニカルな視点に同調させる、あまり例のない作品だ。 隕石やら主人公が空中浮遊している冒頭で、いったいどういう展開をするのかと思っていると、主人公のスーパーパワーは、彼がひとりでいる時しか起きないので、彼の妄想の産物と分かってくる。妄想がエスカレートするほどに、彼の内面がどんどん崩壊しているのが分かる構成となっている。 窓から飛び降りた彼の姿を追った娘の表情が上を見て笑顔になるラストは、実は彼は本当に飛んでいるという解釈ができると同時に、路上に潰れた彼を見て娘も幻想の世界に逃げ込んだ(薬物常習者で、かつ彼の娘である)というようにも取れる。やはり開かれた作品である。

  • 鑑賞日 2015/4/15

     かつてヒーロー映画で一世を風靡するも世間から忘れられた俳優がブロードウェイの舞台で復活しようとする。その男をティム・バートン版「バットマン」で主役を演じたマイケル・キートンが演じるのがプチ・ドキュメンタリー感。  若い時は自分が天才で何でもできると勘違いする時期が多かれ少なかれ誰にでもあるだろう。そうではないと気がついてなお、老いてから再び羽ばたけるのか。この映画はそうした世の中年全員に対する応援映画だと思う。マイケル・キートンが劇中で使う超能力は一見物語に不要にも思えるが、若かりし頃に抱いていた無敵感や自信のメタファーではないだろうか。  全編ワンカットで撮影されたかのような映像と編集は圧巻の一語。

  • 鑑賞日 2015/4/16

    「バードマン」をめぐっての私と「わたし」との問答

    監督の「BIUTIFUL ビューティフル」を、私は高く評価しており個人的に2010年度のマイベストワンに選ばせて貰った。あの彼は死んだ人間の影が見えるという役柄だったが、それ以外はかなりのリアルな作品だった。今回アカデミー賞の主要3部門を受賞して、本格的にハリウッドの大監督に躍り出てしまったが、私は少しも嬉しくはない。この作品が好きになれないからである。 難解さでいえば、過去の作品のどれよりも易しかったかもしれない。突然場面が切り替わらずに時制が跳ぶけれども、そんなことは演劇の世界では当たり前のことだから、この作品世界の中ではむしろ当然だろう。主人公の幻想かリアルかわからない描写も、最終的には鬱状態が見せる幻想としか思えない「作り方」をしているので、リアルの立場から、私たちはこの作品を見ることができる。 時々出てくるCGは、演劇の世界に対する映画の世界のアンチテーゼのようなものだと思える。だから、終盤は演劇的な舞台装置は影を潜めて、映画的な主題が全面に出る。 「都会の映画仲間たちの抑圧について、監督は実に良く表現したと思う」 「しかし、私には関係のない社会なのではないか」 「いや、そうじゃない。表現者は社会のどこにもいて、君の中にも十二分にいる。その人たちの苦しみを、見事に描いているからこそ、大きく評価されたのだ」 リーガンに寄り添うバードマンの如くに、私は「問答」する。 「じゃあ、彼はどんな風に行き詰まって死を選ぶような真似をしたのか。そこは十二分に描かれているのか?」 「それは演劇表現と映画表現との狭間で苦悩して‥‥」 「でも、結局それを打ち消す(無知がもたらす予期せぬ奇跡)という大きな評価を貰ったじゃないか」 「あれは‥‥」 「そもそも彼女はつまらないと憤慨していの一番に席を立った女じゃないのか?それならば、本来はああいう評価じゃないはずだ」 「席を立ったのは誰だったか‥‥」 「私はつまらない作品だったと思うね。ただし、娘役のエマ・ストーンは素晴らしかった。彼女はアメイジング・スパイダーマンの新しいヒロインとして有名だけど、今回は父親の愛情を貰えないで薬物中毒で施設に入った過去のある娘を繊細に演じている。女たらしのエドワード・ノートンが、君はホントは光り輝いているんだ、と褒めるけれどもビルのカンランに座っている彼女は都会の片隅に咲いている何かの花に見えたよ」 「君はいつも一生懸命頑張っている女の子には甘いんだから」

  • 鑑賞日 2015/4/15

    『アモーレス・ペロス』(2000)で一躍有名になったメキシコ出身の映画監督アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の最新作で、2014年の米アカデミー賞作品賞と監督賞、脚本賞などを受賞したことでも話題になったのが本作。公開前にはアメリカ版ポスターと日本版ポスターの構成の違いについてもネット上の一部界隈で話題になったりもしていました。主演は『バットマン』(1989)で主演を演じたマイケル・キートンであり、本人のその経歴もあって、「バードマン」というアクション映画スターだった主人公が再起を目指す物語、という構成にかなりの説得力を与えています。 以前『マカロニ・ウエスタン 800発の銃弾』(2002)について、監督のアレックス・デ・ラ・イグレシアが「本作のラストにイーストウッドが出演してくれたら、もうそれで映画は成功したも同然だ」と言ったとか言わかったとかいう話がありますが(そして出演はならず)、本作はそういった意味でマイケル・キートンのキャスティングに成功した時点で、映画としてはまず成功したも同然、というような部分もある気がします。さらに、本作では劇中で何人ものハリウッド俳優(ライアン・ゴズリングとかメグ・ライアンとか)が実名で挙げられており、そういった点も映画のリアリティを高めることに一役買っているという印象があります。 ワンカットに見えつつも、一体どうやって撮ったのか非常に不思議な長回しなど、斬新な映像が話題になる本作ですが、そういった技巧的な部分を取り除いてみると、本作は「かつて栄光を掴んだ落ち目の男が、再起を賭けるストーリー」という、それこそキング・ヴィダー監督の『チャンプ』(1931)ではないですが、昔から繰り返し描かれてきたストーリーであり、そういった部分も観客に訴えかける要素でしょう。また、アカデミー賞受賞については、本作が「劇の映画」というアカデミー会員好みの題材であることも一因かもしれません。映画の映画とか好きですしね、あの人たちは。 才能はありながら、舞台をかき回すトリックスター的役回りを演じたエドワード・ノートンはさすがの上手さ。たまに若い頃のエド・バーンズみたいに見えたのは髪型のせいかなぁ……? 主人公リーガンの娘サムを演じたエマ・ストーンは、ぼくは『ゾンビランド』(2009)以来5年ぶりくらいに見たのですが、当時からチャーミングな女優さんという印象はありましたが、なんかかなりいい役者さんになったなぁ、という印象。特に中盤の長台詞のシーンの迫力はすごかった。 http://todaysmovie.ldblog.jp/archives/1890209.html

  • 鑑賞日 2015/4/15

    夢か現か…

    一時はヒット映画「バードマン」のスターだったリーガンは鳴かず飛ばずで20年。再び栄光を目指す初老の男の孤軍奮闘のコメディテイストのドラマ。努力すればするほど裏目に出て自縄自縛状態になるのが滑稽でもあり、うら哀しくもある。 NYタイムスの女性大物評論家とのトークバトル、元ドラッグ中毒の娘サムとのすれ違い、そして極めつけは代役だった筈のマイクの強烈な個性の前に殆どメゲテしまうリーガン、と舞台内外のエピソードと、リーガンだけに体験することのできる超能力や浮遊能力でリーガンの心の動きをファンタジックに描写する。 全編にわたってカットつながりがとてもスムーズで、撮影や編集の技術のレベルの高さを見せてくれる。アカデミー賞4部門受賞できたのも当然かもしれない。

  • 鑑賞日 2015/4/14

    初見時は刺激的な映像と音楽に圧倒され内容は流しで観たが、今回は内容を掘り下げつつ、それとシンクロする映像と音楽も併せて楽しんだ。 そして観終わった後の感想としては素晴らしいとしか言いようが無い。コメディでありながら内包するものの多様性と豊穣さに舌を巻く。ハリウッドブロックバスター映画を皮肉っていたかと思うと「みんなが大好きなのは血とアクション。しゃべりまくる重々しい芝居じゃない」と真の自我ともいうべきバードマンに言わせて特撮映像を見せる。「どうだ、お前らこれが好きなんだろ」的な。いやはや痛快です。 そして改めて感じたのがこのワンカット長まわしのすごいこと。単に一つにつなげるのはヒッチコックに始まりミュージックビデオでもたまに使われているが、この映画は現実と内なる自我、時間と場所までシームレスに移動させているのが凄い。イニャリトゥ監督の「結局、人生というのはワンカットのようなもの。人は誰でもそれぞれの現実に捕らわれてる。」という言葉から人生の一部を(思考も含めて)切り取って見せようとしていることがわかる。 初見時にこの音楽と映像とのシンクロする感じは前にも観た事あると思っていたが思い出した。ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」だ。あれは映像に合わせてマイルス・デイビスが即興演奏したそうだが、今作はパンフによると事前に60トラックぐらい作っていて実際に音楽を流しながら撮影したそうで、リズムを感じながら演技させたとのこと。 今年のアカデミー賞のノミネーションで「ゴーン・ガール」がもれた事を不思議に思っていたのだが、これを観て納得。ただでさえアカデミー賞はコメディーの扱いが低いのに、こんなのがあったらそりゃ落ちるわなって感じだ。

  • 鑑賞日

    ジレンマを打破する挑戦

    ロサンゼルスとニューヨーク。西海岸には映画の都ハリウッド、東海岸には演劇のブロードウェイ。アメリカで役者をする人間にとって、それぞれの聖地での実績は重要なことなのだろうか?映画創成期の1900年代初頭は、演劇=ハイソ、映画=低俗なんて認識はあったかもしれないが、現在ではそんな差はないように思える。落ち目の元ヒーロー映画役者が再起を賭けてブロードウェイに挑むというのは、役者だからこその考えか。映画で語られる「成功したい」という執念は、映画スターではなく役者として認められたいという野心だ。演劇は劇場での公演でしか見られないが、映画であればスクリーンの数だけ見られる機会は多いはず。「有名になる」と「成功」は一致していない。そのジレンマが、過去の”バードマン”との二律背反になっており、SNSを中心としたインターネット社会での「役者の成功とは?」というような、役者にとっての命題ともいえる問題に直面する。どちらも役者自身が、どのように納得し、受け入れるか、という個人的な話だろうし、それがそのまま映画のラストだと思うが、ここまで凝った描き方と、現代の感覚が生きている様はただただ凄い。 映画の特質は「時間と空間」を操れることにある。それは舞台上の出来事である演劇には不可能なことだ。また、そのために映画は「フィクション」であり、演劇はリアリズムの側面をもつ。バードマンが嘘の象徴、エドワード・ノートンがリアリズムの象徴ともいえる立場をとりながら、これは映画だ。いかにも演劇的な「継続した時間」をワンカットという手法でフィクションの世界を演出している。ヒッチコックの『ロープ』による試みの完成形がこの映画なのだろう。 映画の内容も役者のジレンマ。映画の描き方も映画と演劇のジレンマに挑戦している。ここまで映画と演劇の本質に、同時に切り込んだ作品はあっただろうか?その挑戦の結果、これは見事な「映画」であった。

  • 鑑賞日

    情報量すごい。観終わって、結論を付けられなくて困る。 あらゆる世界・社会・映画界に対するメタファーを消化しきれない。けれど、めちゃくちゃ面白くて、残る映画。 よく言われる俳優の実人生とのリンクや、疑似ワンカットも、話題ばかりが先行する映画界への警鐘であり、それを映画内舞台でも再現してみせる。実際、この映画の話題性というものにも寄与している。 また、バードマンについて。彼の内面の顕在化でありながら、それは役として与えられたものだったはず。それが自分の内面になってしまっている。それは十分に狂っているということ。その彼が、舞台で狂ってみせた時、彼は認められる。けれど、それは彼にとって良き結果だったのか。何でも出来る、そんな自分の内面の中だけで生きることを彼は選んで、それが認められてしまった。幸せなのかも分からない。最後、彼はどこへ行ったのか。 エマストーンのSNSもせずに自己正当化のみの主人公は「この世にいないと同然」という言葉は、現代の鋭い批評で、自分には胸が痛かった。

  • 鑑賞日 2015/4/15

    マイケル・キートン

    簡単そうで、なかなか理解が難しい映画。ささやく声に導かれてバードマンになりきるのは幻影なのでしょうが、リーガンの念力(物を動かしたり、浮遊体制など)がさて?

  • 鑑賞日 2015/4/14

    エマは透き通った瞳で選ばれた

    ◎ 2時間もの映画全体がワンカット(のように)撮られた作品を観るのはかなり疲れる。気の休まる時がない。しかも、シーンのほとんどがごみごみとした室内シーンであるとしたらなおさらだ。キートンの娘役のエマのように、屋上に上がってヘリに腰かけてみたくなる。 ◎ しかし、舞台の上でキートンが自分の頭に向けて実弾を発射し、突然ワンシーン・ワンカットが終わる。これでクレジット・タイトルが出ると思ったら、病院でのシーンに続く。この病室シーン全体がキートン亡き後の娘の空想シーンとみることはできないか。それならば、実際にキートンが空を飛んでしまうのも分かる。娘も父親のように屋上から空を飛んでみたかったのだ。それにしてもエマ・ストーンの大きな目の中にある宝石のような瞳の美しさはこの世のものではない。

  • 鑑賞日 2015/4/14

    それぞれの人生で感慨も変わる?

    と思います。ラストで娘は何を見たのかというところは・・・想像力を働かせて自分なりの感慨で終わりたいものです。

  • 鑑賞日 2015/4/16

    すばらしい撮影と演技

    2015年4月16日に鑑賞。ヴィスタサイズ。 「ゼロ・グラビティ」と本作でアカデミー撮影賞を受賞した、エマニュエル・ルベツキの撮影がすばらしい。すべてワン・カットで撮ったと見えるこの撮影はどうやって撮ったのだろう。もちろんカットを割らないと撮れないが、連続する俳優の演技をカットなしで撮るには、俳優の演技にNGは許されない。綿密な演技のリハーサルとカメラの移動のリハーサルが不可欠である。でもどうやって撮ったのか。すばらしい映像である。 室内から外を映していたカメラが窓枠を通り抜けて室内へ入る。室外にあるカメラが窓枠を通り抜けて室内に入る。ヒッチコックがミニチュア撮影で撮っていた映像が本作ではリアルな映像で撮られている。 俳優たちの演技がすばらしい。マイケル・キートン、エドワード・ノートン(「真実の行方」1996以来、その演技力と演技魂はこの映画のマイク「舞台の上では俺は何でもできる」そのままである)、エマ・ストーン、ナオミ・ワッツ、アンドレア・ライズブロー、エイミー・ライアン(妻)皆すばらしい。 [疑問点] 「物体を動かす」超能力は、自分には他人から認められていない才能・能力があると、自分では思っているという比喩である。潜在的な才能を認められない評価されないという主人公のうっ屈を表わしたものである。 「内なる自分の声」に導かれて、再度空を飛んだ主人公が「ある悟り」を得て、穏やかな顔になり元妻とも和解した後に、自殺をはかるのは不自然ではないか。演劇ではなく映画の世界へ戻る決意をしたのではないのか。ならば、自殺する意図が分からない。 自殺を失敗し鼻が無くなったのは、何かの隠喩か。ほんとうに自殺するなら、頭に銃を当てて自殺に失敗するはずがない。NYタイムズ紙の演劇批評家は「自殺未遂」も含んで評価したのか。初日で終了してしまい、劇場にも他の出演者やスタッフに対しても迷惑な奴なだけであろう。 ラスト、トイレの便器に座る「バードマン」に「お別れだ」と言って窓から外へ出るのは、どう言う意味なのか。もう「内なる自分の声」は聞こえず「バードマン」も現れないのではないか。すでに「悟り」を開いたのだから。また、空へ飛び立つ意味は何だろう。 主人公の採るべき道は、絶賛された舞台には敢えてもう出演しないで、映画の世界に戻って「バードマン4」に出演することであろう。映画人が大嫌いというNYタイムズの演劇批評家を登場させている脚本の意図は、映画人の矜持を表現するということであるはずだ。お子様向きの映画のヒーローでなぜ悪い。

  • 鑑賞日 2015/4/14

    これぞ一級品!

    90年代にコミックヒーローを演じスター俳優になった主人公が人気回復とイメチェンを図り舞台に挑戦する様子を流麗なカメラワークと奇抜なアイデアで描写した人間ドラマ。 人生の迷路をさまよう主人公の内面を具現化したようなバックステージの細長い通路の使い方が秀逸。 実名で登場するスターたちの中でも、悪天候に見舞われた飛行機内で偶然居合わせたジョージ・クルーニーと主人公とのメディアの扱い方(万が一墜落した場合という仮定で)に関する考察が印象深かった。 主人公が俳優の道に進むキッカケになったレイモンド・カーヴァーからのメッセージ(カクテルナプキンに書いてある)が時を経て本来の姿、つまりグラスの下敷きに落ち着いてしまう皮肉に満ちたワンカットも気に入った。 娘で付き人でもあるエマ・ストーンが病室の窓から見た光景とは果たして何だったのか。これほどイマジネーションを刺激されたラストシーンは初体験であった。心酔という言葉がピッタリの一級のエンターテイメントである。

  • 鑑賞日 2015/4/15

    愛とは愛されたいと願うこと

    最高だった。好き。めちゃめちゃ好きだ。テーマの時点でもう跳満ついてるのに、過去最高に近い圧倒的なワンカット、ルベツキ先生のカメラはもはや神、役者陣も完璧、サウンドトラックのドラムも見事、内容もいくらでも議論考察したいほどぶち刺さっちゃうわ……。とにかく唯一無二の傑作であり、愛に飢えている人。クリエイティブな仕事についている人。そしてすべての現状に満足していない輩どもは、ラストシーンの奇跡を見て号泣するのだ。 「この人生で望みを果たせたのか?」 「果たせたとも」 「君は何を望んだのだ?」 「”愛される者”と呼ばれ愛されてると感じること」 この詩の引用とか、劇中劇とか、カーヴァーのお洒落な使い方よ! 愛だよ。愛についての映画なんだよ。 それにしても、ちょっと解釈の分かれるラストにしたりしただけで難解とかぬかして低評価をつける馬鹿はなんなんですかね。あと作中でのマジックリアリズム描写を受け入れておきながら、ラストだけ絵面通りに解釈してるっぽいやつが多いのは何故? 多分あれもメタファーだろ。そしてハッピーエンドだろ。

  • 鑑賞日 2015/4/14

    ハリウッドの意地

    かつてヒーローを演じて一世を風靡したハリウッドの俳優が、起死回生をかけてブロードウェイの舞台公演の成功を目指す。 描かれるのは、公演の初日の前の数日間から初日を終えた翌日まで。ブロードウェイ(に限ったことかどうかはよく知らない)では、初日の前はプレビューという公演を行い、観客の反応を見る。その数日間と初日の模様だ。 主演と同時に演出と脚色を兼ねる俳優は、共演男優がリハーサル中に怪我で交代、交代した男優は共演女優の恋人で才能豊かだがワガママ…などなど、度重なるトラブルに見舞われ、ただでさえ落ち込み気味の気分がさらに落ち込んでいく。 面白かったのは、楽屋落ち的な部分。例えば「俺より下手な俳優がブリキの板を着て活躍してる」(アイアンマンのこと)というぼやきとか、プロデュースを兼ねる弁護士が俳優を元気付けるために言う「内緒だがマーチン・スコセッシ監督が来てる。次の配役探しだ」(実はウソ)とか、いかにもありそう、言いそうなのが出てくる。 極め付けは、NYタイムズの超有力批評家だ。ハリウッドがブロードウェイを汚すなとばかりに、初日以前から酷評を書くと宣言するのだ。時々、映画俳優がブロードウェイの舞台に出るという話を聞くが、たたき上げの舞台人たちの気持ちを代弁しているようにも感じる言葉だった。 しかし、実はこの作品は映画でしかできない表現を随所に使っている。焦燥に駆られた主人公の行動がSFX満載なのもそうだが、最たるものはほぼ最後までワンカットで出来ているところだ。ワンカットだから時間経過もリアルタイムと同じかと思えばさにあらず。同じ風景でそのまま日が暮れたり、あるいは追いかける人物が変わったところで時間も経過していたりと、舞台では難しい、時空を超えるという技をいとも簡単にやってのける。 この辺りには舞台だけが芸術だというブロードウェイへの隠れた反抗心、ハリウッドの意地も感じる。 さらに、それが今年のオスカーを取った隠れた理由かもしれないなどと邪推した。

  • 鑑賞日 2015/4/14

    エゴとジレンマ

    朝起きると新しい一日が始まった気がする。昨日までの悪い事はどこへやら、爽やかな気持ちで学校や会社に向かう。 だが自明のことながら今日は昨日の続きであり、昨日までの問題は相変わらず今日の私達に付きまとう。 本作の長回し撮影、同じ画で明るさだけを変えて昼夜の変化を表すといった方法は、主人公の冴えない日々が途切れず続いていく苦しさを表わすのにピッタリの表現だ。 かつてヒーロー映画の主人公としてスターとなった主人公はその後目立った活躍が無く落ちぶれた。映画は彼が舞台俳優として再起を伺う所から始まっていく。 彼がもう一度スターの座に返り咲こうとする姿は一見痛々しく滑稽だが、必死で足掻いて戦っている姿はかっこ良い。彼の姿を笑う者は自分自身を振り返ってみるといい、きっと蔑みの笑いが消えるはずだ。 トップ俳優からあの人は今的な立ち位置になり、自分の求めるものと世間が自分に求めるものとのギャップに苦しむというのは一般人には理解しにくいかもしれない。 しかし、志望した学校や会社に入れなかった、音大を卒業したけど音楽で食べていけない、投降した小説や漫画が箸にも棒にもかからない等々。 自分の夢、エゴと世間が自分に求め、強いてくるものとのギャップというのはスターに限らず私達も生きて行く中でぶつかる問題だ。 最後主人公は死を以て自分が望んでいたもの(高評価の舞台批評、望んだ花を持ってきてくれる娘など)を手に入れて大空へと飛翔する。 彼は自分のエゴを突き詰めた結果死によってしか報われなかったが、私達観客には他に道がきっとあるはずだ。 最後の彼の選択だけは反面教師にして、生きるという選択の延長線上で彼の様に泥臭く足掻いて生き抜いていきたいものである。そして大空高く飛翔し高らかに鳴くのだ。

  • 鑑賞日

    ウディ・アレンが話してる!

    低音が腹に響くドラムをバックに不穏な空気と共に幕が開け、一気に語り始めて時間と空間を支配する。とてもマジメなテーマを皮肉たっぷり、それでいて所詮オッサンの戯言と対象そのものをシニカルに観察するような重層劇。で結果ドリフ的な。最高である。 いちいち映画名やら俳優やらアベンジャーズやら固有名詞が具体的過ぎておもしろ過ぎる!エマ・ストーンいい!エドワード・ノートンボコられてからどうした!?元気出せよ、もっと見たかったゾ! それでもってSNS/リアルタイムも大事な要素なので、今NYのド真中にいるような特異な錯覚を興させてくれる体感型映画でもありました。「ブロードウェイなう」 この映画の語り口は、横道に逸れながら 早口で饒舌な神経症的特徴がある。語りの内容や苦悩も含めてウディ・アレンが喋ってるのをそのままの早さで映像化したみたいだった。

  • 鑑賞日 2015/4/14

    撮影手法のみ

    確かに撮り方は面白い。 別に革新的だとまでは思わなかったけど、 あの撮影方法で貫き通しすのは勇気がいると思うし、 その制約の中で脚本を書くにも簡単じゃないだろう。 そういう意味では価値ある一本だとは思う。 話も悪くない。 けど、これがオスカーか? と言われればやはり疑問が浮かぶ。 マイケルキートンはすごい頑張ってるよ。 決して大きくない世界観を上手く使ってるとも言える。 でも、「6才の僕が…」の方が二度と観れないという意味では価値があったし。 作品としての面白味もあった気が。 撮影方法にこだわり過ぎたのでは、と 少し残念である。

  • 鑑賞日 2015/4/14

    感想

    とあるサイトのユーザーレビューでは賛否両論でしたが、私的には凄く楽しめました。今の時点で今年一番の映画になりそう。マイケル・キートンの地で行くストーリーと現実と虚構が入り混じった展開、他の俳優陣の見せ所もあって、飽きるシーンなど見当たりませんでした。エドワード・ノートンの自信満々な俳優の役どころが面白かった。ナオミ・ワッツはいつ見ても綺麗、エマ・ストーンはムーンライト・イン・マジックで見たばかりでしたが、どちらとも演技が達者。ドラムの音楽も相まってかグングン引き込まれて見ていて何だか気持ち良かった。(??)シーン間のカメラワークも不思議で印象深かった。こういう独特の映画が賞レースに出てきて映画界もまだまだ捨てたものではないと個人的にですが少し安心するところもありました。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    ドラム

    有名であること、褒め讃えられることへの執着、いわゆる“演劇界”へのコンプレックス。 ハリウッドの映画俳優の性というか業というか、そんなこんなをあざといほどに自虐的に描きつつ、なんだか妙にたくましい。 自分のそばにあった大切なものに気づいたイカロス。 じゃぁ、この先ずっとイカロスは羽ばたかないのかって、そんなの限らない。 バードマンと決別したって、飛ぼうと思えば空なんて飛べる。 たとえ直後に地面にたたき落とされるとしても。 そんなたくましさが、外国人(メキシコ人)であるイニャリトゥ監督の強みなのかと思う。 まるでワンカットであるかのようにみせる撮影技術は本当に見事。 一方で、その連続性が、受け手の私には瞬きできず息がつけないようで、ちょっと負担にも感じたが、素晴らしいドラムの響きが意識の緩急を助けてくれる。 なるほど、BGMの効果というのはこういうこともあるのかと改めて感心した。

  • 鑑賞日

    まるでワンカット長回しのように錯覚させる滑らかなカメラワークは快感すら覚えるこだわり様でグレイト。 狂気と現実のギリギリを彷徨うエゴまみれのテイストに加え、映画産業錐体の現代に「これが映画だ!」と言わんばかりの皮肉が良い。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

    もう一度輝くためには何をすればいいのかともがき苦しむ一人の男にスポットを当て、かつてヒーローだった自分を取り戻していく。バードマンとして一世を風靡したリーガン・トムソンは今や落ち目。周囲の人間は今のリーガンを知っている者は少なく、声をかけられれば「バードマン」と呼ばれてしまう有様。これは今の彼にとっては屈辱とも言える。そこで考えてしまうのが今回主役を演じたマイケル・キートン。思い返すと彼もバットマンとして世間を賑わせてから栄光と挫折の人生を歩んできた。そんなキートンだからこそこの「バードマン」という役は適役以上の何物でもなかったのではないかと考えてしまう。ゴシップや有名人を皮肉ったコメディ要素からエドワード・ノートンやエマ・ストーンといった実力派の役者達が魅せる喜怒哀楽豊かな演技は見せる者を飽きさせない。 そして、忘れてはならないのは斬新な1カット撮影。「ゼロ・グラビティ」に続きアカデミー賞を受賞したエマニュエル・ルベツキと監督のイニャリトゥの努力の結晶であり、一体どうやってこんな撮影ができたのかと想像もつかせないほどの手法は今後の映画業界にも激震が走るほどの驚きとなったに違いない。そして、撮影も一級品ながら挿入されているドラムロールも素晴らしい。1カット撮影と並行して、人物が歩くとそのテンポに合わせ軽快なドラムが打ち鳴らされる。人と人との言い争いや自身を見つめ直す瞬間といったシリアスなシーンでは時が止まったかのような無音という名の立派な挿入歌で静寂な空間を作り、はたまた時間が動けば心躍るようなドラムロールが再び開始される。 音楽や撮影技術、申し分ないが物足りなかった部分もある。再起を目指すリーガンという人物の人間性をもっと顕著に表してくれると彼の立場をより理解することにより作品に入り込めたのかもしれない。

  • 鑑賞日 2015/4/13

    どうやったの?

    20年前、アメコミヒーロー映画『バードマン』で一世風靡した役者。しかし、現在は落ち目。再起をかけて、自らが全てを仕切るブロードウェイでの舞台に臨むが… ①毒を持って、毒を制す 過去の自分のバードマンの人格が彼に話しかける。『バードマン』に戻れと。現実を見ろ、お前はここには必要とされていないと。自分に自信がないのに、過去にこだわり持つ。だから、自分の思い通りに舞台を進めたい。予定通りに、自分の実力を証明すると同時に恥はかきたくない。しかし、どんどんことは起こっていく。様々な周囲の人間との化学反応で生み出す舞台。どんどん予期せぬことがあると、評判は上がる。客は増える。この「問題作」的なレッテルは古今東西。想像が想像を凌駕する。現実を持って現実を制する。予想不可能性がこの映画の物語の最大のエッセンス。 ②アカデミー賞4部門 世界で最も知られるアカデミー賞を4部門で受賞。作品の評価はとても高い。 ③トリッキーなキャメラワーク、モンタージュ てか、どうやって作ってるの?分からん…(無知なもので。) ワンカットで最初から最後まで撮ったように見える。いやいや、そんなはずは。でも、その効果はすごい。ヒッチコックはカットを割るとエモーションが途切れると言っていた。この映画は途切れない。どんどんのめり込んでいく。現実とファンタジーの境界がはっきりしていくようで、どんどん曖昧になる。それも、映画の作り方がワンカットに見せている幻想的で途切れることがないからこそで、どんどん釘付けにされてしまう。 と同時に、移動の仕方も寝られている。登場人物、主体がどんどん変わり、視線も変わっていく。その外し方や、交代の仕方に無理がなくて、のめり込めてしまう。カットを割って変更することは簡単だけど、この映画はそれをしない。物語の連なりとともに、自然に移行していく。すごかった… 同じような現実と夢、想像の成果を彷徨う話はあるけど、こうした映像でもって提示されると面白みも深まる。もう一回観たい♪

  • 鑑賞日 2015/4/13

    驚異的な撮影!

    賛否両論あるみたいですが、私はとても好きな作品です。 アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の作品は「アモーレス・ペロス」「21グラム」「バベル」とずっと苦手意識がありましたが、2010年の「BIUTIFUL ビューティフル」には心を揺さぶられ、2011年公開作品の外国映画1位に選びました。これは黒澤監督の「生きる」にインスパイアされた作品で、余命わずかな男(ハビエル・バルデム)が子供たちのために奔走する姿が描かれます。あまりに過酷な物語ですが、そのあと深い人生の肯定と魂の救済が心を満たす作品。シリアスな人間ドラマに一種のファンタジー要素(と言っていいのかどうかわかりませんが)が加わった不思議な感覚が心に残りました。 (以下に「バードマン」を好きな理由を列挙します) 1.脚本 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は、「ビューティフル」の脚本グループが再び集結して脚本を書いた作品。もともと、虚実ないまぜの作品(そのあげくもしかして実は全部「実」?または「虚」?みたいな)は好きですが、本作の絶妙なファンタジー感覚にはワクワクさせられました。 2.撮影 そして、この映画が好きな最大の理由は「長回し」です!溝口健二監督、テオ・アンテロプロス監督の長回し(ワンシーン・ワンカット、数シーン・ワンカット)を見るのが大好きなので(でも相米監督の長回しはちょっと苦手)、本作のまるで一作まるごとワンカットで撮られているような長回しを眺めるのは至福の時間でした。まさに驚異的です! 3.音楽 「死刑台のエレベーター」のマイルス・デイビスのように、ジャズドラマーのアントニオ・サンチェスが音楽を手掛け(ご本人も登場します)、劇伴はほぼドラマスコアだけ。これが本当にかっこいい。 4.マイケル・キートン 本作の主役リーガンとキャリアがオーバーラップするような「バッドマン」のマイケル・キートンが主演していることも感慨深いですが、その演技にも脱帽しました。本作でリーガン(マイケル・キートン)は、起死回生を狙う落ち目の映画スターという素の姿の中で、時々異様な様子を垣間見せ、バードマンの声が聞こえたり超能力を使えたりする主観(?)、それを他人が見たときの姿、そして演劇の舞台での演技、と何種類もの演技を見せなくてはならないのですが、作品全体がワンカットに見える撮影方法を用いているために、演技の切れ目でカットを切れず、編集点が分からないところでカットを切らないといけないので、種類の違う芝居に瞬時に切り替えなくてはいけない場合があるというとても難しそうなことを凄い迫力でやっています。 で、問題の最後ですが(ネタばれになるのでこれからご覧になる方は読まないでください)、私は単純すぎるかもしれませんが、リーガンが宙に浮いているのを娘が見て驚いているのだと思いました。妄想だと思っていたけど本当だったんだみたいな遊び心?まぁそういうサプライズにしてはちょっとしょぼい気もしますが…。でもその直前にトイレでバードマンに決別しているからなぁ…、もしかして全然解釈を間違っているのかもしれません。ぜひ見た方に教えていただきたいです。 あと、不満を言えば「予告でいいとこ全部見せすぎ!」 ぜひ劇場に足をお運びください

  • 鑑賞日 2015/4/13

    パラノイアものの最先端

    アメリカ映画はこういうのうまいな。こういうのっていうのは俳優の葛藤をコミカルにファンタジックに畳み掛けていくやつだけど、様々な手法をミックスして、様々な映画のいいとこをチョイスして。 面白かった。けど、ちょっとやりやりな気がしてゲップがでるかも。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    うーむ。

    賛否別れる作品・・・とのことですが、私はどちらでもないです。どちらとも決められないというのが正確でしょうか。 ワンカット(風?)の撮影方法は確かにすごい!と思いましたが、後は何だかピンときませんでした。でも自分は退屈な映画とは感じませんでした。 2つ隣にいた若いカップルの男性の方は終始いびきをかいて寝てました。女性の方が映画好きなのかな?いずれにしても人によっては全くピンと来ないのでしょうね。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    翼をください!

    落ち目のハリウッド俳優がなんとかもう一度飛翔しようともがくさまが、おかしくものがなしく愛おしく描かれている。 ワンカット風の独特の映像とジャジーなドラムが飛べそうで飛べない男の浮遊感を醸し出していてすばらしかった。現実と妄想の境目があいまいなのも、この演出がとても効いていると思う。 演劇界の番人である批評家女史が言い放った『あなたは役者ではなく、ただの有名人』というせりふにハリウッド俳優たちはどれだけぐさっときたんだろう。そんな彼女が実は主人公の一番の理解者であったというのもぐっとくる。 アカデミーらしくないという声も聞くけれど、優等生な作品よりも本作のような作品が映画らしくて好きだな。 そして、エドワート・ノートンの演技がすばらしい。

  • 鑑賞日 2015/4/12

    究極の映像

    シームレスな映像を嫌味なく撮っている。どうやって撮ったのかという点では『ゼログラヴィティー』超えたかなと

  • 鑑賞日 2015/4/12

    圧倒的。 ほぼワンカット撮影だが、つなぎ目はほとんど分からないので視覚的には全編完全ワンカットだ。 その中で主人公が見る現実と幻想(幻覚)が入り乱れるのだから、観ている側も同じ錯覚に陥る。 役者たちの演技も含め見事としか言いようのない文句なしの本年度アカデミー賞作品賞受賞作。 シネマ1

  • 鑑賞日

    バードマンの

    低い声が素敵だった。 なかなか面白かった。 所々笑えて楽しめた。

  • 鑑賞日 2015/4/12

    舞台裏の迷路劇

     劇場裏はまさに迷路のようだ。本当はそこまで複雑ではないの だろうが、なにせカメラがひたすらキャストたちを追い続けるの だから、みているほうは目が回り出す。映画人と舞台人、そのち がいは等の本人たちどうしでのエゴのなすり合いのよう。芸術だ ろうがなんだろうが、金払って見に来る客がどう判断するかで、 なんぼでしょ。所詮はバードマン。されど憧れのヒーローであっ たことは確かなのだ。女優陣がすばらしい。

  • 鑑賞日 2015/4/12

    究極のワンカメ

    導入からまったく切れ目なく芝居は連綿と進行する。観客の息次ぐ場所もなくドラマは色んな方向に拡散しカメラは収集がつかない。やと終わったと思うところでまた始まりそうな気配。すごい映画だ。これをやってしまった次は映画はどうなるんだろう。爽快感よりも重い気分はなんだろう。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    第一に素晴らしいのはやはり撮影技術で、それだけですでにマスターピース。流暢な映像はエンターテインメント性の極みだ。 加えて優れた批評性である。文学的価値を大いに高めていて、非常に見応えがある。

  • 鑑賞日 2015/4/12

    足掻いて何が悪い

    誰しも年をかさねるにつれ、過去に固執してしまう。過去が現在に比べ、良かったものに思えてしまえば、しまう程に。で、悪足搔きをしてしまう。それが側からみれば、みっともなく見えることが分かっていたとしても。 ても、それのどこが悪い。悪足搔きであろうと、そうしないと前へは進めないのだから。

  • 鑑賞日 2015/4/12

    映画でしか出来ないことをやっている。

    ずっと鳴っているドラムの音に胸騒ぎがする。それでいて、何か明るい、希望のようなものも感じさせる。冒頭からずっと続く滑らかだけれど不安定な手持ちカメラは、まさに鳥のよう。 すべてが不安定なのだ。マイケル・キートンやその娘、エマ・ストーンの精神も、舞台の出来も。吉と出るか凶と出るか、最後まで浮遊を続ける。 映像、音共にスクリーンで観るべき映画。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    驚愕のカメラワークと良質の音楽

    あらすじは以下の通り。 俳優リーガン・トムソンは、かつて『バードマン』というスーパーヒーローを演じ一世を風靡したものの、シリーズ終了して20年経った今ではすっかり落ち目となってしまった。彼はレイモンド・カーヴァーの小説『愛について語るときに我々の語ること』を自ら脚色・演出・主演を手がけ舞台化、ブロードウェイで上演し、再び喝采を浴びようとする。しかし起用した実力派俳優のマイク・シャイナーばかりが注目される上に、娘サムとの溝も深まる一方。リーガンは精神的に追い込まれていく……。 何はともあれ全編1シーンの長回しで撮影したかのようなカメラワークが素晴らしい。 演出と撮影と編集に相当な苦労があったはず。また、登場人物の心情に沿ったようなドラム音楽とテンポよく進む話も凄く良い。 途中、アメコミ調になってリーガンが空を飛んで劇場に行くシーンがあるわけだけどら本当はタクシーで向かっていることがわかる描写がある。 バードマンはリーガンの頭の中にのみ存在する声だというのをはっきりと知らせる演出となっているのに、ラストはなぜか病室の窓から飛んでいったかのようになっている。 初見では意味を汲み取れない部分も多い味わい深い映画。黄色い字幕というのも何か意味があるはず。 色々調べた上でもう一度観たい。 ティムバートン版『バットマン』以降目立った活躍のないマイケル・キートンがこの映画の主演を務めた時点でキャスティング的には百点満点。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    映画作品として、

    映画作品として、どう評価したらいいか。考えさせられた作品でした。テーマ、演出、撮影、編集、音楽、演技、美術・・・斬新に思いました。ただ、こころ動かされる場面は、あまりありませんでした。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    一度では、消化しきれない

    俳優にとって、自分の人気が落ち、出番が少なくなっていくこと、人から忘れられることの辛さ、そのことに対する恐怖は、一般人には計り知れないもの。いつまでもスポットライトを浴びていたころを忘れられず、無理を重ねる姿は、「レスラー」のそれを酷使している。 主人公はバットマンを演じたマイケル・キートンそのものの俳優人生とシンクロする。映画から舞台に活躍の場を切り替え、わがままで実力のある俳優陣や癖のある批評家、客の入りなどプロデューサーとしての葛藤や老いゆく自分の風貌との戦いそして、バードマンとしてのここっろの吹っ切れ。 まさに、マイケル・キートン自身の吹っ切れた感情がそのまま、演技の成熟につながった映画であった。「無知がもたらす予期せぬ奇跡」の副題はこういうことなのか? また、爆破やヒーローものといった大衆娯楽?やSNSに走る現代の映画界や観客への強烈な皮肉も込められている。予告編を見た観客(自分もそうだが…)は、過去に目覚めた主人公がアクロバティックな活躍を大いに見せる映画なのではと勘違いするだろう。そして、映画の常識を逸脱した独特的な映像。そのあたりのリアルな感情も、辛酸をなめたマイケル・キートンの人生の中から昇華されたスパイスとなっている。 最後に、主人公をたきつけまくっていたバードマンが便器にしょんぼり座っているシーンが、とても印象的。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    本年度アカデミー賞で話題の本作。 120分ワンシーンワンカットで撮られたかのような演出がスゴい。 撮影監督は、『ゼロ・グラビティ』も担当したエマニュエル・ルベツキ。 パンフを読んで知ったんだけど、 キャスティングもアメコミ映画出演俳優を揃えていて、ストーリーに引っ掛けてるんですね。おもしろい!

  • 鑑賞日 2015/4/11

    不思議な映画

    なんとなく分からない映画だなぁ・・・ ストーリーも面白くないし・・・ 良かったのはカメラ・ワーク! それと主人公の娘役のエマ・ストーンの表情!

  • 鑑賞日 2015/4/10

    映画をよく観る者としていつも不満な事がある。どの映画館もシネコンとなったせいで大衆ウケを狙ったアクションやファンタジー映画ばかりになり、本当の映画好きが好む映画の上映館が恐ろしく少ないのだ。当然興行収入など敵うわけもなく、いい映画がヒッソリと忘れられるように終わっていく。最近だとフォックスキャッチゃーだろうか…。 このバードマンはそうした今の映画界を痛烈に皮肉っているようでもあり、寧ろそんな映画通気取りの私のような人間を皮肉っているようでもある。なるほど、オスカーの年寄り審査員にウケるはずだ。 映画はほぼ全編長回しだ。観ている者は実際にそこにいるような臨場感を味わう。シームレスに繋がる場面に対して時間と空間は意図的に歪められていく。バードマンはもちろんバットマンの事であり、マイケルキートンが演じる事で臨場感はより現実に近づき、その悲哀がより一層感じられる。 結論からいうと私はこの映画を大いに楽しめた。しかし私は映画通気取りであり、万人ウケしない映画であることを強く警告しておく。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    テクニカルな、、、

    ワンシーン、ワンカットにこだわった、すごくテクニカルな映画、この手法を使いたくて、この題材を選んだんじゃないか。 エマニュエル ルベツキの撮影は、昨年の、「ゼロ グラビティ」と合わせ、世界最先端をいっている。時間の経過も、外の風景を上手くつなぎに使って、CGとわからないように組み合わせている。 なんか、映画全体の印象は、カサベテスの「オープニング ナイト」に似ているなあ。カサベテスもいまの技術があったら、ワンカットで撮っていたかも。 俳優はみんな楽しそう。特にエドワード ノートンは本人そのものに見える。でも、これで主演男優賞が取れなかったマイケル キートンは可哀想。

  • 鑑賞日 2015/4/10

    アクが強いね

    とにかくアカデミー賞の監督のスピーチを聞いていたら「この人アクが強い人だな。メキシコ人だな。」と思ったんですが、映画を見たらやっぱり映画もその通りでした。一応ワンシーンワンカット風でカメラが動くので、視点がほぼ人物にあたっているのですが、詳しくは書けませんがたまに意図的に外れます。何回か見れば新たな発見があるかと思います。それと不思議なもので、なぜか演劇を対象にした映画はわりと秀作が多いですね。知ってる限りでは「Wの悲劇」やまだ未見ですが「幕が上がる」等。こんな映画撮れるようになったのも映画がデジタルになったからなんですが、どうしても技術的なこととエマストーンが土屋アンナに似ていることが気になり、内容まで評価できませんでした。でも、製作者達は技術的なチャレンジをしようと思ったのは事実ですから技術的には100点あげたいです。三谷幸喜がWOWWOWで以前ワンシーンワンカットに挑戦したのですが(これは本当にワンシーンワンカット)、メイキングを見るととにかく大変であることに間違いはないですから。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    バードマンの視点

    主人公リーガンの意識の中にはバードマンがいる。カメラは、そして観客は、このバードマンの視点からリーガンと周囲に起きることを見ている。 映画に出てくる者たちは皆承認欲求の塊で、セルフイメージ通りにはなかなか周囲が自分を評価しないことに不満を持っている。 いろんな人が出てきていろいろなことをしゃべるから、物語の中心がなかなかつかめずストレスが溜まったが、ナオミ・ワッツ演じる女優が女同士の性愛に目覚める瞬間から、これが新しい自己イメージと出会えるかどうかの物語だということが分かり始める。 セルフイメージの更新がない人間の行き詰まりをリーガンは体現している。ネット上のプロフィールのように、絶えず更新していかなければ、たとえハリウッドスターと言えども忘れ去られるように。 自己イメージが硬直しているリーガンとは対照的なのがエドワード・ノートン演じる俳優だ。彼は実生活よりも舞台上で演じている時にリアリティを感じている。演じる役が変わる度、新しいアイデンティティを獲得するから、セルフイメージは演目が変わるたびに更新されるのだ。だからこそ彼は、リーガンが腹を立てるほど軽やかにショービジネスの世界を生き抜くことができる。 リーガン・トムソンは新しいセルフイメージを手に入れることができたのだろうか。変化したのはせいぜいが、曲がってしまった鼻くらいなものだろうか。どうやら、彼は最後にバードマンという自分の影からは解放されたらしい。 しかしそれ以上のことは、バードマンの視点でリーガンを見つめてきた我々観客には直接見ることができないのだ。なぜなら、リーガンがバードマンというもう一つのアイデンティティを拭い去ったということは、視点の持ち主が便座にぽつねんと座ったまま置き去りにされたということなのだから。 空を見上げる娘をカメラがとらえることによって、それまでの視座が失われたことを示して映画は終わる。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を観てきました。過去の栄光に悩む俳優の姿はM.キートン自身と重なり、驚愕の撮影手法もあり終始圧倒されつつシュールに笑えます。E.ノートン、N.ワッツらに加え、Z.ガリフィアナキスの迫真の演技が個人的にはツボでした。 #eiga

  • 鑑賞日 2015/4/11

    素晴らしい

    演出。 ノンストップで進む物語もテンポ、内容ともに良かった。 しかし、よく主演もマイケルキートンは引き受けたと思う。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    ドラムが

    満足。 凝ったカメラワークは観ているこちらも緊張させられるのでほどほどにしてほしい。疲れる。 音楽が素晴らしい。 ずーっとドラムだけで通すのかと思ったら終盤にこれまた素晴らしいオーケストラが。 俳優たちの演技もよかった。みんなよかった。 好きな映画だ。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    シンプルなドラム音に痺れる

    冒頭はワンカット風の映像の、どこが切れ目なんだろうと、技術的な面ばっかり気になってしまったが、徐々にそういうことではなく、話に引き込まれていった。 BGMのドラム音が心地よく、反面心のザラザラが撫でられるような妙な高揚感を感じ、これだけでノックアウト。 かつて演じて一躍スターダムにのし上がり、その栄光をもう一度手に入れるべく奔走する姿と、バードマンが囁き心が病んで?幻覚と現実が混じり合った世界は素晴らしかった。某女優にラストシーンをネタばらしされていたが、ラストシーンは好き。 小ネタ編としてバードマンが便座に座ってるシーンはクスリ笑いしてしまった。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    ん~

    色々と深くてイマイチ世界観にハマれなかった! ただドラムの音と映像のマッチ具合がよかったかな!

  • 鑑賞日 2015/4/10

    奥が深すぎて、

    作品の奥が深すぎて、一度観ただけでは、その全貌を語ることが出来ません。 で、まあ、思ったことだけですが。 一般的な作品に慣れすぎていると少々難解ですが、その分想像力を掻き立てられるので、結構楽しめます。 この辺りは監督との想像力の勝負。 観る側の想像力の有る無しで作品の評価はかなり変わると思います。 私は演劇人なので、題材が「演劇」であることに強く興味を引かれました。 ブロードウェイの劇場の舞台裏をこれほどあからさまに見せてくれた作品があったでしょうか? その舞台裏の風景を観ているだけでもドキドキワクワクです。 で、それだからこその、演劇的なワンカット撮りと云う撮影方法を選択したのだと思います。 楽屋からステージまでのワンカットなんて観てるこっちが緊張します。 それがもっとも活かされているのが楽屋から締め出されてしまった主人公が裏通りから表通りを通って劇場に入っていくシーンでしょう。 実は、このシーンも、「無知がもたらす予期せぬ奇跡」のシーンだと思うのですが…。 それはまあ観てのお楽しみ。 あとはセリフの辛辣さが凄い。 私が一番ドキッとしたセリフは、 「あんたは有名人、役者じゃない」 凄いセリフ。 これはまんま日本の映画界、演劇界、テレビ界でも通用するセリフですよね。 ただ、有名だと云うだけで役者面している人いっぱいいますもんね。 ブロードウェイのイヤ、アメリカ演劇界の「演劇は芸術だ」と云い切る誇りの高さに感服します。 多分、監督は映画だってホントはそうなんだぞ、って云いたかったのかもしれませんね。 アメコミの映画化ばかりになってしまったハリウッド映画界に対する痛烈な批評かもしれません。 だって、主要登場人物を演じる役者さんたちはみんなアメコミ映画の主人公経験者ばかりですからね。 シニカルですね。 で、マイケル・キートンももちろん良かったのですが、私は、エドワード・ノートンの切れた演技に好感が持てました。 往年の(失礼)ショーケンこと萩原健一さんの演技を観ているようで。 ああいう役者っているんですよねぇ。 でも、本質的にはある時期成功した人が転落して復活を果たす話だからそこのところには誰でも共感が持てるのではないでしょうか? ラストのエマ・ストーンの笑顔が素敵です。

  • 鑑賞日 2015/4/10

    作品紹介1(映画情報myシアター)より

    アカデミー賞最多9部門ノミネート。「バベル」のアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督が放つ、落ち目の俳優が理想と現実の間で葛藤する様を描いたブラックコメディ。 ストーリー 世界中で大人気のヒーロー映画バードマンの主演として一世を風靡した俳優リーガンだったが、今は失意の底にいる。再起をかけて自ら脚色から主演までをこなしたブロードウェイの舞台に立とうとした矢先、出演俳優が怪我で降板し、代わりに実力派俳優のマイクを迎えることに。しかし、主演を食うほどのマイクの実力に脅かされたリーガンは次第に精神的に追い詰められ、さらに娘との溝も深まっていく。 監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ キャスト マイケル・キートン、ザック・ガリフィアナキス、エドワード・ノートン、アンドレア・ライズボロー、エイミー・ライアン

  • 鑑賞日 2015/4/10

     これは、本年度アカデミー賞で作品賞に輝いたアレハンドロ・イニャリトゥ監督の新作。  今年度アカデミー賞で作品賞を受賞した映画です。  大作映画「バードマン」で、主演のマスク・ヒーローを演じて一世を風靡したハリウッド俳優のリーガンは、その後、鳴かず飛ばずで悪戦苦闘していた。  ハリウッドからブロードウェイに転身したリーガンは、自らの脚色・演出・主演による舞台劇「愛について語るときに我々の語ること」のプレビュー公演を翌日に控えていたが、未だ共演の俳優に不満を募らせていた。  ところが、その俳優が不慮の事故で降板。代役として実力派舞台俳優のマイクを迎えるのだが……  この映画、まず目を引くのは、長回し……と言うか全編ほぼ1カットで繋いだ切れ目のない映像で、これでアカデミー賞の撮影賞も獲っています。  もっとも、全編1カットと言う映画はこれまでも例がありますし、「エンター・ザ・ボイド」のような独自の視点も持たず、本作ならではの個性とは言えないように思えます。また、悩乱するリーガンの頭の中を形にしたような、プレビュー公演の前日から当日までを幾度もリピートする展開になるこの映画に、カットの切れ目のない、この撮影手法が相応しいものとも思えませんでした。  むしろ、アカデミー賞で評価されたのは、当て書きと思しき主演のマイケル・キートンの方ではないでしょうか?  バードマンならぬバットマン主演俳優でありながら、その後低迷したマイケル・キートンのフィルモグラフィはリーガンそのままと言え、本人にそのつもりがないとしても、リーガンの人物像にマイケル・キートンその人を重ねて見る人は少なくないでしょう。  人気ある限り延々と続編の作られるブロックバスター映画。  その出演で色をつけられ、そこから抜け出そうと悪戦苦闘するハリウッドスターの例には暇がありません。  この映画は、そこに更に映画ならではの脚色を入れ、リーガンは正にバードマンであったのだ、と言う描写を入れるのですが、ハリウッドの内幕を斜に構えて描くと言うこの映画にとっては、それも蛇足のようなもの。  スターと言えども、「自分」を出すことは許されず、人気がなくなればシリーズは続けられません。知名度を生かして他に活路を見出そうにも、余所者が金と知名度にモノを言わせて、と非難されます。   リーガンは、正に己をバードマンたらしめていたある“特殊能力”によって一発逆転を果たしますが、これは映画ならではのファンタジーであり、現実にはリーガンが見せた自暴自棄な行為で破滅するのが関の山でしょう。  そんな業界の内幕に共感出来るか、面白がる事が出来れば、この映画はハマるでしょうが……この内容は決して万人向けではないように思えます。  (だからこそ、アカデミー賞で高評価されたのも判るのですが)

  • 鑑賞日 2015/4/11

    圧倒

    このカット割り斬新だな こういうメッセージを伝えたいのかな 音楽いいな視点がいいな とか、いつも映画を観ながらも頭のどこかで客観的な自分がいるのだけど、 これはもう荒波に巻きこまれて、ただただ圧倒された。 私も彼らの世界の中で生きて、 それぞれが私で、 なんか、この映画を解剖してアナライズしても意味ない。と思った。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    92点

    おそろしくおもしろかったです!! キートン先輩の他人事とは思えない演技が最高でした。。 人生の、一本になりました。 ありがとうイニャリトゥ監督。

  • 鑑賞日 2015/4/11

    「ハリウッド」への痛烈な皮肉

    冒頭、麻原彰晃のように空中浮遊するリーガンの後ろ姿から始まります。 バードマンの声が聞こえ、超能力を使って見せるリーガン。 観客は早々に、これは半分はリーガンの妄想の世界なんだ、と理解します。 全編ワンカットに見える撮影。 つなぎ目がないように見えますが、その間に時間の経過はあります。 全編に鳴り渡る不安をさそう即興のドラム演奏。 これがただ単なる「驚異の撮影技法」と言うのではなく、 そこで生み出された映像と音楽が 主人公の内面を観客にリアルに体験させます。 この映画はけっして小難しい芸術映画ではなく、 必死にあくせくもがく男の悲喜劇です。 あくせくもがけばもがくほど上手くいかない。 誰しも経験のあることですが、本人にとって悲劇的であるほど、 見ているものには喜劇に見えてしまう。 「『かつてヒーローもので人気を博したが今は落ちぶれた俳優が再起を目指す』 と言うこの映画には、主役のマイケル・キートンの人生が二重写しになる」 と言う宣伝文句ですが、 マイケル・キートンはビートルジュースの個性派俳優、 と言うイメージがあったので それにはちょっと違和感があったのですが、 言われてみれば最近はこれと言った作品はなかったな、と。 「ウディ・ハレルソンは?」 「ハンガーゲーム撮影中」 「マイケル・ファスベンダーは?」 「X-MEN撮影中」 「ジェレミー・ジェナーは?」 「アベンジャーズ」 「あいつもスーパーヒーローか、信じられん」 怪我をした俳優の代役を探すリーガンとプロデューサーの会話。 実名がバンバン飛び出すこのやり取りは笑わせます。 アメコミヒーローものに席巻されたハリウッドへの 痛烈な皮肉なのは言うまでもありません。 名前は出てきませんが、ロバート・ダウニー・Jrなどの実力者が アメコミヒーローものに出続けているのは 他の映画よりもギャラが何桁も違うからなのでしょう。 スーパーマンもバットマンもスターウォーズも全部見ていたので この手の映画は嫌いではないのですが さすがに猫も杓子もCG駆使したアメコミヒーローモノばかりの昨今には うんざりさせられています。 どれを見ても全部同じに見えてしまう。 世界的な観客動員を狙うなら、言葉がいらない (台詞を聞かなくても、字幕が読めなくても中身がわかる) この手の映画が1番なのでしょう。 バットマンのマイケル・キートンはもちろんのこと エドワード・ノートンは超人ハルク、エマ・ストーンもスパイダーマンに 出ていたのは偶然ではないのでしょう。 本来実力のある役者が、「ヒーロー映画の主演」と言うレッテルで 仕事の幅を狭めてしまう。 映画界全体から見れば、大変な損失なわけで、 それに対する痛烈な批判も込められていると思います。 返す刀で、つまらない特権意識を持った演劇界の傲慢ぶりも描きます。 高名な批評家が 「私は映画人が嫌いだから酷い批評を書くつもり。この公演を潰してやる」 と平気で言う。何か実際にありそうで怖い リーガンの演じる舞台劇にはリーガン自身が2重写しになり さらに演じるマイケル・キートンが3重写しになると言う面白い構造です。 ラストシーンは希望なのか絶望なのか。 見る方に解釈を丸投げされた感じです。 リーガンの姿は見せず、娘の視線と表情だけで見せます。 サムの表情は何を物語っていたのでしょう。 業界人の投票で決まるアカデミー賞。 この業界を痛烈に批判したこの映画を選んだ業界人は、 どんな思いで一票を投じたのでしょう。 マイケル・キートンは見事でした。 なぜ、彼がアカデミー賞を取れなかったのか不思議なくらい。 次は「病人と実在の人物をやればアカデミー賞を取れる」と言う 賞の体質を皮肉った映画を作ってはどうでしょう。

  • 鑑賞日 2015/4/10

    ルベツキのカメラが凄い

    #0378 「バードマン、あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」。今年度のアカデミー賞の作品、監督、脚本、撮影の四部門で受賞したA・G・イニャリトゥ監督作品。全編が1カットで撮られているかのようなE・ルベツキの魔法のようなカメラワークが最大の貢献をしている。

  • 鑑賞日 2015/4/10

    ドラム

    ドラムと映像が合ってて、良かった!

  • 鑑賞日 2015/4/10

    かなり刺激的、また多くの暗喩が散りばめられているようで1回観ただけじゃ消化しきれないような映画だった。内容的には大量生産されるヒーロー映画やその他もろもろのショービズ界を風刺をしているようだが、そのへんには特には惹かれなかった。それではオープニングからずっと引き込まれてすごく楽しかったのは何故だろうと考えてみた。BGMのドラムのリズムや全編ワンカットみたいなカメラワーク、素晴らしい役者の演技、主観と客観を織り交ぜた巧みな演出、それらが渾然となって右脳を刺激したんだと思う。終始饒舌だったバードマンがラスト近くではトイレに座ったまま無言だったのは印象的だ。 最後に一つ付け加えるとファラ・フォーセットの死のほうがショックだったよ。

  • 鑑賞日 2015/4/10

    技術偏重

    全編ワンショットというのが本作のウリ。ただ、それ以外にこの映画ならではの見るべきものはあるのかな。この監督ならではのシニカルなストーリーはあまり緊張感が感じられないし、見終わった後に残るものがない。映像面では凄いと思うけれど、それも「エンター・ザ・ボイド」で別の監督がやってるしね。個人的には受け入れられないタイプの映画だった。

  • 鑑賞日 2015/4/10

    元ヒーロー

    面白かった! この感想が一番しっくりくる。 想像していたよりもずっと下衆で、ハイテンションで、皮肉たっぷりの映画だった。 作品全体がアメリカの(ひょっとしたら世界中の)ショウビズ業界に対する皮肉に溢れており、この作品の構造そのものがアイロニーであるとさえ感じられた。このような作品がショウビズの頂点である、アカデミー賞の作品賞に輝いたという事実が驚き。 ディテールで言うと、役者陣の好演・撮影手法の斬新さ・全編にわたるドラムライン等の美点は言うまでもない。特にまさに『ゲスの極み』を演じ切ったエドワード・ノートンは素晴らしい。 ただ難点として、元妻とのシーンがどうも全体の良い緊張感を削いでいるように感じられて、もどかしかった。もっともっとブラックコメディーとしての方向に振れて欲しかったというのが個人的な願望。 確かに面白かった、面白かったのだがそれまでと言えば、それまで。深い感慨などは抱かなかった。その点でやはりアカデミー賞作品賞には疑問符かな。 まぁ所詮は拙い『批評』ですが笑

  • 鑑賞日 2015/4/10

    イカロスが辿り着く果ては…?

    映画センス的には星五ツ。ジャズセッション的な音楽、長回しなカメラワーク、迫真の演技… そして何よりも芸能ネタを織り込んだ脚本が素晴らしく面白かった。 ファラ・フォーセット、ジャスティン・ビーバー、メグ・ライアン、渋いとこでジェラルディン・ペイジ、テレビにはロバート・ダウニーJr.…そして主演のマイケルから『バットマン』を引き継いだジョージ・クルーニーまで出てきた(笑)。 そのマイケルだけでなく、エマは『スパイダーマン』のヒロインを、エドワード・ノートンは確か『ハルク』を演じていたはず。更にナオミも『キングコング』。 娯楽と芸術の境界線はとても皮肉なもの。 歌にしてもそう。自分が歌いたい曲と大衆が求めるものとは大違いで、歌い手はそれを時代の代名詞として一生背負う事となる。 そんなジレンマを描いた作品です。 去年の今頃、マジェスティック劇場で『オペラ座の怪人』を観たなぁと別の事も考えてみる。 因みに、その時斜め前の劇場は改装中でした。 あとザックが最後の方にやっとシニカル的な出番がありました。 (撮影賞、脚本賞、助演男優賞、コメディー賞候補)

  • 鑑賞日

    何が「本物」で何が「偽物」なのか?

      何が「本物」で「偽物」なのか、そして「愛」をテーマに描かれた作品。それに加えて映画界、批評家そしてファン批判にも触れていて、なるほどオスカーを獲るだけの作品。また、上手い役者の演技と長回しとクレーン&ステディカムを使った映像は滑らかで上品でもある。  なぜ長回しなのか。それは生の演劇は常に緊張感に溢れ、映画と違ってカットをはじめとする編集などないからだ。つまり、バードマンはブロードウェイのプレビュー公演を中心とした映画だから、作品を舞台の空気により近づけるということなのだ。更に劇中に流れるアントニオ・サンチェスによるシンプルなドラム、マーラーなどのクラッシックを用いた音楽もまた良く、たとえばオープニングのドラムと文字列のクロスカッティングも悪くない。  さてバードマンとは一体何者なのだろうか。本編では、バードマンはイカロスのイメージであると語られている。勿論イカロスといえば、父親の忠告を無視して調子に乗って高く飛び過ぎて墜落したギリシャ神話の人物である。これは主人公のかつての人気が落ちていくさまと家族の愛と絆が壊れたことを示しているのだろう。冒頭に登場する隕石もそう。  また、劇中酒に酔ったリーガンはシェークスピアのマクベスを演じる男に遭遇するが、マクベスといえば野心溢れる悪妻に踊らされる男の物語である。つまりマクベス夫人=バードマンの暗喩だ。そしてバードマンとは、リーガンが他人の評価など気にしない「本物」の俳優・演出家になることよりも、この舞台で成功を治めてハリウッドの映画界に返り咲き、かつての栄光を取り戻そうという彼自身の分身であり、悪魔のささやきなのである。要はバードマンはリーガンの「本物」の友人ではなく、「偽物」のそれであって、彼が倒すべき敵なのである。  ちなみに、くらげは「本物」になれない、中途半端に海辺を漂う「偽物」のリーガンの立場を示すメタファーであり、映画の頭でふわふわと宙に浮かび、心を落ち着けようと裸で瞑想するリーガンも同様だろう。ここで「本物」になれていないリーガンのしたことといえば、マイクが「本物」になりきるために酒を飲みつつ演じることを邪魔した、酒と水をすり替えた行為が該当する。  加えて、花はリーガンの過去の栄光への執着を示すメタアイテムだろう。ハゴロモ草、バラにライラック。最初はバラを嫌がっていたはずだが、成長した彼にとって花の種類や匂いなどどうでもよいものになる。そして匂いすらわからないというオマケもついた。  もちろん最後は、リーガン自身成長し「本物」とは何かに気づいて雑念を捨てるとともに家族の愛も取り戻し、バードマンとの戦いに勝利する。だから、あれほど饒舌だったバードマンなのに、ラストの病院のトイレではリーガンに一言も声をかけられないばかりか、逆に彼から一方的な別れを告げられてしまうのだ。これは、彼がこの舞台をやろうとした理由のレイ・カーヴァーのサインを捨て、有名批評家に啖呵を切ったことからもわかるように、他人から芝居や人気をどう評価されようが関係がない。もはや彼にしてみれば「本物」になれるなら、もう生死すらどうでもいいのだ。それは彼と同じくブロードウェイデビューをする女優のレスリーが、自分の甘さをマイクのせいにしてプロに徹せず、「本物」になれないのとは対照的である。  リーガン・トムソンはどこへ行くのだろうか。ともあれイカロスは太陽を目指して飛んだ。

  • 鑑賞日 2015/3/23

    主演と助演のパンツ対決

    物語・役者・映像・美術・業界ネタ……と全方位的に楽しませてくれるバランス良好な一本。 予測不能のハチャメチャなストーリーの一方、画作りは知的で計算高い。登場人物を追いながら、時に先回りをしながらの隙のないカメラワークが絶品。カットの継ぎ目を予想しながら観るのも楽しい。 いつハプニングが起こるやら…のスリリングな劇中劇も見所のひとつで、ここでも控え室から舞台裏、舞台上、客席へと移動するカメラワークにワクワクさせられる。 そしてハマリすぎのキャスト。パンツ一丁で暴れまわるマイケル・キートンのインパクトたるや、レッドメインとは間逆の方向性でアカデミー主演男優賞モノ。 共演のエドワード・ノートンもパンツに関しては凄まじい爪痕を残しており、これからはハルクの人ではなくパンツの人と呼ばれるのではないかと勝手に案じている。 わざわざ新旧アメコミキャストを揃えてアメコミブームをクサすようなことを言わせてるのも悪意ありすぎておもしろい。 業界人ウケも納得のツボをくすぐる映画でありました。

  • 鑑賞日 2015/3/20

    ???

    私の脳内がぐるぐると回って、?がいっぱいの作品。 好みが分かれそうかな

  • 鑑賞日

    アカデミー賞、値する

    カメラ、主演、やはり監督。メキシコ人らしく、バイタリティ、灰汁強く、強い作品。

  • 鑑賞日 2015/3/6

    そういえば、飛ぶ夢をしばらく見ない

    今年のアカデミー賞は、俳優のマスターぺーションばかりと言うつもりで見始めたら見事にしてやられた。 ハリウッドスター道、苦痛に満ちた地獄めぐりにはもはや笑うしかないのだが・・・ ラストシーンは、表情一つですべてのビジョンがひっくり返るのでまばたき厳禁。(うっかり号泣しかけたのはここだけの秘密だ。) 大昔に、友人と交わした会話を思い出した。 「ビルから飛び降りたやつが、みんな絶望していたとは限らないよな。」 「空が飛べると思ったのかもしれしな。」 「飛べたのかもしれないさ。おり方がわからなかっただけでさ。」 いや、それだけのことなんですがね。

  • 鑑賞日 2015/2/28

    偶々アカデミー賞発表後に乗った国際線フライトで「ゴールデングローブ賞」受賞作品特集をやっており、何とアカデミー賞作品賞、監督賞他を受賞した「バードマン」を見つけたのでこれ幸いと観てみた。M・キートンの演技を始め前評判の高かった作品だが、内容に関してはほとんど予備知識無しに観たのだが、正直なところこれが作品賞なのか??、というのが最初の感想。既に試写会等でご覧になった方々が指摘している通り独特の世界観やカメラワークなどは印象的ではあるのだが、(個人的な好みかもしれないが)自分の感覚にフィットして、迫ってくるものを感じられなかった。飛行機という限定された場所で多少時差ボケも入った頭で観ていたこともあるのかもしれないが。劇場公開されたら、ちゃんとしたスクリーンで再見したい。

  • 鑑賞日 2015/2/24

    これも感情表現の手法

    第87回アカデミー賞主要4部門(作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞)を受賞した本作は、驚きの表現に満ちた、実験的で辛辣なコメディである。2時間1カットであるかのように見えるキャメラ(全編1カットは初めてではない。ヒッチコック、ソクーロフ、白石晃士が試みている)。劇場の楽屋、屋上、劇場の外から客席を疾走するキャメラ。それでいてフィックスのように安定した画面は、ワンカットという技法を忘れさせる。 また、新聞の演劇批評家に、主人公の舞台俳優であるリーガン(マイケル・キートン)が「あなたの批評は、面白くないとか空疎といったレッテルを貼るだけで、具体的な指摘がない」とやり込めるシーンがあるが、印象や感想を書いているだけの自称評論家は居心地が悪かったのではなかろうか。製作者側からこれだけ辛辣な言葉がレビューに対して発せられるのも珍しい。  ストーリーはシンプルだ。かつてスーパーヒーロー役で知られたリーガンは再起を賭けてブロードウェイの舞台に立つことを決意する。しかし、相手役の実力派俳優(エドワード・ノートン)に脅かされ、アシスタントの娘(エマ・ストーン)との関係は悪くなるばかり。稽古中から混沌状態に。そして何とか幕は上がるが… リーガンの感情を、彼の栄光の象徴であるバードマンがリーガンに語りかけることで表現している。「お前は映画人だ。こんなところにいていいのか」「やめるなら今のうちだ。お前のキャリアは終わりになるぞ」と、まるでオセロに毒の言葉を囁くイアーゴのようだ。リーガンはバードマンと一体化していく。この表現は「ブラック・スワン」(10)を思わせる。 リーガンは物体移動の能力(怒りの感情表現)を持ち、現実と妄想が時々混乱する。自分はバードマンであるとの妄想が自信となって、自分は不死身と思い込み、芝居の自殺に本物の銃を持ち出し、頭を撃ち抜くのだが、ラストはなぜかハッピーエンドになる。

  • 鑑賞日 2015/2/21

    「真の芸術とは何か?」という問いに狂気的手法で応えた傑作

    「ゼロ・グラビティ」に続いてエマニエル・ルベツキの超長廻しに驚愕。段取りの緻密さ、映された役者陣の瞬発力と持続力、そして唯一無二の映像体験。全てにおいてプロフェッショナル魂が感じられ感動。 特筆すべきはやはりマイケル・キートン。実人生を重ね合わせたかのような役柄は、彼の役者人生を知っている観客ならば誰もが胸を熱くさせる。こんなに喜怒哀楽の起伏が激しい役柄を、ほぼワンカットという気持ちの切り替えがしづらい特殊な環境下で演じ切ったのは見事の一言。 カメラワークも控え室から通路、舞台、屋上から屋外と自由自在。若干スタイルに囚われすぎている箇所もあるが、俳優の演技を引き出そうとするカメラワークも冴え、準備にかかった膨大な時間を考えると眩暈がしてきそう。 ラストの余韻の残し方もよし。かつてバードマンと呼ばれた男が、アメコミヒーローから真の役者へと認められるべく、狂気に陥っていく。「ブラックスワン」にも通ずる「真の芸術とは何か?」という問いに、作り手全員がもはや狂気的な手法によって答えを叩き出した傑作。

  • 鑑賞日 2015/1/25

    内容はよくわからなかったけど、カメラワークがすごい。