PROGRAM

放送作品情報

泳ぐひと【町山智浩撰】

THE SWIMMER 1968年アメリカ / 95分 / ドラマ

町山智浩推薦。主人公である水泳男の奇行と、周囲の不可解なリアクションの意味は?町山解説も併せて必見!
放送日時
2018年07月30日(月) 08:00 - 10:15
2018年08月29日(水) 深夜 03:30 - 06:00
解説

町山智浩セレクトのレア映画を町山解説付きでお届け。ご近所さんの豪邸のプールを泳ぎ継ぎ自宅に帰ろうという海パン男。一体この映画は何を描いているのか?町山解説なければ理解困難の、これぞ町山映画解説真骨頂!

ストーリー

プール付きの豪邸ばかりの高級住宅地。海パン姿の男がプールを完泳する。彼は家々のプールを泳ぎ継いで帰宅しようとしていた。住民達とは旧知で親しく言葉を交わす。洗練された会話術、中年とは思えぬ筋肉美、ニカッとした笑顔、美しい思い出を懐かしむような遠い眼…彼もまたこのソサエティの一員であり周囲に馴染んでいる。だが一軒また一軒とご近所(のプール)を訪問するうち、人々の態度は次第に険のあるものへ変化していく。

出演

バート・ランカスター
マージ・チャンピオン
キム・ハンター
ジャネット・ランドガード
ほか

字幕/吹替
字幕
掲載制限
なし
カラー/白黒
カラー
画面サイズ
ワイド
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日 2018/7/14

    いきなり森の中から水泳パンツで現れる主人公。 正体不明で、プール伝いに家まで泳いで帰るという意味不明の行動を取る。 初めに現れた友人はにこやかに歓待して、謎めいたストーリーが展開する。 主人公は活動的で思った事をすぐに言動に移す、まるで子供のようなキャラクターで、汚れのない無垢な人物のように見える。 若い娘を突然口説き出したり、何も考えず行動する。 しかし次第に彼の真実の姿が見えて行くのが面白い。 彼は仕事を失っており、友人たちに借金するほど金がないことがわかる。 彼は寒さに震えるようになり、出会うたちからどんどん侮辱を受けるようになる。 彼は華やかな時代があったものの、現在は没落した男だったのだ。 彼の子供染みたキャラクターは当時の享楽の中で何も人として学んでいなかった結果だったのだ。 これはコワい。 愛する娘からもバカにされていたことに気付き、廃墟と化した邸宅のテニスコートでそれがもう疑うことのない現実であると知らされる。 寓話的な内容だが、とても示唆に富む内容だった。 どうしてこんな惨めなストーリーを創作したのか、非常に身につまされた。

  • 鑑賞日

    なぜ海パン一丁なのかという点を問うてはならない

     原題"The Swimmer"。ジョン・チーヴァーの同名短編小説が原作。  バート・ランカスターが森の道を海パン一丁で現れ、高級住宅街の友人の邸のプールにやってくるというのがオープニング。自宅まで、友人の邸のプールを泳ぎ渡りながら帰るという台詞から奇異な設定のドラマであることがわかるが、渡り歩くうちに主人公の人物像が少しずつ明かされ、最初は好意的な友人たちが次第にそうではなくなってくるところで、これが主人公の人生行路の物語、つまり彼が人生を泳いできた過程を物語る作品だということがわかる。  かつてこの高級住宅街の一員だった彼は、今は無一文となって妻と娘にも逃げられ、社交界からも離れている。奢侈な生活と女遊びを繰り返していた彼に対し、遠くの友は優しいが、家が近づくにつれて近しい人々は嫌悪を抱く。専業主婦の妻は社会運動に精出すスノッブ女で、娘たちは堕落している。  俗悪な上流階級をシニカルに描くという70年前後のニューシネマで、当時としては批判精神にあふれていたが今となっては、観念的な設定と描写を含めて上滑り感は免れない。  当初、青々とした緑と眩い光を反射するプールの水が、次第に秋景色に移ろい光を失っていく情景、バート・ランカスターの若々しい肉体が次第に精気を失っていく映像など、当時のニューシネマらしさが鑑賞できるが、男が何処からやってきたのか? なぜ海パン一丁なのかという点を問うてはならない。(キネ旬6位)

  • 鑑賞日 2018/4/30

    最初はキラキラ光り輝いていたバート・ランカスター扮するネッドが自宅に近づくにつれ実は没落貴族のような人だということがわかってくる。解説の町山さんも言っているが周りの風景や照明も暗くなっていく様が面白くもあり、自意識過剰で勘違いしている人間の悲哀も感じられ切なくもある。

  • 鑑賞日 2018/4/25

    斬新すぎますね

    こういった理屈も屁理屈もいい意味でとっぱらってる作品もたまにはおもしろいもんですね。なぜにプールなのか、実際そんなに泳いじゃいないし~、最初は意気揚揚にみえた海パンオジサンもだんだん可哀そうになってくるし。

  • 鑑賞日 2018/4/20

    町山解説有らばこそ

    既読で言えばレイモンド・カーヴァーとか、リチャードブローディガンとかの小説、つまりアメリカのニューヨーカー系の小説を映像化したようなものだが、そもそも映像化するところに無理があって、こういった表現は小説であるべきでは。季節が変わったり、道路横断のメタファーはよくわからない。むしろ主人公の落ちていく様を7つのプールに投影していく解釈で観た。家から離れたプールでは受け入れられ称賛されているのが、家に近づくにつれ転落がリアルになり、最後は心象風景そのものとしての廃屋という解釈でもいいのではないかと思う。

  • 鑑賞日 2018/4/17

    解説なしではただのカルト映画

    男はなぜ泳いで帰らなければならないのか、わからない。 最初は年の割に若々しい元気なおっさんで 皆に歓迎され、女性にもモテる。 しかしだんだんと老けこんで、厳しい言葉を浴びせられる。 それによって男の過去や現在が少しずつ解ってくる。 それでも不思議な良くわからぬ作品である。 つまらぬわけではないがさほど面白くもない。 カルト映画だ。 ところが町山智浩氏の解説を聞いて なんと良く出来た社会的な作品であったのかがわかり カルト映画の印象から一気にある傑作に思えるのだ。

  • 鑑賞日 2018/4/7

    10年以上前にNHK BSで観て以来久々の再鑑賞で懐かしい。 バート・ランカスターの中年のオッさんが、終始海パン一丁で泳いだり走ったりする変な作品で、鑑賞中は正直退屈だが鑑賞後に深い味わいを感じるカルトな傑作である。 映画が進行している内に主人公が落ちぶれた元成金という事が判明し、哀れな最後が痛々しい。今回は町山智浩氏の解説が実に興味深く、理解し難い部分が良く分かった。 終盤で登場する主人公の元愛人だった舞台女優役のキム・ハンターが、同時期に『猿の惑星』の猿博士をやっていたというのが信じられない。水着姿なので抜群のスタイルが分かるけれど、あんな役も引き受けたという辺り本物の女優根性を伺わせる。

  • 鑑賞日 2018/3/17

    風変わりな作品

     和田誠さんが「キネ旬」に連載していた「お楽しみはこれからだ」の中でこの作品が取り上げられていて、それを読んでから20年以上の間どういう訳か気になっていた作品だったが、やっと観ることが出来た。和田さんも書いているように、確かに「かなり風変わりな」作品だった。どこからか現れた水泳パンツの男(バート・ランカスター)が知り合いの屋敷にあるプールを泳ぎ継いで自分の家に帰ろうとする。最初のうちは歓迎してくれる知人ばかりだったのが、足を怪我したあたりから様子が変わってきて彼を嫌う人物にも出会うようになり、雨が降ってきて震えながら自宅にたどり着くと・・・。結局この男はどういう人物で、家族はどうしたのか、はっきりしたことが分からない。友人たちの態度や言葉から断片的に窺われるだけだ。ラストでは観ている私まで寒々としてきた。ヌーディストの夫婦と話をする時には彼もパンツを脱ぐ(前は隠していたが)のが可笑しかった。

  • 鑑賞日 2017/12/17

    裸一貫

    男が突然水着姿で現れたところから映画が始まる。近所の家のプールを泳ぎつないで丘の上の自宅に帰るとか??このあたり訳が分からない。しかし泳ぎを続けるうちに、この男は近所ではあまり歓迎されていないようだし、後半の元女優の家ではこの女と浮名を流していたらしい。傲慢な生活を送っていたようで、家族ともども地域の鼻つまみであったようだ。最後にたどりついた自宅は、豪邸ではあるが予想通り廃墟。この男この後裸一貫で陣jん性のやり直しができるであろうか。 バート・ランカスターの衣装、水着だけで終わった。

  • 鑑賞日 2017/5/31

    5回目の鑑賞。不思議な映画。

     この映画の主人公ネッドは、中年の男である。  友人たちとの会話で、いくつかの事実が明らかになっていく。 職がないこと。  金をあちこちから借りて踏み倒していること。 小切手が効かない(破産している)こと。奥さんは財産を処分していること。 ネッドは浮気をしていたこと。 娘は父(ネッド)を馬鹿にしていたこと。     ネッドが二十歳のブロンド女性に言い寄るあたりはまだいいが(しかし親子ほどの年の違い、告白すると性犯罪者を見るような目つきをされて、女性は逃げてゆく。)その後二人の女性に「一緒に行こう。」と言うあたり、明らかに少しおかしい。   何より、ネッドにその禍々しい記憶がないこと。または、その意識がないこと、が不思議である。   暗いラストにより、アメリカン・ニューシネマのように言われているが、それとも違う。   自宅にプールがあるという上流階級の連中を描いた、いかにも不思議な1960年代末のホラームービー。   バート・ランカスターの肉体をこれだけ凝視・堪能出来る映画も珍しい。ワンシーン、海パンさえ脱ぐ。撮影時54才だが立派な体。

  • 鑑賞日

    変な映画

    変な作品です! 森の中を歩いてきた男ネッド・メリル(バート・ランカスター)は、水泳パンツだけという姿で、友人ダンの家のプールに現れた。友人たちは二日酔いで、一緒に泳ごうというネッドの誘いを断る。あたりは緑多い中にプール付きの豪邸が点在する場所。ネッドはプール伝いに泳いで我が家に帰ることを思い付く(プールとプールの間は歩く)。 ダンのプールで泳いだあと、ネッドはプール伝いに我が家に向かう。昔恋した女性の家、息子の病気見舞いに来なかったからとネッドを追い出す家、かつてネッド家のベビー・シッターをしていた少女の住む家。この少女はネッドの「泳いで帰る」ことに共感を覚え、しばらくネッドについてきて、共に泳いだり野生の馬と競争したりして楽しく過ごすが、やがて去ってしまう。ヌーディストの家、両親に取り残された少年の家(プールの水は渇れている)、プールサイドでパーティの最中の家、公営プール、昔の愛人で女優のシャリー・アボットの家…、とネッドはプールを次々訪ねる。 プールサイドで出会う昔なじみの友人たちとネッドの会話はどこか噛み合わない。時間を追うごとに、ネッドを批判する友人が増え、彼らの話からネッドの現在の姿が見えてくる。ネッドが認めたくない真相があるようだ…。最後にネッドは我が家にたどり着くがそこは…。 ネッドがどこから来たのか、なぜ水泳パンツで現れたのかは説明されていません。豪邸にあるプールで泳ぐのはネッドだけ。プールは泳ぐためというより社交の場所になっているようです。対照的に公営プールは芋の子を洗うような混雑ぶり。ネッドはプールを訪ねるたびに、知りたくなかった自分と家族の姿(借金や家庭崩壊)を突きつけられていく…、怖いです。 この作品はかなりの低予算映画のような気がします…。主演男優の衣装は水泳パンツ一丁ですし(笑)、豪邸のプールを借りてのロケならセットもいりません。バート・ランカスターは、着衣の俳優さんたちの中、一人だけ水泳パンツ一丁という姿で、不条理な展開に振り回される男を熱演しています。 68年製作というと、ニューシネマの頃ですね。こんなアメリカ映画があったのか!と驚くような作品です。ぜひ一度お試しください。

  • 鑑賞日 2015/1/28

    アレゴリックな人間ドラマ

    過去の栄光にしがみつくほかなく、現在を受け入れようとしない主人公の無邪気で独善的な振る舞いは、泥沼化するベトナム戦争で疲弊する米国そのものを体現したかのようでもあった。その意味ではマッチョな米国的イメージが強いB・ランカスターはこの映画の適役だったと思う。ともあれ、海パン姿で足を引きずりながら歩く主人公の憐れな後姿とともに、ビターテイストの余情深い終幕が忘れられないアレゴリックな人間ドラマだった。

  • 鑑賞日 1971/2/27

    SFか、はたまたトワイライト・ゾーンか

     パンツ一丁でまるまる映画1本出たのは、本作のランカスターぐらいなものか。フランク・ペリーとエレノア・ペリーの奇跡的な秀作。  1971年、17才、テアトル新宿での幸せな出会いであった。  今、考えると、こんな映画にいれこむなんて、暗い高校2年生だったなと思う。  1974年、2浪のあと、大学1年で飯田橋ギンレイホールで再見。カセットテレコを持ち込んで映画のナマ音を録る。その足で渋谷全線座へ生き、「ダーティハリー」もナマ録。  そんな事をしたのは、この2本だけであった。 マーヴィン・ハムリッシュの名前も本作で頭に刻み込まれた。ハムリッシュはバーブラ・ストライサンドの「追憶」も名曲。  1987年にVHSレンタル、2005年にDVD購入で、計4回鑑賞。     テアトル新宿、同時上映「アメリカの影」「その男ゾルバ」     1974年8月12日、ギンレイホールで2回目。

  • 鑑賞日 1999/1/16

    こういうの

    主人公がいきなり海パン姿って・・・。 主人公が泳ぐことで、自分の周りの人間のドラマ?を描いているんですが、こういうのは好きですね。 最初はつまらないかなぁ~という感じですが、いつの間にか引き込まれていました。

  • 鑑賞日 2013/3/2

    虚像としてのプール

    何とも不思議な味わいの映画であった。ネッド・メリル(バート・ランカスター)という男が、友人や知り合いの家を周り、プールでひと泳ぎしながら自分の家に帰るというだけのお話である。山間に建てられたプール付きの家は、当時の人々の成功の象徴であろうか。ネッドもその成功者の一人のようだが、自分の家に近付くに従い、彼の人間関係や実情が少しずつ浮かび上がってくる。 冒頭の山の自然、鹿や鳥などを映し出すカメラが美しく、音楽が叙情的だ。その景色を眺めながら水泳パンツ一丁の男・ネッドがここまでやってきたという見た目の描写だろう。どこから、いつからパンツ一枚の姿だったのか分からない。パート・ランカスターは、終始水泳パンツ一枚の姿で押し通す。当時55歳位にしては素晴らしい肉体で、いまだ衰えずと思わせる。 知人と会話し、プールで泳がせてもらう。そして次の家まで行くには、山道を走ることになる。ネッドは裸足だ。見た目のショットで、流れるような風景が、緑が視界いっぱいに拡がる。途中馬と並んで走ったりして、実に元気だ。途中の区間、若い女性が同行することになる。当然水着である。 行く先々で「泳いで帰る」と言うと、ネッドはその度に問いかけられる。「何故?」。一種の冒険だとしても、明快な答えではない。それは観客も一番疑問に思うことだ。一体何の為に、彼は友人の家のプールを泳いで廻っているのか。 最初のうちは、ネッドはそれでもそこの住人には受け入れられることが多かった。しかし、自分の家に近付くにつれ、段々と雲行きが怪しくなってくる。天候も文字通り怪しくなってくる。ネッドが家族のことを話すと、驚いたような顔をする人もいる。ネッドを毛嫌いしている人物も少なくない。そこで交わされるいくつかのキーワードから、徐々にネッドの真実が垣間見えてくる。 水のないプールで、水のある振りをしてそこの子供と泳ぐネッド。その子供は泳げないから、プールの栓を抜いたと言う。プールが必要だから作ったのではなく、あった方が箔がつくから作っただけなのだ。中身の無い、器だけの大きな代物は、見栄ッ張りな金持ちの、それでも満たされない物欲主義の空っぽな心の表れのようだ。 ネッドは知っていたはずである。一時の記憶喪失のように、過去の出来ごとを自分の中に封印していたのか。友達の家巡りは、過去との遭遇であり、追体験でもある。友人宅、いや過去友人であった人の家のプールで泳ぐということは、取り戻したい彼の成功の象徴であったのだろう。

  • 鑑賞日 2010/2/25

    バート・ランカスター主演の作品。久々にいい映画に当たりました。 人の家のプールを泳ぎながら自分の家に帰る男の映画。と書けば簡単だが、彼の動機は全く不鮮明。ただ、がむしゃらに泳ぐ、過去の栄光を忘れるかのように。彼の思考は楽しかった、印象深い日々のみ一定の時間をループしている。プール=上流階級、水の中=周りからの雑音が聞こえない無音の生活。家庭を顧みない配慮ないワンマンな父親。これは、アメリカよりも、むしろ、高度経済成長期の日本の父親像である。 中盤以降、人のプールを訪れ、その住人たちと会話することで彼のあかされない実情が観客にわかるようになっており、見ている方もイヤな気持ちになる。 作品の根底には上流階級批判がありますが、それだけではなく、周囲の手のひらを返した態度、冷笑、エゴをマジマジと見せる。人間のそこ恐ろしさを感じました。 あまりにも哲学的で重い作品。30年も前の作品とは思えない。★★★★★

  • 鑑賞日 1969/9/12

    シュレシンジャーも

    ラストシーンは、ジョン・シュレシンジャーが「時よ止まれ、君は美しい」で同じ表現を使っていた。