PROGRAM

放送作品情報

キャロル

CAROL 2015年 イギリス アメリカ フランス / 119分 ドラマ

[PG12]魂で惹かれ合い、自分に正直に生きた女性同士の愛の行方は?実力派女優の競演で綴る恋愛ドラマ
放送日時
2019年03月05日(火) 13:00 - 15:15
2019年03月11日(月) 21:00 - 23:15
2019年03月15日(金) 10:45 - 13:00
2019年03月23日(土) 23:45 - 深夜 02:00
解説

「太陽がいっぱい」の作家パトリシア・ハイスミスが別名義で発表した小説を映画化。性別を超越したエレガントな魅力を放つケイト・ブランシェットの存在感が抜群。ルーニー・マーラがカンヌ国際映画祭女優賞を受賞。

ストーリー

1952年、ニューヨーク。デパートでアルバイトとして働きながら写真家を夢見るテレーズは、恋人に結婚を迫られながら踏みきれずにいた。そんなある日、気品豊かな人妻キャロルが娘のクリスマスプレゼントを探しに店頭に訪れ、テレーズはたちまち彼女に心を奪われる。キャロルの忘れ物を送り届けたテレーズは食事に誘われ、娘の親権を巡って夫と争っているという家庭事情を打ち明けられる。やがて2人は親密な関係を育んでいく。

出演

ケイト・ブランシェット
ルーニー・マーラ
サラ・ポールソン
ジェイク・レイシー
ほか

字幕/吹替
字幕
掲載制限
PG12
カラー/白黒
カラー
画面サイズ
ワイド画面
HD
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オススメキーワード

  • 鑑賞日

    近年稀なメロドラマの秀作

    50年代半ば、栄華を極めつつあるアメリカ。その繁栄の象徴とも言えるニューヨークのデパートで、店員のテレーズは美貌の夫人キャロルに心奪われ、そして二人はわりない仲になる。素晴らしい美術や衣裳は華やかりし時代の雰囲気を見事に再現し、その中で当時の世相や道徳観が静かに語られる。エド・ラックマンの撮影によるルーニー・マーラははかないほど可憐で、ケイト・ブランシェットはひたすら美しい。二人が禁断の道に踏み込んだのも宜なるかなである。

  • 鑑賞日 2016/3/5

    よかった。不勉強でアメリカはLGBTに対してもっと理解があるものだと思ってたけど、50年代はやはり偏見の目で見られたんだなーと。でも主演の2人の演技が良いので恋愛映画として純粋に楽しめる。50年代アメリカの美術と2人のオシャレ&かわいい洋服を見るだけでも目が幸せ。

  • 鑑賞日 2016/2/27

    曇りガラスが晴れるとき

    タイプの違う二人の女性が愛し合う物語を、タイプの違う二人の女優が見事に演じている。 エレガントで強い意思を感じさせるキャロルは、いかにもケイト・ブランシェットにふさわしい。 対する、キャロルに惹かれることで自分を知っていくテレーズを、ルーニー・マーラは繊細な演技でキャラクターに魂を吹き込んでいる。 視点が重要なこの映画の、当初、汚れ曇ったガラス越しに相手を見ていた二人が、そのエンディングにおいて、なんの障害もなく視点が絡み合う。 トッド・ヘインズのシンプルでストレートな演出だが、ゆえに観客の胸を振るわせる。 50年代にこのようなテーマで、しかもこのような結末を採用したパトリシア・ハイスミスの原作がすでにすごいのだが、しかし同性愛を描いているから私達は感動するのではきっとない。 男と女だろうが、男と男、女と女だろうが、二人が信じ合い、真摯に誠実に求め合う、そんな愛の行為にこそ、感動しているのだ。

  • 鑑賞日 2016/2/26

    やっぱりキレイな映画が好き

     キレイな情景とキレイな女優たち、胸にしみる音楽、おしゃれで気の利いたセリフ、そして胸躍るストーリー。そんな映画の持つ魅力がみんな詰まっていて、『これこそ映画だ』と大きな声で言いたくなる。  『原作を書いたパトリシア・ハイスミス自体がレズビアンだったし、この脚本を書いたフィリス・ナギーもレズビアンだ。そして僕自身のゲイとしての経験もあるから・・』と監督のトッド・へインズが語っている。(キネ旬2016・3/上) そんな人たちが創った作品に、何でこんなに共感できるんだろう。女同士が愛し合う映画に、60過ぎのオッサンが何でこんなに泣けるんだろう。レズとかホモとか関係ない。そこには、人と人とが激しく惹かれあう、真のラブストーリーが描けていたからだろう。  キャロルには、ケイト・ブランシェット以外考えられない。エレガントで、匂い立つようなフワッとしたオーラが漂い、それでいて自立する女の強さも併せ持つ。なんということだ。凡庸な男ではとても太刀打ちできない。  そんなキャロルを虜にしたのがテレーズだった。おもわず『天使が空から落ちてきた・・』と彼女はつぶやいた。テレーズ・ベリベット・・なんと美しい名前だろう。その名前を聴くだけでも涙腺がゆるんでしまう。そのルーニー・マーラーが好きだ。「ドラゴン・タトゥーの女」の時だって、一見怖そうに見えても、その奥に秘めた、可愛い女らしさがほの見えたものだ。今回はその魅力が全開だ。比較的無口な口をきゅっと蕾めて、その思いを内に閉じ込めたような表情が何とも言えない。  私の素人考えでは、二人はあのまま別れてしまう。やがて写真家として成功したテレーズが、『キャロル』と言うタイトルの写真集を出版して、その記念の展覧会で彼女と再会する・・そんなストーリーを夢想していた。でも、実際はもっとプロらしいやり方だった。一瞬顔を見合わせて、表情だけのエンディング。これこそ本物の映画だよね。

  • 鑑賞日 2016/2/11

    同性愛と家族愛。

    P・ハイスミスが自身の体験(といっても売場での出逢いまで)を基に 発展させていったというラブストーリー。まぁサスペンス色も濃厚 だが、それほど怖い展開にはならない。女同士と聞くとどうしても 「アデル、ブルーは~」の方に気が入ってしまうが、こちらは時代や 設定が全く違うので描かれ方がエレガント。1950年代、そのままの ファッションや車やとにかくこだわりの映像が満載。演じる二人の 女優の押し殺したような瞳の演技が秀逸で、観る者を釘付けにする。 この時代に同性愛が認められる筈もないが、自我を殺して家族の為 に尽くす妻でいるべきなのか、目覚めたら正直に生きるべきなのか。 私自身が子持ちなゆえキャロルの行動に首を傾げる場面も多かった。 あんなに小さな娘とて両親の不仲や、なんでママは女の人ばかりと 一緒にいるんだろう?みたいな不安は持つ筈で、御体裁を気にする 夫の家族もキャロルも誰も娘の気持ちに歩み寄っていこうとしない。 冒頭のクリスマスプレゼントを選ぶシーンで、新発売のプラレール が選ばれ、後に一回だけ出てくるのだけど、あのオモチャをもっと 印象的に使えなかったのかしら?と変なことを考えながら観ていた。 だから後半やっとキャロルが弁護士達の前で娘の親権について語る 場面で(まぁ気の毒だけど)ホッとした。最初からそれが言えてれば 彼女も夫もアビーもテレーズも振り回され疲弊することはなかった。 行きつ戻りつ不安に駆られながら進んでいくのが恋愛ではあるから、 もちろんこの展開は正しいのだけど私には心底歯痒かったのも事実。 美しいと賞賛されるケイトはどちらかというと怖いイメージが強く、 ウブな女の子を演じるルーニーが成長する様子が強く印象に残った。 (貧乏だけど幸せな結婚か。金持ちだけど不幸な結婚か。あー難しい)

  • 鑑賞日 2016/3/2

    すべてが美しい

    すべてが美しい、映像も、主役の二人も。

  • 鑑賞日

    女は飾りじゃない

    なぜ男女でしか愛は成立しないのか?単純な疑問が頭を過る。誰にだって同性に憧れたり優しくしてあげたくなったりする気持ちはある。ここまでは誰でも感じ得ることで、やはり問題は肉体関係があるかどうかに尽きる。 2005年公開の映画『ブロークバク・マウンテン』では、ゲイの主人公二人の愛を描いていた。この作品でも、ごく普通の男たちが過酷な労働環境の中で芽生える愛情の中で肉体関係を持ってしまったことで、周囲の目が厳しくなる。 しかし、『キャロル』にしろ『ブロークバック・マウンテン』にしろ、作品を観ると、レズビアンやゲイという言葉がいかに陳腐なものか思い知らされる。それほど、人が人を愛するということは複雑で不思議に満ちていて惹かれるものがある。 キャロルの夫は彼女を愛していた。にも関わらず、彼女は夫の自分への愛情が許せなかった。盗聴、監視、脅迫など、夫が彼女を繋ぎ止める為にあらゆる方法をとった。仮に復縁したとしても、待ち受けているのはお飾り夫人としての付き合いを続けるだけだ。肉体関係以外で夫から愛情を感じ取れるだろうか? テレーズはキャロルとの旅行中、立ち寄ったモーテルで彼女のカバンから銃を見付ける。パトリシア・ハイスミスの原作だ、もしや殺人が起こるのでは?と、いらない期待が裏切られた。キャロルが盗聴、録音をしていた男に向かって持ってきた銃を向け、躊躇なく引き金を引いたが、弾が入っていなかったのだ。テレーズは彼女を守る為に銃から銃弾を抜いていたのだった。このシーンで愛情とも言いがたいようではあるが、愛を感じる印象的な場面だった。 パトリシア・ハイスミスは原作の『キャロル』を偽名で発表した。レズビアンを描いた作品を発表すること自体厳しい時代だったはずだ。偽名であれ、彼女はいつかこの作品が認められる時代がくると信じていたに違いない。『見知らぬ乗客』と『太陽がいっぱい』は映画化されたが、本命は『キャロル』で描いた愛だったのかもしれない。

  • 鑑賞日 2016/2/26

    少女の肢体が美しい

    アメリカ人はあっさり転職するのですね。貧富の格差も感じました。最後は納得のいく終わり方でした。もう戻れない。

  • 鑑賞日 2016/2/11

    ダグラス・サーク的

    トッド・ヘインズ「エデンより彼方に」は、ジュリアン・ムーア扮する平凡な人妻が、夫の浮気に気付いたのちその相手が男性であることを知り、ショックと寂しさに襲われる中、黒人庭師に心を寄せるようになるというお話を、人種差別がはびこっていた米国南部の街を舞台に描くというスキャンダラスな題材でしたが、明らかに「悲しみは空の彼方に」のダグラス・サークの世界観を踏襲しようという意図のもと、1950年代のテクニカラーを再現したようなルックによって、スキャンダラスな題材を上品なメロドラマに結実させていました。 「太陽がいっぱい」などのパトリシア・ハイスミスが当初は別名クレア・モーガン名義の「塩の値段」として発表したのち、作者の実態が知られず謎に包まれた中で、書いたのは自分だとハイスミスがカミングアウトし、ハイスミス名義「キャロル」と改題された、女性同士の恋愛を描いたベストセラー原作という、今回もスキャンダラスに傾きがちな題材を、上品なメロドラマとして撮るという、サーク的なアプローチに貫かれていますが、前作がハリウッド的なテクニカラーの世界の再現だったとすれば、今回は、淡くくすんだ色の中に、グリーンや赤といった原色がボワッと浮かび上がるような、冬の光に沈んだルックが採用されており、わたくしにはヨーロッパ映画で盛んに採用されたアグファカラーの世界を再現したように見え、トッド・ヘインズがまた新たな領域に足を踏み入れたように思えました。 映画は、冒頭、ケイト・ブランシェットとルーニ・マラが、カフェらしき店で向かい合って座り、何か深刻な雰囲気を漂わせながら沈黙していると、そこへマラのことを知っているらしい男がマラに気付いて声をかけ、これから一緒にパーティに行こうと誘い、マラもこれを受け入れると、男はブランシェットにも“一緒にどうですか”と声をかけるものの、ブランシェットは“別に人と会う約束があるので”と言って断り、こうしてブランシェットとマラは別れ、マラは夜のニューヨークを走るタクシーの中からぼんやりと外の景色に視線を送っていますが、思いはケイト・ブランシェット扮するブルジョワ奥様と、サンタ帽を被ったルーニ・マラ扮する百貨店玩具売場娘が、1952年のクリスマス間近の百貨店の中で出会う光景へと遡り、観客を二人の愛情物語に導いてゆき、映画のラストで再び冒頭に描かれたカフェの場面に戻ってゆくという構成がとられており、ああ、これはデイヴィッド・リーン「逢びき」じゃないか、と思ったら、この映画を観た後に新聞で紹介されていたブランシェットのインタヴュー記事で、彼女自身が“この部分は「逢びき」のオマージュ”だと明かしていました。 「キャロル」は美しいラヴストーリーだと思い、個人的に高く評価したいと思いますが、今なおLGBTには寛容になっていない米国アカデミー会員からは、正当な評価は得られないように思えます。

  • 鑑賞日 2016/2/27

    同性愛を、Cate BlanchettとRooney Maraで。 愛に難しいことは必要ないのかも、と思った。 でも、愛だけで生きてはいけないとも。 難しい映画だが、Rooney Maraが美しく素晴らしすぎる。 助演女優賞間違いないと、思ったのになあ…。

  • 鑑賞日 2016/2/27

    見終わってえも言われぬ感動が!

     見終わったときに、えも言われぬ感動があった。キャロルとテレーズ、ラストシーンでの二人の見つめ合う眼の強さ、うっすらと浮かんだ微笑みが印象深い。  おおよそのストーリーは、あらかじめ知っていたので、スーッと映画の世界に入り込めた。年齢の差や性別は関係なく、出会ったときから惹かれあい、恋に墜ちる。経験者であるキャロルがテレーズをリードする。お互いに家族や恋人とうまくいかず、一緒に旅に出て、愛し合う。穏やかに、そして激しく愛し合うシーンは美しく、見入ってしまう。一度は別れを決意するが、キャロルが一歩踏み出す形でラストシーンにつながる。  二人の美しい愛の形に目が行きがちであるが、題名が示すようにこの物語はキャロルの物語である。彼女を取り巻く環境は厳しく、時に彼女が激情を露わにするシーンもある。ケイト・ブランシェットは巧みにそれらのシーンを演じる。  一緒に生きていくことを決意した二人の前には厳しい社会が待っている。時は1953年(昭和28年)、アメリカでの性の開放への歩みは未だ遅い。二人が穏やかな生活を迎えられるのには、さらに20年以上を要することになる。  テレーズを演じたルーニー・マーラ、オードリー・ヘップバーンに似ていると評判で、とてもcute。見ていると、とても心がわくわくする。可愛いだけでなく、役にぴったりはまった演技。派手さはないが、彼女も演技巧者と言えるだろう。因みに彼女は本作でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞している。 (今年のアカデミー賞の主演女優賞にはケイトが、そして助演女優賞にはルーニーが本作でノミネートされたが、残念ながら選ばれなかった)

  • 鑑賞日 2016/2/28

    恋愛映画の醍醐味を満喫

    久方ぶりに恋愛映画の醍醐味(って云うのがあればだが)を味わった。”エデンの彼方に”ではまだトッド・ヘインズの秘められたテーマが表現の硬さとして残ってしまっていたが、ここではジャンルとしての映画作法にしなやかに解け込んで、観るものにそれをより自然に強く意識させることとなるだろう。ラスト近く、思い決してパーティの場を抜け出すルーニー・マーラを街路灯の光を背に仰角気味にとらえたショットが鮮烈だ。(ダグラス・サークの真髄も越える?)。16mmフィルムで撮影されたのだろう細かい粒子のややザラついた感じの画調も互いに惹かれるふたりの心の襞の震えを映して素晴らしい。

  • 鑑賞日 2016/2/19

    ルーニー・マーラが可愛くて興奮する(<完全な男目線)

    いきなりネタバレを書きますけど、ラストシーンの二人の表情にすごく興奮する。いや、男性的な意味じゃなくて、映画的な興奮。ここに至るまで話を紡いできたんだなと感じる。 ルーニー・マーラ演じるテレーズ・ベリベットは、曇った窓ガラス越しに街を見つめます。 この映画、ガラス越しの描写が多いように思うんですが、ほぼ常に窓ガラスが曇っているか、雨に濡れているか、あるいは曇天の空が写り込んでいる。おそらく、二人にとって世界は「曇ったガラス越し」の世界なのでしょう。そしてついぞ、二人揃って青空を見ることはないのです。 今やかつてのメリル・ストリープのポジションにいるんじゃないかと思うケイト・ブランシェット。そしてルーニー・マーラ。この二人の(トリッキーな)女優の名演と、色彩設計など緻密に計算された演出で、映画の完成度は高いのですが、話が面白いかというと、どうなんだろう? たしか、パトリシア・ハイスミスって同性愛者だったと記憶しています。もしかするとこの話は自己を投影したのかもしれません。 同じパトリシア・ハイスミス原作『太陽がいっぱい』を、淀川長治先生は男性の同性愛映画だと解釈しました。つまり、愛憎入り混じった感情の先に“同化”する物語だというわけです。この『キャロル』も同じ系譜の話かもしれません。 だけど、惹かれ合う話って物語になりにくいと思うんです。 ほぼすべての恋愛物語がシェイクスピア『ロミオとジュリエット』に帰結するのは、二人の間に障害があって初めて物語足り得るからなんですね。 この映画の障害は“子供”であって、それはキャロルの胸算用一つでしかない。言っちゃえば、彼女と子供の両方を手に入れたいキャロルの身勝手にすぎず、その葛藤が主軸かと思いきやテレーズ視点で語られる。 『愛の嵐』が「この世界に二人きり」映画の極北にあるのは、二人きりにならざるを得ない圧倒的な理由があるからなんです。日の当たる場所を二人では歩けない巨大な理由があるから物語になるのです。 いや、本当は“時代”が大きな障害だったんだと思うんですが、トッド・ヘインズはあえてそこを描かない。障害よりもむしろ“解放”に主軸を置いた。まあ、そういう監督だからね。あるいは時代という障害の描写に“ベタ”なものを感じたのかもしれない。 でもその結果、なんか物足らない。悪い映画じゃないんだけどな。

  • 鑑賞日 2016/2/26

    美の競艶

    1950年代、まだまだ女性の地位は男性の下に置かれ、おとなしく貞淑に家を守ることが良しとされていた時代。性的な面においても現代のようにオープンであるわけもなく、まして同性愛などはアブノーマルとして見られていた時代。自分の内で渦巻いている訳の分からない、つかみどころのない不安とも不満ともつかない苛立ちを抱えながら生きていた二人の女性が偶然出会い、お互いを知ることで本当の自分の気持ちにも気づいていく。ケイト・ブランシェットは演技派としてあまりにも有名だが、その彼女に対して全く見劣りしないと言っても良いルーニー・マーラは「ソーシャル・ネットワーク」の時から、その独特の雰囲気が印象的で以降の作品も大概は観ているのだが、若手女優の中では一押しの存在ですね。とにかく、この二人の異なる艶っぽさにはゾクゾクさせられるものがあった。ルーニー・マーラは「ドラゴンタトゥーの女」でも上半身ヌードを披露してくれているが、いわゆる巨乳、爆乳タイプでない、品の良さと透明感の溢れるヌードの美しさも絶品。さすがのケイト・ブランシェットもこの若さには勝てないと思ったのか、バストショットは見せなかったですね(笑)。

  • 鑑賞日 2016/2/26

    21世紀のいま、「映画女優」という名に値する存在は、ほぼケイト・ブランシェットしかいないのではないか。スクリーンに登場した瞬間、すべての光を集めてしまう。

  • 鑑賞日 2016/2/25

    ラストの美しさ

    ケイト・ブランシェットの妖艶なまでの美しさ、ルーニー・マーラの可憐な姿が眼に焼き付く。 ミステリと思ってみると、気持ちよく裏切られる。 哀しいほど一途な恋愛映画である。 最後の場面のケイト・ブランシェットの微笑みが全てを物語る。素晴らしい、美しい、愛おしい微笑みである。

  • 鑑賞日 2016/2/15

    ケイトブランシェット痺れた! こりゃあカサヴェテス映画のジーナ・ローランズだよ。これでアカデミー取らなかったらなにも信じられないわ。 映画自体もあの場面が2度目には全く違って見える作りに震えた。そしてラストのあの表情!!

  • 鑑賞日 2016/2/24

    見事な恋愛映画

     これは、「太陽がいっぱい」のパトリシア・ハイスミスの小説を、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの共演で映画化したもの。  同性愛のラブストリーである本作は、発表当時は衝撃的なものだったようで、作者のパトリシア・ハイスミスが自作と認めたのは何と1990年になってからだったとか。  1952年12月。ジャーナリストになる夢を抱いてニューヨークに来たものの、デパートの玩具売場でバイトとして働いていたテレーズは、ある日、娘のクリスマスプレゼントを探しに来た女性キャロルと出会う。  売り場に忘れた手袋を届けてくれたお礼にと、キャロルから昼食に誘われたテレーズは、それをきっかけに親交を深めて行き……  これは1950年代と言う、アメリカが最も輝いていた時代、その一方で白人男性中心の社会で生きづらさを感じていた女性達の物語。  女性と言うだけで、将来は妻になり母となる事を強要されていた社会で、女性が、確固たる個人として生きる、しかも同性愛者として生きる、と言うのは途方もなく困難な事――だからこそ、原作は衝撃的だったのです。  そんな社会で、テレーズは、若さ故に自分を解き放てずにいます。この社会に自分の居場所がないように感じ、自ら殻を作って閉じ籠もっているのです。  象徴的なのは、映画前半でテレーズはガラスの向こうに映し出される事が多いのです。あたかも、ガラスに象徴されるテレーズの見えない殻を映し出すように……  そこに現れたキャロルは、当初はテレーズの殻を破る、輝くような存在としてそこに降り立ち、テレーズの憧れの女神となり、彼女はキャロルを崇拝するかのように恋するのです。  やがて、見えて来るのは、富も家庭もキャロルの心の隙間を埋めるものではなく、彼女もまた、愛を求める女性でしかなかったと言うこと――  キャロルとの恋の逃避行を経て、テレーズは夢に向かって自力で歩き始めるようになります。  もうテレーズは殻に籠もる事はなく、キャロルを見つめる視線も憧れではありません。でも、その心の中にあるのは――映画は、その先を描く事なく終わりますが、ここまで描かれるのは、紛れもない恋愛模様。  それが禁断の愛であったとしても、互いに相手を必要とし、互いに助け、導き、慈しむ……本物の恋愛を描いた見事な1本と思います。

  • 鑑賞日 2016/2/23

    なんて上品な同性愛ラブストーリー。演じている2人が完璧に演技で揺れる気持ちを表現している。お上品すぎるので刺さらないところもある。

  • 鑑賞日 2016/2/24

    存在意義の主張

    いやぁ観賞後、しばらく冷静になれなかった。これほど苦悩に満ちた主人公に出会ったのも、これほど魂が揺さぶられる感動を味わったのも久し振りだ。ケイト・ブランシェット演じる主人公キャロルが、娘の親権を争う審問の場で「自分の存在意義」という言葉を使う。時代背景を考えるとこの物語の中できわめて重要な言葉だ。大袈裟に聞こえるかもしれないがこの言葉が彼女の口から発せられてからは涙が止まらなかった。詳しい話をするつもりはない。誰もがまず観るべきだとしか言いようがない。

  • 鑑賞日 2016/2/24

    Likewise

    キャロル(ケイト・ブランシェット)が挨拶で使う""Likewise""というエレガントなフレーズがとても哀しい。「こちらこそ」(me too)と相手に合わせる訓練はされていながら、本当の自分を抑えて生きていく難しさ。 観終わって、喧伝されているように女性どうしの「恋愛」とスパッと切れなくて居心地がよくありませんでした。キャロルもテレーズ(ルーニー・マーラ)も本当の自分、あるがままを受け入れてくれない身近な他者が男、あるいは男社会だったが故に自分を肯定してくれる相手を渇望してたらそれが同性だった。恋愛って突き詰めればそういう渇望か、とも思うのだけれど……。 1950年代の規範意識が女性を型にはめ生きにくくしてた、という話なのでは。 映画化されたパトリシア・ハイスミスの作品は知る限り「太陽がいっぱい」「リプリー」近作の「ギリシャに消えた嘘」どれも、自分を模索している若者が上の階級でお金のある人に出会い、憧憬や嫉妬が悲劇を生む話です。これはハッピーエンドと言ってよいの? キャロルとテレーズのキャラクターに合わせた衣装と1950年代を再現した美術は一見価値あり。特にキャロルの心を表現するような赤の使い方が印象に残ります。

  • 鑑賞日 2016/2/23

    引かれあうふたり

    原作は『太陽がいっぱい』のパトリシア・ハイスミスが別名義で発表したベストセラー小説。 テーマは同性愛。 時代は1950年代。 衣装のシルエットが綺麗で、現代のファッションとは違う。 キャロルが着用しているスーツは、豊かな胸、くびれたウエストと女性の曲線美を強調。 当時はオーダーメイドだったかもしれないけど、日本の既製服ではあまりないデザイン。 メリハリがあるスーツは、Iラインやボーイッシュな洋服が流行なので新鮮。 百貨店の販売員のテルーズは、キャロルと出会い、互いに惹かれあう。 キャロルは奔放かもしれないが、一目惚れの感情を抑えらなかった。 母としてはどうなの?と思うが、恋は落ちるものと思っているわたし。 テルーズを演じたルーニー・マーラは不思議な魅力を持っている。 この小説が発表された時は衝撃的だったと推測。 ふたりのドライブ旅行は夢のような時間だったはず。 映画は観ているとドライ・マティーニが飲みたくなってしまった。 マティーニとあの料理の組み合わせは美味しいのかな。 映画公開をきっかけに、昨年、原作が初翻訳。 原作には映画では描き切れなかった物語があるようなので、是非読みたい。

  • 鑑賞日 2016/2/22

    1950年代のアメリカが舞台。 二人の女性の愛の物語。 冒頭、おもちゃ売り場で、母親におもちゃをねだる子供の、「ママ、プリーズ」と、キャロルの娘の、「ママ、プリーズ」が、とても印象に残った。 子供が親を恋い慕う思いと、親が自分らしく生きたい思い、どちらかしか選べないとしたら、どちらを選ぶだろう。「ママ、プリーズ」を聞いてたら、子供を選ばざるをえないかなー、なんて思った。

  • 鑑賞日 2016/2/22

    衣装が素晴らしい

    同性愛を描いた作品を観ると、しばしば思うことがある。 なぜ、異性同士の性愛を描いたものよりも、同性同士のそれのほうが切ない感情が強く伝わってくるのか。 やはり、性愛というきわめて個人的な問題は、そこに社会的な規範などの障壁が存在しなければ、他人の心に届くドラマとして成り立たないのだ。 逆に言うと、なんの障壁もない男女が、どれほど深く愛し合おうとも、それは個人的な感情の出来事に過ぎず、赤の他人の心を動かす題材としては弱いということである。 時々、その手の個人的な「事情」を描いた作品に出会うことがあるが、非常に無駄な時間を過ごした気分になる。 この作品は、現在以上に同性愛への無理解が強かった20世紀半ばの二人の女性の恋模様を描く。 恋が始まる瞬間の期待と不安、恋が進行していくときの高揚感と視野の狭さ、恋が終わろうとするときの身を切られるような思いを、映画は一つ一つ丁寧に伝えている。 これは、シナリオや俳優の演技以上に、音楽と彼女たちの衣装・美術によるところが大きい。特にケイト・ブランシェットのための衣装は、その時代を想起させつつも、現代にも通用する洗練されたもので、ため息が出るほどに素晴らしい。

  • 鑑賞日 2016/2/15

    隠して生活していく辛さや強さ

    パトリシア・ハイスミスの原作を、トッド・ヘインズが監督した作品で、1950年代のニューヨークを舞台に、百貨店の店員がある主婦の客と出会い、女性とも付き合っていたその女性は、夫との離婚を進めていて、店員の若い女性と仲良くなっていくけど、二人で遠出したことがバレて離婚訴訟で不利に働いて、娘の養育権を奪われてしまう、というお話しで、お互いに惹かれ合っていく女性の心情を、同性愛が社会的、道義的に許されなかった時代に、それを隠して生活していく辛さや強さを通じて描いていて、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの二人の演技は見事でしたね。50年代を舞台にしながら、ラストは今の時代に通じる人物像を描いていて、印象的でしたね。

  • 鑑賞日 2016/2/21

    ずっと二人の役者の顔を観ていたら映画が終わった感じ。 良くも悪くも。

  • 鑑賞日 2016/2/20

    透明感のあるミステリー

    女性版「ブロークバック・マウンテン」のようなストーリーだけど、こちらはもっと透明感がある。それはひとえに、ケイト・ブランシェットの美しくも悲しい存在感によるものだろうな。ふとした拍子に女性に恋してしまい、その自分の感情と周囲との軋轢に悩む様子を切ない演技で体現している。そしてラストシーン、自立した様子の主人公の姿が心に残る。演技と胸を締め付けられるストーリーがものをいった作品。

  • 鑑賞日 2016/2/20

    名作「逢びき」を凌駕

    1950年代のニューヨークを舞台に女性の同性愛を正面から見据えたパトリシア・ハイスミス原作の恋愛ドラマ。 オープニングで一人の男がレストランに入ると顔見知りの女性を見つけて声をかける。実は、この女性(ルーニー・マーラ)は今まさに同性愛のパートナー(ケイト・ブランシェット)と別れ話をしている最中であり人生の岐路とも言うべき場面で思わぬ邪魔をされたのである。しかし女性二人が何の話をしているかは観客にはまだわからない。真剣な様子から大事な内容であることは察しがつくのだが、別れ話であることはラスト近くで再びこの場面がリフレインされるまで伏せられているのである。 道ならぬ恋の当事者同士の別れの場面に邪魔が・・・。この設定確かに見覚えが。そう、デビッド・リーン監督の名作「逢いびき」とそっくりではないか。あの映画でプラトニックな不倫関係にあった人妻は最後には夫や子供たちの元に帰り、やっぱり既婚女性の幸福は良き家庭の中にこそ存在する、というまるでモラルが行動規範の全てのような上流階級の世界を垣間見せてメデタシとなる。しかし本作はモラルに捉われない斬新なエンディングを用意していた。 別れたはずの二人はその直後、ルーニー・マーラーがケイト・ブランシェットのいるパーティ会場に会いに行く形で再会する。少し距離を置いた場所からお互いを確認する二人。絡み合う視線、そして微笑。ここで暗転。 50年代ということを考えるといささか時代を先取りした感はあるけれど、性別を超えた大人の恋愛ドラマの結末としては納得がいった。ルーニー・マーラの少女の愛くるしさと大人の色気が混在したキャラクター造形の見事さも特記しておきたい。

  • 鑑賞日 2016/2/20

    生き難い時代に自分を貫く勇気を

    同性愛は”不道徳”とみなされ、 偏見と差別は今の時代よりはるかに厳しかった時代。 映画の中に「非米活動委員会」と言う言葉が出てきますが、 これはそんな時代の話です。 ケイト・ブランシェットはさすがの貫禄。 指の先から目の動きまで全てがエレガンスです。 対するルーニー・マーラもドラゴンタトゥーの女とは 打って変わって少女っぽさを残すテレーズを可憐に演じています。 写真家を目指すものの、何事にも自信が持てず、 周りに流されてノーと言えない性格。 「ランチのメニューも選べない」と自分を卑下するテレーズ。 今の彼とこのままズルズルと結婚に流れるしかないのか。 そんなテレーズがキャロルとの出会いで自立し、 自分の意志で行動する女へと変わっていき、 終盤では離婚調停に悩むキャロルを逆に支えるまでに成長していきます。 冒頭の二人の出会いのシーンを始め 二人が言葉を交わさず見つめあうシーンが多いのですが その表情、目の動きだけで二人の間の様々な感情を雄弁に語っています。 あえて16ミリフィルムで撮った映像が美しい。 ファーストシーンがそのままラストシーンで再現されると言う面白い構成で、 最初と最後、同じシーンなのに意味するものがまるで違って見えます。 同性愛は”精神の病気”とみなされ、キャロルに対しては精神科医 (カウンセラー?)による”治療”が行われるのはショッキングです。 ベネディクト・カンバーバッチが主演したイミテーションゲームでも 当時、同性愛者に対して薬物を使った”治療”が行われていたことが 描かれています。 ただ、そのあたりは見る前に想像していたほど重きを置かれておらず この映画のテーマは単に”同性愛”ではないことがわかります。 キャロルの夫・ハージは特に差別的でも傲慢でもなく、 しかし、キャロルを愛してはいても、自分が庇護すべき存在としか見ていない。 それはテレーズの恋人にも共通するところで、 この時代の男としてはごく平均的な普通の男なのでしょう。 「心に従って生きなければ人生は無意味」と、キャロルは語ります。 この映画は、あくまで女性たちが偏見や差別に負けず、 己を貫き通す強さと清々しさを描いた映画ではないかと思います。

  • 鑑賞日 2016/2/20

    忍ぶれど 色に出にけり…

    1952年クリスマスでにぎわうニューヨークのデパートに娘のプレゼントを買いに来たキャロルは玩具売り場の売り子のテレーズと運命的出会いをし、互いに一目で惹かれ合う。 同性愛など社会的には認められるべくもない時代、二人の親密度は増すばかり。交錯する視線がなまめかしくまとわりつく。 離婚調停中のキャロルと、恋人からのプロポーズに答えを出せないテレーズ。道行きとも云える自動車旅行をする二人。執拗に復縁を迫るキャロルの夫は手段を選ばぬ妨害工作に出る。万策尽きたかに見える二人。 止むを得ず、別れる道を選ぶテレーズだが、仲間とのパーティー会場での疎外感にいたたまれず、キャロルのホテルに舞い戻り、会議中のキャロルを探し出す。テレーズの姿をとらえたキャロルのねっとりとした視線はあまりに官能的である。 先行きの見えない二人ではあるが、女性二人の愛情を通して、恋愛の本質に迫った上質なメロドラマである。

  • 鑑賞日 2016/2/17

    映画は音楽に嫉妬する

    最近読んだ塩田明彦氏の「映画術」がたいそう面白く、目からうろこが何十枚も落ちた気がした。その中で、「映画」は、その他の芸術ジャンルにおいて、「音楽」に対してだけ嫉妬するという記述がある。 「キャロル」は、冒頭のタイトルバックに流れるテーマ曲が圧倒的にすばらしく、一気に映画の世界に引き込まれる。大げさに言うと、10年に1度くらいの名曲の誕生である。 全編にわたり、その楽曲の変奏曲が流れるたびに、映画自体が大きく呼吸をし、画面に慕情が立ち込める。同性愛を扱った作品であるが、男女の恋愛映画でもこれほどまでに慕情と画面と音楽が融合するシーンは珍しい。映像がどれほど多くの言語やカメラ表現を駆使して情感を表現しようとしても、魔力を持ったたった1楽曲さえあれば、見る者を遥か銀河系の外にまで感情を運んでくれる。だから、映画は音楽に嫉妬する。 さて、「キャロル」。ケイト・ブランシェット、マーニー・ルーラの演技競演である。この作品のブランシェットは本当にかっこいい。魅力的である。美しい。誰もが憧れるようなオーラを持っている。この人に近づきたい、この人に触れたい、この人と交流したいと思わせる。その憧れが現実になる。あこがれの人が自分のすぐ近くいる。できれば、その人に認められたい。その人に愛されたい、その人と一緒にいたい。 あこがれが混ざった敬愛、そして純愛。恥じらい。これを、ルーニー・マーラが初々しくかつ魅力的に演じる。あのオードーリー・ヘプバーンを想起させるというコメントが多いのもうなづける。 パトシア・ハイスミスがこの作品を執筆したころからいく時代を経て「LGBT」の時代が到来した。この同性愛映画は、きわもの作品ではなく、れっきとした純愛映画の最高峰の位置を占めることになるだろう。 平日の19:10上映の回であるが、20代30代女性でいっぱいである。新たな愛の名作の誕生を喜びたい。心がせつなさで震える名曲の誕生とともに。

  • 鑑賞日

    ヘインズだから撮れた傑作

    キャロル(ケイト・ブランシェット)は50年代の女である。社交界で「良き妻」を演じ、世間体を守らなければならない。彼女が離婚裁判中なのは、そんな「飾りの妻」に耐えられないからだ。ある夫人がパーティー中に「夫が煙草を嫌がるの」とおどけて、一服するシーンも象徴的だが、キャロルは50年代に縛られている。後の旅行は、そんなしがらみからの逃避行なのだ。 テレーズ(ルーニー・マーラ)は百貨店で一目見たキャロルに惹かれた。何故かはわからない。初めてのランチをするシーンは素晴らしく、キャロルを直視できずに視線をさまよわせるテレーズは、自身で理解できない感情に気づく名演だ。50年代の女、キャロルを見ながらテレーズは考える。彼氏と一緒になりたいのか?写真家になりたいのか?それとも・・・?キャロルの旅行に付き合うことを決めたテレーズに対して彼氏は言う。「女に憧れる子供だ」と。テレーズにとって、この旅行とは、理解できない感情の正体を知るための旅なのだ。この感情は憧れなのか、と。 旅行が始まり、クリスマス、大晦日と過ごす中で、はっきりしたのは、お互いに愛情を抱いていること。テレーズの理解できない感情の正体はキャロルへの愛ということだった。しかし、そんな二人の関係は唐突に終わる。50年代は、その愛を許さない。 映画のラストは、冒頭と繋がっており、そこにあるのは、50年代に屈し、飾りの妻を受け入れたキャロルと、同性への愛を諦めたテレーズの姿だった。その場に居合わせた若い男に誘われ、テレーズはパーティーへいく。そこには男もいるし、同性愛らしき女もいた。しかし、テレーズはパーティーを抜け出し、社交界の人々と会食中のキャロルのもとへ。 映画の冒頭で50年代に屈した二人が、映画の最後で、そんな50年代に二人の愛を見せつける。そんなラストシーン。ただただ美しく、そこで気づく。二人が最後に見せた愛とは、50年代に向けたものではなく、現代を生きる観客に見せつけたのだと。「この愛は許されないものですか?」と言っているかのよう。その証明となるのは、社交界で視線を交わした二人の、その後が描かれないからだ。時代に屈するのは、誰もが納得していることなのだ。だからこそ、キャロルの表情で、映画を終わらせた。トッド・ヘインズはダグラス・サークが描いてきたものを、現代的に表現してみせた。50年代ではなく、現代を生きるヘインズだからできた、美しい愛の物語である。

  • 鑑賞日 2016/2/19

    目は口ほどに物を言う

    美しい映画だった。 映像と音楽の力をこれほどに感じた映画も少ない。 映像では、対象をアップで映し出すことで、大胆ストレートに表現していた。 対象が人物である場合、アップの映像は役の心の内面がより滲み出て、観る者に強く訴え掛けて来る。 役者にとっては体全体を使っての表現でなく、目で伝えるしかなくなるから非常に難しい事だろうし、当然ながらその役になりきらなければ表現出来ないだろう。 もちろん話の内容も重要なのだが、この映画の最大の魅力は愛し合う事での、まさに「天にも昇る様な幸せ」であり「切なく愛おしく苦おしい気持ち」にあるので、映画が成功する鍵は役者のなり切り度に掛かっていたと言ってもいい。 例えば、人が相手に好意であれ悪意であれ平常より強い思いを持っていると、その思いは言葉がなくとも直ぐに伝わってしまうし、その思いの度合までもが相手に分かってしまう。 それは全くもって不思議な事だが、現実に日頃私達が経験している事であって、考えてみれば人が認知している事の多くは、言葉よりその他の器官で感じ取っているのではないか。 キャロル役のケイト・ブランシェットとテレーズ役のルーニー・マーラは見事に役になり切る事でそのことに成功している。 私は映画の伝えたいことの多くを、セリフからではなく二人の無言のボディーランゲージ・表情・相手を見つめ合う目から感じ取った。 特に映画の冒頭と最終場面の二人の表情が素晴らしく、観ていて胸が締め付けられる思いがした。 恋愛で起きるであろう様々な感情をこの映画を観る事で自分が経験する事が出来た。 それは、同性間であっても異性間であっても変わりのない事なのだ。 逆に同性である事で、より純粋な気持ちで観る者に想いが伝わって来たのではないか。 冒頭と最終の場面と、この作品の成功に大きく貢献したであろう素敵な音楽を聴くためだけにでも再度この映画を観たいと思った。

  • 鑑賞日 2016/2/19

    完成度は高いが・・

    ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラの演技にはただ驚くのみ。とにかく完璧に感じたし、完成度も高い。K.ブランシェットは怪演ともいえるくらいである。日本の女優で対抗できるのは誰だろうと思いながら・・・。ラストシーンのキャロルとテレーズの見つめ合いは、二人の愛の再燃を示しているだろう。印象に残るシーンである。

  • 鑑賞日 2016/2/16

    苦いものの価値

    「見知らぬ乗客」で長編作デビューを果たしたパトリシア・ハイスミスの小説が原作となっているということで、てっきりサスペンスものと思っていました。  なので映画が始まってから、いつ「何か」が起きるのだろうと目を凝らしていましたがいっこうに「何か」が起きる気配がありません。結局、最後まで何も起きないで終わってしまいました。  観終わって(実は途中で)、大きな勘違いをしていたことに気がつきました。これは人目惚れした女同士の恋の話なんだということを。 原作のあとがきを読んで知ったのですが、ハイスミスさんがデパートのおもちゃ売場で働いていたときの経験をもとに一気に書き上げたとのこと。また、彼女自身同性愛者であったとのこと。  映画の背景となっている1950年代は今と違って同性愛者への理解はなく、世間からは白い目で観られていた時代、小説や映画でも悲劇的な結末のものが多かったようです。  同性愛者の権利が少しずつ認められてきた今日、この小説を映画化した意図はなんだったのでしょう。 男と女、男と男、女と女、惚れてしまったら恋する気持ちを止めることはできません。ただし、すべて幸せな結末となるかどうかはわかりません。一目惚れというのは人間に起こりえる感情のひとつであり、これは普遍的なテーマと言ってもいいでしょう。こんな時代にも前向きに生きた人たちがいるのだから今を生きる私たちはもっと進めると。 自分は同性愛者であると自覚して生きている女性とその入口に立っている女性。ラストシーンは、自分に素直に生きていこうと決意するテレーザとそれを受け止めることを決意したキャロル、それぞれの思いが表情によく出ていました。もともの小説の原題「塩の価値」のように苦いものには価値があるというように。

  • 鑑賞日 2016/2/17

    主役の2人(と、呼ぶべきか)だけが、ただただ美しい。(特に、ケイト・ブランシェットのなかには、フェロモンボックスみたいなものがあって、自由自在に時と場合に応じたフェロモンを出せるようになっているかのようだった) でも、多分恋に""落ちた""人ってこんな風になってしまうもの。互いしか目に入らず、誰よりも輝いてみえる。最初にテレーズがキャロルを見つけた時のように、何故か沢山の人のなかからあの人を見つけてしまう。そして、その人から目が離せない。 悲しいかな、そんな恋はいささか厄介な場合が多かったりする。 そして、この2人の場合も女性同士であり、また1人は結婚して子供がいるのだ。そんな2人の愛を美しく描ききった映画だったように思う。 ただ、テレーズがキャロルに惹かれていくうちに、性別を超えてまで彼女を求めるまでの、心の葛藤がさらりとし過ぎていたような気がする。 敢えてそこは深く掘り下げず、人が人に惹かれていくさまから、人が思い合うことに性別は関係はないのだというメッセージを含ませているのか。そんな、疑問が残った。

  • 鑑賞日 2016/2/17

    期待が大きすぎたかも

    キャストも良いし、50年代のファッションもため息が出るほど素敵だし、言うことなしのはずだけど何となく物足りない気がして60点。ケイト・ブランシェットが煙草吸い過ぎだったからかな(笑)

  • 鑑賞日 2016/2/17

    「スター」と呼ぶに相応しい人

     秘められた恋心を描いたD・リーン監督の「逢びき」を思わせる構成になっているが、それぞれが元の世界へ戻って行った「逢びき」とはラストが違っている。私はこのラストが好きだ。C・ブランシェットがこちらに目を向けた時の表情が素敵だった。

  • 鑑賞日 2016/2/16

    反射する窓越しの視線

    手袋と帽子。紫煙と窓硝子。写真機とアナログ盤。拳銃とテープレコーダー。台詞ではなく、カメラで写し撮った映像と役者の動作とそれらの繋がり(と音楽)で、シンプルだが雄弁に語り、描写/表現していくという、映画そのものような作りに仕立てられた映画。遠近に交差/非交差する数々の視線の映画。

  • 鑑賞日 2016/2/16

    顔の表情、手足や体の動作から、繊細な内面感情の動きを表すケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの演技に酔った。

  • 鑑賞日

    差別や偏見の概念が違うOnce Upon a Time in America・・

    差別や偏見が堂々と跋扈していた50年代の空気感を色彩、16mmのカメラ、フィルムを使用して質感まで復元。人の尊厳に関わる言動を2016年式解釈に収斂させない為の空間設定は、主人公2人の繊細な言葉、動き、間接的に2人に突き刺さるセリフの縁取りをほのかに際立たせる。ヒアアフターを目だけで観客に伝えるラストは、アヘン窟のデ・ニーロの目を思い出した。

  • 鑑賞日 2016/2/15

    女優二人を見たくて選んだので、予備知識無し。 こういう内容だったのね。 女優二人は良かったのだけど、話の展開に余り同調できず。 テレーズの行動に惹き込まれないからかなあ。 本人の定まらない心を象徴しているとも言えるけれど。 格調高いラブストーリー。 どこか現実味のない作りごとの世界のようだった。 決して悪くはない。でも、好みではなかったのかなあ。 冒頭とエンディングの視点転換は、興味深かった。 〈パンフレット〉★★☆ B4縦、カラー、30p、800円 ファントム・フィルム/編集・発行、石川瑛美(ヘルベチカ)/デザイン イントロダクション ストーリー グラビア キャストプロフィール5名 スタッフプロフィール9名 インタビュー/ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、トッド・ヘインズ監督、フィリス・ナジー脚本、サンディ・パウエル衣装 プロダクションノート レビュー/芝山幹郎 原作 音楽リスト

  • 鑑賞日 2016/2/16

    1950年代初頭、ニューヨークのデパートに勤める若い女店員が、憧れの裕福な婦人客に誘われドライブ旅行に出て深い関係になる。 この作品は内容を知らないままに見た。人がくっついたり離れたりするのを見て何が楽しいのかと思う僕は、恋愛がテーマの映画はほとんど見ない。この作品も恋愛映画だと、その上同性愛と知っていれば、まず見なかっただろう。 しかし、それでも、なのだ。この作品は恋の過程を細かく描く。緻密に心の動きを積み重ねていく。 若い女性が美しく凛とした姿の婦人に憧れ、少しでも近づきたいと思う。その婦人がたまたま売り場のカウンタに置き忘れられた手袋を、送って返したとて何の問題があろう。恋の始まりには、まず相手に近づきたいという気持ちが走る。 婦人は離婚している。幼い娘の親権を得ていたが、父親、つまり元夫が婦人を不道徳だと言って、親権を取り戻そうと訴えを起こす。婦人には女友達と恋愛関係にあったという過去があった。裁定が出るまで婦人は娘に会えなくなってしまう。その寂しさが女店員をドライブに誘わせる。 女店員がビリー・ホリディのアルバムを婦人にプレゼントする場面がある。レコード店でそのアルバムを買う女店員に眉をひそめる女性客たち。それは黒人の音楽のジャズ、黒人歌手のビリー・ホリディに対する偏見であり、そんなアルバムを買う女性への蔑視だ。(ビリー・ホリディが同性愛者でもあったことを知っていれば、この偏見が同時に同性愛に対しても向けられていると言えるだろう。ちょっとした場面に二重にも三重にも意味を込めた細かい配慮だ。) この恋愛の過程が細かく段階を追って描かれているがゆえに、そこにあるのはただ恋愛であり、蔑視するほうがおかしいと思えてくる。 司馬遼太郎の『アメリカ素描』という、1970年代後半頃にアメリカを訪ねた時の紀行がある。その中に、同性愛の人たちが「生き方を否定しないでほしい」と言っていたという趣旨が書かれたところがあった(サンフランシスコへ行った時の章だった思うがちょっと記憶が怪しい)。この作品を見ていて思い出した。

  • 鑑賞日 2016/2/16

    紅色

    ガラス越しがすごく多い。 二人の服それぞれにすてき。 旅に出る車の中で聞いている曲、加山雄三みたいだった。 車の外から二人を眺めている感じのとき、陽のさし具合よく楽しそうにみえた。 キャロルの紅色の口紅が印象に残る。 どこも悪くない。けど何かグットこない。

  • 鑑賞日 2016/2/11

    天から落ちた恋 女同士の安堵と愛

    トッド・ヘインズが女性の同性愛を描くということは、何よりも美しい恋愛ものが出来るということだと思ってはいたが、美しい50年代の人々の営みの風景の中に、恋をしたら人間はこんなにも冷静を失う、ということが痛いほど刻まれたドラマだった。 男社会の中で女性という立ち位置は、権力者をたてる妻、というお飾りに過ぎなかった時代。そんな妻を演じながらも、子供のために苦痛に耐える日々を過ごしていたキャロル。彼女はある日デパートのおもちゃ売り場で、「天から落ちてきたような女性」テレーズを見つける。この世のどこかに別の居場所を探す者同士、二人はその眼差しだけで心が通じ合う。“女性”特有の共感と、安堵感。そして二人は恋に落ち、同時に本来の自分の性質を知るのだ。日常を捨てて旅に出る二人を阻むものは、“男性”という存在を含めもはや何もなく、どれだけ粗末な部屋でも、それは二人だけが住むエデンのようだ。キャロルから子供を引き離そうとする夫も、キャロルを取り戻したい一心で道徳を見失う。愛が芽生えたとき、自分の行動が突拍子もないほどに感じながら、相手を通して人間は自分自身を知る。人間が恋に落ちた時の素直で真っすぐな姿がここにはある、女性だから、男性だから、はほぼ関係のないようなものにすら感じる。 へインズが昔から使用してきた人形演出術がおもちゃ売り場とリンクして、画面をかすめる様はにやりとさせられる。ファッション、髪型、部屋の隅々までにキャラクターの心情とロイヤリティを映し出す気遣いは素晴らしい。

  • 鑑賞日 2016/2/13

    純粋な愛

    ケイト・ブランシエットとルーニー・マーラの存在感が圧倒的でした。 上品さと、存在感を兼ね備えた女優は、ケイト・ブランシエットの右にでる者はいないのではないかと思います。 キャロルには旦那、テレーズには恋人と、それぞれ異性のパートナーがいる。 それぞれの男性は、決して問題があるように思いません。 それでもお互い同性のパートナーに惹かれるのは、自分らしくいられるから。 自分らしさや、同性愛と、現代的なテーマを取り入れながら、クラシカルな雰囲気が二人の愛を引き立てておりました。 50年代の雰囲気も良かったのですが、窓越しに表情を捉えているのも印象的でした。 窓というフィルターを一枚入れることで、何か不安げな心を捉えているようにも思いました。 ラストシーンのキャロルの自信に満ちた表情で終わる。 いろいろと障害がありましたが、ようやくこの愛が純粋なものになった気がしました。

  • 鑑賞日 2016/2/14

    クラシカル熟女

    雰囲気はあるけどノレず。トッド・ヘインズ作品では『エデンより彼方に』と比較したくなるが、復古主義的なメロドラマ『エデン~』の方が作風ではないか。クラシカルな熟女好きなのは確かだ。 とはいえ普遍的な愛の形が素直に描かれていたのは良かった。レズビアンも普通の愛のかたち、むしろこちらのほうが自然な愛ではないか、とさえ思った。何であれ愛は愛、ひとつなのだ。

  • 鑑賞日 2016/2/14

    テレーズのアヒル口

    とても雰囲気のある映画。雪のシーン、キャロルがドキドキするくらいとてもキレイ。デパートで売り子をしているテレーズの前に現れたキャロルは、目で追いかけてしまうほど妖艶。夫とは離婚するというキャロルの生活の中にテレーズが入り込む。テレーズの憧れの気持ちをうまく利用してあい続ける。 気持ちが通じ合い、そして引き離され、また近づいていくのを描いている。 ドラゴンタトゥーやってた頃のルーニーマーラーは全くいない。ただ純朴にまっすぐな、大人の女性というよりかは可愛らしい少女のような雰囲気。アヒル口も似合ってる。

  • 鑑賞日 2016/2/14

    自分勝手さが目立ってしまった

    キャロルはかっこいい。男女問わず愛されるのは納得! でもすこーし自分勝手やしないか。二人が愛し合っているのはわかったのだけどそこだけが引っかかった。 最後は良かった!

  • 鑑賞日 2016/2/14

    何度も予告で見せられた出会いのシーンにときめきは感じられず、ただただ残念。 恋が育っていく過程に共感ができたなら、もっと好きになれただろう作品。何が自分に合わなかったのか、少々悔しさが残る

  • 鑑賞日 2016/2/14

    まなざしの絡み合い

    とにかくルーニー・マーラーが可愛い。大きな目に、帽子が似合うショートカット。ケイト・ブランシェットの金髪にのる小さな赤と紺の帽子も似合っていた。おんな達の絡み合うまなざしが、色っぽい。

  • 鑑賞日 2016/2/14

    可も不可もなく…

    2016年2月14日、TOHOシネマズ新宿にて鑑賞。 さすがに、新しい劇場だけあって綺麗。 ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラー共演、しかもアカデミー9部門ノミネート、ということに躍らされて観に行ったが、可もなく不可もなく…という感じだった。 デパート売り場で働くテレーズ・ベリベット(ルーニー・マーラー)が、売り場にやって来たキャロル・エアード(ケイト・ブランシェット)を見て、クリスマスプレゼントを選んであげる。客のキャロルが帰ったあとには、彼女が忘れた手袋が…。それを郵送してあげて、二人の関係が始まる。 どうも昔のアメリカでは、レズビアンはタブーだったようで、レズの気があるキャロルは夫と上手くいかずに親権争いになる。 ケイト・ブランシェットの「リタ・ヘイワースみたいな赤毛」なるセリフから時代を感じる。 まぁ、風景や小物も昔のアメリカの雰囲気を出しているが、如何せん物語がパッとしないのが惜しかった。 悪くはないが、暇だったら観ても良いかも。

  • 鑑賞日 2016/2/12

    まるでジーナ・ローランズ

    ケイト・ブランシェットはジーナ・ローランズの演技を意識しているように思える。模倣が演技っぽくなって、ナチュラルなルーニー・マーラとのバランスが悪くなっている。だが、それがキャロルの主導権を表現しているのかもしれない。終盤に至って、キャロルの主導権喪失とテレーズの主導権は表現されているからだ。それにしても、ラストシーンの受け止め方は多様性があって面白い。テレーズの決意は卓袱台返し、拳銃乱射にも受け止められるのだ。ところで、トッド・ヘインズは立派になり過ぎた。個人的には「ポイズン」の頃の方が好きだな。

  • 鑑賞日 2016/2/12

    タイトルに、テレーズも加えてあげてよ

    1950年代、米国ニューヨーク、時はクリスマスシーズン。 デパートのオモチャ売場の店員をしているテレーズ(ルーニー・マーラ)の前に、裕福な婦人のキャロル(ケイト・ブランシェット)が現われる。 幼い娘へのプレゼントとして人気の人形を所望したのだが売り切れで、別の商品を購入することにした。 その際、キャロルは高価そうな手袋を忘れ、テレーズはその忘れ物を商品の配達に同梱して届けた。 それが、はじまりだった・・・というハナシ。 まだ同性愛について理解のなかった50年代のこと、さぞや周囲のバッシングはヒドかったのだろう、そんな中で許されない愛を貫こうとするなんて、なんという困難だろう・・・ と、かってに観る前に思い描いていました。 ありゃりゃ、そんなところは全然描かれない。 まぁ、キャロルの離婚話に絡んで娘の親権を争う段になって「不道徳理由」と指摘されるのだから、全然というのは語弊はあるかもしれない。 でも、同性愛ということを横に置けば、不倫をしているのだから「不適切理由」には相当するんじゃないかしらん、なんて思うわけ。 どうしてこんな連想がでたのかとツラツラ考えると、どうも、ケイト・ブランシェット演じるキャロルが、お金持ちで脂ぎった中年オヤジにみえていたのだろう。 個人的な嗜好で申し訳ないが、ケイト・ブランシェットの金ぴかゴージャス感や押し出しの強さが、苦手なのです。 こういう連想が働くと、もう、いけない。 ルーニー・マーラ演じる小柄なテレーズが、中年オヤジの毒牙にかかった無辜な娘にみえて、ああ、なんでこんなオヤジに引っかかっちゃうんだぁ、なんて思っちゃう。 実際は、そんなことなく、テレーズも、これが「絶対の恋愛」と思って行動しているんだけど。 というわけで、鑑賞中、非常に居心地が悪かったです。 50年代の再現、バックに流れる音楽など、見どころは多いのですが、どうも個人的には受け付けなかったです。

  • 鑑賞日 2016/2/12

    キャロルに恋した

  • 鑑賞日 2016/2/12

    同等の吸引力の問題。

    キャロル…まあいわゆるケイトが期待通りの魅力。同性から見て決して嫌味じゃない。美しいと感じる対象に同性も異性もないように、二つの間の吸引力が同じならば、永遠に惹かれ合う、ただそれだけのことだ。しかしタバコが吸いたくなるな!

  • 鑑賞日 2016/2/11

    これぞ恋愛映画

    愛せない夫との関係に悩むセレブな婦人と、男ともだちとの生活に踏み出す勇気が持てない少女の面影を残す若い女性とが運命の糸にあやつられるかのように惹かれあっていく姿をケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラという配役と時代色再現が完ぺきな撮影、美術、衣装で描写してうっとりさせる。戦後すぐの1952年という、妻側を弱い立場に追い込む古いモラル、家族観、法律と女性に新たに職業の門戸を開く変化の風とが両立する時代自体の描き方が精密で、その中で苦しみながらも自分らしさを偽わらない生き方を追求していく彼女たちを美しく繊細に描きだす演出に心が震える。

  • 鑑賞日 2016/2/12

    排水溝から始まるファースト・ショット、ちゃんとクレーンで上昇して終わるのに心の中で激しく頷いてしまった。やっぱメロドラマはこうだよね…。街景が重ねられるガラス越しの淡いイメージ、フレームの使い方も熟練の手つき。お店でのシーン、仕切りで会話している相手が映らず、ひとりぼっちに見えるような画面構成が目につく。リチャードが魅力のかけらもない粗野な男そのものなのも図式的でメロドラマっぽい。終盤のシーンを冒頭に持ってきたのはやっぱアレ? 「こちらキャロルよ」説明台詞を言わせるためなのかな。

  • 鑑賞日 2016/2/11

    切ない

    自分に正直に生きる事は理想だけれど現実には難しい。ましてや本作の時代背景は50年代。正直に生きる事を世間が許してくれない時代でもある。そんな時代に出会った2人の女性の美しく切なくもある物語。感情や状況を想像させる音楽を含め、演出がお見事!映像も素晴らしい。 大人の女性の魅力たっぷりでセクシーなケイト様。目力にもやられた!ルーニー・マーラは可愛かったなぁ。 ルーニー・マーラのふとした表情が、オードリー・ヘプバーンに似ていたような気がしたのは私だけかな?

  • 鑑賞日 2016/2/11

    ルーニー・マーラの魅力に尽きる

    もちろん神経衰弱ぎりぎりの女、 ケイト・ブランシェットの中年マダムも美しいが、 天から落ちた人〜自己を見出だすまでの過程を、純粋無垢に演じたルーニーに今回は軍配! 尖ったドラゴン・タトゥーより、『ソーシャル・ネットワーク』の頃の彼女に近く、50年代コスチュームをコケティッシュに着こなす。 日本なら、広瀬すずちゃん辺りにこの大役をして頂ければ、演技派女優としての活路がもっと開けそうだが、残念ながら色んな面で、そりゃ無理だろうね。ちはやふる。(橋本愛ちゃんなら出来そうかな) また射光を採り入れた撮影が、ニューヨークのあの匂いと雰囲気を醸し出す。 これを名画と言わずしてどうする! 同行者は終始熟睡でしたが(笑) (ベスト10、主演女優賞、衣装賞、主題曲賞候補)

  • 鑑賞日 2016/2/11

    ダグラス・サーク風メロドラマ

    #0134 TOHOシネマズ新宿「キャロル」。パトリシア・ハイスミスが変名で発表した小説を原作としたトッド・ヘインズ監督作品。「エデンより彼方へ」と同様、50年代のアメリカ社会では許されない女性同士の恋愛をD・サーク風に描いた正統派メロドラマである。帽子姿のR・マーラがキュート。

  • 鑑賞日 2016/2/11

    83点

    素晴らしかったです。 こんな切ない恋愛映画を久しぶりに見た気がします。

  • 鑑賞日 2016/2/11

    作品紹介1(映画.com)より

    「ブルージャスミン」のケイト・ブランシェットと「ドラゴン・タトゥーの女」のルーニー・マーラが共演し、1950年代ニューヨークを舞台に女同士の美しい恋を描いた恋愛ドラマ。「太陽がいっぱい」などで知られるアメリカの女性作家パトリシア・ハイスミスが52年に発表したベストセラー小説「ザ・プライス・オブ・ソルト」を、「エデンより彼方に」のトッド・ヘインズ監督が映画化した。52年、冬。ジャーナリストを夢見てマンハッタンにやって来たテレーズは、クリスマスシーズンのデパートで玩具販売員のアルバイトをしていた。彼女にはリチャードという恋人がいたが、なかなか結婚に踏み切れずにいる。ある日テレーズは、デパートに娘へのプレゼントを探しに来たエレガントでミステリアスな女性キャロルにひと目で心を奪われてしまう。それ以来、2人は会うようになり、テレーズはキャロルが夫と離婚訴訟中であることを知る。生まれて初めて本当の恋をしていると実感するテレーズは、キャロルから車での小旅行に誘われ、ともに旅立つが……。テレーズ役のマーラが第68回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した。 キャロル Carol 2015年/アメリカ 配給:ファントム・フィルム

  • 鑑賞日 2016/2/11

    永遠に抜け出せない幸福な悲劇

    なんと切なく、なんと哀しき、恋と愛の物語なのか。一見ハッピーエンドでもおかしくない場面なのだが、永遠に抜け出せない悲劇を暗示させるかのようなラスト。そこで見せるケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの喜びと照れと諦めと覚悟が入り混じった表情。 他にも公衆電話から電話を掛けるが、受話器を取っても言葉を発せられない無言のやり取り等、名演技名場面の連発。あまりにも切なすぎて胸が苦しくなってくる。陽のケイト・ブランシェットと、陰のルーニー・マーラはまさに女神と天使。 自分の居場所を終始探し求め不安げな目をするルーニー・マーラ。初めて恋する乙女という意味ではアプローチは真逆ではあるが、こちらも傑作「ドラゴン・タトゥーの女」に通ずるところがある。オープニングとエンディングでシンクロする車の窓から外を空げに見る姿に号泣。 そして""自分のために何をすべきなのかは分からないが、娘のために何をすべきなのかは分かる""と言い放つケイト・ブランシェットの強さと弱さのコントラスト。ルーニー・マーラは若いからまだ救いがあるが、彼女が今までに、そしてこれからも背負っていかなければいけないものの重さと大きさよ。 社会の中で生きるしかない個人ということを改めて実感させ、同性愛というテーマを扱いながらも普遍的な恋と愛の物語へと昇華させた傑作。

  • 鑑賞日 2016/1/20

    店に入ってきた男に声をかけられてふりむく主人公。観客はまだ、彼と同じようにふたりの女のことを何も知らないながら、彼女たちの間にわきたつ親密さと痛みを感じとるだろう。曇ったガラス越しににじむ互いの姿は、ミニチュアの列車が走る架空の街へと重なっていく。 まるで体温が匂うような映像に、物語が動き出したとたんに引きずり込まれてしまうようだ。 非の打ちどころのない中産階級の婦人なのに、どこかアンバランスで人を引き込まずにおかないケイト・ブランシェットの魅力は言うまでもなく、テレーズを演じたルーニー・マーラが、まるで小鹿のように臆病なようでいて、激しい情熱を求める若い女性を、みごとに演じている(毛糸のケープと帽子が可愛い!)。そして映像と演出のすばらしさ。旅に出たふたりが車を走らせる、自由と信頼に包まれた時間が美しい。 『エデンより彼方に』のトッド・ヘインズが描くこの恋愛は、1950年代におけるレズビアンの困難を描くものではない。犠牲を払っても自分の人生における価値を実現したいという情熱、その在り処に気づかせてくれる希有な出会いを見せてくれる映画なのだ。

  • 鑑賞日 2016/1/22

    見つめあう2人

    大傑作。 衣装・音楽・演出・撮影・そして演技 その全てがパーフェクトな一作。 傑作だという範囲を超え、個人的には心に突き刺さる作品となった。あらゆる切り口で語れる豊かさを湛えた名作。 キャロルとテレーズ、2人の美しく儚い『愛』の姿に目を奪われる。 印象的なアイテムが光る。 タバコ・窓・帽子・そして美しい赤…監督一流の美意識に基づく画面構成が全編に渡って行き届いている。 50年代の空気感を完璧に再現し、古き良き米映画の文法でかつては語ることが許されなかった『物語』を紡ぐ。久々に今作られる必然性のある作品に出会えた。 描かれる物語はテレーズの成長物語であり、キャロルの成長物語でもある。 今よりずっと生き辛い世界で、新たな自我に目覚め、苦悩する2人の女性が自らの生き方を貫く『決断』を下す。 その決断の先の2人の表情に作品の全てが凝集されている。 自分らしくあること、その困難さと尊さ…それは現代にも通ずるメッセージであろう。 言うに及ばず、2人の女優は歴史的な名演。 キャロルを演じるケイトブランシェットはキャロルの持つ美しさ、しなやかさ、強さ、弱さ その全てをわずかな所作や台詞使いで完璧に魅せる。 髪を掻き上げる際にふっと頭を振るその仕草、タバコの煙越しに見える憂いを帯びたその横顔にテレーズと共に恋をする。 一方、テレーズを演じるルーニーマーラは、初めて見るガ―リーな魅力を爆発させる。50年代の服装も相まって、まさに『天から落ちてきたような』魅力を身に纏っている。その表情のニュアンスの豊かさにただただ驚かされる。少女性故に儚げな、『天使』のような彼女にキャロルと共に恋をする。 単体でも歴史的な名演の彼女達が2人揃った時に起きる奇跡は形容しがたい。 互いを見つめる目線の動きが、豊かな感情をあれほど雄弁に語った映画が他にあっただろうか。 カメラ越しにキャロルを見つめるテレーズ…『見つめる』ことこそ恋の本質なのではなかろうか。 年代設定も相まって、2人にキャサリン・ヘップバーンとオードリー・ヘップバーンの面影を見た。そ 一種のロードムービー、それも年の差カップルというのも個人的にはドストライク。 とても語り尽くすことが出来ない程の魅力に溢れた一作。細部を味わい尽くしてこその作品だと思う。

  • 鑑賞日 2016/1/22

    女神と天使のようなカップルでした

    美しさと優しさを感じるような作品でした。心に添わない結婚生活に苦しんでいる女神のように美しい夫人と、真実の愛に出会っていなかった天使のような女性の出会いの物語。本当は苦しくて厳しい現実の中で人生を彷徨っている主人公たちの物語なのですけど、演じる二人の美しさと主人公キャロルの愛の深さに魅せられてしまいました。

  • 鑑賞日

    ルーニー・マーラがかわいい!

    ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ主演で話題の「キャロル」。妖しい魅力の貴婦人キャロル(ケイト・ブランシェット)と恋に落ちる若い女性テレーズ(ルーニー・マーラ)の物語。 まず感じたのは「ルーニー・マーラって、こんなに可愛かったっけ?」。1950年代のファッションに身を包んだ彼女はオードリー・ヘップバーンのよう! 撮影も凝っていて、雨に濡れたタクシーの窓越しに覗くルーニー・マーラの美しいこと! 惚れ惚れと見つめちゃいました。 また、ベッドシーンにも挑んだケイト・ブランシェットの妖艶な演技も、ゴールデン・グローブ賞では惜しくも受賞は逃したものの、主演女優賞にノミネートされたのも頷ける。ただ、同性愛を扱った上に、キャロルは離婚と子供の親権争いと、かなりのドロドロな状態の割には、画面はあくまで美しく、いやらしさはない。 1950年代のファッションは一回りして今の最新流行のよう。登場人物たちのそれぞれの衣装がかっこいい! 美術も、音楽も、全てがパーフェクト。2大女優の美しき共演が楽しめる作品です。

  • 鑑賞日 2016/1/19

    絵力の凄さたるや

    とにかく主演の2人の絵力が凄すぎて眺めてるだけで大満足でした。 話の展開が急すぎる気もしたけど、恋愛なんてそんなものな気もするので良しとします。 恋とは落ちるものなのだ。落ちた底から見上げた空が眩しいから、恋はいつまでもその身を焦がす。 いつしかそれが愛だと気づいたとき、人は足元の暗闇を見てしまう。這い上がろうともがく様は儚く、故にどうしようもなく愛おしい。

  • 鑑賞日 2016/1/19

    胸が苦しい

    二人が互いに惹かれ合う、繊細な心の動きを丁寧に描写している。二人の鼓動が伝わってくるようで、胸が苦しい。ああ、恋をするってこういうことだなぁと、忘れていた気持ちを思い出した。テレーズがキャロルに惹かれてしまう気持ちも、その逆も、とても共感出来る。二人の恋はとても自然で説得力がある。性描写もとても美しかった。 モスグリーンや水色などの淡い暗めの色に、艶やかな赤を配したりと、計算しつくされた色彩の美しさにみとれる。音楽も、二人の心に寄り添うようで、心に沁みる。エンドクレジットまでも、恋する喜びと苦しさが滲み出ているように感じた。 同性愛に対する偏見が強かった時代に、自分らしく生きることを選ぶ二人に心を打たれる。とても勇気のいることに思えるけれど、二人にはそうするしかなかったのだとも思う。 ケイト・ブランシェットの低く発声した声が、キャロルという、愛情深く誇り高き女性にぴったりで魅力的だ。そして、感受性の強い女性テレーズを演じたルーニー・マーラーの繊細な心理描写にすっかり引き込まれた。ぜひオスカーを獲ってほしい。

  • 鑑賞日 2019/3/19

    何でもありで良いのだが、の巻

    女しか好きになれない、多分、 普通かもしれない自分にとって、 対岸の火事である。 乙女が美しい年増に魅せられる、 昔も今も変わらぬ形かもしれないが、 ただ眺めるだけしかない映画で それ以上の感慨はない。 美しい女性の全てが男性に興味があるとは 限らない。 なるほど。 こんなテーマが「普通」に対して 公然と斬り込んでくる時代になり、 評価される時代である事に 改めて気づくばかり。 同様の男版を作ったら、 この作品同様、評価されるのか、 そんな想いがあぶくのように浮かぶ。

  • 鑑賞日 2019/3/11

    ただ美しい。

    繊細で力強く、身勝手な愛というもの。

  • 鑑賞日 2019/2/14

    引き込む力

    日本ではまず出来ない快作。惹かれ合う芝居が半端なくうまい。そして映像と音楽が抜群。余白のある作り方だがこれは最早文学だろう。

  • 鑑賞日 2019/2/5

    終わり方を考えさせられる

    後半だらだら長かったような、、、 もっとキレよく終わりにしても良かったと思った。 けれど、あの尾をいつまでも引きずる感じが、ズルズルの恋愛といった感じでいいんだろうか。

  • 鑑賞日 2019/2/2

    私はルーニー・マーラが好きだ

    ルーニー・マーラが美しすぎてどうにかなりそうだ。 遠慮気味に申し上げましても天使である。 劇中でケイト・ブランシェット様ことキャロルがベッドで「私の天使」と評しているが、筆者とは生物としての枠すら異なるのではないかと思ってしまうケイト様に大いに共感する。 「本当にそう!いや俺の天使だけどね!!」 フレームは、「少女は大人になっていく」モノだろうか。 カメラが好きで仕事にしたいけれど自分に自身が持てずにデパートで受動的に働くテレーズ。 食べたいランチも自分で選べず、Noと言えず、結婚をしようと言う彼氏に真っ当に向き合うこともできない。(この彼氏も悪い奴ではないんだ!) キャロルに出会い、二人で西への旅へ出る。 アメリカで西に旅に出ること自体が一種の成長を暗示しているようで、互いに惹かれあう中でテレーズも変わっていく。 決定的なある事件を機に別れがやってくるわけだけれど、 彼女がこの旅で得たものはハッキリと存在するし、自分でも意識的に変化を形にしようとする。(自室の壁塗りなおしたりとかポートフォリオ作ったりとか) 「エンディングはオープニングの繰り返し+α」のオーソドックスなパターンではあるが、この+αに意味があって印象深いラストになっている。 ケイト様は『ブルージャスミン』がベストアクトだと考えておりますが、プライドと母性と愛の狭間でもがく今回の役も素晴らしかった。

  • 鑑賞日 2018/12/1

    ビックリしました

    これは意表を突かれたなぁ。まさか、ルーニー・マーラとケイト・ブランシェットが結ばれるとは、予期してなかったです。二人とも、夫や恋人がいるにも関わらず、幸せを見つけられずにいるということですよね。2人の視線や仕草から感じ取る間の取り方が絶妙で、ドキドキしてしまいました。ルーニー・マーラって、『サイド・エフェクト』でも、ちょっぴり同性愛の雰囲気出してたけど、この映画ではハッキリと同性愛だったので、戸惑いました。 『太陽がいっぱい』のパトリシア・ハイスミスが別名義で発表していた原作を元に作った作品だとか。原作は1952年発表なので、今から70年近く前のこと。ベストセラーになったというから、アメリカって進んでる、スゴイ。デパートのおもちゃ売り場や、レストランなどなど、きれいなシーンが多かったです。そして、二人ともキレイだし。若い頃はハッピーエンドじゃない映画を楽しめなかったけれど、今なら、ちょっと悲しい話も理解できる気分です。

  • 鑑賞日 2018/10/9

    ソウルライターを彷彿とさせるようなカメラワーク。 プライベートを覗き見してるかのような構図。 気品と堂々と凛としたケイトブランシェットと何を考えてるのか分からないけど胸の奥になにかをたぎらせてるかのようなルーニーマーラ。 面白かった。

  • 鑑賞日 2018/9/28

    この愛を「純愛」と呼べるか?

    ある映画エッセイの中で、「純愛を描くにはこういう形(同性愛)でなければ成立しなくなった」(大意)というようなことが書かれていた。それを読んで大いに納得したものだ。それによると、昔から描かれてきた純愛物語には大きな障害がつきもので、身分違いや戦争等がその障害として描かれてきた。しかし、身分違いや戦争が過去のものとなった現在(エッセイ執筆当時)では、同性愛等のセクシャル・マイノリティが愛の障害として描かれるようになった(大意)と・・・。しかし、このエッセイ書かれたのは、うろ覚えだが90年代か2000年代初頭のこと。大きな戦争が落ち着き、世界経済も比較的安定していた時代だ(たぶん)。それから20年ほどで世界は大きく変わった。先進国の経済格差、世界中で起こっている内戦・紛争やテロ。そしてLGBTは市民権を得始め、もはや「障害」ではない(かもしれない)。映画界でもLGBT作品はひとつのジャンルとして確立されたといっていい。人々は当たり前のようにLGBTを受け入れている(たぶん)。本作は女性の同性愛をテーマとしているが、舞台は50年代である。はたして本作の恋人たちに「純愛」は成立するだろうか? ヘインズ監督は『エデンより彼方に』でも、同じようなシチュエーションでの同性愛を絡めた夫婦の物語を描いている。『エデン~』は夫から同性愛をカミングアウトされる妻が主人公だ。この妻はあまりに世間知らずでピュアだったため、自分が「正しい」と信じていることが(実際それは「正しい」ことなのだが)、世間には通用しないことなど思いもしなかった。社会に適用するには「高潔」だけではダメだ、もっと「狡猾」にならなければ・・・。しかし高潔な人ほど狡猾になるのは難しい・・・。では、本作のヒロイン、キャロルは「高潔」なのか、「狡猾」なのか? キャロルはセレブ夫人である。たとえ夫に対して愛は無くても、裕福な暮らしと、可愛い娘、傍から見ると何不自由ない生活だ。ただ、キャロルには常に「満たされない」想いがあり、美しく気品ある見た目とは裏腹な「寂しさ」を見てとったテレーズは、彼女に惹かれる。そう、キャロルは同性愛者だったのだ。名士であるキャロルの夫にとって、スキャンダルはタブーだ。華やかな日常の中で、彼女はその秘密を必死に隠して生きている。彼女にとっての慰めは、可愛い娘と、いささか親密すぎる親友アビーの存在だ。だが、そこに新たな希望、テレーズが現れる。 ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの美しいラブ・シーンは必見だ。でも私はベッド・シーンよりも、キャロルがテレーズに化粧をしてやるシーンが好きだ。「化粧」というプライベートな行為(最も最近では公共の場で化粧をする女性が増えたが・・・)を共有することで湧き起こる「共犯感」。互いの秘密を分かち合う気持ち。男性には分からない女子だけの愉しみだ。だが彼女たちの幸福もつかの間、「世間体」という魔の手が、キャロルの夫を通じて2人に迫りくる。キャロルの夫としてはもちろん「世間体」が第一だが、「嫉妬」も大いにあったと思う。彼はキャロルが、結婚後もアビーとの関係が続いているのではないかとずっと疑っていた。夫としてはたとえ離婚したとしても、その原因が妻を女に寝取られることであってはならない。男としての沽券に関わるというわけだ。このあたりの男の滑稽さが憎々しい(笑)。こうして夫は探偵を雇ってテレーズとの情事の証拠をつかむ、という卑劣な行為に出る。さらに怒り心頭の夫は、それを楯にとってキャロルに親権を渡さない決意をする。娘だけは失いたくないキャロルは絶望の底に落とされる。好きでもない男と結婚して、世間体を保ってきたキャロルは狡い。しかし「狡猾」には立ち回れなかった。テレーズにとってキャロルは間違いなく「高潔」な人だ。だからこそ傷つき、ボロボロになる。 一度は別れを決意する2人。しかし2人は再会する。彼女たちの出会いは偶然であった。しかしこの再会は2人の意志だ。これから2人の歩む人生はいばらの道となる。しかし人生の苦さを知った2人は強い。血だらけになりながらもその道を2人で歩んでいくのだろう。 そう、やはり2人の愛は「純愛」と呼ぶにふさわしいと思う・・・。

  • 鑑賞日 2018/9/26

    不道徳だが誠実なふたり

    洗練されたカメラワークとどこを切り取っても魅力的なスナップのような美しい色彩の画が印象的。 50年代のアメリカ社会をイメージ出来れば見方も変わるのだろうがストーリー自体は大きな捻りの無い淡々としたものと言える。異端視されても蔑視されても自分自身の心に素直に生きることの大切さを教えてくれる。例えそれがどれほどの生き辛さを呼び寄せようとも… テレーズの成長譚としても見応えがある。キャロルの二兎を追う狡さとテレーズのストレートさが対極を為し単なる同性愛ものを超えた人間ドラマとしての深みも併せ持つ良作。

  • 鑑賞日 2018/6/10

    誰とでも恋はできる

    男は必ず女を愛するとは限らない。女は必ず男を愛するとは限らない。好きだから惹かれるから、そんな感じでいいんじゃないかなってふっと思う映画だった。

  • 鑑賞日 2018/5/17

    マイノリティーに負けたハリウッド

    二人の出会いは客のほうからの誘いだった。 そこからそれとなく連絡をもらっては会わされるような感じで、 最悪の場合、年末の年越しで彼女は捕らわれた。 その彼女がいまいち疑心暗鬼にならないでいるので、いつ緊張を 始めるのかわからないのが難点だったが、逆に誘うほうの女は どういう存在なのか考えさせるのかが視点ではあったようだ。 いつまでもそんな関係が続いていると云いたいのかといえばそういうことか。 このあと何があるのか、まったくわからないわよ、みたいなラストだった。これは脅しだ。 この映画は必要かといえば、そうでもなかった。

  • 鑑賞日 2018/5/16

    リズと青い鳥だ

    やたら目つきのエロい人妻が、年下の女を籠絡する話 割と地味だが、ラストはこう繋がるのかという驚きがあって、加えてしんどくなった リズと青い鳥じゃんこれ……

  • 鑑賞日 2018/4/26

    優れた映画のお手本のよう

    さながら優れた映画のお手本のよう。 1952年。ジャーナリストになるためにニューヨークに出て来たテレーズ(ルーニー・マーラ)は、デパートの玩具売り場でクリスマスシーズンの臨時アルバイトをしている。 ある日、テレーズの前に、娘へのクリスマスプレゼントを探している女性キャロル(ケイト・ブランシェット)が現れる。上品で美しい中にも、ミステリアスな彼女に、テレーズはたちまち心を奪われる。忘れ物の手袋をキャロルに送ったところ、キャロルから連絡があり、ランチの誘いを受ける。二人はみるみるうちに親密になっていく。 しかし、キャロルは離婚調停の只中の人妻で、娘の親権を巡って夫と係争をしている。テレーズも、リチャードというボーイフレンドがおり、求婚されていながらも、キャロルの方を愛していることに戸惑う。 お互いそのような葛藤を抱え、周囲の無理解に苦しみながらも、同性愛を深めていく。 クリスマスの夜、娘が夫と過ごすため、キャロルはテレーズを誘ってあてどない旅に出た…。 この映画は、まさにラブストーリーの中のラブストーリー。ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの細やかな演技に引き込まれる。 美麗な映像、練りに練られた脚本。小細工なんてしなくても、もう映画自体がオシャレ。 禁断の愛ほど燃え上がるもの。何も男と女でなければならないわけじゃない。 この映画女性同士の恋愛だからこそ、より「禁断」なものとなり、一層強く心に訴えるのだと思う。

  • 鑑賞日 2018/4/28

    昔のフランス映画のよう

    昔、『フランス映画』というとこんなだったなぁと思う。 魅力的なスターの繊細な演技、凝った演出、男女の機微を描きこんだシナリオ、キレイな画像に流麗なカメラワーク、印象に残る音楽。 キャロル役のケイト・ブランシェットの存在感が圧倒的。最後彼女のちょっとした表情で締めるなんてなんてオシャレなんでしょう。これぞ映画。 ただ、個人の好みとして同性愛ものと、難病ものはnot my thing。 キネ旬2016 2位、SCREEN映画評論家が選んだ2016年度公開映画BEST10 6位、中野翠ベストテン2016 8位

  • 鑑賞日 2018/4/12

    肩に置かれた手

    キャロル(ケイト・ブランシェット)がテレーズ(ルーニー・マーラ)の肩にそっと手を置く。この時のテレーズの何とも言えない、様々な想いがこめられたような表情がいい。男からも肩に手を置かれるが、それには全く反応していないといいう対比が素晴らしい。二人の関係性を暗示させる。その後二人の出逢いから描かれるので、冒頭のシーンはどのような流れで再登場するのか、興味を惹かれる。 舞台は1950年代のニューヨーク。同性愛はまだ病気とされていた時代。運命的な出逢いと、そして恋に落ちてしまう二人の行方、キャロルの娘の親権を争う夫との確執が描かれていく。衣装からセットまで、丁寧に作り込まれているので、当時のアメリカ人の生活感が分かり易い。音楽も素晴らしく、画面の色具合まで実にいい雰囲気だ。 二人の女優の演技も当然ながら素晴らしい。この手の作品には欠かせない、微妙な心の動きが伝わってくるようだ。ケイト・ブランシェットの堂々とした演技が嵌っている。ルーニー・マーラは受けの印象だが、控えめな芝居の中にも、秘められた想いが切々と感じられて見事。ルーニーといえば、『ドラゴン・タトーゥの女』のイメージが強かったので、これほどの演技派だとは知らなかった。彼女の魅力を再認識させられた作品となった。 監督のトッド・ヘインズもゲイだというが、『見知らぬ乗客』や『太陽がいっぱい』のパトリシア・ハイスミスの自伝的小説が原作というのにも驚かされた。彼女が百貨店のバイト中に見かけた女性から、イメージを膨らませて書いたというので、パトリシアがテレーズということになる。『太陽がいっぱい』でホモセクショアルを指摘していたのは淀川長治さん。これまでそんなバカなとは思っていたのだが、鋭い指摘だったと感服せざるを得ない。 禁断の愛と、時代に翻弄される二人の女性の姿が、美しく感じられる。余韻を残すラストにも、様々な想いが交錯して見事な映画であった。 2016年キネマ旬報ベストテン第二位。

  • 鑑賞日 2018/3/9

    人に激推しされて観ましたが、確かに良い作品でした。

    連れが観て大絶賛!私は連れのように語れるほど作品を理解したわけではありませんが、観る前の、女性同士の恋愛モノや暗いトーンへの懸念は全く杞憂に終わりました。喋りすぎないふたりと年上の女性の上品さのせいでしょうか、女性同士ということがどうでも良いような自然な存在感でした。また、静かなトーンながら、飽きさせない。むしろ、何故か、ドキドキするような気分で観ていました。

  • 鑑賞日

    テレーズの表情が切なく、そして愛らしく、繊細な感情の機微が純粋な彼女の性格を表しているよう。一方のキャロルは奥に秘めた弱さをそこはかとなく感じさせるが、包み込むようなオーラでとても色っぽい。そうした二人の関係性もまた繊細であるが温かく美しい。

  • 鑑賞日

    ケイトブランシェットの体当たり演技

    前知識なくて観たので、途中で同性愛ものであると分かってびっくり。同性愛ものはなぜか多くの場合悲しい展開となるパターンが多いが(「噂の二人」等)、この映画は違っていた。最後、テレーズがレンストランに座っているキャロルを見つけ、それに気づいたキャロルがテレーズを見るめ返すシーンは、結局二人は同じマンションに住むであろう予感がする。つまり、ハッピーエンドで、個人的には納得のいくエンディングだった。

  • 鑑賞日 2018/2/9

    ケイト・ブランシェット

    ようやく観た。 絶世の美女ふたりによるイマジナリーラインの応酬に萌え死んだ。 とにかくケイト・ブランシェットが美しい。 永遠に見ていられる。 『ドラゴンタトゥーの女』に引き続きルーニー・マーラちゃんのおっぱいもいいんだけれど、ケイト・ブランシェットの背中! オレを抱いてくれ!!!!!!!!!! But what use am I to her to us, if I'm living against my own grain? 心に従って生きなければ人生は無意味よ 珠玉のセリフも良い。 こーゆー映画がある限り人生には意味があると思う。 最高。 超名作認定。 泣くわホント。

  • 鑑賞日 2016/2/27

    テレーズはキャロルにとって天から落ちてきた人。2人の関係から離婚することになるキャロルのいさぎよさが素晴らしい。非を認め面会権を求める。ラストがイマイチなのが残念

  • 鑑賞日 2017/12/30

    この映画は綺麗な映画

    この手の作品を観ると今年は「ムーンライト」を思い出さずにいられない。 ゲスい言い方をすればあちらは黒人ホモのラブストーリー、こちらは白人レズのラブストーリーである。 「ムーンライト」はダメだったがこちらは特に問題なく観れた。 むしろ良い映画であった。

  • 鑑賞日 2017/12/9

    これはね

    異性ではこれは全く感情移入できないね。にしても、ブルーな時に観るもんではなかった。選択を間違えた。

  • 鑑賞日 2017/11/25

    ラストショットで俄然高評価に

    音楽が素晴らしい! 《花様年華》を思わせるほど“in the mood for love”感が強い。ただ2人が初めて結ばれる(と言っていいのか?)ラブシーンにあのテーマがかぶさるのは、いただけない。 テーマだからしょうがないだろうが。いかにも過ぎてつまらない。せっかくここまで洗練の極みという感じだったのに、残念! このラブシーン直後、あのサブい小間物セールスマンが実は探偵で2人の情事を隣室で録音していたことが明かされるのも上手い。 50年代のアイゼンハワー大統領の時代感もいい。まだまだLGBTの生きにくい時代だったのだろう。 見ている最中、《エデンより彼方に》に似てるなと思ってたのだが、同じ監督だったんだね。プロデューサーには今話題のあのセクハラ爺いも名を連ねている。 テレーズが同年代のパーティを抜けてキャロルのいる高級レストランに行き、キャロルの席に近づいていく。キャロルが目をあげテレーズに気づきほんのちょっとだけ口元が緩むラストショット、強烈に素晴らしい! 前半のケイト・ブランシェットの金髪、赤い帽子、赤い口紅、赤いコート、超絶的美しさ! ただ切なさは無いので泣かせる恋愛映画にはなりませんでした。だってとりあえずハッピーエンドといっていいよね?

  • 鑑賞日 2017/11/11

    どんな役でもやりまっせと言いたげな、ケイト・ブランシェットの役者根性が垣間見える作品。 女性同士恋愛という少し特殊な世界観が伝わったかというと疑問。テレーズが若い男性でも、このまま普通の恋愛映画で成り立ってしまう気がする。 ちなみに原作は『見知らぬ乗客』『太陽がいっぱい』のサスペンスの達人パトリシア・ハイスミスが、別名義で書いた長編第二作目。

  • 鑑賞日 2017/10/6

    二重のカメラワーク

    壁で挟む縦の構図と車内の閉鎖、ガラス越しの水滴で滲んだ2人のイメージは、時代と周囲が割り振った役割に抑圧された個人を示すのだろう。登場する男がいずれも同じステレオタイプでその追い込みを幇助している。抑圧と役割を超えて交わされる視線のドラマがこの映画の演出の要となっており、カメラと交わされる目配せの演技、そして、透明な水の中に浮かび上がるモノクロ写真が、2人の関係性を特別なものとして示してみせる。

  • 鑑賞日 2017/9/16

    ケイト・ブランシェットが大層魅力的。共演のルーニー・マーラが「ドラゴンタトゥーの女」のリスペットとは言われないと分からなかった。パトリシア・ハイスミス原作ということで、以前カタツムリの話を読んだことがあったので見てみたのだけど、こういう話だとは知らなかった。キャロルには彼女より娘を取ってほしかったなー。

  • 鑑賞日 2017/8/27

     若い女性が、大人の魅力あふれる年上の女性にあこがれて恋をする物語。舞台も1950年代で、映画の雰囲気(色や画質)も古めかしさを漂わせている不思議な感覚の映画。女性同士の同性愛を扱った映画を見るのは多分初めてだが、下手なありがちな異性間の愛を扱った映画よりも、ずっと綺麗で哀しいもののように思われた。主人公自身が戸惑っている愛なので、ただただうれしいだけの恋愛ではないのだが、だからこそ奥が深い愛のように感じられた。

  • 鑑賞日 2017/6/18

    きちんとした恋愛映画

    どんなドラマが起こるのだろうかと観ていたが、格別なことが起こるわけではなく、むしろ淡々とドラマは進んでいく。それでも、映画は十分に面白い。1950年代の風俗がしっかり背景を彩り、更に主演2人の演技が素晴らしい。ケイト・ブランシェットはエレガントで美しく、ルーニー・マーラーは可憐で愛らしい。この二人が、女性同士ではあるが、お互いに惹かれて旅行に出る。そして、ある日結ばれる(?)のだが、そこまでの感情の動きはまさに恋愛映画である。

  • 鑑賞日 2017/6/6

    ストーリーはふーんって感じだけど何しろ役者が良い。テレーズがキャロルからタバコもらうシーンがなんか好き。

  • 鑑賞日 2017/5/6

    素直に見れる恋愛映画

    同性恋愛を誠実な純恋愛映画として成立させている作品である。 ブロークバック・マウンテンと双璧をなす作品として謳っても支障ないのではないか。女性どうしの恋愛を洗練された時代背景と美しい映像でまとっていることがある意味ベタではあるがより心に迫る。主人公の心理が移り変わる様がよく描けている。こういう映画が社会派ドラマではなく当たり前のように恋愛映画に分類される時代になったなとしみじみ思う。

  • 鑑賞日 2017/5/4

    今時の言葉で言えばLGBT映画なんだけど、声高な主張があるではなく、静かに話は進み、それでいてあとを引く。衣装、美術、音楽、撮影が見事に調和していて引き込まれる。キャロルとテレーズがお互いに惹かれ合うのを、セリフに頼らず、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの存在感、演技力で表現しているのが素晴らしい。

  • 鑑賞日 2017/5/3

    ケイトブランシェットのオーラ強すぎ

    裕福なマダム役しせたら、ケイトブランシェットの右に出るものはいない。男女の恋愛も、どうせいどうしの恋愛も同じなんだね。ラストの余韻、もう少し長くみたかった。キャロル、タバコ吸い過ぎだぞ。

  • 鑑賞日

    ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが共演し、1950年代ニューヨークを舞台に女同士の美しい恋を描いた恋愛ドラマ。「太陽がいっぱい」などで知られるアメリカの女性作家パトリシア・ハイスミスが52年に発表したベストセラー小説「ザ・プライス・オブ・ソルト」をトッド・ヘインズ監督が映画化した。 52年、冬。ジャーナリストを夢見てマンハッタンにやって来たテレーズは、クリスマスシーズンのデパートで玩具販売員のアルバイトをしていた。彼女にはリチャードという恋人がいたが、なかなか結婚に踏み切れずにいる。ある日テレーズは、デパートに娘へのプレゼントを探しに来たエレガントでミステリアスな女性キャロルにひと目で心を奪われてしまう。それ以来、2人は会うようになり、テレーズはキャロルが夫と離婚訴訟中であることを知る。生まれて初めて本当の恋をしていると実感するテレーズは、キャロルから車での小旅行に誘われ、ともに旅立つが……。テレーズ役のマーラがカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞。

  • 鑑賞日 2017/4/25

    秀逸な恋愛映画

    LGBTということに目が行きがちだが、困難を克服して恋愛を成就するという、恋愛映画の王道。主演の二人の抑えた演技も素晴らしい。あと、映画の色がなんとも言えず映画の色をしていて素敵だった。

  • 鑑賞日 2017/4/15

    美しいベッドシーン

    対照的な二人の女性がそれぞれ、パートナーの男に何かしらの不満を持ち、苛立ち悶々と生きている。そこから抜け出ようとする姿を重厚な画面と完璧なセットや衣装、そして印象に残る演技で表現している。

  • 鑑賞日 2017/4/13

    恋愛という厄介なもの

    女性同士の恋愛ものにどれ程感情移入できるか疑問に思いつつ見始めたのだが完全にやられた。原作もいいのだろうが、映画としても素晴らしい出来。きめ細かく作り上げられた時代の雰囲気の中で、主人公の二人が互いに惹かれ合い関係を深めていく過程が丁寧に描かれていて、そこにボーイフレンドや夫、子どもや友人との関係が絡み合い、二人の恋愛はそれらに押し流されてしまうようにみえたが。。。恋愛という、不確かで不合理で客観性のないとても厄介なものに、なぜ人は捉えられ翻弄されるのか。その答えへのヒントを本作に見た気がした。

  • 鑑賞日 2016/2/16

    ケイト・ブランシェットのオーラがハンパない!

    時代背景からか、全体に抑えた感じで、 それが反って、キャロルとテレーズの人間性や容姿や、 二人の関係を際立たせているようで、 ふたりともに、真っ直ぐで、強いガラスの芯みたいなものを感じました。 しかし、本当、ケイト・ブランシェットのオーラがハンパない! スクリーンで、これだけビシビシと伝わって来るなら、 生を拝見したら、絶対、受け止められなさそうだなぁ…。 でも、たまに、男性に見える(苦笑)

  • 鑑賞日 2017/4/9

    二人の世界

    ケイトブランシェットとルーニーマーラ、当時の街並み、衣装、空間全てにおいてため息が出るほど美しいです。ストーリー云々関係なく、この映像と音声(ケイトブランシェットの美しい声とルーニーマーラの可憐な声と)を享受するだけで元が取れちゃいそうな完成度。特にケイトブランシェットの立ち居振る舞いや目線の送り方、喋り方が当時の先進的で自立した女性像を見事に表現していて感服しました。そしてベッドシーンでケイトの乳首だけ見えそうで見えない絶妙なカメラアングルにもいろんな意味で拍手(笑) ただ、美しいし女優2人は凄いんだけど、それ以外に抜きん出て心惹かれる何かが足りなかったです。自分勝手な恋愛感情とそれに共なう行動が好きじゃないのかな自分は。終盤は見ていて全然心惹かれなかった。ええいはよ好きにせんかい!!ともちょっと思っちゃって…。事が起こるまでのロードムービー的シーンは少し飽きましたし。なんなんでしょうかね。別に社会映画的なものを期待してたわけでもないしある程度展開は分かってたんだけど。映画的にこちらの期待を超えるものが無かったからかな? 想像は膨らむけど、胸を掻き立てられるような感情は起こりませんでした。そんな美しい映画でした。

  • 鑑賞日 2017/3/31

    何と格調高く繊細で美しい

    脚本、出演者の演技、撮影、音楽、全て格調高く繊細で美しい。ここまで感情表現が実現するとは驚きだ。ルキノヴィスコンティの映画を想起させる素晴らしい作品にめぐり逢えた。

  • 鑑賞日 2017/3/21

    寂しさを埋める相手を求めてきて自分から去っていく、見ようによってはただの金持ちのわがままなんだけど、そこを磁石のように惹き付けてしまうマダムを嫌味なく完成させてしまうのがケイト様なんでしょうね。 窓ガラスの曇り、ダイナーの霞んだ店内が印象的だった。

  • 鑑賞日 2017/3/12

    「キャロル」キネマ旬報の外国映画ベスト10の2位って事でとりあえずと思い鑑賞。 ケイトブランシェットがエレガントで妖艶な人妻を好演。 お相手はドラゴンタトゥーの女で度肝を抜かれたルーニーマーラ。 バイセクシャル系の映画は初めて最後まで、鑑賞できた。

  • 鑑賞日 2017/2/10

    女優2人の目力にメロメロ

     1950年代のニューヨークを舞台に、裕福そうだがどこかミステリアスな人妻(ケイト・ブランシェット)と彼女に恋してしまう若い女性(ルーニー・マーラ)との禁じられた恋を描いたもの。  映画の中でアイゼンハワー大統領が就任と流れるので、時代は1952年だとすぐわかる。その時代背景が本作の肝だ。同姓愛など全く認められていない保守的な時代に人が自分に正直に生きることの難しさがひしひしと伝ってくる。同性婚を認める州もある現在の状況から見れば本作でのことは考えられない扱いだ。  それにしても、主演二人の女優の目力が凄い。  もはやケイト・ブランシェットの存在感は女優の中でもピカイチ、近寄りがたいものがある。彼女のキャリアの中で今が一番美しく、パワフルだ。また、本作のルーニー・マーラは役柄上、可愛さを前面に出したキャラ作りで、ちょっと見た感じはオードリー・ヘップバーンのような雰囲気だ。1952年と言えば、ヘップバーンが「ローマの休日」で登場した年も反映されているかもしれない。  、本作でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞した。1952年のニューヨークを舞台に、人妻と女性店員の恋の物語をつづる。

  • 鑑賞日 2017/2/6

    変容

    50年代ニューヨーク。 女同士の出会い。其々の事情。 離婚問題に揺れる女とデパートの店員として暮らしている写真家志望の女。 親密になっていく経過。 心の襞。 揺れて時を刻む。 待ち望んでいたステップへ至る。

  • 鑑賞日 2017/1/31

    愛のかたちもいろいろだね

    女性同士の愛というデリケートなテーマではありますが、そこは主演二人が心情内面の移り変わりも丁寧に見せてくれて、実際はもっとドロドロしてるんだろなあってとこも、美しいラブストーリーとしてまとめてありますね。タイミング如何で惹かれあうのは誰でもあることで、成就するかどうかはまた成り行き次第なんでしょうね。

  • 鑑賞日 2017/1/31

    ケイトに圧倒される作品

    ケイト・ブランシェットの存在感に圧倒される作品 いや、その作品でも彼女の存在感には圧倒されるのだが・・・ 日本で言う文藝作品とでも言うべきか 夫婦・家族・恋人・同性愛と言ったところを独特な色彩で表現することによって観る者を飽きさせない作品である この手の作品は大概眠くなってしまう自分だがケイトの圧倒的な演技力によって最後まで観ることが出来た

  • 鑑賞日 2017/1/30

    ベルベッド

    っていうタイトルでも良かったんじゃないかっていうぐらい。 基本は演技合戦である。 合戦というか、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの競演。 この映画の見どころはその一点と言っても過言ではない。 ストーリーとか映像もいいんだけど。 演技力で引き付けるタイプの作品である。 そしてなんと言ってもルーニー・マーラ。 あの幼い顔で情愛に燃えるシーンは美しさの極みだと。 脚本的に気になるのは、ストレイトだったルーニーがなぜ、キャロルに恋をしていていくのかが、曖昧で。 それも分からなくもないのだが、やはり映画的にはそこに一つのきっかけが欲しかったなぁ~と。

  • 鑑賞日

    文芸の香り高きレズビアン版ハーレクインロマンス

     原題"Carol"で主人公の一方の名。  パトリシア・ハイスミスの自伝的小説"The Price of Salt"(塩味の代償)が原作。  夫と離婚調停中の人妻キャロルが若いデパート店員を誘惑し、不倫関係となるものの、それが原因で子供の親権を失い、不倫関係が終わるが、二人の思いは断ちがたく、焼け歿杭に火がつくという物語・・・と書けば、よくある昼メロドラマだが、人妻がバイセクシュアルでデパート店員が女というのが本作のミソ。  ミソの部分を除けば、よくできたハーレクインロマンスでしかなく、それが本作のすべてとなっている。  調停で争う人妻キャロルが、すべての事実を認めた上で、自分のためではなく子供のために面会権を認めてほしいと訴えるのが見せ場で、もう一つの見せ場であるはずのレズシーンは、店員テレーズを演じるルーニー・マーラはともかく、人妻がケイト・ブランシェットでは今ひとつ絵にならない。  もっとも、30歳のルーニー・マーラは少女のように可愛く、ボブカットを含めて『ローマの休日』のヘプバーンを思い出させる。ケイト・ブランシェットはバイセクシュアルの火遊び好きな有閑マダムを貫禄で演じ、この二人が本作の唯一の見どころとなっている。  ただテレーズがなぜキャロルを好きになったかが不明で、もともとレズビアンの素質があっての一目惚れか、ハイソな人妻に魅かれて愛人にしてもらいたくなった、で納得するしかない。  文芸の香り高きレズビアン版ハーレクインロマンス。(キネ旬2位)

  • 鑑賞日 2017/1/3

    ケイトブランシェットはいいが

    中身が薄い

  • 鑑賞日 2016/12/29

    切ない恋

    K.ブランシェット、R.マーラの演技が光っている。キャロルを最初に見かけた時の目の輝き=即効に恋に落ちた。テレーズは恋人未満の男性fがいても、キャロルの魅力にはかなわない。K.Bの演技力と言えるのだろうが、観客も映画に吸い込まれる感じがする。米国の1950年代は同性愛には厳しい世間のはず。それにめげずに愛をなしていく2人の気持ちが分かるか。映像的には淡々としており、そこに流れる音楽は、場面に合っている。まさに傑作である。

  • 鑑賞日 2016/12/8

    チェックの帽子をかぶったルーニー・マーラがメチャメチャかわいくて、まるで少女漫画の世界。 後半までほとんど愛を表す言葉はなく、二人の視線や表情で表現するとても繊細な演出。 キャロルの複雑な家庭事情を見せられて、冷たく帰され、電車の中で泣き崩れるのが、テレーズが初めて見せる大きな感情で、印象的。 モーテルの食堂で、実はスパイだった男との会話でのケイト・ブランシェットのリアルな演技。 自然に行われるベッドシーン。 その後、拳銃を取り出し、二人の関係は突然壊される。 二人の表情のみで見せきるラストシーンの凄さ。

  • 鑑賞日 2016/11/13

    38年間も自作であることを黙っていたハイスミス。

    パトリシア・ハイスミスが別名義で書いたノン・ミステリ作品。レズビアン女性の 人生描いて、自己を投影した作風らしい。原作は52年の発表で、かなりの衝撃度を を持った問題作。90年になって、ハイスミスが自作であることを認めたという(Wiki)。 当時の保守性は、今の若い人には想像もつかない世界。 時代考証は実にきめ細かく、完璧再現でドラマに誘う。 K・ブランシェットの安定感は抜群で、キャロルの揺れ動く心理を見事に演じきった。 離婚した夫に愛する娘の親権を取られ、心が千々に乱れる中で、テレーズへ愛を注ぐ。 相方のR・ルーニーも、レズビアンの受けの演技の中で、繊細な表現を巧みに演じた。 メインの二人の地に足のついた着実な演技が、同性愛を厳しく糾弾する50年代の 空気から、無二の愛の物語に転化させた。見事なものである。 T・ヘインズ監督は名作「エデンより彼方へ」で頂点を極めた、と思ったが、 さらなる進化を続けている。凄いものだ。師と仰ぐD・サークも静的な作家だが、 ヘインズ監督は本作で爆発力も見せた。探偵による盗聴を暴くシーンが、 ドラマの最大の起爆力になった。この構成と、演出の技にには感服するしかない。 レズビアン(キャロル)やトランスジェンダー(リリーのすべて)を扱った傑作が同時期に 公開された。なにやら「イヴの総て」と「サンセット大通り」とバックステージもので アカデミー賞を争った故事に通じるものを感じた。

  • 鑑賞日 2016/11/11

    期待しすぎてしまった。。

    主演がケイト・ブランシェットと、ルーニー・マーラで、同性愛を描いたと来れば期待しないわけにはいかず、オープニングシーンから食い入るように見ていたが、ケイトが自分勝手で、ルーニー・マーラも振り回されすぎだろ?と思い始めてしまい、なんだか感情移入出来ないまま終わってしまった。もっと真摯で誠実な関係を期待していたので、肩透かしな気分。とは言え、主演の二人は美しく、それぞれの魅力は満喫出来る映画だった。

  • 鑑賞日 2016/11/22

    太陽と月のような、美しさ

    豪華なバラのようなケイト・ブランシェットと、可憐なユリを思わせるルーニー・マーラのふたりの美しさに、ただただ目を奪われた。また、太陽と月のような二つの美しさの相対する様にも。相手への思いやりや理性のブレーキの掛け方は、女性ならではだが、もどかしい。そのもどかしさが、観客としては楽しかったり。女性にありがちな、嫉妬深さやねちっこさが排除されていたからかも。

  • 鑑賞日 2016/11/9

    寂しさと言い表せない感情

    「よかった」という一言だけでは言い表せないぐらい 色々と感じるところがあった映画作品。 こんなにも素敵な、魅惑な、艶やかな作品に出会えたのは初めて。 最初は軽い気持ちで百合なら見ようかという感じで見たが 突如一変して寂しい気持ちになる。 この作品は物語全編のわりと終盤の描写からはいる。 そこから2人の出会いから最後までを流れる。 最初は明確な感情がわからずに戸惑う感じもいい。 2人の演技が演技に見えない自然な振る舞いだからこその かもし出す雰囲気が一気に惹きこまれた。 最後は期待をもたせる終わり方なのもいい。

  • 鑑賞日 2016/11/4

    ある意味ネタバレです。パトリシア・ハイスミスの原作だが・・・。

     犯罪ミステリーでなかった・・・。 「太陽がいっぱい」「見知らぬ乗客」。やはりその線を期待してしまう。  しかし、これはいわば「エデンより彼方へ」の姉妹編である。そう考えれば見応え充分だが、いかんせん、それは見終わってからなら言える事。   ラストショットも微妙で、ちょっと気取り過ぎかな。   ケイト・ブランシェットは、もう45才あたりか、まだまだお美しいが、新作は「マイティ・ソウ」に「ジャングル・ブック」・・・。つらいね。   せいぜい「インディ・ジョーンズ」とか「シンデレラ」ぐらいにして欲しいが。      ルーニー・マーラーはオードリーに時々似るが、表情がいつも暗い。 「キャロル」の原作は1952年に、クレア・モーガン名義で出版され、ベストセラーになった。    ということは、やはり「太陽がいっぱい」も同性愛が隠し味で間違いないのだろう。    映画は、簡単なようでむずかしい。     ちなみに同性愛小説で、「キャロル」以前ではリリアン・ヘルマンの「子供の時間」が1934年に出版されている。  (映画化名「この三人」1936 注:この映画はレズビアンは男女関係に変更された)、そして原作に忠実なリメイク「噂の二人」1961)。   

  • 鑑賞日 2016/9/4

    古き良きアメリカの魅力満載

    単なるレズの物語として観ると、もったいない。レズの恋物語だけに留まらず、人生の先駆者と駆け出し者の織り成す物語として観たり、1950年代のアメリカのアンティーク的な面を注視していると楽しめる作品。 テレーズもキャロルも心のどこかで、独り者同志で、そんな二人が急接近していく。キャロルは年の功もあり、人生の先輩者としての風格を感じるが、一方のテレーズは、どこか主体性の無い態度で常にNOと言えず、場に流されてYESといってしまう。この二人がデパートで出会った時から、どこか親密感を抱き、レズのスイッチがオンになるが、それだけに留まらず、互いの悩みを打ち明けながら、惹きつけあうのを何とも魅力的に映し出されている。 更に、1950年代のニューヨークの街の雑踏、車、小道具までも絡ませているのが絶妙。又、キャロルのゴージャスさ、テレーズの質素な対比を上手く際立たせているのも見どころ。ところで、テレーズが手にしていたカメラがキャノン製で、不思議と嬉しく感じたのは、きっと私だけではないはず。

  • 鑑賞日

    オープニングから引き寄せられました

    驚くほど映像の美しい映画でした。 とくにオープニングがすごいですね。映画のオープニングって本当に楽しみです。この映画も予備知識なく見ましたが、オープニングがエグい。 道端の側溝からカメラが上に上がって行って夜の街を俯瞰から見下ろす。1950年代の街を再現しています。そしてそのファッションの見事なこと。 キャロルと相手をするテレーズ。彼女はランチのメニューも決められない優柔不断なところがあるの。そんな彼女、デパートの店員ね、彼女がキャロルと目を合わせた瞬間からこのドラマは始まりますね。予備知識もなく見たこの映画ですが、この2人の出会いと最初のシーン、これは最後にわかるんだけどお別れのシーンだったのね。あのシーン、いいね〜〜。男がテレーズを呼びに来る。行き違いでキャロルは誘いを断ってテレーズの前を去る。テレーズの背中を通り過ぎるキャロルがサラッとテレーズの肩をなでる。 おー、 いやらしいねー、エロいねー。 映画とはこれ。 そのシーンが何かを予感させる余韻。 予感と余韻の融合が映画の醍醐味だ。 見事なシーン。 最初に2人が出会うクリスマスプレゼントの買い物シーン。すごい緊張感だよね。あとで2人が恋に落ちて、買う方も売る方も緊張する、とか語り合うんだけど、これ違うよね。緊張したのはお互いが一目ぼれだったからだよね。 うまいなあ、このシーンも。 結局テレーズは"ノー"と言えない性格なの。 反対にキャロルはなんでも手に入れたいのね。 テレーズはそんな自分を嘆きますね。嘆きのテレーズです。 あの映画はもっと悲惨でしたけど、このキャロルとテレーズの関係はもっと残酷かもしれません。 いやあ、堪能しました。 これぞ映画ですね。

  • 鑑賞日 2016/10/13

    しようがないかな、

    感情移入ができなかった。男から見た女性の同性愛だからなのか。しようがないね。 ルーニー・マーラは可愛い。「ドラゴンタトゥーの女」とは180度違う役柄でとてもキュート。ってか、「ドラゴンタトゥーの女」のリスベット役は、よく引き受けたと思いますよ。激しいベッドシーンもやりこなして。 同性愛ですが、今回もベッドシーンはあります。大きな映画で二回ともヌードがあると、そんなイメージがついてしまうのではないかと、いらぬ心配をしてしまいます。 グウィネスも「恋に落ちたシェークスピア」で大胆なベッドシーンをやったではないか、ペネロペも。比べていいのかわからんが。 この映画の見所はいけない恋に落ちた、引き返せない気持ち、切ない気持ちが一目惚れから始まる同性愛というところ。その切なさがが女性には伝わるのかも。「いけない恋」ほど制御できなくなるんですよね

  • 鑑賞日 2016/10/10

    きれいな映画と言えばいいのか…。ボーイフレンドとかデパートの仕事はどうしたの?

  • 鑑賞日 2016/10/8

    なんとも形容しがたい

    なんか映画のムードとか雰囲気でなんとも言えない。てっきり大人のオンナの火遊びで終わるのかと思いきや違うんだね。終始ケイトブランシェットの色気が魅力的

  • 鑑賞日 2016/10/9

    苦手な同性愛だが、なかなかいい

     私は、同性愛ものはよく理解できないので苦手であり、特に男同士の「ブロークバック・マウンテン」などはダメである。だが、こちらは女性同士なのでやや受け入れやすく、ちょっと長いが、内容的にはなかなか素晴らしかった。  特にケイト・ブランシェットが上手いし、貫禄があり、彼女のキャロルが、ルーニー・マーラのテレーズが愛おしくてたまらないのはよく分かる。  また、ルーニー・マーラもキャロルへのその一途さと、ヌードを見せてくれるのもなかなかよく、そのファッションも何ともかわいかった。  トッド・ヘインズは、「エデンより彼方に」が良かった、色彩も独特で素晴らしかった。「キャロル」も、色彩が美しく、同じ1950年代を描き、前作に近い位の出来だと思う。

  • 鑑賞日 2016/9/17

    ケイト・ブランシェットのキャリアの頂点?かも

    これは名作、というか、ケイト・ブランシェットのキャリアの頂点になりうる作品になりました。 1950年代に、夫と娘を持ちながら女性を愛して、それを自分の中で肯定して、常に美しく凛としてあろうとした女性。それをこれほど魅力的な人物に演じあげるなんて。彼女が見せたくない弱さや優しさが、目だけにあふれてくる瞬間の表情。 演技ってなんなんでしょうね。与えられた人物像になりきること、というだけじゃなくて、その人物の一番美しいありかたを模索して体現すること、かしら。 ルーニー・マーラの不思議な可愛らしさも素敵だけど、ケイト・ブランシェットが素晴らしすぎました。

  • 鑑賞日 2016/2/11

    美しい!

  • 鑑賞日 2016/9/12

    メイン2人の素晴らしい演技

    冒頭、キャロルがテレーズの肩に手を置いて1人去って行く。直後始まる、そのシーンまでの回想。終始寂しげな情景の中、2人の関係が深く埋もれるように沈んでいく。そして冒頭のシーンに戻るラスト。印象がまるで違うことに驚き、呆然とキャロルの背中に悲しみを感じる。ケイトブランシェットの普段聞いたことのない声、ルーニーマーラの化粧の有無で変わる魅力。

  • 鑑賞日

    ケイトブランシェット様が綺麗すぎて綺麗すぎて!!!!

    映画館で観なかった事を後悔した。 2016年後悔したことベスト3にはいりそう! どのシーンでも2人の素晴らしい演技と美しさにため息。 もし生まれ変わってイケメン外国人になれたらケイト様みたいなブロンド長身美人と結婚したい。 見てるだけで目の保養!!

  • 鑑賞日 2016/9/1

    ラブストーリー

     トッド・ヘインズ監督は「エデンより彼方に」でも同じ50年代という時代を背景にして当時まだ偏見に満ちていた同性愛問題を見つめた映画をものしている。よほど時代に受け入れらない人々の確執といったものに関心があるのだろうか(監督自身もゲイらしい)。 夫がゲイであることを知り愕然としてしまう妻を描いた「エデン」とは逆に、本作では同性愛に走る妻に焦点を当てている。夫(カイル・チャンドラー)が妻の性癖をなじるシーンに時代が浮かび上がり、「エデン」の時と同様な息苦しさが立ち上がってくる。 50年代という時代の描写は「エデン」の時と同様にリアリティがあり、かつ美しい。ヒロインの二人も美しく撮られているけど、特にテレーズを演じたルーニー・マーラはこんなに可憐だったっけ?というくらいに目を瞠らされた。彼女の肩にキャロル(ケイト・ブランシェット)が軽く手を置くシーンが二度ほどあるけど、その時のマーラの憧れを秘めた表情が愛くるしい。カメラは二人の女優の色香を見事に救い上げていてすばらしい。  もちろん愛をとるか娘をとるかという女として母としてのはざまに揺れるケイトの演技力はいわずもがな。同性愛ということを抜きにしても恋愛のときめきを見事に映像化してみせたラブストーリーの歴史に残る一作かもしれない。

  • 鑑賞日 2016/9/9

    非常によい

    切なさ、残酷さ、傲慢さ… 期待通りにキレイな絵。 ラストはどっちだ?

  • 鑑賞日 2016/9/5

    かなり期待していたので…

    期待していたほどではなかった。期待値が高すぎたのか… 恋の始まりと終わりを描いているラブストーリー。 シンプルなラブストーリーだ。ただ違うのは女同士のラブストーリーということ。しかも不倫だ。 現代でも偏見がつきまとう同性愛に、不倫… それが1950年代に書かれた『太陽光いっぱい』などで知られるパトリシア・ハイスミスという作家の自伝的小説というではないか… てか、『太陽がいっぱい』って女流作家の作品だったんだ。 バッドエンドではないにしても、はっきりとハッピーエンドではないし、曖昧。曖昧だからこそ、美しいのか…? 今も昔も、困難が愛を深めるのであろのとだけは確かなようだ。

  • 鑑賞日 2016/9/2

    人が恋に落ちる瞬間からその後の気持ちのあり方をスローモーションのように丁寧に映している。二人の女性の衣装、曇り空のニューヨーク、50年代の小道具が優雅で、映像を隅々までチェックするのが楽しい。トープ色のキャロルの車の洒落具合に感心すらした。 一方、二人で泊まるモーテルの、心のなかまでも侘しくさせるような場末感も素晴らしい。

  • 鑑賞日 2016/9/1

    2人の目の演技に魅了された。

  • 鑑賞日

    ケイト・ブランシェットが良い

    ミステリアスな雰囲気と、二人の女性が美しい。 ケイト・ブランシェットはまるで1950年代の女性のよう、 この終わり方も素晴らしい余韻が残る。

  • 鑑賞日 2016/8/7

    ケイトさんのビューティさだけ。が、それでよし。

    It was a quiet foolish story... I do not why but it attracted me、probably because of Cate Blanchett,her beautifulness.

  • 鑑賞日 2016/2/17

    二人を結ぶ本物の信頼

    映画を見終わった瞬間は、主人公の旦那たちが盗聴や無礼な批判を繰り返したりする姿が印象強いせいか、「これはレッドパージ前夜なんだな」という時代設定に興味をひいた。トランボの伝記的映画も公開されたように、自由な発言や個性が締め出されがちな今のアメリカ、日本を含む世界情勢に対するメッセージも込められている、という裏テーマも重要視したい作品だ。  そんな裏の話はこれくらいにして、この映画の本題に触れると、同性愛がメインのように見えるが、実はそうではない。人間同士の信頼の築き方、というのが大きな見どころだ。  姿かたちも仕草も美しいキャロル(ケイト・ブランシェットが好演!)に惹かれるテレーズ(ルーニー・マーラがとても可愛らしい!)。そこに情が生まれ、恋がはじまり、二人は旅に出る決心を...。という流れのなかで見えてくるのは、二人の純粋な心に嘘がないことだ。  はっきり言って、男女の恋愛には割りと嘘が多い。だから面白いんだ、なんて言う連中もいるが、嘘がばれたときのしっぺ返し、心の傷の深さは途方も無くなる場合がある。だからこそ、この作品の原作者であるパトリシア・ハイスミスは、「太陽がいっぱい」などで人間の心の真実性にも目を向けようとしてきた。これは女同士の恋愛だからこそ、嘘のない信頼関係、愛の形というものを見せようとしたに違いない。原作者の人間への深い洞察力だからこその同性愛物語が、ようやく陽の目を見ることができ、これほどの映画となったことは、とても嬉しくなってくる。  嘘がないからこそ信頼が生まれる。しかし、二人にはそれとは真逆である、嘘と裏切りしかない社会が押し寄せてくる。その中でも、テレーズは自らの腕で立ち上がって前を向こうとするが、キャロルのほうは...。  最後は切なく、息苦しさばかりが見えてくるが、信頼というものがどれほど大事なものか、が心に染み渡ってくる今年度を代表する良作だと思う。

  • 鑑賞日 2016/8/3

    K.ブランシェットの大人の艶やかさが圧倒的

    K.ブランシェットのゴージャスでかつ上品な大人の艶やかさが圧倒的に素晴らしい。50年代のNYの街の佇まいが時代の雰囲気を上手く醸し出して味わい深い。粋な終わり方も余韻を感じさせて秀逸。

  • 鑑賞日 2016/2/17

    (映)ケイト様の獲物を狙う目力が凄かった。想像していたようなお洋服やお菓子の飛び交うようなキラキラした映画じゃ無かったけど、遠いようで近い時代の、いまよりずっとままならない世界にいる人たちの選択のお話。ものすごく美しく強気で不安ばかりの女性の葛藤と、不安さえ抱けない程の若さが選択の時期にさしかかって交錯する時のもっと強いはずの緊張感が、掌で掬いあげた水みたいに不安定で切なかった。

  • 鑑賞日 2016/2/13

    美しい、何から何まで美しい

    淡々としているのに心揺さぶられる作品。 映像の色味からメイク、小道具まで50年代そのもの(イメージだが)で、ノスタルジックな感覚を覚える。 上映館数は多くないが、大きなシネコンでも上映されているため、LGBTについて考えるきっかけになってくれればと思う。 ケイト・ブランシェットのタバコが色気たっぷり。 そしてなんとまあ、ルーニー・マーラの身体の美しいこと美しいこと。これだけでも観るべき←

  • 鑑賞日 2016/2/24

    深い。

    ひたすらに主役2人の演技が良かった。背徳感を感じながら求め合ってる感じ。んー、言葉にするのが難しい。あとラストシーンは最高。

  • 鑑賞日 2016/6/1

    原作小説を読んでからの鑑賞。原作とは設定が違う部分も多く、だいぶ印象が変わった。原作の濃さは相当なものだが、映画版の脚本も素晴らしい。展開の早さは確かに感じられるが、キャロルとテレーズの魅力はそれを上回ると思う。個人的にテレーズに共感する場面やセリフが多く、見る度辛くなる。やはりラストシーンは最高。 時間の都合上カットされたシーンも多いようで、いつかノーカット版が出ることを祈るばかり…

  • 鑑賞日 2016/2/11

    年齢も身分も違う女性2人の偶然の出会いー。

    1952年クリスマスシーズンで賑わうニューヨークのとある高級デパート。玩具売場の店員テレーズの視線の先にはエレガントな貴婦人キャロルが映っていた。 女性同士の恋愛を描きながらも普遍的なラブストーリーに昇華している点もさる事ながら、家具、美術品、自動車、煙草等の小道具、煌びやかな衣装、そして50年代のニューヨークの街並みがトッド・ヘインズ監督独特の美意識で彩られていてその美しさや画の構図に思わず息を呑む。 そして調べてみるといろいろと大変興味深い逸話の数々…、サスペンス作家として名高い原作者パトリシア・ハイスミスが今作を別名義で発表していたという背景、同性愛がタブー視されていた50年代アメリカの時代背景、当時ハリウッドを支配していたヘイズコード(検閲制度)の存在等々…。 演技派女優2人もやはり魅力的で特にカンヌ映画祭主演女優賞を獲得したルーニー・マーラの演技が随所で光る。今作は題名からもケイト・ブランシェット演ずるキャロルが主役のように感じるが、あくまでもテレーズ=パトリシア・ハイスミスの物語であること、それを演ずるルーニーの演技力の高さをカンヌの審査員達は評価し彼女に主演女優賞を与えたことが推測できる。 脳裏に焼き付く色彩感覚、いくつもの逸話が織り成すサイドストーリー、主演2人の女優魂、そして自分に正直でありたいと切に願う2人の大人の女性の物語という点が、いつまでも残って離れない余韻の正体なのだろうー。

  • 鑑賞日 2016/4/30

    50年代にタイムスリップ

    映画の楽しみの一つに「美術」があります。 世界観や時代設定はもちろん、登場人物のキャラクター、階級、パーソナリティを見せる衣装や小物の数々。これらをつぶさに鑑賞できる、映画は楽しい時間です。 男っぽい美貌のケイト・ブランシェット演じる富豪夫人のファーのコート、オレンジ色のボンネット、物語が始まるレザーの手袋。テレーズでなくとも一目惚れしてしまいそうな美しさです。ルーニー・マーラー演じるデパートの販売員、テレーズのちょっと垢抜けない可愛らしい帽子やチェックのスカートもちょうカワイイ。(ぱっつんオカッパは真の美人にしか似合わないのですね!) そして、車! 映画の始まり辺りでは「よく集めたなあ」なんて思いながら見ていたのに、すっかり50年代製作の映画を観ているかのようにとても自然に見えてきます。 2人だけの時間の濃密な寄り、テレーズがキャロルを見つめるときのファインダー越しの引いた構図。近くて遠い、普遍的な恋の感情。カメラワークの巧みさで繊細な心の動きが美しく伝わる見せ方もとても素晴らしい。 ひとつだけ、気になるのはケイト様の背筋でしょうか、富豪の人妻の背筋じゃないよね⁈ クマも殺せそうなたくましさですよ!もう少しゆるくてもよろしかったのでは…。

  • 鑑賞日 2016/5/2

    キャロル(2015年)』。舞台は半世紀ほど前だが新聞社社内のカレンダーで特定できる。当時のファッションや車などそれらしく見える。おそらくCGなども駆使されているのだろう。夫に放っておかれた妻が道ならぬ恋に落ちる話だが、当時はあり得ないことだったのだろう。ラストのキャロルの微笑。

  • 鑑賞日 2016/4/20

    止まらないため息

    女性にはオススメです。 騙されたと思って観ていただきたいです。(笑) 他の方も書いておられますが、女優達のファッションや絡まる視線の演技にため息が出ました。 ラストシーンで心を揺さぶられる感覚が…。 観終わって、帰路へ。 映画館を出る時も電車を待つ駅のホームでもため息が止まらない…(苦笑) ここ数年で、一番ステキな映画に出会えました。 感激♡

  • 鑑賞日 2016/2/11

    叙情性と芸術性とエンタテインメント

    201602111445 109シネマズHAT  ケイトブランシェットとルーニーマーラちゃん  監督さんはエデンの彼方のトッドヘインズ  レズビアンの目覚めの映画と一言で片づけるには勿体無い映画。  叙情的に描いてるけど、単なるメロドラマに終わらないのは、ルーニーマーラちゃんとケイトの知性が溢れてるからじゃないかな。 とにかくふたりの演技力が凄い。セリフがほとんど無いシーンでもかなり引き込まれるし、ラストシーンは寧ろ曲が邪魔。言葉にすると一面的にしか表現出来ない層の厚い感情を何とも言えない表情で表現し、見る人の想像力を掻き立てるなぁと思った。 そうそう、恋愛って駆け引きみたいなものもあるけど、お互いがそれぞれ成長出来るところがいいんだよねって。それがあるからこの映画の良さが際立つ。 映画評では自分らしく生きる事を気付かせてくれるって書かれてた。感性が揺さ振られて模索し始めるんだよね。相手を知る事、自分がそこに相応しくあるためには何が出来るのかと。人にしろ仕事にしろ打ち込むのって大事だし、恋愛が何よりいいのは身体をさらけ出す事で内なる自分に気付けるんじゃないかと。それは異性である必要は無いんじゃないかと思える映画だった。

  • 鑑賞日 2016/2/27

    上映時間1時間58分、画面のルックが常に100点!

     画面が常に美しくて、  その画面にヤラれた状態でずっと映画観てました。  美しい画面を見続けるこの多幸感!  明らかに画面がデザインされてて美しい!  一番最初のマンホール?のショットから美しくて、  主演女優二人も美しく最高でした。  撮影のエド・ラックマン要チェック!  エド・ラックマンはトッド・ヘインズのエデンより彼方に  以降のアイム・ノット・ゼア、  ミルドレッド・ピアース(TVドラマ)と  全ての作品の撮影を手がけている。  多用される窓越しのショット、鏡に映るショットなど  素晴らしい画面作りでした。  アカデミー賞の予想では撮影賞はエマニュエル・ルベツキが  3年連続受賞濃厚との見方もあるようですが、  エドワード・ラックマンの受賞もあるのでは?  画面が本当に素晴らしかったですよ!  窓越しのショットが印象的!  これほ窓越しのショットが多い映画もないのでは?  台詞なんかなくても  視線が交わるだけで、恋に落ちたと分かる。  これが映画ですよ!!  ルーニー・マーラが一目見て恋に落ちた後の車内で、  窓ガラスが曇ってる演出には、  恋に落ちて火照ってる演出にも見えた。  サントラ聞きながら今このブログを書いているのですが、  音楽も凄く良い。サントラ買おうかな。  50年代の映画なので画面に映るもの全てを  50年代にあったもので構成されているらしく、  当時の人が見ても50年代の映画と思う程との事。  ただ50年代には本作は作れない映画。というのは、  当時ヘイズコードで同性愛を描くことは禁じられていて、  同性愛は精神病として扱われていたらしい。  だから50年代の画面作りにこだわって  今この映画を作る意味がある!(町山さんの受け売り)  ルーニー・マーラが超かわいくて、彼女の  アイドル映画として観ても100点!  ドラゴン・タトゥーの女のルーニー・マーラも最高だし、  herのルーニー・マーラの異常な美しさも最高なんだけど、  今回はルーニー・マーラの可愛さが強調されてて最高!  アイドル映画って今輝いてる瞬間を捉えるているという  のはもちろんなんですが、その中でいろんな服とか  着てもらえるとさらに良いと思う訳です。  海街diaryの広瀬すずが普段着に加え、  2種類の制服を着たり、サッカーユニフォームを着たように。  今作ではルーニー・マーラの色んな姿が観れて最高!  ケイト・ブランシェットは去年アカデミー賞を受賞した  ブルー・ジャスミンと同じような役を演じている。  ブルージャスミンでもお金持ちの旦那をもつ妻の役で、  両作とも物語序盤から離婚騒動が起きている。 (愛で結婚したと言うよりは綺麗な奥さんという  ステータスとしての妻を求めて結婚し、  妻もその事をどこかで理解しながらも  それを観ないフリをしている。というのは言い過ぎかな。)  金持ちの旦那と結婚し、離婚の危機にある役。  ケイト・ブランシェットのセレブ感とちょっと疲れ感じ?  からこういう役が今来てるのかな。  ケイト・ブランシェット流石の貫禄でした。  ベッドシーンではルーニー・マーラの乳頭が観れるので  そういう意味でもオススメ!  画面が常に100点なアイドル映画と言う意味では  自分の中では前述した海街diaryと近いと言えるのかも!  町山智浩さんのキャロル解説が素晴らしいのでオススメ! コピー  あなたが私を変えた。

  • 鑑賞日

    男の描き方がひどすぎ。ファッションショーとしては価値あり。

  • 鑑賞日 2016/4/21

    2人の眼差し

    確実に恋に落ちているのに、その感情に戸惑う。そのもどかしさが映画を覆う。観ている私ももどかしい。2人の眼差しはラスト見事に交差するが…。

  • 鑑賞日 2016/4/18

    女性たち

    キネ旬のプレゼントの招待券を使い横浜シネマリンで鑑賞。女性受けする映画だと事前情報として知っていたが、メンズデーにも関わらずやはり8割ほどが女性客。ケイト・ブラシェット演じる大人の女性キャロルにあこがれる、ルーニー・マーラ演じるテレーズ、更にキャロルの元恋人アビーの三つ巴のレズ関係。脳の中の回路が一本の男には、回路が二本の女性の心理はなかなか理解しずらい映画であった。それにしてもキャロルは、なぜあんな金持ちのぼくちゃんハージと結婚して子供まで作ることになったのかこの映画だけではその過程が理解できない。さて映画としての時代考証に関しては、感心した。ファッションや車などは見事に50年代を再現した美しい映像だったが、キャロルがテレーズにプレゼントしたキヤノンのカメラまでみごとに時代考証が正しかった。監督か脚本家が相当なカメラ通と思われる。(キヤノン事情に詳しい筆者として)1952年にキヤノンのカメラがアメリカで売られていたかなあ?と疑問に思いながら見た後調べてみたところ正しかった。当時アメリカに独自の販売ルートはなく、総代理店方式で細々売っていた。ちょうど映画の1952年の12月クリスマス商戦に合わせ、名機ⅣSbを発売していたのである。この映画では、テレーズの写真がキーワードの一つであるので、ここにキヤノンのカメラをプレゼントとして使われたのは意義深い。ラストシーンのレストランでテレーズとキャロルが再会して見つめあう映像は、素晴らしい。

  • 鑑賞日 2016/4/17

    ひたすら美しい

    キャロルの仕掛けっぷりがすごくて、こちらまでドギマギ。 物語ははっきりいってありきたり。 誰かと誰かが出会って、どうしようもなく恋に落ち、問題にぶつかり、別れを告げる。。。 ただ、このどうしようもなく恋に落ちるさまが美しくって。 主演ふたり、言葉以上に語るまなざし、しぐさ、そのファッション、車、調度品のひとつひとつまで、なにもかもが美しい。 ずっと導かれる側だったテレーズ。 見つめて、見つめて、待って、待って、まなざしが重なるラストシーン。 互いがまっすぐに見つめ合える。 キャロルが残した手紙が昇華される素晴らしいラストシーンだった。

  • 鑑賞日 2016/4/16

    美しい

    主演のケイト・ブランシェットのゴージャスさが見事だった。ゆったりと語りかけるその口調も、優雅に吸うタバコも、真紅のルージュも、光を浴びて輝く髪、見つめる瞳。すごかった。 対照的なチャーミングでキュートなルーニー・マーラー。微笑みを絶やさず、無邪気にカメラ越しに彼女を捉える様、彼女の変わりように涙する様。ヘアバンド姿はもはや愛おしい。 そんな二人が惹かれあい求め、どこに辿り着くのかという物語。よかった

  • 鑑賞日 2016/4/1

    見た目に強く影響されちゃう

     パトリシア・ハイスミスの小説の映画化作品。1952年のアメリカ、ニューヨークのお話。ジャーナリストを目指しているテレーズがクリスマスシーズンにデパートのおもちゃ売り場でアルバイトをしていた時、娘へのクリスマスプレゼントを買いに来たキャロルの優雅な物腰に惹かれた。キャロルが忘れて行った手袋を、プレゼントの配送伝票をみて、クリスマスカードを添えて届けたことから二人の逢瀬が始まる。キャロルは娘の親権をめぐり離婚訴訟中だったが。夫はキャロルに妻として母親として家にいることを望んでいたが、キャロルは夫の飾り物ではない自分の人生を歩みたいと思っていた。キャロルの義母はクリスマスに娘をキャロルに預けないと言ったため、落胆したキャロルはテレーズを誘って西へ向かう旅にでることにした。途中二人は性的関係を結ぶがそれを義母が雇った探偵に盗聴されてしまう。キャロルは娘の親権を争うためテレーズとの関係を中止したが、自分を偽る人生に辟易し、自分の性癖を認め面会権のみを求めることに変更するのだった。またテレーズも一方的な別れに憤慨するがキャロルを忘れられない日々が続いていた。二人は再会し元の鞘におさまりそうだった。  LGBTに関する偏見は今でも続いているのだから1950年代のアメリカだったら人として見られなかったのだろうことは想像がつきます。そういった環境の中カミングアウトに近い形で家族や離婚調停の場で発言するのだから、その後どんな困難が待ち受けていたのかは想像もできません。それでも信念を貫くことができたキャロルは幸せだったのでしょう。決しておもてに表せず、自分は変態なんではと悩み続けていたひとだっていたのでしょうから。ケイト・ブランシェットもルーニー・マーラも綺麗な人なのでなんとなく納得しちゃったけど、もしブスだったらどうなんだろうと思うと、人というのは見た目に強く影響されちゃうんだなあと考えてしまいました。ところで日本ではLGBTの方々の多くは相変わらず日陰者扱いなんだろうなあ。

  • 鑑賞日 2016/4/5

    初のシネマイクスピアリに興奮

    ケイト・ブランシェット ルーニー・マーラー この御二方の美しさがよーーく 分かる映画なのだが この映画の良さは私にはよくわからなかったのだ ケイト・ブランシェットに 嫉妬した私の不寛容で いじけた狭ーい心のせいだと わかっている ケイト・ブランシェットに肩入れ できないとこの映画には乗れない この御二方の悲恋に 素直に悲しめない 女性同士の叶わない恋の行方は 『アデル 、ブルーは熱い色』や 『ボーイズドントクライ』 の方が はるかに上を行く出来であった(個人的見解なので悪しからず) そもそも台詞にして伝えるだけが 脳ではないのはわかってるが 今作は台詞が少なすぎて 一体何を考えてるのかサッパリ分からないケイト・ブランシェット演じるキャロルなのだ ルーニー・マーラーは同性への 想いに戸惑い言葉少な様子は 何となくわかるが キャロルの心情を あとほんの少し分かりやすく してくれたら ……印象が違っていたかも 2002年のトッド・ヘインズの『エデンより彼方に』はコテコテのメロドラマを敢えてその路線で仕上げたある意味リメイク作品の方が私には合っていた 当時妊娠していたジュリアン・ムーアが少し太めのウエストで 女性が一番輝く美しい時期に花のように演じていて 素晴らしい作品だった。

  • 鑑賞日 2016/4/5

    極上の普段着

    ◎ 何の奇もてらわない普通の物語である。ある人とある人が出会い、互いに惹かれあう。2人の間にはいろいろと障害があるにもかかわらず、心と体を結びつけ合う。女同士だという点だけがちょっと違った上質のお話である。2人の主演女優の好演と、しっとりとした画面が緊張感を生み出して、最後まで弛緩しない。絶品である。 ◎ ケイト・ブランシェットが美しい。年上でお金持ちで若い女を誘惑する立場だから、鼻持ちならない女になってもおかしくないところなのに、少しも気品が失われない。ルーニー・マーラが美しい。そして、映画の中でさらにどんどん美しくなっていく。ごく普通のラストの締め方も気に入った。

  • 鑑賞日 2016/4/4

    決して好きなタイプの映画ではないが、

    高品質で大人の為の大人が観る大人の映画。

  • 鑑賞日 2016/4/2

    二人の女、綺麗…

    キャロルさん、リッチなのに陰があって、誘い慣れてて。麻実れいさんの若い頃みたいな色っぽさにテンション上がりました。声も素敵。母親の弱ってる顔とのギャップが切ない! ルイーズも、どの瞬間もめちゃくちゃ可愛い。天使。ファッション真似したいです。キャロルに対して年齢や身分を超えて対等なのも好き。 とにかく二人がくっついてほしいなーと思いながら見ていた時間でした。車も素敵だった!

  • 鑑賞日 2016/2/11

    1人の美しく、哀しく、妖艶な生き方をする女性の物語

    「太陽がいっぱい」などの映画化作品が知られる小説家パトリシア・ハイスミスの原作小説を、「エデンより彼方へ」のトッド・ヘインズ監督が映画化した作品。主演には「エリザベス」などで知られるアカデミー賞俳優のケイト・ブランシェット、ブランシェット演じる妖艶な女性キャロルに惹かれる女性を、「ドラゴン・タトゥーの女」のルーニ・マーラが務めています。 ハイスミス原作ものというと、「見知らぬ乗客」や「太陽がいっぱい」などの本作ミステリーとしての作品が多いのですが、本作はそうしたミステリーとは一線を画し、同性に惹かれる愛情という要素が主になっている印象を受けます。かと言って、ストレートなゲイ作品といった趣とは違い、どこか綺麗で、手の届かない高値の花の一人の婦人に、まだ少女を抜け切れない若い女性が抱いた羨望的な恋心といった形の作品になっています。だからかもしれませんが、キャロルを演じるケイト・ブランシェットの妖艶なまでの美しさは、その裏側に潜む狂気のようなエロさもムンムンと漂ってきて、作品の中ですごく異彩を放っています。彼女は作品のアカデミー賞(87回:2015年)に、「ブルージャズミン」で最優秀主演女優賞に輝き、本作でも本年度(88回:2016年)にも主演女優賞としてノミネートされていますが、どちらかといえば昨年よりも本作での受賞が相応しかったかなと思います。それくらいの強烈なインパクトを残す役柄を本作では演じているのです。 それに華を添えるのが、トッド・ヘインズ監督の演出美でしょう。この人も「エデンより彼方へ」で同じ1950年代の高級白人婦人と黒人との禁断の愛を描いていましたが、同じ1950年代をムード感たっぷりに描く素養はなかなかのもの。古き良き時代のデパートやくすんだモーテル、タバコの煙が漂ってきそうな2人の親密な会話までも描き込みが非常に丁寧。これだけ世界観を見事に作り上げれる監督も、近年の監督では稀だと僕は思います。 ただ、強烈な印象の設定な割に、作品全体が大きな動きがなく単調に進んでしまうのが残念な感じもします。物語自体に大きな変化が出てこないこともありますが、唯一の工夫が物語のラストが冒頭に描かれるというところくらいで、あとは予想の範囲内に収まってしまっているのです。この作品は題名通りに「キャロル」という美しく、その裏に激しいまでのいろんな顔をもっている女性の生き方に感嘆するだけの作品のように思います。

  • 鑑賞日 2016/3/23

    その所作に魅入ってしまう

    2回目劇場鑑賞。 よくよく観てみたら、キャロルの衣装や化粧などは赤もあるけれど、ピンクも多かった。それにしてもキャロルというかケイト・ブランシェットはあんなに背が高く、ガタイもなかなかのものなのに、どうしてあんなに女らしいのだろう。ルーニー・マーラはオードリー・ヘップバーンのようにキュートで。美しい絵画のような作品。そこに人間の血が流れている。

  • 鑑賞日 2016/3/28

    i don't know how i feel about it

    it made me think

  • 鑑賞日 2016/2/28

    視線の描き方がすごい

    映像の美しさ、主演の2人の魅力は 多くの人が指摘するとおりだが、 私は「視線」のとらえ方が上手いと 思った。 登場人物の見た目からの映像、 見ている顔、どちらもよい。 切ない空気感を見事に醸し出している。

  • 鑑賞日 2016/3/26

    キャロルとテレーズによる禁断の愛。描かれている内容については特に興味は惹かれなかったが、とにかく映像が素晴らしい。壁などのバックの背景と二人が着ている服や帽子やマフラーなどの衣装、周りに置かれた小物類の色彩がすべてが調和がとれていた。ひとつひとつのカットが絵画や写真のような趣がある。また、それを収めた映像が16ミリカメラで撮影されたこともあって、粗いフィルムの粒子画とともに相乗効果があったと思う。映像を観るだけでも観た甲斐があったというものだ。

  • 鑑賞日 2016/2/29

    意識する視線

     許されない愛の美しさが胸を締めつける。キャロルとテレーズ。年齢も育った環境もまったく違うふたりの出会いが、濃密な関係を紡ぎだす。1950年代。同性愛を拒絶する偏見と倫理観の陰影に、純粋な愛の輝きが際立つ。  ケイト・ブラシェットの存在感は相変わらず圧倒的。ルーニー・マーラの新鮮な美しさも目を奪う。交差するふたりの視線を強く意識した監督トッド・ヘインズのきめ細かい演出が、深い余韻をいつまでも残した。  クリスマスのおもちゃ売り場。突然、視界に割り込んできたキャロルの美しさに、テレーズの目は吸い寄せられた。テレーズの視線にキャロルもすぐに気づく。運命の出会いが心を揺さぶる。あこがれはたちまち恋に変わっていった。「あなたは不思議な人。天から落ちたよう」。昼下がりのレストラン。優雅なしぐさでマティーニを口に運びながら、キャロルはテレーズをじっと見つめた。ときめきに頬を染めるテレーズ。ふたりだけの時間は、永遠に続くはずだった。しかし-。  道徳的条項の違反。愛のない夫ハージが突きつけた不条理な理由がキャロルから最愛の娘リンディを奪う。テレーズも、自分の都合しか頭にないリチャードとの仲に違和感があった。これ以上、偽りの生活を続けるのは無理。互いの中の「真実の自分」が目を覚まし、強く求め合う。行く先も決めず、車を走らせるふたりの間に漂う背徳と幸福の危ういバランスに、ため息が出た。  旅の途中で声をかけてきたセールスマンの正体が明らかになり、衝撃の暗転がふたりを襲う。つかの間の別れ。それでも愛の絆は、しっかりと結びついていた。  「すべてはいつか元に戻る。でもこれだけは信じて。私たちの前には永遠の夜明けが待つのよ」  愛しているから、テレーズを解放したキャロル。テレーズも失恋と痛手を乗り越えて、強くなった。最後に選んだのは互いの愛。物語の始まりと終わりが印象的につながっていった。

  • 鑑賞日 2016/3/1

    成長譚として面白いですが

    それよりも何よりも印象に残るのは、ケイト・ブランシェット様の美しさとルーニー・マーラ姫の可愛さの犯罪級。

  • 鑑賞日 2016/3/17

    ダグラス・サークの衣鉢を継ぐ傑作

    2016年3月17日に鑑賞。ビスタサイズ。 ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラがすばらしいです。トッド・ヘインズの「エデンより彼方に」に次ぐ、1950年代ものである。ダグラス・サークの衣鉢を継ぐものである。撮影、美術、衣装もすばらしい。 なるほどルーニー・マーラはオードリー・ヘプバーン、ケイト・ブランシェットはキャサリン・ヘプバーンのイメージか。ヘインズは、ケイトはモニカ・ヴィッティとジーナ・ローランズだと言っている。 テレーズ・ベリヴェット Therese Belivet(ルーニー・マーラ)にキャロルが「すばらしい名前ね。どこの出身?」「チェコ系」と答えるのも、デンマーク出身のダグラス・サーク(デトレフ・ジールク)への目配せである。 1952年のクリスマス、NYの高級百貨店フランケンバーグで働くテレーズはカメラマン志望である。おもちゃ売り場で働くテレーズは、娘にクリスマス・プレゼントを買いに来た上流階級のキャロル・エアードに魅かれる。彼女に汽車の模型セットを薦める。忘れた手袋をキャロルに送り食事に招待される。キャロルは夫と別居し離婚協議中である。キャロルはニュージャージーに住んでいる。 テレーズは人物の写真は撮らない。「人のプライバシーを侵すようで」恋人リチャード「もっと人間に興味を持ったら」そういうテレーズがキャロルの写真を撮り始める。  もうひとつのテーマは「クリスマスを家族と過ごさない人たち」である。「この10年間お飾りの妻」だったキャロルは、夫の母、夫の友人、夫の・・・と常に夫の附属物でしかなかった。幼なじみのアビーと5年前に関係があったようである。 キャロルはテレーズを誘ってクリスマス休暇に車で西へ向かう。オハイオ州カントンのモーテルでスイートルームに2人で宿泊することになる。シカゴのドレイク・ホテルでは2人は当然のように同じ部屋に泊まる。 夫が雇った探偵(雑貨屋を装う)が2人の行為を録音し夫へ送る。「キャロルの指がテレーズの乳首を掴む」場面は飛行機内映画ではカットされていた。 離婚し娘の共同親権を争うキャロルは、録音された証拠により、モラルに問題ありと親権を失い夫の単独親権の訴えが通りそうになる。 アイオワ州ウォータールーで新年を迎え2人の旅は終わる。キャロル「不吉な名前の町ね」 キャロルはテレーズに最新のカメラを贈る。テレーズがピアノで弾きキャロルにレコードを贈ったのは「テディ・ウィルソン+ビリー・ホリディ」。レコード屋にビクターの「His Master's Voice」の犬の置物が映る。 「2人の人間が恋に落ちるだけよ」「自分が分かってる?分からないわ」セーターの匂いを嗅ぐテレーズ。「香水は脈打つ場所につける」「私たちの幸せに太陽の光が。あなたを解放する」 スカリーズ(レストラン)、ドライ・マティーニ。非米活動委員会。マッキンリー大統領。リタ・ヘイワースみたいな赤毛。モーテルにアイス・ボックスあり。

  • 鑑賞日 2016/3/17

    一目惚れ

    これって一目惚れですよね。もう、あんまり聞かなくなった フレーズではありますが、あのデパートの出逢いのシーンが この作品の全てといっても過言ではないでしょう。忘れ物、 届けてくれたからって、ランチなんて、あぶなくない?  ルーニーがどんどんキレイになっていくにしたがって、 ケイト夫人の仮面が少しずつはがれていくさまが、どこかしか スリリングで残酷に感じました。

  • 鑑賞日 2016/3/16

    キャロル

    とにかく全てが美しい。 初めて、劇場でもう一度観たい、と思った映画。

  • 鑑賞日 2016/3/15

    目芝居の極地

    セット撮影衣装たぶん口調まで、時代再現性はすごい。それにもましてケイト・ブランシェットの芝居、特に目の芝居がすべてを支配していて目が離せない。あとタバコ。時代性を最も感じたのが実はこれ。キャロルとテリーズの吸い方の描きわけ方や、吸うタイミングで感情を表す小道具として終始働いている。吸いたくなるのはもちろんで、劇場だから辛かった。

  • 鑑賞日 2016/2/11

    さすがケイト☆☆☆☆☆

    女性の同性愛をベースに家族の葛藤をクールに演じたケイト・ブランシェットの光る演技力はさすがでした❗

  • 鑑賞日 2016/3/12

    美しかった。

    ケイト・ブランシェットを見たい、という娘と一緒に劇場へ。女性同士の恋愛を描いた映画だとは聞いていたけれど、圧巻のベッドシーンに驚いてしまった。ケイトの迫力…!(家族と見るには不向きでもあった。) 全編を通じ、ルーニーの可憐さ、ケイトの大人の魅力が存分に描かれていた。 娘の親権を巡って争う場面。ケイトの迫力に胸を打たれた。しかし自分らしく生きることは捨てられないという、その姿勢にも感動した。今以上に生きづらい時代だったんだな、と。 それから、最後のシーン。テリーズはもうキャロルを愛さないのだろうか、とドキドキしたが、最後の最後に見つめ合う二人に安心した。ちょっと尻切れトンボ感もあったけれど。できれば幸せな二人をもう少し見たかったな、と。

  • 鑑賞日 2016/3/9

    パトリシア・ハイスミスの体験談

    原作者(発表時は別名義)パトリシア・ハイスミスは、実際にデパートの店員で、自身の体験をベースにした原作小説とのこと。監督のトッド・ヘインズもゲイらしい。主演の二人の女優は美しく、見事な演技。描き方も背景の時代に合わせてクラッシックな雰囲気。同監督の「エデより彼方に」('02)も雰囲気が似ていることを思い出した。映画らしい映画。

  • 鑑賞日

    ダグラス・サークへのオマージュ映画を撮っているトッド・ヘインズだけに、レズビアン嗜好を持つヒロインの特異な心理、行動と50年代のアメリカの描写は精緻を極め、見ごたえがある。原作者のパトリシア・ハイスミスは、奇妙な味の犯罪小説の名手として有名だが、ミステリーより普通小説の愛読者に圧倒的な支持を受けている。別名で発表した原作、どこまでが自伝的要素か興味深い。謎が多い私生活のこの作家の自叙伝が大変面白いというのでこれを期に読もうと注文してみたところだ。

  • 鑑賞日

    全体的にラグジュアリーで、そこはかとなくサスペンスフル。だが、極めてまっとうなラブロマンスにしてセックス云々を問わずにマイノリティーの生きづらさを描いたドラマでもある。煙草を挟んだ指、お互いの肩に添える手などなど、レズビアンにとって性的にも重要な器官ともなる指と手がひたすら艶めかしく映し出される。そんな視点で捉えられたK・ブランシェットの指が、R・マーラの乳首を愛おしく摘むショットは本当に美しい。アカデミー賞作品候補にならなかったのが解せない。

  • 鑑賞日 2016/3/8

    キャロル(2015)

    ミステリー作家パトリシア・ハイスミスが1952年に出版し大ベストセラーとなった本が原作となっている。 女性同士の恋愛が法律で認められていない時代に禁断の恋をしてしまった二人の女性。大人の魅力に惹かれていき本当の恋を知っていくテレーズと夫との離婚調停の最中、娘と恋の狭間で揺れる美魔女キャロルはどのようにしてこの不遇な時代を生きたのか。 同性愛が認められていない時代背景という面だけでは近年の映画ではそう珍しくもない。同性愛同士でストを起こし法律に立ち向かうことを題材にした映画など世間からアウェイな状況に置かれた人々が政府を相手取り国の動向を左右するような映画に比べると本作の出来事は身内のみの出来事でありインパクトに欠ける部分がある。ただ、これは逆を反せば二人に着目し正反対の性格、生き方をしている二人がどう惹かれ合っていくかに注目せよというメッセージとも捉えられる。時代背景はあくまでその時代に生まれたという不遇であり、純粋な恋愛映画として鑑賞すべき映画である。 だが、そう考えると大人であるキャロルの考えや行動に入り込めず描き方に疑問が残る。特にテレーズと比較すると本物の恋愛を発見した人間に対して弄んでいるような言動が多い。原作は作者が実際に体験したことを基にしているだけあり、この二人は派手に脚色されているようには見受けられないが、やはり描写と構成が単調すぎるのが問題点なのではないだろうか。 それでも本作が評価されているのには主役の二人、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの熱演なしでは高評価を得られていないだろう。高身長で大人の美貌を兼ね備えたケイトと端整な顔立ちと歳を感じさせない可憐な一面を持ち合わせるマーラ。この二人の特徴は本作で顕著に表れており、二人きりでの会話や誰かを交えた3人以上での会話でもテレーズとキャロルの性格を尊重しながら俳優としての個性もちゃんと活かしている。 特に二人のベッドシーンは圧巻の一言。二人の俳優としての経験値には圧倒的な差があるもののそれを感じさせず、むしろ差がある二人だが世界中から認められいる二人が共演したからこそ成せる美の結晶ともいうべきシーンであろう。華奢な体を上手く利用したマーラと背中からの強張った筋肉から女性とは感じさせないオーラを放つケイトのベッドシーンは「美女と野獣」ならぬ「美女と美獣」とも言うべきか。

  • 鑑賞日

    抑制された映像スタイルをも含めて「エデンより彼方に」の姉妹篇のようだが、豊饒な色彩は「エデン」よりも苛烈なくすみを帯び、キャサリンとオードリーの両ヘプバーンにも似た女ふたりは、埃っぽい幹線道路に車を走らせて因習から逃走する。それは、「男の付属物」として生きることしか女には許されなかった時代に、自分の欲するものを得ようとする、いや、自分の欲するものが何であるかを探ろうとする旅だ。D・リーンの「逢びき」かと思わせておいて、結末には感動的なひねりが。

  • 鑑賞日

    天が許し給うただ一つ

    はじめてキャロルを見つけたテレーズの、その視線ひとつで物語を確信する。キャロルを覗き見るテレーズの視線に宿るのは、憧れの曖昧な感情である。自分ではメニューも決められない少女の視線には、キャロルが持つ人間としての美しさに対する憧れが宿り、次第にその存在と交わりたいという衝動を持ち始める。 一方キャロルの視線は確固としており、その目には誘いの色さえ見える。それ故二人の関係は対等ではなく、はじめテレーズの視線はキャロルを覗き見るばかりだ。しかし同性愛という、犯罪的ですらあった愛は視線の交流と電話という細い繋がりによって成長し、密室によって育まれ、あるとき遂に鏡と俯瞰のショットにより、我々にもわかる形で結びつく。いかにも普遍的な恋愛ドラマは、視線という、映画にとって不可思議な領域において完成する。 しかしこの恋愛ドラマが少し異質なのは、この視線と密室という領域で成立する、という部分であって、これは既に書いたように犯罪的とすらいえる関係ゆえの成立なのだが、どこかまさに犯罪映画的な雰囲気すら漂わせているのである。それが顕著なのは車でシカゴへと向かう、あの解放的で快感を伴う旅行。あの旅行はまるで自分たちを追うものからの反抗的逃避行ではないか。 何が彼女らを追うというのか。それは抑圧であろう。彼女らは恋愛の為だけではなく、抑圧を振り払い、自分という存在のために逃避する。劇中の台詞にもあるが、常に誰かの付属品としてしか存在せず、女性を個として認めない男達の社会において、テレーズもキャロルも、そこではモノ化している。秘かな逢瀬は、犯罪者たちのロマンスのように、逃げ場を求めているかのようだ。あの車の旅行が美しいのは、追いつかれることがわかっている共犯者たちの、逃走への願望を匂わせているからではないのか。 視線が二人を繋ぎ、翳し重なり合う手が決して画面からは伝わらないはずの温もりをもたらす。逃避も幻想も捨てた二人は最後、対等の視線によって相手を見つめる。瞳に宿るのは幸でも不幸でもなく、ただ見つめたいという想いなのである。

  • 鑑賞日 2016/3/6

    キャロル大人すぎ

    1952年のニューヨーク。デパートのおもちゃ売り場で働くテレーズ(ルーニー・マーラ)は、娘へのクリスマスプレゼントを買いに来たキャロル(ケイト・ブランシェット)と出会う。手袋をお店に忘れていったことから2人の付き合いが始まっていくが...「太陽がいっぱい」のパトリシア・ハイスミス原作、トッド・ヘインズ監督。 いきなりですが、クライマックスの調停のシーンでは涙が滂沱のように流れて仕方なかったです(T△T)それまでもそれからもそれなりに感情的になるシーンはあったけれども、娘への思いが静かに爆発するシーンはリアリティも重みも思いもひしひしと伝わってきました。もう、声を出さずに泣くのが大変でした。 とてもキュートで若くて美しいテレーズ。 とても大人で優雅で美しく謎めいたキャロル。 主演2人の魅力が満載でした☆彡 ラストシーンはもう、ストップモーションのようにじっくり進み心にジリジリ染み込んでくる思いがたっぷり溢れてくる、でも緊張感もある絵でしたv(。・・。) ケイト・ブランシェットがアカデミー主演女優賞を取れなかったのが不思議なくらいな素晴らしい演技でした。そして1950年代のニューヨークの風景はとても懐かしさを感じる雰囲気で、キャロルの纏う赤、鮮やかな口紅、香るような香水がとても印象に残る。