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COLUMN/コラム2024.03.01
マックィーンvsニューマン『タワーリング・インフェルノ』=“そびえ立つ地獄”の頂に立ったのは!?
1975年=昭和50年。日本に於いてこの年は、現在60歳前後となっている私のような世代の映画ファンにとっては、特別な意味を持つ。 夏に超高層ビルの火災を描いた、『タワーリング・インフェルノ』(1974)、冬には人食い鮫の恐怖を描いた、『ジョーズ』(75)。いずれも本国よりは半年ほど遅れて公開されたアメリカ映画が特大ヒットとなり、“パニック映画”ブームが最高潮に達した。それと同時に、“超大作”が全国数百館のスクリーンを占めて一斉公開される、“ブロックバスター”の時代が、本格化していく。 我々の世代の多くは、リアルタイムでこれらの作品に魅せられたのがきっかけで、“映画少年”になった。人生の羅針盤が、ここで狂った者が少なくない…。 本作『タワーリング・インフェルノ』の企画の発端は、ハリウッド2大メジャーの“競合”からだった。ワーナー・ブラザースが「ザ・タワー」、20世紀フォックスが「グラス・インフェルノ(ガラスの地獄)」という、それぞれ超高層ビルの火災を描いた小説の原作権を、30~40万㌦もの大金を投じて、買い入れたのである。 2つの小説は、ビル火災発生の状況設定など類似点が多かった。そこで両メジャーの橋渡しに登場したのが、アーウィン・アレン(1916~91)。 アレンは、コロムビア大学でジャーナリズム学・広告学を専攻後、雑誌の編集、ラジオ番組の製作、コラムニスト、出版のエージェントなどを経て、映像業界へ。60年代にはプロデューサーとして、「宇宙家族ロビンソン」「タイム・トンネル」「巨人の惑星」などのSFドラマを手掛け、TVのヒットメーカーとなった。 映画界にその名を轟かせたのは、1972年に公開された、『ポセイドン・アドベンチャー』。大津波によって転覆した豪華客船からの決死の脱出劇を描いたこの作品は、世界中で大ヒットとなり、“パニック映画”ブームの先駆けとなった。 そのアレンが、ワーナーとフォックスに、無駄な競作を避け、両原作の良いところ取りをしたストーリーを組み立てて、共同製作をする話を提案したわけである。両社は73年10月に合意に達し、このプロジェクトに、合わせて1,400万㌦の巨費を投じることを決めた。 アレンは、『ポセイドン・アドベンチャー』で大成功を収めた方法論を以て、本作の製作に取り掛かる。~キャストには有名スターをズラリと揃え、彼ら彼女らを災害の渦中に放り込む~~特殊効果を駆使して、大勢のエキストラが命を落としていく中で、スターたちも次々と犠牲になる~~最終的に、スターの何人かが生還を果す~ 74年春、キャストが固まった。2大メジャーが手を組んだ以上のニュースとなったのが、2大スターの共演。それは、スティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンという組合せだった。 脇を固めるのも、ウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、フレッド・アステア、リチャード・チェンバレン、ジェニファー・ジョーンズ、シェリー・ウィンタース、ロバート・ヴォーン、ロバート・ワグナーといった、新旧取り合わせて豪華な面々。その一翼には、アメフトのスーパースターで、後に元妻殺しで“時の人”となってしまう、O・J・シンプソンも加わっていた。 これらのオールスターキャストが、いわゆる“グランドホテル形式”で、災害の中で様々な人間模様を繰り広げていくわけだが、何と言っても、耳目を浚ったのは、マックィーンとニューマン!当時としては、これ以上にない、ビッグなカップリングであった。 そして本作『タワーリング・インフェルノ』は、74年5月にクランク・イン。70日間の撮影へと突入した。 ***** サンフランシスコに、地上520㍍の偉容を誇る、138階建ての超高層ビル「グラスタワー」が完成。最上階のプロムナードルームには、上院議員や市長などのVIPをはじめとした300名を集め、落成記念パーティが開かれることとなった。「タワー」の設計者ダグ(演:ポール・ニューマン)は、これを機に施工会社を退職することを決意。婚約者のスーザン(演:フェイ・ダナウェイ)と、砂漠へと移り住む計画だった。 しかし電気系統の異常が起こったことから、ダグは自分が指定した仕様より安上がりな材料を使った、大規模な手抜き工事が行われていることを知る。ダグは施工会社の社長で、ビルのオーナーでもあるダンカン(演:ウィリアム・ホールデン)に、「タワー」オープンの延期を迫るが、相手にされない。 危惧は的中し、81階の配電盤のショートから出火。火は、徐々に燃え広がっていった。 オハラハン(演:スティーヴ・マックィーン)をチーフとする消防隊が出動する。火災の状況を見た彼は、ダンカンを半ば脅すように説得。最上階から賓客たちを、1階へと下ろすことを承知させた。 ようやく避難が始まる中で、それを嘲笑うように火の手は広がっていく。消防隊員を含めて犠牲者が増えていく中で、オハラハンとダグたちは、一人でも多くの命を救おうと、粉骨砕身の働きをするが…。 ***** 2つの小説からエキスを抽出して、1本のシナリオにしたのは、スターリング・シリファント。『夜の大捜査線』(67)でアカデミー賞脚色賞を受賞している彼は、『ポセイドン・アドベンチャー』で、ポール・ギャリコの原作をベースに、オールスターキャストによる、“パニック映画”の鋳型を作り上げた実績を買われての、起用である。 本作では、原作に書かれた、登場人物たちの絡みは極力簡略化。救助活動が行われている最中に、トラブルが起きて、その方法がダメになる。そこで新たな救助のやり方を見つけ出すが、まだダメになる。更に次の方法を見つけて…といった形で、アクションを伴ったハラハラドキドキの展開を、積み上げた。 監督に選ばれたのは、ジョン・ギラーミン。『ブルー・マックス』(66)『レマゲン鉄橋』(69)などの戦争映画で評価されていた。 と言っても本作は、4つのグループが同時にカメラを回すという、製作体制。ギラーミンは主に、ドラマ部分を担当。アクションパートを、プロデューサーのアーウィン・アレンが監督した他に、特殊効果班、空中シーン班が稼働した。 ミニチュアやセットなどを担当したのは、『ポセイドン・アドベンチャー』のスタッフ。ミニチュアと言っても、138階/520㍍の「グラスタワー」の模型は、33㍍の高さに及んだ。「タワー」が、サンフランシスコ市街の上方高くそびえ立っているように見せるためには、マットペインティングの特殊技術が併用されたという。 ロサンゼルスの20世紀フォックスのスタジオに在る、8つのサウンドステージには、57という記録的な数のセットが組まれた。その中には、宙づりになった展望エレベーターをヘリコプターで吊るシーンを撮るために作られた、4階分の高さの建物のセットなどもある。 CGなどない時代の、大火災の映画である。セットを実際に燃やしながら撮影しても、俳優の演技が良くない時がある。そうした場合のため、セットは1度火を付けても、後でまた使えるように、特殊建材を使った耐火仕様。NGが出ると、スタッフがすぐさま、壁を直してペンキを塗り替え、カーペットや家具、カーテンなどを新品に交換して、撮影が続けられた。 30万㌦を投じ、全長100㍍、1万1,000平方㍍に及ぶ最大級のセットが作られたのは、落成パーティの場となる、最上階のプロムナードルーム。クライマックスシーンの撮影のため、鉄柵で5㍍もある支柱を組み、その上にセットを組み立てた。4,000㍑もの水を一気に流した際に、スムースになだれ落ちる構造となっている。ネタバレになるが、このような作りにしないと、映画の内容と同じく、キャストが溺死する危険性があったという。 こうしたセットの中で、3,000人ものエキストラが右往左往。25名のスタントマンが、高層ビルの窓をぶち破って飛び降りたり、エレベーターのシャフトや階段の吹き抜けに転落したり、不燃性のボディスーツを着込んで火だるまになったりしたのである。 そんな大プロジェクトの頂点に居たのが、スティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンだった。 マックィーンは1930年生まれ、ニューマンは4歳年長の26年生まれで、本作の頃は共に40代。アクターズ・スタジオ出身の2人は、TVやブロードウェイを経て、ハリウッド入り。60年代から70年代に掛けて、TOPの座を競い合ってきた。 とはいえ、「犬猿の仲」というわけではない。スピード狂でカーレーサーでもあるという共通の嗜好があり、また映画製作の場でスターが発言権を強めるためのプロダクション「ファースト・アーティスツ」の同志でもあった。 だが2人がそのキャリアを通じて、ライバル心を抱き合ってきたのも、紛れもない事実。特にマックィーンがニューマンに対して抱いてきた感情は、強烈なものだったと言われる。 ポール・ニューマンの出世作となったのは、実在のプロボクサーに扮した、『傷だらけの栄光』(57)。実はこの作品に、マックィーンも、出演している。 と言っても、日給19㌦で雇われた、エキストラに毛が生えた程度の役どころで、その名はクレジットもされていない。監督のロバート・ワイズ曰く、まだ無名の存在だったマックィーンの「精一杯の生意気な態度」が目を惹いたので、「ニューヨークの屋上の乱闘の場面での“小僧”の役」に付けたのである。 因みにワイズはこの9年後に、人気スターとなったマックィーンの主演作『砲艦サンパブロ』(66)を監督。時の流れを痛感したという。 ニューマンとマックィーンの次なる因縁は、『明日に向って撃て!』(69)。ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドという、19世紀末の西部に実在した2人組のアウトローを主役とするこの作品では、ニューマンの出演が早々に決定。その後共演者の候補として、マーロン・ブランドやウォーレン・ベアティ、マックィーンの名が挙がった。中でもニューマンが、特に共演を切望したのが、マックィーンだった。 実はニューマンとマックィーンのエージェントは、同一人物。そのエージェント、フレディ・フィールズは2人の共演を実現するために奔走するも、最終的に不調に終わる。マックィーンが自分の名を、ニューマンより先にクレジットすることにこだわったためだったと言われる。 結果的にマックィーンがやる筈だったサンダンス・キッド役には、ロバート・レッドフォードが抜擢され、作品の大ヒットと共に、一躍スターダムに。ニューマンとレッドフォードは、生涯を通じての親友ともなった。 因みに『明日に向って撃て!』が公開された翌70年、カリフォルニアのスピードウェイで、ニューマンとマックィーンの2人が、レースを見て楽しむ姿が、地元の9歳の少年に目撃されている。少年曰く、ニューマンがマックィーンに、『明日に向って撃て!』に出なかったことをくどくどと言及すると、マックィーンは「あんたはそれをもう一度俺に演らせる気は無いだろう!」と反論。そのやり取りの後、2人は突然少年の方を見て、ニヤリと笑ったという…。 さて『明日に向って撃て!』から5年経って、ようやく実現した、本作での本格的な共演。この作品へのコメントを見ると、ニューマンは、結構割り切って出演している感が強い。曰く、「この映画の本当の主役は火災だ」「この種の映画としてはいいできだった。できる限り素早くスター達を避難させ、スタントマンをつぎこんでね」 それに対してマックィーンのスタンスは、ちょっと違っていた。「最初シナリオを読んだ時は建築技師の役がいいと思ったけれど、途中で気が変わってね」 マックィーンが気に入ったのは、消防隊チーフのオハラハン。彼はずっと伸ばしていたお気に入りのヒゲを、役のために剃り落とした。そして、マックィーンが演じることで、元々はTOPから4番目だったオハラハンの役どころは、膨らんでいく。 本作の技術顧問である、本物の消防隊長とマックィーンの打合せ中に、近隣の映画スタジオで、本物の火災が発生した。参考になるからと、現場へと向かう消防隊長に同行。実地見学に赴いた際、ヘルメットと消防服を身に纏って、マックィーンは、放水を手伝ったという。 監督のギラーミンは、マックィーンから、自分が被るヘルメットが、イギリスの警官のように見えるので、どうにかして欲しいと言われ、困惑したことがあった。偶然にも撮影が始まる前夜、ギラーミンが食事に出掛けた先で、古風な消防士用のヘルメットを見つけたので持ち帰り、マックィーンに試着させた。すると気に入ってくれたので、ホッと胸を撫で下ろすという一幕もあった。 脚本に関しても、一悶着あった。マックィーンが自分のセリフの数をカウントして、ニューマンより12個も少ないことを発見。プロデューサーに電話して、セリフを増やすことを要求してきたのである。 そのため、休暇で海に出ていた脚本家のシリファントは、突然陸へと呼び戻された。彼はマックィーンの要求通り、セリフを12個増やしたという。 そして再び、ニューマンとマックィーンの共通のエージェント、フレディ・フィールズの出番が、やって来る。彼がプロデューサーのアレンと論議になったのは、ポスターなどで、2人の大スターの名前の配列を、どうするのか!? 最終的にまとまったのは、TOPにはマックィーンの名を置くということ。但し、その右側にクレジットされるニューマンの名は、マックィーンよりも高い位置に置いて、同格の主演であることを表す。 ともあれマックィーンは、ニューマンよりも先にクレジットされるという、長年の宿願を果した形になった。 2人は出演料100万㌦に加えて、総収益の7.5%の歩合という、まったく同じ条件で本作に出演。最終的には、1,000万㌦程度を手にしたという。しかしマックィーンにとって本作は、その大金以上に価値のあるものを手にした作品と言えるかも知れない。 因みに本作には、若い消防士役でニューマンの長男である、スコット・ニューマンが出演。マックィーンとの共演シーンもある。当初マックィーンは、ライバルの息子の面倒を見ることを嫌がったが、途中からスコットのことを気に入り、彼のセリフを増やすことまでOKした。その背景にも、こんな事情があったからかも知れない。 本作『タワーリング・インフェルノ』は、『ポセイドン・アドベンチャー』以上の大ヒットとなり、アーウィン・アレンは、「パニック映画の巨匠」と呼ばれる存在となった。また監督のジョン・ギラーミンも、『キングコング』(76)や『ナイル殺人事件』(78)など、大作を任される監督として、暫し君臨する。 しかしながらこの2人のキャリアのピークは、やはり本作であったと言えるだろう。アレンはその後、自ら監督まで手掛けた『スウォーム』(78)『ポセイドン・アドベンチャー2』(79)が連続して、大コケ。それならばと製作に専念し、ポール・ニューマンやウィリアム・ホールデンを再び招いた『世界崩壊の序曲』(80)で、キャリアのトドメを刺される。ギラーミンも80年代に入ると、低予算のB級作品やTVムービーの監督へと堕していく。 そしてまた、マックィーンのキャリアも、結果的にここがピークとなってしまった。本作に続いては、ヘンリック・イプセンの戯曲を映画化した『民衆の敵』(76)の製作・主演を務めたが、アメリカ本国ではまともに公開されないという結果に終わる(日本では83年までお蔵入り)。 その後『未知との遭遇』(77)や『恐怖の報酬』(77)『地獄の黙示録』(79)等々、様々なオファーが舞い込むも、すべて拒否。彼の雄姿は、名画座やTV放送などの旧作でしか見られなくなった。 待望の新作が公開されたのは、80年。西部劇の『トム・ホーン』、そして現代の賞金稼ぎを演じた『ハンター』が、相次いで公開された。ところがこの年の11月、彼はガンのために、50歳の若さで、この世を去ってしまったのだ。 ニューマンは60を過ぎて、『ハスラー2』(86)で、待望のアカデミー賞を受賞する。マックィーンは生涯手にすることがなかったオスカー像を、遂に手にしたのだ。 そしてニューマンは、70代までは第一線で活躍。2008年に、83歳でこの世を去った。 そんなことも考え合わせながら、1974年当時は未曾有の超大作だった本作を観るのも、長年の映画ファンとして、また感慨深かったりする。■ 『タワーリング・インフェルノ』© 1974 Warner Bros. Ent. All rights reserved. © 2023 Warner Bros. Ent. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2016.11.03
【DVDは通常版が受注生産のみ】今こそくつがえせ、オールスターパニック超大作の不評を!!ー「エクステンデッド版」が引き出す『スウォーム』の真価 ー
そうした状況下で『ポセイドン・アドベンチャー』(69)や『タワーリング・インフェルノ』(74)といった、オールスターキャストによるディザスター(大災害)を描いた大作が観客の支持を得たのだ。これらを製作した同ジャンルの担い手が、名プロデューサーとしてテレビや映画の一時代を築いてきたアーウィン・アレンである。『スウォーム』はそんなアレンが満を持して送り出した、殺人蜂が人間を襲う昆虫パニック超大作だ。 蜂を敵役にした昆虫パニック映画には、『デューン/砂の惑星』(84)や『グローリー』(89)の撮影監督としても名高いフレディ・フランシスが手がけた『恐怖の昆虫殺人』(67)や、ニューオーリンズから飛来した殺人蜂が人々を襲う『キラー・ビー』(76)などの先行作品がある。しかし『スウォーム』は、そういった諸作とは大きく一線を画す。1974年、アーサー・ハーツォグによる同名原作が出版された直後に映像化権が取得され、早々と映画化が検討されてきた。 時おりしも『タワーリング・インフェルノ』でアレンのプロデュース作品に弾みがついた時期で、同作に引き続いて名匠ジョン・ギラーミンが監督をする予定となっていた。しかしギラーミンは『キングコング』(76)や『ナイル殺人事件』(78)といった大型企画に関与しており、プロジェクトからやむなく離脱。また、空を覆い尽くす蜂の大群を視覚化するのに、これまでにない特殊効果撮影の必要性を覚え、長期における企画の熟考がなされてきたのである。最終的には『タワーリング~』でアクション演出の手腕をふるったアレン自らが監督として、作品の指揮を執ることになったのだ。ヒットを連発する敏腕プロデューサー直々の演出に、作品に対する期待は否応なく膨らんでいったのである。 また企画が練られている間に、好機も巡ってきた。人食いザメの恐怖を描いたスティーブン・スピルバーグの出世作『ジョーズ』(75)が映画界を席巻し、世に動物パニック映画のブームが訪れたのだ。このムーブメントと、アレン自らが築いたパニック大作ブームの追い風に乗り『スウォーム』は当時の最大数となる全米1400館の劇場で一斉公開されたのだ。 ■ハチを敵役にした背景 そもそも、なぜ蜂が恐怖の対象として本作に用いられたのか? 1957年、ブラジルで蜂蜜の生産向上を目的とした、アフリカミツバチとセイヨウミツバチとの交配種が生み出された。ところが本来の目的に反し、このミツバチが狂暴種となって群れをなし、ブラジル各地で猛威をふるう存在となってしまった。それが60年代に入ってから徐々に生息範囲を広げ「やがて北米に侵入してくるのでは」という懸念が、当時のアメリカ社会に蔓延していたのである。 ハーツォグの原作小説「スウォーム」は、こうした事実をヒントに執筆された秀逸なSF作品だ。スタイルとしては、1969年にマイケル・クライトンが「アンドロメダ病原体」で実践した「具体的な社会事例と科学理論を織り交ぜたセミドキュメンタリータッチ」を踏襲しており、作品はリアリティあふれるハード科学フィクションの様相を呈している。各地で起こった蜂による被害報告をはじめとし、事態はやがて全米における変異殺人蜂の猛襲へと移行していき、最終的には科学者たちが遺伝子操作で蜂を自滅へと追いやっていく。その一部始終が、あたかも現実の出来事のように描かれている。 しかしアレンの映画版は、そんな原作から「殺人蜂の群れが人間を襲う」というスペクタクル成分のみを抽出し、自身のプロデュース映画の方法論にのっとった脚色を施している。結果、これまでの動物パニック映画のような低予算スリラーではなく、巨額の製作費で、ド派手な見せ場に重点を置いた「オールスターパニック超大作」として成立することとなる。 ■『スウォーム エクステンデッド版』とは? 『スウォーム』の劇場公開時のランニングタイム(上映時間)は116分。同タイプの作品にしてはコンパクトな印象を受けるが、これは当時、アメリカ映画の斜陽によって、お金をかけた大作であってもラニングタイムを極力短くし、上映回数を増やそうとした動向によるものである。そのため、本編中の展開やキャラクターの行動に未消化な部分が生じ、作品の評価を貶める結果を招いてしまう。そのことは興行にも影響することとなり、『スウォーム』は2100万ドルの製作費に対して1000万ドルしか収益を得ることができず、パニック大作のムーブメントに自ら引導を渡してしまったのだ。 そんな『スウォーム』を、本来あるべき正しい形にしたものが、この「エクステンデッド版」だ。ランニングタイムは156分。1992年12月に、アメリカでLD(レーザーディスク)ソフトとして発売されたのが初出となった(日本未発売)。 当時の米国LDソフト市場は既発売のタイトルを、オリジナルの画角、あるいはデジタルリマスタリングによる高画質化のうえで再リリースするという流れにあった。『スウォーム』もその流れを汲むタイトルとして、ワイドスクリーン収録、デジタルリマスター化に加え、劇場公開時よりも40分長いバージョンが発売されたのだ。また前年(1991年)にはアーウィン・アレンが亡くなったことから、リリースには氏を偲ぶ意図も含まれている。 ただアレンの死後ということで、はたして誰の監修による「エクステンデッド版」ということが取り沙汰されるだろう。しかし、こうした拡張バージョンは作品の劇場公開とは別に、テレビ放送用に作成されるケースが多かった。例えば1977年、米NBCネットワークが『ゴッドファーザー』(72)ならびに『ゴッドファーザーPARTII』(74)を時系列に組み替え、未公開シーンを挿入して7時間半に拡張した『ゴッドファーザー/コンプリート・エピック・フォー・テレビジョン』を放映した。それを筆頭に『キングコング』『パニック・イン・スタジアム』(76)さらには『スーパーマン』(78)などの作品が、テレビ放映時にはランニングタイムの長いバージョンでオンエアされている。テレビ局側にとっても、視聴率を稼ぎ、また放映時のコマーシャル単価を上げるためにも、未公開シーンを挿入した別バージョンは大きな効力となった。ことに『スウォーム』の場合、劇場での興行成績が振るわなかったことから、副次収益を得るために、こうした拡大バージョンの準備が整えられていたのである。 『スウォーム エクステンデッド版』は、登場する個々のキャラクターたちが各自なんらかの接点を持ち、緊密な関係を結んでいるのが特徴だ。また、それらの登場人物を介して場所や視点の移動がスムーズにおこなわれるなど、演出や編集において細かな配慮がなされている。ところが「劇場公開版」では、それがことごとくカットされ、全体の繋がりが著しく悪くなってしまっている。殺人蜂の襲撃を受けるメアリーズビルの町長や学校長なども、それぞれが役割に応じて未曾有の危機に対処すべく存在するのに、同バージョンでは彼らがただパニックに巻き込まれるだけの「悲惨な人」にすぎない。 なによりも「劇場公開版」では、殺人蜂の発生の詳細や、人を死に至らしめる個体の特性が明らかにされないままストーリーが進むという、説明不足な欠点があった。しかし「エクステンデッド版」では、蜂が仲間を増やしながら潜伏していた事実や、連中がプラスティックを噛み砕く強靭な顎を持ち、そのプラスティックを巣作りの材料に用いるといった特異性にもキチンと言及しており、対象となる殺人蜂がいかに脅威的な存在であるかを明示している。 また、恐ろしい変異種が主要キャラクターを襲い、無差別に犠牲者を生み出すという緊張感も「劇場公開版」は台無しにしている。特に両親を蜂に殺され、その仇を討とうと巣に火を放ったポール少年(クリスチャン・ジットナー)は、自らも毒によって非業の死を遂げる。そんな、子どもであろうと容赦しない描写も「劇場公開版」では削除され、立ち位置も曖昧なままに彼は映画から姿を消してしまう。クレーン(マイケル・ケイン)が自らを犠牲にして解毒剤を作ったクリム博士(ヘンリー・フォンダ)の死に接し、ハチとの戦いに勝とうと誓う象徴的な名シーンも削除され、また1838年のチェロキー族インディアンの強制移送に喩えられた、悲壮ともいえる列車での国民避難も「劇場公開版」では単に脱線事故を作り出す以上の意味を成すことはない。 こういった諸々の重要シーンを40分も削ぎ落としたのでは、評価に影響が及ぶのも仕方がないというものだ。 『スウォーム』が製作されて、およそ38年の歳月が経つ。現在ならば本作のような映画も、CGIによって途方もない蜂の群れを再現できるだろうし、先に挙げた「アンドロメダ病原体」が『アンドロメダ…』(71)になったような、原作のまま硬質に映画化するアプローチも考えられるだろう。事実、本作のリメイクの話は、これまでに何度となく浮上しては姿を消している。 しかし時代の趨勢によって、映画のありようが大きく変わってからでないと、古典の持つ価値を計ることができない場合もある。総数2200万匹(広報発表)といわれる本物の蜂を使って撮影に挑み、あるいは街のセットを豪快に燃やしてディザスター描写を作り上げた、そんな本物ならではの迫真に満ちた映画体験は、今ではなかなか得難いものだ。 不完全な形での劇場公開によって、必要以上の悪評をこうむってしまった『スウォーム』。「エクステンデッド版」の存在は、この不遇に満ちたオールスターパニック超大作の立場を一転させ、同作の真価を引き出してくれるのである。キーの叩きに乗じて持ち上げすぎた感もあるが、少年時代、本作に何回も接し、貴重な時間を割いた者として、その心情に嘘偽りはない。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.