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COLUMN/コラム2024.03.13
オリジンに固執しないギリアム流ディストピア『12モンキーズ』
◆戦う監督テリー・ギリアム 1995年に公開された映画『12モンキーズ』は、ブルース・ウィリス演じる主人公が過去に時間移動し、ウイルスによる人類滅亡の起因となるバイオテロを未然に防ごうとするタイムSFだ。印象的なタイトルは動物愛護団体を隠れ蓑にするテロ組織の呼称で、監督はアニメーション作家から劇映画監督へと転身し、『バンデットQ』(1981)『未来世紀ブラジル』(1985)そして『バロン』(1988)などを手がけてきた鬼才テリー・ギリアムが担当。想像力豊かな主人公による体制との格闘をテーマとし、「夢」と「現実」の舞台を行き交うファンタジーを展開してきたギリアムには、まさにうってつけの題材といえる。 だがギリアムは作品そのものの魅力にとどまらず、公開をめぐる映画会社との闘争が、彼を語るうえで欠かせない要素となってきた。『未来世紀ブラジル』は上映時間の長さとブラックな幕切れに対し、配給元であるMCA=ユニバーサルの社長シド・シャインバーグが難色を示して再編集を要求。対してギリアムは上映時間の短縮にこそ応じたものの、結末をハッピーエンドにすることには首を縦に振らず、どちらも引かず譲らずの徹底抗戦が続いた。結局ギリアムが結末を変えずに全米一般公開を勝ち得たが、この一件によって彼は「戦う映画監督」というイメージを強固なものにしていく。 そして続く『バロン』も、ミュンヒハウゼン男爵の奇異極まる冒険の数々を描いた小説「ほら吹き男爵の冒険」を壮大なスケールと巨額の予算で実写化したが、チネチッタ(ローマの映画スタジオ)で撮影したことから従来とは異なる混乱が生じ、衣装や小道具の調達、セットの建設が遅れるなどのトラブルに見舞われた。製作費は増大し、たび重なる撮影の遅れによってつど撮影中止が検討された。こうした諸問題にギリアムは消耗戦を強いられたが、自分のイメージを具現化させることに全力を注ぎ、あたかも夢想で障害を乗り越えるバロンのように完成へとこぎつけたのである。 これら『未来世紀ブラジル』『バロン』における闘争は、ギリアムをハリウッドの完成保証人がブラックリストに載せるに充分なものだった。そのため彼は職人に徹し、真っ当な企画を手がけることで信頼回復を図ったのである。それが1991年に発表した『フィッシャー・キング』で、ホームレスと堕ちたDJスターとの奇妙な友情に迫る本作は、他者の脚本によるスター俳優主導型の現代劇であり、これまでのギリアム作品の創作基準からは大きく外れるものだった。しかし主人公を苛む魔物の幻覚や、群衆の動きがピタッと止まったユニオン駅でのダンスシーンなど、ファンタジックなイメージを忍ばせてギリアムらしさを堅持し、作品は好評を獲得した。そしてなにより、アメリカでの興行収入4,200万ドルを記録し、ギリアムに『12モンキーズ』への展開を与えたのだ。 ◆『ラ・ジュテ』とのドライな関係性 『12モンキーズ』もまた、他人の脚本によるスター俳優主導型の作品だが、その発生はユニークを極める。本作の脚本にはベースとなる既存作が存在し、オリジンは1969年に発表された『ラ・ジュテ』というフランスの中編映画で、ワンシーンを除く全編をモノクロのフォトモンタージュで構成した実験的な古典である。その独自性と完成度は作家のJ.G.バラードをして「独自の慣例をゼロから創造し、SFが必ず失敗するところを、この映画は意気揚々と成功する」と高く評価している。 舞台は第三次世界大戦による地表汚染によって、生存者が地下室で生きるパリ。地下収容所に囚われている主人公は、過去と未来に救いを求め、食料やエネルギー源を輸送できる時間のルートを確立する計画の実験台となる。選ばれた理由は、過去に鮮明なイメージを持っていること。彼は子どもの頃、両親と一緒に訪れたオルリ空港で男の死を目撃するという、鮮烈なイメージを抱いていたのだ。 時間移動による人類滅亡の回避と、その結果あきらかとなる主人公の鮮烈な過去イメージの正体など、『12モンキーズ』はプロットにおいて『ラ・ジュテ』を換骨奪胎させている。起点は同作に心酔する製作総指揮のロバート・コスバーグが、監督であるクリス・マルケルを説得し、ユニバーサルに権利を買わせて長編作品へとアダプトしたのだ。当初はマルケルも関わっていたが、乗り気でなかったことから企画の初期段階で降りている。しかし脚本を担当したデイヴィッド&ジャネット・ピープルズの手腕もあって、完成した『12モンキーズ』は『ラ・ジュテ』の良質なエッセンスに満ち、原点に対するリスペクトを具に感じることができるものとなった。 しかしギリアムはこの『ラ・ジュテ』を撮影時に観てはおらず、自身の作家性をまたぎ、批評家からオリジナルに言及されることに困惑したという。ただ同作を構成したフォトスチールをプリントし、ナレーションテキストを採録した写真集“La Jetee : ciné-roman“は目にしていた。そこでギリアムは、あえて似たようなイメージを回避し、『ラ・ジュテ』の成分はあくまでデイヴィッドとジャネットがオリジンより抽出したものと割り切り、自身は意識的に同作との差別化を図っている。 筆者(尾崎)はこれまでに2度、ギリアムにインタビューしたことがあるが、コンピュータに支配された世界で、複雑なゼロ定理解析を強いられるプログラマーの悲劇を描いた『ゼロの未来』(13)の取材では、「どうせお前らは本作を『未来世紀ブラジル』と比較するつもりだったんだろ? だからあえて違うものを撮ったんだ。私がやっている作品は、どれも総じて自分が見えている世界を、ひたすら歪めて表現しているんだよ」 と、既存のイメージに縛られることを嫌い、それを強調する姿勢を示していた。笑いの絶えないインタビューだったが、ささやかながらも筆者はそこに「戦う映画監督」の気性を垣間見たのである。このことからもギリアムは『12モンキーズ』が己れのイマジネーションを飛び超え『ラ・ジュテ』に誘引されることを好まなかったのは容易に想像できる。たとえそれが雇われ仕事であっても、自身の持つアート性を封じたくはなかったのだろう。 ちなみにギリアムが『ラ・ジュテ』に接したのは、『12モンキーズ』製作後のパリでのプレミアで併映されたものだったという。作品自体は素直に称賛しており、編集の技と、博物館の剥製が次々と映し出されるイメージが傑出していると答えている。 テリー・ギリアムが『12モンキーズ』撮影以前に読んだとされる『ラ・ジュテ』のフォトブック“La Jetée : ciné-roman“。映画本編のショットとは仕様テイクや配置が一部異なっており、本書は今でも独立した価値を持つ。(筆者所有) ◆ギリアムとブルース・ウィリス ところで今回のザ・シネマにおける『12モンキーズ』の放送は、俳優ブルース・ウィリスの特集に連動したものだ。そこでおあつらえ向きに、テリー・ギリアムが彼についての称賛を2015年に出版した自伝“Gilliamesque: A Pre-posthumous Memoir”(日本未刊行)の文中にて触れているので採り上げたい。ウィリスの起用は彼がギリアムと仕事をしたがっていたことに端を発するが、ギリアムはギリアムで『ダイ・ハード』(1990)で彼が演じるマクレーン刑事が、妻に電話をしながら足の裏に刺さったガラスを抜く、タフガイが弱さを見せるシーンがお気に入りだったという。それが実際にウィリス会い、彼自身のアイディアによるものだと知ったことで、がぜん自作に出て欲しいとなったのだ。ギリアムはこう綴っている、 「私は“ブルースにはスーパースター性は必要ない”と提唱していた。彼には何も持たずに撮影に来てほしい俳優なのだ。そして『12モンキーズ』では、ジムを備えたトレーラーハウスをセットに持ち込むことで、かろうじてそれに応えてくれた。実際のパフォーマンスに関しては、彼は確かに見事な成果をあげてくれた。そしてコンドームのようなスーツを着させられることに、自身が何らかの抵抗を感じていたとしても、彼はそれを私に決して話すことはなかったんだ」 相変わらず人をおちょくったような書き振りだが、ウィリスが現役を退いた今となっては、ギリアムなりの愛に満ちた称揚が胸に沁みるのである。■ 皮肉と自虐と攻撃性に満ちた内容で、読み手をグイグイと惹きつけるテリー・ギリアムの回想録“Gilliamesque: A Pre-posthumous Memoir”。日本でもこのパンチの効いた装丁のまま、翻訳出版されると嬉しい。(筆者所有) 『12モンキーズ』© 1995 UNIVERSAL CITY STUDIOS, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2023.02.24
1973年の大事件を描いた『ゲティ家の身代金』が、2017年を象徴する映画となった経緯
1973年7月、イタリアのローマで起こった、ある少年の誘拐事件は、遠く離れた日本でも、大きなニュースとなった。当時小学3年生だった私も、鮮明に覚えているほどに。 人々の関心を引いたのは、要求された身代金が、1,700万㌦(約50億円)と桁違いだったから?そして、誘拐された少年の祖父が、資産5億㌦(約1,400億円)を誇る石油王だったから? いやいや、それだけではない。この事件が多くの人々を驚かせたのは、「大金持ち」である祖父の、異常としか言いようがない、振舞いだった。 それから44年。その事件を題材に書かれたノンフィクションを映画化したのが、本作『ゲティ家の身代金』(2017)である。 監督を務めたのは、現代の巨匠の1人、リドリー・スコット。クランクイン時の主なキャストは、ミシェル・ウィリアムズにマーク・ウォールバーグ。そして、ケヴィン・スペイシーという、布陣だった…。 ***** ローマの街角で突然拉致された、16歳のジャン・ポール・ゲティ三世。彼を誘拐した者たちの狙いは、三世の祖父で、フォーチュン誌によって「世界初」の億万長者に認定されたアメリカ人石油王、ジャン・ポール・ゲティの資産だった。 三世の母ゲイルは、今は三世の父=ゲティの息子とは離婚している身であったが、身代金は義父だったゲティに頼る他ない。しかしゲティは、莫大な額の要求を、にべもなくはねつける。「応じれば、他の孫も誘拐の標的になる」 シレッと言ってのけるゲティに対して、ゲイルは呆然とする他なかった。 ゲティはその一方で、自分の下で働く元CIAのチェイスを召喚し、誘拐犯との交渉を指示。彼をゲイルの元へと、向かわせた。 調査によって、三世本人による偽装誘拐の疑いも浮上。そんなこともあって、交渉は遅々として進まない。ゲイルの苛立ちは、日々募っていく。 誘拐犯たちにも、焦りが生じる。このままでは埒が明かないと見た彼らは、他の犯罪グループに、三世の身柄を売り渡す。 美術品に大枚を投じても、身代金の要求には一切応じないゲティに、ゲイルの精神は追い詰められていく。そんな彼女に同情したチェイスは、自分の雇い主であるゲティに、反発心を抱くようになる。 犯罪グループは、ゲティらに揺さぶりを掛けるため、遂に非情な手段に乗り出す。ある日彼らから届いた郵便を開けると、そこには切り落とされた、人間の耳が入っていた…。 ***** 屋敷を訪れた者が電話を掛けたいというと、邸内に設けた公衆電話へと案内し、その料金を負担させる。高級ホテルに宿泊中も、ルームサービスは「高い」と忌避。滞在中の洗濯物は自分で洗って、室内に吊るして乾かす…。 映画の中で描かれる、億万長者とはとても思えないような、こうしたゲティの吝嗇ぶり。そのすべてが事実に基づいたものと聞くと、ただただ驚き呆れてしまう。 当初は1,700万㌦を要求されていた、孫の身代金も、その5分の1以下の320万㌦まで値切る。それでも全額を払うことはなく、支払ったのは所得から控除できる最大限度額の220万㌦まで。身代金を、“節税”に使ったわけである。 その上で足りない額は、誘拐された三世の父である、自分の息子に貸し付ける形を取る。4%の利子を付けて…。 ゲティは生涯で5回結婚し、5人の息子を儲けた。愛人も多数いたというが、こんな男である。まともな愛情表現は望むべくもなく、息子たちをはじめその係累には、不幸な人生を歩んだ者が、少なくない。 一体どうして、こうした人物が出来上がってしまったのか?それだけで1本の映画が作れそうな気もするが、監督のリドリー・スコットの関心は、そこにはあまりない。息子の誘拐犯とだけではなく、このモンスターのような義父と対峙せざるを得なかった、ゲイルの“気丈さ”にこそ、スコットは注目する。 出世作『エイリアン』(79)で、シガニ―・ウィーヴァ―演じるリプリーという、強い女性キャラを生み出した。『テルマ&ルイーズ』(91)では、女性2人を主人公にした「90年代のアメリカン・ニューシネマ」を、世に放っている。本作でのゲイルの描き方は、そんなスコットの、面目躍如と言うべきだろう。 ゲイルを演じたミシェル・ウィリアムズは、スコットの期待によく応えてみせた。それに比すれば、元CIAのエージェントを演じたマーク・ウォールバーグは、些か精彩に欠ける。 さて先に本作に関して、クランクイン時のメインキャストは、ウィリアムズにウォールバーグ。そして、ケヴィン・スペイシーだったことを、記した。しかしご覧になればわかる通り、本作にスペイシーの姿は、影も形もない。 2017年5月にスタートした撮影で、当時50代後半だったスペイシーは、特殊メイクを施して、80代のゲティを演じた。撮影は順調に進み、8月末にはすべて終了。あとは12月末の公開に向けて、仕上げを急ぐだけだった。 ところが10月末に、大問題が発生する。かつてケヴィン・スペイシーが、14歳の子役にセクハラを行っていたことが、報道されたのである。これは氷山の一角で、スペイシーに対してはこの後、多くの男性から同様の告発が行われた。 折からハリウッドでは、プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる、数多の女優、女性スタッフへの長年の性暴力が発覚。「#MeToo運動」に火が点いたタイミングであった。 11月8日、スコットはスペイシーの出演シーンを、すべてカットすることを決断。同時に、作品の完成を延期や中止することなく、12月末の公開を予定通りに行うことも、決めた。 そこでスペイシーの代役として、クリストファー・プラマーを起用。撮り直しを行うこととなった。 再撮影は11月下旬、僅か10日足らずのスケジュールで行われた。ミシェル・ウィリアムズやマーク・ウォールバーグは、1度スペイシーと共に演じたシーンを、プラマーとやり直すこととなった。一部ロケ映像に関しては、セットで撮影したプラマーの演技を、スペイシー版の映像と合成するという処理を行っている。 プラマーは、役作りに掛ける時間はほとんどなく、また先に撮影したスペイシーの演技を参考にすることもなしに、ゲティを演じた。見事にハマったのは、当時88歳の老名優の実力という他ない。さすが、長いキャリアの中でアカデミー賞、エミー賞、トニー賞の演技三冠を受賞している、数少ない俳優の1人である。 付記すれば本作でプラマーは、アカデミー賞の助演男優賞の候補に選ばれた。受賞は逸したものの、演技部門でのノミネートでは、史上最年長の記録となった。 さてこれで本作に関するトラブルは、無事収拾…と思いきや、公開後に更なる火種が燃え上がった。新たに浮上したのは、ハリウッドに於ける「男女格差」である。 再撮影のため、本作には1,000万㌦の追加経費を投入。しかしプラマー以外の俳優は“再撮影”に関しては、「ただ同然」のギャラで協力したと言われていた。 実際にミシェル・ウィリアムズに支払われたのは、1,000㌦以下。しかしマーク・ウォールバーグに関しては、“再撮影”で新たに150万㌦ものギャラが支払われていたことが、2018年の1月になって判明したのである。 1,500倍もの賃金格差が生じたのは、まさに「差別」に相違なく、「#MeToo」の流れにも連なる。契約を盾に高額ギャラを要求したと言われるウォールバーグには、非難が集中した。 結果的にウォールバーグは、150万㌦全額を、「#MeToo」運動の基金に寄付。後に「自分の配慮が足らなかった」と、反省の弁を述べている。『ゲティ家の身代金』は、総製作費5,000万㌦に対し、全世界での売り上げは5,700万㌦ほどに止まった。興行的には「不発」という他ない成績だが、製作者の意図とは無関係なところで、2017年からのハリウッド=アメリカ映画界の流れを、象徴する作品となってしまったのである。 誘拐を奇貨にして、さらわれた孫の親権まで奪おうと企てる、怪物的な男性ゲティに、一歩も退くことなく立ち向かった、勇敢な女性ゲイル。そうした物語の構図が、本作に襲いかかったアクシデントと、期せずしてダブる部分も、大いにあるようには感じるが。■ 『ゲティ家の身代金』© 2017 ALL THE MONEY US, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2017.07.20
『20センチュリー・ウーマン』も公開中のマイク・ミルズ監督。監督の長編2作目もやはり彼が良く知る人物と彼自身の物語。『人生はビギナーズ』。
マイク・ミルズの長編2作目となる『人生はビギナーズ』は、彼の半生をもとにしたユニークな物語である。若い人たちにはなじみがないかもしれないけれど、 もともとマイクは90年代にビースティ・ボーイズやソニック・ユースのアートワークを手がけ、ユースカルチャーの重鎮として活躍したグラフィックデザイナー。主人公のオリヴァー(ユアン・マクレガー)の職業もグラフィックデザイナーであり、作中のオリヴァーによるドローイングはマイク自身が手がけている。75歳の父親からゲイだとカミングアウトされたのは、老いた母親をがんで亡くした半年後のことだ。 オリヴァーは父親の告白を受けて、当然だが動揺する。なのに当の父親はといえば、生まれ変わったようにうきうきとして楽しそうだ。さらにオリヴァーの心をゆさぶったのは、母親は結婚する前からその事実を知っていたらしいということだった。ユダヤ人であった母親は、すねに傷持つもの同士と思ったかどうだか、高校の同級生であったゲイの男と結婚した。いまではずいぶん時代も前進しているが(現アメリカ政権になってそうとも言えない状況になったけれど)、マイクの両親が結婚した1950年代には、まだユダヤ人に対しても同性愛者に対しても、あきらかな差別が存在していた。同性愛は法律で禁止さえされていたのだ。合意の上で結婚したわけだけれど、マイクの母親は、自分のことをまるで気にかけない夫が本当は不満だったのにちがいない。マイクいわく、父親はめったに家におらず、家族とほとんどかかわりを持たなかった。映画の中で母親は「生まれ変わったら、もっと心のあるユダヤ人と結婚する。お父さんには心がないから」と、幼いオリヴァーにこぼしている。(余談だけれどこの母親、じつは髪型やエキセントリックな仕草が、マイクの妻である人気アーティストのミランダ・ジュライにそっくりなのである。えーと、それではオリヴァーの恋人になるアナ(メラニー・ロラン)がミランダとは似ても似つかない理由は……? 答えは簡単、マイクがこの脚本を書いていた2004年当時に、まだ二人は出会っていなかったからだ。彼らの出会いは、マイクが『サムサッカー』、ミランダが『君とボクの虹色の世界』というそれぞれのデビュー作をお披露目した、翌年のサンダンス映画祭まで待たなくてはならない。) ところで、めったに家にいなかったというマイクの父親は、いったいどこで何をしていたんだろう? そこでその人物、ポール・ミルズ氏について調べていくと、だんだんとおもしろいことがわかってきた。彼はサンタバーバラ美術館の館長を’70年から’82年までの12年間つとめており(これはマイクの4歳から16歳までの時期にあたる)、アメリカ美術のコレクターとして、現在も美術館を代表する主要作品の収集に奔走していたようだ。スペインやメキシコへの出張も多く、いそがしい人であったということはまちがいなさそうだ。サンタバーバラには虹をモチーフとした有名な巨大パブリックアートがあるのだが、これもマイク父の尽力によってできたものである。そしてもうひとつ。彼は、フラッグ(旗)に異常ともとれる愛情を注いでいたことでも知られている。いまでもサンタバーバラを訪れると、防波堤にならぶ色とりどりの旗を目にすることができるだろう。氏の旗に対する情熱は、映画では花火に置き換えられて表現されている。 さあて、映画の話にもどらなくちゃ。グラフィックデザイナーであったマイクがペンをカメラに持ち替えて、自分には無縁だと思っていた長編映画に取りかかることになったのは、母親の死のショックがきっかけだったという。父親もまた、妻の死がスイッチとなり、残りの短い人生をほんとうの自分らしく生きる勇気を得たのかもしれない。だれかが死んだりなんかしなくても、もっと自分の思うように生きていいはずなのに、わたしたちはふだんそのことを忘れてしまっている。若い男を求め、素直な恋をし、初々しいよろこびを見せる魅力的なハル(クリストファー・プラマー/アカデミー賞助演男優賞受賞)よ! その姿を見ていると、複雑な思いを抱えながらもオリヴァーが父親を応援したくなった気持ちはよくわかる。 近くにいるからといって、ぼくたちはその人のことをよく知っているわけではないんだ。というのは、昔なにかのインタビューでマイクが話していたことだ。本作で晩年の父親をあたたかく見つめた彼は、最新作『20センチュリー・ウーマン』で、今度は、自分をひとりで育ててくれたハンフリー・ボガートのような母親を描くことに挑戦している。マイクにとって映画とは、自分や身近な人をとことん掘り下げて理解するための手段なのかもしれない。そして父親、母親、ときたら、その次のテーマはもしかして妻のミランダなのでは?とつい期待してしまうが、それはいつか発表されるときまで、楽しみに待つことにしよう。 ©2010 Beginners Movie, LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2012.08.25
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年9月】大陸軍近衛軽槍騎兵第1連隊“ヴィスツラ・ウーラン”大尉 飯森盛良
イタリア・ソ連合作の歴史超大作。芝居がかったカリスマ性を持つ、スタミナみなぎるメタボ皇帝ナポレオン…ちょっと胡散臭い。権力の座から転落し、とにかく復権したくてアセりまくり、野望をギラつかせる。脂ぎったテカテカのロッド・スタイガー、いい! 一方、宿敵ウエリントンはお高くとまった嫌味な英国貴族の痩せ男。脂気が足らずパサパサした感じ。クリストファー・プラマーも上手い。2人ともデキる漢で2人ともイヤな野郎!でも対照的。この2人見ているだけで前半戦まったく飽きない。そして両雄が激突するワーテルロー、もう圧巻!ソ連映画らしい人海戦術で撮影された戦場の圧倒的規模感が凄すぎる!! 人間ドラマ、スケール、ニーノ・ロータの音楽(各国国家の「大序曲1812」的な使い方が巧み)、コスチューム、どれをとっても最高な、オールタイムmyベスト史劇。今じゃ絶対作れん。 (C) 1970 Dino De Laurentiis Cinematografica SpA, renewed 1998 International Picture Investments Limited. All Rights Reserved..