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COLUMN/コラム2022.01.07
タランティーノの名を世界に轟かせたデビュー作『レザボア・ドッグス』
クエンティン・タランティーノは、焦っていた。1963年生まれの彼は、映画監督デビューを目論んで、20代前半から5年の間に、『トゥルー・ロマンス』『ナチュラル・ボーン・キラーズ』という、2本の脚本を執筆。しかし夢の先行きは、まったく見えてこなかった…。 これらの脚本は、高値と言える額ではないが、売れて、彼をバイト生活から脱け出させてくれた。しかしそれと同時に、嫌というほど思い知らされたのである。無名の存在である自分に大金を注いで、監督をやらそうなどという奇特な御仁は、この世には存在しないことを。 彼は思い至った。「…3万㌦で撮れる映画を書こう…」と。ストーリーは、強盗たちが主役のクライムもの。しかし犯行の様子は描かず、物語のほとんどは倉庫の中で展開する。16mmのモノクロフィルムを使用し、キャストは友人たちで固める。 これだったら、今までに脚本料として得た金を製作費にして、短期間で撮り上げられるに違いない。やっと、自分の監督作品が撮れる! しかし神はタランティーノに、そこまでチープな作品作りをすることを、許さなかった。彼が出席したあるパーティの場で、1人の男と出会わせ、大いなる伝説の幕開けを演出したのである。 その男の名は、ローレンス・ベンダー。タランティーノより6つほど年上で30代前半だったこの男は、役者崩れのプロデューサー。と言っても、まだ駆け出しだった。彼は、タランティーノが映画化権を手放した、『トゥルー・ロマンス』の脚本をたまたま読んでおり、その書き手にいたく興味を抱いていたのである。 それがきっかけとなって、タランティーノはベンダーに、自分が監督しようと思って書き進めている、『レザボア・ドッグス』というタイトルの脚本のことを話した。その内容に感銘を受けたベンダーは、映画化の企画を一緒に進めたいと伝え、製作費の調達のために、1年間の猶予が欲しいと申し出た。 しかしタランティーノは、もう待てなかった。この5年間、映画監督になろうと費やした労力は、まったくの無駄に終わっている。更に1年なんて、冗談じゃない。 話し合いの結果、ベンダーには2カ月だけ猶予が与えられた。2カ月経ってメドが立たなかったら、手持ちの製作費3万㌦で撮ると。その時に2人の間で交わされた同意書は、紙の切れ端にお互いが殴り書きのようにサインしたものだったという。 仕上がった脚本を手に、ベンダーの奔走が始まる。すぐにリアクションがあったのが、アメリカン・ニューシネマのカルト作品『断絶』(1971)などの監督として知られる、モンテ・ヘルマン。当初はこの脚本を、自分の監督作品として映画化したいという意向だったヘルマンだが、タランティーノの「自ら監督したい」という情熱を買って、プロデューサーの立場からサポートすることを、決めた。 タランティーノもベンダーも、是非とも出演して欲しいと願っていた俳優がいた。『ミーン・ストリート』(73)『タクシードライバー』(76)などのマーティン・スコセッシ作品で世に出た後、長き不遇の時を経て、90年代に入ると、『テルマ&ルイーズ』(91)『バグジー』(91)などの作品で高い評価を得るに至った、ハーヴェイ・カイテルである。 ベンダーが知己である演技コーチに、その旨を話すと、何とそのコーチの妻が、カイテルとは若き日からの知り合いだった。こうした伝手で、脚本を届けてもらうことになって数日後、ベンダーの元に電話が入った。「…読ませてもらったよ。これについて君とぜひ話をさせてもらいたいんだが」 カイテルの声だった。物事は、俄然良い方向へと転がり出す。 製作に入った「LIVEエンターテインメント」がノリ気になって、160万㌦まで出資してくれることになった。ハリウッドの基準で言えば、相当な低予算ではあるが、はじめにタランティーノが考えていた3万㌦の、実に50倍以上のバジェットである。 カイテルは、自分以外のキャストを探すのに、協力を惜しまなかった。オーディションの会場を提供したり、タランティーノとベンダーが俳優たちに会うための旅費まで負担してくれた。こうしてティム・ロスやマイケル・マドセン、スティーヴ・ブシェミといった、当時はまだ無名に近かったが、実力を持った俳優陣が、『レザボア・ドッグス』に出演することが決まっていった。 タランティーノとベンダーは、カイテルの労に報いるため、彼を“共同製作者”としてもクレジットすることを提案した。カイテルもまた、その申し出を喜んで受けたのだった。 この作品が飛躍するのには、ロバート・レッドフォードが興した、若手映画人の登龍門「サンダンス映画祭」も一役買った。本作のクランクイン前、タランティーノはヘルマンの推薦で、「サンダンス」のワークショップに参加。クランクインに先駆けて、『レザボア・ドッグス』の数シーンをテスト撮影し、有名フィルムメーカーから指導を受けることとなった。 タランティーノは、後に彼の作品の特徴となる、冗長とも取れる長回し撮影を敢行。仕上がったものを見て、軌道修正を求める講師が少なくなかったが、その逆に強く勇気づけてくれる者が現れた。モンティ・パイソンのメンバーで、『未来世紀ブラジル』(85)などを監督した、テリー・ギリアムである。「自分を信じろ」これが、ギリアムからタランティーノへのエールだった。 こうしたプロセスを経て、『レザボア・ドッグス』が撮影されたのは1991年、猛暑の夏であった。 ***** ダイナーで朝食を取りながら、マドンナの大ヒット曲「ライク・ア・ヴァージン」の歌詞の解釈について、無駄話を繰り広げる一団が居た。黒いスーツに白いシャツ、黒のネクタイに身を包んだ6人の男と、リーダーらしき年輩の男、そしてその息子だ。 彼らは、宝石店の襲撃計画を立てている強盗団。お互いの素性も知らず、リーダーに割り当てられた“色”を、お互いの呼び名にしていた…。 市街を猛スピードで走る、一台の車を運転するのは、強盗団の1人で、Mr.ホワイトと呼ばれる男(演:ハーヴェイ・カイテル)。そしてバックシートには、腹を撃たれて苦悶にのたうち回る、Mr.オレンジ(演:ティム・ロス)が居た。 強盗後の集合場所だった倉庫に着くと、Mr.ピンク(演:スティーヴ・ブシェミ)も逃げ込んで来る。彼らの犯行は、店の警報が鳴り始めた時に、Mr.ブロンド(演:マイケル・マドセン)がいきなり銃を乱射したため、無残な失敗に終わっていた。追跡する警官に撃たれて、命を落とす仲間も出たようだ。 ピンクは、警官隊の動きがあまりにも早かったことを指摘。自分たちが罠にハメられたこと、メンバーの中に裏切り者が居ることなどを、まくし立てる。 あまりの苦痛に気絶したオレンジの扱いについて、ホワイトとピンクは対立。銃を向け合っているところに、ブロンドが現れる。彼は1人の若い警官を、人質として拉致して来たのだった…。 ***** 処女作には、その監督のすべてが詰まっているというが、本編の内容と直接は関係ない無駄話という、タランティーノ作品のアイコンのようなシーンから幕開けとなる、『レザボア・ドッグス』。 先にも記したが、強盗団を主役としつつも、犯行の様子を直接描くことはなく、物語のほとんどは倉庫の中で展開していく。その中で、主要メンバーが強盗団に加わった経緯や犯行後の逃走劇など、過去の出来事が織り交ぜられていく構成である。裏切り者の正体も、その中で明かされる。 時間の流れを、タランティーノは観客に見せたい順番に並べ替える。この手法はこの後、監督第2作の『パルプ・フィクション』(94)で究極の冴えを見せることになるが、それに先立つ本作でも、見事にハマっている。 本作のお披露目上映となったのは、92年1月、ゆかりの「サンダンス映画祭」にて。その際には本作の、こうした斬新なアプローチが、大きな反響を沸き起こした。それと同時に、Mr.ブロンドがダンスをしながら、人質の警官の耳を削ぐという衝撃的な拷問シーンに、席を立って退場する者も相次いだという…。 何はともあれこの時の「サンダンス」で、『レザボア・ドッグス』は賞こそ逃したものの、№1の注目を集めた。批評家たちから熱い支持の声が上がると同時に、配給会社間の争奪戦が勃発。結果的にはハーヴェイ・ワインスタイン率いる「ミラマックス」が、本作を掌中に収めた。 その後「カンヌ」「トロント」といった国際映画祭を経て、92年10月に本作はアメリカ公開された。興行収入は、283万2,029㌦。160万㌦の製作費は回収できたが、ヒットと言える数字ではなかった。しかしタランティーノ本人は、その独特な風貌と、インタビューなどでの当意即妙な受け答えがウケて、一躍マスコミの寵児となる。 その後タランティーノは、『レザボア・ドッグス』を上映するヨーロッパ全土の映画祭、そしてアジアへと足を延ばす。その一環で93年2月には、北海道の「ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭」に参加。余談になるが、「ゆうばり」滞在中に『パルプ・フィクション』のシナリオを執筆していたことや、後に『キル・ビル vol.1』(93)で日本を舞台にしたシーンに登場する、栗山千明演じる女子高生殺し屋に、“GOGO夕張”という役名を付けたのは、広く知られている。 世界のどこに行っても映画ファンの心を掴み、人気者となったタランティーノ。アメリカでは「今イチ」の成績に終わった劇場公開だが、フランスでは、1年以上のロングランに。またイギリスでは、600万㌦もの興収を上げる大成功を収めた。 こうした人気は、本国に逆輸入された。本作のビデオがアメリカで発売されると、90万本という、予想の3倍に上る売り上げを記録したのである。 このようなタランティーノ旋風の中で、突如盗作疑惑が持ち上がった。本作のプロットが、チョウ・ユンファ扮する刑事が宝石強盗団への潜入捜査を行う、リンゴ・ラム監督の香港映画『友は風の彼方に』(87)のパクりであるとの指摘がされたのである。特にラスト20分の展開が酷似しているのは、両作を観た者の目には、明らかだった。 これに対してタランティーノは、「俺はこれまで作られたすべての映画から盗んでいる」と応えた。更には、黒澤明の『羅生門』(50)や、スタンリー・キューブリックの『現金に体を張れ』(56)等々の影響も、胸を張って認めたのである。 狂的な映画マニアであるタランティーノは、この後は作品を発表する度に、元ネタとなった作品たちのことを、喜々として語るようになる。そのため「盗作」などという指摘は、まったく有効ではなくなった。 すべてのタランティーノ作品は、様々な過去の作品のコラージュであり、パッチワークであることが、今では広く知られている。オリジナリティーがないことを自ら吐露しながら、魅力的な作品を世に放ち続けるなど、凡百の作り手には到底マネできない。 そんなタランティーノも、本作で監督デビューしてから、今年でちょうど30年。かねてより、長編映画を10本撮ったら、映画監督を引退すると公言しているタランティーノだが、『vol.1』『vol.2』の2部作となった『キル・ビル』を1本とカウントして、次回作がちょうど10本目となる。 ここは是非、宮崎駿やスティーヴン・ソダーバーグなどの先人の振舞いをパクって、10本撮った時点での「引退」撤回を期待したいところであるが…。■ 『レザボア・ドッグス』© 2020 Lions Gate Entertainment. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2017.11.10
イギリスの名監督がキャリアの初期に放った、“奇妙な魅惑”が息づく不完全な犯罪ロードムービー『殺し屋たちの挽歌』〜11月25日(土)ほか
スティーヴン・フリアーズはちょっとした映画マニアならば誰もがその名を知るイギリス・リーズ出身の映画監督だが、その個性をひと言で表現できる人は筆者も含めてほとんどいないだろう。若き日のダニエル・デイ=ルイスが主演した『マイ・ビューティフル・ランドレット』(85)で初めて日本に紹介されたこのフィルムメーカーは、それ以降、約20本が日本公開されているが、手がけるジャンルやテーマは多岐にわたり、どれが自分で企画を主導した作品で、どれが雇われ仕事なのかも区別しがたい。『マイ・ビューティフル~』と『プリック・アップ』(87)が立て続けに公開された1980年代半ばには“マイノリティーを描く社会派監督”のイメージで語られることがあったが、その後、ラクロの官能小説の映画化『危険な関係』(88)でハリウッドに進出すると、サスペンス、ヒューマン・ドラマ、コメディ、時代ものを次々と発表。近年は『あなたを抱きしめる日まで』(13)、『疑惑のチャンピオン』(15)、『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』(16)という“実話が元ネタ”以外の共通点がほとんど見つかりそうもない映画を世に送り出している。 フリアーズの凄いところは、こうした多様な作品群のほぼすべてで水準以上の結果を叩き出してきたことだ。強烈な作家性を前面に押し出すタイプではないが、ストーリーテラーとしてのバランス感覚や手際よさに優れ、どの作品を観ても退屈しない(というか、ほとんどが面白い!)。要するに、極めてアベレージの高い職人監督にしてヒットメーカーであり、プロデューサーからすればこれほど重宝する人材はいない。「さて、このややこしい企画をどうしたものか。まずフリアーズに話を持っていくか」。きっとハリウッドやイギリスにはそんな思考回路でフリアーズにオファーを出し、彼の卓越した手腕の恩恵に浴してきた製作者が何人もいるはずだ。 目立った受賞歴は『ハイロー・カントリー』(00)でのベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)くらいなものだが、『グリフターズ/詐欺師たち』(90)、『クィーン』(06)でアカデミー賞監督賞に二度ノミネートされ、『プリック・アップ』と『ザ・ヴァン』(96・未)でカンヌ国際映画祭コンペティションに参加している実績は、堂々たる名匠と言ってもいい。加えて『靴をなくした天使』(92)、『スナッパー』(93)、『ハイ・フィデリティ』(00)、『堕天使のパスポート』(02)のような愛すべき秀作、佳作も多数発表しているのだから、新作が届くたびに「とりあえずフリアーズなら観ておくか」と考える筆者のような映画ファンは少なくないはずだ。 だいぶ前置きが長くなったが、今回のお題の『殺し屋たちの挽歌』(84)は、フリアーズが『マイ・ビューティフル・ランドレット』の前年に撮った日本未公開作品である。『Gumshoe』(71・未)に続く劇場映画第2作だが、この人はBBCのディレクターとして膨大な数のTVムービーを手がけているので、当時すでに40代半ばの中堅どころであった。邦題はまるで香港ノワールのようだが、濃厚でエモーショナルな人間模様や派手なドンパチで見せる暗黒街ものではなく、極めてクール&ドライなタッチの犯罪映画だ。 物語はギャングの一員であるウィリー・パーカー(テレンス・スタンプ)がイギリスでの裁判に出廷し、銀行強盗の仲間を裏切る証言を行うシーンから始まる。それから10年後、司法取引によって罪を軽減されたパーカーはスペインの田舎町でひっそりと暮らしているが、執念深い組織は現地にベテランの殺し屋ブラドック(ジョン・ハート)と若い助手のマイロン(ティム・ロス)を派遣。荒っぽく拘束されたパーカーは、組織のボスが待つパリまで車で運ばれることになる。ところが途中立ち寄ったマドリードで揉め事に遭い、マギー(ラウラ・デル・ソル)という若い娘を道連れにするはめになった一行の旅は、それをきっかけに迷走していく。 いわゆる“護送もの”のロードムービーなのだが、『ガントレット』(77)や『ミッドナイト・ラン』(88)のように登場人物が行く先々で危機一髪のアクションを繰り広げる映画ではない。パーカーは組織を裏切った後の10年間の隠遁生活であらゆる分野の書物を読破し、死をも恐れぬ悟りを開いたと言い放つ怪人物。1000キロ余り先のパリで待ち受けるボスに処刑されゆく運命にあるというのに、殺し屋コンビが走らせる車の後部座席でまったく動じることなく、薄気味悪い笑みさえ浮かべ続ける。このパーカーが発する得体の知れないカリスマ性が冷徹に任務を遂行しようとする殺し屋たちを動揺させ、さらには激しい気性と色気を兼ね備えたファムファタール、マギーの存在がいっそう状況をややこしくさせる。旅のスタート地点で主導権を握っているのは明らかに殺し屋コンビだが、ロードムービーに付きものの寄り道を繰り返すたびに4人の関係性はじわじわとねじ曲がり、当初はごくシンプルな設定に思えた犯罪劇がいつしか危うい心理サスペンスに変容してくのだ。 オフホワイトのスーツに黒いサングラスをまとったブラドック役のジョン・ハート、血気盛んなトラブルメーカーのチンピラ、マイロンを金髪で演じたティム・ロス(これが映画デビュー作!)、そして謎めいた言動を連発して彼らを翻弄するパーカーに扮したテレンス・スタンプ。それぞれのユニークなキャラクターになりきった俳優3人の緊張感みなぎるアンサンブル、そこからにじみ出す静かな狂気や人間的なおかしみが実に豊かで素晴らしい。彼らのささいな表情の変化や仕種を的確にすくい取るフリアーズの演出もまた、前述した円熟の“バランス感覚”や“手際のよさ”とはひと味もふた味も違う繊細さ、鋭さが随所にうかがえ、この緩やかに劇的な破滅へと突き進むロードムービーを魅惑的なものに仕上げている。何もかもが乾ききったスペインの広大なロケーションと、パコ・デ・ルシアのギター演奏をフィーチャーしたサウンドトラックも、本作の特異なムードの醸造にひと役買っている。冒頭のメロウな主題曲を手がけたのはエリック・クラプトンだ。 ただし、この映画には大きな難点がある。「人間は誰もが死に到達する。それは自然な出来事だ」。本作のテーマはそんなパーカーの哲学者のようなセリフに象徴される人間の生と死、その皮肉な行く末にあることは明白なのだが、クライマックスがあまりにも唐突で消化不良の感が否めない。それはそれで意外性はあるし、ジョン・ハートがラスト・シーンで披露する“ウインク”の演技は鳥肌ものなのだが、多くの観る者は不可解で腑に落ちない急展開に呆気にとられることだろう。殺し屋たちを追跡するスペイン警察の捜査責任者役にわざわざフェルナンド・レイを起用しておきながら、これといった見せ場がまったくないことも不自然である。ひょっとするとフリアーズ自身も、これらの点に不満を感じているのかもしれない。2011年にはフリアーズが本作をセルフリメイクするというニュースがネット上を駆けめぐったが、未だ実現しておらず続報を待ちたいところである。いずれにせよ、この“不完全な犯罪映画”はフリアーズの多彩なフィルモグラフィーの中でもとびきりの異彩を放ち、今なお一度観たら忘れられない奇妙な魅惑が息づいている。 ちなみに、今をときめくクリストファー・ノーランもこの映画の愛好者のひとり。2013年、Indie Wire誌のサイトに掲載された“10 Filmmakers’ Top 10 Films Lists”という記事において、ニコラス・ローグの『ジェラシー』(79)、大島渚の『戦場のメリークリスマス』(83)、シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』(57)などとともに、お気に入りの10本のひとつに本作を選出している。■ COPYRIGHT © MCMLXXXIV CENTRAL PRODUCTIONS LIMITED ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2012.07.20
【タランティーノ的L.A.案内】第1回:始まりはレザボア・ドッグス
ザ・シネマの米国オフィスがある、ここロサンゼルスは、言わずと知れた映画のまち。通りを行けば撮影に出くわし、カフェに入れば隣の席で映画関係者がミーティング中、といったことも珍しくありません。中でも、ロサンゼルスなくして語れないのが、映画オタク兼映画監督のクエンティン・タランティーノ(QT)。生まれこそテキサスですが、自他とも認めるロスっ子のQTは、 この町でオタク道まっしぐらの青少年時代を過ごしました。そんな彼の映画では、ロサンゼルスも大事な登場人物の一人。ビジュアルだけでなく、会話のそこかしこにローカルネタが散りばめられています。「レザボア・ドッグス」では、ラデラハイツの話でドッグス達が盛り上がったり、「ジャッキー・ブラウン」では、サミュエル・L・ジャクソンが、一般的に治安が悪いとされるコンプトンのジョークを飛ばしたりと、 ロスに住んでいなければ分からない話題だと自覚しながらも、敢えて入れたかったと語るQTに、この町へのこだわりと思い入れを感じます。本特集では、そんなロサンゼルスの至る所に残されたQTの足跡を辿ってみたいと思います。第1回目は、QTの名前を一躍世に知らしめることとなった「レザボア・ドッグス」のロケ地を中心に、ダウンタウンLAよりも北にある地域を巡ります。 ■ ザ・シネマのオフィスから車で30分ほどの所に、 「レザボア・ドッグス」で、チンピラ達の即席チームが押し入った宝石店があります。この店の扉を開いた瞬間から、彼らの喜劇、いえ悲劇は始まるのです。実際に店を襲うところは映されませんが、回想シーンでハーヴェイ・カイテルとティム・ロスが下見しているのが、Karina’s Wholesale Diamondです。実際はカツラ関連の会社と思われるこの建物は、ほとんどのロケ地が20年の間に変貌する中、当時と全く変わっていないように見えます。 次のロケ地に向かう前に立ち寄ったのは、Karina’s Wholesale Diamondから車で10分ほど、ワーナー・ブラザーズ・スタジオやウォルト・ディズニー・スタジオからは目と鼻の先にある、こちらの通り。「レザボア・ドッグス」誕生の10年程前にQTが通っていたアクティング・スクールがあった場所です。近所の店の人の話では、特に90年代は制作会社やスタジオ関係のオフィスが軒を連ねていたとのこと。元々俳優志望だったQTが、コミュニティシアターでしばらく演技を続けた後、本格的に演技の勉強を始めたのが、ジェームズ・ベスト・シアター・カンパニーでした。70・80年代の人気TVドラマ「爆発!デューク」などに出演していたジェームズ・ベストの大ファンだったQTは、ここで演技を学ぶうちに、カメラワークなど映画制作の基本を身につけていったのです。 ジェームズ・ベスト・シアター・カンパニーを後にして向かうのは、「レザボア・ドッグス」のロケ地が集まるイーグル・ロックです。ここは、ダウンタウンLAの北東に位置し、人口の4割近くが外国生まれ、メキシコ系や、特にフィリピン系を始めとするアジア系が多い、移民の町です。 ■ さて、何はともあれ、まずは腹ごしらえということで、Pat & Lorraine’s Coffee Shopへ。登場人物が繰り広げる取り留めのない会話は、QTの十八番とも言えるスタイルですが、「レザボア・ドッグス」の冒頭でも、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」について話に花が咲きます。その舞台となったのが、丁度この席なのです。 内装は映画と殆ど変わらず、夫婦が営む昔ながらの食堂といった趣。その日は丁度、5、6人のロケハンチームが脚本片手に来店していましたが、レトロで少しひなびた雰囲気がいい味を出しているのでしょう。 アメリカでは、朝食やお昼に具沢山のオムレツを食べるのは一般的ですが、レストランお勧めのJohnny Omeletteを頼むと、予想通りボリューム満点。野菜たっぷりオムレツにチーズをのせ、メキシコ風にアボカドとビーンズ、またはポテトがついてきます。さらに自家製のビスケットまでセット。あまりの量に、残りをドギーバッグ*に入れ、店頭のレジへ。映画では、ローレンス・ティアニー演じるジョーが席を立って支払いを済ませるシーンがありますが、実際のレストランでも、アメリカには珍しく、テーブルではなくレジでの支払いなのです。(*ドギーバッグ:レストランの食べ残しを持ち帰るための容器で、飼い犬用という口実から着いた名前。持ち帰りが前提かと思われるほどの量が出されるアメリカのレストランでは、必ず置いてあります。) お店の人の話では、映画の公開から20以上年経った今でも、ロケ地となったレストランを一目見ようと訪れる人は多く、中には海外、特に最近はイギリスからの観光客が多いそうです。QT、そして「レザボア・ドッグス」のカルト的人気の高さが伺えますね。ちなみに、ドッグス達が颯爽と歩く有名なタイトルシーンに登場するレンガ塀も、レストランの目と鼻の先ですが、今は別の壁に塗り替えられ、残念ながら当時の面影はありません。 空腹が満たされた後は、「レザボア・ドッグス」のメイン舞台となった場所へ。物語の大半を占める倉庫は既にコピー・サービス店に姿を変えていますが、トランクから拷問用のガソリンを取り出すMr. ブロンド(マイケル・マドセン)の背後に見える景色は余り変わっていないように感じます。 こちらは、Mr. ピンク(スティーブ・ブシェーミ)が逃走中に車に引かれる交差点。ちなみに、追いかける警察官の一人は、中々イケメンのプロデューサー、ローレンス・ベンダーです。バックグラウンドにあったガソリンスタンドは更地になり、残された価格表示の看板だけが当時を偲ばせます。 また、QT演じるMr. ブラウンが車をぶつけてしまう路地裏や、その後Mr. オレンジが銃で撃たれる線路沿いもこの辺り。路地裏は余り変わっていませんが、線路は舗装されすっかり綺麗になっていました。ちなみに、この路地の一本隣の通りでは、何らかの撮影の真っ最中でした。映画撮影に遭遇したければ、スタジオにも遠くないこの辺りをぶらつくのも手かもしれません。さて、「レザボア・ドッグス」を中心に駆け足で回った第1回「始まりはレザボア・ドッグス」。QTファンの貴方も、イーグル・ロック・ツアー(ランチ付きコース)なんていかがですか? ▼参考資料NPRインタビュー:Quentin Tarantino: 'Inglourious' Child Of CinemaBernard, Jami. Quentin Tarantino: The Man and His Movies. HarperPerennial, 1995Peary, Gerald, Ed. Quentin Tarantino Interviews. University Press of Mississippi, 1998
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NEWS/ニュース2008.08.05
08年アメコミ夏の陣、トップバッターは『インクレディブル・ハルク』
みなさん暑いですねぇ、『インクレディブル・ハルク』、もう見ました? この夏から秋にかけて、アメコミ・ヒーロー映画が波状攻撃的にやっくるワケですが、その最初を飾るのがこの『インクレディブル・ハルク』なのです。映画史的に見て、「2008年ってのはアメコミ・ヒーロー映画大豊作の年だったね」と言われること、もはや確実な情勢(今後も続々と公開されますが、それについては近日また書きます)。将来、「あの夏、私はその熱きムーヴメントの真っ只中にいて、すべてを体験し、目撃したのだ」と、遠くを見るまなざしで子孫に語り継ぐイカした年寄りになるためには、まずこの『インクレディブル・ハルク』を見なきゃ始まりませんよ。 今回ワタクシ、この映画に出演したエドワード・ノートンとリヴ・タイラーの2人にインタビューする栄光に浴しました。その模様のダイジェスト版がすでに当チャンネルでは流れておりますが、例によって、ここでは文字起こしして全文を掲載しましょう。 せっかちにも早速インタビューを始めようとするワタクシ。その、常人には計り知れないハイセンスな横山やすし師匠か『ケープ・フィアー』のデニーロ風なファッションを見たリヴ・タイラーから、「あなたの服キュートね。ベリー・スタイリッシュよ。私もメイン州に住んでた小さい頃、そんなような靴(デッキ・シューズ)履いてよく遊んだわ」との、み、み、み言葉が! Let’s 小躍り!夕星(ゆうづつ)姫アルウェン様にキュートって言われちった!! 嗚呼、かたじけなやもったいなや。前の夜、『魅せられて』DVDを見てギンギンにモチベーション高めてのぞんだ甲斐があったというもんだ。 …と、浮かれてばかりもいられません。限られた取材時間が惜しくて、リヴがせっかく気を使ってくれた“場なごませコメント”をあえて拾いには行かずに、いきなり本題に入る僕。しかもリヴを無視してまず主演のエドワード・ノートン相手に(リヴ・タイラーさんごめんなさい、そしてアイラブユー)。 で、早速ですがノートンさん。あなたは演技派、実力派、スゴい役者、というイメージが日本では定着してて、アメコミ・アクションの娯楽映画に出るって聞いた時はちょっと意外だったんですけど。 「だろうね。っていうか自分がいちばん意外。でもこのテの映画に出るってことは、自分的にかつてない経験なので、いつもと違うことができて良かったと思ってるよ。それに、ガキの頃にハマってた話に出られたのは、役者としてハッピーなことだしね」 (エドワード・ノートンでも子供の頃はハルクにハマってたんだ…) でも、あの天下のエドワード・ノートン主演ときたら、普通のアメコミ・アクションじゃないんでしょ? ハルクっていったら過去に何度も映像化されてるけど、やっぱり今作はちゃんとノートン印になってんでしょ? 「そりゃそうさ。ただのアメコミ映画じゃない。いろんな人に楽しんでもらえる作品に仕上がったと思うよ。それと、あれだね、言ってみりゃこれってシェイクスピアみたいなもんでさ、むかしっから何度となく再演されてるけど、そのつど何らか新しい要素が加わって生まれ変わり、次の時代に伝えられていく。ハルクの物語もそうやって伝えていきたいと思ってね。それに、世間でよく知られた作品をまた新たな創造世界に導くってことも、これまた役者としてはハッピーなことだしね」 なるほど。まさに、この人をして言わしめる、ってトコですな。 さて、お待たせしてすいませんリヴ・タイラーさん。どうも貴女が演じたベティって役のおかげで、今回のこの『インクレディブル・ハルク』はずいぶんとLOVEの要素が濃くなってると聞いてますが。 「そうね。たとえばTVシリーズのハルクって、根は優しいんだけど、すっごく孤独な存在で、独りぼっちで闘っているキャラだったでしょ?社会と関わっていきたいのに、自分がモンスターになってしまうって引け目があって、ジレンマを抱え込んでた。でもこの映画では、ベティの愛・ベティへの愛によって、そんなハルクが変わっていくの」 そうそう、肝心のストーリーを書き忘れてました。ブルース(エドワード・ノートン)は科学者で、アメリカ軍ロス将軍が指揮する人体強化薬の極秘開発プロジェクトにたずさわってたんだけど、自分自身に人体実験したその薬をオーバードーズしてしまい、モンスター化(このモンスターがハルクと呼ばれる)。緑の巨人に変身してバーサークし、秘密研究所をぶっ壊したあげくのはてに、同僚で恋人で将軍の娘でもあるベティ(リヴ・タイラー)にもケガを負わせた上、脱走してしまう。 一定時間たつと変身は解けて元のブルースに戻れるんですけど、体質的には永久に変わってしまって、以降、心拍数が特定値をこえるとハルク化する体になっちゃったんですねぇ。とくに、怒るのが一番よくない。心拍数が上がってヤバい事態になる。 そこでブラジルに渡って、怒りをコントロールするためヒクソン・グレイシーに呼吸法を習う、というかなり飛躍した思いつきを実行に移し、400戦無敗の男に横っツラを張られながらも必死に怒りをこらえる、というお笑いウルトラクイズすれすれな特訓をつうじて精神修養を積みます。 ただ研究プロジェクトをつぶされたロス将軍も黙ってません(娘をモノにした男ということで必要以上にブルースを目のカタキにしている模様)。ブルース=ハルクを生け捕ろうと特殊部隊をブラジルに送り込み、ブルースはその追っ手から逃げ回りながら「早く人間になりたーい」とばかりにキレイな体に戻るための科学的方法を研究しつづけ、ついに、結局はアメリカの大学で教鞭をとってるベティと再会することになるんですねぇ。 ブルースとベティ、焼けボックイについた火はメラメラと燃えあがり、一方でロス将軍の執拗な追跡は2人を着実に追い詰め、そのうえ将軍の部下の特殊部隊隊長が「おら、ハルクより強くなりてぇ。おらは宇宙いち強くなりてぇ」とドラゴンボール(しかもZ)的嫉妬にかられて暴走しだす。と、いよいよもって物語はドラマチックかつジェットコースターのような展開を見せていくのであります!さて、リヴ・タイラーのコメントを再開しますと、 「原作では、ベティとブルースを結婚させようって試みも何度かあったらしいの。それは悲恋に終わったんだけど、今回の映画では、そんな悲しいカップルをなんとか一緒にして、美しい物語に作ってあげたい、という気持ちがこめられていると思うわ」 そんなLOVE要素、そして、たたみかけるがごときアクション要素、そのうえ、クスっと笑わせるコメディ要素も案外ふんだんに盛り込まれていて、笑って、泣けて、手に汗握る、ありとあらゆる娯楽の要素をテンコ盛りにした、これぞエンターテインメント幕の内弁当状態なのですな、この映画は。 まさに、“2008年アメコミ・ヒーロー映画の夏”の口火を切るのにふさわしいトップ・バッター『インクレディブル・ハルク』。みなさん、ぜひ劇場に足を運びましょう!■