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PROGRAM/放送作品
ザ・ビーチ(2000)
[R15+]孤島の楽園が狂気に染まる…名匠D・ボイル&レオナルド・ディカプリオが組んだ青春サスペンス
ダニー・ボイル監督がアレックス・ガーランドのベストセラー小説を映画化。本作を『タイタニック』の次作として選んだレオナルド・ディカプリオが、遠い異国に楽園を求める若者の青春を瑞々しくほろ苦く体現する。
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COLUMN/コラム2023.11.08
ここからキャメロン・ディアスの快進撃が始まる!ファレリー兄弟“おバカ映画”の最高傑作!!『メリーに首ったけ』
2018年度のアメリカ映画賞レース。その頂点とも言うべき「アカデミー賞」で、アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』やスパイク・リーの『ブラック・クランズマン』等々、強力なライバルを打ち破って“最優秀作品賞”に輝いたのは、『グリーンブック』だった。 この作品は、人種差別が激しかった1962年のアメリカを舞台に、実話をベースとした内容。ツアーに出た、黒人ピアニストのドン・シャーリーと、その運転手兼ボディガードに雇われた、粗野な白人トニー・ヴァレロンガの間に生まれる、友情と絆を描いた、感動的な物語である。 作品のクオリティとしては、賞レースを制したことに、何の不思議もない。トニー役のヴィゴ・モーテンセン、トニー役のマハーシャラ・アリがそれぞれアカデミー賞にノミネートされ、後者が助演男優賞に輝いたのも、納得でしかない。 しかし少なくない数の映画ファンが、大きな驚きと違和感を禁じ得なかった。この作品の製作・監督・脚本を務め、作品賞と監督賞のオスカーを手にしたのが、ピーター・ファレリーであったことに。 ピーターは、1990年代中盤から、アメリカン・コメディ・ムービーのTOPランナーとして、数々の“バカ映画”を手掛けてきた、“ファレリー兄弟”の兄の方。そんな彼が、まさか“オスカー監督”になってしまうなんて! 私の場合、アカデミー賞でのピーター・ファレリーの歓喜の表情を見ながら、彼と弟のフィルモグラフィーの中でも、特に笑い転げた傑作コメディを思い出していた。『グリーンブック』のちょうど20年前に製作・公開された、本作『メリーに首ったけ』(1998)である。 ***** 高校生のテッド(演:ベン・スティラー)は、同級生のメリー(演:キャメロン・ディアス)に恋している。しかしキュートで人気者の彼女に、冴えない自分が相手にされるなど、想像もつかないことだった ところが、知的障害のある男の子をイジメから救ったことで、幸運が訪れる。何と彼は、メリーの弟。テッドに大感謝のメリーは、彼をプロム・パーティーへと誘った。 しかしプロム当日、メリーを迎えに行ったテッドを悲劇が襲う。トイレでジッパーに、大事なイチモツを挟み、救急車で搬送されるハメに。すべては台無しとなった…。 それから13年。テッドはメリーのことが、忘れられない。そこで親友のドムから紹介された、ヒーリー(演:マット・ディロン)という胡散臭い男を、調査に雇うことに。 ヒーリーは、今はマイアミで整形外科医となったメリーを見つけ出す。彼女は眩しいほどに美しく、ヒーリーは一目惚れ。テッドには現在の彼女のことを、「体重120㌔で車椅子生活」「父親の違う4人の子の母親」などと虚偽報告を行う。その上で自らは、マイアミへと引っ越し。メリーに近づこうと、様々な策を講じる。 報告が嘘であることを知ったテッドも、マイアミへ向かう。そして再会を喜ぶメリーから、首尾良くデートの約束を取り付ける。 しかしメリーに首ったけなのは、テッドやヒーリーだけではなかった。それも皆、ストーカー行為を辞さない、一癖も二癖もある男ばかり。テッドの13年に渡る片想いの行方は!? ステキなメリーは一体、誰を選ぶのか!? ***** ロードアイランド州出身で、1956年生まれのピーター・ファレリーと、58年生まれのボビー・ファレリーの兄弟。90年代に全米で大人気だったシットコム、「となりのサインフェルド」に、2人の書いた脚本が売れたことから、業界でのキャリアが始まる。 クレジット上は、ピーターが監督、ボビーが共同製作になっている、『ジム・キャリーはMr.ダマー』(94)が、映画界に於ける2人の共同監督のはじまり。邦題通りにジム・キャリーと、ジェフ・ダニエルズが大バカコンビを演じるこの作品は、全米で製作費の10倍以上、2億5,000万㌦もの興収を上げる大ヒットとなった。 続いての作品は、ウッディ・ハレルソンとランディ・クエイド主演のボウリング・コメディ『キングピン/ストライクへの道』(96)。今度はちゃんと、ファレリー兄弟共同監督名義の作品となった。 そして第3作が、本作『メリーに首ったけ』である。元は89年に、TVのベテラン作家だった、エド・デクターとジョン・J・ストラウスが書いたオリジナルストーリー。それを、新作企画を探していたファレリー兄弟が、友人のエドから貰ったのが、はじまりだった。 本作のストーリーだけを追うと、ある意味「普遍的なラブストーリー」にも見える。それをオリジナルの作者であるエドとジョン、そしてファレリー兄弟の4人で、少しずつ書き変えた。その際に、物語の序盤でテッドを襲う“悲劇”をはじめ、ファレリー兄弟お得意の、「低俗なユーモア」を次々と盛り込んでいったのである。 因みにこの“悲劇”の元ネタとなったのは、ファレリー家で実際に起こったアクシデント。兄弟の姉がパーティを開いた際、客のひとりが同じようにジッパーにイチモツを挟んでしまい、兄弟の母がそれを助けたのだという。 そんなリライトを経て、出来上がったのは、ボビー・ファレリー曰く、「『恋人たちの予感』と『ブレージング・サドル』を足して2で割ったような…」内容。『恋人たちの予感』(89)は、“ロマコメの女王”メグ・ライアンとビリー・クリスタルが共演した、恋愛コメディの名作である。それに対して『ブレージング・サドル』(74)は、“アメリカン・コメディの巨匠”メル・ブルックスによる、西部劇をパロディにした、大バカなスラップスティックコメディだ。 因みにボビーは本作について、『恋人たちの予感』の原題“When Harry Met Sally(ハリーがサリーに出会った時)”をもじって、『ハリーがサリーをストーキングした時』と呼んでもいいとも、語っている。 配役に関しては、テッド役のベン・スティラーは、ファレリー兄弟の第一希望が通ったもの。しかし当初、製作会社側はベンでは弱いと考えたのか、他にオーウェン・ウィルソンやジム・キャリーの名前も上がったという。 結果的にベンは適役だったが、本作を成功に導いたのは、何と言っても、メリー役にキャメロン・ディアスを得たことが大きい。 十代からモデルとして活動していたキャメロンの俳優デビューは、21才の時。『マスク』(94)で、主演のジム・キャリーの相手役を務めたのが、ほぼ初めての演技だった。 この作品は大ヒット。キャメロンの知名度も上がったが、『マスク』での役どころは、あくまでも、ジム・キャリーの付属物。そこで彼女は、演技の経験を積む意味もあって、暫しの間、低予算のインディペンデント映画への出演を続けた。 そして97年、ジュリア・ロバーツ主演の『ベスト・フレンズ・ウェディング』、ダニー・ボイル監督の『普通じゃない』と、話題作に立て続けに出演。評価が高まったところでの“主演”が、本作だった。 しかしキャメロンのエージェントは、本作の脚本を一目見て、これには関わらないように、彼女に忠告したという。下ネタが目白押しで、障害者をネタにしたり、動物虐待ギャグもふんだんに入った作品に出るなど、「正気の沙汰じゃない」「キャリアが終わる」と、考えたからだ。 一方でファレリー兄弟は、キャメロンの出演を熱望。メリーのキャラには、実在のモデルが居たという。それは、ファレリー兄弟の近くにいた魅力的な女の子。ところがその子は、若くして事故で亡くなってしまった。兄弟は彼女への想いをたっぷりと籠めて、美しくも心優しいメリーのキャラを造型した。そしてキャメロンは、その役にピッタリだったのだ! 彼女のスケジュールに合わせて、撮影開始を遅らせるなどの配慮も、心に響いたのか?キャメロンは周囲の反対を押し切って、本作のオファーを受けることとなった。 実は当時のキャメロンは、ヒーリー役のマット・ディロンと交際中で、恋人同士での共演となった。しかし共演は、これが最初で最後となる。本作公開後、2人に別離が訪れたのは、キャメロンのキャリアが本作で急上昇し、ディロンと逆転してしまったことが、無関係とは言えまい。 そうした以外でも、キャメロンにとって『メリーに首ったけ』は、至極大切な作品となった。本作から10年後、キャメロンの父エミリオが、58歳の若さでこの世を去った際、彼女は本作の場面を使って、父の追悼映像を作ったのである。『メリーに首ったけ』の撮影現場で娘に同行していたエミリオは、マイアミに向かうテッドが、誤って逮捕された後の警察でのシーンにカメオ出演している。その役どころは、テッドが釈放される際に囃し立てて見送る、赤い服を着た囚人達の内の1人。長髪で髭をはやしたエミリオが、スクリーン上にはっきりと確認できる。 エキストラに友人・知人を多く起用するなど、ファレリー兄弟の撮影現場は、非常に楽しく和やかな雰囲気だったという。そんな中で、キャメロンが「懐疑的」になったのは、本作で最も有名だと言っても良い、“ヘアジェル”のギャグ。未見の方のために詳細は伏せるが、テッドとのデートに出掛ける前、メリーがある体液を、ヘアジェルと間違えて髪に付けて…というシーンである。 キャメロン曰く、これはさすがに「…行き過ぎかも」と思ったそうで、ファレリー兄弟に、「女の子がデート時に自分の髪の異変に気付かないはずがない」と異を唱えた。しかしそれに対する兄弟の答は、「…これは誰も見たことがないようなサイコーに笑えるシーンになるんだから、やってくれなくちゃダメだ!」だった。 他のやり方も試しながら、最終的にはキャメロンも納得して、このシーンを演じた。そして、「映画史に残る」…と言っても過言ではない、観てのお楽しみの、あのヴィジュアルが生まれたのである。 本作で少なくない者から不興を買ったのは、メリーの弟が知的障害であったり、メリーに惚れている男の1人が、脚が悪いのを装っているシーンなど。「障害者をバカにしている」というわけだ。 しかしながら、障害はあくまでも個性の一部であり、健常者であろうと障害者であろうと、良い奴もいれば悪い奴もいる…というのが、ファレリー兄弟のスタンス。本当に障害のある者をキャスティングすることも多い彼らによると、こうした描写にクレームを付ける者のほとんどは健常者で、障害者の側からは、むしろ強く支持されることが多いという。 『メリーに首ったけ』は公開されるや大ヒットとなり、3億7,000万㌦もの興収を上げた。自信を深めたファレリー兄弟は本作以降、“解離性同一性障害”の男をジム・キャリーが演じる、『ふたりの男とひとりの女』(2000)、美しい心を持った100㌔超の女性がヒロインである、『愛しのローズマリー』(01)、結合双生児の恋模様を描く『ふたりにクギづけ』(03)等々、“おバカコメディ”の体裁の中で、常に人々の“差別意識”を問い続けていく そして2019年2月24日、アカデミー賞の授賞式。『グリーンブック』で作品賞に輝いたピーター・ファレリーは、次のようなスピーチを行った。「…この映画は愛についての物語です。お互いに違いがありながらも愛すること。そして自分を知り、我々は同じ人間なんだと知ることです…」『メリーに首ったけ』など、弟のボビーと共に“おバカ映画”の数々で扱ってきたテーマを、ピーターがより普遍的にブラッシュアップさせたのが、『グリーンブック』だったのである。■ ◆『メリーに首ったけ』撮影中のキャメロン・ディアス(左)と、ボビー・ファレリー(中央)&ピーター・ファレリー監督(右) 『メリーに首ったけ』© 1998 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
オデッセイ(2015)
一人で火星に取り残された男の運命は?リドリー・スコット監督&マット・デイモン主演のSFサバイバル
アンディ・ウィアーのベストセラー小説をリドリー・スコット監督が映画化。火星に一人取り残されてもなおポジティブさとユーモアを忘れず、科学の知識を活かしてサバイバルに挑む主人公をマット・デイモンが好演。
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COLUMN/コラム2023.10.31
アメリカ社会の分断を痛烈に風刺した衝撃の問題作!『ザ・ハント』
※注:以下のレビューには一部ネタバレが含まれます。 人間狩りの獲物はトランプ支持者!? トランプ政権以降のアメリカで進行するイデオロギーの極端な二極化。右派と左派がお互いへの敵意や憎悪をどんどんとエスカレートさせ、社会の分断と対立はかつてないほど深刻なものとなってきた。それを率先して煽ったのが、本来なら両者の溝を埋めねばならぬ立場のトランプ元大統領だったというのは、まるで趣味の悪いジョークみたいな話であろう。そんな混沌とした現代アメリカの世相を、ブラックなユーモアとハードなコンバット・アクション、さらには血みどろ満載のバイオレンスを交えながら、痛烈な皮肉を込めて風刺した社会派スプラッター・コメディが本作『ザ・ハント』(’20)である。 物語の始まりは、とあるリッチなビジネス・エリート集団のグループ・チャット。メンバー同士の他愛ない会話は、「領地(マナー)で哀れな連中を殺すのが楽しみ!」という不穏な話題で締めくくられる。その後、豪華なプライベート・ジェットで「領地(マナー)」へと向かうエリート男女。すると、意識のもうろうとした男性が貨物室から迷い出てくる。驚いてパニックに陥る乗客たち。男性を落ち着かせようとした医者テッドは、「予定より早く起きてしまった君が悪い」と言って男性をボールペンで刺し殺そうとし、プライベート・ジェットのオーナーである女性アシーナ(ヒラリー・スワンク)が男性の息の根を止める。「このレッドネックめ!」と忌々しそうに吐き捨てながら、遺体を貨物室へ戻すテッド。すると、そこには眠らされたまま運ばれる人々の姿があった。 場所は移って広い森の中。猿ぐつわをかませられた十数名の男女が目を覚ます。ここはいったいどこなのか?なぜ猿ぐつわをしているのだろうか?自分の置かれた状況が理解できず戸惑う人々。よく見ると草原のど真ん中に大きな木箱が置かれている。中を開けてみると、出てきたのは一匹の子豚と大量の武器。直感で事態を悟り始めた男女は、それらの武器をみんなで分ける。するとその瞬間、どこからともなく浴びせられる銃弾、血しぶきをあげながら次々と倒れていく人々。これで彼らは確信する。これは「マナーゲートだ!」と。 マナーゲートとは、ネット上でまことしやかに噂される陰謀論のこと。アメリカの富と権力を牛耳るリベラル・エリートたちが、領地(マナー)と呼ばれる私有地に集まっては、娯楽目的で善良な保守派の一般庶民を狩る。要するに「人間狩り」だ。やはりマナーゲートは実在したのだ!辛うじて森からの脱出に成功した一部の人々は、近くにある古びたガソリン・スタンドへと逃げ込む。親切そうな初老の店主夫婦によると、ここはアーカンソー州だという。店の電話で警察へ通報した彼らは、そこで助けが来るのを待つことにする。ところが、このガソリン・スタンド自体が人間狩りの罠だった。 あえなく店主夫妻(その正体は狩る側のエリート)に殺されてしまう男女。すると、そこへ一人でやって来た女性クリスタル(ベティ・ギルピン)。鋭い観察力と判断力でこれが罠だと見抜いた彼女は、一瞬の隙をついて店主夫妻を殺害し、やがて驚異的な戦闘能力とサバイバル能力を駆使して反撃へ転じていく。果たして、この謎めいた女戦士クリスタルの正体とは何者なのか?狩りの獲物となった男女が選ばれた理由とは?そもそも、なぜエリートたちは残虐な人間狩りを行うのか…? リッチでリベラルな意識高い系のエリート集団が、まるでトランプ支持者みたいなレッドネックの右翼レイシストたちを誘拐し、人間狩りの獲物として血祭りにあげていく。当初、本作の予告編が公開されると保守系メディアから「我々を一方的に悪者と決めつけて殺しまくる酷い映画だ!」と非難され、トランプ大統領も作品名こそ出さなかったものの「ハリウッドのリベラルどもこそレイシストだ!」と怒りのツイートを投稿。ところが、蓋を開けてみるとエリート集団の方も、傲慢で選民意識が強くて一般庶民を見下した偽善者として描かれており、一部のリベラル系メディアからは「アンチ・リベラルの右翼的な映画」とも批判されている。言わば左右の双方から不興を買ってしまったわけだが、しかし実のところどちらの批判も的外れだったと言えよう。 本作にはトランプ支持者を一方的に貶める意図もなければ、もちろんリベラル・エリートの偽善を揶揄するような意図もない。むしろ、彼らの思想なり信念なりを劇中では殆ど掘り下げておらず、その是非を問うたりすることもなければ、どちらかに肩入れしたりすることもないのである。脚本家のニック・キューズとデイモン・リンデロフがフォーカスしたのは、左右の双方が相手グループに対して抱いている「思い込み」。この被害妄想的な間違った「思い込み」が、アメリカの分断と対立を招いているのではないか。それこそが本作の核心的なメッセージなのだと言えよう。そう考えると、上記の左右メディア双方からの批判は極めて象徴的かつ皮肉である。 陰謀論を甘く見てはいけない! そもそも、本作のストーリー自体が「思い込み」の上に成り立っている。きっかけとなったのは「マナーゲート」なる陰謀論。「エリートが庶民を狩る」なんて極めてバカげた荒唐無稽であり、実のところそんなものは存在しなかったのだが、しかしその噂を本当だと思い込んだ陰謀論者たちが特定の人々をやり玉にあげ、そのせいで仕事を奪われたエリートたちが復讐のために陰謀論者をまとめて拉致し、本当に人間狩りを始めてしまったというわけだ。まさしく「思い込み」が招いた因果応報の物語。しかも、主人公クリスタルが獲物に選ばれたのも、実は「人違い」という名の思い込みだったというのだから念が入っている。なんとも滑稽としか言いようのいない話だが、しかしこの手の思い込みや陰謀論を笑ってバカにできないのは、Qアノンと呼ばれるトランプ支持の陰謀論者たちが勝手に暴走し、本作が公開された翌年の’21年に合衆国議会議事堂の襲撃という前代未聞の事件を起こしたことからも明らかであろう。 ただ、これを大真面目な政治スリラーや、ストレートな猟奇ホラーとして描こうとすると、社会風刺という本作の根本的な意図がボヤケてしまいかねない。そういう意味で、コミカル路線を採ったのは大正解だったと言えよう。血生臭いスプラッター・シーンも、ノリは殆んどスラップスティック・コメディ。その荒唐無稽でナンセンスな阿鼻叫喚の地獄絵図が、笑うに笑えない現代アメリカの滑稽なカオスぶりを浮かび上がらせるのだ。脚本の出来の良さも然ることながら、クレイグ・ゾベル監督の毒っ気ある演出もセンスが良い。 さらに、本作は観客が抱くであろう「思い込み」までも巧みに利用し、ストーリーに新鮮なスリルと意外性を与えることに成功している。例えば、冒頭に登場する獲物の若い美男美女。演じるのはテレビを中心に活躍するジャスティン・ハートリーにエマ・ロバーツという人気スターだ。当然、この2人が主人公なのだろうなと思い込んでいたら、ものの一瞬で呆気なく殺されてしまう。その後も、ならばこいつがヒーローか?と思われるキャラが早々に消され、ようやく本編開始から25分を過ぎた辺りから、それ以前に一瞬だけ登場したけどすっかり忘れていた地味キャラ、クリスタルが本作の主人公であることが分かってくる。すると今度は、それまでの展開を踏まえて「やはり彼女もそのうち殺されるのでは…?」と疑ってしまうのだから、なるほど人間心理って面白いものですな。映画の観客というのはどうしても先の展開を読もうとするものだが、当然ながらそこには過去の映画体験に基づく「思い込み」が紛れ込む。本作はその習性を逆手に取って、観客の予想を次々と裏切っていくのだ。 その主人公クリスタルを演じているのは、女子プロレスの世界を描いたNetflixオリジナル・シリーズ『GLOW:ゴージャス・レディ・オブ・レスリング』(‘17~’19)で大ブレイクした女優ベティ・ギルピン。アクション・シーンの俊敏な動きとハードな格闘技は、3年に渡って女子プロレスラー役を演じ続けたおかげなのかもしれない。しかしそれ以上に素晴らしいのは、劇中では殆ど言及されないクリスタルの人生背景を、その表情や佇まいやふとした瞬間の動作だけで雄弁に物語るような役作りである。タフで寡黙でストイック。質素な身なりや険しい顔つきからも、相当な苦労を重ねてきたことが伺える。それでいて、鋭い眼差しには高い知性と思慮深さが宿り、きりっと引き締まった口元が揺るぎない意志の強さを物語る。恐らく、恵まれない環境のせいで才能を発揮できず、辛酸を舐めてきたのだろう。夢や理想を抱くような余裕もなければ、陰謀論にのめり込んでいるような暇もない。そんな一切の大義名分を持ち合わせていないヒロインが、純然たる生存本能に突き動かされて戦い抜くというのがまた痛快なのだ。 本作が劇場公開されてから早3年。合衆国大統領はドナルド・トランプからジョー・バイデンへと交代し、いわゆるQアノンの勢いも一時期ほどではなくなったが、しかしアメリカ社会の分断は依然として解消されず、むしろコロナ禍の混乱を経て左右間の溝はなお一層のこと深くなったように思える。それはアメリカだけの問題ではなく、日本を含む世界中が同じような危機的状況に置かれていると言えよう。もはや映画以上に先の読めない時代。より良い世界を目指して生き抜くためには、分断よりも融和、対立よりも対話が肝心。ゆめゆめ「思い込み」などに惑わされてはいけない。■ 『ザ・ハント』© 2019 Universal City Studios LLLP & Perfect Universe Investment Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ムーンライト
[R15+]自分らしさと愛を探し求める黒人男性の成長物語。アカデミー賞(R)3部門に輝く人間ドラマ
貧困層の黒人少年が直面する社会問題を背景に、セクシャリティの葛藤を抱える男の成長物語を色彩豊かな映像で綴りアカデミー賞(R)作品賞を受賞。他に助演男優賞(マハーシャラ・アリ)、脚色賞も受賞。
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COLUMN/コラム2023.10.30
元祖カンフー映画スター、ジミー・ウォングの代表作は、荒唐無稽&血まみれ上等のB級エンターテインメント!『片腕ドラゴン』
天皇巨星と呼ばれた伝説のスター、ジミー・ウォング ジャッキー・チェンの前にブルース・リーあり、そしてブルース・リーの前にジミー・ウォングあり。香港映画界の歴史に燦然と輝く元祖カンフー映画俳優にして、畏敬の念を込めて「天皇巨星」と呼ばれた伝説のスーパースター、ジミー・ウォングの、これは名刺代わりとも言うべき代表作である。といっても、近ごろは「ジミー・ウォングって名前くらいなら聞いたことあるけれど…」という映画ファンも少なくないだろう。後輩であるブルース・リーやジャッキー・チェンの世界的な名声によって、すっかりその存在がかき消されてしまった感は否めない。実際、’22年4月5日に79歳でこの世を去った時も、残念ながら日本ではあまり大きな話題にはならなかった。そこでまずは、唯一無二にして不世出の映画スター、ジミー・ウォングの華麗なる足跡を辿ってみたい。 生まれも育ちも中国の上海というジミーは、まだ18歳だった’61年に香港へと移住。高校時代から水泳および水球の選手として活躍し、香港の大学でも水球チームに所属していたのだが、しかし公式戦でルール違反を起こして1年間の出場停止を食らってしまう。おかげで何もすることがない。溢れんばかりのエネルギーと暇を持て余してしまった若きジミー。そんな折、彼の目に飛び込んできたのが、香港最大の映画会社ショウ・ブラザーズが新人俳優を募集しているとの新聞記事だったのである。 ‘58年にラン・ラン・ショウとランメ・ショウの兄弟が設立した映画会社ショウ・ブラザーズ(以下、ショウブラと省略)。当初、伝統的な中国歌劇の要素を取り入れた歌謡時代劇=黄梅調映画に力を入れていた同社だが、やがて中国版チャンバラ時代劇、いわゆる武侠映画への路線変更を模索するようになり、当時はそのためのニューフェイスを探していたのである。オーディションに集まった応募者は4000名以上。その中から最終的に選ばれたのが、後に渋い名脇役となるチェン・ライ、『キング・ボクサー/大逆転』(’72)でもお馴染みのロー・リエ、そして我らがジミー・ウォングの3名だった。 かくして、俳優養成所での訓練を経て’65年に映画デビューを果たし、翌年には当時まだ無名だったチャン・チェ監督の武侠映画『虎侠殲仇』(‘66・日本未公開)で初主演を果たしたジミー・ウォング。しかし彼の名声を一躍高めたのは、同じくチャン・チェ監督と組んだ『片腕必殺剣』(’67)だったと言えよう。不幸な出来事によって右腕を失った若き天才武道家が、親代わりである師匠とその一門を邪悪な勢力から救うべく、秘伝の片腕剣法を極めて敵に立ち向かっていく。チャン・チェ監督らしいストイックかつマッチョなヒロイズムと、黒澤明作品など日本の時代劇映画からの影響も色濃いハードなバイオレンス描写は、それまでの様式化されマンネリ化した武侠映画のジャンルに新風を吹き込み、なんと香港映画として初めて国内興収が100万香港ドルを突破する大ヒットを記録。同時期に公開されたキン・フー監督の傑作『大酔侠』(’67)と並んで、’60年代武侠映画ブームの起爆剤となったのである。 この『片腕必殺剣』の大成功によって、一躍ショウブラの看板スターとなったジミーは、引き続きチャン・チェ監督との名コンビで『大女侠』(’68)や『続・片腕必殺剣』(’69)などの武侠映画でヒットを連発。こうして地位と名声を固めた彼は、満を持して映画監督へ進出するべく、自ら書いた脚本を社長ラン・ラン・ショウと恩師チャン・チェ監督のもとへ持ち込む。それが、剣術ではなく格闘技をメインに据えたアクション映画=カンフー映画の元祖と呼ばれる『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』(’70)だった。 全盛期が長続きしなかった理由とは? ところが、この初監督企画にショウ社長もチャン監督も揃って難色を示す。当時まだ20代半ばだったジミーの若さと経験不足を心配したショウ社長。一方、チャン監督は格闘技映画なんて流行らない、今まで通りの武侠映画でいいんじゃないかと再考を促したらしい。もともと香港には格闘技映画の伝統もあり、中でも実在した伝説的な格闘家ウォン・フェイホンを題材にしたカンフー映画が’50年代に大流行したのだが、しかしやはり様式化とマンネリ化で若い世代からそっぽを向かれるようになり、’60年代にはすっかり下火となっていたのである。それでも信念を曲げなかったジミーは台湾移住をほのめかし、看板スターを失うことを恐れたショウ社長は渋々ながらも『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』の企画にゴーサインを出したというわけだ。 道場破りの柔道家と日本から来た空手家に師匠や仲間を殺され、自らも瀕死の重傷を負った若き格闘家が、空手に対抗する秘術・鉄沙掌と軽功の鍛錬を極めて復讐に立ち上がる。チャン・チェ監督譲りの血生臭いバイオレンス描写に加えて、天井や壁を突き破って縦横無尽に暴れまくるという、ジミー・ウォング監督の劇画的でケレン味たっぷりの荒唐無稽なアクション演出はインパクト強烈で、蓋を開けてみれば『片腕必殺剣』を遥かに凌ぐ興行収入200万香港ドルのメガヒットを記録。これがきっかけとなって、’70年代の香港映画界はカンフー映画ブームが席巻することになる。 その一方で、本作をアメリカで見たブルース・リーが「こんなのは格闘技じゃない!」と憤慨し、それが香港へ戻って本格的なカンフー映画に出演する動機のひとつになったとも伝えられているように、ブルース・リー以降のリアルな格闘技アクションを見慣れた現代の観客からすると、一連のジミー・ウォング作品で披露されるカンフー技は単なるダンスにしか見えないだろう。まあ、それは仕方あるまい。確かに学生時代は水球選手として活躍し、アスリートとしての素地はあったジミーだが、しかし格闘技に関しては殆んど素人も同然。そのうえ、可愛らしいベビーフェイスで体格も華奢なため、なるほど動きこそ俊敏かつシャープであるものの、しかし残念ながら全く強く見えないというのが玉に瑕だった。 それゆえ、武術指導者として道場まで持っていたブルース・リーやスタントマン出身のデヴィッド・チャン、詠春拳の心得があるティ・ロンなど「本物」のカンフー・スターたちが台頭すると、あっという間に人気を取って代わられてしまう。もちろん、黒社会との癒着や傷害事件などのスキャンダルが足を引っ張ったという側面もあったろう。とはいえ、『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』がなければカンフー映画ブームは起きず、ブルース・リーが香港映画を足掛かりに世界へ羽ばたくこともなかったかもしれない。生前のジミー・ウォング自身、「遅かれ早かれ、誰かがこういう映画を作っていただろうとは思う。それでも、このタイミングで自分がこの映画を作らなかったら、もしかするとブルース・リーが活躍することもなかったかもしれない」と語っている。 とにもかくにも、『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』でカンフー映画の新規路線を開拓し、俳優としてのみならず監督としても輝かしい名声を手に入れたジミー・ウォング。ところが、当時のショウブラとの契約は月給制で、ジミーほどの大スターでも月額2000香港ドルという薄給のままだった。これに不満を募らせた彼は、’71年にライバル会社ゴールデン・ハーヴェストへと移籍する。当時まだ新興スタジオだったゴールデン・ハーヴェストは、ショウブラの元製作本部長レイモンド・チョウが設立した会社。ジミー・ウォング曰く、映画界入りした当初から最も世話になったのがチョウ氏だったそうで、そのチョウ氏に対する忠誠心とショウ社長やチャン監督への不信感が彼に移籍を決意させたようだ。 ところが、当然ながらショウブラ側はこの背信行為に激怒。裁判の結果、ジミーは香港での活動が不可能になってしまう。そこで、レイモンド・チョウの助言もあって台湾へ移住した彼は、主に同地を拠点としながらゴールデン・ハーヴェストや中小プロダクションの映画へ出演するようになる。その新天地で再びジミー・ウォングが監督・脚本・主演の3役にチャレンジし、当時まだ創業して間もないゴールデン・ハーヴェストに初めての成功をもたらした作品が、香港・台湾はもとより欧州やアメリカでも大ヒットしたカルト映画『片腕ドラゴン』(’72)だった。 インパクト強烈なヴィランたちにも要注目! 質実剛健で礼儀を重んじる正徳武館に、金儲けのためなら麻薬密売や売春も厭わない鉄鈎門という、相対する武道流派が勢力を二分する小さな町が舞台。街頭で森下仁丹の広告が見受けられることから察するに、恐らく大日本帝国を含む列強諸国による半植民地化が進んだ北京政府時代の中国本土という設定なのだろう。ある日、罪もない一般庶民に暴力を振るう鉄鈎門一味の狼藉を見るに見かねた正徳武館の二番弟子ティエンロン(ジミー・ウォング)は、一緒にいた弟弟子たちと共に連中をコテンパンに成敗してしまう。メンツを潰された鉄鈎門のザオ師匠(ティエン・イエー)は一門を引き連れて正徳武館へ殴り込みをかけるも、今度は正徳武館のハン師匠(マー・チ)に撃退されてしまった。 どうにも腹の虫がおさまらないザオ師匠。そこで彼は、麻薬密売の売上金をエサにして、諸外国の格闘家を殺し屋として雇うことにする。その頂点に立つのが、ケダモノのような牙が生えた日本の空手家・二谷太郎(ロン・フェイ)、その愛弟子である長谷川と坂田。そのほか、同じく日本の柔道家・高橋にテコンドー師範の朝鮮人キム、ムエタイ選手のタイ人兄弟ナイとミー、インドのヨガ師匠モナにチベットのラマ僧ズオロンとズオフーなど、いずれ劣らぬ凶暴な極悪人ばかりだ。 かくして、金で集めた殺し屋軍団を従えて正徳武館を襲撃するザオ師匠の鉄鈎門一味。外国の格闘技に知識のない正徳武館の面々は劣勢に立たされ、門下生たちはおろかハン師匠まで皆殺しにされてしまう。唯一、奇跡的に生き残ったティエンロンも、怪力の二谷に右腕をもぎ取られてしまった。瀕死の状態を通りがかった町医者親子に救われ、医者の娘シャオユー(タン・シン)の献身的な介護のおかげで回復したティエンロン。しかし、片腕だけでは殺された師匠や仲間たちの復讐もできない。生きる気力を失ったティエンロンだったが、そんな彼にシャオユーが言う。古くから伝わる薬草を使って秘伝の片腕拳法「残拳」を修得すれば、石を割るほどの破壊力を持つ鋼鉄の拳を手に入れることが出来るというのだ。そのために左腕の神経を焼き切り、血の滲むような猛特訓を重ねたティエンロンは、鉄鈎門の一味と殺し屋軍団にたった一人で立ち向かっていく…。 基本的なあらすじは『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』とほぼ一緒。そこに『片腕必殺剣』で確立した片腕アクションの要素を盛り込んだだけである。いやあ、なんというか、セルフ・パロディならぬセルフ・コピー(笑)。要は使い回しってやつですな。ちなみに、『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』のあらすじは、チャン・チェ監督も『キング・ボクサー/大逆転』でちゃっかりとパクっている。これはジミーのゴールデン・ハーヴェスト移籍に腹を立てたチャン監督が、ジミーへの腹いせとしてパクったとも言われているが、いずれにせよこの『キング・ボクサー/大逆転』が結果として、欧米でヒットした初めての香港カンフー映画となったのだから皮肉なもんである。 閑話休題。『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』で劇画的な荒唐無稽を打ち出したジミー・ウォング監督だが、本作ではさらにその傾向がエスカレート。もはや格闘技とは呼べないような超人技が次々と飛び出し、血飛沫の乱れ飛ぶ阿鼻叫喚の肉弾バトルが異常なテンションで展開していく。指一本の片腕逆立ちでピョンピョン飛び跳ねるなんてのは、『柔道一直線』の足の指先で「猫ふんじゃった」をピアノ演奏する近藤正臣も真っ青の離れ業(笑)。そう、基本的なノリは『柔道一直線』なのですよ。それもウルトラ・バイオレントな!なので、アジア各国から集まった殺し屋の格闘家たちもマンガ的なキャラばかり。いや待てよ、ヨガって格闘技だったっけ!?と突っ込む間もなく、個性豊かなヴィランたちが次々と登場する。 中でも特に強烈なのが日本の空手家・二谷太郎。吸血鬼のごとき牙の生えた御面相は、もはやケダモノというよりはバケモノである。『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』に出てくる日本の空手家3人組もなかなか異様だったが、しかし本作はその比じゃないだろう。そういえば、二谷太郎役の俳優ロン・フェイは、本作の続編『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』(’76)でも日本人の悪役を演じていた。当時の香港のカンフー映画において、悪役といえば日本人、日本人といえば悪役が定番。かつての大日本帝国は、アジア近隣諸国の人々に恨まれて当然の悪事をしでかしたのだから、まあ、こればかりは仕方あるまい。当時は日本占領時代を経験した香港人も大勢存命だったろうしね。 ただ、そうした中において本作がユニークなのは、日本人のみならずタイ人や朝鮮人、チベット人にインド人など外国人全般を脅威として描くことで、香港のナショナリズムを煽るような意図が少なからず感じられることだろう。この傾向は続編『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』にも引き継がれる。ジミー・ウォング作品といえば女性キャラの扱いが男尊女卑的だったりもするのだが、その辺を含めて彼の作家性みたいなものが何となく垣間見えるようにも思う。 なお、本作のタイトル・クレジットのBGMを聴いてビックリする人もいるだろう。なにしろ、ハリウッド映画『黒いジャガー』(’71)のテーマ曲が堂々と鳴り響くのですからね(笑)!その後も、ここぞという見せ場で繰り返し『黒いジャガー』のテーマが流れてくるのだが、もちろん著作権無視の無断使用。『キング・ボクサー/大逆転』の『鬼警部アイアンサイド』のテーマも有名だが、既存の有名な映画音楽やヒット曲などを勝手に使うのは、当時の香港映画の常とう手段みたいなものだったのである。 ということで、グラインドハウス映画的ないかがわしさがプンプンとする極上のB級アクション・エンターテインメント。相変わらずジミー・ウォングの格闘技も胡散臭いのだけど、なんだか妙に可愛らしくて憎めないのだよね(笑)。このそこはかとなく漂う場末感こそが、’70年代の香港カンフー映画の大きな魅力ではないかとも思う。■ 『片腕ドラゴン』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ブロークン・アロー
盗まれた核弾頭の爆発を止めろ!クリスチャン・スレイター&ジョン・トラヴォルタが放つ大ヒットアクション
『フェイス/オフ』のジョン・ウー監督&ジョン・トラヴォルタが再び組み、男と男の対決を水陸空に渡ってスペクタクル満載に織りなす。トラヴォルタが本格的な悪役に初挑戦し、不敵な貫禄を発揮している。
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COLUMN/コラム2023.10.11
イーストウッドに俳優業引退を翻意させた、 新人脚本家との出会い 『グラン・トリノ』
クリント・イーストウッドは、1930年5月生まれ。齢70を越えた2000年代に、9本もの劇映画を監督している。 引退を考えてもおかしくない年頃になって、この驚異的なペース。しかも、自身2度目のアカデミー賞作品賞・監督賞を獲得した『ミリオンダラー・ベイビー』(04)をはじめ、その多くが高評価を勝ち取っている。 しかしながら、『荒野の用心棒』(1964)や『ダーティハリー』(71)等々で、“大スター”のイーストウッドに親しんできたファンたちは、2000年代中盤以降、些か淋しい気持ちにも襲われていた。かつては自らの監督作の多くに主演していたイーストウッドだったが、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に06)、『チェンジリング』(08)と、この頃に製作・監督した3作品では、スクリーン上に姿を見せなかったのだ。 イーストウッド自身、『ミリオンダラー・ベイビー』を演じ終えた際には、「…もう十分だ。再び演技はしたくない…」と考えるようになっていたという。それから4年、演じる役柄を特に探すこともなく、監督業に専念していた彼は、ある脚本との出会いによって、翻意する。 イーストウッドが主宰する製作会社マルパソ・プロダクションに届けられたその脚本は、無名の新人脚本家が執筆したもの。まずはプロデューサーのロバート・ロレンツが目を通してから、イーストウッドに手渡した。「これが君の監督作になるか出演作になるかはわからないけれど、とにかくおもしろいよ」と言い添えて。 一読したイーストウッドも、すぐに気に入った。その物語の主人公ウォルト・コワルスキーは、それまでイーストウッドが演じてきたキャラクターが、老境を迎えたかのような人物で、まるで“当て書き”と見紛うばかりだった。 そして本作『グラン・トリノ』(08)の映画化が、動き始めた。 ***** ミシガン州デトロイトに住む、ポーランド系アメリカ人のウォルトは、頑固で偏狭な老人。亡き妻が頼った神父にも、「頭でっかちの童貞」と毒づく始末で、2人の息子やその家族ともうまくいっていない。 若き日に従軍した朝鮮戦争で、敵を殺したトラウマを長年抱えてきたウォルト。近隣には、かつて勤務した自動車工場の仲間たちの姿は消え、今やアジア系の移民ばかりが暮らすように。人種的な偏見の持ち主である彼は、そのことにも腹を立てていた。 ある時、隣に住むモン族の少年タオが、不良の従兄弟に強要されて、ウォルトの愛車“グラン・トリノ”を盗みに入る。タオはウォルトにライフルを突きつけられて、這々の体で逃げ出す。 その後行きがかりから、タオやその姉スーが、不良に絡まれているところを救ったウォルト。はじめは嫌っていた彼らと交流を深めていく中で、孤独が癒やされるのを感じる。 折しも自分が死病に侵されているのを知ったウォルトだが、近隣の家の修繕を手伝わせたり、建設現場の仕事を紹介するなどして、タオを“一人前の男”にすることに生きがいを感じるようになる。それに応えるタオも、ウォルトを“師”と慕うように。 そんな時に、タオの従兄弟ら不良たちからの嫌がらせが、再び始まる。ウォルトが彼らの1人に制裁を加えたことから、事態は悪化。タオとスーの一家は危機に立たされる。 復讐心に燃えるタオを制して、ウォルトは言う。「人を殺す気持ちを知りたいのか?最悪だ」 そしてウォルトは、タオたちを守るために、ある決断をする…。 ***** 本作『グラン・トリノ』の脚本は、それまでローカルケーブルTVのコメディ用台本を手掛けてきたというニック・シェンクが、初めて映画用に書いたもの。主人公のモデルになったのは、シェンクが育ったアメリカ中西部のミネソタ州で、たくさん見てきた男たちだという。 曰く、彼らは「感情を全く見せず、何に対しても喜んだりはしない」「多くはベテラン(帰還兵)で、惨たらしいものをたくさん見てきて、自分の感情を奥に深くしまい込むようになってしまった…」 その結果として、「他人にはいつもタフできつく当たり、特に自分の子供に対しめちゃくちゃ厳しい」。そんな男たちの特徴を組み合わせて練り上げたのが、ウォルト・コワルスキーだった。 因みにウォルトと、馴染みの散髪屋のイタリア系店主が、お互い差別語を交えながら会話するシーンも、シェンクの実体験をベースに書かれたもの。長い間工事現場でトラック運転手として働いていたというシェンクは、その外見からいつも、「ハゲチンポ」と呼ばれていたのだという。 朝鮮戦争で凄惨な体験をして、人殺しをしたことに深い悔恨の念を抱く老人ウォルトの隣人となるのは、“モン族”の少年とその家族。これも、シェンクが工場勤務の頃の同僚に、“モン族”が多くいたことがベースになっている。 “モン族”は元々、中国に居た民族。しかし19世紀に清朝に追われて、ラオスやベトナムなど東南アジアに分布するようになった。 1970年代のベトナム戦争時、山岳地の戦いに強い“モン族”の一派を、アメリカ軍がゲリラとして活用。しかし75年、アメリカが戦争に敗れて撤退すると、ラオスでは“モン族”は敵と見なされて、迫害されるようになる。そのため難民として、アメリカまで逃げる者が多数に上った。 2015年時点で、アメリカに暮らす“モン族”は、二世も含めて26万人余りという。『グラン・トリノ』は、ベトナム戦争でアメリカの犠牲となって、アジアの地から移り住んできた“モン族”が、朝鮮戦争で心の傷を負い、長年罪の意識に囚われてきた男ウォルトの、“救い”となり“贖罪”の対象となる物語だ。 本作を監督し、ウォルトを演じたイーストウッドは、それまで“モン族”のことをほとんど知らなかった。そのため文献に目を通すなど、様々なことを学んだ上で、キャストには本物の“モン族”の人々を起用することに、こだわった。 タオ役のビー・バンやスー役のアーニー・ハーは、演技は学校の演劇部や地元の劇団で経験した程度だったが、非常に勘が良く、イーストウッド曰く「作品に確かなリアリティを出してくれた」。英語が全く話せない“モン族”の老人などもキャスティングする中で、イーストウッドは、彼らのことに詳しいエキスパートを招聘。全ての表現が適切かどうかをチェックしながら、撮影を進めたという。 ウォルトは、何かにつけてはライフルを持ち出し、不良たちを相手に一歩も退かない姿勢を見せる。そのキャラに、イーストウッド最大の当たり役『ダーティハリー』シリーズのハリー・キャラハン刑事を重ね合わせ、その老後のように捉える向きも、少なくないだろう。 イーストウッド自身は、「自分ではハリーだとは思わなかった」と笑いながらも、『ミリオンダラー・ベイビー』や『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(86)などで、自分が演じてきた主人公たちと重なるところがあることを認めている。「社会や今の世の中から外れた男」で、「人との接し方がわからないし、あらゆることが昔と変わってしまったことにもすねている」のだ。 そんなウォルトである。不良たちのエスカレートする暴力に対しては、ハリー・キャラハンのように銃をぶっ放して、一人残らず殲滅する選択をしても、不思議ではない。いやむしろ、イーストウッド映画のファンとしては、それを期待してしまうだろう。 しかし、“モン族”の若者との交流で、“寛容さ”を学んだ彼は、暴力の連鎖をいかに断つかに腐心。タオたちが、後顧の憂いなく生きていける道を、見つけ出そうとするのだ。 詳しくは本作を、実際に観ていただく他はないが、初公開時にウォルトが採った道を目の当たりにした多くの観客は、まさかの展開に唖然。それでいて、胸を熱くする他はなかったのである。 それにしても、元はイーストウッド主演を前提に書かれたものではない、本作の脚本。実際に映画化権を手にしたイーストウッドが、どれだけ自分自身や己が演じてきたキャラに寄せて、書き直させたのだろうか? ニック・シェンクによると、「脚本から一つか二つシーンをカットして、ロケ地をミネソタ州ミネアポリスからミシガン州デトロイトに移した以外は、ほぼ脚本、一字一句違わずそのまま」イーストウッドは撮り上げたのだという。特にウォルトのセリフは、シェンクが「書いたとおり」に、イーストウッドは演じたのである。 最初に記した通り、1930年生まれのイーストウッドは、ウォルトとほぼ同年代。朝鮮戦争時には、実際に兵役に就いている。幸いにして戦場に出ることはなかったというが。 また本作に取り掛かる直前は折しも、イーストウッドが日本兵を主人公にした『硫黄島からの手紙』を監督して、アジアへの視点が開けたと思しき頃。そんなタイミングで、自分の年代で演じるにはベストと言える、『グラン・トリノ』の脚本と出会ったわけである。 イーストウッドのそうした強運さは、彼が長命にして頑健な肉体を誇ることと合わせて、「天からのプレゼント」という他はない。それは。彼の映画を見続けてきた我々にとってもである。 かくして世に送り出された『グラン・トリノ』は、当時としてはイーストウッド映画史上、最大のヒットを記録した。■ 『グラン・トリノ』© Matten Productions GmbH & Co. KG
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PROGRAM/放送作品
アメリカン・ストーリーズ/食事・家族・哲学
夜の摩天楼で自らの物語を語り出す移民たち──シャンタル・アケルマン監督がユダヤ人のルーツに迫る実験作
ユダヤ系のシャンタル・アケルマン監督が、米国への移住時に苦労したポーランド系ユダヤ人たちの独白を通じてユダヤ人としてのルーツに迫るという、実験精神が光る意欲作。喜劇的な寸劇を合間に挟む構成もユニーク。
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COLUMN/コラム2023.10.10
ブラピとベネット・ミラー。野球好きでない製作者と監督が生み出した、21世紀型野球映画『マネーボール』
“ブラピ”ことブラッド・ピット(1963~ )が、『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)で、一躍注目の存在となった時、その作品を監督した稀代の二枚目スターに因んで、「第2のロバート・レッドフォード」と謳われた。それからもう、30年余。 ブラピはその間、ハリウッドのTOPランナーの1人として、主演・助演交えて数多くのヒット作・話題作に出演してきた。アカデミー賞は、4度目のノミネートとなった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)で、助演男優賞を遂に掌中に収めた。 俳優として以上に評価が高く、辣腕振りを見せているのは、プロデューサー業である。2001年に映画製作会社「プランBエンターテインメント」を設立すると、製作を務めた『ディパーテッド』(06)と『それでも夜は明ける』(14)、製作総指揮とクレジットされている『ムーンライト』(16)の3作品で、アカデミー賞作品賞を受賞。また、製作・主演を務めた、テレンス・マリック監督作『ツリー・オブ・ライフ』(11)は、カンヌ国際映画祭の最高賞=パルム・ドールに輝いている。 そんな彼が2000年代後半、“映画化”に執心。4年の準備期間で幾多もの障害を乗り越え、2011年にリリースしたのが、実在の人物ビリー・ビーンを自ら演じた、本作『マネーボール』である。 ***** 2001年のメジャーリーグベースボール。アメリカン・リーグのオークランド・アスレティックスは、地区シリーズ優勝目前で、ニューヨーク・ヤンキースに敗退。そのシーズンオフには、チームの主力選手3人が、フリーエージェントにより、大金を積んだ他チームへ移籍することが決まった。 チームの編成を担当するのは、GM=ジェネラル・マネージャーのビリー・ビーン。選手の年棒総額が1億~2億にも達する、ヤンキースのような金満球団と違って、アスレチックスが割けるのは、4,000万㌦程度。抜けた選手たちの穴を、金ずくで埋めるなど、不可能だった。 補強に当たってビリーは、球団の古参スカウトらが上げてくる、「主観的」な選手情報に、不信を感じていた。彼自身が高校卒業と同時に、スカウトの「主観的」な高評価と、多額の契約金に目が眩んで、大学進学を取りやめ、メジャーリーグへと進んだ。その結果として、プロの“適性”がなく、惨憺たる現役生活を送った経験があったのである。 ビリーは、トレード交渉でインディアンス球団を訪ねた際、イエール大卒の若きフロントスタッフ、ピーター・ブランドに出会う。ビリーはピーターが、データに基づいて選手たちを「客観的」に評価する「セイバーメトリクス」理論を駆使していることを知り、自分のアシスタントに引き抜く。 二人三脚で、データ分析に基づいたチームの補強に乗り出した、ビリーとピーター。彼らが欲した選手の多くは、元の所属球団からの評価が低いため、「安く」入手できた。 ビリーたちのそんな常識外れのやり方に、監督も含む周囲との軋轢が生まれていく。そのままシーズンへと突入するも、勝利にはなかなか、結びつかない。 それまでのメジャーの常識を打ち破らんとする、ビリーたちの挑戦の行方は果して!? ***** 原作は、マイケル・ルイスが2003年に出版した、ノンフィクションのベストセラー。ここで紹介される「セイバーメトリクス」とは、1970年代にビル・ジェイムズなる人物が生み出した、データを駆使した野球理論である。 その内容から、主なものをごく簡単に紹介する。打者を評価するに当たっては、つい目が惹かれてしまう、ホームランの本数や打点、打率などよりも、四球なども含んだ出塁率や長打率を重視する。実はその方が、「相手チームより多く得点を記録する」ことに結びつく。即ち“勝利”のためには、有効であるというのだ。 投手の評価に関しては、「ホームラン以外のフェア打球は、それが安打になろうとなるまいと投手の力量とは関係ない」と、割り切る。 送りバントや盗塁といった伝統的な戦略については、「アウト数を増やす可能性が高い攻撃はどれも、賢明ではない」と酷評し、斬って捨てている。このように、「セイバーメトリクス」は、それまでの球界の常識をことごとく覆すものだった。 この理論は、野球ファンの一部から注目されながらも、メジャー球団の関係者からは、長らく無視された。そして、ドラフトやトレードでの補強や、実際の試合に於ける選手起用などでは、データに基づいた「客観」よりも、スカウトや監督などの「主観」が優先され続けたのである。 そうした旧弊を打ち破ったのが、アスレチックス球団だった。映画ではその辺りの流れは割愛・改変されているが、まずは90年代前半、当時のGMだったサンディ・アルダーソンが、「セイバーメトリクス」をチーム作りに応用し始めた。そしてその後任となったビリー・ビーンが、本格的な実践に踏み切ったのである。 その絶大な成果、「セイバーメトリクス」がいかに球界を変えたかについては、本編で是非ご覧いただくとして、実はプロデューサー兼主演俳優のブラピは、野球自体は「あまり観ない」上、本作に関わるまでは、知識もそれほどなかったという。それは彼が子どもの頃に出場した、野球の試合での経験に起因する。 フライを捕ろうとしたら、太陽に目が眩んで、ボールが顔を直撃。病院送りとなって、18針も縫ったのである。 それ以来野球に関わらなかったブラピが、本作の原作に惹かれたのは、「負け犬が返り咲いて自分の持ってるすべてを、あるいはそれ以上のものを発揮する部分」だったという。更に主人公であるビリー・ビーンの、「長いものにまかれない…」「人がノーマルだと思うことに疑問を持つ…」「何年も継続されているからとそれを受け入れてしまわない…」そういった“精神”に魅了されたのである。 しかしながら先にも記した通り、“映画化”が実現するまでの道のりは平坦ではなかった。とりわけ大きかったのは、2度に渡る監督の交代劇。 最初に決まっていたデイヴィッド・フランケルが降板すると、スティーヴン・ソダーバーグが後任の監督に。ところが、準備が進んで、いよいよ撮影開始数日前というタイミングで、スタジオ側から製作中止を申し渡される。 それでもブラピの心は、「このストーリーに取り憑かれてしまっていて」、本作の企画を「手放すなんてとてもできなかった」のだという。何としてでも、ビリー・ビーンを演じたかったのだ。 最終的に監督は、前作『カポーティ』(05)でアカデミー賞監督賞にノミネートされた、ベネット・ミラーに決まる。実はミラーも、野球自体はまったく好きではなかった。原作本に関しても、「スポーツビジネスの専門書みたいな本で、はじめはあまり読むのに気が進まなかった…」という。 ところが読み進む内に、「この物語にとって、野球はとっかかりでしかない」と気付く。そしてブラピと同様に、ビリー・ビーンの生き様に心惹かれ、「ぜひ掘り下げてみたい」という気持ちになったのだ。 脚本は、監督がソダーバーグだった時点では、スティーヴン・ザイリアンが執筆。その後ミラーが監督になってから、アーロン・ソーキンによるリライトが行われた。 ザイリアンは『レナードの朝』(90) 『シンドラーのリスト』(93)など、ソーキンは『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』(07)『ソーシャル・ネットワーク』(10)など、それぞれ実話をベースとした脚色に定評があり、そうした作品でオスカー受賞経験のある2人。それをドキュメンタリー出身のミラー監督が演出することで、ビリー・ビーンの裏舞台での戦いが、リアルに浮き彫りになる。 同時に、チームが勝利に向かって邁進するという、ある意味王道が描かれる。こうして本作は、それまでの“野球映画”では見たことがなかったような、何とも絶妙なバランスの作品に仕上がったのである。 原作者のマイケル・ルイスは、「一本の筋あるいはドラマチックな展開があるとは必ずしも言えない」自作を、「きちんと映画化するのは非常に困難」と認識。「本と全然違う映画にするのか、あるいは本のとおり映画にしてひどい映画になるのか」どちらかだろうと考えていた。しかし完成作を観てミラー監督に、「この映画は(とても良いのに)本のとおりでした」と、大満足の評価を伝えている。 実在のビリー・ビーンは、ブラピが自分の役を演じると聞いて、少し意外な気がしたという。しかし実際に彼と接して、その役作りへの努力を目の当たりにする中で、ブラピが明確なヴィジョンを持ち、この上なく礼儀正しい人物だったことに、感銘を受けた。 一方で、この映画化に最も不満を覚えたのは、本作でのビリー・ビーンの片腕、ピーターのモデルとなった、ポール・デポデスタであった。デポデスタは己の役を、自分とは似てもにつかない太っちょのコメディアン、ジョナ・ヒルが演じることに、納得がいかなかった。またそのキャラが、オタクのように描かれることにも、我慢ならなかったようだ。 結果としてデポデスタは、実名を使うことの許可を出さなかった。そのため彼に当たるキャラは、ピーター・ブランドと、改名されたのである。 そのピーターを演じたジョナ・ヒルは、シリアスな演技が出来ることも披露した本作で、アカデミー賞助演男優賞にノミネート。高評価を得て、その後役の幅を広げていく。 因みに“野球映画”としてのクオリティを高めるのに効果的だったのは、メジャーリーグやマイナーリーグなどの元プロや大学野球の経験者などを、選手役にキャスティングしたこと。そんな本物の元野球選手たちの中で、一塁手スコット・ハッテバーグを演じたクリス・プラットは、唯一人野球経験のない俳優だった。 そのためプラットは、かなりハードなトレーニングに積んだ上で、実在のハッテバーグの特徴をよく捉えた役作りを行った。結果として本作のベースボール・コーディネーターからは、「野球選手としての成長ぶりには目覚ましいものがあった」と、高評価を勝ち取った。 この時のプラットは、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ(14~ )や『ジュラシック・ワールド』シリーズ(15~ )で、主演スターにのし上がる前夜。そんなプラットの野球選手ぶりをウォッチするのも、本作を今日観る上での、楽しみ方の一つと言えるだろう。 ブラッド・ピットは本作で、「21世紀型」とも言える、それまでになかった、新たな“野球映画”をクリエイトした。アカデミー賞では作品賞や主演男優賞など6部門にノミネートされながら、残念ながら受賞は逃したものの、ブラピにとって『マネーボール』が、俳優としてもプロデューサーとしても、代表作の1本となったことは、間違いあるまい。■ 『マネーボール』© 2011 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.