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PROGRAM/放送作品
青い経験 誘惑の家庭教師
[PG12相当]セクシーなピアノ教師が年下男性に大人の愛を教える…E・フェネシュの官能シリーズ第3弾
エロティックコメディの女王エドウィジュ・フェネシュ主演の『青い経験』シリーズ第3作。フェネシュが前2作から一変してショートカット姿になり、すべての男を虜にしてしまうピアノ教師を大人の色香満点に魅せる。
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COLUMN/コラム2025.01.07
若き日のカンフー映画スター、ドニー・イェンの才能と魅力が炸裂する香港クライム・アクション!『タイガー・コネクション』
売れない時代が長かったドニー・イェン 今やアジアを代表するスーパースターと呼んでも過言ではないカンフー映画俳優ドニー・イェン。世界興収の合計が4億ドルを軽く突破という、香港映画としては異例のメガヒットを記録した『イップ・マン』シリーズ(‘08~’19)を筆頭に、『孫文の義士団』(‘09)や『捜査官X』(’11)、『モンキー・マジック 孫悟空誕生』(’14)などの大作・話題作に次々と主演し、さらには『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(’16)や『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(’23)などハリウッド映画でも引っ張りだこ。ブルース・リーやジャッキー・チェンに勝るとも劣らぬ身体能力と格闘テクニックはカンフー映画ファンの間でも極めて評価が高く、いつしか「宇宙最強」とまで呼ばれるようになったイェンだが、しかしそこへ至るまでに長いこと「売れない時代」があったことは、今となっては意外と知られていないかもしれない。 中国出身の著名な武術家マク・ボウシムを母親に持ち、自身もジェット・リーと同じ北京市業余体育学校で武術の修業を積んだイェン。『マトリックス』(’99)や『グリーン・デスティニー』(’00)などのアクション監督でも有名なユエン・ウーピンの秘蔵っ子として、ウーピン監督の『ドラゴン酔太極拳』(’84)でいきなり主演デビューを果たしたイェンだが、しかし当初はさっぱり売れなかった。清朝の冷酷非情な警察官・ラン提督を演じた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』(’92)で香港電影金像奨の助演男優賞にノミネートされ、さらには尊敬するブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』(’72)をテレビ・リメイクした『精武門』(’95)に主演したことで知名度を大きく上げたものの、しかしそれでもなお単独主演映画の興行成績はことごとくパッとしなかった。結局、『SPL/狼よ静かに死ね』(’05)で本格的に大ブレイクするまではこれといったヒットにも恵まれず、一時期はアクション監督の仕事で食いつなぐような状態だったのである。 なにしろ’80年代後半~’90年代の香港映画界は、ジャッキー・チェンにジェット・リー、チョウ・ユンファといった大物アクション俳優たちがしのぎを削っていた時代である。いくら本格的な格闘技の心得があるとはいえ、当時まだ線が細くて地味な若者だったドニー・イェンが太刀打ちできなかったのも仕方あるまい。そのうえ、’93年をピークとして香港映画界は斜陽の時代へと突入。おのずと、ネームバリューの弱いイェン主演作はインディペンデントの低予算映画が中心となってしまう。ただその一方で、先述したように卓越した身体能力とテクニックを備えたイェンの超絶アクションは、それこそジャッキー・チェンやジェット・リーと比較しても全く遜色がなく、東西のカンフー映画マニアの間では早い時期から高い評価を得ていた。中でも、イェン自身がアクション指導も担当したクライム・アクション『タイガー・コネクション』(’90)は、初期代表作のひとつとして人気の高い作品だ。 血の気の多い元刑事とオッチョコチョイな弁護士の凸凹コンビが、マフィアの金を巡る強奪戦に巻き込まれる! ドニー・イェンが演じるのは、妻から三下り半を突きつけられた短気で喧嘩っ早い元刑事ドラゴン・ヤウ。離婚弁護士マンディ(ロザムンド・クワン)のオフィスを訪れていたドラゴンは、たまたまエレベーターを待っていたところ強盗事件に出くわしてしまう。同じビルに事務所を構える企業の顧問弁護士ワイズ(ロビン・ショウ)は、その陰で在米チャイニーズ・マフィアのマネーロンダリングを秘かに請け負っているのだが、社員デヴィッド(デヴィッド・ウー)とケン(ディクソン・リー)がロサンゼルスから香港へ持ち帰った資金洗浄用の700万ドルを、突然現れた正体不明の武装集団が強奪しようとしたのである。 現金の入ったアタッシュケースを抱えて逃亡するケン。とある場所にそれを隠したケンは地下駐車場へ辿り着くも、武装集団に銃撃されて息絶える。その一部始終を目撃したのが運悪く居合わせたマンディ。武装集団を追いかけてきたドラゴンが一味を撃退するものの、しかし混乱したマンディは彼を犯人グループの一員と勘違いして警察に突き出してしまう。謂れなき濡れ衣に激昂するドラゴンだったが、元同僚の刑事タク(ギャリー・チョウ)に殴り倒され気絶する。 救急車で近くの病院へ送り届けられたマンディとドラゴン。待ち受けた武装集団の仲間がケンと間違えて気絶したドラゴンを誘拐するも、すぐに人違いだと気付いて道端に投げ捨てていく。ほどなくして意識を取り戻したドラゴンは、病院で怪我の手当てを受けて帰宅するマンディを尾行。自宅マンションまで追いかけて誤解を解こうとしたドラゴンだが、そこにはマンディのルームメイトである弁護士ペティ(ドゥドゥ・チェン)の死体が転がっていた。実は、ペティの恋人はほかでもないワイズ弁護士。武装集団を裏で操ってマフィアの700万ドルを横取りしようとしたワイズは、その秘密に気付いてしまったペティを口封じのため殺害したのだ。そこへ、直前にペティからSOSの連絡を受けていた女性刑事ユン(シンシア・カーン)が警官隊を引き連れて到着。その場の状況からマンディとドラゴンに殺人の容疑がかかったため、仕方なくドラゴンはマンディを連れて逃亡する。 一方、ワイズ弁護士が強盗事件の黒幕だと知らないデヴィッドは、ドラゴンとマンディが700万ドルを持っていると考えて2人を襲撃。彼から詳しい事情を聞いたドラゴンとマンディは、自分たちの身の潔白を証明するためにも、デヴィッドと手を組んで現金の隠し場所を突き止めようとするのだが、しかし事件を知ってチウおじさん(ロー・リエ)率いる在米チャイニーズ・マフィアが香港へ上陸し、さらにはワイズ弁護士の指揮する武装集団も700万ドルの行方を追ってドラゴンたちに襲いかかる…! 実は3部作シリーズの第2弾だった 本作が香港で封切られた’90年といえば、ジョン・ウー監督の『男たちの挽歌』(’86)のサプライズ・ヒットに端を発する「香港ノワール映画(英雄式血灑)」ブームの真っ只中。その前年にはウー監督の『狼 男たちの挽歌・最終章』(’89)とツイ・ハーク監督の『アゲイン/明日への誓い』(’89)が、翌年にはやはりウー監督の『狼たちの絆』(’91)が大ヒットしており、一時期ほどではないにせよ依然として香港ノワール映画の人気は根強かった。当然ながら、本作もその影響下にあると考えて良かろう。というか、そもそも本作はドニー・イェンも脇役で出演した『タイガー刑事』(’88)に始まる「特警三部曲(英題:Tiger Cage Trilogy)」の2作目に当たるのだが、この「特警三部曲」自体が実は香港ノワール映画ブームに便乗する形で生まれたシリーズだった。 1作目が国民的歌手ジャッキー・チュンと子役出身の人気女優ドゥドゥ・チェンを主演に迎えた『タイガー刑事』、2作目が本作『タイガー・コネクション』で、3作目は日本未公開に終わったマイケル・ウォン出演の『冷面狙擊手(英題:Tiger Cage 3)』(’91)。いずれも作品ごとにストーリーの設定やキャストが刷新され、出演者が被る場合でも演じる役柄は全く違っており、シリーズとは言ってもお互いに直接的な関連性は全くない。『レディ・ハード 香港大捜査線』(’85)に始まる「皇家師姐(In the Line of Duty)」シリーズや『五福星』(’83)を筆頭とする「福星(Lucky Star)」シリーズなど、当時の香港映画のフランチャイズ物によくあるパターンと言えよう。3本に共通するのは監督のユエン・ウーピンと、製作会社のD&Bフィルム。同社はサモ・ハン・キンポーが実業家ディクソン・プーンおよび俳優ジョン・シャムと共同で立ち上げた会社で、当時は先述した「皇家師姐(In the Line of Duty)」シリーズで当たりを取っていた。 ご存知の通り、監督デビュー作『スネークモンキー 蛇拳』(’78)と2作目『ドランクモンキー 酔拳』(’78)を立て続けに大ヒットさせ、当時まだ伸び悩んでいたジャッキー・チェンを一躍トップスターへと育て上げたユエン・ウーピン監督。ほどなくしてカンフー時代劇の人気が衰退すると、ジャッキーは『プロジェクトA』(’84)や『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(’85)などの現代劇アクションで快進撃を続けるわけだが、しかし一方のユエン監督はキャリア初期の成功体験から抜けられなかったのか、似たようなコメディ調のカンフー時代劇を作り続け、おかげで作品を追うごとに興行成績は下降線を辿っていったのである。 愛弟子ドニー・イェンのデビュー作『ドラゴン酔太極拳』もまさにその延長線上。恐らくイェンを第2のジャッキー・チェンとして売り出すつもりだったのだろう。同作がコケてしまったのはイェンの知名度不足も確かにあるが、しかし同時に映画の内容自体が時代遅れだったことも大きな理由として挙げられる。それを反省してなのか、再びドニー・イェンを主演に起用した現代劇コメディ『情逢敵手』(‘85・日本未公開)ではブレイクダンス、続くホラー・コメディ『キョンシー・キッズ 精霊道士』(’86)ではキョンシーと、あからさまにヒットを狙ってトレンド・ネタに便乗したユエン・ウーピン監督。しかし残念ながら、その邪まな下心が裏目に出たせいか、どちらの作品も興行的に失敗してしまった。 そんなキャリアの低迷期にあったユエン監督のもとへ転がり込んだのが、香港ノワール映画のブームにちゃっかりと便乗した『タイガー刑事』の企画。これが興行収入1150万香港ドルというスマッシュヒットを記録し、ユエン・ウーピン監督に久しぶりの成功をもたらしたのである。恐らく、この予想外のヒットが評価されたのだろう。D&Bフィルムは引き続き、看板映画「皇家師姐」シリーズの第4弾『クライム・キーパー 香港捜査官』(’89)をユエン監督にオファー。こちらも興行収入1200万香港ドルのヒットとなったことから、『タイガー刑事』の続編である本作『タイガー・コネクション』にゴーサインが出たというわけだ。 ドニー・イェンの超絶カンフー・アクションを存分に堪能するべし! 恐らく、キャスティングもユエン・ウーピン監督の意見が尊重されたのだろう。主人公の元刑事ドラゴン役には秘蔵っ子ドニー・イェンを起用。アクション指導を兼ねた『タイガー刑事』では非業の死を遂げる若手刑事テリー役で強烈な印象を残し、『クライム・キーパー 香港捜査官』でもシンシア・カーン演じるヒロインの相棒刑事ドニー役を好演するといった具合に、なかなか芽の出ない愛弟子のためのお膳立てに余念のなかったユエン監督としては、そろそろ念願の当たり役を与えてやりたいという思いがあったに違いない。 そんな恩師の期待に応えるかのごとく、前作『タイガー刑事』を遥かに凌駕する白熱のカンフー・アクションを披露するドニー・イェン。正直なところ脚本の出来はあまり良いとは言えないし、数多の香港ノワール映画に比べて低予算の安っぽさが目立つことも否めない作品だが、しかしアクション指導を兼ねたイェンが見せる圧倒的なスタント・テクニックの数々は、そうした諸々の弱点を補って余りあると言えよう。ブラジリアン柔術の達人ジョン・サルヴィッティとの剣戟バトル、ドニー・イェン映画に欠かせない悪役俳優マイケル・ウッズとのチェーン・バトルと、出稼ぎ外国人勢との死闘も大きな見どころだが、やはり最大の山場は映画版『モータル・コンバット』(’95)シリーズのリュウ・カン役でお馴染みのロビン・ショウを相手に繰り広げる、クライマックスの血沸き肉躍るフィスト・ファイトであろう。これは3作目『冷面狙擊手』を含めた「特警三部曲」の全てに共通する特徴なのだが、スローモーションを駆使したガン・アクションというジョン・ウーが編み出した香港ノワール映画のトレードマークを巧みにコピーしつつ、その一方で王道的なカンフー・アクションもたっぷりと堪能させてくれる。中でも本作は、シリーズで最も格闘技の見せ場が充実している作品と言えよう。 さらに、『サンダーアーム/龍兄虎弟』(’86)や『プロジェクトA2 史上最大の標的』(’87)などジャッキー・チェン映画で大人気だったロザマンド・クワンをヒロイン役に、「皇家師姐」シリーズの看板女優シンシア・カーンと前作『タイガー刑事』のヒロイン役ドゥドゥ・チェンを特別ゲストにと、知名度的にいまひとつ弱いドニー・イェンをサポートする形で、ネームバリューのある有名スターを脇役に揃えた本作。残念ながら興行成績は前作を大きく下回る630万香港ドルと低調だったものの、しかしカンフー映画マニアの間ではユエン・ウーピン監督×ドニー・イェンのコンビの最良作として評価が高い。 ちなみに、本作にはマレーシア版エンディングと呼ばれるクライマックスの輸出用バージョンが存在する。オリジナルの香港版エンディングではドニー・イェンとロビン・ショウが白熱の死闘を繰り広げるわけだが、このマレーシア版ではそこを丸ごとそっくり差し替え。代わりにシンシア・カーン演じる女刑事が登場し、黒幕のワイズ弁護士(ロビン・ショウ)を逮捕してメデタシメデタシと相成る。どうやら、「悪人は殺さずに警察がちゃんと逮捕するべし」という中国本土の倫理基準を念頭に置いた別バージョンだったようだ。それがなぜ「マレーシア版エンディング」と呼ばれるようになったのか定かじゃないが、いずれにせよ映画的なカタルシスに著しく欠ける退屈な結末としか言いようがなく、やはりオリジナルの香港版エンディングに軍配が上がることは間違いないだろう。■ 『タイガー・コネクション』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
エイリアン
映画史に残るエポックメイクな傑作SFホラー。これが今日まで続く「エイリアン」シリーズすべての原点だ!
人に寄生し腹を食い破って生まれる、強酸性の血が流れるエイリアン…独創的なモンスターはこの作品から生まれた。リドリー・スコット監督自身による12年『プロメテウス』、17年『コヴェナント』はここに繋がる。
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COLUMN/コラム2024.12.30
真珠湾攻撃、その再現方法を比較する『パール・ハーバー』と『トラ・トラ・トラ!』
◆史実ベースの映画に初めて挑んだマイケル・ベイ 1941年12月、ハワイ時間の7日早朝6時ー。日本軍によるハワイ島・真珠湾への攻撃が、停泊していたアメリカ軍の太平洋艦隊に向けておこなわれ、2403人の米軍人と民間人が尊い命を失った。この奇襲によって太平洋戦争の幕が開き、アメリカと日本は約4年間にわたる長き苦衷と、混沌とした戦いの時代へと突入していく。 2001年にマイケル・ベイが発表した『パール・ハーバー』は、この真珠湾攻撃を背景に、三人の男女の友情と恋愛を描いた戦争ロマンスだ。共に夢を叶えてパイロットになった、幼馴染のレイフ(ベン・アフレック)とダニー(ジョシュ・ハートネット)。だがレイフは英空軍の米人編成飛行隊として応戦中に撃墜され、悲しみに沈んだ恋人のイヴリン(ケイト・ベッキンセール)とダニーは共に励まし合い、いつしか関係を深めていく。 ところが、死んだと思われたダニーは九死に一生を得て帰還し、三人の関係は複雑なものとなる。そして、そんな彼らのもとに、運命となる1941年12月8日が訪れる……。 ◆時代と技術に応じた戦闘描写の違い 真珠湾攻撃を描いた映画には、さまざまな先行作品が存在する。中でも即座に挙げられるのは、1970年に公開されたアメリカ映画『トラ・トラ・トラ!』だろう。作戦の決行成立を伝える日本軍の暗号電文をタイトルとする本作は、日米双方の政治的・軍事的な立場を俯瞰し、真珠湾攻撃の全体像を捉えていく内容だ。そのためラブストーリーの背景の一つとして真珠湾攻撃が用いられる『パール・ハーバー』とは性質を異にするが、いずれも同作戦の描写において、似たようなスケールと制作規模を有すること。そして時代に応じた技術的アプローチの違いから 比較対象として持ち出されることも少なくない。 『トラ・トラ・トラ!』では復元された航空機を飛行させて撮像を得ていたが、その点に関しては『パール・ハーバー』も踏襲している。しかし約33機を実際に飛ばした前者に比べ、後者はコンピューターのプログラミングで画像生成されるCG(コンピュータ・グラフィック)によるデジタルレプリカが比重を占め、撮影に必要だった180機の大半をCGでおぎなっている。 ただ旧機の再現において、ライブアクションを基準とする『トラ・トラ・トラ!』の場合、機動部隊の主力機である九七零式艦攻特別攻撃機ならびに九九式艦上爆撃機、そして零式艦上戦闘機はカナダ空軍所有のT-6テキサンとBT-13パイロット訓練機を大幅に改造した偽装機が用いられている。『パール・ハーバー』では現存する零戦が一機と、実際に飛行が可能な9機の偽装機をプロダクション側が所有していたが、撮影のためにそれらを飛ばしたのは3機から4機で、ショットのほとんどはデジタルレプリカによるものだ。 この本物と同じような外観を持つCG戦闘機の開発は、光源から発せられた光が物体に当たったときの反射や屈折、拡散する様子を計算し、物体から放たれる複数の光の影響を考慮した「グローバルイルミネーションライティング」のプログラムソフトが可能にした。これはCGの戦艦用に開発されたものだが、戦闘機にも応用できたのだ。 そして『トラ・トラ・トラ!』では日本の軍艦がオアフ島に向けて太平洋を横断するシーンを、主にミニチュアによる特殊効果撮影で生み出してている。戦闘機が空母「加賀」の甲板から出撃していくシーンは、米海軍の航空母艦USSヨークタウンを加賀に偽装して撮影がおこなわれた。これが『パール・ハーバー』の場合、環太平洋海軍合同軍事演習を利用し、海上進行する30隻の空母をヘリで空撮。それによって得られた実写プレートをデジタルペイントで日本艦隊のように加工し、同シーンを得ている。 そんな『トラ・トラ・トラ!』のミニチュアワークは真珠湾攻撃シーンでも効果的に用いられ、前述の復元実機を主体とするプラクティカルエフェクトとの併用により、効果的な映像を生み出している。同作のミニチュア特撮を担当したL・B・アボットは後に『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)や「タワーリング・インフェルノ』(1974)などのパニック大作でも特撮監督を務め、『トラ・トラ・トラ!』では先の日本軍の艦艇と10隻と、真珠湾に停泊する10隻のアメリカ海軍艦艇のミニチュアをサラセン湖にあるオープンセットのプールで再現したものが使用された。ただしミニチュア船に自走機能がないため、トラックにワイヤーを取り付けて牽引させた。また九七艦攻が放つ魚雷の航跡は水中のパイプから圧縮空気を噴出させ、航跡を再現している。 『パール・ハーバー』も日本軍による真珠湾攻撃の描写はプラクティカルな効果を用いたライブアクション撮影をベースに、必要に応じてCGによるプレートとのコンポジットや、あるいはスケールモデルを使ったスタジオ撮影によるプレートをシームレスに融合させている。特にスケールモデルを用いた後者は、『タイタニック』(1997)で使用したメキシコ・バハカリフォルニアにあるロザリト・ビーチ・スタジオの巨大水槽に、世界最大のジンバルにUSSオクラホマの大規模な船首モデルをくくりつけ、同戦艦の横転と水没を表現した。 ちなみに『トラ・トラ・トラ!』においても、USSオクラホマのミニチュアモデルには180度横転できる仕掛けが取り付けられてはいたし、真珠湾攻撃における被害を象徴したUSSアリゾナの傾いた艦橋も、同艦のミニチュアには40度の角度まで倒すことができるギミックが取り付けられていた。しかし水槽の深さの関係で完全に機能させることができず、編集によって傾きや転覆をかろうじて表現できた。こうした描写はいずれも『トラ・トラ・トラ!』では技術と予算の限界から正確できなかっただけに、とかく同作と比較して低く見られがちな『パール・ハーバー』の優位点と言えるかも知れない。 先のメイキングプロセスを経て創造された『パール・ハーバー』と『トラ・トラ・トラ!』の真珠湾攻撃描写を、どちらか優劣を決めるとなると難しい。前者は実機を飛行させた映像の生々しいライブ感に秀でているし、後者は死角のないカメラワークでより対象に迫り、戦争の物理的な凄惨さがまざまざと感じられる。なにより、いずれも当時の技術を最大限に活かしながら挑んだ痕跡が強く残っており、その努力には言葉を失うばかりだ。 ◆描写の違いを問わず、戦争とは恐ろしいもの ただ『パール・ハーバー』の場合、クラシカルなラブストーリーを制作目標とし、1940年代の映画のスタイルや色調を模した古典主義的な全体像を心がけながら、いっぽうで戦闘場面においては、迫真的でリアルな視覚アプローチへと作りを転調させている。そこにはマイケル・ベイの「戦争は恐ろしいものである」という揺るぎない主張が感じられ、多くの観る者にその意識を強く与えるのだ。 もっとも、本作における真珠湾攻撃の凄まじい描写は、後にアメリカ側が報復として日本本土を空撃した「ドーリットル空襲」の布石として機能し、その描写が凄惨であればあるほど、復讐を果たすドラマとしての高揚感は増す。それはアメリカサイドの映画としてやむをえない作りだが、本作でさえ四半世紀前の古典となりつつある現況、当時の生存者の証言や史実にあたって徹底させた描写に、改めて考えを巡らせてしまう。特にこのコラムを作成した当日、真珠湾攻撃の最高齢となる生存者ウォーレン・アプトン氏の訃報に触れ(https://www.cnn.co.jp/usa/35227783.html)、残る生存者がわずか15人となった現況に接すると、同作に対する思いはより深くなっていくのだ。■ 『パール・ハーバー』© 2001 Touchstone Pictures. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
カンニング・モンキー/天中拳
実力ゼロの青年が“カンニング”で強くなる?ジャッキー・チェンのコミカルな魅力が詰まったカンフー映画
座頭市やポパイなどのパロディも織り交ぜながら、伝統的なカンフー映画の中にユーモア要素をたっぷり凝縮。武術書を拾い読みしながら戦うジャッキー・チェンのカンフー技が、一見コミカルながら実に鮮やか。
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COLUMN/コラム2024.12.27
ハリウッド・アクションの金字塔『ダイ・ハード』シリーズの魅力に迫る!
テレビ界の人気者だった俳優ブルース・ウィリスをハリウッド映画界のスーパースターへと押し上げ、25年間に渡って計5本が作られた犯罪アクション『ダイ・ハード』シリーズ。1作目はロサンゼルスにある大企業の本社ビル、2作目は首都ワシントンD.C.の国際空港、3作目は大都会ニューヨークの市街、さらに4作目はアメリカ東海岸全域で5作目はロシアの首都モスクワと、作品ごとに舞台となる場所を変えつつ、「いつも間違った時に間違った場所にいる男」=ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)が、毎回「なんで俺ばかりこんな目に遭わなけりゃならないんだよ!」とぼやきながらも、凶悪かつ狡猾なテロ集団を相手に激しい戦いを繰り広げていく。 1月のザ・シネマでは、新年早々にその『ダイ・ハード』シリーズを一挙放送(※3作目のみ放送なし)。そこで今回は、1作目から順番にシリーズを振り返りつつ、『ダイ・ハード』シリーズが映画ファンから愛され続ける理由について考察してみたい。 <『ダイ・ハード』(1988)> 12月24日、クリスマスイヴのロサンゼルス。ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、別居中の妻ホリー(ボニー・ベデリア)が重役を務める日系企業・ナカトミ商事のオフィスビルを訪れる。仕事優先で家庭を顧みず、妻のキャリアにも理解が乏しい昔気質の男ジョンは、それゆえ夫婦の間に溝を作ってしまっていた。クリスマスを口実に妻との和解を試みるもあえなく撃沈するジョン。すると、ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)率いる武装集団がナカトミ商事のクリスマス・パーティ会場へ乱入し、出席者全員を人質に取ったうえで高層ビル全体を占拠してしまった。 たまたま別室にいて拘束を免れたジョンは、欧州の極左テロ組織を名乗るグルーバーたちの犯行動機がイデオロギーではなく金であることを知り、協力を拒んだタカギ社長(ジェームズ・シゲタ)を射殺する様子を目撃する。このままでは妻ホリーの命も危ない。居ても立ってもいられなくなったジョンは、警察無線で繋がったパトロール警官アル(レジナルド・ヴェルジョンソン)と連絡を取りつつ、敵から奪った武器で反撃を試みる。やがてビルを包囲する警官隊にマスコミに野次馬。周囲が固唾を飲んで状況を見守る中、ジョンはたったひとりでテロ組織を倒して妻を救出することが出来るのか…? ジャパン・マネーが世界経済を席巻したバブル期の世相を背景に、大手日系企業のオフィスビル内で繰り広げられるテロ組織と運の悪い刑事の緊迫した攻防戦。この単純明快なワンシチュエーションの分かりやすさこそ、本作が興行的な成功を収めた最大の理由のひとつであろう。さらに原作小説では3日間の話だったが、映画版では1夜の出来事に短縮することでスピード感も加わった。そのうえで、ビル全体を社会の象徴として捉え、それを破壊することで登場人物たちの素顔や関係性を炙り出していく。シンプルでありながらも中身が濃い。『48時間』(’82)や『コマンドー』(’87)のスティーヴン・E・デ・スーザのソリッドな脚本と、当時『プレデター』(’87)を当てたばかりだったジョン・マクティアナンの軽妙な演出が功を奏している。これをきっかけに、暴走するバスを舞台にした『スピード』(’94)や、洋上に浮かぶ戦艦内部を舞台にした『沈黙の戦艦』(’92)など、本作の影響を受けたワンシチュエーション系アクションが流行ったのも納得だ。 もちろん、主人公ジョン・マクレーン刑事の庶民的で親しみやすいキャラも大きな魅力である。ダーティ・ハリー的なタフガイ・ヒーローではなく、アメリカのどこにでもいる平凡なブルーカラー男性。ことさら志が高かったり勇敢だったりするわけでもなく、それどころか人間的には欠点だらけのダメ男だ。そんな主人公が運悪く事件現場に居合わせたことから、已むに已まれずテロ組織と戦うことになる。観客の共感を得やすい主人公だ。また、そのテロ組織がヨーロッパ系の白人という設定も当時は新鮮だった。なにしろ、’80年代ハリウッド・アクション映画の敵役と言えば、アラブ人のイスラム過激派か南米の麻薬組織というのが定番。もしくは日本のヤクザかニンジャといったところか。そうした中で、厳密には黒人とアジア人が1名ずついるものの、それ以外は主にドイツやフランス出身の白人で、なおかつリーダーはインテリ極左という本作のテロ組織はユニークだった。 ちなみに、本作で「もうひとりの主役」と呼ばれるのが舞台となる高層ビル「ナカトミ・プラザ」。20世紀フォックス(現・20世紀スタジオ)の本社ビルが撮影に使われたことは有名な逸話だ。もともとテキサス辺りで撮影用のビルを探すつもりだったが、しかし準備期間が少ないことから、当時ちょうど完成したばかりだった新しい本社ビルを使うことになった。ビルが建つロサンゼルスのセンチュリー・シティ地区は、同名の巨大ショッピングモールや日本人観光客にもお馴染みのインターコンチネンタル・ホテルなどを擁するビジネス街として有名だが、もとを遡ると周辺一帯が20世紀フォックスの映画撮影所だった。しかし、経営の行き詰まった60年代に土地の大半を売却し、再開発によってロサンゼルス最大級のビジネス街へと生まれ変わったのである。パラマウントやワーナーなどのメジャー他社に比べて、20世紀スタジオの撮影所が小さくてコンパクトなのはそのためだ。 <『ダイ・ハード2』(1990)> あれから1年後のクリスマスイヴ。ジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は出張帰りの妻ホリー(ボニー・ベデリア)を出迎えるため、雪の降り積もるワシントンD.C.の空港へやって来る。空港にはマスコミの取材陣も大勢駆けつけていた。というのも、麻薬密輸の黒幕だった南米某国のエスペランザ将軍(フランコ・ネロ)が、ちょうどこの日にアメリカへ護送されてくるからだ。妻の到着を今か今かと待っているジョンは、貨物室へと忍び込む怪しげな2人組に気付いて追跡したところ銃撃戦になる。実は、反共の英雄でもあったエスペランザ将軍を支持するスチュアート大佐(ウィリアム・サドラー)ら元米陸軍兵グループが、同将軍を救出するべく空港占拠を計画していたのだ。 絶対になにかあるはず。悪い予感のするジョンだったが、しかし空港警察のロレンゾ署長(デニス・フランツ)は全く聞く耳を持たない。やがて空港の管制システムはテロ・グループに乗っ取られ、到着予定の旅客機がいくつも着陸できなくなってしまう。その中にはジョンの妻ホリーの乗った旅客機もあった。乗員乗客を人質に取られ、手も足も出なくなってしまった空港側。敵は必ず近くに隠れているはず。そのアジトを割り出してテロ・グループを一網打尽にしようとするジョンだったが…? 今回の監督は『プリズン』(’87)や『フォード・フェアレーンの冒険』(’90)で高く評価されたフィンランド出身のレニー・ハーリン。特定の空間に舞台を絞ったワンシチュエーションの設定はそのままに、巨大な国際空港とその周辺で物語を展開させることで、前作よりもスペクタクルなスケール感を加味している。偉そうに威張り散らすだけの無能な現場責任者や、特ダネ欲しさのあまり人命を軽視するマスコミなど、権力や権威を揶揄した反骨精神も前作から継承。また、南米から流入するコカインなどの麻薬汚染は、当時のアメリカにとって深刻な社会問題のひとつ。麻薬密輸の黒幕とされるエスペランザ将軍は、恐らく’89年に米海軍特殊部隊によって拘束された南米パナマ共和国の独裁者ノリエガ将軍をモデルにしたのだろう。そうした同時代の世相が、物語の重要なカギとなっているのも前作同様。嫌々ながらテロとの戦いに身を投じるジョン・マクレーン刑事のキャラも含め、監督が代わっても1作目のDNAはしっかりと受け継がれている。ファンが『ダイ・ハード』に何を期待しているのか、製作陣がちゃんと考え抜いた結果なのだろう。 そんな本作の要注目ポイントは管制塔と滑走路のセット。そう、まるで実際に空港の管制塔で撮影したような印象を受けるが、実際は劇中の管制塔もその向こう側に広がる滑走路も、20世紀フォックスの撮影スタジオに建てられたセットだったのである。本物の管制塔は地味で狭くて映画的に見栄えがしないため、もっとスタイリッシュでカッコいいセットを一から作ることに。この実物大の管制塔から見下ろす滑走路はミニチュアで、遠近法を利用することで実物大サイズに見せている。これが、当時としてはハリウッドで前例のないほど巨大なセットとして業界内で話題となり、マーティン・スコセッシをはじめとする映画監督や各メジャー・スタジオの重役たちが見学に訪れたのだそうだ。 <『ダイ・ハード3』(1995年)> ※ザ・シネマでの放送なし 1作目のジョン・マクティアナン監督が復帰したシリーズ第3弾。今回、ザ・シネマでの放送がないため、ここでは簡単にストーリーを振り返るだけに止めたい。 ニューヨークで大規模な爆破テロ事件が発生。サイモンと名乗る正体不明の犯人は、ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)を指名して、まるで面白半分としか思えないなぞなぞゲームを仕掛けてくる。しかも、制限時間内に正解を出せなければ、第2・第3の爆破テロが起きてしまう。妻に三下り半を突きつけられたせいで酒に溺れ、警察を停職処分になっていたジョンは、テロリストからニューヨーク市民の安全を守るため、嫌々ながらもなぞなぞゲームに付き合わされることに。さらに、何も知らず善意でジョンの窮地を救った家電修理店の店主ゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)までもが、ジョンを助けた罰としてサイモンの命令でゲームに参加させられる。 やがて浮かび上がる犯人の正体。それは、かつてナカトミ・プラザでジョンに倒されたテロ・グループの首謀者、ハンス・グルーバーの兄サイモン・ピーター・グルーバー(ジェレミー・アイアンズ)だった。弟が殺されたことを恨んでの復讐なのか。そう思われた矢先、サイモン率いるテロ組織の隠された本当の目的が明るみとなる…!。 <『ダイ・ハード4.0』(2007)> FBIサイバー対策部の監視システムがハッキングされる事件が発生。これを問題視したFBI副局長ボウマン(クリフ・カーティス)は、全米の名だたるハッカーたちの身柄を拘束し、ワシントンD.C.のFBI本部へ送り届けるよう各捜査機関に通達を出す。その頃、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に過保護ぶりを煙たがられたニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、ニュージャージーに住むハッカーの若者マシュー・ファレル(ジャスティン・ロング)をFBI本部へ護送するよう命じられるのだが、そのマシューの自宅アパートで正体不明の武装集団に襲撃される。 武装集団の正体は、サイバー・テロ組織のリーダーであるトーマス・ガブリエル(ティモシー・オリファント)が差し向けた暗殺部隊。FBIをハッキングするため全米中のハッカーを騙して利用したガブリエルは、その証拠隠滅のため遠隔操作の爆弾で用済みになったハッカーたちを次々と爆殺したのだが、マシューひとりだけが罠に引っかからなかったため暗殺部隊を送り込んだのである。そうとは知らぬジョンとマシューは、激しい攻防戦の末にアパートから脱出。命からがらワシントンD.C.へ到着した彼らが目の当たりにしたのは、サイバー・テロによってインフラ機能が完全に麻痺した首都の光景だった。かつて国防総省の保安責任者だったガブリエルは、国の危機管理システムの脆弱性を訴えたが、上司に無視され退職へ追い込まれていた。「これは国のため」だといって自らの犯行を正当化するガブリエル。しかし、彼の本当の目的が金儲けであると気付いたジョンとマシューは、なんとかしてその計画を阻止しようとするのだったが…? 12年ぶりに復活した『ダイ・ハード』第4弾。またもや間違った時に間違った場所にいたジョン・マクレーン刑事が、運悪くテロ組織の破壊工作に巻き込まれてしまう。しかも今回はテクノロジー社会を象徴するようなサイバー・テロ。かつてはファックスすら使いこなせていなかった超アナログ人間のジョンが、成り行きで相棒となったハッカーの若者マシューに「なんだそれ?俺に分かる言葉で説明しろ!」なんてボヤきながらも、昔ながらのアナログ・パワーをフル稼働してテロ組織に立ち向かっていく。9.11以降のアメリカのセキュリティー社会を投影しつつ、果たしてテクノロジーに頼りっきりで本当に良いのだろうか?と疑問を投げかけるストーリー。本格的なデジタル社会の波が押し寄せつつあった’07年当時、これは非常にタイムリーなテーマだったと言えよう。 監督のレン・ワイズマンも脚本家のマーク・ボンバックも、10代の頃に『ダイ・ハード』1作目を見て多大な影響を受けた世代。当時まだ小学生だったマシュー役のジャスティン・ロングは、親から暴力的な映画を禁止されていたため大人になってからテレビでカット版を見たという。そんな次世代のクリエイターたちが中心となって作り上げた本作。ワイズマン監督が最もこだわったのは、「実写で撮れるものは実写で。CGはその補足」ということ。なので、『ワイルド・スピード』シリーズも真っ青な本作の超絶カー・アクションは、そのほとんどが実際に車を壊して撮影されている。劇中で最もインパクト強烈な、車でヘリを撃ち落とすシーンもケーブルを使った実写だ。CGで付け足したのは回転するヘリのプロペラだけ。あとは、車が激突する直前にヘリから飛び降りるスタントマンも別撮りシーンをデジタル合成している。しかし、それ以外は全て本物。中にはミニチュアと実物大セットを使い分けたシーンもある。こうした昔ならではの特殊効果にこだわったリアルなアクションの数々に、ワイズマン監督の『ダイ・ハード』シリーズへの深い愛情が感じられるだろう。 <『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(2013)> 長いこと音信不通だった息子ジャック(ジェイ・コートニー)がロシアで殺人事件を起こして逮捕されたと知り、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に見送られてモスクワへと向かったニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)。ところが、到着した裁判所がテロによって爆破されてしまう。何が何だか分からず混乱するジョン。すると息子ジャックが政治犯コマロフ(セバスチャン・コッホ)を連れて裁判所から逃走し、その後を武装したテロ集団が追跡する。実はCIAのスパイだったジャックは、コマロフを救出する極秘任務を任されていたのだ。ロシアの大物政治家チャガーリンの犯罪の証拠を握っており、チャガーリンを危険視するCIAはコマロフをアメリカへ亡命させる代わりに、その証拠であるファイルを手に入れようと考えていたのである。 そんなこととは露知らぬジョンは、追手のテロ集団を撃退するものの、結果としてジャックの任務を邪魔してしまうことに。ひとまずCIAの隠れ家へ駆け込んだジョンとジャック、コマロフの3人は、アメリカへ亡命するならひとり娘を連れて行きたいというコマロフの意向を汲むことにする。待ち合わせ場所の古いホテルへ到着した3人。ところが、そこで待っていたコマロフの娘イリーナ(ユーリヤ・スニギル)によってコマロフが拉致される。テロ集団はチャガーリンがファイルを握りつぶすために差し向けた傭兵部隊で、イリーナはその協力者だったのだ。敵にファイルを奪われてはならない。コマロフのファイルが隠されているチェルノブイリへ向かうジョンとジャック。実はコマロフはただの政治犯ではなく、かつてチャガーリンと組んでチェルノブイリ原発から濃縮ウランを横流し、それを元手にして財を成したオリガルヒだった。コマロフを救出しようとするマクレーン親子。ところが、現地へ到着した2人は思いがけない事実を知ることになる…! オール・アメリカン・ガイのジョン・マクレーン刑事が、初めてアメリカ国外へ飛び出したシリーズ最終章。『ヒットマン』(’07)や『G.I.ジョー』(’09)のスキップ・ウッズによる脚本は、正直なところもう少し捻りがあっても良かったのではないかと思うが、しかし報道カメラマン出身というジョン・ムーア監督の演出は、前作のレン・ワイズマン監督と同様にリアリズムを重視しており、あくまでも本物にこだわった大規模なアクション・シーンで見せる。中でも、ベラルーシで手に入れたという世界最大の輸送ヘリコプターMi-26の実物を使った空中バトルは迫力満点だ。 なお、当初はモスクワで撮影する予定でロケハンも行ったが、しかし現地での街頭ロケはコストがかかり過ぎるという理由で断念。代替地としてモスクワと街並みのよく似たハンガリーのブダペストが選ばれた。イリーナ役のユーリヤ・スニギルにチャガーリン役のセルゲイ・コルスニコフと、ロシアの有名な俳優が出演している本作だが、しかしジョンがロシア人を小バカにするシーンなど、決してロシアに対して好意的な内容ではないことから、現地では少なからず批判に晒されたようだ。実際、ムーア監督がイメージしたのはソヴィエト時代そのままの「陰鬱で荒涼とした」モスクワ。明るくて華やかで賑やかな現実の大都会モスクワとは別物として見た方がいいだろう。 <『ダイ・ハード』シリーズが愛される理由とは?> これはもう、主人公ジョン・マクレーン刑事と演じる俳優ブルース・ウィリスの魅力に尽きるとしか言いようがないであろう。ことさら勇敢なわけでもなければ正義感が強いわけでもない、ぶっちゃけ出世の野心もなければ向上心だってない、愛する家族や友人さえ傍にいてくれればいいという、文字通りどこにでもいる平々凡々とした昔ながらの善良なアメリカ人男性。刑事としての責任感や倫理観は強いものの、しかしその一方で権威や組織に対しては強い不信感を持っており、たとえお偉いさんが相手だろうと一切忖度などしない。そんな反骨精神あふれる庶民派の一匹狼ジョン・マクレーン刑事が、いつも運悪く面倒な事態に巻き込まれてしまい、已むに已まれずテロリスト集団と戦わざるを得なくなる。しかも、人並外れて強いというわけでもないため、最後はいつもボロボロ。このジョン・マクレーン刑事のヒーローらしからぬ弱さ、フツーっぽさ、親しみやすさに、観客は思わず同情&共感するのである。 加えて、もはや演技なのか素なのか分からないほど、役柄と一体化したブルース・ウィリスの人間味たっぷりな芝居も素晴らしい。もともとテレビ・シリーズ『こちらブル―ムーン探偵社』(‘85~’89)の私立探偵デイヴ・アディスン役でブレイクしたウィリス。お喋りでいい加減でだらしがなくて、特にこれといって優秀なわけでも強いわけでもないけど、しかしなぜだか愛さずにはいられないポンコツ・ヒーロー。そんなデイヴ役の延長線上にありつつ、そこへ労働者階級的な男臭さを加味したのがジョン・マクレーン刑事だと言えよう。まさにこれ以上ないほどの適役。当初候補に挙がっていたシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーでは、恐らく第二のランボー、第二のコマンドーで終わってしまったはずだ。 もちろん、重くなり過ぎない軽妙洒脱な語り口やリアリズムを追究したハードなアクション、最前線の苦労を知らない無能で横柄な権力者やマスコミへの痛烈な風刺精神、同時代の世相を巧みにストーリーへ織り込んだ社会性など、1作目でジョン・マクティアナンが打ち出した『ダイ・ハード』らしさを確実に継承した、歴代フィルムメーカーたちの職人技的な演出も高く評価されるべきだろう。彼らはみんな、『ダイ・ハード』ファンがシリーズに何を望んでいるのかを踏まえ、自らの作家的野心よりもファンのニーズに重きを置いて映画を作り上げた。これぞプロの仕事である。 その後、ブルース・ウィリス自身は6作目に意欲を示していたと伝えられるが、しかし高次脳機能障害の一種である失語症を発症したことから’22年に俳優業を引退。おのずと『ダイ・ハード』シリーズにも幕が降ろされることとなった。■ 「ダイ・ハード」© 1988 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード2」© 1990 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード4.0」© 2007 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード/ラスト・デイ」© 2013 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
ラウラ・アントネッリの青い欲望
[R15+相当]異母兄と結婚した処女が禁断の欲望を募らせる…ラウラ・アントネッリ主演の官能コメディ
新婚初夜に夫が異母兄だと判明し肉体の欲望を持て余す女性を、『青い体験』で一世を風靡したイタリアンエロスの女王ラウラ・アントネッリがコミカルに好演。可憐な若妻が次第に欲望に溺れていくギャップが妙味。
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COLUMN/コラム2024.12.17
フィンチャー&ブラピ3度目の組合せは、超大作にして“人生讃歌”の異色作『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
本作『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)の原作となったのは、いわゆる「失われた世代」の代表的作家の1人、F・スコット・フィッツジェラルドの著作。代表作「グレート・ギャツビー」(1925)に遡ること3年、1922年に出版された短編小説集に所収されている。 南北戦争さなかの1860年。ボルチモアで、バトン夫妻の子どもとして誕生したベンジャミンは、生まれながらにして、70歳の老人の姿だった。普通の人間と違って、彼は老人から青年に、そして子どもへと年々若返っていく。身近な人たち、両親をはじめ妻や我が子までが歳を取っていくのとは、真逆に…。 この小説を執筆するに当たって、フィッツジェラルドにインスピレーションを与えたのは、アメリカの文豪マーク・トウェインの格言だという。「もし人が80歳で生まれ、ゆっくりと18歳に近づけていけたなら、人生は限りなく幸せなものになるだろう」「残念なことに、人生の最良の部分は最初に現れ、最悪の部分は最後に来る」「ベンジャミン・バトン」を映画化しようという試みは、度々持ち上がっては消えた。1980年代、『ファニー・ガール』(68)『追憶』(73)『グッバイガール』(77)などを手掛けたプロデューサーのレイ・スタークが、ロビン・スウィコードの脚本で企画を進めるも、頓挫。 90年代はじめに名乗りを上げたのは、キャサリン・ケネディとフランク・マーシャルのコンビ。2人は、盟友のスティーヴン・スピルバーグを監督に、主演はトム・クルーズで映画化を企てる、しかし途中で、スピルバーグが降板。その後ロン・ハワードをはじめ、何人かの監督が候補となったが、いずれもうまく進まず、企画はペンディングとなった。 因みに『エイリアン3』(92)で長編監督デビューしたばかりのデヴィッド・フィンチャーに最初に声が掛かったのも、この時点。フィンチャーはこの題材に惹かれながらも、断っている。 2000年になると、ケネディ&マーシャル製作、スパイク・リー監督で話が進む。しかし2003年、ロビン・スウィコードの脚本を、エリック・ロスがリライトしたものを、リーが気に入らず、結局彼もこの企画から去る。 以上のような紆余曲折を経て、『セブン』(95)や『ファイト・クラブ』(99)などで評価が高まっていたフィンチャーに、再びお鉢が回ってきたのである。 ***** 2005年ニュー・オリンズの病院で、86歳の老女デイジーが、死の床にいた。彼女は娘のキャロラインに、ベンジャミン・バトンという男性の日記を読んでくれと、頼む…。 1918年、ニュー・オリンズで1人の男児が生を受ける。彼は生まれながらにして、80歳の肉体の持ち主。妻を亡くしたこともあり、ショックを受けた父親は、赤ん坊を老人施設の前に置いて去る。 ベンジャミンと名付けられたその子は、施設で働く黒人女性のクイニーに育てられる。彼はやがて歩き出し、皺が減り、髪が増えていく。 1930年、ベンジャミンは、施設に住む祖母を訪ねてきた、6歳のデイジーと仲良しに。彼は自分の秘密を明かす。 やがてベンジャミンは、マイク船長の船で働くようになり、海、労働、女性、酒などを“初体験”。そんな中で彼に声を掛けてきた中年男性トーマス・バトンこそが、自分を捨てた実の父親とは、まだ知る由もなかった。 クイニーやデイジーに別れを告げ、マイク船長と外洋に出たベンジャミン。様々な国を回り、人妻のエリザベスと恋に落ちる。 しかし太平洋戦争が勃発。恋は終わり、ベンジャミンは、戦いの海に向かう。船長や仲間たちは戦死するも、彼はひとり帰還する。 美しく成長し、ニューヨークでモダンバレエのダンサーとして活躍するデイジーとの再会。彼女に誘惑されたベンジャミンだったが、男女の仲になることを拒む。その後も再会を重ねる2人。お互いが大切な存在でありながらも、それぞれ人生で直面していることが異なり、想いはすれ違い続ける…。 一方でベンジャミンは、重病で死期を目前にしたトーマス・バトンから、実の父だと明かされる。一旦は拒絶するも、父の最期の瞬間には、優しく寄り添うのだった。 1962年のベンジャミンとデイジー、お互いが人生の中間地点を迎えた頃の再会。機が熟したように2人は結ばれ、デイジーは女児を産む。しかし、ベンジャミンは悩む。この後も若返りが進むであろう自分に、“父親”になる資格などあるのか!? そして彼は、愛するデイジーと1歳になった娘の前から、姿を消す…。 ***** フィッツジェラルドの原作からは、主役と骨子だけを頂戴した形となった本作。ほぼオリジナルの設定とストーリーで構成される。 映画の冒頭に盛り込まれるのは、第一次世界大戦で息子を失った、盲目の時計職人のエピソード。彼はニュー・オリンズの駅向けに、針が逆回転する仕様の巨大時計を作り上げるのだが、これには時間を戻し、息子を甦らせたいという、切なる願いが籠められていた…。そんな創作寓話でわかる通り、エリック・ロスは、原作を意欲的に改変している。 ロスはアカデミー賞脚色賞を受賞した自らの代表作、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)で成功した、主人公の語りによるフラッシュバックで物語を構成していく手法を、本作で援用。ガンプのモノローグの代わりに、ベンジャミンの日記を用いた。 フィンチャーはこの手法に、いたく惹きつけられた。と同時に、2003年に父をがんで亡くした経験と、母デイジーを看取る娘の描写が、シンクロしたという。 90年代の最初のオファーの時、ロビン・スウィコードの脚本を読んだフィンチャーは、「これはラブ・ストーリーだ」と受け止めた。しかし改めてオファーを受け、エリック・ロスの脚本に対峙すると、考えが改まった。「これはラブ・ストーリーだが、実際は死についての物語であり、人生のはかなさをテーマにしている…」と。 原作の舞台はボルチモアだったが、工事のラッシュだったり、フィンチャーの望むような海岸線がなかったりで、ロケ地の変更を余儀なくされた。そこでニュー・オリンズが提案された際、フィンチャーのリアクションは、「そんなのダメだ!ばからしい」というものだった。 しかし現地の写真を見ていく内に、この街が持つ「美しさと、少し恐ろしい雰囲気」に、魅了される自分に気付く。こうしてロケ地が、決まった。 ところが撮影開始前の2005年8月、超巨大ハリケーンのカトリーナがニュー・オリンズを襲い、甚大な被害が生じる。果して予定通りに撮影できるのか?プロデューサーたちは危ぶんだが、ハリケーンの2日後、ニュー・オリンズ市から電話が入った。それは、計画通りに撮影を進めて欲しいとのリクエストだった。 ベンジャミン・バトン役に決まったのは、“ブラピ”ことブラッド・ピット。フィンチャーとは、『セブン』(95)『ファイト・クラブ』(99)に続く、3度目の組合せである。 ピットとフィンチャーは随時、複数のプロジェクトについて話し合いを行う仲。話題に上る中では、「ベンジャミン・バトン」は、最も実現性が薄い企画だと、ピットは考えていた。 しかしフィンチャーに加えて、エリック・ロスらと濃い話し合いをしていく内に、「この人たちと一緒にいるという目的のためだけでも」、この企画をやる価値があると思うようになっていった。トドメは、フィンチャーのこんな言い回し。「この映画を、お互いに頼り合う話にしてはならない。そうではなく、人が成長していく物語なんだ」。ピットは「とても美しい」表現だと感じ入った。 80歳で生まれてくるベンジャミンの、老年期の撮影はどうするか?老いているベンジャミンを演じた何人もの俳優の顔に、特殊メイクをしたブラピの顔を貼り付けるという手法を採った。ピットの顔の動きをスキャンしてコンピューター上に再現。それから、口や表情の動きとピットの台詞をシンクロさせてから、実写のシークエンスに移植したのである。 因みに撮影中のピットは、大体午前3時頃に起床。コーヒーを飲みつつ特殊メイクを行った後、丸1日撮影。それが終わると、また1時間掛けてメイクを落とすという繰り返しだった。眠たくても、椅子で寝るしかなかったという。 ベンジャミンの生涯を通じてのソウルメイトであり、恋人にもなる女性デイジー。その名は、同じ作者の「グレート・ギャツビー」のヒロインから取られている。このアイディアは、エリック・ロスがリライトする前の。ロビン・スウィコード脚本からあったものだ。 演じるは、ブラピとの共演は、『バベル』(2006)での夫婦役以来2度目となる、ケイト・ブランシェット。実はフィンチャーは、『エリザベス』(98)で彼女の演技を見て以来、彼女のことが頭から離れず、念願のオファーであった。 10代から86歳まで演じるブランシェットの、特殊メイクに掛かる時間は、短くても4時間。長い時には、8時間ほども掛かったという。また6歳からの子ども時代に関しても、声はブランシェットが吹き替えているというから、驚きである。 ベンジャミンがデイジーと娘の元を去って20年ほど後、少年の姿で認知症となるも、所持品から身元がわかり、昔育った老人施設に引き取られる。連絡を貰ったデイジーも、施設に入居。彼の面倒を見ることにする。 こうして迎えるベンジャミンとデイジーの物語の終幕近く、かつての恋人が誰かもわからない、よちよち歩きの幼児となってしまったベンジャミンは、老いたデイジーと手をつなぎ、散歩をしている最中、突然立ち止まって彼女の手を引っ張る。彼はキスをせがみ、それが終わるとまた歩き始める。 この2人の仕草は、指示などしたわけではないが、まさにベンジャミンとデイジーの長きに渡る歴史を表しているかのようだった。それをカメラに収められたのは、まさに映画の神が微笑んだかにも思える、“偶然”だったという。 そして赤ん坊に戻ったベンジャミンは、デイジーに抱かれながら、息を引き取る…。 フィンチャーは準備から5年もの歳月を掛かった本作の完成が近づいた時、「これは自分でも、ブルーレイで所有したい映画だな」と思ったという。 パラマウント、ワーナー・ブラザースという2つのメジャースタジオの協力を得て、1億5,000万㌦以上に及ぶ、巨額の製作費を投じた本作。刺激的な事件やエキセントリックな人物を扱ってきた、それまでのフィンチャーのフィルモグラフィーを考えると、異色の作品となった。 人生の考察を行うようなその内容には、賛否両論が沸き起こったが、その年度のアカデミー賞では、最多の13部門にノミネート。フィンチャーは初めて“監督賞”の候補となった。 しかしこの年は、ダニー・ボイル監督の『スラムドッグ$ミリオネア』が、作品賞、監督賞を含む8部門を搔っ攫う。また本作の演技で“主演男優賞”候補だったブラッド・ピットも、『ミルク』で実在のゲイの運動家で政治家のハーヴェイ・ミルクを演じたショーン・ペンに敗れる 最終的には、美術賞、メイクアップ賞、視覚効果賞という、コレが獲らなきゃさすがに嘘だという受賞だけに止まった。しかし、限られた人生に於ける“一期一会”を描いた本作の普遍的な感動は、いま尚色褪せないように思える。■ 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』© Paramount Pictures Corporation and Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
卒業試験(1974)
[R15+相当]『エマニエル夫人』のシルヴィア・クリステルが幼なじみとの恋に焦がれるエロス作品
『エマニエル夫人』がヒットした直後にシルヴィア・クリステルを主演に迎え、彼女の艶かしい魅力を存分に映し出す。少年のひと夏の恋と初体験を軸に、性にオープンな個性派キャラたちの性的関係が複雑に絡み合う。
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COLUMN/コラム2024.12.05
ティム・バートンとジョニー・デップ アメリカ映画史に残る、パートナーシップの始まり『シザーハンズ』
幼き日から、古いホラー映画が大好き。漫画を描き、ゴジラの着ぐるみを纏う俳優になることを夢見る少年だった。元マイナーリーグの野球選手だった父は、そんな内向的な息子のことが、理解できなかった。 ティーンエージャーの頃、誰とも心を通い合わせることができず、長続きする関係が持てなかった。それはもちろん、家族を含めて。彼は孤独だった。 20代。ディズニー・スタジオのアニメーターになった彼は、ストップモーションアニメや、モノクロ実写のダークファンタジーの短編作品を監督。それがきっかけとなって、26歳の時、実写の長編作品の監督デビューを果す。 その作品『ピーウィーの大冒険』(1985/日本では劇場未公開)は、製作費700万㌦の低予算ながら、4,000万㌦以上の興収を稼ぎ出した。彼=ティム・バートンは、一躍注目の存在となった。 2歳年上の作家、キャラロイン・トンプソンに出会ったのは、次作『ビートルジュース』(88)に取り掛かる、少し前。トンプソンは、『ピーウィーの大冒険』がお気に入りだった。そしてバートンは、彼女が書いた、中絶された胎児が甦る内容のホラー小説に、魅了された。 バートンは、自分の考えていることを他者に伝えることが、至極苦手だった。しかしトンプソンは、そんなバートンが発する曖昧な言葉から、彼の想いを易々と汲み取ってみせた。波長がぴったり合う2人は、姉と弟のような関係になった。 ある時バートンは、バーでトンプソンに、自分が10代の頃に描いた、「手の代わりにハサミを持つ若者」の話をした。骸骨のように痩せた身体で、くしゃくしゃの髪。全身を黒い革で包み、指の代わりに付いた長く鋭いハサミの刃で、近づく者を皆、傷つけてしまう。その目に深い悲しみをたたえた、孤独な若者の話を…。 明らかに、バートン本人が投影されたキャラクターだった。そう感じると同時に、これは映画になると考えたトンプソンは、帰宅するとすぐに、70頁に及ぶ準備稿を書き上げた。 それが本作『シザーハンズ』(90)のベースとなった。 ***** 寒い冬の夜、ベッドに眠る孫娘を、寝かしつける老女。「雪はなぜ降るの?」と孫に聞かれた老女は、「昔々…」と、ある“おとぎ話”を始めた…。 郊外の住宅地に住む主婦ペグは、化粧品のセールスレディ。ある日思い立った彼女は、町はずれの山の上に在る、古城のような屋敷へとセールスを掛ける。 そこに居たのは、両手がハサミの若者エドワード。彼は、以前この屋敷に住んでいた発明家が生み出した、人造人間だった。年老いた発明家は、エドワードの手の完成直前に急逝。それ以来彼は、ひとりぼっちだったのだ。 ペグはエドワードを、不憫に思った。そして我が家へと、連れ帰る。 手がハサミの彼は、食事も思い通りにいかない。しかしそのハサミで、植木を美しく整えたり、ペットのトリミングを行ったり、主婦たちの髪を独創的にカットするなどしている内に、町の人気者となっていく。 エドワードは、ある女性に恋心を抱くようになる。それはペグの娘で、高校ではチアリーダーを務めるキムだった。 アメフト部のスターであるジムと付き合っていたキムは、当初はエドワードのことを疎ましく思う。しかしその優しさに触れる内に、段々と心惹かれていく。 ある時エドワードは、ジムに泥棒の濡れ衣を着せられる。逮捕されても、キムに累が及ばないよう、彼は真実を語らなかった。 それをきっかけに、町の人々はエドワードを避けるようになる。やがて事態はエスカレート。誤解も重なって“怪物”扱いされた彼は、逃亡を余儀なくされ、古城へと帰る。 後を追ったのは、今や彼を愛するキム。そして嫉妬に狂い、銃を携えたジムだった…。 ***** トンプソンは、バートンが青春時代に味わった苦しみを、寓話へとアレンジ。その際には、一応は現代を舞台としながらも、“おとぎ話”の手法を用いた。 “おとぎ話”であるならば、本来は「あり得ない」と突っ込まれたり批判されかねない描写も、問題なく盛り込める。 例えば、郊外の住宅地のすぐそばに、なぜ大きな古城が在るのか?人造人間は一体、どんな仕組みで動いているのか?そしてエドワードは、彫刻に使う氷を一体どこから調達したのか? バートン曰く、「おとぎ話は不条理を許容する。だが、ある面では現実より現実的だ」 先にも記した通りエドワードは、バートン自身が投影されたキャラクター。トンプソンに言わせれば、「現実の世の中にフィットしないアーティストのメタファー」である。 そしてバートンはこのキャラクターに、フランケンシュタインやオペラ座の怪人、ノートルダムのせむし男にキング・コング、大アマゾンの半魚人等々といった、彼が少年時代から愛して止まなかった、モンスターたちを重ね合わせた。彼らは愛を乞うているだけなのに、“怪物”として駆逐されてしまう…。 物語の舞台は、バートンが幼い頃に暮らした、郊外の町バーバンクがモデル。バートン曰く「芸術をたしなむ文化が欠落している」ような場所だ。 トンプソンは脚本執筆のため、バーバンクの住宅地の片隅に住み込み、そこで経験したことを、脚本へと盛り込んだ。例えば、ちょっとした事件が起きると、みんながいちいち家から出てきては見物する描写などが、それである。 バートンは本作を当初、ミュージカル仕立てにしようと考えた。脚本も準備稿の段階では、劇中歌まで書き込まれていたという。結局そのアイディアは放棄されたが、本作は15年後=2005年に、イギリスのコンテンポラリーダンス演出家で振付師のマシュー・ボーンによって、ミュージカルとして舞台化されている。『ビートルジュース』が大ヒットとなり、その後の『バットマン』(99)のクランクインが近づく頃、バートンは本作を製作する映画会社探しを、本格化。トンプソンの脚本のギャラを数千㌦に抑えれば、800~900万㌦ほどの製作費でイケると見込んだ。 バートンは、候補に決めた映画会社に、オファー。その際には、『バットマン』の製作過程での様々な苦闘を教訓に、映画製作に関する決定権が、すべてバートンにあるという条件を付けた。返答の期限は、2週間後。『ビートルジュース』『バットマン』を製作したワーナーは、先買権を持ちながらも、本作の映画化を拒否した。結局この話に乗ったのは、20世紀フォックス。 しかし『バットマン』製作中に、フォックスの経営陣が一新され、本作の製作を決めた者が居なくなってしまうというハプニングが起こる。ところがこれが、幸いする。 新たにフォックスのTOPとなったジョー・ロスが、この企画に前経営陣以上の熱意を示したのだ。彼曰く、「エドワードはフレディ・クルーガー(『エルム街の悪夢』シリーズに登場する殺人鬼)の手をしたピノキオであり、『スプラッシュ』や『E.T.』のように新しい世界に合わせようとして苦しむ人間のかたちをした訪問者だ」 そして本作の製作費は、当初の800万㌦からその2.5倍にアップ。2,000万㌦が用意された。 最初に決まったキャストは、キム役のウィノナ・ライダー。『ビートルジュース』でバートンのお気に入りとなった彼女だが、ブロンドのカツラを付けてのチアリーダーのキムは、学生時代にそうした華やかな存在のクラスメートに悩まされた、オタク気質のウィノナにとっては、非常に演じにくい役であった。 このことが象徴するように、キャスティングは、すべてが意図的にズラされている。キムと付き合うアメフト部員のジム役には、アンソニー・マイケル・ホール。『すてきな片想い』(84)『ときめきサイエンス』(85)など、80年代中盤からハリウッドを席捲した、ジョン・ヒューズ監督の青春もので売り出した俳優である。本作での彼はいつもと真逆で、飲んだくれのろくでなし。凶暴性も秘めた役どころだった。 エドワードを我が家に連れ帰るペグには、ダイアン・ウィースト、その夫にはアラン・アーキンと、名脇役をキャスティングした。 エドワードの生みの親である老発明家役には、ロジャー・コーマン監督によるエドガー・アラン・ポー原作ものをはじめ、数多のホラー作品に出演し、バートンが少年時代から憧れの人だった、ヴィンセント・プライス。 バートンは初監督作で6分の短編『ヴィンセント』(82)で、プライスにナレーションを務めてもらって以来、彼との友情を温めてきた。本作の後には、プライスの一生を綴った伝記映画を準備していたが、彼は93年に他界。結果的に本作が、遺作となった。 一向に決まらなかったのが、肝心の主演。エドワード・シザーハンズ役だった。 フォックスが推したのは、トム・クルーズ。バートンのイメージには合わなかったが、人気絶頂の若手スターを起用して大ヒットを狙うフォックス側の気持ちも理解できたので、何度かミーティングを行った。しかし回を重ねる毎に、クルーズの方も違和感を抱くようになって、この話はポシャった。 他には、ウィリアム・ハートやトム・ハンクス、ロバート・ダウニー・Jr、更にはマイケル・ジャクソンの名まで挙がった。しかしいずれも、バートンにはしっくり来なかった。 候補のリストには名前が載っていなかった、TVドラマの人気シリーズに主演する若手俳優から、バートンに「会いたい」という連絡があった。バートンはそのドラマ「21ジャンプストリート」(87~90)を観たことがなかったし、その俳優ジョニー・デップに関しても、ティーンのアイドルで、気難し屋という噂ぐらいしか知らなかった。 そんなこともあって気乗りしなかったが、まだエドワード役のメドが立っていなかったので、とりあえず会うことにした。 エージェントから渡された『シザーハンズ』の脚本を読んで、「赤ん坊のように泣いた」というデップ。この役を絶対手に入れたいと思い、バートンとコンタクトを取った。そして面会が決まると、バートンの過去作をすべて鑑賞。本作出演への思いを益々強くして、その日に臨んだ。 デップはバートンの顔などまったく知らなかったが、面会の場に赴くと、テーブルに並んだ中に、「色白でひょろっとした、悲しい目の男」を見つけて、すべてを理解した。エドワード・シザーハンズは、「バートン自身なんだ!」と。 初対面だったにも拘わらず、バートンとデップは、まるで旧知の友のようだった。2人は“はみだし者”談義で大いに盛り上がり、意気投合した。 バートンはデップが、大いに気に入った。しかし踏ん切りがつかず、デップの直前の主演作『クライ・ベイビー』(90)の編集室に、その監督のジョン・ウォーターズを訪ねた。そこでデップが映るフィルムを何時間も見つめて、遂に心を決めた。 面会から数週間後、デップに電話が掛かる。バートンの声だった。「ジョニー、君がエドワード・シザーハンズだ」 これが『エド・ウッド』(94)『チャーリーとチョコレート工場』(2005)等々に続いていく、現代アメリカ映画を代表する、監督と俳優のパートナーシップの始まりだった。 エドワード役は主演ながら、主要出演者の中で、最もセリフが少ない。デップは、バートンが起用する決め手になったという“目の演技”や“身体を使った演技”を駆使。そのために、サイレント映画時代からの代表的な喜劇王チャールズ・チャップリンの演技を研究したという。 また演技をしている間は、「昔飼っていた犬の顔を思い浮かべていた……」。家に帰るとルーティンにしたのが、25㌢のハサミの刃を手に付けて、ぎこちなく日々の雑事をこなすことだった。 先にも紹介した通り、バートンは自分の考えを他者に伝えることが至極苦手で、撮影現場での指示も、尻切れトンボのようになってしまう。俳優陣は、激しく腕を振り回すバートンの、支離滅裂な思い付きによる、ほぼ直感的な演出に対応しなければならない。デップはそんなバートンの言を、まるで第六感でもあるかのように、あっさりと読み解いた。 因みにデップも、ヴィンセント・プライスに対して、バートンのようなリスペクトの念を抱いた。デップはプライスから、この世界の厳しさを聞き、「型にはまった役者にはなるな」と諭された。ホラー俳優のイメージがあまりにも強く、それが悩みの種だったプライスからの、自分を反面教師にしろというアドバイスだった。 その当時、デップはウィノナ・ライダーと熱愛中だった。ウィノナは本作の直前に、『ゴッドファーザーPARTⅢ』(90)を、体調不良で降板したのだが、実はジョニー・デップと共演するためだったというゴシップ記事が流れた。先にも記した通り、本作ではウィノナの方が先に出演が決まっていたので、これは根も葉もないデタラメだったが。 バートン曰く、「スペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンを不良にしたようなカップル」だったデップとウィノナは、悲しいラブストーリーを演じ切った。 ゴシック様式の古城のような屋敷は、20世紀フォックスの撮影所敷地内に建てられたが、メインのロケは、町のモデルとなったバーバンクからは遠く離れた、フロリダ州パスコ郡デイドシティの郊外に在る50世帯の協力を得て、行われた。 実際の住人には3カ月間、近くのモーテルに仮住まいしてもらい、借り受けた家々には、様々なパステル調の彩色や、窓を小さくするなどの加工を行った。そしてそれらの庭には、エドワードが刈ってデザインしたという設定の、恐竜、象、バレリーナ、馬、人間などを象った、風変わりな植木を搬入した。こうして、どの時代のどの場所にも属さないような、郊外の町が創り出された。 日中の気温が43度まで上がり、酷い湿気がまるで糊のようにまとわりつくこの地で、スタッフやキャストが悲鳴を上げたのは、虫の大量発生だった。時には空を黒く埋め尽くし、撮影ができなくなるほどだったという。虫が嫌いではないバートンは、まったく平気の平左だったというが。 ギレルモ・デル・トロ監督が、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)で人間と半魚人の恋を描き、アカデミー賞の作品賞や監督賞を獲った時に、遂にこんな時代がやって来たと感銘を受けた。思えばその先鞭をつけたのが本作、ティム・バートンの『シザーハンズ』だった。 バートンのキャリアの中では、『バットマン』ほどの大ヒットを記録したわけではない。しかし彼の代表作と言えば、必ずこの作品の名が挙がる。製作から30数年経って、その輝きは年々増すばかりの傑作である。■ 『シザーハンズ』© 1990 Twentieth Century Fox Film Corporation. 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