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PROGRAM/放送作品
ラスト サムライ
誇り高き“最後の侍”を渡辺謙が熱演!トム・クルーズが武士道精神を体現するハリウッド製本格時代劇
日本の武士道精神をハリウッドが真正面から描いた壮大な時代劇。明治維新による時代の変化に抗う誇り高き侍を渡辺謙が熱演し、アカデミー賞助演男優賞候補に。他に真田広之や小雪ら多くの日本人俳優が存在感を発揮。
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COLUMN/コラム2025.01.14
天才スピルバーグが、念願の“恐竜映画”で起こした映画史の“革命”!『ジュラシック・パーク』
幼い頃からの“恐竜”ファンで、最初に覚えた長い言葉は、“ティラノサウルス”や“トリケラトプス”等々、様々な恐竜の名前だった。長じては、ずっと“恐竜映画”を撮ることが夢だったという、スティーヴン・スピルバーグ。 しかし“映画の天才”の名を恣にした彼でも、そのプロジェクトには、なかなか踏み切れなかった。大きな理由は、2つ。 ひとつは、恐竜が実際に居た時代を題材にする気はなく、かと言って現代を舞台にすると、太古の昔に絶滅した恐竜が存在する理由が見つからない。もうひとつは、技術的な問題。スクリーンを闊歩する姿が“本物”に見えないような、“恐竜映画”を作りたくはなかったのだ。 機を得るのも、また“天才”の為せるワザなのだろうか?それらの課題をクリアーして“恐竜映画”を撮る、絶好の機会が巡ってきた。 1990年5月。その年の秋に出版される予定の長編小説のゲラが、ハリウッドの各映画会社に送りつけられた。その小説は、ベストセラー作家マイケル・クライトンの筆による「ジュラシック・パーク」。映画化権を150万㌦からのオークションに掛けるという告知だった。 1㌦でも多くの金額を入札した者が、映画化権を得るという、単純な取引ではなかった。落札を望む映画会社は、配給収入からの歩合、商品化権の扱い等に加えて、監督には誰を据えるかといった、映画の製作体制まで、提示しなければならなかったのである。 このオークションには、コロンビア、フォックス、ワーナー、ユニヴァーサルの4社が参加。コロンビアがリチャード・ドナー、フォックスがジョー・ダンテ、ワーナーがティム・バートンを監督候補に立てる中で、オークションを勝ち抜いたのは、ユニヴァーサルだった。 150万㌦に50万㌦を上乗せした200万㌦を提示したのは、他社も同様だった。決め手となったのは、監督にスピルバーグを掲げたことだったと言われる。 スピルバーグも、ノリノリだった。小説「ジュラシック・パーク」には、彼が長く待ち望んだ、現代に恐竜を甦らせる“説得力”があったからだ。またその頃になると、技術面をクリアーする目算も、立ってきた。 その年の夏に、映画化のプロジェクトは、スタート。スピルバーグは、『ウエストワールド』(73)『大列車強盗』(79)等で監督・脚本を手掛けた経験もあるクライトンに、シナリオの草稿を依頼。8カ月掛かって書き上げられたクライトンの原稿のブラッシュアップは、スピルバーグの弟子ロバート・ゼメキス監督の『永遠に美しく…』(92)の脚本などで注目された、デヴィッド・コープに任された。 ***** アメリカの砂漠で、恐竜の化石の発掘調査を行う、古生物学者のグラント博士(演:サム・ニール)と、彼の恋人で古植物学者のエリー・サトラー博士(演:ローラ・ダーン)。 2人の元を、発掘のスポンサーである財団の創設者ジョン・ハモンド(演:リチャード・アッテンボロー)が、訪れる。彼の依頼は、コスタリカ沖に買った島の視察。資金援助の増額を約束され、グラントとエリーは、ハモンドに同行することを決める。 島には彼ら以外に、数学者のイアン・マルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)、財団の顧問弁護士ジェナーロ、ハモンドの孫アレックスとティムも招かれていた。到着した一行は、そこで信じられないものを、目撃する。それは、生きている恐竜たちだった。 ハモンドが「ジュラシック・パーク」と名付けたこの島の施設は、ジュラ紀から白亜紀を再現した、驚異の世界だった。恐竜たちは、その血を吸った状態で琥珀に閉じ込められた古代の蚊の体内から取り出されたDNAを利用し、最新のバイオテクノロジーを駆使して、甦らされたものだった。 自信満々のハモンドを、マルコムは「人類の驕り」と批判。グラントたちも、不安を感じる。 折しも島に嵐が近づく中、人為的なトラブルによって、恐竜たちの行動を制御していた高圧電流などの保守システムが、作動しなくなる。ちょうど「パーク」内のツアー中だった、グラントやマルコム、子どもらは、ティラノサウルスなど、凶暴な恐竜が牙を剥く真っ只中に、取り残されてしまう…。 ***** 90年9月。スクリーン上に恐竜たちを息づかせるためのメンバー集めが始まった。 スピルバーグはこの時点では、CG=コンピューター・グラフィックをメインの技術に使う気は、毛頭なかった。最先端の技術が投入された『アビス』(89)や『ターミネーター2』(91)などを見ても、リアルな生物をスクリーンに再現するところまでは、まだ到達していなかったからだ。 彼が採用を決めた技術の2本柱は、“ロボティクス”と“ゴーモーション”。 当初スピルバーグは、前者の技術を以て、体長6㍍のティラノサウルスの実物大のロボットを制作し、自足歩行させることを考えた。しかし莫大な金銭が掛かることが判明して、断念。 スタン・ウィンストン率いるチームは、恐竜の表情や上体、体の一部が稼働するロボットを作ることになった。 チームはリサーチに1年を掛け、詳細なスケッチ画と完成見取り図を準備。これを元に細かな工程を経て、耐久性と繊細さを兼ね揃えたラテックスを用いた皮膚を持つ、ティラノサウルスが制作された。豊かな色調で着色して、外見は完成。これを液圧テクノロジーと飛行シュミレーターを基にした“恐竜シュミレーター”の上に乗せ、コンピューターのコントロール・ボードを通じて、自由自在に作動できるようにしたのである。 “ロボティクス”技術を以ては、他にヴェラキラプトル、ブラキオザウルスに、ガリスミス、ディロフォサウルス、病気で横たわるトリケラトプスに、卵から孵るラプトルの赤ん坊などが、制作された。 スピルバーグが、もう1本の柱として考えた“ゴーモーション”は、ミニチュアのパペットを使ってコマ撮りを行う技術。その第一人者である、フィル・ティペットが担当することとなった。『ジュラシック・パーク』には、スピルバーグの盟友ジョージ・ルーカスが率いる特撮工房「ILM=インダストリアル・ライト&マジック」も参加。しかし腕利きのCG技術者デニス・ミューレンのチームも、本作に於いては、恐竜が遠くで動いている「パーク」の風景を作る等の、地味な役割を担うのに止まる予定だった。 ところが1年後、CG制作に於いて画期的なソフトが開発されて、事態は大きく変わる。ミューレンのチームが作った、ティラノサウルスが太陽の光の中を歩く姿を見て、スピルバーグは仰天!“ゴーモーション”の使用は急遽取りやめとなり、恐竜たちはCGで制作されることになったのだ。 これは“映画史”に於ける、大いなる“事件”だった。VFXに於いて長年主流を占めていた、“オプティカル=フィルムの光学合成”が“エレクトロニクス”に、“アナログ”が“デジタル”に、劇的に置き換えられる瞬間が訪れたのだ。 “ゴーモーション”の匠フィル・ティペットも、“失業”を覚悟せざるを得なかった。しかしCGで作った恐竜の動きは、正確ながらも、まだロボットのような感じが残っていた。 そこでティペットは、“恐竜スーパーヴァイザー”として、本作の特撮スタッフに残留となった。具体的には、恐竜の動きを“ゴーモーション”さながらに、1コマずつコンピュータに入力するシステムを開発。恐竜全体の監修と同時に、CGスタッフたちにその動きを教えるという、大きな役割を果した。 こうした“恐竜”の制作が佳境に入っていく中、スピルバーグを訪ねてきた男が居た。レイ・ハリー・ハウゼン、“ゴーモーション”に先駆ける技術“ストップ・モーション”を駆使して、スクリーン上の恐竜やモンスターに命を吹き込んだ天才。フィル・ティペットも“師”と仰ぐ、偉大な存在だった。 スピルバーグにとってもハウゼンは、憧れの人。彼が“恐竜映画”を撮りたいと考えたのも、『シンドバッド』シリーズ(58~77)や『アルゴ探検隊の大冒険』(63)、『恐竜百万年』(66)などの作品で、ハウゼンの特撮に触れたことが、大きなきっかけだった。 スピルバーグは、CGで作った恐竜の試作映像をハウゼンに見せた。ハウゼンは驚嘆し、そして言った。「なんと。君の未来があるじゃないか。これが映画の未来なんだな」 実際に『ジュラシック・パーク』に登場するCGショットは7分足らず。しかしミューレン以下50人のスタッフが、1,500万㌦に相当する機材を駆使しても、18カ月を要した。 俳優が演じる実写パートは、本作の準備が始まってから2年以上が経った、92年8月24日にクランク・イン。ハワイのカウアイ島を、コスタリカの孤島に見立て、3週間のロケ撮影が行われた。 ロケの最終盤でハリケーンに直撃されるというトラブルはあったものの、その後アメリカ本土でのロケや、ユニヴァーサルやワーナーのスタジオを使っての撮影など順調に進み、予定した4カ月よりも、12日間も早く撮影を終えた。 撮影中に、“天才の強運”を感じさせる“新発見”もあった。ユタでヴェロキラプトルの新たな化石が発掘されたのだ。 それまでラプトルは、人間よりは小さなサイズと考えられていた。しかしスピルバーグは、『ジュラシック・パーク』に1.8㍍のラプトルの登場を構想していた。 そんなタイミングで見つかった化石は、まるでスピルバーグの願いが届いたかのような代物。それまでの通説の倍の大きさで、僅かながらだが、人間よりも大きかったのだ。 スピルバーグは自信を持って、スクリーンに望んだサイズのラプトルを躍らせることが可能になった。 ポスト・プロダクションに入って、実写部分だけで、まだ特殊撮影が合成されていない状態のラフな編集の段階で、スピルバーグは一旦、『ジュラシック・パーク』から離脱せざるを得なくなった。ユダヤ系アメリカ人のスピルバーグにとっては、『ジュラシック・パーク』とは違った意味で、撮らなければならなかった作品、ナチドイツのホロコーストから1,100人のユダヤ人を救った実在の人物を描く、『シンドラーのリスト』の撮影のため、ポーランドへ向かわねばならなくなったからである。 しかしスピルバーグのチェックを経ずに、『ジュラシック・パーク』は完成しない。特殊効果とCGが加工された段階で、映像は通信衛星を使って、ポーランドへと送信。スピルバーグは、日中は『シンドラーのリスト』を撮影し、夜は『ジュラシック・パーク』の編集を行うという“荒業”で、両作を完成させたのである。『ジュラシック・パーク』は、当初5,600万㌦だった予算が、6,500万㌦にまで膨らんだ。しかし93年6月に公開されると、大ヒットを記録。全世界での興行収入は9億1,200万ドルを超え、当時の最高記録を更新した。 私は今でも鮮明に覚えている。その夏、今はなき新宿プラザ劇場の大スクリーンに出現した、“本物”の恐竜の動きと咆哮に、心底吃驚させられたことを。そして“天才”スピルバーグが起こした“革命”を目の当たりにした、幸せを嚙み締めたのである。「第66回アカデミー賞」で本作は、音響編集賞、録音賞、そして視覚効果賞の3部門を受賞。視覚効果賞は、スタン・ウィンストン、デニス・ミューレンらと共に、フィル・ティペットにも贈られた。 同じ回のアカデミー賞で、作品賞をはじめ7部門を受賞したのは、『シンドラーのリスト』。長年アカデミー賞と縁がなかったスピルバーグの手に、初めて監督賞のオスカー像が渡された。 まったくベクトルが違う、『ジュラシック・パーク』『シンドラーのリスト』の両作を同じ年に公開し、合わせて10個のアカデミー賞を獲得。紛れもない、“世界一の大監督”の偉業であった。■ 『ジュラシック・パーク』© 1993 UNIVERSAL CITY STUDIOS, INC. AND AMBLIN ENTERTAINMENT, INC. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
K-19
ソ連の原子力潜水艦で起きた悪夢のような事故の行方は?ハリソン・フォード主演の実話サスペンス
『ハート・ロッカー』で女性初のアカデミー監督賞に輝いたキャスリン・ビグローによる実話サスペンス。原子炉事故が起きた潜水艦で乗組員たちが繰り広げる葛藤のドラマを、ハリソン・フォードら実力派俳優が熱演。
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COLUMN/コラム2025.01.10
『クイック&デッド』西部劇とシャロン・ストーンの組合せで、生まれ出たものとは!?
「彼女には何度も感謝した。実際に何か贈り物を送ったかどうかは覚えてないけど、とにかく、いくら感謝しても仕切れない」 一昨年=2023年の11月、アメリカの芸能番組に出演したレオナルド・ディカプリオが、語った言葉である。ディカプリオが深い感謝を捧げた“彼女”とは、シャロン・ストーン。 1958年生まれ、60代も半ばとなったストーンに、ディカプリオはどんな恩義があるのか?話は30年ほど前に遡る…。 1990年代前半のハリウッドには、時ならぬ“西部劇”のブームが起こっていた。 口火を切ったのは、『ダンス・ウィズ・ウルブス』(90)。製作・監督・主演を務めたケヴィン・コスナーには、アカデミー賞の作品賞と監督賞がもたらされた。 その2年後には、クリント・イーストウッドの“最後の西部劇”『許されざる者』(92)が登場。コスナーと同様、イーストウッドも、作品賞と監督賞のオスカーを掌中に収めた。 いずれも大ヒットを記録した、この2本に触発され、続々とウエスタンが製作・公開された。『ラスト・オブ・モヒカン』(92)『ジェロニモ』(93)『黒豹のバラード』(93)『トゥームストーン』(93)『マーヴェリック』(94)『バッド・ガールズ』(94)『ワイアット・アープ』(94)…。『クイック&デッド』(95)も、そんな流れの中で企画され、リリースされた1本である。その製作陣は、ブームに乗るに当たってもう一つ、“旬”の要素を付け加えた。 それは主演に、シャロン・ストーンを迎えることだった! 1980年にデビューしたストーンの20代は、B級アクションの添え物的な役柄ばかり。キャリア的には、燻っていた。しかし90年代を迎え、30代前半となった彼女に、ブレイクの時が訪れる。 アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSF超大作『トータル・リコール』(90)に出演後、同作のポール・ヴァーホーヴェン監督に再び起用されたサイコサスペンス、『氷の微笑』(92)である。この作品で彼女が演じたのは、ヒロインにして猟奇殺人の容疑者キャサリン・トラメル。 世間の耳目を攫ったのは、キャサリンが警察の取り調べを受けるシーン。タイトスカートでノーパンという装いで椅子に座る彼女が、足を組み替える際に、「ヘアが映る」「股間が見える」と、センセーションを巻き起こしたのである。『氷の微笑』は、こうしたシーンに代表される、扇情的な性描写が大きな話題となって、メガヒットを記録。以降のストーンは主演作が相次ぎ、客が呼べる存在となっていった。『クイック&デッド』の製作陣は、そんな彼女に主演をオファーするに当たって、 “共同プロデューサー”という地位も与えた。 ***** 19世紀後半の西部の街。カウボーイハットにロングコートの女ガンマン、エレン(演;シャロン・ストーン)が馬に乗って現れる。 彼女の目的は、 “早撃ちトーナメント”に出場すること。主宰するのはこの街の支配者で、悪名高きへロッド(演;ジーン・ハックマン)だった。一癖も二癖もあるガンマンたちが集結する中、へロッドは自らもトーナメントに出場することを、宣言。彼の狙いは、自分の命を狙う者たちを、この機会に一掃することだった。 かつてはへロッドの仲間だったが、改心して牧師になったコート(演;ラッセル・クロウ)も、教会を焼き打ちされ、トーナメントに無理矢理参加させられることになる。 酔いに任せ、やはりトーナメントに出る若者キッド(演;レオナルド・ディカプリオ)とベッドを共にしたエレン。彼がへロッドの息子だと聞いて、愕然とする。 エレンの真の目的は、“復讐”。そのターゲットは、彼女の幼き日に、眼前で父を惨殺した、へロッドだった。 トーナメントが、遂にスタートする。次々と行われるガンファイトを順当に勝ち進んでいくのは、エレン、コート、キッド、そしてへロッドの4人。 最後まで生き残るのは!?果してエレンは、積年の恨みを晴らすことができるのか!? ***** 『クイック&デッド』は直訳すれば、「早撃ちと死体」。即ち「早撃ちだけが生き残る」といった意味合いである。 そのタイトルロールとも言うべき、女ガンマンを演じることとなったストーンは、撮影前、早撃ちの世界チャンピオンから銃のコーチを、マン・ツー・マンで受けた。泥にまみれた衣装に身を包んだ彼女が、どんなガン裁きを見せるかは、実際にその目で確かめて欲しい。 先に記した通り、本作のストーンは、主演であると同時に、共同プロデューサー。こうしたケースでは、プロデューサーとは「名ばかり」の、お飾りであるケースが少なくない。 しかし、ストーンは違っていた。まずは、本作のキャスティング。共演者選びには、彼女の意向が強く反映されている。 キッド役は、数人の若手俳優がオーディションを受けた。その中でストーンが選んだのが、レオナルド・ディカプリオだった。『ギルバート・グレイブ』(93)で、二十歳を前にしてアカデミー賞助演男優賞の候補になったディカプリオは、“若き天才”と謳われた。しかし本作のキャスティング作業が行われたのは、そうした評価がされる前。映画会社は彼のことを、「無名の存在」と切って捨てようとした。 ストーンはディカプリオの起用にこだわった。そして遂には自腹を切って、彼へのギャラを払うことに決めた。冒頭で紹介した、ディカプリオが「いくら感謝しても仕切れない」という発言は、この時の経緯に対してである。 コート役に、ラッセル・クロウを当てたのも、ストーンだった。当時のクロウは、オーストラリアを代表する演技派スターではあったが、アメリカではまったく知られていなかった。 ストーンはそんな彼のスケジュールを鑑みて、オーストラリアから移動して来られる時間を稼ぐために、映画の撮影を2週間ほど遅らせるように、映画会社と折衝した。後にはオスカー俳優となる、クロウのハリウッドデビューは、こうして実現したのである。 共演者だけではない。実は監督のサム・ライミも、ストーンの指名だった。当時のライミは、『死霊のはらわた』シリーズなど、B級ならぬZ級ホラーの作り手というイメージがまだまだ強く、映画会社の拒否反応が強かった。 しかし『死霊の…』シリーズ第3弾にして、彼の前作である『キャプテン・スーパーマーケット』(93)の大ファンだったストーンが、必死に交渉。ライミを監督に据えることにも、成功した。 ライミと言えば、残酷描写と時には悪ふざけにも映るユーモアをあわせ持った演出が、特徴。変幻自在で、トリッキーなカメラワークを駆使することでも知られる。 そんな彼は本作に関して、「ジョン・フォードよりもセルジオ・レオーネに負うところが多い」と発言。つまり、ハリウッド流の正統派ウエスタンよりも、60年代半ばから70年代初頭に掛けて、イタリアをベースに数百本が製作された、“マカロニ・ウエスタン”のタッチを目指したことを、明らかにしている。 歴史観やストーリーの整合性などは無視あるいは軽視し、主人公が必ずしも正義の味方などではなく、悪党であることも少なくない…。とにかく娯楽優先で、残虐描写なども厭わない。そんな“マカロニ・ウエスタン”を、西部劇の本国アメリカで再現しようとしたわけだ。 舞台となる西部の街に存在するのは、“マカロニ・ウエスタン”に必携な、酒場、賭博場、売春宿に鉄砲店、そして棺桶屋。本来なければおかしい、学校、銀行、金物屋などは、ストーリーと無関係のため、敢えてセットを組まなかった。 衣裳は、わざわざローマのスタジオから取り寄せられた。それらは“マカロニ・ウエスタン”全盛期に、スクリーンを彩ったアイテム。 アラン・シルヴェストリの音楽は、ギターにトランペットを重ね、もろに“マカロニ”風味に仕上げられた。 そうした環境を整えた中でのライミ演出は、銃を抜く寸前に、ガンマンたちの極端なまでのアップを何度も入れたり、銃弾が頭部や身体に当たると、“風穴”をぶち開けたりといった、“マカロニ”風味を、正しく自分のものにしている。クライマックスのガンファイトで、ダイナマイトが街の至る所で炸裂するに至っては、拍手喝采である。 映画マニアで知られるサム・ライミのことだから、さぞかし“マカロニ・ウエスタン”の大ファンで、そうした嗜好をスクリーンに反映させたのだろう。…と思いきや、実はそうではなかった。 1993年に“マカロニ・ウエスタン研究家”のセルジオ石黒氏が、ある取材のためにアメリカのユニヴァーサル撮影所に行ったところ、偶然ライミ監督に会ったという。 彼が西部劇、つまり本作を準備中と聞いたセルジオ氏が、「もちろんマカロニ・ウエスタンは好きなんですよね?」と問うたところ、「あまり詳しくはないんだ。クリント・イーストウッドが出てるセルジオ・レオーネの映画は観たけど」との返答。ライミはレオーネ監督作でも、『ウエスタン』(68)などは未見だった。 そこでセルジオ氏は帰国後、面白い“マカロニ・ウエスタン”のビデオを適宜見つくろって、ライミ監督宛に送付。至極感謝されたという。 このエピソードは、ライミ監督が元々は「ホラーは苦手」だったという逸話を思い出させる。仲間から「世に出るなら、低予算のホラーだ」と説き伏せられたことから、苦手を克服して、様々なホラー作品を研究。遂には“エポック・メーキング”と言える、『死霊のはらわた』(81)を生み出したのは、あまりにも有名である。 本作『クイック&デッド』を撮るに当たっても恐らく、その時と同様の研究を行ったのであろう。その上で、93年後半から94年はじめに掛けて、アリゾナ州のオールド・ツーソン・スタジオで行われた、本作の撮影に臨んだのだ。 本作は残念ながら、ストーンのキャラクターが、“マカロニ”にしては、善良且つ生真面目すぎるという、欠点がある。ストーンは『氷の微笑』での当たり役“悪女”キャラから、少しでも離れようとしたのかも知れない。しかし、かつてクリント・イーストウッドがレオーネの“ドル箱3部作”で演じた“名無しの男”のように、もっと正体不明の冷淡なキャラにした方が、よりストーンの個性にマッチした上、“マカロニ”っぽくなったのは、間違いない。 そんなことも災いしてか?『クイック&デッド』は、製作費3,500万㌦に対して、アメリカ本国では、1,800万㌦の興行収入に止まった。つまり製作費を、ペイできなかったのである。 ただそんな数字以上に、本作はディカプリオにラッセル・クロウ、そしてサム・ライミという、この後にハリウッドをリードしていく“才能”を、シャロン・ストーンが推したという事実が、素晴らしく光る作品である。 特にライミの場合、本作=西部劇を監督したことがきっかけで、クライム・サスペンスの『シンプル・プラン』(98)、スポーツ映画の『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』(99)、スリラーの『ギフト』(2000)と、様々なジャンルの作品を手掛けるようになった。そして、ただのホラー監督ではない、クライアントのオファーに応えられる職人監督と、高く評価されるようになっていく。 このことが後には、ライミ長年の念願だった、巨額の製作費を投じたアメコミ映画、トビー・マグワイア版の『スパイダーマン』シリーズ(2002~07)の実現へと、繋がっていくのである。 そんなことを考えながら、シャロン・ストーンに見出された、これからステップアップしていく、若き映画人たちの跳梁を愛でるのも、製作・公開からちょうど30年経った、本作の楽しみ方の一つと言えるかも知れない。■ 『クイック&デッド』© 1995 TriStar / JSB Productions, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
トゥームレイダー
アンジェリーナ・ジョリーを一躍スターダムへと押し上げた、大ヒット痛快アクションアドベンチャー
同名タイトルのゲームを映画化したアクションアドベンチャー。派手なアクションを繰り広げた主演のアンジェリーナ・ジョリーをスターに押し上げた大ヒット作。監督は『エクスペンダブルズ2』のサイモン・ウェスト。
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COLUMN/コラム2025.01.07
若き日のカンフー映画スター、ドニー・イェンの才能と魅力が炸裂する香港クライム・アクション!『タイガー・コネクション』
売れない時代が長かったドニー・イェン 今やアジアを代表するスーパースターと呼んでも過言ではないカンフー映画俳優ドニー・イェン。世界興収の合計が4億ドルを軽く突破という、香港映画としては異例のメガヒットを記録した『イップ・マン』シリーズ(‘08~’19)を筆頭に、『孫文の義士団』(‘09)や『捜査官X』(’11)、『モンキー・マジック 孫悟空誕生』(’14)などの大作・話題作に次々と主演し、さらには『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(’16)や『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(’23)などハリウッド映画でも引っ張りだこ。ブルース・リーやジャッキー・チェンに勝るとも劣らぬ身体能力と格闘テクニックはカンフー映画ファンの間でも極めて評価が高く、いつしか「宇宙最強」とまで呼ばれるようになったイェンだが、しかしそこへ至るまでに長いこと「売れない時代」があったことは、今となっては意外と知られていないかもしれない。 中国出身の著名な武術家マク・ボウシムを母親に持ち、自身もジェット・リーと同じ北京市業余体育学校で武術の修業を積んだイェン。『マトリックス』(’99)や『グリーン・デスティニー』(’00)などのアクション監督でも有名なユエン・ウーピンの秘蔵っ子として、ウーピン監督の『ドラゴン酔太極拳』(’84)でいきなり主演デビューを果たしたイェンだが、しかし当初はさっぱり売れなかった。清朝の冷酷非情な警察官・ラン提督を演じた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』(’92)で香港電影金像奨の助演男優賞にノミネートされ、さらには尊敬するブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』(’72)をテレビ・リメイクした『精武門』(’95)に主演したことで知名度を大きく上げたものの、しかしそれでもなお単独主演映画の興行成績はことごとくパッとしなかった。結局、『SPL/狼よ静かに死ね』(’05)で本格的に大ブレイクするまではこれといったヒットにも恵まれず、一時期はアクション監督の仕事で食いつなぐような状態だったのである。 なにしろ’80年代後半~’90年代の香港映画界は、ジャッキー・チェンにジェット・リー、チョウ・ユンファといった大物アクション俳優たちがしのぎを削っていた時代である。いくら本格的な格闘技の心得があるとはいえ、当時まだ線が細くて地味な若者だったドニー・イェンが太刀打ちできなかったのも仕方あるまい。そのうえ、’93年をピークとして香港映画界は斜陽の時代へと突入。おのずと、ネームバリューの弱いイェン主演作はインディペンデントの低予算映画が中心となってしまう。ただその一方で、先述したように卓越した身体能力とテクニックを備えたイェンの超絶アクションは、それこそジャッキー・チェンやジェット・リーと比較しても全く遜色がなく、東西のカンフー映画マニアの間では早い時期から高い評価を得ていた。中でも、イェン自身がアクション指導も担当したクライム・アクション『タイガー・コネクション』(’90)は、初期代表作のひとつとして人気の高い作品だ。 血の気の多い元刑事とオッチョコチョイな弁護士の凸凹コンビが、マフィアの金を巡る強奪戦に巻き込まれる! ドニー・イェンが演じるのは、妻から三下り半を突きつけられた短気で喧嘩っ早い元刑事ドラゴン・ヤウ。離婚弁護士マンディ(ロザムンド・クワン)のオフィスを訪れていたドラゴンは、たまたまエレベーターを待っていたところ強盗事件に出くわしてしまう。同じビルに事務所を構える企業の顧問弁護士ワイズ(ロビン・ショウ)は、その陰で在米チャイニーズ・マフィアのマネーロンダリングを秘かに請け負っているのだが、社員デヴィッド(デヴィッド・ウー)とケン(ディクソン・リー)がロサンゼルスから香港へ持ち帰った資金洗浄用の700万ドルを、突然現れた正体不明の武装集団が強奪しようとしたのである。 現金の入ったアタッシュケースを抱えて逃亡するケン。とある場所にそれを隠したケンは地下駐車場へ辿り着くも、武装集団に銃撃されて息絶える。その一部始終を目撃したのが運悪く居合わせたマンディ。武装集団を追いかけてきたドラゴンが一味を撃退するものの、しかし混乱したマンディは彼を犯人グループの一員と勘違いして警察に突き出してしまう。謂れなき濡れ衣に激昂するドラゴンだったが、元同僚の刑事タク(ギャリー・チョウ)に殴り倒され気絶する。 救急車で近くの病院へ送り届けられたマンディとドラゴン。待ち受けた武装集団の仲間がケンと間違えて気絶したドラゴンを誘拐するも、すぐに人違いだと気付いて道端に投げ捨てていく。ほどなくして意識を取り戻したドラゴンは、病院で怪我の手当てを受けて帰宅するマンディを尾行。自宅マンションまで追いかけて誤解を解こうとしたドラゴンだが、そこにはマンディのルームメイトである弁護士ペティ(ドゥドゥ・チェン)の死体が転がっていた。実は、ペティの恋人はほかでもないワイズ弁護士。武装集団を裏で操ってマフィアの700万ドルを横取りしようとしたワイズは、その秘密に気付いてしまったペティを口封じのため殺害したのだ。そこへ、直前にペティからSOSの連絡を受けていた女性刑事ユン(シンシア・カーン)が警官隊を引き連れて到着。その場の状況からマンディとドラゴンに殺人の容疑がかかったため、仕方なくドラゴンはマンディを連れて逃亡する。 一方、ワイズ弁護士が強盗事件の黒幕だと知らないデヴィッドは、ドラゴンとマンディが700万ドルを持っていると考えて2人を襲撃。彼から詳しい事情を聞いたドラゴンとマンディは、自分たちの身の潔白を証明するためにも、デヴィッドと手を組んで現金の隠し場所を突き止めようとするのだが、しかし事件を知ってチウおじさん(ロー・リエ)率いる在米チャイニーズ・マフィアが香港へ上陸し、さらにはワイズ弁護士の指揮する武装集団も700万ドルの行方を追ってドラゴンたちに襲いかかる…! 実は3部作シリーズの第2弾だった 本作が香港で封切られた’90年といえば、ジョン・ウー監督の『男たちの挽歌』(’86)のサプライズ・ヒットに端を発する「香港ノワール映画(英雄式血灑)」ブームの真っ只中。その前年にはウー監督の『狼 男たちの挽歌・最終章』(’89)とツイ・ハーク監督の『アゲイン/明日への誓い』(’89)が、翌年にはやはりウー監督の『狼たちの絆』(’91)が大ヒットしており、一時期ほどではないにせよ依然として香港ノワール映画の人気は根強かった。当然ながら、本作もその影響下にあると考えて良かろう。というか、そもそも本作はドニー・イェンも脇役で出演した『タイガー刑事』(’88)に始まる「特警三部曲(英題:Tiger Cage Trilogy)」の2作目に当たるのだが、この「特警三部曲」自体が実は香港ノワール映画ブームに便乗する形で生まれたシリーズだった。 1作目が国民的歌手ジャッキー・チュンと子役出身の人気女優ドゥドゥ・チェンを主演に迎えた『タイガー刑事』、2作目が本作『タイガー・コネクション』で、3作目は日本未公開に終わったマイケル・ウォン出演の『冷面狙擊手(英題:Tiger Cage 3)』(’91)。いずれも作品ごとにストーリーの設定やキャストが刷新され、出演者が被る場合でも演じる役柄は全く違っており、シリーズとは言ってもお互いに直接的な関連性は全くない。『レディ・ハード 香港大捜査線』(’85)に始まる「皇家師姐(In the Line of Duty)」シリーズや『五福星』(’83)を筆頭とする「福星(Lucky Star)」シリーズなど、当時の香港映画のフランチャイズ物によくあるパターンと言えよう。3本に共通するのは監督のユエン・ウーピンと、製作会社のD&Bフィルム。同社はサモ・ハン・キンポーが実業家ディクソン・プーンおよび俳優ジョン・シャムと共同で立ち上げた会社で、当時は先述した「皇家師姐(In the Line of Duty)」シリーズで当たりを取っていた。 ご存知の通り、監督デビュー作『スネークモンキー 蛇拳』(’78)と2作目『ドランクモンキー 酔拳』(’78)を立て続けに大ヒットさせ、当時まだ伸び悩んでいたジャッキー・チェンを一躍トップスターへと育て上げたユエン・ウーピン監督。ほどなくしてカンフー時代劇の人気が衰退すると、ジャッキーは『プロジェクトA』(’84)や『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(’85)などの現代劇アクションで快進撃を続けるわけだが、しかし一方のユエン監督はキャリア初期の成功体験から抜けられなかったのか、似たようなコメディ調のカンフー時代劇を作り続け、おかげで作品を追うごとに興行成績は下降線を辿っていったのである。 愛弟子ドニー・イェンのデビュー作『ドラゴン酔太極拳』もまさにその延長線上。恐らくイェンを第2のジャッキー・チェンとして売り出すつもりだったのだろう。同作がコケてしまったのはイェンの知名度不足も確かにあるが、しかし同時に映画の内容自体が時代遅れだったことも大きな理由として挙げられる。それを反省してなのか、再びドニー・イェンを主演に起用した現代劇コメディ『情逢敵手』(‘85・日本未公開)ではブレイクダンス、続くホラー・コメディ『キョンシー・キッズ 精霊道士』(’86)ではキョンシーと、あからさまにヒットを狙ってトレンド・ネタに便乗したユエン・ウーピン監督。しかし残念ながら、その邪まな下心が裏目に出たせいか、どちらの作品も興行的に失敗してしまった。 そんなキャリアの低迷期にあったユエン監督のもとへ転がり込んだのが、香港ノワール映画のブームにちゃっかりと便乗した『タイガー刑事』の企画。これが興行収入1150万香港ドルというスマッシュヒットを記録し、ユエン・ウーピン監督に久しぶりの成功をもたらしたのである。恐らく、この予想外のヒットが評価されたのだろう。D&Bフィルムは引き続き、看板映画「皇家師姐」シリーズの第4弾『クライム・キーパー 香港捜査官』(’89)をユエン監督にオファー。こちらも興行収入1200万香港ドルのヒットとなったことから、『タイガー刑事』の続編である本作『タイガー・コネクション』にゴーサインが出たというわけだ。 ドニー・イェンの超絶カンフー・アクションを存分に堪能するべし! 恐らく、キャスティングもユエン・ウーピン監督の意見が尊重されたのだろう。主人公の元刑事ドラゴン役には秘蔵っ子ドニー・イェンを起用。アクション指導を兼ねた『タイガー刑事』では非業の死を遂げる若手刑事テリー役で強烈な印象を残し、『クライム・キーパー 香港捜査官』でもシンシア・カーン演じるヒロインの相棒刑事ドニー役を好演するといった具合に、なかなか芽の出ない愛弟子のためのお膳立てに余念のなかったユエン監督としては、そろそろ念願の当たり役を与えてやりたいという思いがあったに違いない。 そんな恩師の期待に応えるかのごとく、前作『タイガー刑事』を遥かに凌駕する白熱のカンフー・アクションを披露するドニー・イェン。正直なところ脚本の出来はあまり良いとは言えないし、数多の香港ノワール映画に比べて低予算の安っぽさが目立つことも否めない作品だが、しかしアクション指導を兼ねたイェンが見せる圧倒的なスタント・テクニックの数々は、そうした諸々の弱点を補って余りあると言えよう。ブラジリアン柔術の達人ジョン・サルヴィッティとの剣戟バトル、ドニー・イェン映画に欠かせない悪役俳優マイケル・ウッズとのチェーン・バトルと、出稼ぎ外国人勢との死闘も大きな見どころだが、やはり最大の山場は映画版『モータル・コンバット』(’95)シリーズのリュウ・カン役でお馴染みのロビン・ショウを相手に繰り広げる、クライマックスの血沸き肉躍るフィスト・ファイトであろう。これは3作目『冷面狙擊手』を含めた「特警三部曲」の全てに共通する特徴なのだが、スローモーションを駆使したガン・アクションというジョン・ウーが編み出した香港ノワール映画のトレードマークを巧みにコピーしつつ、その一方で王道的なカンフー・アクションもたっぷりと堪能させてくれる。中でも本作は、シリーズで最も格闘技の見せ場が充実している作品と言えよう。 さらに、『サンダーアーム/龍兄虎弟』(’86)や『プロジェクトA2 史上最大の標的』(’87)などジャッキー・チェン映画で大人気だったロザマンド・クワンをヒロイン役に、「皇家師姐」シリーズの看板女優シンシア・カーンと前作『タイガー刑事』のヒロイン役ドゥドゥ・チェンを特別ゲストにと、知名度的にいまひとつ弱いドニー・イェンをサポートする形で、ネームバリューのある有名スターを脇役に揃えた本作。残念ながら興行成績は前作を大きく下回る630万香港ドルと低調だったものの、しかしカンフー映画マニアの間ではユエン・ウーピン監督×ドニー・イェンのコンビの最良作として評価が高い。 ちなみに、本作にはマレーシア版エンディングと呼ばれるクライマックスの輸出用バージョンが存在する。オリジナルの香港版エンディングではドニー・イェンとロビン・ショウが白熱の死闘を繰り広げるわけだが、このマレーシア版ではそこを丸ごとそっくり差し替え。代わりにシンシア・カーン演じる女刑事が登場し、黒幕のワイズ弁護士(ロビン・ショウ)を逮捕してメデタシメデタシと相成る。どうやら、「悪人は殺さずに警察がちゃんと逮捕するべし」という中国本土の倫理基準を念頭に置いた別バージョンだったようだ。それがなぜ「マレーシア版エンディング」と呼ばれるようになったのか定かじゃないが、いずれにせよ映画的なカタルシスに著しく欠ける退屈な結末としか言いようがなく、やはりオリジナルの香港版エンディングに軍配が上がることは間違いないだろう。■ 『タイガー・コネクション』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
トゥームレイダー2
アンジェリーナ・ジョリーが挑むド派手なアクションは必見!大ヒットアクションアドベンチャー第2弾
同名ゲームを映画化した、大ヒットアクションアドベンチャーの第2弾。アンジョリーナ・ジョリーがスタントなしで挑んだアクションシーンは必見。監督は『スピード』のヤン・デ・ボンに交代。
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COLUMN/コラム2024.12.30
真珠湾攻撃、その再現方法を比較する『パール・ハーバー』と『トラ・トラ・トラ!』
◆史実ベースの映画に初めて挑んだマイケル・ベイ 1941年12月、ハワイ時間の7日早朝6時ー。日本軍によるハワイ島・真珠湾への攻撃が、停泊していたアメリカ軍の太平洋艦隊に向けておこなわれ、2403人の米軍人と民間人が尊い命を失った。この奇襲によって太平洋戦争の幕が開き、アメリカと日本は約4年間にわたる長き苦衷と、混沌とした戦いの時代へと突入していく。 2001年にマイケル・ベイが発表した『パール・ハーバー』は、この真珠湾攻撃を背景に、三人の男女の友情と恋愛を描いた戦争ロマンスだ。共に夢を叶えてパイロットになった、幼馴染のレイフ(ベン・アフレック)とダニー(ジョシュ・ハートネット)。だがレイフは英空軍の米人編成飛行隊として応戦中に撃墜され、悲しみに沈んだ恋人のイヴリン(ケイト・ベッキンセール)とダニーは共に励まし合い、いつしか関係を深めていく。 ところが、死んだと思われたダニーは九死に一生を得て帰還し、三人の関係は複雑なものとなる。そして、そんな彼らのもとに、運命となる1941年12月8日が訪れる……。 ◆時代と技術に応じた戦闘描写の違い 真珠湾攻撃を描いた映画には、さまざまな先行作品が存在する。中でも即座に挙げられるのは、1970年に公開されたアメリカ映画『トラ・トラ・トラ!』だろう。作戦の決行成立を伝える日本軍の暗号電文をタイトルとする本作は、日米双方の政治的・軍事的な立場を俯瞰し、真珠湾攻撃の全体像を捉えていく内容だ。そのためラブストーリーの背景の一つとして真珠湾攻撃が用いられる『パール・ハーバー』とは性質を異にするが、いずれも同作戦の描写において、似たようなスケールと制作規模を有すること。そして時代に応じた技術的アプローチの違いから 比較対象として持ち出されることも少なくない。 『トラ・トラ・トラ!』では復元された航空機を飛行させて撮像を得ていたが、その点に関しては『パール・ハーバー』も踏襲している。しかし約33機を実際に飛ばした前者に比べ、後者はコンピューターのプログラミングで画像生成されるCG(コンピュータ・グラフィック)によるデジタルレプリカが比重を占め、撮影に必要だった180機の大半をCGでおぎなっている。 ただ旧機の再現において、ライブアクションを基準とする『トラ・トラ・トラ!』の場合、機動部隊の主力機である九七零式艦攻特別攻撃機ならびに九九式艦上爆撃機、そして零式艦上戦闘機はカナダ空軍所有のT-6テキサンとBT-13パイロット訓練機を大幅に改造した偽装機が用いられている。『パール・ハーバー』では現存する零戦が一機と、実際に飛行が可能な9機の偽装機をプロダクション側が所有していたが、撮影のためにそれらを飛ばしたのは3機から4機で、ショットのほとんどはデジタルレプリカによるものだ。 この本物と同じような外観を持つCG戦闘機の開発は、光源から発せられた光が物体に当たったときの反射や屈折、拡散する様子を計算し、物体から放たれる複数の光の影響を考慮した「グローバルイルミネーションライティング」のプログラムソフトが可能にした。これはCGの戦艦用に開発されたものだが、戦闘機にも応用できたのだ。 そして『トラ・トラ・トラ!』では日本の軍艦がオアフ島に向けて太平洋を横断するシーンを、主にミニチュアによる特殊効果撮影で生み出してている。戦闘機が空母「加賀」の甲板から出撃していくシーンは、米海軍の航空母艦USSヨークタウンを加賀に偽装して撮影がおこなわれた。これが『パール・ハーバー』の場合、環太平洋海軍合同軍事演習を利用し、海上進行する30隻の空母をヘリで空撮。それによって得られた実写プレートをデジタルペイントで日本艦隊のように加工し、同シーンを得ている。 そんな『トラ・トラ・トラ!』のミニチュアワークは真珠湾攻撃シーンでも効果的に用いられ、前述の復元実機を主体とするプラクティカルエフェクトとの併用により、効果的な映像を生み出している。同作のミニチュア特撮を担当したL・B・アボットは後に『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)や「タワーリング・インフェルノ』(1974)などのパニック大作でも特撮監督を務め、『トラ・トラ・トラ!』では先の日本軍の艦艇と10隻と、真珠湾に停泊する10隻のアメリカ海軍艦艇のミニチュアをサラセン湖にあるオープンセットのプールで再現したものが使用された。ただしミニチュア船に自走機能がないため、トラックにワイヤーを取り付けて牽引させた。また九七艦攻が放つ魚雷の航跡は水中のパイプから圧縮空気を噴出させ、航跡を再現している。 『パール・ハーバー』も日本軍による真珠湾攻撃の描写はプラクティカルな効果を用いたライブアクション撮影をベースに、必要に応じてCGによるプレートとのコンポジットや、あるいはスケールモデルを使ったスタジオ撮影によるプレートをシームレスに融合させている。特にスケールモデルを用いた後者は、『タイタニック』(1997)で使用したメキシコ・バハカリフォルニアにあるロザリト・ビーチ・スタジオの巨大水槽に、世界最大のジンバルにUSSオクラホマの大規模な船首モデルをくくりつけ、同戦艦の横転と水没を表現した。 ちなみに『トラ・トラ・トラ!』においても、USSオクラホマのミニチュアモデルには180度横転できる仕掛けが取り付けられてはいたし、真珠湾攻撃における被害を象徴したUSSアリゾナの傾いた艦橋も、同艦のミニチュアには40度の角度まで倒すことができるギミックが取り付けられていた。しかし水槽の深さの関係で完全に機能させることができず、編集によって傾きや転覆をかろうじて表現できた。こうした描写はいずれも『トラ・トラ・トラ!』では技術と予算の限界から正確できなかっただけに、とかく同作と比較して低く見られがちな『パール・ハーバー』の優位点と言えるかも知れない。 先のメイキングプロセスを経て創造された『パール・ハーバー』と『トラ・トラ・トラ!』の真珠湾攻撃描写を、どちらか優劣を決めるとなると難しい。前者は実機を飛行させた映像の生々しいライブ感に秀でているし、後者は死角のないカメラワークでより対象に迫り、戦争の物理的な凄惨さがまざまざと感じられる。なにより、いずれも当時の技術を最大限に活かしながら挑んだ痕跡が強く残っており、その努力には言葉を失うばかりだ。 ◆描写の違いを問わず、戦争とは恐ろしいもの ただ『パール・ハーバー』の場合、クラシカルなラブストーリーを制作目標とし、1940年代の映画のスタイルや色調を模した古典主義的な全体像を心がけながら、いっぽうで戦闘場面においては、迫真的でリアルな視覚アプローチへと作りを転調させている。そこにはマイケル・ベイの「戦争は恐ろしいものである」という揺るぎない主張が感じられ、多くの観る者にその意識を強く与えるのだ。 もっとも、本作における真珠湾攻撃の凄まじい描写は、後にアメリカ側が報復として日本本土を空撃した「ドーリットル空襲」の布石として機能し、その描写が凄惨であればあるほど、復讐を果たすドラマとしての高揚感は増す。それはアメリカサイドの映画としてやむをえない作りだが、本作でさえ四半世紀前の古典となりつつある現況、当時の生存者の証言や史実にあたって徹底させた描写に、改めて考えを巡らせてしまう。特にこのコラムを作成した当日、真珠湾攻撃の最高齢となる生存者ウォーレン・アプトン氏の訃報に触れ(https://www.cnn.co.jp/usa/35227783.html)、残る生存者がわずか15人となった現況に接すると、同作に対する思いはより深くなっていくのだ。■ 『パール・ハーバー』© 2001 Touchstone Pictures. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
ラッシュアワー2
ジャッキーとクリス・タッカーがコンビ再結成。今度の悪役は超強敵のチャン・ツィイー!
カンフーの達人ジャッキー・チェンとマシンガン・トークの達人クリス・タッカーが、前作からパワーアップして3年ぶりにコンビを結成。彼らを狙う殺し屋にチャン・ツィイーの妖しく美しい悪役ぶりも見どころ。
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COLUMN/コラム2024.12.27
ハリウッド・アクションの金字塔『ダイ・ハード』シリーズの魅力に迫る!
テレビ界の人気者だった俳優ブルース・ウィリスをハリウッド映画界のスーパースターへと押し上げ、25年間に渡って計5本が作られた犯罪アクション『ダイ・ハード』シリーズ。1作目はロサンゼルスにある大企業の本社ビル、2作目は首都ワシントンD.C.の国際空港、3作目は大都会ニューヨークの市街、さらに4作目はアメリカ東海岸全域で5作目はロシアの首都モスクワと、作品ごとに舞台となる場所を変えつつ、「いつも間違った時に間違った場所にいる男」=ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)が、毎回「なんで俺ばかりこんな目に遭わなけりゃならないんだよ!」とぼやきながらも、凶悪かつ狡猾なテロ集団を相手に激しい戦いを繰り広げていく。 1月のザ・シネマでは、新年早々にその『ダイ・ハード』シリーズを一挙放送(※3作目のみ放送なし)。そこで今回は、1作目から順番にシリーズを振り返りつつ、『ダイ・ハード』シリーズが映画ファンから愛され続ける理由について考察してみたい。 <『ダイ・ハード』(1988)> 12月24日、クリスマスイヴのロサンゼルス。ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、別居中の妻ホリー(ボニー・ベデリア)が重役を務める日系企業・ナカトミ商事のオフィスビルを訪れる。仕事優先で家庭を顧みず、妻のキャリアにも理解が乏しい昔気質の男ジョンは、それゆえ夫婦の間に溝を作ってしまっていた。クリスマスを口実に妻との和解を試みるもあえなく撃沈するジョン。すると、ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)率いる武装集団がナカトミ商事のクリスマス・パーティ会場へ乱入し、出席者全員を人質に取ったうえで高層ビル全体を占拠してしまった。 たまたま別室にいて拘束を免れたジョンは、欧州の極左テロ組織を名乗るグルーバーたちの犯行動機がイデオロギーではなく金であることを知り、協力を拒んだタカギ社長(ジェームズ・シゲタ)を射殺する様子を目撃する。このままでは妻ホリーの命も危ない。居ても立ってもいられなくなったジョンは、警察無線で繋がったパトロール警官アル(レジナルド・ヴェルジョンソン)と連絡を取りつつ、敵から奪った武器で反撃を試みる。やがてビルを包囲する警官隊にマスコミに野次馬。周囲が固唾を飲んで状況を見守る中、ジョンはたったひとりでテロ組織を倒して妻を救出することが出来るのか…? ジャパン・マネーが世界経済を席巻したバブル期の世相を背景に、大手日系企業のオフィスビル内で繰り広げられるテロ組織と運の悪い刑事の緊迫した攻防戦。この単純明快なワンシチュエーションの分かりやすさこそ、本作が興行的な成功を収めた最大の理由のひとつであろう。さらに原作小説では3日間の話だったが、映画版では1夜の出来事に短縮することでスピード感も加わった。そのうえで、ビル全体を社会の象徴として捉え、それを破壊することで登場人物たちの素顔や関係性を炙り出していく。シンプルでありながらも中身が濃い。『48時間』(’82)や『コマンドー』(’87)のスティーヴン・E・デ・スーザのソリッドな脚本と、当時『プレデター』(’87)を当てたばかりだったジョン・マクティアナンの軽妙な演出が功を奏している。これをきっかけに、暴走するバスを舞台にした『スピード』(’94)や、洋上に浮かぶ戦艦内部を舞台にした『沈黙の戦艦』(’92)など、本作の影響を受けたワンシチュエーション系アクションが流行ったのも納得だ。 もちろん、主人公ジョン・マクレーン刑事の庶民的で親しみやすいキャラも大きな魅力である。ダーティ・ハリー的なタフガイ・ヒーローではなく、アメリカのどこにでもいる平凡なブルーカラー男性。ことさら志が高かったり勇敢だったりするわけでもなく、それどころか人間的には欠点だらけのダメ男だ。そんな主人公が運悪く事件現場に居合わせたことから、已むに已まれずテロ組織と戦うことになる。観客の共感を得やすい主人公だ。また、そのテロ組織がヨーロッパ系の白人という設定も当時は新鮮だった。なにしろ、’80年代ハリウッド・アクション映画の敵役と言えば、アラブ人のイスラム過激派か南米の麻薬組織というのが定番。もしくは日本のヤクザかニンジャといったところか。そうした中で、厳密には黒人とアジア人が1名ずついるものの、それ以外は主にドイツやフランス出身の白人で、なおかつリーダーはインテリ極左という本作のテロ組織はユニークだった。 ちなみに、本作で「もうひとりの主役」と呼ばれるのが舞台となる高層ビル「ナカトミ・プラザ」。20世紀フォックス(現・20世紀スタジオ)の本社ビルが撮影に使われたことは有名な逸話だ。もともとテキサス辺りで撮影用のビルを探すつもりだったが、しかし準備期間が少ないことから、当時ちょうど完成したばかりだった新しい本社ビルを使うことになった。ビルが建つロサンゼルスのセンチュリー・シティ地区は、同名の巨大ショッピングモールや日本人観光客にもお馴染みのインターコンチネンタル・ホテルなどを擁するビジネス街として有名だが、もとを遡ると周辺一帯が20世紀フォックスの映画撮影所だった。しかし、経営の行き詰まった60年代に土地の大半を売却し、再開発によってロサンゼルス最大級のビジネス街へと生まれ変わったのである。パラマウントやワーナーなどのメジャー他社に比べて、20世紀スタジオの撮影所が小さくてコンパクトなのはそのためだ。 <『ダイ・ハード2』(1990)> あれから1年後のクリスマスイヴ。ジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は出張帰りの妻ホリー(ボニー・ベデリア)を出迎えるため、雪の降り積もるワシントンD.C.の空港へやって来る。空港にはマスコミの取材陣も大勢駆けつけていた。というのも、麻薬密輸の黒幕だった南米某国のエスペランザ将軍(フランコ・ネロ)が、ちょうどこの日にアメリカへ護送されてくるからだ。妻の到着を今か今かと待っているジョンは、貨物室へと忍び込む怪しげな2人組に気付いて追跡したところ銃撃戦になる。実は、反共の英雄でもあったエスペランザ将軍を支持するスチュアート大佐(ウィリアム・サドラー)ら元米陸軍兵グループが、同将軍を救出するべく空港占拠を計画していたのだ。 絶対になにかあるはず。悪い予感のするジョンだったが、しかし空港警察のロレンゾ署長(デニス・フランツ)は全く聞く耳を持たない。やがて空港の管制システムはテロ・グループに乗っ取られ、到着予定の旅客機がいくつも着陸できなくなってしまう。その中にはジョンの妻ホリーの乗った旅客機もあった。乗員乗客を人質に取られ、手も足も出なくなってしまった空港側。敵は必ず近くに隠れているはず。そのアジトを割り出してテロ・グループを一網打尽にしようとするジョンだったが…? 今回の監督は『プリズン』(’87)や『フォード・フェアレーンの冒険』(’90)で高く評価されたフィンランド出身のレニー・ハーリン。特定の空間に舞台を絞ったワンシチュエーションの設定はそのままに、巨大な国際空港とその周辺で物語を展開させることで、前作よりもスペクタクルなスケール感を加味している。偉そうに威張り散らすだけの無能な現場責任者や、特ダネ欲しさのあまり人命を軽視するマスコミなど、権力や権威を揶揄した反骨精神も前作から継承。また、南米から流入するコカインなどの麻薬汚染は、当時のアメリカにとって深刻な社会問題のひとつ。麻薬密輸の黒幕とされるエスペランザ将軍は、恐らく’89年に米海軍特殊部隊によって拘束された南米パナマ共和国の独裁者ノリエガ将軍をモデルにしたのだろう。そうした同時代の世相が、物語の重要なカギとなっているのも前作同様。嫌々ながらテロとの戦いに身を投じるジョン・マクレーン刑事のキャラも含め、監督が代わっても1作目のDNAはしっかりと受け継がれている。ファンが『ダイ・ハード』に何を期待しているのか、製作陣がちゃんと考え抜いた結果なのだろう。 そんな本作の要注目ポイントは管制塔と滑走路のセット。そう、まるで実際に空港の管制塔で撮影したような印象を受けるが、実際は劇中の管制塔もその向こう側に広がる滑走路も、20世紀フォックスの撮影スタジオに建てられたセットだったのである。本物の管制塔は地味で狭くて映画的に見栄えがしないため、もっとスタイリッシュでカッコいいセットを一から作ることに。この実物大の管制塔から見下ろす滑走路はミニチュアで、遠近法を利用することで実物大サイズに見せている。これが、当時としてはハリウッドで前例のないほど巨大なセットとして業界内で話題となり、マーティン・スコセッシをはじめとする映画監督や各メジャー・スタジオの重役たちが見学に訪れたのだそうだ。 <『ダイ・ハード3』(1995年)> ※ザ・シネマでの放送なし 1作目のジョン・マクティアナン監督が復帰したシリーズ第3弾。今回、ザ・シネマでの放送がないため、ここでは簡単にストーリーを振り返るだけに止めたい。 ニューヨークで大規模な爆破テロ事件が発生。サイモンと名乗る正体不明の犯人は、ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)を指名して、まるで面白半分としか思えないなぞなぞゲームを仕掛けてくる。しかも、制限時間内に正解を出せなければ、第2・第3の爆破テロが起きてしまう。妻に三下り半を突きつけられたせいで酒に溺れ、警察を停職処分になっていたジョンは、テロリストからニューヨーク市民の安全を守るため、嫌々ながらもなぞなぞゲームに付き合わされることに。さらに、何も知らず善意でジョンの窮地を救った家電修理店の店主ゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)までもが、ジョンを助けた罰としてサイモンの命令でゲームに参加させられる。 やがて浮かび上がる犯人の正体。それは、かつてナカトミ・プラザでジョンに倒されたテロ・グループの首謀者、ハンス・グルーバーの兄サイモン・ピーター・グルーバー(ジェレミー・アイアンズ)だった。弟が殺されたことを恨んでの復讐なのか。そう思われた矢先、サイモン率いるテロ組織の隠された本当の目的が明るみとなる…!。 <『ダイ・ハード4.0』(2007)> FBIサイバー対策部の監視システムがハッキングされる事件が発生。これを問題視したFBI副局長ボウマン(クリフ・カーティス)は、全米の名だたるハッカーたちの身柄を拘束し、ワシントンD.C.のFBI本部へ送り届けるよう各捜査機関に通達を出す。その頃、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に過保護ぶりを煙たがられたニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、ニュージャージーに住むハッカーの若者マシュー・ファレル(ジャスティン・ロング)をFBI本部へ護送するよう命じられるのだが、そのマシューの自宅アパートで正体不明の武装集団に襲撃される。 武装集団の正体は、サイバー・テロ組織のリーダーであるトーマス・ガブリエル(ティモシー・オリファント)が差し向けた暗殺部隊。FBIをハッキングするため全米中のハッカーを騙して利用したガブリエルは、その証拠隠滅のため遠隔操作の爆弾で用済みになったハッカーたちを次々と爆殺したのだが、マシューひとりだけが罠に引っかからなかったため暗殺部隊を送り込んだのである。そうとは知らぬジョンとマシューは、激しい攻防戦の末にアパートから脱出。命からがらワシントンD.C.へ到着した彼らが目の当たりにしたのは、サイバー・テロによってインフラ機能が完全に麻痺した首都の光景だった。かつて国防総省の保安責任者だったガブリエルは、国の危機管理システムの脆弱性を訴えたが、上司に無視され退職へ追い込まれていた。「これは国のため」だといって自らの犯行を正当化するガブリエル。しかし、彼の本当の目的が金儲けであると気付いたジョンとマシューは、なんとかしてその計画を阻止しようとするのだったが…? 12年ぶりに復活した『ダイ・ハード』第4弾。またもや間違った時に間違った場所にいたジョン・マクレーン刑事が、運悪くテロ組織の破壊工作に巻き込まれてしまう。しかも今回はテクノロジー社会を象徴するようなサイバー・テロ。かつてはファックスすら使いこなせていなかった超アナログ人間のジョンが、成り行きで相棒となったハッカーの若者マシューに「なんだそれ?俺に分かる言葉で説明しろ!」なんてボヤきながらも、昔ながらのアナログ・パワーをフル稼働してテロ組織に立ち向かっていく。9.11以降のアメリカのセキュリティー社会を投影しつつ、果たしてテクノロジーに頼りっきりで本当に良いのだろうか?と疑問を投げかけるストーリー。本格的なデジタル社会の波が押し寄せつつあった’07年当時、これは非常にタイムリーなテーマだったと言えよう。 監督のレン・ワイズマンも脚本家のマーク・ボンバックも、10代の頃に『ダイ・ハード』1作目を見て多大な影響を受けた世代。当時まだ小学生だったマシュー役のジャスティン・ロングは、親から暴力的な映画を禁止されていたため大人になってからテレビでカット版を見たという。そんな次世代のクリエイターたちが中心となって作り上げた本作。ワイズマン監督が最もこだわったのは、「実写で撮れるものは実写で。CGはその補足」ということ。なので、『ワイルド・スピード』シリーズも真っ青な本作の超絶カー・アクションは、そのほとんどが実際に車を壊して撮影されている。劇中で最もインパクト強烈な、車でヘリを撃ち落とすシーンもケーブルを使った実写だ。CGで付け足したのは回転するヘリのプロペラだけ。あとは、車が激突する直前にヘリから飛び降りるスタントマンも別撮りシーンをデジタル合成している。しかし、それ以外は全て本物。中にはミニチュアと実物大セットを使い分けたシーンもある。こうした昔ならではの特殊効果にこだわったリアルなアクションの数々に、ワイズマン監督の『ダイ・ハード』シリーズへの深い愛情が感じられるだろう。 <『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(2013)> 長いこと音信不通だった息子ジャック(ジェイ・コートニー)がロシアで殺人事件を起こして逮捕されたと知り、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に見送られてモスクワへと向かったニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)。ところが、到着した裁判所がテロによって爆破されてしまう。何が何だか分からず混乱するジョン。すると息子ジャックが政治犯コマロフ(セバスチャン・コッホ)を連れて裁判所から逃走し、その後を武装したテロ集団が追跡する。実はCIAのスパイだったジャックは、コマロフを救出する極秘任務を任されていたのだ。ロシアの大物政治家チャガーリンの犯罪の証拠を握っており、チャガーリンを危険視するCIAはコマロフをアメリカへ亡命させる代わりに、その証拠であるファイルを手に入れようと考えていたのである。 そんなこととは露知らぬジョンは、追手のテロ集団を撃退するものの、結果としてジャックの任務を邪魔してしまうことに。ひとまずCIAの隠れ家へ駆け込んだジョンとジャック、コマロフの3人は、アメリカへ亡命するならひとり娘を連れて行きたいというコマロフの意向を汲むことにする。待ち合わせ場所の古いホテルへ到着した3人。ところが、そこで待っていたコマロフの娘イリーナ(ユーリヤ・スニギル)によってコマロフが拉致される。テロ集団はチャガーリンがファイルを握りつぶすために差し向けた傭兵部隊で、イリーナはその協力者だったのだ。敵にファイルを奪われてはならない。コマロフのファイルが隠されているチェルノブイリへ向かうジョンとジャック。実はコマロフはただの政治犯ではなく、かつてチャガーリンと組んでチェルノブイリ原発から濃縮ウランを横流し、それを元手にして財を成したオリガルヒだった。コマロフを救出しようとするマクレーン親子。ところが、現地へ到着した2人は思いがけない事実を知ることになる…! オール・アメリカン・ガイのジョン・マクレーン刑事が、初めてアメリカ国外へ飛び出したシリーズ最終章。『ヒットマン』(’07)や『G.I.ジョー』(’09)のスキップ・ウッズによる脚本は、正直なところもう少し捻りがあっても良かったのではないかと思うが、しかし報道カメラマン出身というジョン・ムーア監督の演出は、前作のレン・ワイズマン監督と同様にリアリズムを重視しており、あくまでも本物にこだわった大規模なアクション・シーンで見せる。中でも、ベラルーシで手に入れたという世界最大の輸送ヘリコプターMi-26の実物を使った空中バトルは迫力満点だ。 なお、当初はモスクワで撮影する予定でロケハンも行ったが、しかし現地での街頭ロケはコストがかかり過ぎるという理由で断念。代替地としてモスクワと街並みのよく似たハンガリーのブダペストが選ばれた。イリーナ役のユーリヤ・スニギルにチャガーリン役のセルゲイ・コルスニコフと、ロシアの有名な俳優が出演している本作だが、しかしジョンがロシア人を小バカにするシーンなど、決してロシアに対して好意的な内容ではないことから、現地では少なからず批判に晒されたようだ。実際、ムーア監督がイメージしたのはソヴィエト時代そのままの「陰鬱で荒涼とした」モスクワ。明るくて華やかで賑やかな現実の大都会モスクワとは別物として見た方がいいだろう。 <『ダイ・ハード』シリーズが愛される理由とは?> これはもう、主人公ジョン・マクレーン刑事と演じる俳優ブルース・ウィリスの魅力に尽きるとしか言いようがないであろう。ことさら勇敢なわけでもなければ正義感が強いわけでもない、ぶっちゃけ出世の野心もなければ向上心だってない、愛する家族や友人さえ傍にいてくれればいいという、文字通りどこにでもいる平々凡々とした昔ながらの善良なアメリカ人男性。刑事としての責任感や倫理観は強いものの、しかしその一方で権威や組織に対しては強い不信感を持っており、たとえお偉いさんが相手だろうと一切忖度などしない。そんな反骨精神あふれる庶民派の一匹狼ジョン・マクレーン刑事が、いつも運悪く面倒な事態に巻き込まれてしまい、已むに已まれずテロリスト集団と戦わざるを得なくなる。しかも、人並外れて強いというわけでもないため、最後はいつもボロボロ。このジョン・マクレーン刑事のヒーローらしからぬ弱さ、フツーっぽさ、親しみやすさに、観客は思わず同情&共感するのである。 加えて、もはや演技なのか素なのか分からないほど、役柄と一体化したブルース・ウィリスの人間味たっぷりな芝居も素晴らしい。もともとテレビ・シリーズ『こちらブル―ムーン探偵社』(‘85~’89)の私立探偵デイヴ・アディスン役でブレイクしたウィリス。お喋りでいい加減でだらしがなくて、特にこれといって優秀なわけでも強いわけでもないけど、しかしなぜだか愛さずにはいられないポンコツ・ヒーロー。そんなデイヴ役の延長線上にありつつ、そこへ労働者階級的な男臭さを加味したのがジョン・マクレーン刑事だと言えよう。まさにこれ以上ないほどの適役。当初候補に挙がっていたシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーでは、恐らく第二のランボー、第二のコマンドーで終わってしまったはずだ。 もちろん、重くなり過ぎない軽妙洒脱な語り口やリアリズムを追究したハードなアクション、最前線の苦労を知らない無能で横柄な権力者やマスコミへの痛烈な風刺精神、同時代の世相を巧みにストーリーへ織り込んだ社会性など、1作目でジョン・マクティアナンが打ち出した『ダイ・ハード』らしさを確実に継承した、歴代フィルムメーカーたちの職人技的な演出も高く評価されるべきだろう。彼らはみんな、『ダイ・ハード』ファンがシリーズに何を望んでいるのかを踏まえ、自らの作家的野心よりもファンのニーズに重きを置いて映画を作り上げた。これぞプロの仕事である。 その後、ブルース・ウィリス自身は6作目に意欲を示していたと伝えられるが、しかし高次脳機能障害の一種である失語症を発症したことから’22年に俳優業を引退。おのずと『ダイ・ハード』シリーズにも幕が降ろされることとなった。■ 「ダイ・ハード」© 1988 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード2」© 1990 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード4.0」© 2007 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード/ラスト・デイ」© 2013 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.