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PROGRAM/放送作品
U-571
ドイツ軍の最新鋭潜水艦に潜入せよ!第二次大戦の史実を基に創造したリアルな戦争アクション
第二次大戦で実際に行われた暗号機奪取作戦をヒントにした戦争アクション。ドイツ軍最新鋭潜水艦に潜入した米軍兵の死闘を、実物大のレプリカ・セットで舞台を再現するなど、リアリティ重視の骨太な演出で描く。
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COLUMN/コラム2022.01.07
タランティーノの名を世界に轟かせたデビュー作『レザボア・ドッグス』
クエンティン・タランティーノは、焦っていた。1963年生まれの彼は、映画監督デビューを目論んで、20代前半から5年の間に、『トゥルー・ロマンス』『ナチュラル・ボーン・キラーズ』という、2本の脚本を執筆。しかし夢の先行きは、まったく見えてこなかった…。 これらの脚本は、高値と言える額ではないが、売れて、彼をバイト生活から脱け出させてくれた。しかしそれと同時に、嫌というほど思い知らされたのである。無名の存在である自分に大金を注いで、監督をやらそうなどという奇特な御仁は、この世には存在しないことを。 彼は思い至った。「…3万㌦で撮れる映画を書こう…」と。ストーリーは、強盗たちが主役のクライムもの。しかし犯行の様子は描かず、物語のほとんどは倉庫の中で展開する。16mmのモノクロフィルムを使用し、キャストは友人たちで固める。 これだったら、今までに脚本料として得た金を製作費にして、短期間で撮り上げられるに違いない。やっと、自分の監督作品が撮れる! しかし神はタランティーノに、そこまでチープな作品作りをすることを、許さなかった。彼が出席したあるパーティの場で、1人の男と出会わせ、大いなる伝説の幕開けを演出したのである。 その男の名は、ローレンス・ベンダー。タランティーノより6つほど年上で30代前半だったこの男は、役者崩れのプロデューサー。と言っても、まだ駆け出しだった。彼は、タランティーノが映画化権を手放した、『トゥルー・ロマンス』の脚本をたまたま読んでおり、その書き手にいたく興味を抱いていたのである。 それがきっかけとなって、タランティーノはベンダーに、自分が監督しようと思って書き進めている、『レザボア・ドッグス』というタイトルの脚本のことを話した。その内容に感銘を受けたベンダーは、映画化の企画を一緒に進めたいと伝え、製作費の調達のために、1年間の猶予が欲しいと申し出た。 しかしタランティーノは、もう待てなかった。この5年間、映画監督になろうと費やした労力は、まったくの無駄に終わっている。更に1年なんて、冗談じゃない。 話し合いの結果、ベンダーには2カ月だけ猶予が与えられた。2カ月経ってメドが立たなかったら、手持ちの製作費3万㌦で撮ると。その時に2人の間で交わされた同意書は、紙の切れ端にお互いが殴り書きのようにサインしたものだったという。 仕上がった脚本を手に、ベンダーの奔走が始まる。すぐにリアクションがあったのが、アメリカン・ニューシネマのカルト作品『断絶』(1971)などの監督として知られる、モンテ・ヘルマン。当初はこの脚本を、自分の監督作品として映画化したいという意向だったヘルマンだが、タランティーノの「自ら監督したい」という情熱を買って、プロデューサーの立場からサポートすることを、決めた。 タランティーノもベンダーも、是非とも出演して欲しいと願っていた俳優がいた。『ミーン・ストリート』(73)『タクシードライバー』(76)などのマーティン・スコセッシ作品で世に出た後、長き不遇の時を経て、90年代に入ると、『テルマ&ルイーズ』(91)『バグジー』(91)などの作品で高い評価を得るに至った、ハーヴェイ・カイテルである。 ベンダーが知己である演技コーチに、その旨を話すと、何とそのコーチの妻が、カイテルとは若き日からの知り合いだった。こうした伝手で、脚本を届けてもらうことになって数日後、ベンダーの元に電話が入った。「…読ませてもらったよ。これについて君とぜひ話をさせてもらいたいんだが」 カイテルの声だった。物事は、俄然良い方向へと転がり出す。 製作に入った「LIVEエンターテインメント」がノリ気になって、160万㌦まで出資してくれることになった。ハリウッドの基準で言えば、相当な低予算ではあるが、はじめにタランティーノが考えていた3万㌦の、実に50倍以上のバジェットである。 カイテルは、自分以外のキャストを探すのに、協力を惜しまなかった。オーディションの会場を提供したり、タランティーノとベンダーが俳優たちに会うための旅費まで負担してくれた。こうしてティム・ロスやマイケル・マドセン、スティーヴ・ブシェミといった、当時はまだ無名に近かったが、実力を持った俳優陣が、『レザボア・ドッグス』に出演することが決まっていった。 タランティーノとベンダーは、カイテルの労に報いるため、彼を“共同製作者”としてもクレジットすることを提案した。カイテルもまた、その申し出を喜んで受けたのだった。 この作品が飛躍するのには、ロバート・レッドフォードが興した、若手映画人の登龍門「サンダンス映画祭」も一役買った。本作のクランクイン前、タランティーノはヘルマンの推薦で、「サンダンス」のワークショップに参加。クランクインに先駆けて、『レザボア・ドッグス』の数シーンをテスト撮影し、有名フィルムメーカーから指導を受けることとなった。 タランティーノは、後に彼の作品の特徴となる、冗長とも取れる長回し撮影を敢行。仕上がったものを見て、軌道修正を求める講師が少なくなかったが、その逆に強く勇気づけてくれる者が現れた。モンティ・パイソンのメンバーで、『未来世紀ブラジル』(85)などを監督した、テリー・ギリアムである。「自分を信じろ」これが、ギリアムからタランティーノへのエールだった。 こうしたプロセスを経て、『レザボア・ドッグス』が撮影されたのは1991年、猛暑の夏であった。 ***** ダイナーで朝食を取りながら、マドンナの大ヒット曲「ライク・ア・ヴァージン」の歌詞の解釈について、無駄話を繰り広げる一団が居た。黒いスーツに白いシャツ、黒のネクタイに身を包んだ6人の男と、リーダーらしき年輩の男、そしてその息子だ。 彼らは、宝石店の襲撃計画を立てている強盗団。お互いの素性も知らず、リーダーに割り当てられた“色”を、お互いの呼び名にしていた…。 市街を猛スピードで走る、一台の車を運転するのは、強盗団の1人で、Mr.ホワイトと呼ばれる男(演:ハーヴェイ・カイテル)。そしてバックシートには、腹を撃たれて苦悶にのたうち回る、Mr.オレンジ(演:ティム・ロス)が居た。 強盗後の集合場所だった倉庫に着くと、Mr.ピンク(演:スティーヴ・ブシェミ)も逃げ込んで来る。彼らの犯行は、店の警報が鳴り始めた時に、Mr.ブロンド(演:マイケル・マドセン)がいきなり銃を乱射したため、無残な失敗に終わっていた。追跡する警官に撃たれて、命を落とす仲間も出たようだ。 ピンクは、警官隊の動きがあまりにも早かったことを指摘。自分たちが罠にハメられたこと、メンバーの中に裏切り者が居ることなどを、まくし立てる。 あまりの苦痛に気絶したオレンジの扱いについて、ホワイトとピンクは対立。銃を向け合っているところに、ブロンドが現れる。彼は1人の若い警官を、人質として拉致して来たのだった…。 ***** 処女作には、その監督のすべてが詰まっているというが、本編の内容と直接は関係ない無駄話という、タランティーノ作品のアイコンのようなシーンから幕開けとなる、『レザボア・ドッグス』。 先にも記したが、強盗団を主役としつつも、犯行の様子を直接描くことはなく、物語のほとんどは倉庫の中で展開していく。その中で、主要メンバーが強盗団に加わった経緯や犯行後の逃走劇など、過去の出来事が織り交ぜられていく構成である。裏切り者の正体も、その中で明かされる。 時間の流れを、タランティーノは観客に見せたい順番に並べ替える。この手法はこの後、監督第2作の『パルプ・フィクション』(94)で究極の冴えを見せることになるが、それに先立つ本作でも、見事にハマっている。 本作のお披露目上映となったのは、92年1月、ゆかりの「サンダンス映画祭」にて。その際には本作の、こうした斬新なアプローチが、大きな反響を沸き起こした。それと同時に、Mr.ブロンドがダンスをしながら、人質の警官の耳を削ぐという衝撃的な拷問シーンに、席を立って退場する者も相次いだという…。 何はともあれこの時の「サンダンス」で、『レザボア・ドッグス』は賞こそ逃したものの、№1の注目を集めた。批評家たちから熱い支持の声が上がると同時に、配給会社間の争奪戦が勃発。結果的にはハーヴェイ・ワインスタイン率いる「ミラマックス」が、本作を掌中に収めた。 その後「カンヌ」「トロント」といった国際映画祭を経て、92年10月に本作はアメリカ公開された。興行収入は、283万2,029㌦。160万㌦の製作費は回収できたが、ヒットと言える数字ではなかった。しかしタランティーノ本人は、その独特な風貌と、インタビューなどでの当意即妙な受け答えがウケて、一躍マスコミの寵児となる。 その後タランティーノは、『レザボア・ドッグス』を上映するヨーロッパ全土の映画祭、そしてアジアへと足を延ばす。その一環で93年2月には、北海道の「ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭」に参加。余談になるが、「ゆうばり」滞在中に『パルプ・フィクション』のシナリオを執筆していたことや、後に『キル・ビル vol.1』(93)で日本を舞台にしたシーンに登場する、栗山千明演じる女子高生殺し屋に、“GOGO夕張”という役名を付けたのは、広く知られている。 世界のどこに行っても映画ファンの心を掴み、人気者となったタランティーノ。アメリカでは「今イチ」の成績に終わった劇場公開だが、フランスでは、1年以上のロングランに。またイギリスでは、600万㌦もの興収を上げる大成功を収めた。 こうした人気は、本国に逆輸入された。本作のビデオがアメリカで発売されると、90万本という、予想の3倍に上る売り上げを記録したのである。 このようなタランティーノ旋風の中で、突如盗作疑惑が持ち上がった。本作のプロットが、チョウ・ユンファ扮する刑事が宝石強盗団への潜入捜査を行う、リンゴ・ラム監督の香港映画『友は風の彼方に』(87)のパクりであるとの指摘がされたのである。特にラスト20分の展開が酷似しているのは、両作を観た者の目には、明らかだった。 これに対してタランティーノは、「俺はこれまで作られたすべての映画から盗んでいる」と応えた。更には、黒澤明の『羅生門』(50)や、スタンリー・キューブリックの『現金に体を張れ』(56)等々の影響も、胸を張って認めたのである。 狂的な映画マニアであるタランティーノは、この後は作品を発表する度に、元ネタとなった作品たちのことを、喜々として語るようになる。そのため「盗作」などという指摘は、まったく有効ではなくなった。 すべてのタランティーノ作品は、様々な過去の作品のコラージュであり、パッチワークであることが、今では広く知られている。オリジナリティーがないことを自ら吐露しながら、魅力的な作品を世に放ち続けるなど、凡百の作り手には到底マネできない。 そんなタランティーノも、本作で監督デビューしてから、今年でちょうど30年。かねてより、長編映画を10本撮ったら、映画監督を引退すると公言しているタランティーノだが、『vol.1』『vol.2』の2部作となった『キル・ビル』を1本とカウントして、次回作がちょうど10本目となる。 ここは是非、宮崎駿やスティーヴン・ソダーバーグなどの先人の振舞いをパクって、10本撮った時点での「引退」撤回を期待したいところであるが…。■ 『レザボア・ドッグス』© 2020 Lions Gate Entertainment. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)U-571 【日曜洋画劇場新版】
ドイツ軍の最新鋭潜水艦に潜入せよ!第二次大戦の史実を基に創造したリアルな戦争アクション
第二次大戦で実際に行われた暗号機奪取作戦をヒントにした戦争アクション。ドイツ軍最新鋭潜水艦に潜入した米軍兵の死闘を、実物大のレプリカ・セットで舞台を再現するなど、リアリティ重視の骨太な演出で描く。
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COLUMN/コラム2018.12.19
“映画史”の転換点に立ち会った2人…“スライ”と“ボブ”がスクリーン上で邂逅『コップランド』
「スタローン壮絶。デ・ニーロ超然。」 これが本作『コップランド』が、1998年2月に日本公開された際のキャッチフレーズ。そこからわかる通り、本作最大の売りは、シルベスター・スタローンとロバート・デ・ニーロ、2大スターの“初共演”だった。 そもそもこの2人、同時代のアメリカ映画を牽引して来た存在ながら、共演など「ありえない」ことと、長らく思われてきた。それは偏に、スターとしての、それぞれの歩みの違いによるものだった。 シルベスター・スタローン、通称“スライ” 。スターとしての全盛期=1980年代から90年代に掛けては、鍛え上げたムキムキの肉体で、ボディビルダー出身のアーノルド・シュワルツェネッガーと、“アクションスターNo1”の座を争っていたイメージが強い。 そんな中でも代表作はと問われれば、誰もがまずは『ロッキー』(1976~ )シリーズ、続いて『ランボー』(1982~ )シリーズを挙げるであろう。特にプロボクサーのロッキー・バルボア役は、スタローンが最初に演じてから40年以上経った今も、『ロッキー』のスピンオフである『クリード』シリーズに、登場し続けている。 一方のロバート・デ・ニーロ、愛称“ボブ”の場合は、“デ・ニーロ・アプローチ”という言葉が一般化するほどに、徹底した役作りを行う“演技派”といったイメージが、まずは浮かぶ。 “デ・ニーロ・アプローチ”の具体例は、枚挙に暇がない。出世作『ゴッドファーザーPARTII』(1974)では、前作でマーロン・ブランドが演じたドン・ヴィトー・コルレオーネの若き日を演じるため、コルレオーネの出身地という設定のイタリア・シチリア島に住み、その訛りが入ったイタリア語をマスター。その上で、ブランドのしゃがれ声を完コピした。 『タクシードライバー』(1976)の撮影前には、ニューヨークで実際にタクシー運転手として勤務したデ・ニーロ。街を流して乗客を乗せたりもした。 特に有名なのが、実在のプロボクシングミドル級チャンピオン、ジェイク・ラモッタを演じた『レイジング・ブル』(1980)での役作り。まずトレーニングで鋼のような肉体を作ってボクサーを演じた後、引退後に太った様を表現するため、短期間に体重を27キロ増やすという荒業をやってのけた。 そんなこんなで、パブリックイメージとしては、マッチョなアクションスターのスライと、全身全霊賭けて役になり切るボブ。そんな2人の共演など、「ありえない」ことになっていたわけである。 しかしこの2人の俳優の歩みを振り返ると、スタートの時点では、そんなに縁遠いところに居たわけではない。 その起点は、1976年。 まずはマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』が、2月にアメリカで公開された。主演のデ・ニーロが演じたのは、「ベトナム帰りの元海兵隊員」を名乗る、不眠症の孤独なタクシー運転手トラヴィス。彼はニューヨークの夜の街を走り続ける内に、次第に狂気を募らせて、やがて銃を携帯。過激で異常な行動へと、走るようになる…。 デ・ニーロは、この2年前の『ゴッドファーザーPARTⅡ』でアカデミー賞助演男優賞を受賞して、「最も期待される若手俳優」という位置を既に占めていたが、『タクシー…』はメジャー作品としては、初の主演作。公開後の5月には『タクシー…』が、「カンヌ映画祭」の最高賞である“パルム・ドール”を受賞したことなどもあり、その評価を更に高めることとなった。 同じ年の11月に公開されたのが、スタローンが脚本を書き主演を務めた、『ロッキー』である。うだつの上がらない30代の三流ボクサーであるロッキーが、世界チャンピオンから“咬ませ犬”として指名され、挑戦することになる。とても勝ち目がない勝負と思われたが、「もし最終ラウンドまでリングの上に立っていられたら、自分がただのゴロツキではないことが証明できる」と、愛する女性に告げて、ファイトに挑んでいく…。 この作品が製作され公開に至るまでの経緯は、もはやハリウッドの伝説になっている。ある時、プロボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチを、偶然に視聴したスタローン。偉大なチャンピオン=モハメド・アリに、ノーマークのロートルボクサー=チャック・ウェプナーが挑んで、大善戦したのを目の当たりにして感動。3日間で『ロッキー』の脚本を書き上げた。持ち込まれたプロダクション側は、スター俳優の起用を前提に、脚本に数千万円の値を付けた。しかし当時まったく無名の存在だったスタローンは、自らが主演することを最後まで譲らず、結局は最低ランクの資金で製作されることとなった。 そうして完成した『ロッキー』は、公開されるや誰もが予想しなかったほどの大ヒットに!正に、“アメリカン・ドリーム”を体現する作品となった。 デ・ニーロとスタローンにとって、“主演スター”としての第一歩になった、『タクシードライバー』と『ロッキー』は、その年の賞レースを席捲。翌77年の3月に開催されたアカデミー賞で、2人は“主演男優賞”部門で覇を競うこととなった。 両作は“作品賞”部門にも、共にノミネート。この激突はいま振り返れば、映画史的に非常に興味深い。 1967年の『俺たちに明日はない』以来、70年代前半まで映画シーンをリードしてきたのが、“アメリカン・ニューシネマ”というムーブメント。ベトナム戦争の泥沼化やウォーターゲート事件などで、アメリカの若者たちの間で自国への信頼が崩壊する中で、アンチヒーローが主人公で、アンチハッピーエンドが特徴的な作品が、次々と作られていった。 『タクシー…』は、そんな夢も希望もない内容の、“アメリカン・ニューシネマ”最後の作品と位置付けられている。 一方で『ロッキー』は、当初は“ニューシネマ”さながらに、主人公が試合を途中で投げ出す展開も考えられていたというが、結局は、“アメリカン・ドリーム”を高らかに歌い上げる結末を迎える。今では、翌年の『スター・ウォーズ』第1作(1977)と合わせて、“ニューシネマ”に引導を渡す役割を果たしたと言われている。 そんな因縁はさて置き、1976年度のアカデミー賞“主演男優賞”部門に、話を戻す。海外のニュースがネットで瞬時に伝わる今とは違って当時は、アカデミー賞の戦前予想は、月刊の“映画雑誌”などで読む他はなかった。それによると、“主演男優賞”はデ・ニーロ本命、対抗がスタローンといった雰囲気が伝わってきた。 ところが、ところがである。蓋を開けてみると、“主演男優賞”を獲得したのは、『ネットワーク』に出演したピーター・フィンチだった。 シドニー・ルメット監督が、視聴率獲得競争を描いてメディア批判を行ったこの作品に於いて、徐々に狂気に蝕まれていく報道キャスターを演じたフィンチは、役どころ的には、本来は“助演”ノミネートが相応しいと言われていた。しかしノミネート発表直後に、心不全で急死。同情票を集めることとなり、アカデミー賞の演技部門史上初めて、死後にオスカー像が贈られることとなったのである。 『ネットワーク』もフィンチの演技も、腐す気はまったくない。しかし40余年経った今、この結果と関係なく、『タクシー…』のデ・ニーロや『ロッキー』のスタローンの方が、未だに熱く語られる存在であることを考えると、賞など正に水物であることが、よくわかる。 とはいえ“アカデミー賞”が、映画人にとって最大の栄誉の一つであることには、疑いもない。『タクシー…』で本命と目されながらも逃したデ・ニーロは、1978年度にマイケル・チミノ監督の『ディア・ハンター』での2度目のノミネートを経て、80年度にスコセッシ監督の『レイジング・ブル』で、遂に“主演男優賞”のオスカー像を手にすることとなる。 これ以降もデ・ニーロは、名コンビとなったスコセッシ監督作品他で、多くの者がお手本にするような俳優として、キャリアを積み重ねていく。そしてアカデミー賞にも、度々ノミネートされることとなる。 一方のスタローン。『ロッキー』では“主演男優賞”に加えて、“脚本賞”にもノミネートされていたが、こちらも『ネットワーク』脚本のパディ・チャイエフスキーに攫われてしまった。『ロッキー』自体は、“作品賞”、“監督賞”、“編集賞”の3部門を制覇。『タクシードライバー』が無冠に終わったのに対し、大勝利と言える成果を収めたが、以降スタローンとアカデミー賞は、長く疎遠な関係となる。 『ロッキー』で大成功を収めた後の主演作となったのが、『フィスト』(1978)。スタローンは、労働組合の大物指導者でありながら、マフィアとの癒着が噂され、最終的には謎の失踪を遂げた実在の人物、ジミー・ホッファをモデルにした主人公を演じた。監督に起用されたのは、『夜の大捜査線』(1967)でアカデミー賞監督賞を受賞し、他にも『屋根の上のバイオリン弾き』(1971)『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)などの作品を手掛けてきた、ノーマン・ジュイスン。 明らかに賞狙いの作品であった『フィスト』だが、大きな話題になることもない失敗作に終わった。同じ1978年には、スタローンが初監督もした主演作『パラダイス・アレイ』も公開されたが、『ロッキー』に続くスタローン主演作のヒットは、翌79年の続編、『ロッキー2』まで待たねばならなかった。 このように、暫しは『ロッキー』シリーズ以外のヒットがなかったスタローンだが、1980年代に、ベトナムから帰還したスーパーソルジャーを主人公にした、『ランボー』シリーズがスタート!スタローンは、アクションスターとしての地位を確立していくと同時に、1984年以降は、毎年アカデミー賞授賞式の前夜に「最低」の映画を選んで表彰する、“ゴールデンラズベリー賞=ラジ―賞”受賞の常連となっていった…。 “マネーメイキングスター”としては、常にTOPの座を争いながらも、その“演技”が評価されることは、まず「ない」存在となったスタローン。しかし彼もスタート時点は、マーロン・ブランドのような性格俳優に憧れて、初主演作では“アカデミー賞”にノミネートされた、立派な“俳優”である。アクションではない“演技”で注目されたいという気持ちは、常にあったものと思われる。 そんな彼が、50代を迎えて主演作に選んだのが、本作『コップランド』であった。ニューヨーク市警の警官が多く住むため、“コップランド”と呼ばれる郊外の町ギャリソンを舞台にしたこの作品で、スタローンが演じたのは、落ちこぼれでやる気のない中年保安官。しかし、殺人まで絡んだ警察内の不正に目を瞑ることが出来なくなり、遂には孤高の戦いを繰り広げることとなる。 スタローンは、低予算ながらドラマ性の高い本作への出演を、ほぼノーギャラで受けた。そして主人公の保安官の愚鈍さを表すために、15キロも体重を増やす、“デ・ニーロ・アプローチ”ばりの役作りを行ったという。 一方本作でのデ・ニーロは、ニューヨーク市警の内務調査官役。コップランドの警官たちの不正を暴こうとする中で、スタローンの正義感を利用する、狡猾な役どころである。とはいえ、「2大スター共演」を売りにした割りには、登場シーンもさほど多くはない、ゲスト的な出演の仕方と言える。劇場公開時には、その辺りが何とも物足りなかったが、いま見返すと、短い出番ながらさすがに的確で印象的な演技をしていることに、感心する。 余談だが、スタローンとデ・ニーロは、『コップランド』から16年後に、『リベンジ・マッチ』(2013)という作品で再共演を果たしている。こちらは本格的なW主演作品で、2人の役どころは、30年前の遺恨のために、リング上で対戦する老齢のボクサー。作品的な評価は高くないが、2人の若き日が、『ロッキー』シリーズや『レイジング・ブル』のファイトシーンから抜き出されてコラージュされている辺りが、“楽屋落ち”のように楽しめる作品ではあった。 さて本作『コップランド』の話に戻ると、公開時に“俳優”スタローンの挑戦は、それなりに高く評価はされた。しかしその演技が、賞レースなどに絡むことはなかった。 スタローンとアカデミー賞との関わりは、2016年度の『クリード チャンプを継ぐ男』で“助演男優賞”にノミネートされるまで、『ロッキー』第1作以来、実に40年ものブランクを空けることとなる。候補となったのが40年前と同じく、ロッキー・バルボア役だったというのは、逆に特筆すべきことだと思うが…。◼︎ © 1997 Miramax, LLC. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
コップランド
警察の町で渦巻く腐敗をスタローン、デ・ニーロ、ハーヴェイ・カイテルらの豪華競演で描く社会派サスペンス
警官が多数を占める特殊な町の腐敗を、警察内部の視点で描く社会派サスペンス。スタローンが腐敗に立ち向かう中年保安官を、ハーヴェイ・カイテルが町を牛耳る悪徳警官、デ・ニーロが正義感に溢れる監察官役を好演。
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COLUMN/コラム2013.04.27
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年5月】招きネコ
今や押しも押されぬヒット・メイカー、監督となったリドリー・スコットのデビュー作にして、カンヌ映画祭で新人監督賞を受賞した歴史ドラマです。ナポレオン統治時代の1800年代のフランスの2人の軍人フェロー中尉とデュベール中尉が、自らの名誉を守るために、数年にもわたり懲りずに決闘を繰り返す中で友情とも言えるような不思議な感情で結ばれていくという、とても奇妙な設定の男のドラマです。 この作品には、彼の作品のファンなら身震いするような、彼ならではの映像へのこだわりと、後の「ブレードランナー」でデッカードとレプリカントのリーダー、ロイの間に流れる、敵なのに相手を憎めない、損得ではなく感情で動く男の美学といった重要なアイコンが既に確立されているのに再見して驚きました。リドリーは、元々イギリスのCMディレクター出身で既に1500本(!)を手がけてきたという売れっ子でした。CM出身というと、ややもすれば「薄っぺらな」というネガティブな見られ方もしますが、彼の場合はCMで培った経験にプラスして「描きたいこと」「自分の世界観」がハッキリあったからこそ、商業映画をヒットさせつつ、熱いファンを持つ映画作家として成功できたのかもしれません。とにかく、必見です。 ® & © 2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
恋におちて
クリスマスに始まる恋。メリル・ストリープとロバート・デ・ニーロ共演、大人のラブ・ロマンス
2大演技派俳優の共演が実現。舞台は大都市ニューヨーク。家庭がありながらも惹かれ合い、恋愛感情と家族を思う心の間で揺れ動く男女の姿を見事な情感をもって描いたロマンス映画の名作。
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COLUMN/コラム2012.08.02
【タランティーノ的L.A.案内】第3回:若き日のタランティーノ
■サウスベイとサウスセントラル QTが育ったサウスベイは、ロサンゼルス空港の南に位置し、幾つかのビーチタウンや、高級住宅地のパロス・バーデスなども含む、中間所得者層以上の多い地域。一方、東に隣接するサウスセントラルは、低所得者層が多く、治安の悪い地域として知られます。幼い頃から、映画の影響か、アウトロー指向が強く、危ない地域に対する憧れが強かったというQT。自宅の或るサウスベイから、近隣のサウスセントラルにもよく足をのばしていたそうで、3年程通ったサウスベイの私立校を毛嫌いし、治安の悪い地域にある公立校への転校をせがんだという話もあるほど。サウスベイとサウスセントラル、全く違う二つの地区ですが、QTを語る上では、地理以上に密接な関係にあるのです。 そんな二つの地域に散らばったロケ地(跡)を幾つか続けてご紹介。 まずは、「パルプ・フィクション」の冒頭と最後に登場し、パンプキンとハニー・バニーが強盗を企てたHawthorne Grill。前回ご紹介したグーギースタイルのレストランでしたが、残念ながら、その面影はありません。 こちらは、「ジャッキー・ブラウン」で、主人公行きつけの地元のバーという設定で登場したCockatoo Inn。実はここ、マフィアのアンドリュー・ロココが1946年にオープンし、全盛期にはジョン・F・ケネディを始め、セレブや各界の著名人が宿泊する社交場として名を馳せる一方で、裏社会との結びつきも強かったとか。それでも一世を風靡したこの場所に、地元の人も愛着があるのでしょう、綺麗な全国チェーンのホテルに生まれ変わった今でも、色あせた看板とオウムだけは残されています。 さて、同じく「ジャッキー・ブラウン」で、マックス・チェリーの店として使われた保釈保証業者の店も、真新しいビルへと変貌。 が、ここで終わらないのがQTマニア!よーく見てください。本編10分51秒あたりで後ろに見えるビル、これは今もあるカーソン市庁舎なのです。画面右、木に遮られつつも”City Hall”の文字が小さく見えますよね? かつては世界一大きかったモール、デル・アモ・ファッション・センター。「ジャッキー・ブラウン」で、フードコートやデパートの試着室など、お金の受け渡 しの舞台となったところです。ところでこの映画の時代設定、いつなんでしょう。製作された1997年には既に世界一の座から陥落していた訳ですが、わざわざキャプションまでつけて紹介しちゃう気合いの入れっぷり。少年時代にここの映画館に通ったQTのちょっとしたプライドでしょうか。 ■本日のランチ 本企画恒例?のランチ、今回は「ジャッキー・ブラウン」から。車のトランクへ隠れるのを渋るクリス・タッカーに、サミュエル・L・ジャクソンがご褒美としてちらつかせるのがRoscoe’s House of Chicken and Wafflesです。台詞のみでの登場ですが、ここは見逃せないQTポイント!弾丸トークのクリス・タッカーをも黙らせてしまうRoscoe’sは、その名の通り、チキンとワッフルを一緒に出す南部スタイルのレストラン、というより食堂。ロス内に数店舗を構え、オバマ大統領がサプライズで遊説の途中に立ち寄ったり、スヌープ・ドッグも贔屓にしたり、たくさんのファンがいます。 ハリウッドにもあるのですが、ここはQT映画にふさわしいサウスセントラル店をチョイス。駐車場でFワードを連呼しているお姉さんの横をすり抜け店内へ。ガードマンがいるという事実に安心感を覚えるべきなのか、逆に不安を覚えるべきなのか・・・。 前置きはこの辺にして、目玉のフライドチキンとワッフルのセットを早速注文。オデール(サミュエル・L・ジャクソン)的にはグレイビーソースも欠かせないらしいですが、カロリー激高メニューにこれ以上のカロリーはちょっと・・・ということで、今回は無し。 ほどなく料理が登場。どーん。何てシンプル。熱々のチキンは衣がカリカリ、味が中までしみ込み、バターをたっぷり塗込んでシロップをかけたワッフルと、意外にも絶妙なマッチ。どちらも主役なのですが、敢えて言うなら、お汁粉に塩昆布がついてくるような感覚でしょうか。 これまた名物のオレンジジュース、レモネード、フルーツパンチが三層になった欲張りなドリンクは、チキンとバターにまみれた胃袋を少しだけ爽やかにしてくれます。 ■QTの原点 さて、一年分くらいの鶏肉を食した後は、いよいよ若きQTの足跡を探しに。サウスベイのこの辺りは、トーランスを中心に日系人がとても多い地域。自動車企業を始め、多くの日本企業がアメリカ本社を構え、日系のスーパーから病院、学校まで、アメリカにいながら日本のような生活も可能なのです。QTが時代劇ファンになったのも、もしかすると、育った環境が少なからず影響していたのかもしれません。 ※こちらが母校のFleming中学校。 ※そしてNarbonne高校。 この辺りはさらっと。何せ学校嫌いのQTですから。 やがて、ある夏QTは、地元劇団のトーランス・シアター・カンパニーに加入し、なんとカップルスワッピングがテーマの劇で、いきなり主役を獲得。 ※トーランスのアダルト劇場Pussycat Theater跡地 しばらくこの劇団で活動を続けた後、15歳でついに高校をドロップアウト。今はなきトーランスのアダルト劇場Pussycat Theaterで案内係の仕事を始めるのです。 そして時は流れ、QT22歳の時、人生の転機が訪れます。 本企画の締めは、やっぱりここしかありません。レンタルビデオ店Video Archives、の跡地です。QTといえばビデオ屋、ビデオ屋といえばQT。ここで並外れた映画知識を活かして働いた5年間、ロジャー・エイヴァリーなど、情熱を共有できるオタク仲間と出会ったことで、青年QTの創作意欲に火がつきます。そこから苦節10年、ついにレザボア・ドッグスでデビューを果たしたQTのその後の活躍は皆さんもご存知の通り。 現在は跡形もなくなったVideo Archivesですが、世界一有名なビデオ店の跡地を訪れるファンは今でも多いはず。新作「ジャンゴ 繋がれざる者」の公開を控えるQTの映画道は、まだまだ続きます。きっとこれからも、一映画ファンとして、私たちを楽しませる映画を作り続けてくれることでしょう。■
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PROGRAM/放送作品
レザボア・ドッグス
クエンティン・タランティーノ監督の鬼才伝説はここから始まった!衝撃クライム・アクション
本筋と関係なく延々と続く会話、生々しい暴力、絶妙に選ばれた楽曲…。監督第1作にしてクエンティン・タランティーノが持ち味を確立。黒ずくめのチンピラが3すくみで銃を構えあう場面など、映像もスタイリッシュ。
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COLUMN/コラム2012.07.25
【タランティーノ的L.A.案内】第2回:トイレとグーギーと二番館
さて、クイズです。 こちらの交差点、どのタランティーノ(QT) 映画で登場したかお分かりですか?これで分かった貴方はかなりのQTマニア! 思い浮かべてください、らしくないピンクの箱を持ったマーセルスを。 もうお分かりですね。「パルプ・フィクション」で、無事に自宅から父の形見の時計を回収したブッチ(ブルース・ウィリス)が、運悪くマーセルス(ヴィング・レイムス)に遭遇してしまう交差点です。 ■パサデナ 交差点のすったもんだから、遡ること十数時間。ブッチは、ボクシングの八百長試合で約束を破ったことからマーセルスに追われる身となります。その試合の会場となったのが、こちらのレイモンド・シアター。現在は、オリジナルの外観や一部の内装を維持する形で、マンションへと生まれ変わっています。レイモンド・シアターがあるパサデナは、こうした重厚な建物が似合うLA郊外の街。閑静な高級住宅地として知られ、古い街並や文化的なスポットの多い所としても有名です。 ■ダウンタウンLA さて、そんなパサデナとはガラリと雰囲気の違うダウンタウンLAへ。「ジャッキー・ブラウン」で、サミュエル・L・ジャクソンとロバート・デ・ニーロが待ち合わせに利用したのが、こちらのストリップバー。 到着してみたものの、何やら不穏な空気を感じ、車内からの撮影のみで退散。それもそのはず、気づけばここは、ダウンタウンのスキッド・ロウと呼ばれる地区から僅か1ブロックほど。リトル・トーキョーにも隣接するスキッド・ロウは、治安の悪いダウンタウンLAの中でも、極めて犯罪率の高いスラム街。ドラッグ売買にギャング、売春、まさに映画さながらの光景が現実に起こりうる一画なのです。 そんな危険度MAXなスキッド・ロウのど真ん中を通り抜け、辿り着いたのがダウンタウンのすぐ西にある、パークプラザホテル。1925年に建てられた由緒あるビルは現在、結婚式などのイベント会場や、撮影のロケーションとして利用されています。担当の方の話では、最近は「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」、「ドライブ」、近日公開予定の「Gangster Squad(原題)」などで使用、ほぼ毎週のように映画やテレビ、CM、ミュージックビデオなどの撮影が入っているそうです。今では衰退してしまったこの一帯に、似つかわしくないほどの荘厳さを湛える建物。目指すは・・・・ そう、男子トイレです!「レザボア・ドッグス」で、Mr.オレンジが警官と遭遇したという芝居の再現シーンで使われたトイレは、外装に負けないほどの風格を映画当時そのままに留めていました。 ■今日のランチ ダウンタウンから一旦ザ・シネマオフィス近辺まで戻り、本日のランチ。今回は、QTが時々執筆のため訪れるというサンセット通り沿いのタイレストランへ。日が落ちると色とりどりのネオンが輝くToi on Sunsetの店内は、西洋・東洋ごった煮のヒッピー風味で、昼間でもインパクト十分。「パルプ・フィクション」特等席でユマ・サーマンに見つめられながら食事をしつつ、セス・ローゲン似の店員とお話。QTは時々来店するそうで、店内には「レザボア・ドッグス」と「パルプ・フィクション」の直筆サイン入りポスターも。場所柄、QT以外にも沢山の映画関係者や音楽関係者が来店するらしく、最近では、アメリカで封切りされたばかりの「Savages(原題)」を監督したオリバー・ストーンや、新ジェイソン・ボーンのジェレミー・レナーが訪れたそう。 そんな話で盛り上がる中、丁度テイクアウトで来店した女性をセスが紹介してくれました。なんと彼女は、QT製作総指揮の「ヘルライド」に端役で出演し、三部作が予定される同作第2弾にも出演するとのこと!何と嬉しいハプニング。今は同じ通りのアパレルショップのマネージャーも兼業するという彼女。そんな役者の卵にいろんな場所で出会えるのもロサンゼルスならではなのです。 ■グーギー建築とQT 1950年代〜1960年代、ここロスを中心にグーギー建築というスタイルが流行しました。その名も、サンセット通りにかつてあったGoogiesというカフェから来ています。車社会ならではともいえるグーギー建築は、大きな屋根や窓、派手なネオンなど、道路からも目に付きやすい形が特徴。ロスを訪れた人なら大抵目にする、ロス空港真ん中のUFOのような建物もグーギー建築です。 そんな古き良き時代のロスを象徴するグーギーをQTが放っておくはずがありません。当時すでに衰退していたグーギー建築を見事に再現したのが、「パルプ・フィクション」でした。同作のプロダクションデザイナーのDavid Wascoと、セットデコレーターのSandy Reynolds-Wascoによれば、ユマ・サーマンとジョン・トラボルタがダンスを披露したダイナー、ジャック・ラビット・スリムは、Googiesを設計したジョン・ロートナーらのデザインをモデルにしたそう。また、現代のビバリーヒルズで不思議な存在感を放つこのガソリンスタンドも、ジャック・ラビット・スリムに影響を与えた一つです。 そして、もう一つロスのグーギー建築と言えば、こちらのジョニーズ・コーヒー・ショップ。「ブギー・ナイツ」や「アメリカン・ヒストリーX」など沢山の映画のロケ地として知られます。もちろんQTの映画にも登場。「レザボア・ドッグス」で、Mr.オレンジが同僚の刑事と待ち合わせをするレストランが、このコーヒーショップでした。お店は残念ながら2000年に閉店し、今は荒れ果てた様子なのが寂しいところです。 ■QTが捧げる映画愛 ジョニーズから少し東に行ったところに、QTに縁の深い二番館、ニュー・ビバリー・シネマがあります。まるで映画の中から出て来たような佇まいの同館は、「イングロリアス・バスターズ」で映写技師を演じるメラニー・ロランが、役作りのために映写の練習を行い、最終試験として「レザボア・ドッグス」を映写したという逸話も残る、QTファンにはたまらない映画館。 実はこの映画館、リバイバル作品の二本立てスタイルを長年守り続けていましたが、時代の波には逆らえず、一時は廃業の危機に。そこに馳せ参じたのが、二番館やサブカル映画で育ち、今は超リッチになった我らがQT。「レザボア・ドッグス」の深夜上映にキャストを連れて参加して以来、同館のオーナーと親交があったQTは、2007年、 ここを土地ごと買い取ったのです。QTが破産しない限りは安泰となった同館は、これまで通りの2本立てや深夜上映を行い、時にはQT所有のフィルムプリントを上映するなど、映画好きのための場所であり続けています。映画館を買い取り、自分の35ミリプリントを上映する──まさに映画オタクにとって究極の夢を、QTはここで実現したのではないでしょうか。 さて次回は、さらに南に下り、いよいよQTの原点となった場所を巡ります。▼参考資料ニュー・ビバリー・シネマ:Vanity Fairブロググーギー建築:「パルプ・フィクション」DVD特典映像(David Wasco、Sandy Reynolds-Wascoインタビュー)