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PROGRAM/放送作品
青春群像
イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の自伝的悪童日記。ネオレアリズモが息づく初期の代表作
青春時代の無力感、苛立ち、行き場のなさ…。定職を持たず、怠惰な時間を無為に過ごす若者たちを、フェリーニの故郷、北イタリアの田舎町を舞台に描いた群像劇。
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COLUMN/コラム2015.09.05
フェデリコという大いなる存在 ~スコーラの見たフェリーニ~
今年6月にエットレ・スコーラ監督の最新作『フェデリコという不思議な存在』(2013)がようやく劇場公開された。1931年北イタリアのトレヴィコ生まれのスコーラは、イタリア式喜劇の正統的な継承者として知られる名匠であり、本作完成時には既に82歳の高齢になる。フェデリコ・フェリーニ(1920年リミニ生まれ)に対する敬愛の情溢れるこの伝記映画でも触れられていたように、スコーラが11歳年長の先輩監督との知遇を得たのは、ユーモア誌『マルカウレリオ』の寄稿家時代だった。 1931年ローマで創刊された『マルカウレリオ』は、戦中の1943年に一時休刊に追い込まれたものの、戦後直ちに復刊され、1958年に廃刊されるまで<ユーモアの殿堂>として屹立した。1947年、まだ16歳の高校生だったスコーラが同誌の編集部に通い始めた時の先輩ライターの中には、フェリーニの他に、ステーファノ・ヴァンツィーナやフリオ・スカルペッリ、ヴィットリオ・メッツら、監督や脚本家として、50年代以降のイタリア式喜劇の中心的なメンバーとして活躍することになる錚々たる面子が揃っていた。ほとんど一回りという年齢差にも関わらず、『マルカウレリオ』誌におけるフェリーニとスコーラの共通点は、ギャグマンとしてのみならず、イラストレーターとして諷刺画(カリカチュア)も手がけ、類希なる造形力の片鱗を覗かせていたことだろう。 実はスコーラが自作の中でフェリーニを登場させたのは、今回が初めてではない。スコーラの代表作『あんなに愛しあったのに』(1974)は、第2次世界大戦中にレジスタンス(対独抵抗運動)の同志だった3人の男性を通して眺められた戦後イタリア史であり、ネオレアリズモの伝統を継承することを改めて宣言した映画である。 そもそもロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』(1945)に端を発するネオレアリズモは、第2次世界大戦末期のレジスタンスから始まり、敗戦直後のイタリア社会の抱える諸問題(失業や戦災孤児)に向き合った作品群を指した。『マルカウレリオ』誌での活動と並行しながら、ラジオや映画へと仕事を広げたフェリーニは、『無防備都市』を始めとするロッセリーニ作品の脚本家を経て、ネオレアリズモの分化が顕著となった1950年代に監督デビューを果たしたのだった。 『あんなに愛しあったのに』の3人の登場人物、実業家として成功するジャンニ(ヴィットリオ・ガスマン)、救命士となるアントニオ(ニーノ・マンフレディ)、売れない映画評論家となるニコラ(ステーファノ・サッタ・フロレス)は、ブルジョアジーとプロレタリアート(労働者)、そしてインテリゲンツァ(知識人)の各階級を代表しながら、ネオレアリズモ以降の戦後史を背負って行く。こうした些か類型的な人物造形が、屡々<自伝的>と称されるフェリーニの諸作にも通じることは明らかだが、<ブーム>と呼ばれたイタリアの高度経済成長期を代表する映画として劇中で取り上げられたのが、フェリー二の『甘い生活』(1959)に他ならない。 故郷のリミニで過ごした自堕落な下積み時代に取材した『青春群像』(1953)、ジャーナリストとして目撃した現代ローマのデカダンスを活写した『甘い生活』、そして映画監督として掴んだ栄光とその失墜に対する恐れと慄きの告白である『81/2』(1963)の3作は、フェリーニの実人生の3つの局面に対応する<自伝的な>側面を備えたフィクションである。なかでも、<パパラッツィ>という言葉を世間に広めた『甘い生活』は、当初『青春群像』の主人公モラルド(フランコ・インテレンギ)の後日談として構想されながら、<ラテンの恋人>マルチェッロ・マストロヤンニが起用されることで、ストーリーの一貫性よりも場面ごとのスペクタクル性が前面に押し出される一方で、ネオレオリズモの方法をイタリア社会から個人の内奥へと転じた傑作となった。 <ブーム>に沸き立つローマを現代のバビロンに見立てた『甘い生活』は、ヘリコプターに吊り下げられたキリスト像という意味深長な開幕の後、魅惑的なスペクタクル・シーンの連続が観客を陶酔の渦に巻き込まずにはおかないだろう。とりわけ、主人公マルチェッロの同行取材の最中に、ハリウッド女優(アニタ・エクバーグ)が深夜の<トレヴィの泉>で水浴びをする件は、嘆息なしに見られない名場面として長く記憶されることとなった。 フェリーニ作品に登場する女性像としては、(私生活における細君でもある)小柄で愛くるしい聖女タイプのジュリエッタ・マシーナと、グラマラスで扇情的な娼婦タイプのエクバーグが双璧をなしているが、スウェーデン出身のセクシー女優に過ぎなかったエクバーグが、永遠のイコンとして映画史に刻まれた瞬間だった。フェリーニ晩年の『インテルビスタ』(1988)では、すっかり歳を召したエクバーグが再登場し、マストロヤン二と一緒に往年の美貌を懐かしがってみせたが、惜しむらくも本年1月に逝去している。 『甘い生活』の15年後に完成された『あんなに愛しあったのに』の中で、スコーラはこの<トレヴィの泉>の撮影現場を再現し、(幾分頭髪の寂しくなりつつあった)フェリーニ本人を登場させるという荒業をやってのけた。若き日のフェリーニは痩身の美男子で、ロッセリーニのエピソード映画『アモーレ』(1948)では、俳優として顔見せしたこともあったほどが、TV用映画『監督ノート』(1969)以降、すっかり恰幅の良くなった体躯をカメラに晒すようになる。<自伝的なフィクション>から、映画の中で映画についての考察を促す<自己反省的なメタ映画>へと、フェリーニの作風が変わりつつあった。 監督本人がスクリーンに登場し、映画製作について(虚実を織り交ぜつつ)あけすけに語り始める。こうしたメタ映画をひとつのジャンルとして定着させたのは、フェリーニの功績と言ってよいだろうし、監督がスター化すると同時に、脚光を浴びたのがチネチッタ撮影所だった。1937年、ムッソリーニ政権下に開設されたチネチッタ撮影所は、50年代から60年代にかけてはハリウッドの大作史劇の製作を支えたものの、映画産業の斜陽化が顕在化した70年代に入ると、経営的な苦境を迎えることとなる。そうした逆風の時代にあって、類まれなる造形力を発揮する工房として、チネチッタを愛用したのがフェリーニであり、フェリーニを敬愛するスコーラであった。 『フェデリコという不思議な存在』では、チネチッタ最大級の第5ステージに焦点が当てられ、背景であるべきスタジオが前景化されている。TV番組のスタジオと化したチネチッタを題材にした『インテルビスタ』は元より、『オーケストラ・リハーサル』、『カサノバ』、『そして船は行く』など、後期のフェリーニ作品は、殆ど撮影所の外に出ることを自ら禁じるかのように演出されている。港町のリミニに生まれたフェリーニの作品では、<海>が重要なモチーフとして繰り返し登場するが、ネオレアリズモの後継者としてロケーションを重用した初期から、巨匠としてチネチッタに君臨した後期まで、フェリーニの描く<海>がどのような変遷を辿るのかに着目してみるのも一興かも知れない。■ (西村安弘) © Rizzoli 1960
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PROGRAM/放送作品
崖
名優ブロデリック・クロフォード主演。映像の魔術師フェリーニが描く人間の姿とは。フェリーニ3部作
オスカー俳優、ブロデリック・クロフォード演じる中年詐欺師の姿を通じて、人間の卑しさを描く。『道』『カビリアの夜』と並んで、フェリーニの3部作として知られている。フェリーニの妻ジュリエッタ・マシーナもチョイ役で登場。
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COLUMN/コラム2013.05.26
2013年6月のシネマ・ソムリエ
■6月1日『不良少女モニカ』 I・ベルイマン監督の初期作品の中で最も広く知られた青春映画。みずみずしさと冷徹さが共存するその演出は、のちの仏ヌーベルバーグの作家たちにも影響を与えた。内気な若者ハリーと奔放な少女モニカが恋に落ち、着の身着のままの旅に出る。やがて厳しい現実的問題に直面した2人の選択が、残酷なコントラストを成していく。 ベルイマンに見出されたH・アンデルセンが、野性味あふれるモニカを圧倒的な存在感で体現。北欧の夏の空気感をシャープに取り込んだモノクロ映像も、実に魅惑的だ。 ■6月8日『冬の光』 田舎町の牧師トマスは4年前に妻を亡くして気力を失い、愛人の女性教師との関係にも煩わしさを感じている。そんなある日、信者のひとりが自殺したとの知らせが届く。I・ベルイマンが『鏡の中にある如く』と『沈黙』の間に発表した“神の沈黙”3部作の第2作。信仰心が揺らいだ牧師の苦悩を、恐ろしいほど深く静かに見すえていく。窓辺の“光”を印象的に捉えたカメラは名手S・ニクヴィスト。I・チューリンらの名優が脇を固め、神の不在という主題の解釈を観る者に委ねる結末も重い余韻を残す。 ■6月15日『青春群像』 フェデリコ・フェリーニが生まれ故郷の港町リミニを舞台に撮り上げた自伝的な青春映画。イタリアン・ネオリアリスモ的なテイストが色濃く残る初期の秀作である。 結婚後も浮気性が治らない駄目男ファウストを中心に、あてどない日々を過ごす若者5人の姿を描出。いつの時代も変わらぬ青春期の高揚感と鬱屈が観る者の郷愁を誘う。カーニバルの狂騒、浜辺に漂う寂寥感など、フェリーニらしいバイタリティや詩情に満ちた場面が随所に見られる。物語&映像と見事に融合した音楽はニーノ・ロータ。 ■6月22日『ニューヨーカーの青い鳥』 ニューヨークを舞台にした摩訶不思議な恋愛喜劇。雑誌の恋人募集広告が縁でめぐり合った男女と、彼らのかかりつけのセラピストたちが珍妙な騒動を繰り広げていく。原作&共同脚本は、不条理な作風で名高い劇作家クリストファー・デュラング。登場人物は変人だらけで、会話もまったく噛み合わない。唖然とするような怪作である。唐突なオープニングから大団円のラストまで、まさにR・アルトマン監督の独壇場。巨匠の作品中ではマイナーな1本だが、予測不可能な驚きを生む演出力はさすが。 ■6月29日『ネイキッド・タンゴ』 『蜘蛛女のキス』『太陽を盗んだ男』などで知られる脚本家L・シュレイダーの監督作品。1920年代アルゼンチンのタンゴ・バーを舞台に、男女の壮絶な愛憎模様を描く。 裕福な人妻から酒場の娼婦へと堕ちていくヒロイン役のM・メイが艶やかな魅力を披露。タンゴしか愛せない殺し屋に扮した怪優V・ドノフリオとの共演が見ものだ。ギャング映画の様式に則った映像世界の中に、派手な原色の照明に彩られたタンゴ・シーンを挿入。“血”の赤に染まった破滅的な結末まで濃厚な仕上がりの一作である。 『不良少女モニカ』©1953 AB Svensk Filmindustri Stills Photographer: Louis Huch 『冬の光』©1963 AB Svensk Filmindustri 『青春群像』RIZZOLI 1953 『ニューヨーカーの青い鳥』©1996 Lakeshore International Corp. All Rights Reserved. 『ネイキッド・タンゴ』©TOHO-TOWA