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PROGRAM/放送作品
弁護人
軍事政権に挑んだ弁護士がいた!後の韓国大統領・盧武鉉(ノ・ムヒョン)の若き日を描く社会派ドラマ
韓国元大統領・盧武鉉(ノ・ムヒョン)が人権派弁護士として活躍した時代を、1980年代初頭に起きた釜林事件を題材に描く。金儲け第一の弁護士が熱い正義感に目覚めていく変化を名優ソン・ガンホが熱演。
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COLUMN/コラム2019.03.30
『弁護人』で“韓国の至宝”ソン・ガンホが演じた元大統領の軌跡
“民主主義”を標榜するような国でも、時の政権によって“政府の敵”と見なされた者たちを標的に、“ブラックリスト”が作られることは、往々にしてある。 有名なのは、ウォーターゲート事件により辞任に追い込まれ、「史上最低の大統領」という評価もある、アメリカの第37代大統領リチャード・ニクソン(任期:1969~74)が作った、「政敵リスト」。そこには政治家やジャーナリストと並んで、ベトナム反戦や公民権運動などに熱心だったハリウッドスターたち、ポール・ニューマンやジェーン・フォンダなどの名前が挙げられていた。 ニクソンはこうした“リスト”に載せた人物たちを、「税務調査」などの手段で締め上げて、圧力を掛けることを目論んだとされる。結局は国税庁のTOPが拒んだため、調査が実施されることはなかったと言われるが。 こうした“映画人”をもターゲットにした“ブラックリスト”という意味で、近年大きなニュースが報じられたのは、韓国。2016年10月に全国紙「韓国日報」によって、その前年=15年5月に、当時朴槿恵(パク・クネ)大統領を頂く韓国政府が、“文化芸術界”の検閲すべき9,473人の名簿を作成し、関係省庁へと送ったことが明らかになった。「この“リスト”に載せたタレントや文化人は、干せ!」と、政府が暗に指示したわけである。 リストアップされたのは、大統領選挙やソウル市長選で、朴陣営に敵対する候補を支持した者や、2014年4月に発生した「セウォル号沈没事件」に関して、政府やその関係者を批判した者など。ご存知の方が多いと思うが、修学旅行中だった高校生250人を含む、300人以上の死者・行方不明者を出したこの大事故では、政府の対応の遅れや不手際が強く非難され、朴政権に大きな打撃を与えていた。 では具体的に、韓国政府の“ブラックリスト”に挙げられた“映画人”とは、どんな顔触れだったのか?『オールド・ボーイ』(03)『お嬢さん』(16)などのパク・チャヌク監督、『悪魔を見た』(10)『密偵』(16) などのキム・ジウン監督、『10人の泥棒たち』(13)などに出演する女優のキム・ヘスといった、一流どころの名前が並ぶ。そして、本作『弁護人』の主演俳優であるソン・ガンホの名も、その“リスト”に挙げられていた。 韓国映画界には、かつての“韓流四天王”=ヨン様やチャン・ドンゴンなどのイケメン系とは別に、エラが張った巨顔ですんぐりむっくりな体形の人気スター達が居る。私は“ジャガイモ系”と呼んでいるが、『哀しき獣』(10)のキム・ユンソクや『新感染 ファイナル・エクスプレス』(16)のマ・ドンソク、『容疑者X 天才数学者のアリバイ』(12)のチョ・ジヌン、本作にも“カタキ役”で出演しているクァク・ドウォンといった面々が、それである。 ソン・ガンホは、そんな“ジャガイモ系”の先駆け且つ代表的な存在として、『シュリ』(1999)『JSA』(2000)『殺人の追憶』(03)『グエムル 漢江の怪物』(06)といった、韓国映画史に残る数多のヒット作や名作に次々と出演。“国民俳優”“韓国の至宝”の名を恣にし、日本でも高い人気を誇る。名実ともに、韓国映画界きってのTOPスターである。 そんな“韓国の至宝”が、政府に睨まれる直接の原因となったのは、「セウォル号事件」の問題で署名活動に参加したこととされる。しかし2013年に製作された本作に主演したことも、その遠因になっていることは、容易に想像できる。ガンホが演じた本作の主人公=ソン・ウソクのモデルは、廬武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領だからである。 本作では、1978年から87年頃までの韓国・釜山を舞台に、ソン・ウソク≒政治の世界に進む前の廬武鉉の姿が描かれる。もちろん映画向けに創作された部分もあるが、大筋では事実をほぼ正確に描いているという。 では、廬武鉉の歩んだ道を、簡単にまとめてみたい。それは即ち、本作の内容の紹介になるし、主演俳優のガンホが、朴政権に目を付けられた理由の説明にも繋がる。 1946年、釜山の貧しい農家に生まれた廬武鉉。頭脳は優秀ながら、お金がなかったため大学に行けず、アルバイトをしながら司法試験の勉強を始めた。 途中3年間の徴兵期間を経て、75年=29歳の時に、司法試験に合格。裁判官を経て弁護士となる。本作ではこの辺りからが、描かれる。 廬武鉉は、弁護士事務所の開業からしばらくは、税務を専門とし、お金儲けに邁進した。本作の中で、豊かになった主人公が、苦学時代に食い逃げした食堂にお金を返しに行くエピソードが登場するが、これも実話が基になっているという。 転機が訪れたのは、81年。同僚弁護士に頼まれ、「釜林(プリム)事件」の被害者の弁護を担当したことだった。この事件では、釜山でマルクス主義などの本の読書会をしていた、学生や教師、サラリーマンなど22人が、令状もなく突然逮捕された。彼らは2カ月もの間不法監禁され、過酷な拷問を受けていた。 当時の全斗煥(チョン・ドファン)政権は、軍事クーデターと不正選挙で権力の座に就いたこともあって、“民主化”を目指す者たちを敵視していた。そのため思想的な背景が深いとは言えない、読書会のような集まりにも目を付けて、「国家保安法」の名の下で、“アカ=共産主義者”“北朝鮮のスパイ”扱いをして摘発。徹底的な弾圧を加えていた。 それまではノンポリで、“民主化運動”などにも関心がなかった廬武鉉だが、弁護をする若者の身体に拷問の痕を見付け、強い衝撃を受ける。それがきっかけとなって彼は、金儲けの得意な弁護士から、180度の変身を遂げる。 この事件の弁護を、まるで「家族のように」献身的な姿勢で行ったのをはじめ、貧しい人々のために、“無料”で法律相談に乗ったり弁護を引き受けるなど、いわゆる“人権派弁護士”となったのである。 このような活動を邪魔に思った政権側は、検察を使って彼を拘束したり、弁護士資格を停止したりした。映画『弁護人』で描かれるのは、この辺りまでである。