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PROGRAM/放送作品
続・夕陽のガンマン/地獄の決斗
マカロニ・ウエスタンの生みの親セルジオ・レオーネ監督“$箱三部作”の最終作にして、マカロニの到達点!
60年代後半から70年代前半を吹き抜けていったマカロニ・ウエスタンの風において、本作で質的な最大瞬間風速を記録。伊の獅子レオーネ監督が、マカロニ特有の薄汚さを残しつつ伊歌劇を思わせる荘重さも漂わせる。
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COLUMN/コラム2019.12.02
巨匠セルジオ・レオーネの一番弟子による師匠への壮大なオマージュ『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』
マカロニ・ウエスタン・ブームの終末期に登場した、紛うことなき正統派のマカロニ・ウエスタンである。セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(’64)を皮切りに、世界中で人気を博したイタリア製西部劇=マカロニ・ウエスタン。当時を知るイタリアの映画製作者エットーレ・ロスボックによると、カンヌ国際映画祭のフィルム・マーケットへ持ち込めば、マカロニ・ウエスタンというだけで瞬く間に世界中から買い手が付いたという。 しかし、巨匠レオーネの『ウエスタン』(’68)を頂点として、ブームは衰退期へと入っていくことに。その年だけで75本ものイタリア産西部劇が公開されたが、翌69年には一気に26本へと激減する。’70年は35本と若干持ち直すものの、しかし一時ほどの勢いがジャンルから失われつつあるのは誰の目から見ても明らかだった。 そこで、イタリアの映画製作者たちは、日本の座頭市のごとき盲目のガンマンが登場する『盲目ガンマン』(’71)や、香港のカンフー映画と合体させた『荒野のドラゴン』(’72)など、奇をてらった変わり種を続々と投入してジャンルの再活性化を図ろうとする。中でも特に成功したのは、テレンス・ヒル(マリオ・ジロッティ)とバド・スペンサー(カルロ・ペデルソーリ)のコンビによる、パロディ的なコメディ・ウエスタン『風来坊/花と夕日とライフルと…』(’70)。おかげで『風来坊』シリーズを真似たコミカルな西部劇が次々と作られ、ほんの一時的ではあれども活力を取り戻したかに思えたマカロニ・ウエスタンだが、しかしかつてのユニバーサル・モンスター映画然り、’80年代のスラッシャー映画然り、パロディの登場はすなわちジャンルの終焉を意味する。 そんな時期に登場した本作『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』(’72)は、さながら全盛期のレオーネ作品を彷彿とさせる王道的なマカロニ・ウエスタンだった。それもそのはず、監督を手掛けたジャンカルロ・サンティは、巨匠レオーネ自らが後継者と認めた愛弟子だったのである。 デビュー作に込めた愛弟子の意地 1939年10月7日にローマで生まれ、18歳の時に映画界へ入ったサンティは、希代の異端児にして鬼才中の鬼才マルコ・フェレーリの助監督を長年に渡って務め、『続・夕陽のガンマン』(’66)と『ウエスタン』(’68)でレオーネの助監督につく。特に『ウエスタン』では実質的な第二班監督として、サンティが単独で演出を任されたシーンも少なくなかったという。その熱心な仕事ぶりにレオーネも満足し、『ウエスタン』が完成した際には「俺の後を継ぐのはお前だ」とサンティのことを褒めたそうだ。実際、レオーネは次作『夕陽のギャングたち』(’71)の監督として、当初サンティを指名していた。ところが、これにアメリカ側から異論が出る。レオーネ自身が演出すると思っていたから出資したのだと。中でも、俳優ロッド・スタイガーは無名の新人監督と組むことを露骨に嫌がった。これにはさすがの巨匠も折れざるを得ず、結局レオーネが監督の座に座り、サンティは第二班監督へ昇進するに止まった。 一方その頃、ポーランド出身でイタリアを拠点とするベテラン製作者ヘンリク・クロシスキーは、当時マカロニ・ウエスタンの大スターとして活躍していたハリウッド俳優リー・ヴァン・クリーフと以前に交わした出演契約が、履行されないまま放置されていたことに気付く。なんていい加減な…!と言いたくなるところだが、当時のイタリア映画界では決して珍しいことではなかったらしい。いずれにせよ、早急にヴァン・クリーフの主演作を作らねばならない。そこで彼は、ヴァン・クリーフ主演の大ヒット西部劇『怒りの荒野』(’67)を手掛けたエルネスト・ガスタルディに脚本を依頼し、監督としてレオーネの愛弟子サンティに白羽の矢を立てる。というのも、もともとマルコ・フェレーリ監督作品のプロデューサーだったクロシスキーは、当時助監督だったサンティとも親しい間柄だったのだ。 期せずして監督デビューのチャンスを得たサンティ。しかも師匠レオーネの『夕陽のガンマン』(’65)でマカロニ・スターとなった、リー・ヴァン・クリーフ主演の西部劇である。おのずと、彼の脳裏には『夕陽のギャングたち』での苦い経験が甦る。あの時俺を認めなかった奴らを見返してやりたい…と考えても不思議はなかろう。この『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』が、あからさまなくらいセルジオ・レオーネの演出スタイルを意識し、時として模倣までしている背景には、そのような経緯があったのである。 まさにマカロニ・ウエスタンの「グレイテスト・ヒッツ」 物語はリー・ヴァン・クリーフ演じる謎めいた黒衣の元保安官クレイトンが、無実の罪で指名手配犯となった若者フィリップ(ピーター・オブライエン)の逃亡を助けつつ、街を牛耳る悪徳資産家のサクソン3兄弟(ホルスト・フランク、マルク・マッツァ、クラウス・グリュンベルグ)に立ち向かうというもの。そのクレイトンが納屋に身を潜めたフィリップへ向けて、さりげなく周りを取り囲む賞金稼ぎたちの位置を教えていくオープニングからしてレオーネ節が炸裂する。 馬車から下りて寂れた酒場へとゆっくりとした足どりで向かうクレイトン。その道すがら、あちこちで意味もなく立ち止まるのだが、その全てに実は賞金稼ぎたちが身を隠している。そして、ようやく酒場へとたどり着いたクレイトンがテーブルに座り、辺りは不穏な静寂に包まれる。緊迫した空気の中で刻々と過ぎていく時間、突如として鳴り響く銃声と急転直下のガンバトル。この実際にアクションが起きるまでの徹底した「溜め」の演出といい、フィリップが納屋の隙間から外を監視する「フレーム・イン・フレーム」の画面構図といい、極端なロングショットとクロースアップの切り替えといい、ハーモニカの音色を響かせたモリコーネ風の音楽スコアといい、このオープニングだけを見ても本作がセルジオ・レオーネ作品(中でも『ウエスタン』)の多大な影響下にあることは一目瞭然であろう。 興味深いのは、本作における復讐のモチベーションというのが、主人公たち正義の側だけでなく悪の側にもあるということ。というのも、銀山を所有するフィリップの父親はそれゆえ強欲なサクソン家の罠にかかって殺され、そのサクソン家の当主(3兄弟の父親)もまた何者かによって殺されたのだ。銀山の所有権を奪うための便宜上、跡取りのフィリップに自分たちの父親殺しの濡れ衣を着せたサクソン兄弟だが、その傍らで正体不明の真犯人を探している。実はクレイトンだけが真犯人を知っているものの、なぜか口をつぐんで明かそうとはしない。その理由は最後になって分かるのだが、いずれにせよこの複雑に絡み合った正義と悪の双方の復讐ドラマを軸としながら、徐々に全体像を解き明かして謎の真相へと迫る脚本は巧みだ。 なお、老練ガンマンと無鉄砲な若者の師弟関係という図式は、『怒りのガンマン』をはじめ『復讐のガンマン』(’66)や『風の無法者』(’67)など、まさしくリー・ヴァン・クリーフ主演作の定番的なシチュエーション。そのヴァン・クリーフが若者の過去と深い関りがあるという設定は、『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』(’67)とそっくりだ。また、白いスーツに身を包んだサクソン3兄弟の末っ子アダム(K・グリュンベルグ)のサディスティックなサイコパス・キャラは、ルチオ・フルチ監督『真昼の用心棒』(’66)のニーノ・カステルヌオーヴォを彷彿とさせる。邦題にもなった銀山の大虐殺で使用されるマシンガンは、セルジオ・コルブッチ監督『続・荒野の用心棒』(’66)をはじめイタリア産西部劇では定番の武器。こうした、さながら「グレイテスト・ヒッツ・オブ・マカロニ・ウエスタン」とも呼ぶべき見せ場の数々も本作の魅力であろう。 さらに、本作で忘れてならないのは音楽スコアだ。基本的に映画音楽というのはストーリーやシーンを盛り上げるための脇役的な存在だが、時として映画そのもののイメージを左右し、さらには作品全体の格を上げてしまうことさえある。本作などはまさにその好例と言えるだろう。中でもルイス・エンリケ・バカロフが作曲したメインテーマ(それ以外はバカロフの盟友セルジオ・バルドッティの作曲)の素晴らしいことと言ったら!レオーネの『ウエスタン』でエンニオ・モリコーネが書いたスコアを意識していることは明白ながら、しかしこの壮大でドラマチックな高揚感はなんとも筆舌に尽くしがたい。なるほど、タランティーノが『キル・ビルVol.1』(’03)で引用するわけだ。ちなみに、本作はマカロニ・ウエスタンとしては珍しく、スペインのアルメリアではなくイタリア本国で撮影されているのも要注目ポイント。主なロケ地はローマおよびピサの郊外だ。 名優リー・ヴァン・クリーフを取り巻く個性的な役者陣 フィリップ役を演じているピーター・オブライエンは、本名をアルベルト・デンティーチェというイタリア人。もともと’60年代半ばからロック・ミュージシャンとして活動していた彼は、ボブ・ディランの楽曲をモチーフにした舞台ミュージカル「Then An Alley」を友人と組んでプロデュース。自らも出演を兼ねたこの舞台が大成功したことから役者へと転向した。その後、2年ほど芸能活動を休止してインドとチベットを放浪していたところ、ミケランジェロ・アントニオーニ監督から「Tecnicamente dolce」という作品のオファーを受け、旅費の足しになるならばくらいの軽い気持ちで帰国。結局、この企画はボツになってしまったものの、当時アントニオーニのもとでロケハンを担当していたサンティ監督がアルベルトのことを覚えており、本作のフィリップ役に起用したのである。 劇中での軽業的なアクションはスタントマンに任せているものの、しかし本人は柔道の心得がある上に当時はまだ若かったこともあり、自らスタントを演じたシーンも多いという。ただ、もともと映画界での野心がなかった彼は、本作で賞金稼ぎの1人を演じた俳優ミミ・ペルリーニに誘われ、彼が主催するアングラ劇団ラ・マスケラに参加して舞台に専念。さらに結婚を機に俳優業を引退し、現在は大手週刊誌「レスプレッソ」の映画ジャーナリストとして活動している。 また、脇役陣で注目したいのはサクソン3兄弟の長男デヴィッドを演じるホルスト・フランク、次男イーライ役のマルク・マッツァ、そして三男アダム役のクラウス・グリュンベルグである。ホルスト・フランクはマカロニ・ウエスタンのみならずジャッロ映画の悪役としてもお馴染みのドイツ人俳優。マルク・マッツァはフランス人のタフガイ俳優で、数多くのギャング映画やアクション映画で端役を演じていたが、恐らく最も有名なのはチャールズ・ブロンソン主演の『雨の訪問者』(’69)における正体不明の「訪問者」役であろう。実はフランスの化粧品会社Hei Poaの創業社長(現在は娘に譲っている)でもある。クラウス・グリュンベルグは、バーベット・シュローダー監督の『モア』(’68)でミムジー・ファーマーと共演していたドイツ人俳優。あの朴訥とした爽やかな好青年が、本作では別人のようなサイコパスに扮しており、そのカメレオンぶりに思わず唸ってしまう。 なお、日本では当時劇場公開の見送られた本作だが、欧米では見事にスマッシュヒットを記録し、これを見た師匠レオーネはサンティ監督に『ミスター・ノーバディ』(’73)の演出をオファーする。しかし、『夕陽のギャングたち』の二の舞になることを恐れたサンティはその申し出を断り、結局もう一人の弟子トニーノ・ヴァレリーにお鉢が回ることとなった。そして、この『ミスター・ノーバディ』をもって、マカロニ・ウエスタンのブームは終焉を迎える。その後、サンティ監督は大衆コメディを手掛けるも畑違いゆえに実力を発揮できず、再び助監督生活へと逆戻りすることとなった。もう少し早くに独り立ちしていれば、また違ったキャリアが開けていたのかもしれない。■ 『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』© 1972 - Mount Street Film /Corona Filmproduktion/ Terra Filmkunst/ S.N.C. - Sociéte Nouvelle De Cinématographie. Surf Film S.r.l. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
夕陽のガンマン
「荒野の用心棒」に続くレオーネ&イーストウッド再登板。マカロニ・ウエスタンの黄金時代を築いた傑作!
マカロニの原点『荒野の用心棒』の原題は「一握りのドル」だが、本作は「もう少し多くのドルのため」と、続編的な位置づけ。この作品も成功したことで、マカロニ・ウエスタンの黄金時代が幕を開けた。
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COLUMN/コラム2019.11.03
粋でニヒルでいなせな漆黒のマカロニ・ヒーロー、サバタ参上!
フランク・クレイマーことジャンフランコ・パロリーニ監督が生み出した、カルトなマカロニ・ウエスタン・シリーズ「サバタ三部作」の第一弾『西部悪人伝』(’69)。サバタと言えば、ジャンゴやリンゴ、サルタナなどと並ぶマカロニ西部劇の人気ヒーローだが、その原型は同じくパロリーニ監督が生みの親となった西部の流れ者サルタナだった。 もともとアルベルト・カルドーネ監督の『砂塵に血を吐け』(’67)に登場する悪役だったサルタナ(ジャンニ・ガルコ)を、全身黒づくめのニヒルで洒落たアンチヒーローとして主人公に据えた、サルタナ・シリーズの1作目『Se incontri Sartana prega per la tua morte(サルタナに会ったら己の死を祈れ)』(’68・日本未公開)。この作品を手掛けたパロリーニ監督は、それまでマカロニ・ウエスタンの定番だった「復讐とバイオレンス」のペシミスティックな要素を徹底的に排除し、スパイ映画ばりのアップテンポで軽妙洒脱なアクション・エンターテインメントとして仕上げ、’70年代初頭にブームとなるコメディ・ウエスタンの先陣を切ったのである。 ところが、2作目以降はアンソニー・アスコットことジュリアーノ・カルニメオが演出を担当。シリーズ降板を余儀なくされたパロリーニ監督が、ならば自分の手で新たなマカロニ・ヒーローを作ってやろうじゃないか!…と意気込んだかどうかは定かでないものの、とにかくサルタナのキャラクターをそのままパクる…いえ、継承するような形で誕生させたのが、同じように全身黒づくめのニヒルな洒落者、どこからともなく現れては欲深い悪人どもをてんてこ舞いさせ、首尾よくちゃっかりと大金を奪って去っていく正体不明のガンマン、サバタだったというわけだ。 舞台は西部の町ドハティ。まるで旋風のようにふらりと現れた謎のガンマン、サバタ(リー・ヴァン・クリーフ)が、酒場でチンピラ、スリム(スパルタコ・コンヴェルシ)のいかさま賭博を見抜いてやり込めていると、無法者集団による大胆な銀行強盗事件が発生する。なんと、軍の資金10万ドルを含む預金がゴッソリと盗まれたのだ。すると、すぐさま先回りしたサバタが犯人グループを皆殺しにし、現金を積んだ荷馬車と共に町へ戻ってくる。歓喜に沸く町の人々。これを見てすっかりサバタを気に入った町一番のホラ吹き男カリンチャ(ペドロ・サンチェス)は、神出鬼没の相棒インディオ(ニック・ジョーダン)と共にサバタの仲間となる。 一方、銀行強盗事件の解決に内心穏やかでないのは、町の有力者ステンゲル(フランコ・レッセル)とファーガソン(アンソニー・グラッドウェル)、そしてオハラ判事(ジャンニ・リッツォ)の3人だ。実は彼らこそが犯人グループの黒幕。鉄道の線路が敷かれる近隣一体の土地を買い占めるため、銀行強盗を働いてその資金を集めようとしていたのだ。しかし、殺された実行犯の身元が分かれば、いずれ自分たちに軍の捜査の手が及ぶことは免れない。そこで、リーダー格のステンゲルは、強盗計画に加わった関係者全員を一人残らず抹殺し、証拠隠滅を図るよう部下たちに指示する。 これにいち早く気付いたサバタは、カリンチャたちの協力で証拠となる馬車を奪い取り、それをネタにしてステンゲル一味を脅迫。金よこさねえとあんたらの悪だくみバラしちゃうよ~と(笑)。慌てたステンゲルは、その要求を聞き入れるふりをしつつ、サバタを亡き者にするため次々と刺客を送り込むものの、しかしいずれも片っ端から難なく撃退されてしまい、そのたびにサバタからの要求金額は跳ね上がっていく。ニヤニヤと意地悪そうな笑顔を浮かべるサバタ、困り果ててオロオロする腹黒オジサンたち。いやあ、自業自得とはまさにこのことですな。 そこでステンゲル一味が目を付けたのは、酒場女ジェーン(リンダ・ヴェラス)のヒモをしている、さすらいのバンジョー弾きバンジョー(ウィリアム・バーガー)。実はこの男、バンジョー(楽器の方ね)にライフルを仕込んだ凄腕のガンマンで、過去にサバタとは因縁のある相手だった。しかも、5人の殺し屋を一瞬にして成敗してしまうような猛者。こいつなら、さすがのサバタも太刀打ちできまいと踏んだステンゲルたちだったが…!? やっぱりサバタと言えばリー・ヴァン・クリーフ! ということで、サルタナ映画で打ち出した荒唐無稽なコミカル路線をそのままに、トリッキーなガジェット満載、ピリッと毒の利いた大人のユーモア満載、アクロバティックなアクションも満載のノリノリなエンタメ作品に仕上げたパロリーニ監督。なにしろ、007ブームに便乗した西独産スパイ映画「コミッサールX」シリーズの『エメラルドの牙』(’65)や『キス!キス!キル!キル!』(’66)などをヒットさせた人だし、『戦場のガンマン』(’68)なんて戦争映画も蓋を開けたら戦場を舞台にしたジェームズ・ボンド映画みたいな感じだったので、恐らくもともとこの手の軽いノリが持ち味なのだろう。まさに水を得た魚のごとし。 マカロニ・ファン要注目なのが、やはり劇中に出てくる武器の数々だろう。リムの内側にウィンチェスター製ライフルを仕込み、ネックの先から銃弾を連射するバンジョーはもちろん、上下左右4連なうえにグリップ部分からも弾が3発出る7連発デリンジャー銃(こちらはサバタがご愛用)など、いかしたガジェットたちにもニンマリさせられる。ジュリアーノ・カルニメオ版「サルタナ」シリーズほど荒唐無稽ではない、適度なさじ加減が「サバタ」シリーズの特徴。いずれにせよ、こういう「なんちゃってね!」的なお遊びは素直に楽しい。 もちろん、サバタ役を演じるリー・ヴァン・クリーフのニヒルなダンディズムと、渋い大人の男の色気も最高!しかも、悪知恵に長けた悪人たちの、さらに上を行く狡猾なワルときたもんだからたまりません。町の権力を牛耳る極悪非道なオッサンたちが、手も足も出ずに慌てふためく姿を、ニヤニヤと眺めながらジワリジワリと追い詰めていくサバタのドSっぷりがまた痛快。一般的にはセルジオ・レオーネ監督のドル箱三部作が有名なヴァン・クリーフだが、なかなかどうして、こちらのサバタ三部作も負けていない。いや、むしろこちらこそが代表作と推したいほどのはまり役である。なぜか第2弾『大西部無頼列伝』(’71)ではユル・ブリンナーにサバタ役がバトンタッチされ、これはこれで面白いんだけど、なんかちょっと違うんだよねと思っていたら、第3弾『西部決闘史』(’72)では無事にリー・ヴァン・クリーフが復活。やっぱり、サバタの粋でいなせでお茶目なワル親父っぷりは、ヴァン・クリーフじゃなければ十分に発揮されないのだ。 なお、サバタのライバル、バンジョーを演じているのは、パロリーニ監督の「サルタナ」映画で悪役を演じたマカロニ・ウエスタンの名物俳優ウィリアム・バーガー。『地獄のバスターズ』(’78)でフランス人女性ニコルを演じたデブラ・バーガー、ロリコン映画『小さな唇』(’74)に主演したカティア・バーガーはどちらも彼の娘だ。悪党トリオのボス、ステンゲル役のフランコ・レッセルは、’60年代イタリア産スパイ映画には欠かせない顔だった悪役俳優。オハラ判事役のジャンニ・リッツォも、数々のマカロニ西部劇や史劇映画で小心者の卑怯な小悪党を演じた俳優だ。そうそう、イタリア産B級娯楽映画の名物俳優アラン・コリンズことルチアーノ・ピゴッツィが、サバタを殺すために送り込まれた偽牧師役で顔を出しているのも見逃せない。 しかし、やはり「サバタ」シリーズの名物といえば、大ぼら吹きで単細胞で超テキトーだけど、どうにも憎めない熊さんみたいな髭面男カリンチャをコミカルに演じているスペイン俳優ペドロ・サンチェスことイグナチオ・スパッラ。フェルナンド・サンチョと並ぶマカロニ西部劇きってのコメディ・リリーフで、「サバタ」シリーズでも役名を変えながら全作に出演している。その相棒インディオ役のニック・ジョーダンは、本名をアルド・カンティというイタリア人で、もともとはスタントマンだったものの、ルックスの良さと抜群の身体能力を買われて、数々の史劇映画やマカロニ西部劇で活躍した人だ。どうやらマフィアと関りがあったらしく、48歳の若さで怪死を遂げている。 そして、本作を語る上で外せないのが、音楽スコアを担当した作曲家マルチェロ・ジョンビーニの存在であろう。サバタとバンジョーのそれぞれにテーマ曲を設け、ストーリー展開に合わせてそれらを巧みに使い分けていくメソッドは、一連のセルジオ・レオーネ監督作品でエンニオ・モリコーネが用いた手法と全く一緒だが、しかしポップでグルーヴィーなノリの良さはモリコーネと明らかに一線を画する。中でも、ウルトラ・キャッチーなサバタのテーマは、まるでベンチャーズみたい。このワクワクするような高揚感は絶品だ。 なお、ジャンゴやサルタナなどと同様、「サバタ」も本家のヒットに便乗した非公式作品が幾つも作られている。正式なシリーズは本作『西部悪人伝』(’69)と『大西部無頼列伝』(’71)、そして『西部決闘史』(’72)の3本のみ。ほかにも、ブラッド・ハリス主演の『Wanted Sabata(指名手配犯サバタ)』(‘70・日本未公開)やアンソニー・ステファン主演の『Arriva Sabata!(サバタが来た!)』(‘70・日本未公開)などのサバタ映画が作られているものの、いずれもパチものなのでご注意を(笑)。■ 『西部悪人伝』© 1969 ALBERTO GRIMALDI PRODUCTIONS, S.A.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
(吹)続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 【日曜洋画劇場 補完版】
マカロニ・ウエスタンの生みの親セルジオ・レオーネ監督“$箱三部作”の最終作にして、マカロニの到達点!
60年代後半から70年代前半を吹き抜けていったマカロニ・ウエスタンの風において、本作で質的な最大瞬間風速を記録。伊の獅子レオーネ監督が、マカロニ特有の薄汚さを残しつつ伊歌劇を思わせる荘重さも漂わせる。
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COLUMN/コラム2016.08.03
『荒野の用心棒』で金の鉱脈を掘り当てたレオーネ監督&イーストウッドがさらなるお宝を求めて突き進む『夕陽のガンマン』+『続・夕陽のガンマン』
1.ほんのひと握りのドルのために ― 『荒野の用心棒』 筆者が今回ここで紹介すべき映画は、『夕陽のガンマン』(65)と『続・夕陽のガンマン』(66)の2本だが、そのためにはやはりまず、両者に先立つ『荒野の用心棒』(64)にご登場願わなくては、どうにも話が進めにくい。 ほんのひと握りのドルのために。すべてはそこから始まった。 当時、全米のTV西部劇シリーズ「ローハイド」(59-66)に準主役でレギュラー出演し、お茶の間の人気を得るようになってはいたものの、番組のマンネリ路線に飽きを覚えていたクリント・イーストウッドのもとに、1本の映画への出演依頼が思いがけず外国から舞い込み、彼が半ば物見遊山でヨーロッパへと旅立ったのは、1964年のこと。 ところが、当初の別題から先述の「ほんのひと握りのドルのために」という原題に最終的に変わる、何とも素性が怪しげでいかがわしいその多国籍映画 ― 本来はアメリカの専売特許たる西部劇を、スペインの荒野をメキシコ国境の無法の町に見立てて撮影した、イタリア・ドイツ・スペインの3カ国合作による低予算の外国製西部劇で、主演のイーストウッドを除くと、イタリア人を中心にヨーロッパの連中で固められたキャスト・スタッフの大半のクレジットはアメリカ人を装った別人名義、しかも、日本の時代劇(改めて言うまでもなく『用心棒』(61 黒澤明))の物語を、著作権を正式に得ないまま勝手に翻案・盗作したせいで、やがて訴訟騒ぎにまで発展する ― 『荒野の用心棒』が、同年のイタリア映画界最大のヒット作となったのをはじめ、当事者たちすら予想だにしなかった世界的ヒットを記録して、その名も“マカロニ・ウェスタン”(外国での呼び名は“スパゲッティ・ウェスタン”)ブームに火をつけ、以後、同種の外国製西部劇が続々と生み出されるようになるのだ。以前、本欄で『黄金の眼』(67 マリオ・バーヴァ)を紹介した際にも説明したように、1960年代は、御存知『007』(62- )シリーズの登場と共に、スパイ映画が各国で作られたり、また日本でも日活の無国籍アクションが量産されたりするなど、娯楽映画における異文化間の移植培養、雑種交配=ハイブリッド化が汎世界的に同時進行しつつあった。 監督のセルジオ・レオーネと主演のイーストウッドの双方にとっても、『荒野の用心棒』は一大出世作となった。ただし、レオーネは、プロデューサーたちと事前に結んだ不利な契約のせいで、映画の大ヒットによるご褒美の分け前には一切与ることが出来ず、また、盗作問題を巡る訴訟騒ぎで同作の全米公開が1967年まで先延ばしにされたせいで、イーストウッドの方も、自らの成功をなかなか実感できずにいた。2人は再度コンビを組み、柳の下の二匹目のどじょうを狙うことになる。もう少々のドルのために、と。 2.もう少々のドルのために ― 『夕陽のガンマン』 かくして、『夕陽のガンマン』がいよいよ登場することになる。映画の製作費は60万ドルと、『荒野の用心棒』の20万ドルの3倍に跳ね上がり、イーストウッドの出演料も、前作の1万5千ドルから5万ドルプラス歩合へと大幅にアップ。前作で、薄汚れたポンチョに身を包み、無精髭のニヒルな面構えに、短い葉巻を口の端にくわえこんだ独特の風貌とスタイルで、正体不明の流れ者の雇われ用心棒をどこまでも寡黙かつクールに演じた彼は、今回もそのトレードマークをそっくり受け継いだ上で、新たな役どころに挑むことになる。「生命に何の価値もないところでは、時に死に値段がついた。“賞金稼ぎ”が現れた由縁である」と、オープニングのクレジット紹介に続いて『夕陽のガンマン』の物語世界の初期設定が字幕で示される通り、ここでイーストウッドは賞金稼ぎの主人公を演じることになるのだ。 マカロニ・ウェスタンが、本来アメリカ映画の長年の伝統と歴史を誇る西部劇を、それとはおよそ無縁なヨーロッパの地に移植して作り上げられたまがい物の産物であることは既に述べたが、そこでレオーネ監督とイーストウッドが行なった大胆不敵で革新的な実験のひとつが、高潔な正義のヒーローが悪を打ち倒すという、従来の西部劇に特有の勧善懲悪調の道徳劇のスタイルをばっさり切り捨てることだった。既に『荒野の用心棒』の主人公自体、『用心棒』からの無断借用とはいえ、従来の正統的なアメリカ製西部劇の正義のヒーローとは程遠い、ダーティなアンチ・ヒーロー像を打ち立てていたが、この『夕陽のガンマン』でイーストウッドが演じる主人公の役柄は賞金稼ぎに設定され、善悪という道徳的な価値判断や倫理観よりも、あくまで賞金目当ての欲得と打算がその行動原理の前面に据えられる。こうして、血なまぐさい暴力が支配する無法の荒野で、主人公も含めてエゴや私利私欲を剥き出しにした連中が互いに裏切り騙し合いながら相争うさまを、痛烈なブラック・ユーモアと残虐なバイオレンス描写を随所に交えながら冷笑的に描く、レオーネならではの傍若無人、問答無用の娯楽西部劇世界が、本作でより一層華麗に展開されることになる。 『荒野の用心棒』では、互いに相争う2組の悪党どもの対立を、イーストウッド演じる主人公が一層煽り、けしかけながら、双方を壊滅状態に追い込む様子を描いていたのに対し、『夕陽のガンマン』では、共に腕利きの同業者にして宿命のライバルたる2人の賞金稼ぎが、時に相争い、時には紳士協定を結んで互いに協力しながら、いずれも多額の懸賞金のついた悪党どもとその親玉を次第に追い詰めていく様子が描かれる。かくのごとく、三つ巴の戦いを映画の物語の根幹に据えることが、どうやらこの頃のレオーネのお好みのフォーマットであったことが見て取れるだろう。 イーストウッドが賞金稼ぎの主人公を、そしてジャン・マリア・ヴォロンテが『荒野の用心棒』に引き続いて悪党の親玉を演じるのに加え、今回、イーストウッドのライバルたるもうひとりの賞金稼ぎ役には、どこか猛禽類を思わせる精悍な顔立ちと眼光鋭い目つき、そして黒装束に身を包んだスレンダーな長身が印象的なリー・ヴァン・クリーフが起用され、風格に満ちた強烈な個性と存在感を存分に披露。相手との距離を充分に見極めた上で沈着冷静に標的を仕留めるその確かな銃の腕前で、映画の中盤、彼がイーストウッドと互いに相手の帽子を撃ち合いっこする場面は、今日改めて見直すと、何とも稚気丸出しのくどい演出で多少ダレるが、筆者が小学生の頃、最初にテレビで見た時は、こいつはまるでマンガみたいで面白いや、と興奮したものだっけ…。 そして、紹介の順序がすっかり後になってしまって我らが偉大なマエストロには大変申し訳ないが、これらの要素にさらに御存知エンニオ・モリコーネの比類なき映画音楽が加味されて、『夕陽のガンマン』でレオーネ独自の世界は早くも一つの完成を見ることになる。実はかつて小学校時代の同級生だったというレオーネと初めてコンビを組んで、モリコーネが『荒野の用心棒』につけたサントラ自体、口笛にギターやコーラス、そして鐘や鞭の音などを多彩に組み合わせた斬新なアレンジで、マカロニ・ウェスタンの音楽はかくあるべしと、以後の基調的なサウンドを一挙に決定づけた超絶的傑作だったわけだが、本作でモリコーネの音楽は、物語とより有機的に一体化されてドラマを情感豊かに彩ることになるのだ。 とりわけ、ヴァン・クリーフとヴォロンテの間に実は深い因縁があったことを、懐中時計から流れるオルゴールのメロディが何よりも雄弁に物語り、その印象的な旋律をバックに、彼らが宿命の対決を繰り広げるクライマックスの円形広場での決闘場面は、やはり何度見てもスリリングで面白い。ここでイーストウッドは、半ば主役の座をヴァン・クリーフに譲り、公正なレフェリー役として2人の決闘に立ち会うことになるが、レオーネ監督は、この円形広場での決闘場面を改めて自ら反復・変奏し、今度はいよいよ三つ巴の戦いの決着の場として、よりけれんみたっぷりに描き出すべく、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』と共に3部作を成す、次なる壮大な野心作『続・夕陽のガンマン』に挑むことになる。 3.ドルは充分稼いだ。さて、しかし…マカロニ・ブームの頂点を極めたバブル巨編 ― 『続・夕陽のガンマン』 『夕陽のガンマン』が『荒野の用心棒』をも上回る大ヒットで2年連続イタリア国内の興収記録第1位に輝いたのを受けて、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』の製作費は120万ドルと、『夕陽のガンマン』の60万ドルからさらに倍増し、イーストウッドの出演料も25万ドルプラス歩合と、前作から約5倍にアップ。倍々ゲームのようにしてイケイケで駒を進めてきたレオーネ監督はここで、作品の長さも約3時間に及ぶ、マカロニ・ウェスタン史上空前のスケールの超大作を生み出すこととなった(長尺が影響したのか、『夕陽のガンマン』の興収記録には及ばなかったものの、本作もやはり大ヒットして、みごと3年連続イタリア国内の第1位に輝いた)。 映画の原題は既によく知られている通り、「いい奴、悪い奴、汚い奴」で、賞金稼ぎの「いい奴」をイーストウッド、冷酷非情な殺し屋の「悪い奴」を『夕陽のガンマン』の役柄とは好対照をなす形でヴァン・クリーフ、そして首に賞金の懸かったお尋ね者の「汚い奴」には、かのアクターズ・スタジオ出身の実力個性派イーライ・ウォラックが起用され、三者三様、互いの持ち味と個性を競い合う。ただし先にも説明したように、勧善懲悪の世界とは無縁のレオーネ映画にあって、この3人は、その呼び名の通り、善玉と悪玉などにくっきり色分けされている訳では無論なく、「いい奴」役を割り当てられたイーストウッドも含めて、いずれもひと癖もふた癖もある悪党どもばかり。そんな彼らが、ふとしたきっかけで知った某所に眠る20万ドルもの財宝をめぐって決死の争奪戦を繰り広げる様子を、レオーネ監督は、南北戦争時代のアメリカを物語の舞台に、圧倒的な物量作戦で戦闘シーンをスペクタクル風に再現したり、コヨーテの遠吠えを模したモリコーネの強烈な主題曲を織り交ぜたりしながら、どこまでも悠然としたペースで描いていく。 そして、物語の大詰め、この3人の主人公たちが、いよいよ三つ巴の決闘に挑むべく、円形広場で3方に分かれて対峙する、名高いクライマックスが訪れることになる。ここでレオーネ監督は、3人それぞれの顔の表情やガンベルトにかけた手のクロースアップを、これでもかとばかりに何度となく繰り返しクロスカッティングさせ、そこへさらにモリコーネ独特の音楽がバックにかかり、トランペットの音色やオーケストレーションが次第に高鳴るにつれ、いやがうえにも映画はドラマチックに盛り上がる……ことはまあ確かなのだが、その一方で、本来なら一瞬であるはずの決闘直前の3人の睨み合いの息詰まる緊張した時間が、どこまでもズルズルと非現実的に引き延ばされるのに付き合わされるうち、すっかりダレて疲れてしまい、一体これ、いつまで続くんだろう? とふと我に返って思いをめぐらす瞬間が訪れることも、また確かだ。 『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』は、御存知あのクエンテン・タランティーノが、オールタイム・ベストの1本としてしばしばその名を挙げて再評価が進み、公開当時よりもむしろ近年の方が、映画ファンたちの間では人気と支持が高まっている。それは無論、承知の上で、しかし筆者自身、子供の頃から何度も目にしているからこそ(2002年、フィルムセンターで開催された「イタリア映画大回顧」特集での、日本初となるイタリア語復元版でのスクリーン上映も見に行ったし、DVDのアルティメット・エディションもしっかり買って、ひと通り見ている)、あえてここで言わせてもらうならば、上記の場面が象徴的に示しているように、この映画はやはり、全体的にどうも妙に肥大化して弛緩した、バブリーで冗漫な一作、という印象はぬぐえない。もちろん、それなりに面白くて楽しめることは充分認めるんだけどね…。 『夕陽のガンマン』を手始めに、お互いにろくに言葉も通じぬままたて続けにコンビを組み、マカロニ・ウェスタン3部作を生み落としたイーストウッドとレオーネ監督だが、一作ごとに自らの野心と欲望を肥大化させ、まるでデヴィッド・リーンばりの巨匠を気取って大作路線を突き進むレオーネに次第に違和感を覚えるようになったイーストウッドは、『続・夕陽のガンマン』を最後に、ついに彼と袂を分かつことになる。そして、人気スターとなってアメリカに凱旋帰国を果たしたイーストウッドは、やがてドン・シーゲル監督という新たな師匠と出会い、より簡潔で無駄のない引き締まった演出法を彼から伝授された上で、自らも映画作家となり、さらなる高みを目指して険しい道=マルパソを歩むことになるのである。■ FOR A FEW DOLLARS MORE © 1965 ALBERTO GRIMALDI PRODUCTIONS S.A.. 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PROGRAM/放送作品
(吹)夕陽のガンマン 【日曜洋画劇場 補完版】
「荒野の用心棒」に続くレオーネ&イーストウッド再登板。マカロニ・ウエスタンの黄金時代を築いた傑作!
マカロニの原点『荒野の用心棒』の原題は「一握りのドル」だが、本作は「もう少し多くのドルのため」と、続編的な位置づけ。この作品も成功したことで、マカロニ・ウエスタンの黄金時代が幕を開けた。
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PROGRAM/放送作品
荒野の七人/真昼の決闘
村を救うため、7人のガンマンが最後の戦いを挑む!人気ウェスタン・アクションのシリーズ最終作
黒澤明『七人の侍』のリメイクから生まれた西部劇シリーズの最終作。第1作から10年、保安官に転身したクリス(三代目)を演じるのは、マカロニの看板スター、リー・ヴァン・クリーフ。
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PROGRAM/放送作品
新・夕陽のガンマン/復讐の旅
家族を皆殺しにされた青年と、濡れ衣を着せられた初老の男の父子にも似た関係を描く復讐マカロニ
若き二枚目俳優ジョン・フィリップ・ロー×円熟のマカロニ看板俳優リー・ヴァン・クリーフ共演。互いに認め合いながらも距離を置いて付き合う2人の男の関係が、父子の絆ように固くなっていく過程を描く復讐劇。
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PROGRAM/放送作品
(吹)新・夕陽のガンマン/復讐の旅 【日曜洋画劇場版】
家族を皆殺しにされた青年と、濡れ衣を着せられた初老の男の父子にも似た関係を描く復讐マカロニ
若き二枚目俳優ジョン・フィリップ・ロー×円熟のマカロニ看板俳優リー・ヴァン・クリーフ共演。互いに認め合いながらも距離を置いて付き合う2人の男の関係が、父子の絆ように固くなっていく過程を描く復讐劇。