今年3月30日、ブルース・ウィリスが“失語症”のために、俳優業を引退するという、衝撃的なニュースが飛び込んできた。この病気は、脳卒中や脳外傷などによって発症することが多く、会話や読み書きを含む言語能力が低下するというもの。
 近年のウィリスと言えば、やたらと出演作が多く、しかもその大半が、劇場公開にまで至らない、いわゆるビデオストレート作品。そこから推して知るべしだが、評判が芳しくないものがほとんどであった。
 そのため、アカデミー賞開催前夜に、「サイテー」の映画を選んで表彰する「ラジー賞=ゴールデンラズベリー賞」では、昨年=2021年にリリースされたウィリスの出演作8本を対象に、「ブルース・ウィリスが2021年に見せた最低演技部門」を新設。3月27日にはその中から、『コズミック・シン』(日本では昨年11月にDVD発売)が、「サイテー賞」に選出された。
 しかしその3日後に、ウィリス引退の報が流れると、「ラジー賞」の主催団体は、この賞の設置を撤回。「もしも誰かの健康状態がその人の意思決定やパフォーマンスの要因になっているのならば、その人にラジー賞を与えるのは不適切…」との説明を行った。
 いずれにしても、まだ67歳。ウィリスがスターダムにのし上がっていくのを、リアルタイムで目撃していた世代としては、「残念」という他はない。
 ゴールデングローブ賞やエミー賞の獲得歴はあれど、アカデミー賞には、まったく縁のない俳優であった。そしてその逆に、件の「ラジー賞」の常連でもあった。今となってはそれも、“バカ映画”も含めて数多くの娯楽作品に出演を続けた、彼の勲章と言えるかも知れない。

 ウィリスが世に出たのは、30歳の時。85年スタートのTVシリーズ「こちらブルームーン探偵社」(~89)に、当時は格上のスターだったシビル・シェパードの相手役として、オーディションで3,000人の候補者の中から選ばれたのである。
 そこで人気を得た彼は、スクリーンの世界を目指す。その決定打となったのが、『ダイ・ハード』(88)のジョン・マクレーン役だった。たまたま事件現場に居合わせてしまった平凡な中年刑事が、愚痴をボヤきながらも機知の限りを尽くして、犯罪集団を壊滅へと追い込んでいく。
 当時はシルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーなど、バリバリ大殺戮を繰り広げるような、筋骨隆々な無敵のヒーローものの全盛期。そんな中、見た目は冴えない中年男で、はじめは拳銃を撃つのも躊躇するようなマクレーン刑事は、至極新鮮に映ったものである(もっともそんな『ダイ・ハード』も、シリーズ化されて回を重ねていく内に、マクレーンの無敵ぶり・不死身ぶりが、ジェット戦闘機相手に、素手で挑んでも勝ってしまうほどに、インフレ化していくのだが…)。
 何はともかく90年代は、『パルプ・フィクション』(94)『12モンキーズ』(96)『フィフス・エレメント』(97)『アルマゲドン』(98)『シックス・センス』(99)等々、非アクションも含めて、数多くのメガヒット作に出演。ウィリスは、TOPスターの地位を揺るぎないものにしていく。
 しかしそんな最中でも、もちろんうまくいかなかった作品はある。近年ほどではないにしろ、当時から出演作が多かったウィリスの場合、結構な死屍累々。そんな中でもとびきりの“爆死”作品として語り継がれることになったのが、本作『ハドソン・ホーク』(91)である。

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 10年間のムショ暮らしをようやく終えた、エディ(演:ブルース・ウィリス)。彼は“ハドソン・ホーク”と異名を取る怪盗で、悪徳観察官から新たな“仕事”を持ち掛けられるも、今はただ落ち着いた生活を送りたため、その依頼を断わる。
 かつての仲間で親友のトミー(演:ダニー・アイエロ)の元に身を寄せたエディだったが、悪の誘いは引きも切らない。結局エディは、マフィアのマリオ・ブラザースの脅迫に屈し、トミーと共にレオナルド・ダ・ヴィンチ作の芸術作品「スフォルツア」を盗み出すハメになる。
 見事犯行に成功した2人だが、ニュースでは、失敗したものとして報じられる。そして盗んだ筈の「スフォルツア」が、オークションへと出品される。
 エディは、オークション会場へと乗り込む。「スフォルツア」は、怪しげな富豪のメイフラワー夫妻に競り落とされるが、その瞬間に会場では大爆発が起こる。エディは隣り合わせた謎の美女アナ(演:アンディ・マクダウェル)の命を救うも、自らは落下物のために気を失う。
 気付くと走る救急車の中で、マリオ・ブラザースの囚われの身となっていたエディ。決死の脱出に成功すると、今度は彼の前に、過去に因縁のあったCIA捜査官キャプラン(演:ジェームズ・コバーン)の一味が現れる。
 再び気絶させられたエディが、次に目が覚めたのは、ローマ。そしてメイフラワー夫妻をTOPに頂く犯罪組織が、世界征服のために必要なものを、自分を使ってバチカンから盗ませようとしていることを知る。
 マフィアにCIA、そしてバチカンまで絡んだ世紀の大陰謀に、エディは相棒トミー、謎の美女アナと共に立ち向かっていく…。

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 日本の劇場用プログラムに掲載されている、複数の解説コラムでは、お馴染みの「ルパン三世」に、やたらと言及している。なるほど、一流の腕を持つ怪盗ながら、ちょっと間抜けなところもあり、またセクシーな美女にはからっきし弱い辺り、「ルパン」的ではある。
 実際に物語のベースとして参考にしたのは、『泥棒成金』(55)や『トプカピ』(64)『ピンクの豹』(63)『おしゃれ泥棒』(66)といった、往年の“泥棒映画”群。また大富豪夫妻が、珍奇な発明品を用いて世界征服を企む辺りは、60年代に『007』シリーズの大ヒットで次々と製作された、荒唐無稽なスパイ映画シリーズ『サイレンサー』(66~68)や『電撃フリント』(66~67)などの影響と言われる。『電撃フリント』の主役だったジェームズ・コバーンがCIAのエージェントを演じるのは、その流れであろう。
 さてそんな本作誕生のきっかけは、製作から遡ること10年以上前の、1980年のある夜。ロバート・クラフトというミュージシャンが、ニューヨークのグリニッジビレッジにあるナイトクラブで演奏していた際、観客の1人だったウィリスが、ハーモニカを吹いたことに始まる。
 2人は仲良くなり、当時はバーテンダーで生計を立てていたウィリスは、しばしばクラフトのステージに参加するようになった。クラフトのレパートリーの中でも、ウィリスが特にお気に入りだった楽曲が、「ハドソン・ホーク」。
 これはクラフトがある昼下がりに、マンハッタンのウエストサイドを歩いていた際に、ハドソン川の方から風が吹いてきたのにインスピレーションを得て、作った曲だった。“ホーク”というのは、ミシガン湖を襲った暴風に付けられた名前で、それをハドソン側からの風に結び付けて、「ハドソン・ホーク」というタイトルにしたのである。
 ウィリスはこの由来を聞いて、古典的なエンタメ作品のキャラのテーマにぴったりだと感じた。そしてクラフトの依頼で、この曲に歌詞を付けた。その際に、“ハドソン・ホーク”とその相棒トニーのキャラクターも出来上がったという。
 しかし、当時はまだ無名の存在だったウィリスとクラフト。もしどちらかが映画を製作する立場になったら、「世界一の怪盗映画」にしようと誓い合ったが、これらのアイディアは暫し、凍結となった。

 それから月日が流れて、TVの人気者となったウィリスは、『キャデラック・カウボーイ』(88/日本未公開)という作品に主演する際、“ハドソン・ホーク・プロ”と名付けた、自らのプロダクションで製作に参画した。この作品は当たらなかったが、次に主演したのが、『ダイ・ハード』。
 その2年後には続編『ダイ・ハード2』(90)も大ヒットとなって、ウィリスは“スーパースター”の座を手に入れる。彼は勇躍、クラフトと共に、本作の製作に乗り出したわけである。
 ウィリスは、本作のプロデューサーを、『ダイ・ハード』シリーズはじめ、『リーサル・ウェポン』シリーズ(87~98)、『マトリックス』シリーズ(99~ )など、ド派手なアクション大作で勇名を馳せた、ジョエル・シルバーに依頼。シルバーは、ドル箱シリーズの主演スターからの頼みを、むげには出来なかったものと思われる。
 監督に決まったのは、フランシス・フォード・コッポラ門下の出身で、『ヘザース/ベロニカの熱い日』(89)という青春もののブラック・コメディが評判となった、マイケル・レーマン。相棒トニー役には、ウィリスと以前からの知り合いだった、ダニー・アイエロがキャスティングされる。アイエロはスパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、そのキャリアがピークを迎えた頃だった。
 元々ミュージシャンでありコメディアンであったウィリスは本作に関して、「…出来るだけ突拍子もないコメディにしたかった」と語っている。ある意味でその願いは、実現することとなる…。
 ニューヨーク、ロサンゼルスから、ローマ、ブダペスト、ロンドンと、大々的なロケーションを行うと同時に、複数の巨大セットを建てて行われた本作の撮影は、トラブルの連続。謎のヒロイン役は、イザベラ・ロッセリーニやイザベル・アジャーニの名が挙がった後、マルーシュカ・デートメルスに決まるも、クランクインして6週間後に、彼女は背中を痛めて降板となる。
 その代役となったアンディ・マクダウェルによると、本作の撮影に臨んでは、セリフを覚えることよりも、製作側の突然の要求に柔軟な対応ができるよう準備していたという。現場がいかに混乱していたか、伝わってくる証言である。
 主要スタッフの交代劇もあり、脚本の最後も書き直しが行われるなど、相次ぐトラブルに、製作費はどんどん膨れ上がる。最終的に、当時としては破格の4,000万㌦に達した。

 アクションとミュージカルとコメディを融合させた本作で、“スーパースター”ブルース・ウィリスの思うがままに進行させたツケは、高くついた。全米公開の興収は、製作費の半分にも満たない、大コケ。
 その年度の「ゴールデンラズベリー賞」では、作品賞、監督賞、脚本賞の3部門にわたって受賞を果たし、正真正銘の“サイテー作品”と認定された。思えばウィリスの引退まで続いた「ラジー賞」との因縁は、この時に始まったわけである。
 本作後、先にも記した通り、ブルース・ウィリスは数々のメガヒット作に出演し、“スーパースター”としての地位を確固たるものにしていく。その中ではプロデューサーとして参画した作品もあるが、脚本にまで手を出した作品は、後にも先にも、本作1本に終わった。
 本作を賞賛する声はほとんど聞かないが、30年余に渡って我々映画ファンを楽しませてくれた、稀代のアクションスター、ブルース・ウィリスが心底やりたかったことを、やり尽くした作品である。『ハドソン・ホーク』は、彼のフィルモグラフィーを振り返る上で、ある意味ハズせない1本と言える。■

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