“デューク(公爵)”の愛称で、長くハリウッドTOPスターの座に君臨した、ジョン・ウェイン(1907~79)。“戦争映画”などの出演も多かったが、特に“西部劇”というジャンルで、数多の名作・ヒット作の主演を務め、絶大なる人気を誇った。
 ジョン・ウェインと言えば、やはり“西部劇の神様”ジョン・フォード(1894~1973)作品のイメージが強い。出世作となった『駅馬車』(39)をはじめ、『アパッチ砦』(48)『黄色いリボン』(49)『リオ・グランデの砦』(50)の“騎兵隊三部作”や『捜索者』(56) 『リバティ・バランスを射った男』(62)等々、フォード監督作には、20数本に渡って出演している。
 生涯、フォードを尊敬して止まなかったと言われるウェイン。しかしインタビューでは、こんな本音も覗かせている。

「わたしがスターになれたのは、たしかに『駅馬車』のおかげだ。しかし、ジョン・フォード監督はわたしを俳優として認めてくれなかった-ハワード・ホークス監督の『赤い河』に出たわたしを見るまでは」

 ハワード・ホークス(1896~1977)は、サイレント期に監督デビューし、以降40年以上に渡って、スクリュー・ボール・コメディからミュージカル、メロドラマ、ギャング映画、航空映画、そして西部劇等々、様々なジャンルの作品を世に送り出した。ハリウッドではその多様性から、長らく“職人監督”として軽視されるきらいがあったが、フランスのヌーヴェルヴァーグの映画作家などに熱狂的に支持されたのを機に、本国でも60年代から70年代に掛けて、「再評価」の機運が高まった。今日では彼を紹介する際、“巨匠”と冠することに、躊躇する者は居ない。
 そんなホークスは、こんな風に語っている。

「ジョン・ウェインくらいウエスタン・ヒーローにふさわしく、肉体的にも精神的にも、がっしりとした、たくましい男はいない。しかも、彼くらい的確な映画的感覚を持った俳優をわたしは知らない」

 ホークスがウェインと組んだ作品は、5本で、その内4本が“西部劇”。初顔合わせとなったのが、本作『赤い河』(48)である。そしてこれは、ホークスにとって初の“西部劇”でもあった。

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 19世紀半ば、開拓民の幌馬車隊に同行していたトーマス・ダンソン(演:ジョン・ウェイン)は、牧畜に適した土地の目星を付け、そこに向かうことにする。相棒のグルート(演:ウォルター・ブレナン)1人と、自分の牛数頭を引き連れて。
 その際に恋人フェンも同行を望んだが、危険な道中を思って、ダンソンは頑なに拒む。そして、牧場を持ったあかつきには、彼女を必ず迎えに行くことを誓う。
 しかしダンソンたちが離れた隊は、先住民に襲われ、フェンも殺されてしまう。隊の唯一の生き残りとなった、12歳の少年マットを仲間に入れて、ダンソンたちは“レッド・リバー”を越え、テキサスへと向かった。
 占有権を主張するメキシコ人との対決を経て、広大な土地を我がものとした、ダンソン。大牧場主として君臨する、第一歩を踏み出した。
 それから14年…。南北戦争が終結した頃、テキサスでは食肉が捌けなくなり、牧場が抱える1万頭もの牛も、二束三文の価値しかなくなってしまう。そこでダンソンは、食肉の需要が見込める、北部のミズーリへと牛たちを大移動させる計画を立てる。
 彼と共にロングドライブに挑むのは、相棒グルートに、成長したマット(演:モンゴメリー・クリフト)、そしてダンソンが雇ったカウボーイたち。道中では彼らに、次々と苦難が襲い掛かる。長雨や食糧不足、牛の大群のスタンピード=大暴走、山賊や先住民の脅威…。
 リーダーとして、時には仲間の命を奪ってでも、統率を図ろうとするダンソンに、不満や反発が強まっていく。まったく聞く耳を持たない強権的で頑迷なダンソンに、遂に彼が我が子同様に育ててきたマットも、叛旗を翻す。
 ロングドライブから置き去りにされたダンソンは復讐を誓い、マットたちの後を追うが…。

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 1万頭もの牛を、テキサスの10倍の値が付く北部へと大移動させる、“キャトル・ドライブ=牛追い旅”。『赤い河』の原案になったのは、その2,000㌔前後にも及ぶ行程で起こる様々な軋轢や事件を、史実に基づいて描いた、ボーデン・チェイスの小説である。
 アメリカの“フロンティア・スピリット”を象徴するかのようなこの題材に惹かれたホークスは、映画化権を買い、チェイスに脚本も依頼した。しかし実際に作業に入ると、チェイスは原作の改変に抵抗。共同脚本のチャールズ・シュニーと一緒に仕事をしようとはせず、後々までホークスのことを悪し様に言い続けることになった。そんなチェイスについてホークスは、「…余り虫が好かなかった。彼は単なる馬鹿だ…」などと、後に斬り捨てている。
 ダンソンの演者として、ホークスが当初イメージしていたのは、ゲーリー・クーパー。しかしクーパーには断わられ、ジョン・ウェインに依頼することに。
 当時40代を手前にしたウェインは、それまではフォード以外には、一流と言える監督と仕事をしたことがなかった。ホークスからのオファーに喜びを感じつつ、一点気ががりだったのが、年を取った男を演じることだった。
 そんなウェインにホークスは、声を掛けた。「デューク、君ももうすぐ老人になる。その練習をしておいたらどうだ」
 ウェインはそれで、納得させられた。いざ撮影に入ると、自分をいつまでも“新人”のように扱うフォードと違って、ホークスとは対等な関係が築けたという。
 マット役には、当時の全米ロデオチャンピオンである、ケイシー・ティッブズを考えた。しかし演技経験のない若者と、ウェインの組み合わせに、ホークスがリスクを感じるようになった頃、ティッブスが腕を骨折。彼が映画スターとなる機会は、失われた。
 その後他の候補を経て、行き着いたのが、当時ブロードウェイの舞台で高い注目を集めていた、モンゴメリー・クリフト(1920~66)だった。アクターズ・スタジオ仕込みの、いわゆる“メソッド俳優”だったクリフトは、映画初出演作に『赤い河』が決まると、すぐにロケ地のアリゾナへと飛んだ。そこで一級のカウボーイと3週間を過ごして、乗馬・投げ縄・射撃を学び、クランクインする頃には、“西部劇”の所作を自分のものとしていた。
 撮影現場ではクリフトと、ウェイン&ホークスの相性は、必ずしも良いものではなかったと伝えられる。しかし、撮影は本作の後ではあったが、同じ年に先んじて公開された、フレッド・ジンネマン監督の『山河遙かなり』(48)と合わせて、クリフトは映画の世界でも、一躍脚光を浴びる存在となる。
 ダンソンの相棒グルート役には、ウォルター・ブレナン(1894~1974)がキャスティングされた。ブレナンはアカデミー賞史上でただ一人、助演男優賞を3回受賞している名脇役であるが、ホークスとの出会いとなった作品は、『バーバリー・コースト』(35~日本では劇場未公開)。
 初めて会った時に、ホークスがセリフのテストをしようとすると、ブレナンは、「なしで、それとも、ありで?」と尋ねたという。ホークスが何のことかわからずにいると、それは“入れ歯”を入れたままセリフを言うか、それとも外して言うかという意味だった。ブレナンは30代の頃、撮影中に馬に蹴られて、歯を欠いてしまっていたのだ。


 その後すっかり、ブレナンはホークスのお気に入りとなった。実は『赤い河』では、ブレナンと出会った時の“入れ歯”のエピソードをアレンジした、秀逸なギャグが登場する。具体的には観てのお楽しみとしておくが、その背景を知っておくと、ホークスとブレナンの信頼関係が伝わってきて、実に楽しい。
 ロング・ドライブの終盤で、マットと恋に落ちるテス・ミレー役を演じたのは、ジョアン・ドルー(1922~96)。ドルーの役どころは、ホークスの諸作に登場する、いわゆる“ホークス的女性像”の典型と言える。機知とカリスマ性を持って、男性に対して強気な物言いをする。そして欲しいと思ったものを得るためには、行動的になるキャラクターである。
 原住民の襲撃に出遭い、ミレーの肩に矢が突き刺さる場面がある。そしてこれが、マットとの運命的な出会いともなる。痛みを訴えることもなく、顔色ひとつ変えないミレーと、彼女を助けようとするマットのやり取りは、まさに“ホークス的女性像”を象徴する、見せ場となっている。

 本作のクライマックスは、ダンソン=ウェインVSマット=クリフトの対決。壮絶な殴り合いとなるのだが、義理の父子は拳を交わす中で、お互いへの想いを確認していく。
こうした展開は、ホークスの他の作品にも見受けられるのだが、彼は「…わたし自身がそういうかたちで親友を得たという体験にもとづいているのかもしれない…」と語っている。
 ダンソンとマットは、親子という以上に、ライバルの意識を持っており、そんな人間同士の関わりがどのようにして生まれるか? ホークスはそれを、表現しようとしたのだという。
 本作でウェイン演じるダンソンは、“レッド・リバー”とダンソンの頭文字であるDを象ったデザインのマークを、牧場の門柱に掲げ、牛の焼き印として使用している。本作撮影を記念して、このデザインをあしらったガンベルトのバックルが作られ、監督や主要キャストに配られた。
 そしてウェインはその後、“西部劇”に出演する際はいつも、このバックルを身に付けるようになる。その理由を、彼は次のように語っている。
「…ウエスタン・ベルトにぴったりのデザインだし、幸運がついているんだよ…」
 先に記した通り、それまでウェインを「俳優として認めてくれなかった」ジョン・フォードだったが、本作を観て、「あの木偶の坊が演技できるとは知らなかった」と、親友だったホークス相手につぶやいたという。そしてそれをきっかけに、フォード作品に於けるウェインも、人間的に深みのある役どころが多くなっていく。
 またウェインは、本作の大ヒットによって、翌年初めてボックス・オフィス・スターの4位にランクイン。以降20年以上、ベスト10入りを続けた。
『赤い河』は紛れもなく、ウェインのターニングポイントとなり、映画俳優としての地位を盤石なものとしていく、記念碑的な作品だったのである。そして本作は、「AFI=アメリカ映画協会」が2008年に選定した「西部劇ベスト10」では、第5位にランクインしている。■

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