ユース・カルチャーが台頭した’60年代半ばのロンドン

時代の空気と息吹を鮮やかに封じ込めた、さながらタイムカプセルのような映画である。時は1960年代半ば、場所はイギリスのロンドン。ヨーロッパ諸国に比べて第二次世界大戦後の経済復興が遅れたイギリスだが、しかし’60年代に入ると国民生活も次第に豊かとなり、さらにベビーブーム世代に当たる中流層の若者が経済力を持つことで、本格的な消費社会が到来する。’64年にはそれまでの保守党に代わって、中道左派の労働党政権が誕生。そうした中でファッションやポピュラー音楽などの若者文化が大きく花開き、首都ロンドンは世界に冠たるトレンド発信地へと成長する。

ビートルズにミニスカート、モッズ・カルチャーにカーナビー・ストリート。いわゆる「スウィンギン・ロンドン」の時代だ。’50年代を通して重苦しい空気に包まれたロンドンは、見違えるほど華やかでカラフルな街へと生まれ変わる。欧米のマスコミがロンドンをスウィンギン・シティ(イケてる都市)と呼ぶようになるのは’65~’66年にかけてのこと。’64年に撮影されて’65年に公開された映画『ナック』は、新たな時代へ向けて急速に変わりゆくロンドンの、若さ溢れる楽天的なエネルギーを思う存分に吸い込んだ作品だったのである。

主人公はちょっとばかり神経質な若き学校教師コリン(マイケル・クロフォード)。自宅の部屋を他人に貸している彼は、女性の出入りが激しいモテ男の下宿人トーレン(レイ・ブルックス)にイラっとしており、そのせいで無関係な女性たちにも厳しく当たってしまうのだが、しかし本音を言うと自分もモテたくて仕方がない。女性をゲットするにはどうすればいいのか。このままじゃ将来は欲求不満のスケベおじさんになってしまう! 思いつめた彼は恥を忍んで、トーレンに女性からモテる「コツ(英語でナック)」を伝授してもらおうとする。ところが、面倒くさがりで無責任なトーレンは、「んー、やっぱ食い物じゃね? チーズとかミルクとか肉とか。要するにプロテインよ」「っていうか、直感は大事だよね。でも、こればっかりは生まれつきの才能だからなあ」とテキトーなことばかり。最終的に「女は強気で支配するに限るね」などと言い出す。

その頃、故郷の田舎から長距離バスでロンドンへやって来た若い女性ナンシー(リタ・トゥシンハム)。右も左も分からない大都会に少々面喰いつつも、とりあえずYWCA(キリスト教女子青年会)を探して歩き回るナンシーだったが、しかしなかなか辿り着くことが出来ない。すれ違う人々に道を尋ねても、知らないと首を横に振られたり、間違った道順を教えられたり。そればかりか、見るからに田舎者といった感じの彼女を言いくるめて騙そうとしたり、バカにして軽んじたりする威圧的な男性ばかりに出会う。とはいえ、純朴そうに見えて実は意外としたたかなナンシーは、天性の勘と機転で「女性の危機」を上手いことやり過ごしていく。

一方、女性にモテたいならまずはベッドを大きくしなくちゃね!というナゾ理論に落ち着いたコリンは、部屋を真っ白に塗り替えないと気が済まない新たな下宿人トム(ドナル・ドネリー)に付き添われてベッドを新調することに。スクラップ置場で理想の中古ベッドを発見した彼は、そこへ迷い込んできたナンシーと仲良くなり、3人で意気揚々とロンドンの街を駆け抜けながら自宅へベッドを運ぶ。そこへ現れたトーレンはナンシーに興味津々。コリンも彼女に気があるものの、そんなこと全くお構いなしのトーレンは、チョロそうな田舎娘ナンシーを強気で口説こうとするのだが…!?

新進気鋭の鬼才リチャード・レスターとフリー・シネマの総本山ウッドフォール

本作の基になったのはアン・ジェリコーの同名舞台劇。’62年にロンドンのロイヤル・コートで初演されて評判になった同作は、古い貞操観念や男女の役割に凝り固まった旧世代の保守的なモラルを笑い飛ばす風刺喜劇だった。この舞台版をプロデュースしたのがオスカー・レウェンスタイン。ロンドンの有名な舞台製作者だったレウェンスタインは、その一方で友人トニー・リチャードソンやジョン・オズボーンの設立した映画会社ウッドフォール・フィルムにも深く関わっていた。

ウッドフォール・フィルムといえば、『怒りをこめて振り返れ』(’56)や『土曜の夜と日曜の朝』(’60)、『長距離ランナーの孤独』(’62)などの名作を次々と生み出し、同時期に起きたフランスのヌーヴェルヴァーグと並ぶ重要な映画運動「フリー・シネマ」の中心的な役割を果たしたスタジオである。この舞台版を見て映画化を思いついたリチャードソンは、舞台演出家時代から気心の知れたレウェンスタインに映画版のプロデュースも任せることに。そんな彼らが本作の演出に白羽の矢を立てたのが、当時ビートルズ映画で大当たりを取っていた新進気鋭の映画監督リチャード・レスターだった。

フィラデルフィアで生まれた生粋のアメリカ人だが、少年時代からハリウッド映画よりもヨーロッパ映画を好んで育ったというレスター。19歳で大学を卒業して大手テレビ局CBSに就職したものの、なんとなくアメリカの水が肌に合わないと感じていた彼は、’55年に開局したイギリスのテレビ局ITVの立ち上げに携わり、そのまま同局の番組ディレクターとしてロンドンに居ついてしまう。やがてテレビCMの世界にも進出し、仕事を通じてピーター・セラーズと意気投合したレスターは、セラーズ主演の短編コメディ『とんだりはねたりとまったり』(’59)で映画監督デビュー。そして、この映画の大ファンだったビートルズの指名によって、『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(’64)と『ヘルプ!4人はアイドル』(’65)の監督に起用され、テレビCMで培ったポップで斬新な映像感覚が注目される。本作はその合間に手掛けた作品だった。

当時まだ32歳のフレッシュな才能リチャード・レスターと、フリー・シネマの総本山ウッドフォール・フィルム。「スウィンギン・ロンドン」時代の幕開けを告げる映画として、これほど理想的な顔合わせはないだろう。根っからのビジュアリストであるレスター監督は、原作の舞台劇をそのまま映画化するのではなく大胆に改変。重要な要素である「性の解放」と「世代間ギャップ」というテーマはしっかり残しつつ、現実と妄想が巧みに交錯するシュールでお洒落なブラック・コメディへと昇華させている。

早回しや逆再生、ジャンプカットなどの映像技法を凝らした自由奔放な演出は、まさしくビートルズ映画で世に知らしめた当時の彼のトレードマーク。早口で飛び交うリズミカルなセリフのやり取りは、まるでメロディのないミュージカル映画のようだ。バスター・キートンやジャック・タチを彷彿とさせる、とぼけたビジュアル・ギャグの数々も皮肉が効いている。自分たちを縛ろうとする固定概念にノーを突きつけ、今まさに生まれ変わろうとするロンドンの街を、自由気ままに駆け抜けていく4人の若い男女に思わずウキウキワクワク。そんな彼らを見て眉をひそめ、陰口をたたくオジサンやオバサンたちの様子がまた面白い。実はこれ、ロケ現場でたまたま居合わせた通行人を隠し撮りした映像を使っている。そこへ後からセリフを被せているのだ。当時のイギリスの中高年層が、ベビーブーム世代の若者たちをどのような目で見ていたのか分かるだろう。

ヒロインのナンシーを演じるのは、舞台版に引き続いてのリタ・トゥシンハム。当時の彼女はトニー・リチャードソンの『蜜の味』(’61)やデズモンド・デイヴィスの『みどりの瞳』(’64)に主演し、文字通り「フリー・シネマのミューズ」とも呼ぶべき存在だった。そういえば彼女、’60年代のロンドンを描いた『ラストナイト・イン・ソーホー』(’21)にも出ていたが、あの映画のヒロイン、エリーとサンディは本作のナンシーの暗黒バージョンみたいなものと言えよう。後にロンドンとブロードウェイの初演版『オペラ座の怪人』などに主演し、ミュージカル界の大スターとなるマイケル・クロフォードもウルトラ・チャーミング。そのピュアな少年っぽさは、どことなくエディ・レッドメインを彷彿とさせる。

さらに本作は、無名時代のジェーン・バーキンにジャクリーン・ビセット、シャーロット・ランプリングが出演していることでも知られている。夢とも現実ともつかぬオープニング・シーンで、モテ男トーレンに会うため階段にズラリと並んで列を作っている美女たち。ドアを開けたコリンの目の前に立っている女性がジャクリーン・ビセットだ。さらに、コリンの部屋に椅子を借りに来て、その後トーレンのバイクに乗って颯爽と去っていく美女がジェーン・バーキン。また、トーレンやコリンと水上スキーを楽しむダイビングスーツ美女2人の片割れがシャーロット・ランプリングである。

同年のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールと青少年向映画国際批評家賞の2部門に輝き、リチャード・レスター監督の名声を決定的なものにした『ナック』。当時は斬新だった映像技法やユーモアも、時代と共に色褪せてしまった感は否めないものの、しかし「スウィンギン・ロンドン」前夜の活気溢れるロンドンの空気を今に伝える作品として、映画ファンならずとも見逃せない作品だ。■

『ナック』© 1965 Woodfall Film Productions Limited. All Rights Reserved.