年配の方にはお馴染みだった、テレビ時代劇の「必殺シリーズ」。その顔である藤田まことが主演した中に、「江戸プロフェッショナル 必殺商売人」(1978年/全26話)というシリーズがある。凝った構成や展開が多い作劇だったが、その内の一編「殺して怯えた三人の女」というエピソードが、当時10代の私に、強烈な印象を残した。
呉服問屋の後家と義理の娘、女中の3人が、色悪な番頭に弄ばれる。そこで女たちは共謀して、番頭を殺害。池に沈めるも、その後まるで番頭が生きてるかのような奇怪な出来事が次々と起こり、3人は次第に追い詰められていく…。
初見時、ただただ感心して視聴したのだが、後年に本作『悪魔のような女』(1955)を観て、気付いた。ああ、これだったか!
TV時代劇の黄金期は、過去の名作洋画を良く言えばインスパイア、悪く言えばパクった内容の作品が数多くあった。私が至極感心した、「必殺」の1エピソードは、明らかに本作の影響を受けたものだったのだ。
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舞台は、パリ郊外に在る全寮制の寄宿学校。校長のミシェル(演:ポール・ムーリス)は、妻で教師のクリスティーナ(演:ヴェラ・クルーゾー)の資産を利用して、現在の地位を得た男だった。それにも拘らず、吝嗇で勝手し放題。心臓が弱い妻を、日々いたぶっていた。
教師の1人ニコール(演:シモーヌ・シニョレ)は、ミシェルの公然の愛人。やはりクリスティーナ同様、彼の暴君のような振舞いに嫌気がさしていた。
奇妙な連帯感で結ばれた妻と愛人は、共謀。寄宿学校から遠く離れたニコールの自宅にミシェルを秘かに呼び出して、強い睡眠薬を盛り、そのまま浴槽に沈めて殺害した。
車で死体を運んだ2人は、季節外れで使われていない、寄宿学校のプールに死体を投げ入れる。酔った挙句に、足を滑らせて溺死したように見せかける計画だった。
ところが、何日か過ぎても死体は発見されない。そこで2人は図って、プールの水を、用務員が抜くように仕向ける。
しかし、空になったプールからは、何も出てこなかった。ミシェルの死体は、忽然と消えてしまったのだ。
その後まるで、ミシェルが生きているかのような、奇怪な出来事が次々と続く。更には、セーヌ川に浮かんだ身元不明の死体を、もしやと思ってクリスティーナが確認しに行ったことがきっかけで、退職した警察官のフィシェ(演:シャルル・ヴァネル)に目を付けられ、纏わりつかれるようになる。
2人の女は、徐々に追い詰められていく。特に心臓に病を抱える、クリスティーナの疲弊はひどく…。
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本作『悪魔のような女』には、原作がある。フランスのミステリー界の重鎮だったピエール・ポワローとトマ・ナルスジャック初めての共作で1952年に出版された、「CELLE QUI N'EAIT PLUS=その女の正体」(日本では現在「悪魔のような女」というタイトルで出版されている)だ。
こちらは、平凡なセールスマンの男と、その愛人の女医が共謀。男の妻を殺して、保険金をせしめようとする話である。
アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督はここから、殺害とアリバイ作りのトリックや、死体が消えて、まるで生きているかのような痕跡を残していく中で、犯人たちが徐々に追い詰められていく展開等を抽出。先に紹介したように、寄宿学校をメインの舞台に、横暴な男をその妻と愛人が葬ろうとする話へと設定を変えて、脚色を行った。
1955年の公開時、大いに話題になったのは、オープニングのスーパー。
「これからこの映画を御覧になるお友達の興味を殺がないように―どうぞこの映画の筋はお話にならないで下さい」
本国フランスの首都パリでは、公開時にストーリー自体を発表しなかった。日本では、結末だけを伏せておく“宣伝戦略”が取られた。それは物語の〆に、衝撃的などんでん返しが待ち構えているからである。
映画史的にあまりにも有名な作品なので、ご存じの方も多いとは思う。しかし本稿では初公開時に倣って、未見の方のために、ショッキングなラストは、「観てのお楽しみ」としておく。
フランスをはじめ、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本でも大いに話題になった本作。谷崎潤一郎は随筆「過酸化マンガン水の夢」の中で、本作について記している。
谷崎は、「要するにこれは見物人を一時脅かすだけの映画にて、おどかしの種が分ってしまへば浅はかな拵へ物であるに過ぎない」と指摘。本作を貶めているのかと思いきや、「しかしこの絵が評判になり多くの映画ファンの好評を博したのは、しまひには一杯食はされることになるけれども、観客をそこまで引き擦って行く手順の巧妙さと俳優の演技に依る」と、娯楽作として実は高く評価をしている。
特に気になったのは、ニコール役のシモーヌ・シニョレだったようで、「-あゝ云ふタイプを主役に持って来なければあの絵が狙う凄味は出せない。あの女なら情夫の頭を両手で摑んで水槽に押し込むことくらゐ出来さうに思へる」と、記述。またクリスティーナ役のヴェラ・クルーゾーに関しても、適役と評している。
文豪谷崎が、本作を大いに楽しんだのは間違いないようで、映画のストーリーを微に入り細に入り、かなり詳しく書き記している。ラストのネタばらしまで行っているのは、まあルール違反であるが…。
世界的に評判になった本作だが、実はその原作は、“サスペンスの神様”アルフレッド・ヒッチコックも、映画化を熱望。権利を買おうとしたものの、クルーゾー監督に先を越されたと言われている。
そうした経緯から、本作の大成功を見て、ヒッチコックは相当に悔しかったらしく、原作者のポワロー&ナルスジャックが次に書いた小説の映画化権を、早々に取得。これがヒッチコックのフィルモグラフィーの中でも、現在では名作の誉れが高い、『めまい』(58)となった。
更に『サイコ』(60)を製作・監督した際には、『悪魔のような女』を徹底的に研究。本作と同じモノクロ画像の陰鬱なムードの中で、浴室で恐るべき犯罪が行われる展開に挑戦した。また公開時のプロモーションでは、「途中入場禁止」のキャンペーンを行って、衝撃のラストへの期待感を、大いに煽ったのである。
さて『悪魔のような女』は、その後アメリカで2度ほどTVムービーとしてリメイク。本作から40年余後の1996年には、再び劇場用作品が、製作された。
こちらはポワロー&ナルスジャックの小説ではなく、クルーゾー監督・脚本による本作を原作とするもの。寄宿学校を舞台に、シニョレがやった役をシャロン・スートン、ヴェラ・クルーゾーの役をイザベル・アジャーニが演じている。
オリジナルでは、男性のシャルル・ヴァネルが演じた元刑事を、女性に変えて、キャシー・ベイツをキャスティングするなどの変更はあれど、リメイク版の構成や展開は、本作とさほど変わらない。大きく違うのは、オリジナルのどんでん返しに加えて、更にもう1回どんでん返しを重ねるところである。
それが成功しているか否かは、本稿では触れない。いずれにしてもリメイク版は、今日ではほぼ忘れられた存在となっている。
実は日本でも、最初に挙げた「必殺」のようなインスパイアものではなく、原作小説の映像化権を正式に得て、製作された作品が存在する。元祖2時間サスペンスの「土曜ワイド劇場」で、2005年に放送された、「悪魔のような女」である。
ヒロインは菅野美穂が演じる、心臓に疾患を抱えたガラス工芸作家。その親友の女医が浅野ゆう子、夫が仲村トオル、元刑事が串田和美というキャスティングで、テレビの「世にも奇妙な物語」や映画『パラサイト・イブ』(97)『催眠』(99)などの落合正幸が、監督を務めた。
最初は優しげな振舞いをしていた夫が、結婚後に本性を現し、ヒロインが亡き親から継いだ大邸宅を狙う。そこでヒロインは、夫の愛人でもあった女医の力を借りて…という筋立て。
原作小説及び映画化作品から、様々な趣向を選りすぐりながら、なかなか巧みにアレンジした一編となっている。しかしながらラストで、殺された者の幽霊が登場して犯人を呪い殺すという、Jホラーさながらの展開となるのには、仰天。オリジナルと違った意味で、吃驚させられた。
「呪い」つながりで言えば、オリジナルの『悪魔のような女』自体が、呪われているのでは?と騒がれたことがある。
ヒロインのクリスティーナを演じたヴェラ・クルーゾーには、実際に心臓疾患があったのだが、本作の5年後、パリのホテルの浴室で、変死しているのを発見される。折しも、彼女の夫だったアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督と、女優のブリジット・バルドーの不倫による、三角関係がスキャンダルになっている渦中であった…。■
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