インターネットが普及した、1990年代後半。韓国は積極的にIT政策を推進したこともあって、「ネット先進国」と謳われるようになる。本作『猟奇的な彼女』の原作は、まさにそんなムーブメントの中で生まれた、ネット小説だった。
 1999年8月、あるパソコン通信の掲示板に、小説「猟奇的な彼女」の連載がスタートした。主人公は、徴兵から戻ったばかりの男子大学生キョヌ、そして具体的な名前は最後まで語られない、“彼女”。
 見目は麗しい“彼女”だが、泥酔して地下鉄内で吐いたり、「ぶっ殺されたい?」などと汚い言葉で罵っては、やたらと殴りつけてくる。そんな“彼女”に出会ってからのキョヌの怒濤の日々が、一人称で語られる。
 原作者のキム・ホシクが、実体験をベースに書いたというこの小説は、絵文字などを駆使した“インターネット体”とでも言うべき文体で、ユーモラスに綴られていく。タイトルにある「猟奇」という言葉は、日本語を解する者ならば、“猟奇殺人”などのおどろおどろしいイメージを抱く場合がほとんどだろう。韓国の辞書にもその語意は、「奇怪なことや物に興味を持って楽しみ訪ね歩くこと。奇怪な、異様な、気味の悪い」などと解説されていた。
 原作者はそんな「猟奇」という言葉を、辞書で引くこともなく、正確な意味も知らないままに、使った。「…ちょっと変わった、常識を外れたという意味で、人間が表現しにくいもの、人間の中の奥深くにあるものを、自然に表現するというような…」意図で。
 このネット小説は当時の若者たちに受け、すぐに爆発的な話題となった。翌2000年には単行本化し、“前半戦”“後半戦”に分けられた上下2巻は、韓国内で10万部以上というベストセラーに。その際にはこの小説が、長く「男尊女卑」の傾向が強かった韓国社会の、新しい潮流を表わしているとの分析が、広く見られたという
 そして出版の翌年=2001年には、映画化に至る。

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 大学生のキョヌはある晩、地下鉄でベロベロに酔った“彼女”と出会った。“彼女”はぶっ倒れる際に、目の前に居たキョヌに、「ダーリン」と呼びかける。そのため周囲の視線もあって、放っておけなくなったキョヌは、仕方なく“彼女”をおぶって近場のラブホテルへ。そこで“彼女”を介抱するも、誘拐と勘違いされ、留置所で一晩過ごすことになる。
 その夜の記憶がない“彼女”に呼び出され、釈明するハメになったキョヌは、どこまでもワイルドな態度の“彼女”に圧倒される。しかし酒が入った途端、「きのう好きな人と別れたの」と、“彼女”は泣き出し、またも気絶。そのため同じラブホで、再び介抱することとなる。
 その日以来、“彼女”の勝手な都合で呼び出されては、振り回される日々を送ることとなったキョヌ。罵詈雑言や暴力に辟易としながらも、次第に“彼女”に惹かれていく。
 “彼女”の誕生日、キョヌは夜の遊園地でサプライズを仕組むが、そこで脱走兵と遭遇。銃を突きつけられ、2人は人質になってしまう。しかし“彼女”の真心の籠もった説得に、脱走兵は投降。2人は救われる。
 翻弄されっ放しのキョヌに対して、曖昧な態度をとり続ける“彼女”。ある夜、親に強制的にセッティングされた見合いの席に、キョヌを呼び出す。そこでキョヌが見せた真心に、“彼女”も大きく心を動かされる。
 同時に“彼女”は、キョヌと出会って以来、隠してきた“秘密”のため、悩み苦しむ。
 お互いへの想いを籠めた手紙をタイムカプセルに入れて、キョヌと“彼女”は、別れることに。2年後の再会を誓って…。

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 本作の脚本と監督を担当したのは、クァク・ジェヨン。独立したエピソードが羅列されるような形で構成されていた原作を脚色し、演出するに当たって、キョヌと“彼女”の感情の流れ、即ち2人の気持ちが段々と変化していく様を、どのように見せるかに腐心したという。
 完成した本作『猟奇的な彼女』は、500万人以上を動員。当時としては、韓国の歴代4位、ラブストーリー映画の歴代№1ヒットとなった。
 ベストセラーに次ぐ、映画の大ヒットで、「猟奇」という言葉は、流行語に。本来の「奇怪な、異様な、気味の悪い」といった意味から転じて、「ちょっと変わってイケている、突拍子もない」といった、前向きな意味合いで使われるようになったのである。

 成功の要因としてまず挙げられるのは、キャスティングであろう。キョヌ役のチャ・テヒャン、“彼女”役のチョン・ジヒョンの2人が、これ以上にないハマり役だった。
 1976年生まれ、映画公開時は25才だったチャ・テヒャンは、放送局のオーディションで芸能界入り。ドラマやバラエティで活躍し、その親しみやすいキャラで売れっ子になった。本作は、映画初主演。
 1981年生まれのチョン・ジヒョンは、高校1年の時に女性誌のカバーガールとなったのをきっかけに、TVドラマに出演するように。99年にCMやMVでブレイクし、2000年には映画の初主演作『イルマーレ』で、百想芸術大賞の新人賞を受賞している。そして19才の時に、本作に臨んだ。
 お人好しのダメ男キョヌ役は、テヒャンにとっては、パブリック・イメージに沿った役どころと言えた。一方でジヒョンは、本作の“彼女”役で、それまでの可憐で清純なイメージを、完全にひっくり返した。
 テヒャンとジヒョンは、TVドラマで共演。ゴルフ仲間でもあり、気心が知れた仲だった。以前にロケ現場でジヒョンの「…意外に男性的な性格で、どちらかというと猟奇的」な側面に触れていたというテヒャンは、本作でジヒョンが“彼女”を演じると聞いて、「絶対ウマくいく」と確信したという。
 この2人のそれぞれの個性と相性の良さを、存分に引き出したクァク・ジェヨン演出も、賞賛に値するだろう。テヒャンの持ち味を引き出すためには、カメラ2台を回して、間とアドリブを重視した。
 ジヒョンが演じた“彼女”という役に関しては、原作をアレンジ。明かせない過去を持ち、心の痛みを持っている女性という設定に変えた。その上でジヒョンには、「強さの中に優雅な部分を持ち、乱暴だけどすごくカワいい」という、二面性のある演技をリクエストしたのである。
 すでに40代で、本作が8年振りの監督作品になるジェヨンに対し、テヒョンは当初、そんな監督が「こんなラブストーリーを撮るなんて、大丈夫か?」と思った。しかし実際に撮影に臨むと、作業すればするほど、「持ち味を引き出してくれる」監督だったと、後に賞賛している。
 ジェヨンの最大の功績は、ラストの改変。原作では、2人がお互いの手紙を入れたタイムカプセルを木の下に埋めたところで、“前半戦”“後半戦”の2部構成の物語は、終幕となる(これは余談だが、原作者も“彼女”のモデルとなった女性とは別れてしまい、別の女性と結婚している…)。
 しかし監督は、「ふたりを再会させてあげたい」と思い、原作にはない、“延長戦”を付け加えた。そして我々は、物語が感動的なラストを迎えた瞬間に、監督がオリジナルの発想で、物語の序盤から伏線を張っていたことを知るのである。
 見事なる換骨奪胎!ベストセラーの映画化作品『猟奇的な彼女』は、こうして社会現象まで引き起こす、成功へと導かれた。

 さて2001年に製作された本作は、韓国では2017年に、時代劇にアレンジしたTVシリーズが制作されて話題になったが、それ以前に日本やアメリカなど国外で、ドラマや映画としてリメイクする試みが相次いだ。しかし概して、失敗に終わっている。
 韓国という風土からの移植がうまく出来ていないのも大きいが、それ以上にチャ・テヒャンが、日本やアメリカには居なかった。ましてや、19歳時のチョン・ジヒョンに匹敵する女優などは…である。
 付け加えれば2016年には、チャ・テヒャンのキョヌが再登場する続編『もっと猟奇的な彼女』が製作されている。こちらは冒頭で前作の“彼女”が頭を丸めて仏門に入ってしまい、失意のキョヌの前に、幼き日の初恋の相手が現れて…というお話。チョン・ジヒョンの不在に加えて、本作の続編にする必要性をまったく感じさせないのが、致命的であった。早々に続編としての存在が、「なかったことにされている」印象である。
 改めて振り返れば、本作『猟奇的な彼女』は、2001年の韓国という時勢にピタリとハマったストーリーと出演者を得た、奇跡的な作品だったのかも知れない。■

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