チャン・ジュナン監督が、本作『1987、ある闘いの真実』(2017)に取り掛かったのは、2015年の冬だった。
 時の最高権力者は、朴槿恵(パク・クネ)。韓国初の女性大統領である彼女は、1963年から79年まで16年間に渡って軍事独裁政権を率いた父、朴正煕(パク・チョンヒ)に倣ったかのような、反動的な強権政治家であった。そしてその矛先は、映画界にも向けられた。
 朴政権下で作成された、「政府の政策に協力的ではない文化人」のブラックリストには、パク・チャヌク監督やキム・ジウン監督、俳優のソン・ガンホやキム・ヘスなどの一流どころが載せられた。それは暗に、「こいつらを干せ」と、政権が指示しているということだった。
 保守政権にとって好ましくない題材を扱った作品は、攻撃対象となった。例を挙げれば、かつて進歩派政権を率いた、故・盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の弁護士時代を、ソン・ガンホが演じた『弁護人』(13)。高い評価を受けて大ヒットしたものの、監督のヤン・ソクウは、公開後多くの脅迫電話を受け、一時期中国に身を隠さざるを得なくなった。
 そんな最中に、韓国の歴史を大きく変えた、「1987年の民主化運動」を映画化するなど、虎の尾を踏む行為。チャン監督も躊躇し、逡巡したという。
 最終的に監督を動かしたのは、2つの想いだった。ひとつは、この「民主化運動」こそが、韓国の民主主義の歴史に大きく刻まれるべきものなのに、それまであまり語られてこなかったことへのもどかしさ。
 もうひとつは、チャン監督に子どもができて、父親になった時に抱いた、こんな気持ち。「自分は次の世代にどんな話を伝えるべきなのか」「世の中に対して何を残すことができるのか」。
 チャン監督は、「民主化運動」のデモで斃れた大学生、イ・ハニョルの記念館を訪問。展示品の中には、警察が放った催涙弾の直撃を、ハニョルが受けた際に履いていた、スニーカーの片方があった。監督はそれを見て、本作を作る決意を遂に固めた。ご覧になればわかるが、このスニーカーは、本作を象る重要なモチーフとなっている。


 事実に基づいた作品は、生存する関係者への取材を行って、シナリオを作成していくのが、定石である。しかし朴槿恵政権下では、そうしたことが外部に漏れた場合、映画化の妨げになる可能性が高い。そのため生存者へのインタビューなどは諦め、新聞など文字情報を中心に、極秘裏にリサーチを進めることとなった。
 それでもこんな時勢の中で、政府に睨まれるのを覚悟で、出演してくれる俳優は居るのか?十分な製作費を、調達できるのか?不安は、尽きることがなかった。
 しかし天が、このプロジェクトに味方した。2016年10月末、朴大統領とその友人である崔順実(チェ・スンシル)を中心とした、様々な政治的疑惑が発覚。いわゆる“崔順実ゲート事件”によって、風向きが大きく変わる。政権に抗議する民衆によって、各地で大規模な“ろうそく集会”が開かれ、朴政権は次第に追い詰められていく。
 その頃から本作のプロジェクトには、投資のオファーが多く寄せられるようになった。こうして製作が軌道に乗ったのと対照的に、翌2017年3月、朴槿恵は大統領職を罷免され、遂には逮捕に至る。
 韓国には、1980年代後半頃の都市の姿が、ほとんど残されていない。しかし巨額の製作費の調達に成功した本作では、大規模なオープンセットを組むことで、この問題を解消。まさに奇跡的なタイミングで、製作することが出来たのである。

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 1987年、「ソウル五輪」の開催を翌年に控えた韓国では、直接選挙での大統領選出など、“民主化”を求める学生や労働者などを中心に、各地でデモが行われていた。それに対し大統領の全斗煥(チョン・ドファン)は、強圧的な態度で抑え込もうとする。
 そんな中、ソウル大の学生パク・ジョンチョルが、警官の拷問で死亡する事件が起こる。元は脱北者で“民主化勢力”を「アカ」と憎悪する、治安本部のパク所長(演:キム・ユンソク)は、当時の韓国では一般的でなかった火葬で、証拠となる遺体を隠滅した上、「取調中に机を叩いたら心臓マヒを起こした」などと虚偽発表。この局面を切り抜けようとする。
 しかし、ソウル地検公安部のチェ検事(ハ・ジョンウ)は、拷問死を疑って早々の火葬を阻む。司法解剖は行われたものの、チェ検事は政権からの圧力で、職を解かれる。
 チェは秘かに、解剖の検案書を新聞社に提供。学生の死因がスクープされ、デモは一段と激しさを増す。同時に政権側の弾圧も、日々強まっていく。
 刑務所の看守ハン・ビョンヨン(演:ユ・ヘジン)は、“民主化勢力”を支援。逮捕されて獄中に居るメンバーと、指名手配中の運動家キム・ジョンナム(演:ソル・ギョング)との連絡係を務めていた。
 そんな彼の姪ヨニ(キム・テリ)は、政治に関心がなく、「デモをしても何も変わらない」と考える女子大生。しかし同じ大学で運動に励むイ・ハニョル(演:カン・ドンウォン)と出会い、彼の誘いであるビデオを見て、衝撃を受ける。それは全斗煥が権力を掌握する過程で民衆の虐殺を行った、1980年の「光州事件」を映したものだった。
 折しも叔父のビョンヨンが逮捕され、ヨニの意識も大きく変わっていく…。

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 1987年当時、日本の大学生だった私は、韓国での“学生運動”の報道に日々接して、いっぱしの興味は持っていたつもりだった。しかしいま振り返れば、「一昔前の日本の“全共闘”みたいだな~」というボヤけた感想しか持ってなかったように思う。
 それを30年後、こんな苛烈且つ劇的な“エポック”として見せられ、大きく感情を揺り動かされるとは!それと同時に、現在の韓国映画の“力”というものを、改めて思い知らされた。リアルタイムで時の権力に抗うかのような内容を、“オールスター・キャスト”で映画化するという行為に、深く感銘を受けたのである。
 本作の製作が軌道に乗ったのは、朴槿恵政権に崩壊の兆しが見えた頃からと、先に記した。しかしそれ以前の段階で、チャン・ジュナン監督のプロジェクトに賛意を示し、出演の意志を示したスター達が居た。
 まずは、カン・ドンウォン。『カメリア』(10)で組んで以来の飲み仲間だったチャン監督が脚本を見せると、「これは作るべき映画だ」と、イ・ハニョルの役を演じることを、自ら志願したという。
 チャン監督の前作『ファイ 悪魔に育てられた少年』(13)の主演だったキム・ユンソクも、いち早く出演を決めた1人。『ファイ』に続いて「また悪役か」と、ユンソクは冗談ぽく不満を言いながら、脱北者から方言を習うなど熱心に役作りを行った。また実在のパク所長に似せるため、前髪の生え際をあげ、顎下にマウスピースを入れたりなどの工夫を行った。
 カン・ドンウォン、キム・ユンソクという2人を早々に得たことが、キャスティングに弾みをつけた。そして、ハ・ジョンウ、ユ・ヘジン、ソル・ギョングといった、韓国を代表する、実力派のスターたちの出演が次々と決まっていく。
 主要な登場人物の中ではただ一人、実在のモデルが居ないヨニ役を演じたのは、キム・テリ。チャン監督は、パク・チャヌク監督の『お嬢さん』(16)を観て、彼女の演技の上手さに注目。実際に会ってみて、「ヨニにぴったり」と、オファーを行った。


 実は劇中でヨニを目覚めさせるきっかけとなる出来事には、監督自身の1987年の経験が投影されている。当時韓国南西部・全州の高校生だった監督は、ある日友人から、「学校の近くで珍しいビデオの上映会がある…」と誘われた。そこで上映されたのは、丸腰の市民が、軍の銃弾によって次々と倒れていく映像だった。
 これは、その7年前の「光州事件」の現場で、ドイツ人記者が捉えたもの。その取材の経緯は、奇しくも本作と同年公開となった、『タクシー運転手 約束は海を越えて』(17)で描かれているが、17歳のチャン・ジュナンにとって、とにかくショッキングな映像体験だった。
 チャン監督は、混乱した。自分の住む街からほど近い光州で、そんな悲劇が起こっていたのを、知らなかったことに。そして大人たちが、その事実を一切語らないことに。
 この“混乱”が本作では、ヨニの感情の動きとして再現されているわけである。
 監督は当時、大学生による大規模なデモをよく目にしていた。時には警察が放った催涙ガスの煙が、授業中の高校の教室に、入ってくることもあったという。
 そんなタイミングで、道徳の時間に討論が行われた。「デモは悪いことだ」という方向に導かれる中で、チャン監督は勇気を振り絞って、“大学生がデモをするのには理由があるのではないか”と疑問を投げ掛けた。その瞬間彼は、教師に睨みつけられるのを感じた。
 1987年のこれらの経験が、本作を実現する“種”になったのかも知れない。監督は、そう述懐している。
 本作で描かれた「1987年の民主化運動」によって、韓国の民衆は、傷つきながらも“民主主義”という果実を得た。それが巡り巡って2017年、文化をも弾圧する朴槿恵の腐敗政権は、新たに立ち上がった民衆によって打倒される。
 機を同じくして、一時危ぶまれた本作の製作が実現に至ったわけだが、公開後、「1987年の民主化運動」に参加した女性が、娘と共に本作を鑑賞した話が、監督の元に伝わってきた。映画が終わった後、娘は涙を流しながら、「お母さん、ありがとう」と、母を抱きしめたという。
 また、こんなレビューも寄せられた。「朴槿恵政権がなぜ文化界を統制しようとしたのか、この映画を見てわかりました。それは映画が与える力がいかに大きいかということを感じたからです」。
『1987、ある闘いの真実』は、まさにこうした“力”を持った作品なのである。■

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