本作『セブン』(1995)のはじまりは、地方出身で、ニューヨーク在住の男が抱いた、鬱屈した思いだった。
「地下鉄に乗ると、不快な強盗やホームレスの実態が日常茶飯事のように目に飛び込んでくる。街を歩けば罪悪なんてものはどこでも目にできる…」「ありとあらゆる不快なものがすべて集中している」
 そんなニューヨークでの暮らしは、「毎日毎日、惨めでしかたがなかった」という、その男の名は、アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー。安物の映画専門の製作会社に勤め、ホラー作品の脚本を何本か手掛けた。
 そんな彼が、1991年に半年以上掛けて、1本のオリジナル脚本を書き上げた。しかし、それを映画化しようという映画会社はなかなか現れず、結果的に4年もの間、たらい回しにされてしまう。
 事が動き出したのは、脚本が、プロデューサーのアーノルド・コベルソンの手に渡ってから。ブルックリン育ちのコベルソンは、「これだけのものを書ける脚本家は何人もいない」と、感銘を受けたという。
 映画化に手を挙げる製作会社も、ようやく現れる。ホラーシリーズ『エルム街の悪夢』(84~)を大ヒットさせたことから、「フレディが建てた家」と呼ばれた、「ニュー・ライン・シネマ」である。流行を見るに敏な「ニュー・ライン」は、『羊たちの沈黙』(91)の成功をきっかけに起こった、“サイコホラー”人気に乗ろうと、ウォーカーの脚本に、3,000万㌦を投じることを決めた。
 そしてコベルソンが監督にと、白羽の矢を立てたのが、デヴィッド・フィンチャーだった。フィンチャーは20代にして、マドンナやローリング・ストーンズなどのMVや数多くのCMを手掛けた後、『エイリアン3』(92)で、劇場用映画の監督としてデビュー。
 リドリー・スコットやジェームズ・キャメロンの後を受けての、人気シリーズ第3作だったが、製作中から数多のトラブルに見舞われた上、批評的にも興行的にも失敗。そのため当時のフィンチャーは、「新たに映画を撮るぐらいなら、大腸がんで死んだ方がマシだ」と、映画界とは距離を置いていたのである。
 フィンチャーはウォーカーの脚本の、「凡庸な警察映画」の側面には、退屈を感じた。しかし、「とても残酷な作品」であることを至極気に入り、どんどんハマっていったという。
 その一方で、疑問を感じた。こんな救いようがない“ラスト”が訪れる脚本を、そのまま映画化なんてできるのだろうか?
 結局は「ニュー・ライン」の責任者に直談判。そのままの脚本でGOサインの言質を取り、劇場用映画復帰を決めたのである。

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 常に雨の降りしきる大都市で、刑事を続けることに疲れ果てた、サマセット(演:モーガン・フリーマン)。定年まであと1週間、赴任したての若手刑事ミルズ(演:ブラッド・ピット)とコンビで、想像を絶する“連続殺人”の捜査を担当することになった。
 はじまりは、極度に肥満した男が、絶命するまで無理矢理食物を食べさせられたという事件。現場には「大食」と書かれた紙が、残されていた。
 その翌日には、金次第で犯罪者の無罪を勝ち取ってきた大物弁護士が殺される。自ら腹の肉を抉ることを強要された遺体のそばには、血で書かれた「強欲」という文字が。
 博学のサマセットはこれらの文字から、キリスト教に於ける、「七つの大罪」をモチーフにした“連続殺人”と看破。「大食」「強欲」に続いて、「怠惰」「肉欲」「高慢」「嫉妬」「憤怒」に則った、“猟奇殺人”が企てられることを予想する。
 そんなサマセットを、ミルズの妻トレーシー(演:グウィネス・パルトロー)が、ディナーに招く。サマセットは改めて、定年までの数日間、ミルズと共に事件の解明に挑むことを決意する。
 そんな彼にトレーシーは、悩みを打ち明ける。この街が嫌いなこと、そして、妊娠したのを夫のミルズにまだ告げられないこと…。
 懸命の捜査にも拘わらず、犯人は“連続殺人”を着実に遂行していく。やがて残された「大罪」が、「嫉妬」と「憤怒」の2つになった時、事件は思いがけない展開となり、2人の刑事は、真の地獄を見ることとなる…。

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 モーガン・フリーマンの起用は比較的簡単に決まったが、ミルズ役にはこれという候補がいなかった。演者としての実力を持ち合わせた上で、決して大作とは言えない総予算から出演料を捻出する必要があったからだ。
 そうした理由から、フィンチャーの第一候補は、ブラピことブラッド・ピットではなかった。しかし彼が本作の脚本に関心を抱いていることを知らされると、フィンチャーは喜び勇んで、紹介してもらうことにしたという。
 ロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』(92)で注目の若手俳優となったブラピは、『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』(94)『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(94)の2本で大ヒットを飛ばして、まさに絶好調。1995年1月には、「ピープル」誌で「最高にセクシーな男性」に選ばれ、スターとしての価値が、ぐんぐんと高まっている最中だった。
 そんなブラピが、『アポロ13』(95)でのトム・ハンクスとの共演を蹴って、正式にミルズ刑事を演じることが決まると、次に待っていたのは、その妻トレーシーのキャスティング。フィンチャーは『フレッシュ・アンド・ボーン 〜渇いた愛のゆくえ〜』(93/日本では劇場未公開)で見たグウィネス・パルトローを考えた。
 ブラピも数ヶ月前に偶然知り合ったパルトローを推しており、わざわざ彼女に電話を掛けて、プロデューサーのコベルソンに会いに来るように誘った。コベルソンも一目でパルトローを気に入ったため、起用はすんなり決まったという(撮影中、ブラピとパルトローは当然のように恋に落ち、結果的には映画の良い宣伝となった)。

 こうしてコマが揃い、いよいよ撮影開始。本作は青空の広がる西海岸のイメージが強い、ロサンゼルスでロケしているのに、人工降雨機まで使って、ほとんどのシーンで雨が降っている。
 これは売れっ子のブラピのスケジュールにも関連してのこと。次回作にテリー・ギリアム監督の『12モンキーズ』(95)が待っていた彼が、撮影に参加できるのは55日間と決まっていた。当時のロスの天気は雨が多かったため、常に雨降りの設定にしたのである。
 またこれにより、ロサンゼルスで撮影しながらも、それとは別の、特定できない都市のように見えるという効果もあった。


 こんなことをはじめ、撮影や編集などで、デジタル技術なども交えて、技巧を凝らすのが、フィンチャー作品。本作でも様々なテクニックが用いられている。
 今回特徴的な例として挙げられるのが、“銀残し”というフィルム現像の際の特殊技法。画面に深みのある黒さと、より明るい白さを創り出して、明暗のコントラストを高めているのだが、撮影監督のダリウス・コンディ曰く、「まるで白黒映画を撮影しているよう」だったという。
 よくヴィジュアル派の代表のように言われるフィンチャーだが、実際は、あくまでもストーリーを盛り立てるために、テクニックを使っているという。本人曰く、「…映画の本質と遊離した、ただただヴィジュアル命のものには絶対にしていない」とまで言い切っている。
 さて本作はいわゆる「衝撃のラスト」が訪れる作品なのだが、それについても、触れなければなるまい。

<この先は本作『セブン』をご覧になってから読むことを勧めます>

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「嫉妬」と「憤怒」を残して、“連続殺人”の犯人ジョン・ドゥー(演:ケヴィン・スペイシー)が、突然警察に自首。残る2つの遺体の隠し場所を、ミルズとサマセットだけに明かすという。
 厳重な警備態勢の中、ジョンに導かれて、ある荒野へと車で向かった2人の刑事。その場に降り立つと、猛スピードで宅配便の車が訪れる。
 運転手はジョンに託されていた小さな荷物を、指定の時間と場所に届けただけだった。中身を確認して、サマセットは唸る。
 それはミルズの妻、トレイシーの生首だった。幸せな家庭を築く夫婦に対して、「嫉妬」の気持ちを以て殺害に及んだというジョン。
 それに対して、「憤怒」の感情を引き出されたミルズは…。

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 先にも記したがフィンチャーは、この「救いようがない“ラスト”」をそのままやることを条件に、本作の監督を引き受けた。実はそれが決まった「ニュー・ライン」への直談判の前に、もうワンクッションがあった。
 フィンチャーはまずは自分のエージェントに、「会社は本当にこの映画を作るつもりなのか?つまり、君はこれを読んだのか?」と問うた。ところがこの時点で、エージェントの読んだ脚本は、フィンチャーが読んだものを改稿したものだと判明。
 それには、“生首”が届く描写などなかった。最後の場面は、トレーシーがシャワーを浴びていると、窓に連続殺人犯が忍び寄るという展開になっていたという。


 これは自分の作りたい映画ではない!そう考えたフィンチャーが、直談判に及んで、元の脚本で映画化することが決まったわけだが、実はその後も、もっと穏当なヴァージョンを模索する動きは、止まなかった。
 実際に製作に入ったところで用意されたのは、3つのパターン。“生首”が到着するところまでは同じだが、その後が違う。
 映画はご覧の通り、ミルズが「憤怒」のままにジョンの頭を撃ち、最後はパトカーで連行されるのを、サマセットが見送るところで終わる。
 これと別バージョンで用意されたのが、サマセットがジョンを撃ち殺すパターンと、ミルズがジョンを撃ち殺したところで、そのままジ・エンドとなるパターン。
 前者は、犯人がミルズの「憤怒」を引き出して目的を果すことに失敗するという、後味の悪さを少しでも緩和するために用意されたものである。しかしフィンチャーもブラピも、当然同意しなかった。
 後者の、より衝撃的なパターンは、フィンチャーの望んだ形。しかし覆面試写の結果、こちらだと、観客が混乱したまま映画が終わってしまうということが明らかになり、却下となった。
 筆者は個人的には、フィンチャー案で最高級の「後味の悪さ」を体感したかった気もするが、それだとさすがに、観客の間で口コミなどが広がらなかった可能性もある。本作『セブン』は、現行のバージョンだからこそ、1995年9月22日、全米2,500館で公開と同時に大きな話題となり、4週連続興収TOPを記録する大ヒットとなったのかも知れない。
 かくして本作で『エイリアン3』の後遺症から抜け出したデヴィッド・フィンチャーは、その後30年近く、アメリカ映画の第一線級監督として、活躍を続けている。ブラピとのコンビ作も、『ファイトクラブ』(99)『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)と続き、いずれも高評価を得ている。
 フィンチャーはブラピについて、『ファイトクラブ』時のインタビューで、「…自分が変わることを恐れない人間との仕事は、いつだって刺激になるよ」と語っている。■

『セブン』© New Line Productions, Inc.