香港では現実でも、潜入刑事によるおとり捜査が頻繁に行われていたという。そのためもあってか、香港のアクション映画やノアール=犯罪映画では、“潜入捜査官”ものが数多く製作されてきた。
 刑事がその正体を隠して、黒社会=マフィアの一員となり、犯罪組織を追い込んでいく。リンゴ・ラム監督、チョウ・ユンファ主演の『友は風の彼方に』(86)などは、あのクエンティン・タランティーノが、長編デビュー作『レザボア・ドッグス』(92)で、丸パクリしたことでも有名である。
 20世紀の終わり近くに、この“潜入捜査官もの”を、新たな切り口で再生することを思いついたのが、アラン・マック。しかしそのアイディアを売り込んでも、香港製警察映画としては、銃撃戦もアクションも「少なすぎる」と、多くの映画会社やプロデューサーから難色を示された。
 2001年になって、アンドリュー・ラウの元に持ち込んでから、この企画は大きく動き出す。ラウは、ウォン・カーウァイ監督作『恋する惑星』(94)の撮影で注目を浴び、監督としても『欲望の街/古惑仔』シリーズ(95〜00)や『風雲/ストーム・ライダース』(98)といったヒット作がある。そのラウが、マックのアイディアに惚れ込んで、プロデューサーを買って出たのだ。
 そこに映画会社のメディアアジアが乗った。製作に正式にGOサインが出たのだ。
 ラウとマック、そしてメディアアジアの目標は、決まっていた。それは従来とは一味違った、「新世紀の警察映画」を作ることだった。
 パクり対策もあって脚本は作らない、撮影現場では、その日の撮影分だけをコピーして配るなどと言われてきた香港映画としては、異例の製作準備が行われた。リサーチも含めると脚本の執筆に、3年もの歳月が掛けられたのだ。
 こうして2002年に撮影・公開されることとなったのが、『インファナル・アフェア』の“第1作”である。中国語での原題は、「無間道」。最も辛い地獄である、絶え間なく続く“無間地獄”を行くという意味である。

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 黒社会のボス、サムの配下であるヤンは、くたびれ果てていた。彼は10年前、警察学校の生徒だった時、その能力を見込んだウォン警視によって、“潜入捜査官”の役割を与えられ、マフィアに潜り込んでいたのである。いつ終わるとも知れないスパイの使命に、ヤンは心身を蝕まれていた。
 一方警察官のラウは、ヤンとは逆に、サムから警察に送り込まれた、“潜入マフィア”だった。捜査情報を流しながらも、警察内で順調に出世の階段を上っていくラウは、愛する婚約者も得て、今ある地位と名誉を、手放したくなくなっていた。
 ある時の麻薬取引をきっかけに、ウォン警視とサムは、自分の組織の中に内通者がいることを、共に気付く。その炙り出しの命を受けたのは、それぞれ当事者である、ヤンとラウだった。
 お互いの正体を知らない2人の運命が、大きくクロスしていく…。

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 “潜入捜査官”と“潜入マフィア”。対称となる存在を配置して、両者の地獄の苦しみを、等分に描いていく。従来の“潜入捜査官”ものの枠を超えた、「新世紀の警察映画」の企画段階から製作に携わった大スターが、アンディ・ラウだった。脚本にも「全面的に参加」したという。
 アンディを含めて、どうせならメインキャストを、“影帝”で固めようということになった。“影帝”とは、主要映画賞での主演男優賞受賞経験者を指す。
 こうして、“潜入マフィア”ラウ役には、アンディ、“潜入捜査官”ヤンには、トニー・レオン、サムにはエリック・ツァン、ウォン警視には、アンソニー・ウォンが決まる。マスコミからは、「破天荒な共演」と騒がれた「4大影帝」の揃い踏みだったが、いずれも脚本を送ったら、即出演OKだったという。
 9年振りの共演ということも話題になった、アンディとトニーに関わる女性キャラとしてキャスティングされたのは、歌手としても活躍する、サミー・チェンとケリー・チャン。また台湾の歌姫エルバ・シャオが、ヤンが別れた恋人役として1シーンのみだが、重要な役で出演している。
 主人公2人の若き日を演じる俳優を選出するのには、大々的な新人オーディションを行った。結果としては、すでに若手スターとして注目の存在だった、エディソン・チャンとショーン・ユーが決まる。


 当時の香港映画界きっての“オールスター映画”となって、当初アラン・マックが単独で監督する予定が、実績のあるアンドリュー・ラウとの共同監督へと変わった。役割分担としては、マックは俳優の演出や、共同脚本のフェリックス・チョンと共に、シナリオをブラッシュアップする方向に尽力。撮影も兼ねたラウは、ヴィジュアル面に力を注いだことになっている。
 しかしアンディ・ラウの証言では、現場では主にマックがモニター前に陣取るのに対し、ラウは俳優に指示を出すなど、実質的な演出を担当。また意見が割れた時の最終決定権は、プロデューサーも兼ねたラウにあったという。
 トニー・レオンはヤン役を演じるに当たっては、かつてジョン・ウー監督の『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』(92)で演じた“潜入捜査官“役と変わらないとしながらも、もうこれ以上続けたくない悩んでいる感じを出し、退廃的に演じてみたという。
 一方アンディ・ラウは、観客は黒社会の手先だとわかっているのに、劇中では警察として、同僚らにまったく怪しまれることなく自然に振舞うという役作りに腐心した。因みに、事前に警察を取材するなどの準備はしなかった。仮に“潜入マフィア”が居たとしても、取材しようがないのだから、確かに事前リサーチは不要であっただろう。

 ダニー・パンとパン・チンヘイによる、ハイテンポの編集もピタッとハマった『インファナル・アフェア』は、2002年最大のブロックバスター作品として、クリスマス・シーズンに公開。興収5,000万香港㌦を超え、2002年度の香港映画全体の売上げの17%を占めるメガヒットとなった。
 こうなると当然、“続編”の動きが持ち上がる。第1作の製作期間からその後日談を描いた脚本が、執筆されていた。それに対してメディアアジアグループの会長ピーター・ラムが、大きく過去に遡る話の映画化を提案。ヤンとラウは、人生のスタートの地点で、いかにして“潜入捜査官”“潜入マフィア”となったのか?ウォン警視とサムは、はじめはどんな仲で、なぜお互いの命を狙うような敵対関係になってしまったのか?
 この構想は具体化。第1作よりも10年遡り、主人公たちの若き日を描く『II』、第1作の前後の顛末を詳らかにする『III』が、第1作とほぼ同じスタッフによって、続けて製作されることとなった。


 第2作である『インファナル・アフェア 無間序曲』(03)のラウとヤン役には、第1作でその若き日を演じた、エディソン・チャンとショーン・ユーが、そのまま起用された。アンソニー・ウォンとエリック・ツァンは続投。そのまま10年若返ってみせた。
 新たに加わったのは、フランシス・ンとフー・ジュン。それにカリーナ・ラウ。
 フランシス・ンは、最大マフィアの若き後継者にして、ヤンの腹違いの兄であるハウ役。ヤンはこうした血筋故に、警察学校に居られなくなり、尚且つ“潜入警察官”として白羽の矢を立てられたのだった。
 フー・ジュンは、ウォン警視の同僚にして親友役。彼に降りかかった災厄があってこそ、ウォン警視のマフィアへの憎悪は深まることとなる。
 そしてカリーナ・ラウは、サムの愛妻にて、若きラウの想い人役。彼女への愛故に、ラウは“潜入マフィア”に志願し、また折々の“裏切り”や“殺し”に対して、躊躇のない者となってしまう。
 この作品の舞台となったのは、1991年、95年、そして香港が、長年の統治者イギリスから中国へと返還される、97年。香港の黄金時代であると同時に、返還を前にした激動の時代である。そんな時の流れの中で、それぞれのキャラクターが負った“業”が複雑に絡み合って、数々の悲劇が生まれていく。
 中国への返還を機に、黒社会から表の世界へと移り住むことを企てるも、夢破れて命を落とすハウが、象徴的と言える。死の間際に、信頼していた“弟”ヤンが、“裏切者”だと気付く。フランシス・ンが見事な表情、見事なキャラ造型で見せてくれる。
 “プリクエル=前日譚”として、まるで当初から構想されたとしか思えない、素晴らしい完成度!『インファナル・アフェア 無間序曲』は、2003年10月の公開と共に大評判となり、多くの観客を集めた。


 そしてその2カ月後、第1作の公開からちょうど1年を経て公開されたのが、『インファナル・アフェアIII 終極無間』。“三部作”の完結編である。
 ネタバレになるが、そもそも“第1作”で、アンディ・ラウの“潜入マフィア”以外の主要キャラは、すべて命を落としている。“前日譚”はともかく、その続きなどどうやって描くのか?それが大いに注目された。
 かつての香港映画ならば、大ヒット作『男たちの挽歌』(86)で命を落としたチョウ・ユンファが、その続編『男たちの挽歌Ⅱ』(87)では、「双子の弟」という設定で、シレッと戻ってきたりする。
 もちろん緻密な構成で編まれた『インファナル・アフェア』シリーズでそんなことをするわけはなく、ヤン、ウォン警視、サムらは、“第1作”に至る数ヶ月前からの攻防に登場。生き残ったラウはそれに加えて、“第1作”の事件の後始末に追われる中で、精神の平衡を崩していく。
 ここで“潜入マフィア”ラウは、自らの合わせ鏡のような存在だった、今は亡き“潜入捜査官”ヤンへと同化していく。ラウの妄想の中で、アンディとトニーの競演が行われる仕掛けだ。そしてラウは、自らの“マフィア”としての本性を消し去り、“警察官”として「善人でいたかった」と思うがあまり、“破滅”へと向かって行くのである。
 この『III』の脚本には、「統括する形で携わっている」という、アンディ・ラウ。精神的にバランスが崩れたラウを演じるに当たって、「3カ月程度」様々なリサーチを行い、その細かい描写に関しては、自らのアイディアに基づいて演じている。
 しかしラウの迎える“結末”は、アンドリュー・ラウ監督が考えたもの。「なんて、残忍な監督なんだろう」と、演じるアンディは思ったという。
 『III』で新たに登場するのは、冷徹なエリート刑事役のレオン・ライと、中国本土から香港に来る麻薬商人役のチェン・ダオミン。この2人が、“生前”のヤン、そして狂っていくラウと関わる、重要な役割を果す。
 記憶や時制を、混乱しかねないスレスレのつながりで積み上げて構成された、『インファナル・アフェアIII』。“三部作”の完結編として、「見事」という他ない仕上がりとなった。そして当然のように、公開と共に大ヒットを記録した。

『インファナル・アフェア』のリメイク権は、当時としての最高記録で、ハリウッドに売れたのは、あまりにも有名なエピソード。レオナルド・ディカプリオとマット・デイモンの主演、マーティン・スコセッシの監督で『ディパーテッド』(06)というタイトルで映画化され、アカデミー賞の最優秀作品賞・監督賞・脚色賞・編集賞と、4部門を制した。 
 また日本でも、西島秀俊と香川照之共演で「ダブルフェイス」(12)というタイトルでドラマ化された。
 “三部作”の製作・公開当時は、中国返還の前後から元気がなくなっていた香港映画の「復活の狼煙」のようにも評された。しかし20年余経って振り返れば、これが「最後の輝き」となってしまった感が強い。
 2003年SARS=重症急性呼吸器症候群によって、大打撃を受けた香港経済。当然映画界の被害も大きく、これ以降に『インファナル・アフェア』並みの製作規模やオールスターキャストを実現するためには、中国本土での公開を前提とした“合作”というスタイルを取る必然性が生じた。
 そうなると中国共産党の検閲の下、いわゆる「表現の自由」が大きく狭められる。“黒社会”に属する主人公が、警察や公安を相手に勝利を収めるような作品は、一切許可が下りなくなったのである。
 そうこうする内に、習近平政権による、昨今の弾圧である。香港から、『インファナル・アフェア』のような、ビッグバジェット且つ革新的作品が生まれるのは、完全な“夢物語”となってしまった。
 付記すれば本作の出演者でも、エリック・ツァンが、ジャッキー・チェンなどど同様に、今や“親中派”の代表的な俳優となったのに対し、アンソニー・ウォンは、2014年の雨傘運動=香港反政府デモを支持して以降は、メジャー作品からは締出されたような形となっている。
 様々な意味で、『インファナル・アフェア』三部作は、香港の「今は昔」のレクイエムのような作品と言えるかも知れない。■

『インファナル・アフェア』© 2002 Media Asia Films (BVI) Ltd. All Rights Reserved
『インファナル・アフェアII 無間序曲』『インファナル・アフェアIII 終極無間』© 2003 Media Asia Films (BVI) Ltd. All Rights Reserved