映画『メンフィス・ベル』は、第二次大戦中の美談を描いている。

実話が、下敷きになっていると聞く。

このメンフィス・ベルとは、戦時中、アメリカ陸軍航空軍に所属していた1機のB-17爆撃機につけられたニックネームである。イギリスにあった基地から飛び立ち、敵国ドイツを空襲する任務についていた。

その機に乗り込んだ、個性的な、しかしごくごく普通のアメリカ青年たちのドラマを描いた青春群像劇である本作を、当チャンネルでは8月15日の終戦の日にお届けする。



1943年、すでにメンフィス・ベル号は幾度もの作戦に参加しており、あと1回でクルーは退役、帰国が許される。しかし、この最後の作戦は熾烈をきわめ、友軍機は敵の対空砲火の弾幕や迎撃戦闘機の襲来で、次々に撃墜されていく。

早く作戦を終わらせてイギリスの基地に帰投したい。そうすれば故郷アメリカに帰れるのだ。だが、死線を越えて到達した爆撃目標のドイツ軍需工場上空は、運悪く、雲に閉ざされていた。

標的を目視確認できない。目標ちかくには民家や学校があるが、そんなことに構ってぐずぐずしていたら命取りになるかもしれないのだ。とっとと爆弾を投下して引きあげたい。早く終わりにしたい。死にたくない…。

その誘惑は強烈だったが、物語の主人公であるアメリカの青年たちは、踏みとどまる。目標上空を旋回し、危険を承知で雲が切れるのを待つ。無辜のドイツ市民を戦火に巻き込む訳にはいかない、という良心に基づいて。


軍の戦略爆撃は、当初、この映画で描かれるような白昼の精密爆撃であった。あくまで敵国の産業基盤や交通の要衝をピンポイントで狙ったのである。

敵国の市街の住宅地を爆撃し、老若男女の一般市民を無差別に殺戮するような非道な真似を、米軍はしなかった。米軍は、日本陸海軍の重慶爆撃やナチスのコンドル軍団によるゲルニカ空襲、さらには同盟国であるイギリス王立空軍によるドイツ都市への無差別爆撃に対してさえ、つねに批判的であった(無論、大編隊が爆弾を湯水のように使う“数撃ちゃ当たる”戦法より、少数部隊が数発の爆弾で目標を過不足なく破壊する方が経済的だ、という打算もあったが)。

映画『メンフィス・ベル』で描かれるのは、このアメリカの良心、このアメリカの正義である。

たしかに、彼らの良心、彼らの正義は、見る者の胸に熱いものをこみ上げさせずにはおかない。実話だというこの美談にふれて、さわやかな感動にひたる。目がしらを熱くする。それこそが、この映画本来の鑑賞法であるには違いない。

だが、映画で描かれた時代のわずか1年半後である1945年、すなわち大戦末期、アメリカは、その良心と正義を、捨てる。

米軍もついに、無差別絨毯爆撃に手を染めるのである。

その歴史的事実も知った上で、我々日本人は、映画『メンフィス・ベル』を鑑賞すべきだろう。



アメリカにはアメリカの言い分もあった。精密爆撃では大した戦果があがらなかったし、また、映画でも描かれている通り、昼間の作戦では自軍の損害も甚大だった。

だから夜間、敵国の市街の住宅地を爆撃し、老若男女の一般市民を無差別に殺戮することで、敵の戦意をくじき、国土を焦土にして戦争継続を不可能ならしめるしかない、との結論にいたったのだ。

映画『メンフィス・ベル』の主人公たちが敵国市民の生命に危険を及ぼすまいとした命がけの努力は、実は徒労だったのである。

死ぬ思いで良心を守り抜いた彼らこそ、いい面の皮だろう。

1945年2月、ドイツの歴史ある都市ドレスデンは瓦礫の山と化し、何万とも十何万とも知れない人々が殺された。これは無差別爆撃の先達である英国王立空軍と、“ルーキー”アメリカ陸軍航空軍との合同作戦だったが、翌3月の東京大空襲は、米軍単独の作戦であった。

米軍は、木造家屋が密集する日本の都市に対し絶大な威力を発揮するだろう「E46集束焼夷弾」をわざわざ開発した。これは爆弾ではなく、“束にした数十本の火炎瓶”のようなものである。投下すると空中で束がほどけ、数十本がバラバラに火の雨のように広範囲に降り注ぎ、それぞれが地上に着弾すると破裂し、中身のネトネトの油脂が燃えさかりながら四方八方に飛び散るのである。ネトネトと粘度がある油だけに、水をかけた程度では容易に鎮火しない。

これを、「火が簡単に燃え広がりそうだから」という観点から選んだ四地点にこれでもかと大量投下した。四隅に火をかけられては、その内側にいる人々は逃げ場を失って、ただ焼け死ぬのを待つばかりとなる。

結果、8万とも10万人ともされる東京都民が焼き殺され、東京の1/3が焼失した。東京の街はドレスデンと違い、瓦礫の山にすらなれなかった。全て焼き尽くされてしまったからである。

この時期のアメリカ陸軍航空軍は、まっとうな軍隊と言うよりは“放火魔団”と呼ぶのが妥当な組織であった。古来、戦争に放火はつきものである。

「兵燹(へいせん)」という古い漢語がある。「燹」の語は野焼きや山火事の際、わざと逆側からも火を放ち延焼を防ぐことを意味し、したがって「兵燹(へいせん)」の語には、戦時、たとえば敵城を丸裸にするといった目的を持って城下町に火を放つ、その結果として起こった火災、といったニュアンスが、僅かながら含まれるように思う。かくして古今、住人が大八車に家財を積んで着の身着のまま逃げまどうといった光景が繰り広げられることになる訳だが、まさにその住人を焼き殺すことをこそ目的として1945年の米軍は東京の四方に放火したのであり、どう控えめに言っても戦争犯罪であることは論を俟たない。

大空襲の2ヵ月後、東京は米軍の空襲標的リストから外された。これ以上もう燃える物が何一つ無くなり、放火のしようがなくなったからである。

そして同1945年、すなわち今から63年前の8月に、ヒロシマ・ナガサキへと、我が歴史上未曾有の惨劇の舞台は移される。


『メンフィス・ベル』は、人間の良心と誠実さを描き、見る者に爽やかで心地よい感動を与えてくれる戦争映画だ。つまりは、美談である。

その感動に水を差すようだが、小生は、あえて水を差さずにはおられない。

『メンフィス・ベル』の物語の延長上に、それもそれからごくごく近い時点に、ドレスデンがあり、東京大空襲があり、また、ヒロシマ・ナガサキがある。

そこでは、この映画の中では一切写されない民間人の幾十万の死体の山が、累々と積み上げられた。

良心と正義を胸に戦った爆撃機の搭乗クルーは、わずか1年半後には、史上にも稀な“大放火魔団”と化した。

戦争が美談で終わることなど、もちろん、あろうはずがないのである。■

(聴濤斎帆遊)

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