舞台は’70年代初頭の南フランス、地中海に面した入江の高級ホテル。シボレーのコンバーチブルに乗ったアメリカ人の中年夫婦が到着する。夫ローランド(ブラッド・ピット)は創作に行き詰まったアル中の流行作家、妻ヴァネッサ(アンジェリーナ・ジョリー)は情緒不安定で不愛想な元ダンサー。会話の節々に愛情の片鱗が垣間見える2人だが、しかし夫婦仲は冷え切っているも同然だ。不器用ながらも関係の修復を試みるローランド。一方のヴァネッサは、彼が自分の体に指一本触れることも許さない。

 かくして、夫は午前中からバーに入り浸って酒をあおり、妻はホテルの部屋に閉じこもってバルコニーから入江を眺めて過ごす。だが、そんなある日、隣の部屋にハネムーンの若い新婚夫婦フランソワ(メルヴィル・プポー)とリア(メラニー・ロラン)がチェックインしたことから、ローランドとヴァネッサの関係に奇妙な変化が生じる…。

 当時、交際9年目で正式に結婚したばかりだったハリウッド最強のパワーカップル、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが、2人の出会いとなった大ヒット作『Mr. & Mrs.スミス』(’05)以来2度目の共演ということで話題を呼んだ『白い帽子の女』(’15)。しかも、妻アンジーが監督と脚本を手掛け、夫婦揃ってプロデュースにも名を連ねるという夢のブランジェリーナ・プロジェクトだ。当然、配給会社ユニバーサルは興行的な成功を期待したはずだが、しかし結果はまさかの大赤字。批評家からもこき下ろされてしまった。さらに追い打ちをかけるかの如く、本作の公開から約1年後にブラピとアンジーは離婚。ある意味、呪われた一本となってしまったのである。

 オープニングとエンディングでカーラジオから流れてくる、ショパンをモチーフにしたジェーン・バーキンの名曲「ジェーンB.~わたしという女」の気だるい歌声とメロディが、ミケランジェロ・アントニオーニさながらの退廃的なアンニュイ・ムードを漂わせる本作。それはまるで、’60~’70年代初頭のヨーロッパ映画のような趣きだ。ビジュアルのイメージはジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』(’63)、作家とその妻のすれ違いを描くストーリーはアントニオーニの『夜』(’61)を彷彿とさせる。

 さらに、ある理由で精神を病んでしまった妻が次第に壊れていく様子は、アメリカン・インディーズ映画の父ジョン・カサヴェネテスの『こわれゆく女』(’74)をも連想させるだろう。実際、カサヴェテスを崇拝するブラピとアンジーは、夫婦二人三脚で映画を作り続けたカサヴェテスとジーナ・ローランズを、自分たち夫婦関係のロールモデルとしていた。いずれにせよ、これは完全にアートシアター向きの小ぢんまりとした芸術映画。なるほど、ブランジェリーナ夫婦を目当てに映画館へ足を運んだミーハーな観客が、なんじゃこりゃ!?と戸惑ってそっぽを向いてしまったとしても全く不思議ではない。初めから需要と供給が噛み合っていないのだ。

 そもそも映画監督としてのアンジェリーナ・ジョリーは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を題材にした長編処女作『最愛の大地』(’11)から、一貫して「非ハリウッド」の姿勢を貫いてきたと言えよう。太平洋戦争で日本軍捕虜となった米兵の実話を描いた『不屈の男 アンブロークン』(’14)は、そのストーリーこそ米国大衆好みの戦争英雄譚だったが、しかしあえてハリウッド映画的なヒロイズムを排除することによって、熱心な人権活動家という側面を持つアンジーらしい人道主義的な視点を備えた反戦映画として仕上がった。

 クメール・ルージュ時代のカンボジアの混沌と恐怖を、家族とともに集団農場送りとなった少女の視点から見つめた最新作『最初に父が殺された』(’17)に至っては、もちろんカンボジアとの合作だからという理由もあるが、全編に渡ってカンボジア人キャストがカンボジア語で演じるという徹底ぶり。日常の延長線上にあるジェノサイドの不条理を丹念に描くリアリズムにも説得力がある。この一般受けをものともしないアンジーの映画作りへの取り組みは、ハリウッド屈指の高額ギャラを稼ぐ大女優なればこその余裕かもしれないが、それでもなおその我が道を行く作家性には強く関心を寄せずにはいられない。

 振り返って、この『白い帽子の女』で描かれるのは、人間誰しもが人生で一度は向き合うことになるであろう「喪失感」だ。’07年に最愛の母親を卵巣腫瘍で亡くしたアンジーは、どうしようもなく深い喪失感から抜け出ることの出来ない時期が続いたという。彼女の母親は元女優ミシェリーヌ・ベルトラン。夫ジョン・ヴォイトの浮気が原因で離婚したミシェリーヌは、女優としての夢を諦めて息子ジェームズと娘アンジーの子育てに人生を捧げた。10代の頃にイジメが原因で鬱状態に陥り、自傷行為やドラッグに溺れた経験を持つアンジーは、そんなどん底の時期を支えてくれた母親に対して、人一倍の強い愛情と絆を感じていたのである。苦労の連続だった母親がなぜ56歳という若さで逝かねばならなかったのか。そのやり場のない悲しみと憤りが、ある出来事が原因で深い喪失感を抱えた主人公ローランドとヴァネッサの夫婦関係に、さらに言えば妻ヴァネッサの不安定な心理状態に投影されていると言えるだろう。

 そんな2人がホテルの隣室に宿泊する若い新婚夫婦と親しくなるわけだが、ここからストーリーは思いがけない方向へと展開していく。幸せの絶頂にある若夫婦の寝室を、ローランドとヴァネッサは壁の穴からこっそりと覗き見するのだ。かつては私たちもあんな風に愛し合っていた。いけないことだと重々承知しつつ、壁穴の向こうの光景から目を逸らすことの出来ないヴァネッサ。その行為を当初は咎めたローランドだが、しかしやがて共犯関係へと転じる。あらゆることに無関心・無気力だった妻が、久しぶりに見せる強い好奇心。そこに、彼は夫婦関係改善の手がかりを感じ取ったのだ。

 実際、この「共通の趣味」をきっかけにローランドとヴァネッサは、お互いにかつての愛情を取り戻していくかのように見える。しかし、ことはそれほど単純ではなかった。やがてヴァネッサの若夫婦に寄せる関心は度を越えた執着へと変わり、やがて彼女の心に潜む深い喪失感が詳らかになっていく。明るい兆しのように思えたヴァネッサの変化は、実のところギリギリで持ちこたえていた彼女の精神がバランスを失った瞬間、つまり崩壊の序曲のようなものだったのだ。

 監督アンジェリーナ・ジョリーの視線は、まるで作り手である彼女自身が主人公たちと一緒になって手探りで答えを見つけ出そうとするかの如く、壊れかけた夫婦の苦悩と葛藤、そして再生までの道程をどこまでも丹念に見つめていく。これは、彼女のほかの作品でも同様だ。『最愛の大地』にしろ、『不屈の男 アンブロークン』にしろ、『最初に父が殺された』にしろ、戦争や内乱といったドラマチックなシチュエーションよりも、その渦中に置かれた人々の心理や感情の変化と成長を細やかにくみ取ろうとする。それゆえに、どうしても彼女の作品は長尺になってしまうのだが、しかし同時にそれが醍醐味でもあるのだ。

 一方で、ほかの作品では空撮によるロングショットを多用することで、被写体と一定の距離感を保とうとするアンジーだが、ここではいつもと違って全体的に寄りの画が多く、本作が彼女にとって極めてパーソナルなテーマを扱った映画であることがよく分かる。よくよく考えれば、恋愛映画というジャンル自体が映像作家アンジェリーナ・ジョリーにとっては異質。そういう意味でも、とても興味深い作品だと思う。

 もちろん、古いヨーロッパ映画の雰囲気をどこまでもリアルに再現した映像の美しさも素晴らしい。母ミシェリーヌがこの時代のヨーロッパ映画が大好きで、アンジー自身も少なからぬ影響を受けたらしい。撮影監督はミヒャエル・ハネケとのコラボレーションンで有名なクリスティアン・ベルガー。照明の代わりに自然光を反射鏡で使った独特の風合いが、時代の空気を見事なくらいに蘇らせている。タイプライターやルイヴィトンの旅行鞄など、ヴィンテージな小道具の使い方も洒落ている。

 オープニングとエンディングを飾るジェーン・バーキンを筆頭に、フランス・ギャルやシャンタル・ゴヤのようなイエイエアイドルから、シャルル・トレネやシャルル・アズナヴールのような王道シャンソンまで、全編に散りばめられた懐メロ・フレンチポップスの数々もレトロな情緒を演出する。まるで、あの時代に本当に迷い込んでしまったような感覚が心地いい。『ベティ・ブルー』(’86)や『カミーユ・クローデル』(’88)の作曲家ガブリエル・ヤレドによる音楽スコアも甘美でノスタルジックだ。ちなみに、劇中で使用される楽曲の大半は’60年代のものだが、しかしイエイエを卒業したシェイラの’74年のヒット曲「Tu Es Le Soleil」や、やはり元イエイエアイドルのジャクリーヌ・タイエブが’79年にリリースした「Petite Fille Amour」が含まれているので、選曲の時代考証はわりとざっくりしているようだ。

 とりあえず、ハリウッドのメガスター、アンジェリーナ・ジョリーの監督作という色眼鏡を外して見て頂きたい佳作。当時アメリカの批評で、「所詮は意識高い系セレブの自己満足映画」という論調が多かったのもそのせいだろう。結局、我々は人生の光も影もありのままに受け入れるしかない、痛みも悲しみも人生の一部として付き合っていくしかない。そんな風に感じさせる穏やかで静かな幕引きがとても好きだ。■

参考資料:「『白い帽子の女』メイキング」(‘15年制作・ビデオ作品)/『偉大なるミューズ:ジーナ・ローランズ』(‘15年制作・ビデオ作品)/「Angelina Jolie on 'By the Sea', Her Wedding and the Sony Hack」(‘15年インタビュー記事・Harper’s Bazaar掲載)/「By the Sea DGA Q&A with Angelina Jolie Pitt and Marc Levin」(‘15年全米監督協会制作・ビデオ作品)