2012年3月、韓国で1本の映画が公開され、“恋愛映画”としては当時の歴代№1ヒットとなった。410万人もの観客動員を記録した、それが本作『建築学概論』である。

 日本では、翌13年5月に公開。韓国のような、特大ヒットとまではいかなかったが、数多の熱烈なファンを生み出した。

 ソウルの建築事務所に勤める、30代中盤の建築士スンミン(演:オム・テウン)。そこにある日突然、大学で同級だったソヨン(演:ハン・ガイン)という女性が訪れる。15年ぶりの再会であった。

ソヨンは、「郷里の済州島に、家を建ててほしい」と、スンミンにオーダーした。彼女の父は病床にあり、余命いくばくもない。そんな父と暮らすための、家である。

スンミンは、設計図を引き建築を進めていく中で、1990年代前半=大学1年の時の記憶が甦っていく。それは甘酸っぱくもほろ苦い、“初恋”の想い出だった。

 建築学科のスンミン(ダブルキャスト=イ・ジェフン)と音楽学科のソヨン(ダブルキャスト=スジ)の出会いは、「建築学概論」という講義。教室に飛び込んできたソヨンに、スンミンは一目で惹かれる。

スンミンの実家とソヨンの下宿先が、偶然近所だったことから、2人は仲良くなる。そして楽しい時を、共に過ごすようになっていく。

CDウォークマンのヘッドフォンを片チャンネルずつ分けて、ヒット曲を聴いたり、近所の廃屋を、2人だけの秘密の城に改装したり。ソヨンの誕生日、ピクニックに出掛けた帰り、スンミンは眠っているソヨンの唇に、そっと口づけをしてしまう。

「初雪の日に会おう」と、指切りまでして交わした約束。しかしそれは、果されることがなかった。不幸な行き違いと幼さ故の臆病から、ある時2人の距離は、決定的に遠ざかってしまうのだった…。

こうした、大学1年時の思い出の描写と、30代中盤に差し掛かってからの再会の物語が、交互に進んでいく。

ヨーロッパなどで上映された際は、大学時代のスンミンに対して、「彼は変態か!?」という疑問の声が上がったという。どう見たって、ソヨンの気持ちが自分にあるのはわかるだろうに、手出しできずにうじうじくよくよする姿が、理解不能だったらしい。

“恋愛”に関しての、彼我の差という他はないだろう。それに対して、韓国や日本の観客の多くにとっては、『建築学概論』の“初恋”の描写は、「あるある」「わかるわかる」というものだった。

私は本作を観た直後、自分が大学1年の時に好きだった女の子のことが、頭に浮かんだ。2人で映画を観に行ったり、公園を裸足で散歩したりといった、想い出と共に。

もう、35年も前のことである。それなのに、彼女の一挙手一投足にドギマギしたことを、今でも鮮明に想い出せる。そして私もこの恋に対しては、うじうじくよくよして、甚だふがいなかった。本作の公開時の惹句、「みんな 誰かの初恋だった―。」が、ただただ胸に染み入る…。

 余談はさて置き、本作で描かれる“初恋”や“青春時代”が、かくもキラキラと輝いて映るのには、韓国という国の風土や歴史も、無視できない。本作の監督・脚本を手掛けたイ・ヨンジュ曰く、「韓国では大学1年生は最も輝いている瞬間」「大学1年生の頃の思い出は、いつも夏の日のよう。すべて美化される」。

 監督は主人公と同じく、90年代前半に大学に通い、「建築学」を専攻している。自らの経験に基づく、実感が籠った言である。

日本以上に厳しい受験戦争を経て、勝ち取った解放感と共に、韓国では大学生になると、高校までは地元中心だった交友関係や活動範囲が、劇的に広がるという。またこの時期は、男性に義務付けられている徴兵まで、幾ばくかの猶予があることも、大きいのであろう。

「90年代前半」という時代背景も、ポイントである。韓国では、軍事独裁政権が長く続いた後、「ソウル五輪」の前年=87年になって漸く、「民主化宣言」が行われた。その後97年12月に、深刻な「IMF危機」に襲われるまでの10年ほどは、多くの若者たちにとって、“青空”が果てしなく広がっていた時代と言える。

もちろん、その時代に“青春”を過ごした者たちの中にも、個人差はある。しかし韓国と同様、長きに渡る“戒厳令”が終わった後、“民主化”された台湾の、90年代の高校生の姿を描いた、『あの頃、君を追いかけた』(11)や、バブル経済の頃の日本の大学生が主人公である、『横道世之介』(13)等々を思い浮かべてみよう。アジアのそれぞれの国で、多くの若者たちにとって“青空”が広がる、希望に満ち溢れた時代を舞台にした青春映画に「傑作」が多いのは、決して偶然ではあるまい。

本作『建築学概論』では、主人公2人がそれぞれ「二人一役」によって演じられる。これもまた、成功の要因となった。

大学時代のスンミンとソヨンを演じた、イ・ジェフンとスジのフレッシュさといったら!製作当時、K-POP女性グループの「miss A」メンバーとして人気を博していたスジだが、この作品の成功によって、「国民の初恋」と言われる存在にまでなった。

一方30代を演じるのは、オム・テウンとハン・ガイン。大学時代のスンミンとソヨンのキャラは引き継ぎつつも、「汚れちまった悲しみに」といったニュアンスも漂わせる、“オトナ”の2人である。

そんな30代の2人が新居の建築を進めていく中で、かつて実らなかった大学1年時の“初恋”を、どう完成させるのか?それが、物語の焦点となっていく。

監督言うところの、「未完の過去を復元する話」というわけだが、大学1年時と30代を演じる俳優同士は、容貌などは必ずしも似てはいない。しかし「二人一役」にしたことによって、結果的には主人公たちの15年という歳月の隔たりが、効果的に表現されたのである。

イ・ヨンジュ監督本人も、大学卒業後に建築士となった。そして10年間働いた後に、映画界入り。スタッフとして、ポン・ジュノ監督に就いた。

監督が、『殺人の追憶』(03)の現場スタッフを務めていた頃には、すでに本作の脚本は書き上がっていたという。本来はこれを初監督作としたかったのだが、様々な映画会社に企画を持ち込む度に、物語の結末を、はっきりとした「ハッピーエンド」に改変することや、内容をもっと「説明的」にすることを要求され続けた。

そのため、映画化の実現までは時間が掛かり、2009年には、別の企画で監督デビューとなった。最初に書いた通りのエンディングを支持してくれる会社に出会い、『建築学概論』が完成に至るまでには、実に10年もの歳月が流れたのである。

本作について監督が、「未完の過去を復元する話」と言っていることは、先に記した。監督のプロフィールや製作の紆余曲折を見ると、本作を作り上げることは、監督本人にとっても正に、「未完の過去を復元する話」だったのであろう。

念願かなって、望んだ形での映画化が実現し大成功を収めた後、暫しの沈黙が続いたイ・ヨンジュ監督。今年=2020年に、8年振りの新作として、パク・ボゴムとコン・ユが主演した『徐福』が、韓国で公開される予定となっている。

『徐福』は、人類初のクローン人間を追って、彼を掌中に収めようとする、幾つかの勢力が争う内容と伝えられている。きっと『建築学概論』とはまったく違った、新たなステージを見せてくれるであろう。

それはそれで大いに期待しながらも、いま改めて、『建築学概論』という作品を作ってくれたことに対して、イ・ヨンジュ監督に大きな感謝を示したい。過ぎ去った青春期の、燦然と輝く多幸感と、あの頃に残してきた、傷ましくも眩い、後悔の念。本作を観る度に、それらがセンチメンタルに蘇ってくる。

懐古主義と、笑うなかれ。ひとは振り返れる過去があるからこそ、前に向かって歩んでいけるのだ。■

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