アメリカの西部劇や日本の時代劇と同じように、中華圏の映画には“武侠もの”という、伝統的なジャンルがある。それは、1920年代に中国で初めて製作され、60年代後半から70年代前半にかけては、イギリス統治下の香港で隆盛を極めた。

 中国を舞台に、剣の達人たちが超能力のようなパワーを発揮し、宙を舞ってチャンバラを繰り広げる。伝統のワイヤー・アクションに、近年はCGやVFXも駆使されて、中国大陸では、“武侠もの”のTVドラマ大作シリーズの製作も、盛んに行われている。

 そんな“武侠もの”を、中国映画界の巨匠チャン・イーモウ監督が初めて手掛けたのが、『HERO』(2002)。それに続く、イーモウの“武侠もの”第2弾が本作、2004年に公開された、『LOVERS』である。

 本作が、『HERO』の興行的な成功を受けて成立した企画というのはもちろんだが、それだけではない。様々な側面から見て、イーモウにとっては、このタイミングに撮らなければならなかった。そしてこのタイミングでなければ、撮ることが出来なかった作品のように思える。

西暦859年。唐の大中13年―

 凡庸な皇帝と、政治の腐敗で各地に反対勢力が台頭。

 その最大勢力「飛刀門」は貧者救済で支持を集めた。

 朝廷は飛刀門の撲滅を命じ、県の捕吏と飛刀門の死闘が続いていた…。

 捕吏のリウ(演:アンディ・ラウ)とジン(演:金城武)が目を付けたのは、遊郭の踊り子である、シャオメイ(演:チャン・ツィイー)。生まれつき盲目ながら、見事な舞いを見せる彼女は、「飛刀門」の前頭目の娘と思われた。

 「飛刀門」の本拠地を探るため、リウとジンは、シャオメイを罠に掛ける。リウが捕えたシャオメイを、無頼の徒を装ったジンが、救出。2人は、逃亡の道行きとなる。

 リウは2人の後をつけて、道々でジンと連絡を取り合う。その際にリウは、「シャオメイに、本気になるなよ」と、ジンに何度も釘を刺すのであった。

 しかしこの逃亡劇には、幾重もの謀が張り巡らされていた。ジンの正体を知らない、朝廷からの追っ手も掛かり、絶体絶命の窮地に陥る中で、ジンとリウ、そしてシャオメイ、2人の男と1人の女の運命は?

 「北京電影学院」での学友チェン・カイコー監督の『黄色い大地』(84)『大閲兵』(85)などで撮影を担当したのが、中国映画界に於ける、チャン・イーモウのキャリアのスタートだった。その後、『古井戸』(86)に主演。俳優としての演技も経験してからの1987年、初監督作の『紅いコーリャン』を発表した。

この処女作から、自らが見出した女優コン・リーをヒロインに、中国の近代から現代までを舞台にした様々な“人間ドラマ”を手掛ける。そしてイーモウは、「ベルリン」「ヴェネチア」「カンヌ」などの、国際映画祭を席捲する存在となっていった。

 妻子持ちのイーモウにとって、不倫の関係であった、コン・リーとの二人三脚は、『活きる』(94)で一旦解消となる。その後の作品も含めて、90年代までのイーモウ作品には、“アクション”のイメージはほとんどない。それ故に21世紀を迎えて、“武侠もの”である『HERO』を手掛けた際は、大きな驚きを持って迎えられた。

 『HERO』は紀元前の中国、戦国時代を舞台に、英語タイトル通りに、ジェット・リーが演じる男性剣士を主人公とした物語。彼は、“義”に生きて“義”に死んでいく…。

 一方『LOVERS』の主要登場人物3人は、“義”よりも“愛”に生きる。そして、“愛”に流されて“愛”に滅ぼされていく…。

 『恋する惑星』(94)『天使の涙』(95)といったウォン・カーウァイ監督作品でスターになった金城武は、ちょうど30代に突入した頃。一方80年代後半より“四大天王(香港四天王)”と言われ、TOPスターとして走ってきたアンディ・ラウは、21世紀を迎えて、『インファナル・アフェア』シリーズ(02~03)が大ヒットとなった直後であった。それぞれにとって『LOVERS』は、キャリアのピークに近い頃の出演作と言える。

しかし本作の眼目は、やはりチャン・ツィイーにある!コン・リーがイーモウの元を去った後、『初恋の来た道』(99)のヒロインとして、イーモウに発掘された彼女にとって『LOVERS』は、『HERO』に続く、イーモウ作品3本目の出演。この頃のツィイーは、正にイーモウ監督のミューズと言える存在だった。

ここで注目すべきは、『初恋の来た道』の直後に、ツィイーが出演した作品である。それはアン・リーが監督した“武侠もの”『グリーン・ディスティニー』(00)。

この作品はアメリカをはじめ、各国で大ヒットとなった。そして中国語作品でありながら、本家「アカデミー賞」では、作品賞はじめ10部門でノミネート。その内、撮影賞、美術賞、作曲賞、そして外国語映画賞の4部門で、見事に受賞を果した。

 台湾出身のアン・リーによる“武侠もの”が、世界的な大評判となったことが、イーモウのハートに火を付けたことは、想像に難くない。“武侠もの”を手掛けることはイーモウ本人が言う通りに、以前からの「念願」であったのかも知れない。しかしそれ以上に、中国を代表する監督として、アン・リーに後れを取ったままではいかないという、強烈な意識があったかと思われる。

 イーモウの自負心の源は、氏育ちと関係あるだろう。彼の父親は、蒋介石率いる「国民党」の軍人だった。「国民党」は国共内戦に敗れ、台湾へと逃避したわけだが、イーモウの父は、中国に残った。そのため「中華人民共和国」成立後、「中国共産党」支配の下でイーモウの一家は、“最下層”の生活を余儀なくされた。

 評論家の川本三郎氏のインタビューに応え、映画を志した理由を、イーモウは次のように語っている。

~率直にいって映画が好きだったから北京電影学院に行ったわけではありません。私にとって、国民党の軍人の子どもという境遇から抜け出すことが大事だったんです。だから体育大学でもよかった…~

~よくインタビューで「いつから映画に惹かれたか」と聞かれるんですが、答えようがないんですよ。映画でも体育でも美術でも、自分の境遇を変えられるものだったらなんでもよかったんですから。たまたま、それが映画になっただけなんです。~

~映画が私の人生を変えたのではなく、私は生きのびるために人生を変えていったんです。それが最終的に映画監督という道につながったんです~

 一瞬、映画へのこだわりが、実は薄かったのかと、勘違いさせかねない物言いだ。いや、そんなことはないだろう。“映画”の才能こそを最大の武器にして、成功者となったわけである。“映画”こそ、イーモウの生きる術に他ならない!

 近年のイーモウが、2008年の「北京オリンピック」開会式の演出を手掛けたり、“南京大虐殺”を取り上げた『金陵十三釵』(11/日本未公開)を撮ったことなどを指して、“国策監督”と揶揄する向きも少なくない。それを否定する気は毛頭ないが、彼が生半可な道を歩んで、ここまでのし上がってきたわけでないことは、覚えておいた方が良い。

 建国の父・毛沢東の誤った政策であり、イーモウ自らも青春期に悲惨な目に遭った、「文革=文化大革命」の時代を取り上げた監督作品である『活きる』が、中国国内では「上映禁止」の憂き目に遭ったこともある。それにも拘わらず、「文革」の時代に振り回される庶民の物語を、『初恋のきた道』『サンザシの樹の下で』(10)『妻への家路』(14)と、折に触れては繰り返し映画化する辺り、たとえ“国策監督”であっても、凡庸ならざる存在である。

アン・リーの『グリーン・ディスティニー』は、「中国を代表する監督」という、イーモウの自負心を刺激しただけには、止まらなかったと、私は見る。自らが手塩に掛けたチャン・ツィイーの、“アクション女優”としての魅力を、先に引き出されてしまったことも、彼を“武侠もの”の実現へと、大きく動かすことになったのであろう。

イーモウとツィイーの関係は、とかく噂になっていたが、実際に「男女の仲」だったのかどうかは、寡聞にしてわからない。だが映画監督という立場からは、ツィイーがイーモウにとっては、「俺の女」という存在であったのは、間違いなかろう。

とにかくイーモウはツィイーで、“武侠もの”を!それも、『グリーン・ディスティニー』を超える作品を、どうしても撮らなければならなかったのではないか?

 とはいえ『HERO』は、先にも挙げたように、ジェット・リーが主演の“英雄”の物語である。脇を固める、トニー・レオン、マギー・チャン、ドニー・イェンら中華圏の大スター達と、ツィイーも同格の活躍を見せるものの、彼女がヒロインというわけではない。

 この作品を経て、本作『LOVERS』へと行き着くわけだが、先に述べた通り、主要な登場人物たちの方向性は、『HERO』とは180度転換。“義”よりも“愛”を選ぶ者たちとしたのは、正にヒロインとしての“ツィイー”の魅力を、最大限に引き出すための仕掛けと言えるだろう。

 またツィイー演じるシャオメイは、遊郭の踊り子として登場するわけだが、これもまさに、彼女のための設定。8歳から舞踏を始めたツィイーは、11歳から「北京舞踊大学附属中学」でダンスを学び、14歳の時には「全国桃李杯舞踏コンクール」で演技賞を受賞している。そんな彼女の実力と魅力を存分に見せる舞いが、本作序盤の大きな見せ場となっているのである。

 それにしてもイーモウの、『グリーン・ディスティニー』への対抗意識の激しさたるや!ジンとシャオメイを狙って、朝廷の兵士たちが“竹林”の上方から攻撃を仕掛けるシーンがある。これはキン・フ―監督の『侠女』(71)という、伝説的な“武侠もの”へのオマージュであるのだが、『グリーン・ディスティニー』にも同様に、『侠女』へのオマージュとして、“竹林”での戦いのシーンがある。イーモウ監督は、「アン・リーよりも凄いシーンを見せてやる」とばかりに、敢えて“竹林”を舞台に、物量を以って驚くべき戦闘シーンを作り出している。

 さて結果的に『LOVERS』は、『グリーン・ディスティニー』を超えることが出来たのか?本作でのツィイーは、アン・リー作品よりも魅力的に映っているのか?それに関しては、世評や興行の結果はさて置いて、観る者の判断に委ねたいと思う。

 いすれにせよ最初に記した通り、イーモウにとって本作は、このタイミングに撮らなければならなかった。そしてこのタイミングでなければ、撮ることが出来なかった作品だったのである。

 『LOVERS』は今のところ、イーモウがチャン・ツィイーと組んだ、最後の作品となっている。それから14年経って、イーモウが久々に手掛けた“武侠もの”第3弾『SHADOW/影武者』(18)の出演陣に、ツィイーの顔はない。

 『LOVERS』は唯一無二のタイミングで、イーモウが渾身の力を振り絞って、自らのミューズの輝きを、最大限に引き出さんとした試みだったのだ。■

『LOVERS』(C)2004 Elite Group(2003)Enterprises Inc.