本作『殺人魚フライングキラー』(1981)は、正しく“ジョーズもの”というジャンルに分類されるべき作品である。
 何だ“ジョーズもの”って!?…などと声が飛んできそうだが、映画史に於いては、いわゆるメガヒット作を軸にして、度々こうしたジャンルが生まれてきた。“エクソシストもの”“マッドマックスもの”“エイリアンもの”“ランボーもの”“ターミネーターもの”“ジュラシック・パークもの”…。ああキリがない。
 もちろん“オカルト映画”“SF映画”“戦争映画”などと、正統的なジャンル分けの区分もある。しかし敢えて“エクソシストもの” “ランボーもの”といった呼称を使いたくなるのは、メガヒット作に雲霞の如く群がり、そうした真っ当なジャンル分けを無効化してしまうほど、バッタもん、パチもん度が強い映画群である。

“ジョーズもの”に、話を戻そう。スティーヴン・スピルバーグ監督の出世作で、人喰いザメと人間の対決を描いた『ジョーズ』(75)は、『ポセイドン・アドベンチャー』(72)『タワーリング・インフェルノ』(74)『大地震』(74)『エアポート』シリーズ(70~79)等々、1970年代を席捲した“パニック映画(ディザスター・フィルム)”ブームの中に連なりながらも、新たに“動物パニック映画”というジャンルを確立した作品である。
 そして大量の、“ジョーズもの”が世に送り出された。…と言うか、公開から45年経った今も、送り出され続けている。
 ストレートに人喰いザメが登場する作品も多々あるが、その他の水棲生物を主役とする、バッタものも枚挙に暇がない。シャチ、タコ、イカ、ワニ、ピラニア…。シャチのように元々堂々たる体躯の持ち主は別にして、その他は何らかの理由で、“巨大化”や“凶暴化”している場合が多い。
 ちょっと、前置きが長くなった。本題の『殺人魚フライングキラー』が、なぜ「正しく“ジョーズもの”なのか」を、ストーリーを紹介した上で、解説していきたい。

 カリブ海に浮かぶ、リゾートアイランド。スキューバダイビングも、大きな観光資源となっており、沖に眠る沈没船は、格好のスポットとなっていた。
 ある夜、ダイビングに勤しむカップルが、“水中セックス”とシャレ込む。ところがそこに現れた魚群によって、2人の身体は見る影もなく、切り裂かれてしまう…。
 海洋生物学者のアニーは、ダイビングのインストラクターで、生計を立てる1人。島の保安官である夫スティーブとうまくいっておらず、一人息子のクリスと、雇用主のホテルの一室に住み込ませてもらっていた。
 ダイビングツアーの客の中に、アニーの指示に従わず、立ち入り禁止の沈没船内に勝手に入る者が居た。アニーが探すと、その客は、メタメタに喰いちぎられた死体となって発見される。
 殺人魚の正体を調べるべく、アニーは、自分に言い寄る男タイラーを連れ、犠牲者の死体が収容された安置所に忍び込む。傷口などの写真を撮って、ホテルに戻ったアニーは、その夜タイラーと結ばれる。
 一方で安置所の死体からは、急に殺人魚が飛び出して、その場に居た看護師が犠牲となる。殺人魚はそのまま空を飛び、逃げ去るのだった。
 殺人魚の正体は、アメリカ軍がベトナム戦争用に開発した、陸で産卵するグルニオンとトビウオをかけあわせた、生物兵器だった。運搬の際のミスで、その卵が海底に沈み、やがて孵ると、沈没船を根城にしたのだった。そしてタイラーの正体は、殺人魚の開発に関わった1人だった。
 ヨット遊びを楽しむ者などが、次々と殺人魚の犠牲になっていく。そんな中でリゾートホテルの最大の売り物イベントである、グルニオンの産卵を見て楽しむ、ガーデンパーティの夕べが迫る。
 アニーはホテルの支配人に、イベントを中止するように説得を行うが、儲け優先の支配人は、聞き入れない。それどころか、アニーをクビにしてしまう。
 やって来たイベントの夜、海岸などで産卵シーンを待ち受けていた観光客たちに向かって、殺人魚の大群が飛来。海水は血で、真っ赤に染まる。息子を殺人魚に殺され、復讐に燃えていた漁師のギャビーも、犠牲者の一人となった。
 意を決したアニーは、殺人魚の巣となっている沈没船を、ダイナマイトで吹き飛ばす作戦に乗り出す。彼女はタイラーや夫のスティーブの協力を得て、海へと潜っていくが…。

 冒頭の“水中セックス”のシーン。早々に「死亡フラグ」が立つバカップルに、主観カメラが迫っていくシーンから、『ジョーズ』のオープニングを劣化コピーした、正しく“ジョーズもの”の展開となる。
 主人公が“殺人魚”の脅威を訴えるのを無視して、犠牲者を増やしてしまうのは、わからず屋で強欲な人間。これも“ジョーズもの”には、欠かせない要素と言える。
 極めつけは、メインのキャラクター配置。保安官のスティーブに、海洋生物学者のアニー、漁師のギャビー。これは正に『ジョーズ』の、ブロディ警察署長、海洋生物学者のマット・フーパ―、サメ捕り漁師のクイントの陣形を模したものである。ただ本家のように、3人で船に乗り込んで、激闘を繰り広げるわけではない。『フライングキラー』の3人の動きはバラバラで、しかも漁師は陸上で、噛み殺されてしまうのだが。
 忘れてならないのは、アニーの浮気である。実は『ジョーズ』の原作には、ブロディ署長の奥さんとマット・フーパ―が不倫をする描写がある。天才スピルバーグが「タルい」と判断して、映画からはぶった切ってしまったその要素を、『フライングキラー』では、わざわざ再現している。正にバッタもんの面目躍如だ。

 さて“ジョーズもの”に限らず、こうしたバッタもん映画の代表的な作り手と言えば、偉大なる“B級映画の帝王”ロジャー・コーマンの名が挙がる。そして製作国で言えば、やっぱりイタリアだ。マカロニウエスタンを代表に、あらゆるジャンルのバッタもんを世に送り出してきた実績がある。
『殺人魚フライングキラー』は、原題に“Piranha II”と入ることでもわかる通り、本作の3年前にロジャー・コーマンが製作総指揮を務めた、『ピラニア』(78)の続編である。そして本作は、前作でもプロデューサーを務めたコーマン門下のチャコ・ヴァン・リューエンこと筑波久子が、今度は主にイタリア資本で製作した作品なのである。

 そんなこんなで、『フライングキラー』がいかに正しく“ジョーズもの”であるかは、おわかりいただけたかと思う。しかしもう一つ、絶対忘れてはならないことがある。それは本作が、あのジェームズ・キャメロンの商業映画監督としてのデビュー作であるということだ。
 若き日のキャメロンは、機械工やトラック運転手などをしながら、大学で物理学を学んだ後、初めて監督した35mmの短編映画が認められて、ロジャー・コーマンの門下となった。そこで映画に関する技術全般を、実地で学んだのである。
『フライングキラー』は、当初はやはりコーマン門下の別の者が監督を務めていた。ところがその者がクビになったため、急遽キャメロンに、白羽の矢が立てられたのである。

 キャメロンにとって、この処女作がどんな位置にあるかについては、彼と交友が深い、小峯隆生氏の著書に詳しい。
 キャメロンが、監督作『アビス』(89)のキャンペーンで来日した際に、小峯氏は初対面で彼と意気投合し、他の者も交えて新宿に飲みに行った、その際のエピソードだ。

~友達がこの映画のファンだと告げたら、ジムは「もう一回、見てみろ。エンド・タイトルロールから俺の名前は消えている」と。その瞬間、この人の前でこの映画の話は禁句だと気づいた~

 急遽監督に雇われたキャメロンが、ロケ地のジャマイカを訪れると、現場は英語が通じない上に、やる気もないイタリア人スタッフばかり。しかも超低予算のため、衣装代が出ず、出演者たちは私服を着て、撮影に臨んでいた。
 また撮影に使う“殺人魚”は1体しか出来ておらず、しかも造形が酷かったため、キャメロンは自ら徹夜して、あと3体作ることになった。その際には保安官のスティーブ役で、キャメロンの友人だったランス・ヘンリクセンが手伝ったと言われる。
 そんな苦労をして、本編を粗方撮り終えると、「もういいや」と、キャメロンは監督をクビになった。彼が現場を仕切ったのは、僅か5日間とも2週間とも言われている。
 頭にきたキャメロンは、クレジットから名を外すように、イタリア側に申し入れる。しかしアメリカ市場向けには、アメリカ人らしい名前の監督が必要という理由で、断られてしまう。
 キャメロンは本作を、蛇蝎の如く嫌っており、実質的に己のフィルモグラフィーから消し去っている。それには、十分な理由があったのだ。

 とは言え、やはり監督第1作ということもあって、本作には後のキャメロン作品に登場する要素が、散見される。例えば水中シーンには、『アビス』や『タイタニック』(97)に通じるものが感じられるし、沈没船の中で“殺人魚”から逃れようと、アニーとタイラーが狭いダクトの中を進むシーンは、もろに『エイリアン2』(86)である。
 更に言えば、実は本作に関わらなければ、キャメロンの出世作は生まれなかったかも知れないというエピソードがある。こちらも件の小峯氏の著書より引用する。

~イタリアでクビになり、ホテルで、ふてくされて寝ていたら、赤い目をした銀色のピラニアがどこまでも追いかけてくる悪夢を見た話を聞いた。すぐに閃いたアイディアが、ターミネーターの元になったんだ、と。~

 キャメロンが『ターミネーター』(84)の製作に取り掛かった際、当初悪役のターミネーター=殺人アンドロイド役は、ランス・ヘンリクセンで、シュワちゃんことアーノルド・シュワルツェネッガーは、ターミネーターと戦う、正義の戦士カイル・リース役の候補だった。しかしこの件で、キャメロンとシュワルツェネッガーがランチをした際に、役を変えて、シュワちゃんがターミネーターを演じるという、発想の転換が行われたのである。
 実はこの時、キャメロンは一文無し。出演交渉で会ったのにも拘わらず、その場の勘定は、シュワちゃん持ちだったという。
しかしそんな出会いが、シュワちゃんに生涯の当たり役をもたらし、彼をスーパースターの座に押し上げた。そしてキャメロンも、世界一のメガヒット監督への第一歩を踏み出すこととなった。
 それもこれも、『殺人魚フライングキラー』の屈辱があってのことと知れば、本作の鑑賞もまた、趣深いものとなるであろう。■

『殺人魚フライングキラー』© 1981 CHESHAM INV. B.V.