ザ・シネマ 飯森盛良
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COLUMN/コラム2020.02.14
北の野人が壁を越え、王都を占領し鉄の玉座に就いて七王国を統べる。その統治の終焉を描く『ラストエンペラー』
『ラストエンペラー』公開時、筆者は小学校卒業まぢか。日本社会が大騒ぎになっていたことを覚えている。87年度アカデミー賞で作品賞・監督賞以下9部門を総ナメにし、特に作曲賞を坂本龍一が受賞すると、社会現象に近い興奮になっていった記憶がある。今でもそうだが「ニッポン凄い!」、「世界が絶賛!」といった他者評価にめっぽう弱い国民性。まして当時のこと。これほどの晴れ舞台で日本人が顕彰されては、国民的な熱狂もいたしかたない。 坂本龍一は作曲家として第60回アカデミー作曲賞を他の2人と共同で受賞したが、実は役者としての参加が最初に決まっており、作曲のオファーは後からだったそうな。役者としては甘粕正彦役を不気味に演じている。甘粕は最後は満洲映画協会のトップに収まった“映画業界人”だが、その前は満洲国建国のための陰謀に暗躍した人物。さらにその前、憲兵だった頃の関東大震災では、反体制思想家カップルを締め殺したりもしている。異様な凄みをみなぎらせているのは、そのため。 昭和62年夏、金曜ロードショーで『西太后』がオンエアされた。筆者の仲の良いクラスメイトたちは全員TV洋画劇場を見ていた。西太后のライバルの側室が、両手両足を切断され甕の中に首から下を押し込まれて飼い殺しにされる、というシーンの話題で、週明けの教室は持ちきりになる、そんな時代だった。年が明け昭和63年の正月第2弾として『ラストエンペラー』が劇場でかかり、第60回アカデミー賞の発表を挟んで、春にはスピルバーグ『太陽の帝国』が公開された。なぜか“あの時代”の“あのあたり”が盛り上がっていた昭和の末頃だった。 当時は、“あの時代”の日本の侵略や戦争は良くなかった、という反省が、まだ戦後の良識として日本国民の間で当然に共有されていた。“あの時代”を生きて酷い目に遭った世代(筆者の祖父のような)もいまだ健在で、逆に、『ラストエンペラー』にせよ『太陽の帝国』にせよ、特に説明がなくともむしろ日本人こそ当事者として欧米人以上にバックグラウンドを理解しやすかったはずだが、今やあれからさらに30年以上がたって、“あの時代”を知る世代も減り、小6の小僧は45歳の中年になり、世代は入れ替わった。改めて、“あの時代”に何が起こったのか、むしろ映画の外側にある出来事を確認しておく必要が、今となってはありそうだ。 『ラストエンペラー』とは、もちろん秦の始皇帝(The First Emperor)との対比であって、中華帝国最後の皇帝の生涯を描いた歴史ドラマである。それは、映画を見れば解る。中学生でも解る。筆者は中学に上がってTV放映された際にこの映画を初めて見たが、そこまでは解った。解らないのは、この中華皇帝が実は中国人であるのかどうだか微妙、という、複雑な歴史的背景だ。そのバックグラウンドまで理解していないと、この映画のシーン・シーンで何が起こっているのかまで付いていけない。以下、映画と無関係なような話が続くが、ご勘弁ねがいたい。映画を理解する上で必要な情報だ。 中国共産党の全面支援のもと、かつての紫禁城こと故宮博物院でロケを敢行。3度のアカデミー撮影賞に輝く撮影監督ヴィットリオ・ストラーロにより、明・清2王朝の皇宮が鮮烈な色彩美と深い陰影でとらえられた。なお故宮の「故」とは、「故事」「故郷」と同じく「昔の、古い」という意味で、つまり「元宮殿」という意味。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 異論の余地なく中国人(漢民族)による中華帝国であったのは、『ラストエンペラー』の清朝の一つ前、明朝だが、後期その支配が緩んだところで、今の中国東北部、北朝鮮の上のあたりに、清は興った。いや、まだ清とは呼べない。「女真族」という民族が強大化して、後に清国を建国するのだが、その頃はまだ女真族と呼ばれていた。彼らは中国人(漢民族)ではない。中華化していない外側の土地(「化外の地」)に暮らす、北方の異民族なのだ。 女真族は500年前にも「金」という帝国を築き、中国の上半分を支配する形で中国史に登場したこともあったが、モンゴル帝国(後の元朝)によってこの金朝は滅ぼされてしまう(1234年なので覚えやすい)。蒙古襲来の時に日本に押し寄せてきた蒙古軍の中には、モンゴル人、中国人、高麗=朝鮮人だけでなく金朝の遺民である女真族も含まれていたというから、彼らは鎌倉時代に一度、我が日本と因縁があったということになる。20世紀初めの『ラストエンペラー』の時代まで続く、中国、蒙古、朝鮮、女真(後の満洲)、日本という主要プレイヤー“五族”が、遠い鎌倉時代の元寇の時点ですでに一度出揃っていたのだ。 元が衰退した後は、元の後を襲った明朝の間接支配下に甘んじてきた女真族だが、次第に勢力を盛り返し、今度は明が弱体化すると再び天下を狙って動きだし、初代皇帝の時にジンギスカンと同じ「カン(遊牧民の首領)」の称号を名乗り、「後金」の国号も蘇らせた。 さらに2代皇帝の頃には、元朝から伝来する正統な大元帝国の後継国の証しである国璽をモンゴル系部族から献上され、モンゴル諸部族を糾合して正式にカンに押し立てられる(女真族はモンゴル系でも遊牧民でもないのに)。これにより元朝は名実ともに消滅。ここで後金は国号をさらに「清」へと変更し、部族名も女真族から「満洲族」に改めた。満洲は「マンジュ」と発音し、文殊菩薩の「文殊」のことで、聞こえのいい響きだった。こうしてモンゴル帝国≒元朝の後継国となった上で、北方(今の中国東北部、北朝鮮の上のあたり)から万里の長城を越境して、中華帝国・明への侵犯を繰り返すようになる。 3代皇帝とその後ろ盾の叔父の代に、明が農民反乱により皇帝一家無理心中をもって滅びると(おそらくこれが本当の意味でラスト中国人エンペラーだったろう)、「亡き皇帝の仇討ちとして反乱軍を討伐する」との大義名分をかかげ(自分たちもさんざん明に侵寇していたのに)長城を越え中華文明圏に入り、今回はそのまま北京に居座ってしまった。これを「入関」という。「関」の字はキーワードなので後述する。そして中華帝国の都・北京で3代皇帝はあらためて即位式を執り行う。時に1644年。日本では徳川幕府3代将軍家光の時代だ。 かくして、その後1912年(明治45年=大正元年)まで、中国人ではない満洲族による清朝が、中国を支配した。「この中華皇帝が実は中国人であるのかどうだか微妙」と前述したのは、以上の歴史的な経緯があるためである。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 三国志などで中国史に親しみのある者にとって、現代の中華人民共和国は三国志時代と比べて東西に数倍拡大したように、“むっちゃくちゃデカく”見える。そうなったのは比較的最近の清代なのだ。下の地図のうち濃い黄色が、歴史的・伝統的な本来の中国の範囲である。その本来の中国を、東の満洲(MANCHURIA)が3代皇帝の時に後から飲み込んだ、という順番になり、MANCHURIAはそのまま今も中華人民共和国に残っている。また先に見た通り、2代皇帝が満洲に併合したモンゴル(MONGOLIA)のうち、内蒙古(INNER MONGOLIA)も「内モンゴル自治区」として今もそのまま中国に留まっている。ちなみに外蒙古(OUTER MONGOLIA)は今日のモンゴル国にあたるので、今は中国領ではない。 また、時代下って18世紀末〜19世紀初めの清最盛期の名君・6代乾隆帝の時代に(地図は子の7代皇帝時代の版図)、西の新疆ウイグル(TARTARY。新疆とは「新たな領土」の意味)やチベット(TIBET)を征服し、西方にまで領土を大きく広げ、清は最大版図を実現。この新疆もチベットも、今も中国に留まっている。 地図はWikipediaより 地図の薄いレモン色が、清が新たに中国にもたらした領土である。ちなみに朝鮮・沖縄・東南アジアなどのオレンジ色は、外国ではあるが従属国だ。このように、東部→中央(本来の中国。濃い黄色)→西部へと、満洲族の清朝は領土を広げていき、その版図がそのまま中華人民共和国として今日にまで引き継がれているのである(赤い点線が現在の中華人民共和国の国境)。西の新疆ウイグルは今もとかく話題にのぼるが、東の満洲もまた、以上のいきさつを見れば、歴史的に複雑な経緯をへて“中国”に最近なった土地だとわかる。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ところで。男で後頭部だけ頭髪を1メートルぐらいに伸ばし、その他は青々と剃り上げ、三つ編みのような、いわゆるラーメンマンの髪型(辮髪)にして、キョンシーの帽子(朝冠)をかぶっている姿。あれは、満洲族の習俗であって、中国人の伝統ではない。中国人は元来、聖徳太子か頼朝か秀吉のような、あるいは韓流歴史ドラマのような、髪をマゲに結ってその上から黒い冠(「紗帽」)をかぶる髪型をしてきた。清代の中国人は、支配者満洲族の習俗を押し付けられてあの独特な格好をしていたのだ。入関すると3代皇帝(の後ろ盾の叔父)は即刻「薙髪令」を発布し、「留頭不留髪,留髪不留頭(首をとどめたいなら髪をとどめるな、髪をとどめたら首はとどめられないぞ)」と強制したのである。「ナメられないには最初が肝心。まず無茶ぶりしてシメてビビらせてやろう」ということか? また、チャイナドレスもチャイナのものではない。イップマンが着ている裾の長い「長袍(チャンパオ)」も、キョンシーが着ている黒と青の官服もそうだが、いずれも満洲族の被服文化であって、中国の伝統的民族衣装である「漢服」とは異なる。漢服もやはり、中大兄皇子や中臣鎌足、韓流歴史ドラマの王様、あるいは、チマチョゴリや高松塚古墳の飛鳥美人図のようなデザインである。それが中華文明の影響圏(日本・朝鮮ふくむ)で3000年にわたって、各国でアレンジされながらも共有されてきた衣服文化だ。清朝のものは、それらとは系統がまるで違う。満洲が非中華圏・異文化圏であったことは、こうした点からもよく解る。 若き溥儀とジョンストンさんが“キョンシー帽”ことフォーマルな朝冠をかぶっている。清の朝冠の冠頂には官位を表す宝玉が付く。溥儀が上にまとっている服は「旗装」で、下にはマオカラー「立領」式の内衣を着ている(これらをもとに後世チャイナ・ドレスが生まれた)。伝統的な中国の民族衣装とは全く系統が異なる形状をしており、そこに、中国伝統の「ドラゴン柄」や「皇帝イエロー」が組み合わされている。 左から、明(本当の中国)最盛期を築いた永楽帝、朝鮮の聖君・世宗大王、そして日本の秀吉。頭にかぶるのは「紗帽」で、服は、着物のように体に巻いて着る式のローブ型の内衣の上から、丸襟の上衣「袍」をまとっている。それを皇帝や王が身につける場合は厳密には「袞龍袍」、「翼善冠」と美称で呼ばれたり、秀吉がまとっているものは「袍」を先祖として日本で独自に進化した「直衣」だったりはするが、ザックリ言って同系統であることは一目瞭然だ。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 中華文明圏の外側、東西南北の化外の地に暮らす諸民族は、中華的世界観においては野人と見なされ蔑まれてきた。中華とは世界の中心で咲く花であり、満洲族は北部辺境の野人にあたる。その野人が、世界の中心に乗り込んできて花になってしまった。 余談だが、仰げば尊し中華の恩と慕ってきたのが朝鮮で、中華皇帝の使節のための迎賓館を「慕華館(中華を慕う館)」、その使節が通る門を「迎恩門(恩を迎える門)」と名付けていたほどだ。しかも明には、秀吉の朝鮮出兵の際に援軍を送ってもらった大恩まであった。明vs清抗争期、朝鮮は明の方に義理を通そうとしたが、清2代皇帝に服従を迫られ、徹底抗戦を決意するものの厳寒の篭城戦にたえきれなくなって降伏。親征してきた清2代皇帝の前で朝鮮国王が土下座(三跪九叩頭の礼)をし、以後、服従を誓い、明を裏切って清側に付く、という屈辱的な出来事があった。これを「丙子胡乱(へいしこらん)」と言う。丙子は1636年をさし、「胡」は北の化外の地に住む野人を蔑視した差別用語である。 韓国映画界は、この出来事をアクション仕立てにした『神弓-KAMIYUMI-』(2011)や、忠実に歴史を描いた『天命の城』(2017)等を制作している。『天命の城』は、抗戦派重臣をキム・ユンソク、和平派重臣をイ・ビョンホン、王をパク・ヘイルが演じた、堂々たる歴史映画だ。 韓流歴史ドラマや映画で、北の野人との戦いが描かれている作品は、枚挙にいとまがない。たいがいはエスキモーのような毛皮の服をまとい、顔は赤茶色に雪焼けして唇はガサガサにひび割れ、鼻や頬を真っ赤に染めて鼻水を垂らした風体で描かれる(最近だと2017・18年の『神と共に』シリーズなど)。これは、満洲族として清朝を打ち立て世界の中心で咲く花となる前の、胡と蔑まれていた頃の女真族である。「オランケ」「オランカイ」とも呼ばれる。清以前の時代の女真族を、中華文明に憧れてきた朝鮮王朝(の末裔の韓国映画界)がどう見ているか、うかがい知れて興味深い。 余談はここまでにして本論に戻る。中華は≒中国は、歴史的には万里の長城の内側だけを指す。そこでは様々な中華王朝が4000年にわたって興亡と栄枯盛衰を繰り広げてきた。いわば七王国のようなものである。王都はここ数百年間は北京で、そこには鉄の玉座があるというわけだ。そして今、壁の向こうから侵入してきた北の野人が、王都を占領して鉄の玉座に君臨してしまったと喩えれば、ゲースロのファンならばどれほどの事態が起こったか、諒解されよう。もっとも、実はそうした事態は珍しくなく、中国史用語では「征服王朝」と呼ばれ繰り返されてきたことではあるのだが(例えば金と元だ)、それがよりにもよって、最後の中国王朝・ラスト中華エンペラーになってしまったことが、事態を複雑にしている。 後回しにしていた「関」の話をしよう。万里の長城には壁に開けられた出入口「関」がある。容易に突破されないよう城塞化されていて、日本の江戸時代の関所の比ではない。北の野人との間にある長城の関は「山海関(さんかいかん)」と呼ばれ「天下第一関」とされる(下画像)。万里の長城ひとつめ(最東端)の関だからだ。その外側、北の野人が住む化外の地を「関外」、内側の中華世界≒中国を「関内」と呼ぶ。関を入ってくること、つまり北の野人が七王国の文明世界に入ってくることを「入関」と言う。 画像はWikipediaより さらに、満洲の土地は関の北というより北東、右上の方角なので「関東」とも言う。関東≒満洲なのだ。そして、そこに駐留した大日本帝国の軍隊の名称を「関東軍」と言う。さあ、いよいよ我らが日本の出番である。“あの時代”のメインプレイヤーだ。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 開国後の日本にとって、最大の脅威はロシアだった。当時は帝国主義の時代。ボーっと生きていればたちどころに餌食にされ植民地化されるだけ。それを恐れ、まず明治維新で自国を近代化し富国強兵を急ピッチで推し進め、並行して、朝鮮もどうにかせねばと考えた。まずは日本の味方になってくれる親日の独立国、同盟国にしようと構想。朝鮮のためを思ってではなく、日本を守る盾にしようとしたのだ。朝鮮は近代化をしておらず、まさに格好の餌食で、ここがロシアに獲られたら日本はロシアの脅威に直接さらされてしまう。朝鮮が盾になってくれれば日本はワンクッション挟んで(これを「戦略的緩衝地帯」と呼ぶ)ロシアと対峙できる。 当然、朝鮮はそう都合よく日本に従ってはくれない。朝鮮からすれば「勝手な話だな!」としか言いようがない。そこで日本は、強引に朝鮮への進出を図る。先に見た通り、朝鮮国王が清朝皇帝に土下座しその権威を受け入れたため、清は朝鮮の“保護者”的立場であり、朝鮮にちょっかいを出されて黙っているはずがない。そこでまず日清戦争が勃発(戦場となったのは朝鮮半島だ)。勝ったのは日本だった。 清はこの敗北で、アヘン戦争、アロー戦争、太平天国の乱と、半世紀以上もうち続いてきた内憂外患、断末魔の大混乱にますます拍車がかかってしまい(その後で義和団事件まで起きて)、ついに1911年に武漢から始まった辛亥革命にて、1912年、滅亡。その時に最後の皇帝だったのが、本作『ラストエンペラー』の主人公、宣統帝・溥儀である。映画の中では描かれないこの清朝滅亡と皇帝退位のいきさつは、溥儀本人が知る由もないし理解もできなかったであろう6歳の時、宣統3年に、実は映画の外では起こっていたのだ。 溥儀が即位したのはわずか3歳の時だった。映画冒頭の即位式のシーンで、幼い宣統帝が飽きてグズって暴れ出し、今や臣下となった実の父親が「シーっ!シーっ!すぐに終わるからね」となだめ、それを聞いた周囲がギクッとするシーンが出てくるが、これは実際にあったエピソード。「清の世はすぐに終わる」という不吉な予言的失言となってしまったのだ。 この時、溥儀に12代皇帝の白羽の矢を立てたのが西太后である。3代前の9代皇帝の側室だった老婆だ。宣統帝・溥儀の2代前の10代皇帝は、西太后自身が腹を痛めて産んだ我が子だったが、彼女は何から何まで口出しして自ら政治を行う毒親であり、息子はフテて風俗狂いに。挙げ句の果てに性病をもらってきて19歳で若死にしてしまう。次いで、過去の皇帝の血筋である男子(この子も3歳だった)を引っ張り出してきて11代皇帝に据え、またも彼女は後見人として自ら政治を行うのだが、この時に日清戦争が起こり、清は相対的には強大かつ最新鋭の海軍を保有していたにもかかわらず、軍事予算が西太后の道楽のため流用されていたので整備不足であり、格下の日本海軍相手に完敗を喫してしまう。そんな中11代皇帝は成長し、西太后と対立してでも清を救うため政治改革と近代化=維新を断行しようとするが、しかし結局は西太后の巻き返しによってわずか100日で潰されてしまう(史に言う「百日維新」である)。皇帝は幽閉され、10年後に実権を取り戻せないまま37歳で謎の死を遂げる(今では毒殺されたことが遺体の法医学検査で判明している)。皇帝薨去の翌日、西太后も死ぬ。直前に12代皇帝に3歳の溥儀を選んでいた。 映画『西太后』では別の若いライバル側室の両手両足を切断し甕に漬けるという、小6の筆者の幼心に強烈なイメージを残した歴史上の人物で“中国三大悪女”の一人。その映画では、西太后の出身氏族「エホナラ氏」の女が清の後宮に入ればいずれは清朝を滅ぼす、という予言“エホナラの呪い”も語られていた。この2つのエピソードはあくまでフィクションだが、西太后が清滅亡の元凶であった事実は変わらない。 宣統帝・溥儀もその後わずか3年で辛亥革命により6歳で退位し、ここに清朝は滅亡するわけだが、革命政府に飲ませた「清室優待条件」によって、溥儀は紫禁城の中で軟禁状態ながらも皇帝としての礼遇を受けながら暮らし続けることだけは許されてきた。しかしその日々にも終わりがやってくる。清朝滅亡後の新生中華民国は、軍閥が群雄割拠する戦国時代さながらの様相を呈していた。そんな中1924年、「北京政変」と呼ばれるクーデターが発生し、18歳になっていた廃帝(廃止された皇帝)溥儀ら帝室一家は、その巻き添えを喰う格好で、清室優待条件を廃止され、紫禁城を追放されることになるのである。 紫禁城追放時の溥儀。溥儀のトレードマークである色眼鏡に気を取られるが、“チャオズ帽”ことカジュアルな「瓜皮帽」をかぶって「長袍」を着ていることに注目したい。この時すでに皇帝ではないため「朝冠」や「朝袍」といった清朝廷のフォーマルウェアは身につけていないのだ。なお、「瓜皮帽」は満洲由来ではなく、明代に「六合一統帽」として初代・洪武帝が発明したもので、明・清・民国初期の3時代を通じ中国人のシンボルとなった。 ところで、故宮に乱入してきた軍閥クーデター部隊が掲揚する旗は「五色旗」。清代から軍旗として使われており、そのまま革命後は中華民国国旗として使用され続けた。この政府から追い出された孫文の派閥が用いた旗が「青天白日満地紅旗(今の台湾国旗)」で、孫文派が後に全国を統一した時、そちらの方が中華民国の新国旗とされた。では、用済みとなった旧五色旗はどうなったかと言うと…後述する。 話を日清戦争終結の時点まで戻す。この勝利が逆に藪蛇となって、日本が恐れていた通り、ロシアが南下してきて満洲の利権を獲得し、朝鮮(王が皇帝と改称して「大韓帝国」となっていた)にも手を伸ばそうとしてきた。新興国日本つぶしであり、日本にとっては最悪の展開だ。一時は「満韓交換論」でロシアと話をつけたいとの伊藤博文らの動きもあった。「満洲はそっちの物、朝鮮はこっちの物、お互い干渉せず」という考えだが、上手くまとまらず、ついに日露戦争が始まり(今度の戦場は満洲だ)、これにも日本はまさかの勝利をおさめる。結果、日韓併合によって朝鮮半島は完全に日本のものとなり、加えて、ロシアが獲得していた満洲の権益までも日本は棚ボタ式に手に入れる。 かくして、明治維新以来、戦略的緩衝地帯として欲してきた朝鮮半島のみならず、広大な満洲にまで進出の足がかりを得た日本は、今度は朝鮮と同じように満洲を完全に我が物にしよう、日露戦争では「十万ノ英霊、二十億ノ国帑(10万人の命と20億円の戦費)」という多大な犠牲を払ったのだから当然の権利だ、との発想を持つに至る。いつしか、ロシアの脅威から国を守ろうとか、植民地化されないための戦略的緩衝地帯の確保とかいった理由はどこかに消え、気がつけば植民地を貪欲に喰いあさる側へと自分自身が回っていた。 この底なしの欲望を実現するべく、東京の国家意志を無視して独断専行で暴走しまくったのが、満洲の主「関東軍」である。長城の「関」の「東」側に駐留する、元々はロシアから獲得した鉄道を警備するために置かれた守備隊程度のものが肥大化した、日本陸軍の海外展開軍だ。彼らは自作自演の謀略を次から次へと繰り出し、野望の実現を目指す。 彼ら関東軍の当初の計画は、朝鮮同様、満洲の併合であった。しかし国際的批判がかわせないと判断して断念。明治維新直後に朝鮮をそうしようと構想していたように「親日の独立国・同盟国」にする方針へと転換する。1932年、かくて満洲国(共和政)が建国され、そのトップたる執政の座には、清の廃帝、ラストエンペラー溥儀が就任。彼は26歳になっていた。なおこの時、国際世論の目を満州から逸らそうと、関東軍は遥か遠い上海の地で日本海軍に自作自演の軍事衝突事件を起こさせたりもした。しかし、ここまでしてエクスキューズを設けてもなお全世界からの非難はかわしがたく、日本は満洲問題で吊し上げを喰らったことを不服とし、国際連盟から脱退。また、満洲国は溥儀の熱望どおり2年後には帝政に移行して満洲帝国となり、元宣統帝であった溥儀はその最初にして最後の皇帝「康徳帝」として即位するのである。この時には関東軍は内蒙古にも侵攻した。内蒙古は満洲国の一部であるとの理屈で。さらには、長城線を越えて関内にまで戦火は一時拡大したのであった。 中華民国が使わなくなった五色旗は、満洲国の国旗「新五色旗」として引き継がれた。当時はまだ「つい数年前まではこっちの方が中国の旗だったのに」という印象があったはずだ。劇中では溥儀が軍服を着た時の帽章にも注目を。なお、この写真のシーンは、中華帝国の古式にのっとって皇帝即位を天帝(という神)に報告する「郊祭式」が催されているところだが、その式次第や作法、そして旗も、細かく見ると、慣れない日本が急ごしらえで作った“パチもん感”溢れる偽物であったという。今でも、この、日本が作った傀儡の満洲国・満洲帝国は、中国で「偽満」と呼ばれている。 日本は、以上の満洲獲得だけではまだ飽き足らず、むしろこれに味をしめる。関内すなわち長城内側の中国本体にまで領土的野心を抱き始めた軍部は、ますます暴走。東京の陸軍中央、政府、さらには天皇でさえコントロール不能になっていく。国民とマスゴミがこぞって応援したからだ。彼ら出先の軍部が自作自演の謀略で衝突を起こし、東京の指示を待たずに独断で軍事行動を起こし、国民とマスゴミが大声援を送り、東京は事後承諾する、というパターンが繰り返されていく。そんなことをやっているうちに国際的にさらに孤立を深め、ナチスドイツのような札付きしかつるむ相手がいなくなっていく。 満洲での手口は国際的に激しく非難されたが、中国本体への野心はもはやレッドラインを踏んでしまっており、アメリカが本気で怒り始めると、今度はそれに対抗するためフィリピンの米軍基地に距離的に近い、縁もゆかりもない南方、ベトナム北部に、日本は陸軍を進駐させる。日本軍は満洲や朝鮮でロシアと戦うために存在してきたというのに!そして、このことがむしろ逆に、決定的にアメリカが引いたレッドラインを大きく踏み越える格好になってしまい、いよいよ日本は、10年後の昭和20年8月15日の一点に向かって、自滅の道を突き進んでいくことになるのである。 そしてそれは、日本が作った傀儡国家・満洲帝国の崩壊の時でもあるのだ。日本敗戦から3日後、溥儀、退位宣言。康徳12年(=昭和20年)8月18日であった。紀元前221年のファーストエンペラー即位から数えて2167年目の出来事だ。■ ©Recorded Picture Company
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COLUMN/コラム2019.12.28
『ピースメーカー』でたどる民族問題地獄めぐり〜チェチェン、ナゴルノ・カラバフそしてユーゴ〜
97年の映画『ピースメーカー』は、ロシアで強奪された核弾頭を用いた核テロを防ぐため、アメリカ政府の核拡散防止グループのケリー博士(ニコール・キッドマン、以下ニコマン)が指揮を執り、ロシア軍にパイプを持つ米陸軍のデヴォー中佐(ジョージ・クルーニー)とコンビを組んで、世界中を東奔西走する、というポリティカル・ミリタリー・アクションだ。 01年の9.11翌々月から本国放送が始まった「24」シリーズを先取りしたかのような内容で、クルーニーの吹き替えには、声優デビュー作「ER」でクルーニーを担当していた小山力也がソフト版でもTV放送版でも起用された。後に「24」のジャック・バウアー役で小山に白羽の矢がたったのも本作あったればこそでは?と筆者は勝手に妄想しているのだが、確証はない。 本作、出来の良いアクション映画で、放送時間たっぷり楽しませてくれることは請け合う。だが、今や似たような映画は多い。映画をよく見る人ならば、未見の人であれ再見の人であれ、新鮮な驚きを今さらは感じられないかもしれない。 しかし、97年という時代背景から読み解くことで、深い見方ができる豊かなテクストに、期せずして今となってはなってしまっている。以下その読み解きを試みてみる。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 1997年。良い時代だった!当時の筆者はそうは実感できず、60年代や70年代の過ぎ去りし時代に憧れ、その頃の映画を好んで見たりもしていたのだが、90年代もまた過ぎ去って歴史となった今の視点から客観的に見るなら、89年に始まるあの激動と希望の日々こそ、最良の時代だった。しばし、思い出話にお付き合い願いたい。 89年、日本はバブルの真っ只中で豊かさを楽しみ、バブル崩壊後も、今日ほど国民の貧困と国家の衰退が生々しい問題ではなく、祭りの後の余韻をまだしばらくは反芻できていた。 アメリカは91年の湾岸戦争で世界を導いて圧勝しベトナムで失くした体面を取り戻し、90年代後半からは日本とバトンタッチしてバブル景気へと突入。世界第1位と当時第2位の経済大国であった日米は、ともに西側にあって空前の繁栄を謳歌していた。 一方の東側は、80年代、貧しかった。東側のリーダーであるソ連は、一説では国家予算の4割を防衛費に回していたという。戦争が起こらなければ20年ほどでスクラップとなる無用の長物にである!ソ連の「衛星国」と呼ばれた東欧諸国では“資本主義の豚”たる西側の大手銀行に借金し、絶望的な貧困に人民が不満を抱かぬよう、消費財を買って市場に出回らせる(設備投資に充てるのではなく!)という、本末転倒な使い道のために借金に借金を重ねていた。こんなことは続かない!冷戦を今後も続けていける経済的余裕が、東側にはもう無くなっていた。 85年、その2年前にアメリカのレーガン大統領が「悪の帝国」と呼んで敵視したソ連に、ゴルバチョフ書記長が現れた。そして、改革開放を一個人のリーダーシップで、トップダウンで、内部から推し進めていった。もう冷戦は終わらせねばならなかった。 その自由化の波は東欧諸国にも伝わり(それとは無関係に反ロシア感情の根強いポーランドが先行して勝手に独自の民主化運動を起こしてはいたが)、89年、ハンガリーが先陣を切って共産党一党独裁体制を大政奉還する動きを見せ、鉄のカーテンの一部まで開いてしまった。ハンガリーはソ連(≒ロシア)とは縁が浅く、歴史的にはモーツァルトやクリムトやフロイトを生んだ先進文化大国オーストリアと深い縁で結ばれており、後進国ロシアで制度設計されたソ連型共産主義にはそもそも馴染めずにきた、“最も西側的な東側の国”だったためだ。 このハンガリーの動きが東ドイツ市民に伝播する。89年11月にベルリンの壁が崩壊。東欧のソ連衛星諸国は次々と、党が自主的に独裁(“指導”と自称していた)を返上するか、あるいは市民革命が起きて独裁者が打倒されるなどして、民主化していった。同89年12月、この時代の生みの親であるソ連のゴルバチョフは、アメリカのパパ・ブッシュと共に、マルタ会談にて冷戦の終結を宣言した。 これにより、いつか米ソ核戦争が起きて世界は滅びるかもしれない、という40年来の恐怖から、人類はようやく解放された。そして、選挙で有権者に選ばれたわけでもない特定イデオロギーの政党が憲法上唯一の“指導政党”として永久に君臨し続ける統治制度は改められ、それらの国々では複数政党制と、複数候補が立候補する自由選挙が導入されていった。興奮と歓喜の90年代が、希望と激動のうちに始まったのである。 それは、西側自由民主主義陣営の完勝だった。ソ連は91年末には地上から消滅し、中国の台頭はまだ。「唯一の超大国」と呼ばれたアメリカの“無双”状態が短期的には実現した。しかし、敵がいないと困るのがハリウッドだ。そこで、ロシアの政情と社会が混迷してきた90年代にハリウッドの脚本家たちが映画に登場させたのが、「ソ連の敗北を認めようとせず、米帝ズレの下風に立つことを潔しとしない、ロシアの保守強硬派」という、新たな敵役だった。たとえば97年の『エアフォース・ワン』などだ。 実際、91年の夏、ソ連ではクーデターが発生。ソ連初にして最後の大統領ゴルバチョフ(兼もともとソ連共産党書記長)が、副大統領、KGB議長、国防相ら「国家非常事態委員会」によって拘禁された。彼らは、ゴルバチョフによる改革開放路線がソ連を自壊に追いやると(特に、予定されていたソ連邦を構成する各共和国への大幅な自治権の移譲に)危機感を募らせていた、ソ連最高指導部内の保守強硬派たちだった。 しかし、ソ連邦を構成する国々のうち最大の共和国ロシアの大統領エリツィン(民主選挙で生まれたロシア初代大統領)が反クーデターの旗を振り、モスクワ市民に街頭に出て抗議に加わるよう呼びかけ、軍を掌握する国家非常事態委員会と対決した。ソ連邦の大統領を下部構成国ロシアの大統領が救おうと立ち上がったのだ。モスクワ市内に当時最新鋭のT-80戦車が陸続と列をなして進入し、2年前の天安門事件そっくりの緊迫した光景も見られたが、しかし、軍部もKGBもエリツィンと市民側に寝返り、もしくは静観したために、このクーデターは3日で失敗に終わる。 95年の映画『クリムゾン・タイド』は、このような保守反動クーデター勢力によるロシアの政変に端を発した核危機を背景に、全面核戦争に備えて出動した米海軍の戦略ミサイル原潜アラバマ内部で起こる、艦長と副長の指揮権をめぐる対立を描いている。 この「8月クーデター」によって、ロシア共和国とエリツィンの輿望は大いに高まった。反対に、ロシア共和国の上に立つソ連邦と、ソ連共産党、その両方の長であったゴルバチョフは、決定的に権威失墜し、クーデター終息の数日後にはゴルバチョフはソ連共産党書記長を辞任。ただしソ連大統領の座には留まった。それが、夏の終わり。 冬には、エリツィンのロシア共和国がソ連邦からの離脱を表明。ソ連の国土面積の大半を占めるロシアが脱退してソ連が存立できるわけがなく(日本国から本州が分離独立するようなものだ)、これはソ連邦の解体をただちに意味した。ゴルバチョフはついに連邦大統領職をも辞任。彼がクレムリンで上からの改革開放を始めてから6年、冷戦を終結させてから2年がたった91年の12月25日、ここに、ソ連は消滅。ロシアはじめ各共和国へと四分五裂していった。まさに、激動の時代であった。 ソ連を内部崩壊させ自由民主主義陣営に加わったロシアだが、世界を導くイデオロギーを自ら捨て去り、慣れない自由主義と資本主義には戸惑い、モラルも揺らぎ、さらにはハイパーインフレと金融危機に見舞われて経済まで破綻し、アメリカと世界のリーダーの座を競うどころでは到底なくなってきた。90年代の、ソ連崩壊後のロシアは、「混迷」の一語に尽きる。95年の『007 ゴールデンアイ』や、97年の本作『ピースメーカー』で描かれるのは、この、冷戦に負け、アメリカの軍門に下り、経済もモラルも崩壊してしまった、混迷するロシアの姿である。そして、この時期に台頭した「オリガルヒ」と呼ばれる政商的な巨大財閥(97年ヴァル・キルマー主演『セイント』における敵役)とプーチンによって、21世紀に入ると、超大国ソ連の栄光の復活を目指す、“強いロシア”の国家意志が露骨になり、自由民主主義諸国とは一線を画する独自の路線を歩み始め、今日に至るのである。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 前置きが長くなりすぎた。そろそろ映画『ピースメーカー』を見ていこう。冒頭、ロシアのミサイルサイロが描かれる。軍人たちが見守る中で核ミサイルが搬出されていくのだが、よく見るとそこに2人だけ、ロシア軍のオリーブ色の軍服ではなく、青色の軍服を着た軍人の姿が認められる。まごうかたなきアメリカ空軍のドレスブルーユニフォームだ。これは、核兵器の削減を米ソ間で91年と93年に合意したSTART(戦略兵器削減条約)に基づき、その履行監視のためにロシア国内のミサイル基地に米軍の査察団が派遣されていることを表している。冷戦が終結し、ICBMを減らすため、かつての敵国の監視団を自国のふところに招き入れるというところにまで、米露は接近し、世界平和は実現しかけていた。筆者が90年代こそ最良の日々だったと懐かしむ所以である。 このシーンで、ロシア軍の下士官が将校に「自分は核兵器を解体しているところをアメ公に見せてやるためロシア軍に入隊したのではありません!」と愚痴り、将校は「皆そうだ。だが世界は変わった。我々も変わらねばな」と応じる。ここまで書いてきた89年以降の経緯を踏まえた上で、97年当時のロシア人の心情を想像しながら味わってほしいセリフだ。 余談だが、2019年、トランプとプーチンがINF(中距離核戦力全廃条約)を破棄した。地球が滅亡するICBM(戦略核。STARTの削減対象)の撃ち合いまでいかず、戦争や紛争で実際に局地的に使用されるリスクが高い中距離の戦域核の全廃から、世界は大きく後退してしまったのだ。これは、ロシアは抜け穴的に別の兵器だと装って実質的な中距離核ミサイル相当の飛翔体を開発しているではないか!という理由と、なにより、新たな超大国・中国がこの条約に加わっておらず、陸海空軍と並ぶ第四の軍である中国人民解放軍ロケット軍が、米露が核軍縮を進める裏で中距離核を開発しまくってきたため、もはや意味がない!という理由で、トランプが破棄を決めてしまったのである。まことに、あの最良の90年代の日々から、我々はどれほど遠くに来てしまったのか…溜息しか出ない。 映画の話に戻ろう。解体されているミサイルは「SS-18」。NATOコードネームで「サタン(悪魔の王)」と呼ばれた、1機のミサイルに10発の核弾頭を搭載でき、それをバラ撒いて10個の目標を攻撃できる、冷戦期を象徴する文字通り悪魔の多弾頭ICBMだ(ちなみに米軍側のライバルICBMは名前を「ピースキーパー」という)。10発の核弾頭は取り外されて、軍用列車で(おそらく処理施設に)運搬される。が、その途中で高度に訓練された武装勢力に襲撃され、全弾奪われてしまう。実は先のロシア軍将校も武装勢力の協力者であり、核をテロリストに横流しして儲けようとしている裏切り者なのだ。「世界は変わった。我々も変わらねば」と言ったのは、共産主義の理想もソ連時代のモラルも死んだ、今はカネが全ての世の中だ、という意味だったのだろう。当時、こういう考えの者も現れかねないと懸念されるほどに、ロシアは混迷の只中にあった(実際、北朝鮮のICBMのエンジンや移動発射台は旧ソ連軍の科学者が売った技術だとの指摘もある)。また、先の将校の上官であり、事件の黒幕であるロシアの将軍は、後のアメリカ側の身元調査によると「汚職疑惑で捜査されておりおそらく起訴される。演説の中でナショナリズムを煽り、失われたソ連の栄光を嘆き、スラヴ民族の団結を主張している。その上アル中で、女もはべらせている」とのことで、90年代ハリウッド映画に出てくる悪役の、ゴリゴリのステレオタイプだと言える。 彼ら強奪犯一味は、不慮の列車事故だと偽装し、10発の弾頭のうち1発を故意に起爆させて核爆発を起こし、現場検証を不可能にして追跡の目も撹乱しようとする。場所はウラル山脈の田舎だが農家も点在しており、証拠もろとも地元農民たちも地上から蒸発させられる。残る弾頭は9つ。 この核爆発を当然、アメリカの国防機関も即座に感知する。ワシントンは大騒ぎになり、核不拡散の専門家であるニコマンの耳にも速報が入る。爆発規模500~700キロトンと聞き、彼女は絶句。ちなみにヒロシマが15キロトンでナガサキが22キロトンだ。「チェルノブイリは忘れて!今回はもっと酷いから」とスタッフに言うほど、彼女も色を失う規模である。 報告を受けたホワイトハウスの国家安全保障担当大統領補佐官は「ロシア…なんたる混乱!冷戦が懐かしいよ」と罵る。そう。あの頃、誰もがロシアに「混乱」を見ていた。 ニコマンは補佐官に、この核爆発が列車事故では起こりえないことを解説する。まず、核弾頭は、プルトニウムを取り囲んで等量配置された火薬を同時に炸裂させ、爆圧を均等に中心部のプルトニウムに加えて核分裂を発生させる(これを「爆縮」と呼ぶ)以外には、決して核爆発は起こらない。専用の起爆装置を正しく用いない限り、事故や火事で「核爆発しちゃう」ことなど絶対にありえないのだ(この安全設計を「ワンポイントセーフ」と呼ぶ)。 そもそも、列車の衝突脱線事故と核爆発までに数分間のタイムラグがあったことも、衛星写真によって確認された。事故で爆発が起きたはずがないのだ。 「これはテロです!」とニコマンは断言する。補佐官は、ニコマンと彼女の核拡散防止グループに国防・安全保障関係各機関を指揮する権限を与えて大統領直属とし、ニコマンは核を盗まれたロシア軍とのリエゾン将校を一人つけてくれるよう要請する。リエゾン将校とは、相手の軍に派遣され自軍との連絡・調整にあたるパイプ役のこと。それが、クルーニーだ。 混迷の90年代ロシア軍とのリエゾンを務めた経歴を持つだけあって、型破りな軍人である。半分はジャック・バウアー型の漢だが、いつものセクシーなニヤケづらを絶やさず、バリバリのキャリアウーマンであるニコマンをいなすクルーニー演技のおかげで、余裕しゃくしゃくな印象もかもし、半分、ジェームズ・ボンドっぽさも漂う。 彼は、ちょうど議会の聴聞会に引き出されている最中だった。①神経ガスを②イラクに売ろうとしている③元KGBを捕らえるために、ロシア軍大佐と取引現場の④ディスコに行き、代金をめぐって店側とケンカになり自分は逮捕されたものの、おかげでロシア軍大佐が元KGB闇商人を発見して神経ガス密売を見事阻止。そのお礼としてクルーニーはアメ車をロシア軍大佐にプレゼントし(ここでもロシア軍のモラル崩壊を強調)、そのことで議会から吊し上げを喰らっているのだ。 ①神経ガスの恐ろしさを世界は2年前の地下鉄サリン事件で知ったばかりだった。②イラクはこの時期、湾岸戦争の後・イラク戦争の前で、フセインが大量破壊兵器を入手したがっているのではないか、とアメリカに疑われていた。③KGBはソ連崩壊の91年に解散。その任務は後にロシア連邦保安庁FSBに引き継がれたが、当時の混乱期には、反社会的勢力に“キャリア転職”して暗躍している元スパイがいるとも、まことしやかに囁かれていた。④ディスコはソ連崩壊後の退廃の資本主義モスクワを象徴するイメージで、この時期の映画ではしばしば描かれる(米FBIとロシア内務省が合同捜査でディスコにいるチェチェン・マフィアを逮捕するという幕開けで始まる97年のリメイク版『ジャッカル』など)。 また、本作では前半においてたびたび、今回の核爆発と「チェチェン情勢」が何らか関連しているのではないか?といったセリフが、複数のキャラクターの口から出てくる。 ソ連邦最大の構成国であったロシアだが、ロシアもまた連邦国家であり、マトリョーシカ構造になっていた。ロシア連邦の構成国の小さな一つが、コーカサス地方の一隅にあるイスラム系のチェチェン共和国である。91年ソ連崩壊直前の混乱のさなか、チェチェン共和国はソ連邦から、さらにはロシア連邦からも独立すると一方的に宣言。それは認めずと、ロシア連邦エリツィン大統領が94年に軍事侵攻し、第1次チェチェン紛争が勃発する。 西側自由世界は、民主化したロシアと、「8月クーデター」で自由を守るため市民を率いて立ち上がったエリツィンと、彼らによるチェチェンへの弾圧を、どう評価すべきか判断に窮する複雑な立場に置かれた。クリントン、ブッシュJr.両政権は一応は批判的な姿勢をとり、エリツィンと後のプーチンはそれには反発したが、米露間の大きな懸案となるところまではいかなかった。 さらに、戦争でロシア連邦軍に勝てなかったチェチェン独立派が、02年のモスクワ劇場占拠事件や04年のベスラン学校占拠事件など、ロシアの一般市民を狙った無差別大規模テロに訴えるようになり、しかもチェチェン側にアルカイダ系テロリストが合流しているとの説まで出てきて、9.11以降「テロとの戦い」に邁進していたアメリカとしては、ますますどう距離感をとっていいのか、どちらに肩入れすべきなのか、微妙な問題と化していった。 ハリウッド映画の中では、たとえば本作の場合だと、「ロシアにおけるゴタゴタの出元はたいがいチェチェンだが今回の核爆発とは無関係」と、チェチェン問題をどう評価するかからは逃げた中立のスタンスをとっている。一方、先に題名をあげた『ジャッカル』では、チェチェン・マフィアこそ良い自由主義国になるべく努力しているロシアの混迷と治安悪化の元凶であって、それを倒すためFBIとロシア内務省が合同捜査する、と、チェチェン側に批判的なスタンスをとっている。また『クリムゾン・タイド』では、チェチェンでのロシア連邦軍の住民弾圧を日米が非難すると、ロシアの極右指導者がクーデターを起こして極東の核ミサイル基地を掌握し、日米は黙って引っ込んでいないと核攻撃を加えるぞ!との声明を出したため、米海軍原潜に出動命令が下るというところから始まり、こちらは、親チェチェン・反ロシア的なスタンスだと言えなくもない。 『ピースメーカー』の話に戻る。例の神経ガス事件の時に組んでアメ車を贈った元相棒のロシア軍大佐から、元KGBを雇っているロシアン・マフィアのフロント企業がウィーンにあって本件に関与しているとの情報を得たクルーニーは、ニコマンと共にウィーンへ飛ぶ。そしてフロント企業のロシア担当ドイツ人社員を脅迫・拷問(!?)して情報を聞き出し、さらに、人の国の市街地でド派手なカーチェイスと銃撃戦をおっ始め、広場の真ん中で負傷して動けなくなった相手を射殺する、という、ハリウッド・アクション映画の定石を演じ(もちろんお咎めは無し)、このフロント企業が核爆発の発生地点近くで同日にトラックを配車していたメールを入手する。列車から奪われた核弾頭はそれに積み替えられたとみられ、トラックは今、イラン国境に向かっていることも確認がとれた。クルーニー、ここで「ファッキン・イラン!」と放送禁止用語を吐く。 2019年、イラン核開発問題をトランプが蒸し返し、またもキナ臭い空気が漂い、海上自衛隊まで巻き込まれかねない情勢となっているが、この時から、イランの核開発はアメリカの警戒の的であった。はたして核弾頭はイランが買おうとしているのか? ウィーンでの情報をもとに、偵察衛星でロシアからイランへの道路を監視するアメリカだが、車両が大量に渋滞しており、その中のどれが核弾頭を運んだトラックなのか見分けがつかない。そこでクルーニーはある一計を案じ問題のトラックを割り出すのだが、どうしてイラン国境付近がこんなに渋滞しているのかは、一言「アルメニアとアゼルバイジャンの戦闘から逃れる難民」との説明があるだけだが、これは「ナゴルノ・カラバフ戦争」のことをさしている。 地図をご覧いただきたい(チェチェンの場所もついでにご確認を)。クリックで拡大する。ロシアからイランに向け、コーカサス地方(この地図のエリア)を南下して抜けようとすれば、アゼルバイジャンを縦断するルートが一つだ。 アゼルバイジャンはイスラム教国だが、キリスト教少数民族も存在している。アルメニア系住民である。そのアルメニア系キリスト教住民が集中して暮らしているのが、ナゴルノ・カラバフだった。地図で「旧ナゴルノ・カラバフ自治州の境目」として点線で囲われている地域だ(クリックで拡大する)。イスラム教国の中に浮かぶキリスト教の離れ小島のようになっていた。西の隣国アルメニア(キリスト教国)の飛び地になっていたとも言える。ここが、例によってアゼルバイジャンからの分離と、アルメニアとの統合を求め、紛争が勃発。東欧革命で世界が生まれ変わる前年の88年に、ソ連体制下ですでに内戦状態に突入していた(つまり、別の文脈で起きた戦争だということ)。そして、住民を巻き込んだ戦闘、虐殺、レイプ、追放などが頻発した。 ご覧の08年の地図にある、このナゴルノ・カラバフを含むより大きなストライプ模様の領域「アルツァフ」という国は、「アゼルバイジャンから事実上独立した地域」とも地図中で説明されている。つまり、ナゴルノ・カラバフという飛び地にいたアルメニア系キリスト教住民は、飛び地であることに飽き足らず、アルメニア本国と境を接するまで土地を獲得していき、アルツァフ共和国として独立するまでに至ったのだ(ただし、アルメニアにも南部に「ナヒチェヴァン自治共和国」というアゼルバイジャンの飛び地が存在することに注目)。 再び話を映画に戻す。イラン国境近くの大渋滞の中から核を積んだ1台のトラックをあぶり出すシーンで、核密売の首謀者であるロシアの将軍が渋滞にイラつきながら「小汚い難民どもめ!アゼルバイジャン人にグルジア人(現ジョージア)にカザフ人!」とヘイトスピーチを吐き、トラックに同乗する核の買い手から「彼らを悪く言うな」と諌められても構わず「どこの生まれかは関係ない。ムスリム、セルビア、民族なんかどうでもいい。貧乏な奴らは嫌いだ!」と醜いヘイトを吐き続ける。買い手は旧ユーゴ出身者で「ムスリム」や「セルビア」という言葉に敏感に反応する。 この買い手は、弾頭を買って核テロを起こそうと計画している旧ユーゴ出身の男の弟なのだ。核弾頭の行き先はイランではなく、その兄の手元だった。クルーニーは国境を侵犯してロシア領内にヘリで侵入、ロシア国内で戦闘行為に及ぶという、近年まれに見る暴挙に出て核弾頭8発の回収に成功する。米露戦争に発展しなくて本当に良かった!だが、残念ながら1発足りない。最後の1発は、例の弟がクルーニーによる襲撃の混乱をかいくぐって持ち出し、最終的には兄に手渡すことに成功する。兄は旧ユーゴのボスニアの都市サラエヴォで暮らしている。どうやら妻子を亡くしたらしい。ユーゴ内戦で。 本稿では、89年東欧革命に始まる90年代を「最良の時代」だったと述懐してきた。東側の共産党一党独裁が終わり民主化され、東欧の旧ソ連衛星諸国は続々とEUに加盟し、ロシアも一時期は欧米型の自由民主主義国に生まれ変わってくれるかに見えた。これほどの大変革がおおむね平和裡に進展していったから「最良の時代」なのだが、何事にも例外は存在する。ソ連崩壊の混迷の中から生まれたチェチェン紛争がまず一つ。89年民主化とは違う文脈だがナゴルノ・カラバフ戦争が二つ目。そして、第三の悲劇がユーゴ内戦である。 そもそもからして複雑な地域だった。なにせ第一次世界大戦の火元となった「バルカンの火薬庫」とはここである。高校世界史の授業を思い出していただきたい。「汎ゲルマン主義」と「汎スラヴ主義」の対立。つまり、オーストリア帝国(ドイツ語圏)による統治の影響が色濃く残り、カトリックを信じ、ローマ字を使う民族と、ロシアに親近感を寄せキリル文字(ロシア文字)を使い、ロシアと同じ正教を信じる民族とが混在する土地だった。そこにさらに、オスマン・トルコ帝国の支配の置き土産でムスリムまでがいた。これらは全て、ほとんど同じ言葉を話す(方言のような違いはあるが)、遺伝的には同じ人種だ。だが、民族は違った。文字が違う。宗教が違う。習慣が違う。 彼らの間では民族対立が繰り返され、それが第一次世界大戦まで引き起こしたのだが、第二次大戦ではこの土地からナチスを追い払うためのゲリラ戦が闘われ、戦後、その闘争を率いたカリスマ指導者が大統領となって長らく国を治め、多民族を「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」という一国にまとめ上げてきた。しかし、80年に死去。だが、連邦の平和と栄光は尚しばらく続き、84年にはサラエヴォで冬季オリンピックが開催された。そして、89年の変革の時を迎えてしまう。 89年東欧革命の良き影響をダイレクトに受けたのが、ユーゴ連邦の中で最も西欧・中欧に近く、オーストリアと国境を接し(つまり汎ゲルマン主義圏)その支配下に置かれてきた、スロヴェニア共和国だった(89年東欧革命のそもそもの震源地も、オーストリア文化圏のハンガリーであったことを思い出していただきたい。東欧革命は、もともと先進オーストリア文化圏に属していた国々の、ロシア的後進性から離脱し古巣に回帰したい、という民族的衝動としての側面がある)。 また、クロアチア共和国も、進んだ海洋都市国家ヴェネツィア(イタリア半島の付け根)の支配下に長く置かれてきた歴史があり、西欧文明と親しかった(『紅の豚』に出てくるような土地である)。 両共和国とも、カトリックを信じローマ字を使う民族が住み、それゆえ、ヨーロッパでの変革がダイレクトに波及した。この2共和国は、東欧革命のように共産党一党独裁の放棄と複数政党制による自由選挙を実施し、ユーゴ連邦の各共和国の自治権と独立性を大幅に拡大しようと試みた。 しかし、ロシアに親近感を持ち、キリル文字も使う(ローマ字も使うが)、汎スラヴ主義圏のセルビア共和国(地図の青色全域)とモンテネグロ共和国が、これに強く反発。連邦の中でもセルビアはリーダー格であり、その連邦を分裂させるような動きに反対するのは、セルビアの立場では当然であった。そこでスロヴェニアとクロアチアは、ユーゴ連邦からの分離独立を宣言する。かくして91年6月、ユーゴ内戦が始まってしまう。 連邦離脱の先頭を切ったスロヴェニアは、ユーゴ連邦のリーダー格セルビアとは隣接していないため大した戦闘も起きず、混乱を知らぬままとっとと独立を成し遂げ、経済的にも繁栄。いわば“逃げ得”のような格好で早々に古巣の中欧オーストリア文化圏に再合流を果たしてしまった。今ではおとぎ話のようにメルヘンチックな観光立国となっている。 だがクロアチアの方には、流血の事態が待っていた。セルビアと隣接していたため、セルビア軍(当時まだ「ユーゴ連邦軍」だったが事実上はセルビア軍)の侵攻を受けたのだ。そもそもクロアチア領内にはセルビア系住民も数多く暮らしており、クロアチアが独立してしまってはそのセルビア系住民はどうなるのか?という懸念もあって、セルビアとしては座視できなかった(スロヴェニアにはセルビア系住民はほぼいない)。クロアチアとセルビアの紛争は血で血を洗う様相を呈し、91年から95年まで続く。 さらに悲惨だったのは、クロアチア人、セルビア人、さらにムスリムが混在して暮らしていたボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国だ。内戦という次元を越えて「民族浄化」が行われるまでに至った。「民族浄化」とは、対立する民族を地域から根絶やしにすることで(直訳すると「民族クレンジング」、「民族クリーニング」という意味)、良くて強制退去、最悪の場合は「スレブレニツァの虐殺」、「フォチャの虐殺」、「ラシュヴァ渓谷の民族浄化」のようなジェノサイドやレイプ収容所など、ナチスも顔負けの方法までとられた。レイプ収容所とは、強姦被害女性にムスリム社会が理解をあまり示さず村八分にすると百も承知の上で、ムスリム女性を大量に拉致してきて妊娠するまで犯し続け、中絶できなくなる妊娠後期まで監禁しておいてから解放する、という鬼畜の所業である。 『ピースメーカー』で核テロを起こそうとしているのは、この旧ユーゴ人だった。彼は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の中心都市サラエヴォの廃墟の中で、独り暮らしている。かつては妻子もいたようだ。町には、崩れかけた建物の外壁に84年サラエヴォ五輪の色褪せた看板がまだ残っている。そんな廃墟で、彼は幼い少女にピアノを教えており、少女からは「教授」と呼ばれている。彼らが、アメリカ人や日本人が憧れてやまない、ヨーロッパ文明の普遍的な洗練と本物の教養を身につけていることが、映画的に示される。さらに、彼は独りになった時、哀感を込めショパンを見事に奏で上げる。「夜想曲第20番 嬰ハ短調(遺作)」だ。映画ファンには02年の『戦場のピアニスト』でエイドリアン・ブロディが廃墟のワルシャワ・ゲットーで弾いていた曲と紹介すれば、ピンとくる人は多いかもしれないが、とにかく、ヨーロッパ型の知識人であることが、ここサラエヴォ市の廃墟のシーンでは強調される。 彼は政治家でもあり、「ボスニア議会」に議員として参加している。日本語テロップでは「ボスニア議会」としか記されておらず、英語テロップでも「Serbian Parliament, Pale, Bosnia(ボスニア・パレ市のセルビア議会)」と記されているだけだ。だが、映像では議会に横断幕が掲げられており、セルビア語で「Република Српска」と書かれている。「スルプスカ共和国」という意味だ。 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の中でもセルビア共和国に接し、セルビア系ボスニア住民が数多く暮らしている地域であり、そこはボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国がユーゴ連邦から独立すると、そこからさらに独立し、セルビアとの統合を求めていった。この経緯、チェチェン紛争やナゴルノ・カラバフ戦争と瓜二つであることを思い出していただきたい。多民族雑居地域における民族紛争の、これは典型的なパターンなのだ。なお、このスルプスカ共和国軍が、前述の民族浄化などの人道犯罪を犯したのであった(ラシュヴァ渓谷の民族浄化はクロアチアの仕業だが)。 本作で核テロを起こそうと企んでいるボスニアの政治家、教授は、このようなヘイト・クライムを起こすタイプではない。スルプスカ共和国の会議に出席しているのは、セルビア系だからか、それともセルビア系をなだめるために加わっているのか、はっきりしない。ただ、核テロ犯行声明のVTRで彼は、 「私はセルビア人、私はクロアチア人、私はムスリム」 と名乗りを上げている。つまり、「私はユーゴスラビア人だ!」と言いたいのだろう。旧ユーゴでは、セルビア人とクロアチア人とムスリムの間に、分断はなかった。ユーゴスラビアという一つの統一国家の同じ国民だったのだ。それがバラバラに分裂し、憎しみ合っている現状への批判が、「私はセルビア人、私はクロアチア人、私はムスリム」という犯行声明の名乗りには込められている。 筆者は、89年からのダイナミックな東欧革命とソ連崩壊の劇的なドラマに魅了され、この分野を大学では学んだ。旧ユーゴについてもユーゴから来た女性講師がおり、そのもとで学んだが、彼女も決して自分がセルビア人なのかクロアチア人なのか(おそらくムスリムではなかったと思うが)明かさず、「私はユーゴ人だ」と自己規定していた。ちょうど母国が分裂し殺し合いをしていた時期だった。 彼らは、ヘイトに染まるような無教養層ではない。筆者の大学時代の恩師である、成績優秀でユーゴ共産党の国費留学生として中国の大学で学び、日本にまで興味を広げて来日し移住したような国家のトップエリートや、この映画に出てくる、ショパンを弾きこなす政治家の教授のようなインテリゲンツィアならば、そこは当然、他民族へのヘイトスピーチなど吐くわけがなく、「いや、自分はユーゴ人だ!」と言うに決まっているのである。 男は、外交官特権を隠れみのにNYに核を持ち込んでテロを起こそうとしているのだった。なぜNYで?犯行声明で彼は理由を語る。 「我々(旧ユーゴ)は長く共生を試みてきた。我々の間での戦争が始るまでは。戦争を仕掛けたのは我々の指導者らだ。だがセルビアの爆弾は誰が供給した?クロアチアの戦車は?ムスリムの砲弾はどうだ?それで子供たちが死んだ。我々の国境線を引いたのは西側諸国の政府なのだ。時にはインクで、時には血で。人民の血で…。 いま平和維持軍(ピースキーパー)が派遣され、再び我々の運命を定める。こんな平和は要らない!我々に苦痛しかもたらさない!この苦痛を和平調停者(ピースメーカー)にも感じてもらう。彼らの妻、子供たち、彼らの議会、そして教会…そうすればあなた方も理解しよう、我々の運命は我々自身の手に委ねよ!皆に神のご慈悲あれ」 この映画の深刻な問題点が、この犯行動機だ。これは、おかしい!不本意ながら本稿の終わりに、この点をつぶさに批判して、筆を擱くことにしよう。 まず、セルビアの爆弾もクロアチアの戦車もムスリムの砲弾も、元はユーゴ連邦軍の所有物であって、別にアメリカが武器輸出をしたわけでも何でもない。ユーゴ内戦と同時に、安保理決議713号によって旧ユーゴ圏への武器全面禁輸措置がとられていたのだから。彼ら元ユーゴ人たちは、自分たちが税金で買い揃え、武器庫に貯め込んできた兵器で、互いに殺し合いを始めてしまったのだ。アメリカのせいではない。 また「我々の国境線を引いたのは西側諸国の政府」というのも、とんでもない事実誤認で、こんな勘違いをする本物のユーゴ人など一人もいないはずだ。すでに見てきた通り、旧ユーゴ構成各国の国境線は、オーストリア帝国の汎ゲルマン主義やイタリアとの繋がり、あるいは汎スラヴ主義、そしてトルコ支配によるイスラム化と、複雑な歴史的経緯に基づいて線引きされてきたもので、西側、たとえばイギリスだのフランスだの、まして新興国アメリカだのとは、一切関係が無い。言いがかりにも程がある。西側が国境線を人工的に引いたという批判は、アフリカや中東、朝鮮半島には当てはまるが、ユーゴには全く当てはまらない。 従って、NYで核テロを起こさなければならない理由が、さっぱりわからない。「この苦痛をピースメーカーたちにも感じてもらう。彼らの妻、子供たち、彼らの議会、そして教会…」というのは完全に「そばづえを食う」というやつだし、挙げ句の果てに「いま平和維持軍(ピースキーパー)が派遣され、再び我々の運命を定める。こんな平和は要らない!我々に苦痛しかもたらさない!」などと言うのは、実際に現地で家族を虐殺されたりレイプされたりした戦災犠牲者が聞いたら激怒するのではないか!? というぐらいに、ピントがズレまくっている。 最後、核弾頭と起爆装置を持ったこの男を、クルーニーとニコマンはNYのド真ん中で追い詰める。男は再び筋違いの恨み言をまくし立て、それに対してクルーニーが一言「我々の戦争じゃない」と突き放したようなことをつぶやくが、仰る通りなのである!映画としてアメリカが巻き込まれる理由を強引にひねり出してきたな…というのが感想だ。『クリムゾン・タイド』でも知られる脚本家マイケル・シファー、本作では少々詰めが甘かった。なおシファーはこの後、ゲーム「コール オブ デュー」シリーズのスクリプト担当に収まったそうな。 なお、本作は『ONE POINT SAFE(原題)』という、ジャーナリストが書いたノンフィクションが着想の元となっている。その梗概に目を通すと、ロシアの核管理の甘さや核流出・核拡散のリスクを検証したルポルタージュであったようだ。本作前段のロシア関連のくだりにその影響が残っているのだろうが、当時、世界の関心の的であったユーゴ問題を割と消化不良のままでシナリオに持ち込んでしまったのは、誰の責任なのか…。 ユーゴ内戦を描いた映画は様々に、しかもリアルタイムでも制作され、優れた作品も数多い。旧ユーゴの国々で製作された作品もある。ここでそれらを紹介する紙幅はもはや無いが、筆者としては、いつか機会を与えられれば取り組んでみたい作品群だ。 さて、男は起爆装置を起動させてしまう。はたして、解除できるのか!?というサスペンスがクライマックスには用意されているのだが、そこまでネタバレする必要はないだろう。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 以上見てきた通り、この『ピースメーカー』は、混迷のロシアのモラルを失くした腐敗軍人、ソ連の栄光の復活を望む保守強硬派、という当時のハリウッド映画のステレオタイプ的な悪役を登場させつつ、さらにその先で、冷戦後の世界が直面することになった「民族問題」についてメインで取り上げようとしているのだと、終盤にいたって明らかになる。少々ピントはずれなところはあっても、問題喚起として高い志を抱いて制作された映画であることは認めたい(ドリームワークスの1作目だ)。チェチェンとナゴルノ・カラバフ、そしてユーゴと、90年代「民族問題」地獄めぐりのような構成は、クライマックスにおいて、NYで核自爆テロを計画する男の悲しみと怒りへと収歛していく。 39年からの第二次世界大戦は(少なくともヨーロッパ戦線は)、この「民族問題」によって引き起こされた。チェコのドイツ系住民が多く暮らす土地をドイツ本国に併合したい、ポーランドにあるドイツの飛び地まで続く土地を奪ってドイツ本国と連絡させたい…まさに、チェチェン紛争、ナゴルノ・カラバフ戦争、ユーゴ内戦と全く同じ理由で、あれほどの惨禍が起こったのだ。 戦後の冷戦では、替わって理念の戦いが繰り広げられた。だが冷戦の終結によって、90年代、再び「民族問題」が蘇ってしまった。最良の日々90年代に、世界のいくつかの場所で凄惨な殺し合いにまで発展したこの「民族問題」は、その後、希釈され、西側先進国を含む全世界に、広くあまねく浸透した。今そこにあるヘイト。会いに行けるヘイト。市井のヘイトは我々のすぐ身近にまで忍び寄ってきている。それが、我々が暮らした2010年代の世界の有り様だった。 あと数日で始まる2020年代の世界は、はたして、どうなってしまうのだろうか。同じ過ちを繰り返さぬ唯一の方法は、歴史から学ぶことしかない。映画は、その最良の入り口としての役割も担っているのである。■ TM & © 2020 DREAMWORKS LLC. 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COLUMN/コラム2019.11.27
激レア映画『いちご白書』『カーニー』12月再放送
本サイトでもお馴染み、映画ライターなかざわひでゆきさんと、ザ・シネマ激レア発掘係だった飯森盛良による、不定期の映画対談「男たちのシネマ愛」が、ついに最終回。日本未公開/今や見られなくなっちゃった激レア映画などを発掘してきましたが、最後を飾る2本は… ・1970年の映画ながら今の香港情勢とダブりまくりの学生運動映画『いちご白書』 ・ジョディ・フォスターを奪い合う親友男子同士のブロマンス映画かと思いきや…ラストとんっでもない方向に転がっていくカーニバル映画『カーニー』 「男たちのシネマ愛」は前回からテキスト記事ではなく音声番組になりましたが、最終回もYouTubeに音声番組としてアップしてます。何かしながら“ながら聞き”で、是非お聞きください。 長すぎ!な怒涛の81分『いちご白書』トーク。この時代の映画を見る上で不可欠な背景知識“ベトナム戦争とは何だったのか!?”に言及しているため、長い!悪しからずご了承を。いちど聞いとけば、なんで当時あんなにデモや学園紛争で荒れたのかを解ってる人、になれます。 61分『カーニー』トーク。ザ・シネマでの放送が本邦初公開となっているはずです。ハタチ前のピッチピチのジョディ・フォスターが出ていて、ザ・バンドのロビー・ロバートソン渾身の自身主演・音楽・プロデュース作品、という、どう考えても絶対に見ておいた方がいい映画なのに、当時もその後も未公開…どんな作品かトークします。 それでは皆さん、いよいよ最後、さようなら皆さん、さようなら!最後にジョディ・フォスターのピッチピチの写真を見ながらお別れです。いゃ~映画って、本っ当にいいもんですね!またいつかどこかでお会いしましょう!■ © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.10.31
『いちご白書』吹き替え版が12月限定で「厳選!吹き替えシネマ」に登場。えっバージョン違い!?
ご無沙汰しております。懐かし系の吹き替えをお手伝いしております飯森です。ワタクシ、団塊ジュニア世代で、『いちご白書』といったら親の世代の映画。しかし、個人的に90年代の大学時代に60年代末のカウンター・カルチャーにかぶれていたことがありまして、今を去ること20年以上前に、目を輝かせてレンタルVHSで見たものです。 ソフト化されてたら絶対に買っていたでしょう。でも未DVD化。なのでザ・シネマの激レア担当だった頃に、仕事にかこつけて自分のために買った作品です。もっとも、あまりにも超有名作なので「ずっと見たかった」、「懐かしい」という人は、ワタクシだけでなくめちゃくちゃいると思いますが。 1970年の映画で、舞台は学園紛争まっただ中の某大学。政治にはあまり関心なかった男子大学生が、可愛い女学生が講堂占拠デモ隊の中にいるのを見かけそれに釣られて学生運動に参加し、ちょっと学園祭の準備のような非日常の楽しさ(『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』的な)もただよう青春の日々を謳歌する中で、次第に政治意識が芽生えてくる。やがて、大学当局は学生デモ隊を強制排除することに。講堂内に催涙ガスが撒かれると同時に、ガスマスクを着けた警官隊がキャンパスに突入し学生たちを警棒で滅多打ちに… と、いうお話で、この時代やこの作品に特段の興味がなくても、「うっわ〜何これ!? まんま今の香港じゃん!」と、誰もが間違いなく感じる、変な形でタイムリーすぎる映画になっちゃっており(俺が買った2年前は、2年後がまさかこんな未来になっていようとは…)、今こそ必見なのです! さて、今回は、素材(放送するテープのマスター素材のこと。それのコピーを作って放送している)が届くのに時間がかかったので、20年以上ぶりに旧レンタルVHSをまずゲットして試写し、後から皆様にもお届けする放送用素材が届いたのでそっちも見てみたのですが、 バージョンが違うじゃねえか! VHS版では映画中盤で、ちょっとエッチなシーンが出てきます。占拠している講堂のコピー室は学生デモ隊男女のヤリ部屋と化しており、よくカップルがしけ込んでいるのですが、主人公は知らないセクシー女から呼び出され、「やろう❤」と誘われ、やられちゃう、というシーン。そこが、放送用HD素材には丸ごとない。 エロいおねえさん。カットされちゃって今回の放送版には登場しません。残念! 2台のモニターで同時再生し見比べてみると、他に、気づかないような細かいところもチョコチョコ違う。 これは、今回の放送素材が、もともとどこかの国(本国?)のTV放映用としてテレシネされたHDマスターで、それが旧VHSのSDマスターテープと別バージョンだから、との回答を、映画会社からいただきました。「TV放映用にエロはまずい」という忖度が働いたのでしょうか?エッチなおねえさん、お口を大きく開けてパックンチョ、みたいなことを積極的にしてくるので、現代の感覚でもかなりエッチすぎる。それが理由か? しかしザ・シネマの方で映画をカットすることはなくて、もらったものがカット版であればノーカット版を再度要求するんですが、カット版しかありませんと言われてしまったら仕方がない。今回はそのパターンです。 旧VHSは1時間49分で、これはIMDbに書かれている「Runtime:109 min」という情報と一致します。が、TV放映用HDは1時間42分と、7分短くされちゃった。 また、今回のTV用HD版はビスタサイズですが、この映画は元が4:3のスタンダードサイズで(とIMDbに書いてある)、旧VHS版もそうでした。その上下をカットして横長にし、擬似的ワイドにしたもので、オリジナルや旧VHS版に比べて絵の情報量がむしろ減っているという問題も。 ということで、本当は、4:3スタンダードでフル尺が1時間49分の、HDとか4Kの素材があれば、それがオリジナルに一番近いバージョンになるようですが、無いんだから仕方ない、今回はこの別バージョンHD素材で放送します。 左がオリジナル4:3で右がワイド風に見せかけるため上下をカットしたもの。なんでもかんでもワイドが良いとは限らない。が今回は右で放送。 さらに12月は、「厳選!吹き替えシネマ」として、昭和51年1月8日木曜洋画劇場放映の富山敬による吹き替え版もお届けすることにし、これはワタクシにとっても初見でしたが、こっちはさらにこまごまと編集が違っています。無い絵が追加されているとか、あった絵が無くなっているとか。エロシーンがごっそり抜かれてるというのはカット理由として解りやすいですが、普通の雑観ショットとか、どうでもいいところがほんのちょっとだけ、しかも大量に別編集になっているのは、理由が解らない。どなたか知りませんか? この昭和51年の吹き替え版、87分50秒だったのですが、40年以上前のボっケボケのテープにはあったがHD素材には存在しない映像が、合計1分36秒分あり(それも、ほんの1カットとかこまごまとした映像)、その部分はきれいなHD映像が存在しないため再現が不可能で、泣く泣くカットとなりました。不幸中の幸いはセリフのあるシーンではなかったこと。富山敬さん以下のセリフは一切カットしておりません。 以上、ちょっと技術的なことばかり書いて退屈だったでしょうが、後世の歴史家のためにどこかにちゃんと経緯を残しておくべきかと思いまして。 とにかく、2019年の今の、香港・チリ・バルセロナの状況と、異常にダブって見えてしまう、あまりにもタイムリーすぎる映画『いちご白書』。それ自体が未DVD化の激レア作なのでHD字幕版も必見ですが、さらに昭和51年のスーパー激レア音源をHD映像に乗せて蘇らせるってんですから、これはマストで視聴して「なんだこれは、まるっきし香港じゃないか」とみんなで驚くべきでしょう。 この映画を気に入った、という人には、原作の日記文学『いちご白書』の方もお薦めします。原作者ジェームズ・クネン君は映画のモデルになったコロンビア大学の学園紛争に参加し、リーダーではないのですが当時マスコミによく登場して学生運動側の意見をメディアで語ったりと、今の香港で言うならジョシュア・ウォン君っぽいポジション。映画版にもカメオ出演しています。 子門真人、じゃなかった、「コロンビア大のジョシュア・ウォン」こと原作者のジェームズ・クネン君。 原作は日記体でつづられていて、その断片が映画本編に使われていたりするのですが、まったく違った表現物で、原作は原作で良いんです。警察から催涙ガスを浴びせられたり警棒でボコボコにされたりする二十歳前後のデモ参加者側が、何を考え革命をしているのか、若者らしいみずみずしい感性で言語化されており、今の時代を考える上で何かの役に立つかもしれません。 この映画については、他でも何ヶ所かでワタクシ紹介してるんですよね。長すぎ80分の音声解説、というか映画ライターのなかざわひでゆきさんと対談した「男たちのシネマ愛」が、YouTubeに上がっています。このブログ記事では映画の内容についてはあまり言及しませんでしたが、そっちの80分音声の方で思い残すことなく喋り倒しておりますので、何かしながらついでに聴いていただけましたら幸甚。そこでは、この時代を知る上で絶対に理解しておかないとダメなベトナム戦争について、特に力を入れて語らせていただきました。 あと、ふきカエル大作戦!!の連載では、『…you…』についても書いています。『…you…』と『いちご白書』はコンビのようなそっくりな映画なのでセットでウチでは放送してきました。『…you…』はもうザ・シネマでの放送は終わっちゃいましたが、そちらも、あわせてご笑読いただければ幸いです。我が人生五指に入る傑作吹き替え、石田太郎エリオット・グールド大演説を、テキストで再現しました(ウチでの放送見れた方はラッキーでしたね。これはお宝モンですよ?あと、タランティーノによる解説番組ってのも放送しましたんで、あっちも永久保存版です)。 ああそうそう、ついでながら、まるっきし関係ない話だけど、『求婚専科』も吹き替え版やりますんで、そちらもお楽しみに。■ © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.05.23
町山智浩のVIDEO SHOP UFO『ビーチレッド戦記』出演日本人キャストご遺族から届いたお手紙〜戦後のにおいがする俳優・小山源喜さんのこと〜
『町山智浩のVIDEO SHOP UFO』、5月は『ビーチレッド戦記』という1967年の映画を紹介します。これは未DVD/BD化の超激レア作で、50年も前の作品なのに、太平洋戦争を描く上で米軍と日本軍をほぼフィフティーフィフティーで取り上げる、日本の描写も可能な限りちゃんとしてる、という、実に志の高い映画です。日本人をワケのわからない野蛮な敵あつかいしていない。 と、いう映画ですから日本人キャストが何人も出てくるのですが、実はこんなお手紙が町山さんのところに届きました。 「町山智浩様 突然のお手紙、失礼いたします。 私は、『ビーチレッド戦記』に杉山大佐として出演していた俳優・小山源喜の長男で、小山唯史と申します。以前から、町山様がこの映画を評価されていることを嬉しく思っていました。」 このお手紙を町山さんから見せていただきました。作品を改めて今の世にお届けする側としても、予期せぬ反響、嬉しく思います。 「日本側出演者の決定に当たっては、簡単なオーディションらしきものもあったようです。父は、出演が決まった日に、帰宅してから次のような話をしていました。『野外で食事をする場面で、箸で、(剣の達人の武士のように)体の近くを飛び回っている虫を掴む仕草をして見せたら、監督がとても気に入った様子だった』」 などと、興味深いエピソードも教えていただきました。箸で虫を掴むサムライのような日本人ですと!? この出来事が何か後世の作品に影響あたえちゃったのではなかろうか?などと、想像は膨らみますねぇ。 小山源喜さんという俳優は、ご子息のお手紙にあったプロフィールを引用しますと、 ◎小山源喜(コヤマゲンキ) 1915.7.8生〜1991.4.11 没 ★戦後早々のNHKラジオ連続ドラマ『鐘の鳴る丘』で主役の青年の役。 死亡当日の朝日新聞「素粒子」が手元にありますが、次のように書かれています。「最後の声優、小山源喜の死に思う、イモ腹で聴いたラジオの『鐘の鳴る丘』の、あの歌声。」 ★TV外国ドラマの声 ①『ドクター・キルデア』(リチャード・チェンバレン主演)で、ギレスビー病院長(レイモンド・マッセイ)の声を担当。 ②NHK『タイムトンネル』(ジェームス・ダーレンら)で、研究所のヘイウッド・カーク所長(ホイット・ビッセル)の声を担当。 という役者さんでして、以上でお手紙からの引用を終わります。 ちょっと私の方からは、朝日新聞「素粒子」にあったという「最後の声優」「イモ腹」という言葉について、説明します。その前に「素粒子」とは何ぞやですが、ごく短い一言社会批評のような、朝日新聞夕刊紙上のご長寿名物コラムです。確認してみたところ、ご命日ではなく2日後の平成3年4月13日土曜日の夕刊に、確かに前掲のコラムは掲載されていました。 先に「イモ腹」という言葉の方から説明すると、これは、米不足で米の代わりにサツマイモを食っているような食糧事情のこと。つまり戦中・戦後の頃の話だと察しがつきます。どうにかして映画『この世界の片隅に』を見てください、中で出てきます。洋画専門チャンネル ザ・シネマでは未来永劫やりません、たぶん…。 『鐘の鳴る丘』は、ご子息の手紙にあったとおり「戦後早々のNHKラジオ連続ドラマ」なのです。Wikiからコピペすると「1947年(昭和22年)7月5日から1950年(昭和25年)12月29日までNHKラジオで放送されたラジオドラマ」だそうですから、敗戦から2年目の夏に始まったんですね…。 Wikiにはそのあらすじも記されています。小山源喜さんは主役の復員兵を声で演じられました(ラジオドラマですから)。その復員兵が戦災孤児たちと田舎で共同生活を始める、という物語だったようです。去年夏のNスペ『“駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児~』、あれは可哀想でしたねぇ…。ああいう子供達です。 主題歌の「とんがり帽子」は、戦後30年目生まれの私でもさすがに知っている、♪鐘が鳴りますキンコンカン という、あの有名な歌です。「素粒子」のコラムニストが書いた「あの歌声。」というのは、それのことでしょう。 さて、「素粒子」にあった謎の一言「最後の声優」。これ、今の人が読むと意味わかりませんよね。当チャンネルは『マッドマックス』新録吹き替えや「厳選!吹き替えシネマ」など吹き替え企画も名物ですから、声優ファンの視聴者も大勢いらっしゃいますが、意味がわからない。声優は今もますます大人気で、2010年代には歌で紅白歌合戦に出場するようなアイドル声優まで現れています。それが、1991年の小山源喜さん訃報の時点で「最後の声優」とは、一体全体どういう意味なのか!? 実は「声優」とは、戦前戦中戦後のラジオドラマ全盛期に、まずは使われ始めた用語なのです。TVが生まれる前までお茶の間娯楽の王様であったラジオドラマで、声の演技をさせるため、NHKが戦中から養成していた放送劇団、その第1期生のお1人が、小山源喜さんなのです。 なので「最後の声優」と言うより、どっちかと言うと「最初の声優」ですね。 他にも、2期研究生に大木民夫さん、3期生に名古屋章さん、4期生来宮良子さん黒沢良さん山内雅人さん、そして5期生には黒柳徹子なんていう、錚々たるレジェンドを輩出しています。 大森一樹監督の1987年の映画版『トットチャンネル』という、当時人気絶頂の斉藤由貴が若かりし頃の黒柳徹子を演じている凄い作品があり、NHK放送劇団について詳細に描かれていますので、どうにかして見てください。洋画専門チャンネル ザ・シネマでは未来永劫やりません、たぶん…。 しかし、ラジオドラマが娯楽の王様だった時代は長くは続かず、その後TVがすぐに始まり、「声優」の語はそれ以上広まることはありませんでした。5期生の黒柳さんは『サンダーバード』や『ひょっこりひょうたん島』等で声優としても有名ですが、黒柳さんの頃からTVタレントとしての活動も増えていったようです。 私は昔、とある大御所声優の方から、「俺が声の仕事を始めた頃はまだ『声優』なんて呼び方さえ無かったんだ」というお話を直接うかがったことがあります。その大御所が声優の仕事を始められたのは70年代。その時点では「声優」なんて日本語は存在しない、聞いたこともない、それは最近作られた新語か造語か何かか?というぐらいに、業界で声の仕事をされている方たちすら知らないマイナーな言葉になってしまっていたのです。 「声優」という日本語が爆発的に普及するのは70〜80年代のアニメブームの到来を待たねばなりませんでしたが、そもそもは、戦前から戦後にかけての娯楽の王道ラジオドラマで使われだした用語だったのです。 朝日の「素粒子」はそういう意味で使っているのでしょう。戦後の焼け野原を回想する万感が、「最後の声優、小山源喜の死に思う、イモ腹で聴いたラジオの『鐘の鳴る丘』の、あの歌声。」との短いコラムにはこめられていたのでしょうな。 その小山源喜さんが日本軍大佐を演じる、太平洋戦争を描いたアメリカ映画。日本が戦後の日々を迎える前の悲惨な日米の殺し合いを描きながら、その時代の日本人にも、アメリカ人にも、家族や平和な故郷を想う人間性はあったのだ、それでもひとたび戦場に放り込まれたら殺し合わざるを得ない、この理不尽と不正義!を描いている、この戦争映画に、戦後の声優第1号・小山源喜さんの起用は、実に相応しいキャスティングではなかったでしょうか。 以上の消息、戦後ラジオ声優の活躍などにも思い致しながら、ぜひこの戦争映画の幻の傑作をご鑑賞ください。■ 追伸: ①『町山智浩のVIDEO SHOP UFO』の前解説がYouTubeにアップされています。町山解説を無料で前半だけは視聴できます。コチラ ②この映画に小山源喜さんと同じく日本軍将校役で出演されている日本人キャスト、あの声優界の大重鎮・羽佐間道夫さんにも、この映画についてロングインタビューさせてもらいました。「ふきカエル 大作戦!!」に掲載されています。あわせてお読みください。 ③本ブログ記事掲載後、ご子息に掲載報告とお礼をさしあげとところ、以下のようなお返事をいただきましたので、お許しを得て転載させていただきます。 「『最後の声優』については、飯森様の原稿を読んで改めて考えさせられました。 以下、参考までに。 父は(出演記録によると)NHKのラジオ放送劇全盛期に数多くの番組に出演していたようで、全く画像のないラジオでトータルに劇を演じる声優だったという意味で、現在のアニメ全盛期の声優とも異なる時代の声優だったのだと思い到りました。 他界した時期は、そういう時代が幕を閉じた時期だったのでしょう。 また、父のもとには黒沢良さん、滝口順平さんなど声優や、『巨人の星』等の制作関係者、太宰久雄さんら数多くの人々が、父を師や先輩として勉強会に集い、のちの声優界に多少の影響を与えたことも、関係しているのかもしれません。」 © 1967 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2019.01.31
『いとこのビニー』でゲロまずキモ料理として不遇に登場する至高の朝食「グリッツ」のレシピ。そしてヒーハー!あこがれのレッドネックReturns
写真/studio louise 今回もまた、だいぶ簡単な手抜き料理で、毎度失礼します。グリッツです。 これ、法廷コメディ映画『いとこのビニー』に、ものすごく印象的に登場する食い物でして、これも最初に映画を見た直後、日本では食べれない珍しいものなので興味持ち、例によってすぐに作って試しに食べてみたのでした。 感動するほと美味いというたぐいの、華のある食べ物では決してないのですが、失敗のしようがない簡単さと、主材料であるコーン粉というのが賞味期限が存在しない(近頃はやりのWikiコピペ引用「アメリカ合衆国で一般的な、鉄で挽いた黄色いコーンミールは、殻や胚芽がほぼ完全に取り除かれている。冷たく乾燥が保たれた場所では、ほぼ無期限に貯蔵できる。」)ということで、作り方を覚えておけば超役立ちます。食パンを買い忘れたとか、気づいたらパンにカビてて食えないじゃん!という場合、朝食のピンチヒッターとしてうってつけ。最悪、コーン粉とチキンスープの素とバターだけあれば作れます。普通バターは冷蔵庫にあるでしょうから、コーン粉とチキンスープの素だけ常備しとけばいいのです。 と、食べ物のことに深入りする前に、まずはいつも通り『いとこのビニー』のあらすじから。これは自分で放送作品情報も書いたんで、コピペで済ませますね。どうも他人に書いてもらったのだとイチから自分流に書き直したくなっちゃうんだが、これならコピペで済むわ。 [コピー] 法廷経験ゼロのペーパー弁護士が保守的ド田舎でとんだ初陣!マリサ・トメイがいきなりアカデミー助演女優賞 [解説]南部の田舎に放り込まれた都会のアホ弁護士役ジョー・ペシのトボけた妙味と、ヤンキー気質全開のその彼女役マリサ・トメイのハスッパな魅力で、喜劇監督ジョナサン・リンのキャリア中でもひときわ輝く法廷コメディ。 [ストーリー]南部旅行中の大学生2人組が強盗殺人で逮捕されるが、実は冤罪。だが状況証拠はあまりに不利。うち1人のいとこのビニーがNYで弁護士をしているというので助けを求めると、ボディコンを着た安い彼女を伴い駆けつけてくれた。任せてみると、どうも変だ。実はこれが初法廷!しかも都会育ちのため南部の田舎にまるで馴染めず、法廷では保守的な判事を毎回怒らせ毎回法廷侮辱罪で自分も拘留される始末。本当に任せて大丈夫なのか!? とにかく、マリサ・トメイの萌えヤンキー女っぷりと、ジョー・ペシのトボけまくりが、それぞれ立ちまくっていて最高に良く、その2人がバカっプルということで文字通りマリアージュ効果を生んでいる傑作コメディなのです。ドラマ6:コメディ4ぐらいのサジ加減になっておりますので、ハイテンションなバカ騒ぎがツルベ打ちで突発する純度100%のアメリカン・コメディはどうも苦手で…ついてくの大変で…という人でも安心な作品です(俺は好物だが)。 ジョー・ぺシの手のやり場にご注目!あらやだ素敵なカップル♥ で、南部にやって来たNYのこのバカっプル、朝食を食いに田舎のダイナーに入る展開になります。そこのメニューには「ブレックファスト」「ランチ」「ディナー」と3種類だけしか載っておらず、ブレックファストは$1.99と激安(他も$5でお釣りがくる値段)。選択の余地なくそれをオーダーしてみると、まずコックの黒人のおっさんは、ラードがバケツいっぱい詰まった「ラードばけつ」からオタマでラードを山盛りすくい取り、雑に鉄板に叩きつけます。それを見たビニーは思わず顔をしかめて「コレステロールは気にしないのかい?」と苦言を呈しますが、コックはおかまいなしに料理し続け、BIGプレートによそりつけます。 くだんの「ラードばけつ」がコチラ。こういうのですら、カッコいいんだよな、アメリカン・デザインって。 朝からボリュームたっぷり、かりかりベーコン2〜3枚+サニーサイドアップ2卵分+、そして、問題のグリッツが大盛りによそってあります。上にバターを頂いている。 いや、美味そうじゃん!!!!!! こんな朝食むしろ最高じゃんよ!? しかしビニーは「こいつは何だ!?」と怪訝そうに尋ねる。マリサ・トメイも気味悪そうに眺めます。 一体全体なにが不満なんだ!まぁジョー・ペシにしてもマリサ・トメイにしてもイタリア系ニューヨーカー役だから、毎朝良いコラッツィオーネ食ってんのかもしれないけどさあ。 で、「こいつは何だ!?」と難詰されたコックのおっさん、「グリッツさ」と答える。「聞いたことあるけど見たのは初めてだよ」とビニー。そして、マリサ・トメイに食ってみろと勧め、「あんたが先に食べてよ!」とお互い押し付け合う。 ビニー、いよいよ意を決して食べる前に、なおも「何なんだい?」と重ねて質問。「コーンさ、ひきわりトウモロコシ」との確答を得ても、「ひきわり…」とつぶやき、不審げにニオイを嗅ぎ回したりして、さらに「料理法は?」と往生際わるく質問。「15分くらい煮てからバターを混ぜるんだ」と、コックは頭を振り振り呆れたよというジェスチャーで答えます。そこで再度マリサ・トメイから急かさて、いよいよ年貢の納め時、フォークの先っちょで小指の先ほどの量すくってさも不味そうに食べるビニーであります。 ほんと、何が不満なんだよお前ら!大の大人が好き嫌いはみっともないと思います。えー、普通に全然美味いです。確かに朝食にぴったり。これとベーコンとサニーサイドアップがあれば、まさに完璧な朝食ですわ!この映画的には、ビニーのアウェー感、南部の異文化圏ムードを出したかったから、こんな描き方にした、ということなのでしょうが、グリッツに罪はありません。とんだ迷惑です。 このグリッツ、様々なバリエーションが存在し、アレンジがきく食べ物です。まず、この映画の中では「お湯で煮る」と説明されていますが、それだと味気ないのでチキンスープストックで煮る方法もあるようです。チキンスープストックはアメリカ料理で多用されますが、日本ではチキンスープの素(チキンコンソメ)からチキンスープを作ることで、簡単に代用できます。 ワタクシは、生クリームと牛乳で煮てミルキーに仕上げるバージョンが好き。あとスイートコーンも1缶入れます。となると、もちろん子供も好物です。 それと、「ひきわりコーン」、普通は日本語だとひきわりとは言わずに「コーン粉」と言い、カタカナで「コーンミール(中挽き)」とか「コーングリッツ(粗挽き)」とも呼びますが、これには、黄色と白があります。この映画の中では白いコーン粉を使っているのでグリッツも白くて、見た目はどっちかって言うとマッシュポテトのような感じに見えますが、ワタクシはたまたま家にあったのがイエローコーンミールだったので、黄色で作りました。 では、以下、作り方にいってみましょう。 【グリッツの材料(2人分)】 ・コーン粉(中挽きのコーンミールか粗挽きのコーングリッツ)×1カップ・生クリーム×1・バター×大さじ1・スイートコーン×お好みの分量 ※以下は写真ないけど ・牛乳(分量は様子を見ながら。でも、絶対要る!)・塩×適当に 【グリッツの作り方】 ① 生クリーム全量投入。 ② コーン粉全量投入。 ③ バター大さじ1投入。 ④ スイートコーン×お好みの分量投入。 ⑤ 塩で味を整え、お粥状のユルさになるくらい、牛乳を様子を見つつ投入。あとは15〜20分煮込むだけ。 これが料理と言えるのか!? マジですいません、簡単すぎて。 ただ、以下の点だけは要注意です。なので、けっこう鍋から目が離せません。 【注意事項】煮ているうちに水分をコーン粉が吸って膨らみ、お粥状だったものがどんどんとボテボテした半固形状に変化していきます。滑らかさをキープしたいなら随時牛乳を追加投入して液状を維持してください。ただし、個々人のお好み次第でボテボテ固形状のグリッツを好む、その方がお粥みたいなんじゃなくて食事としてちゃんとしてて良い、という人もアメリカでもいるそうなので、お粥状にするかスポンジケーキ状にするかは、牛乳で調節してお好みで調整してください。 こちらは牛乳の量を減らしボテボテ状に仕上げた場合。これ+サニーサイドアップでも付ければ、朝食としては過不足なく十分でしょ?そんなことより、このフォーク&ナイフを見てくれ。DDRこと旧ドイツ民主共和国製で、すぐに曲がり熱伝導が良すぎて困るチープな作り。小学校時代の先割れスプーンのようにアルミの不快な味を感じる粗末なシロモノだが、カトラリーの中で一番気に入ってる自慢の品だ。旧東側の風情がたまらん。 【実食】 美味い、とは思います。が、やっぱベーコンとかは欲しいですね。やっぱり食パンの代わりにはなるけど、エッグとか何だとかの+αは絶対要りますわな、これには。でも、月に何度か、週に一度ぐらいか、トーストではなくこんなグリッツで朝食を、なんて、ちょっと憧れのレッドネックに近づけたみたいで、良くないですか? 最後に。この映画、これ以外にも、食い物のシーンがけっこう多くて、ジョー・ペシとマリサ・トメイのバカっプルが2人していろいろご当地B級グルメを食うのですが、その連れだった姿が微笑ましくて、美味そうで、良いムードなんですなぁ。ジョナサン・リン監督の感性ですかね。不味く撮る必要があったグリッツですら、美味そうに撮れちゃってますから、逆に問題なんですが。 他ですと、土けむり舞う街道沿いのBBQ屋で、茹でコーンとベイクドビーンズ?BBQソースにスペアリブ?のランチ食ってたりね。ドリンクはもちろん赤Cokeで決まり。Cokeって、子供がおやつ食う時に飲むジュースみたいなイメージありますが、南部の料理とはめっちゃ合いますから。ほら、マックとだって相性いいじゃないですか。南部料理とはもっと合いますよ、そのために発明された飲み物なんで。 この中古タイヤ屋の隣のボロ小屋がBBQ屋。店先にオープンテーブルがあり、そこでスペアリブ?的なものを食ってて、これまた美味そう。 それともう一箇所、終盤の、バカっプルがケンカになっちゃう、クライマックス直前の超重要シーンの舞台もまたダイナーなんですが、ここではジョー・ペシが、おそらくプルドポーク・サンドイッチとコールスローとコーヒーでランチを食ってます。プルドポーク!これも、日本だとBubby'sとか行かないと滅多に食えませんが、美味いんですよねこれが!ワタクシも最低月一でBubby'sアークカラヤン広場店で食う習慣があります。おっ、そろそろ桜だな。春遠からじ。 とにかく、大傑作コメディにして、マリサ・トメイの安いヤンキー女のガラッパチ度50:けな気さ50の絶妙なキュートさ&悪趣味ファッションセンスにメロメロに萌えたおされ、なおかつ食い道楽な観点からも眼福の、大きく振りかぶって全力で推薦したいような映画です。ウチの今後の放送回でぜひご視聴ください。で、簡単なのでグリッツも作ってみてください。ベーコン忘れずに!■ © 1992 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2018.12.10
『スモール・タウン・イン・テキサス』でセリフでのみ言及される「ブラック・アイド・ピーズ」&「コーン・ブレッド」のレシピ。そしてヒーハー!あこがれのレッドネック。
写真/studio louise このところ放送しておりますウルトラ激レア映画『スモール・タウン・イン・テキサス』、お楽しみいただけてますでしょうか? 多くの方にとって、まったく聞いたこともない謎の映画ですよね?なので「よく分かんないや」と見逃してません?ナメたらいかんぜよ!これはウチでの放送が本邦初公開となっているはずの、1976年の映画で、ソフトにも何にもなったことがなく(のはず)、この機会を逃すと次に機会がめぐってくるかどうか不明なため、とりあえずは見ておくべきかと。 あらすじを作品情報からコピペします。 地元高校フットボールの元スター選手ポークは、ムショを出所した足で酔っ払いから拳銃を借り、ボロ車を蜂の巣にして喜ぶ。自分を逮捕した保安官に出会えば「お礼参りを覚悟しとけ!」と脅す。その保安官、ポークの子の母親である若いシングルマザーに横恋慕しており、女を盗られたと酒場で聞いたポークは逆上して彼女の家に向かう。後日、保安官は議員立候補者の警護を任命されるが、選挙運動の会場にポークが姿を現し絡み始め…。 というお話でして、ウチでは「ニューシネマ風味の効いた典型的70’sアクション」とも謳っております。 それと、これについて映画ライターのなかざわひでゆきさんと1時間ばかり熱く語り倒した「男たちのシネマ愛」というトーク音声番組もYouTubeの方に上げております。通勤・通学、運転のお供として、お時間ある時に是非!(俺は町山さんのTBSラジオのやつとかは毎週末クッキングパパしてる最中に聴いてる) 舞台はテキサスのド田舎で、あまり法治が確立されてないような、“フロンティアの正義”が1976年になってもまだ罷り通っているような保守的お土地柄。ここでムショ帰りのポークvs保安官の“漢の対決”が繰り広げられます。2人が奪い合うのが、ポークの元カノで保安官の今カノであるスーザン・ジョージなのです!この作品、彼女の出演作ということで中身もよく知らずに買ったのですが、フタを開けてみるとあまり出番は無く、彼女にしては露出度も低めで、そこは期待外れだったんですが、 ①漢の対決モノとして普通に手に汗握る佳作だった②ニューシネマ風味も美味だった(内容的には単純明快アクションなんですがね)③70'sファッションもオールドスクールアメカジ系で超カッコ良かった そして ④スタントがヤバかった!ひと死にが出なかったのが奇跡なレベル!! という、予期せぬ見所のいっぱい詰まった、結構な拾い物でした。 それと、出てくる奴出てくる奴がどいつもこいつも、いわゆる「レッドネック」という愛すべき田舎者の皆さんでして、それもまた大いに魅力的なのです。田舎の低所得白人労働者階級のことで、白人で肉体労働だから首が日焼けしちゃうんで「レッドネック」と呼ばれている。今だと典型的なトランプさんの支持層ですな。テキサスは南部で、キリスト教保守層が多く暮らすバイブル・ベルトにも一応含まれます(テキサスが西の端に当たる。州の人口比ではカトリック系の方が多い。これはカトリックのメキシコ系移民(ってか元メキシコ領だし)が多いからで、生粋の「レッドネック」の方達は、非カトリックの、全力でガチなキリスト教保守のはず)。 最近だとトランプさんを熱狂的に支持してる人たちなのかぁ…銃も好きなのかぁ…レイプだろうがなんだろうが中絶は絶対認めないって言ってるのかぁ…ゲイは地獄に落ちるって言ってるのかぁ…、う~ん、Let’s be キングスマン!日本とはかな~り価値観が違うんじゃなかろかと想像され、日本人としては最近のレッドネックの方達のご乱行には若干引き気味でもある訳ですが、そしてアメリカ本国では“ダサい田舎者”扱いされてんだろなぁとも思うのですが…(ってかWikiにモロにそう書かれちゃってるしね。失礼だろコレ!)。 いやいやいやいや!90年代アメカジ・ブームの洗礼を受けた世代の目から見ると、レッドネックこそが見た目的には一番カッコいいアメリカ人ですから!思想信条はともかくとして。 NYとかLAとかで着飾ってるオシャレ気取りの奴らなんて「ケっ」って感じですよ。あんなもんは日本人でもやろうと思ったら簡単にできるんだ。ストリート・ファッションのぶっとんでる感なら原宿だって負けちゃいない、ってか逆に勝ってるし。 アメリカ人にしか真似できないラフ&タフなカッコ良さに憧れるんだよ、俺たちの世代は。そしてそれは何かと問われれば、レッドネック・カジュアルっしょやっぱ!略して「レッカジ」?「レネカジ」? そして、そんな南部レッドネックの皆さんの定番ご当地グルメ、っていうか元々は黒人奴隷たちの食べ物で、黒人にとっての「ソウル(魂の)フード」でもある2品というのが、この映画の中で台詞でだけ登場しますんで、今回はそのレシピをやります。 どういうシーンでその2つの話が出てくるかというと、劇中、ポークと保安官の抗争が勃発し、保安官はポークとド派手なチェイスを演じた挙句に逃げられてしまい、映画中盤で、ポークの居場所をポークのダチの自動車整備工(この人は黒人ではなくレッドネックの人)を締め上げ聞き出そうとする展開になります。 ダチ公が働くガレージに来た保安官。そこには美麗な赤の1939年型シボレー・マスターDXが停めてある。そこでおそらく彼が時間かけコツコツとフルレストアしオールペンした、その時点で40年ほど昔の戦前のクラシック・カーであります。そのほとんど文化財級の車のボンネットとヘッドライトを、角材でベっコンベコンのバリんバリんに叩き壊してダチ公をビビり上がらせる保安官。「ポークの共犯者としてお前もパクってブタ箱送りにしたろか!?」と脅します。 しかし直後、急に笑顔になり猫なで声で「俺が何をするか教えよう。前のヘッドライトとへこんだ部分を直して、お前を家に送る。お前はママと食事を楽しむ。豆とコーンブレッドのな。(ここで声のトーンを落とし凄んで)で、ポークの居場所は?」と、ひとり“グッド・コップ/バッド・コップ”尋問を始めるのです。 この翻訳、字幕ですから字数の関係で端折られてます。以下ちょっと余談。字幕は1秒4文字とだいたい決まっていて、その字数制限を大幅にフライングすると客が読みきる前に次の字幕に移っちゃうという最悪の事態(もはや放送事故)になります。だから字幕翻訳のテクニックは要約のテクニックも問われ、要約するにはボキャブラが豊富じゃないと言葉の選択肢が少ないと無理なので、英語力だけでなく逆に日本語の国語力・語彙力も高い偏差値で求められる、という、高度プロフェッショナルなお仕事が字幕翻訳なのです。ここらへんの話は、“字幕の女王”こと最高権威・戸田奈津子先生によるこの講義が大変わかりやすい(ってことで、そんな大人の事情も知らずに女王をディスる無知蒙昧なローカルの星人みたいな輩を見つけたら、「バカこくな」「誤訳じゃないかもだ」「おっちねプッシー野郎」などと、やんわり意味不明に諭してやるとともに、直訳気味で長すぎる下手クソな字幕を見つけ時には「♪やややケッタイな 誰を呼ぼう ナッチを!」と、女神召喚の歌をみんなで歌おうではありませんか!「ナッチを!」のところで是非ご唱和を)。 閑話休題。先ほどの“グッド・コップ/バッド・コップ”台詞ですが、字数制限なしで訳すと、 「で、ウチに帰らせてやっからよ、おめえはママと一緒によ、デっケぇ鉢いっぱいのブラック・アイド・ピーズだとか、温けえコーン・ブレッドの二、三切れでも食ってろよ、な?…で(キリッ)ポークはどこなんだ?」 ってな感じになります。ブラック・アイド・ピーズ山盛りのデっカいボウルを豊満な母ちゃんがキッチンから捧げ持って来てダイニングテーブルに置きに来るという、ポポラマーマ的お袋さん像、あるいはレッドネック版ハウスシチュー的ほっこり世界観を描写しながら、「白状すれば家に帰らせてやる。何事も無かったようにポポラマーマと一緒にハウスシチュー感にひたれるぞ」と脅す、きわめて高等な心理戦術、テキサス版カツ丼尋問法ですな、これは。 ではブラック・アイド・ピーズとはなんぞや?さらにはコーン・ブレッドとはなんぞや?ですが、まずブラック・アイド・ピーズってのは豆の煮込み料理です。ブラック・アイド・ピーは日本語で「ささげ」または直訳で「黒目豆」と訳され、文字通りセンターに黒目があって可愛い、アズキぐらいのサイズの豆です。この煮込み料理、味はいたって素朴。タバスコなどの各種ソースをテーブルに取り揃えておいて、後から各自でお好みの味付けをする、家族全員が同じ味付けで食べるのではない、というのが個人主義・自由主義の米国リバタリアン流“食卓の情景”だと言われているので、我が家でもそうしてます。カブれてますから自分。 一方のコーン・ブレッドとはなんぞや?というと、実はブレッドでもなんでもありません。コーン粉(超アメリカ大陸らしい食材!)と小麦粉をベイキングソーダで膨らませただけの“なんちゃってパン”的なものです。コーン粉の挽き加減にもよりますが、キツネ色のトップ面はジャリっと砂を噛む食感(を大幅に気持ちよくしたもの。砂糖を噛む感とでも言おうか)があり、中はしっとりスポンジケーキ状。で基本、甘い!ブレッドと呼ぶには甘すぎる、というしろものです。ま、位置付けとしてはパン代わりではありますけどな。 どちらとも、黒人奴隷の食文化にルーツを持つソウルフード(黒人のソウルフルな食べ物)で、我らがレッドネック達もよく食べてる、という、あまり豪華なディナーって感じはしない、むしろちょっと貧乏なイメージの食べ物なんですが、美味いんですわ、こういうのこそが!ってかミシュラン何個星とかヌーベルキュイジーヌとかまるっきし興味ないんでね。そういうのはLAとかNYのオシャレ気取りの連中に任せて、レッドネックに憧れるアメカジ世代は、この下流フーズこそを食すべし! それでは、いってみましょうか。 【ブラック・アイド・ピーズの材料(2人分)】 ・ブラック・アイド・ピー×1カップ※日本では滅多に売ってません。ワタクシは我が心のふるさとアメ横に月一で軍モノ×食材をアメ横買い出し紀行に行く際、切らしてたら「豆のダイマス」にて買い求めてます。ネット通販もあり。 ・玉ねぎ×・吊るしベーコン×半本・チキンコンソメの素・ベイリーフ×1枚・ケイジャン・シーズニングMIX×大さじ1・ガーリック・パウダー×小さじ1 ※以下はお好みで ・タバスコ(チポートレイ) 【ブラック・アイド・ピーズの作り方】 ① 節分の豆を歳の数だけポリポリと食う時に「あんま得意な味じゃないかなぁ…ちょっとエグいかも」と感じる人(俺だ!)は、豆を前夜のうちに水煮にすることをお奨めします。これでエグい節分風味は消えます。水煮缶があればもっといいのだけれど…。豆のエグみが苦手な人には豆類は水煮缶の方が断然お奨めです。 ② 鍋に水煮した豆を入れ、それがヒタヒタになるぐらい水で浸したら、そこにタマネギみじん切り、ベイリーフ、チキンコンソメの素、ケイジャン・シーズニングMIX、ガーリック・パウダーを全部ブチ込んでただ中火で煮込むだけ。汁気がほぼほぼ無くなるまで。1時間ってとこか? ③ 伊藤ハムとか日本ハムの「吊るしベーコン」という50cmぐらいある商品を使いたい。が、この日、近所のスーパーで売ってなかった!仕方なく急遽そこらのブロックベーコンに燻製をかけて急場をしのぐ。有れば是非「吊るしベーコン」で。燻香と厚みある食感が不可欠だから。よくある普通の紙みたいなぺらっぺらのスライスベーコンはNG。で、この写真ぐらいに切って弱火で脂を引き出します(呼び水としてちょっとサラダ油かけること。じゃないとフライパンに焦げ付いちゃう)。 ④ 脂が出て、小一時間たって鍋の方の汁気もだいぶ無くなってきたら、脂ごとベーコンを鍋に投入し、混ぜて、塩(材料外)で味を整え、完成!食べる際はお好みでタバスコを。ベーコンの燻香にマッチするタバスコ・チポートレイ(燻製タバスコ)が相性よろし。 【続いて、コーン・ブレッドの材料(4人分)】 ・コーンミール×1カップ※コーンミールは、どことは言いませんがオシャレ輸入食材屋とかで買うと小さなパックに入ったものでも結構します。が、アメ横とかの中華食材屋だと、おんなじ物でもっと大きいやつが驚くほど安く袋売りしてたりする!これは横浜中華街にある「中國超級市場」というお店でヨコハマ買い出し紀行中に買ったもの。 ・強力粉×1カップ・ベーキング・パウダー×小さじ2・砂糖×大さじ4(ヤベ写真撮り忘れた!)・塩×小さじ1(ヤベ写真撮り忘れた!) 以上が粉類。 ・玉子×1(ヤベ写真撮り忘れた!)・サラダ油×大さじ1(ヤベ写真撮り忘れた!)・牛乳×1カップ※写真なくてもわかりますよね?普通の砂糖と塩と玉子とサラダ油ですよ。家にあるでしょ? 【コーン・ブレッドの作り方】 ① 全粉類をふるいに入れてボウルにふるい入れる。 ② 真ん中に玉子を割り入れる。 ③ 牛乳入れる。サラダ油大さじ1も入れる。 ④ 混ぜる。 ⑤ 焼き型にサラダ油(分量外)をまんべんなく塗る。 ⑥ 生地を流し込み、200℃に余熱したオーブンで20分以上焼く。焼き上がったと思ったらナイフ等をブッ刺し、中心部の生地が生焼けじゃなければOK。ってことで超簡単!ほとんどホットケーキ級にちょろいぜ!なお保安官が脅迫の中で「温けえコーン・ブレッド」と言っていた通り、焼きたてのうちにお召し上がりを。冷めると台無しです。 【実食】 うん、ブラック・アイド・ピーズ、地味に旨えな!たいそう素朴な味わいでして、わりと似た系統の、前回やったチリコンカンというテックス・メックス料理(あれもテキサスの食いもんだったな)みたく派手な、子供好きのする、ミートソースみたいな分っかりやすい味ではありません。豆×塩ですから超素朴。ワタクシのレシピは南部といってもおそらくテキサスより右側の州(ディープ・サウス地方)に住んでいそうな黒人オバチャンのレシピを参考にしているため、ケイジャン・シーズニングMIXも材料に入ってますので、多少は味が付いてますが、それでも素朴。真のテキサン(テキサスっ子)ならケイジャン風(ルイジアナ風)にはしないはずなので、ケイジャン・シーズニングMIXは入れず味付けは本当に塩だけで、もっと極限までシンプルなはず。さすがに味気なさそうなのでワタクシはケイジャン味にしてますが。あとのもう一味はお好みのタバスコでプラス、ってことですな。タバスコってのは本来こういう使い方をするために開発された南部の調味料ですからね。素朴な南部料理に一味パンチを効かせるためのもので、ピザとかスパゲティにかけるのは日本の独自解釈らしいです。 あとコーン・ブレッドね。これは逆に、味が派手やな~!ってか甘いよ!ってことでウチの子供たちは全員好きなんですが、大人的にはビックリするぐらい甘い。もう、ほとんどケーキの域。ケーキならいいけど“ブレッド”と詐称してオカズと一緒に主食で食うにしちゃ、これ、甘すぎだろ!? これはいかがなものかと、一度ためしに分量の半分しか砂糖を使わなかったことがあるのですが、そうすると妙に不味くなっちゃうのだから不思議なものです。まぁ、南部の人は紅茶に砂糖を尋常じゃない量入れて「美味い美味い」と喜んでガブ飲みするそうなので、やっぱり、日本とはかな~り価値観違うのでは!?とも重ねて感じる次第なのですが、そこが異国情緒を感じさせる良いところでもあるんですな。LAやNYとはやっぱ違う。そういやコカ・コーラも南部の飲み物で、あれって確かに南部料理とは相性抜群なんですけど、聞くところによると1缶に角砂糖にして10個分ぐらい入ってるんでしょ?相当な甘いもの好きですな、南部の皆さんは。 そろそろ〆ましょうか。南部の黒人や南米各国の人たちの間では、黒目豆は正月の縁起物となっており、米南部でも正月にブラック・アイド・ピーズを喰う習慣があるそうですから、今の時期、特にトライしたいレシピ、食べるべき料理なのです。おせちや雑煮をやめて、あえてブラック・アイド・ピーズで初春を迎えるという、骨の髄までカブれきった年越しなど、いかがでしょうか。■ © 1976 ORION PICTURES CORPORATION.. 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NEWS/ニュース2018.12.09
町山さん自身が披露@コミコン! 来年1月〜3月の『VIDEO SHOP UFO』ラインナップ
先週12月1日、東京コミコンのメインステージにて『町山智浩のVIDEO SHOP UFO』の公開収録が行われました。12月のセレクト・タイトル『ミュータント・フリークス』の映画本編前解説と、映画本編後用の解説をあわせて収録。ステージは立ち見の盛況っぷりでした。視聴者の皆様は12月20日からの放送回でその模様はお楽しみください。 その収録終了後、会場の別のミニステージに場所を移して(ここも立錐の余地なしでした。ご来場の皆様、ありがとうございました!)、来年1月以降のラインナップも解禁。3月までの3本についても町山さんにご紹介いただきましたので、その模様をこの場でもご披露します。 ちなみに『VIDEO SHOP UFO』とは番組名。LAに超マニア向けビデオ店があり、そこの店長が町山さんという設定。町山店長が激レア映画(ソフトになってなくて見られないとか、完全に忘れ去られちゃってる、とか)を毎月1本お薦めしてくれる、たっぷり解説も付けて、という趣旨の、映画本編の前と後をサンドイッチして付く、古き良き民放TV洋画劇場形式の映画解説番組です。月々の該当作品にはタイトルに【町山智浩撰】と付けてます。バックナンバーはこちら。 さあ、ここからがトークショーの模様です。お相手はVIDEO SHOP UFOのバイト君です。では、どうぞ! ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ 町山店長「どうもよろしくお願いします。お客さん多すぎですね。トムヒ※と間違えてませんか? こっちは トモヒロですよ」 (※コミコンの来日ゲストとしてトム・ヒドルストンが来場中で、向かいのサインコーナーで撮影会などをしていた) バイト君「メインステージお疲れ様でした。『ミュータント・フリークス』は今月後半にやりますが、その先のラインナップを3ヶ月分、この場では発表していただきましょう。まず1月が『哀しみの街かど』ですね」 町山店長「主演はアル・パシーノですけど、彼の初主演作なんです。この映画、僕が子供の頃はTVで何回も何回も放送してたんですが、今では地上波ではとても放送不可能な内容ですね」 バイト君「なのでザ・シネマでは今回、R15相当に指定して放送するんですよ。15歳未満の方は視聴禁止です」 町山店長「タイトルも『哀しみの街かど』なんていうとラブストーリーみたいですけど、原題は『パニック・イン・ニードルパーク』というんですよ。『針公園』というのは、1960年代にニューヨークに実際にあった公園で、そこにはいつも麻薬中毒患者が集まっていて、ヘロインを打つ注射器の針がいっぱい落ちてたんですね。『パニック』というのは麻薬の供給が切れて売人が麻薬を売らなくなると、中毒者たちが禁断症状でパニックに陥ることを意味しています。どこが『哀しみの街かど』やねん!っていう内容なんですよ(笑)。これ凄いのは、麻薬を注射するディテールを緻密に撮影してるんですよ」 バイト君「でも結局、この人たちって、堕ちるところまで堕ちていくじゃないですか。だからやっぱり、“ダメ。ゼッタイ。”っていうのがこの映画のメッセージですよ」 町山店長「まぁ、そりゃあそうなんですが、全部演技ですからね。ヘロインじゃなくてブドウ糖を打っているらしいんですが、肌がボロボロになって、目が虚ろになっていくリアリティが凄いです。これでアル・パシーノは物凄く評価されて、『ゴッドファーザー』の主演にいきなり抜擢されることになったんです。 この映画は本当に辛い辛い映画で、何も良いことが無いんですが、麻薬中毒の悲惨さをこれほど詳細に描いた映画も珍しいですよ。麻薬中毒とは一体何か、それ自体がテーマで、一切オブラートに包まないで、真正面から現実を見せます。音楽すらまったく無くて、演出もザックリと甘さがなく、ドキュメンタリーにしか見えない。 キティ・ウィン扮するヒロインが途中で真面目になろうと思ってコーヒーショップで働き始めるんだけれど、麻薬でボロボロになっているから、勘定ができなかったり、注文を覚えられなくて、結局麻薬中毒に戻っていったり。で、お金がないから体を売るんですが、最初、アル・パシーノは「俺という男がいるのに!」と怒るんですが、だんだんと麻薬のほうが大事になってきて、自分から彼女を売るようになって、彼女の方も彼を売って、どん底に落ちていくんですよ。 あと、ラウル・ジュリアが出ていますね。『アダムス・ファミリー』のお父さんですけど、デビュー作に近いですね、彼もこの映画が」 バイト君「彼女が最初に付き合ってたのがラウル・ジュリアなんですよね」 町山店長「この映画は今では忘れられていますが、マニアの間では物凄く人気があって、中古ビデオにはプレミアがついてたりしますね。ザ・シネマで観た方が安く済むと思います(笑)」 バイト君「次の2月が『モンキーボーン』です」 町山店長「これ、ヘンリー・セリックという、ストップモーション・アニメの巨匠の唯一の実写作品なんです。ただ、闇に葬り去られてしまって、ほとんど見ている人いないと思います。 ヘンリー・セリックは、ティム・バートンが製作した『ジャイアント・ピーチ』や、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の本当の監督ですね。その後『コララインとボタンの魔女』でアカデミー賞にノミネートされます。 ただ、この『モンキーボーン』は、製作会社の20世紀FOXの経営体制が変わる時にちょうど当たってしまって、撮影中にセリックは監督をクビになり、ロクに宣伝されないまま公開されたんで、あまり観ている人はいないんですけれども、凄い面白い映画なんですよ。 ブレンダン・フレイザー扮する漫画家が、モンキーボーンという猿の形をしたキャラクターの漫画を描いたらアニメ化されて大ヒットします。フレイザーは真面目で気の弱い漫画家なんですけども、彼の中に秘めている暴力性とか性的な欲望をモンキーボーンに託して表現していたんですね。ところがモンキーボーンが暴走して、作者フレイザーの肉体を乗っ取って、フレイザー自身の人格を『ダークタウン』という名前の地獄のような世界に閉じ込めてしまう。だから、彼はそこから脱出して、自らの欲望の具現化であるモンキーボーンと戦わなければならないっていう話なんです。そうしないと、婚約者のブリジット・フォンダをモンキーボーンに盗られちゃう訳ですよ。モンキーボーンっていうのは、英語のスラングでチン×ンのことです」 バイト君「ち×ちん?」 町山店長「つまり、彼自身のペニスの象徴であるモンキーボーン君に、恋人を寝取られるという、非常に象徴的な、面白い話なんですよ。 途中で監督が替わっているから、ぎこちないところもあるにはあるんですが、クライマックスのドタバタシーンはめちゃくちゃおかしくて、死ぬほど笑いますよ」 バイト君「ちょっと『ミュータント・フリークス』と似た雰囲気もありますよね」 町山店長「FOXって、途中まで変な映画を作らせておいて、『やっぱりこれはダメだ!』って、お蔵入りにしちゃうことがよくあるんですね。でも、『ダークタウン』のピカソの絵のようなシュールなビジュアルは本当に素晴らしいし、そこで主人公を助けるローズ・マッゴーワンの演じる猫娘がまた健気で可愛いいんですよ。ケモナーの人も是非見ていただきたい映画ですね」 バイト君「そして3月が『かわいい毒草』です。これは目玉タイトルですね」 町山店長「でもこの画像、ちょっと画質悪いよ?」 バイト君「悪いんです…」 町山店長「これしか無かったの?」 バイト君「それぐらい激レアな作品ってことです」 町山店長「川喜多映画財団とかでちゃんと当時のスチルを買ってくださいよ。それはともかく、これは本当に珍しい映画ですよ。日本ではDVDはもちろんVHSも出てません。劇場公開時もさっと消えてしまって、テレビの日曜洋画劇場で1971、2年に1回放送したきりです。僕はたまたまそれを観て、一生忘れられない映画になりました。アメリカでも実はずっと幻の映画で、10年くらい前にやっとDVDになって、奇跡と言われたんですよ。 これもまた20世紀FOXの作品なんですが(笑)、この時は経営難にありまして、せっかく作ったんだけど配給や宣伝するお金がなくて、消えちゃった映画なんです。でも、これが大変な傑作。主役はアンソニー・パーキンスなんですが、彼は『サイコ』というヒッチコックの映画で… ↓↓↓↓↓↓↓↓この後『サイコ』のネタバレに言及します↓↓↓↓↓↓↓↓ 二重人格の殺人鬼を演じたんですね。って『サイコ』のネタバレしてますけど(笑)、あの役が強烈すぎて、演じたパーキンスまで変態じゃないかと思われて、ハリウッドで仕事が無くなって、ヨーロッパ映画に出ていたんですね。で、10年ぐらい経って、そろそろいいんじゃないかと思ってハリウッドに帰ってきて撮った映画がこの『かわいい毒草』なんです。が、役がいきなり、精神病院から出てきた青年という役で、何のためにヨーロッパに行ってたのかわからない(笑)。『サイコ』の続編みたいな話なんです。 パーキンスは誇大妄想症で、放火事件を起こして精神病院に入っていて、だいぶ良くなってきただろうということで退院して、働き始めたところで、チューズデイ・ウェルド扮する美少女と出会います。で、パーキンスは、彼女にいいところ見せようとして、僕は実はCIAのスパイなんだ、国を守るミッションに協力して欲しいんだと言うんですが、何と彼女の方が100倍上手の、“基地の外”に出ちゃった人だった。で、大変な連続殺人に発展していくという話なんです」 バイト君「これ、この写真が悪すぎるんですけど、チューズデイ・ウェルドって凄い可愛いんですよね」 町山店長「物凄い可愛いんです。実は当時25歳で1人の子持ちなんですが、童顔なので高校生役でも違和感ないです。チューズデイ・ウェルドは少女モデル出身で、アメリカでは1950年代にセブンアップの広告に出て大変な人気になったんですが、本人はステージママにコキ使われて、グレて、中学生くらいの年齢からセックスやアルコールで大変なことになっていました。子役の転落をそのまま絵に描いたような人で、最終的には母親と決別するんですが、そういった本人のドロドロの人生をそのまま反映したような怖い話なんですよ。 監督はノエル・ブラックという人で、残念なことにこれ1本なんですよ。今では天才と言われているんですけどね。単なるサスペンス映画ではなく、チューズデイ・ウェルドという『かわいい毒草』を、アメリカのポップカルチャーや、環境破壊の問題にまで広げている刺激的な作品です。これが今回の目玉です」 バイト君「で、この番組ですけど、前解説というのがあって、だいたいこんな映画ですよ、っていう、今いただいたお話のようなものが映画の前に付いて、そこから本編をご覧いただいて、本編が終わった後には後解説というのもあるんですよね」 町山店長「やっぱりネタバレになるから、映画の後半部についての解説は普通できないんですよね。映画の紹介は山ほどあるけど、ほとんど映画を見てない人向けの記事ですよね。でも、見た後の解説のほうが本当は重要なんですよ。映画の結末に作り手のテーマがあるわけだし。昔はテレビの映画劇場で、映画が終わった後、評論家が解説してくれましたが、今はそれがなくなっちゃいましたからね。だから、この番組ではそれを復活させようと。「で、この映画は何だったの!?」という疑問に答えていこうと思いますので、是非ご覧ください!」■
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COLUMN/コラム2018.11.03
悪魔が作らせたのか?97年の予言的映画『ディアボロス/悪魔の扉』が的中させた、21世紀のモラルハザード③(完)
(前回の②はコチラ) 「トランプ氏も来るはずだったのよ」 97年のこんな内容の映画に突然「トランプ」の名前が出てきたら、それはギクリとするではないか!だが、妙なショックはこれだけでは終わらない。 中盤、主人公は“NYいちの不動産王”というカレン氏の弁護をミルトン代表から任される。「カレンタワー」を開発中のこの“NYいちの不動産王”には、妻を惨殺した容疑がかかっている。世間が注目するセンセーショナルな世紀の刑事裁判、転職後はじめての大役だ。その“NYいちの不動産王”とキアヌは打ち合せに行く。その自宅も、やはり高級マンションのペントハウスだという。そして、そのシーンになる…。 ここは、トランプタワーではないか!! ギクリとするどころではない!ニュースで確かに見覚えがある、見まごうはずがない!あの、大理石と金箔でまがい物のヴェルサイユ宮殿風インテリアにしつらえられた、トランプタワー最上階のトランプ氏の私宅そのものだ!間違いなく本物だ!!「虚栄の極み」と前回も書いたが、撤回する。こちらこそが、極みと言うなら本当の極みだろう! テイラー・ハックフォード監督によると、制作前の打ち合わせで「このシーンはトランプ氏の邸宅みたいなイメージで撮りたい」とあくまでイメージとしてスタッフに伝えたところ、悪魔の配剤か、そのスタッフがたまたま以前にもトランプ氏と映画の仕事をしたことがあり、ロケの許可が下りたそうだ。キアヌ・リーヴスらはトランプ氏の自宅を借りて、このシーンを1日で撮影したという。トランプ氏の快い協力のおかげで「“NYいちの不動産王”の巨大なエゴ」が描けたと監督は満足げに語っている。 なお、この“NYいちの不動産王”は愛娘のことを異常なまでに溺愛していて、後半のシーンではおよそ父親のやり方ではない触り方で娘の体に触れる様が映し出されたりもするのだが、それは余談である。 今となってはこの映画のどこより驚くべき、悪魔的禍々しささえ帯びてしまっているのが、このトランプタワーでのロケシーンだ。もちろん97年時点での作り手たちの狙いを超えている。特段の見せ場に当時したかったわけでもないだろう。だが、この悪い冗談のような唯一無二のロケーションが、現代文明批判としてのこの作品の価値を大いに高めている。成功者になりたい、カネが欲しい、しかも、使い切れないほど不必要な大金を手にして貴族のような暮らしがしたい、格差社会で上位1%の側に身を置き、99%の一般大衆を踏み台にして贅沢をしたい、そのためにはモラルなんかに構ってはいられない、という、職業倫理の欠落した悪魔の手先どもを描いている、この文明批判映画の価値を。 本作で、それは高給取りのトップ弁護士たちだが、貧しい庶民にマイホームを押し売りして怪しげなデリバティブを売りさばき、11年後にリーマンショックを引き起こしたウォール街の連中や、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』的な人種も同類である。彼らこそが「21世紀型モラルハザード」の犯人、強欲の大罪にまみれた者たちだ。 我々はすでに1997年に、この映画のパーティーのシーンで、偽ヴェルサイユ宮殿のシーンで、21世紀型モラルハザードをフラッシュフォワードで目撃していたのである。そして今、2018年、それをニュースで、現実の光景として日々見せられている。未来の恐ろしい出来事を幻視してしまう、この映画は、あらゆる意味において文字通りそんな映画なのだ。 この、単なる偶然の産物である(もしくは悪魔の悪戯による)ショッキングな2つのシーンがあるために、本作最大の見せ場であるアル・パチーノの大演説シーンも、作り手の狙い以上の凄まじい説得力を帯びてくる。そこが本作のクライマックスだ。 原作とまったく異なる終局へと徐々に向かっていく、この映画版。複数の脚本家が携わっているが、どうやらトニー・ギルロイ(“ジェイソン・ボーン”シリーズ脚本。『ボーン・レガシー』では監督も)の影響が決定稿には色濃く残ったようだ。ミルトン役のアル・パチーノは出演オファーを5度にわたって断り続けたそうだが、ギルロイ稿を読んでようやく出演を決めたという。そこで盛り込まれたのは、本作終盤のミルトンの大演説、15分以上にわたるほとんど一人芝居に近いクライマックス・シーンである。そこは原作には無い。 ミルトンの正体がやはり悪魔そのものなのか、否、悪魔的な生身の人間なのか、本稿ではそのネタバレにまで踏み込もうとは思わない。ただ、悪魔を題材にしたこの映画は当然の帰結として、終局において宗教論にたどり着く。ミルトンはそれを饒舌に語る。鬼気迫るアル・パチーノのほとんど一人芝居の大演説。数日にわたってごく少人数でのリハーサルが行われ、撮影も数日をかけたという。それまでの珍しく抑制的な演技プランから一変し、アル・パチーノはギョロリと目を剥き、映画的というよりも舞台演劇的に(監督が意図してそうしている)長ゼリフを主人公に向かって浴びせかけ続ける。まさに圧巻のクライマックス! 「神の素顔を教えてやろう。神は意地悪だ!ドタバタを見て喜ぶ。まず人間に本能を与えた。それを与えてどうしたか?自らの楽しみのため、自分専用の壮大な喜劇を楽しむために、逆の掟を人間に押しつけた!! “見ろ、だが触るな”、“触れ、だが食うな”、“食え、だが飲み込むな”!人間が右往左往するのを見て神は腹を抱えて笑っている。実に嫌な奴だ!サディストだ!高見の見物のいい気な奴を崇拝できるか!?」 これが、ジョン・ミルトンが抱く神の認識だ。 それと対峙するキアヌ演じる主人公が問いかける。 「“天の奴隷より地獄の王”?」 「そうとも!」 「天の奴隷より地獄の王」とはジョン・ミルトンの著作からの引用だ。が、ジョン・ミルトンといっても17世紀イングランドの詩人で革命家の方のジョン・ミルトンである。そう、ジョン・ミルトンはかつて実在した。代表作はかの『失楽園』だ。その叙事詩に描かれた悪魔たち(かつては天使だった。堕天使である)は、神のしもべの地位に甘んじ天で奴隷であり続けるよりも、いっそ地獄で自主独立しそこの王となった方が、よほど誇り高い生き方だと独立宣言を叫ぶ。ジョン・ミルトン自身、清教徒革命では国王を処刑する革命勢力に与していた。王の権力を否定し、その奴隷である現状を覆し、自ら主権者になろうと企てた。 本作のミルトンもミルトンである以上は当然、革命を焚きつける。好きに触ればいいだろう、食らえばいいだろう、飲み込めばいいだろうというわけだ。強欲の何が悪い?虚栄の大罪こそ私の最も好きな罪だ、と彼は言い放つ。 「私は(中略)望みをかなえ裁かない。ありのままの人間を受け入れる。欠点だらけの人間のファンなのだ。最後のヒューマニストだ!」 カトリックが生活の隅々まで宗教支配し、下は農奴から上は王・皇帝まで、人々が神を畏れ畏縮して生きていた長い「暗黒時代」が中世だ。その闇を照らして近代の幕を開け、人間性の回復を高らかに宣言したのが15世紀ルネサンスの「人文主義者」たち、すなわち「ヒューマニスト」たちだった。神への“忖度”から自由になって、近代人として好きなように触れ、食い、飲み込み、その自由の素晴らしさを伸び伸びと味わって、人生の歓びを謳おう。それがヒューマニストの本分である。 ミルトンの大演説もいよいよ最高潮に達してくる。 「まともな頭で考えりゃ否定できない、20世紀は私の時代だった!完全にだ!すべてが私のものだ!絶頂を極めた!(中略)次の千年が来る!タイトル戦、ラウンド20!腕が鳴るよ!」 1997年、欲望と消費の20世紀は今や極に達した。プロテスタンティズムの倫理がその精神だったはずの資本主義の、すでに倫理などとっくに喪失した悪魔化は、とどまるところを知らない。それを退治しようと立ち上がった無神論者たちによる100年以上にわたる科学的社会主義の闘いは、この1997年の時点ですでに完全に敗退していた。東側共産圏の崩壊。強欲が完勝したのだ。目前に迫った20番目の世紀、新千年紀に勝ちのぼれるのはただ一人、強欲の悪魔だけだ。その21世紀=ミレニアムにおいては、欲望は幾何級数的に増大し続けるだろう。 キアヌ演じる主人公はミルトン代表から、こちら側、強欲と虚栄の側につくよう誘われる。まるでベイダー卿に暗黒面に誘われるルークのように(そういえばルークは姉妹をそちら側から守ろうとしてベイダー卿に斬りかかったのだった)。共に欲望のおもむくまま、触れ、食い、飲み込もう。共に21世紀に君臨し、共に世界を支配しようではないか、と。この法律事務所でならそれができる。法曹界の上層部に食い込んでいればたやすいことよ。今の世は法がコントロールしているのだから。 その“悪魔の誘い”に、主人公は「自由意志」という哲学用語を持ち出してきて、それを武器に立ち向かおうとする。欲望を満たしたいだろう?こちら側に来れば何でも思い通りにできるぞ?とミルトンに誘われ、キアヌは、もし満たしたくないと言ったら?と不敵に切り返す。ミルトンは、キアヌが自由意志で“悪魔の誘惑”に逆らおうとしているのだと悟る。 西洋哲学は、この自由意志をめぐる知的格闘の歴史だった。特に近代以降それは中心的争点であり続けた。15世紀、イタリア・ルネサンスの「ヒューマニスト」の一人ピコ・デラ・ミランドラによって「自由意志」は新定義された。人は神によって自由意志を授けられている。人以外は自由意志を持たない。どこまでいっても植物は植物、動物は動物にすぎぬ。人だけが自由意志によって、じっと何も為さぬ草花のようにも、本能のまま浅ましく動く畜生のようにも、あるいは神のようにもなれるのだ、と説いた。 今となっては言っていることが当たり前すぎて空疎にすら聞こえるが、直前の中世までは(アウグスティヌス等)、仮に完全に自由意志に委ねたら、御神に背きしアダムの末なる人間は悪に傾く、というのがキリスト教的な常識だったのだ。そもそも自由意志のせいでアダムとイヴは神に背き、悪魔に誘惑されたのだ。あの失楽園以来、子孫である人間は原罪を負う存在となり、それを善方向に補正するには神の恩寵が必要とされた。ゆえに自由意志など許してはならぬ、ひたすら教会に服従せよ。だが15世紀、このピコ・デラ・ミランドラによる自由意志の肯定が、中世を打ち破り近代の扉を開いた。 さらに後世、18世紀のカントに至って、人は自由意志、彼の用語に言う「善意志」によって義務的に善を為さねばならぬとの実践哲学に達した。義務だから善を為そうという動機こそが、逆に人間が自由である証拠なのだ(為さないことも選択できるのだから)。「困っている人を助けよう。人類が皆そうすれば、いつか自分が困っている時に誰かが助けてくれるかもしれないから」という類いの“ええ話”をカントは否定する。それは見返りが欲しいだけだ。自分も助けてもらえるかどうかは問わずに、ただただ無条件に義務感から相手を助けるべきなのだ。損得(功利主義)を超えて自律的に為すべき善とは何か、その道徳法則を、我々は自己立法せねばならない。何故ならば、我々には自由意志があるのだから。いま、キアヌは自由意志という近代武器で、おのれの利益を超克し、強欲と虚栄をはねのけ、明らかに彼にとっては究極的な損となる、最後の抵抗を試みるのである。もっとも、その方法がカント先生のお気に召すかは微妙なところだが…。 以上で、この映画について書くべきことはあらかた書き終えた。以下、エピローグ的に幾つかのトピックスについて落ち穂拾い的に書き続けていく。 ・「自由意志」は今も哲学の争点であり続けており、いまだ人類は究極の答えに到達していない。そんなものは幻想だという主張もある。あらゆる出来事は確率や因果律といったものによってあらかじめ決定されており、人間の意志など介在する余地は無いとする「決定論」の立場がそれだ。確かに、困っている人を助けるかどうかの例えで言うなら、たまたま親の道徳教育がしっかりしていたとか、たまたま遺伝的に哲学など人文科学系の思惟に秀でた資質を親から受け継いだとか、たまたま高校で倫社の先生とウマが合って真面目に倫理を勉強したとかetc。自由意志だと思い込んでいたものが外的条件によって他律的に決定されている可能性は有る。さらには、実存哲学のパイオニアである19世紀のニーチェは、自由意志もキリスト教も神も否定し、「俺には自由意志がある」なんぞというのは弱者の現実逃避であると説いた。もっとも以上のことは、この映画とは関係のない余談。 ・ミルトンの代表室の執務デスク背後の壁には、肉欲の大罪をモチーフにした地獄の風景風の巨大な白いレリーフが掲げられている。これとそっくりな既存の芸術作品が存在しており、著作権侵害で裁判沙汰になるという皮肉な運命をこの映画はたどった。映画会社側の弁護士は、そんな作品の存在など制作陣は事前には知らなかったと主張し、テイラー・ハックフォード監督が語るそのレリーフのVFX撮影プロセスを聞いても、パクったとは私には思えないのだが、法的には大きなペナルティを課されてしまった。だが私がこの映画を初見した時、その劇中のレリーフからまず想起したのは、オーギュスト・ロダンの「地獄の門」だった。ダンテの『神曲』に出てきた文字通り地獄へと通じる門を彫刻化したもので、「汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ」の碑文が掲げられている。これは『エイリアン:コヴェナント』のポスターのモチーフにもなっているのではないだろうか。『エイリアン:コヴェナント』もまた、ミルトンの『失楽園』をモチーフの一つにしている映画だ。 ・この映画が予言した21世紀型モラルハザードとは、2008年リーマンショック前、21世紀初頭の、大淫婦バビロン的“堕落と退廃”の光景であって、それから10年を経た2018年のこんにちの有り様は、この映画が予言したよりもはるかに狂った、黙示録的な、差し迫った“混沌と憎悪”の様相すら呈している。ご存知の通り2017年新春、トランプ氏は大統領に就任し、トランプタワーのえせヴェルサイユからホワイトハウスの本物のオーヴァルルームに居を移した。そこには、18世紀のブルボン絶対王政など足下にも及ばない、強大な権力と武力が集中する玉座が置かれている。偽ヴェルサイユ宮を出てそこに遷御した偽王が、貧者の味方として振る舞っているという、ねじれた現実を、こんにちの我々は日々見せつけられているのである。2016年大統領選でトランプ氏はウォール街やヘッジファンドを批判し、にも関わらず政権発足後はその出身者を政権内に多く取り込み、空前の大型減税で大企業と富裕層を潤わせた。とはいえ信徒である白人貧困層を見限ったわけでもなく、彼らには、移民労働者と貿易相手国という“富の盗っ人”としての敵を与えてやり、自ら“率先垂範”してその二つを攻撃し続けることで、国富を取り戻すために戦う救国の英雄、キリスト教の闘う庇護者として、国の半分から崇められ、今や“ミニ・トランプ”なる追蹤者たちが共和党から続々中間選挙に立候補しているという。 ・悪魔は、人間を欺く。『エクソシスト』でも『哭声/コクソン』でもそれは描かれた。それはアンチキリスト、偽預言者として我々の前に現れ、善を為すごとく巧妙に見せかけ、大衆の支持を得る。マタイ福音書によると、「世の終りには、どんな前兆がありますか」と弟子から問われたイエスは、こう言ったとされる。「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。(中略)民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。(中略)多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう」(マタイによる福音書第24章より)…筆者は無信仰者なので、この意味するところを解釈できないでいる。この節もまた、余談。■ © Warner Bros. Productions Limited, Monarchy Enterprises B.V., Regency Entertainment (USA), Inc. 保存保存
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COLUMN/コラム2018.11.02
悪魔が作らせたのか?97年の予言的映画『ディアボロス/悪魔の扉』が的中させた、21世紀のモラルハザード②
(前回の①はコチラ) この映画『ディアボロス/悪魔の扉』の原題であり原作小説の題名でもある「悪魔の弁護人(Devil's Advocate)」とは、本来は慣用表現である。ラテン語の「アドヴォカートゥス・ディアボリ」がそのまま英語に入ってきたもので、元はカトリックの宗教用語だ。 会議などにおいて、ただの一つの異論も出ずに議論がスムーズにまとまるということは、決して好ましくない。反対意見を言い出しづらかっただけということはないか?そうでないにせよ、思わぬ矛盾や欠点がその満場一致の結論に潜んでいる危険性は絶対に無いと言い切れるのか? そのリスクのヘッジを期待して、あえて反論だけを専門に述べる担当を設ける。本人が本音でどう考えているかはこの際関係ない。とにかく主流意見に論理的に反証していくことが組織における彼の担務なのだ。そのポストがアドヴォカートゥス・ディアボリ、「悪魔の弁護人」もしくは「悪魔の代弁者」である。カトリック教会における「これを奇跡だと認定する」「この人を聖人・福者に列する」といったお墨付きを与える会議にその反論係は置かれた。 こんにち、専門の係でなくとも、会議等でそうした役割を果たしている人のことを、英語でDevil's Advocateという。そして、同じ機能を社会的に担っているのが、近代の司法制度における弁護士なのだ(ついでながら、議会政治における野党も同様。“議論のための議論”、“反対のための反対”にも意義はある)。 「犯人め!」「一番重い刑罰を課せ!」「死刑だ!!」などと大勢が形成されつつある中でも、法律を盾に被告人利益の最大化に努める専門家が必要であることは明らかだ。「盗っ人にも三分の理」という言葉もある。やむにやまれぬ酌量すべき情状もあったかもしれないし、正当防衛や緊急避難的な動機があったかもしれない。それどころか、まったくの濡れ衣や冤罪かもしれないのだ。そうした主張を素人である被告人に代わって法的に代言してくれるプロは、近代法治社会においては不可欠に決まっている。それが無い裁判は「魔女裁判」と呼ぶのだ。 一方でこの賢明なシステムには、ワイドショーの“コメンテイター”なる連中が床屋政談調でよく放言する「殺された被害者より被告の人権ばかりが守られているのは如何なものか」という嫌いがあることもまた、否定のしようもない。原作小説『悪魔の弁護人』のモチーフは、まさにこの近代的ジレンマだ。 主人公はミルトン代表から、妻を殺めた夫を無罪に持ち込む弁護を任される。原作でのミルトン法律事務所はこの手の訴訟を専門に引き受けていて、殺人者を次々に無罪放免にして世間に野放しにしている。まさに、悪魔の手先という文字通りの意味での「悪魔の弁護人」なのである(邦題『ディアボロス/悪魔の扉』はこのWミーニングを活かせていない)。さらにそこから原作の主人公は一歩進んで、悪を世に解き放つこと自体がミルトンの究極目的ではないのか?ミルトンこそ実は本物のサタンそのものではないのか!?という妄想もしくは疑念にとらわれていくことになる。 原作小説は、1990年に出版された。これもまた、予言の書ではなかったのかと思えてくる。 例えばその翌年に、LAでロドニー・キング事件が起こる。仮釈放中の黒人青年ロドニー・キングが車で逃走、パトカーとのカーチェイスになったが観念して車から降りたところ、白人警官たちに組み伏せられ、警棒で滅多打ちにされ、リンチ(私刑のこと。刑法による刑事罰ではなく、個人が私的に好き勝手な罰を加える行為)によって半殺しにされた。彼は無抵抗で武器も帯びていなかったにもかかわらず。その一部始終は近隣住民によってハンディーカムで撮影されていた。全米も、全世界も、私も、その粗いビデオ映像をTVで目撃した。 当然ながら暴力警官たちは告発され、翌年、裁判が始まる。くだんのビデオも証拠として提出されたが、警官側の“悪魔の弁護人”がとった法廷戦術は、裁判をLA郊外の、住民の98%が白人というエリアで開廷させることだった。その人口比率を反映して選任された12人中10人が白人の陪審員は、1992年4月29日、容疑者である白人警官全員を正当防衛で無罪とする評決を下したのである。 直後「人種差別だ!」と怒り狂った一部の黒人住民が暴徒化し、LAは三日三晩の無法状態に突入する。これが92年の「ロス暴動」だ。無関係の白人が引き出されて黒人暴徒に撲殺されるなど合計50人以上の死者が出、放火でいたるところ火災も発生。商店への襲撃と略奪が横行し、住民は銃で武装し自衛と籠城を始め、ついには軍隊が投入される事態となる。州内治安維持を任務とする州兵だけでなく連邦の実戦部隊までもが投入された。BDU迷彩服にPASGT防弾ベスト&ヘルメットにM16A2アサルトライフルという、前年の湾岸戦争と寸分たがわぬ格好の兵士たちがLAの街角に出動し、誰がどう見ても“市街戦”と見えるこの光景はTV中継された。私も当時、食い入るようにニュースを見、見ながらも目を疑った覚えがある。これが、『ビバリーヒルズ・コップ』や『リーサル・ウエポン』で子供の頃から憧れてきたあの街で今、実際に起きているのか!? 第三世界の紛争地帯とかではなく? 次は95年、OJシンプソン裁判だ。黒人でアメフトの元スター選手、引退後に芸能人に転身してからも成功を収めていたOJ(映画俳優としては74年『タワーリング・インフェルノ』、78年『カプリコン・1』等に出演)が、その前の年、白人で美人の元妻とその若い恋人を惨殺した嫌疑を持たれる。逮捕される予定日に、OJは自殺をほのめかし取り乱してハイウェイを逃走。パトカー軍団による一大追跡劇が演じられたりもした。 そして翌年、世紀の裁判が始まる。あらゆる物証、DNAまでもが、犯人がOJであることを物語っていた。DNA鑑定で、犯行現場に遺された血痕とそこにいなかったはずのOJ(手にどこかで怪我を負っていた)から採血したサンプル血液は、570億分の1の確率で一致した。地球上に人間は70億しかいない。 成功者OJは大金を積み、一流どころの有名弁護士を雇い入れていく。当時は“ドリームチーム”などと持てはやされたものだが、本稿では“悪魔の弁護団”と呼ぶとしよう。彼らは、①犯人が犯行時にはめた遺留品の革手袋がOJのものにしてはキツかったこと、を突き、OJが証拠現物の手袋をはめようとしてもキツくてはめにくい、という小芝居まで本人に演じさせて(キツくても最終的にはめられるのだが…)、そのパフォーマンスを鮮烈に陪審員の網膜に焼き付けさせ、他のDNA以下の科学的証拠群の印象をすべて吹き飛ばしてしまうことに成功した。次いで、②現場検証にあたり手袋など重要証拠を発見した白人刑事が差別主義者であった事実、を証明してみせ、この訴訟が人種問題であるかのような争点ズラしをすることにも成功したのである。OJは“悪魔の弁護団”の活躍で無罪評決を勝ちとった。 …何かが、間違っている気がしないか?「疑わしきは被告人の利益に」の大原則は解る。近代法治社会が拠って立つ原理原則だ。これがなければ中世の魔女裁判になってしまう。だがしかし、絶対に、何かが腐敗していないか? 原作小説『悪魔の弁護人』は、このジレンマがモチーフとなっているに違いない。道徳を失くした司法制度、ソフィストとしての弁護士を、厳しく断罪する。 原作におけるミルトン法律事務所は、殺人者など“黒”を“白”と言いくるめる訴訟を専らとしており、そして人殺しを無罪放免にして次々と世間に解き放っている。文字通りに悪魔の手先という意味での「悪魔の弁護人」だと前に記した。その究極の目的は“邪悪を為すこと”だと主人公は疑い始める。 だが一方の映画のミルトン法律事務所の方は、性格が異なる。映画版のそれにとって、主人公は事務所初となる刑事弁護士で、むしろ異色の経歴だ。彼以外は証券取引法や海事法、国際公法、知的財産権法など様々な法律分野の専門弁護士たちで、彼らエリートが結集した“ドリームチーム”がミルトン法律事務所であり、大口クライアントを企業訴訟で勝訴に導いては巨額の弁護報酬を得ている、拝金主義の権化のような組織として描かれている。はっきり言って、カネが目的なのだ。邪悪を為すことではない。 だからこの映画は、道徳を失くした司法、という原作のモチーフも確かに主要なものとして残っているが、それ以上に、強欲を批判すること、虚栄を断罪することの方に力点が置かれている。モチーフが違う、テーマが違うのだ。そして強欲の大罪こそが、21世紀型の悪、完全に行き詰まった2010年代の資本主義が直面することになった最大の巨悪であるということを、我々は現実の差し迫った問題として知っている。1997年のこの映画は、21世紀型モラルハザードを予言してしまっているのである。それどころか、作り手の思惑さえ超えて、2018年の我々が見ると戦慄を禁じえない、いくつもの予知夢的記号に満ちてすらいるのだ。一体どうやって97年の作り手たちがその要素を入れようなどと考えつけたのか?悪魔に導かれたとしか説明がつかない。 深い考えが作り手にあったわけではないだろう。だが序盤に出てくるパーティーのシーンで、我々はまず一度、ギクリとさせられる。思わず体がビクッと反応する、とある予想もしない言葉が飛び出してくるからだ。それはミルトン法律事務所の盛大なパーティー。会場は、主人公が転居してきたマンションの上層階。NYの夜景を一望できる摩天楼のエセ天上界だ。まさに、虚栄の極み。政財界の大物や著名人も顔を見せて、密談と言うにはあまりに大っぴらに蓄財の法的相談が交わされている。そこで、出席した女性陣がこんなことを言って、2018年の我々をギクリとさせるのだ。 (つづき③(完)序盤のパーティーのシーンで突如飛び出す2018年の我々には衝撃的な言葉とは!?) © Warner Bros. Productions Limited, Monarchy Enterprises B.V., Regency Entertainment (USA), Inc. 保存保存