ザ・シネマ 高橋ターヤン
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COLUMN/コラム2020.01.05
本気で泣ける少林寺映画、『新少林寺/SHAOLIN』
“少林寺”といえば、ジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)主演の映画。1970年代生まれのぼく世代にとっては、映画『少林寺』(82年)はそれだけのインパクトを持った映画だった。 まずは予告編からして、朝日をバックにリズムカルな「ハッ!ハッ!ハッ!ハハッ!」という掛け声とともに修行を積む少林僧たち、そして「天に竹林寺、地には少林寺」という唐突すぎて意味不明なキャッチコピー、「知られざること2000年…初めてカメラが撮らえた…世界の武術のルーツ少林寺」「全中国武術大会チャンピオン総出演」「中国縦断ロケ2万キロ」といったモンド映画のように観客の好奇心をそそるコピーが連打される、東宝東和ハッタリ演出の総力を結集したかのような最高の出来で、この予告編を観た全国の小中学生は劇場に殺到。それまで少林寺と言えば日本の武道である少林寺拳法(実は少林寺拳法も本作の製作・プロモーションなどをフルサポートしている)しか知らなかった少年少女たちは、ブルース・リーやジャッキー・チェンとも違う本作のカンフーに喝采を送り、日本では16億円を超えるメガヒットを記録したのだった。 少林寺映画は続編『少林寺2』(83年)『阿羅漢』(86年)という“リンチェイ少林3部作”の大ヒットが決定打となり、完全に世界各国で市民権を獲得。中国では映画を観た少年たちが次々と家出をして少林寺を目指すという社会現象が起き、日本でも『少林寺三十六房』(77年)のような過去作も次々と公開される一大ブームを巻き起こすこととなる。 ところで読者の皆さんは、少林寺はどのような場所なのかご存じであろうか。 少林寺は正式には嵩山少林寺といい、中国河南省にある寺院である。禅宗の開祖である達磨大師がインドから中国に渡り、嵩山で壁に向かって9年間座禅を続け(面壁)悟りを開いたことに始まるとされており、所説はあるが達磨によって少林武術が創始され、僧兵集団を形成していくことになる。隋末には、隋を滅ぼした王世充による攻撃もあったが、これを討伐する太宗・李世民の軍に僧兵を援兵し、国家の庇護を受けた少林寺は発展していくことになる(この時代が『少林寺』で描かれる時代となる)。 その後も少林寺では多様な武術が発展していくのだが、清代末期には武術組織と新興宗教を母体とした義和団の乱が勃発。諸外国の連合軍によって義和団の乱が鎮圧されると、国際的な監視下で中国全土で武術の禁止が発令され、少林拳も強く規制されることになる。さらに袁世凱死去後の軍閥時代末期となる1928年には、軍閥の抗争に巻き込まれる形で寺院の建物や所蔵物が焼失してしまう事態が発生。現在はいくつかの建造物は復興されているが、完全復興には至っていない状態は続いている。しかし少林寺は何回かの存亡の危機に瀕しながらも、そのたびに不死鳥のように蘇ってきた歴史があり、中国の市場経済化以降は、現方丈の釈永信の下で商標ビジネスや物販、少林武術ショーを積極的に行い、巨大な利権を生み出す観光化を推し進めている。 そんな少林寺を舞台にした映画は、中国・香港・台湾の各映画界において何度も何度も作品が作成されてきた。隋代末期の物語をベースとする少林寺モノのブームが沈静化したのちは、かつて福建省に存在していたとされていた福建少林寺の南派少林寺系の武侠や英雄の物語が繰り返し映画化されている(『ドランクモンキー酔拳』(78年)や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズ(91年~)のウォン・フェイフォンなど)。 そして1997年の香港の中国返還後は、多くの香港映画人が中国に渡って少林寺映画を製作。中でも『少林寺』の監督チャン・シン・イェンと『マトリックス』(99年)のユエン・ウーピンが共同監督し、ウー・ジンが主演した『新・少林寺』シリーズ(99年~)と『少林武王』シリーズ(01年~)は中国本土でも大ヒットとなった。さらに香港の喜劇王チャウ・シンチーが監督・主演した『少林サッカー』(01年)は、少林寺(カンフー)+α映画の新地平を切り開き、2013年には本家嵩山少林寺が少林拳とサッカーを組み合わせたサッカースクール開校を発表するなど、映画の影響は大きく広がっていくことになる。ちなみに日本では少し遅れて少林寺映画ブームが到着し、『踊る大捜査線』シリーズの本広克行+亀山千広が制作し、柴崎コウが出演した『少林少女』(08年)、バラエティでも一時人気者となったチャン・チュワン君が主演した『カンフーくん』(07年)、『ガキ使』の浅見千代子が主演する『少林老女』(08年)などが制作されている。 そんな少林寺ブームも一段落した2010年代、新たな少林寺映画のマスターピースが登場することになる。『新少林寺/SHAOLIN』(11年)である。 中華民国の初期は、軍閥同士が血で血を洗う抗争を繰り返す動乱の時代であった。そんな時代の少林寺は、戦乱で家や家族を失った者、傷つき病に倒れる者を救う救済所となっていた。1912年のある日、少林寺に負傷した登封城の将軍・霍龍(チェン・チーフイ)が逃げ込んでくるが、悪逆非道を尽くす軍閥の長である侯杰(アンディ・ラウ)と副官の曹蛮(ニコラス・ツェー)が霍龍を追って少林寺に侵入。霍龍を殺害し、少林寺を侮辱して去っていく。霍龍亡き後の登封城の扱いをめぐって侯杰は妻の顔夕(ファン・ビンビン)の実兄である宋虎将軍(シー・シャオホン)と対立し、その暗殺をもくろむ。しかし腹心の曹蛮の裏切りに会い、侯杰は命からがら脱出するが、愛娘の勝男(嶋田瑠那)が重傷を負ってしまう。切羽詰まった侯杰は少林寺に飛び込むが、少林僧たちの懸命の救護活動の甲斐なく勝男は死んでしまう。勝男を失った悲しみを抱えた侯杰は厨房係の悟道(ジャッキー・チェン)に預けられるが、自ら頭を丸めて出家することを決意する。方丈(ユエ・ハイ)によって入山を許可され、武道と医療の修行を開始して浄覚という法名を与えられた侯杰だったが、曹蛮の悪政で村人が虐殺されそうになることを救ったために少林寺で生き延びていることがバレてしまう。曹蛮は侯杰を殺すため、少林寺に軍隊を送り込むが……。 少林寺の受難時代は隋代末、中華民国初期、文化大革命の3つのポイントとされており、少林寺映画と言えば隋代末を描くものがもっともメジャー。近代以降はどうしても銃vs.拳法という勝ち目のない勝負となってしまうため、映画として描きづらくなってしまうからだ。しかし本作は中華民国初期、少林寺の伽藍の多くが消失した事件をベースにしたオリジナルストーリーとなっている。 配役としては、1982年版『少林寺』でタン師父を演じたユエ・ハイが少林寺の方丈役を演じ、少林僧のリーダーである浄能役には『戦狼 ウルフ・オブ・ウォー』(17年)で中国史上最高の興行収入を上げることになるウー・ジン、顔夕役には最近巨額脱税で話題となったファン・ビンビン、若き野心家・曹蛮役は『かちこみ! ドラゴン・タイガー・ゲート』(06年)のニコラス・ツェー、そしてカンフーが使えない悟道役には何とジャッキー・チェンが演じており、物語を盛り上げる。監督は香港警察映画の名手ベニー・チャン、武術指導はジェット・リーの盟友でジャッキー・チェンの兄弟子のユン・ケイが担当。本作は香港では2011年の旧正月映画として公開されて大ヒットを記録し、第33回香港電影金像奨では助演男優賞、動作設計(アクション指導)などにノミネートされるなど、興行面でも評価面でも大成功を収めた映画となった。 しかし何と言っても本作の白眉は、主演のアンディ・ラウの演技。物語は残虐な侯杰が裏切られて少林寺に向かうまで、侯杰が少林寺で修業して開眼するまで、最後の大戦争をいう3部に分かれており、各章立てがちょうど1/3ずつの時間を使って構成されているのだが、第1部では残虐な冷血漢、第2部では思い悩む苦悩者、第3部では悟りを開いた高僧という、全く異なるキャラクターを見事に演じ分けている。 本作はもちろん激しいアクションが見所の作品であり、美術設計として金像奨にノミネートされた美しい少林寺の風景とクライマックスで破壊(爆破シーンが半端なく凄い!)されて瓦礫の山となるギャップの凄さもあるが、前述のアンディ・ラウとニコラス・ツェーの名演によって何よりも少林寺映画としては稀有な“泣ける少林寺映画”である所がこれまでの少林寺映画とはまったく異なる点となっている。憎しみも悲しみも乗り越えた主要登場人物たちが、最後にたどり着く境地をその目で確かめてほしい。■ © 2011 Emperor Classic Films Company Limited All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2019.12.27
遅れてきたアクション映画界の大型ルーキー、快進撃を続けるジェイソン・ステイ サム!
今、最も旬なアクションスターは誰か? アクション映画界は長らくシルベスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガー、ジャッキー・チェン、スティーヴン・セガール、チャック・ノリスといったメンバーが、寡占ともいえるほ業界を牛耳ってきた。しかし、スタローンは73歳、シュワルツェネッガーは72歳、ジャッキー65歳、セガールは67歳で、ノリスに至っては79歳なのである。人類の平均寿命が延び、年金の支給開始がどんどん後ろ倒しになり、定年後も再雇用やセカンドキャリアが当たり前になっている昨今だとしても、いくらなんでも70代の後期高齢者にアクション映画界をいつまで背負わせているのかと怒られても致し方なしの状況は非常に問題だ。アクションスターの後継者問題は非常に深刻なレベルにあり、特に欧米のアクションスターの人材枯渇っぷりはみていて心配になるレベル。アクションスターという存在が、絶滅危惧種と言われても否定できない状態になっている。 しかしぼくのように年がら年中アクション映画ばかり観ている輩からすると、「心配ご無用!」と太鼓判を押したくなる新進気鋭の若手アクションスターがここにいる。ジェイソン・ステイサムである。 1967年、イングランド中部ダービーシャーで生まれたステイサムは、地元の露店で働きながら、カンフー、キックボクシング、空手といった武道を習得。またサッカー選手としても活躍し、のちに映画で共演することになる元プロサッカー選手ヴィニー・ジョーンズと共にフィールドを駆け回っていた時期もあった。しかし何と言ってもステイサムの才能が開花したのは、水泳の飛び込み競技。イギリス代表候補になるほど卓越した成績を残していたが、ステイサムはアスリートの道ではなくファッションモデルとしてキャリアを積み始める。トミー・ヒルフィガー、グリフィン、リーバイスといった有名ブランドのモデルを務めるだけでなく、シェイメンやイレイジャーといったバンドのミュージックビデオにも出演。そしてステイサムがモデルとして契約していたブランドのフレンチ・コネクションがある映画のスポンサーとなっており、その宣伝もかねてステイサムはその映画に出演することになる。新人監督ガイ・リッチーの長編監督デビュー作であり、ステイサムの映画デビュー作でもある『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(98年)は、その年のイギリス映画のナンバー1ヒット作となり、主人公グループの一人を演じたステイサムも映画俳優として注目を集めるようになっていく。さらに続くガイ・リッチー監督作『スナッチ』(00年)にも引き続き出演。本作では狂言回しの主人公を演じ、俳優としてのステータスは一気に上がったのであった。 ステイサムの転機となったのは2001年に公開された『ザ・ワン』(01年)。ジェット・リーという稀代のアクションスターと共演したこの映画を皮切りに、ステイサムは本格的にアクション俳優としての活動を開始。リュック・ベッソン率いるヨーロッパ・コープ社制作の『トランスポーター』シリーズ(02年~)では、無敵の運び屋フランク・マーティンに扮し、ステイサムの身体能力をフルに発揮したアクションとド派手なカースタンを披露。ステイサム主演で第3作まで作られる人気シリーズとなり、興行収入もうなぎ上りで『トランスポーター3 アンリミテッド』(08年)ではついに世界興収が1億ドルを突破することになる。他にも、アドレナリンを出し続けないと死んでしまう劇薬を投与された殺し屋の活躍を描く『アドレナリン』シリーズ(06年~)、シルベスター・スタローンが消耗品扱いをされてきたかつてのアクションスターを結集して制作した大傑作『エクスペンダブルズ』シリーズ(10年~)、チャールズ・ブロンソン主演作のリメイクとなる『メカニック』シリーズ(11年~)といった人気シリーズに次々と出演。確実に数字を見込めるアクションスターとしてその方向性は確定していくことになる。 しかし興収が1億ドルを突破するようなアクション大作にだけ出演する、単なるアクション俳優で終わらないのがステイサム。『バンク・ジョブ』(08年)や『ブリッツ』(11年)といった渋めのスリラーでもその存在感をアピールし、『SAFE/セイフ』『キラー・エリート』(共に11年)、『PARKER/パーカー』『バトルフロント』(共に13年)のような単発の佳作アクション映画にも主演。まさに八面六臂の大活躍で、アクション映画俳優としての地位を確立したのだった。 ステイサムのアクションの魅力は、幼少期に経験した様々な格闘技をベースにしたガチンコのファイトコレオグラフィと、抜群の身体能力を活かしたスタント。さらに水泳競技で鍛え上げた無駄のない肉体美の躍動だ。大先輩のスタローンやシュワルツェネッガーのように巨大な筋肉の鎧ではなく、最盛期の総合格闘家ヴァンダレイ・シウバのように発達した広背筋と強くしなやかな筋肉がステイサムの強さの説得力となっているのだ。 閑話休題。ここでアクション映画界に存在する“もう一つの頂”、『ワイルド・スピード』シリーズ(01年~)に話を移そう。元々ヴィン・ディーゼルと故ポール・ウォーカーのコンビが繰り出すド派手なカーアクションで人気になったこのシリーズだが、シリーズ第5弾『ワイルド・スピード MEGA MAX』(11年)からDSS捜査官ルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)が参戦した辺りから肉弾アクションも増量。それに伴って興行収入も倍々ゲーム状態で増加している人気シリーズである。 そんな人気シリーズの第6弾『ワイルド・スピード EURO MISSION』(13年)では、これまでアメリカ、日本、ブラジルといった世界をまたにかけて活躍するワイスピ一家が、ついにヨーロッパに乗り込んだ作品で、イギリス特殊部隊出身のオーウェン・ショウ率いる犯罪集団との激闘を描くアクション大作だ。ハイウェイで戦車とのカーチェイスや、巨大輸送機とのカーチェイスなどド派手なアクションが続く本作は、ワイスピ一家がオーウェンを逮捕して終わるのだったが、エンドクレジット後に流れた映像は、まさに世界を震撼させるものであった。そこでは東京で瀕死の重傷を負ったワイスピ一家の主要メンバーであるハンの姿が。シリーズ第3弾『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』(06年)で事故死したとされていたハンは、謎の人物によって殺されていたのだった。その人物こそオーウェンの実兄であり元SAS最強の男デッカード・ショウ、演じるのはジェイソン・ステイサムその人であったのだ! ステイサムのワイスピシリーズ参戦のニュースは衝撃をもって世界で迎えられた。続く『ワイルド・スピード SKY MISSION』(15年)では、ステイサム演じるデッカードが本格的に参戦。タイマンでホブスをボコり、カーチェイスでもワイスピ一家の強豪を上回る腕前を披露。たった一人でこれまでの主要登場人物全員を出し抜くチート状態で、ワイスピ一家はシリーズ最大の危機を迎えることになる。 主演陣のひとりであるポール・ウォーカーが撮影中に事故死するという悲劇を乗り越えて制作された『SKY MISSION』は、世界興収15億ドルを突破するというシリーズ最大の興収を記録。殺されずに逮捕されて刑務所に収監されたデッカードは、必ずや後続のシリーズでふたたび最強の敵としてワイスピ一家の前に立ちふさがるに違いない……映画を観たすべての観客がそう思ったはずだ。 しかし続く『ワイルド・スピード ICE BREAK』(17年)ではいきなりデッカードは弟のオーウェンと共にワイスピ一家側として参戦。さらにデッカード兄弟の母親であるマグダレーン(オスカー女優ヘレン・ミレン!)まで登場し、ショウ家は家族総出で謎のハッカー・サイファー(オスカー女優シャーリーズ・セロン!)と激戦を繰り広げることになる。この前作最強の敵が、次作では強力な味方となって、さらにコメディ的な役割も担う展開を、ぼくは勝手に“魁!男塾システム”と呼んでいるのだが、このシステムによってステイサムは前述の人気シリーズに加えてワイスピシリーズにもレギュラー参戦することになったのだ。 そしてワイスピシリーズ初の長編スピンオフ『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』では、デッカードはいきなり主役に昇格。ホブスとともに無敵の改造人間ブリクストン(イドリス・エルバ!)と激闘を展開するデッカードには、さらに強力な助っ人MI6エージェントのハッティ(ヴァネッサ・カービー)が登場。しかも何とハッティはデッカードの妹ということで、ワイスピ一家の増殖スピード以上にショウ家の増殖スピードが早すぎて、ますますステイサムはワイスピに必要不可欠な人材になっているのである。 という感じで、自身のシリーズ物を何作も抱えつつ、『エクスペンダブルズ』『ワイルド・スピード』という世界的なメガヒットシリーズでも重要な登場人物を演じ、さらに小粋なサスペンスや小品アクション映画にも多数出演。つまり今のアクション映画界はステイサム抜きでは語れない状態なのである。52歳にして意気軒高なステイサム。あと20年はその活躍から目が離せないぞ。■ 『ワイルド・スピード EURO MISSION』©2013 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 『ワイルド・スピード SKY MISSION』© 2015 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 『ワイルド・スピード ICE BREAK』© 2017 Universal City Studios Productions LLLP. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2019.04.24
【ロッキー一挙放送記念!コラム:高橋ターヤンさん】『ロッキー』シリーズを不動の名作にしたある登場人物とは?
『ロッキー』は素晴らしい傑作映画である。これはぼくが今さら述べるまでもなく、世界中でこれほど多くの人々に愛され続け、多くの人々に影響を与えたシリーズというのは他にないのではないか。何も持たざる者が千載一遇のチャンスをゲットして輝ける表舞台に出ながらも、本当に大切なものを見つけていくドラマに感動する『ロッキー』。リングの上で勝敗など関係なく愛するエイドリアンの名を連呼するラストは、何回観てもパブロフの犬のように泣いてしまうのはぼくだけで無いはず。 しかしぼくの中で『ロッキー』シリーズで最も印象に残るのは、バート・ヤング演じるポーリーの存在だ。ポーリーは精肉工場で働く出っ腹の中年で、ペットショップで働く地味な妹エイドリアンに酔っては罵声を浴びせて憂さを晴らす毎日。もっと楽をして金を稼ぎたいと、友人のロッキーにマフィアを紹介してもらおうとするダメ男である。何故か妹に好意を持ったロッキーとエイドリアンの仲を取り持つが、2人が幸せそうになるとバットを持って大暴れ。しまいには「もっとおれに優しくしてくれよお…」(富田耕生さんの声で脳内再生してください)と情けない声を出す。ロッキーはシリーズを重ねるにしたがって、世界王者となり、最強の敵を次々と撃破し、アメリカを代表してソ連王者と戦うことになるのだが、ポーリーはずっとポーリーのままだ。しかしポーリーはシリーズを通じて多くの登場人物が退場していく中、最後までロッキーの傍らに寄り添い、終生ロッキーと共にあった。このポーリーの存在は、ファンの中でも賛否が分かれるところであるが、ぼくはポーリーこそが『ロッキー』シリーズを不動の名作たらしめてきた余人に代えがたい存在であると断言する。 ポーリーはロッキーの合わせ鏡のような存在である。チャンスをものにし、必死のトレーニングを行って日の当たる世界に飛び出していったロッキー。しかしもしあの時、世界王者アポロ・クリードの気まぐれでロッキーが挑戦者に選ばれることがなかったら。ロッキーは三流のボクサーとして選手生命を終え、マフィアの用心棒として誰からも認められることもなく生涯を終えていたかもしれない。ポーリーのように。ロッキーはポーリーの中に常に自身を見いだしていたのではないだろうか。だからこそ、特に自身を顧みることなく、何度も失敗を繰り返しながらずっと変わらずボンクラな人生を送るポーリーを、常にそばに置いてきたのではないだろうかと思うのだ。そしてそんなポーリーだからこそ、ロッキーが辛く苦しいときも、栄光に浸っているときも常に変わらぬ率直な態度でロッキーと共にいることができたのではないだろうか。そしてこの映画を観ているぼくたち観客のほとんどは、ポーリーと同じ境遇にある。つまらない人生、うまくいかない仕事、クソったれな人間関係、金は無い、酒や博打に逃げては後悔の日々……。だからこそぼくたちはポーリーにこの上ない嫌悪と同情、そしてシンパシーを同時に感じてしまうのではないだろうか。そしてロッキーはそんなポーリーを最後まで見下すことなく厚い友誼をもって遇していた点は感動的ですらある。 しかしポーリーは『ロッキー』シリーズ最終作『ロッキー・ザ・ファイナル』をもってシリーズを退場した。新シリーズ第1作となる『クリード チャンプを継ぐ男』では、どんな死に方をしたかは分からないが、ポーリーは死んでしまっているのだ。ロッキーはエイドリアンの墓の横に眠るポーリーの墓の前にたたずむ日々を送っており、そこに盟友アポロの忘れ形見であるアドニスが現れる。そしてロッキーの家に居候することになったアドニスに与えられた部屋こそ、ポーリーの部屋であった。これはロッキーがアドニスを新たな家族として迎え入れたことの証左である。ポーリーは死してなお、『ロッキー』シリーズに多大な影響を与え続けているのだ。 特集の記事はコチラ番組を視聴するにはこちら © 1990 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2018.03.10
史実に忠実な局地戦映画『ズール戦争』は歴史的大傑作!
1800年代初頭に南アフリカに進出したイギリス帝国。先行して入植していたボーア人(オランダ系の植民者)はイギリス帝国の支配を嫌い、新たな入植地を求めてグレート・トレックと称される北上を開始した。そこには強大な戦力を誇るズールー王国が存在し、ボーア人たちとの血で血を洗う抗争を展開。1835年、ボーア人はブラッド・リバーの戦いでズールー族に勝利を収めると、この地にナタール共和国を建国した。しかしこのナタール王国もボーア人の独立を快く思わないイギリス帝国の侵攻によって、わずか4年という短い期間で崩壊してしまう。 その頃、ズールー王国ではボーア人に敗れたディンガネ国王は威信を失って失脚。後継のムパンデ国王の息子2人が後継の座を争って対立し、この内乱に勝利したセテワヨが国王に即位した。セテワヨは軍制を再編し、マスケット銃(先詰式の滑腔式歩兵銃)を装備した小銃部隊を編成するなど、軍の近代化を推進。これは拡大を続けるイギリス帝国を迎え撃つ準備であった。 セテワヨ自身はイギリス帝国との関係を良好に保とうとしていたが、イギリス帝国の原住民問題担当長官のシェプストンが高等弁務官フレアに対し、ズールー王国はイギリス帝国のアフリカ覇権最大の障害であることを報告。南アフリカ軍最高司令官のチェルムスフォード中将もこの意見に同意し、南アフリカのイギリス軍は着々とズールーとの戦争の準備を行うことになる。 1878年、高等弁務官のフレアは2人のズールー兵がイギリス領の女性と駆け落ちして越境したことを口実に、ズールー王国に対して多額の賠償を請求。ズールー王国がこれを拒否すると、フレアはズールー王国側に最後通牒を提示。13か条に及ぶこの最後通牒は、ズールー王国側が絶対に飲めない条件を列挙したものであり、ズールー王国のセテワヨ王はこれに対する明確な回答をせずにいた。 1879年1月、チェルムスフォードはヨーロッパ兵とアフリカ兵からなる17,100名の部隊を率いて、ズールー王国へと侵入を開始。迎え撃つズールー軍は4万の兵力。軍の近代化・火力化は未完だったが、イギリス帝国軍を上回る兵力と、圧倒的な士気の高さ、そして地の利を活かした機動力を持つ強力な部隊であった。 実戦経験の少ないチェルムスフォード中将は、部隊を複数に分割。そのため個々の部隊の兵力は手薄となり、第三縦隊1,700名はイサンドルワナに野営地を構築。そこに突如現れた約2万人のズールー軍が突撃を敢行し、“猛牛の角”と呼ばれる連続突撃戦術によってイギリス軍を全滅させてしまう。イサンドルワナの戦いはズールー軍の精強さをいかんなく発揮した戦いであり、ズールーの名を世界に轟かせることになったエポックな勝利であった。 前置きが長くなったが、ここからが今回ご紹介する『ズール戦争』(64年)の舞台となるロルクズ・クリフトの戦いが始まることになる。 1月22日にイサンドルワナの戦いでイギリス軍を撃破したズールー軍は、翌23日未明に約4,000人の部隊をイサンドルワナから15km離れたロルクズ・クリフトにある伝道所跡に駐屯するイギリス軍守備隊に突撃させた。イサンドルワナの敗戦を聞いたアフリカ兵が逃亡してしまい、ロルクズ・クリフトの守備隊の人数はわずか139人。30倍以上の敵軍に囲まれ、ろくな防御設備も無いロルクズ・クリフトの守備隊だったが、新任将校のチャード中尉指揮の下でズールー軍の猛烈な突撃を何度も撃退することに成功。イサンドルワナから退却してきたチェルムスフォードの本隊が接近したことから、2日間昼夜に渡る波状攻撃を繰り返していたズールー軍はようやく撤退した。ロルクズ・クリフトの戦いでイギリス人は27人が死傷。対するズールー軍は351人が戦死した。 このロルクズ・クリフトの戦いを描く『ズール戦争』は、監督のサイ・エンドフィールドがロルクズ・クリフトの戦いに関する記事を読み、インスピレーションを受けたことから始まる。エンドフィールドはこの映画の企画を友人で俳優のスタンリー・ベイカーに持ち込み、ベイカーはプロデューサーとして資金調達を実施。最低限の資金が集まると、早速映画製作を開始した。 集まった制作費はわずか172万ドル(メイキングでは見栄を張っているのか、260万ドルと称している)。そこでエンドフィールドは友人の俳優とスタッフを集めて制作費を抑え、さらにセット構築費を削減するために南アフリカでのオールロケーションを実施した。現地ではズールー族の協力を得て、1,000人以上のエキストラが参加。演技初体験のズールー族とのコミュニケーションをとるために、スタッフとキャストは積極的にズールー族とコミュニケーションを取る努力を行っている。しかし当時の南アフリカではアパルトヘイト法が存在しており、本作の脚本がズールー族を勇敢で敬意を受けるに足る存在として描いていることもあり、南アフリカの公安が撮影クルーの監視を行っている中での撮影となった。 『ズール戦争』は公開されるや興行収入は800万ドル、イギリス市場では過去最大級の記録的な大ヒット作品となった(映画の舞台となった南アフリカでは、映画に参加した一部のエキストラ以外の黒人はながらく観ることの出来ない映画となっていた)。本作はイギリス人の琴線に触れる作品となっており、毎年年末年始にTVで放映されるという『忠臣蔵』のような定番映画となっている。 本作の素晴らしさは、まず映画をロルクズ・クリフトの戦いのみを描いたことであろう。ズールー戦争全体を描けば、イギリス帝国の侵略戦争、黒人差別、虐殺といったセンシティブなキーワードに触れざるをえず、価値観が目まぐるしく変わる現代においては観る者によって評価を大きく変えてしまうポイントとなる。しかし本作では、どちらが正義でどちらが悪という描き方ではなく、純粋にひとつの戦いを史実に沿って描く作品とし、余計なものを極力そぎ落としている点が、後世でも高い評価を受けている大きな要因だろう。 また驚くべきことに1960年代の脚本にも関わらず、ズールー族を野蛮な原住民ではなく、特殊な美意識を持った尊敬すべき集団として描いている点も注目。逆にイギリス軍側は、侵略者でも犠牲者でもなく、絶望的な状況に放り込まれたごく普通の青年たちとして描くことで普遍性をゲットすることに成功している(フック二等兵の描き方には子孫からのクレームもあったが)。 また史実を忠実に再現し、緊急の防御陣地設営、長篠の戦いよろしくマルティニ・ヘンリー銃(5秒に1発射撃可能)での三段射撃で間断なく制圧射撃を繰り返す様子や、ズールー族側の“猛牛の角”作戦など、緻密なリサーチが行われたことが映画の端々から感じられ、マニアックな視点でも信頼性が非常に高い作品となっている。 他にも予算不足に起因したオールロケーションも、結果的には大成功。アフリカの広大な風景はセットやマットペイントでは決して再現できなかったであろう。音楽を担当したジョン・バリーも流石のお仕事だ。 そして本作で存在感を示したのは、準主役のマイケル・ケイン。ながらく下積みを続けていたケインは、オーディションの末にフック二等兵役となっていた。しかしブロムヘッド少尉役の俳優が降板し、現地入りした俳優の中で一番貴族出身将校っぽく見えるケインがブロムヘッド少尉役に抜擢。初めての大役で戸惑うケインの立ち位置と、初めての戦場で戸惑うブロムヘッドの立ち位置が見事にシンクロして高い評価をゲット。ケインは『国際諜報局』(65年)で世界的スターへと上り詰めていくことになる。 本作は英国映画協会が選ぶイギリス映画ベスト100でも、30位に入る作品。イサンドルワナの敗戦を描く『ズールー戦争』(79年)も併せて観ておきたい作品である。■ TM, ® & © 2018 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.02.05
第一級の地味ポリティカル・サスペンス『パララックス・ビュー』~2月6日(火)ほか
あなたも思ったことは無いだろうか? 「自分は誰かに狙われている」 「自分がこんな状況なのは誰かの陰謀なのではないか」 「給料が安いのは国際的巨大企業の謀略」 「沖縄米軍の事故はパヨクの自演」 「自分が結婚できないのは中国共産党の国家的戦略」 ……誰しも大なり小なりこんな妄想に憑りつかれることはあるのではないだろうか。筆者も中学生時代の辺りから毎日そんなことを考えて、今も自己を肯定しようと必死に生きてます。すみません。 「自分以外の周囲は気付いていないが、何かが起こっている」というサスペンス映画は、風呂敷が大きければ大きいほど面白い。だってそんな大がかりな話なのに誰も気付いていないのは、よほど巧妙に隠蔽されているからだ。ということで、サスペンスというジャンルの中で風呂敷が大きいサブジャンル、ポリティカル・サスペンスは面白い作品の宝庫なのである。 特に政治に闇が多かった時代。1970年代は、ペンタゴン・ペーパーズ事件、ウォーターゲート事件といった事件の連続によって、その陰謀論が空論や妄想ではなく実際にあったという証拠が次々と見付かったことも相まって、このジャンルが百花繚乱状態となっている。 ロバート・レッドフォードの大快作『コンドル』(75年)、バート・ランカスターが出演した『カサンドラ・クロス』(76年)や『合衆国最後の日』(77年)など枚挙にいとまがないし、現在製作される映画でもこの時代を舞台にした『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』(17年)が次々と製作され、高い評価を受けている。また少し前の映画になるが、ジョン・フランケンハイマー監督の『影なき狙撃者』(62年)はキューバ危機によって世界戦争が危惧される時代に作られたし、イヴ・モンタンのフランス映画『Z』(69年)もギリシャの政治的混乱を舞台にした素晴らしい作品だった。 そんな中で、『ソフィーの選択』(82年)『推定無罪』(90年)『ペリカン文書』(93年)などのポリティカル・サスペンス映画の巨匠アラン・J・パクラ監督は、1970年代に2本の傑作を生みだしている。 まずは派手な方の傑作、ウォーターゲート事件を追うワシントン・ポスト紙の記者の戦いを描く『大統領の陰謀』(76年)。事件発生から3年、ニクソン大統領の辞任から2年という短期間に製作された本作は、ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンというこの時代を代表するやさ男俳優2名を配置。タイプライターから吐き出される文字だけで表現される物語の顛末は、痛快でも爽快でも無いが、ひたすら地道であることの正しさを表現した素晴らしいラストシーンであると思う。 この『大統領の陰謀』によって、その年の第49回アカデミー賞では作品賞、監督賞、助演男優賞、助演女優賞、脚色賞、録音賞、美術賞、編集賞の8部門にノミネート。ジェイソン・ロバーズの助演男優賞、ウィリアム・ゴールドマンの脚色賞、録音賞と美術賞という4部門を受賞するという、この年を代表する作品の一つ(この年の作品賞は『ロッキー』)となっており、パクラ監督の代表作となっている。 そしてその前作にあたり、後年の『大統領の陰謀』に繋がるもう一本の(地味な)傑作が、今回ご紹介する『パララックス・ビュー』(74年)である。 次期大統領の有力候補とされるキャロル上院議員が、シアトルのランドマークであるスペースニードルでの演説中に射殺される事件が発生。SPによって追い詰められた犯人は、スペースニードルの屋上から転落して死亡した。この事件を調査した調査委員会は、犯行は狂信的愛国主義者による単独犯行として報告。事件は「よくある事件」のひとつとして、人々からは忘れ去られていった。 3年後。ロサンゼルスのローカル紙記者のフレイディのもとに、かつての恋人のリーが訪れる。リーはキャロル議員暗殺の現場にいたTVレポーターで、暗殺の現場にいた20人の目撃者が次々と不慮の事故で死亡している事実を知り、フレイディに助けを求めに来たのだった。フレイディは偶然の連続として一笑に付したが、フレイディは数日後に睡眠薬の過剰摂取で死体となったリーと再会することになる。 元恋人の死によって、ようやくこの事件に疑念を抱いたフレイディは、リーが把握している以外にも不審死した目撃者がいることを知り、本格的に調査を開始する。事件を調べる過程で何度も殺されそうになるフレイディだったが、自分を殺そうとした者の自宅を調べるとパララックス社という謎の会社の就職希望願書と適性テストの用紙を発見する。次々と目撃者が死亡する中で、フレイディはパララックス社への潜入を決意。フレイディはそこで衝撃の事実を目撃することになる……。 本作が制作されたのは、ウォーターゲート事件が本格的に表沙汰となり、それを政府が躍起になってもみ消そうとしていた時期だ。明確な関係性は不明瞭ではあるが、限りなく黒に近いグレーな状態が続き、それでも米中国交回復を実現してベトナム戦争を終結させようとしている政府を信じる者と、政府を疑う者の対立が激化していた時期である。そんな時期に制作された本作も、各種暗殺事件へのパララックス社の関与と、パララックス社と政府との関係性は最後までグレーなまま、救いの無いラストを迎えることになる。非常に後味の悪い作品と言っても過言ではない。そもそもパクラ監督の作品はドラマティックさをあえて抑制し、主人公が何を考えているのか分かりづらい作品が多いので、この映画だけが特別という訳ではない。 しかし逆にドラマティックさを抑制することによってリアリティが増幅し、主人公の器の中身を見せないことで、逆に感情移入できる人にとっては尋常でない共感度の向上を実現している作品でもある。フレイディを演じたウォーレン・ベイティの描き込みが不足していると見る向きもあるが、そこが観る者の想像力を膨らませるポイントにもなっている。 タイトルの“パララックス・ビュー”とは視差のことである。視差とは、見方によって対象物が異なって見えることであり、劇中パララックス社に潜入したフレイディが体験する“あること”がずばりそれであり、またこの映画の結末も視差によって異なる結末に捉えられるようになっている。 本作の素晴らしさは撮影だ。撮影を担当したのはゴードン・ウィリス。『ゴッドファーザー』シリーズやウッディ・アレン映画の撮影監督として有名なウィリスは、本作以外にも『コールガール』(71年)、『大統領の陰謀』、『推定無罪』など多くの作品でパクラ監督とタッグを組んでいるが、本作での映画のトーンに合わせた冷たい画作りは、劇伴を極限までそぎ落とした本作にベストマッチしており、ウィリスの仕事の中でも白眉と言って良いだろう。 あまり評価されることの無く、スケールも小さな地味な作品であるが、圧倒的なリアリティと恐怖をもって迫る力作である。必見。■ TM, ® & © 2018 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2017.12.10
名匠トニー・スコットの本領発揮、痛快なスパイ映画の傑作『スパイ・ゲーム』を吹替えでもいかが?~12月字幕+吹替え3バージョン
カリフォルニア州ロサンゼルスにある460mの吊り橋、ヴィンセント・トーマス橋。ロサンゼルス港とサンペドロ地区を結ぶ最高高所は56mというこの橋からの眺めは、カリフォルニアらしいビーチ風景ではなく、港湾工業地帯の無機質なものとなっている。 2012年8月19日、この殺風景な橋から老齢の男性が飛び降り自殺を図った。老人の名はアンソニー・デビッド・スコット。『エイリアン』『ブレードランナー』などで知られるリドリー・スコット監督の実弟で、トニー・スコットという名前で世界的な大ヒットを連発した名監督だ。 トニーは1944年6月21日、3人兄弟の末っ子としてイングランドで生まれた。ロンドン王立美術大学を卒業したトニーは、画家として活動しつつBBCでドキュメンタリーを撮りたいと考えていたが、長兄のリドリーの薦めで劇映画監督を志す。リドリーの設立したCM制作会社RSA(リドリー・スコット・アソシエーツ)でCMの監督としてその実力を認められたトニーは、1983年に小説『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』にインスパイアされて、同じ吸血鬼映画である『ハンガー』で長編映画監督としてデビューを飾る。カトリーヌ・ドヌーヴ、デヴィッド・ボウイ、スーザン・サランドンという豪華スターが揃った『ハンガー』はカルト的な人気を誇る作品となったが、興行的には成功とは言い難い結果となってしまった。 再びCM業界へと戻ったトニーのもとに、2人の男が訪れる。『ハンガー』を評価したドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーだ。既存のハリウッド映画に飽き飽きしていたシンプソンとブラッカイマーは、まったく新しい映画を作れる監督を探していた。白羽の矢が立ったトニーは『トップガン』を監督。1981年に開局して大ムーブメントを巻き起こしていたMTVに倣い、映画をサントラのプロモーションビデオのように撮る斬新さと、細かなカット割りによる緊張感溢れるドッグファイトシーンが好評を博した。さらに主演のトム・クルーズは、本作によって世界的な大スターへの階段を駆け上がり、映画のサントラは爆発的な大ヒット。フライトジャケットのMA-1やレイバンのサングラスを着用したフォロワーが世界中に溢れるなど、これまでの映画とは異なるビジネス展開が発生するエポックメイキングな作品となった。 『トップガン』の大ヒットによって一役スター監督となったトニーだったが、その後の作品で『トップガン』を超える社会現象を巻き起こすような作品があったかというと微妙だ。シンプソンとブラッカイマーの出世作の続編『ビバリーヒルズ・コップ2』は前作を超えるヒットとはならなかったし、上り調子だったケビン・コスナーを主演に迎えた『リベンジ』も興行的には失敗となった。再びトム・クルーズとタッグを組んだ『デイズ・オブ・サンダー』はヒットしたものの、続くブルース・ウィリスの『ラスト・ボーイスカウト』は壊滅的な興行収入となってしまったのだ。 しかし『トゥルー・ロマンス』では痛快なバイオレンス・ラブ・ロマンスとして非情に高い評価を獲得し、盟友デンゼル・ワシントンと初タッグを組んだ『クリムゾン・タイド』は緊迫感溢れる潜水艦映画として大ヒットを記録した。ロバート・デ・ニーロとウェズリー・スナイプスが共演したストーカーサスペンスの『ザ・ファン』は奮わなかったが、『インデペンデンス・デイ』や『メン・イン・ブラック』で面白黒人枠でスターになったウィル・スミスをシリアスな役に挑戦した『エネミー・オブ・アメリカ』は興行的にも批評的にも成功を収め、再び売れっ子監督に返り咲いたトニーが2001年に監督したのが、この『スパイ・ゲーム』となる。 1991年。伝説のCIA工作員であるネイサン・ミュアー(ロバート・レッドフォード)は、この日をもってCIAを円満退職することとなっていた。しかし早朝から長年の友人であるCIA香港支局長のダンカン(デヴィッド・ヘミングス)からの電話で起こされることに。ダンカンからの情報は、ミュアーの愛弟子の工作員であるトム・ビジョップ(ブラッド・ピット)が、中国の蘇州刑務所での作戦中に拘束されたというものであった。しかもビジョップは中国で行われる別の作戦を途中離脱して、許可なく蘇州刑務所に潜入していたのだった。しかも折り悪く米中通商会談の直前ということもあり、アメリカ政府はビジョップ見殺しもやむなしの方向に流れていた。 CIA内では、何故ビジョップが職場放棄をしてまで蘇州刑務所に潜入したかを確認するため、ミュアーの上司であるフォルジャー(ラリー・ブリッグマン)とチャールズ・ハーカー(スティーヴン・ディレイン)らがミュアーを呼び出し、彼が知るビジョップの実像のヒアリングを開始する。そこでミュアーはビジョップと初めて出会ったベトナム戦争末期の暗殺作戦の話を語り始める。それはミュアーとビジョップの師弟関係と、CIA内でも誰も知らなかった様々な新事実が浮かび上がる15年に渡る長大な物語であった。そしてミュアーは決別していた愛弟子ビジョップを救うべく、ヒアリングの休憩時間の間をぬって、長年の工作員生活で培った手練手管を使っての救出作戦を策謀する。しかしビジョップ処刑までのタイムリミットはすでに20時間を切っていた……。 本作はロバート・レッドフォードとブラッド・ピットという新旧超絶ハンサム俳優の共演で話題となった映画なのだが、ただのハンサム俳優ではない二人の演技力が極限まで引き出された作品と言える。二人が演じたミュアーとビジョップの師弟関係の描き方が見事で、物語が進むにつれて二人の絆と確執が観る者の共感を呼ぶものとなっている。レッドフォードにとっては、僅かなチャンスを決して逃さないプロフェッショナリズムに徹しながらも熱い感情を内に秘めるミュアー役は、キャリアの後半の中でも傑出したキャラクターとなっている。筆者はこの作品から遡ること25年前に出演した『コンドル』でレッドフォードが演じた若きCIAエージェントのその後の姿がミュアーであると勝手に想像して楽しんだりしている。もちろんトンパチで生意気な天才エージェントのビジョップを演じたピットも素晴らしい。 トニーの演出も冴えまくり、トニーお得意の激しいカットの切り替えが過去と現在が入り混じる展開の中で効果を発揮。スパイアクションでありながら発生する激しい銃撃戦や、予想外の度を超えた大爆発も実にトニー映画らしい。また綿密に張られた伏線が、クライマックスで一気に回収される痛快な展開と、感動的でありながら決してしみったれた形で終わらない爽やかなラストは必見の作品となっている。 さて、本作はVHSやDVDなどのメディアに収録されたバージョンとテレビ東京の木曜ロードショーで放映されたバージョン、そしてフジテレビのプレミアステージで放映されたバージョンの3つのバージョンの日本語吹替え版が存在している。メディアバージョンはレッドフォード役と言えばこの人、野沢那智が担当し、ピット役は定番の山寺宏一が担当。そしてテレ東バージョンではテレ東・テレ朝のピット役の定番声優・森川智之と、レッドフォード役には広川太一郎が担当したりなんかしちゃったりしている。フジテレビバージョンのピット役は、日テレ・フジ版のブラピ定番声優の堀内賢雄が担当し、レッドフォード役には磯部勉という意外なキャスティングがされているのだが、これがまた望外にハマっている(広川版に近い感じ)。 何と今回はザ・シネマでこの3バージョンがすべて放送されるので、それぞれのバージョンを聴き比べて、名人たちの吹替えの妙を楽しんで頂きたい(筆者は原語版も含めて、テレ東版が一番のお気に入りです)。■
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COLUMN/コラム2017.10.15
多重人格(?)ジョニー・トー監督の本領発揮作『MAD探偵 7人の容疑者』〜10月05日(木)ほか
香港。西九龍署のバン刑事は、人が内に秘めた人格を察知する特殊な能力を持つ刑事。さらに被害者や加害者の状況を疑似体験して事件の真相を知ることで、数々の難事件を解決してきた有名刑事である。しかしバン刑事の異常行動は、事件捜査の際だけでなく、署長退任時に自身の右耳を切り取ってプレゼントするなどエスカレート。バン刑事は、状態的に奇行を繰り返すようになっていき、ついには精神病と診断されて警察も追われてしまった。 『MAD探偵 7人の容疑者』は衝撃的かつ不可解な始まり方をする映画だ。説明が極力省略されていることで、バン刑事の周囲で起こる異常な状態と異常な行動を、観客はバン刑事の周囲の人物たちと同様に「一体何が起こっているのか?」という目線で見始めることになる。 5年後、バンのもとにホー刑事がやってくる。ホー刑事は新人刑事時代に、バンと共に殺人事件を担当し、その衝撃的な捜査スタイルが強く印象に残っており、今自身が担当している事件への協力を依頼したのだ。その事件とは“ウォン刑事失踪事件”。1年半前のある夜、同僚のコウ刑事と共に窃盗事件の捜査中だったウォン刑事は、犯人を追う中で山中で姿を消した。しかしウォン刑事の拳銃が複数の強盗事件で使用され、4人の死者も出る事態となっていたのだ。ウォン刑事の生死も不明な中で事件捜査は難航し、担当のホー刑事はバンに助けを求めたのだった。 バンはコウ刑事を見るなり、コウ刑事が内面に秘める7人の人格を察知。ウォン刑事失踪事件の犯人は、コウ刑事であることを断定する。突飛で不可解な行動を繰り返しながらも事件解決に向けて少しずつ前進するバンを理解しようと努力するホー刑事だったが、バンはホー刑事の警察手帳と拳銃を持ち去って勝手に捜査を開始してしまう事態になってしまい……。 バンの持つ能力は、サイコメトリー能力(残留思念を読み取る能力)であり、ビジュアライズされたテレパシー能力(相手の考えていることが分かる能力)。サイコメトリーと言えばデヴィッド・クローネンバーグの『デッドゾーン』(83年)を想起するが、『デッドゾーン』と違ってその能力の具体的な裏付けの説明が一切ないため、バンが超能力者なのか、実はただのサイコパスなのかは最後まで明確にされることは無いというのが特徴的な作品。 監督はジョニー・トーとワイ・カーファイのゴールデンコンビ。主役のバン役には目力が強力な野性味あふれるラウ・チンワン。バンに事件解決依頼をしたために本当にひどい目に遭うホー刑事役には、アクション映画で実力を発揮するアンディ・オン。事件の当事者であるコウ刑事役は、香港の蟹江敬三ことラム・カートン。ビジュアライズ化されたコウ刑事の7人の人格役にはラウ・カムリン、ラム・シュー、チョン・シウファイらが配役されている。 89分というタイトな映画であるが、中身がギュウギュウに詰まった映画で、ラウ・チンワンが同じ食べ物を何度も注文する食事シーンや、ラウ・カムリンの立ちションシーンなど印象的なシーンの目白押し。メキシカン・スタンドオフが炸裂するドラマティックなクライマックスと、唐突に終わる間抜けにもほどがあるラストのコントラストは衝撃的だ。 さて、本作の監督であるジョニー・トーは、もちろんご存じの通り香港を代表する世界的な監督であるのだが、筆者はトー監督もまた多重人格なのではないかと疑っている。 ジョニー・トーは1955年生まれの62歳。香港の九龍に生まれたトーは、17歳の時に香港最大のテレビ局TVBでアシスタントとしてキャリアをスタートする。翌年にはバラエティ番組のディレクターとして演出家デビュー。数々のテレビ番組やテレビドラマを演出した後、1980年には『碧水寒山奪命金』で映画監督デビュー。1989年にはチョウ・ユンファ主演の『過ぎゆく時の中で』を監督し、スマッシュヒットを飛ばす。アンディ・ラウの『raiders レイダース』(91年)やチャウ・シンチーの『チャウ・シンチーの熱血弁護士』(92年)など、若手の有望株の主演作を次々と監督し、その実力を認められたトー監督は、1993年に香港版『チャーリーズ・エンジェル』とも言うべき『ワンダー・ガールズ 東方三侠』を監督。アニタ・ムイ、ミシェル・ヨー、マギー・チャンという美女三人が大活躍するアクションコメディは大ヒットを記録し、同年中に続編も制作されている。また第二次世界大戦中の中国空軍兵のラブロマンス『戦火の絆』(96年)、ラウ・チンワンと初タッグを組んだ消防士アクション映画『ファイヤーライン』(96年)と、佳作を量産体制に入る。また1996年には、TVBでプロデューサーとして活躍していた同い年のワイ・カーファイと銀河映像を設立しており、トー監督作品はこの銀河映像で制作されることになる。 1998年、名曲『上を向いて歩こう』をバックに敵対する組織に属する殺し屋2人の絆を描く『ヒーロー・ネバー・ダイ』(98年)で、カルト的な人気が爆発。さらにヤクザの親分のボディガードたちの死闘と友情を描く『ザ・ミッション 非情の掟』(99年)で、香港電影金像奨の最優秀監督賞を受賞して完全に覚醒する。『ヒーロー~』と『ザ・ミッション』で新世代香港ノワールの旗手として完全に認識されたトー監督だったが、翌年には盟友ワイ・カーファイと共同監督した『Needing You』が香港で凄まじい大ヒットを記録する。本作はアンディ・ラウと歌手として大活躍するサミー・チェンがドタバタを繰り返しながら接近していく様子を描く胸キュンラブコメディで、トー監督が香港ノワールの監督とレッテルを貼っていたファンは度肝を抜かれることとなる。 さらにアンディ・ラウとサミー・チェンを続けて起用した、香港版『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合』とも言うべき『ダイエット・ラブ』(01年)を発表。特殊メイクで激太りさせた主演2人のドタバタ喜劇は、またまた大ヒットしている。 香港ノワールの巨匠、ラブコメの帝王の名を欲しいままにしたトー監督だったが、その後は日本から反町隆史を招いて制作された『フルタイム・キラー』(01年)を発表。アンディ・ラウが謎日本語を駆使し、謎が謎を呼ぶ悪夢のような展開によって、ヘンテコ映画として認識されることになる。さらに2003年にはジョニー・トーのヘンテコ路線の究極系である『マッスルモンク』を発表。未見の読者には是非観て頂きたいのであるが、とにかく凄まじく変な映画で、前半のスチャラカコメディタッチのデタラメ展開から、後半のシリアス展開へのギャップも凄く、唖然とすることを請け合いの怪作である(しかし本作は香港電影金像奨で13部門にノミネートされ、最優秀作品賞を受賞するという快挙を成し遂げる……謎である)。 ここで「ジョニー・トーもすっかり変な監督になっちまったな……」と思わせておいて発表されたのが『PTU』(03年)。香港警察特殊機動部隊の一夜を描く『PTU』は、改めてトー監督の実力を満天下に知らしめる大傑作。香港電影金像奨で10部門にノミネートされ、トー監督は最優秀監督賞を受賞している。かと思えば同年には金城武主演の軽いテイストのラブコメディ『ターンレフト・ターンライト』(03年)を発表。2003年にはノワール、ラブコメ、ヘンテコの3作品を発表しているのだ(さらにSARSでパニックになった香港を励ますために『1:99 電影行動』も監督している)。 その後もヘンテコ路線として『柔道龍虎房』(04年)、『強奪のトライアングル』(07年)、『僕は君のために蝶になる』(08年)を、ノワール路線として『ブレイキング・ニュース』(04年)、『エレクション』シリーズ(04年~)、『エグザイル/絆』(06年)、『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(09年)を、さらにラブコメ路線として『イエスタデイ、ワンスモア』(04年)、『単身男女』(11年)、『香港、華麗なるオフィス・ライフ』(15年)を監督している。 さらにこの3つのジャンルをそれぞれミックスしたようなハイブリッド作品として、『MAD探偵 7人の容疑者』(ノワール+ヘンテコ)のような作品も発表する。3つのジャンルを縦横無尽に行き来しながら年に3本も4本も映画を監督し、しかも次々と傑作・怪作・ヒット作を連発するという芸当は並みのことではない。こんな作品を発表し続けるトー監督は、やはり多重人格なのではないかと思うのだ。■ © 2007 One Hundred Years Of Film Company Limited All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2017.09.10
「考えるな、感じるな、ただ下らなさに笑え」香港ナンセンスコメディの正当後継映画『ドラゴン・コップス -微笑(ほほえみ)捜査線-』〜09月11日(月)ほか
おそらくほとんどの方はブルース・リーの一連の作品やジャッキー・チェンの作品のような「カンフー映画」ではなかろうか。その他にジョン・ウーの『男たちの挽歌』や『インファナル・アフェア』、ジョニー・トーの一連の作品のような「香港ノワール」を思い浮かべる方もおられるであろうし、中にはウォン・カーワイやピーター・チャンのようなアート寄りな作品を連想される方もいるのではないだろうか。 そしてそうしたジャンルと並んで、香港映画の代表的ジャンルとして今なお人気を博しているのが、コメディ映画、特にナンセンスコメディ映画なのである。 香港映画は日本の技術者の協力の下、京劇ベースの武侠映画からスタートし、キン・フーやチャン・チェのようなアクション映画に骨太な人間ドラマを持ち込んだ名監督が登場。さらにブルース・リーの登場によって、本物の武術のバックグラウンドを持つ俳優たちによる別次元のアクション映画が登場することで、最初の全盛期を迎える。ブルース・リーの急逝によってその勢いは陰りを見せるかに思えたが、ブルース・リーの遺産である「カンフー映画」というジャンルは次世代のスターを生み出せずにいた香港映画界を延命させることに成功した。 ブルース・リーによって、東アジア最大の映画会社ショウ・ブラザースと並ぶ規模に成長したゴールデン・ハーベスト社は、次なるドル箱の映画を探していた。そこで目を付けたのが、ブルース・リーと同窓で、TV番組の司会者として人気を博し、映画界に活動の場を移していたマイケル・ホイだった。 マイケル・ホイは『Mr.BOO!』シリーズ(日本の配給会社によって一連のシリーズのようなタイトルを付けられているが、それぞれが独立した作品)を立ち上げて、香港映画史上に残るメガヒットを記録。カンフーアクション映画一辺倒であった香港映画界に大きな風穴を空け、この大ヒットがジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポーらを輩出するコメディ・カンフー映画の呼び水になったことは言うまでもない。 『Mr.BOO!』の特徴は、言うまでもなくナンセンスギャグの連発、そして社会風刺の効いたストーリー展開だ(もちろん日本では吹替版の故・広川太一郎氏の絶大な貢献があるが、本稿では無関係なので泣く泣く割愛する)。これ以降、香港には様々な種類の映画が登場し、いよいよアジアのハリウッドとしての地位を確立していくことになる。マイケル・ホイの系譜は、さらに香港映画史上最大級のヒット作となった『悪漢探偵』シリーズに繋がり、ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーの『福星』シリーズや『霊幻道士』シリーズといったアクションコメディの大流行に繋がっていくことになる。 そして80年代後半になると、現在に至るまでヒットメーカーとして活躍する一人の天才監督が登場する。バリー・ウォン(ウォン・ジン)だ。芸能一家に育ち、テレビ局の脚本家から映画監督に転身したバリー・ウォンの名を一気に知らしめたのは、何と言っても『ゴッド・ギャンブラー』シリーズだろう。1989年にノワール食の強いギャンブルアクション映画『カジノ・レイダース』を撮りあげたバリー・ウォンは、同時期にナンセンスコメディ、エンタメ方向に思いっきり振り切ったギャンブルアクション映画『ゴッド・ギャンブラー』も制作。香港ノワールのハードコアで陰惨な世界に飽いていた香港の映画ファンは、笑って燃えて最後にホロリとさせる『ゴッド・ギャンブラー』の上映館に押し寄せたのだった。 バリー・ウォンは次々とヒット作の制作・監督・脚本を担当し、そのコメディ作品ではチョウ・ユンファやアンディ・ラウといった人気俳優の新たな側面を引き出すことに成功。そのため多くの有名スターが、こぞってバリー・ウォンの作品に出演するようになっていく。 しかしバリー・ウォンの最大の功績は、コメディ映画の次世代スーパースターを次々と発掘したことであろう。その中でも最大のスターに成長したのがチャウ・シンチーだ。チャウ・シンチーはバリー・ウォンのナンセンスコメディのあり方をさらに進化させて世界的な映画人へと成長していくことになるが、こちらも本稿とは直接関係は無いため割愛する。 さて、このバリー・ウォンの確立したナンセンス・コメディで大化けした俳優もいる。前述のチョウ・ユンファやアンディ・ラウだけでなく、『ドラゴン・コップス』の主役の一人を演じたジェット・リーだ。『少林寺』で大ブレイクした後、不遇な10年を経てコメディ要素を強くしたワイヤーアクション超大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズでマネーメイキングスターの地位を確立したジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)。『ワンチャイ』シリーズの監督ツイ・ハークと揉めてシリーズを降板した後に出演したのが、バリー・ウォンの『ラスト・ヒーロー・イン・チャイナ/烈火風雲』だった。ここで『ワンチャイ』以上にワルノリしたコメディ演技を開花させたジェット・リーは次々とバリー・ウォン作品に出演。中でも今回紹介している『ドラゴン・コップス』との類似点の多い『ハイリスク』は、香港映画マニアの好事家の間でも非常に評価の高い作品だった。しかしジェット・リーはハリウッドに進出し、再びシリアス路線に戻ってコメディ演技を封印。実に8年ぶりに本格コメディ映画に復帰したのが、この『ドラゴン・コップス』なのである。 セレブリティの連続死亡事件。死体は常に微笑んでいるという怪異な事件だ。この事件を追っていた刑事プーアル(ウェン・ジャン)と相棒のフェイフォン(ジェット・リー)、そして彼らの女性上司のアンジェラ(ミシェル・チェン)は、死んだ者たちに共通点を見出す。彼らはすべて売れない映画女優のチンシュイ(リウ・シーシー)と関係していたのだった。プーアルはチンシュイから事情を聞くが、チンシュイを迎えにきた姉のイーイー(リウ・イェン)は怪しさ満開。捜査を進めていると、死んだ者たちには保険金がかけられており、その受取人はすべてイーイーだったのだ……。 映画のビジュアル的にジェット・リー主演映画のように思えるだろうが、本作の主演はプーアル刑事役のウェン・ジャンだ。テレビ俳優としてブレイクした後、ジェット・リーがアクションを封印したヒューマンドラマ『海洋天堂』で、ジェット・リーの自閉症の息子役で本格的に映画界に進出。チャウ・シンチーの『西遊記~はじまりのはじまり~』や『人魚姫』でブレイクした若手俳優だ。実生活でもジェット・リーを「パパ」と呼ぶほど仲の良いウェン・ジャンは、共演2作目となる本作でも息の合ったコメディ演技を見せており、コスプレも厭わない自信満々なポンコツという点で前述の『ハイリスク』でのジャッキー・チュンを彷彿とさせる。 またバリー・ウォンは、自作でチンミー・ヤウのような常軌を逸したような超美人女優にムチャブリを繰り返すことで有名だったが、『ドラゴン・コップス』も負けていない。台湾で大ヒットした青春ドラマ『あの頃、君を追いかけた』でブレイクしたミシェル・チェン。本作ではアクションに挑戦したり、壁に激突したりと大活躍を見せる。そして行定勲監督の『真夜中の五分前』で双子の姉妹を演じたリウ・シーシーはワイヤーアクションにも挑戦。さらにシンガーやテレビ番組の司会者として有名で、中国の美人ランキングで1位にもなったリウ・イェンは、パブリックイメージ通りの豊満なバストを半分放り出したまま登場する。 そしてジェット・リーファンなら期待するアクションも盛り沢山。オープニングではジェット・リーとの共演は『カンフー・カルト・マスター』以来6作品というコリン・チョウは、相変わらず息の合ったアクションを展開。監督・主演を務めた映画『戦狼 II』が興行収入800億円超えという世界興行収入を塗り替える大ヒットを記録しているウー・ジンも登場。そして最後には時空を超えた人物との最終決戦が待っている。 ……改めて申し上げるが、本作はハードなバディアクションものではなく、あくまでもナンセンスコメディ映画だ。真面目な作品や、コメディタッチのアクションという期待をして観るとその落差に呆然とする類の作品である。しかしあえて言いたい。 「おれ達の好きな香港映画はこれだ!」 と。 まさにマイケル・ホイが切り開き、バリー・ウォンが再構築し、チャウ・シンチーが世界を制した香港コメディ映画の正当なスタイル。本当に下らないギャグが連発し、ヒット作のパロディが随所に取り込まれ、凄まじい人数のカメオ出演者が登場するというオールスターかくし芸大会的な、香港映画が本来持っていたサービス精神の塊のような作品。その正当後継者が、この『ドラゴン・コップス -微笑捜査線-』なのだ。■ ©2013 BEIJING ENLIGHT PICTURES CO., LTD. HONG KONG PICTURES INTERNATIONAL LIMITED ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2017.08.03
おそロシア…実際にロシアで起きている事件をベースにした展開が散りばめられたサスペンスアクション〜『イヤー・オブ・ザ・スネーク 第四の帝国』〜8月24日(木)ほか
主に、熊が日常にいる光景や怪力の老婆といった通常我々の日常で目にすることは無いあり得ない風景、ウォッカによる泥酔者などロシアならではの牧歌的かつ非現実的な画像を指す。しかし“おそロシア”はそれだけでなく、原始的な暴力が身近にあるロシアの日常風景や、ロシアの最高権力者プーチン大統領のマッチョすぎるスナップなども“おそロシア”の代名詞となっている。そんな“おそロシア”を体現するかのごとき作品が、今回ご紹介する『イヤー・オブ・ザ・スネーク 第四の帝国』である。 1998年のロシア。高層アパートが突然の爆弾テロで崩壊する。それから13年後、ドイツ人ジャーナリストのポールは、亡父の友人であるアレクセイがロシアで発行するゴシップ誌『マッチ』のアドバイザーに就任してモスクワで働き始めた。ロシアンセレブのゴシップを追いかけながら享楽的なロシアのナイトライフを楽しむ日々を送るポールだったが、路上での殺人事件を目撃する。白昼堂々と射殺されたのは政府に批判的なジャーナリストのイジェンスキー。しかしこの暗殺はロシア中のメディアで、まるで無かったことのように扱われてしまう。ある日、『マッチ』の編集部にイジェンスキーの記事を売り込みに来て一蹴されたフリージャーナリストのカティヤに一目惚れしたポールは、カティアの気を引くために編集長に内密のままイジェンスキー暗殺の記事を『マッチ』に掲載する。カティヤに喜んでもらえると思っていたポールだったが、編集部の面々はポールと距離を置き始め、カティアとは連絡が取れない日々が続いてしまう。ある夜、久々にカティヤからの電話でパーティに誘われたポールはそこでカティヤと合流するが、カティヤを駅まで送っていった所で駅で爆弾テロが勃発。巻き込まれたポールは意識を失ってしまう。ポールが目を覚ました場所は、チェチェンの凶悪犯やテロリストを収監する刑務所。ポールはチェチェン独立派の起こしたテロの容疑者の一人として逮捕されてしまったのだった……。 映画の冒頭に「本作に登場する人物や出来事はすべてフィクションである」という断り書きから始まる本作。しかし本作のあらゆる所で、実際のロシアで起きている事件をベースにした展開が散りばめられている。 冒頭の爆弾テロは、明らかに1999年に発生したロシア高層アパート連続爆破事件だ。この事件は、1999年の晩夏の約2週間の間に、首都モスクワ、ロシア南部のロストフ州ヴォルゴドンスク、ダゲスタン共和国のブイナクスクの3都市5か所において発生した連続爆破テロ事件。合計295人の命が失われ、400人以上が負傷する大惨事となった。このテロ事件の直前に首相に就任したウラジーミル・プーチンは、この事件をチェチェン独立派武装勢力の犯行と断定。一週間後にチェチェン共和国に侵攻して、第二次チェチェン戦争が勃発することになる。しかしこの事件をめぐっては、肝心の“戦果”を上げたはずのチェチェン武装勢力の過激派指導者バサエフが関与を否定(旅客機撃墜事件や北オセチアの学校占拠事件など、他のテロについては犯行声明を出している)。元FSB(ロシア連邦保安庁)のエージェントであったアレクサンドル・リトビネンコは、この事件をチェチェン侵攻を成功させてプーチンを権力の座に押し上げようとするFSB側が仕組んだ偽装テロであることを告発(この告発の4年後にリトビネンコは暗殺される)するなど、現時点でも疑惑の多い事件であり、本作でもそれが物語のキーとなっている。 また白昼暗殺されるジャーナリストのイジェンスキーと、チェチェンに渡航して独立派を取材したというポールの父の設定は、女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤをベースとしているのは明白だ。ポリトコフスカヤはアメリカ生まれでロシア育ちで、アムネスティ・インターナショナルの世界人権報道賞などを受賞した世界的に評価されるジャーナリスト。タブロイド紙のノーヴァヤ・ガゼータにおいて、現地取材したチェチェン紛争の記事を執筆。さらにプーチンとFSBを告発する『プーチニズム 報道されないロシアの現実』を出版するなど、反ロシア帝国主義の急先鋒として活躍した。しかし2006年10月7日、モスクワ市内の自宅アパートのエレベーター内で射殺体で発見される。チェチェン人の犯人が逮捕されるが、さらに犯人への殺害指示を出したとしてモスクワ警察の警視ドミトリー・パブリュチェンコフが逮捕されるが、パブリュチェンコフを買収して犯行全体を指揮した人物はいまだに判明していない(ちなみに殺害された10月7日はポリトコフスカヤの誕生日であるが、プーチンの誕生日でもある)。本作でもポリトコフスカヤの人物像をイジェンスキーとポールの父という二人に分割して設定し、設定を二人に分けた意味合いも映画の中できちんと描かれているので注目してほしい。 本作はそんなロシアの“おそロシア”っぷりをこれでもかと見せ付ける115分のサスペンスアクション映画。こんな国で国家的な陰謀に巻き込まれるのは、ろくすっぽケンカすらしたことがなく、良い女を見ると声をかけずにはいられない女ったらしなドイツ人。なので、ロシア人スパイにはボコボコにされ、刑務所のチェチェンヤクザにも半殺しの目に遭いつつ、それでも必死の抵抗といくばくかの強運で何とか危機を乗り切っていく。本作を監督したデニス・ガンゼル(『メカニック:ワールド・ミッション』の監督!)自身が認めている通り、本作はシドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード主演の『コンドル』(1975年)から多大なる影響を受けている作品だ。国家規模の陰謀に巻き込まれた個人が孤軍奮闘する『コンドル』との類似性は非常に多いが、本作の主人公ポールは『コンドル』のジョセフ・ターナーと異なり特に何か秀でた能力を持たず、ひたすら状況に流されるままにロシアをさまようので、ドイツ人という外国人が見たロシアという地獄めぐり感が強く、より絶望的な状況を映画を観る者と共有できる仕掛けになっている。 また本作の主人公がアーノルド・シュワルツェネッガーやブルース・ウィリスのようなマッチョなタフガイではなく、モーリッツ・ブライプトロイという気弱を絵に描いたような俳優が演じるのは大正解だ。 さらに『コンドル』ではマックス・フォン・シドー演じる謎の殺し屋とターナーの対決が映画の軸となっているが、本作でポールを貶めようとする者や殺そうとする者は、日本で公開される映画ではほとんど観たことが無いような面々ばかりであり、それがまた「こいつは敵なのか味方なのか?」感を強く感じさせることに成功している。 この映画は内容的にロシアでの撮影は非常に難しいということで、基本的にウクライナのキエフで撮影を実施。一部モスクワでの撮影パートもあるが、その際には当局の撮影許可を得るために偽の脚本を準備して提出し、何とか撮影を敢行したという。また脇役陣もポーランド人のカシア・スムトゥニアク(ショートカットが超絶似合ってて素晴らしい)やクロアチア人のラデ・シェルベッジアといった東欧系俳優が固めており、ロシア人俳優はほとんど登用されていないということから、ロシアにとって非常にセンシティブな内容になっていることが分かる。 現在の隣国が実はまだこんな状態であることを知るというだけでなく、何よりエンターテインメントとしても充分満足できる本作。モヤモヤが残るラストも含めて秀逸な作品である。■ ©2011 UFA Cinema GmbH
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COLUMN/コラム2017.07.05
ホウ・シャオシェン監督の真骨頂、“感じる”新感覚武侠映画『黒衣の刺客』〜07月19日(水) ほか
“侠”とは、強きをくじき弱きを助ける仁義の世界に生きる人々を指す。日本ではヤクザとイコールで結ばれがちだが、“侠”は職業ではなく本来は生き様のことである。 侠の歴史は春秋戦国時代までさかのぼる。司馬遷の歴史書『史記』には数多くの侠客が登場し、国家を揺るがす刺客が大活躍している。春秋戦国時代を終わらせた中国初の統一国家・秦が滅びた後、漢帝国を立ち上げたのは侠客出身の劉邦。さらに後漢末期に登場し、三国時代の一翼を担った『三国志演義』の主人公・劉備玄徳もまた、関羽と張飛と共に世の混乱を憂いて立ち上がった侠客であった。 時は下り、唐の時代には今回ご紹介する『黒衣の刺客』の原作となった伝奇小説『聶隠娘』が生まれ、宋代になると傑作武侠小説『水滸伝』が登場。武術を極めた侠客が、悪政に立ち向かう姿に大衆は喝采を送った。 近代に入ると娯楽色をさらに強めた作品が多く登場。『江湖奇侠伝』『羅刹夫人』などの作品が人気を博す。そして第二次世界大戦後、香港の新聞記者である金庸が登場。処女作の『書剣恩仇録』から『越女剣』まで15作品は、すべて世界的なベストセラーとなり、武侠小説界最大のスター作家となった。また『白髪魔女伝』の梁羽生、『多情剣客無情剣』の古龍は、金庸と合わせて武侠三大家と称されている。 三大家の大ブームに乗って、香港映画界では黎明期から多くの武侠映画が登場した。クワン・タッヒン主演の『黄飛鴻』シリーズは戦後すぐの1949年から制作が開始され、様々な映画人によってギネス記録になるほどシリーズ化されている。金庸の『碧血剣』は1958年、『書剣恩仇録』『神鵰侠侶』は1960年といった具合に次々と映画化。さらに新興のショウブラザース社では1960年代からキン・フー監督とチャン・チェ監督という2大巨匠が独自の世界観で武侠映画全盛期を築いていく。 キン・フー監督は『大酔侠』(66年)で頭角を現し、『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』(67年)では香港最大の大ヒットを記録。さらに『侠女』(71年)でカンヌ映画祭を席巻し、『山中傳奇』(79年)で台湾アカデミー賞(金馬奨)をゲットした。 チャン・チェ監督はさらに娯楽寄りの武侠映画を連発。ジミー・ウォングを主演に据え、金庸作品にインスパイアされた『片腕必殺剣』(67年)がメガヒットを記録してシリーズ化され、『ブラッド・ブラザース 刺馬』(73年)や『五毒拳』(78年)といったカンフー系武侠映画まで、多くのカルト的人気作品を監督した。 70年代に入ると日本の『座頭市』シリーズなどの日本の時代劇が香港をはじめとするアジア全域で大ヒットし、その影響で残酷描写やトリッキーな武侠映画が多く生まれた。 カンフー映画全盛の80年代には、還珠楼主原作、ツイ・ハーク監督の出世作『蜀山奇傅 天空の剣』(83年)が公開。カンフー+ワイヤーアクション+VFXという画期的な作品は世界各国で支持された。ツイ・ハークは90年代にも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズで、黄飛鴻武侠映画を復権させ、『残酷ドラゴン~』のリメイク作『ドラゴン・イン/新龍門客棧』(92年)、『秘曲 笑傲江湖』を原作とする『スウォーズマン』シリーズ(90年~)など多くの作品をヒットさせている。 さらに90年代後半には、武侠漫画原作という新しい形態の武侠映画が登場。武侠+ワイヤー+CGIという『風雲 ストームライダーズ』(98年)は、馬栄成の原作の人気も相まって世界中で大ヒットしている。 そして00年代に入ると画期的な映画が公開される。アン・リー監督の『グリーン・デスティニー』(00年)だ。王度廬の武侠小説『臥虎蔵龍』を原作とする本作は、世界各国の映画賞を総なめにし、第73回アカデミー賞では非英語映画であるにも関わらず、作品賞をはじめとした10部門にノミネートされて4部門を受賞する快挙を成し遂げた。本作が画期的なのは、元々“父親三部作”で知られる文芸映画の巨匠として評価されていたアン・リーが、アクションたっぷりの武侠娯楽大作を制作したことにある。アン・リー自身、幼少時から武侠映画の大ファンであり、武術指導の大家ユエン・ウーピンを武術指導に迎えて制作された『グリーン・デスティニー』は、最上級のカンフー&剣劇アクションだけでなく、アン・リーの紡ぎ出す抒情的な物語、タン・ドゥンとヨーヨー・マの美しい劇伴、ピーター・パウによる幻想的な画作りが高次元で融合し、映画史を塗り替える化学反応が起きた作品となった。 『グリーン・デスティニー』以降、多くの文芸映画の巨匠が武侠映画にチャレンジするようになっていく。『紅いコーリャン』(87年)のチャン・イーモウは、ジェット・リー主演の『HERO』(02年)を制作。チン・シウトン指導の美しいアクションも話題となり、日本でも興行収入40億円を超える大ヒット作品となった。チャン・イーモウは続けて『LOVERS』(04年)を制作し、直近ではエンタメ方面に振り切ったモンスター武侠映画『グレート・ウォール』(16年)も制作している。 またウォン・カーワイは金庸の『射鵰英雄伝』を原作とする『楽園の瑕』(94年)、近代中国を舞台にした武侠映画『グランド・マスター』(13年)を制作。『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)のチェン・カイコーは『PROMISE 無極』(05年)を発表している。 さて、ホウ・シャオシェン監督。二・二八事件を扱った『非情城市』(89年)でヴェネツィア映画祭金獅子賞を獲得して世界中から注目を集め、『好男好女』(95年)で台湾金馬奨の最優秀監督賞を獲得した、台湾を代表する名監督だ。そして社会派ドラマを得意とするホウ・シャオシェンが、2015年に発表したのが『黒衣の刺客』(15年)。寡作で知られる監督の8年ぶりの新作が武侠映画とのことで、大きな話題となっていた。 唐の時代。美しいインニャンは13年ぶりに帰郷する。しかしインニャンは、あらゆる殺人術を学んだ最強の暗殺者であった。インニャンの帰郷は、軍閥の節度使ティエンを暗殺するためであったが、かつての許嫁であるティエンを暗殺することをためらうインニャンは……。 5年にも及ぶ長期の撮影を経て完成した本作は、カンヌ映画際のコンペティション部門への出品作品としてプレミア上映され、監督賞を受賞する快挙を達成。2015年の台湾金馬奨を総なめにし、アジア・フィルム・アワード、香港電影金像奨でも旋風を巻き起こした。 本作の特徴は、武侠映画としてはあまりにも静かで、あまりにも美しい展開。前述の文芸監督たちが制作したエンタメ系武侠映画とはまったく異なり、ホウ・シャオシェン監督のこれまでの作品の延長線上から一歩も踏み外さずに作られた武侠映画ということで、まさに稀有な作品と言えよう。 とにかく主人公インニャンのセリフが圧倒的に少ない。インニャンを演じたスー・チーの美しさを最大限に引き出し、「後はお察しください」とでも言うように突き放しておきながら、あまりにも豊かな表現力に圧倒されること請け合い。直観的に“感じる”ことで映画的快楽に浸る新感覚武侠映画なのである。 ホウ・シャオシェン作品のファンだけでなく、武侠映画ファンだけでなく、多くの映画ファンに堪能してほしい傑作である。■ ©2015光點影業股份有限公司 銀都機構有限公司 中影國際股份有限公司