もともとは“アジアの映画先進国”の日本の時代劇がアジア諸国でもヒットを飛ばし、世界をリードする存在であった。その後、日本から映画作りを学んだ多くの偉人、そして『ドラゴン危機一発』(1971年)でのブルース・リーの登場によって、アジアのアクション映画のリーダーの座は香港映画界へとバトンタッチされることになっていく。

 ブルース・リーの死後に一時的な停滞はあったものの、1970年代末期にジャッキー・チェン+ユエン・ウーピンの黄金コンビが『スネーキーモンキー 蛇拳』(1978年)『ドランクモンキー 酔拳』(1978年)を発表すると、ジャッキー・チェンとその仲間(子役時代“七小福”と呼ばれた集団:サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウなど)やユエン・ウーピンの兄弟およびフォロワーによって、1980年代の香港はアクション映画産業は全盛期を迎え、名実ともにアジア最大のアクション映画産地として君臨することになる。

 さらに1990年代には、ジャッキー・チェンやユエン・ウーピンといった京劇をバックグラウンドとする映画人に代わり、ジェット・リー、ドニー・イェンといった武術系の俳優とツイ・ハークら次世代の映画監督が発表する『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズ(1991年~)などの武侠映画によって、香港のアクション映画はさらにレベルアップしていくことになる。

 1999年にはウォシャウスキー兄弟(現在は姉妹)の『マトリックス』(1999年)は、香港アクション映画の手法と人材が大胆にハリウッド映画に取り入れられて一大ブームに。ハリウッドのアクション映画は、どれもこれも香港風アクションが導入されるという事態が起こっていた。これによって香港映画界は一時的に深刻な人材難となり、その勢いは鈍化していく(その間、ジョニー・トー監督など新世代の旗手が台頭するが、それはまた別の機会に)。

 そんな21世紀、アクション映画の旗手をめぐる争いで一歩抜け出したのは、“微笑みの国”タイだった。

 2003年、全世界に衝撃を与えるアクション映画が登場する。プラッチャヤー・ピンゲーオ監督、パンナー・リットグライ武術指導、トニー・ジャー主演のそのアクション映画の名前は『マッハ!!!!!!!!』(2003年)。『マッハ』のストーリーは非常に単純明快。田舎の青年が盗まれた仏像を取り返すため、首都バンコクでギャング団と戦うというものだ。しかしトニー・ジャーの圧倒的な身体能力と、古式ムエタイをベースにした誰も見たことの無いようなリアルヒッティングアクションは、上映されたバンコク国際映画祭で大評判を呼び、世界各国の映画バイヤーがこぞって配給権を獲得。アクションの本場香港をはじめとする各国で記録破りの大ヒットを記録し、ピンゲーオ、リットグライ、ジャーの3人の名前は世界中に知れ渡ることになった(香港映画でも模倣が大量発生した)。

 そんなピンゲーオとリットグライが次回作に選んだのは、『七人のマッハ!!!!!!!』(2004年)。格闘技の有段者が勢揃いした前作『マッハ』とは違い、各スポーツのタイ代表メンバを主演陣に揃え、そのスポーツの特性を活かしたアクションを全編に渡って披露。その奇想天外なアクションの数々は、観る者の度肝を抜くものであった。

 そんな『七人のマッハ』のオーディションは2001年に行われたのだが、そのオーディション会場を一人の少女が訪れた。18歳の少女の名前はジージャー・ヤーニン。テコンドーの黒帯で、タイのテコンドー強化選手に選抜されるほどの実力を持つジージャーを一目見たピンゲーオ監督は、その素質を高く評価。自身の作品の主演女優として起用することを決断する。

 しかしすぐに主演映画を撮るわけではなく、ピンゲーオ監督はこのダイヤの原石を細心の注意を払って育て上げることに。実に4年間もの長期間ジージャーにアクションと演技の基礎を叩き込むことに集中させたのだった。ここであらゆる殺陣を教え込まれたジージャーを主演に、さらに映画は実に2年もの長期間の撮影を敢行。2001年の出会いから実に6年以上の歳月を経て、ジージャー・ヤーニンの初主演作『チョコレート・ファイター』は完成したのだった。

 タイで縄張りを拡大する日本人ヤクザのマサシ(阿部寛)と、タイ人女性ジンの間に生まれた少女ゼン(ジージャー・ヤーニン)。ゼンは脳の発達障害を持っていたが、ある特殊能力も隠し持っていた。それは、見ただけで相手の体術をマスターできてしまうというもの。ムエタイのジムでけいこを眺め、カンフー映画を観て育ったゼンは、密かにそのすべての動きをマスターしていたのだった。そんなある日、ジンが白血病に倒れたため高額な治療費に困ったゼンは、過去にジンが荒くれ者たちに貸していた金の回収を開始。腕っぷしで債権を回収するゼンの噂はタイの暗黒街に広まっていき、ゼンは母ジンを陥れたマフィアと対決することになる……。

『チョコレート・ファイター』は、タイで公開されるやいなや『マッハ』を超えるギガヒットを記録。2008年公開作品では年末に公開された『マッハ!弐』に首位は譲ったものの、爆発的なヒットによって興行的には大成功。主演をつとめたジージャーは、新人女優とは思えぬほどの知名度を得ることになっていった。

 本作はかなり入り組んだストーリーが展開されるが、鑑賞上はまったく問題無し。ストーリーとかそういうのは一旦良いので、とにかくジージャーの素晴らしいアクションを見てほしい。蹴りの美しさ、デスウィッシュなアクションの数々など、ジージャー自身の圧倒的なパフォーマンスは言わずもがなであるが、アクション女優特有の“軽さ”を“スピード”と“正確さ”でカバーするパンナー・リットグライ監督の振り付けの妙は絶品だ。物語中盤の様々な債権回収先での戦いは、『ドラゴン危機一発』へのオマージュに溢れた製氷工場でのバトル、段ボールの並ぶ倉庫でのバトル、手頃な武器だらけの食肉加工工場でのバトルなど、シチュエーションごとに練りに練られた多彩なアクションが次々と展開。クライマックスでは屋外から室内へと戦う場所が移り、さらに屋外でのチェイスへと移行していく流れもお見事。10本分のアクション映画のアイデアを濃縮して、一切還元せずに1本に詰め込んだかのごとき満腹感は『マッハ』を凌ぐものだ。

 そしてジージャー・ヤーニンだけでなく、監督のラブコールに応えて出演した阿部寛も素晴らしい。『マッハ』に衝撃を受けてオファーを快諾した阿部の日本刀アクションはキレッキレ(実は阿部がムエタイ軍団と戦うシーンも当初撮影されていたらしいが、カットされている)。他にも『テルマエ・ロマエ』以上に大胆な全裸シーン&濡れ場もあるので注目である。

 そして本作のエンドロールも必見。劇中「うわぁ、あれ絶対大怪我してるよ……」とドン引いていたアクションシーンが、実際には想像以上の大惨事になっている様子がこれでもかと堪能できる。ジージャー起用エピソードもだが、本作に対する並々ならぬ制作陣の本気度が伝わってくること請け合いである(怪我をしたスタントマンはたまったものはないだろうが……)。
キュートなルックスと相反する壮絶なアクション。『チョコレート・ファイター』は、タイ映画界の底力を感じさせる文字通りの力作なのである。■

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