ザ・シネマ 飯森盛良
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COLUMN/コラム2013.12.27
『愛と青春の旅だち』、正しくは「士官と紳士」、あるいは、エスケープ・フロム・KS(格差社会)
唐突ながら皆様、この世の中、というか日本には、邦題と原題がまるっきし似ても似つかない洋画、ってやつが昔から山ほどありますよね。その中には『ランボー』のように、「いや、むしろ原題のFirst Bloodよりキャッチーで、逆に良くないですか!?」というお見事なものもある。で『ランボーII』からは原題もランボーになっちゃった、本家に評価されて逆輸入までされちゃった、という伝説的な名ネーミングもあります(という伝説自体が東宝東和の誇大宣伝であるとの説もあり)。 First Bloodとは本来ボクシング用語で、殴り合ってる中での「最初の流血(を生じさせた一発)」を意味しました。それまで互角のパンチの応酬だったのが、一方が流血した瞬間から、流させた方がまずは優勢、流している方が劣勢、と、いちおう形勢が可視化されます。そこから転じて、今では「先制攻撃」を広く意味するようになりました。サッカーなどでも「日本がFirst Bloodを流させた」というのは「日本が先制ゴールをキメた」という意味です。ランボー1作目がこの原題だったのは、ランボーがトラウトマン大佐に「奴らから先に手を出してきた、俺じゃない。…奴らが先に手を出したんだ(They drew first blood, not me. They drew first blood.)」と、わざわざ2度リフレインして無線でチクるセリフがあるからです。ボクシング由来の慣用句としての本来の意味と、この映画で繰り広げられる、壮絶な準戦争状態での流血沙汰、というのをかけたWミーニングだったのですが、まぁ、そんな小難しいゴタクはいいので「ランボー」と一言でキメた方がよっぽどキャッチーだ、というのは、まったくもってして仰る通りですな。 ただ、こういう成功事例ばかりでもございません。変な邦題も山ほどあります。映画の中身といちじるしく掛け離れていて、作品の魅力を全く伝えてない、または誤解を与えかねない、逆に興味が削がれる、という失敗事例だって、枚挙にいとまがありません(“沈黙”シリーズのように、ネタとしてこの路線で行き続けるんだよ!もう中身と乖離してたって構わねんだよ!誰も困んねーよ!と開き直ってるものは、あれはあれで、いっそ清々しくて好き)。 さて、原題と似ても似つかない邦題の代表例として、わりかしよく名前のあがる映画が『愛と青春の旅だち』であるように思います(じゃないですか?)。 「この邦題はヒっドい…」ってものもいっぱいある中で、『愛と青春の旅だち』、これはまぁ、悪くない方でしょう。中身とタイトルが少なくとも一致している。っていうか一見一致しているように思える。でも「愛」、「青春」といったキーワードに引きずられ、この映画がラブストーリーであるかのような、極論すれば“錯覚”を、見る者に抱かせてしまうという嫌いが無くはない気もしています。 いや、『愛と青春の旅だち』がラブストーリーって、それは錯覚ではなくて半分は正しいかもしれない。ジャンル映画としてはラブストーリーに分類するしかないでしょう。でも、この映画がラブストーリーのジャンル様式を借りて描こうとしているのは、単に一組の男女の恋愛模様という以上に、「格差社会からの脱出」というモチーフであるように、ワタクシはかねて感じておるのであります。 原題は、An Officer and a Gentleman。直訳すれば「士官と紳士」ってタイトルなんですが、邦題と比べてこの原題、なんだかよく解らなくないですか? 実はこれ、ある慣用句を略したものなので、この部分とだけいくら睨めっこしたところで、意味はさっぱり解らんのです。 略された部分こそが重要でして、慣用句をフルで書くとConduct unbecoming an officer and a gentleman、「士官や紳士に相応しくない行為」となります。これ実は、慣用句と言うよりは法律用語と言った方が正確。しかも軍法用語。専門用語ですから一般の日本人にはピンとこなくて当然。なので日本では『愛と青春の旅だち』という全く違う甘〜いタイトルを付けるしかなかったのでしょう。この意味を解ってもらうためには長い説明が必要です。それを今回は試みてみようかと思います。長広舌、お正月休みにお付き合いいただけましたら幸いです。 ■「士官と紳士」の意味とは? さて。アメリカ全軍共通の法律である「統一軍事裁判法」というものには、以下のような条項が存在します。 133条.士官や紳士に相応しくない行為(Conduct unbecoming an officer and a gentleman):士官や紳士に相応しくない行為で有罪判決を受けたすべての士官・将校ならびに陸軍士官学校生徒、海軍兵学校生徒は、軍法会議の命令によって処罰される 日本語ですと「士官」ってのは海軍の呼び方で、陸軍だと「将校」と呼び、言い分けていますが(「陸軍士官学校」と言う時だけは陸軍でも「士官」なのがややこしい)、英語では士官・将校どちらも「オフィサー」です。オフィサーってのは、一般企業で言う管理職ですな。一番下の少尉で、まぁ課長ぐらいだと思ってください。オフィサーの一番上の大佐なら本部長クラス(一般企業と対照するのはかなり無理がありますが)。つまり、課長以上の管理職に就いてる人は、人間としても立派な紳士でありなさいよ、それに反したら罰しますからね、という法律なのです。 さて。「士官や紳士に相応しくない行為」という軍事法律用語があり、後ろ半分を略して「士官や紳士」という箇所だけをわざわざ抜き出して、この映画は原題タイトルに掲げている訳です。 士官や紳士に相応しくない行動とは、一体? 逆に相応しい行動とは何か? その両方を、同時に、言外に、このタイトルは問うているのです。リチャード・ギア演じる主人公の行動は、あるいはその人柄は、士官・紳士として相応しいのか?相応しくないのか?どっちなんでしょうか? 映画冒頭では、もう明らかに、相応しくないんですね。少年の彼は母親に死なれ、水兵の父親を頼って、世界最大の海軍基地の町として有名な米本土のノーフォークから、フィリピンにあった海外最大の米海軍基地オロンガポ(現在はフィリピンに返還されている)へとやって来ます。これ、脚本のト書きに明記されている情報。基地から基地へ。彼は、基地だけで育った子供で、基地の外を知らない。 父親は露骨に面倒臭がって、家に連れ込んでいた娼婦2人を母親代わりとして初対面の息子にあてがいます。と言うか娼婦2人に息子を押し付けます(父親は昼間っから女2人相手に何してたんでしょうねえ…)。以降、何年か十何年か、実父に育児放棄され、父が買ってきた外国人娼婦たちを母親代わりに基地の町で成長し、喧嘩も場数を踏んでめっぽう強くなり、終いには二の腕に鷲のスジ彫りを入れてヨタってる、紳士とはおよそ真逆の、ヤンチャな一匹のドチンピラに、ギア様は育っちゃった訳ですな。 彼は、そんな身の上がイヤでイヤで堪らない。早く社会的ステータスのある人間になりた〜い!だったら軍隊で決まりだ!海軍士官だ!! 彼は基地外のことは何も知らないので、思いつく紳士っぽい職業といったら、それしかない。 彼のようなお悩みの持ち主には、軍隊で正解です。階級社会そのものの軍隊ほど、自分の社会的ランクがハッキリする場所はこの世にありません。一般企業だと、社長と言ってもどの程度の会社の経営者か判りませんし、ただの平社員でも超一流企業のペーペーなら世間的に聞こえが良いということだってある。肩書きだけじゃよく分からない。しかし海軍で少尉と言えば、どの程度の社会的な偉さなのかは一発で分かるのです。さらに米軍は、階級が給与等級と連動していて、その給与等級と勤続年数とで収入が決まるという明朗会計っぷり。自分の社会的地位にコンプレックスを抱いているギア様には、まさにうってつけの職業なのです。だから彼は海軍飛行士官養成学校に入ることを決意します。「入れ墨した士官がいるか?」と親父の嘲笑を背中に浴びながら。そこからこの映画は始まっていきます。 この学校を卒業すれば、彼は国家から何千万ドルもするジェット戦闘機を1機委ねられる立場になれるのです。仕事で何千万ドルもの責任を任される漢なんて、世間にどれほどいるでしょう?ワタクシはせいぜい数万円ぐらいなので情けなくなりますが…それほどの社会的地位に就ける時こそ、彼が格差社会でのし上がり、晴れて「士官や紳士に相応しい」漢になれる瞬間なのです。 実は脚本を読むと、最終稿までは、父子再会の場面が盛り込まれていたことが判ります。シアトルの安ホテルで娼婦を抱き疲れ、昼日中まで高いびきの親父のところに、突然ギア様は転がり込んで来るんです。びっくりさせようとして。カレッジを卒業したことを報告しに来たのです。親父は「最後に聞いた時はブラジルかどっかで建築の仕事してるって言ってただろ?」と驚く。そして「言ってくれりゃ卒業式行ったのによ。やい!(と寝てる娼婦を起こし)、おめぇの友達の巨乳グロリアも呼べ。今夜は息子のお祝いだ!!」とはしゃぎ出して、その晩、一台のベッドの右半分で親父とさっきの娼婦が、左半分ではギア様と巨乳グロリアが、乱痴気騒ぎを繰り広げる。ギア様もノリノリです。 以上は完成した映画には存在しないシークェンス。撮影されなかったのかカットされたのか…とにかく、そういう父子なんですね。この翌朝が、親父がトイレで嘔吐しゲロをぬぐいながら「昨日の夜はすげー面白かったな」なんて言っているシーンにつながるのです。前夜の乱痴気騒ぎのシークェンスがごっそりカットされているので、映画ではギア様が酔っぱらいの親父を軽蔑し恨んでいるようにも見えるのですが、実は同類。同レベルの仲良しDQN父子なんです。親父個人を恨んでいるというよりは、こういう激安にチープな日々とチープなオレという存在に、ギア様はほとほと嫌気がさしているだけなのです。1日も早く「士官や紳士に相応しい」漢になって、こんな人生からは這い上がりたい! さて。で、入った養成学校で13週間にわたりシゴかれる訳ですが、ギア様は「絶対に諦めません!」と鬼軍曹に言って、必死でシゴキに耐えます。格差社会からの脱出ということが彼の強烈なモチベーションになっているからですね。「カッコいいからジェット戦闘機の飛行士になりたい」とか「うちは軍人の家系だから仕方なく」といった中流出身者的なヌルい理由とは、彼の場合は切迫度が違います。 でも、一晩でドチンピラが紳士にはなれません。最初のうちは地金が出ちゃいます。養成学校で一人闇市のような商売を始め、仲間から小ゼニをセコく巻き上げようとする。こんな紳士なんていませんわ。そのバイトが鬼軍曹にバレて、休暇返上でさらに徹底的にシゴき抜かれる。 ちなみにその“鬼軍曹”。正しくは「ドリル・サージェント」と言います。直訳すれば「訓練軍曹」。よく戦争映画に出てきますよね。映画の中の海兵隊の鬼軍曹と言えば、『ハートブレイク・リッジ』に『フルメタル・ジャケット』…馴染み深い顔が何人も思い浮かびますが、本作に登場するフォーリー一等軍曹もそうで、ルイス・ゴセット・Jrは82年度アカデミー助演男優賞に輝く名演を見せました。 このシゴキに耐えながら、13週間かけて、ギア様は士官や紳士に相応しい行動とそうでない行動との区別を、だんだんとつけていきます。ドチンピラが紳士になるのに何故シゴキが必要か?別にテーブルマナーや敬語の使い方をスパルタ式に教わる訳でもありませんから、少々疑問ですが、だけどまぁ、やっぱり必要なんでしょうな。 正しいテーブルマナーを身に付けたら紳士になれます、と言われたところで、そんなのは信じられない。完璧なテーブルマナーを披露した途端に皆に持ち上げられて「ヨッ!紳士!!」と周囲から認定されても、誰よりドチンピラ自身が全然納得できないでしょう。その点、シゴキ13週間ですからね!脱落率もハンパない。間違いなく人生最大のハードルでしょう。それをクリアすればオレも紳士だ、と信じ、耐えて耐えて耐え抜けば、それは13週後に「今日からオレも紳士だ!」と自分で信じられるというものでしょう。オレはどんな誘惑にも惑わされず、己の弱さを克服できるんだ!という絶対の自信、自分という人間への強い信頼感が、13週目まで残った生徒には必ず身に付くはずです。その境地にまで達した人間が「紳士的に生きよう」、「士官らしく振る舞おう」と思えば、たちどころにそうすることも容易いはず。というわけで、ギア様がステータスを獲得し、格差社会でのし上がり、自分で自分を紳士だと信じ行動できる強い意志力を備えた人間として、第2の人生を再スタートさせるためには、この13週間はどうしても必要なイニシエーションなのです。 本作で描かれるのは、主にこのイニシエーションの過程。ラブシーンよりもイニシエーションシーンの方が比重が圧倒的に大きいのです。ワタクシがこの映画を、ラブストーリーではなく“格差社会からの脱出ムービー”と認定する理由がこれです。 鬼軍曹は、海兵隊の一等軍曹。ギア様の親父は、海軍の一等兵曹。1階級差で、どちらも士官より下(「下士官」と言います)の、一般企業であれば係長クラスですな。給与等級も1ランク差と、ほとんど同じ階級(軍隊でその差はデカいですが)。この2人が異口同音に、ギア様に向かって言い放ちます。「オレもお前も、士官なんて柄じゃないんだ。人種が違うんだ」と。父親は本気でそう思っている。ルイス・ゴセット・Jrは…本気ではなく、そう言って生徒たちにハッパをかけているんだろうとワタクシは感じますが、とにかくそういう思想なんです。士官・紳士になるには生まれ育ちが重要で、それが無い奴は一生なれないんだ、と言うのです。でも、そうではない!努力すればなれるんだ!這い上がれるんだ!ということを、この映画は描いています。もっとも良い意味において、実にアメリカ的なテーマを描いている映画のように思えるのです。 13週後、ギア様が晴れてここを卒業したあかつきには、その瞬間から、父親でさえ自分に向かっては敬礼しなければならなくなります。もちろん鬼軍曹も敬礼しなければならない。卒業式閉会後、新任少尉たちは海軍の伝統にのっとって、1ドル硬貨を誰か“目下”の軍人に手渡し、彼から最初の敬礼を受けることになります。この学校の卒業生=新任少尉=紳士たちの場合、最初に敬礼を受けるのは“目下”の鬼軍曹からとなるでしょう。 閉会式の後、鬼軍曹は独り、ポケットに数十ドル分たまったジャラ銭でビールでも呑みに行くかもしれない。彼にバーでビールを呑む習慣があることは、劇中、台詞で出てきますから。ただし、特に思い出に残る生徒から受け取った1ドル硬貨だけは、そんな風には使わない。記念にとっておくでしょう。そのために、その生徒から渡されたコインだけは、他と混じってしまわないよう、きっと、注意して見てなければ気づかないくらいのさりげなさで、反対のポケットに入れるはずです。 ■余談ながら、海軍と海兵隊は違います! ここらでちょっと余談を。これ、アメリカ映画を見る上で是非これからも覚えておいて欲しいポイントです。つまり、海軍と海兵隊、この2つは違うってこと。ギア様は海軍で、ルイス・ゴセット・Jrは海兵隊です。別組織なのです。 海兵隊ってのは、通称「殴り込み部隊」などとも言われていて、一朝有事が起きた時、最初に現地に乗り込んで行く専門の軍隊です。陸軍さんなどは海兵隊の後から押っ取り刀で来ます。ゆえに①、陸軍の兵隊さんより海兵隊の海兵さんの方が、気性が荒いイメージがある(トムクルの『アウトロー』参照)。 また、ゆえに②、海兵隊は戦車っぽいのに空母っぽいのに戦闘機っぽいのと、陸・海・空の装備を一通り備えており、単独でも戦争ができちゃいます。海兵隊以外の、たとえば陸・海・空軍という縦割り(ってか完全に別組織)の3軍で統合作戦をやる場合、指揮系統が混乱しがちとか面倒くさい問題があって、準備や調整があれこれ必要なのですが、海兵隊は1人陸・海・空3役ですから準備も調整も不要。「とりあえずこっちの準備ができるまで、お前が先に現地入りして、当面は1人で踏ん張り、なんだったら一暴れしといてくれ」ということで先発を任されるのです。 あと、大使館の警備(『ボーン・アイデンティティー』参照)やホワイトハウスの警備(『ホワイトハウス・ダウン』参照)なんかも海兵隊の任務ですな。あと大統領専用機は空軍のご存知「エアフォース1」ですが、大統領専用ヘリは海兵隊の「マリーン1」です(これも『ホワイトハウス・ダウン』参照)。 一方、海軍とは、言うまでもなく船乗りさんのこと。空母に飛行機を載せて海の上で離発着させたりもしてますから、飛行機を操縦する仕事の人も海軍にはおりまして、「飛行士(アビエーター)」と呼ばれており、厳密には「パイロット」とは呼ばれません。海でPilotと言うと「水先案内人」のことも意味していて紛らわしいからです。ギア様がなりたがっているのが、この海軍アビエーター。さらに、ご存知トップガンって所では海軍アビエーターのエースたちを養成しておりまして、決して空軍パイロットではありません。トムクル演じるマーベリックも、もちろん空軍パイロットではなく海軍アビエーターでありました。腕が良ければギア様も将来トップガンに入れるでしょう。 とはいえやはり、海兵隊と海軍とは歴史的に見ても関係浅からぬものがありまして、その昔、海戦が接舷斬り込み戦だった帆船時代には(『パイレーツ・オブ・カリビアン』参照)、海兵隊は海軍さんの戦列艦に乗り組み、敵艦に接舷と同時に、索具(ロープ)に掴まるなどしてピョーンと向こう側に跳び移り、チャンバラを繰り広げる役目の人たちのことでした。 あと、海軍の港湾基地の警備なんかも任されております。海軍艦艇の艦内警備も海兵隊のお仕事です(『沈黙の戦艦』参照)。その昔は長く苛酷な航海の中で水兵さん(海軍)の叛乱っていう事件がよく起きましたから(『戦艦バウンティ』参照)、それを防ぐため艦内警備を海兵隊が任されていた、その頃の名残りですな。げに、海軍と海兵隊は繋がりが深いのです。 だからこの映画では、海軍兵学校に海兵隊の教官がいて、海軍の士官候補生をシゴいてるのですが、別におかしな話ではないのです。あと懐かしいところだと、軍法会議法廷サスペンス『ア・フュー・グッドメン』で、海軍の弁護士が海兵隊員の容疑者を弁護したりもしてましたね。海軍と海兵隊は、別組織とはいえ繋がりは大変深いのです。という、以上、海軍と海兵隊は違う、という一席。お粗末様でございました。 ■ここらでヒロインの話を始めましょう。 都市生活を謳歌する都会人。自然が大好きな田舎者。これほど幸福な人はいません。そして、この組み合わせがズレてしまうほど不幸なことはない。都会が好きなのに辺鄙な片田舎に生まれちゃった、とか、田舎暮らしに憧れているのにゴミゴミした都会で生活している、とかです。なんたる不幸! 個人的にワタクシの場合は完全に後者タイプでして、東京のド真ん中で働いておりますが、もう、イヤでイヤで堪らない。昔『アドベンチャー・ファミリー』って映画がありました。あれには激しく同意しましたねぇ。冒頭、LAに住む一家の父ちゃんが、娘が公害で喘息にかかり、「こんな所は人間の暮らす所じゃねえ!」と呪うように叫んで、熊とかが出没するロッキー山脈の山小屋に引っ越し、挙げ句の果てには熊ちゃんとお友達になっちゃうのですが、都会のボーイスカウト団員だったワタクシ、ゴールデン洋画劇場で観ていて、これには大いに憧れたもんです。ヘヴィーデューティーな父ちゃんの服装がまたカッコ良かったのなんの!あのスタイルで何でもDIYしちゃうんですから、憧れずにはいられない。ま、実際の田舎暮らしはそんなに甘っちょろいもんじゃなく、『おおかみこどもの雨と雪』をさらに過酷にしたようなものなんでしょうけどね。でも世の中には、これとは真逆の立場・考え方の人というのもいるでしょう。つまり、ロッキーの山奥とまでいかずとも、田舎に今現在は住んでおり、心底、その田舎にウンザリし果てている人たちのことです。 デブラ・ウィンガー演じるヒロインがそうです。 その上、彼女が生まれ育った町は、寂れた工場が唯一の産業としてあるだけの、鄙びた田舎の貧しい港町。彼女も貧しい家庭に育っている。母親はその唯一の工場の女工で、彼女自身もそう。友達もそう。みんなそう。職業選択の自由が事実上かぎりなく無いに等しい町なのです。この環境から脱出する方法で、いちばんの正攻法は勉強することでしょうな。勉強して“良い大学”なるものに入り、いわゆる“良い企業”とやらに就職して、自ら中流階級へのチケットをゲットすることです。そうすれば、望んだ土地で、儲かる職業や好きな職業に就ける…かもしれない。少なくともチャンスは増える。でも、そんな社会の残酷な仕組みに子供の頃に気付くことができなかったとしても、それはその子の罪ではないでしょう。小学生の頃には遊ぶ。それのどこが悪いのか!ハイスクールで色気付き、異性とキャッキャ戯れる。それのどこが悪いのか!しかしそれをやっていると、ハイスクールを卒業した後、この町から逃れるすべはなくなる。人生そこで決まってしまう。きっとデブラ・ウィンガーや彼女の女友達はそうだったのでしょう。 地元が好きならそれでも良い。そうでないなら、彼女たちにとって良くはないでしょう。勢いで地元を飛び出し、裸一貫都会に出てみたところで、かなりの幸運に恵まれない限り、そう簡単にリッチにはなれない。都会で憧れのライフスタイルを築くカネもない。ぜんぜん解決にならない。 しかしこの町の女子には、裏技的にもう一つだけ、この町を出て中流階級に昇格できる、一発逆転の奥の手があります。それが、海軍兵学校の生徒と結婚すること。彼らは卒業すれば少尉に任官します。いきなり課長クラスです。しかもアメリカ海軍という、これ以上ない超“大企業”、安定的な職場の課長職です。不況だろうが何だろうが潰れることはありません(戦争が起きたら旦那が“労災”で死ぬことはありそうですが…)。その妻となり、夫にくっついて世界中の米軍基地にある、国家から支給された官舎に住み、主婦として暮らす。古風かもしれませんが、そうなればもう立派な中流階級です。 だから、この町の娘たちは、工場で働きながら、全員が同じ夢を見ている。付き合っている飛行士官養成学校の生徒が、卒業式を終えたその足で、真っ白のドレスユニフォームに、金のラインが1本入った真新しい少尉の階級章を付けた格好のまま、工場まで迎えに来てくれる。というか救い出しに来てくれる(男の方が白い“ドレス”ってのが面白い)。彼にお姫様抱っこされて、仲間の女子工員たちが羨ましそうに見守る中を、開け放たれた工場の扉から広大な外の世界に連れ出してもらうのです。薄暗い工場内から見ても、陽光があまりに燦々と眩しく輝いていて、外の景色はよくわからない。不確か。でも、夢と希望に満ちていることは確かです。待っているのは世界のどこの海軍基地での新婚生活だろう?アメリカ本土のどこかか?ハワイのパールハーバーか?あるいはヨコスカか?エキゾチックでエキサイティングな毎日がもうすぐ始まるのです。薄暗い工場の扉をお姫様抱っこで出て行く時、それは、彼女にとっても、そして今、士官となり紳士となり、さらに生涯の伴侶まで得た彼にとっても、まさに、愛と青春の旅だちの瞬間です。 男たちは13週間、地獄の努力をして“旅だち”をする。では女たちは?中には、とにかくデキちゃった結婚でも何でもすりゃ妊娠したモン勝ちだ、と思っているフシの娘もいて、どうにかして前途有望な生徒の子種をいただこうと、男の隙をうかがっている。もう、ゴムに針で穴を開けるといったような感じの話ですなぁ…恐い恐い。でも、そういう魂胆で最後に彼の愛を勝ち取れるの?という話じゃないですか。 ヒロインのデブラ・ウィンガーは、それをしない。ひたむきにギア様と恋愛するのです。ひたむきに恋愛しようが、腹にイチモツ閨房術を駆使して籠絡しようが、夜、ベッドの中でやることは同じなんですが、それとこれとは話が全然違う、とデブラ・ウィンガーは考えている。やることは同じなんだから、こっそり策略をめぐらしてメオトになってやろうか、という悪女な気持ちも無いではないが、それを押し殺して、裏の無い、清く正しい肉体関係(?)を続けるのです。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ この映画が日本で公開されたのは1982年。31年前の今と同じ師走でした。60年代の所得倍増、高度経済成長を達成して就いた“世界第2の経済大国”の座を、すっかり自分の指定席だと思い込むことにも慣れた日本国民の間では、この時代もまだまだ、70年代から続く“一億総中流”というのん気な意識が生きていました。日本人の誰もが横並びに「自分は中流階級である」と自己規定していた、まぁ黄金時代と言っていい時代です。もちろん実際には当時だって貧しい方もいたでしょうが、個々の世帯ではなく国民総体の気分として、確かに我々は中流意識を抱いていた。 1982年。時はまさに日米貿易摩擦の真っ最中。アメリカをも経済的におびやかした我々は、この後一時、プラザ合意により円高不況というのに見舞われはしますがさしたるダメージにもならず、その後すぐに、いよいよバブルへと突入していくのです。82年は、21世紀の日本に長い長い不況が待ってようなど、20年が失われようなど、“世界第2の経済大国”の座から追い落とされようなど、まさか経済不安が永遠に消えない未来が到来しようなど、1つたりとも誰も想像できない、前途に経済的な不安など無い(ように多くの国民が思い込んでいた)時代、だったのです。 当時の日本人の大半は、ギア様の「いつかのし上がってやる」という切迫したハングリー精神にも、デブラ・ウィンガーの貧困と閉塞感への切実なあせりにも共感できず、この映画を、ただのロマンティックなラブストーリーとしか受け止められない、今からすれば実に羨ましい時代に生きていました。 しかし、こんにち、あれから31度目の年末を迎えた日本。長く続いた不況で「自分は中流だ」という意識をかつて一度も持ったことがなく、いつか中流になれるという将来の希望も持てず、いま中流でも一生そのままでいられる保証も無く、アベノミクスの好況感も他人事、消費増税困ったなぁ…そんな日本の、特に経済が疲弊しきった地方で探せば、そこには和製ギア様や和製デブラ・ウィンガーが、おそらく大勢いるはずなのです。 もし、あなたが若者で、この映画を一度も観たことがないのなら、むしろ80年代にリアルタイムで観た世代よりも、この映画が訴えている本来のメッセージをより正しく受け取ることができるのではないでしょうか。もしあなたが80年代にリアルタイムでこの映画を観た世代なら、いま改めて見直すことで、当時とは違った受け止め方をできることでしょう。欲を言えば、経済的に不安がある方が、この映画の鑑賞者としては望ましい。この映画は、やっぱりラブストーリーなんかではない。この映画は、現状貧しき人たちに捧げられた、最高のアンセムなのです!皆さん、来年も頑張りましょう!かく言うオレもな!! 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COLUMN/コラム2013.08.02
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年8月】飯森盛良
ザ・シネマ恒例の懐かし吹き替え企画、8月はアンコールとゆーことで、以前放送したタイトルを蔵出ししちゃうゾ。 いっちゃんおススメしたいのは、ネアカな凸凹刑事2人組がMANZAIみたいにアホな掛け合いばっかしてる、ごキゲンなアクションもの『デッドフォール』! 悪役が超アッタマ悪いのもケッサクですゾ!レイト80’sコップ・アクションの、このバカっぽさ。よっぽどドーカしてるウカレた平和な時代でなけりゃ、こんな映画は生まれてきっこない。それが、今のネクラな時代には、逆にキモちEのデス! そんな本作の持ち味を際立たせるのが、ささきいさおスタローン&安原義人カート・ラッセルの妙技。特に、公開時やVHS化時、知名度がスタより劣るためポスターやジャケでの扱いが失礼なぐらい小さかったカート・ラッセルが、吹き替えだとサイコーなんだもんね!FIX声優・安原サンのかもすチャラっチャラ感によって、活きまくってて、立ちまくってて、もう、オリジナルよりかオモロくなっちゃってるかもよ。(筆者注:本作公開時には、以上のような昭和軽薄体による文体はすでに流行遅れとなっており、実際には使われなくなっていましたが、時代精神として通ずるものがあると考え、此の度採用いたしました。なお、レイト80'sコップ・アクションも、前年のエポック・メイク作『ダイ・ハード』のリアリズム路線の登場により一気に時代遅れとなり、本作公開時は若干のイタさも漂っていました。時代が一巡した今こそ、正当にバカが再評価されて欲しいと切に願います。バカでなぜ悪い!)
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COLUMN/コラム2013.06.25
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年7月】飯森盛良
アレクサンドリアは古代のエジプトの学芸都市だ。この映画の舞台となる4世紀にはローマ文化圏に組み込まれていた。その街に実在した女性天文学者が本作の主人公。だがその頃、街では狂信的な宗教勢力による、彼女たち知識人への大弾圧が始まろうとしていた…。 この映画では初期キリスト教団が恐ろしげに描かれるが、逆に「ローマ帝国に弾圧され虐殺される初期キリスト教徒たち」の物語は、欧米文化圏では繰り返し描かれてきた経緯があり、「彼らは気の毒な被害者だ」という前提がすでに十分共有されている。我々日本人もこの前提を共有しておかないと、偏った映画の受け取り方をしてしまう恐れがある。その上で本作は、「一方的な被害者というだけではない、加害者としての彼ら(キリスト教圏の先祖)の側面」を新鮮に描いているのだ。 また、あえて現代のテロリストと意図的に似たいでたちに初期キリスト教徒を描いているように見えたが、「今日のテロリストと同様の行為を、かつては我々キリスト教徒も行っていたのだ」と、欧米キリスト教文化圏に向けて訴えるような作りも、たいへん挑戦的に思えた。人類は、共通の欠点を持っている、と言いたいのだろう。重厚な歴史スペクタクルであるだけにとどまらない、必見の超問題作である。 © 2009 MOD Producciones,S.L.ALL Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2013.05.25
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年6月】飯森盛良
この良い面したオッサンがジョン・ミリアス監督です。かけてるグラサンはレイバンのアビエーター。着てるのはどうも実物っぽいA-2。この手のフライト・ジャケット姿(ナイロン系含む)で演出してるこの人のバックステージ写真は大量に残ってます。 はい、こういう格好してる漢ってのは、まず信頼してOK!だって亀山薫を見てくださいよ!かつて大空を駆ったヒコーキ野郎どもが戦場でまとった“現代の鎧”を蒐集し、わざわざ普段着として着るって行為は、自らそのイズムの継承者をもって任じているということの表明です。監督作を並べてみりゃ一目瞭然。『デリンジャー』、『風とライオン』、『ビッグ・ウェンズデー』、『コナン・ザ・グレート』、『若き勇者たち』、そして本作…ほら、全部、矜持を貫こうと意地になった漢たちの、実存を賭した大勝負の話ばっか! この格好で、さらに葉巻までふかしまくるミリアス監督。ちなみに『風とライオン』撮影中に男気映画の最高神ジョン・ヒューストンから葉巻を一子相伝されたパダワンであり、かつ『コナン』の現場でシュワに葉巻を直伝したマスターでもあるのです。このハリウッド葉巻閥、全員が一生ついて行きたい面々だな! 蛇足。『ビッグ・リボウスキ』の、リボウスキのダチのベトナム・ベテラン。モデルはこの監督です。 ® & © 2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2013.04.27
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年5月】飯森盛良
朝の情報番組の若手女性Pが、視聴率アップのため伝説のニュースキャスター、マイク・ポメロイを司会に起用するが、自意識過剰でワイドショーをバカにしてる彼は「俺を誰だと思ってやがる!俺はなぁ、ピューリッツァー賞も獲った、あの天下のマイク・ポメロイだぞ!俺様ほどのジャーナリストに、こんな下らん番組やらせる気か!」と、ヤル気ゼロ。さぁPどうする!? という、業界お仕事女子の大ピンチ→クビ寸前からの大逆転を描く、痛快サクセス・ストーリー。個人的にいちばん好きなタイプの映画だわコレ。 で、Myお目当ては、個人的にいちばん好きなタイプの女優、MY NAME IS TANINOのレイチェル・マクアダムスだが、マイク・ポメロイ役のハリソン・フォードも素晴らしい。「俺を誰だと思ってやがる!俺はなぁ、インディの、ハンソロの、あの天下のハリソン・フォードだぞ!俺様ほどのスターに、こんな小娘が主役の映画で脇役やらせる気か!」という顔つきでマイク・ポメロイ役を好演してて、あまりのリアリズムに、見ていて若干ヒヤヒヤしちゃいます。 これぞ、ある意味究極の“メソッド演技”!このハリソン翁の頑張りのおかげで、クライマックスの、粋で素敵で気が利いてる、「こういう終わり方するから、俺はアメリカ映画が大大大大大っ好きなんだよ!」な展開が、最大の効果を発揮するのです。ほんと、いちばん好きなタイプの映画だわ! Copyright © 2013 PARAMOUNT PICTURES All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2013.03.23
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年4月】飯森盛良
挫折したアスリートが再起を賭け、クライマックスの試合でライバルとガチな真剣勝負を展開。全米が泣いた…って、はいはいどうせその手のパターンっしょ?オレは泣かないけどね、と完全にナメきっていたが、なんじやぁこの展開!? この展開は読めない!ってかこれ禁じ手!! でもOKっす!そこでしっかりカタルシス出してきてるし。もう、降参!お見事!! あと主演のカナダ人女優ミッシー・ペリグリム、いいね。クリステン・スチュワート+ヒラリー・スワンクなルックスに、グレイス・ジョーンズの肉体美!ケンカしたら間違いなくワタクシが負かされ(秒殺)、泣いて土下座させられるでしょう。堪らん!ゴリマッチョ女優愛好家として、あえて言おう、堪らんちんであると!こういうカラダ持った女優はアクション映画とかでバリっバリに活躍して欲しいっすね。映画界でのさらなる活躍に本気こいて期待! © Touchstone Pictures. All rights reserved/© KALTENBACH PICTURES GmbH & Co. All rights reserved
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COLUMN/コラム2013.02.26
『(吹)地球の頂上の島』、TV版を3月放送します。申し訳ございませんでした。
先にこのブログにてお詫びと訂正をいたしました『(吹)地球の頂上の島』。12月24日の特集放送時は、事前にご案内していたものとは異なる吹き替えバージョンでの放送となってしまいました。ここに重ねて、視聴者の皆様にはお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。 後日2ちゃんを見ていたら、まず当チャンネルの放送がバージョン間違いであったこと、さらに、当チャンネルが放送すると言っておきながら放送しなかったバージョンが、実は稀少音源バージョンであったことを、その書き込みで初めて知った次第です。 本当に申し訳ございませんでした。そこで3月、「厳選!吹き替えシネマ」企画として、12月やるとアナウンスしておきながらやらなかった方の『(吹)地球の頂上の島[TBS版]』を、今度こそ本当にやります。探し当ててきました。 また、3月3日の日曜日あさ6時からの放送回は、「スカパー!大開放デー」にあわせ、この作品を無料放送いたします。ザ・シネマにご加入いただいていない方でも、CSを視聴可能な環境をお持ちであればお楽しみいただけます。 ところで、2ちゃんに限らず、当チャンネル編成部は、当サイトの「ご意見・ご要望」投稿機能などを通じて皆様からお寄せいただくお声を、放送作品選定の上で、実は非常に参考にさせていただいております。 とりわけ「厳選!吹き替えシネマ」企画は、「あの吹き替え版は傑作だった」といった参考資料が世の中に案外少なく、担当者個人の思い出に頼ってやっている部分が大きいのですが、私個人の引き出しなど高が知れており、すでに底を尽きかけています。あの懐かしい昭和の頃、9時からのTV洋画劇場を夜ごと夢中で見まくっていた世代の皆様にご教授を乞い、“集合知”作戦でこの企画を継続・発展させていきたく考えておりますので、今後とも昭和TV洋画劇場ファンだった皆様には、ご指導ご鞭撻の程、本気で、何卒よろしくお願いいたします。 なお、いただいたリクエストは、本当に実際参考にさせていただいているのですが、どうしてもリクエストにお応えできないケースもあります…。「厳選!吹き替えシネマ」の場合ですと、吹き替え音源が現存しない(廃棄されたetc)、というケースがザラにありますので、そういう作品は吹き替えのリクエストにはお応えできません。当方としても無念です…。 たとえば、池田秀一さんが声をやられた、とあるシリーズ作品。この吹き替え版は何年にもわたって同じ方からリクエストを度々いただいておりました。また、かつて日曜洋画劇場でノーカットで放送されたアカデミー超大作。こちらも沢山の方からリクエストをいただいており、私自身も当時VHSに3倍録画し繰り返し見た生涯BEST級な1本。…なのですが、これらは、“諸般の事情”により、当チャンネルで字幕版では放送しているにもかかわらず、吹き替え版ではオンエアできませんでした…。 誠に申し訳ございません、としか言い様がありません…。さらに、いただいたリクエストに対し、「(吹き替えに限らず)放送できない“諸般の事情”とは具体的にこれこれこういうことです」と個別にお返事ができないことも、大変心苦しく思っております。 ただ、リクエスト、確実に、こちらの目にとまり心に届いております。その点は間違いございません。特に何回かいただいている場合は、吹き替え担当の私を含め、各担当者がリクエストがあった事実を覚えており、機会あらば必ず実現させようと狙っております。実際に非常に参考にさせていただいておりますので、あきらめずお送りください。懐かしの吹き替えリクエスト、引き続き、本気でお待ちしております。 ■ ■ ■ さて、話を『(吹)地球の頂上の島[TBS版]』に戻しますが、以下、ちょっと技術的なことを書きますので、ご興味のない方は読み飛ばしてください。 このバージョンですが、いざゲットしてみると、フィルム&シネという、とてつもなく古い素材形態でした。TV用素材なのにフィルムなのです。はるかなる昭和の昔は、TV放送もビデオではなくフィルムでやっていたのです。これでは最近オンエアされないのも道理というもの。古代の失われたテクノロジーすぎて今では放送にかけられません。入っていた箱によれば、作られたのは何と昭和54年夏! なお、「フィルム&シネ」のシネとはシネテープのこと。フィルムには録音もできることはできるのですが、その昔TVの世界では、音声はシネという磁気音声テープにて別途用意し、画のフィルムと音のシネを同時再生させて放送していたのです。 もちろん今日では(というかかなり前からですが)録画・録音をひとつでできるビデオテープ(や、さらにはディスク)が放送では使われています。今回ザ・シネマでは、大昔のフィルムの画とシネの音をまとめて1本のデジタルビデオテープに録りなおして現代仕様のマザーテープを1本作り、それを放送にかけることにします。昔のお宝音源を放送しようとすると、このように少々手間がかかるのです。ほとんど発掘出土品の復元のような作業です。 元がとにかく古い素材ですので、画の退色やキズ、音のノイズなども相当あるにはあるのですが、大昔の「フィルム&シネ」としてはこれでもかなりマシな方。奇跡的グッド・コンディションとさえ言っても過言ではない状態なのです。 ■ ■ ■ 閑話休題。急遽この『(吹)地球の頂上の島[TBS版]』を追加した結果、3月の「厳選!吹き替えシネマ」企画は合計3作品となりました。 他の1つは『(吹)グローリー』。むかし金曜ロードショーでやったやつで、私も当時見ました。懐かし! もう1つは『(吹)13デイズ』こちらは今回、懐かしのTV吹き替えを発掘するという「厳選!吹き替えシネマ」の企画趣旨から外れて、DVDバージョンを放送します。 本来2時間半弱の映画が1時間半強にカットされてしまってます。これは、どこかのTV局がDVD音源をもとに大幅にカットして作ったTV放送用マザーだと思われます。それを、当チャンネルでも借りてきて放送する形になります。 この1時間半尺の“どこかのTV局”放送バージョン超カット版とは別に、テレ朝開局45周年記念として10年前に日曜洋画劇場で放送された2時間バージョンのちょいカット版も存在する(JFKを山ちゃんがアテている)らしく、今回、当時の吹き替え台本をゲットするところまでは行ったのですが、肝心のマザーテープには残念ながら辿り着けませんでした…。 この台本ですが、ちょっと珍しいものでしたので、以下、余談としてご報告します。 普通、吹き替え台本というものは、日本語版制作スタッフ(日本の民放や吹き替え会社のスタッフ名)やら、オリジナル・スタッフ(ハリウッドのプロデューサー、監督、脚本家名)やら、また、どの俳優をどの声優がアテるか、といったキャスト一覧とかがまず巻頭数ページにあって、その後に「梗概(こうがい)」というページが続きます。これは、映画の起承転結を2~3ページにまとめたものでして、映画丸ごと1本見なくとも、声優さんたちがここだけ読めば話を理解できるように書いてあります。お仕事用なのでネタバレ禁止などとは言っていられませんから、オチまで書かれてます。 日曜洋画劇場版の台本はさらに、普通は無いWikiのような情報ページが巻頭に付いています。「キューバ危機の背景」とか「13日間の主な動き」とか「主要登場人物」といった情報が詳細に記されていて、「主要登場人物」のページでは、各人物の肩書きや政治的スタンス、さらには事件当時の年齢(実話の映画化ですから)まで記されており、歴史的事件で活躍した実在の人物を声優さんたちが声で演じる上で参考となる情報が、懇切丁寧に紹介されてるのです。凄いなコレは! ここまで作り込まれた台本には、お目にかかったことがありません。その文章の著作権がどこにあるのか全く不明なので、この場にて紹介できないのが残念です…。 ■ ■ ■ さて話を戻します。今回あえてDVD版にもかかわらず『13デイズ』を「厳選!吹き替えシネマ」企画でお届けしますのは、この映画のような、やたらにセリフが多くて情報量の多い映画は、「古き良き昭和のTV洋画劇場版を懐かしむ」といったコンセプトとは別に、そもそも日本語吹き替えでも見といた方がいいですよ、という余計なお節介的意図からです。 以前、吹き替えの第一人者、とり・みき氏に当チャンネルHPにご寄稿いただいた際、この点はたいへん解りやすく解説いただいたのですが、字幕と吹き替えではデータ容量が全然違うのです。 字幕には、1秒間に読ませるのは4文字までという字数制限があります。いくら映画の登場人物がセリフを早口でまくしたてていても、だからといって、文字数を×2して1秒間に8文字読ませるとか4文字を0.5秒で読ませるといったことはできないのです。 なので、早口でまくしたてるようなセリフがある映画や、2人以上のキャラクターが同時に喋るような映画(たとえば法廷サスペンスとか)、あるいはボリューミーなセリフの逐語的な内容理解が話についていく上で不可欠になってくる映画(今回の『13デイズ』とか、あと『JFK』とか)は、吹き替えで見た方が情報が端折られておらず、得られる情報量がオリジナル音声により近く、解りやすさという点では歴然と勝っている、ということは、間違いなく言えることでしょう。 「外国映画は俳優の生声を原音で聞いてこそナンボだ」という価値観をお持ちの方は、さらに字幕版も見れば完璧ということです。 ■ ■ ■ もうひとつ、地上波版ということですと、多くの場合ノーカットとはいきません。今回は元が2時間半の映画を1時間近くもカットし、結果1時間半になっちゃった、という、カットの中でもかなり壮絶なカット版なのですが、逆に、コンパクトに要点がまとめられているように個人的には感じました。本作はちょっと難しめの政治サスペンスですので、むしろ歴史的背景を知らない人にはかえって解りやすくなっちゃってると思うのですが、どうでしょう? カットされているからといって、即・台無しと決めつけたものでもありません(そういうケースも確かにありますが…)。作品によっては民放のカット版の方がテンポが良く、怪我の功名的にノーカットよりも結果として面白くなっちゃってる逆転現象も間々起きるということも、吹き替えマニアの間では「21時の魔法」としてよく知られた現象です(ウソ)。 この『13デイズ』の場合、吹き替えカット版も上記の理由で怪我の功名的にお勧めなのですが、やはり、端折られてしまったシーンも惜しいので(あと、俳優の生声を聞きたいという意味でも)、もし未見の場合、または過去に字幕版を見てるが話が難しすぎて長すぎて理解できなかったという場合は、まずは今回のカット版1時間半日本語吹き替えバージョンの方をご覧になられてはどうでしょうか。その上でオリジナル2時間半字幕版も見る、という順番が、日本人にとってこの作品を一番深く理解できる見方かとお勧めいたします。当チャンネルでは今回どちらのバージョンもやりますので、是非あわせてご視聴ください。 ■ ■ ■ 個人的に、今回のこの吹き替えカット版でひとつ残念だったのは、臨検のシーンです。ソ連の船舶が核兵器の資材をキューバに追加でさらに運び込もうとしている。アメリカとしてはそれを認める訳にいかず、かといって攻撃を加えれば即・第三次世界大戦=全面核戦争に突入=地球滅亡決定ですから、とりあえず“臨検”という名目で米海軍艦艇にソ連船を停船させ、船内に立ち入り検査をする。それがイヤなら引き返せば?という作戦にまずケネディ大統領は打って出ます。JFKが選んだ、第三次大戦を避けるためのギリギリの策です。 しかし、米海軍がソ連船に“発砲”してしまいます!おいおいっ!! ホワイトハウスからのお目付役としてペンタゴンの臨検作戦司令部に戻っていたマクナマラ国防長官は、ギョッとするんですね。「なに勝手に撃ってんだよバカが!」と、海軍のアンダーソン提督に詰め寄る。 ところがアンダーソン提督は「はぁ?いま撃ったのは照明弾ですけど、何か問題でも?」と開き直り。つまり、ただの威嚇射撃ってこと。「敵船を狙って撃った訳じゃありませんから。ただ船の上空に向かって照明弾を打ち上げてるだけですから。なのに、なに勘違いして大騒ぎしてんですか?こうもトウシロさんに横から口出しされちゃ、こっちは仕事になりませんわ!」と、逆ギレ気味に喰ってかかる。 これは、どうやら軍部としては通常の手順にのっとった、普通の行動のようなんですけど、軍部の常識は世間の非常識!あと一押しどっかから変な力が加わったら第三次大戦に即突入という超緊迫した局面で、通常の手順通りかどうか知りませんが、そんな誤解を生みやすい刺激的なアクションをしてたら、何がどう転んでどんな事態に発展しちゃっても不思議はないのです。 で、マクナマラ国防長官は顔を真っピンクに染めながら、アンダーソン提督に怒鳴り続けます。「いまオレたちがやってるのは海上封鎖じゃない!これは言語だ!まだ誰も知らない全く新しい言葉なんだよ!! 大統領がこの言葉でフルシチョフ書記長(ソ連のトップ)とコミュニケーションしてんのが分かんねぇのかボケが!」 艦隊を派遣し海上封鎖はする。でも攻撃はしない。つまりソ連が核ミサイルを持ってくることは絶対に認めないが、かと言ってすぐ戦争をしようという考えはオレらは持ってないよ、というメッセージを、JFKは相手国に送っているのです。これは、カリブ海洋上に展開した海軍艦艇を使って身振り手振りをする、ものすごく規模の大きなジェスチャーゲームなのです。つまり、新しい言語。ジェスチャーは完璧にやらないといけない。動作のちょっとした間違いも許されない。なぜならジェスチャーが相手に正しく伝わらなければ即戦争だから。でも上手く相手に伝われば、相手の方からも、新しい、もしかしたら妥協的・平和的なリアクションが返ってくるかもしれない。これほど必死なジェスチャーゲームはちょっと他にありません。 そんなことはお構いなしに、「いや、これが通常の手順ですから」と何も考えずに艦砲をブッ放す単純・単細胞な人たちの、おっかなさ…。敵国の奴らより、自国の身内にいるこういう連中こそが、実は一番怖いって真理を、この映画のこのシーンは教えてくれてます。そこをカットしちゃってるのは実に惜しまれる!…んですが、まぁ、カットされたシーンは“完全版”としての字幕版の方でお楽しみください。 ■ ■ ■ この映画は、単純・単細胞な人たちのおっかなさを描きながら、それと対置する形で、“善き人々(men of good will)”をヒーローとして描いています。つまり、神経をすり減らしながら地味にジェスチャーゲームを繰り広げてる人たちです。周囲の単純・単細胞な人たちが「ナメられて堪っか!」「目にもの見せたれ!」「奴らをブチのめせ!」「よっしゃ戦争だ!」「オリャオリャー先制攻撃だーっ!」などと威勢良く派手に吠えまくっている。挙げ句の果てには「テメぇビビってんじゃねーぞ、この臆病もんがコラ」と“善き人々”のことを罵る。 そんな喧噪と悪意の中にあって、“善き人々”はあきらめず、細心の慎重さで相手国へジェスチャーを地味に送り、相手が返してくるジェスチャーを注意深く見守り、向こうの意図を読み解こうとする。相手側にも自分たちと同じように戦争を避けたがっている“善き人々”は必ずいるはずだ。彼らはきっと自分たちにジェスチャーを返してくれているはずだ。そう願い、信じ続ける人たち。「ナメられて堪っか!」→戦争突入以外の、冷静で平和的な落とし所を辛抱強く模索し続ける人たち。それが、本作の主人公です。 善き人々の「善」とは、善良とか善人とか温厚とか親切とか、この作品の場合はそういうことではなく、“政治的に善”ということでしょう。私は、政治的に善でありたいと自らに願う時、繰り返し、決まってこの映画を見返します。人生の指針ともいうべき作品です。 いくつかのシーンでは何回見ても泣けます。 キューバ上空を超低空偵察飛行し敵の対空砲火を雨アラレと浴びながらも、軍部のタカ派、戦略航空軍団司令官カーチス・ルメイ大将(4つ星の青い制服の人)に向かって「いや、自分は撃たれてません。鳥が当たっただけっす」とすっとぼけてみせる、典型的アメリカン・ナイスガイなF-8クルセイダーのアビエイター。もう、超絶にカッコいい!カッコよすぎて泣けてくるぜ!! カーチス・ルメイは大戦中、日本への空襲と原爆投下を指揮し、何十万人もの日本の民間人を虐殺した張本人です。そういう人物に「敵が撃ってきました!」とバカ正直に報告してたら、「ヨッシャこれで反撃の口実ができたぞ」という流れになり、戦争を始めてたでしょう。とにかく勝ちさえすればいい。その過程で何をしようがどれだけ人を殺そうが、最後に勝てば官軍で、全てが許されるんだ、というのがルメイという人の考え方なので。日本空襲の時もそうでしたから。そして、事態は最終的に米ソ全面核戦争まで行ってたでしょう。地球が滅んだ後で、どちらが勝とうが負けようが、どっちが官軍だろうが賊軍だろうが、もはや意味なんか無いと思うんですが…。 考えてみれば、あのナイスガイがついたたった1つの“政治的に善”なる嘘が、世界の滅亡を食い止めた訳です。 このカーチス・ルメイに代表される威勢の良い元気な人たちは、考えようによっては、敵に負けない・敵に勝つという軍人の職分を愚直にまっとうしているだけとも言えますが、自分の職業的視野を通してしか世界と物事を見れなくて、人としての道義的価値判断より職業的価値判断の方を優先させてしまう、困った仕事人間たち、致命的につぶしのきかない連中であるとも言えるでしょう。人間、こうはなりたくないもんですなぁ…。この点を映画的に強調するためか、彼らの家庭や家族は、この映画には登場しません。彼らにだってきっとお子さんや奥さんはいたんでしょうが、一切出てこない。 一方の“善き人々”の、家庭での様子、特に子供達をいたわり、いつくしむ姿は、劇中で繰り返し丹念に描かれます。彼らは仕事人間である前に、まず、人の親なのです。威勢の良い人たちは「俺が死んでも祖国が勝てばそれでいい。命なんか惜しくない!祖国に勝利の栄光あれ!!」的な考えを持てるとしても、“善き人々”はそんな思考方法は持てない。彼らは、人の親だから。いつの日か、この世界を子供たちに譲り、その将来を思いやりながら老い、死んでいきたいと願っている人たちだからです。ゆえに、この世界を滅ぼさないために彼らは忍耐強く努力し、決して結論を急ごうとはしない。そんな彼らの立ち位置を示すため、家庭でのシーンをこの映画はことさらに盛ってくるのでしょう(吹き替え版では多くがカットされてますが…)。この点を踏まえて見ると、ラストのケネディの演説がよりいっそう胸に迫ってきます。 さらに、まだまだ泣きポイントは尽きません。序盤、「空爆の原稿は結局書けなかったんだ…」というスピーチ・ライターのつぶやき、怖すぎ!心底ゾッとします…。また、クライマックスでボビーらがソ連大使館に最後の談判に乗り込んで行くシーン。あのシーンの煙突の煙ほど恐ろしい映画のワンシーンを、私は他に知りません。何度見ても総毛立つシーンです(ここも残念ながら吹き替え版ではカットなんですが…)。あと、ソ連女性秘書のあの顔!これらは感動号泣シーンではなく、最恐のホラーシーン、恐怖のあまり思わず涙目になる半べそシーンですが。なんせこれ、実話ですから! 感動系の号泣シーンでは、14日目の朝日が昇った後の朝食のシーンですね。この映画って、日常のありふれた朝の食卓シーンから始まって、エンディングでまたそこに戻ってくるんですね。14日後の朝食の風景に。その間に、人類は滅亡の瀬戸際を体験してる訳です。いかに、家族で囲む、日常の、ありふれた食卓が、かけがえのない価値を持つものかを表現するために、そういう構成になっているんですね。ほんと、よく練られた作りの映画です。そこに鳴り続ける赤電話(ホワイトハウスとの直通回線)をガン無視、そして最後のJFKの演説と、もう、終盤は泣き所の連続!そして全編、心に響く、一生忘れたくない、反芻したい、暗唱したいセリフだらけ! この映画もまた、私にとっては間違いなく生涯BEST級に大切な1本です。ということで、ぜひ本作を1人でも多くの方にご覧いただきたく、DVD音源吹き替えカット版でもあえてお届けすることにした次第であります。 この作品を出発点に、関心を『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』や『JFK』→『ボビー』→『ニクソン』→『フロスト×ニクソン』へとどんどん拡げていくという発展的な楽しみ方などもお勧めです。 以上、ちょっととりとめもなく書き散らかしてきましたが、長くなりましたので、そろそろ終わりにします。最後にもう一度、重ねてお詫び申し上げます。また、今後とも「厳選!吹き替えシネマ」のラインナップにご期待ください。そしてリクエストもお待ちしております。■ 『地球の頂上の島』©The Walt Disney Company All rights reserved『13デイズ』©BEACON COMMUNICATIONS,LLC.ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2013.02.23
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年3月】飯森盛良
キューバ危機を描いたポリティカル・サスペンスだ。敵国ソ連が米国の喉元キューバに核ミサイルを配備。ホワイトハウスでは軍部を中心に「断固たる態度で臨むべき!」との強硬策が叫ばれる。相手が口先だけ、格好だけで何の覚悟もないチキン野郎なら、こちらが強気に出れば効果あるだろう。だが、相手も「断固」路線の場合どうなるか…「断固」競争の行き着く先は核戦争しかない。ケネディ兄弟(大統領と司法長官)と補佐官のトリオは、後先考えない国内タカ派からの「断固」圧力にたった3人で抵抗しながら、相手国首脳陣にも自分たちと同じ冷静な善意の人がいてくれることを信じ、人類滅亡を回避するべく13日間にわたるギリギリの交渉を展開する。もしケネディ自身が直情径行の「断固」主義者だったら、世界はこの時に滅んでいただろう。これが、政治の責任、政治の良心というものでは?良い勉強させてもらった! ©BEACON COMMUNICATIONS,LLC.ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2013.01.26
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年2月】飯森盛良
ゴス女子グループが黒魔術に手を染め、そのうち仲間割れして魔法バトルへ、というだけのわかりやすい娯楽作なんですが、キャストですよキャスト!これが光ってると作品全体も光りだすから、映画って本っ当にいいものですね。今でも『メンタリスト』で活躍中のロビン・タニー(左端)。本作以降90年代を代表するアイドル女優に出世してくネーブ・キャンベル(右端)。可愛い!そして何と言ってもグループのリーダー格で暗黒面に堕ちていくフェアルザ・バルク嬢!!(左から2人目) 一世一代のハマリ役で、格好良すぎ+どんピシャにオレの趣味すぎるよこの人!猛獣づらゴスロリ萌え悪魔憑き女子高生って、他にこんな人います!? 今見るとミッド90’sファッションも懐かしオシャレで、目に楽しい。 Copyright © 1996 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2012.12.22
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年1月】飯森盛良
蝶になった夢を見た人の疑問。「もしかしたら自分は蝶で、人間になった夢を見ているのではないか?」…いわゆる「胡蝶の夢」というこの哲学的テーマを、数々の傑作SFが取り上げてきました。本作まさにそれ。結局、夢オチなのか現実だったのか曖昧に終わりますが、実はよく見ると劇中に答えが隠されてます。たとえば本編開始15分後頃、リコール社で施術を受けるシーン。ほらほら、モニターに何が映ってます? シュワは何のコース選びました?シュワの女の趣味は?さらに、映画はどう終わりましたっけ?ハッピーエンドのキスシーンから白くフェード・アウトしていきますよね。映像のお約束では「白いフェード・アウト」の意味するところとは…?本作、ぜひ録画して確認しながらご覧ください! © 1990 STUDIOCANAL