ザ・シネマ 松崎まこと
-
COLUMN/コラム2025.05.26
パク・フンジョン監督が、3大スターと切り開いた、“韓国ノワール”の『新しき世界』
高校時代に映画好きになったという、1974年生まれのパク・フンジョン監督。映画学校などに通うことはなく、「映画を見て書き起こす」ことで、脚本を学んだという。 ゲームや漫画のシナリオなどを経て、2010年にキム・ジウン監督の『悪魔を見た』、リュ・スンワン監督の『生き残るための3つの取引』という2作の脚本で注目を集める。翌11年にはサスペンス時代劇『血闘』で、念願の監督デビューを果した。 監督第2作となる本作『新しき世界』(2013)は、そんなパク・フンジョンの、“ギャング映画への憧れ”から始まった企画。『ゴッドファーザー』『インファナル・アフェア』『エレクション』等々、洋の東西を問わず、白黒や善悪がはっきり分けられるような単純な世界観ではない、“ノワール映画”が大好きだった彼が、積年の夢を果した監督作品である。 ***** 韓国の巨大犯罪組織ゴールド・ムーン。そのTOPが、謎めいた交通事故で急死した。組織の幹部であるチョンチョンとイ・ジュングの、後継者争いが始まる。 チョンチョンの右腕イ・ジャソンは、実は潜入捜査官。カン課長の命を受け、組織に送り込まれて8年。警察に戻る日を心待ちにしていた。 しかしTOP不在の混乱を機に、組織を壊滅しようと目論んだカン課長が、「新世界プロジェクト」を発動。新たな指令を受けたジャソンは反発するが、逆らう術はなかった。 ジャソンの言葉に決して耳を傾けない、カン課長。それに対しチョンチョンは、同じ“韓国華僑”という出自のジャソンを「ブラザー」と呼び、信頼を寄せていた。任務と友情の板挟みとなったジャソンの苦悩は、日々深まっていく…。 カン課長は、一触即発状態のチョンチョンとイ・ジュングそれぞれに接触。2人の対立を煽る。チョンチョンは、組織に内通者が居ることを直感。その正体を探る。 チョンチョンから人目につかない倉庫に呼び出されたジャソンは、連絡係の女性刑事が瀕死の状態でドラム缶に詰められているのを見て、正体がバレたことを覚悟した。しかしチョンチョンが始末したのは、ジャソンも知らなかった、別の潜入捜査官だった。 本当に気付かれていないのか?ジャソンは、身も心も張り裂けそうになる。 警察の介入で、ゴールド・ムーンの跡目争いはエスカレートしていく。ジャソン、カン課長、チョンチョン…3人の男の運命は!?そして訪れる、“新しき世界”とは!? ***** 数々の“ノワール”の影響が見て取れる本作であるが、特に大きかったと思われるのが、香港作品の『インファナル・アフェア』シリーズ(2002~03)と、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』シリーズ(1972~90)。『インファナル・アフェア』3部作は、潜入捜査官のヤンと、逆に警察組織に送り込まれた、覆面マフィアのラウを主人公にした、香港ノワールの代表的な作品。2006年にはマーティン・スコセッシ監督により、ハリウッドで『ディパーテッド』としてリメイクされ、アカデミー賞の作品賞や監督賞などを受賞している。 イ・ジャソンの、正体は警察官ながら、マフィアに長年身を置いたことで、その仲間に友情やシンパシーを抱き、苦悩を深めるという人物像は、『インファナル・アフェア』でトニー・レオンが演じたヤンにカブるところがある。こうした主人公の中の“二律背反”は、チョウ・ユンファ主演の香港作品『友は風の彼方に』(1987)や、それをパクったタランティーノの監督デビュー作『レザボア・ドッグス』(92)、ジョニー・デップ主演の『フェイク』(97)等々、“潜入捜査官もの”では、定番とも言えるが。 実は『新しき世界』以前は、“潜入捜査官”という設定は、“韓国ノワール”には、ほとんどなかったのだという。そうした意味でも直近の傑作、『インファナル・アフェア』の存在は、大きかったと言える。 一方でそれ以上に色濃く感じられるのが、『ゴッドファーザー』の影響。巨大犯罪組織の跡目争いに、心ならずも巻き込まれていく主人公の苦悩は、『ゴッドファーザー』シリーズでアル・パチーノが演じた、マイケルと重なる。 また『ゴッドファーザー』が、イタリア移民によって構成された“ファミリー”の物語であったのと同様、『新しき世界』では、ジャソンとチョンチョンに、“韓国華僑”という少数派の設定を与えている。“韓国華僑”は韓国内に永住している、唯一の外国籍民族集団で、長らく差別的な扱いを受けてきた歴史がある。 パク・フンジョンは本作に関して、「ファミリーの歴史を叙事詩のように描く“エピック・ノワール”をやってみたかった」と語っているが、これは言い換えれば、自分なりの『ゴッドファーザー』を作ってみたかったということであろう。ネタバレになるので詳しくは述べないが、クライマックスにすべてが決着する“大殺戮”が展開する辺り、監督の「これがやりたかった!」感が、至極伝わってくる。 因みに『新しき世界』は、元は警察と巨大犯罪組織を巡る長いストーリーの構想から成り立っていた。それは「企業型の犯罪組織ゴールド・ムーンの誕生まで」から始まり、「新しいボスを迎えたゴールド・ムーンの内幕と警察の反撃」で終幕を迎える。映画化に当たって、最も商業的に適する部分として、その中間パートを抜き出して脚本化し、1本の作品に仕上げたのだという。 本作の肝となる3人の男、ジャソン、カン課長、チョンチョン。この3人のバランスをどう取るかが、作品の完成度に大きく関わってくる。結果的に、監督が構想していたキャラクターと、「ほぼ100パーセント、シンクロ」するキャスティングが行われた。 カン課長を演じたチェ・ミンシクは、シリアルキラーを演じた『悪魔を見た』で、脚本を担当していたパク・フンジョンと出会った。その際に沢山話をして、「何かを持っている」と感じたミンシクは、フンジョンと連絡を取り続けていた。 そして本作の「土台となる人物」ながら、「目立ってはいけない」黒幕的存在の、カン課長役のオファーを受ける。ミンシクの長いキャリアの中で、映画で警官を演じたのは、「初めて」だったという。 ミンシクは自らの出演が決まると、イ・ジョンジョに直接電話を掛けた。大先輩からの「映画に出ないか?」との誘いに乗って、それまでラブストーリーなどの出演が多かったジョンジェが、ジャソンを演じることとなった。 潜入捜査官のジャソンは、ほとんどのシーンで感情を隠さなければならない役どころ。ジョンジェは、「立っている」「苦悩に満ちる」などとしか書かれていない脚本を徹底的に分析し、監督言うところの「深みのある内面の演技」を見せた。 “静的”なジャソンとは対照的に、極めて“動的”なキャラクターであるチョンチョン役を引き受けたのは、監督の脚本作『生き残るための3つの取引』の主演だった、ファン・ジョンミン。 ソウルで上演中のミュージカル「ラ・マンチャの男」で主演を務めていたジョンミンは、公演のスケジュールと本作の撮影が丸かぶり。芝居が終わると深夜の高速バスで、ロケ地の仁川まで移動し、日中の撮影を終えると、高速鉄道でソウルまで戻って舞台に立つという、ハードな日々を送ることとなった。 イ・ジョンジェ曰く、最初の読み合わせの際に、ファン・ジョンミンの脚本は、もうボロボロになっていたという。ジョンミンは、ヘアスタイルから衣裳、セリフまで、アイディア出しを行い、撮影現場では、アドリブを多用した。 象徴的と言えるのが、チョンチョンの初登場シーン。中国の取引先から戻った彼は、飛行機のスリッパを履いたまま、到着ロビーに現れる。気ままで勝手放題なチョンチョンのキャラクターを表わすこのシーンは、まさにジョンミンのアイディアが元となっている。 チョンチョンは全羅道訛りで、常に悪態をつき続けるが、ジョンミンは脚本を貰った段階で監督に、自分でセリフを全部直すことを申し入れたという。具体的には、その地域の方言を話す者の力を借り、更には、悪口の数をぐっと増やして、最終的には自分の口に馴染むよう、書き直したのだという。 ジャソンが「正体がバレたか?」と震え上がる、裏切者の粛正シーンでは、雨垂れで血が付いた手を洗い、口をすすぐ演技を見せる。これも脚本上では、「後ろ姿を見せる」としか書かれておらず、100%ジョンミンのアドリブだった。 これらのアドリブはもちろん、ジョンミンが悪目立ちするためにやったものではない。チョンチョンがいくら暴れても、主役はジャソンである。助演のチョンチョンがエネルギッシュであればあるほど、静的なジャソンが立つという計算の元に行われた。 本作のラストシーンでは、時代を遡って、イ・ジャソンとチョンチョンの6年前の出会いが描かれるが、実はこちらも脚本には存在しなかった。2人の“絆”を描くために、ジョンジェとジョンミンで話し合って、監督とも相談。クランクアップを迎える日に、急遽撮影されたものだったという。メインキャストの2人が、自分たちなりの“プリクエル=前日譚”を作ってみようと考えて、実現したものだった。 イ・ジョンジェ、チェ・ミンシク、ファン・ジョンミンという3大スターの出演がトントン拍子に決まった際は、「かなり当惑」し、「恐れさえ」感じたというパク・フンジョン監督。しかしキャラクターと「ほぼ100パーセント、シンクロ」する、3人のキャスティングは、最高の化学反応を見せたのである。『新しき世界』は、2013年2月に韓国で公開。すでに旬を過ぎたジャンルと思われていた“ヤクザ映画”が新たな展開を見せたと評価され、470万人を動員する大ヒットを記録した。 ファン・ジョンミンは韓国3大映画祭のひとつ、「青龍芸術大賞」で主演男優賞を受賞。イ・ジョンジェは「大鐘賞」の人気賞に輝いた。 当時ソニー・ピクチャーズによるハリウッドリメイクが決定とのニュースが流れた。しかしこれはご多分に漏れず、その後実現したとの報はない。 それよりも気掛かりなのは、パク・フンジョンが当時語っていた“3部作”構想。先に挙げた通り、本作の“前日譚”として、「企業型の犯罪組織ゴールド・ムーンの誕生まで」、後日談として、「新しいボスを迎えたゴールド・ムーンの内幕と警察の反撃」が存在した筈だったが、いつの間にか立ち消えとなってしまったようだ。 歳月が流れる中、『The Witch 魔女』シリーズ(2018~)で、女性アクションの新生面を開いた、パク・フンジョン監督。メインキャストは男・男・男の、『新しき世界』のシリーズ化は、時勢もあって、もはや関心外なのだろうか?■ 『新しき世界』© 2012 NEXT ENTERTAINMENT WORLD Inc. & SANAI PICTURES Co. Ltd. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2025.06.12
世界中で大ヒット!M・ナイト・シャマランの“ある秘密”路線第1弾!!『シックス・センス』
今年4月、俳優のハーレイ・ジョエル・オスメントが、公共の場での酩酊とコカイン所持で逮捕された。そして先頃、週3回の依存症者ミーティングに半年間の出席を義務付けられたというニュースが、飛び込んできた。 今回もそうだが、記事などに取り上げられる場合、必ず「『シックス・センス』…のハーレイ・ジョエル・オスメント」と紹介される。30代後半の今になっても、“天才子役”と謳われた時期の、1999年公開作のタイトルが冠せられるのである。 それはある意味、この作品の監督である、M・ナイト・シャマランにも共通する。彼の場合、その後何本もヒット作を出しているにも拘わらず、「『シックス・センス』…の」と、枕詞のように付いて回る。 これは本作『シックス・センス』が、初公開時にそれほどのインパクトを残した証左とも言える。 “シックス・センス=第六感”。人が備える5つの感覚=視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を超えた、第6番目の感覚を指す。 1970年生まれ、まだ20代でそれまでは低予算作品しか手掛けてなかったシャマランが世に放った、3本目の長編監督作品。原作などはない、自作の“オリジナル脚本”の映画化だった。 日本公開で耳目を攫ったのは、本編上映前にスクリーンに映し出された、次の内容のスーパー。 「この映画のストーリーには“ある秘密”があります。映画をご覧になった皆様は、その秘密をまだご覧になっていない方には決してお話しにならないようお願いします」 この前口上は、主演のブルース・ウィリスとM・ナイト・シャマランの両名によるものという体裁になっていたが、実は日本公開版にだけ付加されていた。これは、70年代後半から80年代に掛け、そのコケオドシ宣伝(失礼!)が、「東宝東和マジック」などと謳われた、本作の配給会社ならではの仕掛けであったことは、想像に難くない。 一部識者などからこの前口上は、「ネタバレを招く」などとも批判を受けた。しかし一般観客へのアピールは強かったようで、口コミの拡散にも大いに繋がったものと思われる。 また、「この映画のストーリーには“ある秘密”があります」というフレーズは、その後のシャマランのフィルモグラフィーを、実に的確に予見もしていた。 ***** 小児精神科医のマルコム(演;ブルース・ウィリス)は、子ども達の心の病を治療する第一人者として、名を馳せていた。 ある時、自宅で妻のアンナ(演:オリビア・ウィリアムズ)とくつろいでいた彼の前に、10年前に治療を担当していたヴィンセントが、現れる。ヴィンセントは「自分を救ってくれなかった」とマルコムをなじり、その腹を銃で撃つ。そして自らも、頭を撃ち抜くのだった。 1年後、ヴィンセントを救えなかったことで自分を責め続けたマルコムは、いつしか妻との間に大きな溝が生まれていた。彼女に話しかけても、すげなくされてしまう…。 そんな彼が新たに担当することになったのは、8歳の少年コール(演: ハーレイ・ジョエル・オスメント)。コールの症状は、かつてのヴィンセントに酷似していた。 実はコールには、死者が見えてしまう“第六感=シックス・センス”があったが、それを周囲に明かせないまま、怯え苦しみ、学校で「化け物」扱いされるまでに。更に、その事情を知らない母親リン(演;トニ・コレット)も、自分の息子の扱いに苦慮していた。 マルコムも、当初は幽霊の存在に懐疑的だったが、やがてコールの言葉を受け入れるようになる。2人は力を合わせて、死者がコールの前に現れる理由を探る。 そうした中でマルコムは、あまりにもショッキングな、“ある秘密”に行き当たる…。 ***** シャマラン監督は、インド生まれのフィラデルフィア育ち。両親とも医者の家庭だった。 8歳の時に8㎜カメラをプレゼントされ、16歳までに、45本の短編映画を監督。高校は首席で卒業し、有名医科大の奨学金にも合格していたが、ニューヨーク大学のアートスクールに進学し、映画の道に向かった。 子どもの頃は、家に帰ってドアが開いていると、「誰かが中に潜んでいるのでは…」と考えてしまうような、大の怖がりだった。『シックス・センス』は、シャマランのそんな幼少時の記憶がベースになっているという。 企画をスタートさせたのは、2本目の長編作品の仕上げ段階だった。シャマランの発言をすべて真に受けるならば、本作はその時点から、“第六感”めいたエピソードに事欠かない。 例えば劇中でコールが言う有名なセリフ~I see dead people=僕には死んだ人が見える~。しかしシャマランは、脚本から一旦削除した。少年のセリフとはいえ、幼すぎると感じたからだ。 しかしその時、「“声”が聞こえた…」のだという。「そのセリフを元に戻せ」と。結果的に~I see dead people~は、多くの観客の口の端に上る流行語となった。 シャマランは監督前作のポスプロ中に、その編集スタッフに、『シックス・センス』という脚本を書こうと思っていると、告げていた。その際に彼は、こんな予言をしていた。「主演はブルース・ウィリスになるよ、きっと」と。 もちろんそのスタッフからは、「あ、そう」と一笑に付された。監督として駆け出しのシャマラン作品に、当時すでにスーパースターだったウィリスが出ることなど、夢物語だったのだ。 シャマランは、『エクソシスト』『シャイニング』『ローズマリーの赤ちゃん』『反撥』などのホラー映画の名作に、様々な形でインスパイアされて、脚本を書き上げた。それをまだ無名な存在の彼自身が監督するという条件付きだったのにも拘わらず、ディズニーに300万㌦の高額で競り落とされた。こうして、ウィリスへの交渉ルートが開けた。 シャマランは、『ダイ・ハード』シリーズ(1988~)などで、一般的にアクションスターのイメージが強いウィリスのことを、「非常に芸域の広い俳優」と評価していた。元々はTVシリーズの「こちらブルームーン探偵社」(1985~89)のコメディ演技で人気となったウィリスを、ドラマティックな役やごく普通の人も演じられると、見込んだのである。 まずはウィリスに脚本を読んでもらった上で、面会という段取りになった。彼の主演を前提とした当て書きをしたシャマランも、さすがに極度の緊張状態に陥った。ところがそこにウィリスが現れると、いきなり「ノー・プロブレム」と口に出し、シャマランを抱きしめたのだという。 当時のウィリスは、悪たれ野郎のイメージが強かった。しかしそれと同時に、クエンティン・タランティーノの出世作『パルプ・フィクション』(94)に出演するなど、有望な新人監督の作品をチョイスする、目利きの側面もあったのだ。 1年前にシャマランの予言を鼻で笑った、件のスタッフは、ブルース・ウィリスが主演に決まった旨の連絡を受けて、ビックリ仰天することとなった。 この頃1本の出演料が2,000万㌦にも達していたウィリスの主演にも拘わらず、『シックス・センス』の製作費は、4,000万㌦程度に抑えられている。それはウィリスが、出演料を100万ドル以下にディスカウントしてくれたからである。その代わりに、映画がヒットして利益が出た場合には、歩合を貰う条件が付いた。結果的にウィリスの懐には、1億㌦以上が転がり込むこととなる。 ウィリスが演じるマルコムと並んで重要だったのは、コール少年役。シャマランは、オーディションで数多くの子役と面会したが、なかなかピンとくるものがなかった。 そんな時にシャマランの前に現れたのが、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)で主人公の息子を演じたことで知られていた、ハーレイ・ジョエル・オスメント。シャマランはその演技を見て、すぐにOKを出した。『シックス・センス』の撮影は、シャマランの生まれ故郷で、アマチュア時代からずっと映画の舞台にしてきたフィラデルフィアで、42日間のスケジュールで行われた。市内の古い市民センターを拠点に、この地区の主な展示施設に、7つのオープンセットが組まれた。 オスメント演じるコールは、己の持つ“シックス・センス”のせいで、不幸でいつも暗い表情。笑顔は見せない。 これまでの作品では、自分の体験との共通項を見出して役を演じてきたというオスメントだったが、本作ではそれが不可能だった。そのため役作りとしては、「脚本を何度も読み返すしかなかった」という。 そこからが、さすが“天才子役”。オスメントは脚本を何度も読み返す内に、コールの考え方が理解できるようになっていった。そして撮影時には、スイッチをON・OFFするかのように、コールになったり自分に戻ったりできるようになったという。普段は普通の10歳の少年であるオスメントが、「“あと5分”で本番の声がかかったとたん、コールになりきってしまう」と、ウィリスも感心しきりだった。 因みにウィリスは撮影中、自分が映ってないショットでも、オスメントの見える所に居て、演技しやすいように協力したという。 さて本作は、1999年8月6日にアメリカで公開されると、5週連続で興行成績TOPを記録。全米で300億円、全世界で700億円稼ぎ出す、特大ヒットとなった。 アカデミー賞でも、作品、監督、脚本、助演男優(オスメント)、助演女優(トニー・コレット)、編集の計6部門でノミネート。“ホラー映画”というジャンルとしては、快挙と言える成果を上げた。 ブルース・ウィリスは本作がメガヒットとなったことについて、その第一の理由として、「ハリウッド映画の90%が何らかのかたちで“原作もの”であるなか、『シックス・センス』は完全に“オリジナル”なストーリーである…」ことを挙げている。しかし本作が、“オリジナル”と言い切れるかどうかは、実は微妙なのである。 さてここからは、日本公開版冒頭で謳われた、“ある秘密”に関わる話となってしまう。本作は非常に有名な作品なので、その“ある秘密=オチ”をご存知の方も多いであろうが、もしもまだ知らないのであれば、この後を読み進むのは、本作鑑賞後にした方が良いかも知れない。 『シックス・センス』の“ある秘密”は、ラストで明かされる。それはマルコムが、実は冒頭で腹を撃たれた時に死んでおり、それを本人が気づいていないということ…。 このプロットはシャマラン自身、TVの子ども向けホラー・シリーズから戴いたことを認めている。しかしそれ以上に、『恐怖の足跡』(62)という、それほど有名ではないホラー作品と「そっくり」であることが、指摘されている。 シャマラン作品はこの後暫し、「実は死んでいた」のバリエーションの如く、“ある秘密”が、物語のクライマックスで明かされるパターンが続いていく。「実は“不死身”だった」「実は“宇宙人”の仕業だった」「実は“現代”だった」等々。 どの作品も、「サプライズなオチ」目掛けて、ストーリーが進んでいく。そしてそれぞれが、元ネタと思しき、先行するB級作品を、識者から指摘されるところまで、同じ轍を踏んでいく。 そうこうする内に、段々とその展開に、強引さや無理矢理な部分が目立つようになっていく。やがてシャマランも、方針転換を余儀なくされ、現在に至るわけだが…。 何はともかく、シャマランの“ある秘密”路線の第一弾だった本作『シックス・センス』。その初公開時の衝撃は、当時の観客にとって、凄まじいものであった。それだけは、紛れもない事実である。■ 『シックス・センス』© Buena Vista Pictures Distribution and Spyglass Entertainment Group, LP. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2025.07.25
現代の巨匠イーストウッド、監督生活50年のメモリアル『クライ・マッチョ』
ハリウッドの生きる伝説、クリント・イーストウッド。今年5月で、95歳となった。 俳優デビューは1955年。もう、70年も前の話だ。 暫し不遇の時を過ごした後、TVの西部劇シリーズ「ローハイド」(59~65)でブレイク。その後はヨーロッパに渡って、セルジオ・レオーネ監督の“マカロニ・ウエスタン”『荒野の用心棒』(64)『夕陽のガンマン』(65)『続・夕陽のガンマン』(66)の、いわゆる“ドル箱3部作”で、主演俳優の座に就く。 ハリウッド帰還後は、ドン・シーゲル監督の薫陶を受け、最大の当たり役でシリーズ化された『ダーティハリー』(71)などへの出演で、押しも押されぬ大スターとなる。 そして、『ダーティハリー』に主演する直前には、サイコスリラーである、『恐怖のメロディ』(71)で、監督デビューを飾った。 監督として“巨匠”と称されるようになるのは、『許されざる者』(92)以降。この作品と12年後の『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で、2度に渡って、アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞している。 監督生活50年にして、40本目の監督作(別の監督名がクレジットされているが、実質はイーストウッドが演出した作品やTVドラマなども含めると、40数本とカウントされる場合もある…)と謳われたのが、主演も兼ねた、本作『クライ・マッチョ』(2021)である。 実はこの作品が、イーストウッドの監督・主演作として世に出るまでには、長きに渡る紆余曲折があった。 はじまりは1970年代前半。N・リチャード・ナッシュが執筆した、「マッチョ」というタイトルの脚本だった。しかし売り込み先の映画会社に相手にされず、ナッシュはやむなく、「クライ・マッチョ」というタイトルに変えて小説化。75年に出版した。 これを読んで感銘を受けたのが、プロデューサーのアルバート・S・ラディ。『ゴッドファーザー』(72)などで知られる彼が、映画化権を獲得するに至った。 ラディが最初に、イーストウッドの元に『クライ・マッチョ』の企画を持ち込んだのは、1980年頃のこと。イーストウッドは、「登場人物の人間関係」や主人公であるマイク・マイロの「落ちぶれ具合」が気に入り、そんな主人公が、人生を取り戻すチャンスを得るのに、惹かれたという。 しかしこの役を演じるには、50歳の自分はまだ若すぎると、判断。自らは監督に専念して、主演にロバート・ミッチャム(1917~97)を迎えることを、提案した。しかしこのプランは、やがて立ち消えに。 その後『クライ・マッチョ』は、91年にロイ・シャイダー(1932~2008)主演で製作を開始したが、頓挫。2011年には、カリフォルニア州知事の任期を終えたアーノルド・シュワルツェネッガー(1947~ )の俳優復帰作として準備が進められるも、シュワちゃんの不倫・隠し子スキャンダルが祟って、中止の憂き目となった。 それでも映画化が諦めきれなかったラディの元に、1本の電話が入ったのは、2019年。「あの脚本、まだ手元にある?」その声の主は、イーストウッドだった。 最初のオファーから40年が経って、齢90を迎えんとしていた、イーストウッド。「今ならこの役を楽しんで演じられる」と、思ったのだという。 イーストウッドの監督・主演で、遂に映画化が実現することとなった。オリジナル脚本をできるだけ活かすという判断がされ、それ故にメインの時代設定が、1980年となった。 とはいえ、監督の意向を汲んでの、ある程度のリライトは必要となる。オリジナルを書いたナッシュは、2000年に87歳で亡くなっていたため、白羽の矢を立てられたのが、ニック・シェンク。 イーストウッド組には、『グラン・トリノ』(08)『運び屋』(18)に続いて、3度目の参加となるシェンク。彼は期せずして(?)、イーストウッドが自らの監督作で“老人”を演じた、非公式な三部作の、共通の書き手となってしまった。 ***** 1980年のアメリカ・テキサス。 かつてロデオ界のスターだったマイク・マイロは、競技本番での落馬や妻子の事故死など、重なる不幸もあって、いまや落魄の身。孤独な独り暮らしを送っていた。 そんな時マイロは、かつての雇い主で牧場経営者のハワードから、頼まれごとをする。今はメキシコに住む、別れた妻レタに引き取られた14歳の息子ラフォを、テキサスまで連れて来て欲しいという内容だった。 一歩間違えば、“誘拐犯”。しかしハワードに恩義のあるマイロは、断ることができなかった。 ラフォは、男の出入りが激しい母から逃れ、闘鶏用のニワトリ“マッチョ”と、ストリートで生活していた。そんな経緯から、猜疑心や警戒心が強く、迎えに来たマイロに対して、なかなか心を開かない。 そんな2人の、テキサスへの旅が始まった。国境へと向かうも、警察の検問を避け、レタの放った追っ手を躱すために、田舎町へと立ち寄る。 暫しこの地に身を隠すことを決めた2人は、食堂を営む女性マルタと知り合う。そして、何かと世話を焼いてくれる彼女とその家族と、交流を深める。 この町でマイロは、野生の暴れ馬を馴らす仕事を得る。彼は馬の調教を通じて、自分の知識と経験を、ラフォへと惜し気もなく伝える。2人の絆は、ぐっと深まっていった…。 このままこの地に落ち着くのも、悪くない。そんな気持ちも芽生えた2人が、国境を超える日は? ***** 一言で表せば、「老人と少年のロードムービー」である本作は、イーストウッドの様々な過去作を、想起させる作りとなっている。 まずは中年のカントリー歌手とその甥の旅を描く、『センチメンタル・アドベンチャー』(82)。年輩の者が若者に教えを施す、師弟関係を描いた作品としては、『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(86)『ルーキー』(90)など。血の繋がりのない寄る辺なき者たちが集って、“疑似家族”を構成していく物語としては、『アウトロー』(76)や『ブロンコ・ビリー』(80)。 “師弟もの”と“疑似家族”のミクスチャーである、『ミリオンダラー・ベイビー』(04)『グラン・トリノ』(08)は、もちろんだ。特に白人の年配者がエスニックの若者を鍛える構図は、『グラン・トリノ』が最も近いかも知れない。 付け加えれば、旅の男マイロと田舎町に暮らすマルタにロマンスが芽生える辺りには、『マディソン郡の橋』(95)を思い起す向きもあるだろう。 マイロがこんなセリフを吐くのにも、イーストウッド過去作とのリンクを感じる。「マッチョってやつは過剰評価されている。人生にはそれより大事なものがある。それに気づいた時には遅すぎるんだ」 イーストウッドは、かつて一線級のアクションスターとして、“マッチョ”に類した役どころを散々演じてきた。しかし歳を重ねるにつれて、それを裏返したような作品を、多く手掛けるようになった。このセリフは、そんな本人の述懐のようで、実に味わい深い。 因みに本作は、イーストウッドが亡きドン・シーゲルとセルジオ・レオーネに捧げた“最後の西部劇”『許されざる者』以来という、“乗馬シーン”がある。実際に馬に跨るのは30年振りだったという、イーストウッドだが、「あぶみに足をかければ、感覚は戻ってくるものだよ」と、悠然たる構えでチャレンジしている。 とはいえ、このシーンの撮影初日には、スタッフ全員が興奮したというのも、無理はない。ファンにしてみても、「感涙もの」である。 主人公マイロと旅をする14歳の少年ラフォ役に抜擢されたのは、長編映画出演は初めてだった、エドゥアルド・ミネット。はるばるメキシコシティからやって来て、何百人も参加したオーディションを勝ち抜いた。 ミネットは、乗馬の経験はなかったが、トレーニングを受けて、あっと言う間にマスターしたという。 マイロの元雇い主で、息子を連れてくることを頼むハワード役には、高名なカントリー歌手で、映画出演も多いドワイト・ヨーカム。イーストウッド曰くヨーカムには、「馬の扱いに慣れている雰囲気がある」とのこと。 田舎町の食堂の女主人マルタには、メキシコ人女優のナタリア・トラヴェンが、起用された。 タイトルロールである、ニワトリのマッチョは、11羽の調教された雄鶏が演じている。それぞれに得意技があり、あるトリは人の手に乗るシーン、あるトリは、合図と共に襲いかかるシーンといった風に、使い分けられた。 撮影はコロナ禍真っ最中の、2020年後半。イーストウッド組の常連スタッフを集め、あらゆる感染対策を講じて、行われた。ニューメキシコ州をメキシコに見立てた、ロケ撮影がメインだった。 そんな中で、イーストウッドと言えば…の“早撮り”で事は進められた。プロデューサーも兼ねるイーストウッドとしては、“早撮り”は、予算を安く上げるという効果もあるが、それ以上に撮影現場に於いて、「勢いを殺ぎたくない」「やる気やエネルギーを絶やしたくない」という、イーストウッド一流の演出術である。 ラフォ役のミネットはイーストウッドに、「監督の希望通りに演技する」と伝えたという。しかしそれに対する回答は、「いや、君の好きなように、心地良いと思う方法でやってくれ」というものだった。メキシコの新人俳優は“巨匠”から、自分自身でラフォ役を掘り下げる自由を与えられたのだ。 ドワイト・ヨーカムはイーストウッドについて、「…撮り直しを好まないと聞いていたけど、僕のアドリブや思い付きを大歓迎してくれた」と、コメントしている。 ・『クライ・マッチョ』撮影中のクリント・イーストウッド監督 本作は逃走劇でもある筈なのに、追っ手が間抜けで弱すぎることもあって、サスペンスはほぼゼロ。またイーストウッド作品には付き物だった、暴力もほとんど登場しない。 食い足りなさを感じる向きもあるかも知れないが、イギリスの「アイリッシュ・タイムズ」紙に掲載された、次の評論が本質を言い表している気がする。「ほとんどなにもせずにすべてを表現できる彼の才能は、年齢を追うごとに磨きがかかっている」 本作が最後の作品かと言われたイーストウッドだったが、94歳の昨年、本作とはガラっとタッチを変えて、これも十八番と言える“絶望シネマ”調のサスペンス『陪審員2番』(2024)を発表した。今度こそ引退と言われているが、まだまだ嬉しい“裏切り”を待ちたい。■ 『クライ・マッチョ』© 2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
-
COLUMN/コラム2025.08.21
新たな“ロック伝記映画”を誕生させた、バズ・ラーマン監督とニュースターのコラボ!『エルヴィス』
“キング・オブ・ロックンロール”!ギネスが認定する、「世界で最も売れたソロアーティスト」である、エルヴィス・プレスリー。 1935年1月8日生まれ。幼い頃から、ブルース、ゴスペル、R&B、カントリーなど様々な音楽の洗礼を浴びた彼は、それらすべてを吸収し、新しい時代の音楽だった“ロックンロール”シーンを切り開いていった。彼が居なかったら、ビートルズもクイーンも、存在しなかったなどとも言われる。 1950年代中盤から70年代まで、紆余曲折ありながらも、高い人気を誇った。しかし77年、突然の心臓発作で、42歳でこの世を去ってしまう。そのあまりにも早すぎた死もあって、エルヴィス・プレスリーは、今でも語り継がれる存在となっている。 そんな男の伝説的な生涯を描くことにチャレンジしたのは、オーストラリア出身のバズ・ラーマン監督。『ダンシング・ヒーロー』(92)で監督デビュー後、ハリウッドに招かれ、『ロミオ+ジュリエット』(96)『ムーラン・ルージュ』(2001)などで、第一線に躍り出た。 ラーマンの少年時代、家族が経営する映画館では、毎週土曜にエルヴィスの主演作を上映していた。彼は早くから、“キング・オブ・ロックンロール”の魅力に、触れてきたのである。 ラーマンはエルヴィスの人生を、「3つのステージに分かれていて、それぞれ50年代、60年代、70年代にぴたりと収まる…」と分析。エルヴィスを背景に、50~70年代のアメリカを描くことを目指した。 エルヴィスは、貧しい白人の家庭に生まれて、黒人コミュニティの側で育った。そんな出自があってこそ、多様な音楽を呑みこみ、スーパースターに上り詰めたのである。「人種問題を扱わずに、エルヴィス・プレスリーを語ることはできない…」 それが本作を作るに当たっての、ラーマンの決意だった。 ***** 1997年。エルヴィス・プレスリーの元マネージャー、トム・パーカー大佐は、死の床に就いていた。薄れていく意識の中で、彼は、エルヴィスとの日々を振り返っていく。 54年、カントリー歌手のマネージャーだったパーカーは、ツアー先でエルヴィスと出会う。まるで黒人のように歌う白人歌手で、腰をくねらせて歌い踊る姿に、女性ファンは熱狂した。 専属マネージャーとなったパーカーは、その手腕で、エルヴィスを全米の人気者へと、仕立て上げる。エルヴィスは、初のNo.1ヒット「ハートブレイク・ホテル」から、スター街道を驀進する。 それと同時にエルヴィスは、“骨盤ダンス”“黒人のマネ”などと揶揄もされ、白人の権力者たちからは、敵視される存在となった。パーカーは、エルヴィスの刑務所送りを回避するために、徴兵令に応じさせる。エルヴィスは、2年間の兵役を務めることとなった。 軍隊生活を終えて、復帰したエルヴィスの主戦場はハリウッドとなる。しかし社会変革の波が押し寄せ、音楽の世界にもビートルズなどが登場した60年代後半になっても、パーカーの方針で、似たようなストーリーの、安手な作品に主演を重ねることとなる。音楽活動もパッとせず、エルヴィスは段々と、時代遅れの存在となっていく。 キング牧師、ロバート・ケネディ上院議員が相次いで暗殺された1968年。この年の12月に、エルヴィスはTVの特別番組に出演する。クリスマス・ソングを歌えというパーカーの強要を無視。自らの音楽的ルーツを探り、アイデンティティーを見直すチャレンジを行い、見事復活を果たしたのだが…。 ***** 大きな注目を集めたのは、“キング・オブ・ロック”エルヴィス・プレスリーを、誰が演じるのか?大役を射止めたのが、オースティン・バトラーだった。 エルヴィスが逝ったのは、1977年8月16日。バトラーが生まれたのは、その14年と1日後の91年8月17日だった。子ども時代から父と一緒に名作映画を観ていたバトラーは、10代の頃からTVドラマや映画に出演。憧れの俳優は「ジェームズ・ディーンとマーロン・ブランド」だった。 そんなバトラーが、クエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)の出演を終えた、2018年の暮れ。ロスの街を車で走っていたら、エルヴィスのクリスマスソングが流れてきた。その時、同乗していた友人が言った。「いつか君はエルヴィスの役を演じるべきだ」 その数週間後に、同じ友人の前でピアノの弾き語りを披露すると、更に熱くプッシュされた。「何とか映画化の権利を手に入れてでもエルヴィスを演じてくれ」と。 数日後、バズ・ラーマンがエルヴィスの映画を作るという情報が、バトラーの元に届いた。もちろんオファーなど、受けたわけではない。しかしこのタイミングに運命的なものを感じた彼は、「自分のもてるすべてを捧げ、役をつかもう」と、決心したのだった。 エルヴィスのファンだった祖母の家で、子ども時代にその楽曲や主演映画に慣れ親しんでいたというバトラー。『エルビス・オン・ステージ』(1970)をはじめ、手に入る限りのドキュメンタリーやライブ映像を見て、関連する書籍も読み漁った。 そんな中で、自分が母を亡くした23歳の時に、エルヴィスも最愛の母を失ったことを知ったという。 本格的なオーディションなどが行われる前に、自らがエルヴィスの曲を歌った映像を撮って、ラーマン監督に送ることを決めた。最初は初期の代表曲「ラブ・ミー・テンダー」をと思ったが、いざ撮影してみると、単なるモノマネのようにしか思えず、恥ずかしくなってしまった。 そんな時に、亡き母が死にそうになる悪夢を見た。完全にダウナーになったバトラーは、その気分を何かにぶつけようと、ピアノを弾きながら歌ったのが、「アンチェインド・メロディ」。エルヴィスがコンサートなどで、再三披露した楽曲だ。バトラーは、恋人に向けられたその歌詞を、母に捧げるように、歌ってみせた。 ラーマン監督は語っている。「オースティンが涙を流しながら『アンチェインド・メロディ』を歌う録画テープを送ってきたんだ…」。 また、それを見たすぐ後、ラーマンの元に、それまでまったく知り合いではなかった“名優”から、電話が入った。電話の主は、デンゼル・ワシントン。ブロードウェイで共演したバトラーのことを、エルヴィス役に推す内容だった。 ラーマンは、バトラーと会うことを決めた。ニューヨークへと呼ばれたバトラーは、その初日にラーマンと、エルヴィスや彼の人生について3時間ほど話した。その後、台本読みや様々なスクリーンテスト、音楽や演技のワークショップを経て、数か月後正式に、エルヴィス役を射止めたのだった。 バトラーが、エルヴィスになり切るための日々が、本格化する。週6日のヴォイストレーニングは、1年以上続いた。 そうした訓練のかいもあってか、本作では、60年代以前の若い頃のエルヴィスの歌声は、バトラーのものを主に使用。時折エルヴィスとバトラー、2人の声を融合させている。 さすがに晩年近くの、力強く象徴的なヴォーカルは、エルヴィス本人の声を使う他はなかったが。 エルヴィスの細かい所作を徹底的に叩き込む役割を果したのは、ポリー・ベネット。『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)で、ラミ・マレックがフレディ・マーキュリーになり切ることをサポートした実績の持ち主だ。 バトラーは、エルヴィスがインスパイアされたアーティストたちについても、徹底的にリサーチ。ビッグ・ママ・ソーントン、シスター・ロゼッタ・サーブ等々。更には、スピリチュアル音楽、オペラなど、エルヴィスに影響を与えた音楽を聴きまくった。 ラーマンと共に、ナッシュビルにロードトリップへと出掛けたのも、役作りの一環。バトラーは初めて、エルヴィスの妻だったプリシラ・プレスリーと会い、テネシー州メンフィスに在るエルヴィスの邸宅、グレイスランドを歩き回ったりした。 また、エルヴィスが270曲以上吹き込んだRCAスタジオを訪れた際は、彼が実際に使っていた機材で「ハートブレイク・ホテル」をレコーディング。その際にラーマンは、RCAの社員たちをスタジオに呼び込み、観客役を務めてもらった。バトラーは「見知らぬ人を前にしてパフォーマンスをする感覚」を、そこで体得したという。 本作は、2020年春の撮影開始が予定されていたが、コロナ禍で中断。そうした期間を含め、バトラーは3年近く、エルヴィス・プレスリーという役作りに取り組むこととなった。 本作で“信用できない”語り手を務めるのは、トム・パーカー大佐。エルヴィスは、パーカーとの縁を切ろうと再三試みるも、彼に多額の借金をしていたことから、結局は言いなりになる他はなかった。70年代に入って、ラスベガスのホテルでショーを続ける内に激太り。1977年8月に心臓発作に襲われて最期を遂げる。 ラーマン曰く、「“大佐”であったことはなく、“トム”でも“パーカー”であったことも一度もない」「音楽を聴き分ける耳を一切もち合わせていなかった」という、この世にもいかがわしい人物は、1909年オランダ生まれ。父を亡くした後、20歳の時に、アメリカに不法入国したとされるが、母国で殺人の嫌疑をかけられたため、アメリカに逃亡したという説も唱えられている。 国籍を取るために軍に入り、除隊後に、トム・パーカーと名乗るようになった。“大佐”というのも、愛称に過ぎない。エルヴィスが終生世界ツアーに出られなかったのは、パーカー大佐が、アメリカ合衆国のパスポートを保持していなかったためである。 パーカーは、音楽的センスは皆無だったが、エルヴィスのショーが若い観客に与える影響に魅了されたと、本作では描かれる。ラーマン監督はエルヴィスとパーカーを、「モーツァルトとサリエリのような関係…」と解釈。死の床にあるパーカーが、エルヴィスとの日々を回想する構成は、舞台から映画にもなった『アマデウス』(1984)から頂戴している。 難役である、このトム・パーカー大佐を演じたのは、アカデミー賞主演男優賞に2度輝く、トム・ハンクス。彼のキャリアでは極めて稀な、本格的な“悪役”と言える。 ハンクスのパーカー評は、「…天才であり、悪人でもあった。自制心の強い男であり、非常に賢いビジネスマンでもあり、10セント硬貨すら惜しむケチであったが、エルヴィス・プレスリーが登場するまで存在しなかった大型ショービジネスを開拓したパイオニアでもあった」というもの。 ハンクスはこの役を研究するために、プリシラ・プレスリーと話した。パーカーはエルヴィスの死後に、裁判でマネージャーとしての悪事を暴かれ、ギャンブル癖により財産を散財して亡くなっている。ハンクスはプリシラから、そんなパーカーへの不信感を聞けると期待したが、彼女のパーカー評は、予想とは違ったものだった。「彼はすばらしい人だった。今も生きていてくれたらいいのにと思う。私たちをとても大切にしてくれた。そして、それなりに“悪党”だった」 本作の撮影のほとんどは、オーストラリアはゴールドコーストのスタジオで行われた。バトラーが最初に撮影したのは、本作のクライマックスである、1968年12月のTVショーのシーンからであった。スタジオには、グレイスランドから、70年代にエルヴィスが伝説的なステージを行う、インターナショナルホテルのステージまで、見事なセットが組まれた。 本作の全米公開日は、エルヴィスの死後45年が経った、2022年の6月24日。バトラーの演技は、アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされるなど絶賛され、ゴールデングローブ賞の授賞式の際は、徹底した役作りの影響で、エルヴィスの南部訛りが抜けていないことが、話題となった。 バトラーはその後、『デューン 砂の惑星PART2』(2024)など出演作が目白押し。順調にスター街道を歩んでいる。 バズ・ラーマン監督は、『ダンシング・ヒーロー』『ロミオ+ジュリエット』『ムーラン・ルージュ』で見せた絢爛豪華で「クレイジーな語り口」は抑えながらも、自らの特質を活かして、新たな“ロック伝記映画”のスタイルを確立したと、高く評価された。 エルヴィス・プレスリーという“伝説”の映画化によって、バズ・ラーマンとオースティン・バトラー、2人のキャリアには、それぞれの新たな1頁が開かれたのである。■ 『エルヴィス』©2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
-
COLUMN/コラム2025.09.17
トッド・フィールド16年振りの監督復帰作にして、ケイト・ブランシェット史上最高傑作!『TAR/ター』
映画監督のトッド・フィールドが、そのオファーを受けたのは、新型コロナのパンデミックが始まった頃だった。それは、クラシック音楽や指揮者を題材とするものであれば何でもいいという、至極漠然とした内容の依頼だった。 フィールドには、ずっと考えていたキャラクターがあった。それは、「子どもの頃に何が何でも自分の夢を叶えると誓うが、叶った途端、悪夢に転じる」という人物。クラシックの指揮者ならば、「ピッタリ」と思えた。 脚本を書き始めると、ある女優の顔がいつも思い浮かぶようになった。そして毎朝、椅子に座って執筆を進める際には、呟いた。「ハイ!ケイト、おはよう」と。彼の意中の人は、ケイト・ブランシェットだった。 ブランシェットは、『アビエイター』(2004)でアカデミー賞の助演女優賞、『ブルージャスミン』(13)で主演女優賞のオスカーを獲得している、現代の大女優。フィールドとは10年ほど前に出会って、主演作の企画を進めたが、諸般の事情で実現に至らなかった。 その際の打合せで、フィールドは知った。ブランシェットは一俳優のレベルを遥かに超えて、映画全体を理解する、フィルムメイカーのような視点を持っていることを。フィールドは彼女のことを、「我々の時代の偉大な知識人の一人」であると認識した。 フィールドは、元々は俳優。ウディ・アレンやスタンリー・キューブリックの作品に出演後、21世紀に入って監督デビューした。 第1作は『イン・ザ・ベッドルーム』(2001)、続いては、『リトル・チルドレン』(06)。この2作でフィールドは、アカデミー賞脚色賞にノミネートされた。 しかしそれから十数年。映画化を試みた企画は数々あれど、すべてが流れてしまっていた。 今回の脚本は、3ヶ月で書き上げた。しかし、ブランシェットが主役を受けてくれなかったら、きっと「作ることはなかった」と言う。 届いた脚本を読んだブランシェットからは、即座に「出演OK」との連絡が来た。こうしてフィールドの、映画監督としての空白期間が、更に伸びることは避けられたのだった。 ブランシェットが演じる主人公の名前を、そのままタイトルにした、本作『TAR/ター』(2022)は、こうしてトッド・フィールド16年振りの新作として、世に放たれることになった。 ***** リディア・ターは、もうすぐ50歳。世界的な交響楽団ベルリン・フィル初の女性首席指揮者を務め、“マエストロ”と呼ばれる 彼女は、“EGOT”。テレビのエミー賞、音楽のグラミー賞、映画のオスカー(アカデミー賞)、舞台のトニー賞のすべてを受賞している、数少ない人物の内の1人である。 ベルリン・フィルで唯一録音を果たせていない、マーラーの「交響曲第5番」を、遂にライブ録音し発売する予定が控える。自伝の出版も、間もなくだ。 多忙なターを、公私共に支えるのは、オーケストラのコンサートマスターでヴァイオリン奏者のシャロン。彼女はターの同性の恋人で、養女を一緒に育てている。 ターのアシスタントは、副指揮者を目指すフランチェスカ。ターの厳しい要求に、懸命に応えていた。 そんな時に、ターがかつて指導した若手指揮者クリスタが自殺を遂げる。彼女はターに性的関係を強要され、去って行った者だった。ターはクリスタが指揮者として雇用されるのを妨害するメールを、各所に送っていた。それらのメールは素早く消去したが、時同じくしてターは、夢とも現ともつかない、幻聴や幻影に襲われるようになる。 そんなターは新たに、ロシア人の新人チェロ奏者オルガに心惹かれるようになる。彼女を取り立てるような、ターの言動や行動に、周囲はザワつく。 忠実だと思われたフランチェスカだったが、新たな副指揮者に選ばれなかったことから、ターを裏切る。そしてターのセクハラやパワハラがマスコミで取り上げられ、ネットで炎上するようになる。 クリスタの両親からは告発され、パートナーのシャロンは、養女と共に去っていく。ターは窮地に追い込まれるが…。 ***** フィールドは、クラシック音楽界に実在する人物や団体、実際の事件や根深い権威主義、性差別をベースにして、脚本を執筆した。監修を務めたのは、高名な指揮者のジョン・マウチェリ。「指揮者は何を考えているか」の著者で、レナード・バーンスタインと親交が深かったことでも知られる。バーンスタインは、アメリカを代表する“マエストロ”で、本作ではターの師匠だったという設定になっている。 準備期間は、コロナ禍の真っ最中だったことから、逆に十分な余裕ができた。実際に撮影に入る9ヶ月前から、フィールドとブランシェットは、ディスカッションを行った。「脚本に登場する人間関係はどれほど取引的なものなのか?」「登場人物全員が力構造に対して無言を貫いているのではないか?」「人は偉大な人物の物語を見るのは好きだが、その人たちが転落していく姿も同じくらい楽しめるものなのか?」等々。こうして、リディア・ターの人物像が、鮮明になった。 フィールド曰くターは、「…芸術に人生を捧げた結果、自分の弱みや嗜好をさらけ出すような体制を築き上げてしまったことに気づく。彼女はまるで全く自覚がないかのように、周囲に自分のルールを強要する」。しかし、「自覚していたとしても、非道は許されない」というわけだ ブランシェットが、役作りの本格的準備に入ったのは、2020年9月。実在の女性指揮者たちに関する文書や映像を、漁った。それと同時に、ターはベルリン・フィルで指揮するアメリカ人という設定なので、オーストラリア出身のブランシェットは、ドイツ語とアメリカ英語のマスターに、勤しんだ。 ピアノと指揮は、プロフェッショナルから本格的に学んだ。ブランシェットは子どもの頃に、ピアノを習っていた。10代半ばに練習をサボったのがバレた際、ピアノの先生から、「あなたはピアニストではなく、俳優だと思う」と言われたことがあったという。ピアノについては、「いつかまた」と思ってはきたが、結局はこの機会まで「映画のためでないと」できなかったというのも、まさに“俳優”と言えるかも知れない。本作に登場するすべての演奏シーンは、ブランシェット本人が演じている。 クランク・インまで、1年足らず。実はその間、『TAR/ター』とは別に、2本の出演作の撮影があった。 ブランシェットは、昼間にそれらの撮影を終えた後、夜になると、フィールドに電話を掛けてくる。そしてその後、役作りのための各レッスンに挑んだのだった。フィールドが言うように、彼女は「独学の達人」であり、ターが「25年かけて身に付けたであろう見事な技術」を、1年足らずで「やってのけた」わけである。 ブランシェットは、夫で劇作家のアンドリュー・アプトンと共に、母国オーストラリアで最も権威がある劇団「シドニー・シアター・カンパニー」の芸術監督を務めていたことがある。こうした権力の座に就いた経験も、ターの役作りに寄与する部分が、少なくなかったという。 2021年8月、遂にクランク・イン!ブランシェットは、オーケストラを指揮するシーンから、撮影に入った。コンサートホールは、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で撮影。ロケ地は、ベルリン、ニューヨークと、東南アジア。 ブランシェットの“独学”は続き、1日の撮影が終わると、「ピアノに直行するか、ドイツ語とアメリカ英語の指導を受けに行くか、あるいは指揮棒の振り方を教わりに」出向いた。また撮影がない日には、スタントマンが運転する8台の車に囲まれながら、時速100キロで滑走する練習を積んだ。 ターの私生活のパートナーで、ヴァイオリン奏者のシャロン役には、ドイツからニーナ・ホス。ターのアシスタント、フランチェスカ役は、フランス人のノエミ・メルランが演じた。 映画の後半、ターの心を泡立たせる存在となる、ロシア人チェロ奏者オルガ役に、フィールド監督は、「ロッテ・レーニャとジャクリーヌ・デュ・プレを合わせたような人」を望んだ。 ロッテ・レーニャは、1920年代から30年代にかけて、ナチス台頭前のドイツのミュージカル舞台で活躍し、「ワイマール文化の名花」と謳われた、オーストリア出身の歌手で女優。映画ファンの中には、『007』シリーズ第2作『ロシアより愛をこめて』(1963)で彼女が演じた、強烈な悪役ローザ・クレッブを思い浮かべる方が少なくないだろう。 ジャクリーヌ・デュ・プレは、国民的な人気を得ながら、不治の病のため早逝したイギリスの女性チェロ奏者。伝記映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(1998)では、エミリー・ワトソンが演じている。 オルガ役のオーディションには、多数の演奏家と俳優が参加した。選ばれたのは、実際にチェロ奏者として活動し、本作が俳優デビューとなる、ソフィー・カウアー。ロンドン郊外に住む、中流家庭出身の19歳だった。 フィールドは彼女のことを当初、オルガとは似ても似つかないと感じたが、演技を始めると、「彼女こそオルガだった」という。 イギリス人のカウアーは、ロシア訛りをYouTubeでマスターして、オーディションに臨んだ。そして役に選ばれた後も、演技への理解を深めるために、YouTubeを活用。名優マイケル・ケインの指導映像を参考にした。また彼女は、これ以上にない手本である、ニーナ・ホスやブランシェットの演技を、自分の撮影がない時もセットに来て、ずっとウォッチしていた。 ブランシェットはター役について、「…もうすぐ50歳で、人生において物理的にも抽象的な意味でも重要な変換期にいます。また、どの指揮者も未だかつて成し遂げたことのない野望も成し遂げようともしていますが、その時点でアーティストであり続ける唯一の方法は、そこから降りることだと悟ります」と語っている。 実際に様々なトラブルや軋轢が噴出することで、ターは名門ベルリン・フィルのTOPの座から降りざるを得なくなる。未見の方にはネタバレにもなるので詳しくは触れないが、ラスト、アジア某国でターが指揮する、ある趣向の演奏会の描写を観て、彼女が栄光の座から滑り置ちた象徴的なシーンと捉える方も少なくないだろう。 ブランシェットも脚本で初めて読んだ時、そのラストを、「なんて悲しいシーンなのか」と思った。しかしいざ撮影してみると、想像していたのとまったく逆で、「生命力にあふれた高揚感」を味わった。そして、「この結末こそ始まりである」と感じたという。 監督の解釈も、ブランシェットと同様で、ターはまだ、「自分の“楽器”を持っている」というものだった。 さてトッド・フィールドの16年振りの監督作となった『TAR/ター』は、完成してみると、「ケイト・ブランシェット史上最高傑作」と絶賛を集め、彼女に4度目となるゴールデン・グローブ賞、ヴェネチア国際映画祭女優賞、全米・ニューヨーク、ロサンゼルスの各批評家協会賞等々をもたらした。 アカデミー賞では、主演女優賞はもちろん、作品賞・監督賞・脚本賞・撮影賞・編集賞の計6部門でノミネートされた。しかしこの年のアカデミー賞は「エブエブ」旋風が吹き荒れ、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)が、7部門もの大量受賞。その煽りを喰らって、ブランシェットもフィールドも、残念ながらオスカーを手にすることはできなかった。 しかし『TAR/ター』は、クラシック最高峰の楽団指揮者を最高の俳優が演じる、極上の音楽物であり、人間心理の“闇”を暴いた、背筋も凍るサイコ・サスペンスとして、観る者を強く揺さぶる作品。文字通りの「ケイト・ブランシェット史上最高傑作」として、一見の価値ありなのは、間違いない。■ 『TAR/ター』© MMXXII Focus Features LLC. All rights reserved.