ザ・シネマ 松崎まこと
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COLUMN/コラム2025.05.26
パク・フンジョン監督が、3大スターと切り開いた、“韓国ノワール”の『新しき世界』
高校時代に映画好きになったという、1974年生まれのパク・フンジョン監督。映画学校などに通うことはなく、「映画を見て書き起こす」ことで、脚本を学んだという。 ゲームや漫画のシナリオなどを経て、2010年にキム・ジウン監督の『悪魔を見た』、リュ・スンワン監督の『生き残るための3つの取引』という2作の脚本で注目を集める。翌11年にはサスペンス時代劇『血闘』で、念願の監督デビューを果した。 監督第2作となる本作『新しき世界』(2013)は、そんなパク・フンジョンの、“ギャング映画への憧れ”から始まった企画。『ゴッドファーザー』『インファナル・アフェア』『エレクション』等々、洋の東西を問わず、白黒や善悪がはっきり分けられるような単純な世界観ではない、“ノワール映画”が大好きだった彼が、積年の夢を果した監督作品である。 ***** 韓国の巨大犯罪組織ゴールド・ムーン。そのTOPが、謎めいた交通事故で急死した。組織の幹部であるチョンチョンとイ・ジュングの、後継者争いが始まる。 チョンチョンの右腕イ・ジャソンは、実は潜入捜査官。カン課長の命を受け、組織に送り込まれて8年。警察に戻る日を心待ちにしていた。 しかしTOP不在の混乱を機に、組織を壊滅しようと目論んだカン課長が、「新世界プロジェクト」を発動。新たな指令を受けたジャソンは反発するが、逆らう術はなかった。 ジャソンの言葉に決して耳を傾けない、カン課長。それに対しチョンチョンは、同じ“韓国華僑”という出自のジャソンを「ブラザー」と呼び、信頼を寄せていた。任務と友情の板挟みとなったジャソンの苦悩は、日々深まっていく…。 カン課長は、一触即発状態のチョンチョンとイ・ジュングそれぞれに接触。2人の対立を煽る。チョンチョンは、組織に内通者が居ることを直感。その正体を探る。 チョンチョンから人目につかない倉庫に呼び出されたジャソンは、連絡係の女性刑事が瀕死の状態でドラム缶に詰められているのを見て、正体がバレたことを覚悟した。しかしチョンチョンが始末したのは、ジャソンも知らなかった、別の潜入捜査官だった。 本当に気付かれていないのか?ジャソンは、身も心も張り裂けそうになる。 警察の介入で、ゴールド・ムーンの跡目争いはエスカレートしていく。ジャソン、カン課長、チョンチョン…3人の男の運命は!?そして訪れる、“新しき世界”とは!? ***** 数々の“ノワール”の影響が見て取れる本作であるが、特に大きかったと思われるのが、香港作品の『インファナル・アフェア』シリーズ(2002~03)と、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』シリーズ(1972~90)。『インファナル・アフェア』3部作は、潜入捜査官のヤンと、逆に警察組織に送り込まれた、覆面マフィアのラウを主人公にした、香港ノワールの代表的な作品。2006年にはマーティン・スコセッシ監督により、ハリウッドで『ディパーテッド』としてリメイクされ、アカデミー賞の作品賞や監督賞などを受賞している。 イ・ジャソンの、正体は警察官ながら、マフィアに長年身を置いたことで、その仲間に友情やシンパシーを抱き、苦悩を深めるという人物像は、『インファナル・アフェア』でトニー・レオンが演じたヤンにカブるところがある。こうした主人公の中の“二律背反”は、チョウ・ユンファ主演の香港作品『友は風の彼方に』(1987)や、それをパクったタランティーノの監督デビュー作『レザボア・ドッグス』(92)、ジョニー・デップ主演の『フェイク』(97)等々、“潜入捜査官もの”では、定番とも言えるが。 実は『新しき世界』以前は、“潜入捜査官”という設定は、“韓国ノワール”には、ほとんどなかったのだという。そうした意味でも直近の傑作、『インファナル・アフェア』の存在は、大きかったと言える。 一方でそれ以上に色濃く感じられるのが、『ゴッドファーザー』の影響。巨大犯罪組織の跡目争いに、心ならずも巻き込まれていく主人公の苦悩は、『ゴッドファーザー』シリーズでアル・パチーノが演じた、マイケルと重なる。 また『ゴッドファーザー』が、イタリア移民によって構成された“ファミリー”の物語であったのと同様、『新しき世界』では、ジャソンとチョンチョンに、“韓国華僑”という少数派の設定を与えている。“韓国華僑”は韓国内に永住している、唯一の外国籍民族集団で、長らく差別的な扱いを受けてきた歴史がある。 パク・フンジョンは本作に関して、「ファミリーの歴史を叙事詩のように描く“エピック・ノワール”をやってみたかった」と語っているが、これは言い換えれば、自分なりの『ゴッドファーザー』を作ってみたかったということであろう。ネタバレになるので詳しくは述べないが、クライマックスにすべてが決着する“大殺戮”が展開する辺り、監督の「これがやりたかった!」感が、至極伝わってくる。 因みに『新しき世界』は、元は警察と巨大犯罪組織を巡る長いストーリーの構想から成り立っていた。それは「企業型の犯罪組織ゴールド・ムーンの誕生まで」から始まり、「新しいボスを迎えたゴールド・ムーンの内幕と警察の反撃」で終幕を迎える。映画化に当たって、最も商業的に適する部分として、その中間パートを抜き出して脚本化し、1本の作品に仕上げたのだという。 本作の肝となる3人の男、ジャソン、カン課長、チョンチョン。この3人のバランスをどう取るかが、作品の完成度に大きく関わってくる。結果的に、監督が構想していたキャラクターと、「ほぼ100パーセント、シンクロ」するキャスティングが行われた。 カン課長を演じたチェ・ミンシクは、シリアルキラーを演じた『悪魔を見た』で、脚本を担当していたパク・フンジョンと出会った。その際に沢山話をして、「何かを持っている」と感じたミンシクは、フンジョンと連絡を取り続けていた。 そして本作の「土台となる人物」ながら、「目立ってはいけない」黒幕的存在の、カン課長役のオファーを受ける。ミンシクの長いキャリアの中で、映画で警官を演じたのは、「初めて」だったという。 ミンシクは自らの出演が決まると、イ・ジョンジョに直接電話を掛けた。大先輩からの「映画に出ないか?」との誘いに乗って、それまでラブストーリーなどの出演が多かったジョンジェが、ジャソンを演じることとなった。 潜入捜査官のジャソンは、ほとんどのシーンで感情を隠さなければならない役どころ。ジョンジェは、「立っている」「苦悩に満ちる」などとしか書かれていない脚本を徹底的に分析し、監督言うところの「深みのある内面の演技」を見せた。 “静的”なジャソンとは対照的に、極めて“動的”なキャラクターであるチョンチョン役を引き受けたのは、監督の脚本作『生き残るための3つの取引』の主演だった、ファン・ジョンミン。 ソウルで上演中のミュージカル「ラ・マンチャの男」で主演を務めていたジョンミンは、公演のスケジュールと本作の撮影が丸かぶり。芝居が終わると深夜の高速バスで、ロケ地の仁川まで移動し、日中の撮影を終えると、高速鉄道でソウルまで戻って舞台に立つという、ハードな日々を送ることとなった。 イ・ジョンジェ曰く、最初の読み合わせの際に、ファン・ジョンミンの脚本は、もうボロボロになっていたという。ジョンミンは、ヘアスタイルから衣裳、セリフまで、アイディア出しを行い、撮影現場では、アドリブを多用した。 象徴的と言えるのが、チョンチョンの初登場シーン。中国の取引先から戻った彼は、飛行機のスリッパを履いたまま、到着ロビーに現れる。気ままで勝手放題なチョンチョンのキャラクターを表わすこのシーンは、まさにジョンミンのアイディアが元となっている。 チョンチョンは全羅道訛りで、常に悪態をつき続けるが、ジョンミンは脚本を貰った段階で監督に、自分でセリフを全部直すことを申し入れたという。具体的には、その地域の方言を話す者の力を借り、更には、悪口の数をぐっと増やして、最終的には自分の口に馴染むよう、書き直したのだという。 ジャソンが「正体がバレたか?」と震え上がる、裏切者の粛正シーンでは、雨垂れで血が付いた手を洗い、口をすすぐ演技を見せる。これも脚本上では、「後ろ姿を見せる」としか書かれておらず、100%ジョンミンのアドリブだった。 これらのアドリブはもちろん、ジョンミンが悪目立ちするためにやったものではない。チョンチョンがいくら暴れても、主役はジャソンである。助演のチョンチョンがエネルギッシュであればあるほど、静的なジャソンが立つという計算の元に行われた。 本作のラストシーンでは、時代を遡って、イ・ジャソンとチョンチョンの6年前の出会いが描かれるが、実はこちらも脚本には存在しなかった。2人の“絆”を描くために、ジョンジェとジョンミンで話し合って、監督とも相談。クランクアップを迎える日に、急遽撮影されたものだったという。メインキャストの2人が、自分たちなりの“プリクエル=前日譚”を作ってみようと考えて、実現したものだった。 イ・ジョンジェ、チェ・ミンシク、ファン・ジョンミンという3大スターの出演がトントン拍子に決まった際は、「かなり当惑」し、「恐れさえ」感じたというパク・フンジョン監督。しかしキャラクターと「ほぼ100パーセント、シンクロ」する、3人のキャスティングは、最高の化学反応を見せたのである。『新しき世界』は、2013年2月に韓国で公開。すでに旬を過ぎたジャンルと思われていた“ヤクザ映画”が新たな展開を見せたと評価され、470万人を動員する大ヒットを記録した。 ファン・ジョンミンは韓国3大映画祭のひとつ、「青龍芸術大賞」で主演男優賞を受賞。イ・ジョンジェは「大鐘賞」の人気賞に輝いた。 当時ソニー・ピクチャーズによるハリウッドリメイクが決定とのニュースが流れた。しかしこれはご多分に漏れず、その後実現したとの報はない。 それよりも気掛かりなのは、パク・フンジョンが当時語っていた“3部作”構想。先に挙げた通り、本作の“前日譚”として、「企業型の犯罪組織ゴールド・ムーンの誕生まで」、後日談として、「新しいボスを迎えたゴールド・ムーンの内幕と警察の反撃」が存在した筈だったが、いつの間にか立ち消えとなってしまったようだ。 歳月が流れる中、『The Witch 魔女』シリーズ(2018~)で、女性アクションの新生面を開いた、パク・フンジョン監督。メインキャストは男・男・男の、『新しき世界』のシリーズ化は、時勢もあって、もはや関心外なのだろうか?■ 『新しき世界』© 2012 NEXT ENTERTAINMENT WORLD Inc. & SANAI PICTURES Co. Ltd. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.06.12
世界中で大ヒット!M・ナイト・シャマランの“ある秘密”路線第1弾!!『シックス・センス』
今年4月、俳優のハーレイ・ジョエル・オスメントが、公共の場での酩酊とコカイン所持で逮捕された。そして先頃、週3回の依存症者ミーティングに半年間の出席を義務付けられたというニュースが、飛び込んできた。 今回もそうだが、記事などに取り上げられる場合、必ず「『シックス・センス』…のハーレイ・ジョエル・オスメント」と紹介される。30代後半の今になっても、“天才子役”と謳われた時期の、1999年公開作のタイトルが冠せられるのである。 それはある意味、この作品の監督である、M・ナイト・シャマランにも共通する。彼の場合、その後何本もヒット作を出しているにも拘わらず、「『シックス・センス』…の」と、枕詞のように付いて回る。 これは本作『シックス・センス』が、初公開時にそれほどのインパクトを残した証左とも言える。 “シックス・センス=第六感”。人が備える5つの感覚=視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を超えた、第6番目の感覚を指す。 1970年生まれ、まだ20代でそれまでは低予算作品しか手掛けてなかったシャマランが世に放った、3本目の長編監督作品。原作などはない、自作の“オリジナル脚本”の映画化だった。 日本公開で耳目を攫ったのは、本編上映前にスクリーンに映し出された、次の内容のスーパー。 「この映画のストーリーには“ある秘密”があります。映画をご覧になった皆様は、その秘密をまだご覧になっていない方には決してお話しにならないようお願いします」 この前口上は、主演のブルース・ウィリスとM・ナイト・シャマランの両名によるものという体裁になっていたが、実は日本公開版にだけ付加されていた。これは、70年代後半から80年代に掛け、そのコケオドシ宣伝(失礼!)が、「東宝東和マジック」などと謳われた、本作の配給会社ならではの仕掛けであったことは、想像に難くない。 一部識者などからこの前口上は、「ネタバレを招く」などとも批判を受けた。しかし一般観客へのアピールは強かったようで、口コミの拡散にも大いに繋がったものと思われる。 また、「この映画のストーリーには“ある秘密”があります」というフレーズは、その後のシャマランのフィルモグラフィーを、実に的確に予見もしていた。 ***** 小児精神科医のマルコム(演;ブルース・ウィリス)は、子ども達の心の病を治療する第一人者として、名を馳せていた。 ある時、自宅で妻のアンナ(演:オリビア・ウィリアムズ)とくつろいでいた彼の前に、10年前に治療を担当していたヴィンセントが、現れる。ヴィンセントは「自分を救ってくれなかった」とマルコムをなじり、その腹を銃で撃つ。そして自らも、頭を撃ち抜くのだった。 1年後、ヴィンセントを救えなかったことで自分を責め続けたマルコムは、いつしか妻との間に大きな溝が生まれていた。彼女に話しかけても、すげなくされてしまう…。 そんな彼が新たに担当することになったのは、8歳の少年コール(演: ハーレイ・ジョエル・オスメント)。コールの症状は、かつてのヴィンセントに酷似していた。 実はコールには、死者が見えてしまう“第六感=シックス・センス”があったが、それを周囲に明かせないまま、怯え苦しみ、学校で「化け物」扱いされるまでに。更に、その事情を知らない母親リン(演;トニ・コレット)も、自分の息子の扱いに苦慮していた。 マルコムも、当初は幽霊の存在に懐疑的だったが、やがてコールの言葉を受け入れるようになる。2人は力を合わせて、死者がコールの前に現れる理由を探る。 そうした中でマルコムは、あまりにもショッキングな、“ある秘密”に行き当たる…。 ***** シャマラン監督は、インド生まれのフィラデルフィア育ち。両親とも医者の家庭だった。 8歳の時に8㎜カメラをプレゼントされ、16歳までに、45本の短編映画を監督。高校は首席で卒業し、有名医科大の奨学金にも合格していたが、ニューヨーク大学のアートスクールに進学し、映画の道に向かった。 子どもの頃は、家に帰ってドアが開いていると、「誰かが中に潜んでいるのでは…」と考えてしまうような、大の怖がりだった。『シックス・センス』は、シャマランのそんな幼少時の記憶がベースになっているという。 企画をスタートさせたのは、2本目の長編作品の仕上げ段階だった。シャマランの発言をすべて真に受けるならば、本作はその時点から、“第六感”めいたエピソードに事欠かない。 例えば劇中でコールが言う有名なセリフ~I see dead people=僕には死んだ人が見える~。しかしシャマランは、脚本から一旦削除した。少年のセリフとはいえ、幼すぎると感じたからだ。 しかしその時、「“声”が聞こえた…」のだという。「そのセリフを元に戻せ」と。結果的に~I see dead people~は、多くの観客の口の端に上る流行語となった。 シャマランは監督前作のポスプロ中に、その編集スタッフに、『シックス・センス』という脚本を書こうと思っていると、告げていた。その際に彼は、こんな予言をしていた。「主演はブルース・ウィリスになるよ、きっと」と。 もちろんそのスタッフからは、「あ、そう」と一笑に付された。監督として駆け出しのシャマラン作品に、当時すでにスーパースターだったウィリスが出ることなど、夢物語だったのだ。 シャマランは、『エクソシスト』『シャイニング』『ローズマリーの赤ちゃん』『反撥』などのホラー映画の名作に、様々な形でインスパイアされて、脚本を書き上げた。それをまだ無名な存在の彼自身が監督するという条件付きだったのにも拘わらず、ディズニーに300万㌦の高額で競り落とされた。こうして、ウィリスへの交渉ルートが開けた。 シャマランは、『ダイ・ハード』シリーズ(1988~)などで、一般的にアクションスターのイメージが強いウィリスのことを、「非常に芸域の広い俳優」と評価していた。元々はTVシリーズの「こちらブルームーン探偵社」(1985~89)のコメディ演技で人気となったウィリスを、ドラマティックな役やごく普通の人も演じられると、見込んだのである。 まずはウィリスに脚本を読んでもらった上で、面会という段取りになった。彼の主演を前提とした当て書きをしたシャマランも、さすがに極度の緊張状態に陥った。ところがそこにウィリスが現れると、いきなり「ノー・プロブレム」と口に出し、シャマランを抱きしめたのだという。 当時のウィリスは、悪たれ野郎のイメージが強かった。しかしそれと同時に、クエンティン・タランティーノの出世作『パルプ・フィクション』(94)に出演するなど、有望な新人監督の作品をチョイスする、目利きの側面もあったのだ。 1年前にシャマランの予言を鼻で笑った、件のスタッフは、ブルース・ウィリスが主演に決まった旨の連絡を受けて、ビックリ仰天することとなった。 この頃1本の出演料が2,000万㌦にも達していたウィリスの主演にも拘わらず、『シックス・センス』の製作費は、4,000万㌦程度に抑えられている。それはウィリスが、出演料を100万ドル以下にディスカウントしてくれたからである。その代わりに、映画がヒットして利益が出た場合には、歩合を貰う条件が付いた。結果的にウィリスの懐には、1億㌦以上が転がり込むこととなる。 ウィリスが演じるマルコムと並んで重要だったのは、コール少年役。シャマランは、オーディションで数多くの子役と面会したが、なかなかピンとくるものがなかった。 そんな時にシャマランの前に現れたのが、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)で主人公の息子を演じたことで知られていた、ハーレイ・ジョエル・オスメント。シャマランはその演技を見て、すぐにOKを出した。『シックス・センス』の撮影は、シャマランの生まれ故郷で、アマチュア時代からずっと映画の舞台にしてきたフィラデルフィアで、42日間のスケジュールで行われた。市内の古い市民センターを拠点に、この地区の主な展示施設に、7つのオープンセットが組まれた。 オスメント演じるコールは、己の持つ“シックス・センス”のせいで、不幸でいつも暗い表情。笑顔は見せない。 これまでの作品では、自分の体験との共通項を見出して役を演じてきたというオスメントだったが、本作ではそれが不可能だった。そのため役作りとしては、「脚本を何度も読み返すしかなかった」という。 そこからが、さすが“天才子役”。オスメントは脚本を何度も読み返す内に、コールの考え方が理解できるようになっていった。そして撮影時には、スイッチをON・OFFするかのように、コールになったり自分に戻ったりできるようになったという。普段は普通の10歳の少年であるオスメントが、「“あと5分”で本番の声がかかったとたん、コールになりきってしまう」と、ウィリスも感心しきりだった。 因みにウィリスは撮影中、自分が映ってないショットでも、オスメントの見える所に居て、演技しやすいように協力したという。 さて本作は、1999年8月6日にアメリカで公開されると、5週連続で興行成績TOPを記録。全米で300億円、全世界で700億円稼ぎ出す、特大ヒットとなった。 アカデミー賞でも、作品、監督、脚本、助演男優(オスメント)、助演女優(トニー・コレット)、編集の計6部門でノミネート。“ホラー映画”というジャンルとしては、快挙と言える成果を上げた。 ブルース・ウィリスは本作がメガヒットとなったことについて、その第一の理由として、「ハリウッド映画の90%が何らかのかたちで“原作もの”であるなか、『シックス・センス』は完全に“オリジナル”なストーリーである…」ことを挙げている。しかし本作が、“オリジナル”と言い切れるかどうかは、実は微妙なのである。 さてここからは、日本公開版冒頭で謳われた、“ある秘密”に関わる話となってしまう。本作は非常に有名な作品なので、その“ある秘密=オチ”をご存知の方も多いであろうが、もしもまだ知らないのであれば、この後を読み進むのは、本作鑑賞後にした方が良いかも知れない。 『シックス・センス』の“ある秘密”は、ラストで明かされる。それはマルコムが、実は冒頭で腹を撃たれた時に死んでおり、それを本人が気づいていないということ…。 このプロットはシャマラン自身、TVの子ども向けホラー・シリーズから戴いたことを認めている。しかしそれ以上に、『恐怖の足跡』(62)という、それほど有名ではないホラー作品と「そっくり」であることが、指摘されている。 シャマラン作品はこの後暫し、「実は死んでいた」のバリエーションの如く、“ある秘密”が、物語のクライマックスで明かされるパターンが続いていく。「実は“不死身”だった」「実は“宇宙人”の仕業だった」「実は“現代”だった」等々。 どの作品も、「サプライズなオチ」目掛けて、ストーリーが進んでいく。そしてそれぞれが、元ネタと思しき、先行するB級作品を、識者から指摘されるところまで、同じ轍を踏んでいく。 そうこうする内に、段々とその展開に、強引さや無理矢理な部分が目立つようになっていく。やがてシャマランも、方針転換を余儀なくされ、現在に至るわけだが…。 何はともかく、シャマランの“ある秘密”路線の第一弾だった本作『シックス・センス』。その初公開時の衝撃は、当時の観客にとって、凄まじいものであった。それだけは、紛れもない事実である。■ 『シックス・センス』© Buena Vista Pictures Distribution and Spyglass Entertainment Group, LP. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2025.07.25
現代の巨匠イーストウッド、監督生活50年のメモリアル『クライ・マッチョ』
ハリウッドの生きる伝説、クリント・イーストウッド。今年5月で、95歳となった。 俳優デビューは1955年。もう、70年も前の話だ。 暫し不遇の時を過ごした後、TVの西部劇シリーズ「ローハイド」(59~65)でブレイク。その後はヨーロッパに渡って、セルジオ・レオーネ監督の“マカロニ・ウエスタン”『荒野の用心棒』(64)『夕陽のガンマン』(65)『続・夕陽のガンマン』(66)の、いわゆる“ドル箱3部作”で、主演俳優の座に就く。 ハリウッド帰還後は、ドン・シーゲル監督の薫陶を受け、最大の当たり役でシリーズ化された『ダーティハリー』(71)などへの出演で、押しも押されぬ大スターとなる。 そして、『ダーティハリー』に主演する直前には、サイコスリラーである、『恐怖のメロディ』(71)で、監督デビューを飾った。 監督として“巨匠”と称されるようになるのは、『許されざる者』(92)以降。この作品と12年後の『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で、2度に渡って、アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞している。 監督生活50年にして、40本目の監督作(別の監督名がクレジットされているが、実質はイーストウッドが演出した作品やTVドラマなども含めると、40数本とカウントされる場合もある…)と謳われたのが、主演も兼ねた、本作『クライ・マッチョ』(2021)である。 実はこの作品が、イーストウッドの監督・主演作として世に出るまでには、長きに渡る紆余曲折があった。 はじまりは1970年代前半。N・リチャード・ナッシュが執筆した、「マッチョ」というタイトルの脚本だった。しかし売り込み先の映画会社に相手にされず、ナッシュはやむなく、「クライ・マッチョ」というタイトルに変えて小説化。75年に出版した。 これを読んで感銘を受けたのが、プロデューサーのアルバート・S・ラディ。『ゴッドファーザー』(72)などで知られる彼が、映画化権を獲得するに至った。 ラディが最初に、イーストウッドの元に『クライ・マッチョ』の企画を持ち込んだのは、1980年頃のこと。イーストウッドは、「登場人物の人間関係」や主人公であるマイク・マイロの「落ちぶれ具合」が気に入り、そんな主人公が、人生を取り戻すチャンスを得るのに、惹かれたという。 しかしこの役を演じるには、50歳の自分はまだ若すぎると、判断。自らは監督に専念して、主演にロバート・ミッチャム(1917~97)を迎えることを、提案した。しかしこのプランは、やがて立ち消えに。 その後『クライ・マッチョ』は、91年にロイ・シャイダー(1932~2008)主演で製作を開始したが、頓挫。2011年には、カリフォルニア州知事の任期を終えたアーノルド・シュワルツェネッガー(1947~ )の俳優復帰作として準備が進められるも、シュワちゃんの不倫・隠し子スキャンダルが祟って、中止の憂き目となった。 それでも映画化が諦めきれなかったラディの元に、1本の電話が入ったのは、2019年。「あの脚本、まだ手元にある?」その声の主は、イーストウッドだった。 最初のオファーから40年が経って、齢90を迎えんとしていた、イーストウッド。「今ならこの役を楽しんで演じられる」と、思ったのだという。 イーストウッドの監督・主演で、遂に映画化が実現することとなった。オリジナル脚本をできるだけ活かすという判断がされ、それ故にメインの時代設定が、1980年となった。 とはいえ、監督の意向を汲んでの、ある程度のリライトは必要となる。オリジナルを書いたナッシュは、2000年に87歳で亡くなっていたため、白羽の矢を立てられたのが、ニック・シェンク。 イーストウッド組には、『グラン・トリノ』(08)『運び屋』(18)に続いて、3度目の参加となるシェンク。彼は期せずして(?)、イーストウッドが自らの監督作で“老人”を演じた、非公式な三部作の、共通の書き手となってしまった。 ***** 1980年のアメリカ・テキサス。 かつてロデオ界のスターだったマイク・マイロは、競技本番での落馬や妻子の事故死など、重なる不幸もあって、いまや落魄の身。孤独な独り暮らしを送っていた。 そんな時マイロは、かつての雇い主で牧場経営者のハワードから、頼まれごとをする。今はメキシコに住む、別れた妻レタに引き取られた14歳の息子ラフォを、テキサスまで連れて来て欲しいという内容だった。 一歩間違えば、“誘拐犯”。しかしハワードに恩義のあるマイロは、断ることができなかった。 ラフォは、男の出入りが激しい母から逃れ、闘鶏用のニワトリ“マッチョ”と、ストリートで生活していた。そんな経緯から、猜疑心や警戒心が強く、迎えに来たマイロに対して、なかなか心を開かない。 そんな2人の、テキサスへの旅が始まった。国境へと向かうも、警察の検問を避け、レタの放った追っ手を躱すために、田舎町へと立ち寄る。 暫しこの地に身を隠すことを決めた2人は、食堂を営む女性マルタと知り合う。そして、何かと世話を焼いてくれる彼女とその家族と、交流を深める。 この町でマイロは、野生の暴れ馬を馴らす仕事を得る。彼は馬の調教を通じて、自分の知識と経験を、ラフォへと惜し気もなく伝える。2人の絆は、ぐっと深まっていった…。 このままこの地に落ち着くのも、悪くない。そんな気持ちも芽生えた2人が、国境を超える日は? ***** 一言で表せば、「老人と少年のロードムービー」である本作は、イーストウッドの様々な過去作を、想起させる作りとなっている。 まずは中年のカントリー歌手とその甥の旅を描く、『センチメンタル・アドベンチャー』(82)。年輩の者が若者に教えを施す、師弟関係を描いた作品としては、『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(86)『ルーキー』(90)など。血の繋がりのない寄る辺なき者たちが集って、“疑似家族”を構成していく物語としては、『アウトロー』(76)や『ブロンコ・ビリー』(80)。 “師弟もの”と“疑似家族”のミクスチャーである、『ミリオンダラー・ベイビー』(04)『グラン・トリノ』(08)は、もちろんだ。特に白人の年配者がエスニックの若者を鍛える構図は、『グラン・トリノ』が最も近いかも知れない。 付け加えれば、旅の男マイロと田舎町に暮らすマルタにロマンスが芽生える辺りには、『マディソン郡の橋』(95)を思い起す向きもあるだろう。 マイロがこんなセリフを吐くのにも、イーストウッド過去作とのリンクを感じる。「マッチョってやつは過剰評価されている。人生にはそれより大事なものがある。それに気づいた時には遅すぎるんだ」 イーストウッドは、かつて一線級のアクションスターとして、“マッチョ”に類した役どころを散々演じてきた。しかし歳を重ねるにつれて、それを裏返したような作品を、多く手掛けるようになった。このセリフは、そんな本人の述懐のようで、実に味わい深い。 因みに本作は、イーストウッドが亡きドン・シーゲルとセルジオ・レオーネに捧げた“最後の西部劇”『許されざる者』以来という、“乗馬シーン”がある。実際に馬に跨るのは30年振りだったという、イーストウッドだが、「あぶみに足をかければ、感覚は戻ってくるものだよ」と、悠然たる構えでチャレンジしている。 とはいえ、このシーンの撮影初日には、スタッフ全員が興奮したというのも、無理はない。ファンにしてみても、「感涙もの」である。 主人公マイロと旅をする14歳の少年ラフォ役に抜擢されたのは、長編映画出演は初めてだった、エドゥアルド・ミネット。はるばるメキシコシティからやって来て、何百人も参加したオーディションを勝ち抜いた。 ミネットは、乗馬の経験はなかったが、トレーニングを受けて、あっと言う間にマスターしたという。 マイロの元雇い主で、息子を連れてくることを頼むハワード役には、高名なカントリー歌手で、映画出演も多いドワイト・ヨーカム。イーストウッド曰くヨーカムには、「馬の扱いに慣れている雰囲気がある」とのこと。 田舎町の食堂の女主人マルタには、メキシコ人女優のナタリア・トラヴェンが、起用された。 タイトルロールである、ニワトリのマッチョは、11羽の調教された雄鶏が演じている。それぞれに得意技があり、あるトリは人の手に乗るシーン、あるトリは、合図と共に襲いかかるシーンといった風に、使い分けられた。 撮影はコロナ禍真っ最中の、2020年後半。イーストウッド組の常連スタッフを集め、あらゆる感染対策を講じて、行われた。ニューメキシコ州をメキシコに見立てた、ロケ撮影がメインだった。 そんな中で、イーストウッドと言えば…の“早撮り”で事は進められた。プロデューサーも兼ねるイーストウッドとしては、“早撮り”は、予算を安く上げるという効果もあるが、それ以上に撮影現場に於いて、「勢いを殺ぎたくない」「やる気やエネルギーを絶やしたくない」という、イーストウッド一流の演出術である。 ラフォ役のミネットはイーストウッドに、「監督の希望通りに演技する」と伝えたという。しかしそれに対する回答は、「いや、君の好きなように、心地良いと思う方法でやってくれ」というものだった。メキシコの新人俳優は“巨匠”から、自分自身でラフォ役を掘り下げる自由を与えられたのだ。 ドワイト・ヨーカムはイーストウッドについて、「…撮り直しを好まないと聞いていたけど、僕のアドリブや思い付きを大歓迎してくれた」と、コメントしている。 ・『クライ・マッチョ』撮影中のクリント・イーストウッド監督 本作は逃走劇でもある筈なのに、追っ手が間抜けで弱すぎることもあって、サスペンスはほぼゼロ。またイーストウッド作品には付き物だった、暴力もほとんど登場しない。 食い足りなさを感じる向きもあるかも知れないが、イギリスの「アイリッシュ・タイムズ」紙に掲載された、次の評論が本質を言い表している気がする。「ほとんどなにもせずにすべてを表現できる彼の才能は、年齢を追うごとに磨きがかかっている」 本作が最後の作品かと言われたイーストウッドだったが、94歳の昨年、本作とはガラっとタッチを変えて、これも十八番と言える“絶望シネマ”調のサスペンス『陪審員2番』(2024)を発表した。今度こそ引退と言われているが、まだまだ嬉しい“裏切り”を待ちたい。■ 『クライ・マッチョ』© 2021 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved