青野賢一 連載:パサージュ #20 過去の記憶をつなぎ、未来にエールを送る──『ゴールデン・エイティーズ』

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青野賢一 連載:パサージュ #20 過去の記憶をつなぎ、未来にエールを送る──『ゴールデン・エイティーズ』

目次[非表示]

  1. 地下街で繰り広げられる恋愛と人生
  2. 世代間の隔たりを表現するファッションやインテリア
  3. 予期せぬ再会のすぐそばには別の物語が
  4. 30年前に告げることのなかった思い
  5. 戦争と反ユダヤ主義の影
  6. 女性を取り巻くさまざまな抑圧と偏見
  7. なぜ“ゴールデン・エイティーズ”なのか
 本連載の第8回で前後篇に分けて『私、あなた、彼、彼女』(1974)、『アンナの出会い』(1978)、『囚われの女』(2000)、『オルメイヤーの阿房宮』(2011)を紹介したシャンタル・アケルマン。このたび新たなラインナップが配信されるということで、そのなかから『ゴールデン・エイティーズ』(1986)を取り上げようと思う。アケルマン作品においては異色ともいえるミュージカルである。

地下街で繰り広げられる恋愛と人生

「ゴールデン・エイティーズ」
© Jean Ber - Fondation Chantal Akerman

 アケルマン初の商業映画である『ゴールデン・エイティーズ』は、おそらくパリのどこかをイメージしたであろう地下街の一角が舞台の現代劇。この地下街の大理石の床を固定カメラで捉え、そこを行き交う女性たちの腰から下を映し出すスタイリッシュな演出で本作は幕を開ける。カラフルな、あるいはシックなボトムスとシューズのスタイリングは見ていて楽しいのと同時に、さまざまな人がここを通ることがわかり、またこの作品が女性の物語であることも想像できる。地下街にはブティック、ヘアサロン、カフェ、映画館があり、物語のほぼ全篇がここから出ることなく展開してゆくので舞台演劇のようでもある。ブティックを経営しているのはジャンヌ(デルフィーヌ・セイリグ)とシュワルツ(シャルル・デネル)夫妻。息子のロベール(ニコラ・トロン)も店を手伝っている様子だ。ヘアサロンはリリ(ファニー・コタンソン)という女性が店主で、多くの女性スタッフがそこで働いている。スタッフのひとり、マド(リオ)はロベールに好意を寄せているが、ロベールはリリにご執心。ところがリリの背後にはジャン(ジャン・フランソワ・バルメール)という街の顔役(というか裏で街を牛耳っているギャングのような存在)がいて、彼もまたリリにメロメロ。このヘアサロンも「店のひとつくらい持たせてやるよ」という感じでリリに任せているのである。小さなカフェをひとりで切り盛りしているシルヴィー(ミリアム・ボワイエ)は、富を求めてカナダへと旅立った彼からの手紙を心待ちにする日々。そしてここに日がな一日中何をするでもなく入り浸っている男性4人は見事なコーラスワークでもって本作の狂言回し的役割を担っている。余談だが、マドを演じるリオは当時アイドル・シンセポップ・シンガーとしても人気を得ていた人物。1980年代終盤から’90年代になると、アイドルから一転ビザールな雰囲気となりファンを驚かせた。

世代間の隔たりを表現するファッションやインテリア

「ゴールデン・エイティーズ」
© Jean Ber - Fondation Chantal Akerman

 ブティックはクラス感のある雰囲気でジャンヌとシュワルツのいでたちもそれに準じてクラシックな印象だが、若者であるロベールだけはグッとカジュアル。一方ヘアサロンは白を基調とした内装でスタッフたちはイエローやブルー、グリーンなど鮮やかな色の服を身につけており、当時のマドンナを彷彿させるヘアスタイルのリリに至っては真っ赤なワンピースに真っ赤なリップという具合である。忙しなく手と口を動かす──ここは噂話がひっきりなしに飛び交うのだ──ヘアサロンのスタッフのカラフルな姿は、『女は女である』や『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』といった1960年代のミュージカル映画を思い起こさせるが、ともあれこのように世代間の隔たりがファッションやインテリア、ヘアスタイルを通じてさりげなく表現されているのは覚えておいていいだろう。

予期せぬ再会のすぐそばには別の物語が

 さて、そんな地下街にある朝ひとりのアメリカ人中年男性がやってくる。イーライという名の男(ジョン・ベリー)である。アメリカからヨーロッパに来てまもないイーライはリリの店に入り、電動髭剃りが壊れたから髭をあたってほしいと頼む。マドに髭剃りをしてもらいながら、自分は第二次世界大戦のときにはGIとして従軍しており、戦地で「若いポーランド人に会ったが言葉が分からず互いにひどくヘタなフランス語で話した」と世間話的に語った。着いたばかりだからということなのか、彼は向かいのブティックでスーツを物色。素材を尋ねた相手の顔を見てイーライは驚きの表情とともに「ジャンヌ」とつぶやいた。どうやらふたりは面識があるらしいが、ジャンヌは一瞬戸惑いながらも平静を装い接客を続ける。こうした出来事が進行するすぐ横でシュワルツはロベールにリリを諦めるよう説得する。リリを忘れるならアパートと車と店の権限を譲るとロベールに話しながら、ヘアサロンのスペースを自分たちのブティックの2号店にして事業を発展させるという野望を語る。「拡張するのさ それこそが飛躍の鍵だ 飛躍するかダメになるかだ」。父親にそういわれたところでロベールの気持ちや行動は簡単には変わらない。仕事中のリリに会いに行くが、やがてジャンが店にやってきたのでリリはロベールを追い返した。ジャンはジャンでリリにつれなくされて不満が募っているものの、リリからは離れられない。ふたりとも振り回されるばかりである。

30年前に告げることのなかった思い

 ロベールの様子を見て、シュワルツはふたたび尻軽女のリリはやめろ、ふさわしい相手と結婚しろと諭す。それを聞いたロベールは「分かったよ すぐに結婚するよ」と言い放ち、シルヴィーのカフェでマドに結婚を申し込んだ。同じカウンターの離れたところにはイーライの姿。忘れようとしたが忘れられなかったひとりの女性とたった今会ったとシルヴィーに語るイーライ。この女性とはもちろんジャンヌのことである。イーライとジャンヌが出会ったのは30年前。当時、収容所での光景が忘れられないと傷ついていたジャンヌを大切に思ったイーライは、ジャンヌの心の回復を最優先にして、自分の気持ちを告げずにいた。そうしたイーライの献身のおかげで立ち直ったジャンヌはある日、イーライの思いを知らないまま、彼のもとを去っていったのだった。

戦争と反ユダヤ主義の影

 果たしてジャンヌとイーライは30年のときを経て結ばれるのか、マドとロベールは無事結婚にこぎつけるのか、またリリとジャンの関係は続くのか、といったところが物語後半の見どころであるのは容易に想像がつくだろう。そちらはぜひご自身の目で確かめていただくとして、ここからはそれ以外で重要と思われる部分を考えてゆきたい。まずはジャンヌやシュワルツ、イーライたちの世代について。ジャンヌとイーライが出会ったのは30年前なので、1955、6年、つまり第二次世界大戦が終結して10年ほどのことだ。ジャンヌは収容所での光景がトラウマとなってフラッシュバックしてしまい弱っていたのは先に記したが、このことからジャンヌが直接的か間接的かはわからないものの、ナチス・ドイツの反ユダヤ主義にさらされていたことが理解できる。イーライはアメリカ兵としてナチス・ドイツなどを打倒する側だったので、ジャンヌの心の傷に寄り添うことができたのだろう。つまりふたりの接点はこうした戦時中の悲惨な出来事だったわけである。ご存じのようにアケルマンの両親はユダヤ人で、母方の祖父母は強制収容所で亡くなっており、作中のジャンヌの境遇と少なからず重なるところがある。ユダヤ人にとっての戦中、戦後を明らかにしながら、自身の出自やアイデンティティを掘り下げるという手法は、実にアケルマンらしいといえるだろう。また、ジャンヌの夫であるシュワルツは事業拡張を夢見る人物として描かれているが、この点も商才に長けているといわれるユダヤ人の特徴を明確に表している(実際、演じているシャルル・デネルはユダヤ人である)。シュワルツがロベールに、若い頃、ジャンヌと結婚する以前の恋の思い出を語るシーンで、彼が夢中になった女性との顛末に一切触れなかったのは、別れの理由がひょっとすると彼の出自に関係していたからかもしれない。

「ゴールデン・エイティーズ」
© Jean Ber - Fondation Chantal Akerman

女性を取り巻くさまざまな抑圧と偏見

 ブティックを訪れる客の言動からは、家系や女性への偏見や抑圧に満ちた視線が感じられることもある。たとえば「田舎の姪の結婚式に着たいの」と試着する女性客は「でも主人は彼らが好きじゃないの 私の家族 特に私の妹が」とこぼす。そんな彼女の顔立ちはユダヤ系であり、夫の方は(姿は見えないものの)そうではないのではないだろうか。また、スリットから大胆に足が覗くスカートを試着する女性が「丸見えよ」というと、ロベールは「美しい脚だもの」「男たちを楽しませてくれなきゃ」と返す。すると女性客は「そんなのまっぴら」と店を出ていってしまった。「男たちを楽しませてくれなきゃ」と女性の役割を固定するロベールに対し、正面切って「そんなのまっぴら」と言い放つことができる、あるいは言い放つべきだというメッセージが垣間見える印象的なシーンである。抑圧といえば、一見自由奔放なリリでさえ仕事の環境、働き方については息苦しさを感じているのだが、ジャンはそれを額面通りに受け取ってはいなそうだ。リリは周囲の皆に自分勝手でわがまま、男を弄ぶ女として認識されている。ところが実のところは自分自身に誠実であるだけであって、そんなリリの本質を鋭く見抜くのは、ジャンでもロベールでもなく、誰あろうジャンヌであった。だからこそジャンヌのリリへの眼差しは優しい。

なぜ“ゴールデン・エイティーズ”なのか

 このようにカラフルで賑やかなミュージカルの体裁を取りつつ、その裡にアケルマンならではの問題意識を潜ませた本作だが、最後に『ゴールデン・エイティーズ』というタイトルについて考えて終わろうと思う。これまで述べてきたように、ジャンヌをはじめとする年長者たちは多かれ少なかれ戦争の影響、また差別や抑圧のなかで生きてきた。そんな年長者たちの子ども世代である若者の時代が到来した1980年代。自分たちが経験した厳しく辛いことから僅かばかりかもしれないが脱却し、自分の考えを持って自由闊達に生きてほしい──とりわけ女性には──というエールのような意味を込めてこのタイトルが与えられたのではという気がしてならない。それと同時に“ゴールデン・エイティーズ”がもたらされる前のさまざまな困難を忘れないようにということがさりげなくもしっかり織り込まれているのはお見事というほかない。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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