映画の思考徘徊 第4回 監督ヴィム・ヴェンダースによる『ベルリン・天使の詩』音声解説から知ることができる50の事柄

FEATURES 髙橋佑弥
映画の思考徘徊 第4回 監督ヴィム・ヴェンダースによる『ベルリン・天使の詩』音声解説から知ることができる50の事柄
 映画好きが直面する切実な悩みのひとつとして、“忘れてしまうこと”がある。見終えた瞬間──いや、見ている最中から忘却は始まる。時間が経つにつれ、日増しに記憶は薄れる。映画の隅々まで、記憶に留めておくことなど不可能だ。しかしだからこそ、われわれは“再見”する…再見したところで忘却は何度だってやってくるのだが、だからこそ何度とない「もう一回見ようかな」に意義がある。

 とはいえ、そう何度も同じ映画ばかり見ていては、好きな映画でもさすがに飽きが来てしまったり、新鮮味が薄れて集中力を維持することが難しい…なんてことも起きるかもしれない。そんなとき“再見”に新たな愉しみを付加してくれるのが、映像ソフトに特典として収録されている「オーディオコメンタリー/音声解説」である。

 コメンタリーはまず何と言っても、他のあらゆる特典映像と比較しても尺が格段に長い。そして実際の本編を再見しつつ、同時に特典=情報もインプットできるという意味で、効率も良い。実際に映像が映っている方が、やはりメイキングやインタビューでのシーンへの言及よりも、より具体的で細かなポイントがわかりやすいというのもある。見慣れた映画ならば、ラジオ感覚で流すこともできる。兎にも角にも、音声解説は一度見た作品を最初から最後までもう一度見る…という”再見”行為に有益な情報で新鮮な歓びを付加してくれるところが素晴らしい。

 しかし、コメンタリーの最大の欠点は、尺が長いために何度も何度も見返すには時間の確保が必要ということ。そして、あとから久々に特定の発言を聴き直そうとしても、どこにあったか明確に覚えていない場合にアタマから映画を改めて見返さなくてはならないことだ。貴重な情報が多いにもかかわらず、それらが参照可能な形で──ネット上や書物において──文字として記録されていることは稀である。

 というわけで、ひとりの"コメンタリー好き"として、コメンタリーで語られる、貴重で愉快な関係者の発言が"読める"形でまとめられていたら、情報へのアクセスの利便性という側面で大いに助けになるのではないかと考えて、このような「読むコメンタリー」記事を書くことにした。ソフト関係者としてはあんまり嬉しい試みではないかもしれないが、すべてベタ起こしするわけではないし、あくまで「聞いてみてぼくが特におもしろいと思ったポイント」だということで。前にコメンタリーを見て、情報を思い返したい方だけでなく、ソフトが手元にない方も記事を読むことで「手に入れて聞きたい」と思っていただけたら嬉しい。

 前置きが長くなったが、今回取り上げるのはヴィム・ヴェンダース監督作品『ベルリン・天使の詩』(1987)である。話し手は、ほかでもないヴェンダース本人だが、時折ピーター・フォークも登場する。いうまでもなく、この記事は作品を見たことのある人に向けて書かれているため、未見の方はまず一度この映画を見た後で読んでみてほしい。

 さて、コメンタリーをはじめよう。
1. 「8年間アメリカに住み、英語で4本映画を撮った後、1986年にベルリンでこの映画をに撮った。そういう意味で『ベルリン・天使の詩』は、僕の祖国と母国語への復帰を記す作品だ」。

2. 本作はヴェンダースにとって「個人的な作品」であったために、それを反映してクレジットは手書き文字となった。英語/フランス語/ドイツ語…すべて、ヴェンダースが見つけた「ある女性」が書いている。
3. ドイツ語の原題(“Der Himmel über Berlin”)を英訳すると『ベルリン天空』か『ベルリンの空』のような意味となる。「原題の響きには俳句の趣があるけれど、『ベルリンの空』ではまるで50年代の戦争映画だ。他の題名を探していて思いついたのが、『欲望の翼』(筆写註:英題“Wings of Desire”)だ。この英題はとても良く、これを原題にしようかと思ったくらいだ」。

4. 『パリ、テキサス』のあと、ヴェンダースは次回作として『夢の涯てまでも』の準備に入り、世界中を旅しながら2年間もの準備期間を過ごしていたものの…「この映画は複雑で費用がかかった。それで86年の夏に少なくとも1年は延期しようと決めた。当時僕の会社では2年製作の仕事がなかったので、社員のために映画を作る必要があった。『夢の涯てまでも』の製作を延期し他の映画を手早く作ったんだ。ベルリンが最適だった。すでにこの街に戻っていたが、ドイツでドイツ語の映画を撮るのは久しぶりだった。もし手早く自由に何かを撮るならテーマはわが街とわが祖国に限る。故郷について語る時が来たように思ったんだ」。

5. 時間の流れに沿って撮りはじめたものの、最初のシーンは“天使抜き”で撮影するしかなかった。「衣装がなかったために登場できなかったんだ。この時もまだカツラや鎧などをいじっていた…あらゆる天使の姿を試したよ。それで最初は天使の視点のみを表現し、彼らが人々をどんな風に見つめているかを映した」。

6. 「僕がドイツへ戻った唯一の理由はベルリンだ。当時のベルリンは独立した惑星のようで、そこはドイツではなく、どこにも属さぬ中立地帯だった。それでベルリンの再発見を始めたんだ。だから会社存続の必要に迫られて、どうせ映画を撮るなら“ベルリンで撮ろう”と。ベルリンで撮るのは『都市の夏』(筆者註:ヴェンダースの第1作。1970年)以来だった。街を歩き回り、ベルリンで撮るベルリンがテーマの映画の構想を練った」。
7. 「子供を主役にしようかと初めは漠然と考えていた。毎日、街を歩いてメモを取り、街からの物語の暗示を期待した。歩いていると、天使の姿を至る所に見つけた。住宅の屋根や古い墓地など、思いも寄らぬ場所にあった。気をつけて見ると、街は石や木や大理石の天使であふれている。ノートの1冊にこんなメモが…“天使? 守護天使が主役?”何気なく書いた。しかし消すことはせず、そのままノートに。この発想が生まれたのは、天使の姿を見たためだけでなく、僕が毎晩リルケを読んでいた影響もある。リルケの詩には大勢の天使が住んでいて、ちょくちょく姿を現す。それに僕は昔からパウル・クレーの大ファンで、机には彼の天使の絵を飾っていた。僕の仕事の中に天使はいたわけだ。それで例のメモを真剣に考え始めたんだ」。

8. 協力を仰ぐために友人である作家ペーター・ハントケに電話をかけたヴェンダースは「物語はない。ベルリンで自然な形で映画を撮るつもりだ」と説明し、「脚本は書かない。今は書く気にならない」と言い張るハントケに、「話だけでも」と食い下がって概要を話して聞かせ…「面白そうだ。こっちへ来てくれ」の返事を得た。改めてザルツブルクに赴いて直接説得し、「君が脚本を書くなら、いくつかのシーンで協力しよう。シーンの説明をしてくれ、僕が会話を書く」という協力体制が決まった。

9. 準備を始めた段階で、脚本はなく、ほぼロケ。「僕の好きな場所を設定した。やがて届いた彼(ハントケ)の手紙には2つのシーンがあった。そんなやり方で作り上げていった。だからこの作品の形式はとても自由になり、ペーターと共に冒険ができたんだ。この自由は、アンリ・アルカンの白黒映像のお陰でもある。アンリの個性とその撮影方法は、映像に明確な“文法”を与える。だから途方もないことだって可能になるんだ。撮影の途中で新たに役を作って登場させても自然な映像に仕上がった」。

10. コメンタリー冒頭では「ヴィム・ヴェンダースです」と独りで話している風だったにも関わらず、なぜかピーター・フォークが登場して質問「最初から図書館で撮ろうと?」。ヴェンダース曰く、図書館で撮影はしたかったが最初は許可が取れなかったという。しかし望みを捨てずにいると、市長から口添えがあり日曜に撮影できるようになった…とのこと。
11. ブルーノ・ガンツ演じる天使が、図書館の机で鉛筆を手に取る場面。「これは二重写しのイメージだ。鉛筆を手に取るが、鉛筆は元の場所に残っている。カメラのトリックだ。アンリが光学的な処理を拒んだからだ。“カメラで出来ることをなぜ現像所でやるんだ”と。特殊効果を直接カメラでやることが、彼の最大の望みだった」。

12. 老人──「ホメロス」と名付けられている──が図書館の階段を登って登場する場面。「製作準備の段階で、オットーとブルーノが作品を見せてくれた。俳優の2人が初めて撮った映画は老優クルト・ボウワのドキュメンタリーだった。彼は50〜60年代にかけて活躍した舞台俳優で、引退していた彼を映画に撮ったのは2人にとって彼が尊敬する俳優だったからだ。『ベルリン・天使の詩』の時は90歳代だった。彼は33年にベルリンからハリウッドへ。30〜40年代には端役で数多くの映画に出た。『カサブランカ』にも10秒ほど出ている」。

13. 地下鉄で座っている悲しげな男は、本作の音響技師だという。ヴェンダース曰く「ベルリンで一番悲しげな顔なので起用した。いつもこんな風だ」。

14. 「天使という存在は全能だから厄介だ。(中略)この映画の問題点は、無茶な場面転換ばかり撮るハメになったことだ」とヴェンダース。

15. 空中ブランコ乗りの女性マリオンを演じるソルヴェーグ・ドマルタンは、当時ヴェンダースの恋人で『夢の涯てまでも』出演のために3年間準備していた。しかし、先に別の映画を撮ることになり…「ベルリンで君を主演に映画を撮らなきゃ」と本作に出演が決まった。
16. 「撮影ではプロを使うつもりだった」ものの、空中ブランコを覚えるためにサーカス団の人々と一緒に練習したソルヴェーグは、1ヶ月後にはトレーナーが「才能があります。自分の力でやれますよ」と言うまでになり、本作のブランコ場面は吹き替えなしで撮影された。撮影終了後には入団の誘いまであったという。

17. サーカスのテントが張られていた空き地はもうない。「80年代のベルリンには空き地がたくさんあり、どこにでもテントがはれた。しかしその後空き地はふさがり、ここにはスーパーとアパートが建った」。

18. マリオンのトレーラー内場面は、トレーラーを二つに切断してその片方で撮影を行ったもので、撮影監督アンリ・アルカンが1番照明を使った場所だという。「小さいものだが、40個近くの照明で照らした。すべての物に専用の照明が当たっている」。

19. トレーラー内でマリオンが服を脱ぎ、天使がその場を後にしたことを示す、白黒からカラーの変化。「アンリはこれを現場でやりたがった。しかし機材がセットに比べて大きすぎた。それで現像所に任せるしかなかった」とヴェンダース。元々は、2台のカメラと鏡を使うプランだったという。

20. 戦勝記念塔の女神像の肩に、ブルーノ・ガンツ演じる天使が腰掛けている場面。言うまでもなく、これはスタジオ内に作られた像。
21. 図書館で、クルト・ボウワ演じるホメロス老人が見ているのは、ヴェンダースが一番好きだという写真集──アウグスト・ザンダーの『20世紀の人間たち』。

22. ホメロス老人と天使(オットー・ザンダー)が歩く場面。ホメロスが腰掛けるソファは元々そこにあったもの。
23. ホメロス老人の“心の声”は編集の段階でクルト・ボウワからもらったもの。何時間もあるうえに、ほとんど即興だという。

24. ホメロス老人が鳴らす手回しの小さなオルゴールから流れる曲は、ヴェンダース曰く「ベルリンの人々にとって大切なメロディーだ。20年代の曲で、ベルリンの空気を歌っている」もの。

25. 「台本は大切だよ。この作品では夜、突然冷や汗をかくことがあった…台本なしでは二度と撮るまいと思ったね。翌日撮るシーンを必死に考え、一睡もできない夜もあった。台本が全くない状態では二度と撮るまいと心に誓った。(その一方で)台本があると気分がいいものだが、撮影が始まり、少し経つと最悪の気分に…自由に撮れないからだ。台本なしと台本に縛られる、この中間をゆくこと。それが望みだ…もっと切実かな。『時の翼にのって』で気がづいたことだが、実際的な解決策は、台本はあるが台本に縛られない自由があること。しかし、脚本家と一緒に仕事をすることは重要だ。夜一人で座りながら、翌朝50人のスタッフに囲まれて何も撮れない自分を想像するのはつらい」。

26. 「セットの雰囲気はとても素晴らしかった。台本がないため緊張感が漂っていた。仲間同士の連帯感も生まれた。読んでも読まなくても…ちゃんとした台本のある場合、スタッフは一度読んでしまえば、翌日からのシーンについてあれこれ考えない。一度読んでいるからだ。だがこの作品では、みんなで冒険をするような気分だった。夜、自分のチーフに尋ねるんだ…“この後の展開は?”。先が読めない分、全員がのめり込んでいた」。

27. またしても、ピーター・フォークが唐突にコメンタリーに登場「私が落書きをしていると、ヴィムがそれに気づき“それを映画でやってくれないか”と。私は“いいですとも”と。絵を描くのが好きで、しょっちゅう描いていればそこそこ腕も上がる。なかなか暇はないけど、昔から時々描いてる」。
28. ブルーノ・ガンツとオットー・ザンダーは生涯の友で、多くの舞台作品で共演している。しかし、オットーの方はほぼ映画初出演。

29. 「アンリとは80年に『ことの次第』で出会った。当時、彼はポルトガルでラウル・ルイスと撮っていた。『The Territory』だ。僕はポルトガルで撮るつもりはなく、ドイツからNYへ戻るところだった。ラウルと仕事をしていた友人が、困ったことにフィルムを使い切り買う金もなく、撮影が中止になった。アンリが撮っていることは知らなかったが、僕はベルリンからリスボン経由でNYへ飛び、家にあるフィルムを全部持ち出した。確か5〜6巻だった。それを友人にカンパしたんだ。それで2〜3日撮影ができた。その時にアンリと出会ったんだ。現役とは知らずにね。彼の照明に心を奪われた。もちろん若々しさと意気込みにも。2〜3日撮影を見学してからNYへ戻った。撮影が続けられず困り果てた様子の彼らを見てある考えがひらめいた。それで『ことの次第』が生まれた。途方に暮れた映画スタッフの話だ」。

30. 劇中のサーカスの名前は「アルカン・サーカス」…もちろん由来は撮影監督アンリ・アルカンの名前から。

31. マリオンが鏡に映る自分を見つめ、天使が鏡を通して彼女を見る場面。「本物の鏡を使った。絞りをF4にし、奥に光が見えてくると、アンリは彼女(ソルヴェーグ)の向かい側に証明を置き、ゆっくりと照らし出し、絞りを開けた。天使の目が徐々に調整され、鏡を通して見えていく様子だ」。

32. サーカスの楽団の右端にいる、スポットライトを操作している小柄な男性はルイ・コシェ。「彼はフランス人の照明技師で、アンリとは1931年に出会った。ふたりが若い頃だ。アンリとルイは55年間一緒に仕事をしている。ルイはアンリよりも2〜3歳歳上で、80歳を優に超えているが、撮影中には決して歩かない…常に走り回り、ハシゴからもジャンプする。若い技師たちはあっけにとられていたよ」。
33. マリオンの空中ブランコ場面について。「編集の段階で長いと思った。しかし彼女が危険を冒して覚えたものをすべて見せたかったんだ」。

34. サーカスの最終公演のあと、ソルヴェーグとローラン・プティガンが歌っている曲は、プティガンが書いた映画のための曲。プティガンは、ヴェンダースの『東京画』(1985)で音楽を担当している。

35. 掃除係しかいない夜の図書館場面は、実は日曜の早朝に撮られたもの。印象的に登場する女性の天使は、役者ではなくヴェンダースの主治医。

36. 本作の後半で2度登場するクラブは、10年後に取り壊された。

37. ライブを聴く観客の日本語セリフ「コンサート来て良かったな…サイモンすごいな…全然観客見てない…天国見てるみたい」について。「編集の段階でジョークでやったことだ。日本人の女の子に日本語の声をつけた。天使には理解できるわけだ…字幕はつけなかった」。

38. マリオンの語りの大半は、ペーター・ハントケの著書『The wight of the world』からの引用。

39. マリオンの夢の中に登場するブルーノ・ガンツの鎧姿は、天使の衣装を決めかねていたときに試着したうちの一つだという。ヴェンダース曰く…「残り物を使った」。

40. ガンツ演じる天使とピーター・フォークが会話する屋台の奥に見える大きな建物はいまはない。「壁の文字には字幕をつけるべきだね。意味は“これを建てた者は進んで爆弾も投げるだろう”」。
41. 屋台での天使とフォークの「兄弟…」の場面。「撮影は大変だった。歴史に残るような暗い日で、午後3時には真っ暗だった。霧が立ち込め、いつのまにか外が暗くなっていたので、売店に向かって撮影した。もっと違う情景を思い描いていたんだが、真っ暗な中で撮ることになった」。

42. 「東ベルリンのシーンがいくつかある。トラックから密かに撮影したんだ。フィルムをそっと持ち込み…撮影は禁止だった」。

43. 壁と壁の間の中立地帯の撮影は、撮影用の壁を造って行われた。「150メートルの壁を2つ。実際に壁は2つあり、壁と壁の間には地雷がある。壁を乗り越えるよりも壁の間を走り抜ける方が危険だった」。

44. 「この作品を今見ると、これは記録映画だ。ほとんどの場所が今は存在しない。あの図書館と天使像は別として、すべてが消えた。消えたのは壁だけではない」。

45. ソルヴェーグとフォークの唯一の共演場面は、ヴェンダースのお気に入りの屋台。ここは今(収録当時)もあるらしい。「お勧めだよ。ベルリンに来たらここでソーセージを食べるんだ」。
46. 本作2度目のクラブ場面。オットー・ザンダー演じる天使カシエルの物語の続きも、同時にここで撮っていたのだという。「人間になる決心をするカシエルを撮り、この歌の最後に登場させたが…そのカットは使わなかった」。

47. ソルヴェーグの着ている赤いドレスが縁で、2年後にデザイナーである山本耀司についての映画『都市とモードのビデオノート』を撮った。

48. バーで話すガンツとソルヴェーグのツーショットに挿入されるアップは「渋々撮影した」もの。「しかし編集で僕が“使おう”と言ったんだろう」。

49. 「人間になるカシエルを撮影した。僕たちの撮った最後のシーンだった。ブルーノ演じる(天使の)ダミエルが、バーでマリオンと出会い、抱擁するシーンを覚えているね。2人が抱擁していると、ダミエルは突然、誰かが肩に触るのを感じ、振り向くとそこにはカシエルが生身の人間として登場…2人は見つめ合い笑い出すんだ。マリオンのシーンで、トレイにケーキが置かれていたよね。カシエルがその1つをダミエルの顔にぶつけるんだ。ダミエルがもう1つを投げ、ケーキの戦いで終わり。編集で物語に合わないということになり、彼の唯一の人間のシーンをカットした」。最後の最後で明かされる、まさかの結末案。

50. エンドクレジットの献辞について。「僕の天使、トリュフォー、タルコフスキー、小津に映画を捧げたが、実は熟考して作った映画ではないんだ。最後のクレジットを作っている時に、突然、思いついた。この映画が誰かのお陰なら、それは特定の1人の監督ではなくこの3人の映画における精神性のお陰だと」。

…ということで以上である。
50の後、エンドロールのあいだヴェンダースの感動的な内省はまだ少し続くのだが、それはあえて省いた。もちろんコメンタリー中には、ここに書いたこと以外にも無数に面白い発言がある。気になる方は是非ご自身でアタマから見てみてほしい。

コメンタリーは本当に素晴らしい。
そして毎回、改めて痛感する。映画を何度となく見返すことは本当にいいものだと。


「ベルリン・天使の詩」
© 1987 REVERSE ANGLE LIBRARY GMBH and ARGOS FILMS S.A.

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この記事のライター

髙橋佑弥
髙橋佑弥
97年生。映画文筆。『別冊映画秘宝 絶対必見!SF映画200』『別冊映画秘宝 決定版ツイン・ピークス究極読本』などに寄稿アリ。共著『「百合映画」完全ガイド』(星海社新書)。「映画の原稿仕事、何でも何時でも何字でも!」が信条だが…五本指を使いこなすことができず左右の人差し指だけでぽちぽちキーボード操作。文字打ちがあまりに遅すぎ、すぐに締切日が来てしまう。

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