青野賢一 連載:パサージュ #26 生々しい説得力のあるユスターシュ最初期作品──『わるい仲間』『サンタクロースの眼は青い』

FEATURES 青野賢一
青野賢一 連載:パサージュ #26 生々しい説得力のあるユスターシュ最初期作品──『わるい仲間』『サンタクロースの眼は青い』

目次[非表示]

  1. 16ミリ・カメラ1台で撮影された『わるい仲間』
  2. モンマルトルでナンパ成功
  3. 厳しい現実から目をそらす
  4. 青年たちのリアリティと「古きよきパリ」
  5. ユスターシュの自伝的三部作のひとつ
  6. 地方都市のマイルド・ヤンキー文化
  7. サンタの扮装は七難隠す?
  8. 滲みだす寂しさとそれを覆う馬鹿馬鹿しさ
 特集上映が組まれたり、評伝が出版されたりと、ここ数年でその名を目にする機会がグッと増えたフランスの映画監督ジャン・ユスターシュ。1938年、フランスはジロンド県ぺサックに生まれたジャン・ユスターシュは、両親の離婚により一時は母方の祖母に育てられたが、やがてナルボンヌに住む母と暮らすように。1957年、パリに移ってからは、フランス国有鉄道で働きながらシネマテーク・フランセーズに通いつめ、ここでジャン=リュック・ゴダール、ジャン・ドゥーシェ、エリック・ロメールらと知り合い、ロメール、ドゥーシェの短篇映画製作に携わるチャンスを得た。1962年の初監督短篇作品『夜会』は未完となったものの、翌1963年には中篇作品『わるい仲間』を発表。1973年の初長篇作『ママと娼婦』はカンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを獲得した。1981年、42歳で拳銃自殺によりこの世を去るまでの20年弱のあいだで手がけた作品は12本ほどと決して多作ではなかったジャン・ユスターシュだが、今回取り上げるのは『わるい仲間』と『サンタクロースの眼は青い』(1963)。キャリア最初期のモノクロ中篇作品である。

16ミリ・カメラ1台で撮影された『わるい仲間』

 クルマが行き交う道路を引きの斜俯瞰で捉えた映像。バックにはミュゼット調の音楽が配置されている──これが『わるい仲間』のオープニング・シークエンス。やがてカメラはクルマに交じって見える1台のスクーターに視線を投げかける。乗っていたスクーターを歩道に停めて歩きだした青年は程なくして街角のカフェへ。店内に入るとゲームに興じている青年と合流。どうやらこの店で待ち合わせをしていたようだ。ふたりの会話の内容といえば、ナンパについて。このあたりやモンパルナスは娼婦ばかりだからサンミッシェルへ行こう、などという話だ。「このあたり」というのはピガール界隈のこと。以降、物語はピガール、モンマルトルを舞台に進んでゆく。ふたりはテラス席でビールを飲みながら道ゆく女性を物色するも「商売女しか通らねえ」ということで移動。青年たちを道の反対側や彼らの背後から捉えるカメラは、同時に映画とは無関係な歩行者、商店、施設も映像として収めている。本作は16ミリ・カメラ1台で撮影されているが、こうした街中でのいわゆるゲリラ撮影はヌーヴェル・ヴァーグからの流れを汲んだ手法といえそうだ。ちなみにこのシークエンスに映っている映画の看板は小林正樹『切腹』(1962)。第16回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞する作品である。

モンマルトルでナンパ成功

 さて、ナンパするために場所を変えたふたりがピガールからモンマルトルの丘方面に歩みを進めていると、前をゆくひとりの女性を見出した。テルトル広場の「クレマイエール」という店にダンスをしに行くというこの女性に「僕らも行くところさ」と適当なことをいって、首尾よく3人でその店へと向かうことに。女性は店で友人と待ち合わせていたのだが、あいにく来ていなかったようで、一行は別の店へ向かった。途中、青年のひとりがショーウインドウに陶製のオブジェが並んでいるのを見て「陶器が好きで」といってみたり、「南仏でピカソを見かけた」などと語ってみたりするのだが、なんとも上滑りしている感じで面白い。おのぼりさんや観光客相手の画家がひしめくモンマルトルという街と絶妙にシンクロしているかのようである。別の店を探すあいだの会話では、女性が離婚したばかりであることやパリの南西、イル=ド=フランス地域圏のムードン出身であること、現在失職中だということなどがわかる。

『わるい仲間』
© Les Films du Losange

厳しい現実から目をそらす

 3人は「ロバンソン」という店を目指して歩いていたが、到着してみると改装中。しかたなく近くのカフェでひと休みすることに。このカフェのシークエンスでは、ふたりの子どもを女性が引き取っていることと、それまで住んでいた家を出てホテル暮らしであること、そしてそれゆえお金が必要で週明けすぐにでも──この日は日曜なのだ──働かなくてはならないことが明かされる。なかなか厳しい現実である。一方の青年たちも決して裕福なわけではないので手助けはできない。その事実をうやむやにしたいのと女性をモノにしたい下心から、青年のひとりはこういった。「楽しもうよ これからは生活に明け暮れる毎日だ」。
 面白いのは、このカフェのシークエンスの終盤から女性が行動の主導権を握ったかのように見えるところ。カフェでうだうだしていても埒があかない。「ともかく どこでもいいから踊りたいの さあ」と次の店へ行くことを促すのだ。そうしてやってきたダンスホールではバンドによるラテン調の音楽に合わせて多くの男女が踊っている。いよいよ本腰を入れて女性を口説かなくては、という青年たちの思惑とは裏腹に、踊りましょうと女性のもとへたびたびやってくる中年男性。女性もなんだかんだいいながら中年男性の誘いを断らず踊りに行ってしまう。業をにやした青年たちは女性のバッグから財布を失敬してしまうのだが──このふたり、気が短すぎである。青年たちは店を出て走って走ってスクーターのところまで戻って、飲みに行ってしまった。

青年たちのリアリティと「古きよきパリ」

 物語は翌日の朝まで描かれているのだが、話の大部分は前述のとおり。一応、彼らにも財布を盗んだ罪悪感はあるようでそれなりの対処をするのだが、そうした行為も自分たちの後ろめたさを解消する程度のものでしかない。つまり彼らは大悪党でも素晴らしき善人でもなく、小物感たっぷりな存在なのだが、これが絶妙なリアリティを醸し出しているように思う。お金がなくて、いきがっていて、軽い悪さは日常茶飯事、そんな当時のパリの若者男性像の一方で、本作において彼らが生活するパリの街はどうかといえば、どこか時代遅れでおのぼりさん向けという印象はないだろうか。1960年代にはロックンロールが席巻していてミュゼットは人気がなくなっていたし、モンマルトルの絵描きや「ムーラン・ルージュ」といった昔からのパリの名物がまるで絵葉書のように切り取られている。ようはモダンさがなく「古きよきパリ」なのである。この「古きよきパリ」のイメージと現実社会の厳しさとのギャップ──それはナルボンヌから出てきたユスターシュのパリへのまなざしであるかもしれない──がそこここに見出せるのは本作の面白いところだろう。そして次作『サンタクロースの眼は青い』で舞台はパリを離れてナルボンヌとなるのだった。

ユスターシュの自伝的三部作のひとつ

『サンタクロースの眼は青い』
© Les Films du Losange

 『サンタクロースの眼は青い』はジャン=ピエール・レオーを主役に据えた作品。『ママと娼婦』、『ぼくの小さな恋人たち』(1974)と並んでユスターシュの自伝的三部作と目されている。レオーが演じるダニエルはデュマ(ジェラール・ジメルマン)とつるんで街をふらついている。目的は書店で本を万引きしたり(転売してお金にする)、市場やデパートで財布が落ちていないか下を向いて探したり(拾った財布は当然くすねる)といったところで、つまりお金がないのだ。街はクリスマス・シーズンで人出が多いけれど、彼らの懐は寂しいまま。ダニエルはその年に人気のダッフルコートを買いたいのだが目下無職なのでお金がない。映画を観たくてもお金がないし(映画館では『大人は判ってくれない』が上映中だ)、カフェの灰皿に残された煙草の吸殻を手に取って火をつけ吸い始めることすら厭わないほどだ。おまけに女性にもモテないうえ、ナンパの仕方もなんだか要領を得ない感じである。

地方都市のマイルド・ヤンキー文化

 実際のところはわからないが、映画のなかのナルボンヌの若い男性たちは、つるんで、溜まって、という具合に今でいうマイルド・ヤンキー文化とでもいうようなムードがある。彼らはカフェを溜まり場にしているが、自分たちにはふさわしくない上品な店には行かない。『評伝ジャン・ユスターシュ』の著者でユスターシュ研究の第一人者、須藤健太郎によれば「ナルボンヌが舞台の『サンタクロースの眼は青い』では当地の住民が多く起用された。彼らは当然のことながら訛っている。そんななか、主演のジャン=ピエール・レオーは一人だけ訛りのないフランス語を話し、その点で『よそ者』なのだとユスターシュは言った」(フィルムアート社刊『作家主義以後 映画批評を再定義する』所収「ユスターシュの訛り」)。なるほど、いわれてみればカフェに溜まっている若者たちとダニエルとの会話は、ダニエルの発言だけレオーらしいあの明晰だがちょっと素っ頓狂な感じでほかの連中はもっとドロッとしたニュアンスの話しぶりである。

サンタの扮装は七難隠す?

『サンタクロースの眼は青い』
© Les Films du Losange

 さて、そんなダニエルにアルバイトの話が舞い込んだ。クリスマスまでの木曜と日曜に街頭でサンタクロースの格好をして子どもと写真に写るというものだ。これにより、年明けにはダッフルコートが買えそうな経済状況になるはずと予想したダニエルはもちろんこのアルバイトを引き受ける。サンタクロースの扮装には白くて立派なひげがつきもの。ダニエルの素顔は目元くらいしか露出していない。この匿名性とサンタクロースという強力な「いい人」的記号を手に入れたダニエルは写真を撮られる際に次第に大胆に女性の体を触るようになるのだった。
 一緒に写真を撮った女性でサンタクロースの正体が誰なのかを知りたがっていた人に、ダニエルは「知りたければ労働会館で6時に」と告げる。約束の時間、自転車でやってくる女性。当然ダニエルはサンタ姿ではない。ダニエルを見たその女性は「間違ったわ」というが、ダニエルは無理矢理女性に迫る。そんなことがうまくゆくはずもなく、女性は帰ってしまった。ボイスオーバーのダニエルの声がこう呟く。「サンタの扮装を活用すべきだった」。いや、そうじゃない。

滲みだす寂しさとそれを覆う馬鹿馬鹿しさ

 クリスマスが終わって12月26日、ダニエルはとうとうダッフルコートを手に入れた。念願の一着だったのだから嬉しいにはちがいないのだが、相棒デュマにそっけなくあしらわれたり、逆に相変わらずつるんでばかりの連中にガキっぽいと距離を感じたりして、ダニエルは疎外感を募らせているようだ。しかしそんな寂しさも新年のムードとアルコールが生み出した躁状態につかのまかき消されてゆく──。本作で印象的なのは、この終盤にじんわり訪れる寂しさだろう。それまで属していたコミュニティに馴染めなくのは、地方の街ではかなり厳しいのは想像に難くない。街に居場所がなくなっていたらどうするかといえば、これは街を出てゆくばかりとなる。成長といえば成長だがそれはあとになって気がつくこと。その直中にあるときには物悲しさややるせなさが優ってしまうのは当然だろう。しかし本作のいいところは、当たり前にやってくるこうした寂しさを馬鹿馬鹿しさでひと時くるんであげている点ではないだろうか。劇映画にありがちな余韻を排除した「やれやれ……」というような着地点は、『わるい仲間』の青年ふたりのあり方と同様に生々しい説得力がある、そう思うのである。

この記事をシェアする

この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

青野賢一の他の記事

関連する記事

注目のキーワード

バックナンバー