青野賢一 連載:パサージュ #7 途上の映画──ジャン=リュック・ゴダール『中国女』

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青野賢一 連載:パサージュ #7 途上の映画──ジャン=リュック・ゴダール『中国女』

目次[非表示]

  1. アンヌとゴダールの出会い
  2. 演じる人と演じられる役柄
  3. 実は「ひと夏もの」の青春映画でもある
  4. 毛沢東をめぐって
 今年の夏にミュージシャンのカジヒデキさんにインタビューする機会があった。『2nd』という雑誌の企画で、わたしが担当したのは「思い出のシネマテーク。」など3つのパート。世代が近いこともあり──カジさんはわたしより1歳年上である–──、通ってきたカルチャーに重なる部分が多く、楽しいインタビューだった。カジさんは高校1年生の夏に有楽町の「有楽シネマ」でジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1959)と『気狂いピエロ』(1965)を初めて観て衝撃を受けたのだそう。誌面にも書いたが、ゴダールの名前を知るきっかけはムーンライダーズのアルバム『青空百景』(1982)だったという。余談だがムーンライダーズには『ヌーベル・バーグ』というアルバム(1978)があったり、1980年のアルバム『カメラ=万年筆』は「彼女について知っている二、三の事柄」や「24時間の情事」など、全曲映画の題名を冠した曲で構成されていたりと、特に活動初期には映画にゆかりの深い作品がある。
 わたしがゴダールの作品を劇場で観たのはカジさんよりも少しあとだったように思うが、その名前は知っていた。なぜかといえば、イエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)のファースト・アルバムのB面に収録されている曲のタイトルがゴダール作品からの引用だったから。1978年に国内でリリースされ、1979年にはアメリカ盤が発売されたアルバム『Yellow Magic Orchestra』は、当時流行っていたインベーダー・ゲームをはじめとするテレビ・ゲームに想を得た曲をA面の最初と最後に配し、そのあいだにマーティン・デニーのエキゾティック・チューンをディスコのグルーヴでカバーした「Firecracker」、ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンドを思わせるリズムの無国籍ナンバー「Simoon」、エレクトリック・サーフ・ミュージック「Cosmic Surfin’」を収録しており、細野晴臣の色が濃く出たトーンでまとめられているが、B面には坂本龍一の「東風」、高橋幸宏の「中国女」、そして1曲挟んで細野晴臣の「Mad Pierrot」というゴダールの作品名を用いた曲がノンストップで収録されているのだ。このアルバムを最初に聴いたとき、わたしは小学校高学年だったこともあってゴダール作品などまるで知らなかったが、その何年かのち、雑誌かなにかで曲名の由来を知って、ゴダールやヌーヴェル・ヴァーグを意識するようになったのだった。

アンヌとゴダールの出会い

 さて、前置きが長くなってしまったが、今回取り上げるのは『中国女』。1967年の作品である。1965年、17歳のときにロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』の主役に抜擢されたことから女優としてのキャリアをスタートさせることとなるアンヌ・ヴィアゼムスキー。彼女の写真を見て惹かれたゴダールはわざわざ『バルタザールどこへ行く』の撮影現場まで実際のアンヌを見に行ったという。一方のアンヌはこの作品の撮影が終わった1966年に劇場で『気狂いピエロ』と『男性・女性』を観て感銘を受け、すぐさまファンレターをしたためた。当然ながら自宅の住所はわからないので、ゴダールが寄稿していた『カイエ・デュ・シネマ』気付でそのレターを送ったところ、偶然にもゴダールがきちんと受け取り、ふたりは会う約束を交わすこととなった。この年の秋からアンヌはパリ大学ナンテール分校に通い、『中国女』に本人役で出演するフランシス・ジャンソンに哲学を学ぶのだが、ゴダールとの出会い以降は「もっぱらゴダールから映画の個人レッスンを受けることになる。夕方にどこかの映画館でヒッチコックやら溝口を一本観て、食事を摂った後にさらにもう一本を観るといった感じの毎日」(四方田犬彦著、講談社現代新書刊『ゴダールと女たち』)を過ごしたという。そうして製作に突入した作品が『中国女』である。

演じる人と演じられる役柄

 物語の主要な登場人物は5人の若者。ナンテール校で哲学を学ぶヴェロニク(アンヌ・ヴィアゼムスキー)、俳優のギヨーム(ジャン=ピエール・レオー)、経済学院の学生アンリ(ミシェル・セメニアコ)、画家のキリーロフ(レックス・デ・ブラウン)、そして地方から出てきた女中イヴォンヌ(ジュリエット・ベルト)である。彼らはヴァカンスのため夏のあいだ留守にしているという女友達の両親のアパルトマンを借り受け、共同生活をしながら毛沢東の思想について学び、議論を重ねている。面白いのは、5人それぞれの役柄と俳優たちの属性や職業、出自が同じであるところ(ミシェル・セメニアコは実際は写真家で、彼だけ少しのズレはあるものの)。それがインタビューという形式をとって作中で語られるのである。この設定──いうまでもなく、それに加えて本作の中心にある毛沢東思想とその現実化としての「革命」の目論み──によって、映画はドキュメンタリーとフィクションの合間を漂うような曖昧なものとなった。ギヨームのインタビュー・シーンではカメラを覗き込むラウール・クタール(撮影)とテープレコーダーを操作するルネ・ルヴェール(録音)が画面に登場し、それ以外のインタビュー・シーンでもゴダールの質問が小さなボリュームではあるが聴き取れるようになっている。そればかりか、「『中国女』シーン何の何」という声とカチンコが入っていたりもしており、それらのことが本作の副題である「今まさに作られつつある映画」をわかりやすいかたちで表している。その意味では『中国女』は「途上の映画」ともいえそうである。

実は「ひと夏もの」の青春映画でもある

 5人の若者たちは朝起きると「毛沢東体操」をし、赤いカバーの小さな本『毛沢東語録』を手にときに音読し、ときに討論する。そうしたなかで、それぞれの考えにズレが生じてくる。テロリズムに傾倒してゆく者、より穏健な着地点を探り「修正主義者」呼ばわりされてアパルトマンを去る者、というように。彼、彼女たちの会話の多くは──というかほとんどが──革命に関するものであり、そんなところから難解な作品と感じる方も少なくないかもしれないが、この映画のストーリーはいたってシンプル。映画批評家、映画作家のアラン・ベルガラによる労作『六〇年代ゴダール 神話と現場』(奥村昭夫訳、筑摩書房刊)には、本作の撮影開始時にゴダールが出演者にシナリオとして渡したテキストが再録されているが、それによれば「この映画は、毛沢東がURSS(ソビエト社会主義共和国連邦)および西側の主要なPC(共産党)の指導者たちの《ブルジョワ化》と袂を分かつためにとった理論的かつ実践的な方法を、この六七年夏のパリで自分たち自身の生活に適用しようと試みる、数人の若者によって結成されたグループがたどる内面的冒険を描くものである」。このあともう少しテキストは続くのだが、本作のあらすじはこれで事足りてしまう。この点において、『中国女』はいわゆる「ひと夏もの」映画であり、また青春映画でもあるといえるだろう。それだからか、重ためな主題にもかかわらず、最後まで観終えたときに不思議な爽やかさすら感じるのである。

毛沢東をめぐって

 この作品の重要なシークエンスは、物語も後半に差しかかるあたりの電車のなかでのヴェロニクとフランシス・ジャンソンの対話だろう。先に述べた通り、アンヌは実際にフランシス・ジャンソンに哲学を学んでいるのだが、ここではヴェロニクとしてフランシスと対話──このシークエンスのヴェロニクのセリフはカメラ外のゴダールからアンヌへイヤホンを通じて送られている──を交わす。「大学を閉鎖したらすばらしいと思うわ」と語るヴェロニクに「すばらしいと思うのはいいが──その後の事態は考えているのかね?」と返すフランシス。学校に爆弾を仕掛けて、それで死者が出たらみんな怖がって学校には行かないだろうとヴェロニクはフランシスに話すが、それはテロリズムだろう、テロリズムにも基盤が必要だと諭される。ここでのヴェロニクの言葉はいかにも借り物で上滑りしている印象だ。やがて完全にフランシスに論破されてしまうヴェロニクはこう問いかける。「先生 私 間違ってます?」ちなみに、この対話のなかにはヴェロニクの口から「桃の収穫」について語られるところがあるのだが、このエピソードは実際にアンヌが体験したもので、ここでも現実と虚構があえて重ね合わされている。
 ヴァカンス・シーズンである夏が終わると、みなそれぞれの場所へと戻って、あるいは向かってゆき、若者たちの「革命ごっこ」も当然ながら終わりを迎える。彼、彼女たちのこれからの人生はどうなるのかわからないが、ひとまず歩き始めた様子である。しかし、ヴェロニクはどうだろう。この映画の翌年に起こることとなるパリ五月革命を想起させるセリフは意味深長だ。ヴェロニクのように革命にとどまろうとする者、毛沢東思想から距離をとって自分の道を進む者、それぞれの違いはあるがいずれにせよ、本作で描かれているのは人生のなかのひと夏でしかなく、やはりこの作品は「途上の映画」といえるのではないかと思う。
 最後に『中国女』と毛沢東思想に関連して、本テキストの前半で触れたYMOの話に少しだけ戻ると、坂本龍一のファースト・ソロ・アルバム『千のナイフ』(1978)はのちにYMOのライブの定番曲となり、またアルバム『BGM』(1981)でも演奏されることとなる表題曲で幕を開けるのだが、初出であるこのアルバムのバージョンの冒頭には毛沢東の詩がヴォコーダー(音声などをソースにそれを変調させていわゆる「ロボット・ボイス」のようなサウンドを生成するシンセサイザーの一種)を通じて朗読されている。朗読しているのは坂本龍一である。このヴォコーダーによる朗読パートは、YMO名義での演奏やのちの坂本龍一の演奏では割愛されており、『千のナイフ』でしか聴くことができない。日本での学生運動––––実際、坂本自身もこれにコミットしていたのはよく知られている––––の残り香がギリギリ感じられた1970年代の後半らしいバージョンといえるだろう。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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